文芸復興 山本実彦  このごろ我が文壇では文芸復興の問題を中心として、いろいろの諭議があるが、その利巧そ うな非難の代弁とも見るべきは、「この問題は掛け声ばかりで、結局出版者や文壇のある一部 の野心的計画の現われにすぎない。うそと思ったら、このごろの作品につきいいものを挙げて 見よ」と。  私どもは、一つの短篇を懸賞によりて募集するにしても、約一年の月日をそれの準備の時問 に充当する。本来ならば、もっと、時間を多く割いてやりたいくらいに思っているのだ。  そして、文芸復興の声が一方に挙がると、二月や三月もたたぬうちに、文壇の大家や中老ま でがとび出してきて、その証拠はいかに、いいものはないじゃないか、たどシ詰め寄らるる態 度は、赤ン坊が生まれた、その赤ン坊はどう成育するかも見きわめないで、すぐに、ちっとも 豪くないじゃないかと断定するのと同じ類で、無思慮、無分別もはなはだしい。  私どもは、文芸復興を叫んでも、立派な大作の生まれるまでには、土壌のつとめをも果たさ たければならないし、胎教的役割も遂げなくてはならぬし、そして、適度の、いい肥料、いい 日光に浴させることをも努力せなくてはならない。それで、その効果が現わるるまでにはずい ぶん気長に待っている必要があるのではあるまいか。  一体、今日の文壇でも、思想界でも、その修練に要する時代があまりにも矩かすぎるので、 すぐに種切れになるとか、行き詰まって神経衰弱になるとか、転向するとかいうことになって しまうのだ。一つの書籍を紹介するにしても、批評するにしても、}ての標題だけを一瞥して、 サッサとお茶漬を食うように片づけてしまうのが、このごろの一般的のやりかただが、私の知 っておったある碩学の如きは、一つの問題の紹介をするにしても、それをやる以上、その種類 の書籍を残らず渉猟しつくしてから、初めて想をまとめ、その焦点を要約するという態度であ った。ところが、このごろでは、自分の論説として発表する場合にも、他人の説を、さも自分 の発見にかかるがような顔つきをするものさえあるようになった。まことに言譜道断のことで ある。  私は創作にたいする社会性の問題も、ここに関連させて一言したいのであるが、創作家は少 くとも、現段階におけるあらゆる事実、思想をひとわたり自分の腹の中に入れておく必要があ る。それには読書によりて得るものと、経験その他より帰納するもの、等々があるが、これら、 創作の予備的工作に費消する時間、労力、精力はまことに多大である。そして、これからが其 の創作に取りかかる時間にはいるのであるが、まず心の構えにはいるまでの思索の期間が、あ まりに短いように思えてならぬのだ。もちろん、私は第三者的に見ているのであるけれども、 この陣痛の間の時間の長短、苦練というものが、人によってずいぶん違うのだ。  私はその陣痛の時間  そこに作家として優劣、勝敗の運命が孕んでいるのてはなかろ、、か と思っている。真に名人肌になる人も、ここのところをイージーな歩き方をしたたらばとうて い浮かばれないものになってしまう。ここの苦錬に真に底の底まで沈下せしめて、想を錬り、 脳漿を絞ったものなら、必ず人をうつものができるとともに、後になってこのごろ流行の転向 などいうことなくして、きわめて清浄に、一路まっすぐに進み得るのである。上日から我が武上 に二言はないはずである。それに江戸ッ児には意地とか、張りとかいうものを垣んじ、生き恥 をさらすより、死に花を咲かすの道を選ませた我が国の道徳的慣行は一面美わしいものであっ た。  しかるに、このごろ意地も、張りも、ほとんど幅の利かないものにたってしまい、ドンドン 昨非今是と軟風が競いすぎては、市井の風景のブチこわしという簡単な問題ですまされず、国 民性の根本を洗ってしまうということになってしまいそうである、  私はこうした一つの断面的の問題から見ても、いまどきの人びとの軽薄な行為が指示される のであるが、ここをジッとふんばってもちこたえて見たなら、すなわち、思索の時間に二、三 倍の時間を費さしめ、そして環境を理解する教養を深めて置いたら、こうした転向なぞの如き 自分の顔にどろを塗るような思慮浅きことをせずにすむし、また、いくたんれんした芸術作品 には深い白信のあるものができようというものだ。なんぼなんでも、文芸復興の声がでると、 すぐ、その証拠にいい作品を見せろ、などというのは、自己の浅薄を暴露する以外の何もので もあり得ない。そんな軽業師みたいな言は識者が一顧もせないことはわかっているが、しかし いやしくも、文壇に相当の地位を占むる人びとが、そうした暴言を吐くのは、自己の芸術ヘの 態度をもメチャメチャにするものである。  第一、芸術に沈潜する人はもっと視野を広大にするの必要がある。始終、社会の小さい隅ッ コぼかり眺めていたんでは、こんな民族的に大きな広がりを見せるときには、民族と一しょに 歩いて行くこともできないし、また、その作品は何等の時代的、芸術的役割をも遂げることは できないであろう。  奥行の深い、大きな作品ならば、それだけ多くのつちかいがなくてはならぬのである。そし て画期的の文豪とか、大作とかを生む機運は文壇ばかりの動きではどうともすることのできな いものである。要は民族の大きな空気や、動き、革命的に進んでくる科学の力、その他が綜合 的に醗醸してくれるのである。我が社の懸賞募集などはもちろん、その基礎工事の一つとして 考えられるもので、現在ではさして偉大さは見当たらぬにしても、役割としては尊い土台の一 塊、一柱となるものである。  そうしたわけで、私どもは、まず十年を一期ぐらいにかりに想定して努力の階段をつくって 見る。その階段が三つとか五つとか積むころには、読者の鑑賞眼はグッと上昇してくるし、読 者層がズッと広がってくるし、そ弓なると、作家としても、すベての方面に飛躍的にならなけ れば、自然淘汰の命運がまたたくの間に襲いくるのである。  私どもは少くとも、そうした遠大の計画のもとにすべてをすすめて行くのであるが、それを 尻の穴の小ささを発揮して、目前にいい作品が生まれぬとか、偉大な作家が出ぬとかいうのは、 何という、たわけた気短かな言いかたであろう。もしも、彼等のいう通りであったら、半歳も 文芸復興の運動がつづけば、十人の、コールギーやドストエフスキーが生まれてくるのは何でも ないことのように受け取られる。天下あにかくの如き迷論というものが他にあろうか。けち《ささ》|な 議論にも程があると思う。  私どもは、小説とか戯曲などは人類の花であり、民族の崇高たる果実であるベきだと思って いる。そうした精神的な美わしい果実を桃、栗の成熟より早く期待などするのは、神さまにた いしても冒漬になりはせないか。  くどいようだが、われわれが懸賞創作を点検するにしても、今度こそは底力のありそうな、 ドッシリした構えのものがないかと六、七名の記者が幾晩もいく晩も眠りもせず、ほとんど神 経衰弱になるようにして詮衡するのだ。だから、懸賞発表の前の二月くらいというものは『文 芸』、『改造』の事務が渋滞し、そして編集会議たどをほったらかすし、ジャ1ナリズムとして は、非常に損な立場に置かるるので、この懸賞募集はいくたびも廃止の問題が起ってくるのだ。 私どもは、そうした算盤玉などは眼中に置かないで、十年たつうちに、あるいは二十年たつう ちには必ずえらい|創《ささ 》作が出でてくるのを期待しているのだ。私どもは、殊に私は白米のように 磨ぎすまされた整った作品が、たくさん投稿されるより、色は玄米のように黒くても質のたく ましいものが、粒の大きいものが現われてくるのを、たのしみに待たれるのだ。そして私のよ うなジャーナリストでも十年、二十年を気長に待って仕事をしているのだ。白髪が髪にふえて きた。それは、いろいろの原因による。つかれ、病み、老いの結果からではあろうが、その幾 分子かは文芸への努力のそれも起因しておろう。今後、どれほど私が、文芸の努力に濃度にな るか、なれるか、そうした分析的の解剖を数字で現わすことはできないにしても、少なくとも 現在の熱情は、どのジャーナリストより高度であるということは自信をもって言い得る。  それから、このごろ、プロ文芸が振わないことにたいして、いろいろの説をきくが、私はこ 弓した方面にどうしてこのごろ傑作がでないか、不思議に思っているが、懸賞採否のときも、 私どもとしては、その傾向によりて意識的にどうするということは絶対にない。本社の文化に たいする指導方針は時の政府の風向きによりて別にグラグラ変わるべき性質のものでないから。  また、昨年、『読売新聞』の座談会のとき、大衆小説はよく売れるが、純文学の作品はどう か、というが問題になった。私はチ、のとき、日本人の純文芸的読書層は思ったよりグッと進ん でいる、そして大衆もののどの全集でも我が社の『現代日本文学全集』より多く部数の出たと いうものをきかない旨をのべておいた。また、私の見るところをさらに附言すれば、現在、大 衆もの、純文芸作品を合わせて、漱石ものよりたくさん出るものはないとされている。漱石の 読者は、父より子に、兄より弟に、とつづいて行くが、『不如帰』、『金色夜叉』の場合を考え て見て、いかに純文芸の生命が長いか、読者が多いかもわかるはずである。こうしたことを取 り上げて私は議論をしようとするものではないけれども、統計なしで、そして、その日、リての 日の出来心で、いろいろ純文芸作品の声価をいためつける人が多いままにここに書いただけで ある、もちろん、通俗ものにたいしても、私及び本社としては純文芸作品と同じ関心を持って 進んで行くのである。  そのほか、私が本論を起草した意図は、別に、現文壇の作品及び批評を否定しようとか、非 難しようとか、そういう意味からではなく、折角、私どもまでが、真黒くなって文芸復興のた めに、縁の下の力持ちになっている事情が、批評家その他によりてはなはだしく歪められ、誤 まられているがために一言したわけである。  もっとも文芸復興というても、純文芸作品のみが多く取り上げられているが、この点につい ても私は一つの議論を持っている。しかし私は、大衆小説も引きくるめての文芸復興を期待す るものだ。ただ、洋の東西を問わず、一流の大衆作家でも、生活に困らぬようになったり、自 分の児孫や名を思うようになれば、千古に朽ちぬ力いっばい、精いっばいの純芸術作品を残し たいのは事実であろう。これは、私が西洋の小説家や、日本の大衆作家から実際に聞いて見て、 いずれもそうであると、うなずいてくれる。まさか「自分のおとうさんはこんなものを書いて おったか」と、墓場の前でひやかされるのを、すきな人もおるまいから。  なお、いかにして純文学をつちかうか、という方法論及び現象批判については、他日改めて のべて見たい。  最後に、まあ、百の議論より身を以て当る。この実行がわれわれには一ばん必要だと思って いる。                                 (昭和九年五月『文芸』)