死 島崎藤村  その年は秋にはいってから、激烈なコレラが流行し た。本郷森川町の|親戚《しんせき》の家でも、弱々しい|叔母《おば》さん や、お君ちゃんや、それから|鶴叔父《つるおじ》さんなぞは別にな んともなくて、あの|頬《ほお》の色のつやつやとした、たっし やな、きれいずきな、しかも|家中《うちじゆう》で一番よく働くおば あさんがコレラにかかった。わたしは、おばあさんの ような心がけの人があんな恐ろしい病気にかかって、 急に避病院のほうへさらわれて行こうとは、夢にも思 わなかったーもっとも、おばあさんはふだんから腸 は悪かった。わたしはそのころ|切通坂下《きりどおしざかした》に下宿してい たが、かねて|郷里《くに》の母から手紙で言ってよこしたこと もあり、こういう時には何かの役に立ちたいと思っ た。で、病人を載せたつり台のあとについて、よくよ く子に縁の薄いおばあざんの一生を考えながら、本所 まで歩いて行った。避病院へ藩いた時にもうそう思っ た。「この人は助かる人じゃない、」と思った。わたし はおばあさんを送り届けておいて、帰りがけに|仙台《せんだい》の ほうにいる|重叔父《しげおじ》さんのもとへ電報を打って、それか らまた森川町へ引き返した。  交通|遮断《しやだん》。親戚の|家《うち》の前には迷惑顔な巡査が見張り をしていた。この出来事は、同じ井戸の水をくんで飲 む近所の家々に|恐慌《きようこう》をひき起したらしかったーその ころはまだ水道はなかったので。狭い往来にはパッタ リ人通りがなくなった。向こうの|喜多《きた》さんでも、隣の 大屋さんでも、もう沈まり返っていた。  わたしは巡査にあいさつして、それから|石灰《いしばい》の白く まいてある格子戸の外に立った。 「|叔母《おば》さん。」  こう外から声をかけたが、ふと、その時喜多さんの 屋敷のほうを振り向いて見ると、二階の窓から顔を出 している女があった。わたしは、その女の神経質らし い目つきと、コワゴワこちらをのぞいて見ている様子 とで、すぐに喜多さんの|家《うち》の|乳母《うば》だと知った。  叔母さんはあおい顔をして上がり|端《はな》のところへ出て 9 8 1 来た。出はいりは無論許されなかったから、よんどこ ろなくわたしは格子戸を隔てて、病院へ行った模様か ら帰りがけに打った電報のことなどを詳しく叔母さん に話した。 「どうもいろいろお世話様で"こざいました。」と叔母 さんは内から礼を言った。  わたしは格子戸につかまりながら、「時に叔母さん、 何か買物はありませんか。お使いに行って来ましょ う。|八百屋物《やおやもの》でもなんでも買って来てあげます。」 「そうですか。」と叔母さんは気の毒そうに、「お使い 立て申しては済みませんが………」 「ナニ、どうせついでですから。」と言って、わたし は叔母さんを励ますつもりで、「なんでも、こういう 時には食べ慣れた物がよう"こざんすよ。野菜の新しい のを、よく煮て、食べてさえいれば、一番安心です。」 「わたしもそう思ってサ。へたなお|魚《さかな》はこわくってね え。では、お気の毒さまですが、おなすか何か見立て て買って来てくださいな。おかずになるようなものな らなんでもよう"こざんす。」こう叔母さんが言って、 それからふろしきを取りに奥のほうへ行った。叔母さ んは野菜を買う|金銭《おあし》とふろしきを格子戸の外へ出して よこした。それを持ってわたしは町のほうへ使いに行 った。  やがてふろしき包みをさげて帰って来た。なす、さ さげなどは、おばあさんの好物で、よくわたしもこの |家《うち》へ来ては"こちそうになったものだ。それを思ったか ら、なるべく色のよさそうなのを選んで買って来て、 またわたしは格子戸の外に立った。叔母さんは礼を言 ってそのふろしき包みを受け取った。 「叔母さん、水は?」とわたしが聞いてみた。 「さっき|巡査《おまわり》さんがくんでくだすったけれど、」と叔 母さんは笑って、 「じゃあ、もう一ぱいくんでおいていただきましょう か。」 「えゝ、お出しなさい。」とわたしが言った。  叔母さんは台所の障子をあけた。わたしもその時、 勝手口のほうへ回った.井戸ばたには長く喜多さんの 屋敷に奉公する女中が水をくんでいた。そこは喜多ざ んの屋敷の裏口に近くて、木戸から出はいりすること のできるようになっている。わたしが|手桶《ておけ》をさげて行 くと、女中は水をくんでくれて、そのかわりにおばあ さんのことをいろいろ聞き尋ねた。  わたしも話さないわけにはいかなかった。「きのう の昼、ころからでしたよ。肴|腹《なか》が痛いと言い出したの は。けさ来て見ますとね、顔の相がまるで変って、一 晩の下痢のために目などもこう落ち込んでいましたっ け。それからお医者様が来る、心臓へ注射をする…… ・:」 「もうそんなにいけなかったんですか。」と女中はま ゆをひそめた。 「えゝ、脈の打ち方がふたしかでしたから。」 「それで、なんですか、あなたが病院までついていら しったんですかーこわかったでしょうねえ。」  こうして話していると、いつのまにか木戸のところ へやって来て、わたしたちの話を立ち聞きしているも のがあった。 「お|留《とめ》さん!」  女中は|乳母《うば》の名を呼んだ。  急に乳母は引き返して行ってしまった。その時、わ たしはこの女中からお留さんの話を聞いて、いかにあ の乳母がおばあさんの病気をこわがっておるかという ことを知った。それは普通の恐怖を通り越して、病的 に聞えた。あるいは乳母に言わせると、こうして不思 議がっているわたしたちのほうがよっぽど不思議かも しれないが、でもわたしたちはごま塩でなければ飯が 食べられないほどにコレラを恐れてはいなかった。あ の病気がはやり出したというころから、乳母はいっさ いほかのお|菜《かず》をロに入れないくらいだという。|朋輩《ほうぱい》が 奥から|刺身《さしみ》でもちょうだいすると乳母はそでを引いて 止める。それほどの神経家だから、喜多さんの|家《うち》でも 持て余して、なるべくコレラの話はしないようにして いても、いつのまにか乳母のほうではかぎつけて、や れきのうは葬式が幾つ通ったの、きょうは幾つあった のと、よくまたそれを知っている。こういう女の目の 前で、吐いたり、下したりする人が出来たからたまら ない。喜多さんの|家《うち》ではわたしのおばあさんの病気を 隠せるだけ隠した。しかし、あの乳母の鋭い神経にい つまでそれが隠しきれるはずのものでもなかった。お まけに巡査は立つ、石灰のにおいはして来る………  ごく短い間に、これだけのことがわたしの頭へはい った。わたしは叔母さんの|家《うち》の水がめに水を満たして おいて、それからいったん自分の下宿のほうへ帰った が、喜多さんの|家《うち》の乳母のことを考えると変な気がし た。  翌日、おばあさんを見舞う前に、わたしはちょっと 森川町へ寄ってみたが、喜多さんの|家《うち》ではまた本所の 避病院から電報を受け取ったというところへ行き合わ せた。それで見ると、乳母はわざわざ避病院へ行って 診察を受けた。そして、入院してしまった。この話を わたしは叔母さんから聞いた時は、驚いた。なんでも 乳母はすこしお|腹《なか》が痛んできたと言っていたそうだ が、医者に|診《み》てもらうつもりで喜多さんの屋敷を出た っきり、帰って来ないという。 「きっと神経だ!」  と叔母さんは格子戸の中で言った。  わたしはおばあざんのことが気がかりなので、さっ そく本所をさして出かけた。それから一時間ばかりた って、鼻をつくような強いにおいの石炭酸を白い消毒 衣の上から浴びせられて、わたしがあの柳島の妙見堂 に近い避病院の廊下を行ったり来たりしたころは、お ばあさんはもうこの世の人ではなかった。廊下先のガ ラス戸の外には荒廃した庭が見えた。昼間鳴く虫の声 も聞えた。  わたしはこの病院の看護婦をつかまえて、喜多さん の|家《うち》の乳母のことを尋ねてみた。いくつか患者の|部屋《へや》 のある廊下の突き当たりに、きたない障子が中仕切り に立ててあって、その障子のあいたところから、板敷 の上に置いた寝台が見えた。患者の顔は見えなかった が、長い、寝乱れた女の髪の毛だけわたしの目に映っ た。この人が乳母だった。 「あの患者は類似として扱ってございます。自分で診 察を受けにいらしったんですけれど、まだ院長さんも はっきりしたことはおっしゃいません。」  こう看護婦がわたしに言って聞かせた。  わたしは、乱れた髪の毛で、あの女の底の知れない 恐怖を読んだ。"こま塩でなければ飯も食べなかったと かいうほどの神経家が、この薄気味の悪い、ホンモノ の大ぜいいる避病院へ引きつけられて来るまでの心の ありさまは、あのクシャクシャに苦しみ縮れた髪の毛 によく現われていると思った。おばあさんの|亡《な》くなっ たことを知らせるためにわたしは一度本郷のほうへ帰 った。その夕方、|重叔父《しげおじ》さんは仙台から着いた。とり あえずいっしょに避病院まで行くことにして、二人車 で急いだが、その時はもうおばあさんは病院の裏手に ある死亡室のほうへ回されていた。薄暗い|黄昏時《たそがれどき》の空 気のなかで、わたしたちは七つ八つばかり並べてある |死骸《しがい》の前に立った。どれがおばあさんか、と迷うぐら いであった。重叔父さんの目で見てもいノ生みの母の顔 がわからないほど相は変っていた。おばあさんの左の 目の上にはほくろがあった。それをわたしたちは思い 出して、ほくろがあるから、やっとそうかと思った。 すっかり日の暮れるまでわたしたちは病院の前で待っ た。やがて裏門が開かれた。おばあさんの冷たい死か ばねは車に乗せられて出た。重叔父さんもわたしも夜 道を照らすちょうちんのあとについて、真っ暗な畑の 間などを通りながら砂村の焼き場まで見送った。  重叔父さんがおばあさんの遺骨を携えて|郷里《くに》へ帰る ために東京を|発《た》つという日、避病院にはいっていた乳 母は|亡《な》くなった。あの女については、最後には真正の コレラになったという説もあり、あるいは|気死《きし》したと いう説もあったが、わたしにはどちらがほんとうだと も決めることができなかった。 「お|留《とめ》さんもかわいそうなことをしましたねえ。」  と喜多さんの|家《うち》の女中は井戸ぱたでわたしに会った 時に言った。