怪談牡丹燈籠 第十九回

怪談牡丹燈籠第十編
第十九回
老父乗(ろうふじようじ)レ喜語二既往一
名僧察(てよろこびにかたりきおうをめいそうぎコつして)機説(きをとく)未来一(みらいを)

 引き読きまする怪談牡丹燈籠のお話は、飯島平左衛門の家来孝助は、主人の仇なる宮野辺源次郎お国の両人が越後の村上へ逃げ去りましたとのことゆえ、後を追って村上へ参り、諸方を詮議いたしましたが、とんと両人の行方が分りませんで、またわが母おりえと申す者は、内藤紀伊守の家来にて沢田右門(えもん)の妹にて、十八年以前に別れたが、今も無事でおられることか、一目お目にかかりたいことと、だんだん御城中の様子を聞き合せまするところ、沢田右門夫婦はとくに相果て、今は養子の代に相なっていることゆえ、母の行方さえとんと分らず、やむをえずここに十日ばかし、あすこに五日逗留いたし、あちこちと心当りのところを尋ね、深く踏み込んで探ってみましたれども更に分らず、空しくその年も果て、翌年に相なって、孝助は越後路から信濃路へかけ、美濃路へかかり探しましたがいっこうに分らず、早や主人の年回にも当ることゆえ一度江戸へ立ち帰らんと思い立ち、日数を()、八月三日江戸表へ着いたし、まず谷中の三崎(さんざき)村なる新幡随院へ参り、主人の墓へ香花(こうげ)を手向け水を上げ、墓原の前に両手を突きまして、
「旦那様私は身不肖にして、いまだ仇たるお国源次郎に廻り会わず、いまだ本懐はとげませんが、ちょうど旦那様の一周忌のお年回に当りますることゆえ、このたび江戸表へ立ち帰り、御法事御供養をいたした上、さっそくまた仇の行方を探しに参りましょう。このたびは方角を違え、是非とも穿鑿(せんさく)をとげまするの心得、なにとぞ草葉の蔭からお守りくださって、一ときも早く仇の行方の知れまするようにお守りくだされまし。」
 と生きたる主人に物云うごとくうやうやしく拝みを遂げましてから、幡随院の玄関へかかりまして、
「お頼み申します、お頼み申します。」
「ドウレ、ハーどちらからお出でだナ。」
「手前はもと牛込の飯島平左衛門の家来孝助と申す者でございますが、このたび主人の年回をいたしたぎ心得で墓参りをいたしましたが、方丈様御在寺なればお目通りを願いとう存じます。」
「さようですか。しばらくおひかえなさい。」
 とこれから奥へ取り次ぎますると、こちらへお通し申せということゆえ、孝助は案内につれられ奥へ通りますると、良石和尚は年五十五歳、道心堅固の知識にて大悟徹底いたし、寂寞(じやくまく)と座蒲団の上に坐っておりまするが、道力自然に表に現われ、孝助は頭がひとりでにさがるようなことで、
「これは方丈様には初めてお目にかかりまする。手前事は相川孝助と申す者でござい穿すが、当年は旧主人飯島平左衛門の一周忌の年回に当ることゆえ、一度江戸表へ立ち帰りましたが、ここに金子五両ございまするが、これにてよろしく御法事御供養を願いとう存じます。」
「ハイ、初めまして、マアこっちへ来なさい。これはマア感心なことで、コレ茶を進ぜい。お前さんが飯島の御家来孝助殿か。立派なお人でよい心がけ。長旅をいたした身の上なれば定めて沢山の施主もあるまい。一人か二人くらいのことであろうから、うちの坊主どもに云いつけて何か精進物をこしらえさせ、なるたけ金のいらんように、手はかかるが皆こちらでやっておくか、一カ寺の住職を頼んでおきますが、お前ナアあまり早く来るとこちらで困るから、昼飯(ひるはん)でも喰ってからそろそろ出かけ、夕飯はこちらで喰う気で来なさい。そしてお前はこれから水道端の方へ行きなさろうが、お前を待っている人がたんとある。またお前は喜びごとか何かめでたいことがあるから早う行って顔見せてやんなさい。」
「ヘイ、私は水道端へ参りまするが、あなたはどうしてそれを御存じ、不思議なことでございます。」
 と云いながら、
「さようならば明日昼飯(ひるはん)をしまいましてまた出ますから、なにぶんよろしくお願い申しまする。御機嫌ようしゅう。」
 と寺を出ましたが、心のうちに思うよう、どうも不思議な和尚様だ。どうして私が水道端へ行くことを知っているだろうか。ほんとうに占い者のような人だといいながら、水道端なる相川新五兵衛方へ参りましたが、孝助は養子になって間もなく旅へ出立(しつたつ)し、一年ぶりにて立ち帰りましたことゆえ、少しは遠慮いたし、台所口から、
「御免くださいまし。只今帰りましたよ。コレコレ善蔵どん善蔵どん。」
「なんだヨ。掃除屋が来たのかえ。」
「ナニ私だヨ。」
「オヤこれは、どうもまことに失礼を申し上げました。いつも今時分掃除屋が参りまするものですから、粗相を申しましたが、よくマアお早くお帰りになりました。旦那様旦那様、孝助様がお帰りになりました。」
「ナニ孝助殿が帰られたとか、どこにお出でになる、」
「ヘイ、お台所にいらっしゃいます。」
「ドレドレ、これはマア、なんで台所などから来るのだ。そういえば水は汲んで廻すものを、善蔵、コレ善蔵、何をぐるぐる廻っておるのだ。コレ婆ア孝助殿がお帰りだヨ。」
「若旦那様がお帰りでございますか。これはマアさぞお疲れでございますだろう。まず御機嫌ようしゅう。」
「おとっさまにも御機嫌ようしゅう。私もつどつど書面を差し上げたき心得ではございまするが、なにぶん旅先のことゆえ思うようにはお便りもいたしがたく、おとっさまはどうなされたかと日々お案じ申しまするのみでこざいましたが、まずはお健やかなるお顔を拝しましてまことに大悦(たいえつ)に存じまする。」
「まことにお前もめでたく御帰宅なされ、新五兵衛至極満足いたしました。ハイ、じつにネイ、鳥の鳴かぬ日はあるがと云う譬えの通りで、お前のことは少しも忘れたことはない。雪の降る日は今日あたりはどんな山を越すか。風の吹く日はどんな野原を通るかと、雨につけ風につけお前のことばかり少しも忘れたことはござらんところへ思いがけなくお帰りになり、まことに喜ばしく思いまする。娘もお前のことぼかり案じ暮し、お前の立った当座はただ泣いてばかりおりましたから、私がそんなにくよくよして煩いでもしてはいかないから、気を取り直せよといい聞かせておきましたが、お前もマァ健やかでお早くお帰りだ。」
「私は今日江戸へ着き、すぐに谷中の幡随院へ参詣をいたして来ましたが、明日はちょうど主人の一周忌の年回にあたりまするゆえ、法事供養をいたしたく立ち帰りました。」
「そうか。いかにもあしたは飯島様の年回に当るからと思ったが、お前がお留守だから私でも代参に行こうかと話をしていたのサ、これ婆ア、ここへ来な。孝助様がお帰りになった。」
「アレ若旦那様、お帰りあそばしませ。御機嫌様よろしゅう。あなたがお立ちになってからという本のは、毎日お噂ぼかりいたしておりましたが、少しもお(やつ)れもなく、お色は少しお黒くおなりあそばしましたが、相変らずよくまアねえ。」
「婆ア、あれをつれて来なヨ、」
「デモ只今よく寝んねしていらっしゃいますから、お目んめが覚めてから、お笑い顔を御覧に入れる方がよろしゅうございましょう。」
「ウン、そうだ。初めて逢うのに、むりに目んめをさまさして泣き顔ではいかんから、ダガたいがいにしてここへ連れて抱いて来い。」
 娘お徳は次の間に乳呑み児を抱いておりましたが、孝助の帰るを聞き、飛び立つばかり、嬉し涙を拭いながら出て来て、
「旦那様ご機嫌様よろしゅう、よくマアおはやくお帰りあそばしました。毎日毎日、あなたのお噂ばかりいたしておりましたが、お窶れもありませんでお嬉しゅう存じまする。」
「ハイ、お前も達者でめでたい。私が留守中はおとっさまのことなにかと世話になりました。旅先のことゆえつどつど便りもできず、どうなされたかと毎日案じるのみであったが、まことに皆なの達者な顔を見るというはこのような嬉しいことはない。」
「私は昨晩且那様の御出立になるところを夢に見ましたが、よく人が旅立の夢を見るとその人にお目にかかることができると申しますから、お近いうち旦那様にお目にかかれるかと楽しんでおりましたが、今日お帰りとは思いませんでした。」
「おれもおなじような夢を見たヨ。婆アや抱いておいで、もうおきたろう。」
 婆アは奥より乳呑み児を抱いて参る。
「孝助殿、これを御覧、いい児だねえ。」
「どちらのお子様で。」
「ナニサお前の子だアね。」
「御冗談ぼかり云っていらっしゃいます。私は昨年の八月旅へ出ましたもので、子供なぞはございません。」
「たった一ぺんでも子供はできますヨ。お前は娘と一ツ寝をしたろう。だからたった一度でも子はできます。たった一度で于供ができるというのはよほど縁の深いわけで、娘も初めのうちはくよくよしているから、私が懐妊をしているから、それではいかん。身体に障るからくよくよせんがよろしいと云っているうちに産み落したから、私が名付け親で、お前の孝の字を貰って孝太郎とつけてやりましたよ。マアよくにておることを御覧ヨ。」
「ヘイまことに不思議なことで、主人平左衛門様が遺言に、其方養子となりて、もし子供ができたなら、男女(なんによ)にかかわらずその子をもって家督といたし、家の再興を頼むと御遺言書にありましたが、ことによると殿様の生れがわりかもしれません。し
「オ丶至極さようかもしれん。娘も子供ができてからねえ、嬉し紛れにおとっさま、私は旦那様のことはお案じ申しまするが、この子ができましてからはまことによく旦那様ににておりまするから、少しは紛れて、旦那様と一つところにおるように思われますと云うたから、私がまたあんまりひどく抱きしめて、坊の腕でも折るといけないなんぞと、ばかを云っているくらいなことで、善蔵や。」
「ヘイヘイ。」
「善蔵や。」
「参っています。何でございます。」
「何だ。お前も板橋まで若旦那を送って行ったっけな。`
「ヘイ参りました。これは若旦那様まことに御機嫌ようしゅう。あの折はじつにお別れが惜くて、泣きながら戻って参りましたが、よくマアお健やかでいらっしゃいます。」
「あの折は大きにお世話さまであったのう。」
「それはともかくも肝腎の(あだ)の手懸りが知れましたか。」
「まだ仇には廻り会いませんが、主人の法事をしたく、一まず江戸表へ立ち帰りましたが、法事をいたしましてすぐにまた出立いたします。」
「フウなるほど、明日法事に行くのだねえ。」
「さようでございます。おとっさまと私と参りまするつもりでございます。それに良石和尚の知識なることはかねて聞き及んではいましたが、応験解道究(おうけんげどうきわ)まりなく、百年先のことを見ぬくというほどだとうけたまわっておりまするが、今日和尚の云う言葉に其の方は水道端へ参るだろう。参る時は必ず待っている者があり、かつ喜びごとがあると申しましたが、私の考えには、かく子供のできたことまで良石和尚は知っておるに違いありません。」
 「ハテねえ、そんなところまで見ぬきましたかえ、知識なぞという者は趺跏量見智(ふかりようけんち)で、あの和尚は谷中の何とかいう知識の弟子となり、禅学を打ち破ったということをうけたまわりおるが、えらいものだねえ、善蔵や、大急ぎで水道町の花屋へ行って、おめでたいのだから、何かお頭付きの魚を三(しな)ばかりに、それからよいお菓子を少し取ってくるように、道中にはあまりうまいお菓子はないから、それから(すし)も道中では良いのは食べられないから、鮓も少し取ってくるように、それから孝助殿は酒はあがらんから五合ば
かりにして、味淋(みりん)をごくよいのを飲むのだから二合ばかり、それか蕎麦も道中にはあるが、醤汁(したじ)が悪いから良い蕎麦の御膳の蒸籠(せいろう)を取って参れ。それからお汁粉も誂えて参れ。」
 といろいろな物を取り寄せ、その晩はめでたく祝しまして床に就きましたが、その夜は話も尽きやらず、長き夜もたちまち明けることになり、翌日刻限を計り、孝助は新五兵衛と同道にて水道橋を立ち出て、切支丹(ぎりしたん)坂から小石川にかかり、白山から団子坂を下りて谷中の新幡随院へ参り、玄関へかかると、お寺にはとうより孝助の来るのを待っていて、
 「施主が遅くってまことに困るなア。坊主は皆な本堂に詰めかけているから、サアサア早く」
 とせき立てられ、急ぎ本堂へ直りますると、かれこれ坊主の四五十人も押し並び、いと懇ろなる法事供養をいたし、施餓鬼(せがき)をいたしまするうちにもはや日は西山に傾くことになりましたゆえ、坊さんたちには馴走なぞして帰してしまい、後でまた孝助、新五兵衛、良石和尚の三人へは別に膳がなおり、和尚の居間で一口飲むことになりました。
「方丈様には初めてお目にかかります。私は相川新五兵衛と申す粗忽な者でございます。今日また御懇ろな法事供養をおなし下され、仏もさぞかし草葉の影から満足なことでございましょう。」
「ハイお前は孝助殿の舅かえ。初めまして、孝助殿は器量といい、人柄といい立派な正しい人じゃ。なかなか正直
な人間でよほど利口じゃが、お前はそそっかしそうな人じゃ。」
「方丈様はよく御存じ、気味の悪いようなお方だ。」
「ついては、孝助殿は旅へ行かれることをうけたまわったが、まだ急には立ちはせまいノウ。私が少し思うことがあるから、明日昼飯を喰って、それから八ツ前後に神田の旅籠町(はたこちよう)へ行きなさい。そこに白翁堂勇斎という人相を見る親爺がいるが、今年もう七十だが達者な老人でなア、人相はよほど名人だヨ。これに頼めばお前の望みのことは分ろうから行ってみなさい。」
「ハイ、ありがとう存じます。神田の旅籠町でございますか、かしこまりました。」
「お前旅へ行くなれば私が餞別を進ぜよう。お前がせっかくくれた布施(ふせ)はこちらへ貰っておくが、また私が五両餞別に進ぜよう。それからこの線香はほかから貰ってあるから一箱進ぜよう。仏壇へ線香や花の絶えんように上げておきなさい。これだけは私が志じゃ。」
「方丈様恐れいりまする。どうも御出家様からお線香なぞいただいてはまことにあべこべなことで。」
「そんなことを云わずに取っておきなさい。」
「まことにありがとう存じます。」
「孝助殿、気の毒だが、お前はどうも危ない身の上でナア、剣の上をわたるようなれども、それを恐れて後へさがるようなことではまさかの時の役には立たん。何でも進むよりほかはない。進むに利あり、退(しりぞ)くに利あらずというところだから、何でも臆してはならん。ずっと精神をこらして、たとえ向うに鉄門があろうとも、それを突っきって通り越す心がなければなりませんぞ。」
「ありがとうござりまする。」
「お舅御さん、これはねえ精進物だが、いったいうちでこしらえると云うたは嘘だが、仕出し屋へ頼んだのじゃ。うまうもあるまいがこの重箱へ詰めておいたから、二重とも土産に持って帰り、うちの奉公人にでも喰わしてやってください。」
「これはまたお土産までいただき、じつに何ともお礼の申そうようはございません。」
「孝助殿、お前帰りがけにきっと剣難が見えるが、どうも遁れがたいからそのつもりで行きなさい。」
「誰に剣難がございますと。」
「孝助殿はどうも逃れがたい剣難じゃ。何軽くて薄傷(うすで)、それですめばよろしいが、どうも深傷じゃろう。間がわるいというわけじゃ。どうもこれは逃れられん因縁じゃ。」
「私はもはや五十五歳になりまするから、どうなってもよろしいが、あなた孝助は大事な身の上、ことに大事を抱えておりまするゆえ、どうか一つあなたお助け下さいませんか。」
「お助け申すといっても、これはどうも助けるわけにはいかんなア、因縁じゃからどうしても逃るることはない。」
「さようならば、どうか孝助だけを御当寺へお留めおきくだされ。てまいだけ帰りましょうか。」
「そんな弱いことではどうもこうもならんわえ。武士のいっち大事な物は剣術であろう。その剣術の極意というものには、頭の上へきらめくはぶねがあっても、稲妻(いなづま)のごとく切り込んで来た時はどうしてこれを受けるということは知っているだろう。仏説にも利剣頭面(りけんずめん)に触るる時如何(いかん)ということがあって、その時が大切のことじゃ。そのくらいな心得はあるだろう。たとえ火の中でも水の中でも突っ切って行きなさい。そのかわりこれを突っ切れば後はまことに楽になるから、サッサッと行きなさい。そのようなことで気おくれがするようなことではいかん。ズッズッと突っ切って行くようでなければいかん。それを恐れるようなことではなりませんぞ。火に入って焼けず水に入って溺れず、精神をきわめて進んで行きなさい。」
「さようなればこのお重箱はおいて参りましょう。」
「イヤせっかくだからマア持って行きなさい。」
「どちらへか逃げ路はございませんか。」
「そんなことをいわずズンズンと行きなさい。」
「さようならば提灯(ちようちん)を拝借して参りとうございます。」
「提灯を持たん方がかえってよろしい。」
 と云われて相川は、意地のわるい和尚だとつぶやきながら、挨拶もそわそわ孝助と共に幡随院の門を立ち出でました。
怪談牡丹燈籠第十編終