怪談牡丹燈籠 第二回
第二回
閨門婬婦擅家政
別業佳人恋才子
さて飯島平太郎様は、お年二十二の時に悪者を斬り殺してちっとも動ぜぬ剛気の胆力でございましたれば、お年をとるにしたがい、ますます知恵が進みましたが、その後御親父様には亡くなられ、平太郎様には御家督を御相続あそばし、御親父様の御名跡をお継ぎあそばし、平左衛門と改名され、水道端の三宅様と申し上げまするお旗本から奥様をお迎えになりまして、ほどなく御出生のお女子をお露様と申し上げ、すこぶる御器量よしなれば、御両親は
しかるにお嬢さまはこの国を憎く思い、互いに
さてその年も暮れ、明れば嬢様は十七歳におなりあそばしました。ここにかねて飯島様へお出入りのお医者に山本志丈と申す者がございます。この人いったいは
さてこの医者の
「今日は天気もよろしければ亀井戸の
と誘い出しまして、二人打ち連れ臥竜梅へまいり、帰路に飯島の別荘へ立ち寄り、
「御免下さい。まことにおしばらく。」
と言う声聞きつけ、
「どなたさま、オヤ、よくいらっしゃいました。」
「これはお米さん、こののちはついにない存外の御無沙汰をいたしました。嬢様にはお変わりもなく、それはそれは頂上々々、牛込からここへお引き移りになりましてからは、なにぶんにも遠方ゆえ、存じながら御無沙汰になりましてまことにあいすみません。」
「マーあなたが久しくお見えなさいませんからどうなすったかと思って、毎度お噂を申しておりました。今日はどちらへ。」
「今目は臥竜梅へ梅見に出かけましたが、梅見れば
「それはよくいらっしゃいました。マアどうぞこちらへお入りあそばせ。」
と庭の切戸を開きくるれば、
「しからば御免。」
と庭口へ通ると、お米は如才なく、
「マア一服召しあがりませ。今日はよくいらっしゃって下さいました。ふだんはわたくしと嬢様ばかりですから、
「結構なお住居でげすナ。さて萩原氏、今日君の御名吟は恐れいりましたナ。何とか申しましたナ。エーと『煙草には
と
「どうもまことにしばらく。」
「今日は嬢様に拝顔を得たく参りました。ここにいるは僕がごくの親友です。今日はお土産も何にも持参いたしません。エヘヘありがとうございます。これは恐れ入ります。お菓子を、
とお米が茶へ湯をさしに行ったあとを見おくり、
「ここのうちは女二人ぎりで、菓子などは方々から貰っても、喰いきれずに積みあげておくものだから、みんなかびを生やかして捨てるくらいのものですから食ってやるのがかえって親切ですから召しあがれヨ。実にこの
とお
「萩原君、君を嬢様がさっきからしけじけと見ておりますヨ。梅の花を見るふりをしていても、眼の球はまるでこちらを見ているヨ。今日はとんと君に蹴られたネ。」
と言いながらお嬢様の方を見て、
「アレまた引っ込んだ。アラまた出た。引っ込んだり出たり、出たり引っ込んだり、まるで
とさわぎどよめいているところへ下女のお米出で来り、
「嬢様から
と
「ドウモ恐れいりましたナ。ヘイこれはお吸物まことにありがとうございます。さっきから
「ホホホ只今さよう申し上げましたが、お
「イヤ、これは僕の真の
と云えば、お米はやがて嬢様を伴ない来る。嬢様のお露様は恥かし気にお米の後ろに坐って、口のうちにて
「志丈さんいらっしゃいまし。」
と云ったぎりで、お米がこちらへ来ればこちらへ来り、あちらへ行けばあちらへ行き、始終女中の後ろにばかりくっついている。
「存じながら御無沙汰にあいなりまして、いつも御無事で、この人は僕の
と少しも
「たいそうに長座をいたしました。サお
「なんですネー志丈さん、あなたはおつれ様もありますからマアよいじゃアありませんか、お泊りなさいナ。」
新三「僕はよろしゅうございます。泊って参の、てもよろしゅうございます。」
「それじゃア僕一人憎まれ者になるのだ。しかしまたかような時は憎まれるのがかえって親切になるかもしれない。今日はまずこれまでとしておさらばおさらば。」
新三「ちょっと便所を拝借いたしとうございます。」
「サアこちらへいらっしゃいませ。」
と先に立って案内をいたし、廊下伝いに参り
「ここが嬢様のお部屋でございますから、マァお這入りあそばして一服召しあがっていらっしゃいまし。」
新三郎は
「ありがとうございます。」
と云いながら
「お嬢様へ、あのお方が、出ていらっしゃったらばお
と新しい手拭を嬢様にわたしおぎ、お米はこちらへ帰りながら、お嬢様がああいうお方に水をかげて上げたならばさぞお嬉しかろう。あのお方はよほど御意にかなった様子。と独り言をいいながら元の座敷へ参りましたが、忠義も度をはずすとかえって不忠におちて、お米は決して主人にみ
だらなことをさせるつもり(はないが、いつも嬢様は別にお楽しみもなく、ふさいでばかりいらっしゃるから、こういう冗談でもしたら少しはお気晴しになるだろうと思い、主人の為を思ってしたので。
さて萩原は便所から出て参りますと、嬢様は恥かしいのがいっぱいでただぼんやりとしてお
てとり、
「これは恐れいります。はばかりさま。」
と両手を差し伸べれば、鴬嬢様は恥かしいのがいっぱいなれば、目もくらみ、見当違いのところく、水をかけておりますから、新三郎の手もあもらこちらと追いかけてようよう手を洗い、嬢様が手拭をと差し出してもモジモジしているうち、新三郎もこのお嬢は真に美しいものと思い詰めながら、ズッと手を出し手拭を取ろうとすると、まだモジモジしていて放さないから、薪三郎も手拭の上からこわごわながらその手をジッと握りましたが、この手を握るのはまことに愛情の深いものでございます。お嬢様は手を握られまっ赤になって、またその手を握り返している。こちらは山本志丈が新三郎が便所へ行き、あまり手間取るを
「新三郎君はどこへ行かれました。サア帰りましょう。」
とせきたてればお米はごまかし、
「あなたなんですネー。オヤあなたのおつむりはぴかぴか光って参りましたヨ。」
「ナニサそれは明りで見るから光るのですワネ、萩原氏萩原氏。」
と呼びたつれば、
「なんですネー。ようございますヨー。あなたはお嬢様のお気質も御存じではありませんか。おかたいから仔細はありませんヨ。」
というておりまするところへ新三郎がようよう出て来ましたから、
「君どちらにいました。いざ帰りましょう。さようなればお
米「さようなら、今日はマアまことにおそうそうさま。さようなら。」
と志丈、新三郎の両人はうち連れ立ちて帰りましたが、帰る時にお嬢様が新三郎に、
「あなたまた来て下さらなければわたくしは死んでしまいますヨ。」
と無量の情を含んで言われた言葉が、新三郎の耳に残り、しばしも忘れる暇はありませなんだ。