怪談牡丹燈籠 第十六回

第十六回

 抱白骨新三亡此身(いだいてはつとつをしんざほろぼすこのみを)

 白翁堂勇斎は萩原新三郎の寝床(ねどこ)をまくり、じつにぞっと足の方から総毛立つほど怖く思ったのも道理、萩原新三郎は虚空を掴み、歯を喰いしばり、面色土気色に変わり、よほどな苦しみをして死んだもののごとく、その脇に髑髏(どくろ)があって、手とも覚しき骨が萩原の首ったまにかじりついており、あとは足の骨なぞがばらばらになって、床のうちに取り散らしてあるから、勇斎は見てびっくりし、
「伴蔵これはなんだ。おれは今年六十九になるが、こんな怖ろしいものは初めて見た。支那の小説なぞには、よく狐を女房にしたの、幽霊に出逢ったなぞということも随分あるが、かようなことにならないように、新幡随院の良石和尚に頼んで、ありがたい魔除けのお守を借り受けて萩原の首へかけさせておいたのに、どうも因縁はのがれられないものでしかたがないが、伴蔵、首にかけている守りを取ってくれ。」
「怖いからわっちゃアいやだ。」
「お峯、ここへ来な。」
「わたしもいやですヨ。」
「なにしろ雨戸をあけろ。」
 と戸をあけさせ、白翁堂が自ら立って萩原の首にかけたる白木綿の胴巻を取りはずし、グッとしごいてこき出せば、黒塗光沢(つや)消しの御厨子にて、中を開けばこはいかに、金無垢の海音如来と思いの外、いつしかだれか盗んですりかえたるものと見え、中は瓦に赤銅箔を置いた土の不動と()してあったから、白翁堂はアッと呆れて茫然といたし、
「伴蔵これは誰が盗んだろう。」
「なんだかわっちにゃアさっぱりわけが分りゃせん。」
「これは世にも尊とき海音如来の立像にて、魔界も恐れて立ち去るというほどな尊い品なれど、新幡随院の良石和尚が厚い情の心より、萩原新三郎をふびんに思い、貸して下され、新三郎は肌身放さず首にかけていたものを、どうしてかようにすりかえられたか、まことに不思議なことだなア。」
「なるほどなア。わっちどもにゃアなんだかわけが分らねえが、観音様ですか。」
「伴蔵手前を疑ぐるわけじゃアねえが、萩原の地面うちにいる者はおれと手前ばかりだ。よもや手前は盗みはしめえが、人の物を奪うときは必ずその相に顕われるものだ。伴蔵ちょっと手前の人相を見てやるから顔を出せ。」
 と懐中より天眼鏡を取り出され、伴蔵は大きに驚き、見られてはたいへんと思い、
「旦那え、冗談いっちゃアいけねえ.、わっちのようなこんな(つら)は、どうせ出世のできねえ面だから見ねえでもいい。」
 とことわる様子を白翁堂は早くも推し、ハハアこいつ伴蔵がおかしいなと思いましたが、なまなかのことを云い出して取り逃がしてはいかぬと思い直し、
「お峯や、事柄のすむまでは二人でよく気をつけていて、なるだけ人に云わないようにしてくれ。おれはこれから幡随院へ行って話をして来る。」
 と(あかざ)の杖を曳きながら、幡随院へやって来ると、良石和尚は浅黄木綿の衣を着し、寂寞(じゃくまく)として座蒲団の上に坐っているところへ勇斎入り来たり、
「これは良石和尚、いつも御機嫌よろしく、とかく今年は残暑の強いことでございます。」
「ヤア出て来たねえ、こっちへ来なさい。まことに萩原もとんだことになって、とうとう死んだのう。」
「エ丶あなたはよくご存じで。」
「側に悪いやつがついていで、また萩原も逃れられない悪因縁で仕方がない。定まるこっちゃ。いいわ心配せんでもよいわ。」
「道徳高き名僧知識は百年先きのことを見破るとのことだが、あなたの御見識まことに恐れいりました。つきまして私がすまないことができました。」
「海音如来などを盗まれたというのだろうが、ありゃア土の中に隠してあるが、あれけ来年の八月にはきっと出るから心配するな。よいわ。」
「私は陰陽(おんよう)をもって世を渡り、未来の禍福を占って人の志を定むることは、私承知しておりますれども、こればかりは気がつきませなんだ。」
「どうでもよいわ、萩原の死骸は外に菩提所もあるだろうが、飯島の娘おつゆとは深い因縁があることゆえ、あれの墓に並べて埋め、石塔を建ててやれ。お前も萩原に世話になったこともあろうから施主に立ってやれ。」
 と云われ、白翁堂は委細承知と()けをして寺をたち出で、道々もどうして和尚があのことを早くも覚ったろうと不思議に思いながら、帰って来て、
「伴蔵、きさまも萩原様には恩になっているから、野辺の送りのお供をしろ。」
 と後の始末を取り片づけ、萩原の死骸は谷中の新幡随院へ葬ってしまいました。伴蔵はいかにもして自分の悪事を隠そうため、今の住居を立ち退かんとは思いましたれども、慌てたことをしたら人の疑いがかかろう。ああもしようか、こうもしようかとやっとのことで一策を案じ出だし、自分から近所の人に、萩原様のところへ幽霊の米るのをおれがたしかに見たが、幽霊が二人でボソボソをして通り、一人は島田髷の新造で、一人は年増(としま)で牡丹の花のついた燈籠を提げていた。あれを見る者は三日を待たず死ぬから、おれは怖くてあすこにいられないなぞと云いふらすと、聞く人人は尾に尾をつけて、萩原様のところへは幽霊が百人来るとか、根津の清水では女の泣き声がするなど、さまざまの評判が立ってちりぢり人が(ほか)へ引っ越してしまうから、白
翁堂も薄気味悪くや思いけん。ここを引き払って神田旅籠町辺(はたごちよう)へ引っ越しました。伴蔵お峯はこれを潮に、なにぶん怖くていられぬとて栗橋在は伴蔵の生れ故郷のことなれば仲仙迫栗橋へ引っ越しました。
怪談牡丹燈籠第七編終