|土産《みやげ》 島崎藤村  金太郎|叔父《おじ》は、中古でととのえた霜降りの夏服に麦 わら帽子をかぶって、毛じゅすのこうもり|傘《がさ》とふろし き包みを手にして、|神奈川《かながわ》から新橋のステーションに 着いた。  すこし夕飯には早いが、どこか停車場前の飲食店で したくをして行こう。こう|叔父《おじ》は思った。この出京は |亡《な》くなったせがれの百力日を東京の|家《うち》のほうでするつ もりで、そのために三日ばかりの休暇を得て出て来た のであった。夕飯は手軽にすますことにした。で、あ るそば屋へはいった。 「とにかく、一杯やろう。」  と叔父は自分で自分に言った。  |靴《くつ》を脱いで上がって、まずそこへあぐらをかいた。 天ぷらそばを二つばかり、それに好きな酒をあつらえ ておいて、それから叔父はひどく日に焼けた自分の手 をながめた。  一生のつまずきから、金太郎叔父は今、神奈川の|栽 紅園《さいこうえん》というところへ身を寄せて、自分よりはずっと年 の若い専任技師の下について、毎日毎日土いじりを仕 事にしている。過ぐる十年は、叔父の一生にとって、 実に難儀という難儀をしつくした時代で、ことに神奈 川へ行く前の一二年というものは、最も暗い時を送っ たのであった。  ガラスを通して温室にさしこむ日の光、蒸すような 初夏の空気、しおれたバラのにおいーここへ来るま で庭で働いていた栽紅園のありさまが叔父の胸に浮か んだ。叔父はもうそこへ自分を投げ出すようにして、 よくこうして今の職業にありつくことができたと思い ながら、酒を待っていた。やがて|銚子《ちようし》がついて来た。 どんぶりの中の天ぷらもウマそうににおった。叔父は |手酌《てじやく》で、ちびりちびりと始めて、一杯は自分の健康の ためにくみ、一杯は|亡《な》くなったせがれのためにくみ、 一杯はまた二十何年ぶりかでめぐりあった|姪《めい》夫婦のた めにくんだ。 出前持ちがいそがしそうに出たりはいったりするこ ろ、叔父はほろよいきげんでこのそば屋を出た。|坂本《さかもと》 まで電車で、それから根岸にある|甥《おい》の|家《うち》のほうへ歩い て行ったころは、酒もそろそろさめかかって来た。  |甥《おい》の|由蔵《よしぞう》は旅に出ていなかった。どぶを前に控えた |住居《すまい》の内には、細君のお末さんというが、子供を見な がら、寂しそうに|留守居《るすい》をしていた。早く夕飯もすま したと見えて、子供のために寝床が敷いてある。|蚊帳《かや》 も|釣《つ》ってある。金太郎叔父がたずねて来たと聞いて、 寝床にはいったばかりの二人の子供は寝まきのままで 蚊帳の中からはい出した。 「どうしてそうお行儀が悪いんだろう。」とお末さん はしかるように言った。 「お|土産《みや》がありますよ。」と叔父は笑いながら、ふろ しき包みの中からおもちゃを取り出した。 「おやみ! おみや!」二人の子供はわれがちにその おもちゃのほうへ集まった。 「そんなにけんかするんなら、あげませんよ。」と言っ て、お末さんは叔父の葺瀞を受け取って、それから二 人の子供に分けてくれた。  子供は遊び疲れているというふうで、まもなく寝床 へはいって寝た。 「さあ、これからお末さんへのお|土産《みやげ》だ。」  こう叔父はひとり.ことのように言って、薄暗くなっ て来た窓のところへすわった。酒の気は残っていた。 どこから集まるともなく、やぶ蚊がわびしい音をさせ ては襲って来た。 「叔父さん、まあお楽になすってください。洋服では たまりません。」とお末さんは茶をすすめながら言っ た。 「時に、お末さん。手紙にもちょっと書いてよこしま したが、実に妙な人に、めぐりあいましたよ。」 「そうですってねえ。」とお末さんはそこへ長ぎせる を持ち出して、辛酸なめつくした金太郎叔父の顔を見 まもった。  叔父はもう蚊に食われるのも知らずに話しこんだ。 「それがーネ、だしぬけなんでしょう。同僚がわた しのところへやって来まして、『|永島《ながしま》さん、女の人が 尋ねて来ましたぜ、』と言うじゃありませんか。『女の 人?』『だって、ほんとうだから行って"こらんなさ い、』こう言いますサ。わたしはその時栽紅園の温室 にはいって、いろいろな西洋草花に水をやっていまし たが、そう言われるものですからそこに|如露《じよろ》を置い て、それから応接間へ行って会ってみました。」 「まあ、どんなでしたろうねえ。」とお末さんは着物 の上からかゆいところをかきながら言った。 「見ると、普通の女じゃないんです。どこかこう様子 に意気なところがある。『だれか人違いじゃないか』、 とわたしはお|腹《なか》の中でそう思いましたよ。するとその 女がオズオズとした様子で、『あなたが永島金太郎さ んでございますかーでは、これを御覧なすってくだ さいまし、』と言って、ふところから書付けのような ものを出しました。戸籍の|謄本《とうほん》だ。わたしの名前も、 |由蔵《よしぞう》の名前も、ちゃんと出ている:…….」  お末ざんは叔父の話に聞きほれて、ランプをつける ことも忘れていた。叔父は言葉を続けて、「『いよいよ それに相違"こざいませんか、誠におなつかしゅう、こざ います、』こうその女が言い出して、一生会えないか と思っていたが、ようやく会うことができたと言っ て、目に一ぱい涙をためているんでしょう。その時わ たしが、『きょうはこれでお帰り………』と言って、 なだめて、それから所を聞きました。|御亭主《ごていしゆ》はあるか と聞くと、ある。『よし、それでは、いずれわたしの ほうから尋ねて行く。』『お恥ずかしゅうございます が、すこし事情も"こざいまして、今のような|稼業《かぎよう》をい たしております。』こんなわけで、女は帰りました。 さあ、同僚が聞く、聞く.『永島さん、あれはどうい う女です、』1なんて。『え……ナニ…・:すこし知り 合いの者で。』まあわたしはいいかげんに答えておき ました。中にはね、『永島さんのめかけかなんかがた ずねて来たんだろう、』そんなふうに取る者もありま したっけ。言いそうなことだ。しかしどこでどういう 人に会うか実際わかりませんね。お末さんーあなた も妹を一人拾いましたよ。」 「まったくですねえ。なんだかわたしは夢のような気 がします。」  こう言って、お末さんはようやくランプをつけに行 った。薄暗い、陰気な|部《へや》屋の内は、急に話が見えるよ うに思われて来た。 「それから。」と叔父はあぐらにやったり、すわり直 したりして、「わたしが会いに行きましたよ。同僚の 手前もあるし、人に聞えてもどうかと思うしーなに しろ場所が場所ですからねえーわたしは日が暮れて からコッソリたずねて行ったんです。|神奈川《かながわ》の町はず れでした。そうさ、場末によくある料理屋風の家で、 なんだかこうすみのほうには白いものを塗ったような 女が二三人も見えましたッけ。行くと、|亭主《ていしゆ》まで出て 来て、まあ二階へ上がれ、|叔父甥《おじおい》の名のりをするから まず杯を受けくれーそれはもう大喜びでしたよ。ど んなに夫婦してなつかしがったか知れません。|亭主《ていしゆ》も 、こく人のよさそうな男サ。土地でも有力な酒屋のむす こなんだそうですからね。」 「なぜまたそんな|稼業《かぎよう》をしてるんでしょうね。」と器 末さんが言葉をはさんだ。 「それには事情があるらしいナ。」と叔父は打ち消し て、「で、その場はそれで済まして、いったんわたし も帰りました。それからは、時々先方からもわたしの 宿へたずねて来る、わたしも会いに行く、次第に様子 がわかって来たんです。」 「してみると、なんですか、そのお|俊《しゆん》さんという人は |吾夫《やど》のすぐの妹なんですか。」 「えゝ、わたしの姉の二番目の娘ですからiそこで すて。情ないと思うことは、由蔵はこうして立派に家 督を継いでいられるのに、あのお俊のほうは永島も名 乗れないという始末でしょう。恥をお話ししなければ わかりますまいが、それも、これも、みんなわたしの 姉の不行跡からです1永島の家がこうなったのも、 わたしが今日のような逆境に陥ったのも。」  その時叔父は、痛憤の気を漏らすというふうで、目 に見えない人をつかまえて、胸のあたりをかきむしる ような手つきをした。  叔父は嘆息した。それからあのお俊の|生《お》い立ちの話 に移った。「つまり、あの|娘《こ》には金をつけて生まれる 間もなく養女にやってしまったんです。その家が斎藤 なんです。そのころは斎藤も楽でしたから、何不自由 なくあの|娘《こ》も育ったらしい。学校へもやってくれる し、三味線や踊りも仕込んでくれるしーお俊はもう |立派《りつぱ》な斎藤の娘だとぱかり思いこんでいたんだそうで す。ところが、十七の夏だ、ある日のことお俊がひと りで二階へ上がって虫干しのあと片づけをしている と、どういう物の中にあったかーそこまではわたし もよく聞きませんでしたがねーとにかく自分の籍の ことを書いたものが出て来た。『アーわたしはここ の|家《うち》の娘じゃない。』それを見た時の心持はなかった と言いますね。今までわからなかったことが|一時《いちどき》にわ かって来た。家の人のそぶりもわかった。自分の位地 もわかった。ホラ。斎藤の家には一人男の子があっ て、『にいさん、にいさん』と言わせられていたそう ですからね。『あの、わたしはここの|家《うち》の娘じゃない んですか。』つい案俊がそれを|家《うち》の人に口走ったとい うものだ。すると、一度もおこったことのない|家《うち》の人 が、その時にかぎっては、非常におこった。『なぜ、 お前はそんなことを聞くんだい。』お俊はもうざんざ んにしかられたんだそうです。結局、難題が持ち上が って来た。難題というは、『にいさん』と夫婦になれ! お俊もそういうことを言われるだろうと思って、ビク ビクしていたそうですが、『にいさんと夫婦なぞには なれません、』と言い切ったそうです。さあ、|家《うち》の人 の様子は、ガラリと変った。『恩知らずめーなんの ために今日まで丹精したと思う。にいさんと夫婦にな るのがいやなような者なら、一日も|家《うち》にいてもらう用 はない。』こうだそうだ。しまいには、『きげんよくい っしょになるか、それがいやなら女郎にたたき売っ てしまうがどうだ。』|家《うち》の人も、最初はそんなつもり もなく、おどかすぐらいの量見だったんでしょう。そ れが両方とも意地ずくになって来て、お俊も斎藤の家 を出たことがあるんだそうです。なんでも|叔母《おば》ざんの |家《うち》へ逃げ出して行ったとかッて。そこで、あの|娘《こ》も、 考えたんでしょうナ。今度は自分のほうから観念し て、女郎になることだけは許してもらって、そのかわ りに芸者屋へ身を売った。いくらとか言いましたッ け。その金を恩人へお礼としてあげたわけでしょう。 芸は身を助けた。それからお俊は左づまを取るように なって、一時はかなり売れたんだそうです。で、どう かして自分の家族のものにめぐりあいたいと思って、 そのことはもう一日も忘れなかったと言いましたよ。 永島という名を聞くと、お客をつかまえては尋ねてみ るが、どうしてもわからない。そのうちにお俊はある |薩摩《さつま》の人とかにひいきにされた。このお客はまた親切 な人で、いろいろにして永島を尋ねてくれたそうで す.永島というは、三浦のほうにょくある|苗字《みようじ》だと言 うんで、ある夏、お俊を連れて、わざわざ三浦まで捜 しに行ってくれたそうですが、なるほど永島は何軒も ある、しかし永島金太郎はない。二人ともがっかりし て帰った。そうこうして年月を送って、お俊もあちこ ちと転々して歩いているうちに、お目にかかったのが 今のだんなだ。根引きをされるまでに思い思われた。 この人の|家《うち》はまた、財産家で、おっかさんは物のわか った女だから、お俊を|家《うち》へ入れたいんだそうですが、 なにしろ|生家《さど》がわからないでは困る、捜せ、そうして 二人の心も見届けた上で、今の|稼業《かぎよう》もやめさせよう し、|立派《りつぱ》に添わせてもやろう。その間はなんでも二人 してやってみるがいい。こう言うらしいナ。それから 夫婦で捜した。いくら捜しても、手がかりがない。お 俊は一生永島の人には会われないものとあきらめてい たそうです。ところへ、わたしが栽紅園の技師として 出かけて行ったでしょう。今度こそは永島金太郎だ。 それでもまだ会ってみないうちは、半信半疑で、お俊 夫婦はもうあわててしまって、『お前が行っておい で、』『あなたが行ってらっしゃい、』と二人ともどう していいかわからなかったそうです。お俊がわたしに 会って帰って行きますとね、だんなは|門口《かどぐち》に出て待っ ている。『オイ、どうだった、確かに叔父さんか、』こ う聞かれた時は、お俊は涙をホロホロとこぽしました とサ:.…:.」  お末さんは、叔父の顔をながめたきり、物も言わな かった。やがて、 「叔父さん、お俊さんが尋ねて来たのは|幾日《いくか》でござい ましたッて?」こう言い出した。 「五月の|一日《ついたち》サ。」 「ちょっと待ってくださいよ、わたしが調べてみたい ことがありますから。」  お末さんは立って行って、九星の暦を繰ってみた り、古い紙入れを捜したりしたが、お俊に関したこと がいくらかわかった。偶然にも、お俊の斎藤へもらわ れて行った日がやはり五月の|一日《ついたち》であった。 「まあ、わたしは気味が悪くなってきた。」  とお末さんは、喪心した人のように、無理に笑っ て、それから急に仏壇へ燈明なぞを上げた。月のある 初夏の晩のことで、|黄昏時《たそがれどき》が長く続くように思われ た。いつまでたっても空は明るかった。  |日暮里金杉《につぽりかなすぎ》にある自分の|家《うち》のほうへ帰るつもりで、 金太郎叔父がしりを持ち上げたころは、月あかりが窓 のところへさしていた。叔父はまたたずねて来ると言 った。そして、神奈川の|土産《みやげ》を分けるために、自分の 家をさして急いだ。