怪談牡丹燈籠 第四回

怪談牡丹燈籠第弐編
第四回
促垂綸伴蔵慰憂
得香合新三長恋慕


 さて萩原新三郎は山本志丈と一緒に臥竜梅(がりようばい)へ梅見に連れられ、その帰るさにかの飯島の別荘に立ち寄り、ふとかの嬢様の姿を思い詰め、互いにただ手を手拭の上から握り合ったばかりで、実に枕を並べて寝たよりもなお深く思い合いました。昔のものは皆こういうことに固うございました。ところが当節のお方はちょっと洒落半分に、
「君ちょいと来たまえ。雑魚寝(ざこね)で。」
 と、男が云えば、女の方で
「おふざけでないヨ。」
 また男の方でも、
「そう君のように云っては困るネー。いやならいやだとはっきり云いたまえ。いやならまたほかを聞いてみよう。」
 と明き(だな)か何かを捜す気になっているくらいなものでございますが、萩原新三郎はかのお露殿と更にいやらしいことはいたしませんでしたが、実に枕をも並べて一つ寝でもいたしたごとく思い詰めましたが、新三郎はひとがよいものですから一人で逢いに行くことができません。逢いに参ってもしひょっと飯島の家来にでも見つけられてはと思えば行くこともならず、志丈が来ればぜひお礼かたがたゆきたいものだと思っておりましたが、志丈は一向に参りません。志丈もなかなかさるものゆえ、あの時萩原とお嬢との様子がおかしいから、もし万一のことが有って、事のあらわれた日にはたいへん、坊主ッ首を斬られなければならん。これはけんのん、君子は危うきに近よらずと云うから行かぬ方がよいと、二月三月四月と過ぎてもいっこうに志丈が尋ねて来ませんから、新三郎は独りクヨクヨ物思いしてお嬢のことばかり思い詰めて、食事もろくろく進みませんでおりますと、ある日のこと、孫店(まごだな)に夫婦暮しで住む伴蔵(ともぞう)と申す者が尋ねて参り、
「旦那様、この頃はあなた様はどうなさいました。ろくろく御膳も上りませんで、今日はお昼食(ひる)も上りませんナ。」
「アーたべないヨ。」
「上らなくっちゃアいけませんヨ。今の若さに一膳半ぐらいの御膳があがれんとは、私などはお茶碗で出盛りにして五、六杯も喰わなくっちゃアちっとも物を食べたような気持がいたしやせん。あなた様はちっとも外出(そとで)をなさいませんナ。この二月でしたっけナ。山本さんと御一緒に梅見にお出かけになって、何か洒落をおっしゃいましたっけナ。ちっと御保養をなさいませんとほんとうに毒ですヨ。」
「伴蔵きさまはあの釣が好きだっけナ。」
「ヘイ釣は好きのなんのって、ほんとうにおまんまより好きでございます。」
「さようか。そうならば一緒に釣に出かけようかノウ。」
「あなたはたしか釣はお嫌いではありませんか、」
「何だか急にムカムカと釣が好きになったヨ。」
「ヘイ、ムカムカとお好きになって、そしてどちらへ釣にいらっしゃるおつもりで。」
「そうサ。柳島の横川でたいそう釣れるというからあすこへ行こうか。」
「横川と云うのはあの中川へ出るところですかえ。そうしてあんなところで何が釣れますえ。」
「大きな(かつお)が釣れるとヨ。」
「ばかなことをおっしゃい。川で鰹が釣れますものかネ。たかだか(いな)(たなご)ぐらいのものでございましょう。ともかくもいらっしゃるならばお供をいたしましょう。」
 と弁当の用意をいたし、酒を吸筒(すいつつ)へ詰め込みまして、神田の昌平橋の船宿から漁師を雇い乗り出しましたれど、新三郎は釣はしたくはないが、ただ飯島の別荘のお嬢の様子を垣の外からなりとも見ましょうとの心組みでございますから、新三郎は持って来た吸筒の酒にグッスリと酔って、船の中で寝込んでしまいましたが、伴蔵は一人で日の暮れるまで釣をいたしていましたが、新三郎が寝たようだから、
「旦那え旦那え、お風邪をひきますヨ。五月頃はとかく冷えますから、旦那え旦那え、これはあまりお酒をすすめ過ぎたかナ。」
 新三郎はふと見ると横川のようだから、
「伴蔵ここはどこだ。」
「ヘイここは横川です。」
 と云われて(かた)への岸辺を見ますと、二重の建仁寺(けんにんじ)の垣に(くぐ)り門がありましたが、これはたしかに飯島の別荘と思い、
「伴蔵やちょっとここへ着けてくれ。ちょっと行って来るところがあるから。」
「こんなところへ着けてどちらへいらっしゃるのですエ。私も御一緒に参りましょう。」
「お前はそこに待っていなヨ。」
「だってそのための伴蔵ではございませんか。お供をいたしましょう。」
「野暮だノウ。色にはなまじ連れは邪魔ヨ。」
「イヨお洒落でげすネ。ようがすネー。」
 というとたんに岸に船を着けましたから、新三郎は飯島の門のとこへ参りブルブル慄えながらそっとうちの様子を覗き、門が少しあいてるようだから押して見るとあいたから、ズッと中へ入り、かねて勝手を知っていることゆえ、だんだんと庭伝いに参り、泉水(べり)に赤松の生えてあるところから生垣について廻れば、ここは四畳半にて嬢さまのお部屋でございました。お露も同じ思いで、新三郎に別れてからそのことばかり思い詰め、三月からわずらっておりますところへ、新三郎は折戸のところへ参りそっとうちの様子を覗き込みますと、うちでは嬢様は新三郎のことばかり思い続けて、誰を見ましても新三郎のように見えるところへ、ほんとうの新三郎が来たことゆえ、ハッと思い、
「あなたは新三郎さまか。」
 と云えば、
「静かに静かに、その後はたいそうに御無沙汰をいたしました。ちょっとお礼に上るんでございましたが、山本志丈があれぎり参りませんものですから、私一人では何分間が悪くって上りませんだった。」
「よくまアいらっしゃいました。」
 トもう恥かしいのも何も忘れてしまい、無理に新三郎の手を取ってお上りあそぼせと蚊帳の中へ引きずり込みました。お露はただもう嬉しいのが込み上げて物が言われず、新三郎の膝に両手を突いたなりで、嬉し涙を新三郎の膝にホロリとこぼしました。これがほんとうの嬉し涙です。他人のところへ悔みに行ってこぼす空涙とは違います。新三郎ももうこれまでだ、知れても構わんと心得、蚊帳のうちで互いに嬉しき枕をかわしました。
「新三郎さま。これはわたくしの(かか)さまから譲られました大事な香箱でございます。どうかわたくしの形見と思召(おぼしめ)しお預り下さい。」
 と誰し出すを手に取って見ますと、秋野に虫の象眼入りの結構な品で、お露はこの蓋を新三郎に渡し、自分はその身の方を取って互いに語り合うところへ、隔ての襖をサラリと引きあけて出て来ましたは、おつゆの親御飯島平左衛門様でございます。両人はこの(てい)を見てハッとばかりにびっくりいたしましたが、逃げることもならず、ただうろうろしでいるところへ、平左衛門は雪洞(ぼんぼり)をズッと差しつけ、声を怒らし、
「コレ露これへ出ろ。また貴様は何者だ。」
「ヘイ、てまえは萩原新三郎と申す粗忽(そこつ)の浪士でございます。まことにあいすみませんことをいたしました。」
「露、手前はヤレ国がどうのこうの云うノ、親父がやかましいノ、どうか閑静なところへ行きたいノと、さまざまのことを云うから、この別荘に置けば、かようなる男を引きずり込み、親の眼をかすめて不義を働ぎたいために閑地へ引っ込んだのであろう。コレかりそめにも天下御直参の娘が、男を引き入れるということがパッと世間に流布いたせば、飯島は家事不取締だと云われ家名をけがし、第一御先祖へ対してあいすみません。不孝不義の不届者めが、手打ちにするからさよう心得ろ。」
「しばらくお待ち下さい。そのお腹立は重々ごもっともでございますが、お嬢様が私を引きずり込み不義をあそばしたのではなく、手前がこの二月初めてまかりいでまして、お嬢様をそそのかしたので、まったく手前の罪でお嬢様には少しもお(とが)はございません。どうぞ嬢様はお助けなすって私を。」
「イイエ、おとっさまわたくしが悪いのでございます。どうぞわたくしをお斬りあそばして、新三郎様をばお助け下さいまし。」
 と互いに死を争いながら平左衛門の側にすりよりますと、平左衛門は剛刀をスラリと引き抜き、
「誰彼と容赦はない。不義は同罪、娘から先へ斬る。観念しろ。」
 と云いさま片手なぐりにヤッとくだした腕のさえ、島田の首がコロリと前へ落ちました時、萩原新三郎はアッとばかりに驚いて前へのめるところを、頬よりあごへかけてヅンと切られ、ウーンと云って倒れると、
「旦那え旦那え、たいそううなされていますね。恐ろしい声をしてびっくりしました。風邪をひくといけませんヨ。」
 と云われて新三郎はやっと目を覚し、バーと溜息をついているから、
「どうなさいましたか。」
「伴蔵や、おれの首が落ちてはいないか。」
 と問われて、
「そうですネー。船舷(ふなべり)煙管(きせる)を叩くとよく雁首が川の中へ落っこちて困るもんですネー。」
「そうじゃアない。おれの首が落ちはしないかということヨ。どとにも(きず)がついてはいないか。」
「なにを御冗談をおっしやる。疵も何もありはいたしません。」
 と云う。新三郎はお露にどうにもして逢いたいと思い続けているものだから、そのことを夢に見てビッショリ汗をかき、辻占が悪いから早く帰ろうと思い、
「伴蔵早く帰ろう。」
 と船をいそがして帰りまして、船が着いたから上ろうとすると、
「旦那、ここにこんな物が落ちております。」
 と差し出すを新三郎が手に取り上げて見ますれば、飯島の娘と夢のうちにて取りかわした、秋野に虫の模様の付いた香箱の蓋ばかりだから、ハッとばかりに奇態の想いをいたし、どうしてこの蓋が我が手にあることかとびっくりいたしました。