高浜虚子「虹」
虹
愛子はお母さんと
愛子も柏翠も私らに別れともないようなそぶりが見えていた。私らはこれから
その時ふと見ると、ちょうど三国の方角に当って虹が立っているのが目にとまった。
「虹が立っている」
と私はそちらを指した。愛子も柏翠もお母さんも体をねじ向けてそちらを見た。それはきわめて鮮明な虹であった。その時愛子は独り言のように言った。
「あの虹の橋を渡って鎌倉へ行くことにしましょう。今度虹がたった時に……」
それは別に深い考えがあって言ったこととも覚えなかった。最前から多少感傷的になっているところに、美しい虹を見たために、そんなおとぎ
を見ながら、その上を愛子が渡って行く姿を想像したりして、
「渡っていらっしゃい。
「ええ杖をついて……」
愛子は考え深そうに口を
愛子とお母さんと柏翠とは敦賀で降りた。そうして私と立子との乗っている汽車がそのまま発車して京都へ向うのに淋しく手を振っていた。
三国の町は九頭竜川に沿うてその河口まで帯のように長く延びている。昔の日本海を通る船はたいがいここに
川下の
という句を空想して作ったが、そのお父さんのいる本家というのは町の中央にあって、愛子の家がやはり川下であったことを後になって知った。
はじめ
愛子の家の
以前柏翠が鎌倉の家へ来た時分に、
「このごろ、愛子と結婚しようかと思うこともあるのですが……」
と私の顔を見てから、
「二人とも体が悪いのですから……」
と言い
「結婚してすぐ不幸な目に逢う人も多いようだから、まあよく考えてからにしたまえ」
と言った。そうして何だか、そんなことは言うべきことでないような心持もしたのであったが、柏翠は決然とした口調で、
「結婚しないことにしましょう。その方が結局二人の幸福ですから」
と言った。私は今まで私のいうことは何でも正直に守る柏翠であることを知っているので、柏翠のこの言葉に対して、
柏翠は鎌倉の七里ケ浜の鈴木病院に十年間も入院していた
金沢の俳句会のすんだ翌日、山中の温泉に行くことになって、その俳句会に列席した柏翠と愛子とお母さんと、また愛子の友だちの美佐尾もやはりいっしょに行くことになった。
美佐尾というのは、愛子のお父さんが銀行の
その朝早く金沢の宿の廊下で愛子の姿を照らしだした電灯の光は暗かった。「よくおやすみでしたか」と聞くと「よくやすみました」と答えはしたが、顔色も悪く元気もなさそうに見えた。その傍に美佐尾の丈高い幅の広い姿も見えた。
山中に着いた時は非常に寒かった。宿の前の山は一面に紅葉していたが、その全山の紅葉の上に雪がさらさらと降っていた。それが大変に美しかった。寒いのも忘れて、
また一句会はじまった。金沢の俳句会の時もそうであったように、俳句を作らぬお母さんは、句会の間は愛子の後ろに隠れるように坐っていて、一座の
その晩寒々とした広間に三十ばかりの
例のとおり主催者側の
ば隠していた。
そのうち座を立って私や立子の前に来る人がだんだん
「お慰みに一つ唄わせてもらいましょう」
そう言って
そのうち誰かがすすめたものであったか、またみずから進んでやったものか、お母さんは立上って踊りはじめた。それがまた立派な手ぶりであった。ここにもまた昔の名妓の
その時ふと座を立ってそのお母さんの後ろに立ったのは愛子であった。それがまた踊るのであった。私はあのかぼそい弱々しい愛子がここに現れようとは予期しなかったので、たちまち胸にこみ上げてくるものがあった。
私はついに涙があふれてきた。覚えずハンケチを取りだして
その時後ろに坐っていて声高に演説めいた口調で
私はなぜ泣いたのか、おそらくそれは酔い泣きというものであろう。昔、
その夜立子と愛子と美佐尾とは温泉にはいった。裸になって湯壷にひたってみると、美佐尾はずばぬけて大きく、立子は小さかったが、愛子はさらにさらに小さかったといった。そうして美佐尾の乳房を愛子は赤ン坊のごとく吸う
その翌朝は天気がよかったので皆打ち晴れた顔をして宿を出た。多くの人は北に別れて、私と立子と、愛子、お母さん、柏翠、美佐尾の六人は南下する汽車に乗った。
美佐尾だけ福井で降りてまず三国に帰り、残る五人は
その後私は
それには俳句を三つ
浅間かけて虹のたちたる君知るや
虹たちて忽ち君の在る如し
虹消えて忽ち君の無き如し