三遊亭円朝 怪談乳房榎 三十

三十

 新兵衛は夢のお告げに喜びまして、赤塚へ参り尋ねあぐみましたから、松月院の門前へくたびれて立ち寄り休みますと、そこにおりましたのは正介でございますから、互いにまた巡り逢いましたのを不思議に思い、まアなんでこの辺をお歩きなさると聞きますと、
「じつは女房がこれこれの次第で、その願懸けに榎を尋ねたところ、どこにあるのかいっこう分らず、もう(こん)が尽きてならんから、思いきって帰ろうかと思います。」
 と話を聞いた正介は、
「それは不思議なごんだが、その榎の下に白山様があるっていうのは、大方この門のうちの榎だんべい、わしも近頃ここへ来て間もねえから、よくは知らねえが、榎の下にある御札箱(ふだばこ)のような(ちい)せっぺえ宮が、白山大権現様だと聞いただ、まアあすこへ行って見なさい。」
 と云いますから新兵衛も喜び、これから正介が案内をいたしまして、榎の下へ行って見ますと、いかにも古びたお宮がありまして、額もなければ何も神号を書いた物はありませんが、白山さまにはお約束の房楊枝(ふさようじ)が五、六本(すす)だらけにまっ黒になってあがっております。これは村の者が口中の煩いでもして、この神へ願込めをして癒ったから納めたものでござりましょう。それに榎を見ますとなるほど乳房のような瘤が幾つもあって、その先から垂れるほど(やに)が出ておりますから、いよいよこれだと新兵衛はまず(うが)手水(ちようず)をつかいまして信心をいたし、この榎の乳から垂れます水を竹筒に受けまして、正介に(いとま)を告げ帰りましたことで、正介はこれまでこの白山様にこんな利益があろうとは知りませんでしたが、新兵衛が霊夢に感じて(とおどお)たからわざわざ探して来るのは奇妙だ、幸い真与太郎さんも乳がなくって、時々思い出すと泣いていけないから榎の露を飲ませべい、とこれから真与太郎にも竹筒にうけては飲ませ、しきりと信心をいたし、毎朝々々()きますれば麦飯(むぎめし)だけれども御膳を上げる、または落雁や駄菓子なんどを上げておりましたが、その後三七二十一日目に新兵衛は夫婦連れで礼参りにやって来まして、願ほどきに小さな(のぼり)と、こう女が坐って乳を絞っておりますと、こちらのほうに雲があつて御幣(こへい)が立っておるという額を納めまして、正介へもお前がここにおいでたばっかりで尋ねあぐんだ白山様も知れたのだから、と何か礼に二(しゆ)包んでくれまして、御利益で乳癌(にゆうがん)にでもなりそうな腫物(できもの)が癒ったから、お礼には百人の者へ弘めろという最初のお告げだから、これから人にこちらの榎のことをはなして信心をさせます、と松月院へもお経料(きようりよう)を納めましてその日は帰りましたが、その頃は只今のような開化の時と違いまして、とかくに変なものを信心をいたしますのが流行(はや)りますからたまらない。わずか三月ばかりのうちに赤塚の榎の(うろ)から乳が出るが、人間の乳と少しも違わねえで、乳の無え子なんぞには、それを飲ましておけば無病でずんずん育つそうだ、それに、親の出ねえ乳まで七日のうちにきっと出て来るのは不思議だ、奇妙だ、と噂、をいたしますから、いよいよ評判が高くなりまして、赤塚の乳房榎乳房榎と誰いうとなく申します。幸せなのは正介で、ちらほらと参詣がございますから、しまいには乳を貰って帰ります竹筒ぽうを何本も拵えて売るようになり、また休んでゆく人もありますから繁昌で、正介は間がな隙がな、この白山権現を祈りまして、なにとぞ主人の悴真与太郎を成人させまして、父の敵磯貝浪江を首尾よく討たせて下さい、と一心に願います。少々お話が前後いたしたようでございますが、この赤塚という村のことが『江戸名所図会』に出ておりますからちょっと申し上げますが、赤塚と申します地名は昔高位のお人の墓があったところゆえ、あらはか(、、、、)と申しましたとも、また赤塚右近、同蔵人(おなじくくらんど)などという大名が住んでおりました所ゆえ赤塚と申すとか、榎の(うろ)から乳の出ましたことも昔のことで、この乳をもって孤児(みなしご)を育てたということが出ておりますそうでございますが、榎のございます寺は万吉山松月院(まんきちざんしようげついん)と申して、禅宗で只今もって歴然と残りおりますが、こんなことは申し上げずとよろしいが、名所図会にありますからちょっと申し上げおきますので。さて、その年も暮れまして翌年になり、その年は何事なく暮れまして、光陰は矢の如くとか申しまして、今年は真与太郎も五歳になります。いたって健やかで育ちますが、その代りまるで田舎の子供になってしまいましたから、色がまっ黒になって眼ばかり光って、言葉まで在郷言葉で正介をまことの親と心得ておりますから、(ちやん)や父やと慕いますのを聞いては、正介が情けねえと涙を浮かべまして水っ鼻と一緒にかんでおります。頃もちょうど夏の末で、土用がまだ入ったばかりという、恐ろしい暑い日でございましたが、向うからやって来ました男は、四十恰好で、鼠と(こん)の細かい微塵の越後(えちご)の洗い(ざら)した帷子(かたびら)に、紺博多(こんはかた)の帯、素足へ白足袋(しろたび)を履き、麻裏草履で、(すげ)の小深い笠を冠って、小さな包みを背負いまして、暑いと見えて笠を取りまして腕捲りをして、天地金(てんちぎん)で親骨がとれかかっております扇でしきりにあおぎながら汗を拭き拭き、
「あゝ暑い、爺さん水を(たらい)へ汲んでおくれ。」
と入って参りました。