上司小剣「石川五右衛門の生立」一
石川五右衛門の生立
上司小剣
一
文吾(
五右衛門の幼名)は、ただ一人
畦の
小径を急いでいた。山国の秋の風は、冬のように冷たくて、
崖の下の水車に通う
筧には、槍の身のような
氷柱が出来そうであった。布子一枚でその冷たい風に
慄えもしない文吾は、実った稲がお辞儀している
田圃の間を、白い
烟の立ち
騰る隣り村へと行くのである。
隣り村には、
光明寺というのがあって、そこの老僧が近村の子供たちに手習いをさして実語教なんぞを読むことを教えている。文吾も、今年の春からその寺へ通い初めたのであるが、朝寝坊の癖があるので、いつも遅れ勝ちで、
朋輩が双紙を半分も習い終った頃、文吾の小まちゃくれ姿がようやく
庫裡の入囗に現われるときまってしまった。
「文吾はん、早う起きいしいや」と、母は朝の支度が出来た時、文吾の枕辺に立って、優しく呼び起すのであるが、文吾は微かに眼を見開いて、母の世帯疲れのした顔を見守ったばかり、また眼を閉じて、スヤスヤと眠ってしまう。こんなに眠むがるものをと、母は足音を忍ばせつつ、勝手の方へ立って、井戸端に絞り上げてある洗濯物を竿に懸けてから、御飯は文吾が起きてからと、お膳を片寄せて置いて、板の間につくねてある賃仕事の縫い物にかかろうとしたが、いくら何でも、あんまり遅い。もうお寺通いの子は残らず行ってしまって、表には子守り唄がのんびりと聞こえている。文吾は狸寝入りをしながら、母のすることを一つ一つ手に取るように、座敷の寝床の中で知っているのである。
ねんねこ、さんねこ、
酒屋の子。
樽にもたれて、
寝た心。
こいこい。
子守り唄は文吾の耳へもハッキリと聞えて来る。こんな、眠りを誘うような唄をうたわれても、文吾は更に眠くないのである。もう起きてやろうかと、小さな
身体をもぐもぐさせている
枕頭へ、母の足音が、遠くから響くようであった。また起しに来たのだなアと思うと、文吾は起きるのが
厭やになった。そうして、ジッと眼を
瞑って熟睡を装うていた。
ねんねこ、ねんねこ、
酒屋の子。
樽にもたれて、
寝た心。
こいこい。
さらに近く子守り唄が、窓の外で聞えた.母の足音は、文吾の枕辺まで来て、はたと止まったが、今度は「文吾はん、起きいしいや」という声も聞えないで、ただ側に近く人が立っているという
気色を、文吾の狸寝入りの
魂魄に感じさせるだけであった。
ぽつり。
雨の日に、この荒れた家の天井から落ちるような
雫が、文吾の頬に垂れかかって、
冷りとした心持ちは、文吾の全身をビタビタと慄えさせた。文吾はまた細く眼を見開こうかと思ったが、ジッとこらえて、頬にかかった雫の、全身に滲み渡るのを感じつつ、何か
劇しい薬でも付けられて、肉を
爛らし、骨を焼く苦しみが、今にもやって来るように思われてならなかった。
頬にかかった雫が、母の涙であることを、文吾は直ぐ悟ったのであるが、母の涙は、恐ろしい毒でも混っているように思わるることがあった。愛児の枕頭に立って、その寝顔に見入っている母の為に、文吾はいつまでも狸寝入りをしていなければならないような気がした。
文吾が寺へ手習いに行くのは、毎朝こんな風で遅れるのであった。お師匠さんも、もう小言を言わなくなった。朋輩もあまり待たされるので、誘いに来なくなった。文吾の机は、みんなが双紙を半分から習ってしまうまで、毎朝必ず空であった。文吾が来るまでに、
欠伸の一つや二つは、お師匠さんの歯のない囗から漏れた。
最終更新日 2005年10月10日 09時02分36秒
上司小剣「石川五右衛門の生立」二
寺へ手習いに行く道で、文吾は大きな柿の木に、京紅で染めたような、真っ赤の
御所柿が、枝もたわわに熟しているのを見た。
「
可味そうだなア」と、文吾は思って、
唾液を呑み込み呑み込みした。「喰べたいなア」と思って立ち止まった。それが為に、寺へ行くのが遅れた上なお遅れた。
「一つ取ってやろうか」と思って、身の軽い文吾は、その柿の木に登りかけた。人が見ていやしないかと考えて、一番下の枝に足をかけながら、方々を眺め廻したが、誰も見ているものはなさそうであった。文吾の小さい身体は、
夥しく実った御所柿の中へ
潜り込むようにして入って行った。一匹の蟻をば砂糖壺の中へ投げ込んだように、文吾は可味そうな柿の実に包まれてしまって、まごまごした。どれから
毟り取ろうか、と手のやり場に困った。
そうして、一番小さそうなのを一つ取って
袂へ入れた。この時どうして、一番小さそうなのへ手が行ったのか、文吾は後で考えてみて、どうも解らなかった。一生解らなかった。五右衛門になってからも、この折りの心持ちを考えてみて、
幾度首を傾けたか知れなかった。
忙しい手付きで、小さな柿を一つ取って、袂へ入れると、次にはまたどれを取ろうかと、手がまごつき始めた。左の手にシッカリと枝を握って、右の手では、近まわりの柿の実を撫で廻した。何だか搖り取るのが可哀そうにも思われて来たのである。
「どいつじゃ。……
柿盗人、
奴盗人」
大きな声を、真下から
鉄砲丸か花火のように打上げられた文吾は、足を踏み外さんばかりに驚いたが、両手でシッカリ枝に
捉まりながら、柿の実の間から下を
覗くと、弓矢を持った猟師が、真ッ赤な口を開いて立っていた。あの大きな口の中へ、柿の実を一つ投げ込んでやりたいと思いながら、文吾は黙っていた。
「どいつじゃ。人んとこの柿を盗みさらして。……さア下へ降りて、取った柿を出せ、降りやがらな、
打つぞッ」と怒鳴って、猟師は弓に矢を
番えつつ、キリキリと引き絞った。それでも文吾は動かなかった。打つなら打ってみいと思って、動かなかッた。すると、猟師の引き絞った満月のような弓は、八日頃の月くらいに縮まって、弱々しいひょろひょろ矢が、びゅうとも音せずに飛んで来ると、文吾の眼の前の、この木では一番大きいと思われる実に、ぐさとばかり突き刺さった。味なことをする猟師だと感心して、文吾は木から降りてやる気になった。
初めは
喫驚しても、文吾の小さな度胸は、もうスッカリ据わって
了った。矢でも鉄砲でも持って来いという気になった。一番下の枝まで伝うて来て、そこから
草原へ飛び降りると、猟師は持っていた弓矢を投げ棄て、
手甲のかかった大きな手で、ぐいッと文吾を引き据えた。
「こら、やい。この柿、
何家の柿やと思うてけつかる」
猟師の
罵る声は、雲に響くばかりに高かった。文吾はいよいよ度胸を据えてしまって、もう少しの恐怖もなかった。
「さア取った柿を返せ。返したらお
上へ突き出すことだけは
宥してやる」と、猟師は
稍静かに、恩に着せるように言った。
「返さん。……俺の取った柿は俺のもんや。……お前の腰に提げてる鳩がお前のもんなら、俺の袂に入ってる御所柿は俺のもんや」
文吾が落ち着き払って言う言葉と、小まちゃくれた態度とは、実に実に踏み潰してやりたいほど僧らしかった。
「何んじゃ、この鳩が俺のもんなら、この柿はきさまのもんじゃ? 阿呆
吐かせ」と、猟師は呆れ返った顔をした。そうして余りな図々しさを憎むのあまり、文吾の襟元を
攫んで突き転ばした。その途端に袂の柿がころころと草原に転がり出た。
選りに選って
見窄らしい小さな柿なのを、猟師も意外に思う風で見ていたが、更に文吾を捻じ伏せて、両の袂から、懐中までを改めた。
「何んじゃ、たった一つか」と、猟師の言った言葉は、文吾の耳へ
嘲笑われたように響いた。もつと大きなやつを、ドッサリ取ってやれば好かったと、文吾は残念でたまらなかった。そうして、彼は怨めしそうに、大きな御所柿の木を見上げた。
最終更新日 2005年10月10日 10時11分05秒
上司小剣「石川五右衛門の生立」三
それから文吾は、夜になるのを待って、その御所柿を取りに行くことにきめた。しッとりと夜露に濡れた柿の実の風味は、また格別であった。
「これ貰うて来たんや」と言って、大きなのを二つばかり、母に持って帰ってやると、柿の好きな母は、何も知らずに、ほくほく喜んで、研ぎ減らした
小刀で、薄く細く長く皮を剥いた。都は
三条の大橋の欄干に
凭れて、白い玉を溶かしたように美しい水の上まで、剥いた柿の皮を届かしたというのが、母の自慢話の一つであった。若い頃都で御殿奉公をしていた母の言葉には、京
訛りが残っていた。
「関白さんの
上る柿や」
そう言って、母はもくもくと淡紅色の御所柿の一片を前歯で噛んでいた。奥歯の一つもない母は、馬のように前歯でばかり喰べるので、噛んだものが膝の上へぽろぽろとこぼれ落ちた。
あんまり毎晩、見事な御所柿を持って来るので、母はそろそろ怪しみ始めた。文吾はそれを知らないのではなかった。母の心を疑わせるということが、文吾には何となく面白いのであった。
「文吾はん。あんたこの柿をどこのお方に貰うといなはるね。こないによう毎晩くれはりまんな」
母は少しむずかしい話になると、いつもこうやって、目上に物を言うようにして、文吾に対するのであった。そら来たな、……と、文吾は思った。
「人に貰えやしまへん。天から授かりまんね」
文吾はこう言って、ニヤリと笑った。それがどうして、
七歳や
八歳の幼いものの口から出る言葉かと、母は呆れてしまって、文吾の幼顔に浮ぶ不敵の面魂を見詰めていた。そうして、急に差し
俯向くと、文吾の小さい膝の前に伏して、めそめそと泣き出した。母の方が幼い者のようになってしまった。
けれども、母は滅多に外出をしないで、
家で賃仕事をしているから、隣り村の大きな御所柿の木のことは知らなかった。木に
生ったのを盗んで来るのか、どこかの家に
蔵ってあるのを
攫って来るのか、ハッキリとは分らないが、どうしても正しい品ではないと思うと、母は今まで喰べたお美味しい御所柿を、残らず吐き出したいと思ったのであろう。いきなり首を
擡げると、前にあった二つの大きな御所柿を取って、表の方へ投げ付けた。そうして、
「文吾はん、何
であんたは、そんなさもしい心になってくれたんや」と言い言い、小さい膝を、皺だらけの手で揺り動かした。
「
阿母さん、柿はああやって、
自然に生っているんやおまへんか。人間に喰べさせようと思うて生っているんやおますまい。あの井戸の水が人間に飲まれようと思うて湧くのやないのと
同
しこッちゃろう。柿を取って喰べるのが盗人なら、井戸の水を汲んだり川の水を
掬うたりして飲むのも盗人や」と、文吾の幼い智慧は、えらいことを考え出して来た。
「無茶言いなはるな。……川の水と柿とが一緒になりますかいな」と、母は
百結衣の袖でそっと涙を拭いた。
「取って喰べるのが悪いのんなら、人の見る前で生らん方がええ。生るよって喰べるのは、当り前やないか。これは
俺の柿や言うて、自分一人のもんと勝手にきめたかて、柿の方では、そんなこと知りよれへん。持ってる人が木へ登って
梶らな、ほかのもんでは堅うて取れんし、また木へも登れん。よしんば登って柿を取って来ても、持ってる人やなけりゃ、皮も剥けんし、歯も立たんというのんなら、ほんまにその人の持ち物ときめることが出けるけれど、誰でも登ろうと思うたら、その木へ登れるし、持ってる人の手でのうても、梶ると取れるし、取って来たらこうやって、誰にでも喰べられるんやもん、これは俺の柿やときめるのは嘘や。誰の柿でもない、柿は柿の柿や。そやなかったら、皆んなの人の仲間持ちや」と、文吾は母の前に
片肱怒らして、小僧らしいことを言った。
「無茶ばっかり言うて、そんなら文吾はん。あんたはこれから、人のもんも自分のもんもない、欲しなったら、何んでも取りなはるんか」と、母は涙の眼を輝かして、文吾の小さな膝に詰め寄ったが、また
忽ち崩
れるようにひれ伏して、わっと泣き出した。
最終更新日 2005年10月10日 11時38分56秒
上司小剣「石川五右衛門の生立」四
「文吾はん、あんたはお
父つアんの顔を知らんのやなア……」
夜も更けて→親子枕を並べて寝ている時、母はこんなことを言った。文吾がよく眠っていると思って、
独言のように言ったのを、
折節眼を覚ましていた文吾は、「うッすら覚えてる。顔の平たい、大けな人やった」と、寝惚け声でこう言って、何か喰べてでもいるように、口をむにゃむにゃさした。
「ああ、あんた起きてなはったのか」と、母
はきまりわるそうにして、向うへ寝返りをした。その途端、
蒲団が狭いので、足がドタリと畳の上へ滑り落ちた。この村で畳の敷いてあるのは、この石川の家のほかには、
荘屋ぐらいのものであった。家は荒れ果てても、破れ畳に昔栄えた名家の跡を見せていた。畳の敷いてある家と言えば、それがどんなに破れていても、人はその家を敬うことを忘れなかった。古畳の上へ足を滑らせると、
冷りとした気持ちが、得も言われぬ感じを母の胸に与えて、痩せても枯れても、石川の家には、まだ畳が敷いてあるという誇りが、全身に
漲るのであろう。母は古畳の上へ足をバタバタさせていた。
「文吾はん、あんたの
四歳の時に死んだお父つアんはなア、あれは、……」と、母は向うをむいたまま言いかけて、もう泣き声になった。文吾は母がまた何を言うことかと、頓着もしないで、もう御所柿にも飽きたから、明日は一つ、手習いに行った時、お師匠さんの菓子
箪笥にある饅頭を喰べてやろうと思って、
頻りにその方法を考えていた。喰べたくなるのは自然だ。欲しいものを取って喰べるのは当り前だ。という考えは、文吾の
魂魄に深く深く植え付けられて、なかなか抜き去ることの出来ぬものになっている。
「文吾はん……」と、母はまたくるりとこっちへ寝返りをして、畳の上へ滑り落とした足をバタバタやっている。
「阿母さん……」と、文吾も夢のような声で呼んだ。
「文吾はん、あんたのお父つアんはなア。……」と言うなり、母はむッくと起き直って、床を這い出し、文吾の側へ寄って来て、
ひしとばかりにその寝姿に取り付いた。
「文吾はん、あんた、死んだお父つアんの代りになって、わたしの言うこと聴いとくれ」と、母の声は、涙とともに、
塞いであったものを取り除いたように
溢れ出た。
文吾の父は、由緒ある武士石川
左衛門の
後裔で、先祖代々
伊賀の郷士であったが、だんだんに家が衰えて、多くあった山林
田畑も売り払い、その日の米や塩にも困るようになった。しかし、酒だけはどうしても欠かすことが出来ないというので、母が
瓶子を抱いて、遠い山路を
濁酒など求めに歩いたものであった。どこの酒屋でも、石川と言えば相手にしなくなっているのを、無理やりに瓶子を突き付けて、推し込んで行かねばならぬ母は、どんなに
辛いことであったろう。
「酒がないのは、
生命がないのも同じことじゃ」と父は毎朝必ずそう言って、母に酒の才覚を促したそうである。
酒のほかにもう一つ、父の求める心の甚だ強いものがあった。それは子だ。「男の子が一人欲しい。仕方がなけりゃ女でもよい」と、父は熱心に考えていた。酒と子供……それが父の求める、一つの大事なものであった。しかし、酒は母の苦心によって、毎晩
のこなからは欠かさないが、子供だけは、母一人の力でどうにもならなかった。
「石川の
血統が絶える。……」と、父は毎日溜息ばかり
吐いていた。
ところが、或る日、
どうしてもこなからの濁酒の手に入らぬことがあった。母は八つ時の頃から、草履の尻を摺り切らして、山一つ越えた向うの里まで行ったが、酒を
借してくれる家がなかった。家へ帰ると膳の上に瓶子のないのを
憤った父は、「もう生きていられん。酒がなけりゃ死んでしまう」と、狂気のように駄々を
捏ねる。
もう当てはないけれど、父の憤りをジッと見ていることは出来ないので、母はまた瓶子を持って外へ出た。
五月の空はどんより曇って、村の家々は、燃ゆるような青葉の匂いに包まれていた。破れ草履を脱ぎ棄てたので、足の裏が冷たく、
霑いをもった土に吸い付くようであった。
酒のありそうな家へは、皆行ってしまったので、この上は神の力に
縋るよりほかはないと思って母は毎朝
跣足まいりをしている隣り村の
平井明神の森へと
志ざした。神の青葉は人の青葉よりも更に美しかった。それが夜だから、こんもりと雲か山かのように見えている中へ、鳥居の下を通って進んで行くと、燈明もない拝殿の中は、
洞穴のように思われた。
近付くほど余計に願い事が叶うかと考えられるので、階段を足で探って、砂だらけの板の間へ上って行くと、
暗に馴れた眼は、真正面に据えてある八足台の上に注がれて、木の問を漏るる星明りに映し出された
錫の
神酒瓶子が一対、母を引き寄せるようにして立っていた。母は覚えず手を伸ばしかけたが、神さまのものを
勿体ないと思って、慄う手を引ッ込めても、その手はまたいつの間にか伸びて、錫の瓶子にかかっていた。殆んど無意識に、その瓶子を振ってみると、酒か水か、トブントブンと音がした。夫の喜ぶ顔を想う嬉しさに、勿体なさも忘れて、瓶子の口に鼻をあててみると、芳醇な匂いが、ぷうんと来た。
「平井大明神……この賜物を頂いて、夫を喜ばせます。それからどうか子供を一人お授け下さりませ」と、母は覚えず大きな声で
疇った。
その時、どこから現われたか、
白衣を着けた大きな男の姿が、母の眼の前にあった。母は「きゃッ」と叫んで、気絶せんばかりに驚いたが、そのかよわい手を
掴んで、ぐいッと引き寄せた白衣の男は、母の耳に口を寄せて言った。
「わしはお前に、
美い酒を授けてやった。これからえらい子供を授けてやる。……」
それは、ほんとうに神の声のようであった。
ここまで語って、母はあとを言うことが出来ないで、泣き
喊りになった。
「文吾はん。わたしはなア、お父つアんを喜ばそうと思うた余り、お酒と子供が欲しさに、言おうようのない大きな罪を犯したんや。神さんのお宮を
穢したんや。お父つアんが生きているうちに、
何遍白状しようと覚悟したか知れんが、言いそそくれて、臨終の床にも間に合わんことになった。お父つアんの代りに、文吾はん、あんたに白状したのやよって、どうでもして、わたしを責めとくれ」と、母の言葉は、矢張り涙とともに溢れ出た。
けれども、それから母がまた涙とともに言うところによると、文吾はどうも、自分のほんとうの父はその暗黒の中から出た怪しい白衣の男だと思われた。「あんたの四歳の時に死んだお父つアんはなア、……」と、母が泣き顔をして言いかけては、後を止めてしまった言葉の
破片が残りなく拾われたような気がした。
都にまで響いた
大盗賊の
何某が、六十六部に姿を
扮して、長いこと平井明神の拝殿に隠れていたということ。……
父は文吾を、平井明神の申し子だと信じ切って、有り難がっていた。自分の面差しに少しも似ていなければ、また性質のまるで反対な文吾をば、
却って余計に可愛がった。
文吾は、母の口からこんな風の痛ましいことばかり、いろいろと聴かされて、深く自ら心に決するところがあった。
最終更新日 2005年10月10日 13時52分37秒
上司小剣「石川五右衛門の生立」五
寺へ手習いに行く時、文吾は街道の
煮売屋の前を通るのが厭やであった。畦を渡り、小径を抜けて、少しでも近い方を行くのであるが、その煮売屋の前だけは、どうしても通らなければならなかった。一束の杉を吊した軒下に、「名物にしん
蕎麦」とした字が、障子へ大きく書いてあって、その奥に主婦の蒼白い顔が、ふわふわと水にでも浮いているように見えていた。薄暗いところで、黒い着物を着ているので、顔だけがくッきり現われて、身体は煮物の臭いの漂う中に
暈されてしまった。
冬の寒い盛りにも、煮売屋の表は障子が一枚だけ開いて、街道を人が通る度に、蒼白い主婦の顔は、きッとこっちを見た。足音がしないでも、人さえ通ると、主婦はそれをその低く平ベッたい鼻で嗅ぎ取るかのように、直ぐ感知して、こっちを向いた。文吾が藁草履に
砂埃りを立てて通っても、
深沓の破れたのに泥を踏んで行っても、煮売屋の主婦の窪んだ濁った眼は、決してそれを
見遁さなかった。
文吾はもとよりこの主婦が、文吾の通る時だけにそうするのだとは思っていなかった。自分ばかりが主婦に注目されているのではないことをよく知っていた。日がな一日、その煮売屋の店の奥に坐り込んで、
鰊蕎麦や焼豆腐の煮物の臭いを嗅ぎながら、まるで関所の役人か何かのように、一々街道を往来する人に目を着ける。それはもう主婦の心では、見たいということを離れて、人さえ通れば、ただ何かなしに表を見るのだ。人の足音さえ耳に入ると、眼はもう往来を向いている。それがだんだん
練れて来ると、もう足音なんぞは聞えなくとも、人さえ通れば、眼の球の方が先にそれを知って、
背後向きに坐っていても、くるりと首を
捩って、往来を見るようになった。それで、今日はこの往来を幾人ぐらい人が通ったかということを、主婦はちゃんと知っていて、客が来ると、通った人の数や種類を大声に話していた。文吾も時々それを小耳に挟んで、
大和へ越え、
伊勢に通うこの街道筋が、日によって通る人の数に、大層な違いのあるのを知っていた。
文吾は煮売屋の主婦が、自分の通る時ばかり気を配ってこっちを見るのではないことを知っていながら、主婦にジロリと自分の姿を見られるのが、厭やで厭やでたまらなかった。どんなに足音を忍ばせて歩いていても、杉の葉の吊してあるその軒下に文吾の影がさすと、主婦の蒼白い顔は、きッとこっちを見た。曇った時や、雨の降る日でも、主婦は決して文吾の通るのを見遁さないから、それが文吾は憎らしくてたまらなかった。酒を売るしるしに軒へ杉の葉を吊しておいても、備えた樽はよく空になっていた。杉の葉も黄色く枯れかかって、焚き付けになりそうであった。その杉の葉を指さして、空樽に失望した酒好きの旅人が、主婦を談じつけている
隙に、文吾は今日こそ主婦に姿を見られまいそと思って、小走りに駈け抜けようとしても、主婦は一心に何やら
喋舌りながら客と
睨み合っていた眼をば、稲妻のように文吾の方へ向けることを忘れなかった。「さアしまった」と文吾は思った。
どうかして、主婦に見られないように、あの杉の葉を吊した店の前を通り過ぎることは出来ないものかと、
八歳の文吾の小さい
魂魄は、いろいろに苦労を始めた。或る時は、余りに憎らしくなって、自分を見るあの主婦の眼を、突き刺してやろうかと思って、文吾は母の使い古
したつみを一本持ち出したことさえある。毎目糸を紡いでいる母は、糸紡ぎ車から外
したつみの古いのを、危いからと言って、高い棚の上へ載せていた。踏台を用いても、文吾はまだその棚へ手が届かなかった。ところが、棚の領主のようにして、
塵埃を蹴立てて暴れている鼠が、
つみを一本転がして落したのが、ぐさとばかり古畳の上へ突っ立った。文吾は急いで駈け寄って、
そのつみを取り上げたが、錆びてはあっても、
尖っていて、
錐より鋭かった。そこへ母が来かかったので、文吾は手に持
ったつみを隠す暇もなく、「鼠ッ、鼠ッ」と棚を指さして叫ぶと、母は慌てた様子で、上を仰ぎ見たから、その間に文吾
はつみを懐中へ忍ばせてしまった。
「文吾はん、鼠が何んにも落せしまへなんだが。……」と言い言い、母は、あたりを見廻したが、古畳の上には、
齲歯が痛むとよく紙に包んで痛い歯に噛ませられる
鼠矢が
五粒ほど、黒くバラバラとこぼれているだけであった。
「いいえ、何も落せしません。……その
歯痛の
禁厭だけだんがな」と言って、文吾
はつみを隠した懐中を押さえつつ、つぼんと立っていた。母は文吾の言葉を疑う様子もなく、昔栄えた家の面影を残している広い裏庭の、崩れかけた土塀の側へ行って、丹念
にしんし張りをつづけた。張って
麩糊を引いているのは、文吾の
単衣になる継ぎ
接ぎだらけの
大和木綿であった。初夏の空は浅緑に晴れて、山も里もキラキラと輝き渡っていた。
最終更新日 2005年10月10日 15時27分17秒
上司小剣「石川五右衛門の生立」六
山城へ行き、
近江へ抜ける旅人は、文吾の育った村の街道を歩かない。大和から伊勢へ、伊勢から大和へ、伊賀路の物静かな麦秋の頃を、六十六部が多く通った。
「ああア、また六部の
鉦が鳴るわいな。……」と、母は痩せた胸を、洗い晒した渋染めの単衣の上から押さえながら、今にも秋ならぬ時雨の来そうな顔をして、六部の鉦の遠ざかり行くのに耳を澄ましていた。一人の六部が行ってしもうて、また一人の六部の鉦が、杉の葉を吊した煮売屋の方から流れて来た。
「あッ、……」と叫んだ母は、両手で
耳朶に
蓋をした。六十六部の多く通る麦秋の頃には、文吾の家の表戸が閉め切ってあって、六部に留守だと思わせるようにしてあった。報謝を受けようとする鉦の音が、いつまでも家の前に鳴っているのを避ける用意だと、文吾は去年あたりから気付いていた。
六十六部の鉦が、夕暮れまでも鳴っていると、母は頭痛を起して、奥の
納戸へ倒れ込んでしまった。そこの
長押には、槍と
薙刀とをかけた跡があって、得物は
疾くに失われていた。
槍があったら、その槍で、あの煮売屋の婆の眼を突いてやるのにと思って、文吾
はつみを隠した
懐中を押さえつつ、表の往来へ駈け出して行った。煮売屋の前を歩いて、婆がいつもの通りこっちを見よったら、いきなり飛び込んで行って、その目尻の下がった両眼を突き刺してやろうと、文吾はその時、ほんとうにそう考えたのであった。
文吾の眼からは婆でも、煮売屋の主婦は、まだ三十七八の残りの色香を、桜の若葉に留めているほどの女であった。年中血の道で、蒼白くふさいでいても、
琵琶をとっては、平家の一曲に村人の涙を
唆ることもあった。この日は
茜染の単衣若々しく、背中を往来に見せて坐っていたが、人が表を通る毎に、細い首を
捩じ向けて、眼の光りを投げかけることは、一人一人に怠らなかった。文吾がこの煮売屋に近づいた時は、どこで棄てられたか、見馴れぬ
子狗が一頭、鼻を土に摺り付けて、物の臭いを嗅ぎ廻っていた。懐中
からつみを取り出して、
道傍の欠け瓦に
尖端の
錆を
磨りおとした文吾は、白く光る針のような鋭さに見入りながら、これで煮売屋の婆の眼をば、飛び込んでただ一突きと、気が狂うたように、草履の足音もバタバタと、急ぎ足に通りかかる途端、あの子狗がくんくん鼻を鳴らして、煮売屋の土間へ入って行った。そうして、そこにあったお客からの預り物の蓑の端を
銜えて引っ張ったので、主婦はその方へ気を取られて、この時ばかりは、店の前を
態と荒々しく通る文吾の方に眼が届かなかった。
きっとこっちを見るであろう、見
たらこのつみであの厭やな眼を一突きと、後の難儀も思わないで、飛んだことを考えていた文吾は、ほッと息を
吐きつつ、首尾よく煮売屋の主婦の眼から
遁れて、あの店の前を通ることが出来たのを喜んだ。
それから毎日毎日、文吾は何か知ら居合わせた子狗なり、
鶏なり、雀なり、或る時は空の
鴉なりを、種につかって、その方へ煮売屋の主婦の注意を
惹き付けておいて、自分だけはその関所役人のような目尻の下がった眼から見遁されることを工夫し始めた。うまく行く時もあるし、しくじることも多かったし、寺で教わる手習いよりも、文吾には煮売屋の前で身を忍ぶ工夫を練るのが面白くなって、うまく行った日は終日気持ちがよく、しくじった時は、腹が立って仕様がなかった。しかし、もうあの鋭く尖
ったつみで煮売屋の主婦の眼を突き刺そうなぞということは考えなかった。
朝遅いにきまっていた文吾が、このごろは早く来るようになったので、お寺の和尚さんも、寺子朋輩も、「こりゃえらいこッちゃ」と思った。早く来ると言っても、矢ッ張り文吾が一番遅かった。しかし、今までは、みんなが双紙を一面習い終った頃に、さして急ぎ足でもなく入って来た文吾が、まだ墨を磨っているうちに来ることもあるようになった。一同が机の前に頭を揃えて和尚さんにお辞儀をしている時に文吾の姿が見えるのは、余ッぽど早いのであるが、遅くとも双紙を二三枚習わぬうちに、文吾の机にも
硯や筆や墨が取り出されてあるようになった。
或る時はまた文吾が、いつの間に来たのか、隣りの机の子さえ知らぬことがあった。文吾はまだ来んなアと、和尚さんも朋輩も皆そう思っているうちに、文吾がにこにこして、もう双紙を一二枚習いかけているのを見て、あッと驚かされることもあッた。
文吾はそれが得意であった。煮売屋の主婦の眼を
晦ますことを覚えてから、それをいろいろの人に試みたが、うまく行くことの多いのに、嬉しくてたまらなかった。「これはうまいなア」と、文吾は独りで叫んだ。
最終更新日 2005年10月10日 15時40分39秒
上司小剣「石川五右衛門の生立」七
ただ足音を忍んで、人の眼を晦ますだけでは詰まらないということを、文吾の小さな胸は考え始めた。
初夏から真夏になる頃には、文吾の忍び足も、おいおいに習練の効を積んで来た。それでも時々、煮売屋の主婦の目尻の下がった眼には見現わされることがあって、「あの
糞婆め」と歯噛みをしたが、
家の母や寺の和尚さんの眼を晦ますことは、もう何んでもなくなった。
人の眼を晦ますことが何んでもなくなるに連れて、それをただぼんやりとやっていることが、文吾には詰まらなくなったのである。去年の秋の末に
顎の外れる程大きな口を開いて、夜露に
霑うたうまいやつをドッサリ喰べたあの御所柿も、今年は不作と見えて、花が
尠なかった。その御所柿の樹から、「人のものは我が物、我が物は人のもの」というようなことを教えられた文吾は、今度偶然に覚えかけたこの忍び足の法で、人のものを我が物にしてやるのも面白いことであろうと考えた。そうして、それを先ず家の母に試みてやろうと思って、寺の
午休みに、
竊と自分の家へ忍び込んでみた。
棚の上を走る鼠の足音の方に、母の心を引き付けておいて、首尾よく一本
のつみを
懐中に隠し
了せたのと、店の土間へ這い込んだ子狗に、煮売屋の主婦の眼を晦ましたのとが、文吾の忍び足の法を会得しかける最初であったが、近頃ではもう、鼠や子狗がうまく出て来なくとも、小さな石ころを一つ、あらぬ方角へ投げ付けた物音の中に、身を隠すことも出来るようになった。
裏の崩れた土塀の上を、毛の汚れた野良猫がノソリノソリと渡って行く。折柄糸を紡いでいた母の眼は、その猫へ惹き付けられていて、文吾が直ぐ背後に立っているのを知らなかった。
ビイビイビイビイビイビイ。
チョン。
ビイビイビイビイビイビイ。
チョン。
糸車は静かに廻って、じんき(白い綿を
胡瓜の小さなのぐらいにしたもの)が長く母の左手で糸になって伸びると、右の手で廻していた車が、チョンと
把手を鳴らす音とともに、
つみに巻き着く糸の玉は、だんだん太くなって行く。
ビイビイビイビイビイビー。
チョン。
異国の歌でも聴くような糸車の音は、うッとりとして、人の眠りを誘うようであった。静かな伊賀の山里の、村人は皆午睡の夢を
貪っているのに、文吾の母だけは、
夜業をしても足らぬ賃仕事の糸紡ぎにかかっているのであった。寺の午休みに駈け戻って来た文吾は、母の手元
にあるじんきの束を取って、
竊と物蔭へ身を忍ばせつつ、様子を窺っていると、自分の廻す糸車の音に自分の眠りを誘われながら、ぼんやりと向うの土塀の上の野良猫に見入っていた母は、左の手に乏
しくなったじんきを継ぎ足そうとして、手
さぐりでじんきの束を求めたが、指先に当るのは、古畳の
藺のほつればかりなので、やッと眼が覚めた風で
四辺を見廻したが、
じんきはそこいらに一本もなかった。いぶかしそうに小首を傾けた母は、立って行って戸棚から一束
のじんきを持ち出し、またビイビイビイと紡ぎ始めた。
文吾は再び抜き足で、母の傍に忍び寄ると、その新
しいじんきの束を
攫って、更に物蔭へ隠れた。今持って来
たばかりのじんきの束が、また見えなくなったのに呆れた母は、暫く考えている風であったが、やがて糸車を片付け、膝の上の
綿埃を払ってから、台所へ行って火打箱を取り出し、
燧石をカチカチやって、神棚に燈明を上げた。そうして、その前に長いこと瞑目祈念していた。
文吾は攫った二束
のじんきをば、母の直ぐ側へ投げて、忍び足に寺へ立ち戻ったが、七つ過ぎに家へ帰って、今度は大びらに入ると、母はまだ神棚の前に坐っていた。
「文吾はん、気い付けなはれや。今日は魔物が家の中へ入り込んでるよって、……」と、声を震わして言った。文吾は独りクスクス笑っていた。
最終更新日 2005年10月10日 18時29分48秒
上司小剣「石川五右衛門の生立」八
光明寺の和尚さんは、伏見から取り寄せた
駿河屋の
羊羹で、
宇治の玉露を
淹れて飲むのを楽しんでいた。紅を
刷いたような四角い長いものを、和尚さんが大事そうに庖丁で切って、歯のない口でもぐもぐやっている度に、手習い子等は何を喰べているのかと思って、遠くから不思議そうに眺めていた。羊羹という名なんかは、もとより知ろうようもなかった。文吾は、初めにそれを見た時、家に帰って、母に和尚さんの不思議の食物のことを話すと、若い頃都の水を飲んだ母は薄笑いをして、「それは伏見の駿河屋の晒し羊羹というもんや」と教えてくれたので羊羹というもののことをよく知っていたし、このごろ宇治で出来た玉露というお茶のことをも、母に聞いていた。そうしてその羊羹というものを、
一片喰べてみたくてたまらなかった。
夏だから襖も障子も開け放してあるので、手習いをしている本堂の片隅から、庫裡の奥まで一目に見通すことは出来るが、手習い子は庫裡へ片足でも踏み込むことを禁ぜられているから羊羹の
納ってある茶箪笥へ近づくことは、文吾の忍び足にもなかなかむずかしかった。殊に本堂と庫裡との綴じ合わせのところには、賢そうな小僧が独り机を控えて、別にお経をさらっているし、まだ若い寺男の眼も、台所や庭前から光っている。その中を潜り抜けて、和尚さんの居間に忍び寄ることは、文吾が一生の大事のように思われた。
その頃は他の国々に、まだよく
戦があって、馬の
蹄や、雑兵の
草鞋に
田畑を踏み荒らされたり、家を焼かれたり、女を攫われたりする
噂が、よく耳へ入ったけれど、この伊賀の国だけは、そういう難儀から暫く免れていた。ところが、このごろ毎夜
丑三つの刻限に、東の山の上へ怪しい星が現われて、その星の下に
弘法大師のお姿がありあり拝まれるということを言い触らすものがあった。誰が言い出したのか分らないけれど、光明寺の和尚さんも、スッカリそれを信じて、「これはきつと近いうちに、この伊賀にも戦があるに違いない。それをお大師さんが教えて下さるのじゃ」と、手習い子たちにも言い聞かせていた。
「和尚さん、戦があると、わたえ等はどないになりますのや」と、一番年上の手習い子は和尚さんに問うた。
「戦があったら、もうお前ぐらいの年のものは、軍役というて、
兵粮運びなんぞに使われるし、家にあるお米や麦は皆取り上げられ、家の納屋も焼かれる」と、和尚さんは教えた。
「兵粮運びしたら、駄賃くれはりまッか」と、その手習い子は、嬉しそうな顔をした。
「駄賃はくれんな、駄賃の代りに、流れ矢を貰うて死ぬぐらいのものや」と、和尚さんは綴やかに笑った。
「人の家のお米や麦をただ取って、駄賃もくれいで兵粮運びさしまんのか。そいで家を焼く。まるで無茶やでな。……
和尚さんそんな無茶しても、だいじおまへんのか」と、横合いから、眉を
顰めつつ問うた手習い子があった。
「どうもしようがないなア。
軍人は強いよって。……」と、和尚さんは微笑んでいた。
「強いもんなら、悪いことをしてもだいじおまへんのやなア」と、その子は脇に落ちぬという顔をした。
「
現世ではしようがないなア。……強いということは、尊いということ、正しいということより、一枚
上手じゃ」と、和尚さんは、矢ッ張り笑い続けた。
「強うならな、あかんわい」と、誰やらが大きな声で、
頓狂に言ったので、みんなは一時にどツと笑った。しかし文吾だけは笑わなかった。
文吾は笑うよりも考えたかった。「強いということは、善いということ、正しいということより一枚上手じゃ」と言った和尚さんの言葉を、しみじみと噛みしめて味わいたかった。そうして、「強うなれ、強うなれ」と、口の
裡で叫んだ。
けれども、よく考えてみると、一人だけではいくら強くなったとて、大勢でかかって来られては、とても
敵わない。これはなんでも手下をドッサリ
拵えなければならない。その手下の出来るまでは、近頃覚えた忍び足の法でやってやろう。他人に出来ないことを自分がするというのも、矢張り一つの強さだ。強いということが、善いということ、正しいということより一枚上手なら、もう大威張りじゃ。自分はこの忍び足という強さで、煮売屋の婆に勝った。家の阿母さんにも勝った。これから一つ、この和尚さんに勝って、どうしてもあのおいしそうな駿河屋の羊羹を喰べねばならぬと、文吾は小さな胸に、自ら問い、自ら答えて、深く決心した。
その夜の丑三つに、大胆な文吾は、東の山へ現わるるという大きな星と弘法大師のお姿とを拝むのじゃと、母に告げて、壊れかけてガタガタしている雨戸の外へ出たが、そのまま跣足に夜露を踏んで、飛ぶが如く光明寺へ駈け付けると、うまうま和尚さんの居間に忍び入った。
最終更新日 2005年10月10日 21時40分52秒
上司小剣「石川五右衛門の生立」九
「
誰じゃ。……
奈良枝か」
暗黒の室の欄間のあたりから、手習いの折りの小言で、耳の底深く滲み込んでいる和尚さんの声が、いやにそわそわした調子に聞えた。
こりゃ、しもうたわい、と思って、文吾は暗黒の室内を、
瞳が二つあると言われる眼で透かして見た。自分が今五寸ばかり雨戸を開けて、小さい身体を斜めに忍び込んだところから射す星明りに、茶箪笥や火桶や
鑵子が、昼間の通り正しく位置しているのを知っただけで、人間の姿はどこにも見えなかった。
文吾は不思議でならなかった。和尚さんの今の声は、一体どこから響いたのであろうか。そう思って、つい鼻の先にある羊羹に手をかけることも出来ないで、隅の方に小さく、
蜘蛛のようになって、壁へ身体を摺り寄せつつ、ジッと様子を窺った。
昼間は遠くから眺めているばかりで、足の親指の先だけでも敷居の内へ入れることを許されない和尚さんの居間の畳を踏んだのは、たいしたことをしたものだという誇りが、文吾の胸に湧いて来た。怖ろしいことをしたとか、年に似合わぬ悪いことを企てたとかいうことは、少しも考えなかった。見付けられたらままよ、和尚さんの鶴のような首へ食い付いてやれという大胆さが、腹いッぱいに
蔓った。
本堂の片隅から遠く眺めただけでも、文吾の
隼のような眼は、この室の模様を手に取る如く突きとめていた。しかし今こうやって、深夜にここへ忍び込んでいると、茶箪笥や火桶や鑵子に、一つ一つ皆息が通って生きているのではないかと思われた。殊に鑵子なんぞは、今に足が生え、
尻尾が出来て、むくむくと歩き出しそうな風に見えた。
生きているのは人間ばかりじゃないのか。――そんなことを文吾は考えた。鑵子に足が出来て、羊羹に羽根が生えて、歩いたり飛んだりしたらどうであろう。……深夜という怪しい魔の力は、いくら利巧でも矢張り幼い文吾に、こんな事が今にも眼の前に起るように思わせた。そうして文吾はまた母がかつて平井明神の拝殿で、白衣の怪しい男に手をとられたのも、こういう夜であったかなぞということを思い浮べた。
「奈良枝、……奈良枝」
和尚さんの声は、また同じ高いところから聞えた。文吾は頭を
擡げて、欄間を見上げたが、暗くて何も分らなかった。
「誰じゃ……奈良枝か」
今度は和尚さんの声が低いところで聞えたと思うと、文吾の寄り添うていた壁が、大地震でもあるように、ぐらぐらと動いた。文吾は
吃驚してしまって、これは大変なことになった、自分より和尚さんの方が矢ッ張りえらいなアと感心した。しかし、
このままむざむざ取り押さえられるのも
業腹だから、忍び足の法で、隠れられるだけは隠れてこまそうと、不思議に動く壁を離れて、目指す羊羹の入った茶箪笥の
傍に潜んだ。暗いから隠れるのに都合のいいようなものの、昼間だけの修業では、夜の仕事にさっぱり役立たぬのを、文吾は泣きたいほど残念だと思った。第一和尚さんの眼を晦ます種を、何も見付けることが出来ない。鼠なり猫なり、居合わせた何ものかを種に使って、相手の気をその方へ奪わせ、眼をもそれへ向けさせるという工夫が、こう暗くてはどうにもならぬ。これは駄目だ、夜の修業をしなければならぬと、文吾は一つの大きな決心をした。
「奈良枝、……なにしてる」
和尚さんの声は、また高いところで聞えた。文吾はいよいよ、不思議でたまらなかった。声ばかり聞かされて、姿の見えぬ
時鳥のような和尚さんは、どこにいるのか、そう思って、キョロキョロと、暗い中を見廻したが、茶箪笥、火桶、それ等のものよりほかに何もなかった。
その時、自分の入って来た雨戸が五寸ばかり開いたままになっているのを、一尺ほどに開け拡げたものがある。文吾はぎょっとして、そっちを見た。鑵子に足が生えて動き出すより前に、雨戸が独りで敷居の溝を滑ったのかと、驚きの眼を
瞠っていると、流れ星の光りが深い軒を
掠めて飛んだのとともに、白い布を頭から
被って、その端を口に銜えた一つの人影が、すうっと縁側に上って来た。
「奈良枝、……奈良枝」と、また先刻からの版木で
捺したような声が聞えるとともに、正面の壁が三尺四方ばかり、真四角にバタリと開いて、大きな怪物の口かなんかのように、そこだけが殊に黒く見えた。
「奈良枝、……
てんごしいなや」という和尚さんの声がその黒い穴の中に聞えたと思うと、カチカチと
燧石の音が聞えて、先刻の流れ星のような薄い光が、ぴかぴかしたが、やがて手燭の火とともに、和尚さんのつるつるした頭は吐き出されるが如くその四角い穴から現われた。
「なんにもしえしまへんがな。今来たばかりだす」と言ったのは、たしかに女で、それがあの
路傍の
煮売屋の肥えた娘であることも、文吾の
暗を探る眼にはよく分った。
「嘘言いなや、
いかいこと待たしといて、
それからあんなてんこしても、
吃驚しえへんで。……」
と、和尚さんの
身体は、そのつるつるした頭から、ぽつぽつ溶けかかりそうであった。
「まア、なんでもええわ。こっちへおいで、……」と、和尚さんの枯木のような手は、煮売屋の娘の脂ぎった太い手をとって、怪物の四角な口の中へ、食われて行くようにして、入ってしまった。和尚さんの手にある手燭の光りは、白い単衣に鼠色の丸
ぐけを締めた鶴の如き姿をくっきりと映し出したとともに、丸く肥えて足の短い、亀のような娘の
容を描き出した。
二人の影が四角い穴の中に消えた時、そこにもちゃんと畳を敷いた室のあることを、文吾の眼はチラと見た。その途端、四角い穴は元の壁なりに
塞がって、接ぎ目も分らぬ暗黒になってしまった。
文吾は何んだか夢のような気がした。あの娘の名はたしか
磯菜で、奈良枝ではなかったがなア、とも思った。そして自分もうつらうつらと眠くなったが、ぐらつと頭を茶箪笥の角に打ち付けて、ハッと眼が覚めるとともに、真夜中……男……女……という疑いの雲が、その頭の中に
徂徠した。けれど、いくら智慧が走っていても、まだ幼い文吾には、それがとつくりと解るまでには至らなかった。けれども変な気持ちは、彼の頭を押し付けるようで、肝心の羊羹を盗むことを忘れたまま、ぼんやりと家へ帰って来た。
東の空には、白い星が大きく輝いて、村の噂の弘法大師の姿は見えなかった。文吾はぞっと身慄いをして、母の寝息の
籠った紙帳の中へ潜り込んだ。寺で蚊に食われた
痕が、急に
痒くなって来た。
最終更新日 2005年10月11日 00時09分42秒
上司小剣「石川五右衛門の生立」十
翌る日、寺へ行って和尚さんの顔を見るのが楽しみであった。その途中で、
籠に入れた
茹莢を抱えた煮売屋の娘に逢った。「お早う」と
頷いて行く彼女の頬は、はち切れそうに膨れて、針のさきで軽く突いても、紅い血がパッと
迸りそうであった。この勢いのよい女と、あの枯木のような和尚さんと、それが真夜中に何の用があったのかと、文吾はつくづく考えた。
寺では、珍らしく文吾が真ッ先に来たので、腰衣で本堂を掃除していた小僧が、先ず驚きの眼を瞠った。和尚さんは庫裡から本堂への通り路に、美しく敷き詰めた
礫の両側へ、
縁をとるようにして植えてある
石竹の花の
麗わしく咲いたのを見やりつつ、石像の如くに
蹲っていたが、
「
善海子ッ」と、いつもとは違う清らかな声で小僧を呼びかけて、「今日は雨が降るぞ」と、朝晴れの蒼空を見上げた。ほんとうに雨が降るのかと思って、ほんの一瞬間だが、蒼空を仰いだのは、利巧な文吾にも似合わぬおぞましさであった。文吾
はてれかくしに、つと和尚さんの側へ寄って、
「
和尚さん、綺麗だんな」と言って、和尚さんの視線を
辿りつつ、同じ石竹の花を見ようとした。
「庭の
石竹根が引き抜きにくい。庭の石竹根が引き抜きにくい。庭の石竹根が引き抜きにくい。……さア、文吾、こうやって三遍続けて言うてみい」と、和尚さんは澄まし切って、村の
聖顔をしたが、どうしたことか、今朝の和尚さんは、いつもよりズッと声も様子も若々しかった。
「なんぞ褒美をくなはるか」と、文吾は石竹を茎を持って、一本引き抜こうとしたが、なかなか堅くて、なるほど引き抜きにくかった。
「慾の深いやッちゃなア、こいつ。褒美は望み次第じゃ」と、和尚さんは歯の尠い口を尖らした。
「そんなら、あの羊羹一きれおくなはれ。そいたらうまいこと言いまッせ」
「よし、やろう。言うてみい」
「庭の石竹根が引き抜きにくい。庭の石竹根が引き抜きにくい。庭の石竹根が引き抜きにくい。庭の石竹……」
「もうよい。……えらいやッちゃ」と、和尚さんの褒め言葉の終らぬうちに、文吾の小さい
掌は、お重ねをして和尚さんの鼻ッ先に出ていた。和尚さんは「あはははは」と大きく笑って、居間の方へ行ったが、
稍手間取れると思う頃、白紙に包んだ二きればかりの羊羹を、大事そうに持って来て、
「さア、帰ってから喰べるんじゃぞ。ここで喰べると、ほかの寺子にわるいによって」と、厳かに言った。
「京の三十三間堂の仏の数は三万三千三百三十三体あるとなそうかいなほんかいな。……さア文吾、これを七遍息をせずに続けて言うてみい。そしたらあるだけの羊羹をみんなやる」と、和尚さんはまたこんなことを言い出した。
文吾は口の
裡で、「京の三十三間……」のと繰り返して言ってみたが、四五
度まではどうやら言えるけれど、あとの二度がどうしても続かなかった。一所懸命にやればやるほど息が切れて来た。そのうちに、手に持っていた筈の羊羹の紙包みがなくなってしまった。
「
和尚さん、返しとくなはれ」
「何を」
「羊羹を」
「お前の
袂に入ったる」と、にこりともしないで和尚さんの言った途端、文吾の右の袂が急に重くなって、文吾は外から羊羹の紙包みの四角なのを、柔らかく探ることが出来た。
まだまだ和尚さんにはとても敵わぬ。この和尚さんに教わるのは、手習いよりもほかにあると文吾は考えた。
その夕方、家へ帰って、黒々と墨の附いた手で先ず袂の四角い紙包みを取り出し、いそいそとして
披いて見ると、現われたのは、紅を刷いたような駿河屋の羊羹ではなくて、羊羹を切った形に
捏ね上げた寺の
粟飯であった。文吾はあッと
呆れた。
最終更新日 2005年10月11日 17時06分02秒
上司小剣「石川五右衛門の生立」十一
こんなことがあってから、文吾は寺の和尚さんが大好きになった。今までは好きでも嫌いでもなかったのが、好きでたまらなくなった。手習いは相変わらず厭やだし、「山高きが故に貴からず、木あるを以て貴しとなす。……」義理一遍に読むのも、面白いことではないが、文吾はなるだけ早く寺へ行って、少しでも多く和尚さんの側に居たかった。
どうしても、和尚さんの居間の茶箪笥にある羊羹が喰べられない。それを喰べ得られるまでに、修業をしなければならぬと、文吾は考えた。
まさか丑三つの深夜に、大胆な文吾が寺へ忍び込んだとは、さすがの和尚さんも思っていないようである。文吾の方からは、もとより何も言い出さなかった。煮売屋の娘が夜中に寺へ忍び込んだことと、和尚さんの居間の壁には仕掛けがあって、そこから内証の一室へ行かれることとは、ただ面白い話として人に言いたいのは山々だが、それを言うと、自分が深夜に和尚さんの居間へ忍び込んだことが知れる。一体煮売屋の娘は、何の用があって、夜中にわざわざ寺へ来たのであろうか。それをハッキリとは知らない文吾ではあるけれど、またまるッきり解らないのでもない。男……女……夜ということが、文吾の幼い頭にも少しずつ判じがつきかかって来た。和尚さんは老人でも、男である。煮売屋の娘は若い娘である。若い娘でも、文吾の眼には一人前の大人である。母と同じような大人だと思っている。母が亡父の寝酒を求め歩いた果てに、平井明神の
神酒を盗もうとした時、神の名を
騙って、母の手を捉えた白衣の男と母との関係は、丁度寺の和尚さんと煮売屋の娘のそれと、同じ事であるまいか。平井明神は宵の口、光明寺は夜中、ただそれだけの違いである……とここまで考えて来た時、文吾の心は怪しく震えた。そうして自分も、もう一人前の大人になりかけたという気がした。男、女……人間というものが、どうしてこの二つに別けられてあるのか。自分は今まで少しもそれに就いて考えなかった。これからはもう、羊羹どころじゃないそと思った。
家へ帰ってから、それとなく光明寺の怪しい室のことや、煮売屋の娘が和尚さんに手を引かれてその室に入ったことを、昼間の話になおして、母に告げると、母は紡いでいた糸車の手を止めて、
「滅相な、文吾はん。……あんたまア何んでそんなことを言いなはる。嘘は
盗人の始めというが、……」と言いさして、さめざめと泣き出した。何んでまたこんなことで母が泣くのか、とそれが文吾には解らなかった。
「嘘やない、
わいが見たんやもん」と、文吾は力を
籠めて言った。母を面白がらせようと思ったことが、母を泣かしてしまったので、文吾は躍起とならずにいられなかった。
「あの
活仏の光明寺さんに、そんなことがあったら、天地がひっくりかえってしまいますぞよ」
と、母は短い両袖で涙を拭きながら言った。
「そやけど、
わい見たんやもん」と、文吾は自分よりも寺の和尚さんの方が、母に信用されているのが残念でたまらなかった。
「それはあの娘が何んぞ用でもあって、お寺へ行かったんやろ。それからその壁のひッくりかえるところは
梵妻部屋というてな、どこのお寺にもあるんやが、光明寺さんはその部屋を使うようなお方やない。昼間やもんなア、あんたがそれを見たのは。……そんなことはない、あってたまるもんか」と、母は少し気にかかり出したようであったが、強いて
櫛巻きの首を振っていた。文吾は夜の話を昼になおしたばかりに、自分の言うことが弱くなったのを、またしみじみと残念に思った。そうして、その『夜』というものに就いて、いろいろと考えた末、自分もこれからは、その『夜』というものを自由に使わなければならぬと考えた。
最終更新日 2005年10月11日 22時10分55秒
上司小剣「石川五右衛門の生立」十二
夏から秋になるのは早かった。寺へ通う路の
傍に大きな御所柿が、今年は不作だということで、ちらほらと枝の間に紅い実が見えるくらいであったが、その代りに去年よりも
一昨年よりも、ズッと大きく見事なものであった。しかし文吾はもうそんなものにはあまり心を惹かれなかった。もう少しよいものをと、文吾の鋭い
重瞳の眼は、他の方を
睨んでいた。
秋と冬との間に、
青地の村では、若い衆たちの伊勢参りの道中がある。それは五年目五年目に行われる村の行事で、伊賀から伊勢へ、そう遠くもないところを、ぐるっと廻り道して往復七日がかりで、
木遣り
音頭を唄いながら、白装束に
脚絆、甲掛け、菅笠に金剛杖という山登りの姿をして、ゆるゆると出かけるのである。
鹿島立ちから
参宮までは、
戯談一つ言わずに、
精進潔斎して行くが、
下向の第一夜を
古市の姫買いに明かすのが、参宮よりもズッと大事な彼等の
唯一の希望で、それからは次々の宿場に、飯盛りと藤搾ぬ夜とてもない、往きはよいよい
復りはこわい
疾を
獲て、鼻のない顔を生涯、村に晒しつつ、有り難い記念を
留むるものもあるけれど、そんなことは
頓着なしに、若い衆たちは指折り数えて、五年目の「やアとこせ、よういやな」を待つのである。
文吾も、夏からその伊勢参りの
同行に加わりたくてならなかった。それを母に言っても、
「あれは子供の行くとこやない」と、頭から顧みられないし、若い衆の
頭に頼んでも、「ふふふ」
と、鼻の先で笑われてしまった。
「行きたいなア、行きたいなア」と、秋になってから、文吾はそればかり考えて、もう御所柿でも、羊羹でもなかった。
いよいよ鹿島立ちも十日の後に迫ったある
夕、文吾は昨夜見た伊勢参りの夢を想い出して、独りぶらぶらと杉の葉を吊した蓑豫の亠削を歩いていると、向うの方の蹤儺に立ち話していた五六人の若い衆が、手に手に文吾を招いた。伊勢参りの話ではないかと思って、文吾は胸を躍らせながら、若い衆の群に近寄ると、そのうちの頭だった一人が、一層近く文吾の顔を胸にまで引き付けて、
「文吾はん、杉の屋の風呂の
栓抜いて来てくれんかい。
俺等が行くと目立つさかい、お前なら丁度よい。早う早う」と促し立てるように言った。杉の屋とはあの煮売屋のことで、今日は杉の枯葉が、青々とした新しいのに取りかえられてあった。この家の風呂場は裏の方にあって、栓が長く背戸の小溝の上に出ているのも、文吾はよく知っていた。
「厭やじゃい、そんなわるいこと」と、文吾は大きな声で言って、首を振った。
「しッ、しッ。……」と、手を振りつつ若い衆は文吾の高声を制して、「やい、や、わるいこッちゃない、ちいとわけがあって、あそこの風呂の栓抜いたらんならん、今、娘が入ってよるさかい、早ういて抜いてくれ。頼む頼む」と、若い衆は神仏を拝むように、文吾の前に手を合わした。
「伊勢参りに連れていてくれるんなら、あの栓抜いて来る」と、文吾は若い衆の足元を見て言った。若い衆は顔を見合わせて困った様子をしたが、「よしよし、連れていたるさかい、早う抜いて来い」と言うと、皆々それに同じて、「早う、早う」と
急き立てた。
「
騙すんなら厭やじゃ」と、文吾はまだ動かなかった。
「騙しゃせん。……早うしてくれ。お
娘があがると何んにもならん」と、若い衆は
焦慮った。
文吾はようやく駈け出して行ったが、覚え込んだ忍び足の法で、煮売屋の人々の眼を晦ましつつ、背戸へ廻って、繁った
蓼のそろそろ枯れかけている上へぬっと出ている竹の筒の栓を抜くと、
後の世には自分が大人になってからの名で呼ばるる五右衛門風呂の湯が、じやアと噴き出した。「ああッ。……」と叫んで、娘が風呂から飛び出したところへ、若い衆の一人は急用でもある風をして、表から飛び込んで来た。あわてふためいて、何をする問もない娘のまる
裸体が、稲妻のような若い衆の眼光に映った。
「これじゃ、これじゃ、疑いなしじゃ」と、煮売屋から出て来た若い衆は、右の手で腹の膨れた形をして見せながら言った。
「さア、これから相手の
詮議じゃ」と、
年嵩の若い衆は言った。
「伊勢参りに連れていてくれるなア」と、文吾もそこへ顔を出した。
最終更新日 2005年10月12日 01時18分54秒
上司小剣「石川五右衛門の生立」十三
青地の村から出た伊勢参りの同勢八人のうちに、子供が一人いるということは、道中筋で人々の眼を集めた。
「ありゃ何んじゃい。あんなもん連れて行ッこる」
「あんな
小ッペいにお
女郎買いが出けるやろか」
憚り
気もなくこんなこと言うのが、ちょいちょいと文吾の小さい耳へ入るが、文吾はただニヤニヤと笑っていた。伊勢参りの、願望の届いたのが嬉しくて嬉しくて、人が何んと言おうとそんなことは構わないのである。
木遣り音頭の
声賑かに、殆んど村中の人残らずに送られつつ、隣り村の平井明神に参詣して、だんだん伊勢路へ向うのであるが、その時文吾の小さい身体は笑われ通しであった。
先達の
源右衛門さえ、時々後を振り向いては笑っていた。
なぜそんなに
可笑しいのか。それはこの頃この国のお伊勢参りが、古市の姫買いを目的として、
神信心は附けたりであったから、子供の参宮をば、八十の老婆の嫁入りよりもまだ不思議なこと、可笑しいこととしたのである。先達を除いては、皆血気の若者ばかり、六人のうちで四五人までは、この度の旅によって、その処女性を破ろうとしている。それまでは慎んでいて、これからそろそろというのを、一生の誇りとしている。後の世に行われる神前結婚式……先ずそうした厳粛な意味に、お伊勢参りをば、性的の行動と
観るのであった。元服の
烏帽子親を選ぶような心を、お伊勢参りの人がもっていた。
「あの人もええけど、まだお伊勢参りが済まんよってな」と、村の娘たちは、伊勢参りに行かない若者を、幾分
嘲笑の眼をもって観た。処女の重んぜらるるのは、いつの世でも同じことであるが、男の方でお伊勢参りの済まぬものは駄目であった。
出立の前夜、文吾の母は、いろいろに心配して、先達源右衛門の家へ尋ねて行った。嬉しさに包まれて、旅の支度をしていた文吾は、背戸を出て行く母の姿を観て、直ぐ源右衛門の家へ行くのじゃなアと覚った。人の姿を見てその行方を知るということは、文吾が忍び足の法とともに、この頃自得した一つの神経作用であったが、大抵は誤らなかった。あの人はどこへ行くということを知るのは、そうむずかしいことではないように思われた。ことに母の場合には、それが手に取る如く分った。
旅の支度に
忙しいなかで、母の出て行く後姿を見送った文吾は、にこりと笑うと、直ぐ表から飛び出して、畦道伝いに源右衛門の家へ先廻りをした。
源右衛門の家は、中くらいの百姓であるが、家柄は文吾の家の次に位していた。文吾の家は後家と子供とだけだから、村の寄り合いの
正座も奪われてしまったのであるが、源右衛門も家柄だけでは正座へなおることが出来ないで、なり上がり者が幅を利かしている不平を、酒に紛らしつつ憤っている。今年五十一になるまで、
四度お伊勢参りの先達を勤め、大和の行者参りには八度も先達になったのを誇りとしている。
今度も、先達に講元を兼ねているので、大きな
藁家の
傍に一坪ばかりの土地を浄めて、
神籬を立て、八足の机を置き、
新菰を敷いて、大神宮様が
祀ってある。文吾はこの神籬の中へ入って、母の来るのを待っていると、察しに
違わず聞き覚えの尻切れ草履の足音がした。そうして入口の敷居を
跨ぐ影が薄く幽霊のように見えた。
文吾も直ぐ後から真ッ暗な土間へ入った。白い砂が畳のように美しく
均してある神籬の中へ、もし土足を踏み込めば、直ぐ腰が立たなくなると、村人は皆恐れていて、
霊代を安置する平井明神の神主のほかは、誰も入るものがない。それを文吾は子供らしくもない好奇心から、神の罰で腰が抜けたら、
明朝の出立も
糠喜びになるのを忘れて、ついフラフラと、神籬の中へ忍び込んだのである。しかし
榊の枝がさらさらと袖に触れて鳴っただけ、腰も抜けなければ、
跛足になることもなかった。文吾はニヤニヤ笑って、暗い土間に倒れている
鍬の
柄に
躓きもせずに、すうッと風のような足どりで、
囲炉裡の切ってある板の間の前まで行って
蹲った。
源右衛門は鹿島立ちの酒に酔い
仆れて、
榾の火にあかあかと顔を照らされながら眠っていた。文吾の母は、源右衛門の内儀と一言二言話していたが、うんと寝返りをした源右衛門を、内儀は「もし、もし」と呼び起して「左衛門旦那のが、わせらッた」と告げた。
「これは、これは」と源右衛門は眼を
擦りつつ起き直った。亡き夫左衛門と、先祖との光りが見る影もない後家の上にまで輝いて、蔭では何んと言おうと、面と向って文吾の母を
侮るものはまだなかった。
「御用なら、お人を
下されば上りましたのに」と、源右衛門は居住まいをなおし、
胴服の
襟を引ッ張りながら言った。お人を下さるにも何んにも、
母子二人切りの家では、どちらか一人が使いに出るよりほかはなかった。家柄よりも物持ちを貴ぶ風は、山城大和からこの頃この伊賀の国へも吹き込んで、田地持ち山持ちが
上座になおるのを憤っている源右衛門には、
態とらしく丁寧に文吾母子を扱う傾きがあった。それは文吾母子を敬うのは石川の家柄を敬うので、石川の家柄をもった源右衛門が石川を貴ぶのは、また自分の家を村人から貴ばせようとすることになるのであって、源右衛門の心は、簡単なことに対して、甚だ複雑に働いていた。
「
あのわるさがお伊勢参りするんや言うてききまへんので、若い衆も連れていて下さりますそうで、いずれまア、あんたはんの
御厄介や思うて、お頼みに参じました。あんな
小ッこいもんが色事も存じまへんでひょうし、皆さんの足手
纏いになるやろうと思いますと、お気の毒さんで……」と、母は早口に言って、
萎びた手を囲炉裡の火に
翳していた。
色事の二字に、文吾はハッとして首を傾けた。光明寺の夜の不思議と、
路傍の煮売屋の風呂の栓と、この二つの新しい事件は、文吾の幼い頭を掻き乱して、何やらそこに物があるような気がしていた。お伊勢参りがしてみたいという心も、これが為に一層強くなったのだということは、自分にもよく分っている。
「お伊勢参りに子供を連れて行くのも、楽しみなもんじゃろうと思いましてなあ……」
と言ってニヤニヤ笑っているだけで、源右衛門は別に何も言わなかった。母はもっと言いたいことや頼みたいことがあったらしかったけれど、親の口から出しにくい言葉だと見えて、もじもじして言いそそくれたまま帰ってしまった。
「可哀そうに心配してらるなア」と、源右衛門は内儀を顧みて、矢張りニヤニヤしながら言った。文吾は
呆気ないような気もしたが、色事の二字を、仔細に胸の裡で考えつつ、また風のように源右衛門の家を飛び出すと、先廻りして母よりもずっと早く自分の家へ戻り着くなり、元の様子で旅支度のものを
弄っていた。
そうして、翌日の出立に、源右衛門の家の勢揃いへ真ッ先に行ったのは文吾で、白衣の脚絆甲掛けの姿が可愛らしかった。
「妙じゃ、妙じゃ、妙ちきりんじゃ。あれ見い、子供の伊勢参り……」と、道中のどこでも
囃し立てるように呼ばれた。全くその頃この土地では、お蔭参りの時のほか、子供の伊勢参宮が、それほど珍らしかったのである。伊勢参りということが、妙な意味に取られる伊賀あたりの風儀であった。
最終更新日 2005年10月13日 21時00分26秒
上司小剣「石川五右衛門の生立」十四
伊勢参りから帰った文吾は、小さい身体が急にめきめきと、
筍のように伸びるような気がした、
「俺はもう子供ではないそ」と、人に向って威張りたくなった。
「あの
坊んち、どないしまんね。
殺生なことしやはって……」と、古市の
油屋で、先達の源右衛門が赤い前垂の女に叱られるような物の言いようをされているのを、文吾は恐ろしいような、
可笑しいような気持ちで聞いたのであった。
「何んでもええ、店の法通りにしてくれ」と、旅慣れた源右衛門も、少し困った風で、役人の前へでも出たという形をして言った。六人の同行は、そら来たとばかり、待っていたらしい顔をして、面白そうに眺めていた。
やがて文吾ただ一人のところへ、
衣摺れの音とともに現われたのは、母を少し若くしたほどの女であった。
「坊んち、泣かんように、よう遊びなはれや」
その女は、前で結んだ美しい帯を、白い手で撫でながら、こう言って、
莞爾と笑った。その顔には小皺が多くて、ツンと高い鼻の側面に一かたまりの
菊石が、つくねたようになっていた。その菊石の上の
白粉は殊に濃くて、美しい帯を撫でている手の甲にも白粉の痕が見られた。
白粉の化け物! そう思って文吾は、睨むようにその女を見詰めた。そうして、一つ驚かしてやろうかと考えてみたりした。
「坊んち、何んにも怖いことあれへん。わたしがよう遊ばしたげるがな。……何んぞ
手遊品持って来たらよかったなア」と言って、女が
四辺を見廻しているうちに、文吾は例の忍び足の法で、突然女の前から姿を隠した。
「ああ、坊んち、どこへ行かはった」と、女は白粉の顔をあげて、きょろきょろした。文吾が隅の
屏風のところから、ぺちゃぺちゃと手を叩くと、女もぽんぽん手を
拍った。文吾の手はよく鳴らないが、女の手は表へ聞えるほど朗らかに響いた。
「そんな手の鳴らしようではあかん」と言いさま、女は文吾に飛びかかって、その手を自分の手に持ち添えつつ鳴らそうとしたが、四つの手が一つになると、とてもうまくは行かなかった。
「この子、妙なことをする子やなア、気味がわるい」と言って、女の手は固く文吾の手を握った。それを振り離して、火桶の縁を一つトンと叩くと、文吾の姿は、また女の眼から消えてしまった。
「ボン、ボン。ボン。……」
今度は女の方から、
迷子でも探すようにして、一層朗らかに手を拍った。
「ペチャ、ペチャ、ペチャ。……」
文吾の小さな手は、女の直ぐ前へ、小兎が餅でも
搗くような音を立てたと思うと、その呑まれたように大きな丹前を着た姿が、元の通り火桶を前にして坐っていた。
「この子はまあ、可愛らしいと思うてたら、怖いらしいわえ。……」と、女はさもさも感心したように言った。
その頃ポルトガル国から初めて渡って来たタバコというものの
烟りを、大きな灰皿の附いた管で、ズバズバ吸うことを、この古市あたりの女は少しずつやっていた。伊賀の奥から出て来た文吾は、それが珍らしくて、女に教わり教わり、火を
点けて貰ったのを、一口吸い込んだが、厭やにいがらっぽくて、眼を白黒にして
咽せ返った。女はよく鳴る手を拍って笑いこけた。
「さいぜんの
敵打ちや、あんたは伊賀の
山椒売りの子や思うて、
侮ってたら、えらいことしなはったなア。そやけど、タバコには降参だすやろ、
兜脱ぎなはれ」と言い言い、女は文吾に摺り寄って来た。
「わっはははは……」
次の間に大きな笑い声が聞えたのは、源右衛門を始め、同行の若い衆たちで、先刻から様子如仲にと、次の間へ来て窺っていたのであるが、襖の隙から覗いたものが、こらえ兼ねて大きな声で笑い出したのに和して、五六人かどつと一時に笑った。
羞しいということを、文吾はその時初めて知った。今までの恥しいという心持ちとはまるで異った羞しさ! そんなものがこの世にあることを少しも知らなかったのだから、全く文吾には或る世界の夜が明けたようなものであった。
浮世の夜はだんだん更けて行くのに、文吾の夜は明けかかった。まだ固い寒梅の
蕾が一夜の南風に
綻び初めるようなものであった。
「おうい、邪魔すなやい。後家さんに頼まれて来たことがあるんじゃ」
酔いしれた源右衛門の千鳥足が、広い廊下に響いて、文吾の小さな座敷を覗く同行たちを叱り飛ばす声が聞えた。
ほんとうに浮世の夜が明けるのは、秋のこととて、長いことであった。それを長いとも短いとも、文吾は一切夢であった。浮世の夜が明けて、文吾の夜も全く明けた。文吾はただぼんやりしていた。その小さい背中をば、女が軽く叩いた。
「何考えてなはる、坊んち」と言った声は、文吾の耳に
滲みた。
「山吹さん……」と、文吾は大人のする大きな枕に押し付けていた耳へ、よく覚え込んでいた女の名を改めて呼んでみたが、何も言うことはなかった。
「はい……」
「……」
「何んです。……何んとか言うとくなはれ」
今日はもう山吹に別れなければならないのかと、文吾の悲しんでいるところへ、源右衛門は
頓に若返った五十
面を、朝酒にほんのりさせて、入って来た。
「石川の坊んち、今日も
流連や、幸い雨になりそうで、結構なこっちゃ」と、丹前姿で突っ立ったまま言った。
「おお、嬉しい……」と、山吹が
魁けて
欣んだ。流連の意味が文吾にはよく解らなかったけれど、雨が結構じやと言った源右衛門の言葉と、女の嬉しそうな顔とから推し測って、文吾もぞくぞくと嬉しかった。
最終更新日 2005年10月13日 21時02分37秒
上司小剣「石川五右衛門の生立」十五
古市二日という村の伊勢参りの
掟を破って、三日も流連したので、口取りの狂いは
後の道中で取り返すから、下向の迎いを平井明神の境内に待ち
惚けさせる心配はないが、苦労なのは、めいめいの
懐中であった。源右衛門は、講の積み金を持って出たのだけれど、それは今までの
旅籠賃と、
御師への礼物と、
大神楽の奉納とに、あらかた使いはたして、いくらも残ってはいない。
どうしてもこれは、村から呼び
金をするよりほかはないが、その使いには誰が立つ。
同行八人が一室に集り、女を
退けての評定が、三日目の
辰の
刻に始まった。伊勢から伊賀へほんの隣り国ではあるけれど、古市は東南へ寄っているので、達者な足で、
久居から
林へ抜けて、
上野へ出ても、一日ではとても行かれない。二十里あまりの道程を、往復七日がかりの参宮は、気楽過ぎる道中だが、今日往って明日金を持って
復るというのは、少しむずかし過ぎるので、誰も彼も、この使いは尻込みするのが当然であった。
そういう時には、きっと
籤にしようということになるのを、この時は小さい文吾が言い出すまで、皆忘れていた。
「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」なぞと、
呟きながら、源右衛門だけを抜きにして、源右衛門が籤を
拵えた。一番長いのを
抽いたものが、金の使いに立つという定めになった。
「なんぼ先達でも、源右衛門さんが抜けるのは、
ちっとすこいなあ、源右衛門さんを入れて、文吾はんを抜いたらええ」と、言い出したものがあった。
「なるほどそうじゃ。こんなもん籤に当ったかて、使いに行かれへん。よしんば行けても、金の工面が出けえへん」と、
合槌を打つものがあった時、文吾はカッと怒った。
「こんなもん……とは、何んじゃい。使いに行かれんか、金が出けんか、やらしてみてから言え、くそ垂れめが」と叫んだ文吾の小さい口からは、火を吐きそうで、唇は真ッ赤に燃えたようであった。
「
俺はもう大人じゃぞ」
更にこう文吾が叫んだ時、一同は噴き出した。文吾にくそ垂れめがと
罵られたものも、共に笑っていた。
「籤なんぞ引かんかて、
俺がその使いしたる」と、文吾はいよいよ威丈高になった。
「まアまア」と、源右衛門は、さながら若い主人を
宥める家老のようにして、文吾のいきり立つのを押えながら、最初の定めの通り籤親の自分だけが抜けて、一同に
紙捻の籤を抽かした。
「どうれ、
俺が一番長いのを引いて、使いにいたろ。金もドッサリ持って
来たるぞ」と、文吾は一晩のうちに声変りがしたのか、大人のような調子で言って、真ッ先に源右衛門の
節くれ立った手にある白く細い籤を
摘んだ。
文吾には、どの紙捻が一番長くて、どれが短いということがよく分っていた。どういうもので分るか、それは文吾も知らないが、とにかく、源右衛門の汚い握り
拳を透いて、中の紙捻が、ギヤマンの鉢に浮く
慈姑の根のように見えていた。
七人の親指と食指とが、皆源右衛門の拳の上に集ったところで、源右衛門は「よしか」と一声、パッと指を開くと、七つの手に一本ずつ紙捻がブラ下がった。比べて見ると、なるほど文吾のが一番長かった。
「さア、
俺が使いに行く。金もドッサリ持って来てやるぞ」と言うなり、文吾は山吹の部屋へと長い廊下を躍る風にして行った。後に七人は、金魚が水を吐くように、ぽかんとして、顔を見合わせていた。
暫くしてから、源右衛門が、気がかりでたまらないという顔をして、山吹の部屋へ来た時、源右衛門の眼には、女がただ一人立て膝をして、長い
煙管の瀬戸物の吸口から、
頻りに烟を吸っているだけしか見えなかった。
「坊んちはもうお立ちだしたで。なんやら急な用やいうて」と、白粉の
斑になった口元に微笑を寄せつつ、女は言った。その
背後の屏風の蔭に文吾の立っているのを知らずに、源右衛門はいよいよ心配そうな顔をして、腕組みをしながら、山吹の部屋を出て行った。朝酒もスッカリ
醒めたらしく、舌を吐いて文吾の覗く丹前の後姿を、松風が冷たく撫でていた。
「バア」
広い廊下を己れの部屋へ入った源右衛門の後姿を見届けてから、文吾は山吹にこう言った。
「
可愛うて、仕様のない子やなア」と、山吹は溜息とともに、撫で肩を
窄めつつ言って、
莞爾と笑った。
最終更新日 2005年10月13日 21時17分14秒
上司小剣「石川五右衛門の生立」十六(終)
日が暮れかかる頃、文吾は、源右衛門を始め、同行のものにはもとより、広くて多い油屋中の男女にも余り知られないように、忍び足の法で往来へ出ると、直ぐ他の
遊女屋へ入って行った。廊下や部屋の様子は、油屋で呑み込めていたから、ズンズン入ったり廻ったりして、鏡台や
手匣の類を
撥き探した。忍び足の法が、こんなにまで人に気付かれないで、役に立つものかということは、文吾自身にさえ驚かるるほどであった。人が来れば、壁……襖……屏風……何んでも、有り合わしたものに寄り添うてさえいれば、それで先方は気付かずに行く。壁に近付けば壁と同じようになるし、襖にぴったり
身体を押し付けていれば襖の絵にでも見えるのか。曲折のある屏風は身を忍ぶのに最も屈強のものであった。
しかし、いくら部屋部屋を探し歩いても、お金を貰うことが出来なかった。仕方がないから、
珊瑚珠、
碼瑙、
水晶なんぞ、玉ばかりを多く貰って、お金はほんの少しばかり、これでは足りないであろうと思いながら、油屋へ戻って来た。部屋に入って見ると、山吹はいなかったから貰って来たものを残らず出して、畳の上へ並べて見た。
文吾の心には、貰うということと、盗むということとの間に、
隔ての障子が立てられていなかった。村で御所柿を貰う時からそう思っている。人間が
尠うて品物は多い。人間が
殖えて行くよりも品物の殖える方が早い。欲しいというものが皆貰えたら、だれも欲しがるものはない。そうしないで、こんなところに珊瑚や瑪瑙を、五つも六つも隠して置くから、持っていないものが欲しがるのだ。まあこれを皆貰うて行けと、
懐中へ押し込んだ時、肌が
冷りとした。
待てよ、こんな玉は貰うても喰えない。肌に着けたとて、何んの薬にもなるものではない。それをどうして人が欲しがるのか。文吾の智慧はなかなか急にその訳を考え付くことが出来なかった。
ああ分った。こんな美しい玉は、柿や栗や米や麦や粟のように、そうドッサリあるものではない。世界中にあるのを、海の底に生えているのまで、皆持って来たら、
総ての人に一つ
宛こんな珊瑚の玉一つぐらい行き渡らんこともあるまいが、誰も皆持っていては値打ちがない。同じように
裸体で生れて来た人間に、外から値打ちを付けようと思うて、こんな玉を拵えよった。そうして態とその数を尠うして、誰でも手に入れることが出来ないようにして置く。
狡猾い奴じゃ。こんなものは、貰うてやるに限る。
紺屋の職人がどうにでもして勝手に染められる色にさえ値打ちを付けて、光明寺の和尚さんはまだ赤い
法衣が着られないと言っていた。
阿呆め、物の色はお
天道さまの光で、いろいろに見えるのだ、人間の眼の加減で、赤いとか青いとか紫だとかになるまでじゃ。そこにこれは
俺の色だ。ほかのものは赤い法衣を着ることならんというのじゃもの。人の物とか我の物とかいうのは、一番分らん話じゃ。赤い色は許さぬそよと威張ってみても、御所柿の実が自然に赤く染まるのを、将軍様だってどうすることも出来ぬじゃないか。
烏瓜の実は大僧正の
緋ごろもよりも赤いじゃないか。阿呆め。
駒鳥の胸は、御領主様の
緋縅の
鎧よりも綺麗じゃぞ。
御領王の富田様から、お
布令が出た。あのお布令というものが、自体気に喰わぬ。
村総体を一つの同じお布令で
縛ろうとしても、太いものがあったり、細いものがあったりして、工合よ
う行くものか。人間一人にお布令一つ
宛別々でなけりゃ、
ほんとには行かん。
ほんとと言っても御領主様の役人が考
えているほんとは、
ほんとのほんとじゃない。
俺を叱るお布令と源右衛門さんを叱るお布令と同じことでは、キッシリ行くものか。源右衛門さんにはお内儀があって子を産んだらお芽出とうと人が祝うけれど、光明寺の和尚さんが、女子を引っ張り込むのは
極内じや。
煮売屋の肥えた娘のことは、
俺のほかにまだ誰も村で知るものがないけれど、あれが和尚さんの子を生んで、もしそれが知れたら、えらい目に遭うのは和尚さんであろう。同じことをしても、源右衛門さんなら芽出とうて、和尚さんなら悪い、という理屈が立つなら、御領主のお布令は、村方の人間一人一人別々に、一つ宛拵えて貰わねばならぬという理屈も立つ。
人間が誰でも踏んで歩けて、
蚯蚓やけらが自由に棲んでいる土地へ、勝手に縄張りをして、これは俺のものじゃ、と言っているのも可笑しいが、海の底から抜いて来たものを、こんな玉にして、これは俺のじゃ、俺よりほかにこんな見事なのは滅多に持っているものがないそ、
とひけらか呆じゃ。
こんなことを、文吾は独りで考えながら、大きな赤い玉を一つ取って、畳の上へころころと転がしてみた。
その時廊下に、山吹らしい足音が、バタバタと響いたので、文吾は
周章てて、数々の珠玉を押し隠しながら、
「俺は矢ッ張り、悪いことをしたのかなア……」と思って、胸を抱いた。
廊下の足音は山吹でなくて、源右衛門さんであった。あんまり心配して、歩きつきがひょろひょろと女のようになっていた。
「もう、いておいなはったのか」と、源右衛門さんは驚きの眼を
瞠った。
「もう、いて来ました……お金はこれだけ、これは家の
阿母さんに貰うて来ました。売ってお金にして、余ったのを持って戻れというてだした」と、文吾は平気な顔をしてお金と玉とを出した。
源右衛門を始め、同行は皆どうも怪しいと思ったけれど、さて文吾がどうして金と玉とを手に人れたか、見当の付けようもなかった。そうして、背に腹はかえられぬので、数々の珠玉を源右衛門が
松坂の町へ持って行って、お金に換えて来た。その金は油屋の支払いをして、まだドッサリ余った。それが皆文吾の
懐中に入った。
翌朝の出立に、文吾は突然、「あッ痛ッたたたたッ」と腹を押さえて、山吹の膝に倒れかかってしまった。
八人の同勢が七人になって、村へ下向の途に就いた。
(終)
最終更新日 2005年10月14日 01時24分37秒