堀辰雄「萩原朔太郎」

堀辰雄「萩原朔太郎」

 堀君と初めて知つたのは「驢馬の会」の時であつた。「驢馬の会」といふのは、当時室生犀星君を中心として、数名の青年が集合してゐた雑誌『驢馬』の同人会のことであつた。その会の席上で特に二人の青年だけが、僕の眼に印象強く映じられた。一人の青年は、非常に情熱的の顔をして、いつも肩を怒らしながら、人生への戦ひを挑んでゐるやうに見えた。他の一人は反対に、女のやうに優しく、どこか発育不全の坊ちやんのやうで、内気にはにかみながら物を言つてゐるやうな男であつた。そして二人共、一見してそのインテリ的神経質や聰明性やが、他に群をぬいて解るやうな男であつた。その一人が即ち中野重治君であり、他の一人が即ち堀辰雄君であつた。室生君は後で言つた。「どうだ。二人共好い青年だらう。驢馬の誇りだよ。」と。
 堀辰雄といふ男は、不思議に一種の雰囲気をもつた男である。彼の側で話をしてゐると、いつも何かの草花や乾麦のやうな匂ひがする。彼が香水をつけてゐるのではない。人物の性格から来る匂ひなのだ。数人の人が集つても、彼が一人座に居るだけで、特殊の集会的アトモスフィアが構成される。彼はいつでも中心人物である。そのくせ何もしやべるのではない。いつも座の片隅に坐つて、ニヤニヤ笑ひながら人の話を聞いてるだけだ。それで中心人物になるのだから、これは人徳の致すところと見る外はない。単に座談の集合ばかりでなく、同人雑誌の集合などでも、彼はまた奇態に編輯の中枢人物になるのである。現にこの『四季』などもさうであるが、彼が中心部にゐて編輯するど、不思議に顔ぶれの揃つた好い雑誌ができるのである。それは単に彼が友人運にめぐまれてゐるといふだけではなく、やはり他を惹きつける人徳の牽引力があるからだらう。
 彼は非常に聰明な男である。頭脳の明晰といふことと物解りの好いといふことでは、『四季』同人中でも彼に及ぶものはなからう。彼は一切議論をしないが、彼の前では、実際議論する必要がないといふ感じがする。それほどよく解つてくれてゐるからである。しかしこの聰明さが、文学上では却つて彼を害毒し、作品を臆病なものにしてしまつてゐる。も少し彼が馬鹿であつて、我武者羅に強く物を言つてくれたら好いと思ふ。
 堀君は生粋の江戸ッ子であり、典型的の都会人である。そして此処に、彼のあらゆる洗煉された趣味が出発してゐる。彼には野性人のラフな属性が殆んどない。そしてこれがまた文学上の欠点でもあり、またそのレファインされた文学の特色でもある。彼の文学は、丁度彼の人物と同じやうに、体臭からくる香水(乾麦や高原植物)の匂ひを感じさせる。それが好きな読者にとつては、一寸たまらない魅力だらう。
 人間の中には、時々灼きつくやうな烈しい友情を感じさせるものと、仄かになつかしく、心の隅に思ひ浮べるやうな、静かな友愛を感じさせるものと、二通りの型の人間がある。室生犀星君が「やちまたに酒をあふりて道すがら中野重治を思はざらめや」と歌つたのは、中野君がこの前者の型の人間であることを表象してゐる。これに反して堀君は、秋の空に散らばふ雲でも見ながら、時々なつかしく思ひ出すやうな友情的存在である。僕は時々、どこかの高原地方の佗しいホテルで、堀君と二人、ヱ゛ランダの籐椅子に坐つてる夢を見ることがある。それが醒めてから、何といふわけもなく、非常に悲しい気分になる。精神分析者に判断させたら、どういふ夢占になるのか知らない。     (1927・8)