三遊亭円朝 怪談乳房榎 五



「どうれ。」
と下女のお花が取次ぎに出まして、敷台のところへ手をつきまして、
「どちらからおいでなさいました。」
「へい、私は小石川原町の万屋新兵衛と申します者で、どうか先生様へちとお願い申したいことがあって参りましたが、御在宿でござりますならお目にかかりたいとお取次ぎなすって下さいまし。」
 と丁寧に申します。お花は
「はい新兵衛様とおっしゃいますか、しばらくお待ち下さいまし。」
 と奥へ入りまして重信の前へ参り、これこれだと申します。重信はまだ聞いたことはない名前だが、おおかた画のことで来た人と思いますから、
「こちらへお通し申せ、そうして綺麗な煙草盆を持って来いよ。」
「はい。」
 と玄関へ参りましてこの由を二人へ申しますから、
「さようなら御免下さい。」
 と敷台のところで雪駄を脱ぎ埃など払いまして、お花の案内に連れまして重信の居間へ通りました。重信は敷いておりましたアンペラと唐更紗と片々ずつ剥ぎ合わせた座蒲団を取り除けながら、
「いよこれはおいでで、ただいまちと急ぎ物を認めておるので、取り散して御免なさい、あゝ危ない絵の具皿をあちらへ片づけて、え、なにそれでよい、アンペラの敷物を上げろ、むさいところで、さアここへおいでなさい、それでは御挨拶ができません。」
「いえもうそのままで、けっしてお構い下さいますな。」
「いえ、何もお構い申さぬ、さてこれはお(はつ)うに、はい私が重信で、小石川からだって、御遠方からおいでではさぞ途中がお暑かったろう、はい。」
「これは初めてお目にかかりました、私ことは小石川原町で酒を商いおりまする万屋新兵衛と申すもので、またこれにおりまするは、高田砂利場(じやりば)村のお百姓で。」
「へえ私は茂左衛門(もざえもん)と申しまする者で。」
「さようでござったか、私が重信で……何ぞ御用でおいでになったかね。」
「へー、さっそくながら申し上げますが、先生様の御高名をお慕い申しまして願いたいと申しまするは、手前が檀那(だんな)寺で高田砂利場村の大鏡山南蔵院と云います真言宗の寺がござりまするが、こんど本堂から庫裏は申すに及びませんが、薬師堂まで普請出来(しゆつたい)になりましたが、手前どもは皆世話人でござりますし……いえお構い下さいますな……へいこれは結構なお茶で……ヘイこれは……その天井やまたは杉戸襖などへ画を描いていただきたいと、それを願いに両人の者が揃いまして願いに出ましてございます、もし茂左衛門様よくお前さんからも先生へお願い申したらよかろう。」
「あゝ、えゝわしの方からも願うだア、へいこれは先生様、今度普請がたまげ(、、、)て立派にできたにつきいまして、なんでもはア杉戸や襖へ画え描いてお貰え申しましてえ、なるたけ画は賑やかな物がええってわしい思うには、桜が一面に咲いているところへ虎が威勢よく飛んでいるとこを、彩色(さいしき)でこう立派に描いて下せえな。」
 重信はこれを聞きまして変なことをいう人だと思いますから、
「桜が花盛りのところへ虎が飛んでいるとは面白い取合せで、桜なら駒とか、いや、それはまアよいが、お頼みのことは承知しました。寺の格天井(ごうてんじよう)などへは手前とうより描いてみたいと常から心がけておいたものもあるが、たいていの画師は墨画(ぼくが)で飛竜だとかまたは一疋の竜とか。えて(したた)むるもんじゃが、拙者は雌竜雄竜(めりゆうおりゆう)と二匹を墨画で描いて見たいと思っておるところじゃから、その雌雄(めすおす)の竜を描いてみたいものである。」
「なるほど、よく堂宮(どうみや)の天井には、八方睨みとか云います竜がお定まりで描いてございますが、先生のは、雌竜雄竜を二疋描いて下さるとはそれはお珍しい。」
「何い描くって。」
「なにさ雌竜雄竜を墨画で描いてやろうとおっしゃるのさ。」
「たまげたねそりゃアお相撲(すもつ)とりの名けえ。」
「分らない、相撲のことじゃアない、竜のことだよ。」
「なに竜のことじゃって、わしい考えじゃア、襖などへは墨画じゃア淋しいから、なんでも彩色して、こちらへ両国橋を描いて、そっちには船がたいそう出て、それで花火がポンポンと上っているとこの画がよかんべえ。」
 とまたおかしいことを云いますから、
「はゝゝゝ、まさか寺方なんぞの襖へさようなものは描かれんが、まアよろしいまた何か趣向もござろうから、お請け合い申そう、早速明後日あたりから取りかかるといたそう。」
「それでは早速お取りかかり下さいますか……イエそれにつきまして先生へお願いが……えゝそれ高田からこの柳島まで、襖や杉戸などはともかくも、天井を持って参るというわけにも参じませんから、はなはだ恐れ入りますが、どうか出来上りますまで、本堂もいたって広うござりますから、お泊りがけにいらっしゃってお(したた)め下さいますまいかな。」
「なるほどごもっともじゃ、イエよろしゅうござる、かえって宅より気が散らんでよい、それでは下男を一人連れて、泊っていて描いて進ぜましょうかな。」
「それははやお聞きずみでありがとうこぎいます。」
 と、新兵衛は懐ろの胴巻より、紙に包んである二十両出しまして、
「これはお手付というわけではござりませぬが、ほんの世話人から預かりました二十金、どうかお預かり下さいまし。」
「イヤこれは金子で、なに二十金とえ、なにこんな御心配には及ばん、後でよろしいに.しかしせっかくだからお預り申しておきましょう。」
「さようならば明後日はお待ち受け申しておりまする。」
「先生様、また明後日(あさつて)出逢いますべい。」
「まアよいではないか、只今何か……、冷麦をそう申しつけたと申すから、まあよい……では、ちょっと泡盛でも……、到来いたした物があるから。」
「いえ道が遠うござりますから、お(いとま)を。」
 と新兵衛と茂左衛門は、暇を告げて高田へ帰り、また重信先生は、かねて寺などの天井か杉戸へ、丹精を籠めた画を描いて、後世へ残したいという了簡ゆえ、ないない喜びまして、翌日より支度をいたしまして、正介という家来に、絵具箱と着替えの衣類などを包みにいたし、これを背負わせまして、五月七日の朝柳島の宅を立ち出で、高田の南蔵院へ赴きました。この留守中に、たいへんが出来(しゆつたい)いたしたという小口になりますお話で、ちょっと一息つきましてまた申しあげましょう。