森鴎外「水の説」

水の説
   (明治三十四年九月十九日於福岡市東公園一方亭博渉会席上)

 学術思想の普及、就中吾等衛生家たる者より言へば、衛生思想の普及は、吾等の平生尤も希望して居る所で
ある。然るに是事たる、頗る困難で、これに力を致したことのある人は、皆己れが嘗て民間に普及弘通せしめんと欲した趣旨が、誤解妄伝せられて、要するに屡々其志と其迹とが矛盾するといふ不本意な事に出会することを免れぬのである。一例を挙げて見れば、最早十年の昔であるが、予が洋行がへりの当時、一種の民間衛生学が世間に行はれて居て、普通教育上にも採用せられ、種々の小冊子にも記載せられて居た。其中に空気は、人の栖息する処に在つては、人の呼出する炭酸で汚されて、有害のものとなる、空気中の炭酸毒は恐る可きものであるといふことがあつた。人の栖息する処の空気は汚れる。その汚れた程度を、人の呼出する炭酸で測量することは出来る。併し其炭酸が毒だ、有害だといふのでは無いのである。酒を醸す窖にでも這入れば、其空気中の炭酸量は頗る大きなものであるが、何の害も無い。また炭酸ばかりで人の窒息を致すといふ揚合は、其場所の空気の大部分が炭酸で入れ代へられて居らねばならぬ。古井や岩窟の中で、燭火の消えるやうな処では、これに入るものが窒息することがあるが、これは別である。汚れた空気の害毒と、炭酸窒息とは、全く別の問題である。予は当時此差別を説いて、大いに世人を驚かしたことがある。初め室内空気の汚穢を教へた学者は、固より此の如く誤解せられやうとは予期しなかつたであらう。仏家の譬に、指を認めて月となすといふことがある。Pettenkofer先生は、同じ意味で、時計の鍼を認めて時計の機関となすと云はれたことがある。空気の汚穢は其月である、其時計の機関である。それをさし示す指、それをさし示す鍼が炭酸である。術語で言へば、炭酸は指鍼Indexである。今日は最早、空気に就いてかやうな妄伝を見ることは無いらしいが、本題即ち水の上には、猶これに類似した誤謬が有るのではあるまいか。
 従来水が善いか悪いかと問へば、主に化学上分析に依つて判断することゝなつて居る。今はかやうな問の起る毎に、それは分析して貰ふが好いと誰も言ふことである。現に警察上に家々の井を調査して、飲用上の適不適を木札に記して、門楯に釘着けにすることが、諸県に迄行はれて居るが、これは化学上分析の結果で判断したものである。化学上分析には定性定量、又は定量の完全省略、いろ/\の次第もあるが、先づ完全な定量といふものを目中に置いて見やう。此定量の結果は、現に此卓上にある鉄砲水の瓶の貼札に有る分析表と似たもので、水の一「リイトル」中の安謨尼亜幾が何「ミリグラム」、亜硝酸が何「ミリグラム」、有機物が、これを酸化するに要する酸素量として何「ミリグラム」、食塩が何「ミリグラム」と測つて示してあるのである。其外石灰は硬度を以て示し、又鉄や礬土をも重量で示すのである。扨飲用上の適不適といふことは、此有機物、安謨尼亜幾、亜硝酸、食塩等の有無多少と、此等所謂固形分の中で、有機物や、其外蒸発する時逸し去つて仕舞ふものを除いた総量とを見て判断せられるのである。又食塩も、直ぐに海水や石塩層から入り来る揚合の外は、人の排泄物から来る故、同じやうに注目せられて居る。此等の物質の水一「リイトル」中に含まれて居る若干「ミリグラム」量は、固より健康を害する程の者では無い。これも矢張水の危険の程度を示す指鍼に過ぎぬのである。然らば其危険とは何かといふに、それは伝染病原菌の有無を推察する点に存する。有機物が多い程ならば、或は其中に猶生機を存する病原菌が有るだらう、有機物から生じた安謨尼亜幾、又は有機物が酸化せられて、其酸化が未だ充分ならず、硝酸塩類を形づくるに及ばぬを徴するに足る亜硝酸が有るか、更に進んで、其安謨尼亜幾、亜硝酸が多い程ならば、或は有機物が猶存して居て、其有機物中に猶生機を存する病原菌が有るだらうと推察する、此推察の料として、彼比較的微量な固形分を視るのである。然るに世には某の井の水には、有害な亜硝酸を含んで居るなどゝ云ふ人が、随分有る、堂々たる医師中にも有る。これは彼の室内空気中に有害なる炭酸を含んで居ると云ふと、同一なる誤解である。
 扨誤解は誤解として、化学上分析といふ事が、右の如く広く世に信用せられて居るのは事実である。次に今少し進んだ処では、細菌学上検査といふものが、右の分析と共に行はれて居る。これは水一立方「サンチメエトル」中の細菌の芽が幾個あるといふことを、膠の中に種ゑて培養して、所謂聚落にして、数へて見るのである。清浄な泉抔には、一立方「サンチメエトル」中に菌芽が四つか五つかに過ぎぬこともある、常の井水では百を以て数へる、川水は猶甚しい。併しこれも細菌即ち所謂水菌が人の健康を傷ふのではない、矢張水菌が沢山居る程ならば、或は其中に病原菌が夾雑して居はすまいかと推察する料に供するのである。水中の菌芽数は、矢張指鍼に過ぎぬのである。我陸軍などでは、現に化学上分析と細菌学上検査とを併せて用ゐて居る。
 こゝ迄お話をしたところは、多少俗説辨風の意味はあるが、今日水を以て題といたした趣意では無い。予は別に会員諸君の注意を促したい所の者があるのである。それは最近数年間、欧洲の学界に於いて、水に関する論が大いに変じたやうに思はれる一事である。今日の独逸其他の国々の衛生家は、右の水中の固形分量と細菌数とが、毫も飲用上適不適を示す指鍼と為すに足らぬと断じて仕舞つたらしい。そして此断案には信憑すべき十分の根抵が有るらしい。
 化学上分析と細菌学上検査とが広く諸国に行はれるやうになつてから、既に数十年を経て居る。然るに其成績で、病原菌の有無を推察して、其推察が的中したといふ例は一つも無い。伝染病の流行を致した源と看做された上水の水は、固形分量も細菌数も、常と変つて居なんだ。固形分量と細菌数とが大きい水、又一時増加した水は、却つて何の病因ともならずに仕舞つた。一般の有機物及其派生体の多少と一般の水菌の多少とは、毫も病原菌の存否と一致しない。さうして見れば、彼に因つて此を(すゐ)するのは、没交渉である。指は月なき空の、有らぬ方角を指して居る。時計は狂つて、鍼は途方もない処を指して居るのである。水中固形分量と細菌数とは、彼Pettenkofer先生の空気中炭酸量の今に至るまで価値を減じないとは違つて、最早以前の価値を存して居ぬのである。
 然らば水の分析と細菌を数へる事とは、何の用をも為さぬかといふに、さうでは無い。水の分析は硬度を示したり、鉄の有無多少を示したりするから、工業上の適不適を判断する料にはなる。水の細菌の計算は、上水を沙漉しにする時、漉さぬ前の細菌数と漉した後の細菌数とを比べて、善く漉されて居るか居ないかを判断する料、即ち沙漉しの功力を判断する料にはなる。唯々飲用上適不適はこれでは分らぬ、衛生上の水の善悪はこれでは分らぬのである。
 然らば又、水の飲用上適不適はいかにして判断すべきものであるといふに、彼病原菌、就中窒扶斯桿菌、虎列拉螺旋菌などは、大量の水の中に少しばかりはいつて居るときは、実に検出し難いものである。況や原因が細有機体に存するらしく見えて、其細有機体が未だ発見せられない伝染病に於いては、其病原を水中に捜索しやうとしても、何の手段も無い。今日のところでは、某の水の飲用上適不適を判断するには、衛生家は実地踏査を行つて、水脈の源委を審にする位より外は無い。理学上性質即ち色香味の厭ふ可き水は、固より避くべきであるが、これはこゝに辨ずる迄もあるまい。
 今かやうに説明し来って見れば、水に関する衛生上の時論は、近頃大に変じたと謂はねばなるまい。此変動は、欧洲諸国に於ては、最早議論略々定まるといふ境に立到つて居るに、我国の如く、普通新聞は姑く置いて、医学、衛生学の雑誌にも、全くこれに言ひ及ぼしたものゝ無いやうに見えるのは、田舎に居る予の寡聞な為めに左様に見えるのかは知らぬが、頗る怪訝すべき事である。猶一歩を進めて言へば、縦ひ学説が制度の上に影響して来るには、多少の歳月を要するものとは云へ、水の善悪の判断が既にかやうに変化して見れば、水の取捨の処分も最早新に攻究せられても好い頃であらう。実に欧洲では、其攻究も著々歩を進めて居るやうであるに、我国では、学説が聞えて居らぬ位であるから、実地の問題は猶更まだ少しも開拓せられて居らぬらしい。
 これから実地に水を取捨する上に就いて述べやう。従来分析と細菌計算とを信じて居つた間は、一「リイトル」中の固形分が五百「ミリグラム」以上あるとか、亜硝酸量が大きいとか、一立方「サンチメエトル」中の細菌数が大きいとか云つて、水を排斥したが、今此標準を失つて見れば、彼水源の実査等から、水を疑ふ上は、別に試験法は無い、此疑に因つて直ちに之を排斥せねばならぬ。若し又戦地に於ける軍隊の如く、疑のある水の外、別に水を獲ることが出来ぬとなれば、水の滅菌法、即ち常にある無害の水菌も、偶々ある有害の病原菌も、一斉に鏖滅する法を行つて、受用に供せねばならぬことになる。
 我国では地方によつて水が悪い、水が乏しいといふ問題は随分起ることもあるが、一見して理学上の厭ふ可き性質即ち混濁、悪臭、悪味を認むる程の水を飲まねばならぬといふ境遇に陥いることは稀である。朝鮮、支那となればさうは行かぬ。そこで明治二十七八年の役に、我軍は多く明礬を用意して往つた。又野戦衛生長官から格魯児鉄液を用ゐる法を訓示せられたこともあつた。其外炭を用ゐた小濾水器を兵卒に携帯せしめた部隊もあつた。最近の北清事件になつても、初めは多く明礬を用意して往つた。併し明礬や格魯児鉄液の法は皆水を澄す法であつて、滅菌の功は無い。二十七八年役の携帯濾水器も、細菌を抑留する功は無い。北
清事件の半ばに至つてから、或る地の部隊に蒸餾水を給せられた。これ丈が滅菌した水であつた。
 予は纔に此頃になつて、昨年(一九〇〇年)八月二日から九日迄巴里に開かれた国際医学会の報告を受領したが、これを読んで大いに感じた。それは彼会の軍事内外科部の報告中に、戦地に於ける受用水の滅菌法が頗る広い面積を占めて居て、独墺仏、就中独と墺との間に一種の競争を生じて居る事実である。
 滅菌法で水に応用することの出来るものは、四つに大別して宜しい。一つは電流を用ゐることであるが、これはまだ兵用とする程研究せられて居らぬ。二つには温熱を用ゐることで、蒸餾と煮沸とはこれに属する。蒸餾は千八百八十四年英軍のSoukimの役に用ゐられた。次いでMadagascarの役にも、諸隊をMajungaに集中した時に用ゐられた。終りにCretaでも、海軍陸戦隊が舟から蒸餾水の供給を受けた。併し要するに、蒸餾は船中と海岸との外では行はれぬのであらう。煮沸は随分煩はしい法で、時間を費す。冷却を待てば、一層時間を費す。蒸餾のやうに固形分をば失はぬが、気類を失うて味が変ずる。水質によつては煮た後に、更に漉さねばならぬ。釜は炊爨の釜を代用すれば飯を(かし)ぐ時間と衝突する。又其釜も大行李の来るのを待たねばならぬが、水はこれより早く入用である。別に水を煮る釜を運搬することは、仏人が工夫して、所謂Vaillard-Desmaroux式の釜は車に載せられるやうになつて居つて、北清事件の時も二つ持つて来た筈だが、これも大行李を待たねばならぬのは同じ事だ。薪炭も容易に獲られるものでない。飯も炊ぎ、火に(あた)つて煖を取り、其上に水まで煮ては、直に闕乏を来すであらう。飯は炊がずに、携帯口糧を用ゐる時でも、水は無くてかなはぬから、煮沸が是非必要としてあれば、敵に火影(ほかげ)を見せてならぬ揚合に、水を飲まずに居らねばならぬ事になる。其上火を焚くことは成丈多くせぬやうにせぬと、Transvaalで実験せられたやうな危険もある。三つには濾過することである。同じ濾過といふ中にも、古来用ゐて居る澄す為めの濾過は、此場合には不完全であるから、必ず細菌を遮り留める濾過でなくてはならぬ。尤も著名なのは、円筒形陶器の実質で漉すやうにしてある、仏蘭西のChamberland-Pasteur式で、仏の諸衛戍には平時備へ付けられて居るが、戦用には適せぬ。既にDahomeyへ持たせて遣つて見た、二十五円筒を具へた器械は、頗る悪結果を見たのである。目方が重い。質が脆い。漉す所の水の量が少い。多くするには高圧がいる。汚れ易い。所詮行かなんだ。次は独逸のNortdtmeyer-Berkefeld式で、原材は所謂滴虫土といふ動物的硅石質のもので、矢張円筒形に出来て居る。これは陶器よりは水を多く漉し出す。併し低い温度で連続して漉して居れば、一箇月以上何の細菌をでも遮り留めるが、温度が変つたり、断続して使つたりすれば早いときは三日目位に細菌を通すやうになる。其時には随分煩はしい掃除をせねばならぬ。かやうに細菌を通すやうになつた時に、何の細菌でも同じやうに通すかといふ問題に就いては、仏人は通すと云つて居る、病原菌をも通すと云つて居る、独逸人は無害の水菌をこそ通しもするが、有害の病原菌を通すことは無いと云つて居る。墺太利では、兎も角も此方が水を多く漉し出すからといふので、大行李と一しよに行進の出来る野戦病院などには持たせることにした。併し隊に持たせる訳には行かぬ。水の要求は、大行李を待つて居られぬ時があるし、又小部隊を分遣するやうな時に、こんな道具を運搬することは出来ない。其上に質は矢張脆い。壊れ易い。使用法も平時から教育せねばならぬが、余りむつかしい。右の二つの式の外には、所謂石綿陶器を使つた器械があるが、仏のMaille式も英軍で用ゐられて居るMaignen式も、実功を奏すると謂はれぬ。殊にMaignen式は石綿陶器に炭の一層を加へたもので、埃及で実験したこともあり、又携帯濾水器として東京(とんきん)、Benin,Madagascarなどで兵卒に持たせたこともあるが、唯々水を澄す丈の濾過の用をなすに過ぎない。其上早く汚れて仕舞ふ。要するに、隊に持たせられるやうな、滅菌の功のある濾水器はまだ無いのである。扨最後に四つには薬剤を用ゐて、化学上に水の滅菌をする法がある。目下戦用として有望なのは、唯だ此法のみであつて、前に言つた欧洲列国の競争は、此法の中の取捨採択の上に現はれて居るのである。
 薬剤と云へば、おなじみの明礬も格魯児鉄液も薬剤であるが、これは水を澄すばかりで、滅菌の用には立ちかねる。酒石酸、拘櫞酸の類は虎列拉の螺旋菌を殺
すには好いが、窒扶斯の桿菌は容易に此類の酸では死なぬ。その上砂糖でも入れて飲めば、一度ぐらゐは爽快であるが、連日続けて飲むときには嫌になることは、予も台湾で実験した。次に仏人は過満俺酸塩類を用ゐることを勧めて居る。Schipiloff-Chicandardの法といふのは過満俺酸加里を用ゐるので、このSchipiloffといふ人は令嬢ださうだ。過満俺酸石灰を用ゐるのは、Bordas-Girardの法と云つて、これに基づいたLutece式の濾水器といふものも造られて居るが、これを使ふには、余程時間を費すさうだ。仏人間で尤も声価のあるのは、Lapeyrereの法で、これは過満俺酸加里三「グラム」、乾燥明礬末十「グラム」、乾燥結晶炭酸曹達末九「グラム」、大理石石灰末三「グラム」の混和剤で、合計二十五「グラム」が水百「リイテル」即ち五斗五升の滅菌に供せられる。五分間の後に、精製した泥炭を()めた金属の筒で漉すのである。此法は既に東印度でもSoudanでも実験したもので、仏の海軍省では公に採用したのださうだ。又北清事件の時、清国派遣の陸軍部隊にも送る筈だとの事であつた。これに用ゐる水漉し用の筒には、大小種々あつて、最も小さい携帯用のは葉巻烟草位の大さで一時間に一「リイトル」半を漉すのであるが、軍隊用には彼Chamberlandの円筒位の中等の大さで、一時間に三十五乃至四十「リイトル」を漉すのが適当だと云つて居る。併し此法は独逸人や墺太利人に評せしめると、滅菌の功が不確実だといふ事だ。
 これに反して、こゝに吾等の最も注意すべき薬方がある。それは游離した格魯児を含んで居る次亜格魯児酸加爾叟謨即ち尋常の格魯児石灰である。消毒用としては従来広く行はれたことのある格魯児石灰である。この物の極小量を用ゐて水の滅菌をする法は、Traube-Lodeの法といふので、墺太利の軍医の熱心に慫慂して居るのはこれである。八「ミリグラム」の游離絡魯児は、三十分間に、水一「リイトル」中の病原菌を確かに殺すから、概算上には八「ミリグラム」を一「サンチグラム」として計算する。尋常の格魯児石灰の百分は游離格魯児二十分を含んで居るとして、格魯児石灰一「キロ」の格魯児二百「グラム」は二万「リイトル」即ち百零十石の水の滅菌をする。師団の頭で計算して、仮に一箇中隊が兵員二百、馬匹五十で、一日に水五千「リイトル」即ち二十七石五斗を費すとする。中隊が二十日分を運搬するとして、格魯児石灰総量五「キロ」あれば足る。緻密に出来た桶に入れて大行李に組込むことも出来るし、小さい「ブリキ」の罐に入れて、半「キロ」位を兵卒に持たせることも出来る。試みに実験の有る明礬の運搬に比べて見ると、明礬は水一「リイトル」ごとに一「グラム」いるから、一「キロ」で千「リイトル」の水の澄清をするに過ぎぬ。格魯児石灰は明礬の二十分一を運搬して足るのである。扨滅菌はこれで十分であるが、水が濁つて居れば、猶滅菌後に漉して澄まさねばならぬ。勿論此場合には細菌を遮り留める濾過法には及ばぬから、砂漉しでも藁漉しでも好い。併し墺太利の軍医は、兵卒一人ごとに一種の携帯濾水器を持たせて、平時にその簡単な使用法を教育して貰ひたいと云つて居る。その濾水器といふのは、所謂Schwarmfilterである。「ヅツク」の水飼嚢の、現に我軍にも用ゐられて居る様なものゝ中に、二重の金網の底を入れる。下の網は不動になつて居て、上の網は出し入れが出来る。嚢の底には管があつて、金属製の螺旋蓋で閉ぢてある。これに八十「グラム」づゝの石綿を三包添へてある。使ふ時には、上の網を出して、水を三分一程入れて、石綿を入れて、棒のやうなもので攪拌して、上の網を水の表面の下まで入れて、それから水を一ぱいにして、下の管の蓋を取るのである。水が管から出る丈、上から足せば好い。使つて仕舞へば、石綿を絞つて日に乾して仕舞つて置いて、又時々煮沸して十分に浄める。滅菌問題を別にして見れば、携帯濾水器としては、これなどが最も簡便で、時間を費さないものであらう。明治二十七八年役の炭の携帯濾水器などは、固より比べものにはならぬ。
 この格魯児石灰の法が公にせられた後の事である。普魯西の軍医正Schumburgは、格魯児に代へるに貌羅謨を以てして、墺太利を圧倒しやうとした。貌羅謨二十一「グラム」九一、臭素加里二十「グラム」、蒸餾水百「グラム」の混和液一立方「サンチメエトル」は、五分間に、水五「リイトル」の滅菌をする。扨過剰の貌羅謨を除くには、亜硫酸曹達九十五「ミリグラム」、炭酸曹達四十「ミリグラム」、満那糖二十五「ミリグラム」で錠剤一箇をなして居るものを用ゐる。錠剤五箇を水五「リイトル」に用ゐるのである。液は硝子に入れて、容量を測る器械を添へて運搬せねばならぬ。
 扨巴里の国際医学会では、仏の軍医と白耳義の軍医とが演壇に上つて、交る/゛\過満俺酸塩説を主張したが、独逸人や墺太利人は相手にせなんだ。墺太利の大学教授Schueckingが格魯児説を演説すると、自身に臨席して居た普魯西のSchumburgは直に駁撃した。討論には制限もあることで、Schumburgが当日の詞は簡単であつたが、詳細な事は初めに貌羅謨を公にした時の、普魯西兵部省医務局の出板物があるので分る。先づ格魯児石灰は水に雑りにくい。貌羅謨は五分間で奏功するに、格魯児が三十分費すのは余り長い。貌羅謨の過剰は除くことになつて居るに、格魯児の過剰は除くことになつて居らぬ。水の硬度が高まつて味が悪い。これ等が要点である。Schueckingの反駁に云ふには、格魯児石灰を解くには、初め少しの水と磨り雑ぜてからにすれば好い。格魯児の過剰は害をなす程で無いから、除く煩が無い丈便だ。味は変ぜぬと云つて好い。味覚の極鋭敏な人が、僅かに硬度を知るのみであると云ふのであつた。時間の長短は反駁することが出来なかつたが、これに酬いるには、別に頗る鋭い一矢があつた。それは貌羅謨々々々加里液は硝子に入れて運搬せねばならぬ一事である。いかにもこれは、慥に考へ物であらう。
 目下試験室に縁遠くなつて居る予は、此論争の間に兎角の喙を容るべきでは無いから、何にも云はぬが、かやうにお話をした丈で、諸君は思半ばに過ぐるであらう。唯だ終りに諸君の注意を願ひたいのは、欧洲列国が此の如くに、伝染病原菌の入つて居る疑のある水、濁つた水に対する処分を、熱心に研究するのは、全体何処に適用する為めであるかといふ事である。渠等の目中には亜弗利加もあらう。近東もあらう。併し極東の亜細亜の事変が、此論争に一段の活気を加へたことは、学会の軍事内外科部の総会の時、仏の軍医監Dujardin-Beametzが特に北京駐在の仏国軍医の存亡に就いて云々した詞に徴しても察せられる。約めて言へば、渠等の所謂戦地に於ける水の処分は、支那の水の処分であると云つても好からう。仏国の如きはVaillard-Desmarouxの煮沸器を支那に送つた。Lapeyrereの法に用ゐる薬方と器械とをも送つたらしい。孰れも兎も角も最新の衛生学上の立脚地から割り出した工夫である。然るに其支那の隣邦たる我国はいかゝであるか。予は中心に忸怩たらざることを得ないのである。明治二十七八年役の戦勝の名誉は国民を酔はせて居て、就中衛生部の功績は偉大なる、否予が思惟を以てすれば、過大なる賞讚を以て酬いられて居る。予は軍医である。いかにして此声誉を堕さゞることが出来やうかといふことは常に心頭を離れぬのである。予の同僚は勿論、我国の衛生家は、将来に於いて、自ら旧に倍する策励を加へて、学問の現程度に後れぬやうにせねばなるまい。又医者で無い人々、広く言へば国民も、吾等に迫つて、此の如き研究を要求する位でなくてはなるまい。さうするには衛生思想の普及を望むより外は無い。これは唯だ水の問題であるが、爾余の衛生問題も亦然りである、爾余の学術問題も亦復皆然りである。