怪談牡丹燈籠 第二十一回(ノ上)

怪談牡丹燈籠第十二編
第二十一回
正邪共泣慈母之義(せいじやともになくじぼのぎ)
辛苦初復恩人之仇(しんくはじめておんじんのあだをふくす)

 孝助ははからずも十九年ぶりにて実母おりえに廻り逢いまして、馬喰町の下野屋(しもつけや)と申す宿屋へ参り、互いに過ぎし身の上の物語をいたしてみると、思いがけなきことにて、母方にお国源次郎が匿まわれてあることを知り、まことに不思議の思いをなしましたところ、母が手引きをして(あだ)を討たせてやろうとの言葉に、孝助は飛び立つばかり急ぎ立ち帰り、右の次第を養父相川新五兵衛に話しまして、六日の早天水道端を出立し、馬喰町なる下野屋方へ参り様子を見ておりますると、母もかねて約したることなれば、身支度を整え、下男を供に連れ立ち出でましたれば、孝助は見え隠れに後をつけて参りましたが、女の足のはかどらず、
幸手(さつて)、栗橋、古河(こが)真間田(ままだ)、雀の宮を後になし、宇都宮へ着きましたは、ちょうど九日の日の暮れ暮れに相成りましたが、宇都宮の杉原町の手前まで参りますと、母おりえはまず下男を先へ帰し、五郎三郎に我が帰りしことを知らせてくれろと云いつけやり、孝助を近く招ぎ寄せまして小声になり、
「孝助や、わたしの(うち)は向うに見える紺の暖簾(のれん)に越後屋と書き、山形に五の字を印したのがわたしのうちだよ。あの先に板塀があり、ついて曲ると細い新道(しんみち)のような横町があるから、それへ曲り三、四軒行くと左側の板塀に三尺の開きがついてあるが、それから入れば庭伝い、右の方の四畳半の小座敷にお国源次郎が隠れいることゆえ、今晩わたしが開きの栓をあけておくから、九ツの鐘を合図に忍び込めば、袋の中の鼠同様、覚られぬよういたすがよい。」
「ハイまことにありがとう存じまする。はからずも母様のお蔭にて本懐を遂げ、江戸へ立ち帰り、主家(しゆうか)再興の上、私は相川の家を相続いたしますれば、お母様をお引き取り申して、必ず孝行を尽す心得、さすれば忠孝の道も全うすることができ、まことに嬉しゅう存じます。さようなれば私はどちらへ参って待ち受けていましょう。」
「そうさ、池上町の角屋(すみや)は堅いという評判だから、あれへ参り宿を取っておいで、九ツの鐘を忘れまいぞ。」
「決して忘れません。さようならば。」
 と孝助は母に別れて角屋へ参り、九ツの鐘の鳴るのを待ち受けていました。母は孝助に別れ、越後屋五郎三郎方へ帰りますと、五郎三郎は大きに驚き、
「たいそうお早くお帰りになりました。まだめったにはお帰りにはならないと思っていましたのに、存じのほかにお早うござりました。それではとても御見物はできませんでございましたろう。」
「ハイ、わたしは少し思うことがあって、急に国へ帰ることになりましたから、奉公人共への土産物も取っているひまもないくらいで。」
「アレサ、なにさよう御心配がいるものでございましょう。おかかさまは芝居でも御見物なすってお帰りになることだろうから、なかなか一ト月や二タ月は故郷(ぼう)じがたしで、あっちこっちをお廻りなさるから、急にはお帰りになるまいと存じましたに。」
「サァお前に貰った旅用の残りだから、むやみにつかってはすまないが、どうか皆なにやっておくれよ。」
 と奉公人銘々に包んでつかわしまして、そのほか着古した小袖半纏(はんてん)などを取り分け、
「そんなにやらなくってもよろしゅうございます。」
 と申すに、
「ハテこれはわたしの少々心あってのことで、つまらん物だが、着古しの半纏は、女中にもいろいろ世話になりますからやっておくれ。シテお国や源次郎さんはやはり奥の四畳半におりますか。」
「まことにあれはお母様(かかさま)に対しても置かれた義理ではございません。憎いやつでございますが、しいて縋りついて参り、わたしゆえにお隣り屋敷の源次郎さんが勘当をされたと申しますから、義理でよんどころなく置きましたものの、さぞあなたはお厭でございましょう。」
「わたしはお国にあってゆっくり話がしたいから、用もあるだろうが、いつもより少々見世を早くひけにして、寝かしておくれ。わたしは四畳半へ行って国や源さんに話があるのだが、これでお酒やお(さかな)を。」
「およしあそばせ。」
「イヤ、そうでない。何も買って来ないからぜひ上げておくれよ。」
「ハイ、ハイ。」
 と気の毒そうに承知して、五郎三郎は母の云いつけなれば酒肴を誂え、四畳半の小間(こま)へ入れ、店の奉公人も早く寝してしまい、母は四畳半の小座敷に来りてうちにはいれば、
「オヤ、お母様(ははさま)、たいそう早くお帰りあそばしました。わたしはまだめったにお帰りにはなりますまいと思い、きっと一ト月くらいは大丈夫お帰りにはならないとお噂ばかり
しておりました。たいそうお早く、ほんとうにびっくりいたしました。」
源「ただいまはお土産としてご酒肴を沢山にありがとう存じます。」
「イエイエ、なんぞ買って来ようと思いましたが、まことに急ぎましたゆえ何も取っているひまもありませんでした。誰もほかに聞いている人もないようだから、打ち解けて話をしなければならないことがあるが、お国やお前が江戸のお屋敷を出た時の始末を隠さずに云っておくんなさい。」
「まことにお恥かしいことでございますが、若気の誤り、この源さまと馴染(なれそ)めたところから、源さまは御勘当になりまして、行きどころのないようにしたは皆なわたしゆえと思い、悪いこととは知りながらお屋敷を逃げ出だし、源さまと手を取り合い、日頃無沙汰をいたした兄のところにたより、今ではこうやって厄介になっておりまする。」
「不義いたずらは若いうちにはずいぶんありがちのことだが、お国、お前は飯島様のお屋敷へ奥様付きになって来たが、奥様がおかくれになってから、殿様のお召使になっているうちに、お隣りの御次男源次郎さまと、隣りずからの心安さに折々お出でになるところから、お前はこの源さまと不義いたずらを働いた末、お前方が申し合せ、殿様を殺し、有金大小衣類(ありがねだいしようきるい)を盗み取り、屋敷を逃げておいでだろうがナ。」
 と云われて二人は顔色変え、
「オヤマアびっくりします。お母様(かかさま)何をおっしゃいます。誰がそのようなことを云いましたか。少しも身に覚えのないことを云いかけられ、ほんとうにびっくりいたしますわ。」
「イエイエいくら隠してもいけないよ。わたしの方にはちゃんと証拠があることだから、隠さずに云っておしまい。」
「そんなことを誰が申しましたろうねえ源さま。」
 と云えば、源次郎落着きながら、
「まことにけしからんことです。お母様モシほかのこととは違います。手前も宮野辺源次郎、何ゆえお隣りの伯父を殺し、有金衣類を盗みしなどと何者がさようなことを申しました。毛頭覚えはございません。」
「イヤイヤそうおっしゃいますが、わたしは江戸へ参り、不思議と久しぶりで逢いました者があって、その者からうけたまわりました。」
「フウ、シテ何者でございますか。」
「ハイ、飯島様のお屋敷でお草履取を勤めておりました孝助と申す者でなア。」
「ムヽ孝助、あいつは不届至極なやつで。」
「アラあいつはマア憎いやつで、御主人様のお金を百両盗みましたくらいな者ですから、どんなこしらえごとをしたか知れません。あんな者の云うことをあなた取り上げてはいけません。どうして草履取が奥のことを知っているわけはございません。」
「イエイエお国や、その孝助はわたしのためには実の悴でございます。」
 ト云われて二人は驚き顔して、後へもじもじとさがり、
「サア、わたしがこの家へ縁ついて来たのは、今年でちょうど十七年前のこと、元わたしの連合いは小出様の御家来で、お馬廻り役を勤め、百十石頂戴いたした黒川孝蔵という者でありましたが、乱酒ゆえに屋敷は追放、本郷丸山の本妙寺長屋へ浪人していましたところ、わたしの兄沢田右門が物堅い気質で、さような酒癖あしき者に連れ添うているよりは、離縁をとりて国へ帰れとおして迫られ、兄の云うにぜひもなく、その時四つになる悴を後に残し、離縁を取って越後の村上へ引っ込み、二年程過ざてこの家に再縁して参りましたが、このたび江戸ではからずも十九年ぶりにて悴の孝助に逢いましたが、実の親子でありますゆえ、だんだん様子を聞いてみると、お前たちは飯島様を殺したうえ、有金大小衣類まで盗み取り、お屋敷を逐電したと聞き、わたしはびっくりしましたよ。それがため飯島様のお家は改易になりましたから、悴の孝助が主人の(かたき)のお前方を討たなければ、飯島の家名を起こすことができないから、仇を捜す身の上と、涙ながらの物語に、わたしも十九年ぶりで実の子に逢いました嬉しまぎれに、仇のお国源次郎はわたしの家に匿まってあるから、手引きをして(あだ)を討たせてやろうと、サうっかり云ったはわたしの誤り、孝助は面を分けた実子なれども、いったん離縁を取りたれば黒川の家の子、この家に再縁する上からは、今はお前はわたしのためになおさら義理のある大切の娘なりゃ、縁の切れた悴の情に引かされて、手引きをしてお前たちを討たせては、亡くなられたお前の親御樋の口屋五兵衛殿のお位牌へ対して、どうも義理が立ちませんから、悪いことを云うた、どうしたらよかろうかと道々も考えて来ましたが、孝助は後になり先になりわたしにつきてこっちに参り、実は今晩九ツどきの鐘を合図に庭口からここに忍んで来る約束。討たせてはすまないから、お前たちも隠さず実はこれこれと云いさえすれば、五郎三郎から小遣に貰った三十両のうち、少しつかってまだ二十六、七両は残ってありますから、これをお前たちに路銀として餞別にあげようから、少しも早く逃げのびなさい。立ち退く道は宇都宮の明神様の後ろ山を越へ、慈行寺(じこうじ)の門前からついて曲り、八幡山(やわたやま)を抜けてなだれに下りると日光街道、それより鹿沼道(かぬまみち)へ一里半行けば、十郎ケ峯というところ、それよりまた一里半あまり行けば鹿沼(かぬま)へ出ます。それより先は田沼道、奈良村へ出る間道(かんどう)、人の目つまにかからぬ抜け路、少しも早く逃げのびて、いずくの果なりとも身を隠し、悪いことをしたと気がつきましたら、髪を剃って二人とも袈裟(けさ)と衣に身をやつし、殺した御主人飯島様の追善供養いたしたなら、命の助かることもあろうが、ただふびんなのは悴の孝助、仇の行末の知れぬ時は一生旅寝の艱難困苦、お(しゆう)のお家も再興(たち)ません。気の毒なことと気がついたら、心を入れかえ善人になっておくれよ。サアサア早く。」
 と銘銀まで出だしまして、義理をたてぬく母の真心、さすがの二人も面目なく目と目を見合せ、
「ハイハイまことにどうも、さようとは存じませんでお隠し申したのはすみません。」
「実に御信実なお言葉、恐れ入りました。拙者も飯島を殺す気ではござらんが、不義が顕われ、平左衛門殿か手槍にて突いてかかるゆえ、やむを得ずかくのごときの仕合せでございます。仰せに従い早々逃げのび、改心いたして再びお礼に参りまするでございます。コレお国や、お餞別として路銀まで。あだに心得てはすみませんよ。」
「お母様(ははさま)、どうぞ堪忍してくださいましよ。」
「サアサア早く行かぬか。かれこれもはや九ツになります。」
 と云われて二人は支度をしていると、後ろの障子を開けてはいりましたはお国の兄五郎三郎にて、いぎなりお国の側へより、
「お母様(ははさま)少しお待ちなすってください。コレ国これへ出ろこれへ出ろ、ほんとうにマア呆れはてて物が云われねエやつだ。うちへ尋ねて来た時、なんと云った。お隣りの次男と不義をしたゆえ、源さんは御勘当になり、身の置きどころがないようにしたもわたしゆえ、お気の毒でならねえから一緒に連れてきましたなどと、なまぞらをやってわれをだましたナ。うちにこうやって置くやつじゃアねエぞ。おとっさまが御死去になった時、いくたび手紙を出しても一通の返事もよこさぬくらいな人でなし。たった一人の妹だが死んだと思ってな諦めていたのだ。それにのめのめと尋ねて来やアがって、置いてくれろというから、よもや人を殺し、泥坊をして来たとは思わねえから置いてやれば、いま聞けば実に呆れて物が云われねエやつだ。お母様(ははさま)まことにありがとうございまするが、あなたが親父へ義理をたてて、こいつらを逃してくださいましても天命は逃れられませんから、とても助かる気遣いはございません。いっそ黙っておいでなすって、孝助様に切られてしまう方がようしゅうございますのに、ヤイお国、お母様(かかさま)は義理堅いお方ゆえ、親父の位牌へ対して路銀まで下すって、その上逃げ道まで教えてくださるというはナ、実にありがたいことではないか。なんとも申そうようはございません。コレお国、この罰当りめえ、お母様(かかさま)がこの家へ嫁にいらっしゃった時は、手前がナ、八つの時だが、意地が悪くておとっさまとおかかさまとおれとの相中(あいなか)を突つき、なにぶん家が揉めて困るから、おれが親父さんに勧めて他人の中を見せなければいけませんが、近いところだと駆け出だして帰って来ますから、いっそ江戸へ奉公に出だした方がよかろうと云って、江戸の屋敷奉公に出したところが、善いことは覚えねえで、色男をこしらえてお屋敷を逃げ出すのみならず、御主人様を殺し、金を盗みしというは呆れ果てて物が云われぬ。お母様(ははさま)が並の人ならば、知らぬふりをしておいでなすったら、今夜孝助様に切り殺されるのも心がら、天罰でてめえたちは当り前だが、坊主が憎けりゃ袈裟までの譬えで、こいつも仇の片割とおれまで殺されることをしでかすというは、不孝不義の犬畜生め、ただ一人の兄妹(きようだい)なり、ことにゃア女のことだから、この兄の死水も手前が取るのが当り前だのに、何の因果でこんな悪党ができたろう。親父様も正直なお方、わたしもこれまでさのみ悪いことをした覚えはないのに、こんな悪人ができるとは実になさけないことでございます。この畜生めこの畜生めこの畜生めサッサ
と早く出て行け。」
 と云われて、二人ともほうほうのていにて荷拵えをなし、暇乞いもそこそこに越後屋方を逃げ出しましたが、宇都宮明神の後ろ道にかかりますと、昼さえ暗き八幡山(やわたやま)、まして真夜中のことでございますから、二人は気味わるわる路のなかばまで参ると、一叢(ひとむら)茂る杉林の蔭より出て参る者を透して見れば、面部を包みたる二人の男子(おのこ)、いきなり源次郎の前へ立ち塞がり、
「ハイ、神妙にしろ。身ぐるみ脱いで置いて行け。手前たちはおおかた宇都宮の女郎を連れ出した駈落ち者だろう。」
「ヤイ金を出さないか。」
 と云われ源次郎は忍び姿のことなれば、大小を落し差にしておりましたが、この様子にハッと驚き、拇指にて鯉口を切り、慄え声を振り立って、
「手前たちは何だ。狼藉者。」
 と云いながら、透して九日の夜の月影に見れば、一人は田中の仲間喧嘩の亀蔵、見紛う方なき面部の古疵、一人は元召使の相助(あいすけ)なれば、源次郎は二度びっくり、
「コレ、相助ではないか。」
「コレハ御次男さま、まことにしばらく。」
「マア安心した。ほんとうにびっくりした。」
「私もびっくりして腰が抜けたようだったが、相助どんかえ。」
「まことにヘイ面目ありません。」
「手前はまだかような悪いことをしておるか。」
「実はお屋敷をお(いとま)になって、藤田の時蔵と田中の亀蔵と私と三人揃って出やしたが、どこへも行くところはなし、どうしたらよかろうかと考えながら、ぶらぶらと宇都宮へ参りやして、雲助になり、どうやらこうやらやっているうち、時蔵は傷寒(しようかん)を煩って死んでしまい、金はなくなって来たところから、ツイふらふらと出来心で泥坊をやったが病みつきとなり、この間道(かんどう)はよく宇都宮の女郎を連れて、鹿()
(ぬま)の方へ駆落ちする者が時み、あるので、ここに待伏せして、サァ出せと一と言いえば、私は剣術をしらねえでも、怖がってじきに置いて行くような弱いやつばっかりですから、今日もうっかり源さまと知らずかかりましたが、あなたに抜かれりゃアおっ切られてしまうところ、まことになんともはや。」
「コレ亀蔵、手前も泥坊をするのか。」
「ヘイ雲助をしていやしたが、ろくな酒も呑めねえから、太く短くやっつけうと、今ではこんなことをしておりやす。」
 ト云われ、源次郎はしばし小首をかたげておりましたが、
「いいところで手前たちに逢うた。手前たちも飯島の孝助には遺恨があろうな。」
「エー、あるどころじゃアありゃせん。川の中へほうり込まれ、石で頭をぶっ裂き、相助と二人ながら大曲りではひどい目に逢い、ほうほうの(てい)で逃げ帰ったところが、こっちはお(いとま)、孝助はぬくぬくと奉公しているというのだ。今でも口惜くってたまりませんが、あいつはどうしました。」
「誰もほかに聞いている者はなかろうな。」
「ヘイ誰がいるものですか。」
「この国の兄の宅は杉原町の越後屋五郎三郎だから、しばらくあすごに匿まわれていたところ、母というのは義理ある後妻(こうさい)だが、不思議なことでそれが孝助の実母であるとよ。この間母が江戸見物に行った時、孝助に廻り逢い、くわしい様子を孝助から残らず母が聞き取り、手引きをしてわれを討たせんと宇都宮へ連れては来たが、義埋堅い女だから、亡父五兵衛の位牌へ対しお国を討たしてはすまないというところで、路銀まで貰い、こうやって立たせてはくれたものの、そのところは血肉を分けた親子の間、ことによると後から追っかけさせ、やって来まいものでもないが、どうしてかてめえらが加勢して孝助を殺してくれれば、多分の礼はできないが、二十金やろうじゃないか。」
「よろしゅうございやす。ずいぶんやっつけやしょう。」
「亀蔵安受け合いするなよ。あいつと大曲で喧嘩した時、大どぶの中へほうり込まれ、水を喰らってようよう逃げ帰ったくらい、あいつア途方もなく剣術がうまいから、うっかりたたき合うとかなやアしない。」
「それはまた工夫がある。鉄砲じゃアしようがあるめえ。十郎ケ峯あたりへ待ち受け、源さまは清水流れの石橋の下へ隠れていて、おらたちゃア林の間に身を隠しているところへ、孝助がやって来りゃア、橋を渡りきったところで、おれが鉄砲を鼻っ先へ突きつけるのだ。孝助が驚いて後へ
さがれば、源さまが飛び出して切りつけりゃア挾み打ち、わきアねえ、逃るも引くもできアしねえ。」
「ジャアどうか工夫をしてくれろ。なにぶん頼む。」
 とこれから亀蔵はどこからか三挺の鉄砲を持って参り、皆々連れ立ち十郎ケ峯に孝助の来るを待ち受けました。


怪談牡丹燈籠第十二編終