怪談牡丹燈籠 第十回

第十回
燈下妬婦疑三(とうかのとふうたがう)()
帳裏愚夫求二(ちようりのぐふもとむ)()

 さてかの伴蔵は今年三十八歳、女房おみねは三十五歳、互いに貧乏世帯(ぜたい)を張るも萩原新三郎のおかげにて、ある時は畑を(うな)い、庭や表の掃き掃除などをし、女房おみねは萩原の家へ参り、煮たきすすぎ洗濯やお(かず)ごしらえお給仕などをしておりますゆえ、萩原も伴蔵夫婦には孫店を貸してはおけど、店賃(たなちん)なしで住まわせて、折々は小遣や浴衣などの古い物をやり、家来同様使っておりました。伴蔵は怠け者にて内職もせず、おみねは一人で内職をいたし、毎晩八ツ九ツまで夜なべをいたしておりましたが、ある晩のこと、絞りだらけの蚊帳を吊り、この絞りの蚊帳というは蚊帳に穴があいているものですから、所々観世捻(かんじんよ)りでしばってあるので、その蚊帳を吊り、伴蔵は寝茣蓙(ねござ)を敷き、独りで寝ていて、足をばたばたやっており、蚊帳の外では女房がしきりに夜なべをしていますと、八ツの鐘がボンと聞こえ、世間はしんといたし、おりおり清水の水音が高く聞え、何となく物凄く、秋の夜風の草葉にあたり、陰々寂寞と世間がいったいにしんといたしましたから、この時は小声で話をいたしてもよく聞こえるもので、蚊帳のうちで伴蔵が、しきりに誰かとこそこそ話をしているに女房け気がつき、行燈(あんどう)の下影から、そっと蚊帳の内を差しのぞくと、伴蔵が起き上り、ちゃんと坐り、両手を膝についていて、蚊帳の外には誰か来て話をしている様子は、何だかけっきり分りませんが、どうも女の声のようだからおかしいことだと、やきもちの虫がグッと胸へ込み上げたが、年若とは違い、もう三十五にもなることゆえ、表向きに悋気(りんき)もしかねるゆえ、あんまりな人だと思っているうちに、女は帰った様子ゆえ何とも云わず黙っていたが、翌晩もまた来てこそこそ話をいたし、こういうことがちょうど三晩の聞続きましたので、女房ももう我慢ができません。チト鼻がとんがらかって来て、鼻息があらくなりました。
「おみね、もう寝ネーナ。」
「アーばかばかしいやネ。八ツ九ツまで夜なべをしてサ。」
「ぐずぐずいわないで早く寝ネーナ。」
「エイ、人が寝ないで稼いでいるのに、ばかばかしいからサ。」
「蚊帳の中ヘへいんネーナ。」
 おみねは腹立まぎれにズッと蚊帳をまくって中へ入れば、
「そんなへいりようがあるものか、なんてえへいりようだ。つっ立ってへいっちゃア、蚊がへいってしようがネー。」
「伴蔵さん、毎晩お前のところへ来る女はあれはなんだえ。」
「何でもいいヨ。」
「何だかおいいなネー。」
「何でもいいヨ。」
「お前はよかろうが、わたしゃつまらないヨ。ほんとうにお前のために寝ないで齷齪(あくせく)と、稼いでいる女房の前も構わず、女なんぞを引きずり込まれては、わたしのような者でもあんまりだ。あれはこういうわけだと明かして云っておくれてもいいじゃアないか。」
「そんなわけじゃネーヨ。おれも云おう云おうと思っているんだが、云うとお(めえ)が怖がるから云わねえんだ。」
「なんだえ怖がると、大方さきのあまっちょが(なん)かお前に(こわ)もてでいやアがったんだろう。お前が嚊アがあるから女房に持つことができないと云ったら、そんならうっちゃっておかないとか何とかいうのだろう。理不尽にあまっちょが女房のいるところへどかどか這入(ヘー)って来て話しなんぞをしやアがって、もし刃物三昧でもする了簡なら、私はただはおかないヨ。」
「そんな者じゃアないヨ。話をしてもてめえ怖がるな。毎晩来る女は萩原様にごく惚れて通って来るお嬢様とお付きの女中だ。」
「萩原様は萩原様の働きがあってなさることだが、お前はこんな貧乏世帯(ぜたい)を張っていながら、そんな浮気をしてすむかえ。それじゃアお前がそのお付きの女中とくっついたん
だろう。」
「そんなわけじゃないヨ。実は一昨日(おととい)の晩おれがうとうと
していると、清水の方から牡丹の花の燈籠を提げた年増が先へ立ち、お嬢様の手を引いてずっとおれの(うち)這入(へえ)って来たところが、なかなか人柄のいいお人だから、おれのような者の(うち)へこんな人が来るはずはないがと思っていると、その女がおれの(めえ)へ手をついて、伴蔵さんとはお前さまでございますかというから、わっちが伴蔵でごぜえやすと云ったら、あなたは萩原様の御家来かと聞くから、まアまア家来同様なわけでごぜえやすというと、萩原様は、あんまりなお方でございます。お嬢様が萩原様に恋い焦れて、今夜いらっしゃいとたしかにお約束をあそばしたのに、今はお嬢様をお嫌いなすって、入れないようになさいますとはあんまりなお方でございます。裏の小さい窓にお札が貼ってあるので、どうしても入ることができませんから、お情けにそのお札を剥がしてくださいましというから、明日(あした)きっと剥がしておきましょう。明晩きっとお願い申しますといってずッと(けえ)った。それから昨日(きのう)はいちにち畠(うな)いをしていたが、ツイ忘れていると、その翌晩また来て.なぜ剥がして下さいませんというから、違えネー、ツイ忘れやした。きっと明日の晩剥がしておきやしょうと云って、それから今朝畠へ出たついでに萩原様の裏手へ廻って見ると、裏の小窓に小さいお経の書いてある札が貼ってあるか、何してもこんな小さなとこから入ることは人間にはできるものではネーが、かねて聞いていたお嬢様が死んで.萩原様のところへ幽霊になって逢いに来るのがこれに相違ネー。それじゃア二タ晩来たのは幽霊だッたかと思うと、そっと身の毛がよだつほど怖くなった。」
「アー、いやだヨ。おふざけでないヨ。」
「今夜はよもや来やアしめえと思っているところへまた来たア。今夜はおれが幽霊だと知っているから怖くって口もきけず、膏汗(あぶらあせ)を流してかたまっていて、おさえつけられるように苦しかった。そうするとまだ剥がしておくんなさいませんネー、どうしても剥がしておくんなさいませんと、あなたまでお怨み申しますと、おっかネー顔をしたから、明日はきっと剥しますと云って()えしたんだ。それだのに、てめえにとやこう嫉妬(やきもち)をやかれちゃアつまらネーヨ。おれは幽霊に怨みをうける覚えはネーが、札を剥がせば萩原様が喰い殺されるか、取り殺されるに(ちげ)えネーから、おれはここを越してしまおうと思うヨ。」
「嘘をおつきヨ。なんぼなんでも人をばかにする。そんなことがあるものかネ。」
「疑ぐるなら明日の晩てめえが出て挨拶をしろ。おれはまっぴらだ。戸棚に這入(へい)って隠れていらア。」
「そんならほんとうかえ。」
「ほんとうも嘘もあるものが、だからてめえが出なヨ。」
「だって帰る時には駒下駄の音がしたじゃアないか。」
「そうだが、たいそう綺麗な女で、綺麗ほどなお怖いもんだ。明日の晩おれと一緒に出な。」
「ほんとうならたいへんだ。わたしゃいやだヨー。」
「そのお嬢様が振袖を着て髮を島田に結い上げ、ごく人柄のいい女中が丁寧に、おれのような者に両手をついて、痩せっこけたなんだか(さむ)しい顔で、伴蔵さんあなた。」
「アヽ怖い。」
「アーびっくりした。おれはてめえの声で驚いた。」
「伴蔵さん、チョイといやだヨー。それじゃアこうしておやりな。わたしたちが萩原様のお蔭でどうやらこうやら口をすごしているのだから、明日の晩幽霊が来たらば、お前が一生懸命になってこうお云いな。まことにごもっともではございますが、あなたは萩原様にお恨みがございましょうとも、私共夫婦は萩原様のお蔭でこうやっているので、萩原様にもしものことがありましてはわたし共夫婦の暮し方が立ちませんから、どうか暮し方のつくようにお金を百両持って来て下さいまし。そうすればきっと剥がしましょうとおいいヨ。怖いだろうが、お前は酒を呑めば気丈夫になるというから、わたしが夜なべをしてお酒を五合ばかり買っておくから、酔った(まぎ)れでそう云ったらどうだろう。」
「ばか云え、幽霊に金があるものか。」
「だからいいやネ。金をよこさなければお札を剥がさないやネ。それで金もよこさないでお札を剥がさなけりゃア取り殺すというような、わけの分らない幽霊はないヨ。それにお前には恨みのあるわけでもなしサ。こういえば義理があるから心配はない。もしお金を持って来れば剥がしてやってもいいじゃアないか。」
「なるほど、あのくらいわけのわかる幽霊だから、そう云ったら、得心(とくしん)して(けえ)るかも知れねい。ことによると百両持って来るものだヨ。」
「持って来たらお札を剥がしておやリナ。お前考えて御覧、百両あればお前とわたしは一生困りゃアしないヨ。」
「なるほど、こいつはうめえ。きっと持って来るヨ。こいつは一ばんやっつけよう。」
 と慾というものはおそろしいもので、明る日は日の暮れるのを待っておりました。そうこうするうちに日も暮れましたれば、女房はわたしゃ見ないヨといいながら戸棚へ入るという騒ぎで、かれこれしているうち夜もだんだんと更けわたり、もう八ツになると思うから伴蔵は茶碗酒でぐいぐいひっかけ、酔った紛れで掛け合うつもりでいると、そのうち八ツの鐘がボーンと不忍(しのばず)の池に響いて聞えるに、女房は暑いのに戸棚へ入り、襤褸(ぼろ)(かむ)って小さくなっている。伴蔵は蚊帳の中にしゃに構えて待っているうち、清水の(もと)からカランコロンカランコロンと駒下駄の音高く、常にかわらず牡丹の花の燈籠を提げて、朦朧として生垣の外まで来たなと思うと、伴蔵はぞっと肩から水をかけられるほど怖気(こわけ)立ち、三合のんだ酒もむだになってしまい、ぶるぶる慄えながらいると、蚊帳の側へ来て
「伴蔵さん伴蔵さん。」
 と云うから、
「ヘイヘイお出でなさいまし。」
「毎晩参りまして、御迷惑のこと々お願い申してまことに恐れいりますが、まだ今夜もお札が剥がれておりませんので入ることができず、お嬢様がおむずかりあそばし、わたくしがまことに困りますから、どうぞ二人のものをふびんとおぼしめしてあのお札を剥して下さいまし。」
 伴蔵はガタガタ慄えながら、
「こもッともさまでございますけれども、私共夫婦の者は、萩原様のお蔭さまでようやくその日を送っている者でございますから、萩原様のお体に、もしものことがございましては私共夫婦のものが後で暮し方に困りますから、どうぞ後で暮しに困らないように百両の金を持って来て下さいましたらばすぐに剥がしましょう。」
 と云うたびに冷たい汗を流し、やっとの思いで云いきりますと、両人は顔を見合わせて、しばらく首をたれて考えていましたが、
「お嬢様、それごろうじませ。このお方にお恨みはないのに、御迷惑をかけてもすまないではありませんか。萩原様にお心変りがあそばしたのだから、貴女がお慕いなさるのはおむだでございます。どうぞふっつりお諦めあそばして下さい。」
「米や、わたしゃどうしても諦めることはできないから、百()金子(きんす)を伴蔵さんにあげて、お札を剥がしていただき、どうぞ萩原様のお側へやっておくれヨウヨウ。」
 と云いながら、振袖を顔におしあてさめざめと泣く様子が実に物凄い有様です。
「あなた、そうおっしゃいますが、どうしてわたくしが百目の金子を持っておろう道理はございませんが、それほどまでに御意(ぎよい)あそばしますから、どうか才覚をして、明晩持って参りましょうが、伴蔵さん、いまだお札のほかに萩原さまの懐に入れていらっしゃるお守は、海音如来様というありがたいお守ですから、それがあってはやっぱりお側へ参ることができませんから、どうかそのお守も昼のうちにあなたの御工夫でお盗みあそばして、外へお取捨てを願いたいものでございますが、できましょうか。」
「ヘイヘイお守りも盗みましょうが、百両はどうぞきっと持って来ておくんなせえ。」
「嬢様、それでは明晩までお待ちあそばせ。」
「よねや、また今夜も萩原様にお目にかかられないで帰るのかえ。」
 となきながらおよねに手をひかれてスーと出て行きました。

怪談牡丹燈籠第四編終