三遊亭円朝 怪談乳房榎 二十九
二十九
さて、真与島の下男の正介は再び浪江に欺かされまして、すでに重信の遣子真与太郎 を角筈の十二社 の滝壷へぶち込もうといたしたところへ、朦朧と重信の霊が現われまして、親の敵を討たしてくれとの頼み、自分の身に悪事がございますから、その罪滅ぼしに一命にかけてもあの浪江を坊様 に討たせますと請け合い、一人の姪が赤塚におりますので、これを頼って真与太郎を連れて参りましたことで、田舎の人というものは大都会に住みますお人よりいくらか質朴で、まア悪く申せば世事に暗い方でございますだけに正直で、何ごとによらず親切にいたしますから、姪の亭主の文吉か叔父さん叔父さんと云って正介を大事にいたします。正介も厄介になっておりますのだから、骨惜みをしませんで.朝早くから野良へ出て精を出し、また人に雇われなどして、その僅かの賃銭をば食い雑用 に入れます。文吉は
「叔父様止しなさいよ、おれ水呑百姓だってお前さま一人ぐらえ麦飯喰わするに不足はねえから、それじゃア他人行儀だ。」
と入れました銭を返し、
「お前様の小遣 にさっしゃい。」
とくれます。
憂きが中にも、正介は姪と文吉がよく世話をしてくれますので安心をいたし、真与太郎の成人を待っておりますが、その年も暮れまして宝暦四年となり、今年はもう真与太郎は三つになりますから、おいおい間食 をしますので乳々と申しません。いつでも大きな笊 の中なんぞへ入れてうちへ置き去りにして、家中 畑へ出てしまいます。そこは田舎は暢気なものでございますよ。正介はまた浪江から貰いました二十両へはそっくり手を着けずにもっておりますので、まアこうやって姪の夫婦が親切に世話はしてくれうが、まだおれも足腰の達者のうちだからそうそう厄介になっても気の毒、二つには真与太郎 さんが成人して敵でも討つという時、人の家にいれば必ず迷惑をかけねばならないから、この金のあるうちに別になるのが双方の上分別 だと、これから別家を心懸けておりますと、ついこの村に松月院 という寺がありまして、この門番に去年の霜月 まで爺と婆がおりましたが、仔細あって夫婦とも廻国に出てしまったというので、空家でありますからこれを正介は求めました。家と申しますと大層でございすすが、損じております。瓦家根の朱塗りといけば豪気 だが、紅殻 か丹 で塗りました剥 げた門がござりまして、この潜りのところに、やはり瓦家根ではございますが、一間四方ばかりな門番がござります。これもやはり家根が損じて、土が出ておりまして、瓦が落ちかかっています。臆病な者には怖くって下は通れないという険呑な門で、この門番から、茅葺きで太い竹柱にいたし、間口二間に奥行が九尺という建て足しがございまして、根太 の張ってございますところはほんの三畳ばかりで、ここに囲炉裏が切ってある、後は皆土問で、北の方はひしぎ竹の下見へ裏から邪慳に泥が塗ってある壁……まアまア壁で、これから西の方へかけて乾葉 が繩につけて乾してある。こいつが風が吹くたびに、がさがさいうという田舎家のお約束でございます。これを正介は五両と幾らかで求めまして、真与太郎と二人引き移りましたが、ここに正介の運のよいことには、正介が門番になりますとじぎに、この寺にございます榎 が、乳の出ないものが信心すると利益 があるというので流行 り出し、この榎の洞 のようなところにとんと乳の下ったような瘤が幾つもありますが、この先から乳のような甘い露が垂れるが、これを竹の筒に入れて持って帰りまして乳のさきへつけますと、きっと出ない乳が出るという。これは露ではありません、木の脂 でございましょうが、この流行り始めましたというのも一つの不思議で、これは去年新宿で出逢いましたかの小石川原町の万屋新兵衛の女房が、あれから後に乳へちょっとした腫物ができましたが、たいそう痛みまして医者にかかってもはかばかしく癒りません。なんでも信心をするより仕方がないと、白山様 をしきりと信仰いたしますと、ある夜の夢に白山権現 が現われまして、汝 赤塚の榎 の下にある我を信仰いたせばたちまち利益を与える、その榎から垂れるところの乳を痛所 へつけよ、たちどころに平癒すべし、とお告げがありましたから、新兵衛夫婦は信心肝 に銘じまして、早速その翌日赤塚の白山権現といって尋ねましたがいっこう知れません、知れませんはずで、白山権現が別にあるのではないから尋ねあぐみまして、新兵衛夫婦が松月院の門番へ立ち寄り、はからず正介に出逢いますというお話、まことに一、二回のところはほんの敵討の端緒 を並べますのみゆえ、定めしお面白くございますまいが、今三、四回で読み切りますゆえ御辛抱のほどを願い上げまする。
さて、真与島の下男の正介は再び浪江に欺かされまして、すでに重信の
「叔父様止しなさいよ、おれ水呑百姓だってお前さま一人ぐらえ麦飯喰わするに不足はねえから、それじゃア他人行儀だ。」
と入れました銭を返し、
「お前様の
とくれます。
憂きが中にも、正介は姪と文吉がよく世話をしてくれますので安心をいたし、真与太郎の成人を待っておりますが、その年も暮れまして宝暦四年となり、今年はもう真与太郎は三つになりますから、おいおい