林春隆「『新撰豆腐百珍』の序」

『新撰豆腐百珍』の序
 朝起三文の徳は、ひとり豆腐屋ばかりではない。その引臼の目まぐるしい世の中、とかくゆき詰りの多い生活に、お惣菜の豆腐は、独人参という忠臣蔵の芝居と共に、新味の転向に気の利いたものとされる。女房のない世帯は締りがないと門左の小言も、惣菜にこの豆腐の欠けたと同じ道理ではあるまいか。
 酒屋へ三里豆腐屋へ二里も古い文句なれど、日に三千丈のすりこ木を食い減らす都会人も、豆腐屋の声に明けて、豆腐屋の声に暮れる、所詮日本は豆腐の国民である。
 貴賤貧富を問わず、誰れにも好かれる、此君一日も無かるべからず。酢豆腐連の口の端にかかるも、車座の奴豆腐にひやかされるも、後朝(きぬぎぬ)の湯豆腐に首尾をまぎらし、凝って硬ばらず、柔にしてよく強を制するは、二本ざしの祗園の昔、下卑たれども目川菜飯の田楽には五十三次の疲労(くたびれ)を忘れた。
 花の下、紅葉の影、月雪のむしろ、やごとなき雲の上にも、澄み渡る月しろ豆腐の、うき世に染まぬ色をめでて、解けやすき笹の雪のいさぎよく、栄耀に豆腐の皮を剥かんよりも、淡くして十分の慾をねがわず、八杯豆腐のたることをしるに及かざらめやはという。
 幸におかべの耳学問に聞流しなく、此一編世に発售して後ち、看る人試みに手俎板の庖丁刀にかけて、絹漉しの肌に花かつおの香を添え、おだ巻の三輪の里、豆腐の御用とおもとめの程を、くりかえして冀うのみ。
昭和十年仲夏
洛南黄檗
白雲菴主人識



最終更新日 2005年09月06日 01時09分52秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「緒言」

緒言
豆腐
 天明の頃、大阪の酔狂道人「豆腐百珍」を著わしてより、その料理書十指を数えるほどあるも、皆ただ佳名を択びて、いわゆる酢豆腐連の弄いとなるに過ぎなかった。おのれ洛南に住みて宇水の流れを汲み、茶に親しみ酒に楽しみ、年久しく朝夕豆腐の箸をはなさないほど、そのものを嗜好しつつ、豆腐料理の名あるものを書きあつめ、折にふれて自ら調理して人にも(すす)めて来たのであった。
 その種品、数百にも上るであろうが、古今を通じて雅なるもあり、俗なるもあり、美味ならざる、濫美なるもあるべしとおもう。それを「いろは順」に書き列ねて、その間に豆腐の由来とその文献を散見のまま編みこみつつ、食ってその味と趣を知らんと、俗務のかたわらこの一冊をなしたものである。



最終更新日 2005年09月06日 01時12分09秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「由来」

由来
 豆腐の起原は多く漢籍によって伝えられ、わが国ではようやく室町時代から豆腐の名が書に載せられた。平安奠都の時に東西に設けられた市場にもまだ豆腐廛はなく、天文の頃に至って豆腐売りの商估(しようこ)が出来て、元禄年間には焼豆腐売りの名がある。しかし、「七十一番職人画歌合」(土佐光信筆、永正年間)には、
      宇治豆腐
   恋すれば苦しかりけり宇治豆腐
      まめ人の名をいかで取るべし
 その頃、既に好色な男を、箸まめと称したものであった。また同書の四十三番に、
      豆腐売り
   ふるさとはかべのとたえにならとうふ
      しろきは月のそむけさりけり
 とある。それを菱川師宣が「和国諸職絵巻」(元禄八年版)に今様に描いて傍書に「とうふめせ奈良よりのぼりて候」とある。これを以て見ると、室町時代の末に奈良より京都へ行商に来たものとおもわれる。連歌師柴屋軒宗長が、大永六年の初秋に白河の故関に遊行した時の日記「東路の(つと)」に、「豆腐をやきて一盃すすめしは、都の柳もいかでおよぶべからんとそ、興に入り侍りし云々」とある。当時酒は河内の天野と、大和の柳にて製したものを上酒としたからで、豆腐の佳味にかかる田舎酒も都の柳(酒の異名)に(まさ)ると賞美した詞である。また宗長の手記下巻十二月の条に、「夜もふけ炉辺にひざならべ田楽とうふの盃たびかさなりて云々」、その上巻に、越年は薪酬恩菴傍捨蜜下炉辺六七人あつまりて、田楽の味噌ついで俳諧たび/\に「あすの汁玉かぎりなるあらめ哉」云々などもあって、これより先の書に、運歩色葉集、撮壊記、新撰類聚往来、下学集等にも、豆腐の記事は載せられてある。これらの書はいずれも永正、天文の頃に行われた書で、ほとんど五百数十年以前のものである。
 世に豆腐の伝来を、豊臣氏征韓の時、兵糧奉行岡部治部右衛門が朝鮮より伝来したので、岡部じぶの異名をつけたというが、豆腐をおかべということは、文亀板の「饅頭屋節用」に、豆腐白壁とある。またそれより古い長享二年の奥書ある「海人藻芥」に、飯は供御、酒は九献、餅はかちん、味噌はおむし、塩はしろもの、豆腐はかべ、素麺はほそもの、松茸はまつ、鯉はこもじ、鮒はふもじ云々とある。また「上臈名事」の女房詞に、とうふ、しろ物、かべともある、この書は室町期のもので、「職人画歌合」と同じ頃のものである。
 おもうに朝鮮の伝来説は、陣中で豆腐の異名に似た岡部治部というより、岡部の名を取って、さらに豆腐を治部と異名したものと見える。また豆腐を六弥太というも同じ意味で、岡部六弥太の名から取った異名に過ぎないが、それらは再考を俟つ。「東海道名所記」にも、
   焼豆腐今一しほに味ぞよき
       名さへおかべの宿とおもへば
 これは岡部の宿を読んだものである。またある説に豆腐を壁というは、本居宣長が名づけたというが、それは翁が稲掛昭隆のために、その家業の豆腐屋なるに雅名を(えら)びて「みかべの詞と又その長歌」をものして遣わされたのが、誤って伝えられたのである。左に掲ぐ。
    稲掛昭隆が家の業のみかべの詞又其長歌                本居宣長
いなかけのあき隆の子が、遠つおやのよゝり、いへのなりと造りてうるものはも、まめをひたしてほとばして、うすにすりて、しぼりてにて、おしかためてなせる物、あたひやすくていやしからず、あぢはひあはくてみやびたれば、月に日にけにいやめづらに、くさ/\゛にとゝのへて、高きみじかき人みなの、朝な夕なとめでくふ物なり。こゝに昭隆が父なる棟隆は、としごろ思ひわたらくば、此物よ、みやび名の声えこずて、よにあやしきから名をのみよびあへるこそ、いともふさはね、いかでよき名をあらせてしがと、とき/\に云ひも出でつゝ、うれふなりときゝて、おのれはたうべなりと思ふに、いでやちかきよのならひ、物の名つくるに、花や雪やとなまめきたるすぢを、わざとえり出たるも、ことさらびて、中々におむかしからず、たゞ何とはなしに、ふるめきたるこそ、みやびてはあれと、かにかくに思ひめぐらして、かのしらにもてぬりたるものを、思ひよせたる、をみな言葉を、いにしへざまにいひなして、みかべとよばば、いかにあらむと棟隆にしかたらへば、それいとよけむと、手うちてめではどばしる時に、我もともどもうちあげうたへる、そのうたは、たふときや、大げつひめの、神の大御身よ、あやしくも、なり出しまめの、そのまめの、とけてこゞりて、山川の、いはもと乂うに、おちたぎつ、たぎのみあわの、たへに穂に、なれる御かべは、ときじくに、七重花さく、八重花さく。
 これらの諸書によっても、豆腐は既に鎌倉時代に、宋僧の帰化と共に将来されたもので、遠くは奈良朝に伝わり、それが室町時代になって諸種の料理の発達するに伴い、豆腐の製造、調理などが大いに進歩したもので、ことに水質の佳良なる土地で、いわゆる淮南の佳品を産出したのであろう。



最終更新日 2005年09月06日 09時49分01秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「名称」

 支那では今も豆腐の製法を、水豆腐、臭豆腐、鹵豆腐の三種に分けてある。水豆腐はわが豆腐に同じで、これを凝固するに石膏を用い、臭豆腐は多少水を蒸発させて、藁を敷いた箱に入れて二三日放置して(かび)を生ぜさせたものである。鹵豆腐は臭豆腐をさらに一週間天日に乾して、瓶に入れて酒と塩とを加えた上、密封して六七ヵ月も放置したものである。これで豆腐の名も如実に表わされて「品字箋」に、「俗、麻豆之経レ磨者名レ腐、亦取二敗爛之義一」という義に適うのである。豆を水に浸してふやかすということを腐らすといって、豆腐の名が生じたのであろう。
 豆腐の滋養成分は荳素(レグミン)、すなわち哺乳動物の乳汁中にある蛋白質と同じく、牛乳を沸騰させるとその表面に生ずる皮膜、と同じ植物性蛋白質が、大豆、小豆などの豆類中に、多量に存在するものを、豆腐は主としてこれを苦汁にて凝固させるのである。支那では白豆の外の豆腐も用うると見えて「福唐博物略志」に、「荳腐之法、始二於漢淮南王劉安一、白黒緑荳皆可レ為レ之」とある。ここに村瀬栲亭の「〓苑日渉」を引いて諸説を綜合する。
豆〓、黎祁、菽乳、豆乳、菽腐、脂酥、小宰羊、淮南佳品、豆腐也。又直に腐といふ、豆といふ、其品則ち〓腐、啜菽、豆腐羹、河枢粥、東坡豆腐あり。唐書張孝忠伝曰、貞元二年、河北蝗あり、民の餓死積が如し、孝忠其下と粗淡を同うす、日膳裁かに豆〓のみ。〓音策、韻会曰、磨豆也、陸游詩曰、〓を洗ひ黎祁を煮る、注黎祁、蜀人以て豆腐と名づく。表異録、又菽乳と名づく。錦字箋日、晋人其名雅ならざるを以て、改て菽乳といふ。天禄識余曰、豆腐、淮南王劉安造る、又黎祁と名づく。

朱晦菴豆腐詩曰
  種レ豆豆苗稀  力竭心已腐
  早知二淮南術一  安坐獲二泉布一
注曰、世に伝ふ豆腐本淮安術。

李杲食物本草曰、説者以為く淮南王に始る、然とも菽を啜り水を飲むこと、聖経に見え古これあり。類書纂要曰、淮南王名安、始めて豆を磨し、乳脂と為す、之を名づけて荳腐といふ。品字箋曰、俗麻豆の磨を経たるものを腐と名づく、敗爛の義。事物異名曰、豆腐一名豆乳、又淮南佳品と名づく、淮南王劉安の造る所を以て之に名づく。洪舜兪平斎集、歯を病むの詩曰、菽腐柔く挾を趁る、粟糜滑流レ匕。蘇軾詩、煮レ豆為レ乳脂為レ酥、註、豆腐といふ也。通雅曰、豆乳、脂酥、即豆腐也。物性志曰、豆を以て腐と為す、淮南王より伝ふ、豆を以て乳と為し、脂を酥となす。唐宋本草止、豆黄巻あり、乃生豆を以て牙蘖を為す也、宋時之を称す。按老学庵筆記、仲殊長老性蜜を嗜み、豆腐麪〓牛乳皆蜜漬にす、東坡為に安州老人食蜜の歌を作る。清異録曰、時に〓青陽丞と為る、己に潔く民に勤む、肉味を給せず、日に豆腐数個を市ふ、邑人豆腐を呼びて、小宰羊と為す、夂単に腐を称する者あり。

東軒主人、述異記、磨腐を以て業と為し、売腐を以て業と為す。虞初新志、周亮工、姜次生印章前に書曰、橋側餅師腐家。佩文韻府、李廷飛延寿の書を引て曰く、人あり好て豆腐を食ふ、毒に中る、医能く治することなし、腐家言を作し、莱〓を湯中に入る則腐成らず、遂に莱〓湯を以て薬を下す、而して愈ゆるの類是なり、又単に豆と称する者あり。老学庵筆記曰、嘉興の人聞人茂徳名は滋、老儒也、喜て客を留て食せしむ、然蔬豆に過さるのみ、郡人館客を求むる者、多く就て之を謀る、夊多く書を蓄ふ、自ら言ふ門客牙を作り、書籍行に充つ、豆腐羹店を開き、予少時、之と与に勅局に在り、刪定官たり、経義を談し、滾々倦まず、発明極て多し。

范至能詩曰、浙米珠の如し豆羹に和す。物類相感志曰 豆油豆腐を煎る味あり、皆豆腐羮也。蓬槞夜話曰、歙人工に腐〓を製す、皆紫石細稜、一具直二三金、蓋硯材なり、菽磨を受絶膩滑無レ滓、煮食塩〓を用ひず自然の甘あり。

箸山一老王姓、砂鍋を以て腐を坑く、片と成して之を鬻ぐ、味独り勝る。相伝ふ許文懿公、中書に在り、意を得ず遇す、輒ち其筆を投じて日、人生幾何時か、乃ち吾郷航腐を舎て、而して煤火肉を食ふや、人因て之を目して、許国公投筆となす、歙地侈者大盍を以て腐を淪す、而して雑珍其中に錯ゆ、一盍の費千銭に至る者あり、是直に腐を以て名となすのみ、許公好む所に非ず。

虞初新志、鈕瑳人觚日、須臾に枯魚焦腐二籃を供す、焦腐即ち坑腐(割註、此を焼豆腐といふ)。類書纂要、豆炙あり、蓋今の豆腐串(割註、此を豆腐甸伽窟といふ)。蔬食譜、啜菽あり、註日、菽は豆也、今豆腐条切淡煮、醺五味を以てす、此を即俗に呼ぶ温淘(うどん)豆腐となす者これ也。

建陽県志 豆腐乾あり、註日、文公詩あり註日、本乃ち淮南王の術、而して腐乾本色のもの佳、他処に異り(割註、豆腐乾此を唯窟舌烏といふ)山家の清供、河枢粥あり、日、乾魚を取て浸洗細截し米と同じく煮、醤料を入れ、胡椒を加ふ、言能く、頭風を愈す、適、陳琳之檄あり、亦豆腐を雑へて之をなす者あり。
鶏跖集云、武夷君、河枢脯を食ふ、乾魚なり。因て之に名つく(割註、事言要玄引諸山記日河祗脯即乾魚也遵生八牋有河祗粥法同河枢)今豆腐醤料を以て米と同じく煮る、或は鶏蛋及堅魚削脯を加ふ、之を豆腐雑炊
といふ、亦河枢粥の類也、清供又東坡豆腐あり、豆腐葱油炒、酒を用ひ、小榧r一二十枚を研き醤料を和し同じく煮、又方、純酒を以て煮る倶に益あり。

○豆腐皮一名腐衣(行厨集) 一名腐皮(類書纂要) 一名豆腐脳(正音) 本草綱目曰、豆腐缸面上凝結者、掲取膜乾、豆腐皮と名つく、之を由薄と云ふ。

○雪花菜、此を貯霈発那といふ、花史左編日、豆磨腐を経て其屑尚ほ蔬と作べし、持斎者号して雪花菜となす、郷談、豆滓といふ、正者豆籾といふ。
按に農圃六書、安楽菜あり、曰く、茄一名落蘇、其蔕を剥取り、風に乾し、歳朝菜に和して煮食す、安楽菜と名つく、今此方人亦よく之を為す、蓋雪花安楽の二菜、秋冬の間、以て藜蕾に代ふべし、其名を命ず尤も味あり、仍て茲に附記す。

○次に田中楽美の大阪繁昌詩註にも亦豆腐の異名を載せたり、因て此に掲く、
楽美按、類書纂要日、淮南王名安、始豆を磨し乳脂となす、之を名て荳腐といふ、錦字箋日、晋人其名の雅ならざるを以て改て菽乳といふ、天禄識余日、豆腐、淮南王劉安造、又黎祁と名く。(割註、陸放翁詩、洗融煮藜祁註黎祁蜀人以名豆腐)其余小宰羊(説略)軟玉(蘇長公外集)菽腐(平斎集)乳腐(清異集)淮南
術(留書新集)淮南佳品異名(割註、事物異名録余名金字編)老学庵草記日、豆腐羹店を開く、物類相感志、田楽。

〇葛子琴御風集 載豆腐匕律
 桂叢人去術愈精、修用般々炙或烹、花裡旗亭春二月、松間香到夜三更、斑々玳瑁紅炉色、隠々雷霆鉄鼎声、今日王公疎二澹泊画却歓方璧不二連城一

〇詩仏豆腐七律の後聯
 寒竈元伝烹レ雪術、風炉重試炙レ氷方
この外、和漢の諸説は逐次巻中の挿話として加う。



最終更新日 2005年09月11日 21時14分54秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「三都の豆腐」

三都の豆腐
 ここに京、大阪、江戸の三都における豆腐の流布したことを、諸書に拠って概略かかげて見るも、また当時の風俗を知るに足るであろう。
 今の料理屋の前身は奈良茶漬、水茶屋、豆腐茶屋であったことは言うまでもないが、まず豆腐料理の発祥地ともいうべきは、その豆腐のような碁盤目の京の市街の、すでに豆腐の都であって、ことに祗園豆腐の名によって喧伝された。ここに、その蜩菴神沢貞幹の著わした「翁草」にある一節を抜いて、当時の祗園二軒茶屋を語ろう。この著者は京都町奉行与力の職にあって、その観察の(つぶ)さなるはもとより、最もよく人情を穿ってある。
 祗園の梶はしらず、後の百合は我れも知れり、大雅が妻玉蘭が母なり、是が話に大石内蔵之助は、腰より下の短き不男にて、常に此あたりをのらつきして、人笑ひて赤穂の家老々々と指さしける。其比まで初春二軒茶屋へむれ来る人へは、二軒茶屋の女房娘など粧ひかざり、島台蓬葉やうの物を持参して、熨斗昆布を挾み、春の佳儀を述べぬ。又総じて牀几毎に枕を出し置ぎしが、今は其事なし。二軒茶屋はいつ出来しや、其始はしらず、今は都のかざりと成て、鄙人に是を知らぬはなし。自余の茶屋に替りて、裏は行抜けなれぽ、風来の客飽迄酒飯をと瓦のへ、物好みなどして価置かずに、裏より抜帰る悪党多し。それだにあるに、家具吸物椀小盃やうの物を取て帰る、年々右の器の不足を拵へる事夥しとかや、其取しまりなぎ故に、年々の損失も幾くか知れねど、諸国へ知られたる商の手広さに、さやうの小細なる損は厭はずとなん。二軒の東の中村屋は良き客多く栄え、西の藤屋は衰へしが、夊西の賑ふ折もあり、中村屋藤屋と名は通れど、其株売買に成て、幾度か持主の替り今はいか父あらんか。
 これは天明頃のことにて今より百四十年前で、西の藤屋は明治の末まであって私も中食したことがある。その後大和の竹原某の別荘となったが、東の中村屋は現在も盛業して縉紳向の大割烹屋である。この家に今も古い仲居で一人豆腐の曲切りを昔振りにやるものがいるが、元この家で製した有名な祗園豆腐は、とうふを細く切って串にさし、少し焼いて味噌の稀汁(今いう溜醤油)を以て、これを煮て獄粉(  油)を以て、これを煮て獄粉(京阪ではったい粉をその上にかけたものである。この水茶屋は後に料理茶屋となって、豆腐田楽を名物とした、京の四季という端唄にある祗園豆腐の二本さしというのがそれで、田楽も元は一本串で火を囲んで炉のへりの灰に立ててさしたて焼いたが、それを横にして焼くため二本串を用いるようになった。これでは田楽舞の形姿もなくなったわけである。またこの茶屋の仲居に金子一分与えると、豆腐を種々に曲切りにして見せたので、それが呼び物となって祗園豆腐の名は都下にうたわれた。
 また南禅寺豆腐も古い名物であった。
 明治の食通幸堂得知は、東京下谷の豆腐料理専門であった忍川の縁者でもあり、また豆腐の研究家であった。翁は曽て京の加茂川の水を東京へ持って帰って豆腐を作った話もある。
 またある書に「宝永の頃、我国名物老婆の豆腐、裏門の横北の方よこりといふ所に有」とある。その後、宮川町新南禅寺豆腐、北野衣棚味噌でんがく坂本屋など、その他諸所に名物豆腐が盛んであったことは明和安永頃の書に載せられてある。
 大阪の豆腐は古く、高津の大清湯どうふが最も有名でもあり、今も盛業しているが、これも世の多分に漏れず豆腐料理が専門でなくなった。この家は万治三年の創業にて「南水漫録」に次の記事がある。

高津湯豆腐
湯豆腐田楽は社内大清の名物とし、此社は地形高く大阪の市中より見上るゆへ世俗テツベイと呼ぶ、然るに今はテツベイといへば此大清へ行て湯どうふ喰ふ隠語のやうになりたり、しかし田楽は生玉の社内の古き名物にして貞享の頃などいと父繁昌せしと見えて色里夢想観に、新町橋西へ姫路屋五兵衛 生玉流たうふでんかく酒めんるい商売、「生玉の匂いほんのりと鼻をうたす所」と書けり、生玉の匂ひといへぽ豆腐の田楽と知らるエにても思ひやるぺし。

豆腐は大唐漢の世に淮南王といふ人はじめてこれをこしらへ其術日本にしらざりしに日本の軍兵(豊臣家征伐)の中に朝鮮より其術をならひ来り此国の重宝となり、洛東祗園婆が田楽、南禅寺の湯豆腐其外おぼろ揚豆腐など精進ものム最上となりて浪華の強飲家宿酒の時は朝まだきより此テツベイへ来ざるはなし。
 また湯とうふ屋で有名なのは北野太融寺の藤波亭、これも早く普通の料理屋となったが、宝暦、明和の頃、道頓堀に備前屋の湯とうふとて、名高くて美味な変った店があった。価は客五人を一座として金百匹也で、酒飯ともに湯豆腐一種なれど、幾椀とても加減を損ぜないのがこの家の特色として繁昌したが、これは安永の末頃に絶えた。
 また延宝の頃、大阪島の内三津寺町八幡前に家号を天王寺屋と称し、俗によごれ豆腐屋というのがあった。その異名は、友稼ぎの夫婦が油断もなく、髪かしらも構わず汚れたままに働いているからいつとなく人の噂になって、よごれ豆腐の評判が立った。この家で初めて半分の切豆腐を売り出し、また鏡豆腐と称して平皿形の丸豆腐を売り始めた。これは斎非時の調法に使われて大いに繁昌した。
 文政板の大阪名物番附にある豆腐屋は、大清湯豆腐、日本橋の雨蛤でんがく、南地の四季ゆどうふ、新清水の音羽屋田楽、高津の丸山、大和屋、北野太融寺湯豆腐、野田の藤屋でんがく、桜宮の岩国屋でんがくなどが挙げられている。
 江戸の豆腐は曲亭馬琴が「羈旅漫録」に書いた「祗園豆腐は、真崎の田楽に及ず、南禅寺豆腐は、江戸のあわ雪にもおとれり」と、端的に京の豆腐を評しているが、これは豆腐の質よりも量において、当時の江戸は豆腐食の都であって、江戸の食性は豆腐と初鰹であった。花柳を中心とした江戸の文華は、後朝の湯豆腐を礼讃して、真崎の田楽に新吉原を結びつけた。
 今もある根岸の笹の雪、上野不忍池のあげ出しなどが、昔あった淡雪豆腐の消え残った俤で、その頃の水茶屋と共に両国橋界隈は淡雪豆腐茶屋が軒を並べて流行したものと見え、川柳に、
   うち出しの頃淡雪は葛をねり
 というのがある。次の記事にて当時の風俗を偲ぽう。

淡雪豆腐(春波楼筆記)司馬江漢著、文政板
東都本所回向院の入口、左右淡雪豆腐の茶店、昼食せんとて爰に寄る、傍に卑賤の者二人酒を飲む、酒菜なし、予思ふに、元来酒菜と云ふは後世の事なり、今は酒菜数品、奢慢なる事を知るぺし。
○嬉遊笑覧(総鹿の子増補)に、淡雪豆腐両国橋東詰日野屋東次郎、享保の初浅草並木町西側にわつかなる豆腐有て初て製しけれぽ、人ももてはやさでいつしか跡なくなりぬ、其後湯島切通し山田屋権兵衛とこの日野屋同時に売初めいつれも繁昌せし中にも、日野やも稲荷の神感有てよりますく繁昌することをうらやみ、隣の土舟屋看板暖簾万の道具迄紛はしく拵らへ根元本家などと知らぬ人を欺く云々。

次に華蔵院豆腐と真崎田楽の記事を、二三の随筆から抄録して見よう。
華蔵院豆腐(柳亭記)天保板
華蔵院は下谷三線堀の北の門前町を七軒町といふ、こ玉に間口六七間にもあらん大家の豆腐屋ありて名高かりし事、文化の頃七十歳許りなる老人はよくおぼえて物がたる者ありしが、いぶかしき事は江戸鹿子(貞享)に、「豆腐屋、車坂けざうゐんどうふ」とあり、此寺車坂にありて此所へ後に移りしかとおもへぽ、華蔵院の旧記に、寛永中より当所なりとあり、若此豆腐屋の車坂にありし歟不レ知、続江戸砂子(享保二年)「華蔵院豆腐、形まんぢうの如し味常に勝れたり浅草華蔵院門前七軒町」と記したるは下谷浅草の堺にて向ひ側小島町は浅草なる故に誤りしなり、橋南(元禄末か宝永初めかたしかなる事を不γ知撰者沾徳或云佐州是亦くはしく考へ得ず)前、松がえ臨む池の恰好 序令」花盛こ玉も豆腐は華蔵院 嵐雪」前句を忍が岡と見なし、上野の花のこΣうにて附しやうにおもはる、されど車坂に見世のありしかかさねて可レ考。

後はむかし物語(手柄岡持著、享和板)
○真崎稲荷はやり出て、田楽茶屋の出来たるは、我二十一ご二歳(宝暦六七年)の頃なるべし。鳳岡先生の会日に其はなしを初て聞けり、江戸町の名主は先生の門人にて、其男が甲子屋と申す茶屋の田楽はよしと申也なとエ先生に語りしを聞けり。其後大に繁昌し青楼の婦人をいざなひて遊ぶ人も多かりき。向島の秋葉は今信仰薄くなりて淋しけれど、茶屋の賑ひは替らず、真崎は神威とともに茶屋もおとろへたり。真崎は手前の角若竹屋(後袖すりや)夂甲子屋、川口屋、玉屋、いね屋、仙石屋、きり屋(道を隔て)、八田屋などいつれも繁昌なりき。

墨水消夏録(蘭洲東秋騒著)
明暦大火後、浅草金竜山の門前に始て茶店に奈良茶飯、豆腐汁、煮染豆等をとムのへて奈良茶飯と名づけ出せしを、江戸市中端々よりも金竜山の奈良茶くひにゆかんと、殊の外珍らしくにぎはひし云々。

 この一編、はじめは随筆体に起稿したのであったが、記事の多くが豆腐料理に係わるゆえ、終に「いろは別」にして甚だ凡俗な料理書になってしもうた。しかし豆腐そのものは市隠の君子の如く、将亦(はたまた)辻地蔵の如く、よく道俗を能化し、雅俗の(りょ)として、和光同慶に交わり、魚に(あら)ず、蔬に非ずして、よく葷菜(くんさい)に和し、下戸上戸の間を斡旋して、お(さん)に親しみ、権助に愛さる。しかも一家の経済をととのえ、宿酔の腹加減を治し、雑煮餅の(のと)につまりしを通ず。(いわ)んや歯抜けに孝にして、病弱の人に忠なる、常に姑の心を和らげ、(たこ)食う歯の憂いをなからしめて、嫁女の(たす)けとなるにおいてをやである。
 しかし、この書世に行われて、ありし昔の豆腐全盛期に還元することあらば、著者が婆心も豆腐に(かすかい)ならず、きく人豆腐の耳を空にして、欠け徳利のきいた口を叩くことを、幸いに(とか)めたもうなと、このはし書に平伏してお頼み申す。



最終更新日 2005年09月08日 13時32分45秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「い之部」

    煎り豆腐
 生豆腐二丁をくずして、煎り鍋で酒を冠るくらい加えて、焦げ目のつくまで煎りつめ、醤油五勺をさして塩梅をしたもの。また胡桃(くるみ)油か胡麻(ごま)油を一勺ぐらい()しても作る。

 真の煎り豆腐 豆腐一丁の水気を去り、塩をふりかけ、暑中ならば六時間、冬ならば温度の高い場所に一昼夜置き、擱み崩して()立てた油の中で()ったもの。擦大根、唐辛(とうからし)、刻み(ねぎ)などを置く。

 炒り豆腐 豆腐を水と共に鍋に入れて湯煮して、布を敷いた(ざる)に上げて軽く水気をしぼり、これを鍋に移し、少量の煮出汁と砂糖と醤油とを加えて中火にかけ、杓子にてかきまぜっつ炒り付け、器に盛る。炒りLる時に玉子を()りこみて混ぜ合わすれば更に味よし。

 煎出(いりだし) 豆腐(煎りとうふの如くする)に好みの青物類を刻んで油で炒り、熱いうちに出す。三つ葉、(せり)、人参、牛蒡(こぼう)、蓮根など微塵切りにして加うもよし。

 煎り豆腐はさっと油にて揚げて三四時間ほど経て、水一、醤油一、酒三杯にて煮上げ、上にしょこ(、、、)を振りかけて出す。しょこは山の芋をよく湯煮してしばらく置き、水気を取って毛篩にてこして用う。


      板焦(いたやき)豆腐
 薄き杉の板に(ふき)味噌をべったりと塗り、その上に豆腐一rを平らに四つか五つ切りぐらい中絞りにして載せ、またその上に味噌を塗り、同じ形の杉板を上に載せて強火で焼き、板が焦げたらばまた板ながら裏返して焼き、上の板を取り去り、下の板を付けたまま皿にのせて出す。
 ○蕗味噌は(ふき)(とう)十二三を()でて()り、酒粕一合に赤味噌少し割り、胡桃を炒って皮を去ったものを大匙一杯ほど摺り交ぜた()めもの。辛いのを好む人は唐辛を少し加えて(っく)ったのが古法である。


      苛高(いらたか)豆腐
豆腐一丁を三角形を並べた如き形に切り、上へ葛粉をふりかけ、しばらく置いて茹でたもの。


      今出川豆腐
 今出川大納言江戸へ下向の時、歯のなき翁なりしため、この料理を出されしよりいう。
 豆腐一丁を四角または蒲鉾形に切り、焙炉(ほいろ)で汁のぬけぬように焼き、水に浸し、酒二合、醤油三勺ほど加え、鍋の蓋を取らず炭火で自然に煮る。煮ふくれた時に甘ければ醤油を少し()して塩梅し、摺生姜(しようが)山葵(わさび)を上に置き、また花鰹をかけて出すもよし。
 また、普通の焼豆腐一丁を酒と水各一合に醤油三勺を加え、ごく薄汁で煮ぬき、椀に盛り、ごま味嗜をかけて出す。
 また(別法)豆腐一丁を三つ切りぐらいにして、ざっと焼き、煮出し汁二合でよく煮て一方を金匙で(くり)すき、芥子(からし)の溶きたるを入れ、また元の如く合して葛餡をかける。
 また、鍋に昆布一枚しき、鰹煮出汁二合と酒塩五勺とで煮ぬき、途中で醤油三勺をさし、加減を見て隠し葛を引き、椀に盛りて胡桃の粉をふりかけて出す。
 また、本製には板昆布と焼豆腐とを薄醤油にて煮て、それに道明寺あられを炒りてふりかけて出すものなり。
 また、焼豆腐を醤油二勺、水五勺、酒三勺で下煮して、次に()り胡麻五匁、白味噌十五匁、煮出汁五勺でよく煉り、前の豆腐を椀に盛りてかける。


      石焼豆腐
 強火にかけた鍋に胡麻の油を入れて塗り廻し、油の滴る程度にした鍋の中へ、厚さ三分ばかりにした一寸四方ぐらいの豆腐を置きならべ、熱さに躍り動くのを玉子(すくい)で、裏返してすぐ食べるもの。薬味にはおろし大根、生醤油を()けて食う。これは石焼を略したものなり。


      芋掛豆腐
 山の芋を()りおろして百匁ほどならば煮出汁一合ぐらい加えてのべ、醤油三杯で少し辛目(からめ)に味加減したものを沸立て、葛湯で煮加減して、湯をしぼった饂飩(うどん)豆腐へ掛けて供す。出すとき青海苔か胡椒の粉をふりかける。葛湯は三合ほどの熱湯に、葛の粉を水溶きにして一杯加えてかきまぜる。
 うどん豆腐はとうふを(まないた)の上にて水をたらしおき、二つ三つに切り、またうすくうすく小口より切り、また細く刻みて、水へおろし出す時茶椀へ盛るなり。


      芋豆腐
 長芋を田楽の如く切り、ゆでて豆腐とひとつにならべ盛り、わさび味噌かけて出す。
 また、湯豆腐にして湯をしたみ、とろろをかけたものをいう。


      伊勢豆腐
 山の芋のおろしたもの五十匁ほどと、鯛の肉をこそげたもの百匁と、豆腐半丁と玉子の白身二個分の四種を擂鉢ですり合わせ、杉の箱に布を敷いて入れ、蒸し上げる。適宜の大きさに切って葛餡か鳥味噌あるいは山葵味噌をかけて出す。五瀬豆腐とも称す。
 また、しぼり豆腐五十匁を擂鉢に入れ、よく擂りてこの中へ玉子の白味二個分と魚のすり身二十匁加えて、またよく擂りて枠箱に布を敷き、それを蒸し上げ冷して小角に切りて、鳥味噌などかけて供す。
 また、鯛にても響ても、身ばかりよくこなし取り、かつおの出しにてのべ、とろりと(やわ)らかにして鉢に入れ蒸して(すく)い茶椀に盛り、葛あんをかけ、からしをあしらう料理をもいう。


      一夜豆腐  (速成凍豆腐)
 冬季一夜凍らせたもの、凍豆腐の煮つけ。


      一品の風呂吹き
 これは『豆腐百珍続編』に載するものにて、天王寺蕪菁(てんのうじかぶら)(やわ)らかに、いかにもよくよく蒸して、そのかけあんに(せん)ぎり豆腐の葛煮にしたるをざぶりとかけ、すり山椒を置く。もっとも豆腐は醤油の蔦煮なり。蓋のある器をよく温めて供すべし。



最終更新日 2005年09月08日 16時13分27秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「ろ之部」

ろ之部
   臘焼豆腐
 豆腐を拍子木形に切り、板に布巾を敷き、その上へ並べ、片おろしにしてよく水気をひたし去り、その後串にさして胡麻の油をぬり、よき火にて(あぶ)り焼きにし、また醤油に酒を少し加えて一遍付けて炙り、また極上の葛を味醂にて溶きゆるめ、三四遍も付けて炙れば光り出づ。乾く時を度としてよく冷し、菓子椀、大平などに用う。また組合せにもよし。切形も好みに依るべし。

   六方焼目豆腐
 豆腐一丁を四つ切りにして四角に切り、水気を拭き去って、油を敷いた鍋の中で、四方及び上下をも焼いて焼目をつけたもの。

   六条豆腐  (腐乾)
 豆腐へ(おし)を久しくかけて水気をぬき、緊る時適宜に切り、醤油に同量の酒を加えたもので煮つめ、晴天に乾したもの。また切って四方へ塩を塗って干すこともある。また水気を抜いて擂鉢でよく擂り、豆腐一丁に生醤油一杯をすり合わせて好みの形にして乾しても用う。精進料理の煮汁に用うほか、僧家では大きく(つく)っておいて削って用う。生干のものは色紙短冊に切りて料理の取合せに用う。豆腐を六つに切って製るので六条と称するともいう。



最終更新日 2005年09月09日 23時06分43秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「は之部」

は之部

  春駒豆腐
 豆腐の布目を去り、一丁を四つに切り、生醤油で煮染め、冷して油で揚げたもの。煎酒に山葵(わさび)を落して食す。


  春の雪
 豆腐滓(きらず)に油少し入れて醤油常の如くして煮、から一升にかつおぶしの粉一升、山椒粉少し入れ、椎茸、銀杏、()、栗の類を別に味つけして入れ、形にておし出すなり。


  八杯豆腐
水四杯、酒二杯、醤油二杯の割で作った汁の中へ、細い拍子木形に切った豆腐を入れて煮る故に八杯豆腐という名がある。しかし後世その意味が転じて、小さい賽目(さいのめ)に切ることを八杯に切るなどと称する。

 (そう)の八杯豆腐は豆腐一丁を太饂飩(ふとうとん)の形に切り、醤油三勺と酒塩(さかしお)五勺で汁の味をつけ、かくし葛(即ちうす葛)を使い仕立てるもの。おろし大根を置く。

 真の八杯豆腐 水六杯、酒一杯を沸立てて、後に醤油一杯を()して沸立て、この八杯汁の加減の出来た汁へ、絹漉(きゐこ)(すく)い豆腐を入れて作った吸いもの。(すくい豆腐別項にあり)

 焼八杯豆腐 豆腐をいかにも細く八杯に切り、(わら)の上によく水をきってまばらに並べ、上にまたわらを置き、火を上下へ廻るようにかけ藁を焼くなり。藁灰のまま(ふるい)に取り、幾たびも水をかえて、よなげれば灰は自然と取れ、八杯豆腐の四方薄々と焼目つくなり。これを塩梅するなり。

 また、水七つ、酒一つ入れて煮かえして、醤油一つなりともいう。

 また、塩を炒った鍋に酒一杯に水八杯入れて仕立てたものを八杯汁といえば、豆腐の外にも用いらるる汁の名なるべし。


      馬鹿煮豆腐
 豆腐一丁を酒二升ぐらいの分量の中に一晩浸け、翌日薄醤油(冖煮出汁に一割ほど醤油を加える)で煮て、葛餡におろし生姜(しようが)をかけて出すもの。南京製の蓋茶碗などに盛る。


      花形豆腐
 豆腐の水気を絞り、擂鉢で擂り、砂糖、塩少量にて味付け、竹簀に巻く時に丸箸を五本、豆腐の周りに添えて巻き、竹簀をよく締め緊りて蒸器に立てて蒸し上げ、小口切りにする。


      白乳腐
 寒中に豆腐へ塩を()って、一夜屋根の上に出して凍らした後、甘酒の中へ漬けたもの。


      (はす)豆腐
 蓮根をおろし、豆腐の水をしぼりたるものと等分に混ぜ合わせ、よきほどの大ぎさに取りて美濃紙に包み、これを湯煮となし、次に白味嗜に胡麻を等分にすりまぜ砂糖を少し加えて温めたるをしきみそにして、辛味を見合わせおきたる上に右蓮豆腐をのせて出す。


     撰豆腐汁(はららじる)
白豆腐を擂り潰して混ぜたる味噌汁なり。はららなる状、ばらばらの意をいう。

     半平(はんぺん)豆腐(一名、白玉豆腐)
長芋を擂り、水気を絞った豆腐と等分にして擂りまぜ、適宜に丸めて美濃紙に包んで茹でる。一名、白玉とうふ。汁の実、また山椒、生姜醤油にて食うもよし。

 また、右の擂り上りたる材料を、小さき蓋茶碗に和紙をしき、それに幾つも盛り入れ、二十分間ばかり蒸籠(せいろ)で蒸し、紙を取って外の器に移し、上から鳥味噌をかけて出す。

 鳥味噌は鳥肉を細かに叩き切り、別に味噌をうら()し、鍋に入れ、砂糖と味醂を加え火にかけ、右の鳥肉を入れて練り上げ、どろりとするを頃合いとする。

 また、豆腐を中絞りにして擂り、寒晒粉すこしまぜ、かさにて取り、沸湯へ入れ、煮たて浮きたる時にあげて、出す時に煮込む。


      (はも)豆腐  (径山寺(きんざんじ)豆腐)
 (はも)豆腐 鱧の摺肉百匁ほどに煮出汁一合ほど加えてやわらかにこしらえ、杉折に入れてよく蒸し、取り出して一寸角に庖丁して(やつこ)豆腐の形にす。煮もの、味噌汁の実。

 この鱧豆腐の上に青味噌をどろりとかけたものを径山寺豆腐という。


      八宝豆腐(ハーポ ダアウフウ)(支那料理)
 豆腐を八杯に切って、スープまたは水に塩を加えて沸かし入れた中へ、鶏肉二十匁、ハム三十匁のぶツ切りを、落花生、胡麻、西瓜仁等を少量ずつ加えて、一緒に油で炒って入れ、沸立てて、醤油、酒、砂糖少量で溶いた麺粉(うどんこ)を一面に流しこみて温かいうちに出す。


      蝦子豆腐(ハアツユウダアウフウ)(同)
 豆腐半丁を八杯に切ってスープニ合を加えて沸立てた中へ、酒と(えび)の卵を盃に一杯ぐらいずつ入れて、醤油少量で麺粉を溶いて入れ、熬油(いりあぶら)少量とハム少量を微塵切りにして加う。


最終更新日 2005年09月10日 20時48分13秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「に之部」

に之部
   西鴨豆腐
 豆腐一丁を四つにして角を切り落し、昆布一枚を加えて二合ほどの湯で茹で、薄く焼目をつけ、短冊形に切ったもの。


   煮熟(にぬき)豆腐
 鰹節煮出汁五合ほどで、豆腐一丁を終日弱火ですだつまで煮たもの。
 また昆布一枚を敷いた鍋に豆腐一丁を入れ、水五合ほどに水から煮ぬき、沸えたとき醤油五勺ほど加えて味加減をしたもの。


   煮染田楽
 豆腐を常の田楽の如く焼いてから酒五勺、醤油三勺の割で煮て、後また焼くもの。
 また、豆腐を田楽に焼き、前の如く煮て、煮染汁を絞って、その上に酒大匙一杯に砂糖半匙加えて煮返した汁をかけて焼いたもの。


   煮取り田楽
 煮取りを白味噌に等分にして、よく擂り合わせ、常の田楽の如くにして用う。煮取りというは鰹脯(かつおぶし)を製する時の液汁(しる)を煮つめたるものにて、即ち鰹魚の(あふら)なり。土佐その他の産地より出す。


   醸豆腐(ニヨン ダアウ フウ)  (支那料理)
 魚のすり身三十匁ほどに、落花生三十匁、小葱二本、椎茸三匁ほどを細かく切って加え、たたきまぜ、麺粉大匙一杯に少量の塩を入れて()ねたるを、油揚豆腐を二つ切りにして袋の中へつめて蒸し上げたるもの。



最終更新日 2005年09月11日 11時05分41秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「ほ之部」

ほ之部

   母衣(ほろ)豆腐
 豆腐を()でて後、布巾に包み、充分に湯をしぼり取りて煮出汁の中へ砕き入れ、汁気なきほどに煮つめ、しぼり生姜(しようが)、もみ海苔(のり)などかけて供す。ほろほろ(こぼ)れるほどからりっと手際よく煮あげることに注意すべし。

   牡丹豆腐
 豆腐一丁を角どって棒の形にし、完油揚(まるあげ)にして四つに小口切りになし、昆布煮出汁三合に醤油五勺、山椒少量を加えた中で(うす)加減に煮たもの。平らな奈良茶碗に盛り、浅草海苔を溶いてべったりとかけ、おろし生姜を置いて出す。


   焙炉豆腐
 圧豆腐を繊に切って、酒五勺に醤油大匙一杯ほど加えて薄味を付け、しばらく板にひろげて乾かし、焙炉(ほいろ)にかけたもの。(圧豆腐の項参看すべし)

   菠菜豆腐湯(ボオ ツアイ トウ フ トオン)  (支那料理)
 菠薐草(ほうれんそう)五十匁をざっと茹でてしぼり、一寸ぐらいに切り、豆腐半丁を短冊に切って一緒に、スープ三合を沸騰させた中へ入れ、塩、醤油で味をつけたもの。


   黄瓜豆腐(ホワン クワ トウ フ)
 胡瓜三本ほどの皮を剥き、二つ割りにして実子を取りて短冊に切り、椎茸三個を繊に切りラードでいためた中へ、豆腐一丁を短冊に切って加え、塩、醤油、砂糖少量を加えて味をつけて煮たもの。



最終更新日 2005年09月12日 18時28分03秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「へ之部」

へ之部

     鹹魚豆腐(ヘイ ユイ トウ フ)
 塩鮭を切身の如く切って水に漬けて塩出しをしておき、胡麻の油でざっと(いた)め、四五切れならばスープ一合余り注して沸かし、葱一本と生姜の微塵切りに、豆腐半~ほどをやっこの如く角切りにして加え、酒、塩、砂糖少量ずつを入れて味を付けたもの。

     片食(へん しい)  (普茶料理)
 銀杏、麩、皮牛蒡、慈姑(くわい)油煤腐(あぶらげ)、椎茸、皆一分角に切り、青菜を微塵に刻み、この七種を合わせて一升ばかりに、油七八勺の分量にて油よく(にたた)せ、まず銀杏、牛蒡、青菜を()りつけ、次に椎茸、麩、くわい、油■(あげとうふ)を入れて煎付け、醤油にて味付けし冷しておく。別に小麦粉をよく()ねて酒しお少し加え、煎餅の如く薄く(のば)す(酒塩を加えるゆえ薄く展びるなり)、それを二寸三四分の円形(まるかた)に切り、前の加料(かやく)を入れて茶巾形に包み、合わせ目を煉葛にてとめ、醤油にて好みの味をつけ、ケンチン酢を添えて供す。
 ケンチン酢は生酢と生醤油を等分にしてしぼり、生姜(しようが)を加えてうら()しにかけたるもの。



最終更新日 2005年09月13日 20時10分53秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「と之部」

と之部
     鳥身豆腐
 豆腐の水気をしぼりて後、細くこまかに刻みたる牛蒡(ごぼう)に一度湯を通したるを交ぜ、砂糖と醤油を入れて一寸味を付け、擂鉢で擂り、一銭銅貨大の団子に丸めて、ごま油であげ、汁の実とす。芹など配うがよし。


      鳥豆腐
 鳥のせせり()を細くたたき、煮出汁、醤油にて薄味をつけ、絹漉し豆腐を布巾にて水気を取り、うら漉しをなし、つなぎに玉子の白身を入れ、せせり身と味噌汁を少々入れて摺り混ぜ、器に移して蒸し器に入れ、蒸しあぐ、煮物。


      豆腐浮々(ふわふわに)
 豆腐一丁を絞り、醤油二勺、酒一合などで塩梅した汁に、葛粉大匙に一杯加えて()り、山梔子(くちなし)の汁一杯で染めて、玉子のふわふわの如く流し入れたもの。


      豆腐蒲鉾
生豆腐一丁に薯蕷(とろろ)を三分一摺り交ぜ、醤油または塩少量で味加減して、魚の蒲鉾の如く、板へつけて焼き、あるいは蒸したもの。


      豆腐味噌煮
 山椒、蕃椒(とうがらし)、胡桃など好みの味噌を(こし)らえ、それが五十匁なら酒一合加えて沸立てた中へ、豆腐一丁を切形して入れて煮染めたもの。


      豆腐の繊
 豆腐一丁を擂って饂飩(うどん)の粉を大匙に一杯入れて、厚い紙に薄く付けて蒸し、紙を放して繊切りにしたもの。魚類の配合(とりあわ)せの時は、玉子の白身一個入れて摺る。


      豆腐砂糖漬
 豆腐一丁を厚さ三四分ぐらいに切って、一つ一つ紙に包み、灰の中へ一時間ほど埋めておき、取り出し、適宜に切って砂糖漬にしたもの。


      豆腐酒
 豆腐一丁、砂糖百匁、酒一升の分量、白味噌少し加え擂り合わせ、二三度沸立てたもの。


      豆腐索麺(そうめん)
 豆腐一丁を擂って馬尾篩(すいのう)で何遍も漉して、美濃紙へ展しつけ、また上面に紙を置いて蒸籠で蒸
し、紙と一緒に細く切り、水に浸けて紙を放したもの。


      豆腐麺
 くずした豆腐一丁に、微塵に刻んだ青菜を等分ぐらいの量に入れて、油で炒りつけたものを湯煮した中へ、索麺(そうめん)百匁ほどを少し強目(こわめ)に茹でて加え、醤油少量で塩梅したもの。


      豆腐鮓(すし)
 酒塩、醤油少量で味をつけた()()を一枚ずつ板へ展げたヒに、酢をうった飯を敷き、木耳(きくらげ)の繊切り、慈姑(くわい)の薄切り、梅漬生姜の繊切り、山椒などをばらりと置いたものに、圧豆腐一丁を大繊に切って、生醤油大匙三杯で煮たものを並べて巻き、竹の皮に包んで圧をかけたもの。四時間ばかり置いて小口切りにして出す。
 また、酒五勺と醤油五勺とを等分にして作った煎り豆腐二丁を重箱に入れて押しつけ、その上に(このしろ)小鰭(こはだ)等の酢漬を載せて、圧したもの。鰾、小鰭は(こけ)を去り首尾を落し、腹から開き、骨を去り、一時間ほど塩をふっておき、水洗いして生酢に三十分乃至一時間漬け、水気を断って豆腐にのせる。


      豆腐飯
 豆腐一丁をざっと茹で水気を()り、人蔘、木耳など細く刻み下煮をなし、豆腐はくずして薄味に煮る。焚き上った一升の飯の中に交ぜ、うつす時によくかき交ぜて出す。
 また、初めに豆腐を油で炒って下煮するもよし。
 また、白米一升を強目(こわめ)に炊き、うどん豆腐の如く切った豆腐(二丁ほど)を交ぜ合わして、再び蒸籠でむし、おろし大根、粉蕃椒(とうがらし)、葱のざく、陳皮の粉、もみ海苔などの薬味に、かけ汁を添えて出す。
 また、豆腐をくずして飯に交ぜて炊いたもの。最初、豆腐一丁をざっと茹でて水気を断り、胡蘿蔔(にんじん)三十匁を茹で細かく切ったもの、木耳三匁の繊切りなどと共に、醤油大匙一杯と味醂大匙二杯で下煮をし、焚き上った一升の飯の中へ交ぜ、移すときに、よくかきまぜる。
 また、最初に豆腐を油で炒ってから下煮をする仕方もある。


      豆腐粥
 豆腐一丁を小賽に切って、葛湯で煮て、焼塩少量で味加減をしたもの。
出すときに、茹青菜一撮(つま)みを微塵に刻んで撒布(ふりか)け、絞り生姜を落す。

      豆腐香の物
 豆腐の漬物。豆腐一丁をさっと茹でて水気をしぼり、塩少量と葛の粉大匙一杯をかきまぜ、布巾でしっかりと巻きつつみ、奈良漬の糟へ漬け、出すときは、布巾ぐるみ取り出して、切って用う。


      豆腐半平(はんべん)
豆腐二丁に薯蕷(とろろ)三分の一を交ぜ、葛粉大匙に一杯を加えて摺り交ぜ、塩少量で味加減して半平の如くに作り蒸したもの。吸いもの、二の汁などの取合せに用う。


      冬至夜(とうや)豆腐
 豆腐二丁の布目を()って、八角に角を落し、小口切りに五六分に切り、酒塩少量、醤油大匙一杯、水少量で加減して煮て、汁を絞り、その上に、白胡麻と豆腐を摺り合わせてかけたもの。冬至の夜に紫野大徳寺の各院でこの豆腐を煮るのが行事になっている。自ごまは炒って摺り潰し、皮、(かす)を去り、五勺ほどの量に豆腐半丁を加えて摺りまぜ、砂糖中匙に一杯、塩小匙に一杯で味を付ける。


      豆腐滓(きらず)蒸し
 豆腐滓(きらず)百匁を醤油大匙二杯ほど加えて炒った中へ、陳皮の粉、山椒の粉少量及び玉子二個を油でざっと揚げて交ぜて加えて蒸したもの。


      豆腐けいらん
 絹こし豆腐を鰹節出し汁にてよく煮上げ、椀または蓋ものにその煮上げたる豆腐のみ取り入れ、鍋に残りたる出しの中へ葛を水にて解きて入れ、薄あんぐらいに仕立ておき、後鶏卵を前の器にてよく溶き、右の鍋へ入れ攪拌す時は鶏卵汁となるべし。これを前の豆腐の上にかけて出すべし。絞り生姜または刻み葱を用うべし。但し一椀に鶏卵一個ぐらいの割。


      豆腐と名目汁
こくしょう 豆腐の水気をしぼりてよく擂り、白味喀、赤味噌を等分に入れすり交ぜ、煮返してこす。但し濃くすべし。

はらら汁 常味噌に豆腐をすり入れ、どぶをさし煮かえし漉して大根おろしを入るるもよし。

しゅみせん汁 青菜、とうふを共に細かに切りて入れたるをいう。常の味噌汁に煮出汁を入るべし。

むじつ汁 常の味噌汁に青野菜種々と、焼とうふを入れたるものをいう。

あつめ汁(五月汁) 常みそに仕立て竹の子、ふき、新牛蒡、干大根、干ふぐ、または串海鼠、干鮑、焼とうふを入れたる汁。

ばくち汁 豆腐を賽の目に切って入れたる汁。

観世汁 常の味噌汁に豆腐を薄く切って入れ、葛をはなしたもの。


      賽菽乳(とうふもどき)
 青豆の粉一升にうどん粉七分三分にまぜ合わせ、沸湯二合で()ね、饂飩(うどん)の如く打ちて切り、(ふた)(あわ)沸立たせて製り上げたもの。


      豆腐湯(トウフタン)(支那料理)
 鍋にスープ五合を沸立てた中へ、豚肉の細切り二十匁、松茸十五匁、筍十五匁の短冊切り、椎茸三匁の繊切り、青菜十匁ぐらい一寸切り、豆腐一丁の切ったものなど入れて煮込み、醤油、塩、胡椒少量で味を付けて出すもの。

      冬茹豆腐(トンクワトウフ)
 椎茸四個を大繊に切り、葱半分の微塵切りと共にラードで(いた)め、豆腐一丁をそぎにして水気を
断って加え、塩、醤油、砂糖で味を付けたもの。


      豆腐燉蛋(トウフタンタン) (支那料理)
 豆腐二丁を摺り潰し、葱半分の微塵切りに豚の挽肉三十匁を加え、鶏卵二個を割って入れ、スープ一合を注し、酒、塩少量で味を付け、よくかきまぜて、五つの茶碗に分け、蒸籠で蒸したもの。


最終更新日 2005年09月14日 00時15分53秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「ち之部」

ち之部

     縮緬豆腐
 真の饂飩(うどん)豆腐の如く切った豆腐一丁を、五つほどの量に分けて奈良茶碗に盛り、煮出汁を八分目加えて、茶碗蒸しにして葛餡をかけ、山葵を摺って置いたもの。


      千歳(ちとせ)豆腐
 豆腐一丁の布目を()って、六七分の厚さに切り、松毬(まつかさ)の如く切形を入れ、崩れないように熱湯の中で茹でたもの。四つほどに分けて器に盛り、青味喀に独活(うど)を摺り入れたものを上からとろりと()けて出す。青味噌は、青菜を微塵に切り、白味膾五十匁ほどに一(つか)み加え、摺り交ぜ裏漉して酒大匙一杯で溶き、独活は皮を剥ぎ、前後を切って一本の真中だけ摺って加える。青菜の代りに青海苔を用うることもあり。


      茶巾豆腐
 油揚豆腐一枚の一方の口を切って、中へ魚肉の細切り、鳥の薄切り、芹、木耳の繊切りの類少量ずつに玉子を入れて、口を糸昆布で括り、酒三合に煮出汁二合塩少量の割で加えたもので煮たもの。薬味に山葵を添え、玉子は七分目ばかり入れる。
 茶巾とうふ 豆腐をしぼり、葛少し入れてよく()り、手の上に紙をしき右の豆腐をのせ、かやくを入れ、紙ともにひだを取って包み、こよりにて括り、沸湯の中へおろし、湯煮して取りあげ、紙を取っておき、出す前にまた沸湯へつけ温めて、茶碗に敷味噌してその上に盛って出す。


      茶屋豆腐
 豆腐十丁に茶一斤の割で蒸し、沸立った時、豆腐の布目を去って賽目に切って入れ、色を染めて器に盛る。胡麻味噌をかけたもの。


      茶豆腐
 上茶を()出し二合ほどの中へ、布目を去った豆腐一丁を入れて煮、茶色に染まったらば、別の器で新しく茶を沸立て、出端(てはな)の所へ移し入れて、その茶を絞り、薄醤油または山葵味喀をかけて出す。
 また、絹漉し豆腐をうら漉して、直径一寸、長さ五寸ぐらい、寒冷紗にて丸長く包み、番茶を(まう)じて、右の豆腐と番茶を入れ、湯をあまりおどら(、、、)さぬように弱火で煮く。一時間ほど煮込めば茶の香が移るなり。
 茶豆腐 とうふ十丁に茶一斤の分量にて茶を煮出し、沸立ちたるところへ布目を切った豆腐を入れ、よく煮て茶色に染まるを待ち、別に茶を煮て出花のところへ入れ直す。次にその茶をしぼり、煮かえしの稀醤油(うすじようゆ)、花鰹、山葵の針を置く。また山葵味噌もよし。


      竹輪豆腐
 絹漉し豆腐を小さき竹輪形に筒ぬきして湯煮して汁種に用う。


      前豆腐(チエン トウ フ)  (普茶料理)
 豆腐一丁を一寸二三分、厚さ四五分の角切りにして油で炒りつけ、醤油大匙一杯水少量で味をつけ青苔(チンタイ)を付けて食うもの。


     炸豆腐角(チヤウ ダアウ フー コツ)(支那料理)
 豆腐二丁を押して水気をしぼり、四分ぐらいの厚さにして一寸五分角ぐらいに切って、さらに斜めに三角形にして、魚肉五十匁に落花生大匙に一杯を交ぜて(たた)き、葱半本の微塵を薬味に交ぜ、塩、うどん粉を少量加えて、煉り、豆腐の中に詰め込み、ラードで揚げた広東(カントン)料理。


      柴魚豆腐湯(チヤイ ニユ ダア フウ タン) (支那料理)
 干鱈二十匁の肉を裂き、薄く切った豚肉二十匁、奴に切った豆腐一丁などと一緒にし、椎茸三個の短冊切りを加えてスープ五合で煮たもの。塩、醤油少量、油数滴で味をつける。


      炒松茸豆腐(チヤ スン アル トウ フ) (支那料理)
 松茸五本ほどを下拵えして短冊に切り、葱半本の微塵切りと一緒にラードで(いた)めた後、豆腐一丁を同じくらいの大きさに切り、水気をしぼり、砂糖、醤油、塩少量ずつ加えて、好みの味をつけたもの。


最終更新日 2005年09月15日 22時20分06秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「り之部」「を之部」

り之部

      利休豆腐
 豆腐一丁を焼いて、煮出汁一合、酒、塩大匙一杯を加えた薄醤油加減で長く煮て、水気を断って擂り、紙に包んで蒸籠(せいろ)で蒸しあげたもの。



を之部

      御雉豆腐
 豆腐一丁を四つ切りぐらいに平らに方角に切り、塩をふりかけて焼ぎ、熱いうちに燗酒をかけて用うるもの。往古、禁中にて正月に群臣百官より下様に至るまで、上下(こぞ)って賜わるのが例である。


      紅毛(おらんだ)豆腐
 豆腐を田楽に切り、水気を去りてしばらく酒に浸し、それに溶き玉子を塗り、田楽焼きにするなり。


      大玳瑁環豆腐(おおちくわとうふ)
 豆腐一丁の布目を切り、角を削って丸く竹輪蒲鉾の如き形にして、真中へ丸い木の芯をさし、烙鍋(あぶりなぺ)に少量の胡麻の油を引き、転ばし焼きにしたもの。


      朧豆腐
 寄せ豆腐の固まらぬものをいう。水を充分入れ、篩斗(ふるい)にかけてから、料理に用う。
 また、輪豆腐を湯びいて、葛餡をどろりとかけたもの。葛に透く豆腐が、朧月の如く見えるので名づける。摺山葵、芥子(からし)、粉山椒など上置きにする。


      織部豆腐
 大きい桶に温湯を一杯入れ、その中で豆腐の布目(布目の見える端)を切り離し、長方形に切って角を取り、棒様にし、次に鍋に胡麻油を少し引き、右の豆腐を転がし焼きにして三つ四つぐらいに筒切りにする。次に鰹節の煮出汁に醤油少々と酒をまぜた清汁(すまし)を作り、右の豆腐を五六時間煮る。これに揉み海苔、山葵の繊切り、胡桃を細かく刻んだもの、茗荷(みようか)の繊切りを薬味として添える。
 また、豆腐一丁を四つに切り、焼いて中を杓子にて刻み目をつけ、煮出汁二合に酒大匙二杯、醤油少量で薄く味を付げ、煮汁を多くして長時間煮たもの。
 また、一丁の豆腐をそのまま角を落して丸く作り、焦し焼きにして小口から筒に四つに切っても用う。(前出)


      岡本豆腐
 豆腐を四角に切ったものをさらに角をそいで玉の形にして、胡麻の油を引いた鍋の中で転がし焼ぎにしたもの。この(あぶ)ったものを酒一合に醤油一杯を塩梅して煮出汁少量で煮て、大奈良茶碗へ一つずつ盛り、おろし大根を置いて出す。岡本三右衛門という人の創案したので名つく。


      小笠原豆腐
 豆腐一丁を好みに切って、醤油半杯、塩少量に葛を少し溶いて加えた一合五勺ほどの汁で煮たものに、葛餡をかけ、花鰹を葛の見えないくらいに一面にふりかける。


      阿蘭陀飛竜頭
 豆腐二丁をくずして砂糖大匙に一杯、醤油五勺でざっと味を付けて炒り、牛蒡三十匁、木耳(きくらげ)三匁の繊切りをまぜて、豆腐皮(ゆば)二枚で程よく丸く包んで圧し、胡麻の油を(たぎ)らしてざっと()げたもの。


      小倉(おぐら)豆腐
 浅草海苔を揉んで大匙一杯を豆腐二丁に擂り交ぜ、葛粉少量加えて板へのばし、小色紙、小短冊などに切ったもの。茹でて吸物種に用う。


      小笹(おざさ)豆腐
 焼立ての豆腐一丁を掴みくずし、醤油大匙に一杯加え、加減して鶏卵二個を割って溶き、玉子とじにしたもの。摺山椒を()って出す。


      女郎花(おみなえし)豆腐
 生豆腐二丁を擂った中へ玉子二個割って摺り交ぜ合わせ、煮出汁一合、醤油大匙一杯、砂糖少量で味をつけて煮たものを椀に分けて盛り、その上に玉子そぼろをかけたもの。本汁、二の汁、吸物に用う。玉子そぼろは、玉子三個に味醂大匙に一杯、醤油半杯を加え、湯煎にてボロボロに煎りあげたもの。


      (おし)豆腐
 豆腐一丁を布に包み、板を斜めにして並べのせ、潰れない程度の圧石をかけ水気を絞ったもの、煮出汁一合五勺に醤油大匙に一杯で味をつけて煮る。また生醤油と酒塩を等分にして煮()め、小口切りにして出す。がん石豆腐、しめ豆腐の名あり。



最終更新日 2005年09月16日 21時12分32秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「わ之部」「か之部」

わ之部
      輪豆腐
 豆腐一丁を湯煮して、水を断って崩した中へ薯蕷(とろろ)五十匁ほど摺り交ぜ、大匙二杯の砂糖に塩少量で竹輪蒲鉾の固さに練り、葛粉少騒加え、鵬につけて蒸して後、焼いたもの。小口切りにして用う。


      黄檗(おうばく)煎出し
 豆腐一丁を三つまたは四つに切って銅の網籠に入れ、ぐらぐら()たてた油の中で、二三べん振り廻して、すぐと揚げ、油を断って出すもの。醤油へ酒三分の一加えて煮立てた汁をつけて用う。


      黄檗豆腐羹
 豆腐数丁を潰してよく水気をしぼり、深さ一寸ぐらいの箱を四寸五分角ぐらいにいくつも仕切りたる取りはずしの出来る(わく)に、一個ずつ布巾に包みたる潰し豆腐を入れてさらによくしぼり上げ、それを取り出して、別に大鍋に生醤油を(たぎ)らしたる中へ、さっとくぐらせて茹で上げたるもの。そのまま切って食い、または生姜醤油の付焼にしてもよし。宇治黄檗(おうばく)独特、唐土伝来の製法なり。


      黄檗豆腐
 豆腐を美濃紙に包み、灰の中に一夜埋めおけば、水分残らず去るべし。これ黄檗豆腐の製法なり。水気を去りたる豆腐を酒、醤油、砂糖に昆布出しを加えて煮詰め、小口切りにして取肴にしてよし。


か之部


      唐豆腐
 白胡麻五合を摺った中へ上葛一合ほどに、豆腐小半丁ほど入れて三色をよく摺り合わせ、馬尾篩(すいのう)()して、葛餅の如く煉って箱に入れて水で冷やして固めたもの。好みに切って葛餡をかけて擦生姜を上に置く。


      唐揚 (普茶料理)
 豆腐一丁を小さく切って、油で炒りあげ、別の鍋で湯を一合ほど沸立ておきて、それですぐ煮て、醤油大匙一杯、酒一杯で加減したもの。


      から揚  (普茶料理)
 稀醤油と酒しおを合わせてよく沸騰させ、別の鍋に油たっぷり煮え立たせ、豆腐を平賽に切って金のあみに入れ、油へ浸して二三べんふりまわし、すぐに煮醤油の鍋に入れ、煮加減よくす。


      加料(かやく)黄檗豆腐
 黄檗(おうばく)豆腐の鍋に木耳の繊切り、長芋の短冊切り、割銀杏、揚げ菎蒻(こんにやく)()の細切り、胡桃、茹でた輪切りの慈姑(くわい)、笹掻き牛蒡など少量ずつ味醂二杯、醤油一杯、酒少しで下煮をしてうちこみ、山椒の粉をかけたもの。


      辣辛(からみ)豆腐
 鰹節煮出汁を淡醤油で塩梅した汁をたっぷり湛えた鍋に豆腐を入れ、生姜をたくさん摺りおろして加え、終日煮たもの。豆腐一丁に一にぎりほどの古生姜十ぐらいの割合。


      雁油揚(がんのあげ)豆腐
 雁一羽の脂肪を沸立ててその中へ豆腐一丁好みに切って煤げたもの。極めて美味なものとして数えられている。

      甘露豆腐
 凍豆腐をしばらく水に浸けてから、塩味を用いず十個ほどに砂糖大匙三杯、水少量加え煮て小奈良茶碗に一個ずつ盛って吸物にして出すもの。ごく辛き下物(さかな)、またはごく酸っぱき下物に取り合わせて用うる趣向にする。


      巌石豆腐
 豆腐一丁の水気をよくしぼって擂った中へ、(たた)きつぶした(うすら)(または(かも))の肉百匁ほどに葛粉を大匙に一杯加えて擂ったものを交ぜて、さらによく擂り、好みの大きさに丸めて茹でたもの。
味醂五勺に醤油三勺、煮出汁一合ほどで味加減をした煮出汁で煮て出す。片桐石州侯の好みの料理なり。


      岩石豆腐
 兎園小説に云(大郷信斎、文化)、予が家の傍に(あざ)を鷹石という町あり、昔鷹の形ある石を掘り出して霊異あり、今はなし、この処に唐豆腐を製して、岩石と名つく(下略)。


      高津湯豆腐
 絹漉し豆腐を湯煮して熟く溶いた葛餡をかけ、芥子(からし)を薬味としたもの。古く大阪高津神社の境内にある名物なり。


      合歓豆腐
 豆腐一丁を四つ切りにして二つにへぎ、あたかも平餅ほどの大きさにして湯煮し、搗立ての餅を同じ寸法に切って上に重ねて盛り、葛餡をどろりとかけ、絞り生姜、花鰹などをかけて出すもの。


      鹿の子豆腐
 水気を絞って擂った豆腐二丁を煮た中へ、潰さぬように茹でた小豆大匙二杯ほど交ぜ合わせて、好みの形に取って蒸籠に二十分間蒸したもの。これを砂糖大匙山盛一杯、醤油、酒各三杯ずつで煮加減して用う。


      肉鎌(かまぼこ)豆腐、胡桃飛竜頭(くるみひりようず)
 水を絞った豆腐七分に摺りつぶした胡桃(くるみ)を三分の割で交ぜ合わせて摺って、杉板に蒲鉾の如くつけて蒸して少し()いたもの。
 また右の如く摺り合わせたものに、飛竜頭(ひりようず)加料(かやく)を入れて好みの形に作って、麺粉(うどんこ)の衣をつけて油で揚げたものを、胡桃飛竜頭という。


      (かき)豆腐
 木綿豆腐半丁ほど、蠣一合、ともによくしぼり水気を去り、蠣を擂鉢に入れてよくすり裏漉し、同じく豆腐も漉し、葛三匁を水に溶き入れ、全部よく混ぜ、枠の底に和紙を布き、右のとうふをぎっしり詰めて蒸し上げ、田楽形に切って青串にさし、木の芽味噌をつけて焼く。


      角飛竜頭(かくひりようず)
 薄い杉の折箱に飛竜頭に(つく)った豆腐を仕込み、ごく沸騰(にた)った湯の中へ箱の底ばかりが浸る程度に浸けて蒸し、好みに切って胡麻の油でざっと揚げたもの。


      雷豆腐
 ごま油を炒って豆腐を(くず)し入れ、かき廻し、醤油にて味をつけ、刻み葱、大根おろし、山葵(わさび)などで食う。胡麻の油を二勺ほど沸立てた中へ豆腐一丁を綱み砕し入れ、醤油を大匙二杯さして加減したもの。葱のざくざく、おろし大根、擦山葵など少し入れて出す。一名、南京豆腐。
 胡麻の油を炒りて豆腐をつかみ砕して打ち入る(この音即ち雷の名起る)。次いですぐに醤油をさし調味し、葱の白味のざくざく、おろし大根、おろし山葵を打ちこむ。生姜を入るるもよし。世に南京豆腐というもの即ちこれなり。また水気をよくしぼりて右の如く調味するを黄檗豆腐ともいう。またケソポロ豆腐ともいう。その他(うす)醤油と酒塩とを合わせてよく沸たたせ、前の鍋に油をたっぷり沸たたせて豆腐を平、大骰に切り、金のあみ杓子に載せて油に浸し、二三遍ふりまわしすぐにあげ、醤油の鍋に入れて加減よく煮るあり。また豆腐の水をしぼりよく楓み(くず)し、青菜を微塵に刻み、豆腐と等分にして油をよく沸立たせ、まず豆腐を入れてかきまわし、次に青菜を入れて()きまわし、醤油にて味を付ける法もあり、要するにから炒を豆腐にて作ると思えば間違いなし。


      鴨豆腐
 絹漉し豆腐をうら漉しして擂鉢に入れ、豆腐一丁に玉子二個、葛粉少々入れ、鴨肉はミンチにかけるか、または庖丁刀にてよく(たた)き微塵となし(うら漉しすればなおよし)、味醂、醤油、煮出汁等にて味を付けおきたると、一緒に摺り合わせ、トタソの缶または折箱につめて蒸しあぐ。


      鴨豆腐滓(かもきらず)
 豆腐滓(きらず)三合ほどを胡麻の油でいため、中へ、木耳の繊切り、芹五分切り、山椒実少量など一緒
に、鴨の肉を小角切りにして三十匁ほど入れて、まぜ合わせ、味醂五勺、醤油三勺、煮出汁少しで煮て製ったもの。


      かるめら豆腐
豆腐一丁を四つに切り、油でよくよく()げて皮を煤き、手でわり(頃合いの分量に)、薄醤油にて煮ぬき、辛味大根をおろしてのせる。


      かすてら豆腐 (厚焼とうふのことなり)
 上々の古酒を煮返し、酒気なきほどにしたる中へ、まるながら豆腐を入れて柔かき火に煮る時は、一旦ふくるれども、やがて締りて小さくなる故、これを度として取り上げ、煮返し醤油にて食するもよく、またこの時、古酒中に醤油をさして汁とするも可なり。


      卵糖焼(かすてら)豆腐
 豆腐二丁を絞り、玉子三個ほど入れて摺り合わせ、砂糖二十匁ほどを加えて、とろとろにして、敷布をして蒸上げ、焼目をつけたもの。



      (かすみ)豆腐
 布に包んで水気をしぼり、大根おろしの水気をしぼって加え、擂鉢で擂りまぜ、熱湯に掬い入れ、清汁を注ぎ入れ、海苔をかける。
 水気を断った豆腐一丁に、水を絞った擦大根を飯茶碗に一杯摺りまぜ、沸湯に入れ作ったもの。羅匙(あみしやくし)で少しずつ椀に掬い、浅草海苔を切ハ.て入れ、煮返し醤油少量、粉蕃椒など加えて出す。


      雁賽(がんもどき)
 雁の肉に(なぞ)らえて見えるのでいう。古製は麩を製して胡麻の油で揚げたものであるが、今では、牛蒡、胡蘿蔔(にんじん)を刻んだものに麻の実、黒胡麻などを少量パラパラと豆腐に交ぜて、胡麻の油で丸形に平たく揚げたものを指す。特製のものは、茹銀杏、蓮根を四つ割にして薄切りにしたもの、三つ葉五分切り、茹栗あるいは慈姑などを茹で、薄切りにして交ぜたもの。


      かすいり豆腐
 とうふをよく擂りて酒にてやわらげ、加料(かやく)に味付けたるを投じて煮る。加料は塩鯛、一塩のたら、鯨、(がん)、鴨を見合わせ入れ、焼栗、木耳(きくらげ)、油揚、松露(しようろ)などを入る。


      角おぼろ豆腐
『豆腐百珍続編』にいう、禁裡様の御膳ものなり、庖丁家の秘伝にて世に伝えず、博物のためしばらく名ばかり出して百珍のかずに入る云々とあり。おもうに汲豆腐の類なるべし。



最終更新日 2005年09月19日 15時00分00秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「よ之部」「た之部」「れ之部」

よ之部

      (よもぎ)豆腐
 豆腐を絞り擂鉢で摺り、薯蕷(とろろ)の皮を去り、おろし金で(おろ)し、豆腐の量の五分の一ほど合わせ、青海苔(あおのり)の粉にしたるを等分に入れ、よく摺りA口わせて(てのひら)で丸めおき、鍋に湯沸して丸めたる豆腐を()がき、水に取り、白味噌の実とする。


      横雲豆腐
 豆腐一丁を平らに四つに切り、布に包みて軽く圧をかけて水気を去り、細かく揉んだ青海苔を一面に厚くまぶし、その上へ同じように作った豆腐を一丁合わせて、二段としたものに淡味をつける。


      寄せ豆腐(豆乳)
(おぼろ)豆腐を好みの大きさに取って、一々美濃紙に包んで熱湯で茹でたもの。



た之部

      (たたき)豆腐
 焼豆腐一丁に袱紗(ふくさ)味噌を七分三分の割で交ぜ、菜切庖丁刀でよく叩き、好みの形に取って胡麻の油でざっと()げたもの。調味好みに従う。


      田毎豆腐
 豆腐を賽形に切り、葛を溶いた水から鍋に仕かけ、浮き上るを度として椀に五六個盛り分け、玉子一個ずつ黄身のくずれぬように入れ、(あん)をかけ、かくし生姜(しようが)で出す。
 また、大角に切った湯豆腐の中央を金杓子でくりぬき、それへ土子を割り落してざっと煮て盛り出す。これを田毎(たごと)とも日の出豆腐ともいう。


      大徳寺煮豆腐
 豆腐一丁を四つ五つに切り、酒一合に滑水(しろみず)(米のとぎ汁)五勺ほど加えてよく煮て、一つずつ器に取り、掛汁か海苔餡をかけて出す。
 海苔餡は新のりを焙炉(ほいろ)にかけてから細かくして、塩梅した下地で掻き廻して煉ったもの。下地は醤油五勺、味醂三勺の割。


      竜田豆腐
 豆腐三丁ほどを絞って、擂って漉し、麺粉(うどんこ)大匙に二杯ほど入れて()ね合わせ、茹小豆大匙に二杯ほど入れて四角に一丁ほどに固め、胡麻油で()げたもの。小口切りにして出す。


      団子豆腐
 豆腐一丁を絞り摺って漉し、麺粉大匙一杯を加えて丸め、串にさしてざっと火取り、醤油二杯に酒一杯加えたもので味をつけ、黒胡麻味噌三十匁ほど田楽味噌の如く仕立てて塗って焼いたもの。


      湯灌豆腐
 四角または田楽切り、または饅頭形にした豆腐一丁を焙籠(あぶりこ)()き、薬缶へ入れてよく煮て、生姜、山葵、唐辛、山椒などのうちで好みの辛味を加えて、濃醤(こくしよう)大匙に三杯ほどを上へかけて出すもの。


      玉子豆腐
 鶏卵四個を割り、葛粉小盃一杯、塩同一杯の三分ぐらい、砂糖同半杯、煮出汁一合三勺を加えよくかきまぜ、漉して蒸箱に入れ、十分間ぐらい蒸し、夏ならば氷で冷し奴に切り、木の芽味噌また柚味噌で味わい、冬は清汁の実となる。
 大の玉子五個を割って煮出汁一合に、片栗粉小匙二杯を加え、食塩少量と味醂大匙二杯で味を付けて馬尾篩(すいのう)で漉し、蒸箱の底へ美濃紙を敷き濡らした上に、玉子を流し込み、蒸籠で蒸したもの。また味醂酒を煮出汁の代りに用いて蒸すのもある。蒸し上げて奴豆腐の如く切り、器に盛り、夏季ならば氷を一緒に添えて出す。
 豆腐一丁の水を絞り、葛粉少量をつなぎに入れて摺って固くしたものを、胡蘿蔔(にんじん)一本を丸(むき)にして三つ四つに切り(やわ)らかく茹で、酒五勺、砂糖十匁、醤油三勺で煮たものにまぶせて巻き、その上をまた竹の皮で巻いて括り茹でたもの。皮を(はず)して小冂切りにして用う。
 水気を絞った豆腐一丁を摺って玉子三個の白身で柔かく(のば)し、酒少し加えて煮返し、漉して箱に入れて蒸したもの。
 玉子を割って鰹煮出し、豆腐ソッブ、ごく少量、味醂、醤油の味をごく薄く合し、流し缶に入れ蒸し過ぎぬようにむし上げ、缶より出して冷し、頃合いに庖丁して、焼鍋に入れて天火をこしらえて焼き上ぐ。


      玉子焼(もどき)
 凍豆腐十枚ほどを湯に浸け絞り上げ、玉子五個を割って掻き立て、豆腐に玉子を充分吸わせて、煮出汁五勺、醤油三勺、味醂二合で仕立てた汁でさっと煮たもの。


      滝川豆腐
 白滝とうふともいう。豆腐を摺り潰して毛篩に通し、寒天を煮てとろとろになし、右の豆腐を混ぜ入れ、よく攪拌して煮あげ、枠箱に流し込み、冷し固めて心太(ところてん)突きにて押し出し、鉢に盛り分け、三杯酢または(うま)だし、香味を添えて出す。
 また、寒天を煮ぬき、その湯にて豆腐を煮しめ、さましてこれを材料とす。即ち調味よろしきに随う。


      玉章(たまずさ)豆腐
 豆腐をよく絞り、擂鉢で摺り、美濃紙に延べ、細長く短冊に切りて、好みに結び茹でて水に取り、水の中にて紙をとるべし。


      豆腐蒸魚(ダアウ フウ チエン ニユ)(支那料理)
 大きな魚の切身百匁ほどを好みに片ぎ、塩をふり、皿にのせ、その上に生姜二個を細く切ってふりかけ、味噌二十匁ほどを叩いて、魚に塗り、四角に切った豆腐一丁を魚の身の側にならべ、煎油をその上にかけて皿ごと蒸したもの。


      太刀魚の雪花菜漬(きらずづけ)
 大きな太刀魚を三枚におろし、肉の方に薄塩をあて、生の豆腐滓(きらず)に少し塩を混ぜ合わせ、右の肉を漬けて圧石をよくかけ一夜ほどおきて取り出し、きらずの付着したまま()いて食す。清味のある珍下物なり。



れ之部

      蓮根煎り豆腐
 豆腐二丁ほどを茹で、味噌漉しに上げ、水をきりおき、蓮根を薄く刻みて醤油、砂糖にて薄加減に味をつけ、前の豆腐に入れ崩しつつ掻きまぜ、二個ほどの玉子を加えて煎りつくべし。なお胡椒を加えれば最も可ならん。


      蓮根豆腐
 蓮根の皮を剥き一本ほど摺りおろし、水気を絞った豆腐と等分の量に混ぜ合わせ、適宜の大きさに取って紙に一つずつ包み、()でたもの。白味噌三十匁に胡麻味噌三十匁を等分に()りまぜ、砂糖大匙一杯を加えて熱くした敷味噌で出す。
 また、茹で上りたるを好みの形に取って吸物の種に用う。



最終更新日 2005年09月19日 21時31分00秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「そ之部」「つ之部」「ね之部」「な之部」

そ之部

      揃豆腐
 よくしぼった豆腐を()して摺り、玉子の白身を一丁の豆腐へ五つの割で摺り交ぜ、紙へ薄く展し、二十分間蒸して切ったもの。


      蕎麦(そば)豆腐
 豆腐二丁ほどの線麺豆腐に蕎麦(そば)花粉(はなご)百匁ほどを交ぜて作り、常の蕎麦のように切って作ったもの。
 また、蕎麦粉三合に葛粉二合ほどを煮出汁一升三合ほどを加え、塩少し、砂糖少しで味を付け、火に架けて、煉り加減をして、ブリキの箱か塗り箱に()めて、冷してから適宜の形に切ったのもいう。


      宗旦(そうたん)豆腐
 一丁の豆腐の四角を切り取り丸くして、鍋で周囲を焦し焼きにして、輪切りにしたもの。汁、煮物などの材料に用う。



      蕎麦湯
 蕎麦切、蕎麦飯等の後に出す、吸物の如きもの。豆腐一丁を小賽に切り、八分の一ほどに味噌漬一切と一緒に入れた清汁。



     そぼろ豆腐
 鍋に煮出汁をたっぷり作り、豆腐は一度湯煮して布巾に包み、両端を手で持って固くしぼり、鍋の中によくほぐして入れ、鶏の挽肉を入れてよくさぼき、それに椎茸、玉葱の刻みたるを加え、砂糖、塩、醤油にて味をつけ、片栗粉を水溶きしてドロリとなし、グリソピースを散らして温かいうちに供す。


     (そぎ)豆腐
豆腐をそぎて、薄醤油にて煮たもの。汁を多くして豆腐を少くするを法とす。


  つ之部

      ■豆腐(ついとうふ)  (普茶料理)
 豆腐一丁砕き、油で炒った中へ、青菜の微塵切りを等分に交ぜて、醤油三勺、水少しで味を付けたもの。


      (つと)豆腐
 水を絞った豆腐二丁に、甘酒五勺ほどを摺り交ぜ、少しずつ棒の如くに取って竹()で巻き、蒸したもの。小口切り。
 水気を絞った豆腐二丁に、仏掌薯(つくねいも)五十匁ほどを摺り交ぜ、饂飩粉(うどんこ)大匙一杯加えて固め、藁で巻き、茹でてから醤油三勺、酒五勺ほどで煮()めたもの。


      釣豆腐
 豆腐を正方形(まつしかく)に切り、白煮または薄清汁で煮て、柚子の絞り汁を少し入れて、香を付けた色紙豆腐を、鍋のまま井戸に釣り下げて冷したもの。


      (つつみ)豆腐
 豆腐一丁を、摺って葛粉少し加え、紙へ少しずつ包み、茹でたもの。紙を去り、房菘(ふさな)などを短く切って配合(とりあわ)せて本汁に用う。
 また、豆腐一丁を三つ切りにして、中央を()って擂胡麻(すりこま)胡桃(くるみ)味噌を()め、上を豆腐で蓋をし、丸く取って美濃紙で包み、ざっと茹で、酒三勺、醤油大匙一杯で味を付けたもの。
 また、豆腐を四角に切り、真中を(さじ)にてえぐり、摺りごま、くるみ味噌少し練りまぜ、豆腐の中へ入れ、また豆腐にて蓋をし丸く取り、紙に包みてゆで上げ白葛溜りにして、あつきを出すこと。


      包油揚(つつみあげ)(一名、雪白揚)
 豆腐一丁を好みに切って、少量ずつ美濃紙で沙金袋包みにつつみ、水気を去って、袋のまま胡麻の油三合ほど沸立てた中で揚げ、紙を去り、醤油二勺に煮出汁五勺加え、かくし葛で煮たもの。一に雪白揚(ゆきしろあげ)ともいう。


      蒸豆腐(ツントウフ) (支那料理)
 豆腐一丁を摺り潰した中へ、椎茸三個、筍半本、葱半本の微塵切りを加え、塩、胡麻の油を少し加え深鉢に盛り、蒸籠に入れ、四五十分間ほど蒸したもの。


      つみ豆腐
 豆腐を布に包みて水気をしぼり、これを鉢に取りて麺粉少量を加えてよく()ね交ぜ、板の上に二分ばかりの厚さに展しおき、別に鍋に湯を沸立たせ、この中へ右の豆腐を庖丁刀の先にて少しずつ(すく)い込み、煮上るを見て網杓子にて掬い取る。吸もの種とす。


      氷柱(つらら)豆腐
 つらら豆腐は(しべ)豆腐(線麺豆腐の項参照)を葛粉にてまぶし、湯煮して皿に盛り酢味噌などにて食す。つらら蒟蒻(こんにやく)もこの製に拠るべし。

付記 包油揚の製法に豆腐の水を去ること、常の如く布巾にてしぼらず、板に乾きたる灰を厚さ四五分に()き、その上へ乾きたる布をしき、また和紙を=遍しき、その上へ前に包みたる豆腐をならべ、自然に水を去るなり。水をしぼり過ごせば固まりて味をうしなうなり。注意すべし。



ね之部

      葱巻(ねぎまき)豆腐
 豆腐を布にて絞り、水を垂らし、俎板(まないた)に押しかけし後、うら漉し、次に擂鉢にて摺り、砂糖と醤油にて味を付け、焼鍋へ油をしき一杯に(のは)して、前に味をつけおきし葱四五本を入れて巻焼きとする。


な之部

      難波江(なばえ)豆腐
豆腐一丁を小賽に切り、潮煮仕立てにして盛り、浅草海苔を一枚ほど細かく揉んでかけたもの。


      鍋焼豆腐
 割銀杏、揚麩、繊切りの木耳(きくらげ)、茹慈姑(くわい)の輪切り、割葱、焼栗、松露、なめたけ、青昆布等を、酒塩、薄醤油で煮加減して、(おぼろ)豆腐閉じにして鍋のまま出すもの。摺山葵(すりわさひ)を薬味にする。分量の割は、野菜の材料全部で百匁ぐらいならば朧豆腐二丁、酒塩少量、醤油三勺、煮出汁五勺。


      南禅寺豆腐
 豆腐一丁を二つまたは三つ切りにして小判形につくり、両面を油で狐色に焼き、煮出汁一合と酒五勺で煮たもの。


      なでしこ豆腐
 豆腐→個、白味噌二十匁、菠薐草(ほうれんそう)二把、片栗粉十匁、白砂糖六匁、味醂少々、つくね芋二十匁、蕃椒二(とうがらし)本、昆布煮出汁、塩を用意し、豆腐を一寸角に切り塩をふり、後片栗粉をつけて煮出汁で煮る。片栗粉が煮えて透明になった時(糊化した時)取り出しおく。菠薐草を青ゆでにして裏漉しにかける。白味噌を擂って、菠薐草のうら漉したるものをまぜ、砂糖、味醂で味をつけ、豆腐を盛った上にかける。つくね芋をゆでて裏漉しにかけてそのhにのせ、蕃椒を細かく切って添える。暖かいうちに味わう。つくね芋がなければ卵白でもよい。


      馴染(なじみ)豆腐
 上々の白味喀三十匁ほどを擂って、酒五勺で中稀(ちゆううす)に延べた中へ、好みに切った豆腐一丁を二時間ほど浸けて、そのまま中火で煮たもの。葱のざくざく、育蕃椒(とうがらし)、おろし大根をおく。柚味噌皿等に盛って食す。


      梨子(なし)豆腐
 青干菜を(あふ)り細末にして、擂りたる豆腐にかきまぜ、よぎほどに取りて布に包みゆでるなり。調味は好み次第。


      南京蛤(なんきんはまぐり)
 蛤剥(はまぐり)身一合五勺ほどを、生醤油一合ほどで煮たものを、豆腐滓(きらず)二合に山椒の粉を少量加えて、醤油五勺ほどで炒った中へ入れて混ぜ合わせたもの。


      奈良漬豆腐
 奈良漬の粕へ太き棒をさし込み、一旦引き出して、棒の頭へ布裂(きれ)を冠せて再び以前の穴へさし込み、布を残して棒だけ抜き取り、その穴へ豆腐一丁を茹でて絞り、炒塩(やきしお)と葛粉少量で摺り合わせたものを突き入れ、布の口を捻じて塞ぎ、粕をかぶせておいて製ったもの。出す時は、布ぐるみ引き出して、好みに切る。


      ナンチン豆腐
 ナソチン意未詳。葱を二本五分切りにして、酒五勺で煎り、醤油三勺で味加減をして、掴みくずした豆腐一丁と一緒に煮たもの。青蕃椒をざくざくにして置く。


      賽淡鼓(なっとうもどき)
 青菽(あおまめ)三合ほどを茹でて摺り、味噌二十匁ほどに擂り交ぜ七八合の水で(つく)った汁に、青菜の微塵五十匁、豆腐一丁の一分賽切りを加えたもの。柚皮の微塵切り、芥子(からし)などを薬味とする。


      長崎巻煎(けんちえん)
 豆腐皮(ゆば)一枚を(のば)した上へ木耳(きくらけ)の繊切り少し、干柿、牛蒡(ごほう)の細切り、緑豆(もやし)などを少量ずつ、絞り豆腐一丁と一緒に油で炒ってのせ、巻き締めて、酒五勺、醤油三勺で味を付けたもの。



最終更新日 2005年09月20日 21時07分33秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「ら之部」「む之部」「う之部」

ら之部

      落雁豆腐
 白豆腐を布に包み水気を去り、うら()しにかけ、片栗粉少々入れ、黒胡麻の炒りたるを入れ、よく混ぜ合わせ、落雁(らくがん)の形に握りて湯煮すべし。汁の実。



む之部

      紫豆腐
 水気を絞った豆腐一丁に、紫蘇の葉を微塵に切って紅粉(べに)を少し擂り交ぜ、白いものと半分ずつとり合わせて、竹輪の如くつくって蒸したもの。


      結び豆腐
 豆腐一丁を算木形に縦に長く切って結び、葛でまぶし茹でたもの。吸物の取合せによく、また油で揚げても用う。
 また、酢の中で結び酢気を去って用うることもある。
 豆腐の結びよう 沸湯の中へしばらく入れ置きて、手のさえらるるほどの湯の中にて結ぶべし。自由になるなり。うどん豆腐などうつにも沸湯に入れてよし。


う之部

      うつろ豆腐
 生豆腐小半丁切って深き石鉢類に入れ、水に浮かし、かなあみに火をのせ、水中の豆腐を廻しながら四方を焼き、その豆腐を菓子昆布に包み、細縄にて巻き、大釜にて一日よく煮れば、かたち岩の如くなるを、味醂と醤油で味をつけるなり。


      うどん豆腐
 湯を入れた鍋二つ並べて火にかけ、二つとも湯玉のたつほど(たぎ)らしおき、切りたる豆腐を網しゃくしですくい、一方の鍋へ杓子ながらつけ、ひたしたまでにてすぐ取り上げ、前に温めおきたる器へすぐによそい、今一方の鍋に沸らしおきたる湯をその器にそそぎ入れて出す。煮るに及ばずして煎調(にかげん)最も妙なり。また幾十人に供するとも加減は始終変ることなし。汁は醤油一升に、酒三合、だし五合の割にて一つに煮かえし、前のちょくに入れ、おろし大根、唐辛粉、葱白(しろね)の微塵刻み、ちんぴの細末、浅草海苔、胡椒等を加役(かやく)に用う。さて豆腐の切りようは、ところてんの突出しの先に絹糸の(あみ)を張りて拵え、温湯の中へむけて突き出すなり。豆腐のあら切りしたるを手の掌に載せて切るもよし。もっとも庖丁は時々水につけて豆腐の付着せぬように注意すべし。一本にうす刃に()を少し引けば豆腐付着せぬとあり。


      ぶっかけうどん豆腐
 真のうどん豆腐よりは太くひらめに切りて前同様の煮加減のところ、湯をしぼりて器に盛り、生醤油の煮返しを(じき)にかけ、花鰹、おろし大根その他の加役を添う。
 またうどん豆腐の如く切りて奈良茶碗に入れ、茶碗むしにして葛あんをかけおろし山葵をおくを、ちりめん豆腐という。散麺なるべし。


      饂飩(うどん) 豆腐
 豆腐二丁を細く切って、葛湯五合を()立てた中へ人数だけずつ少量入れ、網杓子で椀に盛り、熱き湯をさして出すもの。葛湯は五合の湯を()ぎらかして、葛粉大匙一杯を水で溶いて加える。

真の饂飩(うとん)豆腐 沸湯を湯玉の立つほどに仕掛けた鍋を二つ用意し、一方の鍋へ、心太(ととろてん)のつき出しで突いた豆腐を網匙ですくい、匙ごと湯に浸けてすぐ揚げ、(あがた)めおいた器に盛り、一方に沸立てた湯を注いで出すようにしたもの。下汁は別に中猪口に入れて、薬味を添う。



      渦巻豆腐
 五六寸四方ほどの水前寺海苔(のり)一枚に、玉子の白身一個を加えた摺豆腐一丁を重ねて巻き付け、干瓢で括り、蒸籠で三十分間ほど蒸して味をつけ、小口切りにすると渦巻になるのでいう。


      空蝉(うつせみ) 豆腐
 蜆擬(しじみもと)きの製の如くにして、水を掬いつくして豆腐一丁ほど煎りつかせて豆腐滓(から)の如くしたものを、胡麻の油、酒塩少し、醤油大匙一杯を加えて煎り、玉子一個と揉み鯛二十匁ほど入れて杓子で練ったもの。


鰻豆腐  (一名、瀬田焼とうふ)
 浅草海苔一枚を()べた上に、擂豆腐一丁に麦粉大匙一杯()り交ぜたものを、厚さ三分ほどに平均に塗り付け、幅二寸五六分に切り、胡麻の油二合ほど沸立て、さっと揚げ、鰻の蒲焼の如く串にさして山椒醤油で付け焼きにする。

 また、豆腐をざっと茹で毛篩に上げてほどよく水気をしぼりたる後、これを裏漉しにかけ、少量の麺粉をまぜおき、四寸四方ぐらいに切りたる腐皮(ゆば)を俎上に()ばし、その中央に長さ四寸幅五六分に切りたる浅草海苔を少し間隔をおきて二筋ならべ、これに右の豆腐を一二分の厚さに押しならし、左右の両端を折り返し、合せ目に玉子の白身を塗り合わせ、竹の皮を布きたる蒸籠の中に並べ、五分間ばかり蒸して下ろし、さらに玉子焼に移して両面に焼目をつけ、昆布の煮出汁に醤油と砂糖を加え、煮返したる汁に中で約一時間浸し、適宜に切りて皿に盛り、粉山椒をふりかく。(蒲焼豆腐)


      卯花豆腐
 豆腐一丁をざっと胡麻油で揚げ、二時間ほど過ぎて、醤油三勺、酒五勺に水少し加えて煮上げ、
汁を絞って器に盛り、薯屑(しよこ)を小匙に一杯ほど振りかけたもの。
 しょこは薯蕷(やまのいも)の皮を剥き茹で、しばらく置ぎ、水気を()って銅篩(かなすいのう)で漉したもの。

      浮豆腐
豆腐一丁を湯引いて、銅杓子で掬い、五つほどに切って水気を断り、椀または茶碗に盛り、上から葛餡をどろりとかけて出すもの。


      うつし豆腐
 鯛の大切身と大形の(さい)()に切りたる豆腐を一つ鍋にて湯煮し、やがて切身をのけて豆腐ばかりとし、これに生姜醤油をかけ、すり(ゆず)をおく。


      (うず)み豆腐 (雪消飯)
 一寸角ぐらいに切り、鍋の底に昆布を敷き、水を入れ、煮立った時豆腐を入れ、沸立ったならば、熱い飯を茶碗に半分ほど盛って、その上に豆腐をのせ、煉味噌をかけ薬味を添えて味わう。煉味噌は並味噌に砂糖を加えよく煉り、煮出汁で伸ばし、とろりとする加減にして鍋に漉し入れ、火にかけ煉って熱いうちに用いる。薬味は大根おろし、揉み海苔、刻み葱などよし。


      淡葛(うすくず)豆腐
 鍋にやや辛めの清汁を仕立て、火にかけて煮立ちたるとき、豆腐を二分角ぐらいの算木形に切りて入れ、再び煮たちたる時、これに水溶き葛少しばかりを加えて徐々に()きまわし、さらに煮立てて豆腐の浮き上らんとするを度として椀に盛り、へぎ柚もしくはおろし山葵を吸口に入る。


      魚豆腐
 (きす)(ひらめ)(さわら)などが適する。三十匁ほど俎板の上にて板摺りして擂鉢に入れ、別に塩小盃一杯、白胡麻の炒ったもの大盃一杯半、葛粉同一杯、砂糖小盃一杯、醤油小盃一杯半、煮出汁一合五勺、卵白三個分をよくまぜ、擂身に少量ずつ加え、うら漉しして十六七分間蒸す。鳥肉もこの方法でよい。


      卯花雉子
 雉子(きし)一尾を下拵えして肉を骨と一緒に細かくたたき、豆腐滓(きらず)三合を漉して油五勺ほどで煎った中へ混ぜ込み、酒五勺、醤油三勺ほどで味をつけて煎り上げたもの。


      卯花煎玉子
 鍋の底へ焼豆腐一丁を敷いた上に煮出汁五勺、醤油三勺を加え、五個ほど割り交ぜた玉子を流し入れ、遠火で煮て、その玉子だけ器に盛り火取って(ふる)った若布の粉小匙に三杯をかけ、薄醤油をかけ、その上に豆腐滓を大匙一杯ほどざっと炒って撒布(ふりか)けたもの。茶人の秘法とする占料理の一つ。


      炒雪花菜
 豆腐滓を擂鉢でよく擂り、少量の煮出汁を砂糖と共に鍋に入れ、弱火にかけ攪拌しつつ少時煮たる後、少量の醤油を加え、さらに玉子一個をつぶしこみ、杓子にて充分かき交ぜつつ炒りあげて器に盛り、上に別に酢に浸しおきたる繊生姜をふりかく。また、芋の小賽、胡蘿萄(にんじん)の繊、三つ葉の茎、椎茸などを入れたるもよし。


      雪花菜鮓(うのはなすし)
 豆腐滓を擂鉢ですり裏漉しにかけて、煮出汁と味醂と塩とを加えて、鍋にて炒りたるものに、細く刻みたる針生姜の酢に浸しおきたるを混ぜ合わせ、小さく握り、酢に仕立てたる鰺の三枚におろしたのを被せて、口取物に付け合す。


      うす焼豆腐
 豆腐を俎上でよく水を垂らし、薄く色紙形のように切り、火皿か平鍋に油をしき、ならべて焼き煮こむ。白味喀汁、芥子。
 また、とうふをしぼりてすり、うどん粉少し入れてまたよくすり、うす箱に入れて蒸し、冷して薄く切って玉子鍋で両面やき目をつける。もっとも擂る時に白砂糖、塩少々入れる。


      埋蒲焼(うすみかはやき)
 豆腐滓三四合ほどを胡麻の油で炒って、熱いうちに重箱に取りまたは鍋のまま置き、その中に焼きたての鰻その他の蒲焼を埋め、手早く蓋を閉める。長時間魚の冷めぬ趣向なり。


      真の埋豆腐
 生豆腐一丁を(まる)ながら和紙に包み、(わら)を焚きてその熱灰にうずみ、半日にても一夜にても置き、取り出して酒塩、醤油等分にて煮染め、小口切りにして用う。一名、あつやき豆腐を[#ママ]いう。



最終更新日 2005年09月21日 20時42分56秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「の之部」「く之部」

の之部

      海苔巻豆腐
 (おし)豆腐一丁を長く切り、水前寺海苔一片ずつで巻き、干瓢で括り、酒五勺、醤油三勺で味加減して煮たもの。おし豆腐は豆腐を(くず)し、葛粉を少し加えて茹で、三四分の厚さに()らし、()して固めたもの。


      海苔巻豆腐滓鮓 (一名、ノリマキラズシ)
 浅草海苔一枚に酢を少しうち、豆腐滓三合に玉子一個をつなぎに入れ、胡麻油少し、酒塩少し、醤油大匙二杯で味をつけ、(むし)り鯛二十匁、木耳(きくらげ)の繊切り五匁、栗の針十匁、山椒少量を加えて作る。


      海苔かけ豆腐
 豆腐を(やつこ)に切り、鍋に煮出汁を煮立たせ、吸いものより少し鹹目(からめ)に加減して豆腐を入れ、一煮をして味を試み、椀に盛って出す時に上から焼海苔を揉んでかける。汁少し入るるがよし。


      能登擂豆腐(のとのすりとうふ)
 能登の国田鶴浜(たつるのはま)の名産にて、石臼で豆を挽かず、擂鉢で擂って少しずっ製した豆腐。細味にしてもっとも佳なりという。



く之部

      九二四豆腐
 酒九杯、醤油二杯、水四杯の割合の煮汁で、焼豆腐二丁ほどを大切りにして煮たもの。夕飯に要するときは、朝飯後から炭火で気長に煮ると古書にある。
 九二四豆腐 生豆腐二丁ほどを大田楽ほどに切って焼き、酒九杯、醤油二杯、水四杯の割で交ぜ合わせた汁で、弱火で半日ほど煮たもの。


      鯨豆腐
 豆腐二丁ほどの水をよく絞って、長い杉箱に充満(いつばい)に詰め、その上に鍋墨大匙に一杯を摺り合わせて黒く色付けた豆腐半丁を一層(ひとかわ)塗り付け、しばらく()して、沸湯に箱を浸けて蒸し、箱を(こわ)して取り出し小口切りにして、色の付かぬ程度に胡麻の油で揚げたもの。鍋墨の代りに昆布の黒焼き大匙に一杯を用いてもつくる。


      (くだき)豆腐
 水気を絞った豆腐一丁をつかみくずし、沸立てた油へ入れて攪拌した中へ、豆腐と同じ量の青菜を微塵に刻んで入れ、醤油五勺ほどで味をつけたもの。


      (くずし)豆腐
 豆腐一丁を田楽の大きさに切って手の中で圧しつぶし、水気の半分ほどに握り、醤油二勺、酒五勺、水三勺ほどを沸立てた中へ入れ、一沸(ひとふき)ざっと煮たもの。吸物種、または煮物に用う。
 また、豆腐を湯で煮上げおいてから崩し、少しずつ(すく)って出す法もある。

 崩豆腐 京阪ではイカキ豆腐ともいい、地方では汲豆腐ともいう。豆腐一丁を崩し、(はらこ)五十匁、茎菜三十匁など取り合わせて五合ほどに作った汁。また煮物にも用う。


      鞍馬(くらま)豆腐
 豆腐一丁を二つ切りにして油で揚げ、皮を剥いで丸くつくり()でて梅塩(うめひしお)をかけ、罌粟(けし)胡麻(ごま)()ったもの。また酒塩、(うす)醤油五勺ぐらいずつで煮て、摺山椒を置くこともある。


      供御(くご)豆腐
 豆腐二丁ほどを布につつんで圧しをかけて絞り、生垂昆布二十匁、干瓢五匁などを入れ、醤油三勺、酒五勺で味を付けた中へ入れ、叩き胡桃三匁、黒胡麻五勺などまぜて煮上げ、布に包んでまた圧しをかけて、絞って寄せ、冷ましてから好みに切形したもの。


      汲豆腐皮(くみゆば)
 豆腐皮(ゆば)の整然と形につくりなさぬままのものを汲んで汁に入れるものをいう。
 守貞漫稿に、江戸にも汲豆腐といえば柔か也、京阪普通製に似たり、蓋絹ごし常に有レ之、くみ豆腐別製也、需あれば製レ之。

      雲井豆腐
 一寸ほどに切った鯛の切身百匁ほどに、沸湯を()けて脂をとったものと、同じ大きさに切って、ざっと(あふ)った豆腐一丁ほどを、少しずつ奈良茶碗に盛り、熱いうちに生の煮返し醤油におろし大根を添えて出すもの。


      雲掛(くもかけ)豆腐
 豆腐一丁を切って、寒晒(かんざら)糯米(もちこめ)の粉大匙二杯ほどまぶして蒸し、山葵(わさひ)味噌二十匁ほどをかけて出すもの。


      胡桃(くるみ)豆腐
 くるみの(さね)を擂り潰し、これに葛粉を和し、裏漉しにしてよく練り()き、よき加減にどろどろになりたるを枠箱に流し込み、凝固せしめたるもの。

 くるみ一合湯に浸け、皮を剥ぎ、擂鉢に入れ、よく摺り、うら漉しにかけおき、葛粉十匁、白砂糖、食塩にて味を付け、よく煉り上げ、箱に入れ、蒸器にかけ、二十分間蒸し、取り出し、庖丁刀して用うるなり。

 くるみを湯に浸し、皮を去りて擂り、水を胡桃の三倍ほど延ばし、毛篩にて漉し、鍋に入れ火にかけよくたき、葛をたくさんに引きて枠に流し、冷めたる時水に冷し、適宜に切り、青柚をおろし煮出汁を添えて供す。


      栗豆腐
 豆腐一丁を今出川豆腐のように湯煮して、湯を絞って蓋茶碗に盛り、生姜の汁を煉りこんだ葛餡をかけ、焼栗五合を粗く粉にして火取ったものに、少しずつ分けてまぶせたもの。


      観世豆腐
 豆腐一丁を大きく三角に切り、水を拭いて狐色に焼きてつかうことをいう。煮物に用う。


     空也(くうや)豆腐
 空也(くうや)念仏僧の作りしものにて、豆腐に味をつけたる玉子をかけ、蒸して葛餡をかけたるもの。
 五分角長さ一寸五分ぐらいに切った豆腐を、毛篩で水気を去り、別に玉子一個とその二倍の煮出汁と少量の煮切味醂と醤油を加えてかきまぜ、二個の蒸茶碗に取り分け、その一方に右の豆腐を入れ、その上からまた一方の玉子をかけ、深鍋に三分の一ばかりの湯を沸かし、その中へ板を浮かせ、これに右の茶碗を載せて、鍋の()りに箸を渡し、これに鍋のふたをのせ、およそ十分ばかり蒸して鍋より下し、その上に前以て作っておいた鳥または(えび)のぞぼろをかけ、さらに淡葛をかけ、()山葵(わさび)を添える。
そほろを製るには、鳥または蝦の肉を細かに刻み、庖丁刀にてたたき、味醂と醤油にて煮上る。


      光悦豆腐(光悦煮)
 豆腐一丁の布目を去って、田楽形より厚く短冊に切り、塩にまぶし、狐色に焼き、鍋に酒二合ほど入れて、酒気がなくなるほど沸かした中へ、右の豆腐を入れて煮上る。本阿弥光悦の好みの料理法なり。


      ぐつ煮豆腐
 ふくさ味噌(軽く仕立てた味噌)を酒にてゆるめたる鍋に、始めより豆腐を入れて煮る。すり山椒おく。


      蛤蠣(クリイ)豆腐(トウフ)(支那料理)
 浅蜊(あさり)剥身(むきみ)四十匁ほどを洗って水を()り、豚肉二十匁ほどの(さい)()切りと交ぜてラードで揚げ、葱半分、生姜二片の微塵切り、椎茸三個の賽の目切りを加え、熱湯を()し、酒、醤油、砂糖で味をつけ、豆腐半丁入れて、しばらく煮て、葛の水溶きを加えて出すもの。



最終更新日 2005年09月24日 21時20分14秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「や之部」「ま之部」「け之部」「ふ之部」

や之部

     和々(やわやわに)
 豆腐などを弱火で(やわやわ)々と小鍋で煮ることをいう。冬の食味。


     焼八杯豆腐
 豆腐をいかにも細く八杯に切り、藁の上によく水をきってまばらに並べ、上にまた藁をおき、火をよく上下へ廻るようにかけ藁を焼くなり。藁灰のまますいのうに取り、いく度も水をかえて(よなげ)れば、灰は自然に除かれ、八杯豆腐の四方は薄々と焼目つくなり。これをよく塩梅すべし。


      奴豆腐
 (やつと)どうふ、冷奴、湯奴、煮奴。
 豆腐一丁を、七八分乃至一寸ぐらいの賽形に四角に切ったもの。これを湯煮して出すを湯豆腐または湯奴と称し、味醂五勺、醤油三勺ほどで花鰹を加え味をつけて煮たものを煮奴という。
 奴豆腐の名は、煮ゆる時に奴の尻を振るように震うによりていうとも、また奴の紋の四ツ目形を取りていう、また生豆腐を喰うを卑しみて奴といえるにや、諸説多し。


     冷奴
 絹漉しとうふを普通の奴とうふより少し大形に切り二人前半丁ずつぐらい)、しばらく冷水に浸け、出す時氷塊を入れて一層清冷にして豆フォークで小皿に取り分け、薬味を添えて供す。
 薬味の種類は、青紫蘇(塩で揉み繊に切る)、晒し葱(細く小口切り布巾に包み水気を軽くしぼって)、おろし生姜(古生姜をおろして)、茗荷(みようが)の子(せんに切って)、そのほか、すり胡麻、柚子皮、辛子、七味唐からし、レモソ、磴酢(だいたい)など。
 豆腐は絹ごしの滑らかなるは舌ざわりよきも、木綿とうふを薄塩で一度湯煮して冷まし、削り氷をかけて出すもよし。
 また浸け出しは、松前醤油、からし醤油、胡麻醤油、柚子醤油など。


      山吹豆腐
 豆腐一丁を大賽の目に切り、(さる)に入れて振り廻して角を取り、山梔子(くちなし)の汁五勺ほどに浸け色を付けた後、薄醤油を塗って付け焼きにしたもの。


      野干平豆腐
 豆腐を田楽に切り、酒につけおき、糯米を水にふやかして浸けたるを擂鉢でよくすり、それを豆腐にぬりて田楽焼きにする。山椒味噌をつけて出す。


      薯蕷(やま)かけ豆腐
 豆腐を八杯に切り、淡き葛湯にて煮て、これを茶碗に盛り、上より擂った薯蕷(やまのいもとろろ)をかけ、さらに清汁をかけ、青海苔または浅草海苔を揉みかけて出す。山蔭とうふともいう。
 但し大根のしぼり汁にていもを伸ばしてよし。


      焼豆腐の木芽味噌
 焼豆腐一丁を五つぐらいに切り、水を多くして湯煮し、水気を切って薄味に長く煮る。
 木の芽味噌は煮出汁で延ばし、火にかけてぽっちりとして冷した後、木の芽を刻み、よくすり交ぜる。焼とうふの温かいうちに味噌をかけ、その上に木の芽をのせて出す。また粉山椒にてもよし。


      棣棠(やまふき)豆腐
油にて揚げた生豆腐をしばらく置き味つけして、茹で玉子の黄身をほこして、その上に撒布(ふりま)く。


     油豆腐煮魚(ヤウタウフウジユニユ)(支那料理)
 魚を百匁ほど好みに切って塩をふりおき、油でいためた中へ、生姜一個を細長く切って入れ、スープ一合と油揚三四枚を、長方形に切ったものを入れ、椎茸五個の細切りを加え、酒、砂糖、醤油、塩で味を付けて煮たもの。



ま之部

      (まがい)豆腐
 豆粉一升に饂飩(うどん)の粉五合ほどを入れ、湯で()ね、打ちのばして小口から饂飩の如く切って、茹でたもの。二十匁ほどずつ盛って清汁の吸物につかう。


      巻和布(まきわかめ)豆腐
 白胡麻をよく()り、それに豆腐をすり入れ裏こしにかけ、別にさがら和布(わかめ)をゆで、(とく)と酒ばかりにて煮て五寸ぐらいに切り、前の豆腐を薄く塗りつけて巻立て、藁で結び、さっと茹でて小口切りにする。


      松風豆腐
 豆腐六分、袱紗(ふくさ)味噌三分(軽き味に仕立てたもの)、玉子一分の割で交ぜた中へ、山椒の粉を少量加えて摺り合わせ酒塩で伸ばし、油を引いた鍋で平らに()べ、上面に罌粟(けし)()って焼いたもの。好みに切って下物(さかな)に用う。


      真砂豆腐
 豆腐を布巾にてしぼり、それを茹でて水気を去り、煮切り味醂一杯、煮出汁二杯、醤油一杯に砂糖少し加えた汁の中へ入れて、ばさばさになるまで炒りあげた上、人参の繊、木耳の細ま切れを一寸下煮して交ぜ合わせ、小鉢に盛る。


      待兼豆腐滓(まちかねから)
 味噌桶の底に豆腐滓を詰め、生姜(しようが)を敷いた上に、味噌を入れ、味噌を用い終ったらば豆腐滓を出し、初めの生姜のほか、山椒、(かや)の実、麻子(おのみ)、胡麻、陳皮などを好みに選んで加料(かやく)にして用うるもの。


      松毬(まつかさ)豆腐
 豆腐一丁の布目を去り、五分ほどに切って、松毬(まつかさ)の如く斜めに十文字に切目をつけ、熱湯でざっと茹で、掬い上げて薄味噌二十匁に独活(うど)の根を大匙に一杯摺り入れて、切目へかけて出す。松毬の如き香を賞味する。


      松重(まつかさね)豆腐
 水前寺海苔の上に、玉子一個の白身をつなぎにして、摺豆腐一丁を海苔の倍の厚さに展べて塗りつけ、蒸して少しの塩で味をつけたもの。切形して用う。


      丸揚豆腐
 油揚とうふの耳を切り取り、三つか四つに切りて煮込み、平などに用う。


      松木(まつぎ)豆腐
 醤油大匙一杯で味加減した鰹煮出汁五合に袱紗味噌三十匁ほどをのべて入れ、強火で煮立てた中へ、豆腐一丁を好みに切って入れ、弱火で半日ほど煮たもの。楽焼の升皿などに摺り山椒を薬味にして盛る。


      松皮豆腐
 豆腐の水気をしぼり、擂鉢で擂り玉子をつなぎに入れ、俎板(まないた)の上に青海苔を敷き、その上に右の豆腐を厚さ二分ばかりに延べ、竹の皮を布いた蒸籠(せいろ)に入れて蒸し、適宜の形に切りて皿に盛り、醤油におろし大根を添えて出す。


      巻豆腐
 田楽よりも大きく長く切った豆腐一丁を焼き、一分ぐらいに()ぎて蒲鉾(かまほこ)板へ竹釘で打ちつけ、焼いた方を内にして、片いだ方へ味噌をつけて焼いて切り放し、折り返して竹串でとめたもの。引肴に用う。味喀は三十匁ほど裏漉しして、味醂または酒大匙二杯ほど加え、煮返して用う。

      又
 豆腐を絞り、水気を去り擂鉢にて擂り、葛粉を入れ、牛蒡、人参などせんに打ち、栗、慈姑(くわい)()の実などの物を加えて豆腐に包み、小麦粉を溶きて被せ、胡麻油にて揚げ、甘煮に煮こみたるもの。平椀などに用う。


      蚊蟻豆腐(マンツウダウフウ)(支那料理)
 豆腐一丁を八杯に切って鶏のスープ三合で煮て、沸立ったらば、醤油と砂糖少量で麺粉(うとんこ)を大匙に一杯溶いてかけ、ハムニ切れと乾(えび)大匙一杯とを細末にして、熟油(いりあぶら)少しと共に加えたもの。


      松茸豆腐
 松茸五十匁をよく洗い、紙に包んで五分間ぐらい蒸し、冷して俎板の上でよく叩き、擂って白身の魚肉三十匁入れ、よく擂り、卵白四個分、煮出汁一合二勺、塩小盃半分、酒三勺、醤油二三滴、砂糖小盃一杯を入れ、よく擂りまぜ、蒸器に入れて蒸し、適当に庖丁刀する。


      松前豆腐
豆腐を絞りて擂り、おぼろこんぶを摺り入れ交ぜ、布巾へ延ばし包みて蒸して切る。



け之部

      鶏卵豆腐
 豆腐の水をしぼり、葛粉をつなぎに入れ、よく擂り少しかためにす。これに(しん)のなきよろしき
部分をまる()きにして、いかにもよく(やわ)らかに煮たる胡蘿蔔(にんしん)を巻き包み、あるいは竹の皮にて巻きくくり、湯煮して小口切りにす。胡蘿蔔のかわり甘藷を用ゆるも可なり。


      ケンチン豆腐
 豆腐一丁を十二ほどに切り、油にてザッと揚げ、そのまた一つを二片に割りてまた細く切る。
かくて一方には栗子、皮牛蒡を針に切り、木耳(きくらげ)()を細く切り、(せり)(なき時は青菜)を微塵に刻みたるものと、銀杏二つ割りにしたるこの七品を合わせて、およそ一升ばかりの量に油一合あまりの分量にて、右の油をよく沸立たせ、まず銀杏、牛蒡、芹を入れて炒りつけ、次に木耳、獄、栗子、並びに前の豆腐を入れ、打ち返し打ち返ししてさて醤油にて味を付ける。然る後さましおく。かくしてこの料が冷めたるを見計らい、湯葉を水に浸し、板に広げたるものの中に、あつさ四五分満遍なく敷きならべ、よく巻きつけてモ瓢にて括る(巻止めを水ときの葛にてとめる)。これを油でよくあげ、七八分ずつ小口切りにして出す。即ち豆腐は三遍油にて揚げることとなる。ケンチン酢にて食う。
 ○ケンチン酢は上々の酢と醤油を等分にして、これにしぼり生姜を多く入れ、絹漉しとなす。


      (そう)のケンチン豆腐
 前の加役を油にて炒りつけ、摺り豆腐に混ぜ生湯葉で巻き(油を用いず)醤油と酒塩にて味をつけて小口切り、そのまま盛る。


      源氏豆腐
 豆腐一丁を小形に切り、水気を去って、葛粉をまぶせ、(かや)の油であげたもの。摺り生姜などを添う。また大形に切って引油の鍋にて、芥子酢の赤味噌にて味噌ころばしにするもあり。



ふ之部

      風流芋蛸豆腐汁
 皮を剥いた里芋五十匁を茹でて、(たこ)の足を柔らかく茹でたものと、一緒に中賽に切り、豆腐一丁を同じ中賽に切ったものと、一緒に五十匁ほどの味膾を、七八合に仕立てた味噌汁に入れ、花鰹、葱、青蕃椒等を薬味にした汁。茶蒸碗などに盛る。


      二見豆腐
常の湯豆腐なり。ふたへ味噌を付けて出す。ゆえにふた見の名あり。但し蕎麦粉の団子を入れて出すもよし。


      (ふわ)(ふわ)豆腐
玉子五六個を溶き、同量ほどの豆腐を崩して、等分に交ぜて摺り合わせ、醤油少し注し、浮泡煮に作ったもの。胡椒の粉をふりて食す。
 煮方は塩味を淡くしたる清汁の冷めたる中に、右の豆腐を入れてかきまぜ、火にかけて徐々煮るとふわふわになるなり。


      打掛饂飩豆腐
 豆腐一丁を、饂飩豆腐より太く平めに切って茹で、煮返した生醤油五勺ほどをかけ、薬味を添えて出す。(そう)の饂飩豆腐ともいう。


      芙蓉豆腐(フウ ヨン ダウ フウ)  (支那料理)
 豆腐一丁を薄く切って水をやや多く加えた中へ、干(えび)三十匁、干貝柱三十匁、椎茸四五個を加え、酒、醤油、塩で味をつけ、スープ一△口で煮た上に、玉子を五個割ってかきまぜ、熟油(いりあぶら)をかけ、醤油と麺粉を溶いてかけたもの。


最終更新日 2005年09月25日 18時11分19秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「こ之部」「え之部」「て之部」

こ之部

      衣豆腐
 豆腐一丁の水気を去って(やつと)(角切)に切り、葛粉一合の中へ転がして衣となし、胡麻の油または豚の油二合ほど沸かして揚げたもの。熱きうち、おろし大根を薬味に醤油で出す。


      衣手
 氷豆腐一丁を、鰹煮出汁一合と醤油五勺ほどで加減して煮て、玉子二三個の浮泡煮(ふわふわに)をかけ、胡
椒の粉を少しふって出すもの。


      小角揚豆腐
 豆腐一丁の水をしぼり、一寸四方に切り、胡麻油で()げ、酒五勺、醤油二勺で煮付け、おろし生姜を置いて出す。


      小町豆腐
豆腐一丁の四方を取って、昆布煮出汁一合で煮て、薄く焼目をつけ、器に盛って、黒胡麻の摺ったのを十匁ほど上にかけ、生姜の繊を置いたもの。


      小紋豆腐
 豆腐一丁を擂って漉した中へ、黒海苔を(あぶ)って大匙一杯ほど揉み交ぜ、布で包んで茹でたもの。


      琥珀(こはく)豆腐
 豆腐一丁の水を絞って、掴み崩し、玉子の白身一個を加えて擂り交ぜ、葛の粉を猪口に一杯入れて、好みの丸形に取って、胡麻の油であげたもの。


      極楽豆腐
 糯米一合ほどを水に浸けておいてから、擂鉢で擂り、田楽豆腐にまぶし付けて焼いて出すもの。山葵(わさび)醤油を小皿に盛って出す。


      胡麻豆腐
 白ごま一合を一夜浸し、水気を切って炒り、擂鉢で擂り潰し、葛粉二合、豆腐二個加えて擂り交ぜ裏漉し、鍋に移して煉って後、布を敷いた箱に流し込み、冷え固まった時、庖丁刀して葛餡をかける。

 (そう)、胡麻豆腐は胡麻五勺ほどを水()きに()(おろ)し、漉して、二合ほどの水にして上水を去り、豆腐一丁を擦り交ぜた上、蒸したもの。


      胡麻かけ豆腐
 豆腐を奴より少し大形に切り、鍋に入れ、水たっぷり加えて弱火にかけ、静かに茹で、豆腐が一度浮き上ったら掬い上げ、水気を切って椀に盛り、上から胡麻あんをかけて供す。
 ごま餡はごまを水洗いして砂をとり、焙烙(ほうろく)で炒って擂鉢に入れて油の出るまで摺り、前に鍋に砂糖大匙三分の一と、醤油大匙一杯半を入れて火にかけ、一沸立して煮出汁一合を加え、水溶きした片栗粉少々加えて、汁が滑かになったところで鍋を下し、ごまを徐々に加えて混ぜ合わせる。ごまは煮ると風味を失う故、必ず鍋をおろしてから入れるべし。


      黄金豆腐
 高野豆腐をもどし、水にて何遍も洗い、水気を絞り、布巾にて水気を取り、胡麻の油の沸立ちたる時に入れて狐色になるまで揚げ、紙の上に取りて油気をぬき、うまだし、煮切味醂、醤油にて味付け、煮合せに用う。


      (こも)豆腐
豆腐一丁をそのままあるいは好みに切形して、菰に巻いて茹でたもの。汁煮物などに用う。


      こもく豆腐(骨董乳)
 まるの豆腐に切目を十文字に入れ(切り放さぬようにすべし)、葛湯にてまる煮にし、後に鉢に移し、この中へ生の煮返し醤油を汁の如く底に湛え、花鰹を一面にその上にしき、焼海苔、唐辛にザクザク葱白(しろね)、おろし大根その上にのせて席上に持ち出し、その場にてごたごたに混ぜて小皿に盛る。


      濃醤(こくしよう)
 豆腐一丁を四つ切りほどにして濃醤に煮、一椀に一切れ、出しさまにすり山椒をおき、その上に花鰹をのせる。


      氷豆腐((すみ)とうふともいう)
 豆腐一丁を五つ六つほどに切って、熱湯をかけ、寒中一夜戸外に(さら)して凍らせて後、また日に乾かしたもの。腐乾(ろくしよう)

 玲瓏(こおり)豆腐 寒天一本を煮抜いた二合ほどの湯で、豆腐一丁を茹で、冷して用うもの。

 凍豆腐飯 凍豆腐をおろし金で摺りおろし、茹でて水で晒し、布巾でしぼったものを百五十匁ほど、茶飯一升に炊きこんだもの。一に「こうやどうふ飯」という。

 高野豆腐を湯煮し、酒にてよく()き醤油にて味つけ、すこし冷めて四方の耳をおとし、小口切り、()えもの、酢のものに用う。

 高野ずし 氷豆腐を生にておろし金でおろし、湯に浸け、しぼりあげ、よき味つけて海苔でまき小口切り。

 高野豆腐は煮出汁の味を噛みしめる時に、その煮方の巧妙さが解る。もどし加減と煮出し加減が至難(むずか)しい。また高野豆腐の精進の煮方は、湯でもどし固くしぼって酒ばかりでたき、醤油の加減味付けして、さめて取肴などに用う。

 即席料理 高野豆腐をそのまま金網で両面焼きつつ、別に煮出汁(酒を加え)を火にかけおき、焼き立てをその中に入れ、よく汁をふくませて、好みの形に切って酒の下物(さかな)に供する。これは編者が高野僧房にて見学せしものなり。


      ()豆腐
 大豆をはたきよくふるい、捍ねて棒状に蒸し上げ小口切りにす。僻地にては正月雑煮餅に豆腐の代りに用う。


      鯉魚(こいの)濃醤(こくしよう)
 豆腐大骰に切り、始めより筒切りの鯉魚と同じく煮て、魚の煮加減を主とし、山椒を置く。



え之部

      海老豆腐
 芝海老(しはえび)の皮を()き、正肉百五十匁を潰し擂って裏漉しになし、葛粉一合を煮出汁三合五勺乃至四合で溶き、馬尾篩(すいのう)で漉し海老に加え、塩小匙半分、味醂大匙一杯で、味をつけて鍋に入れ、弱火で煉り、塗り箱に入れて冷まして固めたもの。好みに切り、冬瓜の霰切りなどと盛り合せて、葛餡をかけて出す。

 また、生小鰕(こえひ)を庖丁刀にてたたき、別に擂鉢にて擂りたる豆腐の中へこれを入れ、よく交ぜたる後、葱白(しろね)のざくざく、擦大根、山葵等の加料(かやく)を入れ、油()りにして味をつくる。但し鰕なき時は伊勢鰕を湯煮してその肉をたたき用うるもよし。


      枝豆豆腐 (満月)
 枝豆を湯をなし、豆をはじき出し、豆一合を摺鉢に入れてよく摺り、葛五勺に水一合入れ、共によく摺りて裏漉しにかけ、鍋に入れ、火をつめて、丸形の猪口に流し込む。


      枝豆豆腐
 青い枝豆を茹でてはじき出し、よく擂り、豆一合につき葛粉五勺水一合の割合で溶かして加え、擂りまぜ、うら漉しにかけ、鍋に入れ、中火で煉り上げ流し箱に入れ、冷し固める。大きい賽形に庖丁刀し、椀に入れ、注汁、おろし山葵を添える。



て之部

      天狗(てんぐ)豆腐
 四つの鍋に、胡麻の油、白湯(さゆ)、酒、醤油と順にして各一種ずつ、強火で煮立ておき、豆腐を好みに切形して、一つの鍋に,人ずつ待ち受け、順次に鍋に入れて→」三遍廻しては掬い上げ、最後の醤油の鍋からすぐに山葵味噌を敷味噌にして、温めた茶碗に盛って出すをいう。「転供豆腐とあるべきを天狗豆腐というなるべし」と「豆腐百珍続篇」にある。


     
      {[豆腐干]((ちようふかん))}(普茶)
 豆腐一丁を布袋に入れて押し、水気を断り、固くして生醤油二勺、煮出し三勺で炒りつけ、冷して厚さ三四分、幅→寸四分ほどに切り、油で()げ、再び醤油三勺ほどで味をつけたもの。


      {[豆腐糟]((ちょうふおう))} (普茶)
 豆腐の滓一升ほどに、油三四合入れて炒り付け、醤油五勺ほどに味をつけたもの。夏季には香椿(ひやんちん)という木の若葉を切って少し入れる。


      {[豆腐巻]((ちようふけん))}(普茶)
 牛蒡の皮を剥き三十匁ほど、木耳(きくらげ)十匁を針に切り、油で炒りつけ、葛粉を少し交ぜて豆腐二丁を一緒に摺り、麻の実を大匙に山盛り一杯入れて、玉子の如く丸めて油に入れ、醤油五勺、水少しでざっと煮たもの。


      {[豆腐乳]((ちょうふずう))}(普茶)
 豆腐を袋に入れて押しをかけて固くして、五六分四方に切り、およそ豆腐十丁ならば塩三四合ほど交ぜて、壺に入れて上八日置き、また(こしき)で蒸し、諸味(もろみ)に柚を切り交ぜ、醤油を少し()し、右の豆腐を入れて二十日ほど置いたもの。


最終更新日 2005年09月26日 17時59分52秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「あ之部」

あ之部

      粟豆腐
 敷葛餡に擦山葵(おろしわさひ)を置いて、朧豆腐一丁の煮加減よきを、湯を絞って少しずつ盛った上に、茹で
玉子の黄身を二個ほど分けてふりかけたもの。敷葛餡は味醂三勺、醤油二勺、煮出汁一合を火に
かけて沸立てたものに、片栗粉大匙一杯を水で溶き流し込み、かきまわして作ったもの。少しずつ椀の下に敷いて出す。


      淡雪豆腐
 豆腐一丁を煮出汁五勺、醤油大匙一杯で塩加減して煮た上に、山の芋の皮を剥ぎ、蒸籠で蒸して漉し、二十匁ほどを雪の如くにしてかけ、青海苔と花鰹などを置き、胡椒の粉などをかけたもの。


      (あわせ)湯豆腐
 餅を一手五六分ほどの角形に切って軟らかく湯煮し、二寸角ほどに切った湯豆腐の上に乗せ、葛餡を煮立てかけて出す。


      厚焼豆腐(安部豆腐)
 豆腐二丁ほどの水気を絞り、麦粉を大匙山盛、杯入れ、酒塩、醤油少しずつで味をつけ、割り銀杏、木耳(きくらげ)の繊切り、松露等を少しずつ見合せに加え、平鍋に油を敷いて中火で煮て、汁をすくい取り、底の焦げ付くほどの煮加減で製ったものをいう。一名、安部豆腐。


      霰豆腐
 豆腐一丁の水をおししぼり、小(さい)に切り、笊に入れて揺り廻して角を取り、胡麻の油でざっと揚げたもの。この大きな形のものを松露豆腐という。

 胡麻入あられ豆腐 白ごまよく炒りて豆腐を絞りたるを入れ、葛少し加えすりまぜ、金杓子の網の穴より沸湯の中へおとし、掬いあげて水へおろし、またぬるま湯へ入れおき岡入れにする。白味噌汁の種。


      荒金(あらがね)豆腐
 豆腐一丁の水を絞って擱み崩し、酒塩五勺と醤油三勺で炒り付け、摺山椒少しをうち込んだもの。但し炒り付けに油気を用いず。


      揚豆腐
 豆腐を薄く製って胡麻の油または菜種の油で揚げたもの。油揚豆腐の略。また「あぶらあげ」または「あぶらげ」とも称える。多く煮物、汁などの実として惣菜料理に用いられ、また狐の好むという俗説から、稲荷祭には、必ずこれを供物とする慣習がある。
  初午やしるしばかりを揚豆腐    抱一
 また、臨時に揚豆腐を製るには、灰の上に紙を置いて、その上に好みに切形したる豆腐一丁ほどならべ、水気を断ってから、胡麻油二合ほど沸立て、揚げたもの。


     油揚の付焼
油揚を一口に食べられるほどに切り、味醂大匙二杯、醤油大匙五杯の割で合した中へ十分間ばかり漬けおき、出すとき金網にて焼き、二度ばかりこの汁にて付焼ぎにして、温かいうちにおろし大根を添えて供する。


      油揚(なます)
 油揚三枚のまわりに庖丁刀を入れ二枚に剥がし、縦二つに切り、細い繊切りとして、(ざる)に入れ、
熱湯をかけて油抜きをしておく。
 蒟蒻(こんにやく)は一寸ぐらいに切ってほぐし、茹でて水気をきり、油揚と共に鍋に入れて薄味をつける。
 胡瓜は皮を剥き二つ割り種子をぬき、薄く切り塩をふりざっと揉み、水洗いして固くしぼり、酢の中に十分間ばかりつけおく。
 白ごま匙三杯ほど炒って、擂鉢で油の出るほど摺り、砂糖大匙一杯、塩小匙一杯、醤油一勺を加え摺りのばし、その中へ右の三品を入れて()え、器に盛りて繊に切った生姜(しようが)をのせて(すす)める。


      油揚飯
 豆腐の油揚げを交ぜて炊きこんだ飯、一に「信田飯」または「狐飯」ともいう。最初に油揚豆
腐五枚ほどに熱湯をかけて油を流し、細びいて味醂五勺、砂糖大匙一杯、醤油」合ほどで下煮を
して、一升の米を水一升で仕かけ、飯の煮え立つ時、煮出汁と共にうちこみ、移すときによくかきまぜる。


      青豆腐
 豆腐二丁を絞って、葛粉大匙一杯を溶いて加えた中へ、微塵切りの菜三十匁、または青豆を茹でて摺りつぶし、大匙二杯で色つけをして鉢へ入れて、鉢ごと蒸籠へ入れ三四十分間ほど蒸したもの。切形して汁の実または葛餡をかけても用い、または冷豆腐に仕立て、大根または山葵おろして生醤油で用い、または蒸さずに摺り流して白味噌に煮立てても出す。
 青豆豆腐 青き枝豆を茹でて豆をはじき出し、擂鉢ですり潰し、はじき豆一合に葛粉五勺、水一合の割にて水溶き葛を造り、右の豆の中に入れ、さらによく擂り交ぜたる後、うら漉しにかけ、鍋に移し中火にかけ杓子にてかきまぜつつほどよく煉り上げ、枠に流し冷して取り出し、好みの賽形に切って、小猪口に注汁(つけじる)を入れ、おろし山葵を添う。注汁は味醂、煮出汁、醤油を合わせ煮返したもの。


      青豆豆腐
青豆を水に浸しおき、擂鉢に入れて摺り、一度湯煮して、布にて漉し、その中に玉子白身を入れ、出し汁、味醂、焼塩にて味を付け、蒸し上ぐ。好みの形に庖丁刀して用う。煮物。


      青海豆腐
 絹漉しのすくい豆腐を葛湯にて煮加減よくし、別に生の煮かえし醤油をこしらえおき、出しさまに椀の中へさし醤油にして、青海苔を(あふ)りていかにもよく細末にし(ふるい)にかけたるをぱっとふる。


      餒掛豆腐
 豆腐一丁を三つまたは四つほどに、大ぎく角形に切ってとろ火で湯煮(鍋の底に昆布を布いて)して、水気をしぼって椀に盛り、その上に煮出汁一合、醤油二勺、味醂三勺などに葛粉を中匙一杯を加えて作った餡をどろりとかけ、芥子(からし)など上置きにして出す。おろし生姜、出葵など添う。


      餡かけ豆腐
 一寸二分ぐらいの厚さ、二寸四分ぐらいの大きさに切り、さっと煮てすくい、椀に盛り、葛餡をかけ、おろし生姜または水がらしを添える。


      青柳豆腐
 豆腐の水気を絞り擂鉢で摺り、これに青干の菜を(あぶ)りて粉末にして加え、よく擂り交ぜ、好みの形に和紙に包み、湯煮をして汁の実とする。


      餡豆腐
 今製の餡かけ豆腐の古名。「大草家料理書」に、「あん豆腐というは二寸ばかりに切って湯煮をして、さらに入れて、その上に葛だまりをかけて、同じく罌粟(けし)、山椒の粉、胡桃の実を上置きするなり」とある。また(もやし)、椎茸、揚歙などを取り合わせ、芥子を溶いておいて出す。


     新玉豆腐
茹玉子を(まる)のまま()いて、茶碗に一つずつ盛り、熱いうちに雷豆腐をかけて出すもの。


     熱壁
 御雉豆腐の如く四角に切った豆腐を、熱く湯煮し、味膾を摺ってどろりとかけたものをいう。往昔、禁廷にて御煤払いのとき、大釜で(おびたた)しく煮て、百官群臣に賜わったもの。


      (あわひ)豆腐
 豆腐一丁を角形に切り、一個ずつ美濃紙に包みて熱灰に入れて焼き、紙を払い、胡麻の油でさっと()げたもの。


     香魚(あゆ)もどき
 豆腐を長く柱に切り、あさく揚げて蓼酢(たてず)にて食す。


     (あや) () 豆腐
 豆腐一丁を布に包んで、水を絞り、生麩を等分に合わせて、布に包んで蒸し、切形して醤油三勺、酒塩五勺で煮て、山葵味噌をかけたもの。


      安平(あんべい)豆腐
 松露を洗い、一二個ずつ入れて、その上に朧豆腐を八分目ほどずつ小茶碗へ盛り、蒸籠で二十分間ほど蒸して、葛餡を一面にかけ、擦山葵少し置いて出す。


      生揚げの生姜付焼き
 古生姜をおろし布巾で包み汁をしぼり、この中へ醤油大匙五杯ほど入れる。
 生揚げは金網を火にかけ、右の醤油を二度ばかり付焼きにして、適宜の大きさに切って、おろし大根を添えて供す。


      (あげ)爍流し
豆腐一丁を一寸角ほどに切って、胡麻油で()げ、鍋よりすぐ水へ移して油気を去り、葛湯二合ほどを沸立てた中へ入れて、湯豆腐の如く仕立てたもの。山葵味噌をかけて用いる。油ぬきともいう。


      揚出し豆腐
 厚さ五分、縦横一寸四分に切り、水をよく()って胡麻油であげる。十分に油を切って熱いところをおろし大根を添えて味わう。


      揚出し
 豆腐の水気を絞って好みに切り、また茄子(なす)の皮を()き、四五分ほどの輪切りにして、胡麻の油で揚げて盛って出すもの。夏の料理に用い、おろし大根を薬味に醤油などで食う。


      油抜ぎ
 豆腐を(まる)のままあるいは切って油で揚げ、すぐに水へ取って油気を抜き、また茹でて煉味膾を
かけて出すもの。


     浅茅(あさじ)紅魚(たい)
 一夜塩の紅魚(たい)をよきほどに切りて、よく蒸したるを油()りの雪花菜にまぶし粉山椒(こさんしよう)ふる。





最終更新日 2005年09月29日 15時46分45秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「さ之部」「き之部」

さ之部

     鮫豆腐
 茄子三四個の皮を剥き、輪切りにして油煎出しに作った上へ、雷豆腐の如く、水を(しほ)って、醤油でざっと炒りつけた豆腐一丁を、ばらりとかけたもの。熱いうちに好みの薬味で食す。

 
     さい揚げ豆腐
小賽に切って揚げた豆腐をいう。汁の実に用う。


    茶礼(されい)豆腐
 大平鍋の底へ笹をみっしりと布き、その上へ豆腐を五つ切りぐらいにしてムラなく並べ、その上に服紗味膾を厚く敷き、また笹を布き、豆腐を(なら)べ、味噌を敷くという順序に、かくの如く二遍も三遍にもして半日余り煮たもの。平茶碗へ盛り、山椒を()って出す。また笹を茶碗の底へ布いても出す。

 (そう)の茶礼豆腐は、豆腐一丁を五つ切りぐらいに切形して、服紗味噌(薄みそ)に終日煮て、味噌を払い、味加減して出すもの。

 茶礼豆腐 平鍋の底に笹をびっしりと布きならべ、その上へ豆腐一丁五つ切りぐらいにしたるを、またびっしりとならべ、その上へ摺り味噌を厚くしき、また笹をしき、かくの如く段々にして、半日あまり煮たる後、笹をしきならべたるまま、平茶碗によそい山椒をふり出す。


      実盛(さねもり)豆腐
 豆腐一丁を薄く好みに切形して、煮出汁一合と薄醤油三勺で煮て、汁を少くして盛り、絞り生姜をかけ、その上へ擂った黒胡麻を一面にまぶせたもの。斎藤実盛が白髪を染めて出陣した故事から出た酒落。


      笹の雪
豆腐一丁を四つ切りにし、椀に一つずつに、葛を溶いた水で鍋に仕掛け、浮き上った時、重炭酸曹達(ソーダ)を少し加えて椀に盛り、どろどろに溶いた葛をかけ、山葵のうわ置きして供す。


      三清豆腐 (塩豆腐の一種)
 大根半分ほどの絞り汁に、等分の水を加えて沸し、炒り塩で味加減し、一丁ほどの豆腐を(くす)したおぼろ豆腐を入れ、湯豆腐の煮加減にして、大根の絞り汁をかけて出すもの。


      砂糖漬豆腐
 豆腐を厚さ三四分ぐらいに切り紙に包み、灰の中へ半時間ばかり埋め置き、取り出しよきくらいに切り、鍋に入れ、豆腐のかさほどの上等白砂糖を入れ、水を五六滴ほど入れ、よく攪拌し、強火にて漸々煮つけ、煮る間はしばらくも手を休めずかきまぜ、段々煮つまりたるを見て、指頭にてその砂糖をつまみ試みるに、砂糖ねばりて糸を引くようになれば、これ砂糖充分に煮え熟したるなり。その時鍋の底に溜りある水気を別器へしたみ尽し、その上また別に砂糖を多分に加え、その後は弱火にてそろそろと煮るなり。水気かわきてからからとなるを度として、別器に取り入れ、三盆白の砂糖をふりまぶし貯うべし。これ普通砂糖漬の法にて、果物、蒟蒻(ごんにやく)なども同じ。


      索麺豆腐
 豆腐二丁に葛一合ほど入れて、よく摺り合わせたものを、俎板(まないた)に紙を敷いた上に、庖丁にて薄く平らに延ばして付け、紙ぐるみ小口から巻き、茹でて索麺(そうめん)の如く細く切る。
 また、玉子をつなぎに加えて、擂り上げた豆腐を裏漉しにかけ、板の上に和紙を敷き薄く延ばして、それを竹の簀に載せて熱湯中に入れ、取り上げて冷水に投じて冷まし、紙を剥がして細く切り、汁につけて食う。
 また、豆腐を布に包みてよく水を断り、毛篩にて漉し、葛の粉を入れ、擂鉢にてよく擂りて美濃紙一枚を四つ切りに、さし身庖丁刀にてよく平らにつけ、紙一枚ずつ重ね蒸籠にてむし上げ、しばらく水に浸け冷して一枚ずつ紙をへがし、またかさねて切るべし(うんどん豆腐も同じ)。


      桜豆腐
 二合ほど熱湯を沸立てた鍋へ、葛粉を大匙一杯入れ、絹漉し豆腐一丁を四角に切って入れて、ざっと煮て掬い、椀に盛って海老のオボロをかけ、薄葛の汁をかけ、生姜のしぼり汁をかけたもの。海老のオボロは芝海老五十匁ほどの皮を剥き、茹でて摺り、味醂三勺ほど加えて鍋の中で溶き、火にかけ杓子でかきまわし、醤油少し加えて、ボpポロに炒り上げたもの。



き之部

      祗園豆腐
 一切れ盛りの大きさに豆腐を切って狐色に焼き、煮出汁に一割の醤油を加えた汁で煮て器に盛り、煎道明寺糒、花鰹、胡桃等を置いて出すもの。


      掬水(きくみ)豆腐
 鰹の生節を三本ほど小口切りにして、平鍋にみっしりと敷き列べ、魚がつかるほどに水を加えて、豆腐をまるのまま二丁載せ、強火で半日余り煮て、豆腐ばかりを、炒塩仕立ての潮煮にしたもの。葱、花柚、木芽の類を吸い口にして、薄葛におろし山葵などかける。掬水という浪花の俳人が嗜好せしに因んで名づけたもの。


      金砂(きんすなご)豆腐
 豆腐を布巾に包みて水気をしぼり、これを擂鉢(すりばち)にてよく擂り、食塩で味をつけ、玉子の白身をつなぎに入れ、さらによく擂り合わせ、これを小板の上に延ばし、その上に茹で玉子の黄身をほぐして撒布し、金砂子の如く綺麗になして、蒸籠に入れて蒸し上ぐるなり。色紙(しきし)形に切り、醤油にて食す。


      巾着(きんちやく)豆腐
 大茄子(なす)六七個の肉を()りぬいて、巾着形の袋に作り、豆腐}丁に飛竜頭加料(ひりようずかやく)のうち、一一三品交ぜたものを、醤油と酒少量で煮て填め、口を括り、煮出汁一合、醤油三勺、砂糖大匙一杯で煮たもの。


      雪花菜飯(きらすめし)
 豆腐滓(きらず)三合ほど摺って、煮出汁五勺、醤油三勺、砂糖大匙一杯で味を付け、玉子の黄身一個を加えて炒りつけたものを、一升の飯を移すとき交ぜたもの。また白飯を盛って、雪花菜をうちかけて出すもの。薬味に生姜を繊にして添う。


      雪花菜(きらず)ぬた
 新鮮の鰯の皮を剥き、百匁ほどの量を(~ ')(.て、塩酢一合ほどにしばらく漬け、豆腐滓二合を摺って醤油大匙一杯入れて煎り、酢三勺、酒塩二勺で塩梅したもので和える。また(さば)(あじ)その他の魚を用うるもよし。


      菊豆腐
 豆腐を一寸二三分の厚さに、二寸四方ぐらいの大きさに切り、板の上に載せて隅を切り落し、さらに上面を縦横に布目に下まで切り下ろさぬように庖丁刀を入れ、板のまま水中に入れて動揺すれば、豆腐の折れ屑を洗い落し、それを葛粉少量溶き入れた熱湯の中に入れ、豆腐の浮き上らんとする時に、網杓子で(すく)いて椀に盛り、この際菊の葉をざっと茹でて豆腐の下に敷き、別に小皿に注汁(つけじる)を入れて添う。
 注汁は味醂一杯に鰹節の削りたるを入れて煮てさらに醤油一杯半を注して製る。
 また、吸物に用う菊とうふは、豆腐を平らに二つに切り、そのまま水をたらし、縦横に庖丁目を深く入れおき、これを六つほどに四角に切り、その一つを角々をおとし丸く形をつくり、湯の中へ金杓子にて一つずつ入れ、ちょっと杓子にてとうふの上を触れば、ばらりと菊花のようになる。一つずつこの通り湯煮して、水へおろし出す時にそっと煮こむ。吸い口は菊の(わかば)をあしらう。


      雉焼とうふ
 料理物語に、ぎじやきはとうふをちいさくきり、塩をつけうちくべて焼くなり。
○宗鑑の犬筑波集に、しやじ汁にまじろふしやうじ、雉やきをよくく見れば豆腐にて、(淀川一口、此句に付て、不審たつほどまつ白なしほ。註に、きじ焼はやき塩つける故なり)云々。
○松屋筆記巻九二、雉焼豆腐は、豆腐を広二寸四方計り厚五六分計に切て焼き、それを薄醤油にて味をつけ、茶漬茶碗やうのものに盛りて、その上より暖酒をつぎいれて呑をいふ、これは禁中父は宮の御所などにて正月の佳例也、一献に一つもりて酒をつぎ、二献には二つ、三献には三つ、だん/\に豆腐をもり上げて酒をもる也、豆腐は喰事なし。
○O宗鑑の新撰犬筑波集、女房私記、御歯固の御祝の条に二献きじやき云々、また、物の呼名を記せる条に、きじやきとは豆腐に塩付やく也云々。


      義清豆腐
 豆腐二丁ほどを崩して水気を()り、酒一合、醤油三勺で()り上げ、切溜(きりだめ)の蓋に.平らに盛って圧蓋をして固めたもの。一寸五六分ほどの角切りにして、焼鍋で片面だけ焼いたもの。
 ぎせい豆腐 豆腐をから炒りにして、これに味醂と塩と加え玉子一個を交ぜ、油を引いた銅器または玉子焼鍋に詰め、上蓋をして、下火、一分、上火八分の火加減にて、ドの方程よく焼けたる頃を見計らい(厚さ二寸なら大抵三十分間)蓋の上に四角な石を載せてやや強く圧し、上下の火を大方去り、側面より温むるなり。焼き上らば取り出し、適宜に庖丁刀する。
 五目ぎせい豆腐 豆腐を潰して鍋に入れ、水を加えて火にかけ、一度沸たたせたる後これを布を敷いた(ざる)の中にあけ、水気を断り鍋に移し、玉子を加えてかきまぜつつ炒り、砂糖と醤油にて味をつけ、椎茸、蓮根等の煮付を細かに刻みつめ、ト火を弱く、上火を強くして焼き上げ、取り出して適宜に庖丁刀する。
ぎせい豆腐 生豆腐をよく煮ぬき、崩して笊にあげ水を切って、味醂と醤油にて味をつけ、また角鍋へ胡麻の油を引き、右の豆腐を入れ、よく煮、蓋をして石でおしをかけ、一夜置きて切るべし。


      義性豆腐(擬製)
 江戸山王なる勧理院の義性僧正の創めたるもの。豆腐二fほどを崩し水気を断ち、酒一合と醤油三勺で炒り上げ、切溜の蓋に平らに盛り、圧蓋をして固めたもの。適宜に切り焼鍋で片面焼ぎたるものをいう。
 また、右の如くして玉子を加え、野菜類を混じて焼きたるもの。
 また、ぎせい豆腐は常のとうふを湯煮し、笊へあげ水気をたらし、擂鉢にてすり、砂糖少し入れ、醤油にて加減し、玉子焼鍋に入れ、上ふたして焼きまた返して焼く。冷めて程よく切り重ねて出すべし。



最終更新日 2005年09月29日 17時34分48秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「ゆ之部」「め之部」「み之部」

ゆ之部
     雪消(ゆきげ)
常のうどん豆腐の如く切り、真の八杯の如く煮たる後、兼ねて温めおきたる茶碗に盛り、
おろし大根をおき、その上へ飯をよそい出すなり。風味消ゆるが如きを以てこの名あり。

 また、しき味噌豆腐の上へ、あるいは備後豆腐の上ヘヤあるいは木芽田楽の上へ、右の飯をよそうをすべてうずみ豆腐という。


     百合根豆腐
 百合根をよく洗い、綺麗にほこして蒸し上げ、これを潰して、百合根十個に、上葛三合ほどのよきかげんに、水二勺ばかり入れ、よく()きて枠に流し、冷え固まりてから角に切り、蒸籠にて蒸す。菓子椀などにおか入れ。


     遊行(ゆぎよう)豆腐
 豆腐一丁を、酒を被るほど加えて充分煮て、少し煎酒を注したもの。摺胡桃、摺生姜などを上置きにして出す。


      雪の下豆腐
 豆腐}丁を四つ切りになし、四方を取り、水二合に昆布を入れ、湯煮して焼目をつけ、味をつけて、上に長芋を少し茹でて漉したものをかける。


      雪豆腐
 寄豆腐を小さき匙にて掬い、生で煮ものなどに入れることをいう。煮物、雪豆腐、紫蘇ざくざくなど献立書にある。


      湯豆腐 (湯奴)
 豆腐を奴に切り、菓子昆布を鍋底に敷き、湯を煮立てた中へ入れて煮て、鍋のまま出すもの。煮出汁を大猪口に入れ、鍋の真中にすえ、揉海苔、刻み葱、(おろ)し大根などを薬味にして加え、豆腐を浸けながら食べる趣向。冬季客の喜ぶ下物(さかな)、大阪地方では湯奴という。
  湯豆腐のあわた父しさよ今朝の雪  抱一

 また、絹漉し豆腐を湯煮して、これに熱き葛あんをかけ芥子を添う。京の南禅寺豆腐、東京浅草の華蔵院豆腐は皆同種類なり。

 湯やっこ 八九分ほどの賽の目に豆腐を切るか、または拍子木豆腐として六七分の角(長二三分)に切りおき、葛湯を湯玉のたつほど()たたしたる鍋の中へ、右の豆腐一人分入れ、さて蓋をせずに見ていると、豆腐は火力のため少し動き出す。暫時して浮き上らんとする景気見ゆる時、すぐにすくい上げる(既に浮き上ればはや加減よろしからず塩梅ものなり)。なお豆腐を盛る時は、前以て器を温めおくをよしとす。醤油加減は生醤油を沸たたし、これに花鰹を打ち込み、湯を少しばかりさし、また一遍沸立たし、しかる後絹漉しとし、別に猪口(ちよこ)に入れ、葱の白味のざくざく、おろし大根、とうがらしの粉など入れたる汁にてこれを食す。京都にてこれを湯豆腐といい、浪花にて湯やっこという。豆腐の調理において第一の品なるを以て、豆腐百珍にはこれを絶品の部におけり(占き法には、(しろ)水(米のとぎ汁)にて煮るとあれども葛湯にて煮るに若かず)。


      湯引豆腐
 豆腐一丁を切形して湯引ぎ、蕃椒濃醤(こくしよう)か、芥子濃醤を二十匁ほど溜めて盛りたる上へ、水気を断って乗せて出すもの。



      夕顔豆腐
 豆腐一丁を平らにニツ切り、その半分を一杯に入る底なし枠に入れ、湯玉のたつ熱湯に二三遍くぐらし、平皿に生醤油一分ほどためたる中へ、右の豆腐をそッと置き、寒中外へ出して三夜さらして、枠を取り小口切りにする。



め之部
      目川田楽
 串ざしの田楽豆腐を、葛湯を沸した釜に投れ、煮ながら取り出し、炉で炙り、焼かずに味噌を塗り、出す前に小炉で焼きながら、(すす)める趣向である。近江国目川の名物なり。

 また、鍋に湯を沸かし薄葛を放ち、これに串さしの豆腐をそのまま鍋に入れて、煮ては出して火に焙ること、三四度もなしてのち、火にかけて水気を乾かし、擂り味噌をつけ、小火鉢にかけて客席へ出す。



   み之部

      味噌厚焼豆腐
 豆腐の水気をしぼり擂鉢ですり、この中へ別に擂り味噌に砂糖味を加えたものを投れ、豆腐と交ぜてよくすり合わせた後、玉子焼きでふっくらと両面焼き、適宜に切る。


      微塵豆腐
 生豆腐を細かに微塵にたたいて使うもの。汁、吸物などの取合せに用う。


      御手洗(みたらし)豆腐
 白玉豆腐を五つぐらいずつ串にさして焼き、精進の夏の汁に用う。干蕪、冬瓜(とうがん)の算木切りなど
用う。
 また、とうふをしぼり、よく擂りて葛粉少し入れ、小さく丸うめ湯煮して、汁の岡入れにす。


      味噌漬豆腐
 圧豆腐を(豆腐を板にならべ斜めにして、圧しをかけてしばらく圧して水気を断ったもの)を美濃紙につつみ、酒少し加えて溶いた味噌の中に、一夜漬けておくものをいう。


      味噌掛豆腐
 豆腐を一寸二三分の厚さに二寸四分ぐらいの大きさに切り、水と共に鍋に入れ、湯煮して網杓子にて掬い、椀に盛り、胡麻味噌をどろりとかけ、育山椒などふりかく。
 胡麻味噌は、白ごまを炒りて擂鉢ですり潰し、白味噌を入れ、またよくすり合わせ、砂糖加減して裏漉しにかけ、煮出汁で頃合いに延ばして用う。


      水豆腐
豆腐を小さき短冊に切り、冷水に浸けておき、水を幾度も替えて冷して用うもの。


      湊豆腐
焼豆腐一丁を、鰹節煮出汁二合で醤油五勺ほど()し、汁が煮詰るまで弱火で終日煮て、出す時に道明寺(ほしい)を少し炒ってかけたもの。


      簔田楽
 好みの辛味を味噌の中に少し摺り交ぜて、常の豆腐田楽に塗った上に、花鰹の綺麗に揃ったのを簑の如く一面にかけたもの。


      (みそれ)蕎麦(そば)
 朧豆腐を煮出汁醤油にて煮て、茹で上げた蕎麦の上に多くぶっかけて食う。刻み葱、おろし大根、おろし山葵を添う。






最終更新日 2005年10月01日 01時58分21秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「し之部」

し之部

      芝蘭豆腐
 白味噌三十匁ほどに胡麻澑を少し加えて()り、青白の茎とも微塵に刻んだ葱を、味喀七分に葱三分の割で加え摺り合わせ、上酒五勺ほどで溶いて、煮たものを敷味噌にして、豆腐一丁を好みに切って、熱く()でたものを載せて出すもの。おろし大根を添える。


      松露豆腐
 しぼりたる豆腐に、メリケソ粉と塩、砂糖をすり交ぜ、小さく団子に取って、玉子焼鍋に油をしき、よく焼けた中へ入れ、焼目をつけて水に移し、これを煮染めると松露のようになる。椀種に用うべし。


      釈迦豆腐
 豆腐を中賽に切って、(ざる)で振り廻して角を取り、葛粉を米粒ほどに砕いて、豆腐にまぶして付け、油で()げたもの。釈迦の頭の形状に似通うての名なり。


      忍豆腐
 鍋に清汁を仕かけ、小角に豆腐を切りこみ、ふわりと浮き上るを、茶碗蒸椀半分ほどに盛り、その上に焼海苔をのせて、湿かい飯をそっと盛り蓋をして、それに気の利いた香の物を添えて出す。これは夜食の趣向にて、若州侯の創意で一名若州茶漬ともいう。


      (しじみ)(もとぎ)
 豆腐一丁を、(まスリ)のまま水気なしに中火で煮て、水の出るをさじで掬い去り、掬い去りして煮固め、ぽろぽろと剥き蜆の如き形になりしを油でざっと揚げ、薄醤油で煮たもの。青山椒を置く。


      時雨湯豆腐
 伊勢富田浜の名物焼蛤(やきはまぐり)と共に、時雨(しくれ)湯豆腐は蛤の佃煮汁にて味わうものなるが、それを家庭で作るには、まず七鍋に漉赤味噌五十匁と、味醂一合入れて火にかけ、ちょっと煮て占生姜の薄く切りたるを五匁ぐらい加え、次に昆布煮出汁を.合入れてよく煮て、この中へ剥身蛤を二合ほど砂気をよく洗いて入れ、よく煮詰めて蛤を取り出し、残りの味噌を煮出汁にてどろどろに延ばし、鍋の中へ豆腐を小角に切って入れ、その真ン中へ前の注汁を深猪口に入れ、よく煮て豆腐に味喰をつけて用う。加薬は、刻み葱、柚子、陳皮、粉唐辛など。


      沙金(しやきん)豆腐
 水気をよく絞った豆腐一丁に、煥柿(きおんほう)(ほしがき)を十分の一交ぜてよく擂り合わせ、美濃紙を板へ敷いて、右の擂豆腐を薄くムラのないように塗りつけて、中へ生姜味噌に砂糖を加えて塩梅したものをのせ、紙と一緒に包んで括り、茹でたもの。出す時に紙を取り捨てて用う。
 また、油揚豆腐の袋の一方を切って中へ鴨のたたき肉、鯛の(さい)の目切り、木耳(きくらげ)の繊切り、銀杏など少量ずつ加えた玉子液を、七分目ほどずつ()めて、切口を昆布か干瓢で括って酒煮にしたも
の。


      精進煮抜豆腐
 昆布煮出汁二三合に、山椒少しを加えた中で、豆腐一丁あるいは二丁を、煮抜き豆腐の如く、終日煮ぬくもの。


      精進煎酒
 鰹節を用いずに製した煎酒。「料理物語に、豆腐を田楽などに切り、焙りて、梅干、干蕪など刻み入れ、古酒にて煎じ候、また酒ばかりに、かげを落し(たまりをさすこと)てもよし、口伝これあり」とある。


      精進玉子
 豆腐一丁を絞り、葛粉大匙}杯をつなぎに入れて固くのべ、根胡蘿蔔(にんしん)の太きを丸()きにして、右の豆腐を包み、外を竹の皮で巻き、茹でて小口切りにしたもの。


      精進蒲鉾
 豆腐二丁を、よく擂って葛粉大匙二杯入れ、絞って塩を少し入れ、小板に蒲鉾()りに付けて、裏表から焙ったもの。

      精進皮鯨
 豆腐二丁を、水気を絞って箱に入れて平らにならし、その上へ豆腐半丁へ鍋墨を交ぜたものを、また平らにならしおぎ、圧しをかけて箱を破って取り、茹でて、こぐちから適宜の大きさに切り、色のつかない程度に胡麻の油で揚げたもの。


      白和(しらあえ)
 豆腐一丁の水気をよく絞って、白味噌三十匁を交ぜて摺り、白砂糖大匙半杯ほどで味加減し、裏漉したもので、野菜類を()えることの総称。一に白拌ともいう。また白胡麻三勺ほど味噌に交ぜて作るのもある。


      將侍郎豆腐
 豆腐を切りて乾かし、豚脂にて炒りつけ、味醂と塩にて淡く味をつけ、乾蝦(はしえひ)の肉を加えて煮、さらに砂糖と醤油とを加え、葱を入れて煮上ぐる。


      信田豆腐 (一名、野上平豆腐)
 豆腐を竹の簣の上に置きて、やや水気を切りたる後、田楽の如く串にさし、別に糯米(もちこめ)を酒に浸したるを擂鉢で擂り、これを豆腐に塗りつけて、火にかけて焼いたもの。


      しき味噌豆腐
 茶碗をよく温めおき、山葵味噌のあたたかなるを下に敷き、花鰹をおき、煮加減よき(おほろ)とうふを、網杓子にてすくい盛るなり。
 ○山葵味噌は味噌た白胡麻か胡桃を摺り合わせおぎ、これを用うる前におろし山葵を入るるなり。


      塩豆腐
 豆腐を大賽目に切って、大根の絞り汁と同量の水とを合わせ、塩味を付けて沸かした鍋に入れて煮て、大根の絞り汁をかけて出すもの。


      塩蒸し鶉
 豆腐二丁ほどを絞って煎り豆腐の如く、木耳(きくらけ)の繊切り五匁ほどを交ぜて、酒、醤油少量でざっと下煮をして、玉子一個つなぎに入れて交ぜたものを、鶉の肉百匁ほどを(おろ)し、溜り醤油に浸けて後、竹の皮へ載せて列べた上に置き、竹の皮で包むようにして固く縛り、蒸籠(せいろ)で三十分間ほど蒸したもの。


      塩焼豆腐
 生豆腐を軽く圧して水気を断り、切形して塩を強く置き、後、湯で洗って串にさして両面焼いたもの。


      塩振田楽
 豆腐一丁に塩を振りかけて、常の田楽の如く絞って竹串にさし焼き上げ、蓼酢(たです)などで出すもの。


      白煮豆腐
 豆腐一丁を大形に切り、塩少し加えた糯米の滑水(しろみす)で長く煮たもの。山葵味噌または山椒味噌または罌粟味膾などかける。


      白髪豆腐
 普通の豆腐を細く切ったものをいう。薄刃に酢を塗って切れば、意の如く切れると古料理書に出づ。
 豆腐を絞り、細かき(ふるい)()し、別に白寒天を水をたきたる処へ入れ、豆腐を交ぜてたき、折敷へ薄くのばし、冷まして白髪に刻む。


      色紙豆腐
 豆腐を絞りよく()り、金すいのうで漉し、箱に入れ蒸す。冷まして色紙に切り、薄鍋にて焼目をつける。


      締豆腐
 豆腐四つ切りにして和紙につつみ、かまの下熱き灰にうずみ置き、取り出して味つけ小口切り。


      白菊豆腐
 (やつこ)に切った豆腐を薄刃庖丁刀で細かく十夊字に、底の方を二分ほど残して切りかけ、沸騰した湯に投れて作ったもの。嬋でると半開の白菊の形になる。吸物種に用う。
白菊 とうふを一寸四方ほどの角に切り、十文字に細かに切りかけ、椀に入れ、傍より沸湯をつげば順にひらきて菊の花の如し。湯に焼塩加減して入る。蕎麦したじ、薬味を添う。


      白玉豆腐
 豆腐を布に包み水気を断り、擂鉢に入れ、これに薯蕷(とろろ)擦金(おろしがね)ですりこみ、擂り交ぜて梅干大に丸め、一つずつ日本紙に包みて湯煮をして吸物の種とす。

      蝦米豆腐(シヤメイドウフウ)(支那料理)
 乾海老二十匁を、一夜酒に浸け、椎茸四個の賽目切り、葱半分の微塵切り、胡麻の油でいためた奴豆腐半丁ほどヘ一緒にして、醤油、砂糖、塩で味をつけ、弱火で約五分間ほど煮たもの。


      (シヤン)豆腐(ダウフウ) (支那料理)
冷たい豆腐一丁の上に、煎った落花生の粉、茶瓜大匙に一杯、生姜の繊切り、紫蘇の実小匙に一杯、胡麻味噌、海鮮醤(からみそ)など大匙に一杯ずつかけて出すもの。



最終更新日 2005年10月01日 22時20分54秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「ひ之部」「も之部」「せ之部」「す之部」

ひ之部


      引摺豆腐
 豆腐一丁を好みに切って葛湯で煮て、網杓子で掬うて椀に盛り、椀蓋に山葵(わさひ)味噌(またはごま味膾)を少し固くして塗りつけて出す。食する時、豆腐を蓋の味喀に引きずりて賞味するもの。
知らぬ人の豆腐ばかりとおもうも興あり。備後にてはひごずり豆腐という。
 これに用うる山葵味噌は、味噌に白胡麻、胡桃を少しすりまぜたる上、山葵を加うべしと天明板の豆腐百珍に載す。


      (ひご) (やき) 豆腐
 豆腐二丁を絞って漉し、葛大匙一杯加え、蒲鉾の如くに製り、竹籖(たけひご)(つか)って、籖蒲鉾(ひごかまほこ)のように蒸しあげたもの。煮染肴、あるいは椀盛種(おんもりだね)等に用う。


      冷奴豆腐
 豆腐を奴に切って冷水に浸け冷し、青紫蘇の繊切りなどを配して盛り、好みの薬味を用いて醤
油で食するもの。夏日の酒肴としてその淡白を賞味される。
 冷湯豆腐 隴豆腐を水へ入れて冷して盛った上に、冷した葛餡をかげ、芥子を置いたもの。


      火取豆腐
 豆腐一丁を(まる)のままあるいは切形して、ちょっと(あふ)って焼目を見せたもの。春の本汁に用う。


      火取泡雪
 豆腐一丁を俎板(まないた)に置き、網杓子に火を盛って、豆腐の上で煽ぎ、豆腐に焼目を付けたもの。


      備後豆腐
 豆腐一丁をざっと火で焼いて、酒を被るほど()し、長く煮て、出す時に醤油を少し落し塩梅し
て、山葵を置いたもの。
 また、浅く焼いて後、酒ばかりにて煮、客に出す時醤油の加減をなし、花鰹、おろし大根をお
きて出す。


      飛竜頭(ひりようす)
 豆腐の水をしぼりてよく擂り、葛の粉をつなぎに入れ、加役として皮牛蒡(ごぼう)の針、銀杏、木耳(きくらげ)()の実、また小賽形には焼栗か慈姑(くわい)一品を入れ、右加役を油にて炒りつけ(麻の実は後に入れ豆腐に包む)、かくて大小宜しきに随いまた油にて揚ぐる也。うどんの粉をころもにかくる(もつと)もよし。いり酒におろし山葵あるいは白酢に山葵の針をおくか、または田楽にして青味噌に罌粟(けし)をふる。
 ○因みに白酢は罌粟を炒りてよく擂り、豆腐をも少しすり入れ、後酢を入るるなり。甘きを好む人は太白糖を入るべし。豆腐のかわりに葛の粉をいるるもよし。また青味噌はみそをよく擂り、青粉をま、ぜるまでなり。
 豆腐二丁を絞って薯蕷(やまのいも)少量、葛粉大匙一杯を加えて擂った中へ、木耳、牛蒡の繊切り、麻の実
など少しずつ交ぜて丸く平め、(かや)の油を沸立てた中で揚げたもの。


      飛竜子
 古い料理であるが、現今がんもどきをこの名で呼ぶ地方もある。豆腐を布に包み、水気を去り、よく擂って葛粉を交ぜ、少し堅目にしておく。次に新牛蒡を細切りし、銀杏、木耳、栗(慈姑でもよし)を賽目に切りておく。これを一緒に油でいため、それに麻の実を入れ、前の豆腐に包んで油で揚げる。これを煎酒とおろし山葵、あるいは白酢に山葵の繊切りか、田楽のように青味噌にけしをふってもよし。


      ■(ひしこ)豆腐
 ■(ひしこ)を鍋に摺りつけて鰻を払い落し、好みに切って豆腐をその鍋で蒸焼にして、水と酒を等分にした中で淡煮にして塩味をつける。


      氷豆腐青菜(ヒントウフチンッァイ)
 凍豆腐一丁を、水に浸けてしぼって細く切り、玉菜四株のざくざく切りと共に、胡麻の油少量でいため、塩、砂糖で味を付け煮上げたもの。



も之部

      最中豆腐
 豆腐をよく絞り擂りて、蔦にて伸ばし、のぞきの猪口に入れて蒸籠にて蒸し、揚げて猪口とも水に浸けおけば、豆腐ははなれ出るなり。小口切りにして蒸籠にかけおき、吸いものおか入れ。


      揉豆腐
 豆腐をかきまぜて煮たるをいう。


     毛豆(モトウ) 豆腐(トウフ)
 枝豆の皮を剥き、五勺ほどの熱湯をかけて湯がき、薄皮を剥いて茹で、水気を断り、豆腐一丁と椎茸三個の短冊切りと、一緒にしてラードで炒ったもの。


      紅葉(もみし)豆腐
 豆腐の中に蕃椒粉(とうがらし)を擂りまぜて蒸して製したもの。「豆腐百珍続篇」に、「よく水を絞り、麺粉(うとんと)をよく擂りまぜ、蕃椒の芯とたねを去り、酒にて半日ばかり煮て、細かに針にきざみ、また生姜
を針に刻み少しと、二品を右の豆腐に程よくまぜ合わせ、一丁の大きさの(かく)にとり、全油揚(まるあげ)にして小口切りにし、蒸して、服紗味嗜を水にて(ゆる)めたるを温め、敷味嗜にするなり」とある。この
蕃椒の煮汁を味噌にすり交ぜて、から味噌に製すれば妙なり。


      ()豆腐(ちようふ)
 葛粉一升に水二升ほど加え、胡麻二合ほど擂って葛粉にまぜ合わせて煉って煮て、四角の器に入れて冷して固くしたもの。これを五分角に切って生姜を擂り入れた油で揚げ、酒と醤油で味をつけて出す。



せ之部

     線麺(せんめん)豆腐 ((しべ)豆腐)
 豆腐一丁をよく擂って漉し、玉子の白身一個をつなぎに入れ、美濃紙の上に庖丁刀で平均に()
べ、沸騰した沸湯を通し、水に(さら)してから細く切ったもの、汁の実。この豆腐を炒り鍋で転がし
て焼いたものを(しバ)豆腐という。


     青海(せいがい)豆腐
 豆腐一丁の水気を絞った中へ、麺粉(うとんこ)一杯と、青海苔(のり)の焼いた粉大匙半杯ほど加えて擂り合わせ、少しずつ形を調えて熱湯の中に投れ、茹でて(すく)い取り、吸物のさし込みなどに用うもの。
 また、絹漉し豆腐を金杓子にて掬い切り、これを淡き葛湯にて()き、椀に盛り醤油をさし、青海苔をふりかく。


      瀬田豆腐
 豆腐をよく絞り、うら漉して、浅草海苔の上に(のは)し塗り、ごまの油で揚げて好みに切り、熱々を蓋ものへ入れ、煮出汁をよそいておろし醤油をかける。



      洗濯豆腐
 豆腐一丁を普通の田楽に切って、串にさして(あふ)り、寒晒餅の粉を付けて再び焙り、上に山椒味噌を塗って焼いたもの。



す之部

      墨染豆腐
 豆腐の水気をしぼり擂鉢で擂り、これに板昆布を(あふ)りて細末となしたるを加え、さらによく擂り交ぜ、好みの形に取りて日本紙につつみて茹で、吸物の種に用う。


      掬い豆腐
 寄せ豆腐を網杓子で少しずつ掬い、熱湯で茹で、平皿へ坂り、上からどろりと葛餡をかけて芥子を置いたもの。


      筋豆腐
簀巻豆腐のことをいう。


     すり流し豆腐
よく擂りて葛の粉を混ぜ、またよく擂りて味噌汁へ擂り流す。


     水仙あえ
葱の白根をよく茹でて、罌粟、胡麻味噌と豆腐にて白あえにし、山椒の粉をふる。


最終更新日 2005年10月02日 18時29分04秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「田楽」1

   田楽
 単に田楽(てんがく)といえば豆腐田楽を略していうことにて、今一般に味噌を付けて焼きたるものを田楽と称するも、野菜にて茄子(なす)の田楽、何々の田楽といい、魚類にては魚田などの名を以てその形をなしたるものあり。また蒟蒻(こんにゃく)のみをおでんというより、おでんは田楽の略かと思う人あれど、おでんの名は別にありて、「料理山海郷」に、「御田 餅をはなびらの如く薄くのばして少し焼き、もちは随分うすきがよし、とうふでんがく味噌つけて右の餅につつむLとありて、豆腐田楽を餅に包みしものにて、後世に至って()でたる蒟蒻に味噌を味醂(みりん)または酒でのばして付けたるをおでんと称したるにて、昔淀川の舟行に「喰わんか舟」とて旅客に飲食をすすむる商人ありし頃、大阪城北樋の口堤に餅おでんとて、餅に味噌をつけて(ひさ)ぎしものあり、これら占えの御田の遺風にやあるべし。近頃煮込みの関東煮を一般におでんと称し、かなり占ぎものにもおでん燗酒の名あれば、田楽と同視すべきものに(あら)ず。
 豆腐田楽の名はもとは田楽法師の形容から名づけしものの如く「世事談」に、「豆腐田楽は田楽法師が曲の形に似たる故に名とせり、田楽法師は七尺(ばか)りの細き棒に、下より三四寸上にて小さき貫を通し、此小さき貫を足掛にして両足をのせ、両手をして棒の上を握り、棒の先にて飛ぶ曲あり、此姿偏に棒に身を貫けるが如し、豆腐を串に貫きたる形に均し、此田楽法師は南都春日御祭りに今以て此曲あり」とありて、著者も前年春日祭にこの曲を拝観せり。この田楽は農事から出しことにて、「安斎随筆」巻三に、「栄花物語御もぎの巻に、田植御観ずる事を書きたる条に、父でんがくといひてあやしき様なるつゞみ腰にゆひつけ、笛ふきさゝらといふものつき、さま<の舞してあやしげのおのこどもうた謡ひ、心よげにほこりて十人ばかりあり、その中に此の田つゞみと云ふ物は例のつゞみにも音してこほ/\とそならし行めるは、農人ばらのせしわざなるべし。太平記に載する所、田楽法師とて其家を立て本庄新庄など云て一芸となりたる事は後の事なり、京都将軍の頃もかの田楽法師の芸世にもてあそびし」云々(下略)。また同書巻十七に、「百錬書巻五、鳥羽院永久元年七月十二日殿上侍臣有二田楽事一凡近日上下所々莫レ不レ翫二田楽一禁裏仙洞無二他営一侍臣僧者至二庁官一預二此事一」とあり。
 既に畏きあたりにも農事を(みそな)わす大御心にて、それに似たる田楽を供御に奉ることも久しき習いにて、青竹の串も上古竹を以て箸としたる我が国振りも偲ぼれて最も古雅(きく)すべきなり。この田楽の串について、「梅村載筆」(林羅山著、元和)に、「禁中にて内々御心やすく語らせ玉ふ時、田楽を焼きてきこしめす、其串を天子聞し召たるは、みなく置、其外大臣以下の給たるをば、みな/\折て退け出すなり、是は人々の食たる串を、ふたゝび御前へ出すまじぎとの事なり、然るに近代は朝廷もすたれて、天子へ上る田楽の串さへおしみて折らずとなり、世上に楊子を押おりてつかふ事は、是等の事を学びたるなるべし」とあり。
 昔は豆腐を丸く切りたるを一つずつ串にさして炉中の灰に立てて焼きたる風、占き絵に残れり。「醒睡笑」にもそのことをいいて夢菴の歌を引けり。
   たかあしだふみそこなへるめんぼくを
        灰にまぶせる冬のでんがく
 とあり。昔は多く冬の夜食に用いしものにや、句にも、
   田楽のあとそさびしき冬籠
 などあり。また、
   寒き夜にあぶりくふべき岡部哉
 この豆腐田楽は僧家の夜の非時として食したものにて、或物語本に、「ちご法師寄り合ひ田楽をあぶり、なににてもみつはねたること云ひて、賞翫せんとて、うんりんゐんの南蛮陳、せんさんひんの神泉苑など、といひて皆一串取られける云々。また或夜でんがくをして、秀句にて賞翫するに、大ちごは、清盛の長刀なんぞいつくしま(五串)、新発意は、仏のつむりなぞ<みくし(三串)、小ちごは、医者の本尊なぞ<やくし(八串)」などの洒落事を載せたり。
 田楽の串の一本刺より二本刺になりしは、「摂陽年鑑」(安永)に、「古老云、茄子田楽を焼に、中古までは串一本指したるゆへ、やゝともすれば打返りて焼やうあしかりしに、今のごとく串二本さして便利なるやうになりたるは安永中なり。『花襷会稽褐布染道行』の文中に、『茄子田楽にあらねども、鬢にとろりと油ぬり、二本さしたる身なりしが』云々。此戯文は(安永三年八月)、その頃までは鬢はけにて油を塗ることを知らず、割鋏につぎ切れを挟みて油を塗りたるなり、都ての所業かくのごとく世智かしこくなれり」とあり。
 また「守貞漫稿」に、「京阪の田楽串は股あるを、二本用ふ、江戸は股無きを一本貫く也、京阪は白味噌を用ひ、江戸は赤味噌を用ふ。各砂糖を加へ摺る也、京阪にては山椒の嫩芽(わかめ)を味噌に摺り入る、江戸は摺り入れず、上に置く也、各木の芽田楽といふ。夏以後は芥子粉を煉つて上に置く」とあり。
 或書に、太平田楽とて一間四方の大炉を作り、炭火を焔々とおこし、その周囲を豆腐の田楽数百本をさしたる新しき畳で四方を囲み、普通の如く味噌を塗って田楽を作ることが載せられたるが「料理早学」にも、田楽は火より二尺四五寸上にあるように刺すなり、万民腹を鼓して楽しみ、所々に趣向をなして飲食するは、治る御代のためしなるべしとあり。
 その昔、田楽舞に味噌をつけし好色入道ならねど、三都ともに春秋の遊山はもとより到るところ田楽の旗なびかし、江戸は真崎の田楽に粋を思案の外にめぐらして吉原に流れ、居つづけの湯豆腐はお定りの中屋の名物。京は祗園の田楽に物堅い二本さしを柔らげ、加茂川の水で製りし豆腐肌にうつつを抜かす。また大坂生玉の田楽は、元禄の頃より宝暦の末までことのほかに繁昌し、名物の田楽豆腐は軒を並べり。「浪花茶里八景」の生玉の帰帆に、
  一つの境内でんがくの名物社内にては綿屋、川崎屋、藤屋数しらず、八満んの内にて、宇多屋、弁天にて花徳、料理茶や吉田や、大和や、彼岸参りのていね息子、参会の名代手代、大喰ひの自慢から果は張あげて拳角力、入相の鳴迄遊び過し驚きあわてゝ遊びたんのうしたる体にて尻に帆かけて帰路をいそぐを景色の一つ、しかし荷葉飯の時分には居続の粋が幇間たつた独りつれて朝飯喰ひに来るぞ
   蓮の葉や此田楽の帆かけ船

      田楽豆腐讃             馬琴
  いにしへより、四時応変の姿を伝ふる中にも、花はよし野に名高し、月はむさしのにかがやく、梅に鶯もみちに鹿、それが姿の対するを、茶飯にぐつ煮、菜飯に田楽とは、はるかにおとりても覚ゆ、まづ田楽とのゝ極翫は、春先の野遊びに、木の芽の青々、とうがらしの朱を奪ふも、団子と座を同し、世に不風雅の賞詞には、花より団子と挙らるれど、田楽とは聞えず、日待きのへねに大食の串を算へ、骰は是を魚田とこはされしは、渠が党をいふものにやあらむ、彼鎌倉の禅門か、田楽を弄しより、竹にとり付たる姿に似たりとて、田楽豆腐とは呼ぼれしとそ、味噌つけてあぶらればよきとは、茄子の鴫焼とは覚ゆれど、田楽とは思ひつかれざるべし、茶碗酒の一口肴、仰向ながらもすり込る乂は、花を詠むる席なるかも、兎にも角にも田楽との玉、こけぬ先こそ賞翫なれと一ト串とつて賛して曰、
  短冊や仰向く顔に花の露

    題田楽豆腐          蜀山人
  三五美人差櫛通  膚欺二白雪噸扇生レ風
  岡辺煖レ酒焼二楓葉一 席上敷レ氈愛二竹筒一
  真崎箱連二狐色黒一 池田炭映二鳥居一紅
  相模入道淮南子  共是千秋好物同

                            貞徳
  あふりくふ顔もいろりの田楽に
    くしくおもふ事ぞわするゝ

                            牡丹花
  鷺足にのりはつしたる面目は
     灰にまぶせる田楽の曲

                             一圃
  田楽のこがれて君の恋しきは
     する山椒のみそのたるゆゑ

                            貞富
  昔たれ田楽と名を付つらん
     豆腐の姥によりてとはゞや



最終更新日 2005年10月03日 03時25分36秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「田楽」2

     豆腐田楽
 普通の仕方は俎板(まないた)の上に布巾をしき、その上に豆腐、豆腐のヒに美濃紙をのせ、その上に灰をふりてなおその上に紙をしき、薄板をのせ、軽き()し石を置き、二三時間にて切るに崩るることなし。田楽味噌を付けて焼くなり。


     秩父田楽
 豆腐一丁を普通の田楽の如く串にさして焼いて、芥子を水で溶いて薄く一遍付けて焼き、乾してから、どろりとした葛餡をかけて出すもの。


      女郎花田楽
 豆腐を田楽形に切り、胡椒醤油で付け焼きにして、蒸した粟粒を上に少量ふりかけたもの。


      小倉田楽
 油揚豆腐一枚の一方を切り裏がえし、煮た粒あずきをばらりとつめて、串にさし、生醤油の付け焼きにしたもの。おろし柚をふりかける。


      小野田楽
 豆腐一丁を長方形に切って醤油二杯に、煮出汁一杯を加えた薄醤油で付け焼ぎにして、黒料酢(くろぐちす)
をかけたもの。黒料酢は、黒ごま七分に昆布の黒焼三分をよく酢に摺り合わせ、山椒の粉を少し入れたもの。


      交趾(こうち)田楽
 焼豆腐を一丁田楽豆腐の如く切り、胡麻油を引いて串にさし味噌を塗ったもの。味噌は三十匁に砂糖大匙一杯半、煮出汁五勺を加えて摺って、漉して火にかけ鍋で煉り、火から下ろして、粉蕃椒(とうがらし)茶匙に半分、()りかけながら交ぜてつくる。


      からし田楽
 常の如く串にさし香油(ごまのあぶら)をひき、唐辛味噌をつける。


      太平(たいへい)田楽
 一間四方の大炉を作り炭火を焔々と起し、その周囲を豆腐の田楽を刺した新しき畳四畳で囲み、普通の如く味噌を塗って田楽焼を作ること「料理早学」に、田楽は火より二尺四五寸上にあるように刺すなり、万民腹を鼓して楽しみ、かくいろいろの趣向をなして飲食するは治る御代のためしなるべしとある。


      玉子田楽
 玉子一個に醤油を小匙一杯と、酒塩少し入れ、ごく少しの酢を加えて攪拌(かきま)ぜ、一丁の豆腐に塗って作った田楽。


      玉子豆腐田楽
 玉子を割り、鰹煮出汁、豆腐ソップ、ごく少量、味醂、醤油、味をごく薄く合し、流し缶に入れ、蒸し過ぎぬように蒸しあげ、充分軟かく仕上げ、缶より出して、冷し、厚さ六分ぐらい、長さ二寸ぐらい、横幅一寸五分ぼかりに庖丁刀をなして、頃合いの銅製の小穴ある板に右の玉子豆腐をのせ、天板、錻力(ブリキ)製に天火をこしらえ、右の銅板をさし込み、温み充分に廻るを見はからい、引き出して、木の芽、うら漉しの味噌を平均に表面にぬり、また天火に炙り、変色なき中に引き出し、平皿に盛り、青竹の少々長き串を二本さして出す。
 また、卵をわり醤油と酒を少し入れ、最も少量の醋を加えてかきまぜたるを、田楽にぬり焼きにする。ぶっとふくるるが度合なり。罌粟(けし)とおろし山葵をおく。


      礫田楽
 豆腐一丁を八分角、厚さ四五分の形に切り、三個ずつ串に刺し、狐色に焼き、串を抜いて楽焼の蓋付茶碗に盛り、芥子酢味噌をかけ、罌粟をふったもの。


      南蛮田楽
 ()の実、(かや)、山椒の三色を炒って粉にして、大匙山盛に一杯ほどのものを、また油で炒って三十匁ほど味噌に(たた)き交ぜたものを、二丁ほどの田楽豆腐に分けて塗って焼いたもの。
 また、右の三品を味噌に摺り交ぜ、味噌も一緒に油煎りにして、酒塩でのばす方法もある。


      菜飯田楽
 田楽豆腐を、菜にして菜飯を(すす)めること、寛政以後江戸に流行したもので、質素な食物の一つに数えられる。


      海胆(うに)田楽
 うにを酒にてよき加減に溶き、これを豆腐に塗りて、常の田楽の如くす。
 また、精進うに田楽は、(こうじ)味醂(みりん)、醤油の三品を等分に混ぜ、これに唐辛の粉を加えてしばらく貯えおき、なれたる時よく摺りこれを塗りて田楽を製す。


      黒主田楽
 豆腐一丁を水気を拭き油で()げ、茹でて田楽の如き形に切り、串をさして焙り、黒胡麻を炒って大匙一杯加えた山椒味噌三十匁ほどで付け焼きにしたもの。


      熊谷田楽
 豆腐一丁を普通の田楽のように焼いて、醤油で溶いた玉子二個ほどよく塗りて、再び焙ったもの。煎り酒などでつかう。


      山吹田楽
 豆腐一丁の水を断り田楽の如く串刺し、焼いて玉子一個を溶いて、醤油小匙一杯で味を付けたものを塗ったもの。


      まゆ田楽
 搗き立ての餅を花弁の如くごくごく薄くのぼして、少しあぶり、さて山椒味嗜をつけて焼きたる豆腐、即ち田楽をこれにくるりと包みて出す。


      再炙(ふたたび)田楽
 豆腐一丁を田楽の大きさに切り、醤油で付け焼きにして少々乾かし、再び味醂大匙一杯で()るめた味噌三十匁を付けて焼いた田楽。


      (えびら)田楽
 深い重箱の中ほどに簀を入れ、簀の上に常の如く、豆腐一丁ほどを焼いた田楽豆腐を置き、簣の下に梅花を入れ、出すとき熱湯を()して蓋をして出し、蓋を取ると梅の香が馥郁(ふくいく)として匂う趣向なり。


      揚田楽
 豆腐を田楽の大きさに切って、沸立(にた)てた胡麻の油で揚げ、ざっと熱湯を通してから、串にさし、火の上で(あぶ)り、水気を取って、焼目がついた上に、辛子(からし)少し加えて煉った葛餡をかける。


      吾妻田楽
 豆腐を常の田楽の如く切って(あぶ)り、水溶の芥子を刷毛で塗り、再び炙って乾かし、葛餡を両面にかけた田楽、また芥子の代りに、観心寺寒晒の粉を溶いて塗っても用う。


      阿漕(あこぎ)田楽
 豆腐一丁を好みに切って焼き、醤油二勺、煮出汁五勺で煮()めて汁気を去り、油で()げ、また赤味噌三十匁ほ尸擂って、酒または味醂五勺で摺りのばしたものを、充分に塗って、田楽仕立てに焼いたもの。柚子(ゆず)を摺りかける。

 また、油を用いずして醤油の付け焼きにしたるを、少し乾かし、再び味噌をつけて焼く。この再び焼くゆえ、和歌の「引くあみの度かさなりて」という心にて阿漕(あごき)の名あり。


      浅茅田楽
 (うす)醤油のつけ焼き豆腐に、梅肉を塗り、いりたる罌粟(けし)をびっしりとかける。


      蠣豆腐田楽
 (かき)一合、豆腐半丁ほど、どちらも布巾にてよく絞り水気を去り、蠣を擂鉢に入れ、よく摺り裏漉しなし、同じく豆腐も漉し、葛三匁を水にて溶き入れ、全部よく混ぜ、折箱に美濃紙を敷き、これに入れ銅壷にて蒸しあげ、たて一寸五分横一寸ほどに切り、青串にさし、木の芽味噌を付けて焼く。


      木の芽田楽
 温湯を大盤に湛え切るにもまた串に刺すもその湯の中にてすべし。柔かなる豆腐にても危くおつるなどの憂いなし。湯よりひきあげすぐに火にかけて焼くなり。味噌に木の芽を入るるは無論なり。なお(あまざけ)のかた(いれ)を二分どおりみそに摺り混ぜれば最も佳し。多く入れて甘過ぎてよろしからずと、豆腐百珍には書いてあれど、自分の考えではたとえ少しにても、醴を容れては味噌が甘過ぎると思うなり。祗園二軒茶屋の田楽には木の芽のほか、葛餡をかけて出す田楽もありしが、風味はただの田楽よりもよかりし。(茨木宗右衛門翁談)


      椒芽田楽
 甘味噌に山椒の芽を擂り交ぜ、切形した串刺しの豆腐に塗って焼いたもの。右の味噌の分量は、四五人分の田楽に三十匁ほど用うる。山椒の芽一掴み摺り交ぜ、味醂大匙二杯、砂糖小匙一杯、煮出汁大匙三杯を加え、弱火で攪きまぜて作る。また甘酒の固煉を二分ほど摺り合わせれば美味となる。


      白田楽
 豆腐を常の如く田楽にして、味噌をごま油で溶き、やかぬ豆腐に塗りて焼くなり。味喰こげずして内へ火よくとおるなり。


      雉子焼田楽
 豆腐一丁を切形して串にさし、狐色に焼き、猪口(ちよく)に煮返し醤油に、摺り柚子を添えて出す。


      湊田楽(一名、瀬田焼豆腐ともいう)
 豆腐を絞り擂鉢にてよく摺り、毛すいのうにてうら漉しになし、浅草海苔にほどよく延べ、山椒醤油にて付け焼きにするなり。蒲焼にてもよし。

 また、豆腐の水気を取り(俎板の上にのせ布を覆いその上に重みをのせて自然に水気を取る)、うら漉して、これを海苔を焼いた上に一寸厚にすり延ばし、横長よきほどに切り、ごま油にてあげ、二本の串にさし、豆腐の半面を付醤油にて二三遍付け焼きにする。豆腐にちょっと味を付けおくべし。


      御手洗(みたらし)田楽
 豆腐一丁を中賽に切り、(ざる)に入れて振り、角を取り、麺粉にまぶし、青串に五つずつ刺し、山椒醤油を塗って付け焼きにしたもの。


      精進雲丹田楽
 麹、味醂酒、醤油の三品を等分に合わせ、赤唐辛の粉を少し加え、擂って雲丹の代りにし、田楽豆腐に塗って焼いたもの。


      出世田楽
 豆腐用の豆を挽く時、豆腐一はこに付き宿砂一(しゆくしや)両の割で加えて(つく)り、常の如く仕立てた田楽に、交趾(こうち)肉桂の細末を二分ほど、擂り交ぜた味噌を塗って出すもの。往昔、浪花四天王寺の古例とした、七種の料理に加えられた一種なり。


      白田楽
 豆腐一丁を二つに切り、焙って、酒一合と醤油五勺で二時間ほど煮て冷しおき、出す時に再び焙り、山椒の粉また胡椒の粉をかけて出すもの。


      東雲田楽
 白味噌を胡麻油で溶き、最初から豆腐に塗って焼いたものをいう。




最終更新日 2005年10月03日 03時49分37秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「豆腐料理及び田楽の拾遺」

      豆腐料理及び田楽の拾遺
 ○烏羽玉(うばたま)豆腐 水をよくしぼった豆腐一丁に、黒の炒り胡麻一合を摺り()ぜ、麺粉大匙一杯、白砂糖二十匁を加え、固い加減に板の上で()ねて丸棒の如くし、蒸して小口切りにす。(菓子)
 ○采配豆腐 豆腐一丁を卯の花切りの如く、庖丁刀目を深く十文字に入れて、酒五勺、醤油三勺、味醂二勺で調味す。
 ○島原豆腐豆腐一丁を、二寸四方ほどの角に切り、焼いて後水から煮て、平(ひらひら)と切り、椀に盛り、葛餡、香煎などをかけ、おろし生姜を置く。
 ○犂焼(からすきやき) 石焼豆腐に同じ。昔は古き犂のさきを鍋の代用とし、これよりすき焼きの名起れり。今は朝鮮焼の焼鍋を用うれば最も妙なり。
 ○ホロカベ豆腐 空蝉豆腐に同じ。
 ○別山焼 温飯を手にて少し揉む、これにて後に串にさす時くだけぬなり。さて小さくつくね、胡椒味噌に包み串にさし少し焼きて、温めおきたる茶碗に二つ入れ、煮加減よく饂飩(うどん)豆腐を網杓子で掬いてざぶとかける。別山は禅師の名なるよし、百珍の妙品に挙ぐ。
 ○砂田楽(すなでんがく) 炉の(ぐるり)に砂を多くつみ、田楽を斜めに砂へさし、火を(つよ)くして常の田楽よりは遠火に焼くなり。京の洛北今宮の門前の茶屋の名物なれど、加茂糺河原など所々遊山の宴に、この占風なる賈人ありき。
 ○衛士田楽 常の田楽を淡醤油付け焼きにして、白葛溜りの温かなるをかけ、すり柚を置く。衛士の名詳ならざるに、或人の説に絵事のあやまりなるよしいえり。絵事は(しろ)を後にするとなり。いかなる好事の人の穿ちて名づけたるやおかし、百珍続篇に出づ。
  白葛溜りは、葛に醤油を入れず、焼塩焼酎を入れて煉りたるなり。
 ○胡麻豆腐 現今摺胡麻(あたりごま)(缶詰にて販売せり)または支那の蘇醤(胡麻味噌)にて製する法あれども、黄檗(おうばく)普茶伝来の製法は、白胡麻二合をよく摺り潰し、それに上葛山盛り一合を加え、砂糖大匙二杯を入れ、水四合にて鍋へ漉し、中火にかけて擂木(あたりぎ)にてソロソロ攪拌しながら糊を煮る如くし、やや粘り始めたる時に、酒塩五勺を加えて手早に煉り上げ、深さ曲尺一寸二分ぐらい、横六寸、幅八寸ぐらいの杜丹(とたん)製枠箱の底に濡らした紙を布き、それへ鍋より流し込み、しばらく冷してから、急ぐなれば水に冷してのち好みの形に切る。これにておよそ十六人前ぐらい出来るなり。山葵味噌、または葛かけなどにする。
  次に天明板「豆腐百珍続編」(浪華醒狂道人何必醇輯)に載する珍料理を二三抄録す。
 ○西洋腐衣(なんばんゆば) 実胡桃こまかに刻み、麺粉にまぶせ、巻腐皮(まきゆは)の中へよく詰め、醤油にて煮染め、小口切りにす。
 ○広東斟羹(かんとうしる) 鶏卵をすりまぜたる味噌汁をよく沸し、雪花菜(きらず)の油炒りを入るるなり。
 ○呉洲斟羹(こすしる) 丹後の金太郎鰯を()きて、尾と頭を去り、つぶ切りにして葱白(しろね)のつぶ切りとを入れ、腐滓(きらず)の味噌汁にす。
 ○腐衣(ゆば)白和(しらあえ) ゆば細くきり罌粟(けし)味噌に、豆腐をすり()ぜ、白あえにす。
 ○落葉から 腐滓鰹脯(きらずかつおぶし)の細末等分に、山椒の粉末、胡麻油少し加え、醤油の加減を常の如く炒る。刻み椎茸、割り銀杏、(やき)栗、油揚、獄など、別に味をつけ入れ、ぎり飯の木型に容れおし出す好き下物(さかな)なり。
 ○鮓烹(すしに) 大平鍋に豆腐滓(きらず)を厚さ六七分に布き、生(いわし)一ぺんならべしき、また同じく豆腐滓(きらず)をしき、いわしをならべ、かくの如く四五層もして真中(まんなか)(あな)穿()け、その孔へ醤油をひたひたに入れ、酒塩をさして煮る。
 ○デンボウ煮 白豆腐、鶏卵、いわたけ、(かも)混交(こちやまぜ)にうち込み、醤油加減してデソボウ焼きにす。摺り山椒。
 ○狸斟羹(たぬきじる) 蒟蒻(こんにやく)をつぶつぶに(むし)り、ごまの油にて()げ、これを()にしてよく摺りたる雪花菜(きらず)の味噌汁なり。
 ○初霜 雁にても鴨にても、鳥の吸物に芹にても水菜にても、青料(あおみ)をあしらい、よそうたる上へ、雪花菜を(ほいろ)にかけ茶研(やげん)にていかにもよく細末にしたるを、ばらりとまくなり。もっとも消えぬうちに手早く出すべし。
 ○うずみ樺焼 鰻のかばやきその他の炙肉(やきもの)にても、雪花菜を常の如く油炒りにし、その(あたた)かなるに()きたての肉をかくれるほどによくうずみ、手早く取り扱い器のふたをよくしめておくなり。これは久しく置くも冷えぬという趣向なり。あるいは遠く(もち)あるき、または人に(おく)るなど最も佳し。鶏卵の煮ぬきをうずむもまたおもしろし。



最終更新日 2005年10月03日 03時52分40秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「豆腐の今昔」

   豆腐の今昔
 今の如く世界的に肉食万能の世の中で、豆腐の如き酒落な食ものは、禅坊主か茶人か、乃至お惣菜のゆき詰りにしか喰われないものとなって、昔は鯛百珍、(はも)百珍、芋百珍、大根百珍などと共に豆腐百珍はその続百珍まで刊行されて、盛んに豆腐好きの宣伝がされた。
 その時代は質素と淡白を尚ぶ風が行われて、一串(ひとくし)の豆腐田楽で花見をしたり、湯豆腐で雪のあしたを楽しみ、冷奴で月の夕べを賞したりもしたが、今は田楽も煮込みのおでんにその株を取られて、魚鳥獣肉と共に一つ鍋に煮られるようになった。かつて「世事画報」(明治三十一年頃)に、戸川残花氏が「海軍将官と豆腐と干物」という記事の中に、
(前略) それに海軍軍人は明けても暮れても石塚さんの御説の如く塩気を呼吸し肉類に飽き、恋ひ焦るゝは灰汁気の多き豆や野菜の清鮮なり、其処で豆腐を好む人が多く、其人品も洒落なる豆腐的な粋人の尠からざる理由ならむか。又干物を好むは魚類を食ひ飽きし徴候にして、決して滋味を知らざる人の嗜好に非ず、実は干物の一ト塩、なまびのうまさは常盤屋の庖丁にも得られざる所なり、鮎を河原の石に一寸干したる、かますを夕日の軒にほどよくあぶりたる、若狭鯛、若狭鰈、少し味醂をあしらはゞ実に太牢の珍味ならむ、余の聞きし所は
    豆腐嗜好は  海軍中将榎本武揚子
    干物嗜好は  海軍中将赤松則良子
 これで見ると、淡白食をした武将時代が、却って英勇豪傑を輩出し、彼の上杉謙信の如き梅干を下物に、酒を嗜みしなどの佳話もおもい出される。また同誌に岡野知十氏は「豆腐」と題して、左の如く説かれてある。

 (前略) 明治十年頃までは、浅草に遊び手軽く仕度せむとせば、並木の菜飯田楽に過ぎしはなかりき、今はその一軒だに存するものなく、之にかはるは天勇等の安天浮羅ならぬはなし。江戸の食性は豆腐にして、東京の食性は天浮羅なりと断ずるの妄にもあらざるべし。即ち軽淡の濃厚にうつりたるなり。(中略)かくて東京に於ける豆腐の勢力は、江戸的勢力の衰亡と共に漸次衰亡す、並木の菜飯田楽をはじめ回向院まへの泡雪豆腐、其他豆腐を専らに調進なしゝ飲食店は生存する能はざるに至り、僅かに根岸の笹の雪の消え残れるあるのみ。(下略)

 この記事に拠って近代までの豆腐屋の変遷を知ると共に、世情の嗜好が時流に伴って変りゆく状態も想察し得られる。さらに翻って往時の文献を二三抄録する。

     江戸の豆腐料理『反古染』(越智為久著、天明頃)
 享保の半頃迄、浅草観音へ丸之内より出る其途にて、価を出し食事せん事思ひも寄らず、煎茶もなく、殊に行掛りに茶屋へ料理など申付ても中々出来せず、一人前二汁五菜十匁廿匁にて仕出す、茶屋塩町両国浅草などに一二軒有といへども、前日か当日の朝早く申付ねば出来ず、然るに其頃金竜山の茶屋にて、五匁料理といへるを仕出し、行掛に申付れば、二汁五菜を仕出す、人々の好に従ひ、殊の外流行、其後両国橋詰の茶屋、深川洲崎、芝神明前抔に料理茶屋出来、堺町にて一人前百膳といふより所々に出来、湯島の祗園とうふ、女川菜飯、居酒屋の大田楽、湯豆腐等初りて、宝暦の初頃より吸物附に飯大平しつぼくのうまみ、金竜山の料理は跡形なく、夫より宮地端た夥敷、わけて明和の頃より辻々に軒を並ぶる、安永の頃辻売油揚、焼肴、もち菓子、唐子一夜すし不レ及レ筆。(下略)

     豆腐と居酒屋『我衣』(曳尾庵南竹著、文政八年)
(前略) 爰に元交元年鎌倉河岸豊島屋と云酒屋、見世を大にして外々より格別下直に売りたり。毎日空樽十、二十を小売にして明るほどに、酒は元直段にて樽をまうけにしけり、其頃は樽一匁より一匁二三分迄に売たり、其仕方を見るに片見世に豆腐作り、酒店にて田楽を焼く、豆腐一丁を十四に切る甚だ大きなり。豆腐外へは売らず手前の田楽斗也。其頃豆腐一丁にて二十八文也、是も元直段にて味噌も人も皆々外物なり、されども樽の明くを肝要とするゆへ、田楽を大きく安くみせ、酒も多くつぎて売るゆへ、当店前には荷商人、中間、小者、馬士、駕籠の者、船頭、日傭、乞食の類多くして、門前に売物を下しをきて酒をのむ、これによつて野菜等を求めんと思ふ人は、皆此豊島屋が見世先へ行けば望の物あるゆへ、自ら見世先人立多きゆへ往来の人も立寄り内のていを見て繁昌なりと沙汰す。後には樽売或は五升三升の通樽にて求に来る。寛保の頃よりは大名の御用酒をも被仰付、御旗本衆小役人中の寄合にも必ず豊島屋の樽なき事なし。(下略)

     油揚売童の事『塵塚談』(小川顕道著、享和三年)
 我等二十歳頃(宝暦)迄は貧民の子ども十歳十二三歳なるが、提籠へ油揚のみを入れ売歩行しが近年絶てなし。其頃見苦しき童を見ては皆人あぶらげ売のやうだといひけり。

     豊島屋の田楽豆腐『忘れのこり』下巻(四壁庵茂蔦著)
価賤き物の条に、鎌倉河岸豊島屋酒店の田楽は、今の豆腐一つだけありて価二文、酒も外々の一一合よりも多し、燗したるを湯桶に入れて出す。(下略)
 夂、同書、流行神仏の供物の条に、巣鴨□□□地蔵尊には豆腐を備ふ。大久保鬼王尊にもとうふを備ふ云々。

     豆腐売『守貞漫稿』(喜田川守貞著)
 三都とも扮無レ異桶制小異あり、京坂豆腐一価十二文半挺六文半挺以上を売る。焼豆腐油あげとうふともに各二文。江戸は豆腐一価五十余交より六十文に至り豆価の貴賤に応ず、半挺或は四半挺以上を売る。京坂価半価四分一価也、焼豆腐油揚豆腐各五文蓋京坂豆腐小形江戸大形にて価相当す。夂京都にては半挺を売ず、一挺以上を売る。
 因記す、天保十三年二月晦日江戸の市中に令す、江戸箔屋町豆腐屋与八豆腐価廉に売る故に官より賞レ之、古来豆腐筥制竪一尺八寸横九寸なるを以て製レ之也、十或は十一に斬分て一挺と号けるを例とす。与八のみ是を九挺に斬て価五十二文に売る、他よりは四文廉也、云々、当時価五十六文にて与八のみ形大にして五十二文に売る故に賞レ之也。
 豆腐昔は豆腐に紅葉の形を印す今も江戸にては印レ之、京坂は菱形を印せり、是は豆腐製筥に其形を彫たる也。天和三年印本の堺鑑云紅葉豆腐の事何国にも豆腐はあれども別して当津のを勝れたりと古人より云伝へり、紅葉と云名を加へたるは堺の桜鯛にも劣らぬ味なればとてかく云るなり、花に対する楓の縁語なるべし、夂或人の云、此豆腐を人のかうやうにと祝ひて付けたる名とも云へり、買様と紅葉と音便なる故歟、今豆腐の上に紅葉を印す詞に就て形を顕すなるべし、買用も通てよし云々買様紅葉の音便より付しこと本なるべく春は堺を名物とせし歟今製は人不レ賞レ之、今製京坂柔かにて色白く味美也、江戸剛くして色潔白ならず味劣れり、然も京坂に絹漉豆腐と云は特に柔かにて同価也、きぬこしに非るも持運には器中水を蓄へ浮べて振ざる様に携へざれば忽ち壊れ損ず。江戸は水なくても崩るゝこと稀也、江戸にも汲豆腐と云は柔か也、京坂普通製に似たり、蓋きぬこし常に有レ之、くみ豆腐別製也、需あれば製レ之、京坂小形也京都一挺以下売らず、大坂半挺も売る、一挺価十二文半挺六文也、江戸は大形也、豆腐製箱竪一尺八寸横九寸也用レ之製て十挺或は十一に斬り、一挺五十六文或は六十文に売る、四半挺より売レ之也、焼豆腐油揚豆腐ともに五文也。



最終更新日 2005年10月07日 23時13分50秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「名士と豆腐」

   名士と豆腐

      大沼枕山と豆腐
 枕山常に豆腐を愛す。信州の人これを知り、年々凍豆腐を送り来る詩を以て謝せんと欲し、稿已に成れり。その詩に云、
  乾二了冬晴一箇々全、嚢盛筐貯遠堪レ伝、東都気暖凝成脆、北信風厳凍得堅、出二彼金峰一誇二緻密噛比二他黄檗蘭喜二軽便一、晃山消夏曽遊寺、下酒尤宣浸二冷泉一。

      小倉青於と炒豆腐(あぶらげ)
 青於は武州本庄駅の人。画を高久隆古に学び、明治初年の頃東都に名あり。習性炒豆腐(あふらげ)腐炙(つけやき)を嗜みて常に食す。

      徂徠と豆腐滓
○交会雑記に、徂徠は芝に筆耕し居られたる時、至極貧にて豆腐屋に借宅しておられたる故、豆腐のかすばかりくらわれたると也。大いに豆腐屋の主人世話やきたるゆえ、徂徠禄えられたる後二人扶持やられたると也。

      大橋陶庵と豆腐
 経学家大橋陶庵も平常豆腐を嗜み、饌に豆腐なければ美味も(とみ)に価を失うと。

      豆腐の詩
 森春濤、かつて豆腐好きの画家西田春耕に送るに豆腐の詩を以てす。
  為羹為串両堪レ誇。伝レ自二淮南仙子家一。紫鼓香椒憐二味疎一。青竜白虎笑二餐奢一。消レ寒下レ酒無二佳物一。煮レ雪和レ湯勝二薄茶一。雖三爾儒風過二淡泊一。不下随二難犬一舐中丹砂上。



最終更新日 2005年10月08日 08時26分51秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「煤掃いと豆腐」

   煤掃いと豆腐
 京阪の俗として古くより煤掃いに豆腐を食い、また火事見舞の煮染に焼豆腐を用うなど、正月の雑煮汁にも豆腐を加え、諺にもお惣菜の詰りは豆腐という習わしもあれば、これを歳晩のすす掃いに用うるは意義あることにや。「雲錦随筆」(暁晴翁著、交久二年板)に、
 ○例年極月十三日は禁中の御煤取にして是を御煤といふ、此日御祝として末々の者に至るまで、熱壁(あつかべ)といへるを下さる、御台所前なる庭上に鉄輪を居、大釜をかけ、白豆腐をたき白味噌の摺て(うま)たきしたるを上よりかけたる也。是を熱かべと称す。(割註、すべて豆腐をかべといひ、おかべといふ故あつきかべといふことなるべし)末々の者へ御役人より切手を下され、此切手を以て土器師出勤の場所へ行て是を渡す(割註、土器師は畑枝村より出勤す)切手を受取土器一枚を渡す、此土器を以て豆腐方へ行て差出す、豆腐方土器に豆腐を入渡す、夫より味噌方に行て差出せば、味噌方味噌をかけて渡す、是を貰て銘々休息場へ持行食す。御上には青竹の串をさし田楽にして召上らるゝと云、いかなる所以にや知らず、最も古風なる御事ども也。
  土器師は洛北畑枝村に住し、皆太夫名を号る御用の御土器師なり、年の暮には洛中に出で初春の祝ひ土器を売あるく、其荷筐の形は七十一番職人尽歌合の図したるに違はず頗る古雅に覚ゆ。
  因云、煤払に豆腐を食することは古き例にや、南都春日若宮の煤払(註、例年十二月廿二日)に若宮の前なる溝に木葉を掻集あて豆腐を串にさし塩焼にし、社人神酒を配分し是を肴として宴す、此豆腐を名づけて春日田楽と云ふ。当日御供所の大黒の像を開扉あり、里人群参してこれを拝す。また「古今要覧稿」に、恒例行事略を引いて熱壁の事を載す。
 御煤払是は吉口をえらびて有也、御献あり、初献こさし、かつのこ、豆腐、櫃司より上る、二献索麪、三献するめ、くだもの、白てん餅、男居より上る、箒は主殿寮より、柄は南殿より調進す、長橋の車寄の御門の脇にて、豆腐を煮、山椒味噌をかけて下さる、おかべの献といふ云々。



最終更新日 2005年10月08日 10時06分19秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「茶席料理と豆腐」

   茶席料理と豆腐
 普通の割烹にはあまり豆腐を用いざるも、茶席その他精進料理とし多分にこれを用う。いま四季を通じて献立別にその名目だけを挙ぐ。
  汁  笹の雪とうふ、豆腐才切、焼豆腐賽の目、玉子豆腐、岩石とうふ。
  向  揚豆腐。
  椀  味噌かけ豆腐、油揚とうふ、宗旦豆腐、崩し豆腐、ごま豆腐、飛竜子、玉子豆腐、焼
     豆腐、織部とうふ、苞豆腐、煮ぬき豆腐、御雪とうふ、唐豆腐、青豆腐。
  焼物 木ノ芽田楽。
  取肴 豆腐羹、田楽。
  吸物 うんどん豆腐、小さい豆腐。



最終更新日 2005年10月08日 12時11分49秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「江戸吉原と豆腐」

   江戸吉原と豆腐
 吉原第一の名物也、此豆腐は角田川の水を以て製す、あぢはひかろくして世にならびなし。(「江戸塵」著
 者不詳、文政六年柳亭種彦の跋あり)
      真崎でんがく
  真崎稲荷の茶屋にてやく此所第一の名産なり、ことわりなるかな、よし原のとうふを以てでんがくとなす。
 甲子屋といへるもの過し宝暦のはじめより是を売るとかや。(同上)
後朝の名残を江戸は根岸の笹の雪に惜しみしも、浪花は尻無川の雪花菜汁に宿酔の腹をあらいしも、それは昔、その俤をここに六樹園のものせし「吉原十二時」豆腐の狂歌を拾い集めん。
      ○卯時 (午前六時)
  花魁の送るもよしや足引の          詩舘歌笑
     山屋豆腐でまた茶屋の酒
横雲の山屋豆腐の煮加減に             春江亭梅村
  居つゞけ酒のあとをひきけり
むかへ酒太鼓の外に明六つの          畑持
  拍子木にきる茶屋の湯豆腐
きぬくの豆腐は口に消えながら       素羅亭天馬
  耳にのこりしかたき約束

  ○辰時 (午前八時)
客人のうまい話の中の町           松成
  ういた所で喰はす湯豆腐
叉いつと契る一座の約束も          曽立
  にてかたまらぬ茶屋の湯豆腐
朝顔も酒の肴と湯豆腐に             滝水亭つよき
  また絡みつく居つゞけの客
湯豆腐の五丁町から帰り来て         蛤丁楼馬伎
  味噌をつけたる女房が前
二日酔よべの口舌ともろともに        燕子楼
  おなかを直す茶屋が湯豆腐
拍子木に切りたる茶屋の湯豆腐も  歌笑
  今朝の別れの幕とこそなれ
吉原のかへさ忘るゝ湯豆腐は          長房
  或はうかれつ或はしづみつ
胸の火の用心に今朝是よけん         金英園
  拍子木にせし茶屋が湯豆腐
止められて又居つゞけの相談も          百々庵虎千
  またにえきらぬ茶屋の湯豆腐
湯豆腐であたゝまるほど引かぶる       一樹園
  編笠茶屋の雪の朝酒
又思ひ出しつ茶屋が湯豆腐の         銭成
  耳にはさみしよべの睦言
やけ酒のよべの酔をもやはらかく        琴松堂
  直す腹なる茶屋が湯豆腐
けさ見れば茶屋の門さへ湯豆腐の       便時堂玉丸
  おぼろに霞む春のうらゝか
もてはやす拍子と茶屋が湯豆腐に       上々舘呑吉
  のりの見えたる客ぞ多かる
名代が夜具のつめたさこらへきて       水垣
  温まりぬる茶屋の湯豆腐
湯豆腐に散りこむ花はみよし野の       千柳亭
  山屋とおもふ里の朝風
中の丁春の山屋の雪も今朝          万気丸
  のどかに消ゆる茶屋の湯豆腐
湯豆腐の下地もすきの居つゞけや       六極園
  かへしいせんの御意も吉原
又たぐひ中の丁なる湯豆腐の           隈川網代木
  露さへ匂ふ花の朝風
湯豆腐の雪にめでゝは帰る気も        千国
  折れてや酒に寝る竹いせ屋
帰りての宿の首尾より待つ茶屋で       盛砂
  腹をつくらふ湯豆腐もよし
花魁のふところよりも忘られぬ        常道
  羽二重肌の茶屋の湯豆腐
 客は皆たつの刻とて駕よりも         有大甚
    はやのりかけて見ゆる湯豆腐

    ○巳時(午前十時)
 朝ざくら見ては帰らす湯豆腐の     松葉亭
    下地はすきに居つゞけやせん

     ○寅時(午前四時)
 豆腐屋のはや起きる頃豆ならで        水茶園
    鼾引出す新造もあり

     おどけ新咄し (藍廼家雅信戯作)
 毎日/\時もかはらず、とうふやが豆腐くと売声に娘一人ずつと出て、とうふやさんおかべやさんと、よぶのもきこえず売ゆくを、かたはらから男の人とんで出で、大音上にてオ丶イとうふや、耳はないかといへば、とうふやこの声がきこへしや、ふりかへり、豆腐や「今日は耳は内においてきました」。

     豆腐屋
 夫婦暮しの豆腐屋ありけるに、二人ながら無筆なり。されども女房覚えが善く、「もし、一挺おくれ、代は後から」。「あい、向ふの伊勢屋へ一挺」といへば、女房「をい、可し」といふ、間もなく伊勢屋から「只今の一挺代」。と持ち来れば、亭主「これは御近答、それ今の一挺代済みます」。女房「をつと、忘れたり」。

     豆腐
 下女段々と出世して飯焚を使ふやうになり、台所へ出て「これ、さんや、何やら白い物が半挺載せてあるが、それは何といふ物だ」。(みになる金)天明九年板ふくら雀にも出づ。


最終更新日 2005年10月08日 16時22分00秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「豆富譜」

  豆富譜
     豆盧子柔伝             宋 揚誠斎
豆盧子柔者。名鮒。子柔其字也。世居二外黄司祖仲叔。秦末大旱兵起。仲叔従二楚懐王一。為二治粟都尉司楚師
不レ饑二仲叔之功一。父劫。自レ少已俎二豆於漢廷諸公間一。武帝時。西域浮図達磨者来。鮒聞レ之往師事焉。達磨
曰。子能澡二神慮一。脱二膚学一。以従レ我乎。鮒退而三沐。易レ衣刮二露牙角一。剖二析誠心一。而後再見二達磨司達磨
欲レ試二其所レ薀之新故刈於レ是。与レ之周旋議論。千変万転。而鮒純素自将。写レ之不レ滞。承レ之有レ統。凝而謹
焉。粋然玉如也。達磨大悦曰。吾師所レ謂醍醐酥酪子近レ之矣。因薦二之上一曰。臣窃見二外黄布衣豆盧鮒一。潔
白粋美澹二然於世味一。有二古大羮玄酒之風一。陛下盍二甞試一レ之。詩不レ云乎。不二素食一兮。鮒有焉。上方急二辺功一。
曰。焉用二腐儒一。元鼎中。鮒上書請以二白衣一従二煮棗侯博望侯一出レ塞。上戯レ鮒曰。卿従レ煮耶。将博耶。鮒曰。
臣雖レ不レ足三以充二近侍執事一。然熟二游於煮博二子間一。未二甞焚煎阿匿一。願得レ出二入将部一。片言条白。未二必語
言無一レ味也。上曰。前言戯之耳。然卿白面書生。諸将豈肯置二喞歯牙間一哉。遂拝二太官令一。時上篤信二祠祀一詔
レ鮒与二名儒公羊高魚豢一。同主二宝鶏之祠一。鮒雅不レ喜二羊魚二子一。日。二子肉食者。鄙。殆将レ汗ノ我。不レ得
レ己同レ盤而食。深耻レ之。頃之上祠二甘泉一。斎二居竹宮一。屏二葷酒一独召鮒。鮒奏曰。臣麁才不レ足三以辱二金口之
嘉納一。臣友人汝南牛氏子穀。【音如闘殻於菟之殻】柔而美。願挙以自代。上曰。牛氏子美則美矣。而其言孔甘。朕不レ嗜也。
是夕鮒有レ所レ献。上納レ之。意甚開爽。夜半上思二鮒所一レ献。覚二肝脾間厳冷一。召レ鮒問曰。卿所レ言嘗多与二姜
子牙輩一熟議耶。鮒曰。臣適呼二子牙一未レ至。上曰。卿幾誤二朕腹心一。乃罷レ鮒。召二鮒子二人一。夜拝二其長一。為二
温衛侯一。次為二平衛侯一。自レ是絶不レ召レ鮒。鮒深自悲酸。発二於詞気一。而公羊高等得レ志。悪二鮒異一レ已。因讒二
於上一曰。豆盧鮒。所レ謂人焉痩哉者也。鮒遂抱レ甕隠二干■山一。莫レ知二其所一レ終。太史公曰。豆盧氏在二漢末一
顕也。至二後魏一始有レ聞。而唐之名士有下曰二欽望一者上。豈其苗裔耶。鮒以二白衣一。遭二遇武皇帝一。亦奇矣。然因二
浮図一以進。君子不レ歯也。

○豆腐詩 簷曝雑記五巻に、
 伝得淮南術最佳 皮膚脱尽見二精華一 一輪磨上流二瓊液一 百沸湯中滾二雪花一 瓦缶浸来蟾有レ影 金刀割
処玉無レ瑕 箇中滋味誰得レ知 只合僧家与二道家一云々。
 按豆腐の事、藝苑日渉擁画漫筆などに見ゆ。(松屋筆記八六巻)
                                     鱸松塘
  君不レ見篠雪之名譟二東都一。
  風味不レ数二金城酥一。 可比某子居二台麓一。
  才名耽々虎負レ嵎。 高興比日觴二同社一。
  淋漓争送酒百壷。 海螯江柱棄不レ用。

 満盤黎祁截二鮮腴一。  平生鮭菜惟三九。
 対レ此寧辞逞二呑屠一。 臨レ風一飽快何限。
 柔脆堪レ潤吟二腸枯一。 况復主人詩絶妙。
 直与二此物嶋争二瑤瑜一。  人生適意各有レ取。
 豈容三飲食目二吾徒一。 玉食万銭何足レ羨。
 清供但喜同二斎厨一。  且属二腐言一揮二酔筆一。
 我亦乾坤一腐儒。
                         梁川星巌
 麦浪青々槐葉匂。 鵑紅燕紫弄二余春一。
 更憐田家佳風味。  一串黎祁賽二八珍。
                         羽倉簡堂
用二黄銅無稜刃一。切二長寸半一。幅厚減二三之二一。将レ有二眼銅勺一。送二入滾湯一。旋浮旋取。薙醤喫レ之有二真味一。軽
圧去レ水。截如二上項一。串炙著二海丹若鰈腸噸亦奇。然非二竹串帯一レ青。随レ燔脂出。喪二風趣一矣。煮レ腐用二昆布
鍋一尤妙。焼腐香菰湯煮レ之。上点二芥辣一。爽芳可レ賞。麻腐方。白麻一升。薄炒研砕。加二葛粉五合水二升一烹
レ之。納レ器放レ水乃成。胡桃腐方。亦如レ之。二者細膩可愛。竟不レ如三菽乳無レ味中有二至味一。
                        藤森弘菴
漢家王孫好神仙。  仙厨玉餌神訣伝。
数斗黄珠磨作レ泥。  燥薪快餤急相煎。
霊液滴々漉二瓊醤一。 匣裏凝作玻瓔光。
銀盤陳列全同レ色。 桂醋調得分外香。
満堂嘉賓舞二新饌一。  更為二珍羞一飛二羽觴一。
王孫仙去空千載。 惟為二人間一留二奇方一。
君不レ聞古来精造称二京洛一。
祗園声価尤塙々。 繍帷深垂繞二画檐一。
佳人離立騁二金錯一。 慧心学得劉輪妙。
整々不レ仮縄与削。  維燔維炙自芬々。
能使老餐傾二嚢豪一。
夂不レ見長夜漫々転凄其。
先集維霰張二寒威一。 青州援兵亦挫レ鋒。
措大窮迫歎二数奇一。  便向二中厨一烹方壁。
一味富貴与レ我宜。 饒口一嚼大如レ斗。
挽回陽和二入詩脾一。  積雪埋レ雪不二復憂一。
高唱小山招隠詩。 由来漫愛軟又淡。
知二得真味一定是誰。
                        小野湖山
至味従来在二淡中一。 滑然入レ口雪先融。
衰翁朝暮験二滋養一。 菽乳功勝牛乳功。
                        寺西易堂
羹是淮南茶趙州。 老甘二淡泊一伴レ僧游。
小楼坐対禅窓雨。 不レ落人間第二流。
                        雲来道人
方三寸許絶無レ瑕。 水底玲瓏白玉斜。
嚼去満唇香馥郁。  炙来一串影槎枅。
暁寒八坂祠辺月。  春暖高津宮畔梅。
蔬筍難兄芋栗弟。 上番佳味属僧家。
                        並木栗水
其質脆其味腴。  華筵月席相須。
不レ嫌賤悪名字。  可三以供二老腐儒一。
                        栗本鴻堂
夏則宜二冰冷一。 各則白湯羹。
酒厨何可レ闕。  幾度解二余醒一。
                        関根癡堂
応賽西施乳可憐。 氷肌纔見口流レ涎。
雅名最愛桜花美。 郷味難レ忘泡雪妍。
寒士所レ甘唯澹泊。  冷奴雖レ賤儘清便。
笑吾滋養長憑レ汝。 竈落有レ詩方十年。
                        源 華城
日暮梅橋嗅二老梅一  竈煙一望旧高台
了鬟勧レ酒小楼上  髴匣春芳炙レ雪来
                       鳴戸南山
柔脆菽乳称二高津一 烹炙軽便待二衆人一
甘来莫二是醍醐味一  浄地近延方外賓

  題田楽豆腐          大田南畝
三五美人差櫛通   膚欺二白雪一扇生レ風
岡辺煖レ酒焼二楓葉一 席上敷ソ氈愛二竹筒一
真崎箱連二狐色一黒  池田炭映二鳥居一紅
相模入道淮南子  共是千秋好物同
                       妻鹿友石
囓二着雪花一歯吩香。  厨珍只有三豆瓊醤一。
酒辺陪得仙翁饌。 換了腐儒陳腐腸。
                       大須賀六軒
 宜レ冷又宜レ羹。 酔余最可レ人。
 淮王何妙術。 作二此酒厨珍一。
                         小永井小舟
人語レ淡必日三豆腐一。是物入レ口脆滑。無レ味而有レ味。日食而不レ覚可レ厭。几物之腐者不ン可二復用一。独是物用
レ之而無レ尽。八珍之美日食レ之則可レ厭。独是物終身食レ之而無レ厭。淡哉々々。至道之要大与レ此契矣。春耕
画史。嗜二豆腐一。盖有二由レ是而能悟者一耶。余将二従而問一レ之。(口嗜小史、西田春耕著)
                       清 張劭
 漉レ珠磨レ雪湿罪々。  煉作二瓊漿一起二素衣一。
 出レ匣寧愁方璧砕。 戞レ羮常見白雲飛。
 蔬盤慣レ雑同二羊酪一。  象箸難レ挑比二髄肥一。
 却笑北平思二食乳一。  霜刀不レ截粉酥帰。
                         伊藤仁斎
 歯揺臼脱百難レ食。 唯覚食中豆腐優。
 浩博淮南鴻列解。 未如斯味厚能柔。
                       明 蘇平
 伝得淮南術最佳。 皮膚褪尽見二精華一。
 一輪磨上流二瓊液一。 百沸湯中■二雪花一。
 瓦缶浸来蟾有レ影。 金刀剖破玉無瑕。
          イ(只合)
 箇中滋味誰知得。 多在三僧家与二道家一。
                       明 曽異撰
 出世長依仏子鉢。 百年多伴腐儒韲。
 溷二将葷血一還清素。 随爾方圓却整斉。
 瓊液磨来石有レ髄。 銀刀削下玉如レ泥。
 祗応三煮レ雪除二塩鼓一。  供奉孤山処士妻。
                         八木楊舟
盤上玲瓏香欲レ浮。十分風味太温柔。冷消俗士心辺熱。散却騒人胸裡愁。玉乳凝来澹レ干レ水。銀泥融処滑如
レ油。四時有二是豆漿羹一。何億呉江鱸鱠秋。
                                 銅脈先生
大豆浸二清水一。碓磨若乳流。湯焼重掛絞。箱汲自然(あつまる)。敷布縦横在。庖丁先甚柔。雖無僧俗隔。多入二出家
喉一。

     鳶に油揚を攫はる             富家未富有
 鳶飛で天にいたりし油揚は
    ときにとつての僧のめいわく

     寄田楽豆腐恋                ト柳
 やる交のかへしもせぬは田楽の
     くし/\むねをこがす我みそ
      祗園の御社の前なる茶屋にて田楽のとうふをきる
     女の手業いと珍らしく人々興じ立より侍る  渭明
 田楽の注師ならねどこれもまた
    神の御前のはやしものなり
   菓菴にて                貞柳
たうからし洞落とも覚えぬる
  膳にはあまる田楽のくし
   田楽                  貞富
昔たれ名を田楽と付たらん
  豆腐の姥によりてとはゝや
   百首歌の中                 一圃
しんみりといとゝへたつく我心
  味噌で豆腐を新枕かな
   二日酔           古来稀世
吐もせすくはれもやらぬあしたには
  朧豆腐にしくものぞなき



最終更新日 2005年10月08日 22時08分44秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「豆腐皮」

   豆腐皮
 豆腐の皮のこと。(しわ)多きところより豆腐の(うば)と称し、また訛ってゆばという。豆腐のうばの略なり。湯葉の字を用う。

 腐皮の白和 ゆばをざっと湯に通して洗い、小口から細く切り、罌粟(けし)味噌大匙三杯に、豆腐半丁を絞って摺り交ぜ、砂糖大匙二杯加えたもので白和に(つく)ったもの。

 腐皮巻藷 甘藷百匁を蒸し、馬尾篩(すいのう)漉しにして、平湯葉を湯に浸けて洗い、拭いてその上に一分ぐらいの厚さに均らして付け、小口から巻き締めたもの。

 腐皮酢膾 生腐皮を好みの量だけ擂鉢で摺り、飯の取湯を少し入れ、酢、酒、醤油を少し注して摺りのばし、毛馬尾篩で漉し、大根の小口切り、椎茸の繊切り、独活(うど)の短冊切り、簾麩(すだれぶ)の繊切り、三つ葉の一寸切り、牛蒡(ごぼう)の笹掻きなど少しずつ入れ油で揚げ、一緒にして()えたもの。小鉢に盛って出す。

 さがらめ湯葉 さがらめを湯煮して味つけ、生湯葉と湯巻にして小口切りにする。

 (すく)い湯葉 湯葉汁一升に上葛一合半入れ、よくかきまぜて鉢に入れ、蒸籠にて蒸し置き、金杓子にてすくい、岡入れ、吸いもの、かくし葛、山葵。

 小倉湯葉 引あげゆばを俎板(まないた)の上で叩き、ほかに赤小豆を潰さぬように煮きたるを湯葉と交ぜ、葛少し入れ、布巾に展しつつみ、蒸籠で蒸し切る。

 八条湯葉 また、東寺ゆばともいう。八条大宮辺にある上品なり。そのまま山椒醤油つけ焼きにする。焼立てをつかう。

 揚湯葉 生ゆばをごまの油にてあげて煮こむ。

 海苔巻ゆば(湯屋に在り) よせ揚ゆば(同上)

 しんじょう湯葉 引あげ湯葉を俎の上にて叩き、葛をまぜ薄箱へ入れ蒸籠にて蒸す。好みに切る。

 おりつる湯葉 玉子ゆば 竜門ゆば かすてら湯葉 ちくわ湯葉 おぼろ湯葉 金柑ゆば等あれど略す。

 豆腐皮蒸 ゆばを(すり)鉢にて擂り、別に長芋を摺りおろし、ゆばと共にすり交ぜながら溶したる葛を少しずつ入れて、鰹節煮出汁にて延ばし、種もの五六品見合わせて蒸すなり。

 帯地湯葉 黄ゆばの小巻と白湯葉の小巻とを、いずれも二寸ぐらいに切りて、七本を、細き青昆布にて括り、平種に用う。

 豆腐皮巻 豆腐一丁に、薯蕷(やまのいも)の皮を剥き少し摺り下して加え、割山椒少量にすり合わせ、平ゆば一枚に平らに伸し塗りつけて、小口から巻いて括り、しばらく蒸籠で蒸したもの。小口から切って、好みの味をつけて食う。



最終更新日 2005年10月09日 15時49分31秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「豆腐余瀝」1

   豆腐余瀝
 豆腐は常に淡白を好む学者、僧徒にして嗜むもの多く、労働の人のたまたまこれを食うも魚肉の相手として合食するに過ぎず。通人のこれを好むは宿酔のあしたの湯豆腐にあって、風流人の貧厨に迎えると似もやらず、ただ炊婦の惣菜に困って朝夕の売声を待つのみ。
 支那の寺院にては常に豆腐を貯蔵してこの一品を以て種々の調理に用いらる。豆腐の異名を淮南佳品というも、淮水の南方、九江、盧江、衝山、予章の四郡にて製されしよりの謂にして、淮南王劉安の創するものと称される。唐僧隠元禅師も豆腐を讃し、
   世の中は豆で四角で柔かで
     又老弱に憎まれもせず
 かつて何仲黙が豆腐を商いつつ破氏と好学の友たりしと、王信が豆腐を日食して簡易生活に安んじ、世人は呼んで豆腐侯と号したなどの説も伝えられ、わが国でも荻生徂徠は豆腐屋の滓を貰って窮迫を久しく凌いだ実話も残れり。
 柳亭種彦の「用捨箱」に、黄檗豆腐汁は赤小豆汁に醤油を入れて煮たる豆腐汁を黄檗豆腐というとあれど、それは今も伝えられる豆腐羹というものにて、唐製豆腐の一種にて俗に隠元豆腐ともいえり。
 また俳諧に寺鱒という詞あり。それは豆腐の油揚を串に刺して、胡麻醤油の付け焼きにしたるものにて、海鱒、川鱒の響なり。それを細く作り、畳ながら生醤油に唐辛子をちらす、無造作な禅料理なり。
 豆腐にあらぬ佳名を付けたるは多く風流人のすさびにて、京阪のひりゅうす(飛竜子の訛)を東京で(がん)もどきといえり。鴈の味に似たるよりいうにや。北七里(別号鑑亭)の狂歌に、
   鴈もどき我を見捨てて飛び行きぬ
     豆腐に羽根のなきぞ嬉しき
 また鶴もどきというは、摺り豆腐の中へ松葉牛蒡(こぼう)に麻の実を交ぜて油にて揚げたるもの也。今も俗にばくち汁というは、豆腐を骰子(さい)()に切ったもので、貞佐独吟百韻に、
 附句 今はばくちのすたる世の中
   菜ばかりの汁をこの頃もてなして
 支那でも青菜と豆腐の汁を、「白虎青竜一口呑」などと洒落ていえり。
 豆腐のくずしたるに蛤の剥身を入れたるを、雪に千鳥といい、また大根の繊に切りたるに貝のむきみを入れたるを霞に千鳥という。干葉にむきみを落葉にちどりといえり。これ貝の身の形千鳥に似たるよりいうか。柳亭筆記にも、むきみの形、衣模様につくる光琳風の千鳥に似たるよりいう、蛤の田楽を千鳥焼というとあり。
 昔、両国辺の淡雪豆腐盛んに行われし頃の狂句に「うち出しの頃泡雪は葛をねり」というがあり。情景を写し得て甚だ妙なり。
 正月の雑煮餅に豆腐、大根を入れるは餅の消化をたすけるためにて、この風習は京阪地方、その近国に古く行われたるも、他国にては越後、羽前、野州地方の外になしという。
 水戸地方にては節分の夜、豆腐を門戸に掲げる風習ありと。戸を封ずるという意か。儺の呪咀なるべきもその義詳かならず、記憶のままに記す。
 享保八年京の八文字屋板「百人女郎品定」西川祐信画に、芝居茶屋、豆腐茶屋、水茶屋の図があり、田楽を焼く女の姿が描かる。おもうに京祗園下河原辺の古き風景なるべし。
 滝沢馬琴が享和二年の「覊旅漫録」に京の豆腐を評して日う。祗園豆腐は、真崎の田楽に及ばず、南禅寺豆腐は、江戸の淡雪にもおとれり。しかれども店上広くていく間にもしきり、その綺麗なることは江戸の及ぶところにあらず。すべての京の茶店は、四方一間位ずつにしきり、左右にすだれをさげたりとありて、何事でも一理窟言わねば納まらざる曲亭の、これぞ曲事なるべし。京の豆腐と江戸の豆腐を比較することさえ既に無定見の業なれ、曲亭地下で何をか言わん歟。正竹の狂歌に、
   南禅寺で喰ふゆどうふのからしさへ
     花の都の通りものなり
 東京日本橋の食傷新道赤行燈の茶飯、あんかけ、今も食通の喜ぶものなり。
 豆腐屋の買人の望みに任せて、田楽、八杯どうふなど手間取ることに刻みて売るは享和頃よりなりと、塵塚談に出づ。
 近年(享和の比)は薯蕷牛蒡其外青物類を鍋へ入煮る計にきれいに洗ひ売なり、最初日本橋にてはじめしが、 今は何方にても右の如し。調理に世話も薄く手廻しよし。豆腐の買人の望にまかせ、でんがく八盃どうふなど手間どる事を刻みて売れり。魚屋魚売は何に拵へませうと聞て指身にても切刻み、首尾も捨てず丁寧にこしらへて売る事になれり。我等十四歳の頃(宝暦)迄は、魚売はいそがしそふに早脚に往来せり、わけて松魚売抔は侠客の形気にて、魚を切る事抔は指置、価を下直につくれば、首ばかりは売らぬの、わしはうりたけれど、魚がいやだといふなどと雑言を吐きちらし出行し也。(下略)
 享和二年二月に大田南畝が大阪銅座御用を命ぜられて東海道を上りし「改元紀行」の中に伊勢の亀山に入りて「城下の市中賑ひなし、四角なる形のものを軒にさげて『湯豆腐あり』『油揚あり』あるひは『豆腐』『こんにやく』など書ける様、鄙びたり」とあり、その頃は酢屋の看板に(ふるい)の輪のみ掲げ、また酒屋に杉葉の(さかばやし)などと、その形を表わしたるものその他にも例多かりき。
 また「目川の立場には、菜飯と田楽とありて、今何処にても目川菜飯とよぶは、此所より起れりと聞きて、伊勢屋といへる家に入りて、かの菜飯もとむるに、田楽の豆腐暖にものして味よろし、こゝに『目川』とも『女川』とも染め付けたる茶碗もて、茶をすゝむ、珍らかなれば二つとも買ひぬ。銘酒あり『御銘菊の水』と記せり」とあり。
 また京に入りて「祗園の社に詣で、門辺にいつれば、赤き前垂したる女ども、手を連ねて人をとゞむ、左右に葦簾かけ渡したる床に上りて、名におふ豆腐の田楽といふものにて、飯くひ、酒のみつ、女どもの豆腐きる音かしまし、隣の簾のうちに、浮れたる様の人あまたありしが、女をよびて豆腐きらしめしに、とく真名板を携へ来りてきる音、七種(ななくさ)はやす音にも似通ひたり、物したゝめ終りて、あし取らせんとするに、秤をたつさへきたりぬるもをかし、しろかねの露おもからぬ酒なるべし」とあり。銀目を量らんために秤をもて来たるなど、その頃の風俗おもい遣らるるなり。

       京名物          蜀山人
   水 水菜 女 染物 みすや針
     御寺 豆腐に 鰻鱧 松茸
     豆腐ノ紅葉 (麓の花、山崎美成)
 堺鑑(天和三年印本)巻の下、名物土産の部に日、何国にも豆腐はあれども、別して当津のを勝れたりと古へより云伝へり、紅葉といふ名を加へたることは、堺の桜鯛にも不劣味なればとて、かく云ふとそ、花に対する紅葉の縁なるべし。夊或人云、此豆腐の人の能くかふやうにも祝て付たる名共云へり、買様と紅葉と音便成る故歟、今豆腐の上に紅葉を印す、詞に就て形を顕す成べし、買用も通ひてよし、この説は「国花万葉記」巻の五、和泉名所にも見へたり、今戸にても豆腐に紅葉をつくることはこれが拠なるべし、江戸にて紅葉を印するもいとふるくよりなすわざなり、そは「俳諧当世男」(延宝四年印本)巻の上紅葉といへる題にて
  朝風や紅葉をさそふ豆腐箱  重秀
と見へたるにて延宝の頃已に江戸にあるを見るべし、按に「きのふけふの物語」巻の上に日、ある人寺へ参る、長老御覧じてさて<きどくの御参りとてしやうじ給ひて、先々御茶しん上申せ、もみちにたてゝまいらせよと、おほせらるゝ、此人聞てふしんして色々あんじてもがてんゆかず、いやくとふは一度のはちとおもひ、長老さまにとひ申せば、こうようたてよと申す事じやとおほせけるこの一くだりは豆腐のことにはあつからねども、紅葉を濃能(こうよう)といへる音便もてかよはせたる事のあれば、堺鑑の説も音便の説に従ふべし。
「好色二代男」に、豆腐の上に分銅の印をつけたるを店先に並べたる図あり、又「諸国落語咄」巻の四に落首にいう。
  とうふやの豆の喧嘩でうすでおひ
      一町の衆をおびやかしぬる
 といえる歌をのせたり。ここにのするは豆腐に分銅をつくるはめずらしければ載す。

     楓豆腐 (全堺詳誌)貞享元年板
 於赫淮南王 遺烈在豆腐伝入大八洲印楓称界浦

     氷豆腐(本草紀聞行厨集に、「氷豆腐、高野の名産也、漢名腐乾」)
O「貞徳文集」 御威厳之氷豆腐一筥給候今頃佗数奇茶請之事闕候境節御芳恵之段不知所謝候」云々。

      豆腐商い (大阪)
○とうふも貞享の頃は青物屋にて商いしものと見え、摂陽年鑑に、新町、八百屋長兵衛青物とうふ商売なにははや出の冬ぐきつけうりの根元也。
    夕豆腐
夕飯の前頃に売りに来る豆腐をいう。万紫千紅「山盛のひらのあは雪夕豆腐売りくる頃やつぼと詠めん」。

    豆腐の類語
豆腐の媼 (湯皮に同じ)
豆腐の滓 豆腐を製する時、しぼりたる残りの滓、うのはな、から、とうふかす、きらず。
豆腐に鎹 糠に釘に同じ。
豆腐師 とうふ屋。
豆腐縞 弁慶縞の中、その太さがその織物の半ばに達して、半紺半白なるもの。
冷奴豆腐を奴の紋のように切るよりいう。また「ひやゝか」を「ひやゝこ」と転訛し「ひやゝっこ豆腐」ともいう説あり。
六弥太豆腐の異称、御壁。岡部六弥太に擬していう。



最終更新日 2005年10月09日 20時13分46秒

林春隆『新撰豆腐百珍』「豆腐余瀝」2(終)

      著者と豆腐
 自分は幼少よりの豆腐好きにて、乳の代りに用いし訳にあらねど、親父の遺伝にや日常晩酌の膳にこの物を欠ぎしことなし。
 (さき)に拙著「白雲菴百話」にも書きし、自分の大阪丁稚時代の失敗談中に、
 散斬豆腐 その頃は理髪することを大阪では散斬(ざんぎり)と称した。ある夏の夕、豆腐屋へ奴とうふを買いに遣られた時、何がな洒落て見たい年頃の私は、イヤ奴は流行りませんからざんぎりにしたらと言った。お家はんも気の軽いお方で、それではざんぎりでもよろしいと仰しゃる。さて困ったな、出鱈目のしゃれが本ものになった。そこで道々考えるに、奴豆腐とは奴の紋から形容したのであろうから、三角に切れば麟という、六角にすると雪とうふとでもいえると、こうした理窟で豆腐屋でよい加減に切らして来て、「はい唯今」、お家はんこれを見て「これがざんぎりかえ」「へい当世風の五分刈りでございます」とはちと苦しかった。
 これも自分の椀白(わんぱく)盛りの悪戯で、近所の豆腐屋の女房がその家の売子と奸通をしていて、それが大評判であった。知らぬは亭主ばかりなりで豆腐屋だけに豆盗人は、人目も厭わず臼のあいびきをつづけていた。自分はおもしろ半分に豆腐屋の看板の傍に「木の芽田楽間男もあり」と書いた紙を貼ってやった。実はあるおッさんが書いて自分は張りにやらされたのであったが、それが発覚して自分はえらい目に逢わされたことがあった。
 まだまだ豆腐については滑稽な話もあるが、その中に人のよく噂をする泥鰌(とじよう)地獄というのを実演して大失敗をしたことがあった。それは所々穴を明けた豆腐を大きいまま鍋に入れて生きた泥鰌をその中に投れると、熱湯に驚いて泥鰌は豆腐の穴にもぐり込んで旨く煮られる、それを庖丁刀して喰うという段取であるが、実地やって見ると勿々そうはゆかない。自分は熱湯で泥鰌が驚いて冷たい豆腐の穴へもぐるものと考えて、大鍋に煮出汁を沸騰させてその中へ穴をいくつも明けた冷たい豆腐を入れると同時に、たくさんの泥鰌を入れたところ、泥鰌は鍋の蓋を跳飛ばしそこら熱湯の飛沫で、皆が顔や手を火傷をするやら、鍋の泥鰌は豆腐の穴へもぐらず灰の中へもぐったり、畳の上に跳ねたりして散々な目に遭って、泥鰌地獄よりこちらが焦熱地獄の憂き目に、逢わされたのであった。その後ある人に聞くと、豆腐も泥鰌も鍋に入れて水から仕かけると、徐々に沸いて来る熱さで泥鰌は、豆腐の穴へもぐるのだと、利口振って言われたが、自分はモ一遍やるほどの勇気はない。

     うまい豆腐の食べ方
近ごろ著者が晩酌の下物にする豆腐の種々は、まず、
一、朝鮮鍋または石鍋、すぎ焼鍋でもよし、強い火にかけて油を少し引ぎ、一寸角ぐらいに切った豆腐を食うほどずつ入れて、匙でちょっと打ち返しすぐ出して、大根おろし生醤油をつけて食べる、これを石焼という。おろしをする時、大根の切口を十字に庖丁を入れ、唐辛子を挟んでおろし金ですると紅葉おろしになる也。
二、汲豆腐の餡かけ、これは朝豆腐屋に頼み、需要だけおぼろ豆腐(形箱に流す前のもの)を求めおき、それを頃合いの茶碗に汲み入れ、さっと沸湯にくぐらせて薄葛かけてすり柚など添えて食べる。長く茹でると簀が立ちて味をおとすゆえ、手早く加減すべし。
三、焼豆腐の焼き立てを水におろさず、そのまま生姜醤油をつけて食う。
四、湯豆腐を引き上げて布巾の上で水気を去った後、すり胡麻にまぶして食う。
五、煮奴は東京不忍池畔の揚出し風に、薄鍋にタレ少くして花鰹節多く、煮ながら食うに限る。
六、湯豆腐は一挺そのままに昆布を敷きたる鍋に入れて、金の網杓子ですくい切りにして盛り分けるか、または奴に切ったものを、一沸きうき上がらせてのち、それを温湯に移して掬いながら食えば煮え詰らず豆腐の味もっともよし。
七、潰し豆腐に青海苔かけて食うもよし。
八、出来立ての白豆腐に、生姜醤油をかけた皿盛は田舎の仏事に用ゆ。これは田舎豆腐だけに地豆の風味を愛すべし。
九、豆腐の真味は絹漉しより木綿漉しにあり。
十、茶と豆腐は水質よりも煮方の巧拙に拠るところ多し。ただ水精を尊ぶものは醸酒のみ。

      白玉翁の豆腐記
それ豆腐はわが形四角四面にして、威儀をたゞしく生れ、和にして、人の交りにきらはれず。その身は精進潔斎なれども、和光同塵の花鰹に交り、諸社の神前にては田楽を奏し、神慮をすゞしめ奉り、先春は桜どうふに、祗園林の花にいさませ、一軒茶屋にかんばしき匂ひをこめ。あけぼのゝ朧豆腐に歌人の心をいさあ、雉子焼の妻恋に、珍客の舌鼓をほろ/\とうたせ、和歌連俳の席に月花の心をよせ、一興の味に豆腐のいたらぬはなし。そのかみ六弥太といへる武士も岡部を名のり、風味に和らぎ、寒夜には饂飩どうふ、瓢箪酒に一座をうこかし。唐土にては曹子建まめがらを焚、豆を煮たる間に四句の詩をつくらせ、兄弟の不和を直し。朝夕貴家高僧の列につらなり、経文読誦の声を、布目ごとに聴聞し。身を油になして、斎非時の馳走を催し。南禅に入て禅味をして、葛だまりの衣を著し、旅人を教化し、仏縁に引導せしむ。あらかなしきかなや、世くだり時うつり、かゝる重宝の知識を還俗させて、やつこどうふとは、さてくむげなるうき世かな。
編者曰 此豆腐記は正親町公通卿の作なりといえり。

      割烹店蔵多(くらた)屋の引札
名は空也豆腐寂びを伝ふれど今めかしき文化の果実を棄てず、さりとて洋風の真似事に日本料理の特色を失はんは、暖簾の恥なるべし、東に常盤あり、北に八百善ありて、之も食饌に縁ある鼎の足の勢をなさんとすなる、この蔵多屋の主人の志を、誰かは壮なりとせざらん、爰に火後の経営新に成れる日、主人に代りて一文を草し、四方同嗜の客に檄すと云爾。
                              鴎外漁史高湛
                                  岡山高蔭書
 (前に石井柏亭氏の画頭包んだ人物が豆腐を重ねたる板を前にして座って居る絵で、肩に「とうふめせ」とあり)
 四十三年十二月廿二日読売新聞に写真を載す。                森 潤三郎

      豆腐の食性
日用食性(寛永十九年板)
 ○豆腐 微寒、脾胃ニハ不レ妨、瘡疥頭風禁レ之、杏仁、莱箙解レ毒。
日用食性(嘉永六年板)
 ○豆腐 小毒あり、中をゆるめ大腸の濁気を下す。多食すれば腎気を動かし、頭痛、瘡疥を生ず。
 ○豆腐皮 多食すれば気をふさぐ病人にあし。
 ○雪花菜 中を調え、酒毒を解す。
巻懐食鏡(寛政板)
 ○豆腐 (気味)甘鹹寒有二小毒画性平、寒而動レ気。(主治)寛レ中益レ気和二脾胃一消二脹満→下二
  大腸濁気殉(禁忌)発二腎気瘡疥頭風→杏仁可レ解、暑月恐有二人汗一宜レ慎レ之。
 ○豆腐皮 啓益按時珍日、其面ヒ凝結者揚取晒乾入レ饌佳倭俗呼三豆腐乃宇波一此物甘美多食寒
  レ気病人不レ可レ食。
 ○雪花菜 啓益按雪花菜者豆腐糟也出二干花史一此淡薄物賤者之食也富人食之加二辛辣物一弱人陰
  虚人老人共勿レ食。
養生訓(貝原益軒、正徳三年)
 ○豆腐には毒あり、気をふさぐ、されども新しきを煮て、(にえばな)を失わざる時、早く取りあげ、
  生莢箙(なまだいこん)のおろしたるを加え食すれば、害なし。

『新撰豆腐百珍』
  昭和十年七月
岡倉書房刊



最終更新日 2005年10月09日 20時28分12秒