雑貨店 島崎藤村  横浜|伊勢佐木町《いせざきちよう》の繁華な通りにある高橋雑貨店は、 正札付きの日用品を置き並べて、いっさい掛け値なし に売るという便利な店である。この店がかりは高橋と なる前の店主の意匠で、以前にもかなり繁盛したもの であったが、ふとしたことから貸金の抵当として日本 橋富沢町にある|木綿問屋《もめんどんや》の大将の手にはいった。それ を高橋のだんなが引き受けて、新たに店開きをしたの である。  富沢町の大将は、高橋のだんなのために、荷主の案 内は言うに及ばず、店に置く奉公人のことまで、いろ いろと心配した。そんなわけで、|吉《きち》どん、|政《まさ》どんなど という年若な手合いを初め、|丁稚《でつち》小僧の松どん、|寅《とら》ど ん、それから専どんという飛び入りの手代までが、富 沢町から横浜の店のほうへ移って来た。高橋雑貨店に は、このほかに、だんなの同郷の人で|稲垣《いながき》という隠居 も来ていたし、長いこと高橋の|家《うち》の書生であった|正《しよう》さ んも来て手伝った。この雑貨店は、いわば小さい|勧工 場《かんこうぱ》のような見世がかりで、これほどの人手があっても まだ不足を感じたくらいである。そこで、|檜田《ひだ》も手伝 いに来た。檜田は高橋のだんなの遠い|親戚《しんせき》の者であっ た。ひところ富沢町の店のほうに使われて、ともかく も通いで帳場を預かっていたが、これもやはり大将の さしずとあって、横浜へ回ることになったのである。 檜田はもう四十を越していた。  店で売る品物の仕入れには、おもにだんなが東京ま で出かけたが、だんなの行かれない時には檜田が代理 を勤めた。盆過ぎに、檜田は仕入れのため、日帰りの つもりでちょっと上京した。その日は富沢町のお|店《たな》へ ごきげん伺いに寄り、それから両国|薬研堀《やげんぼり》にある高橋 の本宅のほうへも顔出しをした。薬研堀には、開業以 来働き疲れたと言って骨休めに帰っている|御新造《ごしんぞ》さん を初め、御隠居さんやぼっちゃんがいる。高橋として ある門をはいって、檜田は勝手口のほうから上がろう とした。ちょうど女の客もある様子。どこのおかみさ んが、たずねて来たかと思って、見るとそれが自分の |女房《にようぽう》であった。  檜田は遠慮がちにへっついのそばを通った。土蔵寄 りの|廟間《ひあわい》のほうから|清《すず》しい風が来る。奥座敷へ行っ て、まず御隠居さんや御新造さんにあいさつして、そ れからちょっと女房のお春にもあいさつした。 「きょうは日曜で、お春さんもよくたずねて来てくだ さいましたよ。」  と御隠居さんは檜田のほうを見て言った。  しばらく檜田は自分の女房にも会わなかった。お春 は今ある西洋人の屋敷ヘコックに雇われて、給金取り をしている。御隠居さんの言うように、その日は日曜 で、主人から休暇が出たと見える。 「何か浜のほうへ御用は.こざいませんか。」こう檜田 は御新造さんに尋ねた。 「そうですねえ。」と言って、御新造さんは母親のほ うを見て、「何か、おばあさん、お願いする物はあり ますか。」 「あのかたびらを願ったらどうだい。」と御隠居さん が答えた。  御新造さんはあつらえ物を取りに土蔵のほうへ行っ た。御隠居さんは愛想よく、檜田夫婦へ茶をついで出 して、 「お春さん。あなたも浜へいらっしゃるようなことが "こざいましたら、ぜひおついでに私どもの店へもお寄 んなすってください。高橋雑貨店とお聞きくだされ ば、もうあちらで知らないものは、"こざいません。」 「ありがとうぞんじます。」  こんな話をしているところへ、御新造さんはふろし き包みを持って土蔵の中から出て来た。  檜田はそれを受け取ってやがて帰りかけた。 「檜田さんちょっとお待ちなすってください。」と言 いながら、御新造さんは母親のほうへ向いて目くばせ した。  その時御隠居さんは紙に包んだ物を手ばしこく取り 出した。「これはホンの少しですが1電車代にで も。」 「いえ・::・そんな:・:・」  と檜田は押して辞退して、そこにうちわを手にして いた自分の女房にも軽く|会釈《えしやく》して、|薬研堀《やげんぼり》の|家《うち》を出 た。  日曜とはいえ、檜田にはいそがしい日であった。彼 は、熱いほこりの中を、|小舟町《こぷなちよう》へも行き、|親父橋《おやじぱし》へも 走った。そして、その用たしの済んだころは、汽車で 横浜のほうへ帰って行く人であった。  檜田はキリスト信者であった。彼がキリスト信者と なったのは、自分の子が死んでその子の行く先を確か めんがために、仏法では地獄極楽へ行くというが、ヤ ソではどういうところへ行くだろうと、キリストを聞 く気になったので。改宗は間もなくであった。それか ら、パプテズマを受け、堅信礼を受け、セントポール 教会にはいって|沈澁《しすめ》の礼を受けた。これは彼ボ|靴屋《くつや》を 営業していたころのことである。彼の単純な信仰は長 く続いておる。で、こうして日曜にもあくせくとし て、多くの他の兄弟姉妹のように教会に行く暇すらも ない今の自分の|境涯《きようがい》を思ってみた。まだそれでも汽車 に乗っている間が一番安息日らしかったも  横浜の停車場で降りて、伊勢佐木町をさして急いだ ころは、日暮れに近かった。雑貨店の前まで行くと、 そろそろ客の出盛る時刻で、もう電燈が並んでついて いる。檜田は右のほうの入口からはいって、客や小僧 の間を通り抜けて、突き当たりに高い屋台の形した帳 場のところまで行った。そこには|眼鏡《めがね》をかけた正さん がすわって売り揚げをつけていた。 「お帰り。」  と奥のほうから出て来た吉どんや、政どんや、続い て専どんが檜田に声をかけて、帳場のわきを通った。 だんなも、その時、ふとった背の低いからだをうちわ であおぎながら、帳場のほうへやって来た。 「檜田さん、まあ、飯をおやり。今、みんな済ました ところです。」  こうだんなは檜田から大体の用事だけ聞き取ったあ とで言った。  食事をするために、奥の座敷へ上がろうとしたとこ ろで、檜田は稲垣の隠居に会った。「オ、檜田さん、 今お帰りですか」と、隠居もあいさつして、店のほう へ出て行った。檜田はチャブ台の前にすわって、目を つむって、夕飯の感謝をささげた。汗は出たが、飯は さめていなくてウマかった。勝手元には、女中のお|鶴《つる》 が白いふとった腕をまくりながら、ひとりで熱苦しそ うに働いていた。  やがて檜田が店のほうへ行こうとしたころは、帳場 のあたりは客で満たされた。船着きの町のことで、よ そから見物に来た人だの、船員だの、それからすばら しいなりをした|洋妾《ラシヤメン》だの、その他いろいろな種類の客 が買物をして行く.塗り物を並べた|棚《たな》の前には、夫婦 者らしい西洋人がすずりぶたの値を聞いて、すこしマ ケろとでも言うのか、早口にしゃべり合った。 「正さん、正さん。」  と檜田が呼んだ。  正さんはだんなに帳場を譲って、その西洋人の客の 前に立った。 コくΦ量859器r$〇三㎎げ暫bユ8……」  こう正さんがおぼつかない英語で答えると、とうと う女の西洋人はそのすずりぶたをネダって、男に買わ せた。 「こういう時には正さんにかぎるネ。」  とやせぎすな吉どんが|扇子《せんす》をパチパチ言わせながら 笑った。 「どうして正さんは学校でだいぶ英語をやったんだも の。」  と檜田も笑った。この正さんは、ある学校を卒業し たばかりの青年で、殊勝らしく角帯を締めているが、 いかにも書生然とした様子に見える。  納涼がてら立ち寄る客の雑踏は九時過ぎまでも続い た。十時となると、いくらか客足が遠くなって、松ど んはそろばんの|棚《たな》の前、寅どんは|唐物《とうぷつ》の|棚《たな》の前で、毎 晩きまりのように居眠りを始める。檜田の受持は、入 口に近く置き並べた鏡や鏡台の部であったが、彼です ら立ち疲れた。時々彼はガッカリしたように腰をかけ た。そこには、政どんも太いふくれた足を投げ出し て、|脚気《かつけ》を苦にしていた。  手代の専どんは見えなかった。政どんと檜田の二人 が互に疲れたからだをもたせかけていると、そこへ吉 どんは例の扇子をパチパチ言わせながら、来がけに居 眠りしている小憎の鼻をつまんでおいて、それからこ ちらへ近づいた。 「政どん、足の具合は?」と吉どんは|朋輩《ほうばい》のそばに立 って尋ねた。  つと政どんは身を起した。そして、勇気を回復しよ うとするらしく見えた。「こうして腰かけているのが よくないんだね。」 「なにしろ、きょうの暑さで、からだが綿のようにな っちゃった。これじゃあやりきれないよ。」と吉どん は朋輩を慰め顔に言った。  この二人は、子飼いから富沢町の|木綿問屋《もめんどんや》に育った 人たちだけあって、商いの道にもかなり明るかった。 その時、檜田は腰かけたまま、壁に頭をつけて、二人 の話を聞いていた。稲垣の隠居が、女中のお|鶴《つる》のきげ んを取っているということや、めかしやの専どんが、 店の香水だのハンケチなどを盗み出して持っていると いうことなぞが、いつだれにせんさくされたともな く、二人の話に上っていた。  檜田はこの二人の顔を見比べた。そして、賢いよう でもまだ年の若い人たちと、自分と、何ほどの相違が あると思ってみた。四十いくつになった自分の今する ことは、そこに居眠りしておる|丁稚《でつち》小僧のすること と、そうたいした相違がないように思われた。檜田は これまでにいろいろな事業をして来た男で、絵の具屋 の手代、|紅《べに》製造業、紙すきなどから、朝鮮貿易と出か け、帰って来て|大阪《おおさか》で紀州炭を売り、東京へ引き移っ てまずガラス屋に雇われ、その次が|靴屋《くつや》となってこう もりがさ屋を兼ね、それから|岩代国《いわしろのくに》黒森の鉱山監督、 次に株式所仲買番頭、|石蝋《せきろう》の製造職工ともなったし、 針工商人ともなった。そのすこし前には、電池製造の 助手ともなった。そればかりではない、小学校事務員 となったこともあるし、ヤ活版職工となったこともあ る。まだそのほかに、煮しめ商、古着商、荒物商、数 えれば実に際限がなかった。驚くべきことは、この数 え切れないほどの多くの経験が、実際、なんの役にも 立たないとは::: 「檜田さん!」  と帳場のほうから呼ぶ声がした。  急に檜田は腰掛けを離れた。帳場のところへ行って 見ると、隠居の稲垣がだんなに代って、机の前にすわ っていた。そのそばには、職人の|女房《にようぽう》が立って、しき りにおじぎしたり、背中の子供をゆすったりしてい た。 「|熊《くま》さんのところから、今|箸箱《はしぱこ》の出来たのを持って来 まして、すこし余分に貸してもらいたいと言うんです がー」と稲垣は心のよざそうな調子で言った。 「誠にすみませんですが、宅に病人が"こざいまして…  …薬を飲ませることもできないような始末でして・- ……」と職人の女房は泣き付くように言った。 「ス、クも出してお上げなさるサ。」  こう檜田は答えた。このス、クは店だけに用いる隠 し|符諜《ふちよう》である。帳場の時計は十一時過ぎた。まだ一 人、二人の客がはいって来た。やがて、熊さんの女房 も礼を言って帰り、客も出て行ったあとで、帳場のま わりには檜田を初め、専どん、吉どん、政どんなぞが 集まって、その日の売り揚げを計算した。中には、疲 れて、半分眠りながらそろばんをはじいているものも あった。  翌日の朝、檜田は一番早く日がさめて、店の戸をあ けた。ほかの手代や小僧が顔を洗って来て、店の飾り 付けをしたり、鳥毛のちり払いをかけたりするころ は、もう強い日の光がさし込んで来た。  |静岡《しすおか》からの塗り物の入り荷、送り状の引き合わせ、 品物の仕分けーこんな仕事を手始めにして、またい そがしい夏の一日がひらけた。  正さん。この書生には、檜田が|靴屋《くつや》をしておる時 分、編み上げを一足こしらえてやったこともあった が、今度いよいよだんなから許しが出たと言って、こ の雑貨店をやめて帰るという。だんなのつもりでは、 ここで商業を見習わせ、行く行くは自分の片腕にも、 こう頼みきっていたらしいのであるが、正さんのほう で|商人《あきんど》になろうという気がすこしもなかった。もっと も、正さんが帳場の机の下へ書籍を隠して、だんなに 内証で読み読みしたことは、とっくに檜田もにらんで おいた。 「正さん、君は東京へ帰って何をするつもりです。」こ う檜田は、帳場のそばにある|空箱《あきばこ》に腰かけて尋ねた。 「ぼくですか。」正さんは笑って檜田の顔をながめた、 「翻訳でもしてみようかと思うんです。ある雑誌の仕 事をすれば、九円ばかり出すと言って来ましたから ね。」 「へえ、お前も九円取れるか。」とだんなもそこへ来 て笑った。  午後から、店の者はだんなの許しを得て、かわるが わる休みに行った。この雑貨店から裏つづきに今一っ 同じ大きさの建物がある。そこは戸を締めて、売り家 になっておる。もともとこの二軒は同じ雑貨店であっ たのを、今のだんなの代になって、隣だけ仕切って売 ることにしたのである。こういう天井の高い、広い|空 屋《あきや》は、昼寝をするによかった。みんな起されるまでは 知らずに眠っていた。 「檜田さん、今度はあなたの番です。」  と、寝ぽけ眼をこすりこすりやって来た専どんに言 われて、つい檜田も暑さを忘れに行った。見ると、一 人、二人、そこにごろ、ころしている。 「オイ、起きんかIiコラ。」  と言いながら、吉どんが続いてはいって来た。  吉どんは小僧を起しておいて、今度は自分が横にな った。檜田もそのそばへからだを投げ出した。そし て、そのわずかばかりの時間を自分のものとして楽し もうと思っているうちに、いつのまにか疲れが出た。