桐生悠々「広田外相の平和保障」

 広田外相は今期の議会に於て、一議員の質問に答えて、「我在任中には戦争なし」と言った。ということは、爾来チョーヴィニストが、というよりも変態的心理者が、力説しつつあった一九三五、六年の危機は「現実的」のものではなく「想像的」のものであるという私たちの意見が裏書されたのである。
 これを聞いて、一般国民は安心したけれども、或筋のものは、そしてこれと密接なる関係にある工業家や、商人などは、却って不平満々、余計なことを言ったものだと、広田外相を怨んでいるかも知れない。
〔軍人〕がその職業意識から、戦争あれかしと希望する結果、動もすれば、瓢箪から駒を飛び出させ、「想像」を「現実」の舞台に追い出すに何の不思議があろう。
 だが、戦争と平和と、いずれを択ぶかといえば、国民の多くは後者を択ぶだろう。一部階級のものを除いて、残余の多数は、戦争よりも平和を欲するに、これまた何の不思議もない。
 だと言って、戦争は必ずしも悪いと決ってはいない。少くとも不利益なことではない。例えば、満州事件の如き、これによって満州を独立せしめて、これを我勢力圏内に入れたことなどは、将来に於て、財政上或は堪え難き負担を強いられるかも知れず、現在では、先ず、我財政上に赤字を出しつつある一原因となってはいるけれども、兎にも角にも、欧米各国からしかく或は妬まれ、或は羨ましがられていることほど利益的なことであろう。だが、上海事件に至っては損をこそしたれ、得をしたことはなかった。
 と同時に、日本は支那と戦えば、恐らくは利益するだろう。それすら、欧米列強の干渉を招くことは必然的であろうから、そうはちょっくら彼とは戦い得ないけれども、将来は兎に角今のところでは、彼我戦えば必ず我は勝だろう。だから、支那と戦争することは賛成だが、アメリカを、ロシアを、向うに廻すことについては、考物だ。何ぜなら、この種の戦争は国運を賭する危険千万な戦争であって、一部階級の職業意識や、名誉心のためそうした国運を賭する一大戦争を敢てすることは、暴虎憑河の類である。
 余りにも近い一大殷鑑は世界戦争である。この戦争では、負けた国は勿論の事、勝った国でも、同じく痛い目に会った、そして今なお会いつつある。戦争の馬鹿も、休み休み言ってもらいたいものだ。
   (昭和十年三月)



最終更新日 2005年05月01日 11時54分18秒

桐生悠々「人生は運」「運のよい軍人」

人生は運
 人生は努力であると同時に、運である。
 努力せずしては人生は営まれない、というよりも、努力の総計即人生である。とするならぽ、生活は或人には愉快であるが、或人には苦痛であり、負担である。努力そのものの真価を知って、これに愉快を感じ得る人に取っては、人生はおのずから愉快であり、従って努力の結果如何を問わずして、怡々として天の命に従い、成功と不成功との区別が無視される。だが、努力の総計即人生のみであるならば、多くのものは、努力そのものの真価を知らざるが故に、常に笞たれ、引ずられて、重荷を負わせられつつ、荊棘の途を歩みつつあるが如くに感ずる。従って、彼等はこの努力に報いられて、物質的に或物を得なければ――その社会的、国家的地位たると名誉たるとを問わず、或物を、少くとも、或程度の富を得なければ――彼等はこれに満足せざるのみならず、その人生を以て、全然失敗したものとして、失望落胆する。そして生れながらにして、怠惰に消日し得るものを羨み且っ猜む。心得違ではあるけれど、それが普通の人情である。
 そうした普通の人情を持つものから見れば、人の成功不成功は主として運によって支配される。運が悪けれぽ、人は如何に努力しても、これに報いられない。と同時に、運が善ければ、人はその努力に報いられるのみならず、努力せずしてすら、高い地位や、名誉をかち得、巨万の富を積み得る。しかも、それは真理であって、如何ともすることができない。結局運を天に任かすより外はない。
 従って、古来偉人中にも――その精神的偉人たると、物質的偉人たるとを、問わずして――運のよい人が少くない。その殆どすべてが、運のよい人であったとすらも言い得る。何ぜなら、時代を異にすれば磔にあがった人ですら、後には神と崇められつつあるが如くに、当時には、神と崇められた人も、後世子孫によって磔にあげられるだろうところのものが、少からず存在するからである。

運のよい軍人

 私たちは、こうした運のよいものを、最も多く、武人、軍人に見る。何ぜなら、人類はなお野蛮の域に彷徨して、その歴史は、血なまぐさき征服の、殺人の記録を以て覆われているからである。人は最近の世界戦争(註第一次世界大戦)によって、何時までも野蛮であってはならないことを痛感した。にもかかわらず、喉もと過ぐれば暑さを忘れて、今や復この野蛮を繰返えさんとしている。だから、有卦に入っているものは、軍人であり、武人である。軍人、武人でなくば、彼等は人にあらずとすら考えているらしい。少くとも、彼等以外には、忠君愛国者は一人もないと考えているらしい。
 以て彼等の運のよさを測知するに足りるであろう。だが、人類は永久に、こうして野蛮状態に彷徨してはいないだろう。人類は、獣類と異り、そしてたといこれとの差が程度の差であって、性質の差にあらずとしても、高い程度に於て、殆どその性質を一変したるが如き高い程度に於て、人類が下等動物と異る時代が来るだろうときには、軍人、武人は大規模の殺人者として、後世子孫によって、磔にあげられねばならないだろう。
 戦後人類が、その存在価値に目ざめたとき、彼等の運はやや傾きかけた。軍縮問題の台頭したときが、それであって、彼等の屏息は実にみじめなものであった。
 第二の世界戦争が若しも戦われなければならないならば、戦われるだろう。だが、その次に来るものは、軍縮のみではなく、軍廃であるだろう。その時には、彼等の運は全然反対方向に回転するだろう。何ぜなら、人類は人類であって、下等動物ではないからである。何時までも、野蛮であってはならないからである。
 これを個人について見ても、軍人、武人には運のよいものが多い。維新直後は別であったけれども、これを去ることやや遠きに当って、軍人を志願したものは、同人間では、余り頭のよいものではなかった。だが、運よく戦争が続いたので、彼等は今天を衝くように時めいている。
 政治家は、行政家は、特に最近には、頻々として暗殺された。だが、佐官以上の軍人は戦争があっても戦死することが少い。少将以上に至っては、その生命が、確実に保障されている。生命が保障されているから、久しきに亘って、その意見をも実行し得る。この点政治家は如何にも運が悪い。折角総理大臣になって、これからの経綸というときに、ズドンと一発食って、敢なき最期を遂げさせられる。
 国乱れて忠臣出で、家貧しうして孝子表わる。この場合、忠臣や、孝子は仕合わせものであり、好運者であるけれども、その原因や、時代に想い及ぶときは、忠臣や、孝子は余り出ない方、表われない方がよい。何ぜなら、これがために、国が乱れ、家が貧しうならなければならないからである。忠臣が出で、孝子の表われる原因や、時代は断じて歓迎すべからざるものである。
 軍人や、司法官が時めく時代、それは決して感心すべからざる時代である。
 だから、今日を非常時というのだ。



最終更新日 2005年05月01日 12時03分34秒

桐生悠々「今日の鎖国主義者」「戦争と優種」

今日の鎖国主義者
 今は亡き人数に入ったアゥトルックの主筆、ジョージ・ケナン――珍らしくも親日派であった、このアメリカ人は、当時その主裁していた誌上で、三代将軍家光が大型の船を造ることを禁止しなかったならば、日本人は今やアメリカ太平洋沿岸にも移民、繁殖して、アメリカから排斥されるどころか、彼等自身却ってヨーロッパからの移民を排斥したであろうと論じた。真にその通りである。鎖国の弊が、一にここに至ったのである。
 今日の日本には、徳川時代のそれのような鎖国主義者はいないけれども、(みだり)に皇国の精神を高調して、精神的に太古の昔に還えらんとしつつあるものがある。五ケ条の御誓文に背いて、広く知識を世界に求めざらんとする鎖国主義者がある。従って、万機を公論によって決せず、自己階級の偏見によって、これを決せんとするものがある。そしてこれが為にアメリカから、ヨーロッパからも排斥されんとしている。これが非常時なのだ。
 従って、上下心を一にして、盛んに経綸を行わしめない。上下心を二、三にするのみならず、上下を全く心を対立せしめ、時としては、それ自身の内部に於て下剋上の珍現象をすら現出せしめつつある。自己の経綸だけは盛んに行おうとしているけれども、それ以外の経綸を無視し、言論の自由を圧迫して、国民をして何物をもいわしめない。これが非常時なのだ。
 明治大帝は徹底的な自由主義者であらせられた。

戦争と優種

 ジョージ・ケナンはまた言った。日本が明治維新の鴻業を成就したのは、徳川三百年の太平が打続いたからだ。何ぜなら、この間、戦争がなかったので、優生学上、日本民族の優種が安全に保障されたからであると。
 戦争は民族の優種を、身体強健にして、頭脳の明晰なるもの、少くとも犠牲の精神に富んだものを殺す。後に残ったものは劣種のものぼかりだ。この劣種の産んだ子孫が劣種の国民であることは、言うまでもない。従って国家は廃頽する。戦後ヨーロッパが廃頽しつつあるのは怪しむに足りない。ヒットラーを、ムッソリニーを跋扈せしめて、羊の如くこれに追随しつつあるドイッ及びイタリーは憐れむべきである。起ってこれに反抗し得るものを見出し得ないほどに今や、ドイッ、イタリーは廃頽しつつある。革命当時に、智識階級を鏖殺したソヴェート・ロシアが、名義ばかりの無産者独裁政治を行い得たのは、その最も顕著なる一実例である。
 徳川政治は、一方に於て、鎖国より生ずる当然の結果を招いたけれども、他方に於て、たとい文弱の弊を伴ったにもせよ、その太平主義は、日本民族の優種を保存し、終に維新の大業を成就して、一挙にして鎖国主義の弊を決算した。
 ジョージ・ケナンの言は、文字通りに他山の石として、以て我玉を磨くに足りる。戦争のみを事として、以て我民族の優種を断つことなかれ。



最終更新日 2005年05月01日 12時06分45秒

桐生悠々「顛落自由主義」

 彼等は、自由主義を巓落したといい、死んだと言って葬式をすら出さんとしている。だが、自由主義は決して顛落してはいない。暴力を以て、屏息せしめられているだけだ。無理が通る世の中だから、今しばらく道理が引こんでいるだけだ。キリストは死んだと思ったら大間違、やがては復活する。
 彼等は自由主義を個人主義と取り違えている。そして個人主義といえば、すぐに資本主義を連想する。だが、この資本主義は、少くとも我日本に於ては、顛落していないどころか、軍国主義、帝国主義と野合して、たとい余喘を保つに過ぎないとはいえ、今旺盛の唄をうたっている。満州事変以後、また、我国が国際連盟を脱退した以後、我資本主義は軍需品工業の旺盛を通して、勢い凄じくも復活しつつある。軍国主義、帝国主義が盛なるときには、資本主義もまた盛なることは、歴史の示すところである。
 自由主義の必然的なる一つの現われが、資本主義であるとするならば、資本主義がしかく盛なるときには、自由主義は決して顛落しないはずだ。以て自由主義即資本主義にあらざることを知るに足りる。
 自由主義は英語のリベラリズムの訳語であって、その語原たるリベラルは、公明、正直、無偏見を意味し、政治上では、民主的なる改革と特権廃止とに好都合なる条件を意味する。かのレーセ・フェアとは全然別物である。
 従って、自由主義は一方に於て、民主主義的であると同時に、常に革新、改革を、しかも、公明に正直に、偏見に囚われずして、その目的を達せんとしているから、何時の世にも、欠くべからざる観念であり、思想であり、明治時代たると、大正時代たると、昭和時代たるとを問わず、絶対的に必要なるものである。これが巓落しては、世はお仕舞である。従って、私たちは、これを顛落せしめてはならない。最後の一線に踏み止っても、これを守らなければならない。



最終更新日 2005年05月01日 12時08分51秒

桐生悠々「天祐の日本」

 既に示唆した如く、それ故にこそ、明治天皇は自由主義者、民主主義者であらせられたのだ。五ケ条の御誓文を拝読するとき、この思想はいずれの条項にも、脉々として躍動している。明治維新の鴻業は、一にこれによって成就されたのである。
 然るに、大正を経、昭和の今日に至って、国民は殆どそのすべてを挙げて、この自由主義を忘れんとしつつある。日清戦争、日露戦争、世界戦争、最近には、満州事件、上海事変を経て、我国民は、特に我軍部は、天祐に狃れて、気大に驕り、我を以て、世界無敵の強者とうぬぼれ、しかもファシズム・ヒトラリズムの、言いかえれば、彼等のいうところ皇国精神、日本にユニークなる精神と、全然その範疇を異にした思想、というよりも「流行」に駆られて、この自由主義を抑圧しつつある。明治天皇の大御心に、我国の前途、少くともその進歩発達を念わせられた大御心に、背くの甚しきものであって、曾て西洋人が我を批評した如く、日本は明治天皇の崩御と共に、下り坂にさしかかっているものといわねばならぬ。
 本年は日露戦争三十周年に当るというので、到るところに当時が回顧されつつある。だが私たちは、彼等軍人諸君の如く、日本の陸海軍を以て、さほどにまで強いものとは、不幸にして思えない。曾て蒙古海軍によって攻められて、これを破ったと同様、日露戦争に於ける日本の勝利は天祐としか思われないのである。
 先ず陸戦に於て、奉天会戦以後に、なおも戦争を継続していたならぽ、日本はこれがために思わざる不幸を見たであろうことは、陸軍当局と雖も、これを認めているに相違ない。当時大ルーズヴェルトが中に立って、ポーツマスの媾和条約を見得たのは一大天祐であった。
 次に、日本海海戦についても、また同様のことがいい得られる。あの艦種の揃わなかったロゼストウェンスキーのバルチック艦隊が、途中、中立国に寄港し、給炭、給水に散々の苦労をしながら、ヘトヘトになって対馬海峡に現われたとき、我東郷艦隊は逸を以て労を待ったのであり、これを一撃の下に爆沈し得たのは、地理の恩恵に基く一大天祐であった。若し攻守主客を転じて、我東郷艦隊がバルチック海に進撃したとするならば、その運命は如何であったろうか。想い出すだに慄然たらざるを得ない。
 若し、それ満州事件、上海事変に至っては、我陸海軍が支那を沈黙せしめ得たのは、赤ん坊の手を狃ったと同様である。諸種の近代的武器を有しなかった支那軍を撃攘し得たのは、これまた一大天祐といわざるを得ない。にもかかわらず、我軍はこれがために多大の損害を受けたではないか。
 こうした天祐を忘れて、夜郎自大の弊に陥り、我軍の向うところ敵なしと思い込み、その結果として、近時見るが如く、外に対しては謙譲の徳を無視し、内に於ては、ファシズムの蛮勇を振い、明治大帝の自由主義、民主主義をも蹂躪せんとしつつある。彼等が上りきったと思うところの地点は「将来」の高処から見れば、下り坂であることを、彼等は知らないのである。               (以上、昭和十年五月)



最終更新日 2005年05月01日 12時11分02秒

桐生悠々「穂積対一木の憲法論」「事実としての国家」「フレデリック大王とルイ第十四世」「ファッショ台頭の機会」「逆戻りしつつある時代」「社会主義と政党」

「憲法上に於ける君主の地位如何」という問題が、今学理の、大学の講壇からぬけ出て街頭を迷走しつつある、法律の門戸を踰越して、政治的に夢遊しつつある。その結果として、彼が途中如何なることをし出かすか、危なかしくて見てはいられない。何ぜなら、政治は冷かな学理の住家ではなくて、心理学的の動もすれば熱狂して、特にそれが群衆的となるとき、一切の点に於て、個人の責任を無視して顧ないものの闘争場だからである。
 議員特に民間に於て、それに雷同附和するものは、果して憲法というものを知っているや否や、また曾てこれを研究したるや否や、それすら記者に取っては、甚だ疑いなきを得ない。唯感情上、一知半解の知識を以て、それを論断し、独断するに至っては、それこそ実に危険千万である。何ぜなら、一部不逞の徒はこの無智に乗じて、暴行を敢てするの傾があるからである。過去が、歴史が既にこれを証明している。
 我国に於て、憲政上、君主が統治の主体なるや、また機関なるやに関する論争は、遠く帝大に於て、一方に穂積博士が憲法の講座を担任し、他方に一木博士が国法学の講座を担任し、各自その意見を異にして、学生に実に賑わしき討論の題目を供給した時に始まる。記者は当時、その間に存在して、実況を彼みずから体験したが故に、今ここに当時を追懐して、この状況を世人に紹介し、以て世人の軽挙盲動を誠めたい。
 彼が初めて本郷の赤門を潜ったのは明治三十年の交であり、彼は先ず穂積博士の堂々たる憲法の講義振に衷心から魅せられてしまった。法律に関して、何等の予備知識を持っていない彼が、訳もなくこれに魅せられたのは怪しむに足りない。この感は単に彼のみの占有物ではなくて、他の学生も特に法律科の学生の殆と挙げてが、この占有物を分前したらしく思われた。何ぜなら、当時の法律科の学生は、一木博士の国法学を聴かなかったからである。

事実としての国家

 だが、記者は幸にして、政治科の学生であったので、穂積博士の憲法を聴講し得たと同時に、一木博士の国法学も聴講することを得た、そして彼はそれによって、法律学上真に新しい一の或物を得た。
 穂積博士の講義は堂々その物、荘重その物であって、文章体を以てする彼の講義、曰く「これ学者架空の議論にあらずして、事実なり」曰く「これ権利義務の関係にあらずして権力、服従の関係なり」曰く「天皇は虚器を擁せず」曰く「四千万の衆皆愚なり」(当時の日本の人口は四千万に過ぎなかった)等々の言は、何等の検討を経ずして、柔軟なる学生の脳裡に力強く印象された。だが、.聴講者は兎にも角にも大学生であるから、これに対して敬意を表しながらも、敢てドグマとまでいわなかったが、その学理の聊か粗笨(そほん)なるを感じ、少くともこれに飽足らなかったのはいうまでもない。
 そして彼等は、一木博士の国法学を聴講し、劈頭第一に「国家は一の事実である」の仮定ないし命題を与えられたとき、寧ろその真体を捉らえ得ずして、狼狽せざるを得なかった。だが、国家は実際一の事実である。しかも既成事実である。理論を以てしては、如何ともすることができない。況や感情を以てするをや。国家は理論を超越して存在し、理論を以てしては、法律論を以てしては、その本体を、従ってその価値を知ることを得ないものである。言いかえれば、国家は法律の範囲外にあり、事実の問題であるのだ。反動論者のいうところ我「天皇」が即ちこれに当るのであるが、一木博士は直にこれを君主とはいわなかった。何ぜなら、彼は我国の憲法を論じているのではなくて、文字通りに国法学(スタートレヒト)を講義していたのだからである。そして彼はこの超法律的なるもの、即ち自然的または歴史的なる存在を以て国家となし、これに絶対の権力を与えたのである。従って、彼はおのずから君主を以て、統治権の機関と見なさざるるを得なかったのである。

フレデリック大王とルイ第十四世

 謙遜にして、ドイッ帝国を建設した英王フレデリック大王は「朕は国家の下僕なり」と言ったが、ルイ十四世はこれに反して「朕は国家なり」と言い、結局「朕の跡に洪水」を汎濫せしめた。この暴君ルイ第十四世と雖も、苟くも憲法を発布して、これを行うことを約すれば、おのずからそれに従わざるを得ないが故に、彼みずから彼の絶対権を制限したものといわねぽならない。この意味に於て、彼は国家の一手段、統治権の一機関とならざるを得ない。彼は国家その物なるが故に、事実としては、何時にても、この憲法を廃止して、本来の絶対権を揮い得る。だが、この憲法が存在する限り、彼はこの憲法に従って、彼みずからその全能権を制限して、統治権の一機関とならざるを得ないのである。
 一木博士の国法学は、穂積博士流の憲法論に取っては、他山の石である。この他山の石によって、我玉を磨き得れば、我立憲政体は幸いにして有終の美を済し得るだろう。

ファッショ台頭の機会

 最後に、だが、断じて最小でないのは、穂積博士流の憲法論を以てすれば、今日の大臣責任及び議会の解散は何等の意味をも持たないこととなる。何ぜなら、この解釈によれば大臣は君主に対して責任を負うのであって、議会や、人民に対しては責任を負わないこととなるからである。また議会の解散は、(あまね)く信を国民に問う時の政府の責任的行為ではなくて、議員に対する懲罰でしかあり得ないこととなるからである。美濃部博士の君主機関説に反対する議会その物は、時の政府の、大臣のこうした無責任な行為をもまた肯定せんとするのであるか。
 (こいねがわ)くば、おのれの刃を以て、おのれの首を切らざらんことを。
 さなきだに、政党の威信地に墜ち、ファッショ台頭の機会を与えつつあるこの際、(いたず)らに軽挙盲動するときは、この台頭に拍車をかけることとなりはすまいか。
 美濃部博士の君主機関説を攻撃するのは、前宮内大臣にして今日の枢密院議長一木博士に対する間接射撃となりはすまいか。暴漢既に現わる。慎重なる考慮を切望する。
逆戻りしつつある時代
 時代は今一ゼネレーション昔に逆戻りしつつある。記者が大学生たりし時には、如上穂積博士の憲法論と、一木博士の国法学と相対峙して、学生間に一大討論の材料を与えたと同時に、政党の必要不必要に関しても、学生はまた大に議論を闘わしたものであった。何ぜなら、当時にあっては、政党政治の確立しなかったのは勿論のこと、藩閥が盛に君主を擁して、自家閥族の利害を専断していたからである。然るに、今これらの問題が一ゼネレーションを経て、街頭の実際的問題となりつつあることを見るとき、私たちは折角進み来った航路を、逆流のために出発点に押戻された愚を禁じ得ない。
 ()よ、彼等は進んで政党を不必要としているではないか。政党自身に罪あることはいうまでもないが、この政党をして更に理論的に窮地に陥らしむるものは、反動的なる憲法論である。この間の消息を知らずして漫然として美濃部博士を排撃する政党者流の気が知れない。
 アプトン・クローズが言っているように、「政党が成熟しない以前に死んでしまったので日本という船は、今ファシスト超党国者によって舵取られ、フールスチームで突進しつつある。この船はジグザグに航路を進む。不忍耐な若いものが一時舵輪を取ることが危くなれば、注意深い老人の手が、皇帝のタッチで勢いつけられて、旧の地位に戻る。だが、航程は転ぜられない  結果は滅茶滅茶に進んで、恐らくジグザグするために、一群の岩を乗り損ねる」。

社会主義と政党

 日本は今もなお一ゼネレーション前の航路に躊躇している。
 記者は当時ただ穂積博士の紹介により、一木博士のメンタルテストを経て、大阪毎日新聞社に入社したものであるが、この時一木博士は彼(注著者自らの事)を引見して先ず社会主義をどう思うかと、彼に訊いた。彼は、社会主義は理論上肯定されないが、感情的には存在の価値がある。そして人生は理論によって支配されるよりも、感情によって、支配される力が強く、且つこの範囲も広いと答えた。次に、博士は政党に関しては、どういう考を持っているかと訊いたので、彼はそれに対して、多数集会する場合には、小異を去って、大同に就かなければ、仕事が出来ないから、そこに大同の群が発生する。この群が政党である。政党は政治上自然的の現象であると答えた。
 一木博士が当時記者に問いかけた問題は疾にも解釈されてあるはずだのに、今なお解釈されないで残っている。残っているばかりではなく、世人は今突発でもした大問題のように心得て、喧々囂々として騒いでいる。
 共産党の問題がそれ、ファッショの問題がそれ。      (以上、昭和十年四月)



最終更新日 2005年05月01日 16時20分02秒

桐生悠々「雑音・騒音」

 (さき)には、「中央公論」や「改造」に言いふりて、黴が生えたと思われる経済論を発表して悦に入り、「全智全能」の自負心に陶酔しつつある軍部は、最近またもや、彼等に独自な憲法論を発表して、「どうだい、俺たちは何でも知っているぞ」と彼等にユニークな髯を捻っている。
 彼等はいう、国家法人説を反駁していう、「彼等の思想に於ては、この理論よりするも歴史的体験よりするも、国家共同生活の中心たるべき統治作用の主体を安じて、自然人に見出すことはできぬ」と。この場合、「自然人」とは誰か。ハッキリというとそれこそ「不敬」になりますそ。
 彼等はまたいう、「我民族の伝統とする国家観では、国家は全国民が、天皇を中心として渾融一体、有機的に一体化して結成され、国家そのものとして、永久に生成発展してゆくところの一の生命線と見るのであって、国家と国民たる個人とを、如何なる場合に於ても別々には考えられぬと見る云々」と。だから、国家は法人であるという結論になる。「見る」という言葉自身がこれを確証している。自然に、そうした空漠な国家なるものがあるはずがない。ここに「生命線」とあるのは、軍部もまた流行語には精通していることを、誇り気に示しているのだ。
 彼等は何ぜ一歩を進めて、天皇即国家といわないのか。根本の思想が、こうも錯誤し、こうも漠然だから、その結論も大抵は想像がつく。
        (昭和十年五月)



最終更新日 2005年05月01日 16時44分04秒

桐生悠々「真直に進め」

 私たちは、前号(第二年第九号)の「編輯後記」に於て、岡田(啓介)内閣(註 昭和九年七月八日成立。十一年、二・二六事件により崩壊す)は如何に弱体内閣であっても、そうも無良心にこきおろすことはできない。苟くも国を憂うるものは、かくも陰鬱な、しかも危険極まる情勢が政界の表面に活躍しつつある今日、元老、重臣及び岡田首相に、寧ろ満腔の同情を捧ぐべきことを示唆したが、岡田首相が議会閉会後、西園寺(公望)公を訪問した後、その感懐を語った談話から察して、益その然るべきことを確めた。
 彼が内閣審議会設置の決心を西園寺に語ったとぎに、公はそれに対して「そういう機関ができた上は、折角真面目にやってほしい」といい、その他憲法学説問題に触れて、今後政府の執るべき必要等について、その所信を披瀝したとき、公はこれに対して「横を向かずに、真直に、うんと落着いてやってほしい、前だけを見てやってゆけぽよい」と強く激励されたということであるが、これによって内閣製作者たる西園寺公の信念が那辺にあるかを察知するに足るのである。
 この結果よりして、岡田首相は内閣審議会を設置すれば、政友会に対して飽くまで審議会に参加すべきことを要望し、たとい政友会がこれを拒絶しても、政府は政友会に対する態度を寸毫も変更することなく、組閣以来、各方面と結んで来た親善関係を同会に対しても持続し行き、そして政党更生のために、岡田内閣が犠牲ともなるならば、寧ろ進んでこれを甘受するだろうとも報ぜられている、真に悲壮なる覚悟といわねばならない。
 唯この場合、相手方なる大政友会が果して、この点に目ざめるだろうかが、大なる疑問である。彼が今日の如く、醜悪極まる内紛を事としている間は、決してこの点に目ざめざるべく、そしてその結果は推して知るべきである。
 だが、兎にも角にも、これによって政変説が打消され、少くとも現内閣が来春の議会当時まで存続するという見透しのついたのは、政界に蟠る一つの不安を取除くことを得たものであると同時に、偽忠君、偽愛国を標榜して、暴力を(ほしいまま)にしたものが、現内閣の決心によって一掃されんとするの端緒を啓き得たのは、人心をしてやや明朗ならしむるに足るものがある。論者によっては、現内閣がこれを実行し得れば、唯それだけにても岡田内閣の存在価値ありとすら讃辞を奉っているものすらもある。
 私たちは、西園寺公と同様、かくして岡田内閣に対して、傍目もふらず、真直に進めと勧告するものである。                   (昭和十年五月)



最終更新日 2005年05月01日 16時45分45秒

桐生悠々「米国軍部の放言」

 五月二日東京朝日所載、四月三十日、ワシントン発特電によれば、米国下院の陸軍委員会は先日来、ウイルコックス提案の七大飛行根拠地設置案に関する秘密会を開会中であったが、最近まで作戦部長だったキルバーン少将が、カナダに対し、戦時陸軍飛行場に転換し得る飛行場設置の必要を力説し、また陸軍航空隊の司令官アンドリュース少将が一旦緩急ある際には、米国に接近するニューファウンドランド以下の英仏属諸島を先ず占領すべきことを力説したことを、手続の誤から、はしなくも暴露されたために、寝耳に水のカナダ政府は、大に驚いて、米国国務省に対してその確報を要求した位であったので、ルーズヴェルト大統領は、去月三十日、直に同会委員長マックスウェーン氏に対し、未曾有に手厳しい手紙を送り、単に大統領としてではなく、米国陸海軍の統帥者として、米国の国策はカナダ始め如何なる国とも、事を構えざるにあり、従って両少将の言は国策にも副わず、また軍部の意向にもあらずと、これを否認すると同時に、今後は、かかる軍人の言論は余の承諾を経ずして発表すべからずと、厳重に警告したとある。
 そしてなおこれと共に、同委員会の一員たるマヴェリック民主党議員は、最近同国の陸海軍軍人が国を誤るものとして、次の如き痛烈なる攻撃を加えたということである。
 米国に取って、先ず何よりも必要なることは、或種の海軍大将を軍法会議に附することである。彼等は到るところに放言し、我外交政策に容喙しているが、それは我国に取って却って重大なる脅威となる。下院の陸軍委員会が、秘密報告書を公表したのは、悪気のない過誤であったとしても、陸海軍の将校を箝口して、我外交政策に論及せしめざることが肝要だ、外交政策は国務省や、大統領が取扱うべき問題なのである。陸海軍の将校等の戦争を云為することが余り多過ぎる。特に海軍将校が甚しい、約五人の大将は直に軍法会議に附すべきである云々。
 いずこも同じ、陸海軍軍人はその○○意識からして、いずれも戦争を云為し、○○を刺戟するものらしいが、さすがは米国だけに、大統領がこれを厳禁したるのみならず、下院の議員が、しかく痛烈なる攻撃を彼等の上に加えたのは快心に堪えない。
 日本の総理大臣または外務大臣、及び衆議院議員は何をしているかといいたい。
 言論の自由、というよりも放言は、軍部のみがこれを享楽して、一般国民は無論の事、院外に於て、その責を負わない帝国議会議員すらも、その自由を享楽し得ないとするならば、次に来るべきものが、何であるかは、言わずして明である。これが「非常時」なのだ。非常時は自然に来るものではない。            (昭和十年五月)



最終更新日 2005年05月01日 16時47分34秒

桐生悠々「軽薄なる日本主義」

 言葉は思想または観念を示す。この関係から論ずれば、日本主義なるものがあろうはずはない。のみならず、イズムは、時に盛衰あり、消長あって、恒久不変のものではない。これによって、国民の思想を支配し、これによって、国策を樹立するのは危険であり、少くとも適当ではない。若しもそうしたものがありとするならぽ、それは一時の流行に過ぎず、(たちまち)にして思想界から消滅しなければならない。
 言葉は思想、又は観念を示すシムボルである。この関係から見れば、仁義忠孝等は日本固有の道徳や、倫理的思想ではない。何ぜなら、これらの言葉は漢語であり、支那の言葉だからである。これらの言葉は、日本固有の言葉ではなくて、支那から輸入された言葉だからである。日本固有の言葉によって反映される日本固有の道徳ないし倫理的思想は「まこと」であり、「なさけ」である。この道徳の対象如何により、対社会的に、また対個人的に表われるとき、それは時として仁となり、義となり、忠となり、孝となるのだ。
 現在の日本語から漢語を除くとき、従って現在の日本的道徳から外来的の道徳ないし倫理思想を排するとき、我日本の文化が、如何に貧弱なものになってしまうかは、多くを言わずして明である。にもかかわらず、彼等は日本主義を高唱しつつある。何という軽薄なことであろう。
「日本」を「にほん」と読まずして「にっぽん」と読めというが如きも、また、その軽薄性、無智性から出たものであって、彼等の浅薄な、形式的な思想からいえぽ、「日本」は「にほん」でもなく、「にっぽん」でもなく、「ひのもと」であらねばならない。
 我「政治」は元来「祭事」即ち「まつりごと」である。だからと言って、現在の政治を御祭騒の昔に返えすことはできまい。政治を御祭騒と心得ているから、立憲政治の選挙がこの様に堕落してしまったのだ。
 昔時の支那の文明、文化ほど偉大なものはなかった。明治維新前の殆ど一切の日本の文明、文化が、支那伝来の物であったことほど、彼国の文明、文化は偉大なものであった。だが、その鎖国的、排外的思想が災となって、今では、曾てその弟子であった日本から、この偉大だった先生が、このようにいじめられつつある。殷鑑遠からず、我日本も今日のように夜郎自大の気分を続けているならば、支那の二の舞を演じないとも限られぬ。
 我国民性にユニークなるものは、外来の文明、文化を消化して我物とすることである。歴史がこれを証拠立てている。これ故にこそ、明治天皇は「広く智識を世界に求めて、皇基を振起すべし」とのたまわれたのであった。欽定憲法がその一である。
 単に外来的なるが故を以て、漫にこれを排斥し、一部階級の利益のみを計らずして、国民の総幸福を増進すべきである。軽薄にして、浅薄なる「日本主義」こそ排斥すべきである。                         (昭和十年六月)



最終更新日 2005年05月01日 16時49分24秒

桐生悠々「至難なる満州の支配」

 日本はその軍事的プレッシュアによって、満州を支那から独立せしめたが、将来果して完全にこれを支配し得るや否やは、何人も、これを予断し能わないであろう。たといこれを支配し得るとしても、その至難なるはいうまでもない。記者が本号(第二年第十四号)に於て、紹介したオーエン・ラッチモアの「世界に於ける満州の地位」は、即ちこれを示唆するものである。政府当局の参考ともなるならば幸である。
 この観測は同氏の著書「衝突の搖籃・満州」中に収められた一章の一節である。この書は満州がなお「満州国」とならざる以前、即ち一九三一年十二月を以て出版されたものであるが、満州問題は著者のいうが如く、今新に起った問題ではなく、長い歴史を持つものであるから、日本が、今その勢力圏内にこれを入れたりとしても、(にわか)にこれを解決し能わず、依然として至難なる問題であるだろう。だから、本年一月を以て出版された第二版の序に於て、著者は左の如くこれに附言している。
「この書の第一版は、満州が支那から分離して満州国を建設した、あの猛烈なる出来事の唯数ヶ月後に出版されたものである。この出来事前に書かれたものであるから、満州を取扱った書で、満州国を取扱った書ではない。この書に於て、最も強く力説されたところのものは、この国に於ける迅速なる支那の植民と、『近代的文明』の導入とによって創造された新問題ではなくて、直接に一の長い歴史と関係し、実に新要素の附加によって複雑化された、極めて古い問題の唯一的な近代的局面であるということであった」。
「これが、一九三一年前の満州について真であるならぽ、一九三二年後に於ては、一層真ですらもある。にもかかわらず、満州国のためにする、また満州国に反した偏見を免るる満州の研究を見出すことは、今殆ど不可能である。一九三二i三五年の記録に読み戻さないで、満州を取扱うことは、実に不可能である。如何なる誤があろうとも、私の原文があの出来事の後になされた判断によって、少くとも色つけられていないから、私はこれに大なる変更を加えない方がよいと考えた。冀くば、現代的問題の緒論として一読されんことを」云々。


     (昭和十年七月)



最終更新日 2005年05月01日 16時51分41秒

桐生悠々「雑音・騒音」

 軍部社会と普通社会とは、全然範疇を異にする世界だ。前者には上の命ずるところ、下は絶対に、これに服従しなければならないが、後者では、上の命ずるところ、下絶対に、これに服従しないのみならず時としては、これに反抗する必要がある。この反抗あるが故に、そこに進歩があるのだ。少くとも革新があるのだ。この関係を知らずして、最近の軍部は、軍部以外の社会にも、絶対服従を強いんとしている。少くとも厄介物であり、往々にして横暴の誹を免れない。
 アングロ・サキソン民族は、官権に抵抗することを以て、その本能としているといわれている。だから、イギリスには、憲政のまた自治の花が咲いて実を結んだのだ。だから、苟くも憲政を布き、自治制を確立せんとするならば、官権抵抗のこの本能を養成するか、または啓発しなければならない。この本能だに養成され、啓発されているならば、選挙干渉は却って政府党の敗北とならなければならない。
 日本人にだって、幾分こうした本能のあることは、往年の吏党対民党の対立というよりも、あの血腥い選挙戦に於て、これを見ることを得た。爾来三、四十年を経て、この本能は今何処P 今昔の感に堪えない。
 政府は、特に軍部は、国民が従順でありさえすれば、それで以て皇基が振起されると思っているようであるが、かくては千古不磨の大典があたら有名無実となりはすまいか。選挙が腐敗したのは、「長いものには巻かれよ」の国民心理、強いもの、富んだものには抵抗せず、唯これに屈従せよとの国民的教育が、その最終の根原であるのだ。
                               (昭和十年八月)



最終更新日 2005年05月01日 16時53分10秒

桐生悠々「生活権即遊食権」

 私たちは、ここに、有理的革命といわれる生活安定策、即ちミルナー氏の「国家ボーナス案」(第二年第十四号ー第十九号所載)を紹介するに先だって、今少しく「生活」なるものの性質を検討して置かねぽならない必要を感ずる。何ぜなら、これを知らなければ、漫に生活を保障し、安定せしむるというも、その範囲と程度とが分らないからである。
 個人は、集団の一員として生活する権利を持つ。しかも、この権利は、彼が生れない以前に於てすら、既にこれを享楽(註受か)する。「私権の享有は出生に始まる」(民法第一条)と雖も、「胎児は家督相続については、既に生れたるものと看做す」(民法第九六八条)と我民法が規定しているによっても明である。諸外国の法律もまたこれを認めている。
 なお人が生れない以前に於てすら、既に生活権を持っていることは、文明国の法律が概ね堕胎を禁じていることによっても、証拠立てられている。
 ここにいうところの生活は、「人間としての生活」ではなくて、「動物としてまたは生物としての生活」即ち棲息に過ぎない。それすらも、またこの如くに保障されているとすれば、胎児が生れた後、人間として生活する権利が保障されねばならないことは、論を待たない。
 しかも、この生活権は生活の赤裸々なる必要品を要求する権利のみではなく、アメリカの独立宣言が宣言しているが如く二定の譲渡すべからざる権利」である。単に生活の希求のみならず、自由と幸福とを希求する権利もまたそのうちに含まれているが上に、なお、これらの希求は各個人に対して平等に認められねぽならない。にもかかわらず、今日の国家はこれを認めていない。法律的には、これを認めているけれども、実際に、これを認めていない。これ私たちが、ここに国家に対してその承認を求めんとする所以である。
 生活という観念中には、労働が含まれていない胎児、幼児は無論の事、病人、廃疾者は労働しない。彼等は遊食者である。遊食者たるが故に、俗にいうところ穀潰しであるが故に、その生活を保障せずとするならば、国民の大部分は国家の保護圏外に抛り出されねぽならない。
 ソヴェート.ロシアの原則「働かないものは食ってはならない」という観念は、一見合理的であるけれども、再見悖理的である。現にロシアではこの働かないものにも食わせているではないか。児童を国有としてすら保護しているではないか。だから、この原則を認めない諸他の資本主義国家では、先ずこの労働し能わないもの、即ち国民の大多数に食を与、兄なければならない。(いわん)や労働し得るにもかかわらず、失職して労働し得ざるものに於てをや。
 一言にして、そして極論していえば、人は「遊食権」即ち「遊んでいて食う権利」を持つ。生れざれば止む、一旦生れたる以上、彼は遊んでいても食って行く権利を持つ。そして、国家はこの厄介者を、またポテンシァルな労働者や次代を食わせて行く義務を背負わねぽならない。でなければ、国家は存在し得ないにもかかわらず、今日の国家は、経済的に、残酷にも、また彼みずからの不利益にもこれら遊食の徒を見殺している。これ近代の国家が、到るところに戦慄すべき「革命」によって脅威されつつある所以である。
 既に個人の生活権を認める以上、国家はこれを保障して、これに生活の資を支給しなければならない。でなければ、国家はこの機能を発揮したものとはいえない。たとい最少限度の生活費と雖もこれを与えないで、そして生きよというのは、近代的なる社会に於ては、生きよというのではなくて、寧ろ死せよというに等しい。だから、国家は個人に生活を維持すべき職を与うるに先だって、これに生活の資を与えなければならない。
 人口も少く、食物も豊富であり、人が遊んで食って往けた時代に於ては、国家なるものは必要がなかった。従って、人は自由に生活して、自由に幸福を享楽し得た。だが、今日では反対であって国家あるが為に、私たちは「夥多裡の貧乏」に苦んで餓死せしめられんとしつつある、結局国家がその機能を完全に働かしめないからである。
                                (昭和十年七月)



最終更新日 2005年05月01日 16時55分52秒

桐生悠々「先ず学校に始めよ」

 金力や、権力やに「支配されるもの」であって彼等自身がこれを「支配するもの」でないと観念しつつある国民に、どれほど選挙粛正を説教して聞かせても、埒の明かないのは分りきったことである。
 金力や、権力やで固められている国家に「支配されるもの」であって、彼等自身がこれを「支配するもの」でないと因襲つけられた国民に対して、どうして選挙粛正が期待されようか。
 論じ来ると、最終問題は「国民そのもの」の「再製造」であり、「改造」である。
 この「国民の再製造」「国民の改造」は現代に望むべからずして、次代に望まなければならない。何ぜなら、成人は明治大帝五ヶ条の御誓文にいうところ「旧来の陋習」「封建時代の陋習」に馴れ切って、他に「天地の公道」あることを知らないからである。たとい「知識的」にはそうした「公道」あることを知っていても、また知り得ても、これを行為化することができないからである。選挙は厳粛に行わねぽならないことを、百も承知しているけれど、如何せん、その日常生活がこれを実行に移し能わないほどに陋習化されているからである。
 果して然りとするならぽ、私たちは何ぜこれを次代の国民に、即ち小学校の児童に(うつた)えないのか。
 成人教育は、何と言っても、もうダメである。それ故にこそ、プロシアが勝ち誇るナポレオンに蹂躪され、国将に危からんとした当時、国王に召されて、プロシア王国の再興につき意見を問われた哲学者フムボルトは「陛下よ、陛下は如何なることを国家に施されても、先ずこれを学校に施さなければならない」と答えたのであった。
 ゲーテも言った。「物質的たると、精神的たると、(はた)また趣味の問題たると、性格の問題たるとを問わず、成人には望がない。汝賢明にして、先ず学校に於て始めよ。然らば、可ならん」と。
 これ私が最近十数年間、事ある毎に「学校立憲国」を力説しつつある所以である。
                               (昭和十年八月)



最終更新日 2005年05月01日 17時00分27秒

桐生悠々「陸軍省内の暗殺事件」

 然り、私たちは敢て「暗殺事件」という。何ぜなら、一方が堂々として理由を述べ、そして相手方の回答を求め、その回答に不正の点あらば、これに反省を促し、反省を促してもなおこれを容れざるに及んで、初めて暴力に訴うるならぽ、まだしもであるが、根もなき巷説を盲信して、痙攣的に赫怒(かくど)し、しかも相手方をして、これに対する覚悟と準備をなさしむる(いとま)もあらせず、相互応接(かん)に突如として、これを刺殺するが如き、これを暗殺といわずして、(はた)何というべきかだ。この暗殺事件ほど、規律の正しい、そして我伝統的なる武士の精神を体現しているともいわれている帝国軍人の名誉を汚漬したものはない。
「下級のものは上級の命を承ること、実は朕が命を承る義と心得よ」と軍人にたまわった勅諭から見れば、実質上、それは一の叛逆的行為である。だが、皇軍の統制外にある私たちは、事ごとに勅諭勅語を引用するの畏多きを警むると同時に、濫にまた余り屡これを引用することは、政治上却って卑怯にも、袞竜の袖に縋る者として、極端にこれを排斥するものなるが故に  序ながら言って置くが、軍人と常人との間には、この点に於て、大なる差異あることを知らねばならない。でなければ事物を混淆するの虞がある
  今この観点から、この事件を批判することを避け、ここには唯我国にユニークなる武士の、さむらいの精神に訴えてこれを批判したい。
 町人も、百姓も、等しく軍人となり得る今日にあっては、武士の精神を皇軍に要求するのは、時代錯誤の観念であるだろうけれども、近時突如として流行し来った日本主義、ないし皇道の精神に訴えても、暗殺の不可なること、卑怯なること、特に軍人として卑怯なることはいうまでもない。否町人も、百姓も等しく帝国軍人となり得る今日にあっても、彼等にして一たび皇軍に編入された以上、武士の精神を体現して、奉公を誤らざらんことを期さなければならない。一般兵士はしばらく論外としても、これを率い、これを訓練する将校に至っては、恐らくば、事実この精神の体現を期待していることだろうと思う。
 この精神から見れば、相沢(三郎)中佐が故永田(鉄山)軍務局長を刺したのは、いうところの「闇討」であって卑怯これより大なるはない。巷間に汎読されつつある講談にいうところ○○○○○○○○卑怯武士が、夜陰に乗じて、試合に勝ったものを「闇討」ったと何の異るところがある。閑院宮殿下の御前に於て、皇軍の○○○○○○○○との○○に於て○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○を、しかも陸軍省内に執務中、その不用意に乗じてこれを刺すが如きは、いうところ卑怯なる「闇討」でなくて何であろう。
 否、その卑怯なる行為は、一兇漢が、或は故原(敬)氏を刺し、故浜口(雄幸)氏を射ち、或は故井上(準之助)氏、故団(琢磨)氏を暗殺したと、何の択ぶところがある。これらの兇漢は容易に相手方に近づき能わなかったがために、千辛万苦、機会を捉らえてこれに近づいた点に於て、寧ろその苦心の買うべきものあるに反して、現役軍人の相沢中佐が故永田軍務局長に近づき得ることは、実に容易であった。この容易を利用して、これを刺したのは、買うべき一苦心すらも、そこに存在しないから、無興味的である。正に是一ギャング否、否、この卑怯なる行為は、当世流行の一ギャングの仕業とも見ることができる。○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
○○○○○○○○○○ものと見ることもできる。街のギャングは、今警察当局によって一掃されんとしつつある。陸軍内のギャングも、この機会に於て、軍規粛正の名の下に、林陸相によって狩られるならぽ、或は禍を転じて福となし得るかも知れない。
 それにつけても、思い出されるのは、五・一五事件の卑怯性である。相手は勅諭にいうところ軍隊の上官ではない。だから、不正の点を発見すれば、堂々としてその理由を述べて、その反省を求むればよい。かくしても、なお容れられなければ、暴力を以て、これを膺懲しても遅くはない。然るに、彼等は直に「問答無用、打て」と言って、しかもピストルを手にした七、八人の壮漢的軍人が、腰に一刀をも帯びない時の首相故犬養氏を、その官邸に狙撃したのは、同じく我武士道に違反した卑怯なる「闇討」でなくて何であろう。私たちは当時心からこれを擯斥した。だが、一部誤った国民の熱狂性が、当時私たちをしてこれを言論せしめなかったから、今そのほとぼりの冷めたこの機会に於て、これを引用して、我にユニークな武士道の精神が、近時我皇軍内に衰退しつつあることをここに一言附加して置く必要を感ずるものである。     (昭和十年九月)



最終更新日 2005年05月01日 17時14分57秒

桐生悠々「林陸相の辞職」

 責任の観念を再検討して、永田軍務局長が、部下の現役軍人によって暗殺されたにもかかわらず、直に辞職せず、その善後策を講じつつあった林(銑十郎)陸相は、その後師団長会議、司令官会議を続開してその心境を披瀝すると共に、粛軍の意を訓示し、今後互に相誡めて、再びかかる不祥事のなからしめんことを力説し、ここに「名義上」その善後策を講じ得たとして終に辞職した。尤も彼はその後任者として、無色透明なる、いずれの閥、いずれの派にも属せずして、粛軍の責任を完うし得べきものを奏薦したけれども、それは唯「名義上」その善後策を講じただけであって「実際」にこれを完了したものにあらず、更に進んで、その禍根を絶ち能わなかったのは、如何にも残念であった。と同時に、軍部内に於ける最高幹部間の対立関係が如何にも複雑であり、デリケートであることが推察され、林陸相の手腕を以てしては、到底最終のメスを揮い能わなかったことも、またこれによって暗示されたのであった。      (昭和十年九月)



最終更新日 2005年05月02日 16時01分14秒

桐生悠々「科学の進歩」

 科学の進歩は、実際驚異その物である。彼は無限に宇宙の秘密蔵を(あば)いて、世に神秘なるものを存在せしめない。否、彼は年を逐うて神の功業を奪い、神秘その物を演じつつある。
 現に彼は、エーテルという神秘な物を仮定してラジオを発明した。多くの人はラジオを聞いて楽んでいるが、私たちはこれを耳にすると戦慄する。どんよりして、流れもせぬ、そして目に見えぬ物を仲介として、音響が、形体すらもが、数千マイル、数万哩から、光線に似た速度で、殆ど一瞬間に、私たちの耳をうち、目に映ずることに考え及ぶとき、私たちは実際その恐ろしさを感ぜざるを得ないのである。
 ラジオその物が、既に神秘で恐ろしいものであるに加えて、ラジオの伝うる内容が、政府によって統制されているから、私は更にこれを恐れる。何ぜなら、権力の所有者たる政府は、これによって、久しからずして、大衆の思想を、感情を、産業がその生産物の規格を統一しつつあるが如くに統一するだろうからである。そして大衆は、政府の欲するがままに考え、また感ずる以外に、考えたり、感じたりすることができなくなるだろうからである。偶他から異った思想や、感情を放送するものがあるならば、統制者は途中で、その音波を乱してしまうからである。
 否、それよりも、私が窃に恐れているのは、無脈管腺の分泌物が、感情生活を統制する可能性あることを近代的科学が示唆していることである。若しもこれにして確定され、そして実際にこれが応用されると、政府はこれを統制して、彼の欲するがままに、人をして怒り易からしめ、また臆病ならしめるべき機会を捉えるに躊躇しないだろう。何ぜなら、人の感情的傾向は、主として、無脈管腺の分泌物に基因しているそうだから、この分泌物を注射して、容易に、人の性向を増減し得るだろうからである。
 その結果として、国家は、即ち寡頭政治的な現在の世界の政府は、権力の所有者の子供には、命令するに必要なる性向を与え、プロレタリアの子供には、服従するに必要なる性向を与えることに躊躇しないだろう。
 唯この場合、政府がちょっとまごつくだろうと思われるのは、いざ戦争という場合に、従順なるべく、臆病なるべく、無脈管腺の分泌物を注射されたプロレタリアが役に立たないことである。一言にしていえぽ、勁敵に対して必要なる残酷性とこの柔順性とを結合することが困難だろうと思われるからである。
 だが、官僚はこれを仕遂げるに相違ない。否、官僚がこれを仕遂げ得なければ、或はこれが勿怪(もつけ)の幸となって、その時こそ、世界に恒久的の平和が将来されるかも知れない。何ぜなら、世界の大衆が、プロレタリアが、悉く無脈管腺の分泌物注射によって、従順となり、いざ鎌倉というときに腰が抜けていたならば、戦争は戦われ得ないだろうからである。           '             (昭和十年九月)



最終更新日 2005年05月02日 16時03分13秒

桐生悠々「日本人の知事と裁判長」

 学校立憲国が実際に於て成功した一例として、私たちは、先ず第一に、次の事実を揚げねばならない。
 ニューヨーク州西四十五番街第六十九公立学校長ボイル氏は、同校上級の教室十三個を学校国として組織すべく、ウィルソン・ギル氏を招聘した同校では、女生は自身の教室に立てこもっていて男生と親しく交わっていなかった。これがために、男生側と女生側とから、役員の半数を選出しなければならなくなったまで、選挙が困難であった。然るに、教師と賓客とに取って、大に驚くべきことには、日本人の一児童が、全会一致で、知事に選挙された。
 一時間後に、ギル氏は校長と共に、一室の児童を学校市として組織しつつあったが、ボイル校長は、この学校国の最高長官に、どうして日本人の児童を選挙したかを、児童に問うた。すると、全室を通じて手が揚げられた。指名された第一の児童はこれに答えて「彼は非常に悧巧だから」と言った。次に指名された児童は「彼は悧巧であるばかりでなく、実に我アメリカの制度を理解し、尊重しているから」と答えた。そして、第三の児童は「私は彼が全校中知事として、最も適任者であると信じたから、彼に投票した」と答えた。
 翌週、ギル氏は同建物内に於ける十六個の教室を、他の学校国として組織し、今は唯十五個の下級教室が、第三の学校国として残されているぼかりである。そして一女生が知事として選挙され、日本人の一男生が、この時にも、裁判長として選挙された。
 アメリカの大人同士の間には、日本人排斥の偏見がしかく普及しているにもかかわらず、児童はこの偏見に囚われないで、日本人の児童を知事として、また裁判長として選挙したことを見れば、学校立憲国に於ける選挙が、如何に公平に、且つ厳粛に行われるかの消息を窺知するに足るのである。
 児童のこの清き心と、これに伴う実行とを訓練して、これを慣習化し、以て大人の時代に延長するならば、選挙粛正の十字軍を起す必要はない。    (昭和十年八月)



最終更新日 2005年05月01日 17時01分55秒

桐生悠々「次に来べきもの」

 明治大帝が私たち国民に与えられた万世不磨の大典により、私たちは言論の自由を有す。尤もこの自由は法律の範囲内に於て、有するものでありこれがために安寧秩序を妨ぐることを許されない。と同時に、ここにいうところの安寧秩序の解釈も社会の情勢を異にするにより、おのずから異ならざるを得ないが、政府自身の利益のため、しかも全体としての政府の利益のためではなく、これを組織する一部にして、元来が言論を無視し、唯それ服従のみを強いて、絶対に権利の主張を許さない役割を持つものの利益のために解釈さるるに至っては万世不磨の大典もカタなしである。現在の小安寧、小秩序を維持するがためではなく、やがて来るべき大安寧、大秩序を維持せんがための言論も、これがために、抑圧さるるに至っては、帝国の前途寒心に堪えない。
 ダーウィンの進化論にいうところ「適者」が現在の社会情勢に適応するものの謂ではなくて、未来の社会情勢に適応するものでなくてはならないことは、ワイズマンによって既に喝破されたところ、現在の向上発達を主として、未来の向上発展を無視するものに未来なきことは、自明の理である。国家の将来を念うとき、私たちは現在の向上発展よりも、未来のそれを重視しなければならないと同時に、現在の安寧秩序を保持するよりも、未来のそれを保持することにつとめなければならない。現在の安寧秩序を保持するに汲々たるがためにその結果としてやがて来るべき無政府状態を憂えなければならない。今日の如き乱暴極まる言論抑圧のため、恐るべき洪水の来ることを憂えざるか。
 明治大帝五箇条の御誓文には、「上下心を一にして盛に経綸を行うべし」とある。今日の状態は果して上下心を一にして盛に経綸を行いつつある状態であるか。上下心を二、三にして、絶対に無経綸の状態ではないか。或者は現状維持の外に無経綸であり、或者は現状を破壊して、無憲法の時代を招来せんとしつつあるではないか。或者はやがて崩壊し去るべき資本主義にこびりついて、自己若しくは一族の繁栄をのみ計らんとし、或者はこれを破壊して、共産主義をすらも実現せんとして、地下にもぐりつつあるではないか。かくの如き状態に於て、果して、国家、社会の安寧秩序は維持されるであろうか。
 また明治大帝五箇条の御誓文には「官武一途庶民に至る迄各其志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す」とある。今日の状態は、果して官武一途庶民に至る迄各其志を遂げ、人心倦むなきの状態であるか。官武明に二途に出で、庶民は其志を遂げるどころか、その思うところをすら言わしめられず、従って人心の倦怠今日より甚しきはない。かくして安寧秩序を保たんとするは、桃中に石を求むるよりも困難である。
 政治の要諦は、以上掲げたる明治大帝のこの五箇条の御誓文によって尽く。然るに、偶これを体して、物言わんとするものあれば、安寧秩序を紊乱するものとして、その発言を禁止せられる。次に来るべきものが、無政府状態でなければ、幸である。



最終更新日 2005年05月05日 23時41分45秒

桐生悠々「「日本」か「日没」か」

 日本は須らく「日本」たるべくして「日没」であってはならない。だが、その薄暗さを見よ、何処に明朗にして快闊なるところがあるか。日本の現状は「ぶきみ」唯この一語で尽きている。私たちは、唯暗中に模索しているのみだ。
 日本は須らく「日本」たるべくして、「日没」であってはならない。いうところの
「日本精神」を発揮して、外国の精神を排斥しなければならない。言いかえれば、創造して模倣してはならない。然るに、この「日本精神」を高調するものが、却って外国の精神にかぶれ、創造せんとして、却って模倣し、「日本」をして「日没」たらしめているのは皮肉である。
 尤も日本ほど古来物まねに秀でた国はない。この物まねに秀でた国であったればこそ、今日の隆盛を見たのであるが、同じくまねをするならぽ、イギリスや、アメリカの、今世界に日の出の勢を示している国々のまねをしたらばどうか。ドイッや、イタリーの、日没的で、あせればあせるほど益々泥の中にはまり込む国々のまねをして、書を焚き儒を坑にして、国家の将来を慮る者の言を抑圧するのは不似合である。もう少し鷹揚なところがあってほしい。今日のようにこせこせしていては、「日の本」の国とはなれない。
「日本精神」とは、かくもこせこせした精神であるだろうか。かくも偏頗な精神であるだろうか。日は普遍的に万物を照らす、善をも悪をも照らす。但し、悪は日の光によっておのずから退散するものである。黴菌は人為的な消毒法を以てせずとも、日光でおのずから死滅する、日の本の精神だに、しっかと握っていれば、諸悪はおのずから退散し、死滅する。何ぞ汲々として、余計な言論抑圧に憂身を窶す必要があろう。
 落着いていられないところに弱味がある。ムッソリニーは、ヒットラーは一朝にして権力を握ったいうところの僭奪者だから、ああも落着かず、こせこせしているのであるが、日本では全然事情を異にしている。もう少し鷹揚で、余裕があって欲しい。にもかかわらず、こうも落着いていないところを見ると、長い目で物を見ていられないところを見ると、そこに蔽うべからざる弱味があるからだろう。
「日本」よ「日没」たるなかれ。



最終更新日 2005年05月05日 23時43分05秒

桐生悠々「言語と思想と」

 言語は思想、従って文化を表示する。この角度から眺めるとき、現在の私たちの思想――従って私たちの文化が、如何に混沌たる状態にあるかを察知するに足る。「とても」という否定的、消極的の言語が、肯定的、積極的、しかも最大級の形容語として用いられつつある、心あるものが見れば眉をひそめずにはいられないほどの現在の状態を見れば、思半に過ぐるものがある。
「とてもよい」「とても甘い」「とても美しい」という流行語を聞くとき、私は身震いするほど、厭な気持になる。従って、現在の私たちの思想及び文化も、否定的、消極的であらねばならないところのものを、肯定的、積極的として取扱い、しかもこれに最高なる賞讃の辞を捧げている。例えぽ、ファシズムの如き、本能的に私たち自由を欲する人間が「とても」肯定し得ない思想や、観念を謳歌して、これをその壗、我国に応用せんとしているものがある。これと同様、コムミニズムも人間の獲得的本能から見て「とても」肯定し能わない制度を、絶対的に肯定している人たちもある。戦争は「必要悪」である。にもかかわらず、これを絶対善として肯定し、戦争する人のみが、忠君愛国の徒として、絶対に賞讃している人もある。
 また心ある人たちは、日本語の将来と進歩とを慮って、なりたけ漢語、漢字を用いないようにと、苦心惨憺しつつあるにもかかわらず、一般人は盛にこれを使用しつつある。少くともヨリ多くこれを使用しつつある。「宿屋」で、何人にも通り、またふさわしいものを強いて「旅館」といい「ホテル」といわなければ、承知しないのが、現代の我人心である。「木賃宿」まがいのものすらも「何々ホテル」と名づけられつつあるのを見ると、浮薄にして虚栄的なる現代の人心を察知するに足る。
「監獄」というところが「刑務所」と改名されてから、監獄行が何でもない気持になったような気がする。「監獄」というだけで、「とても」厭な気持になるところが、「刑務所」となってから、人間が何か知ら、果さねばならないところの「義務」を、そこへ行けば果し得るという観念が流行しつつあるように思われる。
 昔の「丁稚」「小僧」が「小店員」と改められた。これはたしかに一の進歩である。だが、それは言語上だけの進歩で、実質的の進歩ではない。彼等は「小店員」となっても、昔ながらの「丁稚」「小僧」である。否、彼等は「小店員」となったので、却って御主人と雇人とを結びつけた昔ながらの紐がゆるんで、二者共に、益利己主義となりつつある。店主は小店員の面倒を見てくれること昔の如く温からず、小店員が店主に奉仕すること昔の如く厚からぬようになった。
 だと言って、私たちは言語の上だけでも、昔には返えられない。否、返ってはならない。言語も社会的の一現象であるから、社会が変化すると共に、変化する。特に外国の思想、従って文化に接して変化する、変化せずにはいられない。だが、変化中には退化がある。この退化は、なるべくこれを避けて、進化したもののみを取りたいものである。
「日本精神」もよいが、私たちが「にほん」と言い来ったところのものを、今更「にっぽん」といいかえる必要もない。「にっぽん」というならば、寧ろ「日の本」といった方のよいことは、既に記者の言及したところ、そうも昔に返えりたかったら「豊葦原瑞穂国」といった方がよい。だがそれでは今更始まるまい。     (昭和十年十一月)



最終更新日 2005年05月05日 23時45分04秒

桐生悠々「雑音・騒音」

「伊エ戦争」ではない。「イタリーのエチオピヤ征伐」だ。これを現在の日本語で訳す
れば、イタリーの「エチオピヤ事件」だ。
 但し日本は満州事件のために、国際連盟を脱退したがイタリーは「エチオピヤ事件」で国際連盟を脱退しないそうだ。ここ賢いのか、ずるいのか日本人にはちょっと分らない。
 尾崎咢堂氏は過日開かれた名古屋咢堂会で、日本のファシストがエチオピヤをひいきするのは矛盾だといった。否、ファシストぽかりではない。全体としての日本人が、エチオピヤを可哀相だというのは矛盾だろう。
 これを可哀相だというならぽ、満州の匪賊も可哀相だ。      (昭和十年十月)



最終更新日 2005年05月05日 23時46分06秒

桐生悠々「軍勅明徴問題」

現内閣の弱体なることは、今に始ったことではないが、軍部というよりも、その細胞たる郷軍に威嚇されて今更あげつらうまでもなく、二千有余年来理想化され来った「国体明徴」問題に関して、一度ならず、再度まで、分り切った声明書を発表したことによって、その正体が残る隈もなく、全然暴露された。
 今軍部は日の出の勢であるけれども、現内閣の首相岡田啓介氏は軍人であり、しかも海軍大将である。余人ならぽ、政党出身の総理大臣ならば格別、軍人出のこの総理大臣にして、しかく軍部を統制し得ずとせば、その無力なる推して知るべきである。
 林陸相に代って、新に陸相の椅子に着いた川島中将も、現役軍人でありながら、強そうでありながら、これまた予備軍人の為に威嚇されて、自己がその一閣僚たる現内閣をして、再度まで、明徴し切っている「国体明徴」を声明せしめ、その威厳を失墜せしめたること、しかく甚しきに至っては、その無力なるこれまた推して知るべきである。
 否、そうしたことは、どうでもよい、岡田首相、川島陸相共に無力なりとしても、それは万邦無比なる我国体に何等の影響を及ぼさないが、現軍部内に於ける下剋上の情勢しかく甚しきに至っては私たちは「国体明徴問題」よりも、「軍人に賜わった勅諭明徴」問題を高唱せずにはいられない。
 上官の命令即陛下の勅命たる軍部内に於て、しかく下剋上の弊風、しかも多数を恃んで、上を圧するの弊滔々として風をなすに至るならば、その結果、それこそ国体を破壊しないであろうか。少くとも、それが戦時に現われるならば、大変なことになりはしまいか。
 しかし、彼等はこの「国体明徴」問題を提げて一木(喜徳郎)枢相、金森(徳次郎)法
制局長官を葬り去らざれば、やまざらんとしている。軍人にして政治に容喙するこれまた軍勅に反くことを忘るもの、武門政治の弊に関しては、今更めて言うの要なく、我歴史は明にこれを指摘している。
「国体明徴」問題を蒸しかえすものよ、冀くば脚下を顧みて、「軍勅明徴」問題が、そこに転がっていることを省みよ。                (昭和十年十一月)



最終更新日 2005年05月05日 23時47分13秒

桐生悠々「弱体内閣即強体内閣」

 分り切ってはいるけれども、要求されれば、無視することができず、無視すれば、内閣の運命にも関するという、現内閣に取っては、うるさき限りの国体明徴問題を鎮圧するに、日もなお足らなかった現内閣は、軍部がここしばらく静観というので、ホッと一息つき、愈来議会召集の肚をきめたのは、何よりもめでたいことである。何ぜなら、若しもこの問題のために、現内閣が倒壊されたならば、如何なる非立憲的なる内閣が出現したか、分らなかったからである。
 現内閣は弱体内閣であるに相違ない。だが、弱体内閣ではあるけれども、悪い内閣ではない。弱体内閣であるだけ、余りにおとなしく、傍の見る目には、歯痒いほど、おとなしくて、意気地なしのようにも見える。だが、柳の枝に雪折はなく、よちよちしながらも今日まで継続して来たのは、全くそのためである。見ようによっては、そしてひいき目に見れば、柔能く剛を制すで、いきり立つ軍部の悍馬を押え、ファッショの嵐を吹かしめなかったのは、全くその力なきように見えるその力である。
 そして現内閣は、たとい気紛れにもせよ、選挙粛正の十字軍を起した。選挙粛正が失敗に終ったことは、言うまでもない。だが、ああした選挙粛正は、根本を正さないで、枝葉ぼかりを整えようとする選挙粛正は、如何なる内閣がこれを行うも失敗する。その失敗は独り現内閣の認識不足に基くものではないのみならず、現内閣は歴代内閣が為し得なかった荒療治を断行した。歴代内閣は候補者に触れることを、タブーの如く恐れていたが、現内閣は違反の確証ありと見れば、断乎としてこれを検挙した。この点、現内閣は弱体内閣であるけれども、政党内閣でないだけで、強体内閣である。言いかえれば、選挙に関する限り、現内閣は強体内閣である。この強体内閣が来年まで続くならば、選挙の宿弊は或はこれによって一掃されないまでも、大に矯正されるだろう。
 選挙に関する限り、強体内閣であればこそ、現内閣は来議会を解散するだろうという説さえ生れるのだ。然り、私たちは現内閣をして、来議会を解散せしめたい。そしてこの内閣の下に、選挙粛正を断行し得るこの内閣の下に、選挙を行わしめたい。
 憲政の本家本元たるイギリスでは、現に伊エ紛争から、英伊外交が危機に陥ったこの機会に於て、議会を解散して、国民の決心如何を問うと共に、国民を憲政的に訓練すべく、総選挙を行いつつある。冀くぼ、現内閣をしてこの例に倣わしめて、来議会を解散せしめ、そしてこの内閣の下に選挙を行わしめたい。
 政界の分野と趨向とは、恐らくぽ、これによって決定されるだろう。今日の如き不安なる政治生活は、国民の堪え得るところではない。一歩を誤れば、そしてこの儘に継続するならぽ、コンスチチュショナリズムの蹂躙に次いで、バルパリズムの横行を見なければならない。                       (昭和十年十一月)



最終更新日 2005年05月05日 23時48分39秒

桐生悠々「軍事予算と民間会社」

 大演習が終ったので、愈予算問題が政治的に登場して来た。この時に際して、またもや予算事件たる北支の紛擾が発生したのは、皮肉でもあり、不思議でもある。だが、国防上必要なる費用は、どうしても支出しなければならないから、高橋蔵相もなけなしの財布をふるって、これを払うべく決意しているだろう。軍部はこの点に於て、寧ろ安心して然るべきであるにもかかわらず、一種の不安を感じ、彼等は何だかやきもきして、落着かぬ風に見える。予算分捕の陋習でないにしても、他の必要なる経費との振合上、軍事予算が過分であるように思われるからであろう。
 ということほど、今帝国の陸軍予算は尨大なもの、即ち陸海軍を併せて、昭和十年度のそれは、実に四億一千九百万円であった。今この大金が如何に民間の産業を(うるお)したか・を見ると、陸軍ではそのうち一億九千六百万円が工業方面に廻わり、農村に廻わるのは二千六百八十三万円に過ぎない。この点に関する限り、戦争は工業老に、ブルジョアに喜ばれて、農業者に、即ち国民の多数に喜ばれないことが察知される。
 さて右の一億九千四百万円が如何なる産業に分配されつつあるかと見るに、兵器類の製造業に一億三千四百万円、被服類の製造業に八千九百万円、糧秣類のものに九百七十五万五千円、船舶海運補助、材料類のものに二百三十七万円、練習用具類のものに八十七万円、衛生材料のものに百六十四万円である。
 海軍はどうかというに、その六八パーセントが民間の産業を霑している。その額二億五千万円に達し、造艦造船が三千二百万円、航空機が四千四百万円、金属機械器具が一億五百万円、化学製品が六百万円、電気機器が一千八百万円、その他の諸材料が一千一百万円である。
 そしてこれらの霑を受ける工場は次の如くである。
   陸軍
三菱重工業、川崎造船、中島飛行機、日本製鋼所、東京瓦斯電気、日本光学、神戸製鋼、石川嶋飛行機、自動車工業、住友伸鋼、日本特殊鋼、汽車製造、大島製鋼、昭和製作、東京計器、協同自動車、安立電気、明電舎、富士電機、東京無線、池貝鉄工、南部銃、明治電気、日本楽器、沖電気、日本皮革、国府電気、東京光学、朝鮮皮革、横浜ヨット、日本無電、日本計器、天満織物、和歌山紡績、日新染布、明治製革、日本化工
   海軍
石川嶋造船、宇品造船、浦賀船渠、横浜船渠、浅野造船、藤永田、川崎造船、三菱重工業、播磨造船、大阪鉄工、黒田川造船、東京無電、東京瓦斯電気、東京製鋼、東京螺子、渡辺鉄工、横浜電機、三菱電機、東海電機、富士電機、藤倉電線、安立電機、北辰電機、安全電機、沖電気、日本無電、日本電池、湯浅蓄電、愛知時計、芝浦製作、三菱航空機、中島飛行機、川西航空機、池貝鉄工、新潟鉄工、大阪製鎖、小穴製作、唐津鉄工、昭和製作、大隈鉄工、大阪電機、萱場製作、津上製作、幸袋工作、荏原製作、日本空機、服部時計、柳測器、玉屋商店、日本光学、日本火工、三田土ゴム、明治ゴム、横浜ヨット、日本毛織、新興毛織、大阪毛織、高島屋、正織、豊浜織物、富士瓦斯、信州織物、帝国製麻
和歌山紡、中越製布、日本加工布、東洋帆布、近江帆布、
 だから、これらの工場は、一般国民の意志に反して、なるべく非常時の永引くことを欲するだろうけれども、その代り、これがために受けたるまた受けるだろうところの霑の幾分かを社会のために奉仕しなければならないだろう。これを租税の形にして奉仕するも可、社会救済の形として喜捨するも可、或は事業の援助として後援するも可、然らざればこれがために天罰ないし国民罰が当るだろう。       (昭和十年十二月)



最終更新日 2005年05月05日 23時51分03秒

桐生悠々「ロンドンの霧」

 記者は迎春、勅題によって「海上雲遠くしてロンドンの霧」という駄句を得た。海上雲は遠い。だが、この雲は、そのうちに消え去るか、それとも、次第に大きくなって、雨となり、風となるか気づかわれると同時に、遠くロンドンの空を眺むれば、名物の霧深く、咫尺(しせき)を弁ぜず、そこに開かれつつある軍縮会議の行方こそ、気づかわしき限である。
 名は軍縮会議ではあるけれど、実の軍拡会議であることは、今更慨くまでもなく、その後不幸にして、その証跡の歴々たるものがある。名は人類であるけれども、実は普通の動物と撰ぶなき、性質の差ではなくて、程度のそれに過ぎない彼等であればこそ、喉もと過ぐれば暑さを忘れる。世界戦争のため、しかく責めさいなまれ、今日に至るもその創痍癒えず、或は永久に治癒し得ないほどに、各国とも経済的窮地に陥っているにもかかわらず経済的国家主義の勢揃えが、軍縮どころか、軍拡の勢揃えとなるのは、不可避的なことである。しかも、ファシスト・イタリーの野心はエチオピアを餌として、おのれの腹を肥さんとしつつあるがため、終にイギリスの利害関係と衝突し、地中海上に於ける勢力の均衡を保存すべく、イギリスは今や既定の計画に従うことができなくなった。かくして、軍縮を名として、軍拡の実を挙げんとしつつあるイギリスの惨憺たる苦心も、同様の地位にある日本の同惰を要求せずにはいられないだろう。
 況湘日夜東に流れ去り、愁人のために止ることしばらくもせず、動的なる世界は日本のためにも、イギリスのためにも、またアメリカのためにも、止ることしばらくもせず、往時のロンドン会議と今日のそれとの間に、時の隔があるだけ、事情もまた隔って来た。それ故にこそ、日本は五・五・三のパリチーを破らんとしつつあるのだ。同様の理由によりイギリスも、アメリカも、軍縮の名に於て実はこのパリチーを実質的に破らんとしつつあるのだ。彼我悩みは同一である。満州事件に、満州国の独立に脅かされたアメリカ、英伊紛争に目ざめさせられたイギリス、いずれも日本の主張を排撃して旧パリチーを維持せんとしているのは、同情に値する。彼等はなろうことなら、ロンドン会議の比率そのものすらも廃棄して、自国に有利なるパリチーを獲得せんとしつつあるのだ。
 こうした事情の下に於て、日本の要求が容れられず、会議が決裂に終るだろうことは、想像するに余りある。さればこそ、記者はこの新春に於て「海上雲遠くしてロンドンの霧」と駄句らざるを得ないのである。
 兎にも角にも、この問題は、この会議は技術的にはまとまり相もない。所詮は政治問題であって政治的には何とかかたつくだろうけれども、硬化した技術問題としては、決裂の外はあるまい。                    (昭和十一年一月)



最終更新日 2005年05月05日 23時53分15秒

桐生悠々「皇軍を私兵化して国民の同情を失った軍部」

 だから、言ったではないか、国体明徴よりも軍勅明徴が先きであると。
 だから、言ったではないか、五・一五事件の犯人に対して一部国民が余りに盲目的、雷同的の讃辞を呈すれば、これが模倣を防ぎ能わないと。
 だから、言ったではないか、疾くに軍部の盲動を誠めなければ、その害の及ぶところ実に測り知るべからざるものがあると。
 だから、私たちは平生軍部と政府とに苦言を呈して、幾たびとなく発禁の厄に遇ったではないか。
 国民はここに至って、漸く目ざめた、目ざめたけれどももう遅い。軍部は――たとえその一部であっても彼等は――彼等自身が最大罪悪、最も憎むべき国家的行動として憤怒しつつあった皇軍の私兵化を敢てして憚らなくなった。皇軍の不名誉というよりも恥辱これより大なるはない、彼等はその武器、しかも陛下の忠勇なる兵卒を濫用して敵を屠ることをなさず、却って同胞を惨殺した。しかもこの同胞はいずれも国家枢要なる機関の地位にあり、内外に陛下輔弼の大任にあるもの、これらの元老重臣を失わせらるることにより、畏多くも如何に陛下の宸襟を悩まし奉りしことよ。罪万死に値いすべきである。
 国民の目ざめ、それはもう遅いけれども、目ざめないのにまさること万々である。軍部よ、今目ざめたる国民の声を聞け。今度こそ、国民は断じて彼等の罪を看過しないであろう。唯有形的にその罪を問い得ないのはこれを通して問うべき「武器」を持っていないからである。だが、無形的には既にこれを問いつつあるではないか。
 と同時に、記者は、今次の如く言って満足し、今後は軍部に対して何等の追及をも試みないだろう。
 曰く、今や記者の憂は彼一人の憂のみではなくなった。そしてそれは全国民の憂となった。全国民がこれを憂うるに至れば、彼の目的は貫徹されたのだ。次には国民みずからがこの憂を除くべく努力するであろうと。
 だが、またこれと同時に、記者は今我日本が内外共に、如何に重大なる危機に臨んでいるかを示唆するために、本号に於て、米人E・J・ヤング氏の「強くして弱き日本」を彼等に、更に進んでは一般国民に紹介し、これをもし他山の石として我玉を磨かなければ、それこそ噬臍の一大後悔あるべきを警告せずにはいられないものである。                        (昭和十一年三月)



最終更新日 2005年05月05日 23時55分02秒

桐生悠々「言論自由の再実現」

 第五の宣言は、吏道の振粛、行政機構の更新に関してであり、この個条は、潮(恵之輔)内相の主張によって挿入されたものであると伝えられ、その後、この個条に関して種々の刷新が示唆され、まことに結構に相違ないが、私たちは、特に記者自身は、このさい広田内閣に対して言論自由の再実現を、真先に要求せざらんと欲するも能わざるものである。その理由は私たちが、爾来、本誌に於て屡力説し、特に前号に於て或はまたもや当局の注意を刺戟するだろうと思われる程度にまで、これを力説したから、ここにこれを再びしないが、叛軍事件の後を承けて成立した広田内閣が、その使命を完うし得るや否やは、一に言論機関を如何に取扱うかに繋っているとまで、私たちは思うものである。偶前号所報の如き一読者の「軍人にも言論の自由を許せ」を読むことにより、益この念願を強化せずにはいられない。
 明治大帝の軍人に賜わった御勅諭の再読を、このさい軍人に力強く要求するものがあるならば、叛軍事件の如き昭代の不祥事は、断じてこれを見なかったであろう。言いかえれば、彼等にしてこの御勅諭を遵奉し「世論に惑わず、政治にかかわらず只々一途に己が本分の忠節を」守っていたならぼかくの如き不祥事は、断じて起らなかったであろう。然るに、政府当局は爾来軍部の勢力に圧倒されて、この違勅的行為をすら黙視していた。偶民間の言論機関にして、この軍勅に触るるものあれば、政府は周章狼狽して、これを発禁し、少くとも、これに対して消極的なる注意を加え来ったその結果として、叛軍事件の惹起を見るに至ったのは、寧ろ当然である。政府これを力説することを恐れるならば、冀くは民間の言論機関をしてこれを力説せしめよ。
 軍人が政治に干与するの悪弊一にここに至る。だが、今や、それは一の既定事実となって、私たちの眼前に横たわっている。だから、私たちは、この事実に対しては、寧ろ厳粛に再考しなければならない。そして時世の進歩、変遷が、これを余儀なくしたりとするならば、次には、これを利用するの手段を熟考しなければならない。軍人にも政治に干与するの権利を許すと同時に、これに関する彼等の議論を国民の前に発表せしめ、そして国民の批判を請わしめなければならない。彼等も今や、この点に関して目ざめ、最近続々として、パンフレットを発行して、その趣旨を貫徹せんとしているが、これに対して自由の批判を許していない。これに対して国民の、特に言論機関の自由なる批判を許さず、兵営内に於けると同様、強制的の態度を以て、彼等がこれに臨みつつある限り、その誤謬は指摘されず、従って何等の修正さえも加えられずして、直に、これを実行に移さんとする。危険これより大なるはなし。私たちの眼より見れば、時としては、その政治論の素朴にして哄笑を禁じ得ない程度のものさえもあり、無責任の甚しきものすらもある。エヴォリューションを捨てて、一気にレヴォリューションを取らんとするものすらもある。叛軍事件が、その最も顕著なる一例でなくて何であろう。
 ナポレオン三世の暴虐に反抗して、ヴィクトル・ユーゴーは言った「剣筆を殺さずんば筆剣を殺さんと」少くとも剣の使い方を矯めるものは、筆の力である。破邪顕正の剣は国民の正化(ジャスチフィヶーシ・ン)を通じて揮わしめなければならない。唯感情的に、一途に思い込って揮う剣は、動機が如何に破邪顕正であっても、実際には、その目的が達せられず、往々にして反対の結果を見ることがある。広田内閣は、特に軍部は、この点に関して再思三顧しなければならない。言論機関をして「軍部」という言語にすら伏字を使わしめつつある今日の世態は、天に口なし人を以て言わしむる真理そのものを抹殺せんとするものである。            (昭和十一年四月、本号発禁)



最終更新日 2005年05月05日 23時57分16秒

桐生悠々「寺内陸相に望む」

 いうところ怪文書は、固より私たちの手許に送付されざるが故に、その内容如何は知るに由なきも、おもうに、それは概ね時節柄陸軍部内、若しくぽ陸軍部内の高官等に関する穿ち過ぎた風説を伝えたものであろう。上下を挙げて「明朗日本」を希望しているにかかわらず、一切の方面に於て、しかく陰鬱なる空気が瀰漫(びまん)していることは、寒心に堪えないところであるが、いうところ怪文書の流行はその最重大なるものの一であると同時に、この流行によって、さなきだに「陰鬱なる日本」は益その陰鬱さを深化しつつある。これというのも、畢竟は、政府当局または、陸軍当局が、特に軍部内に起った、または軍部の或者とに、関連して起った寒心すべき事件を闇から闇へと葬っているためでありはすまいか。
 相沢中佐の永田中将暗殺事件以外に、陸軍部内に起った、または軍部の或者と関連して起った、若しくば起らんとして発覚した、重大事件に関して国民の前に公表されないものは、文字通りに、指を屈するに遑もない位である。政府は、軍部はこれを糞かくしに隠していて、この真相を国民に周知せしめないために、さなきだに疑惑の雲に蔽われている国民の気分は益疑惑内に閉じこめられている。陰鬱ならざらんと欲すれども得ずである。
 二.二六事件は文字通りに去二月二十六日に起った事件であり、今や二か月を経過せんとしている。事重大なるが故に、慎重なるが上にも、なお慎重にこれを審理しなければならないことは論を待たないが、二か月に亘る寧ろ長期な審理を経たからには、その真相はもはや明になったであろうと思われる。その真相こそは、国民が一般に、しかも最速に知らんと欲するところ、政府は、軍部は何が故に、今日まで、この発表を遷延しているのか。これをしも、従来通り、糞かくしに隠して、外部に発表せざる限り、第二の叛軍起らざらんと欲するも得ずである。
 二.二六事件の如き重大なる事件、皇軍立ち始まって以来の重大事件は決して孤立的に起ったものではなく、その由って来るところは遠くして、且つ深きものがあらねぽならない。私たちはこれを○○事件の延長と見る。五・一五事件もまたその一の現われと見る。最初にその原因を隠蔽して、従ってその救済を糊塗したために、こうした寒心すべき重大事件が矢継早に起ったのではないかとも推察される。この推察にして誤っているならば、罪は一に政府当局がその真相を国民に周知せしめなかったのにあり、私たちはその責を負うの理由はない。
 寺内寿一氏は近来にない明朗な気分の陸軍大臣である。地方会議に於ける、また軍司令官、師団長会議に於ける、彼の明朗さは国民の挙げて敬服し、且つ悦服しているところ、この明朗な気分の寺内陸相によってこの間の真相が国民間に周知されるならば、冀くば今日の陰鬱さも或はこれによって一掃されるだろう。私たちは彼に対して、これを切望せずにはいられないものである。            (昭和十一年四月)



最終更新日 2005年05月05日 23時58分47秒

桐生悠々「寺内陸相の東京事件報告」

 目下開会中の帝国議会に於て、例により、首相、外相、蔵相の施政演説が終ると同時に寺内陸相は発言を求めて、東京事件につき、かなり微細な点に亘って、その真相を国民に報告するよう、幾度となく、新聞紙上に報道されたが、そして私たちはこれによって、幾分か陰鬱なる気分を取り払い得ることを信じたが、愈その報告を聞くに至って、私たちは寧ろ大なる失望を感ぜしめられた、そしてその陰鬱なる気分は依然として、取り払われない。事なお予審中に属し、犯罪の調査を妨ぐる部分のものは、固よりこれを発表し得ないだろうが、せめては叛軍の目的としたところのもの位は、思い切って発表してもよいはずであった。しかも、軍部が秘している一切の事情は、口より口に伝わって、今や国民の大部分に知られている。固よりその中には、デマに属するものも頗る多いだろうが、それがデマであればあるほど、当局はこれを是正すべく、進んでその真相を発表し、国民をして誤らざらしめんことを期さねばならない。然るに事ここに出でず、依然としてこれを糞かくしに隠しつつあるのは、国民の挙げて、大いに遺憾とするところである。
 然り、叛軍の目的としたところのもの位は、思い切って、これを発表すべきはずであった。そして私たちは、一般の国民は、これによって、広田首相のいうところ従来の
「一秕政」を知り、政府と協力して、この秕政を除くべく努力しなければならないのに、先ず国民をしてこれを知らしめなければ、国民は如何にしてこれを除くべく政府と協力し得るか。と同時に、私たちはこれを知ることによって、彼等の思想が如何に素朴であるかを知り、これを批判して、その蒙を啓くことを得たであろう、これが発表されない限り、私たちはこれを批判し得ない。これを批判し得ざらしむるのは、少くとも間接に言論の自由を束縛するものであって、私たちは今なお押さえつけられつつある陰鬱なる気分を取り払い得ないのである。
 尤も陸相は秘密会に於て、各議員の質問に答えて、或程度の真相を暴露したであろうが、唯それぞれが秘密会である限り、あからさまには、国民一般にこれを知らしめないものであって、軍民離間をしかく虎のように恐れている軍部自身が、この場合、却って軍民離間を事とするが如きは、一大撞着である。これ「民は由らしむべくして、知らしむべからず」とするものでなくて、何であろう。民これを知らずして、どうして政府と共に協力して、従来の秕政を除き得るか。
 広田首相は従来の秕政を除き、庶政一新の目的を達すべく、憲法の条規によって、これを行うことを宣言している。言いかえれば、立憲的に、これを行うことを、国民に誓っている。私たちはこれによって一応は安心した。だが、立憲的にこれを行うには、先ず政府の立憲的態度を再検討しなければならない。今もなお「民は由らしむべくして、知らしむべからず」の封建的態度を取っていてどうして立憲的にこれを行うことが出来るか。憲政は、そして議会は、国民の選挙した議員によって組織された帝国議会を、国家の一統治機関としたのは、「民は由らしむべくして、知らしむべからず」の封建的原則によったものではなくて、「民は知らしむべくして、由らしむべからず」の立憲的原則によったものである。これを由らしむべきものとしていたればこそ、言いかえれば、知って判断し得べからざるもの、知らして判断し得ざらしむるものとしていたればこそ、更にいいかえれば、自主道徳の持主たらしめずして、奴隷道徳の持主たらしめえればこそ、更に更にいいかえれば、民は唯政府に黙従すべきもの、若しくは附和雷同すべきものとしたればこそ、選挙はしかく腐敗し、議会と政党とがしかく堕落したのではないか。
 最終の分析に於て、庶政一新は、一言にしていえぽ、政府の立憲的態度一新である。従来に於けるその立憲的態度を再検討することである。
 私たちは、この機会に於て、寺内陸相に、特に広田首相に対してこの点を力説する。



最終更新日 2005年05月06日 00時00分40秒

桐生悠々「東京事件の遠因」

 国務大臣の施政演説及び東京事件に関する寺内陸相の報告演説に対する斎藤隆夫氏の質問演説ほど、近頃私たちの意を得たものはない。それは私たちの言わんと欲するところのものを、正に言ってのけたものである。若しも、五・一五事件に先だつ○○事件
  それが発表されていたならば、よし発表されないでも、これに言及することを許されていたならぽ、斎藤氏はこれに溯って、当局の非立憲的態度を詰責したであろう。この事件は闇から闇へ葬られ、唯後世史家の批判に待つだけのものとなっている。闇から闇へ葬られたため、当局はこの事件の犯人に対して、寛大過ぎるというよりも、寧ろ乱暴極まる非立憲的の措置を取っている。五・一五事件起らざらんと欲するも得ずである。
たとい未遂に終ったとしても、問うべきものは問わねばならない。然るに、政府当局はこれを問わずして、却って、この犯人を庇護するが如き態度を取ったればこそ、五・一五事件が起ったのは断じて不自然ではないのである。そして五・一五事件は、斎藤氏の憤慨したるが如く、軍部内の犯人と軍部外の犯人とに対する刑の量定に、しかく大なる隔りを見せた。これでは、軍人が如何なる非合法的な事を敢てしても、寛大に取扱われると思うのも、是また断じて不自然ではなかった。広田首相のいうところ一大秕政でなくて何であろう。何ぜなら、「司法権は天皇の名に於て裁判所これを行う」ものであって、同一の犯罪でありながら、身分を異にするため、刑の量定にしかく大なる差異があり、しかも規律最も正しかるべく、訓練の最も厳ならざるべからざる軍人を寛大に取扱うに至って、○○の○を冒漬するものだからである。東京事件の起ったのも、これまた断じて不自然ではなかったのである。
 斎藤氏はこの間の消息を細叙して、強く当局を誠むるところがあったから、私たちは今これに蛇足を加えない。唯この場合、これに補足して置きたいのは犯罪の模倣性に関することである。しかも、これが国民によって賞讃されるならば、犯罪は、益流行し、益露骨となることである。五・一五事件に対する当局の態度が新聞紙法にいうところ、賞恤的、救護的であったぼかりでなく、一部国民のこれに対する態度もまたそれであったことは、当時減刑運動がしかく盛であったことを見れば思半ばに過ぐるものがある。
これは実に怪しからぬことであった。だから、この場合誠むべきもの、責むべきものは政府当局ではなくて、国民それ自身である。たといその動機は至純であっても、犯罪は犯罪であって、何処何処までも憎むべきものである。然るに、これを憎まずして、,却ってこれを賞するようでは、国民そのものがなっていないのである。だから、春秋の筆法を以てすれば、五・一五事件を惹起したものは国民その物である。国民の正義に関する観念と、これに伴う感情が今少しく発達し、訓練され、陶冶されていたならぽ、五・一五事件は起らなかったであろう。起っても、これに次ぐ今回の東京事件は起らなかったであろう。五.一五事件に対して、一部の国民がしかく賞恤的、救護的の態度を取らなかったならば、恐らくぼ、東京事件も起らなかったであろう。
 最近軍法会議を再開された相沢中佐の永田中将暗殺事件も、またそうであって、犯人に対して、減刑運動を起すものすらもあった。中には乃木大将遺品のシャツを彼に贈った大馬鹿者すらもあった。死して神となっている乃木大将は地下に於て、どんなにか迷惑がられていられることだろう。否、寧ろ大に憤慨されていられることだろう。再開の軍法会議は東京事件直後の裁判であるから、こうした愚昧な光景を見なかったが、私たちはここに思い及び、今更ながら我国民の愚昧なるに一驚を喫せざるを得ない。深く思いをここに致すとき、最初からその弁護を謝絶すべかりし鵜沢総明氏、及び満井(佐
吉)中佐が今これを謝絶したのは当然である。
 要するに誡むべく、責むべきものは政府当局、軍部当局ではなくて、寧ろ国民自身である。と同時に、これをして由らしむべきものとしたのは、これをして知らしむべからざるものとしたものは政府当局である。だから、最終の責任者は矢張り当局である。国民にして、かかる不祥事件の原因を知り得たならぽ、如何に愚昧な我国民と雖も、しかく遽にはこれらの犯人に同情を寄せなかったであろう。   (以上、昭和十一年五月)



最終更新日 2005年05月06日 00時03分42秒

桐生悠々「考えられない日米戦争」

 次に、日米戦争は果して考えられ得る事実なるや否や、この問題に関しても、次号に於て引続きヤング氏の所論を読者に紹介するであろう如く、私たちもまたこれを否定しなければならない。委しきは、これをヤング氏の見解に譲って、記者は記者の友人にして曾てアメリカの日本排斥問題がそのクライマックスに達した当時、米国大使館付の武官だった某将軍の皮肉なる談話をここに掲げて、読者の哄笑を買おうと思う。
 この将軍は当時或アメリカの友人のファミリーディナーに招待され、食後四方山の談話に耽った折のこと、彼は冗談半分に「私は今こうしてあなたと楽しい晩餐を共にして、笑いさざめきているが何時本国から帰還を命ぜられるかも知れない」というと、その友人の妻君がスカートを捲って靴下を示し「そうなれば、私たちはこれを穿かないまで買わないまでですよ」と笑った。国交断絶となれば、日本の生糸をボイコットするというの意であり、そうなれば、経済上日本が大に困るだろうから、日米戦争などは不可能だ、安心せよと、女は女らしく経済的の判断を示唆した。すると夫君の友人もまた笑いながら、男は男らしく政治上から観察して「愈戦争となれば、アメリカはきっと勝つ、そして日本は結局アメリカのテリトリーになるだろう。だが、そうなると、日本人はアメリカ人となるから、彼等は公然アメリカの公民権を主張するだろう。今日ですら、アメリカは日本人が公民権を主張するの煩に堪えない。だから、その時には益困ることだろう。だから、アメリカは日本と戦争しない」と哄笑した。
 いずれの諧謔にも多大の、少くとも半面の真理を含んでいる。たとい彼国の職業軍人及びこれに関係して暴利を占めんとする手合が日米戦争を挑発しても、アメリカ人は冷静に事実の結果に想到して、恐らくはそうした無鉄砲なることに雷同しないだろう。現に今アメリカに於て、有力なる一般的の平和運動が随所に起っていることを見ても思半ばに過ぐるものがある。
 だが、ヤング氏の所論はこうした諧謔的なものではなく、事実に即した地理上、兵器上、輸送上、経済財政上、外交上等一切の方面に於けるアメリカの難攻不落性を説き、日本のこれに対する弱点を指摘したものであって、傾聴に値する。日本が今これを敵として戦うことは無謀の極であって、これを利用すべく、倍旧の友情を温めるのが賢策である。                     (昭和十一年三月、本号発禁)



最終更新日 2005年05月06日 00時07分15秒

桐生悠々「二・二六事件の判決」

 二・二六事件の判決は、正義の命ずるところに従ったものであって、私たちはこれに対して厳粛なる敬意を表する。但しこれによって、事件の真相を明にし得るであろうと思っていた私たちの期待が裏切られたのは、何よりも遺憾である。判決の上に現われた事件の動機、原因につき、今少しく隠れたる事実を明にしなければ、事件の真相を明にし得ず、従って、この事件の性質を評価し得ず、広田内閣のいうところ庶政一新も宇宙に彷徨せざるを得ない。看よ、その庶政一新が如何に薄っぺらなるかを。
 二・二六事件の真相は何時になったら分るだろう。恐くぼ後世史家の筆に待つより外はないだろう。                        (昭和十一年七月)



最終更新日 2005年05月06日 00時04分59秒

桐生悠々「誤解されつつある自由主義」

今議会に於て、浜田(国松)議員の質問に対して与えられた寺内(寿一)陸相の答弁
によって見ると、従来軍部が力説しつつあった自由主義なるものが、私たちのいうところの自由主義と全く範疇を異にすることを知り、一先安心すると同時に、また頗る奇異の感に堪えない。寺内陸相は「第一に自由主義を排しましたことは国体観念を明徴にいたしまして、全体主義に則って、政治経済など庶政の一新を希望したものであります」と言っているが、彼等は、自由主義を以て、国体観念及び全体主義と全然背戻するものと思准している。自由は動もすれば放縦に流れ易いから、これを制限するの必要あることはいうまでもない。だが、この可能性ある故を以て、直にこれを排するの非なることも、また言うまでもない。それ故にこそ、帝国憲法は「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ヶス及臣民タルノ義務二背カサル限二於テ信教ノ自由」を有し、また「日本臣民ハ法律ノ範囲醜内二於テ言論著作印行集会及結社ノ自由」を有することを規定しているのだ。自由主義は断じて国体に反するものではない。国体に反するものであれば、憲法は最初から、信教の自由、言論及び集会の自由を絶対に許さなかったろう。また自由主義は全体主義に反するものではなく、二者は全く別個の観念または思想であると同時に、並立し得るものである。否、私たちは自由を許されていればこそ、部分主義的ともなり、全体主義的ともなり得るのだ。しかも、自由を許さない部分主義は少くとも偏見に堕し、甚しきに至っては専制に落つる。
 のみならず、自由主義は英語のリベラリズムを翻訳した言語である。そしてこのリベラリズムのルートであるリベラルという語は、今手近にあるコンサイズされた、オクスフォード字典によれば、現今では稀であるけれども、職業的でもなく、また技術的でもなく、精神の拡大を目的とした紳士的という意味あり、その他寛大、公明、吝薔でない事、豊富、厳格または文字的でない事、正直、無偏見なることを意味し、政治上では民主的なる改革と特権廃止にフェボラブルなることを示している。特にリベラル・パーティは保守党の反対を示し、リベラル・コンサーバティヴといえぽ、改革に悪意を持たぬ保守党を言うのである。従って単にフリーをのみ意味するものではない。日本人は往々にして、このリベラリズムをフリーダムとして誤り用いているが、軍部もまたその一例である。従ってこれは主として経済上に用いられつつあるレーセ・パッセに反対するレーセ・フェアでもない。保護と対立する自由を意味するものでもない。
 最後に言って置かねばならないのは、リバティ(自由)は奴隷、または専制的統制か
ら、解放を意味しているから、自由主義を廃し、または排せんとするのは、国民を奴隷たらしむる専制政治を欲するものであって、立憲的の思想ではない。
                               (昭和十一年五月)



最終更新日 2005年05月06日 00時08分54秒

桐生悠々「米国の国防婦人会」

 我国には、最近愛国婦人会なるものの外に、なお一つの厄介物「大日本国防婦人会」なるものが製造された。私たちは、何ぜこれを「厄介物」というか。曰くそれは自発的のものではなくて、軍部によって製造されたものであると同時に、我国の婦人は今なお解放されていないからである。従って、それが形式的のものであり、わざとらしく見・兄、結局各市町村の、甚しきに至っては却って軍部の厄介となるだろうからである。
 この点になると、さすがは解放されたアメリカの婦人だけあって、彼等の国防婦人会は実に堂々たるものであり、文字通りに、有髯男子をして、後に瞠若たらしむるものがある。私は最近入手したブレッキンリッジ氏の「第二十世紀に於ける婦人」に拠って、その状況をここに紹介して、軍部及び識者の一考を煩わす。
「アメリカ戦時の母」は一九一七年の秋、インディアナ州に組織されたものであって、世界戦争の第一戦死者ゼームス・ビ・グレシアム上等兵の故郷エヴァンスビールに集会を催したのであった。休戦後は下火となったけれども、前約に基いて、一九一九年にバルチモア支会が軍人と「アメリカ戦時の母」との会合を企て、総ての会を一の大なる集会に糾合せんことを提案した。当時十一個の会がこれに応じ、それぞれの委員をこれに出した。新団体の名称として「星役軍団」が採用され、五万の婦人がこれに参加した。そしてその主旨とするところのものは、実に次の如きものであった。
 一、神、国及び人類に仕えること
 二、人と国家との間に、平和と同胞性とを鼓吹すること
 三、世界戦争に参加した陸海軍人の慶福を擁護すること
 四、世界の自由の為に、その生命を捧げた男女の記念を保存し、且つこれを懐しむこと
 五、婦人間に、姉妹性と民主主義との精神を養成すること
 六、一切の市民的及び愛国的事業に協同すること
 七、アメリカの理想と伝統とを擁護し且つ保護すること
 これが第一の会合であり、事業はまだその緒にもつかないとはいえ、去月十八日名古屋市に催された我「大日本国防婦人会」の趣旨と比較すれば、実に雲泥の相違といわなければならない。固より国情を異にするから、一概に論ずることは出来ないけれども、要はアメリカの婦人が解放されてあり、我婦人が今なお束縛されているからである。
 そしてこの「星役軍団」は時に消長はあったけれども、具体的の事業としては、世界戦争に於ける勇士家族のために教育基金を維持し、戦争の犠牲を記念するために、種々なる運動を開始し、またはこれを支持したのみならず、国際争議を解決する平和的手段たりと思われる提案を支持したことであった。これに次いで、一九二一年には「アメリカ補助軍団」なるものが組織され同年には、三千六百五十三支会の総員十三万一千人の会員を有するに過ぎなかったものが、一九二八年には、六千六百五十三の支会となり、総会員三十万五百四十九人を算し七年間に約一二九%の増加を示した。そして一九一三年の十二月には、その総会員は四十一万二千六十三人の多きを示すに至った。補助軍団は、一切の行動に於て、本軍団を援助し、廃兵の復職及びその児童の慶福に関して特殊なる責任を取っている。特にここに注意すべきは、この補助軍団が如何なる軍縮運動に対しても、反対の態度を取っていることである。ボストンに開催された一九三〇年の集会に於て、会長が次の如く宣言したことによっても、その一斑を知るに足るのである。
「この方面に於ける補助軍団の努力は先ず婦人間に於ける感傷的なる平和主義と戦い、婦人及び学生間に於ける極端なる平和主義者の行動に反対することに捧げられた」
 アメリカの如き解放された婦人間に於てこそ、こうした勇ましい気分を見ることができるのであって、日本の婦人にこれを望むのは全然不可能である。日本の婦人にこれを望まんとするならぽ、先ず今日の束縛された状態からこれを解放しなければならない。
                              (昭和十一年七月)



最終更新日 2005年05月06日 00時10分44秒

桐生悠々「不安なる昭和十二年」

「元日や昨日の鬼が礼に来る」とすらいわれて元日は日常の業務を忘れて、ましてその間接的なる国家生活、社会生活の煩を離れて、純然たる家庭の一人となり、屠蘇に酔い、陶然として天下の泰平をうたうのが、我国伝来の習俗である。だが時に感じては花にも涙をそそぎ、めでたかるべきこの元日、この正月も、場合によっては、却って不安なる国民的生活によって脅かされる。昭和十二年の一月一日こそ、正に、この矛盾した元日である。個人的には、昨日の鬼が礼に来ても、国家的には、昨日の鬼が今なお依然として私たちを苦しましめ、私たちを脅しつつある。
「昭和」! お前は今日の時局に何というふさわしからぬ名であるか。尤もお前も最初は明朗であり、その名通りに「昭」であり、「和」であったが、年を重ぬるに従って、次第にその名に背き五・一五事件以前に於て、早くも「暗」となり、「闘」となった。そして昨年の二・二六事件以来は、「暗」は益「暗」となり、「闘」は益「闘」となった。無論私たちは安価なる平和論者ではない。時によっては、大に戦わねぽならない。だがその戦は今日の如き「暗闘的」であってはならない。公々然として戦い、互に言うべきことを言わしめ、行うべきことを行わしめなければならない。言いかえれば、その争や、君子の争でなければならない。更に言いかえれば、明治天皇五ケ条の御誓文にいうところ「万機公論」的の争、上下心を一にして盛に、これを行う「経綸」的の争、「官武一途庶民に至る迄各其志を遂げ人心をして倦まざらしめんがための」戦であらねぽならない。だが今お前が私たちに強いている戦は全然これに反している。具体的なる実例は枚挙に遑もない。だが私たちは、この実例をここに掲ぐることを許されない。掲ぐれば、本誌は直に頒布を禁止されるだろう。何という陰惨な、何という不愉快な時代であるか。
「昭和」よ、お前は今日から、その名を「暗闘」と改めよ。これが、お前に最もふさわしい名である。
 だが、「昭和」よ、これは決してお前の罪ではない。お前は世界を、少くとも東亜をして、「昭和的」ならしめんがために生れ来たのであるが、これをして、しかく「暗闘的」ならしめているのは実はこういう私たちなのだ。私たちの一部のもの○○○○○○○○○○○○、○○○○○○○○○○○○、○○○○○○○、○○○○○○○○○○○○○、……○○○○○○○○○○○○○○○、本来は「昭和的」なるお前を駆って、しかく「暗闘的」ならしめているのだ、そうだ。たとい私たち一部のものに過ぎないにしても、それが私たちの同胞である限り、これを黙視し座視している私たちは、彼等と同罪なのである。だから、私たちはたとい間接であっても、この責を免れることはできない。
 だが、「昭和」よ、悲しいことには、私たちは無手だ。武力、武器を擁する者に対しては、私たち無手のものは、言葉通りに太刀打ちはできない。「剣筆を殺さずんば筆剣を殺さん」と言った、ヴィクトル・ユーゴーの時代は、疾くにも過ぎ去って、今日の武器は剣ではなくて、機関銃である。機関銃で口と筆とを殺すことができなければ、空中より飛行機を以て、地上ではタンクを以て、これに抵抗するものを皆殺しにする。革命が軍隊そのものでなければ、少くとも軍隊を加担せしめたものでなければ企て能わない今日の世界では、筆の力は零なのだ。
 筆だけではない。公民歩兵の力も零となった。飛行機や、戦車が武器として採用され、そしてその殺人性、破壊性が年を逐うて増大されつつある今日では、公民歩兵はその敵ではない。言いかえれば、かかる武器が発達しなかった昔では、公民歩兵は専制に対して叛旗を掲げ、最終に、これを打倒して、民主的なる革命を実行し得たが、今日では、革命を実行し得る資格あるものは、唯、これらの武器を所有するもの、即ち軍隊のみとなりそしてその革命は専制的のものとならねぽならなかった。ソヴェート・ロシア、ドイツ、イタリー皆然らざるはなしである。我国の二・二六事件もその消息の一半を漏らしているのだ。幸にして、この革命は成功しなかったが、○○○○○○○○○○、○○○○○○○○○○○○○○○、○○○○○○○○○○○○○○。○○、○○○○○○○○○○○○○○、○○○○○○○○○○、○○○○○○○○。立憲的なる法衣の下から、専制的なる鎧を、これ見よがしに見せているではないか。
「昭和」よ、お前はどうして、こんなに不安な、危険なものになったか。
「昭和」よ。お前はお前の祖先「明治」が生れたとき、どういう宣言をしたかを知っているだろう。その一は、明治天皇の五ヶ条の御誓文であって、これは公民に知れ亘っているけれども、かほどに知れ亘っていない、というよりも、今公民のために殆ど忘れられている億兆安撫国威宣布の御宸翰、これが「明治」誕生の根本的原因を説明しているのだ。私たちは、この御宸翰を前号(註第三年第二十四号)にも掲げ、また本号にも掲げているから、就いて一読、否、熟読せよ。
「昭和」よ、お前は、この祖先の遺志を継ぐならぽ、そして、それが、お前の利益であるならば、武門政治の再現を歓迎してはならない。歓迎してはならないどころか、黙視していてもならない。況や、これを期待することをや。天皇機関説は今や全く排撃された。○○、○○○○○○○○○○○、○○○○○○○○○○○○○○あるものなきや否や、実に危険といわざるを得ない。少くとも、朝廷の尊厳を力説すること余りに急にして神州の危急を知らざるものなきや否や、私たちは大に憂えざるを得ない。
 時偶隣邦支那の紛乱を見る。この紛乱を見たために、日支交渉に失敗した我外交は大に助かったとはいえ、このどさくさ紛れに乗じて「神州の危急を知らざる徒」が、○○○○○○○○○○○○○○○○ことなきや否や。私たちは、危なかしくて見てはいられない。何事も「旧来の陋習を破って天地の公道に基く」べきである。時に東洋永遠の平和を期待するには、「天地の公道」に基かずして、どうしてこれを期待することができよう。
 不安は益募って来た。この不安裡に迎うる昭和十二年は、実に不安であるというのは、一のトルーイズムに過ぎないけれども、国際的な、そして口を開けぽ、何人も、これを言った「一九三五・六年」の危機は、一の幻影に過ぎなかったけれども、来りつつある一九三七年のそれこそは、何人も想像し得なかった振古未曾有の危機、しかも世界の一大危機であるだろう。ヨーロッパでは、スペインの内乱を発火点として、東洋では、支那の紛乱を発火点として。
「昭和」よ、お前は支那に対しても「昭和」的でなくて、「暗闘的」だ。こうした暗闘的ではどうして日支親善の我伝統的外交を行うことができようか。お前はこの場合、静に胸に手を当てて考えて見るがよい。一体お前は支那を、どうする気なのか。暴力に訴えてこれを取ろうというのか。経済的にこれに侵入しようというのか。これを決定しないでは、東洋に於ける、進んで世界に於ける日本は、噴火口上に舞踏をしているのだ。見よ、一大危機は正に発生しつつあるではないか。
(昭和十二年一月)



最終更新日 2005年05月07日 12時30分22秒

桐生悠々「雑音・騒音」

「向うから百万来れば、二十万では相手になれないが、四十万なれば相手になって見せる」。何という悲痛な壮語だろう。単に壮なりとは言ってはいられない。但この場合、こうした衆寡懸絶の戦争をしなくて済む手段あることを知らないのは、愚といわざるを得ない。
 この愚を演ずれば、国がなくならないだろうか。「国なくして生活の安定なんかないと思う」。国がなくならないでも、この費用のために「生活の安定なんかないと思う」
                              (昭和十二年一月)



最終更新日 2005年05月07日 22時43分10秒

桐生悠々「電力国有と電力組合有」

 去月十三日発刊大阪朝日尾張版に掲載された伊賀の山奥高尾古田に一部十二戸が小屋建の共同自家用発電所をつくり、廉い豊富な電力を使っているという記事は、電力民有国営というが如き(ぬえ)的な電力国有が、政府当局によって計画されつつある今日、実際真面目に取扱わねばならない材料である。
 この記事は要言すれば、曾て同部落が電灯会社に対して送電を要求すると、建設費に四千円を要するからそれを出金せよといわれたのに発奮し、当時十二戸で醵金して千余円の基金をつくり、あとは部落債として部落有の発電所をつくったのであった。そして、一戸三灯以上の電灯を必ずつけることにし、月々の電灯料金を積立て、部落債の年賦償還に充てているから、跡七、八年経てぽ建設費を完済することができ、それから後は、一年二缶のモーター油が要るだけで、一部落十二戸の電灯料がロバになってしまうという計画である。そしてその結果は予想以上に成功し、各戸は内外に、ふんだん沢山に電灯をつけ、一戸七灯という家すらも多く、昼間電灯不用の時は、剰余電力を精米や農作に使用している。
 この事実は、無論電力国有の原理を語るものではなくて、電力の部落有、村有、更に進んでは消費組合有の原理を語るものである。利潤を目的とする会社の電力を以てしては、人は固よりかかる利益を享有すること能わず、国有電力を以てしてもまたかかる利益を享有し能わない。この原理に目ざめずして、電力国有を、特に純然たる国有ではなく、民有国営というが如き、曖昧なる電力国有論を唱えていた広田内閣は、その智能と文化とに於て、伊賀の山奥の部落民よりもおくれていたといわなければならなかっ
た。
 広田内閣がこの場合、思い切って純然たる、徹底的なる電力国有を計画しなかったのは、今日の財政上の関係がこれを許さない原因もあるけれど要は私有財産の原理を破壊することを恐れていたからである。それほどまでに、私有財産を尊重するならぽ、同内閣は何ぜこの場合、電力の組合有を奨励して、これに低利資金を貸付けるなどの政策を取らなかったか。組合有ならぽ、電力の所有権は組合に、各組合員にあり、そしてそれは組合の原理によって管理され、使用されるから、政府がこれを行って発生するムダや、官僚主義を省き電力に関する限り、国民の生活安定に資し得ること国有よりも遥に大である。利潤を目的としないで、サーヴィスを目的とする組合の原理を以てすれば、この結果を見るのは当然ではないか。なお政府の電力国有論は軍部によって強く裏書されていた点から見れば、一朝事あるに際しては、電力は国民のためによりも、政府のために、ヨリ善く処分され、国民は民有の時代よりも、却って大なる不利益を感ずるであろう。とするならば、電力国有果して何の国民生活安定策か。国民生活は常に政府の外交政策によって脅かされる。
 電力は今や利潤営業の頂点に達しているので、多くの国では、国有となりつつあるけれども、なお多くの国では、配電は組合的に組織され、消費者のために最善に計画されつつある。農業の発達したデンマークのそれが最も著しい例であるが、アメリカの農民も今や組合の原理に目ざめて、これを実行しつつある。と同時に、特にここに掲げて置かねばならないのは、テンネジ谿谷政府が剰余電力を持っているので、如何にこれを処分したかの問題である。経験の示すところによれば、最善の結果はこれを配電する消費組合の設立を奨励することによって得られたのであった。
 これらの組合は安定的なる或物を有し、政党員からなっているけれども、唯一つの物、即ち電力供給についてのみ利害を感ずる単純なる消費者の営業組織である。TVAに取っては、公共効用会社にこの電力を売ることは、サーヴィスのためではなくて、利潤のために、消費者に再売することとなり、この動機に伴う危険を見る。政治的の市町村にこれを売れば、自治体の政策の変更がサーヴィスの永久性を脅かし、市町村長が人をかえ、または選挙に反対の結果を見るならぽ、そのサーヴィスを継続し得ないこととなる。だが、組合は唯一つの目的、即ち電力を組合員に供給する非政治的なる営業会社であるから、その永久性が完全に保障され、政治上如何なる変化が起っても、これを無視することができる。以て配電事業が国有に適するよりも、組合有にヨリ多く適するの跡をたずね得るのである。                    (昭和十二年二月)



最終更新日 2005年05月07日 22時46分25秒

桐生悠々「宇垣大将大命拝辞」


だが、宇垣(一成)大将は陸軍が頑として陸軍大臣の推薦に応じなかったので、終に大命を拝辞すべく余儀なくされた。
 宇垣氏は大命を拝受するや、例によって、石橋を叩いて渡る彼の性格を発揮し、また時代の推移を察して、慎重に慎重を重ね、先ずその努力を陸軍大臣の詮衡に集中し幾度となく、局外より見れば、殆ど不必要なる程度、歯痒き程度にまで、隠忍自重して、陸軍の反省を促したのに反して、陸軍は大命宇垣氏に降下すると見るや、その周章殆ど度を失したるが如く、急遽彼等一派を糾合し、陸相官舎にごろ寝までして、宇垣氏の組閣に反対した。だから、私たちはこの相撲を見て、取組まざるに先だって、陸軍が既に負けていると見た。だが、「無理が通れば道理引込む」が世の習い、宇垣氏は最後まで、頑張ったにもかかわらず、他にこれを救うものがなかったため、無惨なる最期を遂げねばならなかった。
 この間の発展、消息に関しては、私たちは言うべく、殆ど無限のものを有するが、原稿締切間際なるを以て、これを次号、次々号に譲り、ここには唯次の二つのものを述べて、筆を擱くすることにする。
 軍部が大命拝受者の組閣に際し、直に陸軍大臣を出さず、大に組閣者を苦しめたことは今に始まったことではなく、過去に於て、既に三回まであったのだが、いずれも優諚を拝して事なきを得、唯清浦氏が大命を拝受した場合に於てのみ、これを見なかったので、いうところ「鰻香内閣」の惨敗を見なければならなかった。宇垣氏がこの場合、優諚を仰がなかった正しさを視て、私たちは大にこれに敬服すると同時に、将来に於ても、組閣者が陛下の信任を厚うして組閣に従事するものが、陸軍の反対に遭難する可能性あること勿論であるから、私たちは、尾崎行雄氏等が予ねてより主張しつつあるが如く、或機会に於て、官制を改革し、文官と雖も陸海軍大臣たることを得という諸外国の制度に倣うべき必要あることを、特にこの機会に於て痛感せずにはいられないものである。
 次にというが、寧ろ第一であり、従って第一にいわなければならないが、これに重味を置くために、第二にいうのは、国体明徴が特に陸軍によって力説されつつある際に、陸軍そのものが、これに矛盾するが如き行動に出でたこと、これである。私たちは、この事に関して具体的にここにこれを掲げ能わないことを遺憾とする。そして私たちは、唯力を以てのみ押し通さんとする陸軍に「大なる」単に言葉の上で「大なる」というだけではなく、「実質的に」、「衷心的に」大なる、反省を促してやまないものである。
 最後に、だが、この場合にも最小でなく、最大であるのは、現在の政界にあっては、宇垣大将は既述の如く最大の質量であった。だからこそ、西園寺公はこれを闕下に奉薦したのだ。然るに、陸軍は「天地のこの公道」宇宙または自然のこの法則に反して、これを排斥した。この公道、この法則に背いた罪は、早晩おのずから報いられねばならないだろう。この場合、後継内閣は果して何人によって組織されるだろうか、私たちはこれを見通し能わないが、兎にも角にも、陸軍の同意を得たるもの、さらに進んでは陸軍の意の儘になるものが、それであるだろう一点に至っては、疑もないことである。この結果、如何なる渾沌が将来するかに想到するときに、私たちは実に戦慄を感ぜざるを得ないのである。
 勿論、政界の実情から見れば、今日の行政部または行政庁に於ては、陸軍が最大なる質量である。この質量は実際に於て、仮説的、即ち私たち国民の理想たる最終の大質量よりも、寧ろ大なる質量である如くに見える。事実がそれである以上、私たちは唯これに引きつけられ、引きずられねばならないだろうけれども、その結果如何に想到するときは、唯々戦慄を禁じ能わない。一言にしていえば、明治維新によって、私たちが漸くこれを打破し得たる武門政治がここに再び台頭する可能性がある。そしてその政治は過去の武門政治の如く、一閥族のために行わずれして、寧ろ一般国民の利益のために行われるだろうけれども(記者は実際これを承認する、だが)伝統を無視し、形式の破壊された君主国ないし帝国の将来こそ、実に憂慮に堪えない。これを利用する意味ではなく、衷心、純粋に国体明徴を期せんとする憂国の士は、この場合、大に熟考しなければならない。――一月三十日朝記。    (昭和十二年二月)




最終更新日 2005年05月09日 10時33分39秒

桐生悠々「進歩的同化的なる日本」

「日本主義」という語が、今流行しつつある。然り、私は唯この語が流行しつつありというだけである。何ぜなら、この主義は或思想を、政府当局の弾圧によって、窮地に陥った左の思想を、カムフラジしたものだからである。左を右に見違えるように見せ、従ってこれがために、右が知らず識らずの間に、左に引ずられて行くことを思うとき、私たちは苦笑を禁じ得ない。
「日本主義」なるものは検討すればするほど、その正体が益怪しくなって来る。それは「封建主義」の変名となる。折角ここまで進んで来た、そして更にまた進むべき、否常に進み進んで、止まるところを知らない時計の針を戻そうとするものでなくて何であろう。だが、それは事物の許すところではない。論より証拠、東京市会議員の選挙に於て、日本主義の候補者が枕を並べて悉く落選した。「日本主義」の正体が観破されたからである。
 単に語の上から言っても、「日本主義」なるものがあろうはずはない。ドイツにはナチズム、またはヒットラリズムなるものがあっても、ドイッ主義なるものはない。イタリーには、ファシズムなるものがあっても、イタリー主義なるものはない。だが、日本には「日本主義」なるものがあるそうだ。実際これは日本にユニークなもの、独特なものだ。
 だが、漠然としていながらも、そこには日本主義なるものがないでもない。「進歩主義」「同化主義」が即ちそれであるだろう。仏教も、キリスト教も、その本体からいえば、日本の国体に反している。だから、これらの宗教または思想は、我国に於て曾て大なる迫害を受けた。だが、日本人にユニークなる「進歩主義」「同化主義」は、これに形式的なる大修正を加えて、結局これを我物にしてしまったではないか。憲法政治もまたこの範疇に属するのであって、今なお当局の迫害を受けてはいるが、私たち「進歩主義」的、「同化主義」的なる日本人は、結局これを我物にするであろうし、またしなければならない。
 日本人が「進歩主義」的であり、広く「知識を世界に求むる」民族であることは、今過渡時代に於て、不便極まるメートル制を、我日常生活に導入していることを見ても、その一斑を窺知することができる。これがイギリス主義であったならば、日本は断じてこれを採用しなかったであろう。何ぜなら、イギリス人は「保守主義」であり「独善主義」であり、「島国的に無智」(イソスラル・イグノラント)であるからだ。イギリス人は今もなお勘定に小面倒極まる、ポンド、シルリング、ペンニー制度を墨守している。
 然るに、今日本人は、というよりも、日本人の或一部のものはそしてそれが偶支配階級であることを私たちは最も遺憾とする  イギリス人のように「保守的」であり、「島国的に無智」であって、日本人ほどえらい民族、日本国ほどえらい国は世界にないと夜郎自大化している。前途憂慮に堪えない。イングランド王国は見る影もない小さい国であるけれども、その領土、植民地等を合算すれば、日没を見ないほどの大さであるから、グレート・ブリテインと自称するけれど、将来に大なる憂を(のこ)すのみならず、その統治にすらしかく困難を感じつつある満州国を我勢力圏内に収めただけで「大日本」など「大」を自称するのは、どうかしていないかと聞きたくもなるのである。
 驕るものは久しからず、正当に驕り得るものでも、驕るものは久しからず、況や正当になお驕り得ないものが驕るに於いてをや。日本は「大日本」ではなくて、「小日本」であると思ってこそ、将来の「大」が追究されるのに、もう「大日本」となっては、日本にユニークなる「進歩主義」「同化主義」はこれで幕を閉じることになりはしないか。
 教育勅語には「恭謙己を持す」とすらもある。諸外国に小面憎いと思われるだけでも、大した損である。況や痛くもない腹を探られるに於てをや。    (昭和十二年四月)



最終更新日 2005年05月09日 11時05分45秒

桐生悠々「住みよい国」

 単に筆者一人のみではあるまい、何人も素直にその念願を言わしむれば、他の関係は第二の問題であって、第一の問題はおのれの祖国を以て、先ず住みよい国としたいであろう。勿論彼は祖国を以て、世界の一等国中に列せしめたいだろう。だが無理をしてまで、戦争をしてまで、数十石数百石の血を流し、数十億数百億の財を投じ、勝っても負けても、引続いて来る運命が破産同様の悲境であることを覚悟してまで、増税と増債とによって先ず物価を暴騰せしめ、軍需品の生産者のみを極楽に住ましめ、一般国民を奈落の底に突き落してまで、祖国を世界の一等国たらしめたいとは念願しないだろう。彼はまた、列強との海軍のパリティが如何なる率であろうとも、また列強との陸軍の強弱がどうであろうとも、武力的の競争よりも、そしてこれによって世界の一等国間に顔をつらね得ることを誇るよりも、平和的の競争、即ち文化的、科学的の競争によって、せめては世界の二等国中に籍を置きたいと念願するだろう。経済的国家主義跋扈の結果、他国が関税の障壁を高くしたからとて、自国もまたこれに報復すべく、関税の障壁を高くして、さなきだに窮している自国国民に高い物を買わしめ、更に進んでこれを買わしめないのは、即ち需要に供給しないのは、愚の極であるだろう。すべてこれらの非合理的なる原因によって、国民大衆の生活が脅されない国、それが住みよい国であるだろう。彼はこうした国に住みたいだろう。唯不幸にして彼の祖国がそうした住みよい国でないならば、彼は何とかしてこれを住みよい国にしたいだろう。
 だが、彼にしても若しもこの念願を率直に発表すれば、彼は恐らく、支配階級及びこれに追随するものから、その額に「非愛国者」と烙印されるだろう。だが、この場合、私たちはジョンソン博士の有名なる愛国者の定義を忘れてはならない。「無頼漢最後の隠家」これが動もすれば、愛国者である。ナチ・ドイッのヒットラー及びファシスト、イタリーのムッソリニーはこれを利用することを忘れなかった。彼等のいうところの「暴風隊」がそれなのだ。その善悪は別問題として、現在のドイッや、イタリーがいずれも住みよい国でないことだけは確だ。彼はそうした国に生れなかったことに、大なる幸福を感じているだろう。
 にもかかわらず、彼の国にも「無頼漢最後の隠家」なる愛国者がいて、彼の自由を抑制し、彼の幸福を奪い去る例がないでもない。右翼に属する或ものがそれであって、彼は時として彼等のために、その生命をも奪い去られた。日本主義や、日本精神もよいが、ここまで来ると、折角住みよかった祖国をして、住み難い国としてしまう。支配階級者が名のために惑わされて、これを奨励し、少くともこれを黙視するに至っては、祖国をして益住み難い国たらしむる。
 何を差し措いても、即ち絶対的に日本をして一等国たらしめんことを念願している彼等ならぽ、何を好んで、ドイッや、イタリーのような二等国のまねをする必要があろう。同じまねるならば、イギリスや、アメリカをまねたがよい。イギリスや、アメリカは思うに住みよい国らしい。                  (昭和十二年五月)



最終更新日 2005年05月09日 11時07分33秒

桐生悠々「議会の形勢」

 第七十議会の終局如何。政治は俗にいうところの「見ず物」であるから、今これを逆睹し能わない。殷鑑遠からず、何でもない浜田(国松)氏の「切腹演説」が広田内閣の辞職を結果したことから見ても、今議会の行方は今遽にこれを知ること能わず、何時如何なる風雲が捲ぎ起って来るかも知れない。だが、その後の形勢より察すれば、多少の(きわ)どい危機があるだろうにもかかわらず、先ず予算だけは無事に通過することだろう。
何ぜなら、軍部は国民の声に聞き、大に反省の色を示しているからである。
 軍部のこの反省を促した最大なる一原因は、尾崎行雄氏の情理を尽した、そして時々軽妙なるユーモアを交えて軍部を追及したあの質問演説であったろうと思われる。氏はこの質問演説に於て、二・二六事件の如き一大不祥事件を起した以上、恥を知る昔の武士ならば、「杜門三年」の謹慎すらをしても、なおその罪を贖い得ないとしたろうに、今日の軍部はこれを以て、却って脅迫の具に供し兼ねまじき態度を示していることを指摘し、なお進んでは、頑迷なる妻君を「陸軍」と呼んでいる或家族あることを指摘した。相手が寺内陸相であったならば、そして軍部内の気分が前議会同様に硬化していたならば、杉山(元)陸相は寺内陸相と同様、この場合苛立ってそれこそ尾崎氏の演説を以て軍部を侮辱したものと注意したであろう。特に杉山氏は軍部内の一急進派に属するといわれているから、断じてこの言を許さなかったろう。尤も相手は「憲政の神」といわれる尾崎氏であり、純真その物である人の口から、かかる諧謔が自然に発せられたのであるから、如何に急進派の杉山陸相と雖も、恐らくはこれに抗し能わなかったのであろう。序ながら、筆者はここに附加えて陸軍の反省を促したいのは、啻に頑冥なる細君が「陸軍」と呼ばれているばかりではなく、撞球の「押し」に於て、撞かれた玉が撞いた玉と同一の速力を以て回転する技術(?)を「陸」と名づけていることである。
 だが、兎にも角にも、陸軍は隠忍自重し来った。予算会議に於ける牧野良三氏の追及急なる質問に対しても、杉山陸相は唯気色ぽみて答弁しただけで、寺内前陸相のように問題を惹起するほどの硬化した態度を見せなかった。この点修養の上に於て、杉山陸相が寺内前陸相に勝っていること認めねばならないと同時に、反省に伴うこの寛容なる態度に対して、私たちは衷心より杉山陸相に対して敬意を表するものである。
 議会は言論の府である。自由なる言論の府である。院外に於てその責を負わざるほどに自由な言論の府である。従って、それは国民の鬱積した不平の爆発を調整する安全弁である。この安全弁が密閉されては、国民の鬱積した不平は最少抵抗の部分を求めて、汽缶を破壊しなければ已まない。杉山陸相は議会がその安全弁なることを知って、今これを利用しつつある。だから、議会は今少しばかり明朗なる気分を取戻した。この明朗なる気分の裡に議会が終局するだろうことを思うとき、私たちはやや救われたように感ずるものである。                     (昭和十二年三月)



最終更新日 2005年05月09日 11時21分13秒

桐生悠々「すべて是心理学的現象」

 公債はまだ増発されていない。増税はまだ断行されていない。唯それが増発され、断行されるだろうとの予想の下に、馬場蔵相時代には、物価があのように急騰した。結城蔵相はいずれもこれを緩和したので、物価はその急騰の勢を緩和されたけれども、騰貴の形勢は依然として、持続している。だが、増税、増発はまだ実行されていない。言いかえれば、まだ事実となっていない。にもかかわらず、物価は騰貴した、また、騰貴しつつある。だから、これは経済学的事実を以て説明し得べきことではなくて、心理学的現象を以て説明し得べきことである。否、これは心理学的現象、即ち国民の心理作用以外の何物でもない。言いかえれば、この辺の消息は経済学を以て説明すべきものではなく、たとい説明し得ても、その予測は事実に反する。マクドガール氏のいうところ「不可量物」がそこに反射するからである。だから、経済学だけでは、物価の騰落を説明し得ない。由来経済学はこの故を以て貧困であった。
 二・二六事件直後に成立した広田内閣に蔵相となった馬場氏が、あのような心理状態に置かれて、無軌道的財政家の非難を浴びせかけられたのは、寧ろ同情に堪えない。認識不足と言えば言われ得るけれど、空前にして恐らくは絶後たるべき  私たちは、その絶後たらんことを神に祈るーあのような大事件に遭難しては、当時何人が蔵相の地位を引受けても、馬場氏と同様の心理的状態に置かれたであろう。二・二六事件の余波が静まった今日の蔵相結城氏であればこそ、この事件の波及した国民の恐慌、少くともその脅威が取り去られて、やや平静の状態に還えり、各自にその利害関係を顧るに至った時代の、即ち林内閣時代の蔵相結城氏であればこそ、馬場財政に対する国民、特に資本家の不評を経験した後の蔵相結城氏であればこそ、無軌道に走った馬場財政を「ややその軌道に復し得た」のである。だが、それは、唯「ややその軌道に復し得た」だけのことであって結城財政もなお依然として無軌道的に走っている。そして彼自身もまたこれを認めている。何ぜなら彼は議員の質問に答えて、近き将来に於ける我財政の見透しは、依然としてつきかねると言ったからである。にもかかわらず、彼は商工業者には、特に資本家には「神様」のようにも思われている。溺るる者は藁をもつかむ。無軌道財政に溺れたものが、この藁をつかむに至ったのも、要するに一の心理学的作用に過ぎないと同時に、馬場氏は運の悪い人であって、結城蔵相は運の善い人である。
                               (昭和十二年四月)



最終更新日 2005年05月09日 11時22分54秒

桐生悠々「議会中心主義」

 人民あっての国家であって、国家あっての人民ではない。だから、政治は議会中心主義でなくてはならない。議会はこの人民の総意を、利益、幸福を反射したものだからである。人民直接の選挙によって当選した議員を以て、構成されたものだからである。
 これは立憲国に於ける政治の公式である。然るに、我国の軍部及び官僚中には、なおこの公式を疑って、これを変更せんとするものがいる。彼等は余りにも明確なる、そして炳乎(へいこ)として日月の如き我国体明徴論の下に、この公式を抹消せんとすらもしている。危険千万といわねばならない。思うに、彼等は統治の観念と政治の観念とを同一視し、これを混淆して、自己階級の利益を謀らんとしているのであろうかも知れない。
 これを我国の独特なる国体に徴するまでもなく、立憲君主国の君主は統治権の主体であり、統治権の総攬者である。だが、彼は統治すれども、政治しない。イギリスのKing reigns but not governs がそれである。政治するものは政府、即ち国務大臣以下及びこれを補佐する各省の諸行政官吏である。帝国憲法に於ても、その第一条に於ては「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とあって、政治するとは書いてない。そして第五十五条には「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責二任ス」とあり、各国務大臣が責を負うて政治の局に当っているのである。言いかえれば、たとい天皇が政治されると仮定しても、直接に政治されるのではなくて、間接に政治されるのである。然るに、国体明徴論者は今天皇が直接に政治されるのであって、政治そのものが天皇の政治であるが如くに論じている。天皇直接の政治であれば、天皇が直接にその責を負わなければならない。だが、イギリスに於てすらも、議会を以て、統治権の主体とすらもしている国に於てすらも「王は悪をなし能わない」または「間違わない」king can do no wrongと言って、王は無答責である。王は政治に対して責任を負わない。況や我国に於てをや。そしてその責任は国務各大臣がこれを負うのである。帝国憲法第三条にいうところ「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」はこの意義を宗教的に明にしたものであることは、何人も知るところのもの、然るに、国体明徴論者は今動もすれば、この意義を没却せんとしている。国体を明徴ならしめんとして、却ってこれを不明徴ならしむるもの、心すべきことである。
 次に、我立憲政治の発展上、その初期にあっては、国務大臣が主として政治し、帝国議会は憲法の明文上、唯立法に対する協賛権のみ有し、いうところの超然内閣、即ち議会人、政党の首領を交えない内閣が政治の局に当っていたが、憲政の発達自然の結果として、民衆の勢力次第に増加すると共に、議会に於ける政党の勢力も漸次に支配的となり、超然内閣を以てしては、国政の運用極めて困難となりたるため、伊藤(博文)公、桂侯すらも結局政党を創立して、これが首領たらざるを得なかったことは、私たちが既に厦述べた通りである。言いかえれば、政治の中心が漸次に議会に移ったのであるが、最近に於ける我憲政の進化が終に政党政治をすら実現せしむるに至ったことは、これまた何人も拒否し能わない事実である。唯物盛なれば必ず衰うるのが、普通の運命であって、政党の腐敗は終にこれをして権勢に遠ざからしむるに至り、彼等は今議会に於ける多数を擁しながら、進んで内閣を組織する能わず、退いて軍部及び官僚の内閣を黙視しなければならない情勢となったのである。にもかかわらず、憲法政治、即ち議会政治が存続する限り、政治が議会中心主義であるのは、必然でなければ、自然の結果であるだろう。然るに、現内閣は「我国に独特の憲法」やらを担ぎ来って、今この議会を無視せんとしつつある。憲政の進化を阻止せんとするものであって、その無謀は早晩これに報いられねばならないだろう。既に彼等は今これに報いられつつある。筆者は今選挙最中にこの筆を執りつつあるから、その結果をここに明言し得ないが、本号発行の日には、恐らくば、それが事実となって現われていることだろう。
 最後に、だが決して最少でないのは、我国にいうところの議会中心主義はイギリスに於ける議会中心主義と、全然その範疇を異にしていることである。イギリスに於ける議会中心主義は議会が統治権の主体であることを意味する。イギリスの議会は男を女にし、女を男にする以外、何事でもなし得ないものがないというのは、この間の消息を物語って余蘊なきものであるが、我国のそして如何なる立憲国もの議会中心主義は、そうした意味ではなく、行政及び司法はすべて立法によって支配される意味に於ての議会中心主義である。日月の如く炳乎として明なる国体明徴論を担ぎ出して、議会中心主義を否定せんとする彼等の心事彼等の態度こそは私たちの解し能わない一の謎であると同時に、統治と政治との区別を無視せんとする彼等の無謀さも、動もすれば武門政治の復興を見んとするの可能性あるが故に、国体明徴を力説する特権は彼等にあらずして、却って私たちにあることを痛感せずにはいられない。実例は枚挙に遑もないが、これを掲ぐることを禁止されているのを、私たちは唯遺憾とする。        (昭和十二年五月)



最終更新日 2005年05月09日 11時32分22秒

桐生悠々「食逃解散の真相」

 筆者自身に直聞したのではなく、又聞きを又聞きしたのだから、真偽は保障し得ないが、愛知県の第一区から選出された小山松寿氏は、今回の選挙立候補の演説に於て、第七十議会が解散された理由の不明さを皮肉って「閣僚は固よりこれを知らない、林首相自身すらもこれを知らない」といったと聞き、さすがに老巧な言振と、筆者はおのずから微苦笑を禁じ得なかった。
 ということは、林首相が軍部のロボットであることを意味し、第七十議会の食逃解散は首相自身のイニシアチーフに出ているのではなく、或勢力のために、引ずられたのだという意味であろう。或事情通の語るところによれば、陸軍の三長官会議というのは、実はいうところの三長官会議ではなくて三次官会議であり、そしてこの三次官もまたその後に頑張っている或一部の勢力に引ずられているとの事である。この勢力を代表する第一人者が、第七十議会解散のつい数日前に上京していた。この第一人者が、前日まで議会解散について何等考えたこともなかった林首相を引ずって、終にあの食逃解散を行わしめたのだ。従って、この勢力派から見れば第七十議会の解散は予定の行動であって、偶然的のものでもなく、また不明のものでもなかったのである。
 何でもいいから、このさい、政党を叩き潰してしまえというのが、この派の主張だそうな。それには遮二無二、しかも、続け様に、幾度も議会を解散するのが、最良の武器であるというのだから、解散の理由などというものがあろうはずはない。とするならば、再度の解散は既定事実と見てよい。唯この再度の解散が、林内閣によって行われるか、または後継内閣によって行われるかが問題であるだけだ。この場合「普通」という観念は「不通」であるけれども、若しも「普通」といい得るならば、「普通」には林内閣が後退して、これに代って進出した後継内閣が解散を行う順序であるけれども苟くも林氏を人身御供に上げたる以上、そしてその名誉を失墜せしめたる以上、これを再びしても既に下落した林氏の価値にはさほどの影響はないといった風な論理で、もう一度林氏をして議会を解散せしめるかも知れない。そして人の善い林氏もこれを承知して、巧に彼等のために操られるかも知れない。唯これが問題となって残っているだけだ。
 かくして彼等は、これと同時に曩にこの種の手によって荒木(貞夫)大将を仆し、真
崎大将を仆し、万歳を叫んでいるということである。ソ連の日本事情通が、日本の軍部も早晩内部の紛擾によって崩壊するだろうと観察しているのも、中ってはいないが遠からずの感がある。
 林首相が再度議会を解散すれば、食逃解散を越境して、今後は居直り強盗の解散となるだろう。だが、毒を食えば皿までもとの譬があるから、彼は毒の食い序を決心するかも知れない。恐ろしいことである。
 だが、食逃解散の真相がこの辺の消息を示唆しているものとすれば、混沌たる今日の政局ももうさきが見えている。そして久しからずして、朗な旧態に復するだろう。何ぜなら、この機会に於てこの隠れた勢力が表面に現われ出て、議会を解散しても、彼等のいうところ議会の悪化は更に悪化するばかりであって、政民両党は益結束して、これに当るだろうから、ここに彼等は勢いファッショの武器を棄てて、結局憲政の軍門に降らざるを得ないからである。国民から見れば、もう一踏ん張り、もう一堪忍である。
                               (昭和十二年五月)



最終更新日 2005年05月10日 09時37分05秒

桐生悠々「日支再戦せば」

 相互睨み合っている以上、動もすれば起り勝な○○○○○(百七十字削除)○○○○
○この○○○○(四字削除)年継続するものと覚悟しなければならない○○○○○(三百五十四字削除)我国は満州国に於て腹背敵を受くるの危険を覚悟しなければならない。○○○○○(八百九十二字削除)そして極東の戦雲は忽にして、ヨーロッパを襲い、延いて世界天を覆うのであろう。言いかえれば、ここに第二の世界戦争が始まるかも知れない。○○○○○(五十三字削除)○○○○○特に近代的の戦争は、即ち次の大戦争は、ビーンストック氏が「戦争の警告」に於て論じた如く、(前号、同氏)の「植民地再分配論、三十三頁」「前の大戦争と比較にもならないほどに、人間と原料との大量が破壊され」「殆ど一切の原料が戦争原料となるだろう。全国民が徴兵され、動員されるだろう。都市は陸続として天に現われて、未曾有の速力を持つ飛行機の爆弾投下によって、拳を以て鶏卵を打つが如くに破壊され、非戦闘員の生命は戦闘よりも危険となるだろう。到るところに於てlI戦線に於ても、戦後に於ても、家庭に於ても、老幼を問わずして、男女児童の数十万人、恐らくぼ数百万人が殺され、又は不具者となるだろう」ことに想到すれば、○○○○○(以下削除)○○○○○○。



 この原稿が活字に拾われ組まれた後〔七月十八日〕愛知県警察部長より、日支戦争に関しては、一切論及することを許されず、唯政府のなすところを傍観せよというが如き趣旨の達示があったのでここに遺憾ながらこの全文を抹消する。  (昭和十二年七月)



最終更新日 2005年05月10日 09時45分05秒

桐生悠々「出征兵士遺家族の扶助と国家ボーナス」

 今回の事件に応召出征したる兵士の遺家族中には、同情に堪えないものがある。というよりも、寧ろ惨澹たる窮境に陥りつつあるものすらも少くない。私たちは現にこの窮境を目撃すると共に、その遺家族より往々にして不平の声を聞く。しかもその不平の結果、絶望的の嗟嘆と憤慨との声を放つものすらもある。これを坐視していれば、そして戦争が永続し、跡から跡からと応召出征する兵士即ち国民が多くなればなるほど、そこに重大なる社会問題と国家問題との発生を見なければならない。私たちは戦争の惨害よりも、寧ろ大にこれを恐れる。
 君国のため、命を鴻毛の軽きに比し、勇み立って出征した兵士の遺家族であるから、生活に関する多少の不自由は固より我慢しなければならないが、跡に残されたものが、働き得ない老人、婦女子または小児である場合、惨澹たる窮境に陥るのは当然の事であり、この窮地に対して不平を漏らすなというのは無情極まる要求である。国家は先ずこれを救済しなければならない。だが、国家の救済にして今日の程度の如きものである限り、結果は推して知るべく、国家の前途寒心に堪えない。
 出征兵士の遺家族に何がしかの金を給するのは無論貧民の救助ではなく、その他一切の慈恵観念に基く救済を以て律すべきものではなく、私たちは寧ろこれを以て国家の義務となすものであり従って国民に取っては、兵士の遺家族にとっては生活権の主張そのものとしなければならないとすら思うものである。一家の生活を維持する支柱を奪い去られた出征兵士の遺家族、就中働き得ない老人、婦女子、及び児童に至っては、然らずんば、何によってその生活権を主張し得べきか。これを幸にして、一家の大黒柱たるものの出征を免れつつあるもの、または免れたものの家族と比較して感傷的の記述を敢てすることは禁ぜられつつあるが故に、略するが、常識は直にその間に大なる不公平を、近衛首相のいうところ社会的正義に著しく反するものあることを、認めざらんと欲するも能わずである。
 この間の不公平を医し、兼ねて一般国民の生活権を擁護するために、私たちはこの機会に於て、私たちの根源的なる権利、即ち生活権の主張に基く国家ボーナス案を力説せずにはいられない。国家を構成する一員として、そして物質的、精神的に国家に奉仕するものとして、各個人は国家に対して生活権を主張し得る。私たちは空気、太陽、水の如く、各個人に必須欠くべからざる食物の供給を国家に対して要求する。国家は与えて取るべきであると同時に、各個人もまた与えて取るべきである。取って与えざるに至っては、実に言語道断である。国家は先ず各個人に対して、最少限度の生活費を保障しなければならない。しかして後、各個人の精神的、物質的の奉仕を要求すべきである。出征兵士遺家族各個人の生活を保障しないで、これより生活の大黒柱を奪い去るのは、彼等の生活権を無視するものでなくて何であろう。
 二十億円の予算を一瀉千里的に通過した議会は、何が故に、予めこの事あるを慮って、これに関する予算を要求しなかったのか。戦争も重大事ではあるけれども、銃後の護りも重大事である。否、寧ろヨリ重大なる事件である。特に戦争が長びくに至っては、この銃後の護りこそ最終の勝敗を決定する要素である。
 今回の日支戦争は果して幾年間継続するだろうか。幸にして、早くケリがついたとしても、その後再び戦わねばならないだろう。否、幾たびも戦われねばならないだろう。日支間の感情が衝突する限り、世界歴史に於てその例を見たるが如く、三十年戦争、百年戦争をすらも覚悟しなければならないだろう。とするならば、私たちはこの機会に於て、私たちが平生力説しつつある国家ボーナス案を採用して、将来引続き起るべき出征兵士遺家族の救済法を確立すると共に、将来また必然的に起るべき資本主義制度に伴う失業救済、貧民救助その他一切の扶助法を廃止し、一般的に各個人の生活権擁護の手段に着手すべきであると思う。
 その基金を得ることは、寧ろ容易である。各個人がその所得の幾分かを醵出すれば足る。日本人の生活標準はヨリ低いから、イギリスに於けるミルナー氏の主張の如く、その五分の一たることを必要とせず、十分の一にて事足るであろう。と同時に所得イクラか以上のものは、国家ボーナスを受くる権利を抛棄せしめてもよい。
                         (昭和十二年十一月、本号差押)



最終更新日 2005年05月11日 12時10分13秒

桐生悠々「超経済的奉仕の生活」

 一国の富は財貨と奉仕とからなる。だから、財貨が少くとも、奉仕が豊富であれば、その国は富んでいるのだ。と同時に、財貨が曲豆富であっても、奉仕が少ければ、その国は富んでいるとはいわれない。この角度から見て、日本は富んでいるのか貧しいのか。
 私たちは、これに対して、二様に答え得る。或意味に於ては、日本は富んでいるともいわれ、また貧しいともいわれ得る。財貨少きが故に、財貨の生産少きが故に、財貨のみを重んずる旧経済からいえば、事実富んでいるとは義理にもいわれず、寧ろ極貧の状態にあるが、奉仕の価値を逸しない。奉仕の価値を財貨の価値と並立せしむる新経済からいえば、日本は決して貧弱とはいわれず、寧ろ大に富んでいる。無論富と強とは同一視すべきではないが、俗に「富強」といい、富と強とが相伴うものでありとすれば、日本は富んでいるといって差支ない。何ぜなら、日本人ほど戦争に、死を賭して奉仕する国民は、広い世界にまたと見得ないからである。日本の歴史が過去に於て、既に頻々としてその証拠を提出しているのみならず、今現に日支事変に於て、日本は列強環視の間に、最も明にこれを示している。常識から見て、また戦略戦術の上から見て、寧ろ無謀といわれるほど、「超人的なる奉仕」を私たちは今君国に対して示している。唯この場合、私たちの最遺憾とするのは、この奉仕が賃極的ではなく、消極的であることではあるけれども、兎にも、角にも「超人的なる奉仕」を敢てして悔いず、寧ろ大にこれを誇としている。日本独自の誇として、これを世界各国の前に示している。
 戦時に於ける日本人の国家的奉仕は、しかく「超人的」なると同時に、純粋なる経済学上から見て、それは「超経済的」である。この「超経済的」なるところに、日本人独自の奉仕が意味付けられ基礎づけられ、従って日本独自の強さもここに存するのである。唯これが戦時に於てのみ示されず、平時に於ても常に示されるならば、日本は事実として世界一等国の列に伍し得るのみならず、世界の第一等国としてすら列強の上に君臨し得るであろう。
 ところが、日本人ほど平時に於て、利己主義的なるものはない。無奉仕を以て誇としているものはない。彼等の多くは奉仕を以て、一種の損とすら心得ている。報酬が伴わなければ奉仕しない。一挙手一投足の労を以てすれば、人を救い得るにもかかわらず、またこれによって事業を成立せしめ、財貨の生産を見得べきにもかかわらず、物質的なる報酬がこれに伴わなければ、断じてこれに奉仕しない。或は独りみずから高うして、手を動かすことを足を運ぶことを以て賤役となし、押せども突けども動かないものすらもある。しかして曰く、かくの如きは吾輩の職務外である。吾輩の職務は多忙であって、かかる賤役を事とする遑はないと。その癖、彼等は日ごとに、暮夜権門ではなくて妾宅に出入して、職務をそっち抜けにして、女に奉仕している。
「超人的奉仕」「超経済的奉仕」はいうところの無私的奉仕である。日本人は戦時に於て、かかる無私的奉仕をなすが如く、平時に於てもこの無私的奉仕をなすことを辞さないならば、国運の興隆期して待つべきであるが、遺憾ながら、かかる心掛あるものは極めて少く、多くは廃頽的なる支那人と同様、女に対して「超人的奉仕」「超経済的奉仕」「無私的奉仕」を敢てして、身を滅ぼし、国を亡ぼすことを知らない。
 記者は本誌の愛読者に取って既に御馴染のワルバッセ氏の「組合的民主主義」を繙き、「他人の作る物を消費し、及びその能力に従って、他人のために奉仕しないものは泥棒であって、早晩精神的及び物質的の応報がある」ことを知って、特にこの感を深うするものである。然り、「その能力に従って、他人のために奉仕しないものは泥棒である」その「精神的及び物質的の応報」は個人の上に来るのみならず、国家の上にまで来る。ワルバッセ氏は更に進んでこう言っている。「最後にいうべきは、労働の生理的価値である。筋肉的及び神経的系統は労働のために作られてある。人間は働く動物である。自然または同人が絶えず彼のために生産するところでは、彼は衰える。そして彼に奉仕しない彼の同人に絶えず奉仕するところでも、彼はまた衰える」と。同人が絶えず彼のために生産し、従って彼みずからは、毫も生産せずして、他人の生産によって生活すれば、その応報は彼みずからの衰退であって、自業自得であるけれども、彼に奉仕しない彼の同人に絶・兄ず奉仕するもの、絶えず同人に奉仕していても、その同人が彼に何等の奉仕をもなさなければ、そのものもまた衰退しなければならない。これは自業自得ではなく、他業他得である。かかる社会にあっては、自他共に率い率いられて自滅の淵へと急ぐ。
 これを人生観の上から見ても、人間は二度と生れて来ない。だから、私たちはこの人生を最も有意義に消費しなければならない。財貨を生産する力がなければ、最も多く、また最も能く奉仕しなければならない。人の為に役立ってこそ、人間は生れて来た甲斐がある。人生はここに於て、始めてその意義と価値とを発見する。
「役立たず」では、人間は生れて来た甲斐がない。禽獣ですら、人間に役立つ。殺されて、人間を養う。役立たない人間は、禽獣にも劣る。無報酬でも役立ったと思えば愉快である。愉快に一生を送ると、不愉快に、または無感覚に一生を送るといずれか。おのれのみ富んで、人を貧に堕す人生と、おのれは貧しくても、人を富ます人生といずれか。資本家の生活と労働者の生活といずれかを考えて欲しい、そして我出征兵士の超経済的奉仕を平時の生活に移して欲しい。          (昭和十二年十一月、本号発禁)



最終更新日 2005年05月12日 22時35分07秒

桐生悠々「筆禍に付謹告」

 本誌第四年第二十号及び第二十一号は軍部当局の忌諱に触れ、引続きいずれも発禁、全部発送郵便局にて差押えられ、読者諸君の御手許に配附し得なかったことは残念至極でありますと同時に、事をしてここに至らしめた私の不注意を深謝いたします。依って、取敢えず、右両号に掲載されてあった外国の紹介物だけを再編輯し、ここに第四年二十二号として発行することにいたしました。年末も近づきましたので余裕もありませぬから、年内と申しましては不可能でありますけれど、いずれ永陽を期して、右両号の埋合せをなすべき機会を見出しますから、その折まで、何卒御勘弁を御願いいたします。
 引続きこの再度の発禁は、貧乏世帯の私に取っては、大なる損害であり、大なる苦痛であるのは申すまでもありませんが、我出征兵士が北支の野に於て、上海の町に於て、生命を賭して戦っているのに比しますれば、この損害、この苦痛は物の数にも入りません。戦の庭に立つも立たぬも、御国を思う心にかわりがあってはなりません。文章報国に志ざすものが、これしきの損害や、苦痛に、へこたれてはなりませんと思います。と同時に私たちは、日本人であることを、日本に生れたことを、まだまだの幸福とすら思わねばなりません。これがドイッや、イタリーやロシアの独裁国でありましたならば、どうだろうと思うとき、特にこの感を深ういたします。
 最近W・H・チャンバレンの   を読みますと、日本は全くのファシスト国家ではなく、半ファシスト国家であると言い、これを説明する一例として、言論がまだ徹底的に抑圧されていないことを挙げておりますが、追い追い政府の言うところのもの、行うところのものを、好むと好まざるとにかかわらず、肯定する以外の言論、報道が全然禁止される時期が近づいて来たように思われます。一筋の藁の行方でも流れの方向を示します。この見る影もなき「他山の石」が、しかもこのように続けさまに発禁されたことを見ますれば、思半に過ぎます。普通一般の新聞、雑誌が唯愛国的気分をのみ示して、寸毫も憂国的気分を載せていないのは、自動的か他動的かは知りませんが、この辺の消息を示して余蘊なきものでありましょう。
 それならば、それで安気なものです。一般的に政府発表以外のものは、如何なる事実でも、また政府のそれ以外のものは、如何なる意見でも発表相成らぬと、最初から厳しい御達示があるならば、私たちもその心算で筆を執り、また編輯もいたしましたでしょうけれども、特別に、ちょいちょいと、幾つもの禁止事項を通知されますと、ついそれ以外の事は書いてよいと思い、頓でもない粗麁をいたすのであります。だが、今度からはそんな粗麁はいたしません。文章報国の事業は戦争事項を以て尽されているような狭いものではなく、他にいくらでも、しかもヨリ深い、ヨリ高い意味を持っている事項が、そこらあたりに転がっているからであります。唯それを論ずることが、時節にぴったり合っていない憾みがあるだけです。
 私は機会あるごとに、そう言っていますが、我国進化論の泰斗丘博士は、動物はその進化した武器を以て、みずから滅びると言っています。そして私は追い追いその時期が近づいて来たのではないかとすらも思います。最近ヨーロッパを旅行して帰って来た人の話によりますと、ヨーロッパ列国はスペイン国を利用して、各自の考案に係る新武器の有効性を試験し、既にその試験も終りましたので、今度は細菌と毒瓦斯との試験を行っているそうです。科学の建設的役割を跡廻わしにして、その破壊的役割にのみ狂奔するヨーロッパの運命は、もう既定されているのではないでしょうか。我日本は如何なる犠牲を払っても、そうした連中の仲間入をしたくないものです。然り、皇道儼として存する限り、我にはそうした杞憂なきことに、私たちは絶対的に安心しております。
 最後に申上げておきたいのは、私たちは(ただ)にドイッや、イタリーや、ロシアに生れなかったことを幸福とするのみならず、特に支那に生れなかったことを、ヨリ多く幸福と思うことであります。日本ではこの位の筆禍は寧ろ喜んで受くるのが本懐そのものです。
                              (昭和十二年十二月)



最終更新日 2005年05月13日 23時40分36秒

桐生悠々「次に来るもの」「取らぬ狸の皮算用」

 彼我の間に立って行われたドイツの講和交渉は訳もなく彼のために一蹴された。支那はドイツの申入れに対して返事すらもしなかったらしい。これは寧ろ当然の結果であって、今日のドイツには、支那を動かすだけの迫力がないからである。国際的の常識を以てすれば、何人もその無効果を判断し得たであろうのに、東京及びベルリンはどうしてかかる非常識的な工作に乗り出したのであろうか。今日の場合、日支間の講和交渉を、なし得る力と適当の地位とを有するものは、アメリカより外にはない。イギリスは無論この力を持っているけれども、彼はかくすべく適当の地位に立ってはいない。何ぜなら、彼は陰に陽に支那を助けているからである。言いかえれば、彼は第三者ではなく、寧ろ当事者の一人だからである。だがアメリカと雖も、日本の講和条件がしかく明となった以上、手の着けようなく、或時期までi傍観しなければならないだろう。そしてこの時期は永久に来ないだろう。若しもこの時期が来るならば、講和交渉は日支いずれか一方に対する干渉の形となって現われるだろう。
 今のところ、日本に講和の意志なきことは、言わずとも知れたことである。何ぜなら、我は支那に対して、彼のなし得ない条件を強いているからそれが明だからである。果してその力あるや否やは疑わしいにしても、彼は我要求に応じて彼みずからの力を以て、「抗日」一色を以て塗り潰された看板を下ろし得るだろう。少くとも、これを下ろすことを約し得るだろう。だが、「容共」の看板撤回は彼のなし得ないところのものである。特に南京までが陥落し、文字通りに、進退維谷(これきわ)まっている今日の場合、彼は唯ソ連にたよって長期抵抗というが如き、引かれ者の小唄をうたわねばならないほど無力の地位に堕したのであるから、「排共」の絶対不可能なることはいうまでもなく却って「容共」の程度を越え、今度は「共共」にまで追いこまれねばならないだろう。とするならば、我講和条件は彼に不可能を強いるものであって、始めからできない相談である。
 だから、唯この上は、そして我趣旨を貫徹せんとするならば、そして彼を窮地より救い出し、我と共に、東洋永遠の平和を期待せしめるには、結局我は直接にソ連と戦ってこれを破り、実力を以て支那の領土から、その勢力を駆逐するより外はない。言いかえれば、第二の世界戦争を賭して、これを断行するより外なくなったのである。そして世界は今我の戦いつつある戦は、領土の割譲、賠償金要求の如き、あり触れた、易々たる条件充足を以て終らしめ得ないことを知り、厄介至極のものとなったことを痛感していることだろう。騎虎の勢とはいいながら、支那がみずからを揣らず、強いて抵抗したるがために「現地交渉」「戦局不拡大」の条件で、容易に解決し得たであろうところの問題を、ここまで発展せしむるに至ったのは、今更致方もないことである。そして私たちは、ここに少くとも、支那とソ連とを相手にして戦わねばならない運命に弄ばれていることを痛感すると共に、これに対して大なる決心をなさねばならなくなった。
 次に来るものは、果して、何か。

取らぬ狸の皮算用

 次に来るものがまだ来らず、従って、それが如何なるものであるかが不明であるのに、官民共に北支が既に我有に帰したるが如く、早合点して、しかも醜悪極まる資本主義的暗闘をそこに演ぜしむるに至っては、あさましき事の限りである。委細は私たちが本号に紹介した長野県北佐久郡岩村田発行一月二十五日「吾等が新聞」(第五年第四号所載)の「北支経済開発に絡まる資本主義の暗闘」について一読すべきである。我中産階級以下の国民が血を流して取った北支に於て、これらの犠牲者の利益が寸毫も顧慮されず、唯利潤を目的とする事業のために、我従来の財閥及び一部社会的、経済的な野心家によって蹂躙さるるに至っては、実に捨て置かれない状態といわなければならない。ラスキー教授は「平和の経済的基礎」に於て「戦争が如何に弁護されても、感情が消散すると、如何に巧妙にこれが行われても、それは特権を防禦し、またはこれを拡張するために、国家権力を用いる経済的利益であるという事実を隠蔽しない」(本誌第三年第十号参照)と言っているが、同教授の言をして真理ならしめてはならない。今回の戦争は「聖戦」と称せられ、已むを得ずして戦われたものであると同時に、東洋永遠の平和のために戦われたもの、即ち謂うところの「聖戦」であり、また今後とも、この目的を以て戦われんとしているものである以上、しかもこれがために、一般の国民が超経済的奉仕を敢てして、生命を鴻毛の軽きに比して戦いつつあるものである以上、その結果をして「特権を防禦し、またはこれを拡張するために、国家権力を用いる経済的利益」たらしめてはならない。満鉄、東拓、中興公司等、その他財閥の特権、少くとも既得利益を防禦し、または拡張するが如き結果を招来せしめてはならない。占領地に於けるこれら特権者の非国家的なる利潤争い、または野心争いを見るとき、この地に於て国家のために華と散った英霊及びその遺族は、果して何と思うだろうか。谷寿夫という中将は、「為政者が若し支那に対して弱い事を言ったら、直ぐとたたき落して、自分が代ってやる。そうでなければ、戦地に於て、国家のために華と散った英霊に対して申訳がない」と云う意味のことを言っているそうだが、(「聞人」第百三十六号参照)政治界、経済界、及び一般社会に、第二の谷中将なきことは、実に心細きことである。国民大衆の利害を顧慮せずして、しかもこの国民大衆の血と税とを以て戦われた、そして今なお戦われつつある聖戦に於て、特権者の跋扈を擅にして、またはある特権者を故意に擁護するような「弱いことをしたら、直ぐと叩き落して自分が代ってやる」と啖呵を切るものが、せめては二、三人なりと出て来そうなものだが、私たちは寡聞にしてなおこれを耳にしない。これでは、「聖戦」の結果を疑わずにはいられない。
 資本主義制度のただ中に住んでいながら、こうしたことを要求するのは固より、迂闊千万の誹を免れないが、それでも、満州事変当時、我軍部中には、満州に於て「搾取なき楽土」を建設するなどと、古典的なる言明を敢てしたものすらもあるから、これと比較すれば、私たちのこの希望は、この点に関する限り、なお近代的であり得る。但し資本主義廃止後でなければ、この希望が一空想に過ぎないことはいうまでもない。何ぜなら、資本主義を一部矯正せんとした半統制的なる満州国では、開発的資本の窮乏に苦しみ、終に結城日銀総裁をしてだに、同国に於ける外資の輸入をすら歓迎せしむるに至ったからである。少くとも「統制を排して、資本の進出をはかり、資本の利潤を自由にするの必要」を明言せしむるに至ったからである。北支の開発に関しても、またこれがいわれ得るのである。従って参謀本部内などで考案されつつある、北支の事業を三つに分ち、直営、統制及び自由とするが如き計画も、全体としての資本主義が廃止されない以上、これまた一の空想に終るか、または途中故障を生じて、この区別を乱すに至るだろう。現にこの区別が乱されつつあるではないか。
 要するに、資本主義は何処までも資本主義であって、如何に巧に統制されても、そこに隠蔽され得ない襤褸を出すのは知れたことである。ここに於てか、ラスキー教授の言が真理とならざるを得ない。政府当局者はこの点について、再検討も、三検討もすべきである。
 自由主義、民主主義が共産主義の温床であるというのは、コミンタルンの世迷言に過ぎない。この世迷言を信じて、自由主義、民主主義を抑圧するものの気が知れない。何ぜなら自由主義、民主主義は共産主義と恐らくぼ絶対に相容れないものだからである。少くとも、現在のソ連に於ける、ボルシェビズム即ちその独裁主義とは、絶対に相容れないものである。自由を欲するもの、個人の人格を尊重するものが、どうして独裁主義の下に屈服しようか。自由主義と民主主義とは従兄弟同士であるが、これと共産主義とは外国人同士である。温床であるどころか、絶対に相排外する。だが、資本主義こそは独裁主義に関する限り、結局共産主義の温床たらざるを得ないだろう。何ぜなら、二者共に自由と人格とを捨て、或勢力あるものに阿附して、その下に安全に生活すべく余儀なくされる点に於て、同一だからである。だから、資本主義と民主主義とは、常にこれらの闘争外にあって厳密にこれを批判する地位にある。但しここに謂うところの自由主義は   ではなくて    である、ことを知らねばならない。
 但し、自由主義、民主主義も余りに抑圧されると変態心理的となり、或は共産主義となり得る。だが、それでも、その害はなお軽微である。何ぜなら、彼等は何時かは冷静に帰って、その独特なる批判を通して、みずからの誤れる心理と態度とを是正するからである。だが、無智なる大衆主義に至っては、一度百八十度に回転するときは、復旧すること至難であり、非合理的なることを敢てして顧みない。資本主義が一朝にして転覆するときは、ロシアに於けるが如き革命を見る。資本主義がピラミッドを倒したように発達すると、そこに百八十度の転回が起り、動もすればその対蹠たる共産主義となる。為政者の再考、三思して警戒を要するところのものである。
 少くとも、戦争はまだ終らず、却ってこれからともいうべき時に、北支に於て、しかく取らぬ狸の皮算用に同胞相食むのは実にみっともない画である。
                            (以上、昭和十三年二月)



最終更新日 2005年05月14日 18時46分30秒

桐生悠々「国家総動員法の通過」

 あれほどまで広範囲に亘る委任立法を政府に与える、従って帝国憲法としては、大権干犯の疑極めて濃厚なるというよりも、寧ろ余りにも明白なる国家総動員法も、一は議会の解散を恐れる職業的議員の恐怖的心理と、一はこれを敢てして、支那及びこれを後援しつつある欧米諸国に内兜を見透かされる虞あるがため、いろいろの難癖をつけられながらも、終に両院を通過した。言いかえればいうところの挙国一致、即ち国民精神総動員が、これによって如実に、そして最も明に中外に向って闡明された。支那事変に対して最大なる責任を有するもの、即ち為政者に取っては、これよりめでたいことはないであろう。と同時に、私たちは一方、理論的にはこれを排しながらも、他方、実際では、その運用如何によって、我従来の資本主義に幾分かの修正を加えられるであろうことを期待して、不随意的ながらも、これを歓迎するものであるが、最終に、これほどまでに広範囲に亘る委任立法権の運用を以てしても、我国が果して今後の長期戦争に堪え得るや否やを疑わざるを得ない。
 何ぜなら、我朝野の信ずるところ「長期戦争」は、長くて「ここ二、三年」、甚しきに至っては「今年一ぱい」の戦争とのみ心得ているが如く思われるからである。
 この場合、我朝野がこれこそ挙国一致的に覚悟しなければならないことは、戦争は今後百年に亘って継続するということである。支那一国を相手として戦っても、これ位の年月を必要とするべく余儀なくされる。何ぜなら、今国家意識に目覚め来った支那は、たとい蒋介石を失っても、これに代わる為政者は、一時の勝敗を眼中に措かず、今後百年に亘って、いずれが東洋の主人となるべきかにつき、暢気にも考、兄出すだろうからである。況や、欧米諸国が、太平洋に於ける権力均衡のため陰に陽に、物質的、精神的にこれを支持しているに於てをや。だから、ここ二、三年にして、彼は形勢を挽回して、積極的に攻勢を取り来る可能性があるかも知れない。単に逸を以て労を待つ政策によっても、我はこれがために不利益を受くる虞あることを覚悟しなければならない。単に軍事上の労費のみならず、占領地に於ける我行政上の労費の今後如何に多かるべきかに想到すれば、何人と雖も、少くとも一種の不安を感ぜずにはいられないだろう。そしてこれがために、不幸にも、若しも我にして疲労するが如きことこれあらば、戦勝の効果は動もすれば保障されないだろう。
 特にこの場合、最も薄気味悪く感ぜられるのは、その後、ソ連の消息が杳として聞こえないことである。スターリンの政権にヒビの入った事件以外彼が我に対して如何に考えてい、また如何に備えているかは、ポーランドあたりから、時々揣摩的の報道があるだけで、その真相を明にすることを得ない。目下支那を助けて、間接的に我を攻撃しつつある彼が、機乗ずべしと思惟する時、或は直接的に我を攻撃し来るかも知れない。我は恐らくはこれに備えて、万遺憾なきことを期しているだろうけれども、不幸にして、若しこの時が到来すれば、今回議会を通過した我国家総動員法は、ここにこの機能を尽して活動するであろうけれども、物資及び軍需品の如き、殆ど全く自給的にして足る彼と、長期の戦争を事とするのは、我々に取って実に不利益なることを思わねばならない。
 だが、我に取って、物怪の幸ともいうべきは、ドイッ国防軍のウイン進軍を契機として、全体としてヨーロッパが混乱状態に、少くとも不安状態におかれたことである。従って、彼等は自国の再軍備に忙殺され、対支軍需品の輸出が必至的に減退し、支那をして長期抵抗の余地なからしめんとしていることである。特に、イギリスがこのために東亜問題に考慮を払うの余裕なきに至ったことは支那に取っては最大なる痛手であるに反して、我に取っては、寧ろ歓迎すべき福音である。
 と同時に、ソ連も「また」というよりも、寧ろ「特」にドイッのために脅かされているから、ここしばらくは、我に対して直接的の攻撃を試み得ないだろうと考えられる。とするならば、国家総動員法はよし制定されても、これまたここしばらくは発動の機会を見出し得ないだろう。                    (昭和十三年四月)



最終更新日 2005年05月15日 18時20分44秒

桐生悠々「西尾氏の除名」

「無理が通れば道理引込む」。単に日本のみならず、世界を挙げて、今ファッショ的なる暴力横行の時代に、西尾(末広)氏が揚足を取られて、我衆議院から除名されたのは、決して驚くに足らず、寧ろ必至的の結果であるが、さりとは余りに子供らしく、私たちは唯噴飯を禁じ得ないものである。勢に乗じて物を言うとき、誰しも言い過ぎのあるのは、寧ろ自然である。特に最大限なる言論の自由が許されている議会に於ては、かかる言い過ぎは従来の例に徴しても、寛大に取扱われ、これを取り消して事なきを得たにもかかわらず、今回の西尾氏の言い過ぎばかりが許されずして、極刑が課されたのは、この場合、人々が推測しつつあるが如く既成政党が社大党に対して含むところある、偏狭にして自我的な感情に基くのであって、理論によっては到底正化され得ないのである。
 だから、この事件を批評するに理論を以てするのは、迂愚の極であると同時に、すべて世間一般の批判が常にこうした子供らしく、また中学生染みたものであることに、私たちはまた常に驚かされつつある。記者は過去に於ける、また最近に於ける彼の筆禍事件に対しても、またこの子供らしく、また中学生染みた当局の判断ないし評価に驚かされざるを得なかった。かかる場合にこそ、彼等のいうところの全体主義によって、言論を評価したならばかかる間違のあろうはずはないけれども、部分に囚われ、また形式になずんで、物を評価すれば、美中に醜を、正中に邪を発見し、毛を吹いて疵を求むるの愚に堕する。全体として小野の小町を見てこそ、彼女は美人であるけれども、彼女が厠に立ってする小便の音を聞けば、或は百年の恋をさまさすものもあるだろう。特に彼女と寵を争うものが、何処かに彼女の醜を発見して、これを暴露するに何の不思議があろう。
 スターリンの名を挙げて国体に反するならば、ヒトラー、ムッソリニーの名を挙げても、同じく国体に反せずや。ファシズムは全体として、然り全体として、我国体に反しているからである。欽定憲法が儼として存する限り、如何なる形式の独裁政治も、我国体に反せずや。ヒトラー、ムッソリニー、及びスターリンと並称され、少くとも、これに譬えられた近衛首相は恐らく冷汗をかいたであろう。少くとも、足こそぼゆく感じたであろう。この場合、文句をいうべきは近衛首相である。彼はこれについて何とも言わなかったのに、既成政党がこれに代って文句を言った。奇異なる現象であった。
                               (昭和十三年四月)



最終更新日 2005年05月17日 02時26分34秒

桐生悠々「選挙法の改正」

 かくもあまたの法案が殆ど無修正に、しかも国家総動員法や、電力国営法の如き、大権干犯または憲法違反の疑十二分なる法案が、これまた殆ど無修正に議会を通過したのは、一に時局の重圧的作用によるのであって、現内閣の有力性を示唆しているものでないことは、特にこれをここに銘記しておかねばならない。何ぜなら、日支事変というが如き、最大なる時局の重圧がなかったならばかかる法案は明に提出されもせず、提出されても、一挙にして否決されたろうことは明だからである。従って、これらの功績を以て、一に現内閣独自の力によるものと速断して、頓でもない誇大妄想をいだかれては、国家の前途寒心に堪えない。だが、現内閣はこの時局の重圧を利用して、他に幾多解決すべき重要なる大問題を課せられている。その一は選挙法の改正である。
 現内閣の選挙法改正が、大選挙区比例代表制にあるらしいことは、過日西下の末次
(信正)内相が往訪の記者に示唆したところである。私たちの宿論と合致するものであ
って、これにして実施さるるならば今日の低下しつつある議会は、これによって「幾分かは」向上し得るだろうことを疑わない。従来の政党内閣を以てしては、政党自身の利害関係から、この種の選挙法改正は到底望むこと能わず、寧ろ政党を排斥しつつある現内閣にして、初めてこれを望み得るのであるから、私たちは現内閣特に末次内相の自重自愛と共に、その一大奮闘を祈らずにはいられない。
 だが、これは明に選挙の技術論であって、その内容論または実質論ではない。選挙法が如何に技術的に修正されても、選挙に対する一般国民の観念にして、従来通り無責任であるならば、大選挙区比例代表制は、彼等をして却って益無責任ならしめ、議会の素質はここに益低下するだろう。と同時に、議会に対する従来の政府の態度をも、根本的にこれを修正せざる限り、国民は責任を以て議員を選出しないだろう。何ぜなら、議会は憲法上政府と同位的または並立的な機関であって、政府のいうがままになり、政府の提出した予算案及び法律案を鵜呑にするものではなく、寧ろこれを監督して、被治者の安寧幸福を擁護しなければならないもの、少くとも、被治者のそれを代表するものだからである。国民は無論の事、政府もこの点に目ざめない限り、選挙の技術が如何に発達しても、議会は永久に向上しない。
 帝国独自の憲法論を力説しつつある現内閣であるから、私たちは特にこれをいうのだ。何ぜなら彼等は帝国独自の憲法論を振り廻わして、議会を行政府の従属機関たらしめんとしている疑があるからである。彼等の一国一党論が即ちこれを示唆している。反対党なき議会の存在はゼロである。議会が非常時のみに必要であって、常時には用なきものであるならば、一国一党制も或は正化し得られるだろう。だが、議会は寧ろ非常時には用なきものであって、常時に最もその機能を発揮するものでなくてはならない。だから、議会を論ずるには、常時を以て、その標準としなければならない。然るに、現内閣は非常時を以て常時を律し常時に於て最も必要なる議会をして、非常時だけのものたらしめんとしている。根本的の錯誤ではないだろうか。
 一国一党であるならば、非常時に際して、挙国一致を叫ぶの必要なく、国民精神の総動員を叫ぶの必要もない。一国二党または数党であればこそ、非常時にはかかるモットーや、キャッチゥワードや、スローガンを叫んで、国民をして戮力国難に赴かしむる必要があるのだ。
 言うまでもなく、人間は物ではない。従って物のように規格は統】されない。共同生活団を営むにさいしても、彼等はその利害関係から数派少くとも二派に分れる。従って、その間に相剋摩擦を見るのは自然の状態である。この相剋摩擦を除去し、少くともこれを緩和するのが政治の技術であり、政治家の手腕である。政治家の技術を学ぽず、政治家の手腕を養成せずして、安価なる一国一党に隠れて、自家の無能を掩わんとするものに対しては少くとも記者一個人は共鳴し能わない。
 人生二人以上存在する処と時とには、必ず相剋摩擦がある。だが、ロビンソンクラソーの孤島には、そうした悲劇はない。帝国をして一孤島たらしめんとすれば止む、九千万のおのがじし異った貌を有している人間の群を、一国一党で固めようとするのは無理だ。たとい一時は固め得ても、暫時にして緩み去るのは、見て来たようなものである。ソ連のボルシェヴィズム、イタリーのファシズム、ドイッのナチズムを羨まざれ。これは一時の流行に過ぎない。個人の生命は短いが、国家の生命は長い。
 歴史は進む、世界の政治は何時までも、独裁政治下に低徊はしない。
                               (昭和十三年五月)



最終更新日 2005年05月17日 11時47分54秒

桐生悠々「国民の立憲的訓練」

 記者は事あるごとに、国民の立憲的訓練とこれに伴う「学校立憲国」制を叫ぶ。この場合に於てもまたこれを叫ばずにはいられない。
 我憲政は、議会は、政党は、選挙は何が故にかくも下落したか。曰く、全体としての国民がなっていないからである。全体としての国民が立憲的思想に目ざめないからである。今なお封建時代の奴隷道徳に坐礁して、自主道徳の彼岸に進航しないからである。たとい、この思想に目ざめ、この彼岸に進航しようとしても、この思想を実行し、この船を離礁せしむるの技術を知らないからである。彼等は、明治大帝の有難き御思召によって、政治に参与するの権を与えられた。彼等は固よりこれを知る。だが、如何にしてこれを行使すべきかを知らない。知らないのも道理、学校は其理論を教えても、如何にしてこれを実践すべきかを教えない。たといこれを教えても、これに訓練せしめない。かくして漫然として、これに投票を強う。間違わなければ、奇蹟である。
 彼等は誰のためにまた何のために投票しているのか。これだに分っていれば、今日の我憲政は、議会は、政党は、選挙はかくも下落しなかったろう。だが今日の我成人に対して、これを分らしめることは不可能でなければ、至難である。何ぜなら、彼等は既にかくまでに下落せる制度の環境に馴れ、自己みずからが下落していることに気が注がないからである。彼等の糸はもう非立憲色、非自治色、無責任色で染められている。たとい洗っても漂白しても、もとの純白色にはならない。だから、成人講座などは、何の役にも立たない。
 要するに、立憲的訓練に関する限り、成人は到底ダメだ。先ず児童から教え込まなければならない。教え込むとは、単に教えるだけではなくて、訓練するの謂である。だが、今日の小学校では、立憲的思想、自治的思想は寸毫も教えられていない。況や教え込まれることをや。これらの児童が成人となって、投票権を行使する結果の恐るべきことは、自明の理である。
 如何なる知識も、フレーベルの原理に従い「行うことによって学」ばなければ、これを体得し得ないことは論を待たない。先ず学校に立憲国制、または自治制を布き、児童をして平生、選挙に訓練せしむべきである。彼等が如何に純潔に、責任的に、完全にこれを行うかは、ウィルソン・ギル氏の実験によって、既に証明されている。言いかえれぽ、「知行一致」これでなければ、知も知ではない。
 だが、世の中にはこの「知行一致」「行うことによって学ぶこと」を虎のように恐れる手合がいる。この手合は官僚であり、支配者である。彼等は学校立憲国の創造を以て、彼等にたてつく不逞の徒を養成するものとして、蛇蝎の如く嫌っている。これを是認しながらも、これを実行せしめない。(あに)測らんや、児童は純潔雪の如く、玲瑯(れいろう)玉の如く、才能は才能として、これを認むるに躊躇しない。成人は人の出世を見、人の異才を見ると或はこれを妬み、更に進んでこれにケチをつけ、あわよくばこれを引ずり落そうとさえもするが、児童にはそうした不純な気分がない。支配者たる資格あるものは立派にこれを認めて、その統制に服することを好む。安心しても差支なきにかかわらず謂うところの官僚は、支配者でもないのに支配者を気取って、これがために支配者視されずして、却って反抗される可能性を恐れ、児童の社会的教育、政治的教育を有害なりとして排している。政府自身もまたこの恐怖心をいだいて、一般の官僚と共鳴し、次代国民をしてなるべく社会から、政治から遠ざけしめようとしている。
 かくして憲政の、議会の、政党の、選挙の下落もないものだ。我憲政に対する根本的の錯誤はここにある。                   (昭和十三年五月)



最終更新日 2005年05月19日 00時26分17秒

桐生悠々「雑音・騒音」

 徐州陥落は南京のそれと異り、却って株を下落せしめた。
それが既定の事実であったと同時に、涯なき戦争が予想されるからだそうな。この点だけは国民の憂慮乏一致する。だが、日支事変の戦争も、ここらあたりが峠だろう。それよりも恐ろしいのは、一切…… の方面に亘る今後の政府統制だ。この予想の下に株が下落したのも、国民の正常的判断。
(昭和十三年五月)



最終更新日 2005年05月20日 00時19分39秒

桐生悠々「軍部の経済統制」

 田中内閣時代にはシベリア出兵のために、浜口内閣時代にはワシントン会議のために、権威を失墜した軍部は、満州事変に至って、その権威を回復したるのみならず、進んで外交を統制し、我外務省は既定事実を承認するより外なかったように見えた。その後五・一五事件、二・二六事件を経て、今回の日支事変を見るに至って、軍部は更に進んで、経済を統制すべく直進しつつあるように見える。鵺的であり、水陸両棲的のものであるとはいえ、電力国営案等は、その一端を示唆しているものであり、軍部によってかくも支持されたことを見れば、その間の消息は優にこれを察し得るのみならず、その重要部分が経済的統制である国家総動員法が、議会に於て、議員の攻撃的質問に応じて答弁し得なかったことほど、他の閣僚にはイソディフェレントであった点から見ても、この法案のイニシアチーフが軍部にあったことを推察するに足る。言いかえれば、軍部の経済統制が、これを通して正に開始されたと見て差支はない。
 私たちは、これに賛成するものである。何ぜなら、曾て軍部の公表したパンフレットを通して、彼等の政策を窺うと、その政策は、意見は謂うところの国家社会主義と略同一のものだからである。その動機の那辺に存するかは、今しばらくこれを問わずして、その方法は純然たる社会主義的なものである。現状維持派が如何に社会主義を蛇蝎の如く嫌っていても、事実は好むと好まざるとにかかわらず、社会主義の方面へと引きずられつつあるのが、目下世界の大勢である。唯現在の状態を以てしては、今遽に、これに移り能わないがために、既往の資本主義は変装してファシズムとなり、社会主義的なる経済計画及び社会計画によって、今僅にその生命を保っているだけである。これファシズムが資本主義最後の喘と称せられつつある所以である。軍部の如き、平生無産階級の子弟に接触する機会の多き群が、国家社会主義に類する政策を主張するのは、寧ろ当然の結果であり、かくてこそ軍部は一部世人の批評しつつあるが如き頑冥ではなく、少くとも硬化した団体ではなくて、進み行く時世の進歩に適応し得る屈伸性を有しているのである。国家総動員法は、この戦時に便乗してこれを実行せんとする軍部の意向を示唆しているものではないだろうか。
 この角度から見て、私たちは前号に於て、聊か皮肉には聞えるけれども、軍人にして、内務大臣や、文部大臣や、外務大臣が立派に勤まるならば大蔵大臣、商工大臣だとて、軍人で勤まらない訳はないと言ったのである。池田成彬氏の如き資本主義の代弁者が、大蔵大臣兼商工大臣である限りまたこの大臣になったとて、社会主義など実行されるはずはない。経済統制さえ、真の意味、公平なる意味に於て、実行されるはずはない。資本家は或はこれを見て満足するだろうけれども、一般の国民は却って不安を感ずるだけである。況や、国家社会主義の如きものを行うことをや。
 戦争と帝国主義とは、共に資本主義の子であるから、軍部と資本主義とは裏面に於て、直接の関係を持っているけれども、表面に於ては、外国人のように見えるから、現に我軍部はこれを外国人と見ているから、国家社会主義を行うべく、我軍部は大なる決心を為し得る。特に今日の我資本主義体制下にあっては、大なる権力を背景としなければこれを行い得ないが、幸にして今軍部は最大の権力を揮いつつあるから、その役割には持って来いである。
 但し、この結果の楽観すべきか、悲観すべきかは別問題である。だが、軍部にしてこれを行う結果、戦争が不可能となるならば、これ怪我の一功名、間違ったとしても、国家の幸福、少くとも生産者、及び消費大衆の幸福であるだろう。
「だが、ファシズムから起る社会主義は、古典的な社会主義とは根本的に異る。ファシスト社会主義は、工場が企業家の私人的企業であるが如く元来が首将の(富豪の)私人的企業であった軍事会社の社会化を、生産の社会化と同様であると想像する。古典的社会主義はその根源と目的とに於て、全然人道主義的であり、仕事の生きつつある共同生活体内に於ける生きつつある人格の自我疎隔後に来るべき、自己実現を予想する」。(本号所載、エドワード・ハイネマソ氏の所説「経済計画の型態と将成態」参照)我軍部にして、このさい進んで、軍事工業会社以外の産業をも社会化させなければ、彼等の社会主義はファシスト的であって、国家的ではない。と同時に、生産を社会化するよりも、消費を社会化することが、一層重要であることを忘れてはならない。時戦争最中であり、軍部にはそうした余暇はないだろうが、戦後彼等がこの経済統制に乗り出すだろうことを思うと、私たちの胸は躍る。             (昭和十三年六月、本号差押)



最終更新日 2005年05月20日 11時07分05秒

桐生悠々「買い被られた日本」

 英米及びその他の西洋諸国は、我を以て侵略者だと称している。だが、日本に果して侵略者の資格あるや否や、この点に想到すると有難迷惑である。少くとも、買い被られているので、擽ったさを感じないではいられない。
 彼等の謂うところ我傀儡国たる満州国一国を以てしても、日本はその負担に堪えない。これがために、これまでに投じて来た費用、また将来、これに投じたであろうところの費用は、果して幾年後に報償されるだろうか、或は永久に報償されないのではないかなどを想うとき、なおこの上に、北支を加え、更に中支をも加えて、政治的、経済的に、これを保存し、経営することは、政治的にも、経済的にも全然不可能である。日本は東洋永遠の平和を期待するために、支那の領土に侵入すべく余儀なくされたけれども、これを侵略しようなど、大した考、無謀なる考は寸毫も持っていない。日本が最初から一寸の土地をも要求していないことを宣言しているのは、これがためである。支那は固よりの事、西洋諸国は安心して然るべきである。
 皇軍が今日までに占領した支那の地域、しかもこの広大なる領土を、このままに占領していることすらも、到底不可能なことである。いずれはそこに新政権の確立される時機を待って、軍隊を引上げるだろうが、この新政権確立に伴う我責任に至っては、政治的にも、経済的にも、或は永久にこれを回避することを得ないだろう。すべてこれらのために投じなければならない今後の労費が、到底日本の堪え能わないほどに莫大なものであることは、殆ど自明の理である。西洋諸国、特に支那は安心して然るべきであると同時に、頓でもない誇大妄想に耽けるものが、若しも、我日本に存するならば、危険至極といわねばならない。
 大陸経営! 何とその名の壮んなることよ。だが、現在の我日本に果して独自的に、これを遂行し得る資格、物的、人的に、果してこれを遂行し得る資格ありや否やに想到するとき、私たちは忽然として南柯の一夢から覚め来らねばならない。
 帝国主義ーそれはもう、百年も前のことである。今更日本が、この舞台に上って活
躍されそうにもない。結果は明である。日支の提携-親善を越える提携1これでなくては、東洋永遠の平和が望まれ得ないと同時に、日本自身の幸福をも夢みることができない。長期戦争の覚悟はこのさい絶対的の必要であることは論を待たないが、退いて和平を講ずるの策も、またこれに次ぐ絶対的の必要である。
 戦争の時期はもう去りつつある。代って舞台に上るべきもの、上らねばならないものは、我外交である。この点に想到するとき、宇垣外相を以てしても、これに望みを嘱せられない。                     (昭和十三年六月、本号差押)



最終更新日 2005年05月21日 20時59分38秒

桐生悠々「日支事変一周年」

 日支事変はここに兎も角も、一周年を迎えた。曾て本誌に於て紹介したグレゴリー・ビーンストック(本誌第四年第十一号及び第十三号)は日米及び日露戦争を予想して、戦争第一年には、日本はいずれの戦争に於いても、海陸共に一大進出をなすであろうが、第二年からは、経済戦のため、その出鼻を挫かれるであろうことを結論した。私たちは、今この機会に於て、彼の結論をここに再録して、みずから誠めねばならないことを痛感する。
 彼は日露戦争に対して、
「経済界に於けるロシアの優越性は、極東に於ける地理的及び戦略的の地位によって相殺される。そして戦争が長期に亘って戦われるならば日露共に力は略同一であると仮定され得る。有利なる戦略的地位の結果として、戦争の初期に於ける日本の勝利は、戦争が続くならば、ロシアの経済的優越性のために終局するだろう。だから、何れの国も、孤立的なる戦争では、決定的の勝利を望むことはできない。情勢かくの如きが故に、戦略家は政治家に平和を勧告しなければならない」
と結論し、日米戦争に対しては、
「西太平洋の戦争は、それが純粋なる大陸戦たると純粋なる海戦たると、またこの二つのコムビたるとを問わず、数ヶ月で終るものではなくて、数年を継続することを知るに足るのである。勝利は交戦国の極端なる経済的及び社会的努力によってのみ得られる。その進行中、直接これに参加した両国の全経済的及び社会的機構に、大なる変化を見るだろう。これがために、それはそれみずからに拒まれるだろう。東亜に於ける戦争は孤立した両国の戦争であり得ないことから全く離れて見ても、かかる戦争は日本に於て、米国に於てすらも革命を見、露国に於ては反革命を見るだろう。今日、日本、米国及び露国に於て権力を維持する階級は、能くその危険を知っている」と結論し、いずれの場合に於ても、将成的なる交戦国は容易にこれを戦わないだろうことを予想している。
 ビーンストックは日支戦争を予想しなかった。だが、この戦争は、彼が日露、日米戦争に於て予想したると同一の過程を辿り、皇軍はその第一年に於て、長大足の進出を示し得たと共に、啻に北支を平定したるのみならず、中支に於ては、早くも南京を攻略し、更に進んで徐州の殲滅戦を断行し、今や長駆漢口を攻略せんとしつつある。壮なりといわねばならない。だが、これと同時に、物資の、特に軍需品の欠乏を感じて来た。今政府の取りつつある、また取らんとしつつある一切の政策が如実にこれを示している。壮なりと雖も、この点、実に危しといわねばならない。
 特に「東亜に於ける戦争は孤立した両国の戦争であり得ない」から、現に日支戦争は日独伊の防共ブロックと英仏の民主主義ブロック及びソ連との対立となり、前途実に測り知るべからざるものがある。場合によっては、蘆溝橋の砲声がサラエオと同一の著聞性、重大性を帯び来るかも知れない。戦争の見透しをつけ能わないものは、啻に日支両国のみならず、世界は挙げてーアメリカを含めてーこれがために悩まされつつある。戦局の発展と共に、支那に於ける欧米諸国の錯綜した利害関係から、また威信問題から、特に権力平衡の重要性から、好むと好まざるとにかかわらず、彼等が挙げてこれに捲き込まれるかも知れない。二重に危しといわねばならない。
 すべてこれらの予想を一杞憂に過ぎずとなし、日支事変が日支単独の交渉によって決定され、終局され得るとしても、北支及び中支の処分如何に関しては、日本が決定的の責任を有するを以て、その経営、少くとも、その跡始末、善後策等に関しては、多大の労費を要求されることは論を待たないが、日本単独の国力を以て、果してこれを処理し得るかに想到するとき、実に前途遼遠の感あり、上下を挙げて大なる物質的及び精神的の覚悟と準備と、進んでは更に大なる犠牲を要する。       (昭和十三年七月)



最終更新日 2005年05月21日 23時33分10秒

桐生悠々「天祐に馴れ過ぎた日本」

 我日本ほど数々の天祐に恵まれた国は、世界にない。就中、日本は地理学的に最もこれに恵まれている。私たちは戦争を見るごとに、ーそれが東洋に戦われると、西洋に戦われるとを問わず1彼は東洋の一隅に、しかも日本海、太平洋という海洋を隔てて世界から孤立していたために、世界の治乱興敗から独立して、兎にも角にも、今日までやがて、来るべき紀元二千六百年を見るに至るまで、他国の侵略を免れ、世界的の太平を夢みて来た。若しも日本にして、アジア大陸、特にヨーロッパ大陸の間に介在していたならば、如何なる治乱興敗を見たであろうか。これを思うとき、私たちは事ごとに手に汗を握る。
 日清及び日露の両戦争も、国内に於て戦われたのではなくて、いずれも外国領土に於て戦われたのであった。世界戦争に参加したときも、またそうであった。若しもこれが国内で戦われたならば私たちはどれだけ悲惨なる経験を嘗めるべく余儀なくされたであろうか。
 日支事変の一周年を迎うるに際して、私たちは特にこれを思って、この天祐に感謝せざるを得ない。支那の国防が充実せざるに先だって、この事変の起ったのは、実際一の大なる天祐である。しかも、この戦争は日清、日露両戦争の如く、国内に戦われずして、国外に戦われている。若しも主客顛倒して、これが国内で行われていたならば、私たちは今日まで果して日本を維持し得たであろうか。特にソ連が国内を粛清するに暇なく、眼を他に転ずるの余裕なき時に於て、これを見たのは何というありがたい天祐であろうか。
 かくして、私たちは戦争があれば、必ずこれに勝つものと考えている。その結果として、私たちは寧ろ戦争を奨励すらもしている。余りに天祐に馴れ過ぎたため、戦争は避くべきものではなくて、寧ろ進んでこれを取るべきものだとすらも思っている。
 近代的の戦争は昔の戦争と違って、兵力のみの戦ではない。兵隊のみが強く、武器のみが整っていても、これを後援する国力が充実していなければ、戦われ得ない。たとい戦っても持久し得ない。論より証拠として、今日支事変に於て、皇軍は連戦連勝、嚮うところ敵なきにかかわらず、僅に一年を経たる今日、一切の方面に於て、国民精神を総動員し、物心両方面に於て、惨澹たる統制に重ぬるに、更に猛烈なる統制を以てしなければ、戦争を持続し能わざるに至った。この点を予想していたればこそ、支那はかくまでに敗北しているにかかわらず、なお長期抵抗を叫び、これを支援する諸国もなおこれを支援しつつあるのだ。これを思うとき、国民は政府の要求を待つまでもなく、みずから進んで、謂うところの国民精神を総動員しなければならないが、この戦争もまた国外に戦われているので、国民の精神は不幸にしてなお緊張していない。これ私たちが、大阪市の上空に、敵の飛行機の表われることをすら、寧ろ歓迎した所以である。
 否、支那の飛行機は恐らくぼ我上空に現われないだろうが、場合によっては、ソ連の飛行機が東京を空襲する可能性がある。彼我国際関係の危機が一触即発の状態にあるこのさい、これは断じて杞憂ではない。日支事変がこのまま無解決に経過して来春ともなり、日本が経済的に抵抗する力を失ったと見たとき、彼は突如としてイニシアチーフを取るかも知れない。これを思うとき、国民も、国家も、今日の如く安価なる楽観に耽ってはいられない。
 日本は余りに地理学的の天祐に馴れ過ぎている。国民が、これに馴れ過ぎているのみならず、政府当局も、また、これに馴れ過ぎている。私たちはここに日支事変の一周年を迎うるに際して、彼等の一大猛省を促さざるを得ない。何ぜなら、飛行機に関する限り、日本は今や世界から孤立してはいない。日本海は一の堀に過ぎず、太平洋もまた一の河に過ぎないからである。これに加うるに、日本は地理学的には、たとい天祐に恵まれているにしても、経済的に、資源的に、天祐に見はなされていることを思うとき、この危機を救うものはこの場合戦争にあらずして、寧ろ外交の力であらねばならない。外交の一元化! 何を主とする一元化となるであろうか。私たちはこれに大なる疑問を持つ。                               (昭和十三年七月)



最終更新日 2005年05月22日 18時04分49秒

桐生悠々「あさましい国家とこれに巣くう人間」

 記者は百姓に生れなかったことを、せめてもの幸福と思う。賤役を厭うからではない。何ぜなら彼はここ十年間、百姓のまね事をして、鍬をいじくり、これによって健康を保持しているからである。彼が百姓に生れなかったのを、せめてもの幸福とするのは、文字通り粒々辛苦の結果を、彼等みずからが消費せずして、他人に、都市人に消費せしめていること、しかもその収穫の、生産物の優良なるものを市場に売って、その劣悪なるもののみを自家の食用として生産していることを、つまらないからと思うためである。
 記者はこの意味に於て、おのずからまた、ドイツに生れないで、日本に生れたことを、せめてもの幸福と思うものである。何ぜなら、ドイツ人は今このつまらない百姓と同様の生活を営むべく余儀なくされているからである。為替の平衡とやらを維持するために、どしどし生産してはいるけれども、その生産物を自国内で消費せずして、他国人に、彼等が敵国としている国の人民にすら消費せしめているからである。しかも、そのうちの良いものは悉くこれを輸出して、悪いものだけを彼等自身に消費して、決して不平を言ってはならないと誠められているからである。
 自分の作った物を、しかもそのうちの良い物を消費せずして、これを他人に与え、悪い物のみを自身に消費する生活、それは断じて生き甲斐ある生活ではない。つまらない、憐なる生活である。生活の意義と価値とは、断じてこうしたつまらない、憐な生活中には見出されない。
 漫に次代のためというなかれ。百姓はかくても、年々負債を増すばかりで、田地田畑を売り払うべく余儀なくされ、次代は農村に生活することが不可能となって、都会の労働者となり、またドイツはかくてもなお、近代的なるナショナリチーが各所に割拠して、経済的国家主義とやらいうものが、時を得顔に流行している今日では、そして一切の人類が相互依存して生活すべき崇高なる国際主義の発展を見ない限り、次代は依然として貧窮なる自国の資源によって生活しなければならないだろう。オーストリアの併合は政治的には或意味を持っているだろうが、ドイツ国民の経済的生活に取っては、何等の意義もない。次代国民が優良なる生産物を消費し得るという見透しはつかない。依然として百姓と同様な、つまらない、憐な生活を持続せねばならないだろう。
 程度こそ相違はあれ、百姓同様の生活を営んでいるものは、ドイツ国民ばかりではない。近代的の国家は、その殆どすべてが好んで、このつまらない、憐な生活を営みつつある。自国の産業を保護するため、又は外国貿易のバランスを維持するため、或は関税の障壁を高くし、或は輸出入の割当を条約して、これがために、或は自国民の需要を制限し、或は高くこれを買い、或は、これなくしてすますというが如き愚さを演じている。そして自国の産業ばかりを発達させて、他国のを発達させまいとしている。その結果は自給自足的となり、更に進んでは、経済的帝国主義となっている。そしてその次の結果は、自給不足的となり、国際戦争を挑発している。
 経済とは有無相通ずる意味のものであると心得て然るべきに、彼等は無は無で我慢し、貧弱にして悪質なる代用品を以て、これを償い、国民生活の貧弱化を強化して、これを愛国的なりといい、或は有は有で押し通して、その剰余を焼き捨て、いうところ「夥多裡の貧乏」に苦んでいる。国際的なる産業の分化により、各自にその需要品を交換し、国民生活の富化を計ってこそ、そこに理想的なる政治の発展があり、一般的なる人類の幸福もこれによって増進されるのであるが、彼等は民族的なる狭いトーチカ内に立て籠って、国際的利益に対して機関銃を、或は大砲を放っている。そしてみずから困窮の状態に陥りつつあることを知らない。人間と動物との差異は程度の差異であるというが、こうなっては、人間は動物にも劣る。何ぜなら、動物中には、有は有、無は無で押し通すことなく、有無相通じて豊富なる生活を営む社会的、国際的なるものもあるからである。
 己を高くするというよりも、己を低うし、己を狭くして、自殻内に閉じこもることを愛国といい民族的精神とする近代的国家ほど、愚にして、憐むべきものはない。
                           (昭和十三年八月、本号発禁)



最終更新日 2005年05月23日 23時55分50秒

桐生悠々「新聞紙の差押え」

 内務大臣は新聞紙法第二十三条により「新聞紙掲載の事項にして、安寧秩序を紊し、または風俗を害するものと認むるときは、其の発売及び頒布を禁止し、必要の場合に於ては、これを差押うることを得」るのであるが、本誌の如き、発行部数極めて少く、且つ読者がインテリー階級に限られた雑誌では、無批判的なる影響なきが故に、たとい当局に於て、安寧秩序を紊すものと認められるべき(事実はこれに反して、記者自身では、これによってこそ、また却って安寧秩序を保持し得べきものと認むる)論文が掲載されても、発売頒布を禁止する必要もない。況やこれを差押うることをや。寧ろ或はこれを無視し、或は寛大にこれを取扱い、或は更に進んで、これを参考の資料となし、政府当局みずから誡むべきですらあるにもかかわらず本誌は爾来これがために、頻々として発売頒布を禁止された上、差押えられた。遺憾千万である。
 そして、この差押えと共に、記者が政府当局の反省を促し、少くともその名の如く
「他山の石」として、参考の資料にもと思って、彼等自身に郵送する部分の本誌をも、併せて悉くこれを差押えて、政府当局にこれを送達せざるに至っては、更に更に、遺憾千万である。検閲当局たるものは、今後この点に反省してもらいたきものである。さもなければ、政府当局に対する国民の苦言は水泡に帰し、一方上局に(おも)ねる旧来の役人気質を暴露するものとして指弾され、他方上意下達ばかりではなく、下意上達の真の政治への道を、検閲官がその間に介在して壅塞するものと攻撃されても、致方はあるまい。国民の、民衆の意を知悉せずして、どうして真の政治が行われるか。
 最後に、だが、最小でないのは、検閲当局にして新聞紙の発売を禁止したときは、即刻これを発行者に通知してもらいたいことである。通信に関する一切の機関が完備されている検閲当局は、何が故に即刻これを発行者に通知せずして、中一日を置いて、甚だしきに至っては、数日を置いて、初めてこれを発行者に通知するが如き怠慢振を示しているのか。即刻が困難であるならば、せめてはその翌日これを発行者に通知すべきである。さもなければ、発行者は、特に本誌の如き、政府当局の御機嫌取のためではなく、これに他山の石を提供せんがために、即ち苦言を呈せんがために、これを発行しつつあるものは、これがために、不測の損害を被り、不測の事件を発生せざるを得ない。人民の利益、権利から遊離した政治はあり得ない。もしありとするならば、それは政治でなくて、乱治である。少くとも独治であり、独善である。そしてそれこそは、国家の安寧秩序を紊すものである。
 地方検閲当局自身の語るところによれば、彼等は新刊の雑誌または新聞紙を手にするや否や、即刻電話を通して、中央検閲当局に掲載事項を続報し即座に発売を禁止すべきものと、否とを決定するそうである。迅速なることといわねばならない。この迅速さは国民に対しても、新聞紙の発行者に対しても同様に発揮すべきである。そして発禁と同時に、これを発行者に通知すべきである。            (昭和十三年八月)



最終更新日 2005年05月26日 00時13分40秒

桐生悠々「近衛首相の新声明」

 漢口陥落を日支事変の一大段階として、去三日明治節を以て発表された近衛首相の新声明、それは「新声明」として、前触れだけは騒々しかったが、愈これを聞くに至って、何の奇もなく、依然として「旧声明」に過ぎなかった。尤も私たちは現在の如く硬化した政府を以てすれば、「新声明」などが発表されるはずはないと思っていたが、事実はこの予想を裏切らなかった。
 一言にしていえば、それはさほどの印象を国民に与えなかった。唯これと同時に発表された池田蔵相の増税を暗示した声明は、株式を下落せしめた。
 戦争に勝つには、先ず敵を知らねばならないと昔からいわれている。だから、この場合、近衛首相の声明が国民に与えた印象よりも、先ず敵に与えた印象を研究しなければならない。だが今日の我新聞は報道機関でさえもなくなったので、首相の声明が敵国に与えた衝動を報道していない。独り長野市発行の「信濃毎日新聞」はこれを報じているので、私たちはこれを本誌の読者に紹介する。
「〔香港四日発〕本日の大公報は社説に「日本政府の新声明」と題して、大要左の如く論じている。
 日本政府は三日声明を発表、武漢陥落後の態度を表示している。同時に、近衛首相はラジオを以て、日本の今後の意図を宣明した。吾人はこれを異様に感ずることが、甚だ多かった。
 第一、声明は先ず冒頭に、国民政府は既に一地方政権に過ぎずと述べているが、それは事実と異る。中国の主要地区は日本軍のために占領されたことは事実であるが、なお国民政府は全国民がこれを認め、国際的にもまた承認されていることは、日本と雖も決して認めざるを得ないであろう。日本は国民政府が滅亡するまでは、断じて休戦しない決心だと言っているが、国民政府は抗戦の一途を辿るのみで、日支和平の可能性は全くないのである。この責任は全く日本側にある。
 第二、声明中、国民政府がその従来の政策を改め、人物構成を改善し、翻然改め、新秩序の建設に参加するならば、日本は決してこれを拒絶するものでないと言っている。この点、去一月十五日の声明の原則と、明瞭に差異のあることが認められる。これは日本が国府の地位の鞏固なるに鑑みその声明を変更したものか、或は中国に対する認識不足を改めたものか、判らぬ。特に日本人に望みたいことは、国民政府は何も最初から抗日政策を取って来たのではないということだ。寧ろ謙譲の態度を以て、中国の建国のため、日本との友好関係を採って来たのである。民国十六年の済南事件後九・一八事変、一・二八事変、同二十二年塘沽協定、二十四年後には河北の中央軍撤退等、次第次第に悪化の一途を辿った。次で蘆溝橋事件となったものである。また日本は容共云々というが、容共は形式上の問題で、事実は国府と雖も反共である。日本は中国を征服するのでなく、また国府を打倒するものでなければ、和平の問題が開かれ得ることが困難ではないだろう。
 第三、近衛首相は日本の真実の希望は、中国を亡ぼすのでなく、これと協力し、真の東亜安定を希望していると述べているが、この論は言々人を動かし、我々を感動せしめたが、我々の遺憾なことには、その為すところ、行うところ、全く正反対であることである。日本が中国の合流を求めるところは、その手段に於て、正に中国を破滅せしめんとしている。我々は近衛首相が親しく中国に来て、この実情を体験せられんことを希望する。近衛首相の地位は今や東亜全局百年の運命を決すべき重責を負うている。吾人は中日両民族の悲惨な状態を救うのは、近衛首相の努力に俟つところ多いと考える。
 第四、吾人は率直にいう、日支両国は目下敵であるが、中国が戦争しているのは、根本的に自衛の戦争である。日本がその態度を改めて、停戦を決定せば、中国は必ず和平に応ずるであろう。以上四点は、吾人が近衛首相に時局収拾を期待しているもので、我我は抗戦を以て和平を求めるのみである」
 言惻々として人を動かすものがある。と同時に、これは実に他山の石として、私たちの大に聞くべき言である。だが遺憾ながら、○○○○○○○○○○○○○○彼にして若しも、プロシヤとオーストリアとが戦った当時の、プロシヤ首相ビスマルクの如き大なる力を持っているならば、と思うものは、独り記者一人のみではないだろう。そして私たちはこれ以上進んで言わないだろう。言えば、本誌はまたまた発禁されるからである。
                               (昭和十三年十一月)



最終更新日 2005年05月26日 00時14分18秒

桐生悠々「外交の本質と機関」

 外交の定義に関しては今姑くこれを措き、それが戦争と相容れないものなることは、恐らくは各人の一致するところであろう。戦争と同時に外交が断絶するからである。というよりも、外交断絶そのものが戦争であるとすら言い得るからである。だから、戦争と平和とが対立的の観念である関係上、外交は戦争に反対し、平和の維持または促進を以て、その本質とする。
 日支は今戦っている。だから、日支の間には外交なるものは存在しない。だから、別に蒋介石を相手にせずと明言する必要もない。だが、日本は今英、米、仏及びソ連と戦争をしてはいない。依然として国交が存続している以上、これらの諸国との平和を維持し、または促進するのが日本の外交の本質でなくてはならない。
 これと同時に、国交は個人と個人との交際の如く、相互にその独立的なるパーソナリチーを認むると同時に、各自の利害関係を考慮し、互に相侵さないようにつとめなければならない。偶利害相反する事件が起っても、なるべくは互に我慢して交際を続け、自己の存続を危くするにあらざれば、交際を断絶してはならない。利害相反することに、離れるような我儘者は、個人としても、国家としても、結局孤立者となって、自己を葬る墓穴を掘る。特に国際間にあっては、絶対的なる敵味方というものなく、昨日の敵は、今日の味方、今日の味方は明日の敵となる例は、歴史上殆ど指を屈するに遑もない。だから、戦っても、手を握っても、個人間の交際としては水臭いけれども、よい加減の程度に止めておかねばならない。これを称して老獪なる外交というが、老獪であらねばならないのが、また外交の本質でもあろう。
 次に、この外交の局に当るものは何人であるかというに、普通は外務大臣である。無論外務大臣と雖も、総理大臣の下にその局に当っているのであるから、総理大臣みずから出でて外交を行う場合、聊か自己の無能を示唆された感があって、嫌気をさすのは当然であるが、事重大にして総理大臣みずからが特殊の局に当るのが利益である場合には、寧ろ大に忍ぽねばならない。イギリス首相チェンバレンがみずからミュンヘン会議に乗り出したとて、ハリファヅクスが無能だったからではなく、従ってハリファックスもこれに不快を感じなかった。事重大にして首相みずからの出馬が却ってイギリスの利益だったからである。特に事急を要し、首相みずから出馬しなければ、ドイツ.と妥協し得なかったからである。
 総理大臣みずから外交の局に当ることは、場合によっては、忍び得べきも、総理大臣以外の勢力が、外務省に影響を及ぼし、外務大臣がそのロボットに過ぎず、従って外務省その物がなくてもよいような感があるならば、外務大臣が独立的の人格を有する以上、断乎として辞職するのは殆ど自明の理である。況や外交の本義に戻るが如き跡あることを強いられた場合に於てをや。旧外交のイデオロギーとは頓でもない見当違である。
かくすればかく成り行くと
憂えつつ冠を捨てて独り行く
淋しきおとど秋のあわれさ
遮二無二に馬をかりたて
千仞の崖を越さんと並び行く
騒がしきおとど秋のおかしさ
月見ればあわれさもまたおかしさも
感ぜざるにはあらねども
時来りなぽ烏鳴くなり
(昭和十三年十一月)



最終更新日 2005年05月27日 23時34分52秒

桐生悠々「神秘的、非合理的なるドイツの世界観」

 ローゼンベルクはいうまでもなく、ナチス的世界観の建設者であって、その形成と深化とのために、最初から、闘争の第一線に立った人である。だから、ドイツの全体主義を批判するには、先ず彼の思想を分析しなければならない。
 彼はその著『理念の形成』に於て、「霊魂的に打建てられた人種学」を以て、ナチス世界観中、特に優位を占むるものとなし、人種即霊魂、霊魂即人種であるといい、・またその著『二十世紀の神話』に於て「魂は内面から見た人種に外ならぬ、そして逆に、人種は魂の外面にある。人種魂を生き返らせるには、その最高価値を認識し、そしてその支配の下に他の諸価値のそれぞれの有機的地位-国家、芸術、及び宗教の地位ーを指定する謂である。新しい生命の神話から、新しい人間類型を創造する。これが我々の世紀の任務である」と言っている。ドイツがしかく残忍にもユデア人を圧迫しつつあるのは、怪しむに足らない。なぜなら、全体主義そのものは人種学であり、従って人種偏見に陥っているからである。
 なおここに注意しなければならないのは、ローゼンベルクがエックハルトの神秘主義から出発していることである。エックハルトによれば「人間は自由であり、またあらゆる彼の善行の破壊すべからざる、うち克たれ難き主人であるべきはずである」だが、彼は人間のこの自由をヒューマニズムにまで拡張しない。この自由なるべき人間、自由なるべき魂を以て、「霊魂の火花」によって、自己の内部に於て、神と合一されるべきものとした。言いかえれば、自由なる魂とは、霊魂と神との神秘的な合一、霊魂自身の深き内面に於ける神の神秘的な直観を意味する。一言にしていえば、神がかりのものである。ローゼンベルクはエックハルトのこの神秘主義を生物学的、有機体説的に発展せしむることによって、即ちゲルマン民族的な「自由」の概念に到達した。自由とは「種」への拘束の謂であって、この事のみが最高可能なる発展を保証し得るのであると言っている。全体主義が人間としての自由を拘束して、ゲルマン民族としての自由のみを放縦に発展せしめているのは怪しむに足らない。
 かく分析し来ると、ナチスの自由哲学は血の信仰、血の宗教である。第一に、それは哲学、科学ではなくて、血の宗教であり、第二に、それは全体人間の部分でしかあり得ない種族(人種)の魂を最高全体者となすものだから、それは却って非全体主義であるといわねばならない。
 エックハルトの神秘主義の復活は、現代に於ける非合理主義の、特にドイツに於けるその旺盛なることを物語っている。だが、これは他の国に強いられるべき思想ではなく、また他国も遽に取って以て、己の思想とすべきものではない。否、それどころではない。これはまた北方的・ゲルマン的・ヨーロッパ的人種のいわば先天的なる優越性を説くものとして、アジア及びアジア人に対して敵対的のポーズを示しているものである。ヨーロッパ的・ゲルマン的のものに対しては、アジア的なるものは一切悪であり、アジアの文化の劣等性はアジアの本性、アジアの血に基く永遠の宿命であるということになる。
                               (昭和十三年十二月)



最終更新日 2005年05月27日 23時46分03秒

桐生悠々「未来主義」

それ故にこそ、私たちは曖昧なる全体主義、全体が部分よりも優位を占むると、簡単に独断され易く、従ってまたこれに伴う種々の誤解を生ずる全体主義を排して、これに代うるに何物をか以ってせんとして、ここにこの未来主義を主張するのである。個体の平均寿命の如き最終にして、根本的なる問題に於て、自然淘汰がその目的とするところの決定的にして、統制的なるものは、現在に於ける単純なる生存競争上、個体の利益のみではなく、恐らくぼ常に遥なる未来に於ける更に大なる利益であって、個体も、現在も共にこれに従属的のものであらねばならない。
 ワイズマン以前の早期の進化論者は、生存競争上個人の利益に重きを措き「それ自体に有利なる」利益の概念に囚われていたが、自然淘汰の無限なる時間を通じて働くところの法則は、この利益が常に無限にして、また常に未来に於ける多数の更に大なる利益であることを説明した。未来と普遍との利益のために、現在と個人との大規模なる犠牲を必要とする進化的過程に内在する原理を説明した。そして生命と共に常に連想された中心的現象は、個体の死であった。個体の死は生命進歩の巨大なる過程に於て、彼の種類の更に大なる利益のために役立つために、必要であらねばならない。個体犠牲の原理がこれによって説明されるのである。人類発展の歴史は最終に於て、その更に大なる意味が常に未来に於て存する一過程に、個人を従属せしむる原理の発展であると言ってよい。
 だが、不幸にして近代の学説はいずれも、これに反している。これらの学説は、いずれも、政治的意識の限界内に含まれた個人の群に関して述べられた。私たちは、今到るところに、同一特性のものに直面する。一方に於ける国家及び人民の理論、他方に於ける階級、党派及びこれらのものを含む個人の理論は、いずれも一の動機、即ち現在に於けるその光に照らして、彼等自体の目的に役立つために動員され、支配されている社会進化を説いている。
 先ず西洋の民主主義を取って見るに、それはいずれも一の点に於て相互酷似している。近代的要求の性質に関する観念、即ち普通選挙の実施の下に潜在する概念、最大多数の最大善を政治の目的とする理想が、同一の事実、即ち現在生存する個人の利益を取り巻く限界内に含まれているものとして、その社会の概念から発生するものなることを暗黙に認めている。一言にしていえば、政治的意識の限界内に含まれた利益以外には一歩も出ていない。
 未来主義に立脚して、何物をも予画せんとするならば、私たちは現在生存する個人の組織として考えられた「国家」の利益と、その厚生に於て、これらの現在生存する個人・を無視して差支なき個人の集団として考えられた進化過程の「社会」の利益とは、全然これを区別しなければならない、それどころではない、進化に重きを措くならば、社会的秩序のかかる体制の永続的存在を必要とする第一の、そして中心的原理は、必ずや、この第二義の「社会」の厚生に貢献する1現在の個人には如何にそれが苦しくてもー行動であり、到るところにまたすべてのものに関して、この第一義の「国家」の厚生に貢献する行動を統制し、支配するものでなくてはならない。簡言すれば、社会進歩の科学は、この従属を結果する原理の科学であらねばならない。かかる体系の社会的秩序の歴史は、その他何物よりも、従属のこの過程に伴う現象の歴史であらねばならない。
 にもかかわらず、知識的運動として現われた民主主義の理論を吟味すると、その殆どすべてが誤っている。この理論の中心的観念は一言にして尽すことができる。それは、その構成員の利益のために有効に組織された「国家」の理論であって、社会の科学及び哲学の全概念を含む。現在行われつつある社会進歩の理論は、要するに国家の利益と社会の利益とを以て、同一なりとしている。だから歴史の支配的要因は経済的要因であり、だから、一切の近代的社会進歩の傾向は、道徳学者と立法者との範囲を同一ならしめんとしている。現在の構成員の目的に役立つべく有効に組織された国家の概念は政治的及び社会的科学の各原理がその周囲に廻転する枢軸である。「社会」は彼等みずからの利益のために組織された現在の公民から成立つものとして考えられている。「社会の善」と現在の公民の利益とは、二者同一であって、相互交換され得るものとされている。そして社会厚生の内容はこれらの公民が彼等みずからの利益とするところのものを含まねばならないと考えられていた。その間、唯一シジゥィックの存在して、個人の「義務」及び「自利」の概念を政治的意識の限界内に合理化せんとする根本的の矛盾を指摘したが、遺憾ながらなお政治的国家の科学を以て、社会の科学と混同した。



最終更新日 2005年05月27日 23時46分41秒

桐生悠々「ドイツ人の思想」

 その非合理的なることは、私たちの既に前号に於て指摘したところであるが、今ドイツ及びイタリーが全体主義を高唱して、イギリス、フランス及びアメリカ等の民主主義的ブロックに対立しているから、ここには少しくドイツ人の思想に関して一言する必要がある。
 カント以来へーゲルによって発展せしめられた近代的ドイツに於ても、なおこの全体主義、国家主義の流行に感染せざるを得なかった。ドイツには極端に相反する二個の思想が対立しているが、その特性に至っては同一である。物質的なる歴史の説明と、現存する集団的国家及び其構成員の利益向上論とは、無論社会の全科学として提唱される。だが、へーゲル流の発展がドイツの一思想を招来せしめた歴史の反対的説明に於て、歴史上進化過程の意味は現存する国家の目的と機関とが殆ど密接離るべからざる関係を有するに至った。それはヘンリー第四世が中世紀のヨーロッパに於ける帝国の実現を欲した万能的国家の概念と一致した近代史の宗教改革後期の思想である。だから、私たちはドイツ人の学派を通じて、国家万能論を見る。その結果として、政治的国家の科学と進化過程に於ける社会の科学とを同一視している。進歩主義者も、保守主義者も、悉くこの国家万能論に於て一致している。
 マルクスの学説を遵奉して、歴史の物質観を唱えているドイツ社会党の一派も、要するに、ベンタムやミルの原理を論理的に応用したるに過ぎない。何ぜなら、現在の向上、従って経済的要因の向上は、もはや単純に歴史的過程に於ける中心的原理ではないからである。それは今社会進歩の各傾向が必至的に奉仕しなければならない宣誓的なる目的となった。この点に於て、一方マルクスによって代表され、他方ニイチェによって代表された一個の近代的思想は相互補完的のものである。マルクスの原理は極端なる社会主義的意見を代表したものであり、ニイチェの原理は極端なる個人主義的説明を代表したものである。だが、歴史の社会的過程に於て、現在の向上に執着している点に於ては一である。
 ニイチェによれば、近代的世界は真の主人と優者とが、彼等の権利を奪われた世界
-自然的なる支配階級即ち「超人」が、自然的優者であり、無限的に強者であるにも
かかわらず、現代文明の感情と信仰とによって引ずられ、麻痺せしめられて、民主主義に堕落せしめられた世界である(ヒトラーが如何に超人らしく行動しているかを見よ)。だが、マルクスによっても、結局は権利が権力である。彼の統率する党派はニイチェが代表する党派と同一の理由に於て、即ちその力の点に於て、社会的過程上正化される。マルクスの理論には、ラッセルが言っているように正義も、道徳もない。唯あるものは盲目的なる生産力の成長のみである。従って、彼の考えている利益のために、優越性を得んとすることが必要となる。だから、この二つの思想はその立場に於て同一である。最終に於て、二者共に現在の向上と、それみずからの実現から、最強な利益を妨げる名分、感情、原理及び信仰を社会から除却する事である。
 だから、進化論者にして回顧すれば、西洋諸国に於ける学説とこれに伴う運動は進化過程上、現在の利益向上を主眼とし、従って、社会の利益を以て、政治的意識の限界内に含まれた個人の利益としたことを見るであろう。それは二十三世紀以前に於けるグリス人の思想を越うること唯一歩だけであって、国家万能論を主張するに過ぎない。国家に代うるに民族を以てしたローゼンベルクの全体主義も、要するに、唯現在の向上、北方ゲルマン民族の優越を期待する以外に、普遍的にして、未来的なる何ものをも有していない。個人とそのすべての利益が従属的のものであるとする原理、徐々として進む宇宙的なる世紀の重圧を通じて進行する生活過程に対して、全運動と全時間とをすら、これに従属せしむる原理、否、私たちの発展しつつある文明を統制し続けねばならない原理が、未来に於ける世界の重圧中にあって、その地位を持続しなければならないことを想うとき、ここに述べ来った社会の科学の全概念が不満足であり、不充分であることを痛感しなければならない。思想界に於ける新興的なる青年が過去の社会哲学に対して有する疑惑、躊躇及び叛逆すらも、その態度の下に潜む思想の主たる地位は、今や私たちに啓示され始まった。それは、私たちを取り巻く思想体系の地方的または個人的なる過誤のみではない。私たちの考えねばならないところのものは単純なる一時的利益の過渡的局面ではなくて、世界の知識的または理性的発展に於て、二つの時期を画する思想の地位である。
 旧哲学者が久しきに亘り、観察者を中心として彼が立っている小さい世界の周囲に廻転するトレ、・・1的宇宙学を打建てたるが如く、私たちは、社会科学の体系に於て、これと同様、観察者を中心として、彼みずからの政治的意識の限界内に、齷齪する卑しい利益の周囲に廻転している。舞台は劇を演ずるべく余りに広くなって、理論家が人類的進歩のこれらの小概念を展開した劇場の屋根を通して私たちはかかる卑しむべき想像を静に冷笑しつつ永久に輝く星を見る。               (昭和十四年一月)



最終更新日 2005年05月31日 01時34分39秒

桐生悠々「ドイツよ精神的の失地を回復せよ」

 私たちは学生時代に、ドイツがフレデリック大王を、ビスマルク及びモルトヶや、トライチケを有する故を以てよりも、ゲーテを有し、シルラーを有し、レッシングを有する故を以て、カントを有し、へーゲルを有し、ショーペンハワーを有しフィフテを有する故を以て、またベートーヴェンを有する故を以て、マーチン・ルーテルを有する故を以て、限なく彼を尊敬した。然るに、彼は今如何。ユデア人なる故を以て、ニュートンに比すべき、否、寧ろこれよりも勝っているとすら思われるアインスタインを国外に放逐した。そしてナチスに反する思想を盛った一切の書は、無謀にもこれを焚き捨てた。余人は兎に角、記者自身はこの無謀なる行を耳にして、俄然として彼に対する尊敬の念を失った。かかるナチズムの治世下には固よりゲーテ、レッシング、シルラーを、カント、へーゲル、ショーペンハワー、フィフテを、ベートーヴェンを、ルーテルを産せざるのみか、彼等はこれらの尊きドイツの国の遺産にして、同時に、世界文明、文化に多大に貢献するところあった宝物を失った。そして生残ったところのものは誇大妄想的なニイチェと、御用学者のローゼンベルクだけである。これら多大の精神的損失を、オーストリアや、チェッコの回復や、ポーランドの回復を以て、物質的に償い得たりとするならば、ドイツ国の将来は推して知るべきである。しかもこれらの物質的なる回復は第二のヨーロッパ戦争の経過とその結果とを見なければ、今遽に保証し得られざるに於いてをや。
 ドイツにはドイツに独自な、そして世界の文明文化に貢献した、将来に於てもまた大に貢献すべき優秀にして輝しい文明、文化を有している。何を好んで、故らに、物質的に回復する必要があろう。ドイツがドイツ国として世界に闊歩するには、物質的に失地を回復するよりも、精神的に失地を回復すべきである。文学、哲学、芸術、宗教の領土に於て失ったところのものを回復すべきである。魂を失って、世界を征服したとて、何になる、況や現在の彼等は世界を征服するどころか、今度の長期戦争に於て、最終に英米のために破られ、第二のヴェルサイユ会議を余儀なくされないとは、今日誰がこれを保証し得よう。
 単にこれを政治、外交、経済の上より見ても、ウィルヘルム第二世の治下に、寧ろ隠忍して従来の自重的態度を持続していたならば、彼等は今その文化に於てのみならず、政治に於ても、外交に於ても富力に於てすらも、イギリスを圧倒していたであろう。第一次のヨーロッパ戦争が最終に於て、産業界、貿易界に於ける英独の競争戦であったと評されたことほど、当時ドイツのこれらの方面に於ける勢力はイギリスの塁を摩していたのであった。だから、彼が力を恃んで戦争の険を冒かさず、唯凝として待っていたであろうならば、彼等は恐らくぽ、今日一切の方面に於て、独り手に、イギリスを圧倒していたであろう。然るに、彼等は自然のこの運命を待たず、強いて、人力を以て、武力を以て、一挙にして、これをかち得んとしたので、終にヴェルサイユ会議の悲劇を経験しなければならなかった。一言にしていえば、彼等は力負けをしたのであった。サキソニーの選挙侯以来、フリードリヒ・ウィルヘルムを経、隠忍して国力を養成しつつ、ブリードリヒ大王に至って大成した歴代帝王の惨憺なる苦心によって成った鴻業を、唯力を恃み過ぎた一ウィルヘルム第二世に至ってぶちこわしたのであった。ヒトラーもまたこのウィルヘルム第二世の感なしとしない。彼等はナチズムの下に、これまた自国民の生活を犠牲に供して養い来った国力を、そして自然の時機を待てば、自然に隣邦を征服し、それこそ名実共に、刃に血塗らずして、これを併合し得たであろうことほど強かったこの国力を恃み過ぎたため、これまた力負けをしないとは、何人かこの場合、果してこれを保証し得よう。
 そして彼等はこの戦争に於て、たとい失地を回復し得たりとするも、精神的なる失地、ドイツに独自であった文明、文化を回復しない限り、それは世界に対して何の貢献するところもない。
 独裁政治の弊一にここに至ったという感がある。これに、ブレーキをかける制度がなければ、汽車は脱線して奈落の底に落ちる。ヒトラーの見世物は如何にも壮である。だが、これに引ずられつつあるドイツ国民は大に憐れむべきである。 (昭和十四年十月)



最終更新日 2005年05月31日 01時41分49秒

桐生悠々「未来的なる銃後」

 動物の単細胞形態にあっては、定期的の死なるものはない。彼等は分裂して、また更に分裂するだけである。だから、この形態間には進歩なるものはない。だが、高い形態間の個体にして、無限に存在するならば、少くとも一の重要なる点に於て、その進歩はハンディキャップ付けられ、後に来るべき高い進化の過程は起らなかったのであろう。何ぜなら、個体が自然に於て、無限にその地位を占領するならば漸化、順応及び進歩は見得られないからである。かかる形態は他の物にして均しければ、少くともこの点に於て、定期的に帰来する子孫によって代表される形態と競争して、不利益である。簡言すれば、単位の定期的死は進歩に伴う必要なる条件である。個体は生活がこれに入った進歩の巨大なる過程に於て、彼と同一の種類のものの更に大なる利益に役立つために、死ななければならない。無限の時間内に行われる自然淘汰の理法を見るとき、それは常に未来にあり、また常に無限であるものの不定なる、更に大なる利益に関して行われていることを知るだろう。言いかえれば、未来と普遍との利益のために、現在と個人とが大規模に犠牲に供せられねばならない進化過程に内在的な原理が行われている。生活が常に人心に連想せしむる中心的現象は、個体の死のそれであった。この現象は進化過程の早期に於て、夙に個体犠牲の原理の根本的表現として認められた。
 この意味に於て、戦線の兵士は尊ぶべき、そして銃後を救う偉大なる犠牲であるけれど、性質上個人的であり、現在的である。だが、銃後の国民は坐して戦勝を祝する怠惰なものに見えても、また火中に栗を拾う不労所得者にも擬せられ得べきも性質上、普遍的であり、未来的である。従って為政者が種の必要上、即ち種を保存し、更に進んでこれを進歩せしむるために、いずれの利益を主として重んずべきかは、寧ろ問わずして明であるだろう。
 東亜の新秩序ーそれが「種」の進歩に必要なるや否やは今姑くこれを問わないが、
性質上未来的であり、普遍的であるに相違ない。だから、現在の国民は是が実現を期するため、犠牲に供せられねばならないのは論を待たず、物心両方面に於ける強制的の統制大に忍ぶべきであるが、これがために銃後の国民を萎縮せしめ、次代をして生存競争の弱者たらしめてはならないこともまた論を待たない。何ぜなら、いうところ東亜の新秩序を創設するものは誰でもない、この銃後の国民、即ち未来性、普遍性を有する国民だからである。
 旧臘大阪に開かれた銀行大会終了後の午餐会に於て、中根三和銀行頭取は、当日歓迎された池田前蔵相に対して左の如き反省を促した。
「統制は手段であって、目的ではない。今日までの統制は経済の全体的立場から見るならば、局部的であり、拙速主義であったため、国民を萎縮せしめることがなかったか、どうかについて懸念を持たざるを得ない。今後の統制は経済上の全計画に立って特に建設的方面に、積極的な力を入れていただきたい。従来の統制も決して角を矯めんとして牛を殺す類のものではなかったとしても、少くとも、牛の肉体に相当不自然な刺戟を与えていたことは否めない。今後は角を矯めると同時に、牛の健康をも増進せしめるよう御努力を願いたい」
 銃後国民の言わんと欲したところのものを、円滑にだが率直に述べたものであり、池田前蔵相に取って、頂門の一針であったことは、その答弁に徴してもこれを知り得る。
 中根三和銀行頭取の池田前蔵相に対する希望の言に関しては、後に別に論及するだろうけれどもここには唯牛の健康問題に関して一言する。何ぜなら、牛の健康問題は即ち「種」の問題だからである。牛の健康が増進しなければ、種の改良進歩は望めない。銃後の国民が中根氏のいうところ局部的、拙速主義的な統制によって萎縮すれば、長期建設は固よりの事、戦勝すらも期待し得ない。況や東亜の新秩序創設というが如き歴史的の一大事業をや。戦争という現在の状態にのみ囚われてそしてその必勝を期すべく「種」の保存に必要なる一切の手段を挙げてこれを犠牲に供していては現在すらも保存し得ないだろう。況やこれを向上せしむることをや、更に況や未来の向上を期することをや。
 銃後の国民が未来的であり、普遍的であることに想到したならば、今少しくこれを大切に取扱わねばならないだろう。単に戦線の兵士の苦労を思えば、銃後の国民は一切の窘窮を忍んで可なりという如き感傷的の理由で、その生活を萎縮せしめてはならない。長期建設または東亜の新秩序創設に従事するものは戦線の兵士ではなくて、銃後の国民そのものだからである。



最終更新日 2005年05月31日 01時46分38秒

桐生悠々「消費の未来的性質」

 ここにいうところ「種」の保存に必要なる手段とは、消費の意味である。消費しなければ、生活は保存されない。というよりも、私たちは消費ほ生活とすら考えるものである。一般的に豊富に消費し得る環境に恵まれた「種」が進歩して、反対の環境に苦しめられる「種」は退歩し、場合によって、滅亡する。人類の生活もこの例に漏るることなく、一般的に、衣食住、即ち生活を「種」を保存するに必要なる手段を豊富に使用し、消費し得るものが、物心両方面に於て、健康であり従ってこれに大事を托し得べきも、反対の環境に住むべく余儀なくされたものには、これに対して未来を期待し得ない。この関係に想到すると、たとい戦時というと雖も、銃後の国民に対して極度な消費節約を強うるのは、決して未来ある政治とはいえない。長期建設、または東亜の新秩序創設というが如き鴻業、言いかえれば文字通りに、この場合寧ろ「百年の大計」ともいうべき、一大事業に着手するに際して、物心両方面に亘って銃後国民の消費をしかく硬化的、窘窮的に統制するのは、ベンジャミン・キッドのいうところ余りに政治的意識の限界内に跼蹐(きよくせき)するものであって、未来に於ける社会の発達、進歩を期する所以ではない。未来に於ける社会の発達、進歩は彼等のいうところ単純なる長期建設または東亜の新秩序創設に制限してもまた決してこれを期する所以ではない。
 私たちが爾来反覆揚言しつつあるが如く、過去に於ける経済及び経済学は、生産のそれであったが、今やそれは通過して、消費の経済及び経済学に転向せんとしつつある。今後の経済及び経済学は消費の経済及び経済学であらねばならない。生産は中根三和銀行頭取が、統制は手段であって目的ではないと言った如く、経済の、また生産の手段であって目的ではない。消費こそ、その目的であり最終のゴールである。従来の経済及び経済学がこの重要なるポイントを逸したために、諸種の経済的、政治的、社会的の紛議、矛盾撞着がさばえなす悉く起ったのである。国内的には無論の事、国際的にも、生産を重んじて、消費を軽んじつつあるから、今日の如き世界的な不景気を招来し、そしてこれがために動もすれば戦争を、第二の世界戦争をすらも惹起せんとしつつあるのだ。中根三和銀行頭取が、池田前蔵相に対して反省を促した点、即ち「経済上の全計画に立って、特に建設方面に、積極的な力」を入れんことを注意したのは、如何なる意味であるか知らないけれども、「特に建設的方面」と言っているから、従来の経済学者及び経済人に伝統的なる生産方面のそれを示唆しているのだろう。若しもそうだとすれば、私たちは彼が池田前蔵相に対し、統制に関して注意を促したように、彼に対して生産は手段であって、目的でないことを注意しなければならない。
 消費に想到せずして、何の生産ぞ。消費の未来に想到せずして、過去の、及び現在の生産に執着すればこそ「夥多裡の貧乏」が起り、有無相通ずる経済上の原則を無視して、鎖国的なる経済的国家主義が起り、ブロック経済が起るのだ。そして私たちは今これがために、第二世界戦争の恐怖に脅かされつつあるのだ。
 生産は生産されただけでは意味はない。消費されるに至って、始めて意味あることになる。この消費を単に政治的意識のためにのみ制限されては、銃後の、次代の、未来の国民の衰弱を招く危険がある。
 平く、また俗に言って、沢庵ばかりを噛っていては、日の丸弁当だけでは、いい知恵は出ない。私たちは国家を構成する一員であると同時に、これよりも更に大なる社会を構成する一員である。
 国家は今社会化されつつある。今後の、未来の国家は愈益社会化されねばならないだろう。然らざれば、自然淘汰の理法は仮藉なく、その上に働くだろう。
 戦時であるから已むを得ないとはいうものの消費といえば必ず制限されねばならず、生産といえば必ず拡充されねばならないことを、こうも諸方面から放送されては、社会進化の理法を一考しつつある私たちは、少くともうんざりさせられずにはいられない。しかも、彼等のいうところの生産が、国民の消費し得ない財貨であって、他国民をして消費せしむる財貨なるに至っては、長期建設も大に覚束ない。否、これが長期に亘っては、物心両方面に於て「種」を衰弱せしむる危険がある。中根三和銀行頭取が池田前蔵相に、今後は経済の全面に亘り、長期建設に必要なる統制をしてもらいたいと言ったのはこれを憂えたからであろう。消費は生活のゴールであるけれども、生産はスタートであり、このスタートがなければゲームは演じられず、生産は営まれないからである。特に平和産業の生産をこのように抛棄していては、政治的意識の限界内に於てすらも我国の未来が案ぜられる。                     (昭和十四年一月)



最終更新日 2005年06月02日 18時25分58秒

桐生悠々「日本の自由主義」

明治二十二年二月十一日を以て発布された憲法発布の勅語を拝読するに、先ず
明治十四年十月十二日ノ勅命ヲ履践シ茲二大憲ヲ制定シ朕力率由スル所ヲ示シ朕力
後嗣及臣民及臣民ノ子孫タル者ヲシテ永遠二循行スル所ヲ知ラシム
と、御前約を御履行遊ばされたことを宣し給い、次に
国家統治ノ大権ハ朕力之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ伝フル所ナリ朕及朕力子孫ハ将
来此ノ憲法ノ条章ニ循ヒ之ヲ行フコトヲ愆ラサルヘシ
とあり、我国体を明徴にし給うと同時に、従来の君主専制政治を改めさせられて、
君主国となされた大御心を明にされた。従って、これと並んで、直に
立憲
朕ハ我力臣民ノ権利及財産ノ安全ヲ貴重シ及之ヲ保護シ此ノ憲法及法律ノ範囲内ニ
於テ其ノ享有ヲ完全ナラシムヘキコトヲ宣言
されている。そして当時国内に横溢していた民権自由の観念はこの時を以て制度の上に確定されたのであった。言いかえれば、西洋の自由主義ではなく、我国の自由主義は実にこの時を以て始まったのであった。
 従って帝国憲法の条章を通覧しても、先ず第一章には「大皇」が規定され、第二章に於て「臣民の権利義務」が規定されてある。しかも、義務として規定されているところのものは、第二十条の兵役の義務、及び第二十一条の納税の義務だけであって、他は悉く与えられた権利即ち自由に関する規定である。今煩を厭わずi立憲君主国に於ける最重要なる要素なるが故に、煩を厭ってはならない。;ここにこれを列記する。
日本臣民ハ法律命令ノ定ムル所ノ資格二応シ均ク文武官二任セラレ及其ノ他ノ公務
二就クコトヲ得(自由)
日本臣民ハ法律ノ範囲内二於テ居住及移転ノ自由ヲ有ス
日本臣民ハ法律二依ルニ非スシテ逮捕監禁審問処罰ヲ受クルコトナシ(自由)
日本臣民ハ法律二定メタル裁判官ノ裁判ヲ受クルノ権ヲ奪ハル・コトナシ(自由)
日本臣民ハ法律二定メタル場合ヲ除ク外其ノ許諾ナクシテ住所二侵入セラレ及捜索セラル・コトナシ(自由)
日本臣民ハ法律二定メタル場合ヲ除ク外信書ノ秘密ヲ侵サル・コトナシ(自由)
日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵サル・コトナシ公益ノ為必要ナル処分ハ法律ノ定ムル所ニ依ル(自由)
日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務二背カサル限二於テ信教ノ自由ヲ有ス
日本臣民ハ法律ノ範囲内二於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス
日本臣民ハ相当ノ敬礼ヲ守リ別二定ムル所ノ規程二従ヒ請願ヲ為スコトヲ得(自由)

 そして私たちの先輩はこの自由を得んがために、戦ったのであった。無論この自由は憲法第三十一条に規定されてある通り「戦時又ハ国家事変ノ場合二於テ天皇大権ノ施行ヲ妨クルコトナキ」ものであって、戦時に於ては、この自由は寧ろ極度に制限されなければならない。だが、目下政府当局及び盲目的にこれに追随する一部国民の如く、ドイツまたはイタリーの思想及び制度を直訳した「全体主義」の名の下に制限されてはならない。戦時なるが故に、私たちはこの自由の制限を忍び得るけれども、そして更に進んでは、その必要を感じてみずからこれを制限するけれども、彼等のいうところ「全体主義」の名によって、この制限を要求されるのは、(ただ)に私たちの忍び能わざるところなるのみならず、それは明治天皇の大御心によって与えられた憲法を無視するものである。何ぜなら彼等は戦時または事変なるが故に、この自由を抑圧せんとするのではなくて、平時に於ても、これを抑圧することを以て、必要としているからである。
 私たちの、そして我国に於て唱えられつつあるまた唱えられねばならない自由主義は、この意味に於ける自由主義であって、彼等のいうところ西洋の自由主義ではない。またあってはならない。無論西洋の自由主義と雖も、その根源に於ては、専制に対する反抗より起ったものなることは、私たちが曾て本誌に於て紹介したるベンジャミン・キヅドの言に徴しても明である。
 だから、私たちの自由主義を彼等が一般に唱えつつある自由主義と区別するには、一はこれを、「リベラリズム」と称して、他はこれを「リ。ハタリアニズム」と称すべきである。この事もまた私たちが本誌に於て論じたところであるが、この機会に於て、更にこれを明にして置く。
 私たちのいうところ自由主義は、彼等のいうところリベラリズムではなくて、リバタリアニズムである結果「必至主義」に反対であって、マルクス流の歴史の必然性を認めず、意志の自由によって、これを翻えし得ることを信ずるものである。従って私たちは運命論者であるけれども、決定論者ではない。そして運命は意志の自由によって、これを打開し得ることを信ずるものである。
 最後に、この自由主義を以て、日支事変とこれに伴って起り得る、ま距起り得た現象を説明すれば如何なる結論を得るであろうかは、一にこれを読者の判断に任かす。
                               (昭和十四年八月)



最終更新日 2005年06月02日 18時30分48秒

桐生悠々「消極的に偉大なる支那」

 ドイツですらも敗戦すれば革命を起したのに、支那はかくまでに敗戦しながら、なお革命を起さず時々内部の紛擾が特に国民党と共産党の軋轢が報道されつつあるのみで、革命らしいものの兆候が少しも表われないのは、私たちの常識を以てして、測知すべからざる不思議な現象であって、寧ろ奇蹟とすら言い得るかも知れない。尤も汪兆銘一派の和平者が重慶政府を脱出して、広東に独立的なる自治政府を樹立せんとしているけれども、さほどに勢力あるものではなく、況や国民政府に対して戦わんとするものではなく、革命といい得ないのは言うまでもない。
 支那が有機的に結合されてない証拠であって、こうした現象は蚯蚓のような生活であり、何処をまた幾つに分割されても、その部分が各自ぴちぴちと生きているようなものであり、寧ろ憫むべき下等動物の生活でもあるだろう。だが、近代的に目覚め、国民意識的となったと言われている、支那としては、こうした現象、こうした生活は不思議という外はない。否、不思議でも何でもない。今日の支那は近代的に目覚め、国民意識的となっていればこそ、かくも惨な敗戦を繰返えしながらしかも私たちの国家的常識を以てすれば、余命いくぼくもなき最窮した状態にあるにもかかわらず、なお平気に抗戦を続け、最終の希望を捨てないのであろう。
 尤こうした執拗性は一部支那人の特性でもあり国民意識的となっていなかった往時の支那に於ても、彼等のうちにはこの特性を発揮したものがある。最も著しき一例は漢の高祖であって、彼は百戦百敗しながらも最終の希望を捨てず、終にこの希望を実現し得た。消極的に偉大なる支那と言わざるを得ない。
 蒋介石及び国民党の一派は、或はこの漢の高祖を学んでいるのかも知れない。或は知らずして、この特性を発揮しているのかも知れない。だが、こうした断末魔の危機に臨んでいながらもなおその希望-希望でなくて、夢想であるかも知れないーを捨てずして、ノンキにもなおイギリスに依存すべきか、ソ連に依存すべきかを論じて、抗戦を継続しつつあるに至っては、そのノンキさに対して、私たちは寧ろ恐怖を感ぜずにはいられない。蒋介石は戦前西洋人に対して、支那は今貧弱なる状態にあるも、そして日本に対しては、屈服また屈服はしているけれども、三百年後には、いずれが東亜の主人公たるべきかなど、豪語したとのことであるから、たといそれら夜郎自大的であり、誇大妄想狂型に属するものであっても、その国の広さ、その物資の豊富さ、その人民のふじみ性、執拗性から見て、変態心理的なるもののみとして、遽にこれを否定し、一笑に附し去ることを得ない気もする。我政府及び国民はこの点に注意を怠っていはしないか、言いかえれば、満州事変に、引続くこの支那事変は或は後世百年の憂を貽す可能性もあるだろうことに注意して、慎重に、これを取扱わねばならない。
 東亜の新秩序を創造するにさいして、私たちは主としてこの点に、最大なる注意を払わなければならない。唯支那に対する西洋諸国の圧迫を取り除いただけでは、日満支の政治的ブロックは成立たない。経済的ブロックすらも成立たない。私たちは、今戦勝の夢からさめて、現実的なる一大決心を要求されている。ぼんやりしてはいられない。かくも屡内閣の更迭を見ること、この事すらも杞憂であるに相違なきも、また一の憂慮たらずとはいえない。                     (昭和十四年九月)



最終更新日 2005年06月03日 09時37分24秒

桐生悠々「節米の後に来るもの」

「複雑怪奇」なるものは、ヨーロッパの外交のみではない。司法畑に育ち、何でも理窟さえ通ればそれでよいと、心得ていた平沼(騏一郎)氏であったればこそ、防共協定に於て、ドイツが寝返りを打ったことにびっくりして、これを「複雑怪奇」と称しそしてこれに善処し能わなかったため、一斉に内閣を投げ出したのであるが、平沼内閣自身の対ヨーロッパ態度、従ってこれに次いで出現した阿部(信行)内閣が、ヨーロヅパ戦争に介入せずと宣言するに至った経過に想到すると、ここにもまた「複雑怪奇」なる現象を見出さずにはいられない。
 こうなっては、言いかえれば物資に恵まれない日本が引続き二年も戦争していれば、啻に政治的のみならず、経済的、財政的に「複雑怪奇」の現象を経験しなければならないことは、余人は兎に角、記者個人としては、早くより――戦争以前に於て――これを知り、政府当局及び国家に対して聊か注意するところあったのだが、啻に容れられなかったのみならず、意見の発表をすら禁じられた。
 だが、記者自身は予めこれに気()いていたために食糧に関する限り、早くより白米食を廃止して、七分搗を食っていた。だから、この場合、政府が国民に対して七分搗を強制しても、余人の如く、何等苦痛を感じない。今日の状態を見透し得なかった多数の街頭人の、インテリすらもの、これに対する不平を耳にするとき、私たちはこれを以て寧ろ自業自得と断定するものである。附和雷同する者の、引ずらずして引ずられる者の運命が、こうなるのは初めから分り切っていたのである。
 しかも、この場合、国民が白米食を廃止して、七分搗を食っただけでは、追っつかないだろう。節食、減食の運動が既に開始されつつあることを見れば、その行先きは、最明瞭に示唆されつつある。何ぜなら、平生米を粗末に取扱っていた一般国民は、これに節食、減食を勧奨しても、用いられず、依然として、これをだだくさに取扱い、食うよりも、寧ろ捨てる方が多く、結局切符制度を採用して、その必要分だけをこれに割り当てねばならないだろうからである。
 だが、米の切符制度は今日の米屋対消費者の「複雑怪奇」なる状態よりも、遥にすぐれているだろう。遥に簡単明瞭であるだろう。米の配給が制限され、しかも価格が公定されていては、利潤が想定されず、その結果、米屋が自暴自棄となって、どちらが御客様であるか分らないほど消費者に対して不親切となるのは、人情の然らしむるところであって、今更咎め立することもできない。米屋にして廃業するもの少なからざることを見れば、想半に過ぐる。こうした「複雑怪奇」な状態よりも、「簡単明瞭」なる切符制度により、国民が米の配給を受くる方が、どれほどよいか知れないだろう。
 私たちは、今これを覚悟しなければならない。引きずらずして、引きずられた者の運命は既に定められているからである。
 唯この場合、政府当局に対して一言したいことは、いうところの宣撫米が何時まで続くだろうかまた続けさすべきか、そしてその結果、果して支那人を宣撫し得るや否やである。大事にすれば、つけ上る支那人が、ここしばらくの間、廉価に、また無代に米を給与されても、日本の徳を意識し得るや否や。○○○○○○○ーこれが既に「複雑怪奇」である。「複雑怪奇」であっても、その目的を達し得れば、マキァヴェリストもその功を誇り得るだろうけれども、反対の結果を見るならば考物である。
                (昭和十四年十一月)



最終更新日 2005年06月04日 09時44分39秒

桐生悠々「外相の渡米を望む」

 グルー米大使が日本の反省を促がした演説に対して、我外務省のスポークスマンは、アメリカ人と雖も、我を罵るもののみではない。中には、我を理解するものがあって、このさい、我を刺戟すれば却って戦争を挑発することを憂えているといい、米国の大使を捉らえて、米国の事情に通ぜずと言ったような言をなしたので、それは同国当局の怒を招いたらしい。私たちが過日米国太平洋協会会議の状況につき、これを読者に紹介したるが如く米国人にして我を理解しているものは少数有識のものであり、大半の米国人は我を以て直に侵略者と看做している。だから、我はこの点について、大に反省しなければならない。その原因は、過去に於て、我心なきともがらが太平洋問題に関して軽々に発言し、米国に対しても挑戦し兼ねまじき口吻を漏らしたことにもよるが、多くは事情に通暁せず、第三国、特に支那の悪宣伝による。だから、彼等として事情に通ずれば、かかる誤解は忽にして一掃されるだろう。特に米国人は単純なる心理の持主であり、ヨーロッパ人の如き複雑怪奇なる心理によって左右されるものではないから、話せば分かるに相違ない。誠意を以て接すれば、誠意を以て迎えられるであろう。だから、この場合我はアメリカ人の誤解を解くべく、有力なる朝野の人をこれに派する必要がありはしないか。
 そしてその最効果的なる一手段として私たちは野村(吉三郎)外相の渡米を望むもの
である。ヨーロッパに於ける最近の外交を見るに、一国の外相も足軽に他国の外相を問い、相互往復折衝して、一にヨーロッパ平和のために腐心しつつある。かのミュンヘン会議には、イギリスの首相チェンバレン氏すらも、老齢の身を以て、空路ドイツをすら訪問したではないか。我野村外相が東亜の新秩序創造について、彼の理解を求むるために、この場合渡米するが如きことは、寧ろ何でもないことである。その留守中は阿部首相が一時これを兼摂していればよい。
 支那事変の処理は、事実として国家の危急存亡を決定する一大事件である。この大事件に対してアメリカの、今日に於ては、これを処理するにつき、最も必要なるアメリカの理解を求むるに、東京に於て、彼の大使を迎えて、これと折衝するのと、我外相がみずから進んで渡米し、ワシントンに於て彼の外相または大統領と折衝するのと、その誠意と、これに伴う効果とに於て、大なる相違あることは論を待たない。
 我外務省の事務当局が、内閣に対して抗議を行ったさいであったから、その言は奇矯であったが、彼等は野村外相を指して屑鉄大臣と言った。それはアメリカが屑鉄の輸出を我に禁止したので我はこれを救済するために、慌ててアメリカに気受のよい野村氏を外相として起用したことを意味する。私たちは固より軽々にかかる奇矯の言を信ずるものではなく、却って徹底的にこれを否定するものであるから、この場合、我内閣と外相との奮起を望まざるを得ない。
 序だから、記者はここにこの有力者連の渡米につき、漫才ようなものではあるが、一面に於て、多少の真理を含む一逸話を読者に紹介する。記者の一友人たる某陸軍中将が曾て文相たりし荒木(貞夫)大将に対して、アメリカの誤解を解くには、この場合、閣下の渡米が最効果的であると言った。すると荒木大将はこれに答えて、だが彼等は彼の上陸を許すであろうかと言った。すると、この某陸軍中将は、笑って、許すどころか、彼等は大に彼を歓迎するだろう。何ぜなら、彼等は平生荒木大将を以てデヴィルに擬しているので、そのデヴィルの顔を見るべく、彼等は彼の身辺に蝟集し来るだろう。そして、実際見て見ると彼はデヴィルのような顔をしていないので、彼等は一安心するだろう。かくして彼は演壇に立って、よい加減の話をすれば、通訳もまたよい加減にこれを通訳し、満堂拍手喝采の裡に、彼は彼の講演を終え得るだろうと答えたそうである。皮肉な言ではあるが、一面の真理を示唆している。荒木大将では、アメリカ人もスピットするかも知れないが、野村大将ならば、彼等は衷心より彼を迎えるだろう。
                              (昭和十四年十一月)



最終更新日 2005年06月05日 00時00分48秒

桐生悠々「巻頭言」

「皇紀」は「光輝」に通ず、この「光輝」ある「皇紀」二千六百年を迎えて、私たち日本人は何を以てこれを祝すべく記念しなければならないだろうか。
 東亜新秩序の創造ーこれがその最も「光輝」ある記念の一であることは疑を容れな
い。
 だが、これと同時に、私たち日本人は全世界に向って、何かもっと新しい、そして
「光輝」ある一のものを与えたい。
 H.G.ウェルズをして言わしむれば、日本は世界から取るものは取っているけれど、
まだ何物をも与えていないそうである。真にそうらしい。否、真にそうだ。
「八紘一宇」が真に我肇国の理想であるならば、日本はこの場合「東亜の新秩序」創造ついでに「全世界の新秩序」をも創造してやろうではないか、アメリカとしめし合わせて、第二ヨーロッパ戦争の仲裁役を買って出ようではないか。そして彼ウェルズをして愧死せしめようではないか。
 だが、蒋介石を相手とせずと言いながら、蒋介石を相手として戦争している私たち日本人は、果してこうした世界的なる芝居が打てようかどうか、余りに大なる疑問であることを私は悲しむ。
 敵を倒さなければやめないと言ったような戦争を戦っているほど、悲惨なものはない。
 これでは「八紘一宇」ではなく「八紘幾宇」になりはしないだろうか。
                               (昭和十五年一月)



最終更新日 2005年06月05日 11時39分26秒

桐生悠々「毛沢東の揚言」

 戦争第三年の春を迎うるに際して、私たちは遺憾ながら赤軍並に国民党軍に於ける支那人の戦闘を観察することに於て、他の支那人よりも経験を有した。支那赤軍の指導者毛沢東が、曾て日本に対する自由戦争に於て、支那が最終の勝利者であるだろうと言った揚言を想起せずにはいられない。彼はエドガー・スノー氏との会見に於て、支那はなお利用されない大予備軍を有していることを指摘した。この大予備軍は全国を覆う防禦の創造と共に、一の有力なる軍事的機関として組織され得る。彼の宣言によれば、日本の外国競争者は、戦争勃発のさいには、日本をして海岸の封鎖によって、支那を孤立せしむることを許さないだろう。兎にも角にも、日本に対する戦争は海岸を離れ、大部分は支那の内地に於て戦われる「内部戦線」であるだろう。彼は支那の海岸が完全に封鎖されて、支那は他国との連絡を切断されることはなかろうと言い且つ「支那は実に大なる国であるから、全領土が侵略者の剣の下に置かれなければ、征服されない。日本はたとい一、二億の人口を有する支那の大なる地域を占領しても私たちはなお敗北したとはいえない」と言った。
 これをスペインの内乱に徴すれば、思い半に過ぐるものがある。叛乱軍は同国の一半を征服したけれども、合法的政府は依然として戦争を持続し全然新しい軍隊を動員し、これを訓練し、勝利の機会あるごとに、攻勢を取る用意をした。
 毛はなお続けて言った。「上海が支那の残余から断たれることは、ニューヨークがアメリカの残余から断たれると同様、不幸なることではないだろう。しかも日本に取っては、支那のすべてを孤立せしめることは不可能だ。支那の北西(ソ連と蒙古人の共和国とに境する)及び、南西と西(イギリス及びフランスの統治領に境する)は大陸的に海国である日本によっては封鎖されない」
 支那に於ける軍事的観察者は、戦時に於て、支那を攻撃する日本の計画には、次の四局面あることに、概して一致していた。

(一) 日本軍は支那とソ連との連絡を絶たんとして、チャハル、スイユアン、ニンシ
アの西方に進出するだろう。
(二) 日本海軍は関東より満州に至る重要なる各港を占領するだろう。かくして、ア
メリカ及びヨーロッパの供給を絶ち、支那沿岸の完全なる封鎖を行うために、帝国主義者間の衝突が起るだろう。イギリス、フランス及びアメリカは、いずれも支那貿易を抛棄するか、然らずんぽ封鎖を破らんとするだろう。
(三) 上海は支那貿易の主たる出入口として、また揚子江河口の産業的監守地として、日本は特にこれに注意を払うだろう。だが、外国権益のこの中心地に於ける日本軍の行動は、帝国主義者の対立をして破壊点に達せしむるだろう。戦時には日本は、石油、石炭、鉄及び他の戦争資材に於て、外国に依存しているから、帝国主義者間の衝突は結局他の列強の海軍的または陸軍的介入を考慮しない日本の支那侵略を阻止するだろう。
(四) 日本は北支の全体に侵入して、特にこの地域に於けるその支配を拡張するだろ
う。
かかる戦役に対する支那としての答を、毛沢東は次の如く答えた。
「戦略は拡大し、移動し、不定なる戦線に対する作戦、即ち困難なる土地に於て、迅速に行動して、成功を期する戦略、迅速なる攻撃と迅速なる撤退と、迅速なる集中と離散とによって特性づけられた戦略であらねばならない。それは広い塹濠作戦、深い密集戦及び重い要塞によって特性づけられた単純なる位置戦というよりも、寧ろ大規模な機動戦であるだろう。我戦略、戦術は戦争の起る舞台によって異ならねばならない。機動戦なる所以はここにある。
「かく言ったとて、有利なる限り、位置戦で防禦され得る重要なる戦略地点を抛棄する訳ではない。だが、枢軸的な戦略は機動戦であって、主としてゲリラ戦とパルチザン戦とに依らねばならない。要塞戦も利用されねばならないが、それは補助的のものであり、結局第二の戦略的重要性に過ぎない。
「地理的には、戦場の舞台が広大であるから、非常な能率で、そして猛烈な後陣行動に面して慎重に行動しつつ、日本の如きのろのろと動く戦争機械に対応する移動戦を行うことが、我に取っては可能である。深い集中線で、そして狭い戦線に於て、一、二の重要なる位置を防禦するために、全力を挙げることは、我地理と経済的組織との全戦術的利益を抛棄することであって、アビシニア人の誤謬を繰返えすに過ぎない。
「我戦略と戦術とは戦争の初期に於ては、大なる決定的戦争を避け、漸次に敵の士気、戦闘的精神及び軍事的能率を挫くことにあらねばならない。
「支那は正規軍以外に、農民間に多数のパルチザン及びゲリラ戦、分遣隊を創造し、指導し、そして経済的、軍事的に、これを備うるところがなくてはならない。満州に於てこの種の反日義勇兵単位によって仕遂げられたところのものは、全支那の農民から動され得る潜在的な抵抗力を唯僅に示したばかりに過ぎない。○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○。
「戦争が支那に於て行われるだろうことを忘れてはならない。ということは、日本人は敵対する支那人によって全く包囲されていることを意味する。日本人はすべての連絡線に沿うて軍隊を維持し、満州及び日本に於ける根拠地を守備しつつ、彼等に糧食を給し、またこれに対して警備せずにはいられないだろう。
「〔戦争が進むに従って、日本人の捕虜、武器、弾薬、戦争機械等を捕獲する可能性を支那に与うるだろう。〕そして要塞、深い塹濠等を用いて、位置戦で日本軍に対戦することが益可能となる時が来るだろう。何ぜなら、戦争が進むに従って、反日勢力の技術的装備が大に改善されて、重要なる外国の援助によって勢援されるだろうからである。日本の経済は、長期に亘って費用を要すること大なる支那占領の緊張下にヒビが入って、〔兵士の士気は無数の、だが不決定的な戦闘試錬の下に阻喪するだろう。〕
「すべてこれらの、また他の要因が戦争を条件づけ、我をして日本の要塞と、戦略的基地に対して最終の決定的攻撃を行わしめ、支那の占領地から日本軍を駆逐し得るだろう。
〔「捕虜となり、武器を奪われた日本の将兵は、歓迎され、優待されるだろう。彼等は殺されないで、友愛的に待遇されるだろう。我と喧嘩しない日本の無産者兵士を起たしめて、彼等みずからのファシスト圧制家に反対せしむべきあらゆる方法が講ぜられるだろう。我スローガンは『一致してファシスト指導者たる共同の圧制家に反対せよ』『反ファシスト日本人は我友であり、我目的には何の衝突もない』である。〕」
 私たち日本人は、今戦争第三の春を迎えて、毛沢東のこの言を想起して、深く顧るところがなくてはならない。(昭和十五年元旦記。
ハーリー・ガンス氏著「支那が統一するならぽ」に拠る)

          (昭和十五年一月)



最終更新日 2005年06月07日 10時40分49秒

桐生悠々「戦争と政治との区別」

ここ四、五年の間に、即ち二・二六事件以来、内閣の更迭を見ること、七回、こうも頻々たる内閣の更迭を見ては、総理大臣の品切となったのは、またいるのは怪しむに足らない。特にそれが戦時中であり、挙国一致内閣の存在が絶対的の必要と叫ばれつつあるときにさいして、こうも頻々たる内閣の更迭を見るようでは、国民に取っては、如何にも心細く、外国に対しては聞こえわるく、敵国に対しては、侮を招くだけである。
 如何に戦時であるとはいえ、戦争と政治とは、従って軍人と政治家とは、その性質を異にし、従ってその奉仕に大なる相違あることを知らねばならない。この点に於て、私たちはまたおのずからビスマルクを憶わざるを得ない。彼はその『回顧録』に於て次の如く述べている。
「若し戦闘中、私が第十軍団長として、一命令を受け、この命令を実施すれば、この軍団を失い戦争に敗れ、私みずからの生命をも失うと感じた場合、しかも私の真実なる疑懼の申立も、用いられなかったならば、私は唯その命令を実行して滅亡するより外は、事ここに至っては、他に何等の手段がない」
「この見解の中には、現世紀及び前世紀に於けるプロシアの陸軍力の最終的基礎を築いた  そして願くば、将来もかくありたい  将校団の操持する最厳粛なる表明が見出される。だが、その特有の領域(陸軍)に於ては、実に嘆美に値するこうした要素も、
これを立法及び内政並に外交政策に転用するときは、実に危険である」
「たとい我ドイツ皇帝兼プロシア国王の天資がフリードリヒ第二世と同格以上であっても、急迫せるヨーロッパの難局に当って、刊行の自由と、代議制による憲法とを基礎とする我ドイツ帝国の政策は、王の勅令のような具合に督励し得られるものではない」
「政治は要するに戦争ではなくて、唯戦争の必要如何、及び何時それが必要であるか、また私たちは如何にしてこの戦争に対して、面目を保ちつつ予防し得るか等の問題を、巧に処理することに外ならぬ」
「政治の任務は与えられた状態の下に、他の人々が如何に行動するかを、でき得る限り正確に先見することである。この先見を必要とする才能はこれをして有効ならしむるには専門の経験と個人の知識のなにがしかを要しないほどに、天才的であることは、極めて稀である。私は如何なる範囲に、この特性が我支配階級に欠如しているかを考えるとき、不安の印象を抑えることができない」
 近代的戦争は軍人同志の戦争ではなくて、国を挙げての戦争であり、経済的及び思想的の戦争であって、長期に亘って戦われる。だからこそ、戦時の内閣が挙国一致的のものでなくてはならないのである。然るに、我国では、挙国一致の要素たる議会政治が、五・一五事件以来全く屏息せしめられ、○○○○○○○○○○○○○○○○○○。従って総理大臣は殆どその悉くが軍人中より撰ばれまた撰ばれつつある。これでは、内閣をどれほど変えても政治上○○○○○○○○驚くに足らない。何ぜなら、ビスマルクの言った如く、ドイツ皇帝兼プロシア国王ではなく、我軍部が如何に聡明であっても、急迫せる今日の難局に於て、「刊行の自由と代議制とを基礎とする」我日本帝国「現今の政策は将官によって実行された王の勅令のような具合に督励されない」からである。否、我に於いては、○○○○○○○○○○○○○○○○○○○止されているにもかかわらず、政治の実あがらず、内閣はかくも頻々として更迭されつつある。畢竟政治と戦争とを混同しているからである。
 政治は戦争ではなく、「唯戦争の必要如何、及び何時それが必要であるか、また私たちは如何にしてこの戦争に対して、面目を保ちつつ予防し得るか等の問題を、巧に処理することに外ならぬ」とするならば、政治家が、総理大臣が軍部をリ!ドしなければならない。だが、現在の我国では、これが反対になっていはしないか。
 ビスマルクが言っているように、政治家には、「先見の明」が必要である。そしてこの「先見の明」は天才的のもの、本能的のものであるにしても、「これをして有効ならしむるには、専門の経験と個人の知識のなにがしかを必要としないほどに、天才的であることは、極めて稀である」。政治に関する専門の経験なく、さほどにまた個人的知識の豊かならざるものが、政治の局に当り、特に総理大臣となりつつある今日では、ビスマルクほどに経験なき私たち国民ですらも「如何なる範囲に、この特性が我支配階級に欠如しているかを考えるとき、不安の印象を抑えることができない」
〔戦時中だから、内閣を総理するものが軍人でなくてはならないと言ったような素朴な考え方は、もう止めてもらいたい〕。近代的戦争は単純なる武力戦のみではなく、これに伴って巧なる外交戦、及び経済戦を必要とする。戦争の終に近づくに従って、益この巧なる外交戦と経済戦とが必要となって来る。これを軍事専門家に一任して顧ないのは危険である。                        (昭和十五年二月)



最終更新日 2005年06月09日 23時59分21秒

桐生悠々「長鞭馬腹に及ばず」

 私たちは機会あるごとに、必ず言う、引力は距離の二乗に逆比する、そしてこれが自然の大法である。従って、これが不朽の真理、絶対の真理である。従ってまたこれを個人または国家の行動ないし倫理に適用しても、これが明治天皇の教育勅語にいうところ「之ヲ古今二通シテ謬ラス之ヲ中外二施シテ悖ラス」のものである。何ぜなら、これが自然の大法だからである。自然の大法だから、これを古今に通じて謬らず、これを中外に施して悖らないのである。
 自然のこの大法に従えば、我国の外交はおのずからこれによって決定されているはずでなければならない。既定の事実とすらいわなければならないだろう。この大法に反すれば、結局天罰を被むり、少くとも、国歩艱難に直面して、余計な苦労をしなければならないだろう。
 これを今日の英仏対ドイツの戦争について見ると、フランス特にイギリスとポーランド及びフィンランドとの距離は、ドイツ及びソ連とこれらの国との距離よりも大である。距離が大であるだけイギリスや、フランスが如何にポーランドや、フィンランドを助けようとしても、またこれを攻撃しようとしても、ドイツやソ連がこれを助けるように、また攻撃するように、これを助けることも、また攻撃することもできない。現に事実がこれを証明しているではないか。イギリス及びフランスよりも、この二国と相距ること遠きアメリカのこれに対する精神的支持が、犬の遠吠と同様なることに何の不思議もない。
 イギリス、フランス及びアメリカの質量は、如何なる関係から見るも、フィンランド及びポーランドの質量よりも、大である。だから、その間に何等の質量も存在しなければ、自然の大法によって、フィンランド及びポーランドはイギリス、フランス及びアメリカのために引かれるだろう。そしてそこに自然の秩序が確定されるだろう。だが、その間に、彼等の質量に劣らないドイツ及びソ連という質量が存在すれば、この引力は距離の二乗に逆比して、遥に弱く、小さいものとなる。現にそうなっているではないか。これらの諸国が如何にあせっても、フィンランドやポーランドを救うことができず、終にドイツや、ソ連に引きつけられてしまったではないか。彼等はドイツや、ソ連がその利害のために、この両国を勝手に処分することを座視するより外はなかった。
 彼等は自然の大法に背く外交政策を取っているからである。
 殷鑑遠からずと言っては、固より悖理であろうけれど、我外交もこの愚を学んでいはしないか、少くともこの覆轍を踏んでいはしないかと、私たちは疑わずにはいられない。
 離合集散常なきことは、従来私たちの見た世界に於ける国際関係の常であった。これがために、我平沼内閣をして、これを「複雑怪奇」と評せしめ国民もまたこれを認めて、国際関係は常にこうしたものと、一方に彼等をして驚かしむると同時に他方に於て、これをあきらめさせている。畢竟我政府と国民とが、決定的なる外交政策を持っていないからである。少くとも、外交上一定見を持っていないからである。しかも、彼等は漫然として親英派、親独派、または恐露派、恐米派など、彼等自身の間に派を分ち、党を樹て、喧々囂々として互に相搏っている。私たちは外交上一定不変の原則を持たないために、かくして今や諸外国の総スカンを喰いつつある。しかも、有史以来の一大業に着手しつつあるこの秋に於て。
 引力は質量の大小に正比すると同時に、距離の二乗に逆比する。この自然の大法に従うときは、我国の外交は性質上、従って根本的に親ソ的、親支的であらねばならない。然るに、我は今支那と戦っている。支那と戦っているのではなく、抗日排日を事とする蒋介石と戦っているのだと、彼等はいう。理論はその通りである。だが実際には支那と戦っている。そして罪なき支那国民がその傍杖を食って、これがために殺傷され、その財産も破壊されている。だから、こうした戦争は一刻も早く中止しなければならない。でなければ、東洋永遠の平和ではなく、東洋永遠の闘争を結果しないとも限らない。いうところの「善隣友交」はこの戦争を中止すること、一日速ければ、速いだけ速く来り、一日遅ければ、遅いだけ遅く来る。幸にして、そこに蒋政権の外に、汪政権の成立を見、我国はこの汪政権と和平を講ずるに至ったので、支那との和平はここに取戻されたけれども、抗日の蒋政権がなおそこに存在する限り、依然としてこれと戦を交えていればいるだけ、これがために傍杖を喰う支那国民、特に国民中の心あるもの、即ち、インテリー階級の怒と怨とをいよいよますます大ならしめる。政府特に軍部はこの辺の消息に想到して、慎重に、だが一日も速くこれに善処しなければならない。
 幸にして我と支那との「善隣友好」は今や我国民の、しかも軍部すらもの常識となったから、今後今日の如き幻滅的現象を見ないであろうが、次にロシアとの「善隣友好」に考え及ぶとき、そこに「善隣友交」の代りに、「悪隣闘争」の悪夢に脅かされつつあるのは、私たちは実に遺憾とするところである。尤も今日では、ロシアは共産主義の国であり、我国体とは絶対に、相容れないから、これを敵視するのは、恐らくは正化されることであろうけれども、これを宿命的の敵と視るのは、大なる偏見であると同時に、自然の大法則を無視するものである。日露戦争後、この偏見を捨て、自然の大法則に目ざめて、ロシアと同盟条約を結ぽんとした先輩の政治家  不幸にしてそれは失敗したがーあることを知れば、思半に過ぐるものがあろう。
 曾て述べたるが如く、いずれの国の政府も短命であるけれども、そしてその生命は明日をも測り知られないけれど、国民の生命は長い、寧ろ永遠であるかも知れない。第一次のヨーロッパ戦争に於て、ドイツ帝国は亡びたけれども、ドイツ国は依然として存在し、ドイツ国民の民族的意識はヒトラーに率いられて、戦前よりも旺盛となり、今英仏に向って戦を挑み、これを倒さざれば已まざらんとしているではないか。ユデア人もまたその有力なる一例であり、その国は既に亡びて無いけれども、ユデア民族は到るところに存在して、その知能を誇ると共に、金銭の武器を通して彼等の敵を苦しめつつあるではないか。これと同様、現在のロシアは共産主義の国であり、従ってスターリンによって支配されているけれども、それは固より永久的の現象ではなく、従って固定的なものではなく、将来に於ける幾変遷、幾進化に考え及ぶとき、彼が宿命的の敵にあらざることは言うまでもない。
 眼を一瞬時の過程にのみ注いで、全体としての動き、特にそのゴールを洞見しなければ、これがために起るところの現象に対して、=暑一憂、寸時も安心℃能わない。ロシアは今ソ連として我敵であるけれども、必ずしも後に来るべき敵でないのは言うまでもなく、寧ろ将来の親友であらねばならない。親友として交わらなければ、私たちは自然の法則に背く罪に報いられるだろう。特に今後発展すべき「我国際主義」に考え及ぶとき、我とロシア、支那、印度のブロックが、ヨーロッパブロック、及びアメリカブロックと相対して、その存在と繁栄とを保障するものとなるだろう。委しきことは、今記者が本誌に於て紹介しつつあるフォアマン氏の「新国際主義」について、一読されんことを読者に請うて、ここにはこの煩を省く。
 一時の興廃は寧ろ意とするに足らない。そのゴールに於ける興廃と決定とが問題なのである。百年後、三百年後に於て、誰が東亜の主人となるかが問題であるのだ。この問題を解決するものは、自然の大法則に従うものであらねばならない。質量相引くの力は質量の大小に正比すると同時に、距離の二乗に逆比することを知ったものであらねばならない。長鞭馬腹に及ばず、英仏の対フィンランド及びポーランド外交が今その無力なることを証明した。〔ドイツ及びイタリーとの我防共協定もまたその無力なることを証明した。〕我外交当局にして、この理を体得するならば、徒らに「複雑怪奇」なる一時の外交的現象に驚くことなく、寧ろ永遠的なる確定不動の方針を持して、機に臨み変に変じて、これに善処し得るだろう。
〔だから、この方針に基く排英、排米は、自然的であるけれども、一時の利害、感情に拍車かけられた言論、特にこれに伴う行動は我将来を誤るの甚しきものであるだろう。従って、一時その状態を同じうするの故を以て、漫然として親独、親伊を唱うるものも、また我将来を誤ることなしとしない。〕盲目的なる感情に制せられずして、科学に基礎を置いた理想によって、我外交をリードすべきである。ビスマルクの外交はフランスに対する外交を除けば、この科学的観測に基く、ドイツに取っての万代不易の外交であった。好漢憾むらくはなお自然の大法則を解せず、最近距離内にあるフランスを以て宿命的の敵となし、これがために、今日に至るまで、絶えず国家と国民とを悩ましつつある。殷鑑遠からず、我外交家は大に慎しむべきである。        (昭和十五年四月)



最終更新日 2005年06月10日 00時02分34秒

桐生悠々「政治優位論の結果」

新体制その物については、私たちは無条件に賛辞を呈すること能わず、特に私たちの職域から見て、言論の自由に触れなかったことに関しては、寧ろ絶対的に反対するものであるけれども、この新体制に伴っておのずから起りつつある気分に対しては、賛意を表すことを吝まない。何ぜなら、この気分は政治の優位論を体現しているからである。
 政治という観念の本質から見て、政治は当然に経済を含むものであらねばならない。言いかえれば、経済は政治に従属するものである。従って、政治は経済をリードすべぎものであるにもかかわらず従来の政治は反対に経済にリードされた。平時に於ては、そうした現象を見ても、さほど憂うるに足らなかったが、戦時、しかも長期の戦争を余儀なくされつつある今日にあっては、政治が経済にリードされていては、結局敗戦を見るの外なきため今度は政治が一躍して経済をリードするに至った。戦争に利益ありとするならば、こうした現象がせめてもの一利益であるだろう。否、長期戦が戦われつつある今日であればこそ、政治はその固有なる優位に復帰して、経済をリードするに至ったのである。
 その結果として、統制、特に物価の統制が強化さるるに至った。従来はまだるくて見ていられなかった物価の統制が、心往くまでに統制されんとしつつある。闇相場の検挙といえば、従来は雑魚を掬うに過ぎなかったものが、最近は大物を捕うるに至った。痛快と思われるほどに、私たちの正義感を満足せしめつつある。既に幾度も述べたる如く、私たちは乏しきを憂えずして、等しからざるを憂えると共に、物資の乏しきよりも、その高価に、その暴騰に苦んだのであった。それが今強権を通して、抑制され、最小限度の利潤でなければ適当の利潤を以て、これが抑制されんとしている。かかる果断的の政治を見なければ、国民生活の保障というが如き歴代政府の宣言は、畢竟鬼の空念仏に過ぎなかった。国民生活の安定ないし保障がなくして、何の政治か。
 と同時に、こうした現象は、政府が爾来私たちの力説しつつあった生産よりも消費を重しとする経済の重要性に目ざめた結果である。生産のための生産ではなくて、消費のための生産であるという根本的なる経済原理に目ざめた結果なのだ。うい奴と賞めてやらねばならないが、彼等にして今一歩を進め「賢明なる消費」に目ざめるならば、満点である。
〔私たちは事変発生以来、二重に愚なる消費を強いられた。悪質にして、しかも高価な物を消費せしめられた。例えばスフ入の靴下の如きは、一度で穿き棄てるより外はなかった。贅沢といわなければならない。政府は国民に対して、たわけの一つ覚えの如く、倹約せよ倹約せよといいながら、こうした愚なる贅沢を強いていた〕。これは単に靴下のみではない。一切の物資につき、高価にして、しかも使用に堪えないものを、強いて国民に消費せしめていた。空費でなくて何であろう。
〔空費と貧乏とは隣同士である。空費していれば貧乏するのはあたりまえだ。さなきだに貧乏なる私たちが、この上に空費せしめられては、堪ったものではなく、結局聖戦は愚戦、拙戦、終に敗戦となってしまわなければならなかった。〕
 この空費防止の一策として、広告に対して一大制限を加うるに至ったのも、賞めてやってよい。空費の教唆者は広告である。一般の消費者は自動的のものではなくて、他動的のものであり、自己衷心の慾望に訴えて消費することを知らず、広告によって初めて其消費すべきものを知る、というよりも与えられた物を消費すべく教唆される。この教唆者を征伐しなければ、空費者は根絶しない。生産者は人類の弱点を利用して、心理学上大に人を誘惑する広告を作為する。この広告が流行を招来する。流行を招来せぬまでも、隣の御嬢さんが与えられた着物を着、または与えられた帯をしめているのを見た娘や、親が、負けぬ気になり、無い物までも質に入れて、これと同様なる着物や、帯を買って、娘を喜ぽせ、親心を満足せんとするのは、人情の然らしむるところ、かくして空費は止まるところを知らず、貧乏は更に貧乏を産む。広告の制限はこの空費を防ぎ、貧乏を防ぐ。ここに気の()いたのは、賞めてやってよい。
 ラジオ娯楽物の再検討、これも賞めてやってよい。この事については、私たちは既に度々書こうとしていたが、終に政府に先手を打たれてしまった。わざと寄席や、劇場へ出かけるものは、その心構で出かけるから、さほどに害はないだろうけれど、家に寝転んでいて、ナンセンスなラジオを聞き慣れると、時局の危急性を忘れてしまう。これが人心に及ぼす影響は軽視すべく余りに重大性を帯びている。黄色い声の、残暑堪え難き時節でも慄え声を出す西洋の声楽物、馬鹿にでっかい声を出して、近所隣を迷惑がらせる廃頽的な浪花節や、義太夫のラジオなどは、電波の空費、人間神経の空費であって、戦時でなくても、禁止物であるだろう。
 如上政治優位論の結果、政治が経済をリードしなければならないという原理が確定された結果、消費経済が生産経済よりも重しとさるるに至ったのは、私たちの持論の正化を裏書したものとして私たちはこれを歓迎するに(やぶさか)ならぬものではあるが、遺憾ながら、それは唯物価即ち財貨の価格の上にのみ止まって、その数量と性質とに関し、消費経済上寸毫も顧られないのは、時局が包蔵している矛盾性と、為政者がなお真に消費経済の重要性に目ざめていないことを示している。
 無論彼等はこの時局に対して、生産拡充の御題目を唱うることを忘れない。だが、重点主義とやらいうものに妨げられて、〔軍需品の生産に関しては、極度にこれを拡充しているけれども、国民生活の必需品に至っては、これまた極度にこれを縮小しつつある。近代の戦争が武器や、軍需品ばかりの戦争ではなく、各交戦国の国民生活その物の戦争であることを意識しながら、なおこの国民生活を困難ならしめている。矛盾であると同時に、かくの如くしていては、長期戦争に堪え得られないかも知れない〕。資材皆無であり、または僅少である場合は已むを得ないことではあるが、資材が豊富であり、またその政策如何によっては、資材を豊富ならしめ得る場合にも、なお国民生活の必需品を稀少ならしめ、従ってその価格を騰貴せしめている○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○前掲靴下の場合は、棉花という資材を得るに困難なるためその生産を拡充し得ないのは、同情を禁じ得ないけれど、木炭の如き、資材乏しからず政策如何によっては、其生産を拡充し得るにもかかわらず、これを縮小せしめて、終に木炭飢饉を惹起せしめたるが如き、弁解の辞なしといわざるを得ない。
 政府にして真に消費経済の重要性に目ざめたならば、(ただ)に物価に対して、消極的の統制を行うのみならず、財貨、数量と性質に対して、積極的の統制を行わねばならなかったにもかかわらず、彼等は生産経済に伴う利己的なる人の心理を自然のままに抛棄していた。だから、国民は同一の価格を払いながら、受取ったところの財貨の数量はヨリ少くしかもその性質は劣悪なるものであった。これは私たちのいうところ断じて「賢明なる消費」ではない。これらの消費財が忽にして消尽され、しかも人に満足を与えなかった点に於て、寧ろ「空費」であった。倹約を力説しながら、彼等は人に「空費」を強いたのであった。だから、彼等にして真に政治の優位を認めるならば、この政治の優位を通して、消費経済に重きを措き、生産経済に対して積極的の統制を断行し、過を再びせざらんことを切望に堪えない。
(昭和十五年九月)



最終更新日 2005年06月10日 00時08分29秒

桐生悠々「建川中将のソ連大使」

 一切の物が不徹底的に、半呑半吐的に見える今日この頃、建川(美次)中将のソ連大
使は実に徹底的であり、しかも私たちが平生唱え来った宇宙の大法にかなうものであり、この窘窮しつつある時局から我日本を救うものとして、何事にも容易に首肯し得ない私たちをして、全然双手を挙げて歓迎せしめつつある。
 引力は質量の大小に正比例すると共に、距離の二乗に逆比例する。これは宇宙の大法である。それ故にこそ、〔私たちは外交上、我国は目下これを戦いつつある支那と一刻も速く和を講じなければならないことを、大譲歩と思われるほどの条件すらも忍んで、これと和を講じなければならないことを、更に進んでは、如何なることがあったとしても、これと戦った当局の不明を力説しなければ〕○○○○○○○○○○○と同時に、たといソ連は運命的に我敵であっても、これを決定的なる敵として取扱う我一部階級のイデオロギーを以て、寧ろ愚の極としたのであった。だが、前者は既定事実として、今如何ともすることができないにしても1実際には、そこに種々の精巧にして、大胆なる手段あることは論を待たないけれども1後者はまだ事実となって現われて来てないから、今日に於て、予めその策を講じて置かなければならない。建川中将の、親ソ的と噂されつつある同中将のソ連大使はこの策の一端を示すものとして、大に賞めてやらねばならないだろう。これに成功するや否やは、あまたの条件がこれに伴っているから、今遽に決定し能わない〔けれども、政策として今窮地に陷らんとしつつある我国を救う一手段として、しかもこれを唯一の手段として、そして〕その成否如何はこれを別問題として、近衛内閣のそして特に松岡(洋右)外相の心構えを大に賞めてやってよい。
 我霞ケ関が形式に囚われて、愚にもつかぬ伝統に囚われて、儀礼的なる外交官に重きを措き来ったことは、識者の挙げて非難したところであった。今型破りの松岡氏が外相の椅子を与えられ、そしてこの型破りの大使任命を見るに至って、私たちは実に救われたような感をいだかざるを得ない。松岡外相が就任の当時敵国をのみ作るは、寧ろ外交の愚を暴露するものである、このさい、我国は成るべく多くの友邦を求めなければならないことを声明した。〔この声明が第一次の近衛内閣以来、常に見つつあった声明倒れに終りはしないかと、私たちは内心寧ろ嗤いつつあったが、〕今この声明が事実となって現われんとしつつあるのを見て、我邦の将来を念うものは、何人と雖も、救われた感をいだかねばならないだろう。
 一言にしていえば、松岡氏のこの大使任命は、脱線しつつあった我外交をその固有の軌道に復する点に於て、またこの声明を率直に実行した点に於て、二重の大なるヒットである。と同時に、形式を整えることにのみその日を暮らしつつある新体制準備会が、今なおまとまった案を発表し得ず、しかも「指導者原理」を主とするか「民主的原理」を主とするか、言いかえれば、彼等のいうところ、「重点主義」がいずれのところにあるか不明なる、従ってこれもまた声明倒れに終りはしないだろうかと杞憂されつつあるときに於て、松岡外相が突如として、外交上勇敢にこの新体制を実現した点に於て、これは三重に大なるヒットといわざるを得ない。
 無論、この外交の成功には、前述の如くあまたの条件を必要にする。だが、我国に特殊なる外交原理としては、これを措いて他に求むべきものがない。松岡外相の健在を祈ると共に、建川大使の健在を祈る。               (昭和十五年九月)



最終更新日 2005年06月10日 02時49分56秒

桐生悠々「万民翼賛の政治」

 新体制は発案者たる近衛公の明言しつつあるが如く「万民翼賛」の政治である。そしてその手段としては、「上意下達、下意上達」の上下疎通によって、この政治が実現されるものとされている。だから、私たちは喜んで、然り大に喜んで、これを歓迎しなければならない筈であるにかかわらず、日常私たちの接しつつある多くの人々が、殆どそのすべてと思われる多くの人々が、〔これに対して不安を感じ、中には恐怖にさえも襲われつつあるは何故か。曰く、これを運用する官僚が威圧を以て国民に臨みつつあると同時に、「万民翼賛」の政治たる新体制を以て、万民の自由を統制する政治その物を誤解しているからである。言いかえれば新体制即統制、統制以外には新体制なしとすら誤解しているように思われるからである。特にこの誤解が警察の強権を通して示唆さるるに至っては私たち国民が挙げて歓迎しなければならない筈の新体制が、却って国民に不安を感ぜしめ、恐怖の念をすら感ぜしめつつあるのは怪しむに足らない〕。政府当局は特にこの点に、大なる注意を払わねばならない。
〔ということは、新体制の実現がその手段に於て誤らされているということである。上意が下達していないということである。少くとも、上意が「親切に」下達していないということである。新体制が「万民翼賛」の政治であることを「親切に」下達せず、動もすれば、警察権を通してこれを強行せんとしているからである〕。国民をして喜んで大政に翼賛せしめてこそ、そこに初めて新体制の意義と価値とが発揮されるのである。いやいやながらこれに翼賛せしめては、何の効果もない。上意は「親切に」これを下達すべきである。
 私たちは、〔ここに粗暴にも、司法警察と行政警察の区別とを論じない〕。唯警察官が平生商工業者に接する場合、今少しく親切であってほしいと思う。新しい畳でも叩けば塵が出る。況や平生営利を目的としているものに対する場合に於てをや、これに対して、
〔二言目に、直に「豚箱」〕を暗示するのは、断じて万民翼賛の政治ではない。警察官自身が既に国民であり、特に直接に政治に参与している以上、かかる軽率なる言を弄するのは万民翼賛の手段ではなくて、却ってこれを破壊するものである。
 次には新体制にいうところの「下意上達」の手段である。この手段もまた官僚特に警察官によって誤らさせられている。これは商業者ではなく、記者自身の経験によって痛感せしめられつつあるところのものである。
 記者がこの雑誌に於て筆を執りつつあるところのものは、彼一個自身の判断に基くものではなくて、彼が平生接しつつある人たちの意見と感情とを代表しているものである。
〔然るに、検閲係はこれを以て記者一個の意見と感情とを記述したるものに過ぎずとなし、これに対して、動もすれば、また軽率の言を弄する。幸にして、記者は商業者の如く営利を目的としているものではないから、彼はこれに対して、自由に反撃する。そして、これに対して反省を促しつつあるけれども、彼等の判断によって公表を非とされた文句は已むを得ず、これを削除せざるを得ない。これを削除せずして、発行すれば、発売を禁止されるからである。従って、この雑誌は毎号しかく空白の部分極めて多き記事を掲載して、以て満足すべく余儀なくされている。〕
 ということは、下意が上達しないということで○○○記者は彼一個自身の判断と感情とによってではなく、彼が輿論と信ずるところのもの、または輿論たらしめんと欲するところのものを記述して即ち下意を記述して、これを上に達せしめんとしているのに、〔中間に余計なものが介在して、これを妨げている。これが果して新体制であるだろうか。〕
 万民翼賛の政治は各国民がその職域に従って国家のために尽くすべき政治である。そして彼等もまたこれを認めている。だから、記者は記者たる以上、記者たるその職域の上から見て、その可否を判断して、以て政府当局の参考に資せんとしているに何の妨ぐるところがあろう。否、かくしてこそ彼は初めて万民翼賛の政治に参与しているのだ、知って言わざるは不信である。この不信を敢てせしむるところに、新体制の誤らされる原因がある。〔看よ、我言論機関は今や挙げてこの不信を余儀なくせしめられつつあるではないか。記者自身だけはこの信-義を守らんとして、爾来孤軍奮闘し来ったが、その筆にするところのものが、しかく大部分削除されては、彼は心ならずもまたこの不信を余儀なくせしめられねばならない。言いかえれば、〕彼の心づくし、国のための心づくしは、畢竟余計なもの以外何物でもなくなってしまう。実に遺憾千万である。だから彼は今後、根本に遡って論じないことにする。
〔時偶三国同盟成る。そして言論の自由はここに全く埋葬されんとしている〕。だから、記者はこのさい、明治大帝があの画期的なる五箇条の御誓文を公布されると同時に宣布された左の宸翰を想起して、これをここに掲げ、ここしばらく事件の発展を静観しなければならなくなった。
「朕幼弱を以て猝に大統を紹ぎ、爾来何を以て万国に対立し、列祖に事へ奉らむやと、朝夕恐懼に堪へざるなり、窃に考るに、中葉朝政衰てより武家権を専にし、表は朝廷を推尊して、実は敬して是を遠け、億兆の父母として絶て赤子の情を知ること能はざる様、計り為し、遂に億兆の君たるも、唯名のみに成り果、其が為に、今日朝廷の尊重は古へに倍せしが如くにて、朝威は倍衰へ、上下相離ること霄壌の如し。斯る形勢にて、何を以て天下に君臨せんや。今般朝政一新の時に膺り、天下億兆一人も其所を得ざる時は皆朕が罪なれば今日の事、朕自ら身骨を労し、心志を苦め、艱難の先に立ち、古列聖の尽させ給ひし蹤を履み、治績を勤めてこそ、始て天職を奉じ、億兆の君たる所に背かざるべけれ。往昔列聖万機を親うし、不臣の者あれば自ら将として之を征し給ひ、朝廷の政総て簡易にして、此の如く尊重ならざる故、君臣相親みて、上下相愛し、徳沢天下に洽く、国威海外に輝きしなり。然るに近来宇内大に開け、各国四方に相雄飛するの時に当り、独我国のみ世界の形勢に疎く、旧習を固守し、一新の効を図らず、朕徒に九重の中に安居し、一日の安きを倫み、百年の憂を忘るる時は、遂に各国の凌侮を受け、上は列聖を辱め奉り、下は億兆を苦めむことを恐る故に朕ここに百官諸侯と広く相誓ひ、列祖の御偉業を継述し、一身の艱難辛苦を問はず、親ら四方を経営し、汝億兆を安撫し、遂には万里の波濤を開拓し、国威を四方に宣布し、天下を富岳の安きに置かむとす。汝億兆旧来の陋習に慣れ、尊重のみを朝廷の事となし、神州の危急を知らず、朕一度足を挙ぐれば、非常に驚き、種々の疑惑を生じ万口紛紜として、朕が志を成ざらしむる時は、是れ朕をして君たるの道を失はしむるのみならず、従つて列祖の天下を失はしむるなり。汝億兆能く朕が志を体認し、相率ひて私見を去り、公議を採り、朕が業を助けて、神洲を保全し、列聖の神霊を慰し奉らしめば、生前の幸甚ならむ。」   (昭和十五年十月)



最終更新日 2005年06月12日 21時05分52秒

桐生悠々「政府自身の臣道」

 だが、冀くば過去の死骨をして葬らしめよ。事ここに至った以上は、寧ろ死活の戦である。国民も自粛自戒すると同時に、軍部及び政府当局もその重大なる責任を知って、速に日支事件を終局せしめよ。これを終局するに渾身の勇を鼓して邁進せよ。これを終局せしめないで、更にアメリカと事を構うるのは無謀の極である。それこそ、明治大帝ののたまわさせられた如く「尊重のみを朝廷の事として、神州の危急を知ら」ざるものである。臣道の実践は対内的の事のみではない。対外的にこれを実践して、以て天壌無窮の皇運を扶翼しなければならない。
 政府は私たちに対して今臣道の実践を要求しつつあるが、私たちはこれと同時に、政府に対しても、政府自身の臣道実践を要求せざるを得ない。内に顧み、外に眺めて、このさい如何にすれば宸襟を安んじ奉り得るか、少くともこれを悩まし奉らざるかの問題がそれである。強いことばかりを言い強いことばかりを行うのが臣道の実践ではなく、弱かるべきとぎには弱く、硬軟能く調整し得て帝国の威信を失墜せざる底の外交を行い、そしてこれによって聖戦の目的を達し、依って以て宸襟を安んじ奉る、これが即ち政府当局としての臣道の実践である。事頗る困難であるけれども、世界の大勢を客観的に洞察し、機を見るに明敏で、行うに果断であるならば、やれないことはない。唯行がかりに囚えられて、逡巡し、愚図愚図していては、かかる芝居は打たれない。私たちは危急存亡のるかそるかのこの秋に於て、かかる臣道の実践者を欲すること切なるものである。そして唯国民に臣道の実践を要求するだけで、輔弼の臣としての自己の臣道を実践しない政治家ありとすれば、かかる政治家は一刻も速く隠退せしむべきである。
 近衛内閣がソ連に建川大使を送り、今またアメリカに野村(吉三郎)大使を送ったの
は、この意味に於て、臣道を実践せんとしつつあるものである。だが、この両大使が果してソ連と、またアメリカと或意味の諒解を遂げ得るや否やは、無論この両大使の手腕如何に繋るところであるが、またこの両大使が臣道の実践に如何に目ざめつつあるかの程度如何によって決定されるだろう。
 ソ連に対しては、今差当り彼の感情を害すべき何等の行動をも取っていないから、またソ連自身の利害から見ても、或は然らんであろうから、この方面に於ける我外交は成功の可能性を想像されるが、既に日独伊三国同盟が締結された以上、アメリカの我に対する敵性は確実性を帯び来ったように思われるから、この方面に於ける我外交が成功の可能性あるや否やは頗る怪しい。特に親の心子知らずの我新聞が、アメリカに対し、ルーズヴェルト大統領の三選に対して、今日の如き悪罵を敢てしている以上、アメリカ人の感情の悪化は、野村大使が如何に好意を以て彼等に接しようとも、この感情を翻がえすことは、至難でなければ、不可能でもあるだろう。
 親類の機嫌は時によっては、多少これを害しても、取り戻し得るものだが、他人の特に敵意を示しているものの機嫌を害しては、結局喧嘩するの外はない。ドイツは今同盟国であるから、我新聞が世界の大勢を論ずるに際して、特に戦後実現されるだろうところの新秩序を論ずるにさいして、多少厳密なる批判を加えても、彼は何とも思わず、寧ろ微苦笑を以てこれを迎え得るだろうけれどもその国交危機一髪の間にあるアメリカに対して心なき悪評を試みるのは、大に慎むべきであると同時に、臣道実践の唱道者たる政府はこれを禁止して然るべきである、然るに、○○○○○○○○○イッを批○○○○
○○○○○○○○○○○○○○○○○○アメリカに対しては聞くに堪えざる悪罵を逞うしても、これを顧ず、寧ろこれを以て痛快としているように思われる。外交上断じて臣道をまた職域上断じて臣道を実践するものではない。野村大使が如何にルーズヴェルト大統領を知り、またアメリカ人に対して如何に好意を示しても、我新聞がかくしてアメリカ人の感情を悪化しては、大使の臣道実践は恐らくは不可能となるだろう。政府は新聞の取締についても一考することを要す。            (昭和十六年一月)



最終更新日 2005年06月13日 21時36分54秒

桐生悠々「巻頭言(第八年第五号)」

戦争になると、各交戦国はいずれも自国軍の成功したことのみを報ずる。従って、私
たちは三国同盟の結果、英独戦争に於て、ドイツ空軍の成功のみを報ぜられて、イギリスの空軍が如何に活躍しているかを知らない。かような片通信によって、この戦争を判断すれば、動もすればその見通しを誤る。だから、私たちは本号に於て、ニューヨーク・タイムスの記者P・R・ポスト氏が同紙に通信した「英国の空中戦」iイギリスの飛行機がドイツの飛行機を邀えて、如何に活躍しつつあるかの状況ーを読者に紹介することにした。
 ロンドンが、そしてイギリスの到るところがドイツの飛行機によって、痛ましくも爆撃されている間に、四マイル以上の上空で、両国の飛行機が如何に相搏っているかを想うとき、そして今後アメリカ製の優秀なる飛行機がイギリスの空軍に加わるとき、最終に英独の空軍いずれが勝つかは遽に判断し能わない。
 但し空襲の防ぎ能わない一事に至っては、記者が第一の筆禍以来、牢乎として抜くべからざる信念であり、しかも事実は着々としてこれを証明している。従って、言論は言論を以て破り得るまた破らねばならないように、飛行機は飛行機を以て撃退し得る、また撃退しなければならないことが、今や世界の挙げて認むるところとなったのは、彼がせめてもの自慰である。                    (昭和十六年三月)



最終更新日 2005年06月14日 19時14分53秒

桐生悠々「歴史の偶然性」

 クレオパトラの鼻がもう少し低かったならば、世界の歴史は一変したであろう、といわれるほど歴史は偶然的なものである。これに必然性を強与したマルクス主義者は、しかし仮定しなければ自己の学説を、プロレタリアの独裁主義を正化し得なかったからである。彼等自身の学説が途中突変して、神秘的に革命に飛躍したことに徴しても、以てこの間の消息を推察するに足る。
〔蘆溝橋事件はサラエボ事件と同様に、第二の世界戦争を惹起せしめた。避ければ避け得べかったにもかかわらず、偶無謀のものが、これによって惹起されるだろうところの事件が如何に重大であるかを知らざるものが、敢てした行動によって、第一の世界戦争も、第二の世界戦争も起ったのだ。〕
 第一の世界戦争は既に戦われ終ったものであるから、今これを問わず、〔第二世界戦争の烽火たる蘆溝橋事件にあっては、日本は現地解決主義、戦局不拡大主義とによってこれを解決せんとしたにもかかわらず、その間に偶無謀、無智のものが存在して終に今日の如き紛糾したる一大事件を見るに至らしめた。(ただ)に支那事変を存在せしめたるのみならず、英独戦争を、しかして延いては、この第二世界戦争をも存在せしむるに至った。〕.
 歴史は必然的に今日の如く進行しなければならなかったものではない。局に当ったものが賢明であって、周囲の事情に左右されず、毅然として、また牢乎として抜くべからざる信念を以て、これに臨んだならば、歴史は今日の如く、しかく不幸に書かれなかっただろう。
 他を論ずるの遑なきが故に、私たちが今この解決に、○○○○○○○○○○○○○○
○○○○○○○○○○先年リースロース氏が来朝して、支那の幣政改革に我の参加を勧誘したとぎ、我がこれに応じて一役を買っていたならば、〔恐らくは、今日の日支事変は起らなかったろう。起ったとしても異った条件の下に、異った姿を以て現われたであろう。偶局に当っていたものが、無智だったため支那の事情を知らなかったため、支那は単に支那のみではなく、また東洋としての支那のみではなく、世界の支那、特に英米の利害関係等が輻湊している支那であることを知らなかったため、そして彼の幣政改革に参与することを拒絶したればこそ、言いかえれば、今盛に彼等が唱道しつつある日支共存共栄の原理に偶目ざめていなかったればこそ支那と相携えて乗り出さなければ、東亜の新秩序を創造し得ざることに偶気づかなかったればこそ、終に今日の不幸なる状態を惹起せしむるに至ったのである。
 だが、当時にあっても、既にこれに目ざめていたものが少からずあった。不幸にして、これに目〕○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○終に今日の状態を招来するに至ったのである。
 論じてここに至ると、歴史は必然的のものではなくて、普通の事実と同様、原因と結果との繋りであるに過ぎない。しかも原因には必然的のものもあれば、偶然的のものもある。そして人類的事件についてこれを言えば、ここに偶然的のものとは人類の自由意志より起るところの行為、及びこれに伴う現象である。マルクス主義者は彼等の唱うるところの社会主義を以て、科学的なるものに仮装するため、自由主義を排して、必至主義即ち必然主義を取っているけれども、その独断教なることは、既に定評的となっているのみならず、純正科学の分野に於ても、今や不決定原理が台頭しつつある位であるから、必至主義、必然主義は久しからずして退場せねばならなくなっている。まして人類的事件に於て、歴史の必然性を唱うるなどは、恐らくは一の時代錯誤であるだろう。
〔従って日支の関係が今日の状態に立ち到ったのは歴史の必然性に基くものではなくて、歴史の偶然性に基くものである。言いかえると、避ければ避け得べきものであった。〕
強いて歴史の必然性を主張せんとするならば、日支は必然的に結び付かねばならない関係にあり、民族的にも、政治的にも、経済的にも、文化的にも。  (昭和十六年三月)



最終更新日 2005年06月16日 01時23分41秒

桐生悠々「巻頭言(第八年第十三号)」

 最終に、ソ連もまた戦争に捲きこまれた。(註 昭和十六年六月二十二日独ソ開戦)これで名実共に「第二の世界戦争」となった。そしてそれは記者自身に関する限り、願わしいことである。何ぜなら、ソ連だけが居残って戦争しなければ「第三の世界戦争」が久しからずして、また戦われる可能性があるからだ。
 かくして人類がその愚に目ざめなければ、結局彼等は自滅しなければならない。動物は自己を保護する武器そのものによって、自滅するのが、その運命だと、進化論は結論しているからだ。そして私たちは文明、文化の過程上、今日の段階に達したものの、自滅すべくなお余りに早いとうぬぼれているからだ。
 戦局をしてもっと拡大せしめよ。そして戦争の期間をして、もっと長からしめよ。然るとき、各民族、各国家はへとへととなり、こうしていては共倒れとなるだろうことを、自覚するだろう。この自覚が必要だ。
 こうなる以前に於て、私たちはこの種の愚を演ぜざらしむべく、陰に、陽に、警告しようとしていたが、○○○○○○○○○○○○これを許さなかった。今後もなお一時は許さないだろう。さすれば、私たちの行くべきところはもう決まっている。
 そうだ、私たちの行くべきところは、もう決まっている。にもかかわらず、私たちは未練にもなお半途にして帰ろうとした。盲目的なる愛国者になり得られないので、明察的なる憂国者になろうとした。私たちの悩はここにあった。今もなおここにある。
                   (昭和十六年七月)



最終更新日 2005年06月16日 01時24分51秒

桐生悠々「巻頭言(第八年第十四号)」

 小児的声明病  こうした病気があるならば、素朴なる日本の政府、特に近衛内閣ー第一次のそれと第二次のそれとを通じて  の病気であったろう。この病気のために、私たちは今どんなに苦しんでいるか知れはしない。
〔だが、独ソ開戦のこのさいに、この病気が再発しなかったのは、国家のため、大に慶すべきことであった。誰かが公然と「どうするか」と聞いていれば格別、さもなければ、形勢観望がよい。好んで火中に没しないでもよい〕。
「ウェート・アンド・シー」これは今我敵性国イギリスが外交上常に取って来た手段であった。無論彼はこれがために失敗したこともあったが、大部分の場合、彼に臨機応変的の利益を与えた。
 用意をして置けばよい。急いては事を仕損ずる。みずからの尚早的な声明に縛られて、手も足も出ないようになるのは、愚の極である。
 だが、無方針であってはならない。一国には一国の外交的一大方針-根本的方針
がなくてはならない。そしてこの方針は私たちのいうところ宇宙の大法にもとつい
たものであらねばならない。一時の利害に眩惑されて、これに反する行動を取れば、最終に天罰を受ける。
 第三次近衛内閣に対しても、私たちはまたこれを言う。     (昭和十六年七月)



最終更新日 2005年06月17日 01時36分06秒

桐生悠々「バットルとウァー」

 英語の、バットルとウァー、この二つの言語は日本語にどう訳してよいか、分らないので、今は英語のままにこれを使用する。日支事変に於て、日本は支那に対してではなく、蒋介石に対して、バットルに於ては大に勝っているが、まだウァーには勝っていない。これと同様、ドイツはイギリスに対してバットル、ドイツ人のいうところブリッツクリーグに於ては、明に勝っているが、ウァーに於ては、いずれが勝つか、なお判断し得ない。新に戦い初められたドイツとソ連との戦争に於ても、バットルに於ては、既に見透しがついているように思われるけれども、ウァーに於ては、いずれが勝つかなお不明である。
 言いかえれば、これらのゲームに於ては、チームだけの力では、その勝敗は決定されず、このチームを賄う国力の強弱と、応援団即ち同盟国の同情と国力との如何によって決定され得るのであって、その勝敗が遽に決定されないところに、寧ろ津津たる興味がある。と同時に、このゲームに於て、第二十世紀に於けるドイツのヒトラーが、俄然として、第十八世紀に於けるフランスのナポレオンとして現われたることであって、前者が果して後者のなし得なかったところのものをなし得るや否やが、特に私たちの興味を唆りつつある。
 ヒトラーがいうところのブリッツクリーグによって、ナポレオンのなし得なかった英本土上陸に果して成功するや否やが、最近まで私たちの興味を唆ったが、今この興味は、彼のソ連進撃を見るに至り、この場合に於ても、彼は果してナポレオンのなし得なかったところのものをなし得るや否やによって、更に大に唆られつつある。「ハイルヒトラー」と叫ぶものは、彼を崇拝しつつあるドイツ人のみではない。唯この「ハイル」が最終まで叫び続けられるだろうか。
 ドイツ軍の英本土上陸は至難の業であるに相違ないが、最終には決行されるだろうとされたのが枢軸国側の期待である。イギリス人もまたその覚悟で、これに対して、戦争の準備をしていた。だが、ヒトラーがこれと同時に、他面ソ連を敵とするに至って、○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○英米に関する限り、これは勿怪の幸であって、ボルシェヴィズム、コムミュニズムに対する俄の宗旨替えをすら敢てして、ヒトラリズム打倒のため、事実としては不可能とも思われる至難なる援助をソ連に与えんとし、また与え初めた。〔そしてこの戦争が長びけば長びくだけドイツに不利なることは、枢軸国側でも、好むと好まざるとにかかわらず、認めずにはいられないだろう。〕
 イギリス人の性質は既に示された如く、無神経でなければ沈着であって、あれほどまでに猛烈なドイツ飛行機の爆撃を受けながら、さほどに意気沮喪もせず、寧ろ最終の勝利を夢みている。そしてアメリカが現に最終まで、文字通りの死力を尽して、これを援助しているので恐らくぼ、長期の戦争に堪え得るだろう。幾度となく、バットルに負けても、最終にはウァーには勝とうとしている。
 これと同様、ロシア人は鈍重であって、多少の勝敗には「ニチェウォ」である。然り、この「ニチェウォ」こそは第一の世界戦争に於て、同盟国側の最も恐れたるところのものであったが、第二の世界戦争に於ても、恐らくば枢軸国によって恐れられるだろう。ドイツ軍の驚嘆すべきブリッツクリーグは恐らくば瞬く間にモスクワを陥れるかも知れない。それすらも、今日では保証されないが、一歩を譲って、これが実現したとしても、ロシア人が例によって「ニチェウォ」と言いながら、ウラル地方に退却して、長期戦を張るならば、唯それだけで、ドイツは更に困難を増加するのみであろう。たといバットルには勝ち続けても、ウァーにはどうであるか、遽に判断されない。
 だが、これはよそ事のみではない。日本は蒋介石に対して、バヅトルごとに勝ってはいるけれどもウァーにはまだ勝っていない。特にアメリカがしかく公公然として蒋介石を助けつつある限り、このウァーに勝つにも、なお多少の年月を必要とする。我にその用意あるや否や。日々の新聞電報及び通信、政府当局及び軍部の保証にも、蒋介石は今にも亡びるように、言い馴らされてはいるにもかかわらず、その実現を見ないのは、心もとなき次第でもあり、歯痒き沙汰でもある。、彼等が国民に対して要求しつつある条件は}々尤なことであり、私たちは顧みて、大に臣道を実践し、職域奉公にいそしまなければならないが、政府当局及び軍部は直接の責任者として、国民よりも以上に、臣道を実践し、職域奉公にいそしまなければならないのみならず文字通りに百尺竿頭一歩を進めて速に蒋介石をなき者にしなければならない。歯痒きことの限である。
                              (昭和十六年七月)



最終更新日 2005年06月19日 01時53分48秒

桐生悠々・(「他山の石」廃刊の辞)

拝啓 残暑凌ぎ難き候に御座候にもかかわらず益御健勝奉大賀候扨小生「他山の石」を発行して以来ここに八個年超民族的超国家的に全人類の康福を祈願して筆を執り孤軍奮闘また悪戦苦闘を重ねつつ今日に到候が最近に及び政府当局は本誌を国家総動員法の邪魔物として取扱い相成るべくは本誌の廃刊を希望致居候故小生は今回断然これを廃刊することに決定致候初刊以来終始渝らぬ御援助を賜わり居候御厚情を無にすることは小生の忍び能わざるところに有之候えども事情已むを得ず御寛恕を願上候
時偶小生の痼疾咽喉カタル非常に悪化し流動物すら嚥下し能わざるように相成やがてこの世を去らねばならぬ危機に到達致居候故小生は寧ろ喜んでこの超畜生道に堕落しつつある地球の表面より消え失せることを歓迎致居候も唯小生が理想したる戦後の一大軍粛を見ることなくして早くもこの世を去ることは如何にも残念至極に御座候
  昭和十六年九月  日
                          他山の石発行者桐生政次



最終更新日 2005年06月19日 18時06分28秒

桐生悠々「言いたい事と言わねばならない事と」

 人動もすれば、私を以て、言いたいことを言うから、結局、幸福だとする。だが、私は、この場合、言いたい事と、言わねばならない事とを区別しなければならないと思う。
 私は言いたいことを言っているのではない。徒に言いたいことを言って、快を貪っているのではない。言わねばならないことを、国民として、特に、この非常時に際して、しかも国家の将来に対して、真正なる愛国者の一人として、同時に人類として言わねばならないことを言っているのだ。
 言いたいことを、出放題に言っていれば、愉快に相違ない。だが、言わねばならないことを言うのは、愉快ではなくて、苦痛である。何ぜなら、言いたいことを言うのは、権利の行使であるに反して、言わねばならないことを言うのは、義務の履行だからである。尤も義務を履行したという自意識は愉快であるに相違ないが、この愉快は消極的の愉快であって、普通の愉快さではない。
 しかも、この義務の履行は、多くの場合、犠牲を伴う。少くとも、損害を招く。現に私は防空演習について言わねばならないことを言って、軍部のために、私の生活権を奪われた。私はまた、往年新愛知新聞に拠って、いうところの檜山事件に関して、言わねぽならないことを言ったために、司法当局から幾度となく起訴されて、体刑をまで論告された。これは決して愉快ではなくて、苦痛だ。少くとも不快だった。
 私が防空演習について、言わねばならないことを言ったという証拠は、海軍軍人が、これを裏書している。海軍軍人は、その当時に於てすら、地方の講演会、現に長野県の或地方の講演会に於て私と同様の意見を発表している。何ぜなら、陸軍の防空演習は、海軍の飛行機を無視しているからだ。敵の飛行機をして帝都の上空に出現せしむるのは、海軍の飛行機が無力なることを示唆するものだからである。
 防空演習を非議したために、私が軍部から生活権を奪われたのは、単に、この非議ばかりが原因ではなかったろう。私は信濃毎日に於て、度々軍人を恐れざる政治家出でよと言い、また、五・一五事件及び大阪のゴーストップ事件に関しても、立憲治下の国民として言わねばならないことを言ったために、重ねがさね彼等の怒を買ったためであろう。安全第一主義で暮らす現代人には、余計なことではあるけれども、立憲治下の国民としては、私の言ったことは、言いたいことではなくて、言わねばならないことであった。そして、これがために、私は終に、私の生活権を奪われたのであった。決して愉快なこと、幸福なことではない。
 私は二・二六事件の如き不祥事件を見ざらんとするため、予め軍部に対して、また政府当局に対して国民として言わねばならないことを言って来た。私は、これがために大損害を被った。だが、結局二・二六事件を見るに至って、今や寺内陸相によって厳格なる粛軍が保障さるるに至ったのは、不幸中の幸福であった。と同時に、この私が、はかないながらも、淡いながらも、ここに消極的の愉快を感じ得るに至ったのも、私自身の一幸福である。私は決して言いたいことを言っているのではなくて、言わねばならない事を言っていたのだ。また言っているのである。
 最後に、二・二六事件以来、国民の気分、少くとも議会の空気は、その反動として如何にも明朗になって来た。そして議員も今や安んじてーーなお戒厳令下にありながらーその言わねばならないことを言い得るようになった。斎藤隆夫氏の質問演説はその言わねばならないことを言った好適例である。だが、貴族院に於ける津村氏の質問に至っては言わねばならないことの範囲を越えて、言いたいことを言ったこととなっている。相沢中佐が人を殺して任地に赴任するのを怪しからぬというまでは、言わねばならないことであるけれども、下士兵卒は忠誠だが、将校は忠誠でないというに至っては、言いたいことを言ったこととなる。
 言いたい事と、言わねばならない事とは厳に区別すべきである。 (昭和十一年六月)



最終更新日 2005年06月23日 00時02分17秒

桐生悠々「民主主義か貴族主義か」

 故吉野博士が民本主義(民主主義)を高唱して、論壇を風靡した当時、記者はその論壇を主宰した「新愛知」紙上に於て、これにブレーキをかけるため、貴族主義(傑族主義)を唱えたが、今貴族主義が高唱され、到るところに於て、独裁主義をすら実現しつつあるこの時に際して、彼は又これにブレーキをかけるため、民主主義を唱えずにはいられない。
 記者が往年民主主義に反対して、貴族主義を主張したのは、次の方程式によったのである。
  
Sは国家の盛衰を、Lは国民の指導者を意味し、括弧内の各1は国家を構成する各個人
を示す。この方式によると、Sの盛衰はLの価値如何によって決定される。そして国家を構成する各個人になんらの変化なしと仮定し、これを恒数と見れば、
  
である。言いかえれば、国家の盛衰は国民を指導するものの価値如何によって決定される。ここにいうところの国民の指導者は従来の例に倣い、記者はこれを貴族と称したが、事実はイギリス人マロックに従って、この場合貴族は傑族と称すべぎである。すぐれたる者、選ぼれた者、またはその群を指しているのであって、今日の場合、それはムッソリニー、ヒトラー、スタ!リンであり、又はファシスト、ナチス、ボルシェヴィストである。
 戦後、イタリー、ドイツ及びロシアの復興少くとも維持は主としてムッソリニー、ヒトラー及びスターリンの力、及びこれらのすぐれたる者、選ばれたる者に服従して、これらの者のために働ぎつつある人々の群の力である。
 記者の貴族主義はこれによって正化される。だが、またこれと同時に、
  
であらねばならない。若しもLがーよりも小さければ、Sの価値はーをNだけ合わせた
よりも、小さくなる。この場合Nを一億と仮定し、Lを逅とすれば、
  
指導者即ち貴族にその人を得なければ、国家は国民の数の半分だけしかの力を発揮し得ない。ムッソリニー、ヒトラー、スターリンの死後、何人がその後を継ぐか、これによってイタリー、ドイツ及びロシアの運命が決せられる。不幸にして、これらのすぐれた者、選ぼれた者よりも、小さい価値のあるものが、その後を襲えば、イタリー、ドイツ及びロシアは今日を維持し得ないだろう。これを思うとき、貴族主義、独裁主義は不安定である。偶然的だとも言い得る。
 これに反して、教育等の進歩により、各個人の価値がーより2に増進したならば、
  
となり、そしてNを一億とすれば、
  
となり、Lがなくとも、又その価値がーであっても、国家は二億の人口からなる国家の働をなし得る。
 だから、貴族主義を正化した記者の方程式は、また民主主義をも正化する方程式ともなる。そして後者の方が偶然的でなくて必至的であり、不安定でなくて安定的であり、一時的でなくて永久的であり、条件的でなくて、根本的である。
 すぐれたる者、選ばれたるもの、即ち貴族や、独裁者は統制する。だが、この統制は国家を構成する各個人に取っては、外部よりの統制であり、時としてはその意志に反するから、その統制は徹底的ならず、かえって反対の結果を見ることもあるけれど、各個人の価値が大となり、自己に統制するの力を有するに至れば、外部からの統制はかえって進歩の手足まといとなる。少くとも、国民生活安定の妨となる。(昭和十三年十二月)



最終更新日 2005年06月23日 00時06分31秒

桐生悠々「正義の国と人生」

 ゴオリキの「どん底」に現われた不思議な老人ルカの話によると、シベリアに「非常に貧乏で、惨な暮らし」をしていた或男が、「正義の国」を求めていた。この正義の国には「特別な人間」が住んでいて、しかも「立派な人間ばかりで、互に尊敬し合い、どんな些細なことにも助け合う」国であった。そしてこの男は、絶えずこの正義の国を探しに行く用意をしていたが、さなきだに貧乏だった彼は、これがためにますます貧乏となり、結局「寝たまま死を待つより外のない、どん底な生活に陥ってしまった」。でも、彼は落胆しないで何処かに「正義の国」があることを信じて、そこへ行こうとしていた。
 或時、このシベリアに一人の学者が流れ込んで来た。この男は早速この学者を探ねて「正義の国」は何処にあるか教えてくれ、そしてそこへ行く道を教えてくれとたのんだ。
「学者は早速書物を開いた。地図を広げた……探しも探したが、正義の国はどこにもない。ほかの事は皆きちんと書かれてあるが、正義の国は何処にもなかった」
 学者はこの事をこの男に語って聞かせたが、彼はなかなか承知しない。「きっとあるに違いないのだから、もっとよく探してくれ、もし正義の国がお前さんの地図や、本に載っていないなら、その地図や本は、何の役にも立たないものだ」「俺は今日まで辛い辛い思をして、忍んで来たが、それは畢竟正義の国があるということを信じたからだ」。それがないということなら生きている甲斐がないと、腹が立って、腹が立って、「このごろつき、学者が聞いて呆れる、こん畜生」と怒鳴って、学者を殴りつけ、そして家へ帰って、首を縊って死んでしまった。
 この男も、この学者も、共にこの「正義の国」が今空間的に、地球上に存在していないことを知っていないのだ。だが、「正義の国」は時間的に何時かは地球上に存在しよう。私たちは、これを信ずる。これを信じないならば、私たちはこの男と同様、生きては行かれない。仮すに時日を以てせよである。だが、この時日は長い長い時日である。幾億年という、無論天文学的数字の時日でもあるだろう。余りにも長い時日だから、これを待つと言っても、衆生は、即ち民衆は待ち切れるものでない。だから、釈迦は阿弥陀経に於て、これを空間的に説明して「従是西方十万億仏土有世界名日極楽」と言ったのである。
「正義の国」は一名「極楽」であるのだろう。そしてまたキリスト教にいうところ「天堂」でもあるのだろう。
 原始的の宗教はこの極楽または天堂を来世に、人の死後に存在するものと信じていた。だが、誰も死んで、これを見て来て、そして生きかえって、その状態を語ったものがない。近代的科学は、これを証明することができない。死後にも魂が、即ち人格がなお存在するだろうことは、天文学者のフランマリオンも信じているが、これらの信仰はこれを衆生や、民衆に強いることは出来ない。だから、近代的の宗教はこれを人間の将来に於て実現するものと説明する。こう説明した方が、兎も角も分り易い。
 私たちは今、不正義の国に住んでいるけれども人間の努力如何で、何時かは、尤もそれは天文学的数字の何時かに、存在せしめ得ると説明すれば私たちは兎も角も、これを信じ得る。事実地球上には、何万年何億年待ってもこうした完全な状態は存在しないかもしれないけれども、「与うるに条件を以てすれば」存在しないとは保証されない。理論的には、そう信ぜられる。
 だから、この「条件」が必要である。と同時にこの条件は突如として、天から降り、地から湧くものではない。皆人間の所作であらねばならない。しかも、この所作は進化する。進化の法則に従って漸化する。この進化、漸化の或段階では、この所作は人間に不幸を持ち来すこともあるけれども、それは最終のものではないということに気注くならば、悲観する必要はない。だが、この場合、不幸を必然的のものとして諦めてはならない。この不幸を幸福に転ずべく努力しなければならない。こうした努力があってこそ、人生に意義もあり、価値もある。
 この道を通って行けば、奈落の底に落ちるということに気注いたならば、道を転ぜねぽならない。転ずることができなかったならば、新に道を切り開くべく努力しなければならない。、これを切り開くことができなければ、一足飛びに、例えば飛行機に乗って、この奈落を飛び越える必要も起って来る。
 歴史の必然性というものはない。歴史は要するに人間の所作の結果である。人間の努力の記録である。人間がその自由意志を以て、善かれ、悪かれ書き綴ったものである。現にかくして私たちはこれを書いて来た。その自由意志を以て、環境を征服し得た人間と、民族とが、現在に栄え、また未来にも栄え得る。
「与うるに条件を以てすれば」何でもなし得るのが、人間である。人間は断じて弱いものではない。弱い者でなければこそ、何万年、何億年の後に、それが天文学的の数字であるとはいえ、遠い将来に於て、「正義の国」「極楽」「天堂」を建設し得るという希望を描き得るのである。今これが見つからないと言って、首縊って死ぬる必要は断じてない。この国は学者の持っている地図や、.本には出ていないけれども、人間そのものが持っている理想の地図や、本にはちゃんと書かれてある。
「足を地に、地でなくとも、何物にか釘づけられていては、天には昇れない。空間内に跼蹐していては、時間に飛躍することはできない」

 洋の東西を分ち、ヨ!ロッパとアジアの間に障壁を築くものには、この間の消息は分らない。


(昭和十四年九月)



最終更新日 2005年06月25日 14時53分02秒

桐生悠々「煎じ詰めれば」

 煎じ詰めれば、理想と現実との衝突である。我は理想を見つめて、しかも漸次にこれを進まんとしているにも拘らず、彼等は現実に執着して、唯その直面する難局を打開し得れば、それで以て足れりとしているのだ。
 だから、煎じ詰めれば、未来と現在との衝突でもある。我はワンズマンの修正により、進化論の適者を以て未来の状況に適応する者としているに反して、彼等はダーウィンの正統進化論により、唯現在の状況に適応するものを以て適者としている。従って、我は未来の向上を重しとし、現在の利益を未来の幸福のため、犠牲に供することを辞さないにも拘らず、彼等は唯現在に於て、一時的なる利益を得れば、未来の幸福を捨てて顧ない。
 だから、煎じ詰めれば、新体制と旧体制との衝突でもある。彼等は彼等みずからを以て新体制の人なりとしているけれども、憐れむべし、彼等は現在より一歩も出ずることを知らず、甚しきに至っては、過去の伝統その物に囚われて、未来を予知し得ない。流行を逐うこと唯その事を新体制として、真の新体制が未来の、少くとも来りつつある世界の大勢を察して、これに適応せんとする態度なることを知らず、僭越にも彼等みずからを以て新体制の人なりとしている。彼等は後退せんとし、我は前進せんとしている。彼等は保守的にして、我は進取的である。
 従って彼等は国家主義者、民族対立主義者であって、コスモポリタンなる我を解する能わず、国家または民族の一員としてその義務を尽すに忠実なりと雖も、「恭倹己を持し、博愛衆に及ぼす」超国家的、超民族的にして、彼等のいうところ「八紘一宇」の一大理想その物を、かえってみずから破壊せんとしている。
 人類として、彼等は固より良心的にこれを知る。だが詭弁を弄して云う、かかる超国家的、超民族的なる時代は恐らくは永久に到達せざるべしと。或は然らん。だが、それ故にこそ、我はかえってこの理想を掲げて進むのである。人間にして動物の如く教うべからざれば則ちやむ、教え得れば、教え教えて、彼等をこの境地に進め入らしむるのは決して不可能ではない。原始人が教育と経験とを通して、如何にして今日の文明人となったかの跡をたずぬれば、想い半に過ぐる。
 だから、煎じ詰めれば、彼等と我との意見の衝突は、悲観と楽観との衝突である。彼等は人間を以て教うべからざる動物とし、我はこれを以て教うべき動物とし、彼等は陰鬱なる世界の現状を以て、如何ともすべからざるものとなし、その極、人類の自滅にも甘んずるに反して、我は明朗なるべき世界の未来を期待して、人類にその愚を悟らしめつつ、これをこの境地に導かんとしているのである。
 だが、如何せん、彼等は国家の権力を擁して、我に臨みつつあることを。そして彼等は我をして具体的には物を言わしめない。我のみではない。我等に物を言わしめない。その結果は推して知るべきであって、今や各個人は流行を過ぐればもう人の口に上らなくなった「全体主義」の下に生活しながら、積極的個人主義より、消極的個人主義に堕し、未来の光明を失わんとしつつある。            (昭和十六年八月)



最終更新日 2005年06月25日 14時56分12秒

桐生悠々「科学的新聞記者」

 人はこの語の意味する明瞭なる理念を知るものは稀であるが、屡宇宙という語を口にする。だが、宇宙に関する近代的理念は思ったよりも空漠である。この空漠性は最近の世紀に於ける包括的思索が欠けているからである。その原因は、統一された中世紀の文明崩壊に次いで、極度の個人主義が跋扈したからである。紀元後千三百年頃には、人は明に、また大に信じて、彼の宇宙に関する理念を語り得た。その後、知識は駸々乎として長大足の進歩を示し、宇宙に関する中世紀の理念は不完全となり、当時の包括的思索も終に信ぜられざるに至った。人は細密なる特殊事項を研究することに一変し、ヴェサリウス、ガリレオ及びギルバート等が、初めて近代的なる科学的方法を以て、特性的なる論文を発表しつつあった。そしてここ四百年間は、一般性から特殊性への一反動があった。
 文明が長足の進歩を遂げ、社会の機構が急遽に変化しつつあるので、包括的なる宇宙の理念を考えることは、今困難である。近時の歴史はこの反動が極端となったことを示しているようである。今や到るところに於て、人は特殊性に没頭して、一般性を忘却ししかも、かかる態度を示すことを以て、賢明のしるしともしている。生物学の意見を述べる物理学者は小犯罪を犯すものと見られ、賢明に芸術を研究する実業家の商業的敏捷性もまた疑われつつある。人は人類の利益のために働くよりも寧ろ彼等みずからの、またその国家の利益を専門として考えているので、大戦争が頻々として起る。ここ四百年間の人の努力は専門化の一競争に狭められ、典型者は唯それ彼の仕事にのみ熱中して、間接に関係ある殆ど一切の他のものに無智である。四百年前には専門化という新観念は神聖であって、これに次いだ世紀の驚異的なる運動と企画とを発見したほどの輝しい光を発していた。そして包括性という旧観念は漸次に衰退して、専門化によって得られた並立しない知識の堆積中にうずもれている。科学も、産業も、スポーッも、いずれも燦然として光を放っているが、役には立たない。人は今宇宙を見んとする慣習を再学しなければならない。材料は中世紀と比較にならないほど豊富であって、驚くべき視覚を鼓吹するこの慣習が再来すれば、産業界及び政治界に於ける近代の乱雑なる情勢は忍ぶべからざる空虚なものとなり、人は科学的理論に於けるが如く、社会の機構に於て、優雅性を必要とするだろう。宇宙が明瞭に見られるならば、社会もまた明瞭に見られ、そしてその不健全性も明となって、排除されるだろう。
O
 だから、科学的新聞という技術が必要である。かかる技術はまだ存在していないけれども、その性質の如何なるものなるかを知って置く必要がある。科学的新聞の機能は最近の科学的研究の雰囲気と事実とを民衆に知らしむるにある。就中その雰囲気を知らしむることが、重要なる役割である。事実の正確は願わしいものであるけれども、雰囲気の正確に比すれば、さほど重要なるものではない。現在の科学的新聞は主として彼等のポケットマネーを得んとする科学者によって、または研究に没頭するには余りに年取った科学者によって行われている。従って彼等の仕事は離ればなれであって、先ず彼等の動機にもとつくスタイルに欠点があり、次に、墓場に近づいているものを感動せしむる精神的なるデコンセントレーションがある。これらの典型的なる科学的新聞記者は彼等の仕事を娯楽と宗教との用語で考えているけれど、本来の技術としては、科学的新聞は社会的なるものである。それは産業に科学を応用することによって創造された文明の機構に必要なるささえである。
 科学の雰囲気が一般的に理解されなければ、近代の社会は崩壊する。将来の社会は恐らくぼ科学の各分派に於ける雰囲気と、主要なる事実を簡単に示し、そして記者の意見に拘泥しない非個人的新聞を必要とするだろう。科学者に接触したものは、如何なる者でも、最近の科学的仕事の一般的説明が、如何に屡研究者の態度ではなくて、如何に事実を与うるにあることを知るだろう。例えば、今日の学理的物理学の指導者は、約三十歳の人であり、その思想は約五十歳またはもっと年取った人々によって拡張されたものであって、これらの広く読まれた説明は若い創造的思想家の心理を示していない。ハイゼンベルクとディラークとの革命的にして、困苦な、輝かしい報知は神秘主義を産まない。それは創造的なものが非創造的なものに対して刺戟を与えたための成長である。
 神秘主義は理解し能わざる者の産物であり、理会の代用品であり、哲学のマルガリンである。科学的新聞記者の態度は創造的労作者のそれを学び、これらの労作者が考えまた行うところのものを報告しなければならない。彼は科学的権威者が彼等みずからの研究分派の事実については正しいことを仮定しなければならない。彼は活力論者が如何に有名なる経験的生物学者であっても、彼等が名誉をかち得た実験室内では、機械学者として厳重にこれを観察しなければならない。文明はこれを実行する者の全注意を要求する科学的新聞の確立を必要とする。本来の科学的新聞記者は全力を挙げてその技術を行わねばならない。然るとき社会は永続的なる非個人的説明から、現在の社会問題を解決する必要なる態度を学び、そのユーモアまたは精神を粉飾せんとした離ればなれの書を嘲笑するに至るだろう。
 宇宙を語り、そしてこれを伝えるには、固よりかかる科学的新聞記者たることを必要とする。だが、世俗的なる普通の新聞記者も、将来に於ては、これと同様科学的であらねばならない。現在の枢軸国家及び民主主義的国家に於ける新聞を見るに、いずれもその民族または国家の特殊性に自己陶酔的なる、離ればなれの御託を述べているに過ぎず、世界的なる、また人類全体の安寧幸福に関する一般的の抱負をこれから聞くことを得ない。事実を事実として報告しないほどだから、文明の雰囲気.を語らんとするものは、一人もいない。特に我国の新聞記者に至っては、科学的知識に全然無智であるためか、神秘主義に終始して、国難を救わんとしている。ハイゼンベルクやディラークの如き革命的にして、困苦な、輝かしい記者は一人もいない。唯非創造的なる政府及び民衆を刺戟した偽の成長を見て、これに満足せんとしている。
 われらは固より日に新にして、日に日にまた新ならんとしつつある今日の社会に於て、素朴なる昔時の新聞記者たらんことを欲せず、またそれが許されないことを知る。だが、その「無冠の帝王」説を回顧するときは、記者自身大なる誇を感ぜざるを得ない。ヴィクトル・ユーゴの「剣筆を殺さずてば、筆剣を殺さん」と言った語に、若い血を躍らせる。かかる時代は再現しないだろうけれども、昔恋しさの感に堪えない。降って「社会の反射鏡」説に至り、新聞はここに一の技術となったけれども、この機能を保存すればわれらはなお新聞記者を尊重する。だが、この頃の新聞に至っては、徹底的でなければなるべく多く社会を反射せしめず、というよりも、全然社会を無視して、時の政府の反射鏡たらんとしている。輿論を代表せずして、政府の提灯を持っているだけである。そして彼等は矛盾極まる統制の名の下に、これを彼等の職域奉公と心得ている。
 今日の新聞は全然その存在理由を失いつつある。従って人はこれを無くもがなのものとしているけれども、他に代ってその機能を果たすものなきが故に、彼等は巳むを得ずなおこれを購読しつつある。偶H・G・ウェルズの如き、公民としてかかる新聞を購読するは義務に反するが故に、そのボイコットを示唆するものがあっても、他にこれに代わるものがなければ、不用の物も有用化されつつあるのが、今日のだらしない状態である。
 将来の新聞は科学的でなくてはならない。現在に於て、全くその態度を一変しても、決して早くはあるまい。ローゼンベルヒの「二十世紀の神話」こうした空虚の思想に魅せられて、昭和の科学的時代を神秘化せんとするに至っては、沙汰の限である。神秘主義は理解し能わざる者の産物であり、理会の代用品であり哲学のマルガリンである。いずれにしても、本物ではなく贋物である。
 将来の(現在でも決して早くはない)新聞記者は創造的作者であらねばならない。六十歳の、またこれよりも、もっと年取ったものの言に聴いて、神秘主義を尊奉するに至っては、その存在理由を失うのは明である。見よ、彼等は既にその存在理由を失わんとしつつある。試みに街頭に出て、民衆の言うところを聞け、彼等は殆んど挙げて今日の新聞紙を無用視しつつあるではないか。            (昭和十六年九月)



最終更新日 2005年06月25日 15時01分43秒