伊藤銀月「日本警語史」
日本警語史
伊藤銀月
はしがき
予 がいわゆる警語 は何を意味するか。警語の歴史とは何なるか。何故 に警語の歴史を編成 せざるべからざるか。警語の歴史は趣味 に属するものなるとともに、また必要に属するものなりと云 うは、何が故 か。
以上は、ある試験的創始的 なる特殊の事業としての本書に対する読者が、まず当然に起すべき疑問ならざるべからず。ここにおいて、予は諸君に乞うに、まず、最初の一章なる『緒論 』を熟読玩味 し、これによって本書の性質を理解せられんことをもってせんとす。
はしがき
著者
緒論 警語と日本人
警語もしくは警句と称せらるるものの意義内容1ー鰮の頭 猫の尻尾 肥柄杓
語もし人を驚かさずんば死すとも休せず 何ぞ警語の日本史あらずして可ならんや
予 は、今春 初めて衆議院 の議事を傍聴 する機会を得たり。しかも、内閣不信任 問題の沸騰 したる際 にてありき。ただ見る、政府党の一少壮議員壇上に立ちて快弁 を揮 い、身振 り沢山 、抑揚頓挫 の応接に遑 あらざること、声色 を使うが如く、しかもすこぶる得意 の色 あり(御当人の名誉 のため本書においてはその名前を預 かる)。議場の一角 たちまち古鈴 を打振 るが如き冷やかにして硬 き声あり、曰く「活弁 !」と。満場これがために哄笑 を発し、壇上の大議論は情 なくも冷殺 せられて、名誉 ある議員君をして、あわれ立往生 の憂目 を見んとするの苦境 に陥 らしめぬ。警語 とはそれ此 の如きものを意味するなり。
なおこの種の例において、一の心胆 を寒からしむるものを添 えん。かつて古今無二
の名人と称せられし故九代目市川団十郎が、生酔 の五斗兵衛 を歌舞伎座 の中幕 において演じたることあり。真 を穿 てる酔態 の間 に例の名調子 を張 って、「小気味好 う聞 こし召 したじゃテ、なんと無理か、無理でないか?」と喝破 したる時、、これ団洲 か、これ五斗兵衛 か、芸術と人物と、混然 として彫琢 の痕 を絶 せんとす。突如 として雷 の如き大声 をもって「いや御尤 も!」と応ずるあるを聞く。これ、大向 の最高地より投げ出 だされたるものなり。巧 に機 に投 じて寸分 の隙間 もなく、あわや、舞台 の上の五斗兵衛をして、退 いて名優市川団十郎の地位に留 まる暇 だにも得 せしめず、ただちにただの老人堀越秀 なる者の面喰 いたる生地 を暴露せしめずんば已 まざらんとせり。
ただし、さすがは団十郎にて、咄嗟 の機転 、「誰 じゃ、御尤 もと申したはー」との振威 一喝 をもって、危 くこの大難関 を突破し、千仭 の絶壁より倒 まに墜落 する途中において、宙に身を翻 して絶壁の上に逆戻 りするが如き、人間業 にあらぬ奇蹟 を行いつつ、辛 くも五斗兵衛の立場に踏 み止 まることを得 、かえって一段の喝采 を博 したりと雖 も、当時看客 の一個 たりし予 に至るまでも、一時はまったく面色 を失いて、双手 に縄の如き冷汗 を緊握 することを免 れざりき。警語 とはそれ此 の如きものを意味するなり。
ある意味においての名物男某なる者ありき。欧米 における軽薄 なる方面の流行を模 して、ただ到 らざらんことを恐 れ、その人目 に新たなる特徴として、元来短く出来たる頸 に、極 めて高き襟 を着 け、これがためにほとんど咽喉 を締 めて頤 を突き上げられたるが如き痛苦 と不便 とを感じつつも、ひとえに外観の犠牲 となりて忍耐 し、己 の足許 を見るべく要する時には、面 を俯 くること能 わざるをもって腰を直角に曲げ、背後 より呼 びかけられたる場合にも、頸 だけ廻らねば、くるりと全身の方向を転ずるの労力に甘んぜざるを得 ず。かくて、その着くるところの標識 たる高襟 は、同時にその人格の浅薄劣悪 をシンボライズするところの標識となり、「ハイカラ!」の一語よく彼を冷殺 もし、時人 の嘲笑 の的 とも為 し、ついには、彼をして社会に安住するの重量を失わしむるに及びて已 みぬ。
否 、この語の感伝力 の強大なる、すでにその本来の目的を達するに到りてもなお己 みしにあらず、さらに広布 して、「ハイカラー」より転化したる「ハイカラ」となり、あるいは「灰殻 」という宛字 によって変形せしめられ、あらゆる皮相 の欧化者流を嘲笑 する目的に供せられ、女性にしてその頭髪を洋風にする者もまた、「ハイカラ」の部類に編入せらるるを免 れざるに到りたるが、広布の範囲の大なるに随 って、これに含まるる嘲笑味 もまた稀薄 とならざるを得ず、何時 しか、「ハイカラ」の称呼 がこれを受けたる者を傷 つくる力を失うを致 せり。しかも、一面よりこれを見るときは、またこれ、「ハイカラ」なる冷語 のはなはだ有力なりしを証 するものにあらずや。
一時株相場の乱調を利用して暴富 を致 したる者を、将棋 の歩 の金 に成 るに譬 えて「成金 」と呼び、また、ある一時両国 の本場所における力士 が、正々堂々の角抵 を避 け、褌 を緩 くして敵の指 し手 を無効ならしめんことを試むるところの、卑劣なる計画の流行を来 したりしより、「緩褌 」の一語もって軟骨陋心 の政客 を冷罵 するの目的に応用せらるるに到 り、人をしてその婉曲 にしてしかも痛切なるに感歎 を禁ずる能 わざらしめしも、またこの類にあらずとせざるなり。警語 とはこれ此 の如きものを意味するなり。
さらに進んで、内外の歴史を点検し、その適例の一、二の、比較的異色なるものをここに引き来らん。
徳川氏 天下を定めて、江戸城を修築 するや、石垣の築造 は浅野氏 の担任となり、その重臣亀田大隅 、命 を承 けて工事を監督せり。すでにして、石垣成 りてまた大 いに崩る。そのおもいきって小気味好 く滅茶 々々なる状態 、あたかも故意に為 したるものの如し。左無 きだに創業当時の徳川氏にて、豊臣氏 の遺臣 等に向い、暗 に鬼胎 を懐 きつつありたる際なれば、豊臣氏の近親なる浅野氏のかかる失態に、いかでか猜疑 の眼 を崢 らざるを得 べき、ために、浅野氏はまさに罪に問われんとするの危 きに瀕 したり。
ここにおいて、戦場生残りの名物男なる亀田大隅 は、その不敵の面框 を提 げて幕府に出でたり。自若として老中の詰問に対えて曰く、 「この大隅使い慣れし手槍を取って固め候陣 は、未だ一度も崩れたること候 わねど、石は心無 きものにて詮方御座無 く候 」
と。一語剛強 にして淡泊 、幕府の疑 い即 ち釈 けて、ふたたびこれを修補 せしむ。
すでにして工成 り、幕府 大隅を賞 するに斑毛 の駿馬 をもってす。大隅 かえって恩 を謝 せず、ただちにこれを幕府 に突返 して曰く、「あら不思議 や、武夫 の二毛 の馬 に乗ることの候 べき。逃げたることも御座無 く候 に、口惜 しう候 」と。幕府 はついにこの食 えぬ老爺 に面喰 わせられてしまい、浅野氏に手を加うること能 わずして已 みぬ。「石は心無きものにて詮方御座無 く候 」1ー[武夫 の二毛 の馬に乗ることの候 べき」1
-警語 とはこれ此 の如きものを意味するなり。
ヨーロッパ紀元前の大英雄 アレキサンダー、哲人 ジオゲネスの学徳 を聞き、親 から駕 を枉 げて市 にこれを訪 う。哲人 の有するところただ一個の巨樽 のみ。寝 ぬるときはこれを横たえてその中 に臥 し、覚 むればこれを倒 まにしてその上に踞 するなり。大王到りたるとき、哲人 まさに樽の上に在り。平然 として知らざるものの如し。アレキサンダーすなわち近づき進んで、その求むるところを問う。ジオゲネス答えて曰く、「求むるところ無し」と。しかも、再三これを強 たるによって、わずかに哲人をして、「果して然 らば、一些事 の特に大王を煩 わすあり」の言を為 さしむることを得たり。アレキサンダー欣然 として曰く、「先生の求むるところ何ぞやー」と。ジオゲネスかすかにその歯端 を示して曰く、「乞 う速やかに去りて、予 に注ぐ陽光を遮 るなかれ!」と。ここにおいて、「不能 」の語を辞書に存在せしむることを必要とせざるアレキサンダーの権勢も、その富貴 も、ついに樽犬先生 を如何 ともすること能 わず、彼をして、惆悵 として退 いて、「鳴呼 、我もしアレキサンダーたらずんば、必ずジオゲネスたらざるを得 ず!」の歎声 を発するの外 あらざらしめぬ。ジオゲネスの一語、もって全世界を征服 するに足る。警語 とはそれ此 の如きものを意味するなり。
西大陸の植民新 たに独立を企て、亜米利加 合衆国建設の萌芽 を見るべき機運まさに到らんとせし際 、衆心 なお疑懼 の間 にあり。このとき、火の舌と焔 の気 とをもって天より降 されたる革命の子バトリック・ヘンリーあり。狂的熱弁 を揮 って同胞を鼓舞 し、最後に寸鉄 殺人的一句を添加 して曰く、「未だ諸君 の出 ずる所何 れに在 るかを知らずと雖 も、予 はただ予自身のために祈る。神よ、予に自由を授けよ、しからずんば死を授けよ!」と。自由にあらずんば死、なんぞそれ語の沈痛 なる。これを聴 く者ためにひとたび陳然 として黙思 し、しかして後 、頭脳破裂 して血液迸発 せるが如き喝采 の声を併 せたり。この声須臾 に波動 を伝えて、すなわち、新大陸を震撼 するの激浪洪濤 となり、人として革命の歌に合唱を与えざる者あらざるに至りぬ。警語 とはそれ此 の如きものを意味するなり。
支那戦国 の末、秦 強大にして他の六国を併 せ、天下の形勢 すでに定 まれり。しかも、安陵君 わずかに五十里 の地を擁 してその面目 を保てるを見る。支那の五十里は日本の十里に足らず、強秦 の威力に対しては、太陽の前の蛍火 にだも如 かざるなり。ここにおいて秦王 一恫喝 を須 いてこれを滅尽 せしめんとし、他の広大なる封土 を与 うるを名として、その地を献 ぜしむ。安陵君あえて旨 を奉 ぜずして、秦王すなわち怒 る。かくて、安陵君の客唐唯 なる者、来 って秦王に謁 す。王と客との問答漸次 に進捗 して、王はいよいよ熱し、客はますます冷 やかなり。
王ついに耐 えず、眉 を昂 げ声を励 まして曰く、「汝 かつて天子の怒 を聞くか?」。客平然 として曰く、「未 だ聞かず!」。王胸を張り肩を聳 やかして曰く、「それ天子の怒るや、伏屍 百万、流血千里!」。客微笑 して曰く、「王またかつて布衣 の怒 を聞くか?」
と。この言は云 うまでもなく秦王の限りなき冷笑を負 い、口を極 めて布衣 の為 すなきを説き、侮蔑 の態 を尽 したりと雖 も、最後に唐唯 が一冷語 、「それ士 必ずしも怒るや、伏屍 二人 、流血五歩 、天下縞素 、今日 これなり!」と。匕首 ただちに対者 の心臓を刺すが如く発するに及んで、蛍火 かえって太陽を蔽 うの奇観 を呈し、ついに強秦 の威力をして、風吹鴉 に儔 しき一孤客 の脚下 に屈服せしめて、「先生乞 う休 めよ。それ、斉魏晋韓 すでに亡 びて、安陵 わずかに五十里の地をもって存 するものは、ただ先生あるをもってなり」との、あわれなる弱者の諛辞 を秦王 の口より聞くに到りぬ。
「伏屍 百万、流血千里」の言の誇大 にして威嚇的 なるに対し、「伏屍二人、流血五歩」の反語 、なんぞそれ緊縮 にして剴切 なる。しかも、なんぞそれ皮肉にして奇抜 なる。しかのみならず、添 うるに「天下縞素 」の四字をもってするに至りて、絶奇 絶妙 、鬼神 をして胆 を破らしむるに足 れり。素衣 は支那 の喪服 なれば、天下の人ことごとく素衣 を着 すと云 うは、すなわち天子 の死を意味するものにあらずや。警語 とはそれ此 の如きものを意味するものなり。
ここにおいて、吾人 はほぼ警語 あるいは警句 と云 う、それの何物 なるかを解し得 たるが如し。その性質および効用の大要 を知り得たるが如し。その応用 せらるる範囲 のはなはだ広く、応用せらるる場合のはなはだ多きを認 め得 たるが如し。
警語は、時として熱語 なることあり、冷語 なることあり、正語 なることあり、奇語 なることあり、軟語 なることあり、硬語 なることあり、柔語 なることあり、豪語 なることあり、温語 なることあり、痛語 なることあり、甘語 なることあり、苦語 なることあり、倹語 なることあり、誇語 なることあり、また、必ずしも毒語 、悪語 、邪語 なるを妨 げざることあり。要するに、これを発する場所と時機とに適応して寸分 の過不及
なく、剴切 にして徹底 、人の胸を刺し貫いて、鋒尖白 く脊梁 に出 ずるものなれば足れるなり。したがって、警語 は如何 なる場合にも決して冗漫 なるを得ざるの約束に支配せらる。節 の長短、調 の緩急 は、場合によりての手加減 あるべしと雖 も、必ず常に、十二分に鍛練緊縮 せられて、精髄 を結晶せしめたるが如く簡潔純粋 なるものならざるべからざるなり。
されば、警語の内容は、その高級なるものどなるにしたがって複雑に、冷語 にしてかえって熱語 よりもさらに熱 なることあり、熱語 にしてかえってさらに冷語 よりも冷 なることあり。一言にして十、百の寓意 を含み、半句 にして千、万の諷刺 を蓄 え、これに接すれば、底知 れぬ深淵に臨 むが如く、凄 く恐ろしく、戦慄 を禁ずる能わざるものこそ、すなわち最上の警語 と云 うべきなれ。されど、快刀乱麻 を断つが如く、一揮 して紛糾 を解 き、痛快淋漓 、また余蘊 を留めずして、人をして、呆然自失 せしめ、もしくは、辟易 して却走 せしむるものも、また警語 の上乗 なるものにあらずとせざるなり。
しかして、警語 はある場合において批評 たり、ある場合において形容 たり、ある場合において告白 たり、ある場合において主張 たり、ある場合において論詰 たり、ある場合において断定 たり。もしそれ、特殊の事実 、特殊の現象 、特殊の問題 、特殊の事件 の起れるに対して、他の多数人が数百千言を列 ぬるも、これを批評 し形容して剴切 なるを得ざる時、ただちに片言隻語 を出 だして、能 くその肯綮 に中 り、人をして点頭 して心服 を表せしめ、もしくは破顔微笑 を禁 ずる能 わざらしむるもの、すなわちこれ、警語 の効用の現実せられたるなり。
あるいは、喜べる時、怒れる時、哀 しめる時、楽しめる時、推戴 せられ表彰せられたる時、圧迫せられ迫害 せられたる時、云うに云われぬ窮地 に陥 りたる時、訴えんとして訴うるに由 なき苦境に沈みたる時、複雑極 まる事情の下 に痛 し痒 しの奇妙なる感じを味わいつつある時のそれ等に当 りて、他人が如何 に辛苦 して言 を揮 い語を尽すも、その告白を妥当 にし、その主張を剴切 にすること能 わざるに、口を開いて一句 、ただちに胸中限 りなき事を説き尽し、もって聴 く者の肺腑 を衝 く、またこれ、警語 の効用の現実せられたるものに他 ならずと做 す。
さらにまた、自己と他人との間における、あるいは人と社会との間 における、人と国家との間における、または、社会と社会との間における、国家と国家との間における、問題乃至 事件の起れるに際して、他の多数人 が七日七夜、舌を爛 らして議論を闘わすも、その解決を見ること能 わず、もしくは、多数人が帰着 するところを知らずして、徒 に動揺しつつある時、たちまち一角 より、的 の正鵠 を射 て、これを貫穿 したる一痛語 の論詰 の出 ずるあり、あるいは、突如 爆薬を投じて岩 石を破壊し、人をして当面 り地層の内部を目撃して、礦脈 の有無 を論ずるの余地 なからしむるが如く、切実なる一勁句 の断定の下 さるるあらば如何 。警語の効用もまたここに至って偉大なるものならずや。
聞く、軽快にして多感なる南方 ラテン人は、世界において最も警語を発するに長じたる種族なりと。また聞く、遅重沈鬱 の底に発作狂的 感情を蔵せる北方スラブ人こそ、さらに一段 痛切なる警語を出 だすことを能 くする種族なるを知らざるべからずと。その他、ゲルマン種を挙 ぐる者、アングロサクソン族を推 す者、あるいは、インデアンを称する者、チャイニーズを優 れりとなす者等、人をしてほとんど烏 の雌雄 を知るに苦しましめんとす。しかりと雖 も、元来この争 いには深き根柢 あるを得ざるべし。畢竟 ずるに、警語の言語中における位置は、扇の要 、車の軸と儔 しきものなるのみ。公平の立場よりこれを見るに、何 れの種族、何 れの国民と雖 も苟 も言語を有せる以上、競 つて、言語中の精製品 たる警語を鍛え出 だすに努めざるはなかるべく、ただ、その種族もしくは国民の興隆期に在 ると衰頽期 に在るとの別に作って、拈 り出だすところの警語の性質と効用とに、強弱厚薄 の変化を来 すあらんも、必ずしも、何 れの種族、何れの国民も、特にその固有性よりして警語を発するに長ぜりと断ずること能 わざらんなり。
されば、支那 の如き、印度 の如き、その歴史を繙 き来 るにおいては、警語によって問題および事件の処理せられし例を見出ださんとするに、少なきを憂うるを要せずと雖 も、もし現在の支那、印度に対して、警語の有力なりし顕著 なる事実を索 めんとする者あらば、予はその徒労なるを断言するに躊躇 せざるべく、これに反 して、我が日本の如き、現 に興隆 の機運 に乗じつつある国家民族に在りては、警語はいよいよ鍛練 せられてますます有効となり、如何 なる場所においても、如何 なる場合においても、警語と警語と相撃 ち相闘 う間より、さらに新たなる警語を産出して、滾々 として尽 きざること、またこれ、怪しむを要せざる現象なりと云 うを憚 らざるべし。いわんや、人各自尊自負 の念あり、国民としても、民族としても、むしろ、自尊自負の念がその存在持続の生命とも云い得べきものなるをや。現に興隆 の機運 に乗じて、有力なる警語を発し得る可能性に富めるを自信しつつある、予輩 日本人が、世界において最も警語を出 だすに長ぜる種族なりとの自負を敢 てするも、また何 ぞ妨 ぐるところあらん。
この見地 よりして眼を放 つに、ある一面 より見たる日本の歴史は、全然、警語の拈出 とその応用との事実の連結によりて綴 り成 されたるものなりと、断言し得るを覚 ゆるなり。しかのみならず、かかる見方をもって日本歴史を研究するは、独 り極 めて興味ある行為なるのみに留まらずして、また極めて有益なる事業ならずとせざるなり。
予輩 は、少なくとも日本人が頗 る警語を好み、かつ、はなはだ警語を重んずる種族なるを、認識することを得 べし。
禅門 の法語 が多方面の人士 に喜ばれ、その問答棒喝 の訓練法が、ある興味観を帯 びたる眼孔 において、一般人より重視せられ、ために今日 となりては、世界においても唯 日本にのみ禅宗の盛んなるを見ること、またこれ、警語を好み警語を重んずる日本人の習癖と欝てる現象にあらざるなきを得んや・およそ・禅門の法語ほど蘿懇なる辞句の連結にあらざるなきはなかるべく、禅を学び、禅的訓練を積むことが、た
だちにもって、警語を発するに長ずるの訓練に供し得べきなり。世尊 の拈華瞬目 に対する迦葉 の破顔微笑 、倶胝 が一指 の禅などは、警語 のただちに言句を絶したる域に昇れるもの、しかして、それ等以下の問答棒喝 は皆警語をもって警語と戦うものなり。「作麼生 かこれ仏η」の問は一なりと雖 も、これに答うるに「鰮 の頭 !」をもってし、「猫 の尻尾 !」をもってし、「肥柄杓 !」をも(丿てして、いよいよ出 でてますます奇 なるを妨げずと做 す。
また、警語の戦いは、舌端唇頭 における剣道柔道 の試合なり。要は、気を満たし節を短くして、我が戯を示しつつ敵の%を嫐み、我が巽を包みつつ敵の戯に剰ずるにあるのみ。世界の人と人と相 闘う術において、我が剣道柔道に優 るものあるを見ざる、またこれ、日本人が警語を発するに長ず所以 の、側面的立証 に供 すべからずや。「語 、人を驚かさずんば死すとも休 せず」とは、唐代 の詩聖杜甫 の言 なるが、大抵 の日本人はこの人と共鳴 するところある者なり。すなわち、一警語を拈出 して人のドテッ腹 を驟らんがためには・腿製を撫り尽して、瑜庇の艦の如く頭を枯らすことをも惜しまざる者は、他人にあらずして予輩 の同胞たる日本人なり。
ことに、日本人中の日本人にして、日本人の長所をもその短所をも(あるいは長所を少なく短所を多く)、共に極端 に代表するところの、昔の江戸っ子、今の東京市民において、「語 、人を驚かさずんば」の厄介 なる病 のはなはだ重態なるを見る。試みに彼等が日常の会話を聞くに、その普通に用うるところ、多くは警語の常語化 したるものなり。警語に時間の加わりて、その新 し味 を失いたるものなり。しかして、彼等が好んで用うるところのものは、多く誇語 にして、その誇大 なること実 に驚くに堪 えたり。
彼等はややもすれば、「蹴飛 ばした!」と云い、「蹴飛 ばされた!」と云う。如何 に力量非凡 の人間なればとて、同じ人間を蹴って飛ばし得る者はあらざるべく、また、如何 に非力虚弱 の人間なればとて、同じ人間に蹴って飛ばさるるほどの者もありとは信じられず。のみならず、身体が飛ぶほどに烈しく蹴られたるならば、大概生命 の全 きはずはなく、よし即死 せぬまでにも、半死半生 の大怪我 は免れざるべきに、蹴飛 ばされたる者が何の別条 もなく、二本の脚 にて立ちて、巻煙草 などを燻 らし居 る状態 の不思議さに、よくよく訊ねて見れば、蹴飛ばされたりとは蹴って飛 ばされたる意味にあらで、ただ蹴 られたりと云うべきに止 まり、「飛ばされた」は余計 の添 え言葉に過ぎず。実際は、蹴倒 されたるよりは遥かに軽易 の打撃なるのみ。
されど、此 の如きは、左迄 驚倒するに価せる誇語 にあらずして、さらに、心弱き者を気死 せしむるに足 れるは、「喧嘩 をして頭を割 られた!」と云うそれなり。試みに、人間の頭の打 ち割 られたる光景を想像して見よ。骨飛び、血迸 り、脳味噌 露出して、あるいは眼球 の飛び出 だしたるを添 え、実に、非常 の変事 、稀有 の惨状 にして、到底二目 と見られたるものにあらざるべく、もとより、即死 して虫 の息さえも留めざるべきはずならずや。然 るに、頭を割られたる亡者 が、さらに酒などを煽 りて、ぶうぶう云い居 る始末 の、余 りに訝 しさに堪 えぬに、隈 なく捜 し視 ても、頭の何 れの部分よりもその割れ目を見出だすこと能 わず。わずかに血のにじみたる一小局部を認め得たるのみなるより、ついには、頭を割られたりとは事実頭を割られたるにあらずして、ほんの擦過傷同様 の薄手 を負 わされたるのみの事実を意味するものなることを、推測するの他 なきに到 るなり。ここにおいて、「草履 で頭を割 られた!」との不可思議 なる言語も、何の怪しまるるところなくして、立派 に通用しつつあり。しかも、予 はただ無数の例中 より一、二を挙 げ来 れるのみ。東京人は警語を拈出 するの技術に長ぜる市民にして、なかんずく、彼等が好んで用うるところの警語は、誇大至極 の形容を為 すときにおいてその特色 を発揮 するなり。
説 き去 り論 じ来 りて、予 はついに、日本人に認むるに、世界においてもっとも警語
を発することを能 くする種族たるの、資格 をもってするに到れり。少なくとも日本人は、はなはだ警語を好み、頗 る警語を重んずる種族なりと、断言することを躊躇 せざるに及 べり。ここに到りて、予はさらに一歩を進めて、何故 に日本に未 だ警語の歴史あらざるかと問うことを敢 てせんとす。しかして、日本に未 だ警語の歴史あらざるは、読書界の一大欠陥 なりと断 ずることを憚 らざらんとす。しかしてさらにまた一歩を進めて、警語の歴史は、興味上より云うも、必要上より見るも、必ず今日の日本にこれあらざるべからざるものなりと呼号 せんことを思う。かくて、予をしてついに、この至難 なる創造的事業の一端に指を染めしめずんば己 まざらんとす。もとより、一小冊子 の中 に収め尽さるべき分量の問題にあらず。予はただ、「日本警語史 」の粗製 癒る雛形 を示すに過ぎざるのみ。幸いにして、未 だ有 らざる重要の物の断片を供給したる小功 を認められたるにより、この小冊子もまた江湖 の一顧 に価するを得ば、予はさらに他日を期して、比較的完備せる『日本警語史』を編成せんことを思うなり。
なお、この章を終結するに臨んで、念 のために、警語と似 て非 なるものとの区別を明らかにしおく必要あり。警語は、その拈出 せられたる当時を始めとして、存続力の比較的長く強きものほど、格言 の部類に籍 を移さるる資格を有する傾きを帯 び易 きものなれど、その元来の性質と目的とは、自 ら格言と異なるものなり。格言の価値は、その始めて発 せられし時の実効如何 よりも、むしろ、万世 の鉄律 として儼存 するに在 らざるべからざるに、警語はこれに反して、必ずしも事後における存続力如何 を問わず、ただ、これを発 したる一時において、よく、事件もしくは問題に対し、妥当剴切 なる効果を奏すれば足れるなり。
また、世間往 々、いわゆる「洒落 」と警語 とを同一視する者あり。殊 に、浅薄俗悪 の徒 に至りては、低級なる語呂落 ちの駄洒落 をも、なお警語の範囲と看做 すべき価値あるものの如く思うの状 ありと雖 も、これ全然誤謬 にして、語呂落ちの駄洒落の如き、わずかに最劣等の頭脳を有せる者に興味を感ぜしめ得べく、いやしくも少しく趣味の高き者は、これを聞いてかえって嘔吐 を催 すべし。警語は左様 に馬鹿 々々しきものにあらざるなり。乞 う、最初に掲出 したる諸例を復読 して、つらつら玩味 せよ。
自 ら警語の何物 なるかを会得して、格言 あるいは洒落 との区別を知ると共に、己 れ自 ら警語を拈出 せんとするにおいての、好個 の訓練とならん。
その一 神話と綯 い交 ぜられたる警語史
面白しとは実に面白き語なり 警語を連結したる歌謡は警語を連結したる演説に優る
歌唱の戦争、恋愛の戦争ー-歴史を照破するの光焔を帯べる警語 高台より望む
物に二あり、百姓の炊煙と情人の船 獣対人の問題と警語が実際に作用せし一新特例
警語史とその朧気ながらの過渡期
我が神代史 も、また人文発達 の歴史の原則に基きて、多くの、詩的空想と寓意 とに よりて造られたる事実を含みつつあり。随って、警語史的眼孔 に映 ずる我が神代史は、材料はなはだ豊富なるものなり。されば、予 をしてまず、我が高祖大日霎貴尊 を中心と為 しての崇高 なる事蹟 を窺 わしめよ。活気 全身に漲 って抑 うること能 わず、沸々 として外に溢 れて、異常破格 の行為となり、しかも自 らその尊 る所以 を知らざるが如き、弟君素盞鳴尊 が、あまりに不謹慎の所業 のみを重ねて、一家一族の首長たる姉君の権威 を無視 せらるるより、女徳 に富み給える大日霎貴尊 は、憂慮 のあまり御身 を責 め給いて、天 の窟戸 の奥深く閉 じ籠 らせ給いぬ。
されば人倫 を超絶 したる端厳美麗 の御姿 も、広大無辺 の智徳 の光を含みて、日輪 の万物を養うが如く妙 に輝き給う御眼 も、ひとたびこれを聞かば、病みて死せんとする者も蘇 り起 つべき慈悲無量 の御声 も、共に衆人 の耳目 より消え去りて、頼み切 ったる首長 を失いし民族は、さながら常闇 の夜の世界に灯火 なきが如く、頭 を失いし蛇が進み行くべき方向を定むる能 わずして、のたうつに似 、世の終り来りぬとばかりに恐慌 したるが、かくて罷 むべき事ならねばと、八百万 の神達種々に評議を凝 らしたる末 、天 の窟戸 の前に舞楽 を催 して、大神 の御怒 りを宥 め奉 るに決し、美貌 にして滴 るばかりの愛嬌 を有せる天鈿女命 が、矛 を執 って立ち舞うにつれ、群神技 を尽 して囃立 てしかば、あまりに興 ありげなるに、大神 は御心 を動かし給いけん、微 に窟戸を開きて外面 を覗 き給えり。金城鉄壁 物 かは、たとえ全世界の力を集中するも、微塵 動かし得 べしと覚 えられざりし窟戸が、内部 より自 ら開き掛 りたることなれば、群神 勇み立ちて、この機 を外 すなと諜 し合い、勇力自慢 の手力男命身 を挺 でて進み寄るよと見えたるが、窟戸 に手を掛けて、遮二無二揺 り立て引き立て、ついに引離して投げ出したるほどに、戸は流星 の如くに虚空 を飛び行きて、信濃国戸隠山 に落ち留 まりたり。
ここにおいて、大日霎貴尊 は再 び日輪 の如くに輝いて世に出 で、天地開豁 、鶏歌 い、鴉啼 き、群神 夜の明けたる感を為 す。しかも、久しく菩薩 を拝 するが如き尊 の美貌 に渇 しつつありし群神は、ただ、手の舞い足の踏む所を覚えざる状態 にて、何をもってその愉快 に満たされたる情を表わすべきかを知らず、まず雪よりも白き尊 の御顔容 に打たれし感じを口に発して、「あな面白 し! あな面白 し!」と叫 び合 いつつ踊り狂い、
果 は、「面白 し」という語の元来何 を意味せしかをも忘却 して、これをして、愉快禁 ずる能 わざる千万無量 の感情を表わすところの標識たらしむるに到 り、
「面白し」とさえ云えば、すなわち、愉悦慰楽を表白するところの成語として、絶対無二なるものと認めらるべく、無言 の約束の成立するを致 せり。
おもしろ ふへんてき じゆくこ えんげん
「面白し」と云えば、
日本において最も普遍的に使用せらるる熟語にして、その淵源の遠きこと斯 くの如く、しかも、幾年代を経 るも常に新 たに生れ出でたるが如き活発なる生命を有し、これを反対したる意味を表わすにも、他の語を用いずして、ただ「面 白 からず!」と云えば足 れるほど、包含 するところ多くして、かつ特殊性の著 しきものなることを、一般に承認せられつつあり。これ、国史 において警語 の著しく作用したる初めにして、その自然 に発しつつ、渾然 として実際と融合 し、また何等 の渣滓 をも留めざる、極 めて原始的と云うべきなり。しかも、この渾然 として鋒鋩圭角 を帯びざる原始的警語の中 にも、蚤 くすでに、後代 に到 りて発すべき、奇なるもの、矯 なるもの、辣 なるもの、痛 なるものの萌芽 の、暗
黙 の間に催しつつあるを看取 し得べしと做 す。
天 の浮橋 に立つと云い、八尋 の鰐 に乗ると云い、無目籠 に載 せられて海神 の国に赴 くと云い、すべてこれ船舶 (八尋 の小舟もその時代においての大船巨艦 )を意味するものなりとすれば、神代 においては、奇抜 なる形容詞をもって物の普通名詞に充 てしものの如く、またこれ、警語の部類にあらずとせざるなり。なお、前に挙 げたる、大日霎貴尊 、天 の窟戸 に隠れさせ給いて、六合 黯黒 となりしと云うが如き、伊弉諾尊天 の瓊矛 をもって滄溟 を探らせられしにより、鋒滴凝 りてオノコロ島となりたりと云うが如き、あるいは、彦火火出見尊 、鈎 を海中に失い、無目籠 に乗りて、これを海神 の国に索 めしと云うが如き、その他多くの、神代史における寓意的記事 も、また警語の範囲に属するものと称すること能 わざるにあらず。少なくとも、警語の親族と看做 すには足 るべきなり。
我が太宗 にして不世出 の大英雄なる神武 天皇が、西陲 より崛起 して中原 を掃蕩 せらるるや、敵 多くしてしかも強く、孤軍奮闘 しばしば危地 に陥 り、三人の皇兄 、あるいは流矢 に中 りて薨 じ、あるいは悲観して海中に投身し、あるいは、絶望して戦いの半 ばより海外に逸 し去りて、ただ一個の天皇を苦境の正中 に残し留めたりと雖 も、天皇毫 も屈し給わず、非運 に処 していよいよ奮 い、敵に対し陣に臨 むごとに、即興 の歌謡を作りて朗々 高吟 し、丘 ハ卒 を激励し給うに、士気 大いに振興 して、病 めるも、傷 けるも、剣 をたたいて皆勇 み、ために、勝ち難 き軍 に勝ち、破り難き敵を破りて、ついに大業 の基礎を定め給いぬ。
されば、神武天皇が戦 いに際 して朗唱 し給いし歌謡は、皆時 に取 っての警語の連結にして、一節一句すべて、天皇と共に在るところの軍士 の肺腑 を衝 く力あるものに相違なかりしなるべく、今日 においても、なお当時の光景 と事情とを想像し得ざるにあらざるなり。試みにそれ等 の実例を挙 げ来 らんに、天皇ひとたび長髄彦 と戦って捷 ち給わず、路 を転じて再び大和 に入り、宇陀 の兄猾 を誅戮 して弟猾 の帰服を容 れ、大 いに弟猾に饗 せられるるや、天皇は勝って兜 の緒 を締 むる戒 めを忘 れ給わで、
ことごと
く酒食 を分 ちて士卒 に与 え、朗らかに声を挙 げて、宇陀 の高城 に、鴫羂張 る、我 が待 つや、
ヤコシヤ、アゝシヤコシヤ
鴫 は障 らずいすくわし、鯨障 る、
工ゝシ
こうしよう しようし う わ し き だん なにもの
また疲労の何物
と高唱し給えば、将士皆手を拍ってこれに和し、士気一段緊張して、
たるを覚 えず、さらに進んで戦わんことを思うの色を示 せり。
かくて、天皇のこの勝利は、却って周囲に多くの敵を造るの動機 となり、決して心を窟んずべからざる形勢を菠したりと警、すでに奏の轡に暦るものある以上、これとて敢 て恐るるに足 らず、必 ず敵 に克 たんことを期 して、神風 の、伊勢 の海 の、しやまむ大石 に匍匐 もとほろふ、細螺 の、い匍匐 もとへり、撃 ちてと、快く歌いて衆を激 まし給い勢いに乗じて、一撃まず国見 の八十梟師 を破り、次に、磯城 の八十梟師 を撃たんとして、まず帰順 を勧 めしに、弟磯城 はただちに命 を奉 じたりとも雖 も、兄磯城 頑強にして旗を伏せず、皇軍を迎えて悪戦 す。皇軍辛 うじて勝ちて、また痛 く疲 れたり。されど、天皇はなお窮 し給わず、滾 々として尽 きざる詩想 を駆 りて、楯並 めて、伊那佐 の山 の樹 の間 ゆも、鳥 、鵜養 がとも、今助 に来 ね
い行 き候 らひ、戦 へば、吾 はや飢 ぬ、島津 と、節面白 く歌い給い、もって、飢 え疲 れたる士卒 を慰労 すると共に、やがて糧 食 の来るべきを信じて心を安 んぜしめ、ついに後続隊 及び糧食 の到るを待ち得て、兄磯城 を追撃してその首を斬りぬ。
すでにして再 び長髄彦 と対陣するに及 ぶや、天皇誓 ってこれを滅 ぼさんことを期 し、一段 強き意味と烈 しき調子とをもって、みつくし、久米 の子等 が、てしやまむみつ/\し、久米 の子等 が、まむ粟生 には、韮 一茎 、其根 が茎 、其根芽繋 ぎて、撃 ち垣本 に植し薑 、口ひびく、我は忘れじ、撃 ちてしやの即吟 二首を朗詠 し給い、共に、長髄彦 が我が祖宗 に隷属 せし天久米命 の子孫なるを明らかにし、しかも前の歌は必ず長髄彦 を亡 ぼさんことを期するの意 にして、後 なるは、流矢 に中 って薨 ぜし皇兄五瀬命 のために怨 みを報ぜんとするの意を表するものなれど、士卒 の感情を刺戟 して、天皇の心をもって心と為 さしめんとするの目的においては一なり。
以上の諸例 は、アレキサンダー、ナポレオン等の諸英雄が、戦 に臨 むや、好んで奇警勁抜 なる短き演説を試み、もって、士卒 を鼓舞 するところの最良の方法に供せしと、まったくその揆 を一にするものにして、しかも、かかる場合においての歌唱の効力は、演説のそれに優 るべく、剴切 なる警語 の連結 によりて成 りたる歌唱は、すなわち、剴切 なる警語の連結によりて成 りたる演説に優 ること万 々ならんなり。後世 、警語が歌謡の形式によって発 せらるる場合多く、警語を歌謡化することが、日本民族の属性 に伴える一特色なるが如き観を成 すに到れるも、その胚胎 するところこれ等の辺 に在 るを知るべし。
足利氏末世 の名将太田道灌 が、十六歳の初陣 に、武蔵国小机 の城を攻 めるや、馬上に、
手習 ひは先 づ小机 が初 めなりいろはにほへとちりぐにせん
の和歌を作り、鞍 を叩いて三度朗吟 せしかば、一軍伝唱 して士気大 いに振 い、「いろはにほへとちりノだ\にせん!」の声は、すなわちただちに、城を乗り取りし凱歌 となりたりと云えり。これ、神武 天皇の吉例 によりて、警語を歌謡化したるにおいての成功の著大 なるものならずや。
なお、警語の歌謡化せられたるものが、独 り戦陣の間に利用せらるるに止 まらずして、一転して、恋愛の戦争にもまた応用せらるるに及 びたることを記憶せざるべからず。いわんや、その起源 は同じく神武天皇に在りと伝えらるるにおいてをや。天皇中国を平定 して皇后を立てんとし、美人にして家系 の正しき者を求め給う。大久米命 告げて曰く、大和国狭井川 のほとりに住める女あり、神の子なりと聞くと。神は天皇の同族を意味し、神の子は同族の系統 に属せる者と云う。女はすなわち、事代主命 の子
ひめたたらいすずひめ おおくめの
大久米
なる媛韜鞴五十鈴姫その人なり。天皇ここにおいて姫を見んことを要し給い、
命 を随 えて狭井川 のほとりに遊び給う。
途 に七人の少女に逢 う。中 一人風姿 の群 を抜 ける者は五十鈴姫 なり。天皇見てこれおおくめのみこと
を悦 び給い、大久米命をして旨を伝えしむれば、少女はただちに奉仕せんことを諾す。
昼 もまた如 か
時は真夏なり。狭井川の水は油を流したるが如く、蘆荻両岸を埋めて、
ざるの所に、ささやかなる草葺 の家あり。三枝 (山百合 の一種)の白き花の、姿気高
かお
く薫り床しくあたりに咲き満てるが、すなわちこれ姫の居なり。鳴呼、何等の風趣ぞ、
何等 の情懐 ぞ。しかして、天皇は当時の俗 に随いて、まず姫の家に幸 し、婚儀 を結び、一夜その家 に寝 ね給 い、
葦原�
伊藤銀月
はしがき
以上は、ある
はしがき
著者
緒論 警語と日本人
警語もしくは警句と称せらるるものの意義内容1ー鰮の頭 猫の尻尾 肥柄杓
語もし人を驚かさずんば死すとも休せず 何ぞ警語の日本史あらずして可ならんや
なおこの種の例において、一の
の名人と称せられし故九代目市川団十郎が、
ただし、さすがは団十郎にて、
ある意味においての名物男某なる者ありき。
一時株相場の乱調を利用して
さらに進んで、内外の歴史を点検し、その適例の一、二の、比較的異色なるものをここに引き来らん。
ここにおいて、戦場生残りの名物男なる
と。一語
すでにして
-
ヨーロッパ紀元前の
西大陸の植民
王ついに
と。この言は
「
ここにおいて、
警語は、時として
なく、
されば、警語の内容は、その高級なるものどなるにしたがって複雑に、
しかして、
あるいは、喜べる時、怒れる時、
さらにまた、自己と他人との間における、あるいは人と社会との
聞く、軽快にして多感なる
されば、
この
だちにもって、警語を発するに長ずるの訓練に供し得べきなり。
また、警語の戦いは、
ことに、日本人中の日本人にして、日本人の長所をもその短所をも(あるいは長所を少なく短所を多く)、共に
彼等はややもすれば、「
されど、
を発することを
なお、この章を終結するに臨んで、
また、世間
その一 神話と
面白しとは実に面白き語なり 警語を連結したる歌謡は警語を連結したる演説に優る
歌唱の戦争、恋愛の戦争ー-歴史を照破するの光焔を帯べる警語 高台より望む
物に二あり、百姓の炊煙と情人の船 獣対人の問題と警語が実際に作用せし一新特例
警語史とその朧気ながらの過渡期
我が
されば
ここにおいて、
「面白し」とさえ云えば、すなわち、愉悦慰楽を表白するところの成語として、絶対無二なるものと認めらるべく、
おもしろ ふへんてき じゆくこ えんげん
「面白し」と云えば、
日本において最も普遍的に使用せらるる熟語にして、その淵源の遠きこと
我が
されば、神武天皇が
ことごと
く
ヤコシヤ、アゝシヤコシヤ
工ゝシ
こうしよう しようし う わ し き だん なにもの
また疲労の何物
と高唱し給えば、将士皆手を拍ってこれに和し、士気一段緊張して、
たるを
かくて、天皇のこの勝利は、却って周囲に多くの敵を造るの
い
すでにして
以上の
の和歌を作り、
なお、警語の歌謡化せられたるものが、
ひめたたらいすずひめ おおくめの
大久米
なる媛韜鞴五十鈴姫その人なり。天皇ここにおいて姫を見んことを要し給い、
を
時は真夏なり。狭井川の水は油を流したるが如く、蘆荻両岸を埋めて、
ざるの所に、ささやかなる
く薫り床しくあたりに咲き満てるが、すなわちこれ姫の居なり。鳴呼、何等の風趣ぞ、
葦原�