菊池寛「無憂華夫人」「序曲」

 話は、維新の変乱当時から始まる。
 北越××の城主松平美濃守(みののかみ)康忠は、隣国の△△の城主松平采女正康之(うねめのしようやすゆき)とは、従兄弟(いとこ)同志であった。当主が従兄弟同志であるばかりでなく、この二藩は、三代将軍の時代に、お家騒動があったため、五十万石の家が、××の十二万石と△△の二十五万石とに分封(ぶんぽう)されたので、昔からの一家一門である。
 その上、先々代に子がなかったため、△△の松平家から、××の松平家へ養子に来たのが、康忠の父の康成である。
 だから、両家の関係は、濃い上にも更に濃くなっていた。
 ところが、維新の変乱は、この両家を犬猿の間柄にしてしまった。それは、××の松平家が、家老の長沢頼母(たのも)が勤王の大義を(とな)えて、つとに一藩の輿論(よろん)を指導したため、徳川の親藩でありながら、薩長と気脈を通じて、北越における錦旗(きんき)の先鋒を承ったためである。
 ところが、△△の松平家は、家老の河井主膳を初め、宗家徳川のために、一藩を焼土とするとも、最後の御奉公をしなければならないと云う藩論で、手痛く錦旗に抵抗し、一度官軍に取られた△△城を、再び奪還する等の激戦を演じた。
 従って、官軍の先頭であった××松平家の兵と、△△松平家の兵とは、血と剣との間に、しばしば相見(あいまみ)えた。
 △△松平家の藩士が、官軍を恨むよりも、親藩でありながら宗家徳川に背き、一門の(よし)みを蹂躙(じゆうりん)して、我が城下に攻め入って来た××松平家の主従を恨んだのは、当然であった。
「薩長の犬となった××の奴め! 今に思い知らしてやるから。」
 △△松平家の上下は、歯を噛んで叫んだ。
 しかし、大勢如何(いかん)ともなしがたく、家老の河井主膳は、(きず)を包んで奮戦した甲斐もなく、散々に打ち破られて、越後へ退却中、担架の上で創重くして倒れ、主君の康之は、会津へ逃れたが、会津城主松平容保(かたもり)と前後して、官軍に降を乞うた。
 そして、△△藩は△△二十五万石から、奥州の僻地(へきち)一万五千石に移封(いほう)された。戦敗の惨禍と生活苦とが、前後して△△藩士達を襲うた。彼らは、苦しみながら常に、××松平家を恨んでいた。父や兄を戦場で失った者達は、××松平家を父兄の(かたき)のように考えた。
 明治政府を恨むよりも、手近の××松平家の方が、彼らには囗惜(くや)しかったのである。
 明治政府の恩恵が、彼らいわゆる賊軍の上にも恵まれて、藩主は特赦となり、華族制度()かれるや、康之もまた伯爵に叙せられた。
 しかし、錦旗に抗したため、侯爵に列せらるべき家格に(かかわ)らず伯爵に(とど)められた。それに反して、××松平家は、十二万石で伯爵に叙せらるるべきが普通であるに拘らず、勤王の功績によって、特に侯爵を授けられた。
 元来、△△松平家は兄の家であり、××松平家は弟の家である。それにも拘らず、今では家格転倒した。維新以来、恨みを含んでいる△△松平家の上下が、××松平家に対して釈然たるべきはずはなかった。
 △△松平家は、維新以来、××松平家と義絶してしまった。明治十二年五月、東京で△△松平家の旧藩士が、××松平家の康忠侯に対して、暴行を働かんとして捕えられたことがある。
 だが、康忠侯も康之伯も、明治二十七、八年頃前後して他界した。
 ××松平家を継いだ康為侯は、華族には珍しい闊達(かつたつ)な才人であった。△△松平家を継いだ康正伯も、温厚な青年であった。
 だが、両家の藩士達は、明治も三十年代になり、維新当時の恩怨(おんえん)はようやく薄れて行くにも拘らず、なお(にら)み合いをつづけていた。××市が、自由党に味方すれば△△市は、猛烈な政府党だった。
 両市で、師団の設置を競争した時は、血の雨を降らして戦った。片一方が物産共進会をやれば、片一方も負けずにやった。
 だが、両方の旧藩主達は、藩士達の争いをだんだん苦々しく思っていた。
 康為侯は、定年に達して侯爵議員となった。康正伯の方は、選ばれて、貴族院議員になった。二人は、華族会館などで会うと、目礼した。しかし、藩士達の手前を(はばか)って、親しい囗はきかなかった。
 議会開会中の時だった。師団設置地の請願争いで、二人とも旧藩の有志達に頼まれて、大臣室へ時の陸相桂太郎を訪ねて行ったところ、大臣室前の廊下で、バッタリ顔を見合わした。
「君も、例の問題の陳情か。」
 と、康為侯が笑った。
「うん、君もか。」
 康正伯も笑った。
「じゃ、君の方から先へ行け。」
 康為侯が云った。
「いや、僕は後でもいい、どうぞ君から。」
 康正伯が譲った。
「二人で、ジャンケンをしようか。」
「ウン。」
 康為侯が(紙)で、康正伯は(石)だった。
「失礼。」
 そう云って、康為侯が、先へはいった。
 二人とも、血縁であるだけに、どこか似通った高貴な風貌(ふうぼう)をしていた。康正伯は、当時三十一で、康為侯は三十三であった。
 二人は、お互に相手をなつかしく思った。一夕、飯でも一緒に喰いたいと思った。そして出来るならば、維新当時からの、両藩の宿怨を晴したいと思った。それは、××松平家の康為侯の方が、特にそう願っていた。何と云っても、自分の方が恨まれているからである。
 康正伯も、相手の気持が分らないでもなかった。しかし、康正伯家の家令は、官軍のために傷つき倒れた河井主膳の子の鉄太郎が勤めていた。これが、父親以上の頑固者である。
 二人の青年貴族は、その後も議会や、華族会館で時々顔を合わした。しかし、お互に目礼をし合うだけで、それ以上深入りはしなかった。もし深入りして、当時、なお情誼(じようぎ)の深かった旧藩子弟の感情を乱しては、ならないと思ったからであった。
 康為侯に一人の妹があった。名を絢子(あやこ)と云った。
 その頃の華族女学校で、松平絢子姫と云えば、咲き誇る名花中の名花として、学校中での評判令嬢だった。細面(ほそおもて)の品位のあくまで高い顔で、美しい鼻には父祖伝来の高貴な血脈が伺われ、ほっそりとした長身の均斉がよくとれており、(しとや)かで落着いた物腰は、昔の物語に出て来る姫君をそのまま、今に見る感じを(いだ)かせた。
 ある(かしこ)き方が、学校へおいでになったとき、
「あれが松平の娘か。」
と、云うお言葉があったという(うわさ)まで伝わっていた。
 学校を出たのが、十九歳であった。
 それが、本篇の女主人公(ヒロイン)である。



最終更新日 2005年10月18日 00時36分23秒

菊池寛「無憂華夫人」「血縁の親しみ」

 明治三十×年の正月だった。
 康為侯は、夫人の俊子と妹の絢子を連れて、熱海に避寒に行った。小田原からの軽便鉄道が、ようやく竣成(しゆんせい)した頃だった。
 侯爵一行は、同勢十数人で、熱海で一番古いと云われる古屋旅館に投宿した。避寒かたがた、別荘地を選定するという目的もあったので、十四、五日滞在の予定であった。
 絢子は、当時二十(はたち)であった。昨年以来、美貌の聞えが高いために、降るような縁談があったが、兄の康為侯は、どれにも乗気にならなか..た。絢子自身もごく内気な性格であったので、そういう点では兄の意志に、全部を打ち任せていた。それに、兄嫁の俊子夫人が、公卿(くげ)華族の筆頭である五條家の出であり、(すこぶ)る勝気な性格なので、妹絢子のことは、全部自分で指図をしていた。
 熱海へ来てから四、伍拍は、楽しく潰ぞた。晴天が続聾旋ので、(ただ)さえ温い熱海は、もう春が来たように、長閑であった。昨日は、魚見崎、今日は湯河原、明日は、伊東といったように、行楽の日が続いた。兄夫婦は、何処(どこ)へ行くにも絢子を伴った。
 五日の夕方、家扶(かふ)の松沢という老人が、色を()えて康為侯の居間へやって来た。
「御前様、ちょっとお耳に入れたいことがございますので。」
 ちょうど食後で、夫人と絢子と三人で、この地方の名物の蜜柑(みかん)を喰べていた。
「何じゃ。」
 康為侯は、家扶が興奮しているのを(いぶか)りながら、ふり返った。
「あの、今朝(けさ)△△の松平様が、この宿にお着きになりましたが。」
 一大事のように、彼の声は上ずっていた。
「康正伯か。」
「はい。」
「いいじゃないか。」
 康為侯は、鷹揚(おうよう)に云った。
「でも、ございましょうが、何かとお差し支えがございませんでしょうか。御義絶の間柄ではございますし。」
 康為侯は、ちょっと眉をひそめて、
「だが、同じ宿に宿(とま)ってもいいじゃないか。」
「でも、あちらさまも、御家来が沢山ついておりますし。」
「いいよ。もう、明治もすぐ四十年だぞ。そんなことをいつまで云っているのだ。」
「いや、こちらでは、何とも思っていませんけれども、向うさまの方で、……」
「いや、康正伯だって、よく物の分った人だ。こういう機会に、両家が元通り仲よくなるかも知れないではないか。それに、向うが来たからと云って、こっちが逃げ出したり‘なんかすると、いよいよお互の感情が疎隔してしまうそ。」
 「………」
 家扶は、さすがに何とも云わなかった。
「心配しなくってもよろしい。」
 康為侯が、ハッキリ意志を現したので、家扶は頭を二、三度下げて、引き下ってしまった。
「馬鹿なことをいつまでも云っている。」
 「おほほほほほ。」
 俊子夫人は、笑った。
「しかし、康正の方は、こっちのようには行かないだろう。何しろ、家令、家扶が、みんな頑固老爺(おやじ)だから。はははは。」
 康為侯も快闊に笑った。
 康正伯の方も同じだった。同じ宿に康為侯が滞在しているということが分ると、家令の河井老人がすぐ康正伯の前へ出た。
「御前様、お宿換(やどが)えが願わしゅうございますが。」
「何故じゃ。」
「××様が、御同宿でございますが。」
「いいじゃないか。」
「いいえ、よくはございません。××様と御同宿になっては、困ります。」
「同宿といっても部屋は離れているし、一向差し支えがないじゃないか。」
「でも、ございましょうが、自然お顔などお合わしになると、不都合でございます。」
「いや、それは別に差し支えないじゃないか。何も、交際さえしなければそれでいいじゃないか。」
 河井老人は、不満そうにしながら、黙ってしまった。
「顔は、議会でも、華族会館でも時々合わしているのだから、そう毛嫌いをしなくってもいいじゃないか。」
「は……」
 河井老人は、不満そうに手をついて平伏した。
 その(あく)る日の午後であった。康為侯は、夫人と絢子とを連れて、海岸を散歩していた。波打際を伝いながら貝を拾っていた。
 ふと一頭の洋犬が、疾駆して来て、兄夫婦から一人離れていた絢子を見ると、足許(あしもと)へ来て尾を振った。
「おお可愛い犬ですわねえ。」
 絢子は、しゃがんで犬の頭を()でた。犬は、よろこんで絢子の美しい(あご)に、頭をすりつけていた。
「ヘクトル!」
 若い男性の声が、犬を呼んだ。犬は、咄嗟(とつさ)に絢子から離れ、海岸を十間ばかり飛んで、主人の所へ行ったが、すぐまた引き返して来て、絢子の足許で両足をのばすと、鼻をクンクン云わせた。
 絢子は、その時初めて、五、六間向うまで歩み近づいて来た犬の主を見た。それは、色のやや浅黒い高貴な風貌をした青年だった。絢子に、ちょっと目礼しながら、
「ヘクトル! おいでおいで。」
 と、犬をさし招いた。
 犬は、パッと主人の方へ走ったが、主人に尾を振りながらも、なお未練らしく、絢子の方を振り返っている。
「まあ、可愛い犬ね。」
 俊子夫人も、絢子の所へ歩み寄って、犬の方を見ていたが、良人(おつと)の康為侯が、歩いて来るのを待って、
「ちょっと、あの方康正さんじゃないの?」
 と、()いた。
 康為侯は、遠くから相手の青年を見ながら、
「あれは、康正の弟の康貞だよ。」
そう云うと、つかつかと青年の方へ近づいて行った。顔だけは、お互に知っていた。
「やあ!」
「やあ!」
青年も、丁寧に挨拶した。
「同じ宿屋だってね。兄さん御夫婦も来ている?」
「はあ。」
康為侯は、妻と妹とを手招きすると、
「これが妻の俊子、これが妹の絢子。」
と、云って紹介した。
「初めてお目にかかります。僕は康貞です。」
立派な顔だったが、どことなく愛嬌(あいきよう)(あふ)れていた。
「とっくに、御懇意に願わなければならないのだが、へんなことになって……」
と、康為侯が苦笑しながら云った。
「全く。」
康貞も、笑いながら(うなず)いた。
「どうにかして、旧交を温めたいものですな。」
「全くですな。」
康貞も、血縁に対するなつかしさを、微笑の中に(たた)えていた。
「兄さんは、責任のある身体だから、旧藩士の思惑を考えなければならないだろうが、君だけでも一つ、我々と御懇意に願いたいものですな。」
 康為侯は、しみじみと云った。
「それは、こちらからお願いすべきことです。」
「どうです。滞在中、僕の部屋へ遊びにいらっしゃいませんか。」
「伺います。」
 犬は(うれ)しそうに康貞と絢子との足に、かわるがわる(まつわ)りついた。
「この犬が、仲直りの仲介かも知れないそ。」
 康為侯が云った。
 四人は、話しながら、海岸を伝って歩いた。
 絢子は、初めて見る康貞が、頼もしい青年に思われた。その上、血縁の(つなが)りがあると思うと、何となく懐しかった。
貴女(あなた)が絢子さんでしたか、お噂は聞いていました。」
 兄夫婦が、少し離れた機会に、康貞は絢子に話しかけた。
 絢子は、黙って顔を赤くしていたが、康貞の挨拶を嬉しく思わずにはいられなかった。


最終更新日 2005年10月18日 18時46分54秒

菊池寛『無憂華夫人』「芽ぐみゆく愛」

芽ぐみゆく愛
「学校は、昨年お出になったのですって!」
 と、康貞が続けざまに云った。
「はあ!」
 と、絢子は慎しく返事した。
「僕の妹の由貴子が、貴女(あなた)より一年下ですから、よくお噂を聞いていました。」
「松平由貴子さま。はあ、存じあげています。」
 絢子は、深窓に育っているので、若い異性と話しするのは、これが最初であるだけに、昂奮して、おろおろしていたが、さすがに天性の品位は、少しも失っていなかった。
「お国の方へは、時々お帰りになりますか。」
「はあ。一昨年帰りました。」
 康為侯は、心あってか五、六間離れて、歩いていた。
「本当に、僕達はもっと、近しく御交際していなければならないのですな。」
「はあ!」
 絢子も、それには全く同意見だった。
「××の人達よりも、僕の方がずーっと頑固ですな。ははははは。」
 と、康貞は笑った。
「まだ、維新当時の積りでいるんですよ。でも、老人連中が、どんどん死んで行きますから、だんだん感情が緩和されて行きます。兄は、とっくから貴女のお兄さまと、お近附(ちかづき)になりたいと思っているのですが。」
 そう康貞が云ったとき、海岸添いの道を自転車に乗って走って来た男が、康為侯の姿を見つけると、自転車を乗り捨てて、そこの電信柱に立てかけると、海岸へ降りて来た。そして、康為侯の前に、おそるおそる進むと、何事か云った。
 康為侯は、俊子夫人と二言三言話していたが、近づいて行く絢子の方をふり向いて云った。
東園(ひがしその)公からの使いが、宿へ来て待っていると云うから、わし達はすぐ帰る。が、どうだ、絢子、お前はもう少し康貞さんのお伴をしたらどう?」
「はあ!」
 絢子は、少し赤くなった。今まで、康貞と二人ぎりで話していたことさえ、かなり恥しいことだった。それだのに、今度は兄の許しを得て、本当に二人ぎりになってしまうことは、考えただけでも胸が躍った。
「でも、康貞さんに、御迷惑じゃありませんかしら。」
 と、絢子は、躍る胸を抑えて、兄に云った。
「いや、いいだろう。ね。康貞君、両松平家は、どうしても融和して行かねばならぬのだが、その道を開いてくれるのには、若い人達が、交際(つきあ)って行くのに、限ると思う。そんな意味で、絢子と交際って下さらんか。」
「はあ。結構です。是非私の方からも、そうお願いしたいのです。」
 康貞は、朗かに笑いながち云った。
「じゃ、絢子、伊豆山へでも一緒に、お伴したらどう。」
「はあ!」
 絢子は、白い顔が真赤になったが、しかし、内心嬉しくないことはなかった。
「じゃ、康貞君、お願いします。」
 康為侯は、そう云うと、夫人を促して、海岸添いの道へ登って行った。
「御迷惑じゃございません?」
 絢子は、康貞を振り返った。
「いいえ、決して。貴女こそ、御迷惑じゃありません?」
「いいえ。」
 犬は、嬉しそうに、二人の周囲を一廻りすると、全速力で前方へ馳け去って、十間も走ると二人の方を振り返って尾を振っていた。
 冬の日ざしが暖く、初島は薄緑に海上に浮んでいた。風は少しあったので、海上は時々白浪が立っていた。
 本当に、二人ぎりになってしまうと、二人とも、前よりもっと囗数が少くなったが、しかし二人とも、一緒に散歩することが迷惑でないことは、お互同志にはよく分っていた。
「僕は、今外務省の情報局に勤めております。」
 と、しばらくして康貞が、自分を紹介し始めた。
「じゃ、先々は外交官として外国へいらっしゃいますの?」
 と、絢子が訊いた。
「いいえ。もう、フランスへ三年ばかり行っていたのです。誰でも、外交官試補になると、一度は外国へ行って来るのです。」
 絢子は、相手が華族の二番息子や三番息子のような、高等遊民でないことを知ると、改めて康貞の顔を見返さずにはいられなかった。そのスラリとした長身に、燕尾服などが、どんなによく似合うだろうかと思った。
「じゃ、また最近に外国へいらっしゃいますの。」
「はあ、本省にちょうど一年ばかりいますから、四月頃には、何処かへやられるだろう
と思います。」
 と、云って少し言葉を切ってから、
「実は、結婚するために、日本へ帰って来たのですが、どうも思わしい相手が、見つかりませんので、結婚しないでまたあちらへ行こうかと思っています。」
 と、云いつづけた。
「まあ、貴君(あなた)さまのような方でしたら、どんなよいお相手でも、すぐ、見つかりそうに思えますが……」
 と、絢子は、少し顔を赤らめながら云った。
「いや、そうではありませんね。これが日本にいるのなら、ある程度で満足しますが、一緒に外国へ連れて行って、向うの社交界へ出して、日本婦人として恥しくないといったような女性は、なかなか見つからないものです。それに、聡明で社交的で……語学も少しは出来て。」
「、大変、御註文がむつかしゅうございますわねえ。」
「ははははは。それに同族の人達のお姫様は、大抵人形のような連中ばかりですから。」
、まあ、耳が痛うございますわ。」
 と、絢子は美しく微笑しながら云った。
「いや、これは失礼。貴女は、例外です。さっきから、御容子(ようす)を拝見して、僕は大変、感心しているのです。」
「まあ!」
 絢子は、赤くなりかけた顔を背けたが、すぐ振り返ると、
(わたくし)なんか、初めての方にこんなに馴々しくお話し申し上げるので、お転婆な奴だと、軽蔑(けいべつ)していらっしゃるのじゃございません?」
「いや、どう致しまして。上品でいらして、しかも快活な方だと思っています。」
「そんなに()めて下さると、本気に致しますわ。」
「本気にお取り下さっても、一向差支えありません。」
「まあ!」
 絢子は、康貞が今日初めて、会った人のように思われなかった。もう、二、三年も交際(つきあ)った人のように、どんなことでも話しできるように、親しくなつかしく思われた。
 だが、熱海から五、六町歩いた頃、いつか冬の日が(かげ)って、風の冷たさが急に身にしみて来た。
「伊豆山までは、まだ大分ありますな。このあたりから引き返しましょうか。」
「はあ!」
 絢子は、素直に答えた。
 囗笛を吹いて、康貞が犬を呼ぶと、三十間も先んじていたヘクトルは、急いで引き返して来た。
「いつまで、熱海にいらっしゃいます!」
 康貞が訊いた。
「よくは分りませんが、まだ十日くらいは、居るのではないかと思います。」
「そうですか。僕は昨日(きのう)二、三日のつもりで来たのですが……」
「もっと長くいらっしゃるといいですわ。」
「僕も、貴女とお近附になった以上、四、五日いたいのですけれど、役所の用事がありますから……でも、明日(あした)もお目にかかりたいですなあ。」
 と、康貞が云った。
「はあ! 私も、お出掛けのとき女中にでも、お知らせ下されば、お伴をいたしますわ。」
「僕が、貴女とお交際(つきあ)いしているところを見ると、家令や家扶などは、何とか云うかも知れませんが……」
「そうでしょうかしら。」
 絢子は、不安な(ひとみ)を輝かせて云った。
「いや、確かに云いますよ。しかし、僕は断乎として反対してやります。こういう機会に、昔通りに、懇親な関係に返りたいと思いますから。」
 康貞は、世にも頼もしげに云った。


最終更新日 2005年10月18日 21時48分11秒

菊池寛『無憂華夫人』「公許された相手」

 その晩、食事が済んでから、絢子は兄の康為と二人ぎりになったとき、康為はニコニコ笑いながら云った。
「康貞という男は、なかなか立派な男だろう?」
「はい。」
と、絢子は素直に返事した。
「あれは、学習院などには入らず、一高から大学へ進んで、大学にいる頃、もう外交官の試験をパスしたという秀才じゃ。あんな男は、ちょっと華族仲間には珍らしい。」
「はあ。」
絢子は、自分が賞められているように、嬉しかった。
「将来外交官として、大成するだろうと思う。」
康為は、しばらく黙っていたが、
「お前は、あの人をどう思う。」
絢子の顔は、サッと赤くなった。
「はははあ! いきなり、こんなことを訊いても困るだろうが、わしの夢想では、康貞がお前を貰ってでもくれれば、それで両松平家も、昔通りの懇親にはいれると思うが、これは、なかなか難かしい。」
「………」
絢子は、兄の真意が初めて分ったので、胸が急に、ときめいて来た。
「康正は、話が分るように思うが、旧臣達が、みんなコチコチの連中だからな。……どうだ、康貞はどんな容子だった。」
 絢子は、恥しくって、返事ができなかったが、やっと勇気を出して、
明日(あした)も、御一緒に散歩しようというお約束をなさいました。」
 と、やっと(つぶや)くように答えた。
「そうか、それはよかった。康貞にさえ、お前が気に入れば、あれは次男だし、旧臣達の束縛を受けなくってもいいだろうと思う。お前が、康貞が気に入らなければ、それまでの話だが、康貞が気に入っているのなら、そのつもりで交際(つきあ)ったらいいだろう。」
「はあ!」
 絢子は、自分の心に芽ぐみ始めた恋愛について、兄の公許が出たような気がして、嬉しくもまた、恥しかった。
 絢子は、その夜興奮して、(あかつき)の四時頃まで眠れなかった。
 朝早く起きると、すぐお湯にはいって、化粧をして、身支度を整えて、康貞からの使いを待っていた。だが、午前中は空しく過ぎた。絢子は生れて初めて、いらいらした待ち遠しさを感じた。
 彼女は、昼食も咽喉(のど)を通らない思いで、形ばかりすませると、義姉の俊子夫人が散歩に行かないかと誘うのを断って、部屋に閉じ(こも)っていた。二時になった。でも康貞からは、何の使いも来なかった。百人一首にある「相見ての後の心に比ぶれば」という古歌が、胸に(しみ)るような寂しさだった。
 三時近くなった頃、
「御免下さいませ!」
 と、宿の女中が(ふすま)をあけて、敷居越しに手をついた。
「あちらの松平様の若様からのお言伝(ことづけ)でございます。散歩にいらっしゃるのでしたら、お出掛けになりませんか。私共(わたくしども)の門を出て右へ行く道で、お待ちになっていらっしゃるとのことでございます。」
「はあ。ありがとう。」
 そう答えると、絢子は気もそぞろに立ち上った。人目を(はぼか)って、そんな所で待ち合わせるのだろうと思うと、一つの冒険をするような興奮で、絢子も胸が躍った。
 東京から伴につれて来ている女中が、
「お伴いたしましょうか。」
 と、云うのを、
「いいのよ。」
と、かるく断って、縁側に草履を廻させて降りると、庭伝いに門を出た。



最終更新日 2005年10月18日 22時19分32秒

菊池寛『無憂華夫人』「ロミオとジュリエット」

 右へ行けば、山の手の方へ行く道である。やや坂になっている狭い道を、絢子は、息をはずませながら、小走りに走って行くと、そこの道の曲り角に、康貞は黒地の瀟洒(しようしや)たる背広を着て、ステッキを右の手に持ちながら、(こぼ)れるような微笑を(たた)えて待っていた。
 天晴(あつばれ)典型的な紳士だった。
「お待ちになりました?」
「いや、僕も今出て来たばかりです。家令、家扶なども来ていますので、こんな所でお待ちして失礼しました。」
「いいえ。どう致しまして。」
 絢子は、いそいそと寄り添った。人目を忍んでいるだけに、もう、恋人同志の楽しい密会(ランデブー)のような気がした。
「昨日、あれから帰りまして、兄に貴女(あなた)方とお目にかかったことを話しましたら、兄は大変(よろこ)んでくれました。」
「まあ、私の兄も、貴君(あなた)にお目にかかってよかったと、大変欣んでいました。」
 絢子も、嬉しさを胸に包んで云った。
「そうですか。貴女のお兄さんも僕の兄も同じ気持なんですな。親族でありながら、相反目しているのを、お互に悲しんでいるんですな。兄は、これを機会に昔通りの懇親を結びたいと、申しておりました。」
「私の兄もそうでございますの。」
「じゃ、僕達は、もっと親しくなってもいい訳ですな。」
「はあ!」
 二人の心は、もうピッタリと溶け合っていることを、互に見合わした眸で、諒解(りようかい)し合った。
 だが、それ以上、はしたないことは、お互に囗に出し得ない教養を持っていた。
「まだ梅は、咲いていないでしょうけれど、梅園へ行って見ましょうか。」
「はあ。」
 二人は、曲りくねった坂の多い道を通って、熱海の町を横ぎった。
「僕達の家は、昔は兄弟が別れた訳ですが、その後もいろいろ養子に取ったり取られたりして、随分重縁になっているそうですな。」
「はあ。」
「維新のときにも、僕の叔母に当る人が、貴女の叔父さまと結婚することになっていたのが、あの騒動で、おジャンになったそうですな。」
「まあ。」
「それで、その叔母はがっかりしたと見え、間もなく病みついて十九で歿()くなったそうですよ。」
「まあ、お気の毒ですわねえ。」
 絢子は、何だか身につまされる思いがした。
「ロミオとジュリエットですな。御存じですか。」
「はあ、シェイクスピアの芝居でございましょう。」
 絢子が、それを知っていたことに、康貞は非常に満足らしく、
「そうです。そうです。仇敵(かたき)同志になった両家の青年男女の恋愛悲劇ですな。」
 絢子は、それは維新当時の話ではなく、現在の自分達にも、当嵌(あてはま)るのではないかと思うと、烈しい不安で、心がふるえ(おのの)いて来るのだった。
 梅園へ着いたが、暖い土地であるだけに、梅はもう、ハッキリと赤みがかった(つぼみ)を附けていた。
「もうすぐ咲きますな。」
 と、康貞が云った。
茶店に腰かけていると、二人を新婚旅行者と見たのであろう。写真屋が来て、
「いかがでしょうか、記念に?」
 と、云った。
 康貞は、絢子の方を見て微笑しながら、
如何(いかが)でしょう、御一緒に(うつ)しましょうか。」
 と、云った。
 それが冗談半分であることは、絢子に分っていた。だが絢子は、
「はあ。貴君(あなた)さえお差し支えなければ。」
 と、ハッキリと答えた。
「僕は、一向差し支えありませんが、貴女は御婦人ですから。」
「どなたにも、お見せにならなければ、私はかまいませんわ。」
 絢子は、小声で写真屋に分らぬように、囁いたが、その態度と声とには、限りなき嬌羞(きようしゆう)が含まれていた。
 深窓に育った絢子のような女性が、男性と一緒に写真を()ろうと云う以上、それはこの上もなき信頼と愛とを、その男に捧げている証拠であった。康貞にも、そのことは、ハッキリ感ぜられた。
 一緒に写真を撮れば、それは無言の婚約である。絢子が、そんなことを囗に出しては云わないにしても、康貞としては、それをハッキリ感じなければならないのは、教養ある男性としての、義務である。
 さすがに康貞は、しばらく躊躇(ちゆうちよ)した。しかし絢子の高貴なる風貌、快活ではあるが、上品な態度、自分に対する限りなき信頼、自分の妻としてはこの上もなく、好もしい女性ではないか。ただ、二人は恵まれている境遇ではなかった。頑固な旧臣の反対は、火を見るよりも(あきら)かだった。しかし、そんなものが何であろう。兄同志は了解してくれるに違いないし、結婚すれば、旧臣などと遠ざかって外国へ行ってしまう自分である。この次、帰朝する頃には、維新の旧怨など、もう無くなっているに違いない。
 自分達さえ、深い決心を持っていれば結婚できない相手ではない。そう思うと、康貞は決心して云った。
「本当に御一緒に写真など撮ってもいいんですか。」
 それは、康貞のつもりでは、(私と結婚して下さるでしょうか)と云うのと同じだった。
「はあ、(よろ)しいですとも。」
 絢子の言葉は、気軽で朗かだった。
「如何でございますか。この梅の古木を背景にしますと大変宜しいんですが。」
 写真屋は、二人の心が動いたと見ると、もう三脚を拡げ始めた。
 康貞は、深い決心を心に秘めて、絢子と並んで、枝を張った梅の老木を背後にして立った。
 康貞は、料金を払うと、外務省の情報局宛送って来るように命じた。
 写真屋が去ると、二人はまた茶店の腰掛に並んで腰をおろした。
 二人は、もう完全に、恋人同志だった。
「僕と一緒に写真なんか撮っても、よかったのですか。」
「はあ、宜しいのです。」
「そんなに僕を信頼して下さるのですか。」
「はい。」
絢子は、その純白の頬を真赤に染めながら云った。
「絢子さん、有難う。写真を一緒に撮って下さる以上、僕は、それだけの責任を持ちます。」
 康貞は、力つよく云った。
「………」
 絢子は、烈しい興奮で、囗が利けなかった。
「万難を排して、私は貴女と結婚するように致します。貴女が、僕と一緒に写真を撮って下さったことは、そう解釈してもいいんでしょうな。」
絢子は、いよいよ首を項低(うなだ)れながら、(かす)かに頷いた。
 その翌朝の九時、康貞は老家令と女中とに送られて、東京行きの汽船で、熱海を立った。
 康貞の乗った(はしけ)が、海岸を離れるとき、絢子はその石の多い海岸の渚に立って、じっとその艀の方を見送っていた。
 老家令や女中がいるために、康貞と言葉を交えることは出来なかった。だが、二人が人目を忍んで見交す眼には、言葉以上に千万無量の(おも)いがこもっていた。艀が、本船に着いたとき、康貞はすぐ甲板に上った。老家令や女中がいるので、康貞は絢子に向って、公然と手を振ることは出来なかった。しかし、康貞の心は、一町にあまる海を隔てて、手にとるように、絢子に通じていた。船が動き出したとき、絢子は(こら)え切れなくなって、純白の手巾(ハンカチ)を出すと、それを頭の上で振った。
 康貞も、それを見ると(かぶ)っていた中折(なかおれ)を高くさし上げた。
 家令と女中とは、自分達への別れの挨拶と誤解したらしく、家令は古い山高帽を脱いで柄になく振り廻した。女中も、両手をさし上げて、
「御機嫌宜しく。」
 と、叫んだ。
 絢子は、幸福な想いに充たされながらも、前途の障害を思うと、しばしの別れではあるが、深い悲しみが感ぜられ、振り(かざ)していた手巾(ハンカチ)を眼に(おお)うてしまった。



最終更新日 2005年10月18日 23時06分11秒

菊池寛『無憂華夫人』「ある約婚証書」1

 東京へ帰る康貞を見送った夜、絢子は兄夫婦と三人鼎座(ていざ)していたが、夫人がお湯に立った後、兄の康為が云った。
「康貞一人、先へ帰ったそうだね。」
「はい。お役所の御用事があるそうで、先へお帰りになりました。」
「そうか。昨日(きのう)も、一緒に歩いたそうだね。」
「はい。お伴いたしました。」
「それは、よかった。どちらの方面へ行った?」
「梅園へお伴致しましたわ。」
「梅園! 梅は、まだ早いだろう。」
「ええ。でも、もう蕾を持っていましたわ。」
「そうか。」
康為は、それ以上、さすがに、突込んで訊くことをしばらく躊躇していたが、
「どうだ、康貞君の気持は、少し分ったかね。」
 そう訊かれて、絢子は白い耳朶(みみたぶ)を赤く染めて、さし俯向(うつむ)いた。
「……」
「そんな話は、ちっともなかったのか。」
 絢子は、首を微かに横に振った。
「あったのか。」
「はい。」
 絢子の答は、消え入りそうだった。
「康貞君は、お前と結婚する意志があるのか。」
「はい。」
 絢子の頭は、急角度で傾いた。
「そんなこと、ハッキリ云ったのか。」
仰言(おつしや)いました。」
「それは、話があまり早すぎるようだね。」
 康為は、微笑しながら云った。
 絢子は、恥しさでいたたまれないように、身を(もだ)えながら、
「あの、梅園で、一緒に写真を撮らないかと仰言いましたから、撮りましたのですわ……」
 康為の顔は、ちょっと曇った。
「そんなことをすれば、恋人か夫婦かに思われるぜ。」
「はあ。でも、すぐその後、写真を一緒に撮って下さる以上、僕はそれだけの責任を持ちますと、仰言いました。」
 康為の顔は、すぐ晴やかになって、
「そうかそうか。お前達は、背水の陣を敷いた訳だね。新婚記念に撮る写真を、先に撮った訳なんだね。ははははは。」
 と、朗かに笑ってから云い続けた。
「そのくらいな、決心がなければ容易に(まとま)らない縁談だから、それもいいだろう。」
「はあ。万難を排してと、仰言って下さいましたわ。」
「よし、康貞君が、その心なら、早速一つ話を進ませてみよう。なかなか難しいとは思うが、案外簡単に行くかも知れん。」
 康為は、上機嫌になっていた。
 康為は、熱海滞在中康貞の兄の康正伯に二人ぎりで会う機会があるかしら、と待ち望んでいたが、先方は散歩に出るにも家令、家扶が三、四人お伴に付いていたし、滞在している部屋が左翼と右翼といったように、すっかりかけ離れてしまっているので、廊下で立話をする機会さえなかった。
 わざわざ使いをもって、面会を申込んだりすると、相手の旧臣達の眼を(そばだ)たせることになり、纏まる縁談もたちまち破れる怖れがあるので、康為は自重して、事を焦らないことにした。その内、康正伯の方は滞在がずーっと短く、三、四日すると東京へ引き上げてしまった。
 康為侯の方も、探していた別荘の予定地が、ほぼ見当が着いたので、その後を追うようにして、東京へ帰って来た。
 貴族院も、正月の休暇が(おわ)っていたので、康為は毎日登院していた。
 ある法律案の委員会で、康為は康正と二、三日続けて一緒になった。今までは、そんな折も、お互に黙礼するだけで、お互に話をするのを避けていたが、康為は思い切って康正にぶっつかって見ようと思った。
 ある委員会が了って、康正が廊下に出るのを、康為は追っかけて行きながら、
「松平君!」
 と、自分と同じ名前を呼んだ。
「やあ!」
康正は、振り返ると、柔和にニコニコ笑っていた。
「突然だが、君と折入って話したいことがあるんだが。」
「そう!」
 康正は、さすがにちょっと目を(みは)った。
「迷惑か。」
「いや、僕はちっとも迷惑じゃないが、ただ旧臣連中が……」
 康正は、苦笑していた。
「いや、それは察するが、秘密ならいいだろう。」
「それならいいとも。」
「恋人同志の密会ということになるんだな。あははははは。」
 康為が笑うと、康正も朗かに笑った。
「何処にしよう?」
 康為は、すっかり安心して云った。
「待合がいいね。」
「じゃ、蜂龍ででも会ってくれるか。時日は。」
「今晩でも、明晩でもいい。」
「じゃ、いっそのこと、今晩にして貰おうか。僕は七時頃までに行っているから。」
「承知した。」
「じゃ、どうぞ。」
 そう云って、二人は別れた。やはり、血が繋っているだけに、話していれば、自然に温か味が通じ合うのだと思うと、康為は妹の縁談が、もう七分通りは成立したように思った。



最終更新日 2005年10月18日 23時33分16秒

菊池寛『無憂華夫人』「ある約婚証書」2

 その晩、康為は六時過ぎから、蜂龍へ行って、わざと芸妓(げいしや)を呼ばず、六畳の静かな部屋に客席を設けさせて、康正の来るのを待っていた。
「芸妓をお呼びにならずに待っていらっしゃるなんて、女のお(つれ)さまですか。」
 心安い女中が、からかった。
「馬鹿を云っちゃ困る。お前達も知っているお客様だよ。」
「じゃ、御用談ですか。」
「まず、そんなものだ。」
 七時少し過ぎに、戛(かつかつ)たる馬蹄の響きが、聞えたかと思うと、馬車が止まった。その頃は、まだ自動車のない世の中だった。
 康正が、女中に案内されてはいって来た。
 康為は、立ち上って出迎えながら、
「さあ。どうぞ、あちらへ。」
「いや、それじゃ逆だよ。爵位の上から云っても年齢から云っても君が上座だ。」
「いや、君の方がお客様なんだから。さあ、さあ。」
 康正は、仕方なく床を背にして坐った。
「顔見知りというものの、正式に挨拶するのは、今日が初めてかも知れん。何分宜しく。」
 康為侯が、改まって頭を下げると、
「いや、僕こそ。」
 と、云って康正伯も、丁寧に頭を下げた。
「どうも、馬鹿馬鹿しいことになっていて、親しい親戚でありながら、囗も利けないなんて!」
 康為侯が云うと、康正伯が快活に引きとって、
「御同様に馬鹿馬鹿しい話だよ。親戚以上なんだ、先祖代々重縁の間柄なんだからな。」
「全く。」
 女中が、酒肴(しゆこう)を持ち運んで来た。
「僕の方は、そうでもないが、君の方は頑固なのが、まだ三、四人いるらしいな。」
 康為侯が云った。
「いるとも。今日だって、待合へ来るのに、ちゃんと家扶が送って来て、十時になると迎いに来ると云う訳だ。ははははは。(いや)になってしまう。」
「ははははは。そんなかな、じゃ僕の方が、よっぽど楽だ。」
 二人は、打ちとけて笑い合った。
 酒肴が運ばれて、女中のお酌で三、四杯()みかわした。
「今日、君に来て頂いたのは、外でもないのだが、もう明治もすぐ四十年だし、維新時代の旧怨を持ちつづけて、同県内で睨み合っているなんて、全く馬鹿馬鹿しいと思うんだ。」
「御同感だ!」
 康正も深く(うな)ずいた。
「この際、両松平家が、和解して旧誼を取り返すことは、当然なことじゃないかと思う
んだが……」
「全く。」
「僕達で、協力して断行すれば出来ないことはないと思うんだが……」
「それは、勿論そうだ。」
「一つ大いにやろうと思うが、どうです。」
「僕も、大いにやります。」
 康正伯は、上品な白皙(はくせき)な顔に、早くも微醺(びくん)を帯びて、その美しい眉を昂然と揚げた。
「だが、その方法なんだ。囗先で和解すると云ったところで、感情の(おり)は、なかなか()れるものじゃないから、一つ、その融和したということを形で現す、ーーつまり新しく両家の問に(くさび)を打つ、そういうことが必要だと思うんだが……」
 年齢も少し上だし、貴族院における声望もずーっと上なので、康正は康為に一目置いた気持で、
「そういう方法があるでしょうか。」
 と、訊いた。
「少し君には、唐突に聞えるかも知れないが、君の弟さんの康貞君に、僕の妹の絢子(あやこ)を貰ってもらいたいと思うのだが……」
 康正伯には、さすがに思いも及ばなかった提議だったらしく、目を(みは)ったまま、返事をしなかった。
「あまり、君には突然で、すぐには返事をして頂けないでしょう。しかし、僕は康貞君には、(かね)てから注意しているので、学習院にはいらず一高から大学に行ったことなども、華族仲間に珍らしい秀才振りだし、大学にいる問に、外交官の試験がパスしたなどということは、我々の仲間としては驚異に値することだし、将来は華族の代表的人物として、大成する人じゃないかと思うので、末頼もしく思っているわけなので、妹などもただ爵位を持っているだけの飾物(かざりもの)同然の華族の当主などに、やりたくないので、君の弟さんに大いに嘱望している訳なんだが……」
「いや、有難う。あれは、兄とは比較にならぬ人物であることは、僕も大いに認めているんだが……」
 弟を賞められた嬉しさで、康正も、微笑しながら云った。
「それから、僕の妹のことは、兄の囗から云えんが……」
「いや、お噂は、かねがね聞いている。お話を聴くまでもない。」
 康正が引き取って云った。
「兄としての多少の贔屓目(ひいきめ)は許して頂くとして、康貞君に差し上げても、それほど恥しくはないと思うんだが……」
 そう云って、康為は杯を一つ乾してから、
「一杯さしあげよう。」
 と、康正伯にさした。
 さっき、女中を遠慮させたので、康為自らお酌をした。
「これは恐縮。」
 康正は、お酌をして貰ってから、
「事情が許せば、まことに良縁ですな。」
 と、云った。
貴君(あなた)に誠意があれば、あらゆる事情を打破して貰いたいんだが……」
 と、康為が云うのを軽く引き取って、
「いや、僕には無論、誠意がある。しかし、当人同志はどうでしょう、康貞にも考えがあるだろうし、絢子さんにもお考えがあるだろう。」
 と、康正は、さすがに思慮ぶかく云った。
「いや、当人同志に異存があるくらいなら、こんな所へわざわざ君をお呼びして、話を君にしません。」
「おほう!」
 康正伯は、驚いて声を立てた。
「じゃ、二人はこの話を承知しているのですか。」
「そうです。」
「これは、少し驚いたな。」
「いや、この間熱海で君と僕が、ぶっつかった時、絢子は二度ばかり康貞君と、一緒に散歩しているのです。」
「おほう!」
 康正伯には、すべてが意外であるらしかった。
「散歩したばかりでなく、二人は並んで写真を撮ったらしいのです。」
「ほほう。これは、驚いた。――しかしそれは、少し早まり過ぎませんか。」
 康正伯は、少し眉をひそめた。
、いや、お言葉通りかも知れん。しかし、二人は一緒に写真を撮るということが、どんなことを意味するか、ちゃんと心得てやっているのです。つまり、写真という形式で、約婚証書を交換した訳なんだ。」
「これは、驚きましたな。」
 事重大と見て、康正伯は緊張した。
「だから、今日貴君にお目に掛ったのは、縁談申込というよりも、こういう関係にある二人のために、善後策を講じて、(うま)く纏めようという御相談になる訳ですな。」
「全く。」
 康正伯は、(おもて)をふせて考え込んだ。
「たった二度散歩しただけで、ここまで行ってしまうんだから、二人がお互いに、どんなに愛し合っているかも想像されるし、また両家の関係を熟知しながら、一緒に写真を撮ったんだから、二人の決心のほども充分窺われる訳ですよ。」
「そうです。そうです。」
 康正伯は、頷き続けた。
「だから、我々兄同志も、二人の決心を汲んでやって、是非纏めてやりたいんです。如何(いかが)でしょう?」
 康為侯は、改めて念を押した。
「私にも、勿論異存はありませんが、ただ旧臣共は、御想像以上に頑冥不霊(がんめいふれい)ですから。」
「それは、お察しします。しかし、貴君が確固たる意志をもって、事を計れば、案外巧く行くのではありませんか。」
「そうかとも思いますが。」
 康正は、囗では云ったが、顔色はかなり曇っていた。
「ところで。」
 康為は、声を落として、
「この話を進めるのには、どうしても我々の宗家たる千駄ヶ谷の公爵に、囗をきいて貰う必要があると思うのだが……」
「御(もつと)も。」
「公爵が、両家の感情を融和するため、新たに縁談を取りむすんだらという風に、仲人
をして貰うんですな。そうすれば、貴君の方の御家来達も、案外早く納得すると思うのだが。」
「御名案です。」
「じゃ、僕が、二、三日のうちに、公爵邸へお伺いして、よく事情を申し上げて、お頼みすることにしよう。」
「どうぞ。」
 康為侯は、十中の九分九厘まで、纏まったものとして、既に喜色を湛えていたが、康正伯の方は、その色白の顔が妙に緊張していた。彼は、その前途に横たわるいろいろな障碍(しようがい)が、あまりにマザマザと眼に見えるからであった。



最終更新日 2005年10月18日 23時46分04秒

菊池寛『無憂華夫人』「旧臣会議」

旧臣会議
 二月の初旬、T公爵の四頭立ての馬車が、赤坂の高台にある松平伯爵家の玄関に横付けになっていた。
 T公爵は、正式に伯爵令弟康貞と松平康為侯令妹絢子姫との縁談を持ち込んで来たのであった。
 公爵からの話を、伯爵は夫人、母堂に伝えた。二人とも、旧臣連さえよければという条件で賛意を表した。
 康貞は、兄の口から、その話を聴かされると、やや顔を赤くしたが、
「結構です。是非、纏めて頂きたいと思います。四月の出発に間に合うように、急いで頂きたいと思います。」
 と、ハッキリ云った。
 後は、旧臣連だけになった。しかし、それが非常に難関だった。
 第一に△△藩の出身で、陸軍中将である大木義夫、海軍少将である速水(はやみ)三郎、実業家の杉野盛亨、本野勇、こういう人々で組織している家政顧問会に相談することになった。
 邸内の大広間に、こうした人々を集め、康正が、云い(にく)そうに話を始めると、一座の驚愕(きようがく)は、伯爵が予想もしなかったほど大きいものだった。
 一座は、最初顔を見合わして、一言も云わなかったが、康正伯が、
「時世も進んだし、もう維新のことは、みんな忘れてもいい頃ではないかと思う。慶喜様を、公爵になされて、別に徳川公爵家をお立てになった朝廷の思召(おぼしめし)を考えても、我々は旧怨を忘れてもいいのではないかと思うが……」
 と、言って口を(つぐ)んだ時、一番に立ったのは、後備(こうび)歩兵少佐の近藤勇之進という老人であった。彼は、実際維新のとき、××松平家の兵と戦い、その後十年戦争、日清戦争と、歴戦した老軍人である。彼は、わずかに少佐で予備に廻されたことが、一生の恨事と思っていた。それというのも維新の時に、朝敵になったためで、朝敵になったのは、××松平家が、俄仕立(にわかじた)ての勤王ぶりのためだと解釈しているので、××松平家に対する恨みは、骨髄に徹していた。
「恐れながら、この御縁談に反対致します。お仲人が、T公爵であらせられる点は、たいへん勿体(もつたい)ないと思いますが、しかし御縁談を断るのは、世間普通のことでありまして、何も失礼に当ることはないでしょう。康貞様は、華胄界(かちゆうかい)稀に見る御秀才でござるから、お望みとならば、どんな高貴な家とも御縁組が出来る方です。それだのに、何を苦しんで、××松平家の方を申し受ける必要がございましょうか。もう四十年も経ったと仰言いますが、私などには、昨日(きのう)のように、あらゆることがマザマザと胸に浮ぶのです。御先代が、会津入りをなさる山中で、一日半何も召し上らず、私がやっと山葡萄(ぶどう)をさがして、差しあげました時、(勇之進有難う)と、仰言ったお言葉などを思い出しますと、あの当時の無念が、湯のように胸に、湧いて参ります。先代は、御生前に××というお言葉は、一言も口になさいませんでした。華族会館へなども、××と顔を合わすのが、嫌だと仰言って、一度もお出掛けになりませんでした。公会の席で、××様とお顔を見合わしても、一言も口をきいたことがなかったと、常々仰せられていました。(維新の時、わしだって恭順の気持はあった。だから、官軍の本営へ軍使を出して交渉中であったのを、××が、朝廷へ忠義ぶって早くも、火蓋を切ったので、到頭(とうとう)朝敵の汚名を着てしまった。弟筋の××に売られたかと思うと、わしは口惜(くや)しい)とよく御述懐になったではありませんか。御先代は、口にこそ出して仰せられませんでしたが、××家が侯爵で、御当家が伯爵で、御知行高と逆であることを一生の恨事となさっていたではありませんか。そのことはここに御列席の皆が、よく存じているはずだ。我々旧臣の瞳の黒い間は、先君の御無念の的である、また我々が無念の的である××家との縁談は断じて御容捨を願いたいと思います。列座の皆も、きっと私と同じ心ではないかと存じます。絢子姫が、どんな御才媛にしろ、御同族の中にこれに(まさ)った方が、三人や四人いらっしゃらないということはありますまい。しかるに何を苦しんでか、わが△△藩の旧敵である××松平家と、御縁辺をむすぶ必要がありましょうそ。私は、恐れながらこの御縁談には絶対に御反対致します。」
 勇之進が、激越な調子で、怒鳴ったので、一座はたちまち白け切ってしまった。
 財政顧問である実業家の本野勇などは、温厚一方の人なので、この縁談に内心ではむしろ賛成していたくらいだが、一座の空気がこうなると、そうした賛成論は、表面に出る余裕はなくなった。
 しばらく一座の沈黙が続いた。温厚な康正は、蒼白いほど興奮した顔をしていたが、旧臣の反対を圧しつけるような強い性格の人ではなかった。
「大木さんは、どうお考えになりますか。」
 と、顧問会の会長格である陸軍中将に(すく)いを求めるように云った。大木中将は静かに立ち上った。
「絢子様が××松平様のお姫様でなければ、申し分のない縁談でございますが、どうも××松平様のお姫様では、如何(いかが)かと存じます。と申して、私は××松平様と、御旧誼を温めることに不賛成ではございませんが、一足飛びに御縁談ということは、如何でございましょうか。ことに、康貞様は、稀に見る御秀才なので、我々旧臣一同が、康貞様の御栄達によって、維新の際における△△松平家の屈辱を(そそ)ぎたいというような希望を、誰も秘かに懐いておりますので、その奥様には我々が、心から敬慕致し得るような申し分のない御婦人が望ましいように存じます。」
 温健な意見であるだけに、康正伯もそれを受け容れずにはいられないようなものだった。
 康正伯の顔は、絶望に近い表情に変っていた。
「皆の意見は、よく分ったが、しかし康貞自身が、非常に希望していることなので……」
 と、康正伯は、言葉をにごした。すると末座に控えていた家令の河井鉄太郎が、鶴のような長身をすっくと、持ち上げた。
「私からも一言申し上げることを許して頂きます。康貞様には、私達から悃願(こんがん)して、思い止まって頂きますから、どうかこのお話は、これぎりに願いたいと思います。私は、皆さまも御存じの通り、××藩の兵に追われて、会津に落ちたものの一人でございます。私の母と姉とは、××藩兵のために、無惨な殺され方をしたものでございます。私の父は、会津入りの山中で、鉄砲の丸創(たまきず)が、(おも)って割腹して果てました。私はちょうど二十一歳で、父の介錯(かいしやく)を致しました。父は、最期になんと申しましたか、朝廷を恨んではならん、△△藩は最初から公武合体論で、朝廷に対して逆意を(いだ)いたことは毫頭(こうとう)もない。今度だって、官軍の本営に使者を出して、局外中立の態度を取りたいと哀願したのだ。官軍でも、その願意をお聞き届けになろうという間際になって、××藩が今まで首鼠(しゆそ)両端の態度を取ったために、官軍から叱責(しつせき)されたので、急に官軍に対する忠勤振りを見せるために、△△を攻めに来たのである。だから、△△の城下は焼かれ、我々主従が他国で(しかばね)(さら)すのも、みんな××藩の所業(しわざ)である。お前は、父の無念を晴すつもりなら、××藩の康忠侯を一太刀でもいいから、恨んでくれと、こう申しました。私は、父の無念を肝に銘じて、御維新当時は、康忠侯をお狙い申し上げたのでございます。しかし、皆様も仰言る通り、この明治の聖代となりましては、旧怨は忘れた方がいいと思って、復讐の素志はいつの間にか捨ててしまったのでござります。しかし、たとい明治が五十年になりましょうとも百年になりましょうとも、父、母、姉の(かたき)である××藩の御姫様を迎えて御主人と仰こうとは、私は思いません。御前様が、そういう思召がお在りでございましたら、まずこの鉄太郎の役儀をお召上げになってから、その後に御縁談を進めて頂きたいと思います。」
 鉄太郎の眸には、維新当時の憎悪が、四十年の長き歳月を隔てながら、なお、爛々と燃え盛っているようだった。
 それぎり、誰も口を利かなかった。旧藩士の反対は、康正伯が予期したより、五倍も十倍も、強かった。
「とにかく、わしも考えてみよう。」
 そう云って、康正伯は席を立つほかはなかった。



最終更新日 2005年10月19日 00時55分35秒

菊池寛『無憂華夫人』「平民となりても」

 弟の康貞は、奥で会議の結果を待っていた。そこへ、兄は蒼白な顔をして、はいって来た。
如何(いかが)でした?」
 兄の顔色を見て、覚悟しながらも、康貞は訊いた。
「話にならん!」
 康正は、吐き出すように云って、椅子に腰をおろした。
「みんな反対ですか。」
「大変な見幕だ。」
「困りましたな。」
「困った。」
「何かいいお考えはないでしょうか。」
「ない。(わし)が、康貞自身が希望していると云ったら、河井などお前と直接談判すると云ったぞ。」
「馬鹿馬鹿しいですな。」
「全く、馬鹿馬鹿しい。河井など、すぐ例の会津落ちの話さ。」
「お兄さん、僕を除籍して下さいませんか。僕は一平民となっても、絢子さんと結婚しようと思います。」
 康貞は、悲壮な決心を(おもて)に浮べていた。



最終更新日 2005年10月19日 01時27分24秒

菊池寛『無憂華夫人』「絢子からの手紙」

 旧藩臣会議があってから四日目だった。康正伯は、旧藩地である△△から、突然一通の電報を受けとった。
  ヤスサダサマノゴエンダンニツイテ、キュウハンシタイカイヲ、ヒラキタルトコロ、ゼンカイイッチ、ハンタイモウシアグルコトニケッシ、ダイヒョウシャ三メイ、ジョウキョウス。
 と、あった。
 康正伯は、悵然(ちようぜん)として天を仰ぐ外はなかった。彼は、弟の康貞に、その電報を見せながら、
「気の毒だが、諦めて貰うほかないね。これを押し切ってやると、どんな大騒動になるか、分らないから。」
 と、云った。
 悲痛な表情で、電報を見ていた康貞は、
「華族なんて、こんなに不自由なものでしょうか。」
 と、兄を見上げて云った。
「気の毒だが、辛抱してくれい。」
 と、弟を(いた)わるように云った。
「聖代にあるまじきことですな。」
 康貞の眼は、悲憤に燃えていた。
「康為君の気持は、両藩の感情を何とか融和させるための縁談なのだから、こうなるとかえって、両藩の関係を更に険悪にするようなことになる。だから、この際、あっさり思い切って貰いたい。」
「僕と絢子(あやこ)さんの気持は、そんな政略的なものじゃないんですが。」
「それは、わしにも分っている。しかし、お前が、この間云ったように除籍してまで、絢子さんと結婚するなんて、極端な話だし、……一つ辛抱して貰いたいもんだ。」
 そうまで、兄に云われると、康貞も黙ってしまうほかはなかった。
「それにしても、国の人達は、どうして知ったんでしょう。」
「それは、河井や近藤など、早速国へ通知して、旧藩士大会を起させて、東京と国許と両方で呼応して、反対しようと云うんだよ。」
 康貞は、暗然として黙ってしまった。華族の次男であること、そんなことは彼にとって、何の誇りでもなかった。彼は、実力によって、外交官として、輝かしい未来を開拓し得る自信があった。華族の次男であることのために、生涯再びは得がたいと思われる麗人を、失うことなどおよそ、馬鹿馬鹿しいことと思われて仕方がなかった。
 熱海の海岸で、手巾(ハンカチ)を振りながら、悲しい別れの微笑を浮べていた絢子の面影が、今更のように、マザマザと心の中に浮んで来る。一度会っただけで、魂は相結ばれていた。その高貴な姿に、純白なイヴニングドレスを纏わせて、パリや紐育(ニユーヨーク)の社交界に、わが妻として、引きつれて行くことは、男子として、どんなに花々しいことだろうかと思っていた。東洋の姫君(プリンセス)として、欧米のいかなる名流夫人とも、対抗するだけの容姿と気品とを持っている人だと、心ひそかに楽しみにしていたのに。
 それらの華やかな期待と希望は、旧藩士と云った分らずやの一団によって、いとも無残に蹂躙(じゆうりん)されるのだった。
 ただ、華族といった特別な階級に在るため、目に見えない鉄の束縛を受けているかと思うと、康貞は無念さのために、身体が(ふる)えて来るのだった。
 だが、理解のある温厚な兄に背いて、除籍して貰ってまで、結婚することは、出来なかった。
 兄弟は、二十分近くも、相対していたが、お互に言葉がなかった。
「T公爵に、お断り申し上げるほかないが……」
 兄は重苦しい沈黙を破って云った。
「兄さん、今しばらく待って下さいませんか。僕は、もう一度旧臣の人達と会って話して見たいと思います。」
「いや、お前が会えば、かえって空気を険悪にするに違いないが……」
「でも、兄さん。僕にとっても、一生の大事ですから。」
 そう云われると、兄もすぐ断るとは云いかねて黙ってしまった。
「一度、河井や近藤などと、懇談したいと思いますから。」
「懇談したところで、話の分る人達だとは思わないが、お前の気が済むように、よく話してみるのもよかろう。」
 兄は、そう云って部屋を出て行った。
康貞は、自分の居間へ帰って来ると、机の上に、一通の手紙が来ていた。
差出人は、康貞の友人の名前であったが、それは康貞が家令や家扶の眼を避けるために、教えた名前で、絢子から来た幾度目かの手紙であった。
 東京へ帰って以来、彼らの心は手紙を通じて、交わされていたのだった。
 昨日(きのう)のお手紙、ただ悲しく拝見いたし参らせ(そうろう)。御旧臣達の反対にて、はかばかしくは運びかぬるとのお言葉、雲のかけはし、(なか)絶えし心にて、覚束(おぼつか)なくも悲しきことのみ思い浮べられ参らせ候。今日は咲かん、明日は開かんと、心頼みの梅の蕾も時遅れたる別れ霜に見舞われ、蕾のまま()れはつる運命かと心も心ならず、嘆き沈みおり候。末とげぬ悲しき(えにし)ならば、なまじ熱海の浜辺に、逢い参らせたることの悲しく、相見てのと、昔の人の歌いたる言の葉の今更胸にしみ入る心地いたし候。この君ならで、誰にかはと誓いたる心の誠の、などて通らぬ(いわお)やあると念じおり候えども、世の義理の(しがらみ)は、命までと誓いたる人々を隔てつる(ならい)にて候えば、女心の本末(もとすえ)もなくただ乱れるばかりにて候。
 あわれ、家柄爵位などなき者の娘ならば、恋しと思う君が、御手にすがりて、山の奥野の末にも伴い参らせ、竹の柱(かや)の屋根の下にても、添い遂げ参らすべきになど思うにつけても、ただ涙のみ、頬を伝い申し候。
 ただ(おも)い思う心の、矢となりて、かたくななる人々の心にも(とお)れと念ずる外、女の身の詮すべなきことの悲しく候。
                                 絢子
 やや古典的な、深い教養を思わせる文章を読んでいると、康貞は無理解な旧臣達が、仇敵のようにさえ感ぜられて来るのだった。



最終更新日 2005年10月19日 01時38分38秒

菊池寛『無憂華夫人』「抗議書」

 嵐の中の小鳥のように、打ち(ふる)える気持で、絢子は縁談の成行きを、待っているほかはなかった。T公爵に、仲人になって貰うまでは、すべてが順調で、目出度(めでた)き吉報がすぐに(もた)らされるような気がした。
 しかし、そのT公爵が先方を訪問してくれてから三日目に、兄康為は、それとなく絢子に云った。
「絢さん。今度の縁談は、最初から少し無理があるんだから、その覚悟で居てくれなければならないよ。」
 と、云われた。絢子は、すぐ胸を衝かれたような気がして、
「お返事は、どんなお返事でしょうか。」
 と、訊いた。
「いや、返事はまだないがね、今日ちょっといやなことを聴いたんだ。」
「どんなお話でしょう?」
 絢子は、もう顔の色を()えていた。
「旧臣連中が、思ったよりも頑固で、猛烈に反対しているということじゃ。」
「まあ!」
「わしは、もういいと思ったのだが、まだ頑固な連中が、随分生き残っているのでなあ。」
「でも、ハッキリ断って来た訳では、ございませんでしょう。」
「まだ、返事はして来んが、康正伯はかなり困ったらしい。」
「では、もう諦めねばならないのでしょうか。」
 絢子は、絶望的な表情に変っていた。
「いや、わしもあらゆる手段を講じている。あすこの家政顧問会の連中に、手を廻して了解運動をしているが、巧く成功してくれればいいと思っている。」
 康為は、そう云ったが、しかし顔には、何の希望も浮べてはいなかった。
 不安のうちに、十日ばかり経った。△△松平家からは、何の返事も来なかった。
 ある日の午後、この頃、急に習い始めたフランス語の教師が来て、表玄関に近い応接間でレッスンを受けていると、急に玄関から、荒々しい声が、聞えて来た。
 家扶の芳川が、何かと(なだ)めているようだったが、相手の声は、ますます高くなって行くばかりであった。それも、一人や二人ではなく、少くとも十人近い団体らしかった。
「まあどうしたのでしょう。」
 絢子は、仏語教師の松村夫人の手前も、恥しい気がして、廊下へ出ると玄関の方へ近づきながら、物陰からそっと容子を(のぞ)いて見た。
 紋附に袴を穿()いた田舎者(いなかもの)らしい――大抵は、五十近い年輩の連中が、七、八人ばかり玄関先に、突っ立っていた。
「なぜ、侯爵に会わせて下さらんか。」
 半白の疎髯(そぜん)を、逆立てながら、代表者らしい老人が叫んだ。
「ぎっきから云っている通り、御留守だから、会わせることが出来んのじや。」
 芳川もかなり興奮していた。
「お留守なら、お帰りまで待とう。」
 三、四人、口々に怒鳴った。
「そんなことをされては、こっちが迷惑じゃ。」
「それなら、当のお嬢さまに会おう。」
 自分のことを云っているらしいので絢子は、ハッとした。
「もってのほかのことじゃ。」
 芳川は、お家の大事とばかり、毅然として()ねつけた。
「会わないと云うのなら、会わなくてもいい。じゃ、我々のこの抗議文を、侯爵とお嬢さまとに、お手渡しを願いたい。」
「そんなものは、引き受ける訳には行かない。」
 芳川は、あくまで頑張っている。
「君は、取次ぎじゃないか、取次ぎに、引き受けるの、引き受けないの、そんなことを云う権利があるか。」
 三十四、五の眼の鋭い男が云った。
 芳川は、しばらく黙っていたが、問答をしていては、果てしがないと思ったのだろう。
「じゃ、我輩が預るから、とにかく置いて行ったらいいだろう。」
 と、云った。
「預るだけではいかん、きっと侯爵に渡して貰いたい。それから、お嬢さんにもお目にかけて貰いたい。」
 芳川は、軽く頷いた。玄関先での、みっともない紛争を出来るだけ、早く切り上げたかったのだろう。
 代表者らしい半白の老人が、紫の袱紗包(ふくさつつ)みを解くと、奉書で包んだ書類らしいものを芳川に渡した。
「これは、我が△△藩士一同の偽らざる心の叫びである。康為侯に、とくとその叫びを耳に入れて頂きたいと、君から伝えて貰いたい。」
 眼の鋭い男が、附加えるように云った。
 廊下から玄関に出る(ドア)にはいっている曇り硝子(ガラス)の隙から、始終を見聞していた絢子は、気が遠くなって、そのままそこに倒れそうになるのを、じっと(こら)えていた。
 (けが)らわしい物をでも持つように、奉書の包みを持ちながら、絢子の潜んでいる(ドア)の方へ引き返して来た芳川老人は、
「馬鹿どもが!」
 と、呟きながら、(ドア)を開けたが、その陰に立っている絢子を見ると、飛び上るように驚いた。
「お姫様(ひいさま)は、ここで聞いていらっしったのですか。」
「ええ、私、ここにいたの。」
「馬鹿どもが、詰らぬことを申して参りまして。」
 老人は、彼らの代りに絢子に()びるように頭を下げた。
「私、その書類ちょっと見たいの。」
「滅相な、これはお嬢さまなど、御覧になるものではござりません。」
 老人は、子供にでもするように、その書類を持っている手を背後(うしろ)に廻した。
「いけないわ。私、見たいの。向うだって、私に見せるように云ったのでしょう。」
「では、ございますが。」
 温厚な老人は、腰を(かが)めながら、絢子から二、三歩、後ずさりした。
「芳川、見せないといけないわ。大切なことですもの。」
 絢子の声には、(おのずか)(そなわ)る威厳があった。主命大切に一生を過している老家扶は、これ
以上、絢子の意に逆らうことは出来なかった。
「では、恐れながら。」
 そう云って、奉書包みを差し出した。
 絢子は、(ふる)える手で、包み紙を取ると、大奉書紙一杯に、かなり大きい厳しい文字で書いた、抗議書なる一文に目をさらした。
  我々旧△△藩有志は、旧藩主松平康正伯令弟康貞様と旧××藩主松平康為侯令妹絢子姫との御縁談に絶対反対す。我々は維新当時における我藩上下の怨敵(おんてき)たる××藩公の令嬢を、主君と仰ぐことを、(いさぎよ)しとせざればなり。ここに我々の心情を披瀝(ひれき)して、旧××藩主松平康為侯の反省を促すもの(なり)
                              旧△△藩有志
 絢子は、それを読んでいる内に、頭の血が急に冷え切ってしまったと思うと、立っている廊下の床が、足許で崩れて行くような気がした。
「誰か誰か。お姫様が……誰か、誰か。」
 芳川老人は、倒れようとする絢子の身体をおそるおそる支えながら、人を呼んだ。応接間にいたフランス語の先生である松村夫人が(あわ)てて飛び出して、絢子の身体をしっかりと抱き止めた。



最終更新日 2005年10月19日 23時06分09秒

菊池寛『無憂華夫人』「侯爵夫人の怒り」

 その抗議書を見た時に、康為侯よりも、康為夫人の方が、激怒してしまった。彼女は、公卿華族の筆頭である五條家から出ていた。賢明な婦人ではあったが、気位は非常に高かった。およそ、人から侮辱を受くることは嫌いだった。
 その抗議書を見て、眉を(ひそ)めている康為侯の傍から云った。
「まあ、何と云う失礼なし方でしょう。」
「言語道断だ。」
 康為侯も、無念の牙を噛んでいた。
「こんなことをしてまで、絢子さんを△△に貰って貰わなければなりませんの。」
「いや、そんなことはない。」
「絢子さんに誰も貰い手がないと云うんなら、ともかく、華族女学校でも、一と云って二と下らない器量よしでは、ございませんでしたの。」
「……」
 夫人が、ヒステリックになってしまったので、康為侯の方で、黙ってしまった。
「いくら、昔の情誼を取り返すのが、大事だと申して、こんなにまで侮辱されても、下手から出なければなりませんの。」
 夫人の勢いは、乾草に火のついたようであった。
「そんなことはない。」
 康為侯は、タジタジとなっていた。
「まだ、こんな馬鹿なことを云っている人達の中へ、絢子さんをお遣りになれますか。」
「うん、でも当人の康貞は。」
「康貞様が、何とお考えになっていても、これじゃ話にならないじゃありませんか。」
「そう。そう。」
「T公爵さまに、お願いして、この話はこちらから、お断りした方がいいと思いますわ。明日とは云わず今日すぐT公爵家へいらっしゃいませ。」
「うん。」
 康為侯は、さすがに絢子の心中を思いやったので、すぐには立ちかねていた。
「絢子さんは、△△への(つら)当てに、私が申し分のない婿君をお世話いたしますわ。ねえ、T公爵様へ、こちらからお断り遊ばせ。」
「だが、断るのなら、いつでも断れるし……」
「じゃ、貴君(あなた)はこの縁談を、まだ纏めるお考えですの?」
「そんな気はないが。」
「じゃ、すぐ早い方がいいですわ。でないと、いつ再びあんな狂犬のような人達が、押しかけて来るかも知れませんもの。」
「だが、絢子の気持も一応訊いてみなければならないし……」
「絢子さんなら、私が話して来ますわ。」
 夫人は、早くも座を立とうとした。
「まてまて、その話は(わし)がして来る。」
 そう云うと、立ちかけた夫人を引き止めて、康為は、失神から恢復(かいふく)したばかりの身体を安静にするために、寝ているはずの絢子の部屋へ、自分で行って見ることにした。こんな悲しい話は、やはり肉親の兄の口からした方が、少しでも刺戟(しげき)が少くて、よいだろうと思った。
 友禅模様の赤い掛蒲団を、一枚だけかけて、絢子はまだ青褪(あおざ)めたままの顔で、天井をじっと見上げていた。
 兄が、はいって来たのを見ると、急いで床の上で、起き直った。
「寝ていてもいいぞ。」
「いいえ、もう大丈夫なんですの。」
 絢子は、淋しい笑顔をさえ浮べた。
 兄は、しばらく黙っていたが、やっと思い切って云った。
「今度の話は、もう諦めてくれるだろうね。」
「はい。」
 潔く返事をした絢子は、さし(うつ)むくと、早くも大粒の涙が、一つ畳の上に落ちていた。
「万事兄さんが、悪かった。兄さんが、余りに空想的であった。ただ、お前と康貞とが、どんなに幸福な夫婦になることしか考えてなかった。済まなかった、堪忍してくれ。」
「いいえ。」
 男々しくも、絢子はこらえて、落ちようとする第二の涙を、手で押えた。
「向うの旧藩士が、あんなことをするようでは、たとい話をすすめても、面白くないだろうし、康貞の立場も困るだろう。聞き分けて、諦めてくれるか。」
「はい。」
 白百合(しらゆり)の崩れるように、絢子は、畳に両手をつくと、
「どうぞ、お兄様のお宜しいように。」
 と、云った。



最終更新日 2005年10月20日 00時05分20秒

菊池寛『無憂華夫人』「中絶」

 纏めることは、大変難しいが、中止することは簡単だった。康為侯が、T公爵まで、縁談の中止を申し出たので、話はそれきりになってしまった。
 △△藩の旧藩士達は、みんな凱歌(がいか)を奏して、これで維新当時の鬱憤が、いくらか晴れたような気になっていた。
 ただ残ったのは、傷ついた二つの胸だけだった。
 康貞は、地を蹴り天を仰いで、慨嘆したがどうすることも出来なかった。普通の家の二男だったら、また絢子姫が、平民の娘だったら、周囲の反対を押し切っても、同棲するという方法もあったが、二人とも家門とか爵位などと、眼に見えぬ鎖で幾重にも、束縛されている身だった。
 兄の康正伯から、縁談の中絶を申し渡されたとき、康貞は、
「止むを得ません!」
 と、承諾したが、しかし兄があまりに穏健すぎるのが、恨めしい気がした。兄が、思い切って、旧藩士達を押えつけることだって、やればやれないことはないのだと思うと、少年時代から、いつも信頼し尊敬していた兄が、生れて初めて、不甲斐ないように思われて仕方がなかった。
「お前も、今度外国(あちら)へ行ってしまえば、結婚する機会は、また三、四年ないのだから、絢子さんが駄目だとすれば、ほかを急に探してみてはどうだろうか。」
 と、云った。
「いいえ。結構です。」
 康貞は、ぶっきらぼうに云い放った。
 今、こんな気持で、絢子以外の女性と結婚することを考えることなどは、自分自身に対しても絢子に対しても、恐ろしい冒涜(ぼうとく)だと思った。
「そうか。お前も、今度の事件は、随分いやだったろうが、しかし、一時の感情のために、永く結婚の機会を失するということは、考えものだぜ。」
 兄は、まだ弟を説こうとした。
「お兄さん、僕のは一時の感情じゃないんですよ。」
 康貞は、正面からじっと兄の顔を見つめながら云った。弟の悲壮な眼付に、兄はタジタジとなって顔を背けながら、
「そうか。じゃ、仕方がない。この次、帰った時まで待つか。」
 弟は、それには返事をしなかった。この次どころか、彼は自分がいつが来れば、絢子以外の女性と結婚する気持になれるか分らなかった。



最終更新日 2005年10月20日 00時07分22秒

菊池寛『無憂華夫人』「相愛通信」

 絢子(あやこ)は、一時のショックで倒れたと云うものの、別に病気がある訳ではないのだが、しかし十日ばかり床を離れることが、出来なかった。心に受けた打撃が、あまりに大きかったからである。
 白紙のような処女の心に、描かれた康貞の姿は、あまりに深く強く染みついていた。それを急に取り去られたのであるから、その後には容易に埋められない空虚が残ってしまった。
 三、四日、ほとんど何にも口にしなかったので、身体が衰弱し、微熱さえ出るようになっていた。
 彼女は、康貞との縁談は、中絶されても、しかし心の縁は、  心と心との繋りは、断たれたようには思えなかった。
 彼女は、一心に康貞からの手紙を待っていた。今まで、手紙を()れたのだもの、もう一度だけは、呉れない訳はないと思っていた。ただ、康貞が縁談の中絶を機会に、自分のことをこれぎり思い切りはしないかということが、心配だった。康貞を信じてはいるものの、たった二度会っただけであるだけに、多くの不安が湧いて来ない訳には行かなかった。
 毎朝、腹心の女中のいち(、、)に、郵便函をそっと見にやらした。
「参っていません。」
 いち(、、)が、云い難そうに、俯向(うつむ)いて報告する日が、続いた。到頭、いち(ヘへ)は、
「お嬢様。外務省へお手紙をお出しになったら、如何(いかが)でしょうか。」
 と、云った。いち(、、)に、心の中を見抜かれたような気がして、絢子は蒼白い頬を、淡く染めたが、
「そうね。私も、それを考えているんだけれど。」
「お出しなさいませ。あちら様も、貴女(あなた)のことを考えていらっしゃるに違いありませんわ。」
「そうね。じゃ、明日もう一日だけ待って見よう。それで、お手紙が来なければ、出して見ようかしら。」
「はあ。そうなさいませ。」
 いち(、、)も、緊張した顔をして云った。
 その翌日も、康貞からの手紙は来なかった。絢子は、決心して、康貞に手紙を書くことにした。
一筆示しまいらせ候。
ままならぬ浮世とは、申しながら、かくまで悲しき運命(さだめ)に泣かんとは、かねても思いかけ申すべき。なまじいに、お目にかからずば、かかる憂きことのなきものをなど、熱海の浜の楽しき思い出も、今は苦しみの種となり申し候。思うまじき人を思うほど、はかなきことは御座なく候。世の禁制の重ければ、思いあきらめ申すべきなれど、せめて最後の玉章(たまずさ)にても賜りたく、この十日ばかり夜に日をついで、お待ち申し候えども、今はそれさえ望み絶えぬれば、君は左程に思召し給わぬにやなど、悲しき上にも悲しき思いの、つのり申し候。絢子あわれと、思召さば、せめて今一度のお便り賜りたく、かくは悲しき筆とり申し候。あらあらかしこ
                                絢子
  康貞様
 ぽろぽろと落つる涙に、字が幾度も、幾度も、(にじ)むので、巻紙を何度も引きちぎったけれども、書き上げた手紙には、なお幾滴かの涙の(あと)が残っていた。
 いち(、、)の智恵を借りて、外務省宛に出した。
「きっとすぐお返事を下さいますわ。私明(わたくし)日から一時間()きくらいに、郵便受を見て参りますわ。大事なお手紙が誰の目にも触れないように。」
 いち(、、)は、そう云いながらにっこり笑って、それを出しに立ち上った。
 その翌朝、いち(、、)(あわただ)しい足音をさせて、絢子の部屋に駈け込んで来た。
「お嬢様。お嬢様。大変ですわ。」
「何なの。」
 いち(、、)の顔が、生々と興奮しているので、絢子はそれと察しながらも訊いた。
「もう、お返事が参りましたわ。もう。」
 いち(、、)(ふところ)から宝物をでも取り出すように、一通の手紙を取り出して、絢子の前にさし
出した。
「でも、お返事にしては、早いわね。」
 絢子は、うち震う手で手紙を受け取りながら云った。自分の書いた手紙が、昨日のうちに、外務省へ着いたとしても、康貞が手紙を読むのは今朝であると思ったからである。
「じゃ、あちら様も、辛抱しきれなくお出しになったのですわ。」
「そうね。」
 絢子の頬も、久しぶりに薔薇(ばら)色に輝いた。
 それでも、女性の(たしな)みを失わず、いち(、、)(はさみ)を持って来させて、綺麗に封を切った。
拝啓
今回のことは、すべて小生の(あやまり)なり。罪万死に値す。不甲斐なき小生よりの書信など、もはや御開封下さるまじきかと思い、只今まで御遠慮申したれども、渡仏の日既に旬日に迫りたれば、惆悵(ちゆうちよう)たる思いを抑制することを得ず、ここに一書を呈す。
今回、渡仏せば、恐らくは、再会期しがたからむ。たとい相見ることありとも、君は既に人妻ならん。願わくは、生別死別のお名残りとして、今一度君を見る機会を与え給え。時と処は、君の御都合通りに従うべし。その節、わが薄志弱行を深謝し、君の諒恕(りようじよ)を乞うべし。不肖康貞の最後の願いを聴きたまえかし。
お返事は、外務省宛下されたし。
                                康貞
  絢子様
 それを読んでいるうちから、絢子はもう涙をぽろぽろ流していたが、読み(おわ)ると、わっと泣き伏してしまった。
「お嬢様、どうしたんでございますの。」
 いち(、、)は、心配しておろおろしながら、訊いた。
いち(、、)や、心配しなくってもいいのよ。私、嬉しくて泣いているのよ。」
 絢子は、涙の中から、狭霧(さぎり)を通して出る太陽のように、ほのぼのと笑いながら、「あの方も、私があの方を思っている通りに、私を思っていて下さるの。フランスへいらっしゃる前に、ぜひ一度私に会いたいと仰言(おつしや)るのよ。」
 と、云い続けた。
「まあ。そんなに思い合っていらっしゃるのに、御一緒にフランスへいらっしゃるのでしたら、どんなに宜しいでしょうに。」
 いち(、、)は、しみじみと、主人思いの哀惜を表して云った。
「でも、今となっては、そんなこと望めないわ。せめて、一度だけお目に掛って、あの方のお心を訊き、私の気持も申し上ぐれば、私どうにか諦められると思うの。」
 と、絢子は手紙を繰り返して読みながら、云った。



最終更新日 2005年10月20日 00時07分56秒

菊池寛『無憂華夫人』「生別死別」

生別死別
 その頃、大久保は躑躅(つつじ)の名所で、今のように開けていず、植木屋が多く住んでいた。いち(、、)の親許も、植木屋であった。
 康貞から、時と場所とは絢子(あやこ)の選択に(まか)すと云って来たが、深窓に育った絢子には、そうした場所は考えられなかった。郊外へ行くほどの時間は、到底得られなかったし、料理屋などに行ったことはなかったし、感じのよい喫茶店などは、銀座のどこにもなかった。無論、デパートの食堂などもなかった。
 いち(、、)は、絢子のために、いろいろ思案をしていたが、ふと思いついたように云った。
「ねえ、お嬢様。いっそ、いち(、、)やの家でお会いになったら、如何(いかが)でございますの。父は、昼間はいませんし、母と妹とだけでございますの。家は、とても汚うございますけれども、広い植木畑の中ですから、人目はございませんし。……」
「そう。それなら、そうしようかね。」
「そうなさいませ。いち(、、)やは、明日(あした)あたりお暇を頂いて、家へ行って来て、ちゃんと支度を致して参りますわ。」
「でも、私家をどうして出ようかしら。」
「今月の十七日に、金鈴会の歌の会が、ござりますでしょう。あの時、いち(、、)やがお伴をして参りますから、会の方は欠席して、私の家へいらっしゃればいいんですわ。」
いち(、、)やは、いろいろ智恵があるわね。」
 絢子は、嬉しそうに、しかし淋しそうに微笑した。
 金鈴会というのは、歌人で歌学者である佐竹信芳門下生の会合で、会員には貴族富豪の夫人、令嬢が多かった。
 いち(、、)やが、自分の家の地図を出来るだけ(くわ)しく書いたものを、絢子は康貞宛の手紙に同封した。
 十七日の日まで、絢子は落着かず、ただ夢の(ごど)く暮してしまった。その日は、朝からそわそわして、女中がさし出したお茶椀を、受けとる時に、危く取り落そうとしたり、いち(、、)やに時間を幾度も訊いて笑われたりなどした。
 午後一時に、二台の人力車に乗って家を出たが、いち(、、)やの智恵で一度神楽坂見附で降りて、乗って来た(くるま)を返した。絢子の乗っていた方は、抱え車夫なので、車夫の口から大久保行が洩れるのを恐れたためである。
 神楽坂下で、辻待(つじまち)をしていた俥に、乗り換え、大久保へ急いだ。康貞へは二時と通知してあったので、二時より少し前に行っていたかった。
 抜弁天(ぬけべんてん)から、大久保の狭い通りに曲ったが、絢子は、車夫の走るのが、もどかしくて、(たま)らなかった。
 その頃の大久保は、戸山ケ原に近く、畑なども所々にあり、新築の住宅が、その間にボツリボツリ立ちかかっていた。まだ山手(やまのて)線の電車はなかったから、その当りは閑静な狭いややゴミゴミした街だった。
 案内役に先に進んでいるいち(、、)の俥が、右へ畑添いの狭い通りへ折れ、絢子の俥が、それに次いで折れかかった時だった。
 絢子は、思わず、
「あっ!」
 と、車上で声を立てた。それは、道端に、(けやき)の大木が、二、三本立っていたが、その一つの樹陰に、康貞がハンチングを目深(まぶか)に、白い(とう)のステッキを案じて、立っていたからである。
「まあ! ここでいいの、ここでいいの。」
 絢子は、思わず車夫に声をかけて、俥を止めさせると、(まろ)ぶように、俥から降りて、康貞の傍へ走り寄った。
 行き過ぎていたいち(、、)やは、慌てて俥を降りると、二人の車夫に賃銭を払って、帰した。
 康貞は、絢子の近づくのを見ると、静かに帽子を取って、目礼しただけで、何にも云わなかった。絢子も何にも云えなかった。
「私の家は、すぐもうあすこでございますの。」
 いち(、、)は、そこから半丁と隔っていない植木畑の中の藁葺(わらぶき)の家を指さして、
「どうぞ、私の家へいらしって下さい。」
 と、云って先に立った。
 二人は、黙々として並んで歩いた。心の中に、大波のように渦巻く思いを、どんな言葉で出してよいか分らず、二人とも興奮し、緊張していた。
「少しお()せになりましたね。」
 康貞は、初めて口をきいた。
「はあ。私あれから十日ばかり寝ていましたの。」
「そうですか。」
 康貞は、瘠せたために、かえって白蝋(はくろう)のように冴えきった絢子の横顔をちらと見ながら云った。そこに、絢子の大きい苦悩が、ハッキリ痕がついているように感じたので、
「申訳ありませんでした。」
 と、項低(うなだ)れて云った。
「いいえ。貴君(あなた)がお悪いのではございませんわ。もう、どうぞ、そんなことは、仰言らないで頂きたいのです。」
 いろいろな灌木(かんぼく)の植えてある畑の中を、二十間ばかり歩くと、百姓家らしい家構えのいち(、、)やの家の庭へ出た。
 いち(、、)やの母らしい老婦人が、そこに()いつくばうようにして、頭を下げていた。
「汚い家でございますけれど、どうぞ、こちらへお上りなさいませ。」
 いち(、、)やが、縁側から二人を上へ案内した。古びた家の様子だったが、座敷らしい八畳の部屋は畳なども新しく、新調かとも見える座蒲団が二つしかれていた。
 いち(、、)やは、甲斐甲斐しくお茶を運んで来ると、
「汚い処でございますけれども、母と私の外は、誰も()りませんから、どうぞ御ゆっくり。御用がございましたら、お呼び下さいませ。」
 と、云って退って行った。
 二人は、熱海以来、ニケ月目にさしむかいになった。
 この一時間か二時間は、二人の一生にとって、再びとは()がたき貴重な時間であった。一分二分が、百金千金に価していた。
 その一分二分を空費してはならないと思いながら、しかも二人とも、容易に言葉が出て来ないのだった。
 数限りない思いが、数限りない言葉が、先を争って飛び出ようとするために、どれも素直には出て来ないのだった。二人は、黙って火花の散るような眸を、時々カッキリと組み合わせると、また俯いて黙ってしまうのだった。
「絢子さん!」
 康貞は、やっと心の統制がとれたらしく口を切った。
「今度のことでは、いくらお詫びしても足りません。僕の方が、全然悪いのですから。しかし、今更優柔不断な兄を(とが)めて見ても、頑冥な旧藩士達を咎めても、仕方がありませんから、その点はお互に諦めるほかないと思います。ただ、私は到底貴女(あなた)を諦めることが、出来ないのです。」
 康貞の熱情は、絢子の全身を(おお)うほど烈しいものだった。
「しかし、我々はお互いに、境遇の鎖に縛られているのです。我々、二人でいくら藻掻(もが)いて見ても仕方がありません。だから、今までのことは、嘆いたり悲しんだりすることはよしましょう。ただこれから先のことですが……」
 そう云って、康貞は沈痛な(おもて)を伏せたが、
「しかし、これから先と云って、本当は、どうすることも出来ないでしょう。ただ、僕が一生貴女を愛しつづけることだけは知っておいて頂きたいのです。」
「あら、私だって同じことですわ。」
 恥しさも、慎しさも、忘れて絢子はそう云った。今云うべき機会を逸しては、一生云えないかも知れない言葉だったからである。
「本当ですか。」
 康貞の眸は、爛々として燃え上った。
「本当でございますとも。」
 絢子は、きっと(おもて)をあげて、黒い眼に一ぽい涙を湛えて、康貞を見返した。
「そうですか。有難う。じゃたとい、このまま、一生お目に掛らないでも、僕は貴女を愛し続けます。」
「嬉しゅうございますわ。」
 そう云うと、絢子はわっと、畳の上に顔を伏せて泣き伏してしまった。
 康貞も、せき上げて来る涙を、両手で抑えかねていた。
「絢子さん、僕が貴女をどんなに愛しているかは、どうか長い目で見て戴きたいのですが。」
「それは、どういうことでしょうか。」
 絢子は、涙に()れた顔を上げて、訊いた。
「僕は、貴女以外の女性とは、絶対結婚しません。つまり、僕は生涯独身を続けようと思います。」
「まあ! 私も、そういたしますわ。」
 絢子が云うと、康貞はすぐ、それを遮って、
「いや、それはいけません。僕は、男ですから独立独行が出来ます。結婚しまいと思えば、結婚しないですみます。しかし貴女は女性ですし、お兄さんの云うことを、お聴きにならない訳には行きません。どうぞ、貴女は御結婚なすって下さい!」
「まあ、それは御無理ですわ。私決して結婚いたしません。」
 絢子は、美しい恰好のよい首を強く振った。
 康貞は、初めて(わず)かな微笑を洩しながら、
「僕は、貴女(あなた)にそんな難事を強いたくないのです。貴女は、どうぞ結婚して下さい。貴女が、たとい人妻となっても、僕が貴女を愛する気持は、決して変らないだろうと思いますし、僕のために貴女が、少しでも不幸になることは、僕は望ましくありませんから。」
「結婚しなくっても、私、ちっとも不幸でありませんわ。私、貴君が私を愛していて下さると思えば、一生独身で幸福に暮せますわ。」
 絢子も、美しい口元に、真心を示して云った。
 康貞は、しばらく悵然(ちようぜん)としていたが、首を振って、
「いや、駄目です駄目です。じゃ、お互に結婚するとかしないとかは、この際お話ししないことにしましょう。ただ、精神的に、僕は生涯貴女の良人(おつと)です。だから、貴女も生涯僕の心の妻であって下さい。」
「はい。どうぞ、どうぞ。」
 絢子の眸は、感激に燃えて、身体はわなわな顫えた。
「絢子さん、その誓いの(しるし)に、手を握らせて頂けますか。」
「はあ、どうぞ。」
 絢子は、つと身を寄せると、康貞の膝に顔を伏せた。その姿態には、手ばかりでなく、唇でも、身体すべてでも、相手に捧げようという情熱が盗れていた。



最終更新日 2005年10月20日 00時31分09秒

菊池寛『無憂華夫人』「魂の愛」

 どちらからともなく、二人はしっかりと手を握り合っていた。
 絢子(あやこ)の美しい頬は、生れて初めての膕ハ奮に、ほの赤く潤んで眼は高熱を持ったように輝いた。そして身体全体が、微風が渡るように、微かに顫え立っていた。
 康貞もそうだった。湯のような情熱が、身体中に湧き充ちて、それが制しきれなくなると、握っていた手を離し、両手で絢子の肩を抱くと、(はげ)しく自分の胸に引き寄せた。
 魂の底に打ち(ゆるが)すような激しい抱擁だった。
 唇を求むれば、無論それを許したであろう。(いな)それ以上のものを求むれば、それをも絢子は許したかも知れない。この刹那(せつな)には、位置も階級も、家門の名誉も、恋してはならぬ二人の境遇も、すべて純情無垢な愛の陶酔のうちに、忘れはててしまった。
 しかし、紳士である康貞は、強い力で自分の慾望を制した。結婚できないものが、唇を許し合うことは間違っている。男の自分はともかく、それは他の男性と結婚しなければならぬ絢子の将来に、何らかの不幸を残す種となるからと思ったからである。
 絢子は、康貞に快く唇を許したかった。実際、彼女はそれを催促するように、顔を少し上向けて、情熱に燃ゆる眸で、幾度か康貞の顔を見上げたほどである。
 しかし、彼女は処女であるから、自分から口に出して、それを求めることなどは、到底できなかった。
 遣瀬(やるせ)ない悲しい抱擁は、二十分も続いた。二人は、その間ご言も口を利かなかった。二人の心の、火のような情熱は、その触れ合っている胸から胸へ、肩から肩へ、無言の音を立てて、激しく流れ通ったのである。
 そのうちに、絢子はしくしくと声を放って、(すす)り泣き始めた。まことに、泣かずにはいられない気持だった。
 さすがに、康貞は男性らしく、すべてを抑制した。それは、讃嘆すべき道徳的勇気であった。彼は、抱いた手を緩めて、躰を離すと、
「絢子さん、貴女(あなた)は、早くお帰りにならなければ、ならないのじゃありませんか。」
 と、云った。
「はい。」
 絢子は、ハンカチーフを出して、涙を拭きながら答えた。
「そうですか。長くお目に掛っていると、いよいよお別れしにくくなります。こうなれば、お互に魂の愛人とも云うべきですから、これぎり一生涯お目に掛れなくっても、僕は遺憾とは思わないつもりです。」
 康貞は、深い決心の息を吸いながら云った。
「いいえ。そんなこと、私いやですわ。私、結婚しないで、いつまでもいつまでもお待ちしますわ。」
「さっきも云った通り、その点には触れないことにしましょう。貴女は、どうぞ結婚なすって下さい。貴女が結婚なさらないということは、大変無理です。」
「いいえ。いいえ。」
「いや、僕は僕の愛のために、貴女を犠牲にしようとは思いません。もし、僕にそんな気持があるのなら今日だって……」
 と、云ったが康貞は言葉を切った。
(今日だって、接吻(せつぶん)でも、それ以上のことでもしたかも知れません)と云う積りであったのだろう。
「犠牲になさるなど、そんなことございませんわ!」
 と、絢子は云いかけたが、そのまま口を(つぐ)んでしまった。すぐ涙が、言葉を奪ってしまったからである。
 こういう時の時間は、矢よりも早く過ぎるものだ。一つ溜息をつく間にも、一度涙を拭う間にも、一分二分と経って行く。気がつくと、もう四時を廻っていた。
「今日は、どういう風にお家をお出になったのですか。」
「ちょうど佐竹信芳先生の金鈴会の月次(つきなみ)会が、今日ございましたの。ですから……」
 と、云って、絢子は言葉を切った。
「じゃ、もうそろそろお帰りにならなければいけないのでしょうね。」
「はあ。」
「お名残り惜しいけれども、仕方がありません。」
「いつあちらへ御出立になるのでしょうか。」
「フランスへですか。」
「はあ。」
「この二十二日です。」
「じゃ、一週間もございませんのね。」
 絢子は、涙に泣き濡れた、恨めしそうな眼で、じっと康貞の顔を見上げた。
「あちらからは、もうお手紙も頂けませんでしょうね。」
「それも、考えているんですが、巧く仲継(なかつぎ)をしてくれる人がいない以上、困難でありますし……それに、傷ついているお互の胸をまた新しい手紙で、掻き乱すことも、どうかと思いますし……」
「いいえ、掻き乱すのではございませんわ。それによって、どんなに慰められるか分らないんですもの。」
 しかし、人目に立つ外国郵便であるだけに適当な仲継者などは、二人とも思い出せなかった。
「じゃ、私からだけは、差しあげますわ。お返事を頂けないのは、悲しいですけれど、仕方ございませんわ。」
 と、絢子は云った。
 康貞は、ポケットから白金(プラチナ)の時計を出すと云った。
「もう五時近くなりました。お別れですな。」
「はい。二十二日には、横浜までお送りしたいんですけれども、お船は、何と云うんですの。」
「フランス汽船で、『エトアール・ド・マタン』と云うのですけれど、送って下さるなんて無理です。それに、人目に立ちます。」
 どうせ、華族社会の人々が、多いとすれば、絢子の端麗な姿は、たちまち多くの人の注視の的となるに違いなかった。
「でも、私どうにか都合して参りたいと思いますわ。」
「いや、駄目です。駄目です。貴女が来て下さったりすると、僕は取り乱してしまって、とんだ醜態を演ずるかも知れません。どうぞ、僕を静かに、出立させて下さい。船が、横浜を離れるとき、僕は貴女のことを一番深く思っているのに、違いないのですから。」
 絢子も、それ以上に送るとは、確言できなかった。自分にも自信がなかった。横浜へ行くとすれば、どうしても半日以上かかることだった。家をあける口実など、どうにも考え出すことは出来なかった。
「私、お目に掛れる時が、またじきに、来るような気がいたしますの。」
「僕も、そう希望しています。では、絢子さん、どうぞ御機嫌よく、御幸福にいらしつて下さい。」
貴君(あなた)様こそ。」
 前よりも、もっと激しい情熱で二人は掻き抱いた。絢子の柔かい頬が、康貞の頬に触れた。接吻までは、間一髪の隔りでしかない。しかし、康貞は初志を(ひるが)えさず、心の中の衝動をじっと抑えつけて、清く身を持し通した。
いち(、、)や、私もう帰るわ。」
 康貞に促されて、絢子はようやく女中を呼んだ。
 絢子は、顔を泣き腫していたので、いち(、、)やに顔を見られるのが、恥しかった。
 絢子と女中とは、待たしてあった俥に乗った。



最終更新日 2005年10月20日 08時43分20秒

菊池寛『無憂華夫人』「心は君と」

 二十二日の午後三時、康貞は仏国郵船エトアール・ド・マタン(暁の星)号の甲板に、立っていた。
 外務省関係の人々、親類の華族達、友人知己、旧藩士の人々など見送り人は、二百名近くもあった。
 もし、絢子(あやこ)と縁談が、巧く纏まっていたら、この航海が即ち蜜月の旅行となり、今頃絢子は、彼女の長身に、ぴったりと似合うに違いない新調の洋装を、身につけて、贈られた無数の花束を両手に、自分の(かたわら)に立っているに違いないと思うと、康貞の心は悲憤に似た思いで一杯になり、見送りの人達にも、自然不機嫌にならずにはいられなかった。まして、旧藩士の連中に対しては、余憤なお()めやらないので、彼はその人達の挨拶には、ろくに返事もしないほどだった。
 もう(まさ)に、見送り人の退船を促す銅鑼(どら)が鳴ろうとする間際だった。多勢の見送り人の間を掻きわけるようにして、一人の若い女性が康貞に近づいた。きらびやかな夫人令嬢の扮装とは、比べものにならない銘仙の着物に、羽織も着ない女中姿だったが、(わる)びれず康貞に近づくと、右手に持っていたブリジヤ一式の小さい花束と、薄桃色の角封筒を手渡した。
 その女の顔を見たとき、康貞の不機嫌であった顔は、急に輝きわたった。
 彼は、その女が、大久保での密会(ランデブモ)に絢子が連れていた女中であったことを、見覚えていたからである。
「有難う。有難う。」
 さっき、外務次官に挨拶した時よりも、もっと感激して、康貞はそれを受けとった。
「どうぞ。宜しく、どうぞ。」
 相手の名こそ、口にせざれ、千万無量の思いは、その短言隻句の中に波打っていた。
 途端に、退船の銅鑼が鳴った。見送り人が、口々の別辞も康貞は、夢中にききながした。
 彼は、その女中が、持って来た角封筒を、一刻も早く読みたかったからである。船が、岸壁を半丁も離れると、もう康貞は、甲板を離れて、船室(キヤビン)に降りて来た。
 彼は、興奮の余りに顫える手で封を切った。彼女自身のように、のびやかな美しい手蹟で、
 はや何事も申し上げず、心は君と共に万里の波濤を越え申すべし。
                                 絢子
 と、書いてあるだけだった。が、それと同時に、緑なす美しい黒髪が、数十条も断ち切られて、同封されていた。



最終更新日 2005年10月20日 09時26分29秒

菊池寛『無憂華夫人』「美しき義妹」

 康為侯夫人俊子は、今度絢子(あやこ)の縁談が破談になったについて、一番(プライド)りを傷つけられた人だった。
 彼女は、聡明であったが勝気であり、家庭内のことにおいては、時には良人(おつと)の康為侯を引きずり廻すほどの権力をさえ持っていた。
 彼女は、元来美しい義妹を誰に配すべきかについては、自分自身の考えを、(おぼろ)げながら持っていた。それは、絢子を自分の実弟である五條芳徳子爵に結婚させようという希望であった。五條家は、公卿華族中一と云って二とは下らぬ名門で、当主の芳麿公爵は、夫人の兄に当っていた。芳徳子爵は、五條家の分家として新たに授爵せられた家である。
 俊子夫人は、この弟を可愛がっていた。いくらか病身で、大人(おとな)しくって口も余り利けないような青年であるだけに、姉として一倍可愛かったのである。
 その上、五條家そのものが、名門であるが、資産は貧乏公卿の名を昔から、背負っているだけに、やっと門戸を張って行ける程度である。まして、分家である芳徳子爵家が、経済的にすこぶる、心細い状態に置かれていることは当然である。
 俊子夫人は、この弟のために、華族中位置も高く金もある名家から、適当な嫁を貰ってやりたい。その上、その嫁が怜悧(れいり)で美貌で、大人しい芳徳を、引き立ててくれるような、そして芳徳の社交的位置を確立したいと思っていた。
 そんな気持で、彼女は芳徳の嫁を心の中で、探していた。しかし、それは探す必要は、少しもなかった。すぐ、自分の眼の下に、絢子という夫人の目的には、叶い過ぎるような候補者が居たからである。
 だが、夫人の心の中に、そういう考えが、はっきりとした形をとりかけた時、突然康貞と絢子との縁談が、起ったのである。良人の侯爵から、この話を聞かされたとき、夫人は少し失望した。しかし、夫人は勝気ではあるが、悪辣(あくらつ)な女性ではなかったから、良人がかなり真面目に考えていることを、妨害しようとは思わなかったので、それなりそれでいいと考えていた。しかし、それが△△松平家の旧藩士達の無礼な反対で、破談になると、何だか自分自身までが、不当な侮辱を受けたような気がした。△△松平家に対する上品な(つら)当てとしても、絢子を早く結婚させたい。それには、自分の弟がちょうどよいではないか。康貞は、何と云っても無爵である。芳徳は、五條公爵家の分家でしかも子爵である。学校も、学習院から、京都大学の文科を出ている。どの点から云っても、絢子の良人として恥しい相手ではない。夫人は、いくらか身びいきも手伝って、そういう風に、結論をした。



最終更新日 2005年10月20日 12時06分00秒

菊池寛『無憂華夫人』「仲人以上」

 康為侯爵夫人は、千駄ケ谷にあるお里の五條公爵家を訪問した時、兄の公爵にそれとなく話した。
「芳徳さんも結婚しなければいけないんでしょう。」
 名門の当主であるということだけで、宮内省の閑職に()いている兄の公爵は、何事についても、煮え切らなかった。
「うん。」
「お兄さん、何かお心当りがあって?」
「わしには別にないが。」
 鷹揚で善良である公爵は、妹のように、弟にどういう嫁が一番適当しているかなどということは、てんで考えたことがないらしかった。
「私、芳徳さんには、相当持参金もあり、怜悧でしっかりしたお嫁さんがいいと思うの。芳徳さんは、ああいうひっ込み思案の方ですから、奥さんがよっぽど、しっかりしていて、御主人を盛り立てて行く人でなければいけないと思いますの。」
「うん、そこもある!」
「お兄さん、誰か適当な候補者お考えになったことあって?」
「いや、ちっともない。」
「だって、芳徳さんだって、もう二十七でしょう。」
「そう。お前に万事(まか)すから、いいのを探してくれ。」
「まあ。委されても困るけれど、私にちょっと考えがございますの。」
「ほう。」
「ね、私芳徳さんに、私の家の絢子さんを貰ってやりたいと思っているの。」
「ほう。」
 さすがに、兄は眸を輝かした。彼も、絢子姫の才華双絶の噂を聞いていたし、親類の交際として、幾度かその(ろう)たけた美貌を見ていたからである。
「絢子さんだったら、どう。」
「申分ないが、康為さんが芳徳などに呉れるかな。」
「なぜ?」
「なぜと云って、随分絢子さんは評判の高い美人じゃないか。芳徳は、子爵だし、まだちゃんとした職業があるという訳ではないし、釣合が取れないように思うが……」
「いいえ。そんなことないわ。私が松平へ貰われて行くんですもの、絢子さんがこちらへ貰われて来たって、不思議はないと思うわ。世間では、兄は姉と弟は妹と結婚している場合は、いくらもあるんですもの。重縁になることは、おめでたいことなんですもの。」
「うん。」
 兄は、妹の勝気に圧倒された形だった。
「それに、何と云っても家柄じゃ、ここの家の方が、ズーッといいんですもの。それに、この間絢子さんは、ほら△△の松平康正さんの弟の康貞さんと縁談があったのが、向うの旧臣達の反対で、中止になってしまったんですの。康貞さんは、若手の外交官で当人は立派な方ですけれども、当主じゃないんですもの。それに比ぶれば、芳徳さんは子爵だし、学校もちゃんと出ているし、何もこっちで引け目を感ずることはないと思うんですの。」
「うん。うん。」
「私、お兄さんと芳徳さんさえよかったら、折を見て、康為に話してみようと思っていますの。」
「わしは、勿論大賛成だが、芳徳は少し偏屈な男だから、どう云うか。あれは、絢子さんとは度(たびたび)会っているかな。」
「度々ではないにしても、一年に二度や三度は、会っていますよ。」
「じゃお前から一つ、芳徳の意向を訊いてみてくれ。」
「ええいいわ。じゃ、帰りに芳徳さんのお家へ寄ってみるわ。」
 千駄ケ谷からの帰途(かえりみち)、俊子夫人は、四谷塩町の弟の家へ寄ることにした。千駄ケ谷の五條公爵邸ですら、小さい二階建の洋館のほかは、平家の日本建で、全部で、十二、三()しかない邸宅であるから、分家の芳徳子爵の家は、古い旗本屋敷の跡で、屋根附きの門だけが、子爵邸らしい体面を、やっと、保っているという程度だった。
(絢子との縁談が纏まったら、よく気のつく良人のことだから、新夫婦のために、新しい邸宅くらい建ててくれるだろう)
 と、俊子は途(みちみち)、馬車の中で考えて来た。
 芳徳子爵は、珍らしい姉の来訪を欣び迎えて、書斎に通した。
 兄の公爵は、顔も身体も、のっぺりと長い中にも、どことなく、鎌足(かまたり)公以来摂政関白の名家たる威厳を持っていたが、弟の芳徳は、背がひょろ長い所が似ているだけで、色も黒く、目が少し団栗(どんぐり)で、ただ鼻がつんと高い所だけが、高貴の血統を物語っているだけだった。
 姉と弟は、弟の書斎に、さし向いに坐ったが、姉はすぐ気軽に、
「芳徳さん、今日は貴君(あなた)のお嫁さんの話で来たのよ。」
「突然ですな。」
 芳徳は、嬉しげにニヤニヤ笑った。
「貴君も、婆やと書生相手の生活じゃ、退屈するでしょう。私が、いいお嫁さん貰ってあげるわ。」
 兄の公爵と話している時よりも、俊子夫人は、ずっと打ち解けていた。
「耳よりの話ですが、そんないい人ありますか。」
「あるのよ。でも、巧く話が纏まるかどうかね、まだ疑問よ。」
「ほほう。いったい誰ですか。」
「当てて御覧なさい。」
「そんなこと当るもんですか。」
「貴君、私の家の絢子さん、どう思って?」
「絢子さん!」
 芳徳の顔は、見る見る赤くなった。彼は、この二、三年来、心ひそかに絢子を、その意中に描いていた。
「気に入らない?」
「気に入らないどころですか。」
「そんなに、御執心?」
「さあ!」
 と、芳徳は頭に手をやったが、
「僕、絢子さんなら、  でも絢子さんなんか、僕の所へ来てくれるでしょうか。」
 と、続けて云った。
「そこが、私の腕よ。でも、そう簡単に行くかどうかは分らないけれども、でも貴君がよければ、貰って上げることが、出来るかも知れないわ。でも、余り当てにすると、後で、失望することがあってよ。」
「お姉さん。是非、絢子さんを、僕に貰って下さい。そうすれば、僕一生涯お姉さんの力を、恩に()ますよ。」
「貴君に、恩を被て貰っても仕方がないけれど、しかし貴君がそんなに好きなら、私も世話甲斐があるわ。でも、絢子さん、貴君を嫌いじゃないかしら。」
「好きかどうかは、疑問ですけれども、この間会ったとき、お芝居の話なんかも、長い間していたし、別に僕を…嫌っているとは思えませんね。」
「そう。それじゃ一つ話を進めてみるわ。」
「是非一つ。」
「まあ、当人の方が、お仲人よりも熱心なのね。おほほほほ。」
 俊子夫人は、朗かに笑った。



最終更新日 2005年10月21日 02時29分06秒

菊池寛『無憂華夫人』「閨中の訴え」

 絢子と康貞とが、深い恋愛関係であったことなどは、夢にも知らない俊子夫人は、△△松平家に対する意地からと、自分の女らしい野心とから、専心絢子の新しい縁談を纏めることに、心をつくしていた。
 いくらか婦唱夫随の関係にある康為侯を動かすのは、夫人にとって、何でもなかった。ある夜の寝物語に、夫人は云った。
「今度のこと、貴君(あなた)は残念だとお考えになりません?」
「絢子の縁談のことか。」
「ええ。」
「残念だが、仕方がないではないか。」
「それは、もう破談になったものは、仕方がございませんわ。でも、何だかこっちの面目を、さんざん踏み潰されたような気が致しますわ。」
「………」
 康為侯は、黙っていた。女らしい愚痴や怨言(えんげん)には、相手にならない方がいいと思ったからである。
「私とても、口惜(くや)しいんですの。何とかして、家の恥を(そモ)ぎたいと思いますの。」
「そんな方法があるかね。」
 康為侯は、少し苦笑しながら云った。
「ございますとも。この際絢子さんに立派な縁組をおさせするのが一番だと思いますが……」
「それも一策だが……」
 と、云ったが、康為は、心の底では、少しも動いてはいなかった。
「私、出来るだけ早く、あちらとの縁談に、何の未練もなかったように、新しい縁談を纏めるのが、宜しいかと思いますの。」
「しかし、お前そう急に、新しい縁談が見つかるかな。」
 夫入は、康為侯に、そこまで云わせたかったのである。
「ございますわ。」
「あるかね。」
 康為侯は、半信半疑であった。
「ございますわ。私の口からは、少し申し上げ(にく)いんですけれども、私の弟の芳徳に絢子さんを頂けたら、どんなに好都合かも分らないと思っていますの。」
「芳徳君にね。」
 康為は、そう云ったが、急には言葉が出なかった。余りに、予期しない夫人の提言であったからである。
「芳徳は、絢子さんには御不足でしょうか。」
 そう真正面から云われると、無論康為は、(不足だ)とは云える訳はなかった。第一、夫人の弟の芳徳のことなど、今まで少しも考えていなかったし、まして絢子の良人の候補者として考えてみたことなど、一度もなかったのである。
 康為侯が、考え込むと夫人は云った。
「康貞さんに比べると、芳徳は華美(はで)ではございませんわ。でも、大学もちゃんと卒業していますし、ーそれに、ごく大人しい性質ですから、絢子さんを不幸にするようなことは、絶対にないと思いますの。」
 そう云われてみれば、正面から反対しなければならぬような欠点は、少しもなかった。
「私の口から申すのは変でございますけれど、康貞さんは、爵位はお持ちではありませんけれど、芳徳は、特に子爵を頂いておりますし、世間へ聞えても、ちっとも恥しくはないと思いますが……」
「うむ。うむ。」
 康為侯は、仕方なく頷いた。
「私も、そうして下されば、どんなに嬉しいか分りませんの。五條家の一門の人達に対しても、どんなに肩身が広いか、分りませんの。」
 康為侯は、しばらく黙ってしまった。彼が、康貞に絢子を娶合(めあわ)せようとした意味は、ただ両松平家の旧交を計るためだけではなく、康貞自身の颯爽(さつそう)たる為人(ひととなり)を認めたからだった。康貞が華胄界(かちゆうかい)稀に見る人材たりしに比べると、芳徳は平凡なる貴族の一子弟に過ぎないように思われた。しかし、一度は自分の勝手で、自分の縁故へ絢子を()ろうとしている以上、今度は夫人が勝手を云い出したからと云って、それを頭から()ねつける訳には行かなかった。
如何(いかが)でしょうか。」
 夫人は、黙っている康為を促すように云った。
「無論、悪くはない。だが、絢子は折角の縁談が、破談になったばかりだから、精神的にもかなり打撃を受けていやしないか。だから、その話は、もう少し時が経ってからにしてくれては、どう?」
 それは、この場合至当な云い分だった。しかし、勝気な夫人は、それで引き下りはしなかった。
「御(もつと)もでございますわ。でも、私はどうにかして、△△松平家の人達に、あっと云わしてやりたいんですの。でも、芳徳がお気に召さないとならば、それまでですわ。」
 それが、夫人の切り札だった。その切り札を出されると、康為はそれに対抗するカードは、何にも持っていなかった。
「お前が、そんなにまで、熱心に云うのなら、絢子に直接話してみてくれたら、どう?」
 夫人は、飛び立つばかりに欣んだ。
「じゃ、絢子さんにお話ししてもいいでしょうか。」
「その代り、余り強いないように。」
「そんなこと、私が致すものですか。結婚は、人間一生の大事ですもの、絢子さんがお厭だと、仰言(おつしや)れば、もうそれまでですわ。」
 と、云った。しかし、康為は、自分が嫌だと云えないように、妹も容易に(厭だ)とは云われないだろうと思うと、自分に課せられた難題を、妹に振り向けるようで、かなり気持が悪かった。



最終更新日 2005年10月21日 02時34分12秒

菊池寛『無憂華夫人』「難題」

 ――フランス巴里日本公使館気付
 そんな宛名で、絢子(あやこ)はもう手紙を三通も書いていた。それらの手紙には、この頃作った歌を、十首ずつも、書き添えてあった。
 思慕の歌を作って、それを手紙の中に書き添えて送ることが、絢子のただ一つの慰めだった。
 絢子はまだ、歌が上手でなかった。自分でもそれはよく分っていた。しかし、自分の心は、そうした(つたな)い表現の中に、一番よく現われているだろうと思って、誰にも見せない歌を康貞だけには、心置きなく書き送った。
 しかし、無論返事を期待している訳ではなかった。何通手紙を出しても、返事が来るとは思えなかった。しかし、何かしら奇蹟的に康貞からの手紙が、ひょっくり配達されるような気がしてならなかった。だから、彼女は自分に来る書信があるごとに、胸を轟かして、手に取ったが、それらは女学校時代のお友達か、でなかったら金鈴会での知己からの手紙だった。
 しかし、彼女は一年でも二年でも、十年でも、自分の方からは、手紙を書き続ける積りだった。
 夜毎(よごと)の夢は、印度(インド)洋から、紅海、スエズ運河から、マルセーユ、マロニエの花咲く巴里へと、康貞の後を追っていた。
 そうした絢子が、ある日義姉(あね)の部屋に呼ばれた。
 義姉と絢子とは、決して仲の悪いという間柄ではなかった。しかし、親しいという間柄でもなかった。義姉は、絢子のことは、常から、何くれと世話をやいてくれた。しかし、義姉の気位の高い、聡明な性格は、(つめ)た過ぎて、絢子は心から、義姉に親しむことは出来なかった。自分の心の底の本当の希望や、欲求を打ち明けて、義姉に相談する気にはなれなかった。
 義姉の部屋に、這入(はい)って行った絢子は、義姉がいつもより、改まった態度で迎えたので、すぐ軽い不安に襲われずにはいなかった。
 女学校時代、無断で学校の帰途お友達の所へ寄って、二時間ばかり遅く帰った時も、義姉が今と同じような顔をして、自分を(いま)しめたことを絢子は思い出した。
「絢子さん、こっちへお寄りにならない? ちょっとお話があるのよ。」
 でも、義姉は微笑して話し出した。
「はあ。」
 絢子は、義姉に対しては絶対に従順だったので、黙って膝を進めた。
貴女(あなた)、この間のことで、随分がっかりしていらっしゃるようね。」
(いいえ)とも(はい)とも、処女である絢子には、答えられなかった。
「私も、随分口惜しかったの。△△の旧藩士など、本当にわからず(、、、、)屋だと思いましたの。」
「はあ。」
 絢子は、それを義姉の慰安の言葉だと思ったので、素直に頷いた。
「康貞さんは、本当に立派な方だったですわね。私も、残念だと思いますの。」
 夫人は、さすがにまず康貞を、賞めてかかるという戦法を知っていた。
 絢子は、顔を赤らめて、項低(うなだ)れた。危く涙が出そうになったからである。
「でも、最初から少し無理だったのね。お兄さんが、余り理想家だったのですね。でも、貴女には本当に、お気の毒だったと思っていますわ。」
「はい。」
 絢子は、義姉の言葉を、温い同情ばかりと解釈したので、堪え切れぬ涙が、たださえ潤みがちな双眸を湿(うるお)し始めた。
「でも、過ぎたことは、過ぎたことですわ。こんなことで、余りくよくよなすって、お身体なんか壊しちゃ損ですわ。」
「有難うございます。」
 絢子は、やっと涙を抑えて、感謝した。そこまでは、義姉の言葉は、有難く立派だった。絢子は、義姉がこんなに優しい人だったのかと、今更に感謝の思いが、胸に充ちた程である。だが、その次ぎの言葉は、思いがけない遠雷のように、絢子の胸に恐しい動揺を湧き起した。
「それで、貴女にこの場合康貞さんのことは、ハッキリと諦めて頂きたいんですの。」
「………」
 もう結婚することは、諦めている。しかし、康貞を恋い慕うことが、どうして諦められようか。だから絢子は、何とも返事が出来なかった。
 絢子の顔に、烈しい苦悶の浮ぶのを、義姉は、ジッと見ていたが、
「お諦めになるのが、当然だと思いますの。もう、どうにも仕様のないことですもの。」
 義姉の言葉は、急に威圧的に響いた。また実際、義姉の云う通りだった。
「はい。それはもう……」
 と、絢子は、答えずにはいられなかった。
「そうですか。それなら、結構ですわ。」
 義姉は、我意を得たりと云うように、ニッコリ笑って、それから言葉を改めた。
「それなら、絢子さん、お話がございますの。」
 絢子は、ハッとして顔を上げた。
「この際、あんな無礼なことをした△△の人達に対する面当(つらあ)て  と云っても、可笑(おか)
いですが、まあそんな意味で、貴女がなるべく早く結婚なさることが、一番だと思いますの。」
 雷は、急に絢子の頭上近く迫って来た。絢子は、驚いて眼を(みは)った。
「それが、△△との破談なんか、こちらでは何とも思っていないそと、いうことを向うへ知らしてやることになって、私なんかどんなに、せいせいするだろうと思いますの。絢子さんの御意見は?」
「………」
 そんなことに、どうして意見を述べられよう。絢子は話の怖しさに、胸を顫わせているだけだった。
「それで、私いろいろ考えましたの。貴女のために、いいお婿さんをお探ししようと思って! でも、また今度下手に、話を進めて、また破談になんかなると、恥の上塗りのようになると思いますの。それで、私つくづく考えましたの。そして、絢子さんに、一つ折入ってお願いしようと思っていますの。どんな、お願いだか、貴女お分りになって、おほほほほほ。」
 夫人は、ややヒステリックに笑った。聞いている絢子は、笑いどころではなかった。まさに、雷火は彼女の頭上に、落ちようとしているからである。
「おほほ、お分りにならないでしょうね。それは、私の口から、お願いするのは、少し変ですけれども、私、どんなにでも、お願いして、貴女に弟の芳徳の所へ来て頂きたいんですの。」
 到頭恐ろしい落雷だった。芳徳が、たとい公爵であり、また康貞以上の秀才であり、康貞以上の美丈夫(びじようふ)であったとしても、今の絢子に康貞以外の何人(なんぴと)とも、結婚する意志はなかった。それは、怖しい難題である。それが、義理があり、しかも兄さえが一目置いている義姉の口から、云い出されただけに、絢子の心身を打ち砕くに足る怖しい雷火だった。



最終更新日 2005年10月21日 02時58分04秒

菊池寛『無憂華夫人』「兄妹の情」

 義姉(あね)の部屋から、どうして脱け出したのか、絢子(あやこ)には分らなかった。義姉が、最後に何と云ったのか、絢子の耳にはいらなかった。
 彼女は、耳が割れるように鳴り、眼が(くら)みそうになり、危く昏倒(こんとう)せんとする身体を、ようやく支えて義姉の部屋を出て来たのである。しかし、深窓に育った処女である。絢子には、(いいえ、お断りします)とは、どうしても云えなかった。まだ明治は四十年なので、女性の自我意識は、  また女性の自由も、少しも発達していなかったのである。
 ただ、義姉のいろいろな勧め文句を、(考えさせて頂きます)と、云って、やっと切りぬけて来たのである。しかし、いくら考えたところで、承諾できる問題ではなかった。
 絢子は、その翌日から、食事をしなかった。四十年頃の弱い女性にとっては、そうしたハンガー・ストライキをすることが、せめてもの弱い反抗だった。
 でも、絢子は女中達に、
「私、御飯たべたくないの。でも、お兄様やお義姉様(ねえさま)が、心配なさるといけないから、黙っていてね。」
 と、云う気の弱い女性だった。
 しかし、康貞に守ろうとする操だけは、強かった。もし、義姉が  兄もそれに賛成して、芳徳と結婚させようとするのだったら、自殺するほかはないと、心の底で決心していた。
 女中のいち(、、)だけが、甲斐甲斐しく絢子を慰めて、取らないと云う食事を、無理に取らせるようにしていた。
 絢子が、部屋に閉じ籠ってから四日目の晩だった。
 案内もなく、兄の康為が部屋に、はいって来た。
 絢子は、驚いて、床の上に起き直った。
「病気だって?」
「はい。」
「そうか。」
 兄は、憮然(ぶぜん)として妹のやや蒼褪(あおざ)めた顔を見詰めていたが、
「お義姉様から、何か聞いたのではないか。」
 と、云った。肉親だけあって、絢子の病気が肉体の病気であるか、心の病気であるか、分っていたのである。
 絢子は、たちまち涙ぐんでしまった。
「そうだろう。お義姉さんから、何か聞いたのだろう。」
「はい。」
 絢子は、ほとんど口の中で返事した。
「それで、そんなにガッカリしているのか。」
「………」
「新しい縁談など、今お前は聞きたくないのだろう。」
 絢子は、黙って頷いた。
「そうだろう。しかし、絢子お前は、康貞のことは、思い切らねばならないよ。」
「はい。」
 そう返事するほかはなかった。
「新しい縁談の話は、これは当分待って貰うよう、わしからも話しておこう。」
「どうぞ。」
 絢子は、兄を頼もしく思った。
「しかし、義姉さんはお前も知っている通りの人だから、兄さんも実は、困っているのだ。お前は、芳徳はどうしても嫌いか。」
「私、どなたとも結婚したくございませんの。」
「いや、それは無理だ。今すぐとは、云わないけれども、お前も年が年だし、ああした破談の後だから、早く適当な人を見つけたいということは、わしも義姉さんと同意見なのだ。ただ芳徳が、適当かどうか、それは疑問だが  」
「お兄さん、どうぞ縁談の話は、当分なさらないで下さい!」
「うむ、当分はね。しかし、お前を、このまま(うも)れ木にする訳には行かないよ。」
「………」
 絢子も、とにかく当座だけ逃げれば、どうにかなると思った。
「しかし、芳徳の話を断るのは、わしにも、少し苦手なんだ。だから当分待ってくれという風に云っておこう。だからお前も、その積りでいてくれ。とにかく、話を延期しておいて、お前がどうしても厭なものなら、先へ行って、ハッキリ断ることにしよう。お前も、その積りでいてくれ!」
「はい。」
「そうと()まったら、お前も機嫌を直してくれ。義姉さんは、お前が不貞腐(ふてくさ)れて寝ていると云って、…機嫌を悪くしているよ。」
「まあ!」
 絢子は、この先の義姉との関係を考えると、胸が潰されそうだった。
「とにかく、兄さんが、どうにか話をしておこう。」
 そう云って、兄は出ていったが、ほかの方面では、頼もしい兄ではあるが、義姉に関する限りは、何だか頼りにならないようで、絢子はかなり不安だった。



最終更新日 2005年10月21日 03時02分09秒

菊池寛『無憂華夫人』「繊手操縦」

 芳徳との縁談は、未決定のまま、二月(ふたつき)三月と時が経った。
 ただ絢子にとって、悲しいことは、そのために義姉との間に、目に見えぬ間隙の出来たことだった。今までも、心より打ちとけてくれる義姉ではなかった。公卿華族の筆頭と云ってよい名門に生れた義姉だけに、気位高くどことなく親しみ難い人だったが、こういう問題が、お互の間に含まれて来た以上、前よりももっと冷たい、取り附けない空気が、義姉の態度のどっかに感ぜられて来た。
 無論、裏店(うらだな)の家庭に見るように、それを根に持って、辛く当るような、はしたないことをする義姉ではなかったが。
 その上、今までも義姉に対しては、控え目がちであった絢子の方も、一層オズオズするようになって、二人の問は、目に見えて、気まずくなってしまった。
 深窓の令嬢として、外出も稀で、大部分は家の中に暮している絢子として、義姉とそうした関係になったことは、ほとんど致命的に悲しいことだった。
 二人の間が、気まずくなるにつれ、一番困る位置に立つのは、康為侯だった。侯爵は、妻と妹との間を、円満に取りなそうと、いろいろな努力を払っていたが、それが大抵は、失敗だった。
 一家の空気は、何となく白けてしまった。朝の食事は、三人揃ってする習慣だったのが、いつの間にか絢子一人、自分の部屋で済ますことになった。でも、一家にいる以上、一日義姉と幾度も顔を合わさぬ訳には行かなかった。
 兄夫婦に、子供でもあったならば、その無邪気な存在が、油となって、義姉と絢子との心の(きし)み合いを緩和する役に立ったであろうが、兄夫婦は子無しであった。結婚して以来、十年以上になるが、一人の子供も生れなかった。
 だが、兄夫婦に、子供が一人も無いことが、絢子に対して、更に悲しい運命となって落ち掛って来たのは、その年の秋の終り頃だった。
 今まで、時々問題になっていた侯爵家の継嗣問題が、家令、家扶を初め、旧臣の人達の間に急に論議されて来た。ここにもまた、家政顧問会があった。その人達の意見では、絢子に養嗣子を迎えて、その人に侯爵家を()がそうと云うのであった。
 しかし、それには侯爵が若過ぎた。まだ三十五である以上、これからどういうことで、実子が生れないとも限らない。その場合には、養子をしておくと、面倒な問題が起ると云うのだった。
 そこで、第二案が、人々によって議せられた。それは、絢子が、将来結婚したとき、その腹に出来た子供達の内から、一人を選んで侯爵家の後嗣にしようと云うのであった。
 これは、最も合理的な方法だったので、顧問会の連中は、双手を挙げて、賛成した。
 家政顧問会会長の旧藩出身の前大臣山本貞一郎が、この案をもって、侯爵に進言した。侯爵も、それに同意だった。その次ぎに、侯爵夫人に会って、内意を訊くことになった。侯爵夫人が、この家には、どんなに権威があるかを知っている会長は、おそるおそる夫人の前に伺候(しこう)して、顧問会の意嚮(いこう)を申し上げた。
 夫人は、それを聴くと、ニッコリ笑って、
「それは、まことに結構でございますね。」
 と、云った。
「早速御賛成下さいまして、有難うございます。」
 会長は、慇懃(いんぎん)に頭を下げた。
 夫人は、すぐ言葉を続けて、
「そうなれば、絢子さんの結婚する相手の選定ということが、かなり大切でございますわね。」
「、お言葉通りでございます。せいぜい私達も奔走致しまして、(しか)るべき名門の方をお選びしたいと思います。」
、勿論、それも必要でございましょうが……」
 そう云って、夫人は物ありげに黙った。
「どなたか、奥様には、お心当りがございますでしょうか。」
 会長は、夫人の表情を見ると、そう訊かずにはいられなかった。
「そうですね。ー絢子さんの結婚される方が、私の縁続きの者なれば、本当に嬉しいと思いますけれど……」
 それは、いかにも夫人としては、当然な希望のように思われたので、会長は恐縮しながら、云った。
「御(もつと)もで、御尤もで。そうなれば、松平家の御血統と、奥様の御血統が、結び附く訳で、御実子でなくても、御実子同然の方が、お家をお継ぎになる訳で、……」
「そうして下されば、私どんなに嬉しいか分りませんわ。」
「奥様の御親類の方で、どなたかお心当りの方が、ございましょうか。」
 と、会長は改めて、訊いた。
「おほほほほほほ、ないこともございませんが、私の口からは申し上げ(にく)いではございませんか。」
 夫人は、つんとして、高く止まっていた。
「なるほどなるほど、御尤もで。私達の方で、充分調査致しまして……」
 会長は、そう云って会見を終った。
 顧問会は、すぐ調査に従事した。しかし、調査する必要は少しもなかった。侯爵夫人の親戚で、年配と云い、学歴と云い、爵位と云い、絢子姫と結婚できる人は、五條芳徳子爵のほかに、一人も見つけることが出来なかった。会長の山本氏は、手を()って、
「なるほど、侯爵夫人の、希望していられる方は、実弟の芳徳子爵だな。これなら、まことに申し分がない。」
 と、顧問達に云った。
 みんなも、賛成だった。芳徳子爵であったら、万一子供が出来ないとしたら、分家のことだから、廃家して、夫婦で侯爵家を継いで貰ってもいい訳だと思った。
 会長は、最初に夫人に会ってから、三日と経たないうちに、再び夫人の前に伺候した。
「奥さん、お欣び下さい。先日のお話には、適当な方が見つかりました。」
 会長は、得意になって云った。
「おほほ誰ですか。」
 夫人は、天晴(あつばれ)白ばくれていた。
「ほかの方でございません。御実弟の芳徳子爵でございます。」
 夫人は、さすがに、ニッコリと笑って、
「あんな不束(ふつつか)なもの、絢子さんに釣り合いますかしら。」
 と、鷹揚(おうよう)に云った。
「どう致しまして、御血統と云い、御学歴と云い、申し分ございません。それに、御当家と御重縁になることは、おめでたいことだと思います。」
 夫人は、さすがに我意(わがい)を得たりとばかり嬉しそうだった。
「私も、そう思いますけれど、侯爵や絢子さんが……」
「いいえ。これは松平家のために、是非お纏めしたいと思います。」
「お願い致しますわ。」
 夫人は、さすがに素直に云った。
「ついては、このお話は、奥様から、とにかく侯爵へお伝え下さるでしょうか。」
「あら、そんなこと、私困りますわ。私の身内の者の話ですもの。そんなこと、私の口から云い出せるでしょうか。私は、この問題には一切触れないでいたいのでございますわ。」
「御尤もで。御尤もで。」
「私の弟が相手ですもの。私一言だって、口出し致したくないんですの。」
「御尤も御尤も。それでは、家政顧問会の希望として、侯爵にお願い致しましょう。」
「どうぞ、そうして下さい。私を頼りにしないで、纏めて下さるようにお願いしますわ。」
(かしこ)まりました。こんな御良縁はないのですから、必ずお纏め致したいと思います。」
「どうも有難う。」
 夫人は、男子に生れたならば、貴族院の策士として、研究会ぐらいの操縦は手もなくやってのけたに違いないだろう。彼女は、自分の意志を一言も口に出さずして、家政顧問会を意の(ごと)く、操縦してしまったのである。
 自分一人では、ハカが行かぬと知ると、今度は自分は高く止って他力を充分に駆使して、目的を果そうというのであった。呪われたるかな絢子!



最終更新日 2005年10月21日 09時37分42秒

菊池寛『無憂華夫人』「侯爵の憂鬱」

 その翌日家政顧問会の主立った人々が、揃って侯爵の前に伺候した。会長がうやうやしく、一礼してから云った。
「絢子様の御縁談について、我々一同のお願いがあるのでございますが。」
「そう。」
 侯爵は、鷹揚に(うなず)いて、半分吸いさしの葉巻を灰皿にこすりつけた。
「侯爵のお考えも、ございますでしょうが、我々一同の希望と致しましては、この際お姫様(ひいさま)が奥様の御縁辺の方と、御結婚なさることになりますと、その間にお出来になった若様は、御当家の御血筋と奥様の方の御血筋とが、(つた)わる訳で、御当家へ御養子として、お迎え致すには、これほど結構なことは、ないと考えられますでございますが…:」
 そこで、会長は言葉を切った。
 サッと侯爵の顔に憂色が走ったのを、誰も気がつかなかった。侯爵の頭の中に、(芳徳)という名前が、すぐ浮んで来たからである。
「我々のこうした考えは、如何(いかが)なものでございましょうか。」
「悪くはないが……」
 侯爵は、そう答えるほかはなかった。顧問会の背後(バツク)にある、自分の妻の強い手を感じたからである。
「そうなれば、奥様も大変、お欣びになるだろうと思われますし、御養子と奥様の間柄も、ごく円満に参りますし、御家長久の(もとい)ではないかと思われるのでございます。」
「………」
 侯爵は、それには答えないで、目を(つむ)っていた。
「それで、(わたくし)どもで、奥様の御縁辺の方で、適当な方をと、考えましたところ、奥様の御実弟の芳徳様が、御学歴と云い、御年配と云い、ぴったり我々の希望に(かな)っていらっしゃいますので、この際是非絢子様との御婚儀を纏めまして、その間にお出来になった若様を、お一人御当家へお迎え致したいと、考えました次第でございますが……」
「そのことは俊子は知っているか……」
 侯爵は、自分の妻を、人前では名前をもって呼んでいた。
「はあ! 我々から申し上げました所、大変お喜びの御容子でござりましたが、しかし御自分は、相手が御実弟で、いらっしゃいますので、この縁談には一切口出ししないと仰せられました。いつもながらの御謙徳で、我々一同感激致しましてございます。」
 侯爵の顔は、苦々しげに曇ったが、しかし、それは誰にも気づかれる程度ではなかった。妻に対する心の非難を、彼はじっと抑えていたのだ。
「この春、△△の康貞様との御縁談が、破談になりましたが、こうなってから考えますと、かえって好都合だったと、我々一同で話し合ったような次第でございます。」
 今まで、黙っていた一番年嵩(としかさ)の老人が、口を出した。
 絢子の心を思うと、侯爵は憂鬱になるばかりであった。妻の口だけから、云い出された時だって、それをどうにか一寸延(いつすんのば)しに断るのが、大変なことだったし、どうにか断った後の、嫌な空気は、なお家庭の中に(ただよ)っている。まして、今度の顧問会の連中の決議で、話が事新しく持ち出された以上、それは以前の二倍も三倍もの強力をもって、絢子の上に(おお)いかかっている訳である。
「如何でございましょうか。侯爵の御意見は?」
 康為侯が、黙っているので、会長は、おそるおそる云った。
「当人の絢子が、いいと云えば、わしは賛成だが……」
 侯爵は、そう答えるほかはなかった。
「ははっ! 早速御賛成下さいまして、有難うございます。絢子様にも、お家のために、是非御承諾下さいますように、侯爵から、お話し下さいますよう、お願い致します。」
 会長が、そう云うと、顧問会の連中は、一斉に頭を下げた。



最終更新日 2005年10月21日 10時16分45秒

菊池寛『無憂華夫人』「剣よりも鋭し」

 顧問会の連中に会った後もしばらくの間、康為侯は絢子の縁談については、夫人にも絢子にも、何も話さなかった。絢子に話すのは、とても痛々しい気がしたし、夫人に話すのは、何となく業腹(こうはら)な気がした。
 そのままで、一月ばかり経った頃、顧問会の山本老人が、来邸して、それとなく催促して行った。山本老人は、侯爵と会った後、侯爵夫人にも会って帰って行った。
 その晩、侯爵は食堂で、夫人と指し向いで、夕食を摂った。
「山本さんが今日参りましたねえ。」
 と、夫人がいきなり云い出した。
「うん。」
侯爵は、少し狼狽(ろうばい)した。
「いつかのお話の催促でございましょう。」
「そうだ。」
夫人は、ニッコリ冷たく微笑を浮べて、
「あの話でしたら、私にお構いなく、ハッキリお断り下さると、いいんでございますわ。」
 と、云った。
 それは、いきなり匕首(あいくち)()して飛び込んで来るような話し振りだった。
「どうして。」
 侯爵は、タジタジとなっていた。
「だって、絢子さんが芳徳を嫌っていらっしゃることは、ハッキリ致しておりますし、それに貴君(あなた)だって、芳徳なんか眼中にお在りでないんでしょう。」
「そんなことはあるもんか。」
 侯爵は、妻のいつものヒステリイの襲来だと思うと、努めて、優しく云った。
「いいえ。そうでございますわ。絢子さんは、同族の令嬢の中では、一とあって二とない、才色兼備の方でいらっしゃいますし、芳徳と来たら、貧乏公卿の二男で、財産はございませんし、人間はグズですし、学校は大学を出ていると申しましても、世間知らずの馬鹿ですし、本当に絢子さんが、お嫌いになるのは、御(もつと)もですわ。康貞さんなんかに比べると、まるでお月様とすっぽんくらい、違っているんですもの。おほほほほほ、貴君だって、あんな立派な絢子さんを、芳徳などに、遣りたくないというお心持は、本当に、よく分っておりますの。だから、この前私、芳徳の妻に頂きたいなんて、飛んでもないことを云い出したものだと、つくづく後悔していますの。だから、今度顧問会の人達が来ました時にも、それはとても提灯(ちようちん)と釣鐘ほど、身分が違うんだから、芳徳などに、下さるものですかと、反対致しましたの。でも、顧問会の人達など、本当に有難い人達で私の実家を尊敬していてくれると見え、いいえ、五條家は公卿華族の筆頭で御当家などとは、家格がまた一段と上だと申しますから、私、それは貴君方の考え方が違う。いくら、家柄がよくっても、お金が無ければ、その家柄が光らないんだって、よく申しましたの。それに、絢子さんが、第一芳徳を嫌っていらっしゃるし、侯爵だって、遣りたい思召(おぼしめし)なんか、ちっともないんだから、そんなお話を持って来たって、駄目だと申しましたの。でも、あの人達は頑固で、この御結婚は松平家のお家のために、この上もないめでたい話だから、どんなことがあっても、纏めるなんて、申しまして、とうとう貴君に申し上げたんですわ。でも、私の立場として芳徳の話などで、二度まで貴君や絢子さんに、御迷惑を掛けるのかと思うと、本当に、辛いんですの。本当に、申し訳ございませんわ。」
 何という皮肉と、何という怨言(えんげん)であろう。それはオブラートに包んだ毒薬のような言葉の連続だった。
 侯爵は、蒼白な顔をして、黙って聴いていた。
「だから、本当に、私にはちっとも、お構いなく、ハッキリお断りになるとお宜しいんですわ。でないと、あの老人達が、いつまでも、ぐずぐず申しますし、厄介でございますわ。」
 侯爵も、妹を救ってやるために、ハッキリ断ってしまいたかった。しかし、断ってしまった後の絢子と妻との関係  妻と自分の関係を考えると、暗然となってしまうのだった。
 夫人のヒステリイ的の饒舌(じようぜつ)は、なお続いた。
「ただ、私、今度のことで、ただ一つ気になることがございますの。それは、私が自分の意見を貫こうとして、顧問会の人達を、ソッと()き付けでもしたように、貴君や絢子さんが考えて、いらっしゃらないかということですわ。それが、一番悲しいんですの。」
「そんなことがあるもんか。第一、絢子には、今度の話は、まだしてない。」
 夫人は、その言葉に飛びついて来た。
「どうせそうでしょうね。二度も、こんな話をすると、絢子さんが、本当にお気の毒ですわね。第一、私のような者が、仮にも絢子さんのような立派な 何一つ欠点のない方に、お義姉さん振っているのがいけないんですわね。」
「馬鹿なことを云いなさるな。」
 さすがに侯爵は、気色ばんで止めた。
「いいえ、そうですわ。そうですわ。第一、私がこんな立派な家柄の松平家へ、参ったのが、大変な間違いだったんですわ。私、後悔致しておりますわ。」
 ヒステリイの発作のために、夫人の美しい眼は、吊り上り、色は青褪(あおざ)めていた。言葉だけは刃のように冴え返っていた。(閨中の(ざん)は剣よりも鋭し)という言葉の通りである。
「おいおい、そんな馬鹿なことを云い出しては困るでないか。第一、絢子が芳徳君を嫌っている訳でもないし、僕だって君の家や芳徳君に対しては、充分敬意を持っているつもりだ!」
「まあ、お口って調法なもんですね。おほほほほほ。」
 夫人の笑いは、狂人のそれのように上ずっていた。
「この前、君が話し出したときも、絢子は康貞との縁談が、駄目になったばかりだから、もう少し時期を待ってくれと云ったばかりじゃないか。」
「じゃ、ちょうどいい時期が来た訳ですね。」
 夫人は、すぐ本心を現し掛った。
「そうだ。今度は、顧問会の方から、話があったし、もう一度絢子の意志を、聴いてみようと思っているところだ。」
「そんなにお考えになりながら、一度もお話しにならないなんて、貴君に誠意がおありになりませんのね。」
 夫人は、すぐ突込んで来た。
「いや、そんな訳ではない。折がなかったんだ。」
「じゃ、近々お話し下さいますの。」
 夫人の本心は、結局良人(おつと)に対する烈しい催促だった。
 侯爵は、家のために、家庭の円満を保つために、涙をのんで絢子に承諾をして貰うほかはないと思った。
「そのうち話してみよう。絢子だって、養子問題のことを話せば、欣んで、承諾してくれるだろうと思うんだ。」
「でも、絢子さんが、心からお厭なら、お断りになって下さってもいいんですわ。」
 夫人は、我勝てり、と思うと、たちまち本心を隠して、以前の擬態(ポーズ)に返ってしまった。



最終更新日 2005年10月21日 10時55分42秒

菊池寛『無憂華夫人』「悲しき承諾」

 静かな晩秋の夜であった。
 侯爵夫人は、その日お友達の津島伯爵夫人や、南條子爵夫人と一緒に、芝居見物に出掛けて留守だった。
 絢子が、兄侯爵の書斎へ呼ばれたのは、夜の八時過ぎだった。
 ニ十畳にあまる洋室の真中に、桃花心木(マホガニ)の大きい机が置かれ、その前の革張の椅子に、侯爵は腰掛けていたが、机の上に本が開かれていず、灰皿に葉巻の灰がうずたかいのを見ると、侯爵はシガーをふかしながら、さっきから考え続けていたのだろう。
「絢子か、こっちへおいで!」
 兄は立ち上ると、背後(うしろ)のソファを、少し動かして、絢子のために席を作ってやった。
 広い額に、沈痛な(かげ)が漂っていたが、眼には妹に対する慈愛の色が、濫れるように浮んでいた。兄は、廻転椅子をグルリと妹の方へ向けて、その(ろう)たけた姿を、じっと見詰めていたが、しばらくの間は口を開かなかった。
 まだ、カーテンの(とざ)されていない硝子(ガラス)戸からは、邸内の深い木立が、月に照されているのが、ハッキリ見えて、虫の音が微かに聞えて来た。
「ねえ絢子!」
 侯爵の声は、沈み切っていた。
「いい話ではないが、是非聴いて貰いたいと思うんだよ。」
 そこで、侯爵はしばらく言葉を切った。彼が、それを話し出す心苦しさを、胸の中で克服しようと、どんなに(もが)いているかが分った。
「お前の縁談のことだが、わしも、退引(のつぴき)ならぬ羽目に陥ってしまったんだ。家柄とか、血筋とか位置とか名誉とか、そんなものに、縛られている華族というものを呪いたくなってしまったんだ。- 」
 侯爵は、吐き出すように云った。
「………」
 絢子姫は、兄が何を話し出そうとしているかが、分ったので、黙ってさし俯向(うつむ)いていた。
「また、例の縁談だが、今度は顧問会までが一緒になっているんだ。その上に、家の継嗣問題までが加わっているんだ。つまり、わしに子供が生れない場合f実際、わしに子供は生れそうにもないが  お前が将来結婚して出来た子供に、この家を継がそうと云うのだ。それには、わしも賛成だが、そうなると、お前の結婚相手は、是非俊子の方の縁続きのものを持って来たいと云うのだ。それも、一応(もつと)もだが、そうなれば、結局お前の相手は、……」
 と、侯爵は云い(にく)そうに、言葉を切ってから、
「……つまり、芳徳のほか、誰もないということになってしまうんだ。」
 それは、裁判長が、無実と知りながらも、宣告を下すような重苦しい言葉だった。
「………」
 絢子姫の顔は、だんだん項低(うなだ)れて行くばかりだった。
「それは、顧問会の発案だが、義姉さんがどんなに賛成しているか、お前にも分るだろう。」
「はい。」
 絢子は、初めて微かに頷いた。
「今年の六月頃だったか、義姉さんから芳徳の話が出た時、それとなく断ったために、あれがどんなに不機嫌になったか、お前にも分っているだろう。そのために、お前も随分気まずい思いをしただろうと思って、本当に可哀相に思っている。何だか、あの時は、俊子だけの考えらしかったが、今度は顧問会が、一緒になっているし、その上(わし)の継嗣問題が、くっついている。どうかして、お前のために、断ってやりたいんだが、そうすれば、俊子とお前との間は、滅茶苦茶になってしまうし、俺と俊子との間だって……」
 侯爵は、そこまで云って、口を(つぐ)んでしまった。兄の苦しい、心の中が、手に取るように感ぜられた。
「華族でなければ、こんな馬鹿な話はないんだよ。後嗣なんかは、どうだっていいし、お前だって、康貞君と、訳なく結婚できただろうし……実に、馬鹿馬鹿しい。」
 侯爵は、格子になっている天井を仰いで、浩嘆(こうたん)した。
 兄が、自分の心を充分察しながら、話してくれているだけに、妹の心は、かえって悲しかった。もっと、高飛車に命令的に云ってくれれば、反抗するという手もあったが、兄の自分を(いた)わってくれる優しい慈愛が感ぜられるだけ、ただ悲しく聴いているほかはなかった。
 しばらく、兄妹は無言のままでいたが、侯爵は、また静かに話し出した。
「だが、お前も康貞君のことは、諦めていてくれるだろうね。」
「はい。」
 消えも入りそうな答だった。
「もし、そうだとすれば、誰かと結婚しなければならないことになるんだが、芳徳は、どうしても嫌いか。」
「  」
 芳徳が嫌いというよりも、康貞以外の男性とは、結婚したくないのだった。だから、絢子は、何とも返事が出来ないのだった。
「芳徳だって、大学は出ているし、華族の子弟としては相当な人間だと、(わし)は思っているが……」
「あら、私は芳徳さんが、嫌いと申すのではございませんが……」
 と、云わずにはいられなかった。
「じゃ、芳徳は嫌いでないが、今は誰とも結婚したくないと云うんだな。」
「はい。」
 兄は、じっと妹を見詰めていたが、
「しかし、お前だって、いつまでも結婚しないという訳には行かないし、どうだ! 兄さんがお願いするから、松平家のためだと思い、また兄さんのためだと思って、今度は黙って承諾してくれる訳には行かないかな。」
 兄の言葉は、哀願に近いものだった。
 肉親と云っては、兄一人しかなかったし、命までもと思った愛人は、遥かなる欧洲の地にあって、別れて以来、何の消息もなかったし、またこの後幾年経っても、嬉しい便りがあるとも思えなかった。どうせ、康貞以外の男性と結婚しなければならぬとすれば、家のためにもなり、兄夫婦をも欣ばす芳徳に、心ならずとも(とつ)ぐほかはないのではあるまい。
 孤立無援の絢子としては、心弱くもそう考えるほかはなかった。
「この前、断った時だって、そのためにお前も俺も、かなり苦しんだんだ。それは、無論俺が、俊子に対して、それだけの威圧がないためで、お前はさぞ不甲斐ないと思っているだろうが、結婚以来そういう風になっているので、今更、どうする訳にも行かないのだよ。この点は、兄さんが、お前に謝る。」
「まあ。」
 絢子は(あわ)てて遮った。
 兄が、自分に対して、そういう恥しい告白をするのを聞くと、絢子は兄のために、どんな悲しい犠牲でも、払わずにはいられないと思った。
「どうだ、今すぐ、結婚しなくってもいいから、ただ内諾だけでも、与えてくれないか。」
「……」
「本当に、結婚するのは、一年後でも、二年後でも、お前の気持が、(なお)ってからで、いいと思うんだよ。」
「……」
 兄の優しい、(いた)わりに、絢子は、到頭泣き出してしまった。(すす)り泣きに、肩を(ゆる)がせながら、彼女は云った。
「どうぞ、お兄様のお宜しいように。」



最終更新日 2005年10月21日 21時17分12秒

菊池寛『無憂華夫人』「嫁がされる身」

 ただ、内約だけを与えて、本当の挙式は、一年なり二年なり後に挙げてもいいと云うのは、ただ兄侯爵の絢子に対する気休めの言葉に過ぎなかった。
 一寸(いつすん)譲歩すれば、一尺も二尺も譲歩することだった。
 侯爵夫人は、絢子の内諾を得ると、鬼の首でも取ったように、欣び勇んだ。その翌日から、絢子に対する態度が、ガラリと変った。今までは、自分一人で出掛けて行った所へ、必ず絢子を連れて行った。
「絢子さん。絢子さん!」
 たちまち、肉親の妹にでも、早変りしたように、絢子を片時も、傍から離そうとしなかった。
 食事も、侯爵夫妻と絢子と、三人(むつま)じい食卓に就くことが多くなった。そうされると、絢子は心の涙を、じっと抑えて、義姉(あね)に対し、絶えず笑顔を用意しておかぬ訳には行かなかった。絢子の心の中には、結んで溶けぬ冷たい氷があったが、家の中には翌年の春が来ると共に春風が、吹き巡るが(ごと)き観を呈した。
 その間、康貞の消息は、何にもなかった。ただ、いつか絢子が、新聞を見ていると、松平康貞という活字が、射るように目に這入(はい)ったので、ハッとして(みつ)めると、今度新たに昇格した伯林(ベルリン)の日本大使館の二等書記官として、康貞が赴任して行くという辞令であった。
 巴里(パリ)から伯林(ベルリン)へ転任したという辞令を読んだだけでも、絢子の心は二、三日中、動揺して愛人の無事を欣ぶと同時に、悲しい婚約が今更のように胸にこたえて来るのであった。
 広い邸内の桜が、だんだん膨らんで来る頃、三越や白木屋の番頭が、毎日のように出入りした。
「絢子さん。ちょっと。」
 侯爵夫人に呼ばれて、その部屋へはいって見ると、金襴(きんらん)の丸帯が幾条(いくすじ)となく、そこに(ひろ)げられていた。
 みんな五百円、七百円といったような、高価なものばかりだった。
「お式の時の帯は、特別に西陣へ註文して、今織らしていますのよ。でも、普断のも、六、七本なくては……」
 義姉(あね)は、自分のお嫁入衣装を撰んでいるかのように、浮々としていた。
 絢子も、女気(おんなぎ)の一応は、それらの繊麗な織物に、眼を奪われたが、しかし自分の好みで撰ぼうという気などは、少しもなかった。
「お義姉(ねえ)様の、お宜しいように。」
「おほほほ。絢子さんは、万事それね。それも結構ですわ。でも、少しは、御自分の好みも、仰言(おつしや)るものよ。おほほほほほ。」
 と、義姉は、嬉しそうに笑った。温和ではあったが、聡明な絢子であった。自分の一生涯を托すべき、良人(おつと)の撰択については、自分のたった一つの好みをさえ、奪っておきながら、衣装についての好みなど、いくら聴いて貰ったって、何になるものかと思うと、無念の涙が、微かに瞼の中に、浮み上って来るのだった。
 帯だけではなかった。その翌日は小紋、その翌日はお(めし)と、二軒の呉服屋が、次ぎ次ぎに運んで来た。
 そのうちに、箪笥(たんす)、長持、鏡台、茶棚、お琴、ピアノなど、ことごとく新調された諸調度が、絢子の部屋の次ぎの問に、いつとなく一杯になるほど、運び入れられた。
 兄も義姉(あね)も、口に出しては何とも云わなかったが、悲しみの日が、一日、一日近くなっていることが、絢子にはハッキリ分った。挙式の日については、一言も云わず、衣装や調度を整えることに依って、自分を退引(のつぴき)ならぬ羽目に追い入れているような、兄夫婦のやり方が、おとなしい絢子にも、不快な感じを抱かせずにはいなかった。
 だが、そんな心の中の不満を、誰に訴える由もなかった。
 康貞に、手紙をかいて、心の中の苦しさを訴えてみようかと思ったが、すべてが余りに情なく悲しいことに思われて、それを筆にするさえ、(いと)わしい気がして来るのだった。
 四月の終り頃、絢子は兄夫婦の前に呼ばれた。
「万事手筈(てはず)よく運んだし、いろいろな方面の都合もあるので、来月の十五日に結婚式を挙げることにしたから、その積りでいて下さい!」
 と、宣言された。
 絢子は、親しい兄からさえ、何かしらペテンに、ひっかけられたような気がした。



最終更新日 2005年10月22日 00時26分01秒

菊池寛『無憂華夫人』「反逆の(はじめ)

 式は、日比谷の大神宮で挙げられ、すぐ引き続いて帝国ホテルで、盛大な披露宴が開かれた。
 仲人であるT公爵の発声で両家の万歳が称えられ、新郎、新婦の前途が、祝福された。
 結婚式から、披露会へと、かれこれ六、七時間の問、絢子は眼を半眼に閉じたまま新郎である芳徳の顔は、たった一度でも見ようとはしなかった。
 ただ、自分の目前に、(けが)らわしい生物が、ウロウロしている気がして、眼を開けるのが、厭だったのである。
 何か自分が、恐しい人身御供(ひとみごくう)に上っているような気がして、ならなかった。そして、目を開けると、そこに汚らわしい淫獣でもが、いそうな気がしたのである。
 結婚式や披露宴のどよめきも、自分という人身御供が上げられるための、お祭り騒ぎとしか、絢子は感ぜられなかった。
 帝国ホテルから、馬車で、新橋駅へ向ったのも、ただ夢心地であった。
「じゃ、絢子! 気を附けて行くんだよ。芳徳君お願いします。」
兄の声を、夢現(ゆめうつつ)に聞いていると、発車の汽笛が鳴った。
関西への新婚旅行の鹿島立(かしまだち)である。お伴につれている二人の女中は、汽車が出ると、二等室の方へ去った。
 到頭、芳徳と二人ぎりになった。
 だが、絢子は執拗(しつよう)に、芳徳の方を振り向こうとはしないで、顔を背けていた。貸切の小室(こへや)なので、ほかには乗客がなかった。
「絢子さん。どこかお加減が悪いんですか。」
 芳徳が、オズオズ訊いた。
 その男らしくない、オズオズした態度や、卑屈な声音までが、絢子をイライラさせた。
 彼女は、熱海で会った康貞の凜とした態度や、静かな力のある声色(こわね)が、懐しく思い出された。
「お加減が悪いのなら、宝丹を持っていますよ。差し上げましょうか。」
 絢子は、黙って首を烈しく横に振った。
 彼女は、家のために、兄の平和のために、身を犠牲にした。しかし、一旦結婚した以上、兄に対する義理は済んでいる。この芳徳とかいう男には、何の義理があろうそ。この男が居ればこそ、自分はこんな悲しい目に会っているのだ。この男のために、何の義理があろうそ。優しい絢子の心の中に、そうした反撥(はんぱつ)が、ムクムクと頭を持ちあげていた。
「絢子さん。」
 十分ばかりすると、芳徳がまた呼んだ。車輪の(ひび)きで、聞えないという振りをして、絢子はなお顔を背けていた。
「絢子さん!」
 芳徳は、一生懸命に呼んだ。
 絢子は、仕方なく身体を振り向けた。しかしなお顔を上げようとはしなかった。
「絢子さん。僕は、貴方(あなた)が僕と結婚して下さったのを大変、感謝しています。」
 芳徳は、誠心誠意を披瀝(ひれき)して云った。
「ねえ。絢子さん、何とか一言仰言(おつしや)って下さいませんか。」
「………」
 絢子は、黙々としていた。
「本当に、有難うございました。」
 芳徳は、ピョコッと頭を下げた。
 その時絢子は、チラリと芳徳を見上げた。公卿華族の無力さ、ただ伝統の力だけで生きていたというような羸弱(ひよわ)さや、強い姉の力でやっと思いを達したことを欣んでいる卑屈さが、悪臭のように、絢子の心を打った。
 あの男らしい康貞と比べて、まるで金と鉛程にも違っているではないか。
 それに、康貞の生れながらの気品と比べたら、どこに名門の出らしい高貴さがあるのか。
 絢子は、相手に対する新しい軽蔑で、身体中がムズムズした。
(私は、貴方(あなた)の姉さんのために、いやいやながら、貴方のお嫁さんになったのよ。しかし、こうなってからは、貴方のお姉さんの力は、もう届かないことよ。私は、貴方なんか、ちっとも愛していないことよ。私には、大切な大切な心の愛人があるんですもの)
 絢子は、心の中でそう叫んだ。
 芳徳は、絢子の心に、自分に対する、そんな恐ろしい反逆が(かく)ざれているとは、夢にも思わなかった。
「お互に、これから長い一生のことですから、よく理解して、円満にやって行きたいと思います。」
 彼は、しゃちこばって云った。
「………」
 沈黙は、絢子にとって最善の武器である。
「私は、かねがね貴方の才色兼備のお噂を、幾度も伺っていたのです。本当に幸福です幸福です。」
「………」
 絢子は、こっちへ向いていた身体を、その刹那(せつな)クルリと向うへ向けてしまった。
「絢子さん。本当にお気分が悪いんじゃありませんか。」
「いいえ。」
 絢子は、冷たく首を振った。
「じゃ、何故(なぜ)そんなにして、いらっしゃるんですか。少し、お話し下さっても、いいじゃありませんか。」
「何も、お話しすることございませんの。」
「………」
芳徳は、さすがに、さし寄せようとする手を刎除(はねの)けられたように、悄気(しよげ)た。彼は、じっと手を(こま)ねいていたが、
「姉が申しますには、貴女も今度の結婚には、大変乗気でいらっしゃると承っていましたが……」
「乗気でいらしったのは、お義姉(ねえ)様だけでございますわ。」
絢子の言葉は、匕首(あいくち)のように冷徹であった。



最終更新日 2005年10月22日 08時49分17秒

菊池寛『無憂華夫人』「清浄の(ちかい)

 その頃は、まだ汽車に寝台が無かった。絢子(あやこ)は、端然として終夜坐り続けていた。芳徳も、蒼白な顔をして、絢子と二尺ばかり離れて坐っていた。
 楽しかるべき結婚第一夜を、二人はお通夜にでも来たように、黙々として並んでいた。
 芳徳は、絢子の一言に胸を刺されて、生れつき大人しい、男性であるだけに、もうそれ以上、絢子に話しかける勇気を無くしていた。
 美しい花だと思って手を出すと、鋭利な(とげ)に、思いきり深く突き刺されたのだった。
 彼は、絢子と結婚したことを後悔したが、もうどうすることも出来なかった。
 十二時過ぎになって、
如何(いかが)です。少し、横になって、お休みになったら?」
 オズオズ話しかけたが、絢子は首を微かに振っただけで、返事もしなかった。
 京都へ着いたのは、翌日の十時過ぎだった。新夫婦は、南禅寺の近くに在る五條公爵家の京都邸で落着くことになっていた。
 そこは、留守番の老人夫婦が住んでいるだけで、東京から連れて来た女中二人が、新夫婦の世話をすることになっていた。
 清楚な昔ゆかしい日本風の建物で、庭は小堀遠州作るところで、京都でも名園の一つに数えられていた。
 もし、好きな同志の新婚生活であったら、人目もない閑静な居間で、楽しい睦言(むつごと)が、いつまでも続いたであろうが、絢子と芳徳とはそうは行かなかった。
 絢子は、その家に着くとすぐ、頭痛がすると云い出して、床を取らして寝てしまった。
 絢子が寝た後で、女中が、気をきかして、芳徳に、
「旦那様も、汽車でお疲れでございましょうから、御一緒にお床をとりましょうか。」
 と、云った。芳徳は、女中の心遣いを嬉しく思って、
「そうして貰おうか。」
 と、鷹揚に云った。
 女中は、芳徳の命のままに、絢子が寝ている八畳の部屋へ行って、絢子の床に並べて、もう一つ床を取った。こうして、新婚の床は敷き並べられたのであった。
 しばらくすると、芳徳が寝衣(ねまき)に着換えて、その部屋にはいって来て、絢子に気兼をしながら、そっと床の中にはいった。
 絢子は、決して眠っていなかったが、身動きもしなければ、言葉一つかけようともしなかった。
 芳徳も、床にはいったまま、身動きもしなかった。二つの床の間は、女中の心遣いで、一尺とは隔てていないのであるが、その間に無形の距離が、十間も二十間もあるかの如くであった。
 二十分、三十分、無気味な重苦しい沈黙のうちに過ぎた。と、絢子が、微かに身動きをしたかと思うと、彼女は静かに紫の蒲団を排して、すりぬけるように起き上った。
 見ると彼女は、帯を解いているだけで、昨夜からの小紋のままだった。足袋も脱いではいなかった。彼女は、蒲団の裾の方に畳んであった帯を取り上げると廊下に出てしまった。
 芳徳は、絢子が帯を取り上げて、部屋を出たことは気が附かなかったので、御不浄にでも立ったことだと思っていた。それなれば、帰って来た時に、何とか言葉を掛けよう。そう思って、胸をときめかしながら、待っていたが、五分十分、二十分と経っても絢子は帰って来なかった。
 昨夜からのいらだたしい思いに、温厚な芳徳の心も、殺気だっていた。こんなにも、踏みつけにされる新郎というものがあるだろうか。いくら深窓に育った人とはいえ、余りに我儘(わがまま)過ぎるではないか。芳徳は、憤怒の心さえ胸に燃え上って来た。
 彼は一時間半ぐらい、そのたぎる心を抑えて待っていたが、絢子は、到頭帰って来なかった。ただ美しい房枕(ふさまくら)の緋の房が、彼の充たされない情慾を、(あざけ)るように、眼にしみ込んで来るだけだった。
 彼は、決心して立ち上ると、寝衣(ねまき)のまま廊下に出た。そして、部屋部屋を捜して歩いた。すると、絢子はその部屋からは、一番離れている十二畳の座敷の庭に面した一間幅の広い廊下に、置かれてある籐椅子(とういす)に、こっちへ後姿(うしろすがた)を見せながら、ボンヤリ腰かけていた。
 そのすんなりとした、(ろう)たけた背姿(うしろすがた)を見ると、芳徳の怒りは半分くらいは崩れたが、でも彼は、つかつかと近寄ると、
「絢子さん!」
 と、気色ばんで、呼び掛けずにはいられなかった。
「はい!」
 絢子は、少し驚いたらしく、素直に返事して振り返ったが、その切れの長い眼には、涙の跡がハッキリと残されており、彼女が、ここで一人で泣き濡れていたことが分った。
 そうした悲しそうな顔を見ると、根が善良な芳徳の(いか)りは、大部分薄れてしまって、(ああも云おう、こうも云おう)と思っていた言葉は、グッと咽喉(のど)に詰ってしまって、
「絢子さん! 頭痛は、もうお宜しいのですか。」
 と、云ってしまった。
 さすがに、絢子も芳徳の善良さが、少しは胸に通じたらしく、微笑らしい影を口元に浮べながら、
「いいえ」
 と、答えた。
「じゃ、お休みになっていらっしったら、如何(いかが)ですか。」
 と、芳徳は、その微笑らしいものに、勇気を付けられて云った。
「でも、昼間は、やっぱり眠れませんのです。」
 と、頭を背けながら静かに、云った。
「そうですか。でも、何だか僕が同じ部屋に寝たために貴女(あなた)がお起きになったような気がしますが。」
 芳徳は、だんだん勇気が出て来て、心に思った通りを云うことが出来た。
「………」
 絢子は、さすがに答えかねて、さし俯いてしまった。
 さっき起きるとすぐお化粧をし直したらしく、眼元だけは涙で、白粉(おしろい)が崩れていたが、その高貴な襟元のあたりは、惚(ほれぼれ)とするほど、(あでやか)に美しかった。
 そうした美しい姿を見ていると、男として烈しい情慾が起らぬ訳には行かなかった。まして、それが自分の掌中の物でありながら、お預けを喰っているような、いらいらした立場に置かれているだけ、より一層刺戟的で、かつ魅惑的に働いて来るのだった。急に充されそうもない情慾は、温和(おとな)しい芳徳の心を大胆に率直に、勇気附けるのだった。彼は、昨夜(ゆうべ)からこらえていた鬱憤を、晴してしまう気になった。
「絢子さん。僕と結婚なさることが、そんなにお嫌だったのですか。」
 彼は、思い切って云い出した。
「………」
 絢子は、さし俯くばかりだった。
昨夜(ゆうべ)から、たった一言だって、妻らしい優しい言葉を掛けて下さらないじゃありませんか。」
 絢子も、すまないと思った容子で、心持その端麗な頬を赤くしたが、しかし、黙々として答はなかった。
「僕が同じ部屋にはいると、すぐそこからお出になるなんて、僕を嫌っていらっしゃるとしか考えられませんが。」
「………」
 それは、当然な云い分で、絢子とてもどう弁解の言葉もなかった。
「そんなに、厭な人間と、どうして結婚なさるんですか。」
「すみません。」
 そう云うと、絢子は両手で顔を(おお)うてしまった。
 芳徳は、(すみません)とは云って貰いたくなかった。(すみません)と云うことは、芳徳の疑問を肯定することであるからである。
 彼は、心中かなり悄気ながら、
「じゃ、僕をやっぱり嫌っていらっしゃるのですか。」
「………」
 絢子は、黙っていた。
「黙って、いらっしゃらないで、ハッキリ返事をして、頂きたいと思います。大事な問題ですから……」
 芳徳の顔は、沈痛そのものであった。
 絢子は、なお返事をしなかった。
「僕をお嫌いなのですか。」
 絢子は、微かに首を横に振った。芳徳は、蘇生の思いをして、
「じゃ、嫌っていらっしゃる訳ではないんですか。」
 絢子は、微かに頷いた。
 芳徳は、急に人生が明るくなったような思いで、立ち上って絢子に最初の抱擁を与えようと思いながらも、そこは庭から一目に見られる場所であることを考えて、じっと辛抱しながら、
「じゃ、僕に対して何故、こんなに冷淡になさるんですか。」
 絢子は、しばらく黙っていたが、猟師に追い詰められた牝鹿のように、きっと顔を上げると、
「私、決して貴方(あなた)を嫌っている訳ではございません。ただ、誰方(どなた)とも、結婚をしたくな
かったんですの。」
 と、云った。
 それも愛想づかしの言葉であるが、しかし芳徳は、いくらか救われたような気がした。
「じゃ、何故僕と結婚なすったんですか。」
「申訳ございませんわ。私、兄やお義姉(ねえ)さんのお云い付けに、背く訳には行かなかったんですの。」
 と、云うと、また顔を抑えて、涙が両手の(てのひら)の隙から、二粒三粒流れ落ちた。
「そうですか。」
 自分の肉親の姉の性格を、よく知っているだけに、芳徳は姉が、温和しい絢子の意志を、どんなに圧迫したかが、分るような気がして浩嘆せずにはいられなかった。
「そうでしたか。すみませんすみません。」
 芳徳は、姉の罪を謝るようにそう云った。
「私こそ。」
 絢子も泣きながら謝った。新夫婦として融け合った訳ではないが、人間同志として二人の心は、かなり近く歩み寄った。
 十分間ばかり黙っていた。
「お掛けになりませんか。」
 絢子は、自分だけが腰掛けていた籐椅子から、立ち上って、それを芳徳に譲ろうとした。
「いや、結構です。貴女は、掛けていらしって下さい。御身体が悪いんですから。」
皮肉でなしに、芳徳は云った。
 二人は、立ったまま、また無言でいたが、芳徳は静かに口を開くと、
「じゃ、僕達はどうすればいいんでしょうか。」
 と、云った。
 絢子としては、それに答えようがなかった。
「貴女が、今度の御結婚をなさる意志が、全然なかったとしたならば、このまま離婚して下さっても、僕には何の異議もございませんが。」
 善良な芳徳が、心からそう思っていることが、顔に歴(ありあり)とうかんでいた。
 絢子は、芳徳の純情に、かなり心を打たれたらしく、
「でも、私、そんなことは出来ませんわ。これで、家へ帰るくらいなら、最初から結婚いたしませんわ。私は、兄夫婦の平和を損わないために、こちらへ参ったんですもの。」
「そうですか。そうですか。じゃ、ずーっとこのまま、いらっしって下さる訳ですか。」
「はあ、でも。」
 絢子は、悲しそうに、口こもった。
「分りました。分りました。絢子さん、僕は誓います。貴女が、僕と結婚して下さる意志が出来るまで、僕達は兄妹(きようだい)として暮すことに致しましょう。」
 芳徳は、感激して叫んだ。
 絢子の目から、大粒の涙がハラハラと落ちた。
「有難うございますわ。私、出来るだけ早く、本当の奥様になりますわ。」



最終更新日 2005年10月22日 11時43分21秒

菊池寛『無憂華夫人』「悲しき消息」

 二人が、そうした約束をして以来、二人は急に仲がよくなった。それは、実質的には夫婦でなく、生活の同伴者だった。新婚旅行の同伴者であった。道連れとしては、芳徳は親切な申分ない道連れであった。万事によく気がつき、いろいろと絢子を(いたわ)ってくれた。奈良、大阪、和歌浦、伊勢と楽しい旅を続けた。
 女中は、京都の家に残して来たので、二人ぎりの旅行だったが、宿へ着いて、女中がきまって、床を一つだけ取ろうとすると、芳徳は、
「窮屈だから、二つ取ってくれ。」
 と、注意するのだった。
 ただ、深夜ふと眼が醒め、向う向きに寝ている絢子の白い(うなじ)や、その項と(あざや)かな対照をなす、緋鹿子(ひかのこ)の長襦袢の襟などを見ると、芳徳はムラムラと起る情慾の炎を(あわ)てて消し止めなければならなかった。だから、芳徳にとっては夜よりも、昼間の方がズッと楽しかった。
 絢子も、芳徳に対して、随分優しかった。自分が妻としての本当の責任を果していない償いに、出来るだけ芳徳に優しくしようと努めているのだった。
 一週間ばかりの旅行を()えて、東京へ帰って、落着いた同棲生活にはいってからも、二人は人目には、伉儷(こうれい)極度に睦じい若夫婦としか見えなかった。
 旅行して帰った挨拶(あいさつ)に、二人が兄の侯爵邸を訪問した時だった。二夫婦は、楽しい晩餐を共にして、九時頃まで旅行談をして芳徳夫婦が辞し去った後、侯爵夫人は良人に云った。
「そら、御覧なさい。貴君(あなた)も、絢子さんも、随分この縁談には、気がお進みにならなかったようですが、夫婦にしてみると、あんなに仲がいいじゃありませんか。」
「あはははは。」
 侯爵の笑いの内には、満足と安堵(あんど)との意味が含まれていた。
「絢子さんは、本当の箱入娘なんですもの、喰わず嫌いだったのですわ。私、そうと察したから、無理にもお勧めしたんですわ。芳徳は、身内を自慢するのは、可笑(おか)しいですけれども、本当に親切ないい男ですもの。」
「分った! 分った。お前は、やっぱり先見の明がある。あはははははは。」
 その夜の侯爵夫妻の、寝物語も楽しく、いつまでも続いた。
 二月(ふたつき)、三月経っても芳徳は、最初の誓約に忠実だった。それは絢子の方で、気の毒になるほどだった。一度だって、口吻(くちつ)けをしようと試みたことさえないほどだった。
 その上、絢子が風邪を引いて、十日ばかり寝た時など、附ききりで介抱してくれた。
 半年経った頃に、絢子は(悪い、すまない)と思う心の負担に危く倒れそうになっていた。芳徳が、良人たる権利を主張したら、いつでもそれに応じるかも知れない気持になっていた。
 ちょうど、その時、侯爵家の親族に当る英国大使島津伯夫人が、三年振りに、良人を残して、七つになる令嬢を連れて帰朝した。
 絢子は、兄夫婦と一緒に伯爵夫人を、横浜まで出迎いに行った。
 三百人に近い賑やかな出迎いの人々だった。絢子は、兄夫婦に連れられて、船室へはいった。そこにも二十人近い人がいたので、ただお辞儀をしただけで、隅の方へ小さくなっていた。
 伯爵夫人は、出迎いの人々と、外交官の奥様らしく、万遍なくテキパキした挨拶を交していたが、隙を見ると、ツカツカと絢子の傍へ寄って来た。
「絢子さん、おめでとう。」
 と、いきなり結婚の祝辞を述べた。
「はあ!」
 と、絢子が、ドギマギしていると、すかさず小声で、
「私、貴女(あなた)にちょっとお手渡しするものがございますのよ。あした午後、お兄様のお宅へ御挨拶に行くから、そのとき貴女もいらしっていてね。」
 と、云うと絢子の返事も待たず、すぐ隣にいた外人の令嬢と流麗な英語で、会話を始めていた。
 絢子は、伯爵夫人の言葉を聞くと、急に胸が、波立って来た。伯爵夫人が、自分で()れるものなら、(お手渡しする)なんて云わないだろう。そうすれば、きっと何人(なんぴと)からか、頼まれて来た品物か手紙に相違ない。
 欧洲にいるたった一人の知人と云えば、康貞のほかには、誰もないではないか。
 絢子は、その夜暁近(よるあかつき)くなるまで、興奮して眠れなかった。(きっと、康貞からの手紙に違いない、康貞からの心をこめた絶えて久しき消息に違いないが、康貞さえ自分を愛していてくれるのであったら、二人はいつか結び合うことが出来るだろう。たとい人妻という名がついていようとも、自分が処女である限りは)と、絢子は考えていた。
 あくる日の午後、彼女は良人の許可を受けて、一人で実家へ帰って行った。
 義姉(あね)としばらく話していると、伯爵夫人は、その頃まだ東京に二十台くらいしかないという自動車で来邸した。
「今日、方々へ御挨拶に伺っていますのよ。だから、ゆっくりしてはいられませんの。これ、本当に詰らないものですけれど。」
 そう云って夫人は、お伴の女中に持たせていた贈り物らしい包紙の品物の一つを侯爵夫人に、一つを絢子に呉れた。
「有難うございます。私にまで、そんなお心遣いをして頂きまして……」
 絢子は、丁寧に、お辞儀をしたが、(何だこんなものか)と思うと、裏切られたような失望をせずにはいられなかった。
 だから、慌ただしく帰り去る夫人を、(こんなことに人を呼び出して)と、恨みがましい気持にならずにはいられなかった。
 義姉としばらく話してから、自分の家へ帰って来た。
 その包み紙を(ほど)くのも、ものうかったが、でも一度は見ておこうと、開いて見ると、それは東京にはまだ珍らしいフランス製のハンドバッグだったが、何げなく、その口を開いて見ると、中に一通の小さな角封筒の手紙がはいっていた。(あっ!)と、思ってとり出すと、それは紛れもない康貞の手蹟で、震える手で、封を切ると、
 御結婚を心からお祝い致します。どうぞどうぞ御幸福に、お暮しなさいませ。このハンドバッグはお祝いのしるしまでに。
                                 康貞
   絢子様
 それは、何というよそよそしい悲しい手紙だったろう。絢子が、心にそっと秘めておいた虹の破片(かけら)は、たちまち崩れ散ったのである。


最終更新日 2005年10月22日 14時13分26秒

菊池寛『無憂華夫人』「真の新婚旅行」

 康貞の悲しい手紙を読んだ時、絢子は心の()りも、微かな望みもなくなった。無論、康貞は、絢子の結婚することを望んではいた。(貴女(あなた)は女性だから、どうか結婚して下さい)と、幾度も云った。だが、絢子が結婚した以上、もっと悲しんで貰いたかった。まして、(心からお祝い)なんかして貰いたくなかった。祝いの(しるし)のハンドバッグなんかを送って貰いたくなかった。お互に、心の良人、心の妻である誓いをしながら、お祝いの標など、呉れるのは、ひどいと思った。
 否、お祝いの手紙を呉れるような…機転があるのなら、なぜ自分が結婚しない前、一通の手紙でも呉れないのか、人に頼むことを、ちゃんと知っているくせに、なぜ一年もの間、一通の手紙も呉れなかったのか。
 結局、康貞は、自分を深くは、愛していてくれなかったのだ。自分のために、一生独身を通すなど云うのは、嘘だったのだろう。本当に、自分を愛していてくれたら、自分が血を吐くような思いで、結婚したことを、察してくれないことはないだろう。それを察してくれたなら、こんな空々しいお祝いのハンドバッグなんか送ってよこすはずはないだろう。
 絢子は、康貞が自分を結婚させるために、一年間手紙一通も呉れないで、結婚したとなると、(もう私と貴女とは、精神的にも、何の関係もない。これが、お別れの証拠です)と、云わぬばかりに、ハンドバッグを送ってよこしたように、考えられてならなかった。
 止むに止まれぬ事情のために、王昭君のような気持で、結婚したものの、心はなお康貞の妻であったものを!
 今までは、何かしら、心だけは緊張していた。だが、康貞のこの祝いの手紙で、絢子は叩き潰されたような気がした。
 康貞のために、心の貞操は勿論、人妻になりながら身体の貞操まで、守り続けていたことが、馬鹿馬鹿しくなって来た。
 と、同時に良人に一年近くも、お預けをさせられた犬のように、悲しい態度を強いていたことが、気の毒になって来た。
 どうせ、心の恋に破れたのだから、この肉体だけでも、芳徳に捧げてあげようか。
 絢子は、そう決心した。
 ハンドバッグを貰ってから、四、五日経ってからだった。
タ食を終えて、夫婦が食後のお菓子を食べている時だった。
 絢子は、結婚をしたものの、まだ処女として輝きの残っている端麗な顔に、やや(はじ)らいの微笑を浮べながら、
「私達の新婚旅行、本当に詰りませんでしたね。」
「うん。」
 絢子が、今更そんなことを云い出すのは、可笑(おか)しいという顔をして、芳徳は絢子の顔を不思議そうに見た。
「私、もう一度したいと思いますの。」
「でも、同じことじゃないですか。」
 芳徳は、気がなさそうに云った。
「いいえ。違いますわ。」
「なぜ?」
「私、今度は、本当のお嫁さんになりますわ。」
そう云うと、絢子は双頬(そうきよう)を真赤にして、さし俯いてしまった。処女としての嬌態が、そのしなやかに延びた全身に盗れ出している。
「本当かね。」
芳徳の眼には、今まで(こら)えに堪えていた慾情が、爛々として輝いていた。
「本当ですわ。」
「じゃ、本当のお嫁さんになってくれますか。」
「ええ。なりますわ。」
 芳徳は、結婚以来待ちに待ちに待った日が来たと思うと、声まで上ずってしまった。
「じゃ、なにも改めて旅行に行く必要はないじゃありませんか。」
 芳徳の顔に、(お預け)を解かれた犬のように、すぐにでも、喰い物に飛びつきそうな、表情が動いた。
「いいえ。やっぱり、旅行したいですわ。私には、大事なことですもの。そうしないと、何だか恥しくって。」
 美人は、恥らった瞬間に、一番その美しさを発揮するものである。
 芳徳は、有頂天になっていた。
「そうそう。それは、そうですな。じゃ、早速、明日出掛けようじゃありませんか。」
「ええ。私、今度は、東北の方へ出掛けようと思いますの。」
「いいですな。関西の方は失敗だったから、ハハハハハ。」



最終更新日 2005年10月22日 14時48分24秒

菊池寛『無憂華夫人』「幻滅」

 伊香保、日光、松島……それが、二人のやり直しの新婚旅行の旅程であった。
 だが、その旅行に上った時から、絢子の芳徳を見る眼が変っていた。今までは、すまないすまないと思いながら、芳徳を見ていた。ただ自分に気儘(きまま)な生活を許してくれる親切な人として、芳徳を見ていた。仮の良人になっていてくれる人、良人になりながら、自分の我儘を許してくれる寛大無比な人として、芳徳を見ていた。だから、芳徳を批判する気持は、少しもなかった。
 だが、一旦真実の良人として、一生涯連れ添う気になって見ると、総明な絢子には、芳徳のあらゆる欠点が、眼につき出した。名門の公卿華族の二男として、大学を出ていながら、ブラブラ遊んでいることも、不満な一つであった。趣味が低く、絢子の好きな文学とか和歌などに、全然趣味のないことも、大きい不満の一つになって来る。夫婦となって、心の話、魂の話をする人としては、少しも取得のないような気がしていた。絢子は、旅行中読む本として、「万葉集」と「樋口一葉全集」をトランクの中に入れて来た。芳徳は、の探偵小説はまだいいが、の冒険(たん)を幾冊も入れて来た。
「万葉集」と冒険譚とでは、どうしても話の合いようがなかった。
 伊香保に着いたのは、一時過ぎであった。少し遅い昼食をたべてから、二人は散歩に出た。
 伊香保の裏山を歩いた。絢子は、その頃急に有名になりかかっていた徳富蘆花(ろか)の「」のことを思い出した。
「浪子が歩いたのも、このあたりでしょうか。」
「浪子!」
 芳徳は、「不如帰」など読んでいなかった。
「ほととぎすの浪子ですわ。」
「ほととぎす?」
「徳富さんの『不如帰』ですわ。不如帰(ふによき)ですわ。」
「『不如帰(ふによき)』と書いてほととぎすと読むのかな。」
 絢子は、それは文学を知らないというよりも、常識がないということだと思ったので、少し厭になって黙ってしまった。
 すると、芳徳はいかにも感心したような顔をして、
「徳富さんは、評論のほかに、小説も書くのかな。」
 と、云った。
 絢子は、黙っていられず、
「評論をお書きになるのは、国民新聞の徳富さんですわ。小説は、弟さんの蘆花ですわ。」
 と、云った。
「そうか。そうか。」
 人のいい芳徳は、新知識を()たことを喜んでいたようであった。
 こんなことは、今までも時々あった。しかし、絢子は、本当の良人のような気がしていなかったので、余り気にならなかった。しかし、今宵こそ、自分の身体を許し、本当の妻になろうと決心していただけに、急に憂鬱になってしまった。
 一生涯、こんな話の相手ばかりしているということは、どんなにか悲惨なことであろう。
 もっともっと、今まで通りの関係でありたかったと思ったが、もうどうにもならなかった。
 タ方の食事が終ってから、一時間もすると、時計はまだ七時であるのに、山の温泉場は、もうすっかり夜になってしまった。それをよいことにして、芳徳はお茶を淹れ直しに来た女中に云った。
「もう、床を取って貰おうかね。今日は、疲れているから早く寝よう。」
 それが、何か絢子には、浅間しいような気がした。先刻から、何かそわそわして、少しの落着きのないのも、厭だった。それは、芳徳としては待った一夜であるのには違いないが、もう少し男らしい落着きを、見せて欲しかった。毅然として、動じないところが、欲しかった。
 康貞と生別の別れを大久保でしたとき、康貞は自分がすべてを許そうと思っていたのに、唇一つ触れようとはしなかった。その康貞の男らしい態度とは、まるで天地の違いがあるような気がした。
 芳徳が一年近くも、あんなに寛容であったことを忘れて、絢子はいよいよという間際になって、取り乱しているのを非難しているのであった。本当の愛のない場合には、いつもそんなに得手勝手になるのだった。これは止むを得ないことである。
 だが、芳徳は、一年近く(こら)えていた慾情が、身体中に湧き立って来るのも、無理はなかった。彼が、そわそわし慌てあせり、一刻も早く、絢子を完全に自分のものにしようというのには、少しも無理がなかった。
 しかし、絢子がそれを厭わしく思うのも、また自然であった。
 それは、愛が欠乏している場合に起す、男女間の気持の喰い違いであるのである。
 深窓に育っている絢子には、すべてが思いがけない恐ろしい、ことのように思われた。それは愛情という幕がなければ、(おお)いつくせないほど、男性の本性をさらし切るものであることが、絢子に分った。
 彼女は、逃れるように、部屋から出て行った。
 身体中が、ワナワナ顫えた。
 彼女は浴槽へ走って行った。
 身体が熱く、頭から水でも浴びたいような気持だった。自分の身体が自分の身体でないような気がした。
 浴槽に浸っていても、顫えが十分も二十分も止まらなかった。もう二度と再び、良人の部屋へ帰って行く気はしなかった。
 すべてが、彼女の期待より以上、恐ろしいことだった。ただ、本当に愛している男性であったならば、どうにか辛抱が出来ることであると思った。
 一生の間、芳徳からああいう危険に、さらされていることは、死ぬよりも辛いような気がした。
 これからは、どんなことをされるか分らない。恐ろしいあさましい。兄に何と云われようとも、兄嫁に何と云われようとも、断然離縁して帰ろうと、絢子は、刹那に決心してしまった。




最終更新日 2005年10月22日 16時46分53秒

菊池寛『無憂華夫人』「再び仮の夫婦へ」

 絢子は、ようやくお湯から上ったが、もう元の部屋へ帰る気はしなかった。と云って、浴場にいつまでも止まっている訳には行かなかった。
 頭がフラフラしており、身体が(しび)れていて、立ち上ると、今にも倒れそうになったのを、やっと我慢して、自分達の部屋の前まで来たが、そこの廊下で十分近くも立ち尽していた。
 と、絢子の帰りが、遅いのに心配して、芳徳が部屋から出て来た。
 廊下の柱に背をもたして立っている絢子の顔は、紙のように蒼褪(あおざ)めていた。
「どうしたのです。気持が悪いのですか。」
 絢子は、それには答えず、冷たく光る床板に眼を落したままだった。
「とにかく部屋へおはいりになりませんか。風邪を引きますよ。」
 絢子は、なおじっと立ち尽していた。
「ねえ。おはいりになりませんか。」
 芳徳は、優しく絢子の手を取ろうとしたが、芳徳の手が二の腕に触れた刹那、絢子はたちまち恐ろしいほどの悪寒(おかん)が、全身を走るような気がして、
「どうぞ、構わないで下さい!」
 と、身を横に二、三尺も避けた。
「どうしてです。そんなにまた僕が、お嫌いになったのですか。」
 芳徳は、完全に自分のものになった絢子の態度が、急にまた激変したことを、処女が受けた強い生理的の衝動のためだとしか考えられなかった。
「ね。おはいりなさい。静かに、お休みなさい! そうすれば、すぐ気持がなおりますよ。」
 と、なおしつこく、寄ろうとするのを、絢子は振り払うように身を避けながら、
「どうぞ、構わないで下さい。私、私、……」
 身を顫わしながら云った。
 芳徳は、すべてが不可解であるといった顔付きで、
「とにかく、部屋へおはいりになりませんか。こんな所で、何かやっていることは、見っともないことですから。」
 と、云った。それは、絢子も同感であった。
 絢子の美しさと、華族ということで、宿では最上級の敬意を払っていたし、また注目の的にもなっていた。
「はあ。」
 絢子は、微かな返事をして、とにかく部屋の中へはいった。
 しかし、芳徳が、床を敷いてある奥の間へはいったにも拘わらず、絢子は次ぎの間に、坐ったまま動こうとはしなかった。
「こちらへいらっしゃいませんか。」
「いいえ、私、ここで結構ですわ。」
「そこは、冷えますよ。こちらへいらっしゃい。」
 絢子は、そこにある寝床を見るさえ、眼が(くら)みそうだった。
 白々しい沈黙が、しばらく続いた。
「絢子さん!」
 芳徳は、何か決する如く開き直って呼び掛けた。彼にも男性としての怒りが、湧いて来たのであろう。
貴女(あなた)も、あんまり僕をいじめ過ぎやしませんか。僕だって、長い間、忍び難きを忍んで来たじゃありませんか。今宵、こうして貴女が、僕にすべてを許して下さったのは、当然じゃありませんか。それだのに、その後すぐそういう態度をお取りになるということは、あんまり、ひどいじゃありませんか。」
 芳徳の声は、顫えていた。
 温良な彼としても、余り堪えかねたことなのだったろう。
 そう云われてみると、絢子にも文句がなかった。芳徳が怒るのに少しも、無理はなかった。しかし、それは理窟であって、先刻の恐しく厭わしい感じは、生理的で肉体的の生々しい実感である。いくら自分の方が、悪いと思いながらも、再び良人と部屋を共にすることは、考えただけでも、身慄(みぶる)いして来るのだった。
 絢子が、黙って返事しないでいると、芳徳は、更に激昂してしまった。
「僕のどこが悪いんですか。今度の旅行だって、貴女が発議(ほつぎ)したのではありませんか。それだのに、急にこんな態度をお取りになるなんて、まるで僕を馬鹿にしているじゃありませんか。」
「申訳がございません。」
 絢子は、ハッキリと云った。
 芳徳は、少し拍子ぬけがしたように、
「いや謝って下さいと云うのではありませんよ。そんなことよりも、こちらへおはいりになって下さいませんか。」
 だが、絢子はそこに、根を下したように、動こうとはしなかった。
「なぜ、こちらの部屋へいらしってくれないんですか。」
 絢子は、項低(うなだ)れていた顔を、キッと持ち上げると、
「それだけは、どうぞ…堪忍して頂きたいんです。」
 と云い放った。
「と云うと、どういうことになるんです。」
 芳徳は、呆気(あつけ)に取られて云った。
「私、重々悪いと思いますわ。だから、どうぞ私を離縁して頂きたいんです。」
 思いがけない伏兵のような言葉だった。芳徳は、タジタジとして、
「今になって、そんなことを仰言(おつしや)るのですか。すべてを許して下さった後で、なぜそんなことを、仰言るんですか。」
 芳徳は、オドオドしていた。
「私、自分の間違いが、ハッキリ分りましたのですの。私、申し訳ありませんが、結婚生活なんかとても、出来ないということが、今分りましたんですの。」
 絢子は、いつの間にか端然と坐り直した。言葉も水のように、静かになっていた。
「じゃ、僕を愛していないからですか。」
「………」
 絢子は、黙っていた。
「そうならそうと、ハッキリ仰言って下さい!」
「御推察にお(まか)せ致しますわ。」
 それは、(はい。愛していません)と云う言葉よりも、もっと皮肉な冷たい言葉だった。
「そうですか。」
 芳徳は、頭から水を浴せられたように、悄然(しようぜん)となってしまった。
「本当に、私が悪うございました。私が、最初から参らなければよかったのですの。でも兄やお姉様に対する義理で、どうしても仕方がなかったのでございますの。でも、今となって見ますと、それは私の過ちでございましたわ。だから、どうぞ私の過ちをお許し下さって、このままで離縁して頂けませんでしょうか。」
 冷たい少しの妥協も(ゆる)さないといった言葉だった。
 絢子の肉体に触れない以前だったら、芳徳はもっと簡単に、絢子を離縁する気になったかも知れない。しかし、獅子が、一滴でも人間の血を味わえば、たちまち人間の肉に渇するように、芳徳は今絢子に、絶ち難い執着と慾望とを持ち始めた。
 一年近い自制の後で、ようやく触れることを得たものは、恐ろしい、魅惑となって彼の前に存在している。
(どんなことがあっても離縁してなるものか。こんな貴重な、人生に二つとないような美しいものを)と、芳徳は考えていた。
 だから、絢子に強く出られると、芳徳の気持は、たちまち太陽の前の霜のように、崩れてしまった。
「絢子さん、離縁なんて、そんなことを突然仰言(おつしや)るもんじゃありませんよ。今日のようなことが、お嫌いでしたら、また以前のような関係に還元してもいいと思いますが……」
 芳徳は、すぐ妥協を申し込んだ。
「でも、それではお気の毒ですわ。それに、そんな不自然な夫婦関係なんて、巧く行かないのにきまっているんですもの。」
 絢子は、すっかり覚悟を()めていた。
「いや、そんなことはありません。現に、今日まで続けることが出来たのですもの。僕また以前の通りにしますから、離縁だけは考えて頂きたくありませんな。」
「でも、それはこれ以上御迷惑をかけることなんですもの。」
「でも、それは僕が辛抱すればいいじゃありませんか。」
「でも……」
「万事以前の通りにします。どうぞ、どうぞ。」
 余りに、弾力のない良人の態度に、絢子はむしろ侮蔑(ぶべつ)をさえ感じた。しかし、離縁をすれば、一族の問題となり、兄と兄嫁との不和になり、実家へ帰ってからの不愉快な生活を考えると、絢子も決心はしたものの望ましいことではなかった。以前のように、仮の夫婦の関係に還ることが出来たら、その方がより辛抱し易いことに違いなかった。
 絢子の決心は、弛んでいた。
「ねえ。どうか、そうして下さい。是非、どうかそういう風に……」
 芳徳は、頭を下げんばかりだった。



最終更新日 2005年10月22日 21時12分22秒

菊池寛『無憂華夫人』「歌を通じて」

 絢子と芳徳との間に、名ばかりの夫婦生活が、その後三年ばかり続いた。
 肉体的の関係が、一度もなかった時は、絢子は良人に申し訳ないという気持で、良人に対して、まめまめしく仕えたが、一度そういうことがあり、自分の処女性を捧げたと思うと、もう以前のようには、純情をもって仕えることが出来なかった。寝室をすっかり別にしてしまったから、ただ同じ家に共同生活を営んでいるというだけだった。
 絢子は、淋しい生活を紛らすため、歌ばかり作っていた。そうした天分が秀れていた上、歌作に全心を打ち込んだから、歌はだんだん上手になった。金鈴会の同人の中でも、だん舵ん頭角を抜皆ん出て、歌人としての名声が世に現われるようになった。第一の歌集「白木蓮(はくもくれん)」は、俄然(がぜん)歌壇の注目を引いて、名流歌人としての名が、世上に高くなった。
 絢子の歌は、常に遂げられぬ悲恋を歌っていた。つまり、康貞に対する心の中の消え尽さぬ情炎が、歌作を通じて、ふつふつ燃えているのだった。実生活では、現わすことの出来ぬ思慕を、芸術的な境地において、充しているのであった。
 絢子が、歌人として、その心境が澄んでくればくるほど、良人の芳徳は、いよいよ俗人に見えて来た。夫婦が、食卓にさし向いになっても、話題はちぐはぐになって、良人の話すことには、絢子が少しも興味がなく、絢子の話すことは、芳徳にちっとも分らぬことが多かった。
 芳徳も、妻の歌集を読まないではいられなかった。読めば、歌を通じて、絢子に、心の愛人が存在していることを看過(みすご)すことが出来なかった。
 歌集を読んだあとで、芳徳が訊いた。
貴女(あなた)の歌に、(わが思ふ人は遥かなるかな)というのがありますね。」
「はい。ありますわ。」
「あれは、誰のことですか。」
「誰のことでもありませんわ。」
 絢子は、良人から自分の歌のことを話されるのが一番厭だったので、すぐ不機嫌になっていた。
「だって、歌は実感を述べるのではないのですか。」
「そんなことは、ございませんわ。それは、石川啄木などは、実感歌を主張していますけれども、私なんかそうじゃないんですもの。」
「でも、貴女の歌は、半分以上、恋愛を歌ってありますが、みんな実感じゃないんですか。」
「はあ。みんな創作ですわ。」
「でも、何かなければ、こんなに沢山は、作れないでしょう。」
「作れますとも、だから創作と云うのですわ。小説だって、歌だって同じですもの。小説で書いてあることは、みんな作家の想像ですわ。伊藤白蓮(びやくれん)さんの歌だって、『わだつみの沖に火もゆる火の国に我あり誰そや思はれ人は』という歌がありますわ。あれだって、白蓮さんに、別に愛人がある訳ではないでしょう。私達は、生活が限られているんですもの。それだけでは歌の材料になるものはございませんもの。だから、想像でそれを補っているんですわ。だから、私にもどっか遠い所に恋人でも居るような気持で、歌を作っているんですわ。」
 そう云われると、芳徳は黙ってしまうほかはなかったが、しかし気持はだんだん不愉快になった。
 自分と結婚しながらも、別れた愛人を慕っている。そういう絢子の心の奥が、芳徳にもだんだん察せられて来た。
 と、云って、芳徳は、絢子を離縁する訳にも行かなかった。彼は、絢子に深い執着を持っていたから、たとえ形式だけでも、自分の妻として、傍に置きたかったし、また姉の俊子に対しては、常に一目も二目も置いていたから、姉の尽力で、やっと結婚できた妻を、離縁するなどとは云い出せなかった。
 と、云って、彼の結婚生活は、決して楽しいものではなかった。絢子が歌人として、また華族社会の麗人として有名になればなるほど、彼が不肖の良人であることが、社会的にもだんだん有名になって行った。
 結婚してから、ちょうど五年目だった。彼は、あるやんごとなき方が渡欧遊ばされるについて、随行することになった。
 彼は、日本を離れて外国に行ってみると、美しい、しかし絶対に手出しの出来ぬ妻から、妙な圧迫と刺戟とを受けて、みじめな生活をしているよりも、外国で生活している方が、ずっと気楽で朗かであることを知った。
 彼は、兄の公爵の了解を得て、一年ばかり巴里に滞在する気になった。巴里には、外国の紳士に(こび)を売る金髪の少女が、ウヨウヨしている。
 あるカフェで花を売っていた少女と、懇意になり、それが恋愛となって、アパートに同棲するようになるまで、三月とはかからなかった。芳徳は、女性を心のままに愛撫し得る楽しみを初めて、知った。ジャネットというその少女は、まだ十七で、芳徳が最初の男性であった。彼女は、芳徳を心から愛し、少女らしい純情を注ぎつくしていた。芳徳は、女性から全身全霊で愛せらるる幸福を初めて味わった。一年滞在のはずが二年になり三年になり四年になった。
 一年に二、三度ずつ絢子の所へ手紙が来た。そして、滞留延期の承諾を求めて来た。絢子も、それには異存がなかった。名ばかりの良人と同居しているよりも、一人でいる方が、絢子にとってもずーっと気楽であった。
 その上、絢子は、いつも海外にある人を恋うる歌を作っていたが、今ではその男のことは、つまり芳徳のことであるように、世間が思うようになって、体裁もよかった。絢子は、心で苦笑しながらも、その方がずーっと、世間体がいいと思った。
 芳徳の滞在は、五年六年と延びた。
 未亡人と同じように、孤閨(こけい)を守っている絢子の生活が、世間の注目を()き出した。そして、この素晴しき麗人が、良人のために長く、見捨てられたような生活をしていることが、同情の的になった。なぜ、良人の五條子爵が、こんな美しい夫人の居る日本へ、六年もの長い間、帰って来ないかを、世間が不思議がり始めた。それと同時に、芳徳が巴里で、美しい金髪の愛人と同棲しているのだというゴシップも、伝わった。
 そんな同情と、疑惑とゴシップに包まれながらも、絢子の美しさは、一年一年輝きを増して行った。彼女は、中年増(ちゆうどしま)の妖艶さと処女の美しさを、兼ね備えていた。
 歌人としての名声も、だんだん上って行った。第二、第三の歌集が発行された。彼女の美しい姿は、よく婦人雑誌の巻頭を飾った。
 その上、彼女は良人の居ないために、暇のあるのを幸いに、いろいろな社会事業や慈善事業に献身的に働いた。美しい彼女が細民街の少年、少女達に、施し物を頒布(はんぷ)している姿なども、よく新聞紙上に現われた。
 五條子爵夫人の名前は、日本の名流夫人の筆頭に数えられるようになった。
 だが、芳徳も容易に帰って来なかった。六年が七年になり、九年になり、到頭十年を越した。(十年孤閨を守る五條絢子夫人)の謎が、新聞や雑誌で問題になった。しかし、どんなゴシップが飛んでも、この清麗高雅な絢子夫人を悪く云うものは、一つもなかった。が、しかしこの夫妻の間に、何らかの秘密が存在しているだろうということは、誰も疑わなかった。
 そのうちに、明治は大正となっていた。両松平家の問に横たわっていた悪感情などは、いつの間にか雲散霧消していた。そして、両家は昔通りの親類関係を取り返していた。絢子の兄の康為侯は、康貞の兄の康正伯と無二の親友になっていた。そして、両家の旧交恢復(かいふく)を更に意義あらしめるために康正伯の第二子の康光という今年十一になる子供が、康為侯の養嗣子となる話さえ纏まっていた。
 絢子の一生の悲劇は、彼女が十数年早く生れ過ぎたことに、存在していた。



最終更新日 2005年10月22日 21時45分53秒

菊池寛『無憂華夫人』「心の愛人」

心の愛人
 康貞は、巴里に三年ばかりいて、欧洲大戦当時は、ロシアにいた。ヴェルサイユの講和会議には、随員の一人としてかなり敏腕を(ふる)った。その後、和蘭(オランダ)の公使として、三年ばかりいた。滞欧十六年彼は、一度も賜暇帰朝を願わなかった。
 無論、その間、彼は結婚しなかった。結婚すれば、自分の胸に(しま)ってある「心の愛人」の姿が、薄れることを怖れたからである。
 彼の書斎には、絢子の歌集が、何よりも大切な貴重品として飾られてあった。
 絢子の歌の載る金鈴会の機関誌「金鈴」は、一号の欠冊もなく、綴じられていたし、新聞や雑誌に出た絢子の写真記事は、目に触れる限り、切り取られて、彼の切抜帖に貼られてあった。
 絢子の読む歌の一つ一つは、彼の心に響いていた。彼は、絢子の結婚したことを非難はしていなかった。それは、かよわい女性として、仕方のないことだと思っていた。結婚した後の絢子が、十数年未亡人同様の生活をしていることの謎が、彼にだけは、ハッキリ解けているような気がした。彼女は、結婚しながらも、やっはり自分の心の妻であってくれるのだと思った。
 彼は、絢子のために、心の貞操ばかりでなく、身体の貞操さえ守っていた。日本の男性の中で、典型的な好男子である彼が、欧洲の貴婦人達の注目を惹かぬ訳はなかった。(こと)に、欧洲大戦当時は、帝政ロシアにいたが、道徳的にも頽廃し、しかも戦争のためにも、男性の不足を嘆じていた名流の夫人達は、この美貌の日本外交官を陥し入れようと、あらゆる媚態をもって、彼を取り囲んだ。
 しかし、彼は絢子の写真一葉を、「身の守り」として、あらゆる誘惑と、男々しく戦い抜いた。
 大正十年になって、彼は本省の欧米局長に栄転して、日本へ十数年振りに呼び返されることになった。帰朝を願わない彼も、官命なれば是非もないことであった。
 いつも、新聞に外務省の人事異動が発表されるごとに、誰よりも注意して見る絢子は、康貞の帰朝を逸早(いちはや)く知った。
 そして、十数年平静な尼僧のように静けさに居た絢子の胸は、たちまち破れるような鼓動を感じたのである。



最終更新日 2005年10月23日 00時33分39秒

菊池寛『無憂華夫人』「愛人帰来」

 康貞の帰朝は、米国を経由して、その頃まだ存在していた東洋汽船の春洋丸に乗って、大正十年の十月(なか)ばに日本へ着いた。
 絶えて久しき故国への帰朝なので、外務省の高官を初め、同族の人々、旧藩士の人達などで、その出迎えは盛大を極めた。
 康為侯一家も、今は無二の親族とて、一家総出の出迎えであった。
 侯爵夫人が、絢子(あやこ)の所へその二日前、ふらりと訪ねて来た。そして世間話をしばらくしてから、
貴女(あなた)、松平伯爵家の康貞さんが、明後日の午後一時に十何年振りに帰って来るのを御存じ?」
「はい。」
 それを知らないで、何としようぞ!
「家でも、みんなで横浜へ出迎えに行くんですの。貴女も、昔のこともあるし、出迎えにいらしったらどう?」
 絢子は、この十日ばかり、康貞を出迎えに行くべきか、行かざるべきかについて、随分迷っていた。懐しい面影を見たいのは、山々だったが、しかし見ても、ただ心を痛めるだけであろうし、今更落着いている心を掻き乱しても、仕方がないから、行かない方が、いいのではないかと思っていた。
「貴女も、康貞さんと結婚していらしった方が、たしかに幸福だったわね。」
 俊子夫人も、絢子が孤閨を守っていることを、今ではすまなく思っていた。
「………」
 絢子は、黙って寂しい微笑を洩しているだけだった。
「芳徳も、十年以上帰って来ないし、康貞さんも芳徳も、外国がそんなにいいのかしら。」
 と、俊子夫人は何の深い考えもなく云った。しかし、絢子は康貞がこんなに長く独身で外国に居たことも、自分のためであるような気がし、芳徳が帰って来ないのも、やはり自分のためだと思うと、感慨無量だった。
「ねえ、貴女も一緒にいらっしゃいます?」
 と、俊子夫人は改めて訊いた。
「お伴させて頂きましょうか。」
 絢子は、やっと決心して云った。
 その日、絢子は兄夫婦と同じ自動車で、横浜へ行った。遥かの沖合に、春洋丸の姿が、微かに見え始める頃から、絢子の心に、張りさけるような悲しみと欣びとが混乱した。嬉しかった。飛び立つように嬉しく、しかもまた地中に()きずり込まれるように悲しかった。自分でも、康貞の帰朝を悲しんでいるのか、欣んでいるのか分らなかった。しかし、船が検疫を済まして、陸岸に近づくに従って、だんだん嬉しさが、悲しみを征服した。たとい、東京へ帰って来てくれても、今は親しい言葉も交し得ない間柄であろうとも、帰って来てくれて、同じ都会に、同じ東京の空を仰いで生きて行けることは、大いなる欣びに違いなかった。
 春洋丸は、やがて速力を落して、徐々に岸壁に近づき出した。
「ねえ。叔母さん、叔父さんて、どんな人?」
 と、兄の養嗣子になっている康光が、絢子の手にすがりながら訊いた。
 (まさ)しく叔父に当っているが、今年十一の康光は、叔父の写真を見ただけである。
「立派な方よ。そして、お優しくて、それはそれはいい方よ。」
 と、云った時、絢子は急に悲しくなって、涙がにじみ出しそうになった。
 旧藩士の一群は、もう康貞の姿を見つけたと見え、
「康貞様万歳!」
「おめでとう。」
「ご機嫌よう!」
 など、さまざまな歓声が、波を圧して、湧き起った。
「叔父さんは、どこにいるの?」
 康光は、しきりに絢子に、教えてくれと、せがんだ。
 しかし、絢子は甲板の上の人々を、正視することが出来なかった。たとえ、正視することが出来ても、涙に潤んだ眸では、見分けることは出来なかったであろう。
「今に、お船へ乗れるのですよ。だからすぐ分りますわ。」
 そう云って、はやり立つ康光を制していた。
 船が岸壁に、ぴったり横づけになると、梯子(はしご)が降されて、出迎えの人々はドヤドヤと船内に流れ込んだ。
 サロンにいた康貞は、たちまち多勢の人々に取り囲まれた。
「おめでとう! おめでとう!」
「御無事で……」
「ほほう、立派におなりでしたな。」
 などと、挨拶の声が、渦を巻いて起った。
 兄の康正は、康光を指し招くと、改めて康貞に紹介した。
「康貞、これがわしの二番目の子じゃ。侯爵家の方へさしあげてある!」
「はあ。そうですか。」
 康貞は、康光の頭に手をやって愛撫しながら、
「おお、いい子だ! いい子だ!」
 と、云ったが、康貞は恥しがって、すぐ絢子の方へ逃げて帰った。
 康光を追って来た康貞の視線は、康貞から二間も遠くにつつましく控えていた絢子を捕えた。
 その刹那、今まで外交官らしい節制で、出迎えの人々と優美な応酬を取り交していた康貞が、前の卓子(テユブル)を突き倒すような激しさで、人を掻きわけると、ツカツカと絢子の前へ来た。
「やあ、絢子さんでしたか!」
 彼は、思いがけない人を見た歓喜でさし出した手が、ぶるぶる震えていた。男の方から先に握手を求めるのは、礼儀でないことは知りながら、彼は本能的に、手をさし出してしまったのである。
 絢子も、震える手を出して、それを握りしめると、
「おめでとうございます。」
 と、千万無量の思いをこめて、低く呟くように云った。
「お変りもありませんで!」
 康貞の眼には、涙が(うか)んだ。
貴君(あなた)こそ!」
 二人の言葉は、それぎりであった。また、それ以上語ることは、許されないことである。しかし、その会話の中に、別れて以来、十数年間の朝タの思慕の思いは、充分にふくまれていた。
 その時、外務次官の高取氏が、少し遅れてサロンへはいって来たので、康貞はすぐ、その人と握手を交していた。
 絢子の手に再びすがりついた康光が、
「叔母さん。どうして泣いているの?」
 と、云って訊いた。
「泣いてなんかいるもんですか。ねえ、叔父さんと御挨拶がすんだから、甲板へ出て、海を見ましょうか。」
 そう云って、絢子は康光の手を引きながら逃れるように、サロンの外へ出た。
 涙の顔を、兄や兄嫁や、また康正伯夫妻などに、見られたくなかったからである。

 絢子は、康貞と十数年振りに、たった一度手を握り合った。しかも、それは礼儀上の握手ではあったが、それでもう充分満足していた。康貞が、この長い間、自分を愛していてくれたことが、今更のように、ハッキリ分ったからである。
 真に愛し合っていれば、夫婦になる必要もないし、近くにいる必要もない、波濤(はとう)万里を隔てていても、心は通じている。愛し合っていなければ、自分と芳徳とのように同棲していても、心には千里の隔たりがある。康貞を愛していればこそ、自分の心も、自分の歌も磨かれて行ったのだ。
 結婚できなかったこと、長い間遠く離れていたことも、また日本へ帰って来てから、これからは容易に会えないであろうことも、少しも悲しいことはないとさえ考えていた。
 ところが、横浜へ行ってから二日目である。女中が、書斎にいる絢子に一枚の名刺を取りついで来た。
「この方が、先日のお礼にいらっしゃいましたが、お手隙(てす)きでしたら、別に用事はございませんが、ちょっとお目にかかりたいとおっしやっています。」
 と、云った。その名刺を取り上げて見ると、何の肩書もつけず、
   松平康貞
 と、印刷してあった。
 絢子は、興奮でその活字が、みんな躍り狂っているように見えた。



最終更新日 2005年10月23日 01時23分51秒

菊池寛『無憂華夫人』「清らかな幸福」

 絢子(あやこ)は、康貞の来訪を知ると、女中に取次ぎさせるのも、もどかしく、自分で衣紋(えもん)をつくろう暇もなく、玄関へ駈け出して行った。
「まあ!」
絢子は、十幾年目かに、初めて心の底から浮び上る微笑で、康貞を迎えた。
 康貞も、ニコニコ笑いながら、
「先日のお礼に伺ったのですが、お手隙(てす)きならば、お目に掛りたいと思いまして。」
 と、さすがに鷹揚に云った。
「どうぞ。どうぞ。本当によくいらっしゃいました。」
絢子は、康貞の手を取りたい衝動を、じっと(こら)えて先に立つと、応接間へ案内した。
康貞と、十数年前人久保の女中の生家で、最後に会った時の興奮が、たちまち胸の中に湧き返って、青春の血が爪先立って血管を走り廻るのだった。
「お久しぶりですな。」
康貞は、女中の運んで来たお茶を飲みほすと云った。
「本当に、私すっかりお婆さんになりましたでしょう。」
 さすがに、女なれば愛人の前に、自分の姿色(ししよく)の衰えが、気になるのだった。
「いいえ。どう致しまして、まだ二十六、七にしかお見えになりませんよ。」
「まあ、あんなことを仰言(おつしや)って。」
 絢子は、再会の嬉しさに、危く涙ぐみかけていた。
貴女(あなた)の御主人の芳徳子爵とは、スウィスで、一度お目にかかりました。」
 主人のことを云われると、絢子の顔は、サッと曇った。
「まあ、主人のことなんか、仰言(おつしや)って! 私が、結婚したこと、お怒りになっているのでしょう。」
 すると康貞は、朗かに首を振って、
「怒ってなんか、いるものですか。貴女のお気持は、僕はスッカリ分っているんですもの。」
「本当でしょうか。でも、何故お分りになりますの。」
「貴女のお作りになった歌は、一首残らず愛誦(あいしよう)しましたよ。」
「まあ! まあ!」
 絢子は感激の涙が、ポロポロ頬を伝わるのを制しかねた。
「『金鈴』は、欠かさず送って貰いました。今度帰朝する時、金鈴の合本が、荷物の大部分を占めています。ははははは。」
「そんなに、私のことを思っていて下さるのに、私結婚なんかして、申訳ございませんわ。」
 絢子は、両手で顔を(おお)うた。
「それは、貴女が女性であったからですよ。ただ、僕は芳徳さんに、お気の毒だと思っているだけですよ。」
 康貞は、あらゆる絢子の気持を知っていてくれるのだった。
「私こそ、貴君(あなた)に申訳ないと思っていますわ。貴君が、御結婚なさらないことが……」
「いや、それは僕の我儘(わがまま)ですよ。でも、結局、その方が気楽です。僕は、淋しくなると、貴女の歌集を読みました。すると、貴女とお話ししているような気がしましたよ。」
「まあ! 私、本当に嬉しゅうございますわ。私だって、心の中では……」
 そう云って、絢子は言葉を切った。その先は、女性としては、恥しくて云えないことだったから。
「僕は、貴女を心の中で、思い続けていた訳です。僕の心の永遠の愛人です。だから、別に日本へ帰って来たくはなかったのです。日本へ帰って来ると、歌だけで満足できなくなると、困ると思ったからです。しかし、僕はもう、年を取りましたし、日本へ帰って来ても、貴女と懐しいお友達として、交際(つきあ)える自信が出来ましたから、今度は欣んで帰って来たのです。」
「まあ。それでは、私とお友達として、交際って頂けますの?」
 絢子は、雀躍(こおどり)するばかりに、喜んだ。
「貴女さえ、お差支えなければ……」
「私、毎日でもお目にかかりたいわ。」
「それは、いけません。そういうことになると、噂にもなりますし、お友達でいられなくなります。月に二度ですな。そうすれば、長く清らかなお交際(つきあい)が、出来そうです。」
「二度でも、結構でございますわ。生きている甲斐がありますわ。」
 絢子は、生れて初めての歓びに、浸っていた。
「兄貴の子供が、貴女の御実家の養子になっているなんて、僕は驚きましたよ。」
「本当に、私達は不幸な犠牲者でしたわ。」
「しかし、僕達はそうした犠牲になりながらも、ちゃんと意地を通したじゃありませんか。」
「本当に。」
「実際の犠牲者は、芳徳君ですよ。だから、僕は芳徳子爵が一番お気の毒だと思っています。」
「そうばかりは云えませんわ。私達だって、不幸ですわ。もしあんな反対が、ございませんでしたら……」
 絢子は、眼を伏せて、もし康貞の妻であったならば、どんなに幸福であっただろうかと、味わえなかった楽しい夢を、はかなく繰り返していた。
「そうかも知れません。だから、これからお友達となって、そうした不幸を慰め合おうではありませんか。そこにまた、別な浄らかな幸福がある訳です。」
「どうぞ。」
 絢子は、いつの間にかさめざめと泣き始めていた。



最終更新日 2005年10月23日 08時59分11秒

菊池寛『無憂華夫人』「悲喜うらおもて」

 康貞が、帰って以来の絢子の生活は、幸福であった。生れて三十幾年目に、始めて人生の太陽が、彼女の生活にさし昇ったような気がした。
 彼女の今までの歌は、悲しき諦めと、悲しき憧憬(しようけい)を基調としていたのが、急に生き生きとした生命の歌に変っていた。歌壇の人達は、目を(みは)っていた。二月ばかりして、彼女は、歌集を出した。題は「(うれい)無き花」と云うのであった。そして、巻頭に「わがYに贈る」と云う献書(デジケイシヨン)(ことば)が、ついていた。
 月に二度の康貞との会合は、楽しいものだった。それは、プラトニックな、愛慾を超越したものであった。がしかし、二人は満足していた。
 大抵は、人目の少い郊外へ、遊びに行った。二人は、二十(はたち)前後の汚れない、恋人同志のように、語り合った。
 月二度、康貞に会えるということだけで、絢子は、自分の生活が、緊張し生気が充ちて来るのを感じた。
 だが、そうした欣びは、束の間だった。ある日、絢子は夜の十時頃、東京××新聞社の社会部からの電話に、呼び出された。
「五條子爵夫人ですか。」
「はあ!」
「夜中大変、失礼でございますが、只今巴里から、電報が参りまして、五條子爵が、急に帰朝されるということですが、本当でしょうか。」
「ええっ!」
 絢子は、ほとんど耳に霹靂(へきれき)を聞く思いがした。
「お宅の方へは、何にも御通知がございませんか。」
「はあ、何にも……」
 絢子の声は顫えた。
「お手紙か、何かございませんでした。」
「はあ……」
 絢子は、悲しみが水のように、全身を走った。
「とにかく、電文では、この五日に、巴里をお立ちになって、シベリヤ鉄道で、お帰りになるそうですよ。」
「まあ! さようでございますか。」
 寝耳に水である。せめて、船で帰ってくれるのであったら、五、六十日はかかるだろうから、その間には心の準備も出来るであろうに。
「失礼でございますが、奥様のそれについての御感想を承りたいんですが、もし夜中でもお差支えございませんでしたら、これからお伺いしてもいいんですが……」
 新聞記者などに、今来られては、大変である。どんな頭の悪い記者にだって、心の悲しみを見透(みすか)されるかも分らない。
「勝手でございますが、お電話で……」
「はあ。じゃなるべく、長くお願い致します。」
「はあ。」
 と、仕方なく答えたが、感想! それは、悲しみの一語に尽きる。(あわ)ただしくも襲い来った悲哀の一語に尽きている。
 絢子が、黙っていると記者が、追いかけるように、
「奥様は、さぞお嬉しいでしょうな。」
 と、云った。
「はあ。」
 と、云うよりほかはなかった。
「何年振りの御帰朝ですか。」
「十一年振りでしょうか。」
「じゃ、その間孤閨を守っていらしった訳ですな。」
「……」
 絢子は、返事する勇気もなかった。
「その間、お手紙は度々ありましたか。」
「ええ。」
 絢子は、瞹昧(あいまい)に云った。手紙など、用事以外、一通も貰ったことも、出したこともなかった。
「子爵がお帰りについて、何か欣びの歌というものが、お出来になりませんか。」
「突然ですもの、すぐには出来ません。」
 それだけは、ハッキリ答えた。
「御尤もですな。じゃ、貴女が大変お欣びになっているということを、書いても差し支えない訳ですな。」
「………」
 悲しくなって、また返事が出来なかった。
「やあ。どうも失礼しました。」
 記者は、案外あっさり電話を切った。
 だが、その電話が切れると、すぐ○○新聞、△△新報と同じ電話がかかって来て、絢子の心は二重にも、三重にも苦しめられたのであった。
 翌日の朝刊は、大変だった。どの新聞も、どの新聞も「十一年間空閨を守った五條絢子夫人に春(めぐ)る」とか「十一年振りに貞淑美貌の夫人の(ふところ)へ」とか「今は空閨の(うらみ)も消えて良人を迎える五條子爵夫人」とか、華美な標題(みだし)で、一.一面のトップへ四段ヌキ五段ヌキで、書き立ててあるのであった。絢子は、その標題(みだし)を見ただけで、心が(つい)え、読む気持が起らなかったが、ただ歌の友達で萩原秋子女史の談話だけは、目を通さずにはいられなかった。
 まあ、芳徳子爵がお帰りになるんですって、絢子さんのお欣びが、察せられますわ。でも、それは二、三ヶ月前から分っていたのではありませんか。だって、今まで絢子さんのお歌は、遠方にある愛人に対する思慕ということばかりを、お歌いになっていましたが、この頃ではすっかり歌風が変って、生々とした、愛人に再び廻り合うというような欣びのお歌が多くなっていましたよ。現に、最近の歌集なんか「憂無き花」という題をおつけになっているじゃありませんか。「わがYに贈る」って、やっぱり芳徳さんなのね。これで、やっと思い当りましたわ。やっぱりお帰りになることが、前もって分っていたんですわ。なに、絢子さんは、御存知なかったって。そりゃあ、お恥しいものだから、トボけていらっしゃるのよ。
 しかも、その談話は、別標題(みだし)になっていて(今こそ「憂無き花」)と、附いていた。絢子は、秋子女史の談話を読みながら、悲しい中にも、可笑(おか)しくなって、つい微笑が頬に泛んだ。自分の本心など、到底他人には分って貰えるものでないと思ったから。



最終更新日 2005年10月23日 10時01分30秒

菊池寛『無憂華夫人』「無理でない離婚」

 巴里(パリ)からの新聞電報が、来た日から、一日を()いて、絢子の所へも、電報が来た。
 イツカパリシュッパツシベリヤケイユカエル。
 と、あった。
 絢子は、康貞と第二日曜と第三日曜に会うことになっていた。第二日曜は、十二日であった。もう、芳徳は鉄路万里、日本へ急いでいるのであろう。恐らくは、バイカル湖畔あたりにさしかかっているかも分らないのである。
 絢子と康貞は、約束通り新宿駅で、十時に落ち合った。
 手紙や電話は、絶対にかけたりやったりしまいという約束だったので、芳徳の帰朝については、お互の間で、まだ一言も云ってはいないのであった。
 二人は、()(かしら)公園へ行った。いつものように電車の中は、別々だった。二人とも、人目に立ってはならなかった。絢子などは、写真がよく新聞や雑誌に出るので、警戒しなければ、どんなゴシップが立つかも知れなかった。
 井の頭の池の周囲の杉林の中で、二人は初めて心おきない二人になっていた。
「新聞御覧になりました?」
 絢子は、(こら)えに堪えていた最初の言葉を云った。
「見ました。」
 康貞の声は沈痛だった。
「芳徳が帰って参りましても、これまで通り会って下さるでしょうね。」
 絢子は、じっと康貞の男性的な(ひげ)の青い…横顔を見つめながら云った。
「さあ!」
 康貞にも、恐ろしい苦悶があるのであろう。彼はそのまま二、三問歩いた。
「新聞に出ていたように、私が芳徳の帰朝を欣んでいるとでも、お考えになっていますの?」
 絢子は、急に緊張して云った。
「そんなことは、僕も思いませんよ。」
 康貞は、苦い微笑を浮べながら、
「しかし、芳徳君が、貴女を十年以上も、放りぱなしにしている以上、良人として義務も権利も放棄している訳ですから、僕は貴女とこうしてお友達として、いな心の愛人として遊ぶくらい、少しも(やま)しいとは思いませんでしたが、しかし日本へ帰って来られるとなると、問題は違いますからな。」
「じゃ、私ともう会って下さらないと、仰言(おつしや)るんですの?」
 絢子は、もう涙ぐんでいた。
「絢子さん。会わない方が、いいんじゃありませんか。」
「まあ。」
 絢子は、涙に濡れた眼を(みは)った。
「僕達は、今まで清い清い心の愛人であったのですからな。僕達の結婚に反対した馬鹿な連中に対する意地として、僕は貴女を一生涯清く清く愛しようと心に誓ったのです。そして、十何年間も、清く清く愛し続けたのです。これから先も、愛し続ける覚悟です。そのためには、後指(うしろゆび)をさされるようなことは、したくないんです。僕達は、十年以上もあんなに遠く離れていても、またその間手紙一通、取り交さなくても、心は変らなかったのじゃありませんか。だから、芳徳君が帰って来られて、貴女があの人の貞淑な妻になっても僕の心は、変りませんよ。また、僕のためにいい歌を沢山作って下さい。僕は、それを読んで、貴女のことを考えますから。」
「厭ですわ。そんなこと、私もうこんな不自然なことは、厭ですわ。芳徳が帰って来ましたら、思い切って離婚して貰いますわ。そして、正式に貴方(あなた)の妻にして頂きますの。」
 絢子は、少しヒステリイ的になっていた。しかし、康貞は冷静であった。
「貴女が、独身におなりになったら、たとえ四十でも五十でも、僕は欣んで結婚しますよ。しかし、それは自然に独身におなりになるのでなければ厭ですな。僕と結婚するために、芳徳君と離婚なさるなんていうことは、嫌ですな。今になって、そんな無理なことはしたくありませんな。そんな無理なことをするようなら、今から十何年前に、そうすべきだったのです。」
「じゃ、無理でないように離婚すればいいんでしょう。」
 絢子は、差し迫る悲しみのために二十(はたち)前の娘のように、興奮していた。
「それは、そうなんですが……しかし、そういう下心があれば、どうしても無理になりますな。」
「いいえ。私、決心していますの。」
 絢子の顔には、悲壮な色が浮んでいた。



最終更新日 2005年10月23日 10時27分38秒

菊池寛『無憂華夫人』「無憂華(むゆうげ)夫人」(終)

無憂華(むゆうげ)夫人
 越えて二十一日に、芳徳は敦賀に到着した。良人なれば、絢子夫人は敦賀まで迎いに出た。十一年振りに、夫妻の立ち並んだ写真が、新聞に出た。
 絢子の顔は、その新聞記事の歓びという大きい活字とは、およそ無関係に、大理石の彫像のように寒々としていた。
 この小説は、もっと長く続くべきはずであるが、肝心の女主人公たる絢子は、良人を迎えた翌月風邪が(もと)で、敗血症を病んで、その多恨の一生を終ってしまった。
 病勢が重くなって、親類縁者は、枕元に呼ばれた。康貞は、親類ではあるが、しかし死床に呼ばれるほど、近親ではない。
 絢子の病室の次ぎの間までは、見舞のために一度来たが、病室との間の襖は、鉄壁の如く聳立(しようりつ)していた。
 芳徳と離縁して、康貞の妻たるべき絢子の悲壮な決心も、その麗容と共に、むなしく消え去ったのであろう。
 世人は、十一年ぶりに帰朝した良人の手に(いだ)かれて死んだ絢子は、その長い空閨の生活を償うくらい幸福であっただろうと噂しあった。
 結局絢子は、その晩年の歌集「憂無き花」のごとく、憂無き幸福な夫人だったと云われている。
 ただ、彼女の心の愛人たる康貞だけは、彼の机上にある歌集「憂無き花」の扉に、
  憂無き花と云ふとも心には
    深き憂のおはしましけむ
 と、書きつけてある。康貞は、歌人ではないから、歌は(すこぶ)るまずい。しかし、彼女が心を傾けて愛し合った康貞のこの一首は、絢子の芳魂を弔うに足りるであろうか。

(終)
[#入力者注]
と、唐突に終わる。
なお、「無憂華」、歌集「憂無き花」については、
「無憂華」
を連想させるものがある。長谷川時雨「九条武子」をも参照のこと。


最終更新日 2005年12月13日 16時48分17秒