めがね (眼鏡) 島崎藤村  めがねがこんな話を始めました。  わたしはもと東京の|本郷切通坂上《ほんごうきりどおしざかうえ》にあるめがね屋に いたものです。そのめがね屋の店先に、ほかの|朋輩《ほうばい》と いっしょに狭いところへ押しこめられて、|窮屈《きゆうくつ》な思い をしておりました。そして毎日毎日あくびばかりしな がら、めがね屋の|隠居《いんきよ》が玉を|磨《す》る音を聞いておりまし た。  ある日、二十二一ばかりになる年の若い男の客がそ のめがね屋の店先へ来まして、よさそうなめがねを見 せてもらいたいと言いました。めがね屋の隠居は慣れ ていますから、いろいろなのをそこへ取り出して、客 に見せました。そのたびにわたしの|朋輩《ほうばい》はかわるがわ る箱の中から取り出されました。"こしょうちのとお り、わたしたちの玉にはみんな|度《ど》というものがありま す。その度によって、厚いのもあれば、薄いのもあり ます。客は自分の目によく合うのを買いたいと言っ て、いくつもいくつも掛けてみましたが、わたしの|朋 輩《ほうばい》はみんな落第でした。そこでこんどはわたしが取り 出されることになりました。 「だんな、これはいかがです。このめがねなら、ちょ うどあなたにはよさそうですよ。」  と隠居が言って、わたしをきれでていねいにふい て、客の手に渡しました。 「これを一つ掛けてごらんなさい。」  とまた隠居が言いました。  客がわたしを掛けると、急にそこいらの物がよく見 えてきました。隠居の顔でもなんでもバッキリと見え ました。 「なるほど、これはよく見える。」  と客はたいへん喜びまして、隠居にお|銭《あし》をやってわ たしを買うことにしました。  おかげで、わたしは窮屈なところを出て、客の鼻の 上ヘチョンと乗っかりました。まあ、なんという広々 とした世界でしょう。それまでわたしは薄暗い窮屈な 箱の中にいて、おてんとうさまもろくに見なかったの ですが、おてんとうさまがさしてくると、にわかにわ たしはピカピカ光りました。心持のいい風もわたしの ほうへ吹いてきました。客は大喜びで、向こうの屋根 を見れば屋根もよく見えるし、遠いところの町を見れ ば町もよく見える、|湯島《ゆしま》の天神さまの|境内《けいだい》へ行って、 上野の公園のほうを見ると、ずっと向こうの森もよく 見える。高いところをカアカァ鳴いて通るからすの形 までもハッキリと見える。 「ああ、よく見える。いいめがねだ。」  と客はわたしのことをたいそうほめてくれました。  その日から、わたしはこの客を自分の主人として、 どこへでもいっしょに行くようになりました。 二  ここでわたしはだんなのことをちょっと、皆さんに お話ししたい。  だんなのお友だちといえば、いずれも若い人たちば かりでしたが、中にはだんなと同じように近眼のおな かまもありました。  そのお友だちがだんなの顔を見て、 「いいのをお、こりましたね。」  とわたしのことをそう言いました。 「君のめがねを一つ貸してみたまえ。」  とだんなが言って、そのお友だちの掛けているめが ねを借りて、わたしの代りに掛けてみました。だんな がそれを掛けると、急にそこいらの物が小さくなって 見えると言いました。 「たいへんだ。これを掛けてると目が痛くなってく る。」  と言って、だんなはそのめがねをはずしてしまいま した。 「どれ、ぼくにも君のを掛けさしてみたまえ。」  とこんどはお友だちが言いまして、わたしを掛けな がら四方八方を見回しました。そのお友だちの目に は、わたしの|度《ど》ではすこし弱かったのです。やはりわ たしはだんなの鼻の上にいなければ自分の力を現わす ことができませんでした。  だんなにはこんなこともありました。ある朝、だん なはわたしを台所のたなの上に載せておいて、それか ら顔を洗いました。わたしはなりが小さいから、たな の上のすりばちのそばにいて、だんなの顔を洗うのを 待ちました。するとだんなはわたしが見えないと言い 出して、 「オヤ、めがねはどうしたろう。」  と見当ちがいのねずみいらずのほうへ行ったり、自 分のたもとの中をさがしてみたりしました。  だんなも近目ですね。わたしがすぐ目の前のたなの 上にいるのに、それがだんなには見えない。 「めがねを知りませんか。」  とうちじゅう尋ね回って、人に頼んでわたしをさが してもらいました。わたしはちゃんとすりばちのそば で近眼でない人が捜しにくるのを待っておりました。 「こんなところにあるじゃありませんか。」        おんな  と台所にいた下女はすぐにわたしを見つけて笑いま した。それほどだんなにはわたしがいなければ用が足 りないのです。  だんなは十三四の時分から英学を始めて、あまり細 かい文字をつめて読みすぎたり、夕方の薄暗いところ であかりもつけずに勉強したりしたために、そういう 近眼になりましたとか。だんなの目の|性《しよう》もよくはなか ったんでしょうね。小学校を卒業する時分に、ひとみ のところへ白い星が掛かって、|三月《みつき》ばかりお医者に掛 かったこともあるそうです。その時分から十八九ぐら いまではめがねを掛けたり掛けなかったりして、さや に入れてたもとの中にしまっておいて、ただ遠くのほ うを見る時にばかりさやから取り出して掛けたそうで すが、どうしてわたしが来たころには、夜寝る時とお 湯にはいる時よりほかに、わたしを離さないくらいで した。 三  このだんなのお供をして、わたしは諸国の見物に出 かけることになりました。  昔話にある桃太郎も大きくなれば、遠いところへ出 かけます。ああいうふうにきびだん、こでも腰に着けて |鬼退治《おにたいじ》に出かけたら、さぞおもしろいでしょうね。子 供の時分からあの話を聞いて大きくなったものは、み んな桃太郎の兄弟のようなものですね。けれども青鬼 や赤鬼のいる島は遠い……夢のように遠い……そこで わたしのだんなは旅のしたくをして、知らない国々の よく見えるようにわたしというものをお供に連れ、歩 いて行かれるところへ行ってみようと思い立ちました のです。  旅ほど気分の|清《せいせい》々とするものはありません。たまに 皆さんが先生がたに連れられて、学校から遠足に出か けたばかりでも、|快《こころよ》いでしょう。青々とした広い空 ービロードのように柔らかな草-見るもの聞くも のがみんな皆さんには新しく思われるでしょう。その 行く先の草の上をはねまわってくたびれたところで、 皆さんが持って行ったお弁当の包みでもひろげて、こら んなさい。そして、あそこでもここでもお友だちの楽 しい話し声や笑い声のする中で、のりまきだのおむす びだのをほおばって"こらんなさい。その味は忘れられ ますまい。  ちょっとした遠足をしてもそのとおりでしょう。も しまた、これが知らない土地の修学旅行か何かであっ て"こらんなさい。楽しみにして出かける前の晩なぞ は、ろくろく眠られないくらいのものでしょう。それ から朝も早く起きて、おかあさんやねえさんに手伝っ てもらって、着物を着替えたり、はかまをはいたり、 手ぬぐいを用意したりして、軽々とした新しいわらじ やくつで|家《うち》を出かける時には、なんとなく別の世界へ でも旅立つような心持がするでしょう。  ちょうど、だんなもそうでした。いよいよしたくも ととのいました。空を鳴いて通るからすまで、「お早 く、お早く」と言ってわたしたちをせき立てました。  どれ、旅のお話に移りましょう。 四  皆さんがひところよく歌った鉄道唱歌の中にもある ではありませんか。ちょうどああいうふうに、新橋か らわたしは汽車で|鎌倉《かまくら》まで乗りました。勇んで東京を 出かけただんなの心も思いやられます。アレ水鳥が飛 んでいます。品川の|御台場《おだいば》のほうを御覧なさい、帆掛 け船も通ります。おてんとうさまの光はそこにも、こ こにも輝き満ちています。  鎌倉にはだんなのお友だちの島田さん兄弟と、その 妹の・お|柳《りゆう》さんとで、だんなを待ち受けていました。だ んなは|一晩《ひとばん》泊まりまして、夜おそくまでお友だちとこ れから先の旅の話などをしました。だんなが鎌倉を立 つ時には島田さんやお柳さんはサクサク音のする砂の 道を踏んで、松林の間を見送って来ました。 「ポッ ポッ ポッ ポッー」  汽車がそんな音をさせて、白い煙を残しながら、わ たしたちの前を通りました。鎌倉からは、だんなは汽 車に乗らないで、ところどころに松並木の残った古い 東海道をポツポツ歩いてまいりました。皆さんがお正 月のお休みにみかんやおせんべいをかけて遊ぶ|道中《どうちゆう》す 。ころくにあるのもこの|街道《かいどう》です。その昔、|弥次郎兵衛《やじろぺえ》 に|喜多八《きたはち》の両人が通ったという作り話にあるのもこの 街道です。それから昔のお|大名《だいみよう》が大ぜいお供を連れ て、やり持ちなどを先に立たせて、「下におろうー 下におろうーー」と言いながら行き来をしたというの もこの街道です。  道中もおもしろいではありませんか。だんなが東京 を出かけたのは、ちょうどお正月のことでしたが、こ うして歩きながら見物してまいりますと、途中の村々 には|旧暦《きゆうれき》でお正月をするところがありました。そうい う村々では、まだおもちもつかず、松も飾らず、よう やく暮れのすすはきをしているところでした。「来い、 来い、早くお正月が来い、」と言って、往来に遊んで いる村の子供もありました。だんなも旅に来て、まだ 春の来ないいなかの大そうじに会い、パタパタ古い畳 をたたく音やすすはきのほこりの立つ中なぞを歩いて 通りました。  村々へさしかかると、往来で時々おじぎをする男や 女の少年にも会いました。学校の生徒と見えます。だ んなもわたしというものが光っていればこそ、こうし て見ず知らずのかわいらしい少年からおじぎをされ る。そう思うと、なんとなくわたしも鼻が高くなりま した。  だんだん暖かなほうへ参りました。そのうちにみか んの畑のあるところへ出ました。皆さんはよくみかん の皮をむいて、あのオイしい露を吸ったり、お|獅子《しし》パ クパクなぞにして召し上がりますが、みかんの木とい うものを見たことがありますか。|国府津《こうづ》の海岸には、 そのみかんの木が小山のわきにも谷にも畑にして造っ てあります。ホラ、あの黄色いみかんの皮をむく時に は、チュウと皆さんの目にしみるようでしょう。あれ ほど|香気《こうき》の強いものですから、木の葉もやはりそのと おり肉の厚い、色の濃いものでして、そこへおてんと うさまがさそうものなら、ほんとに暖かい海岸へ出て 来た気がします。みかんの花ざかりのころには一里も 二里も沖のほうまでそのにおいがするということで す。  海といえば、国府津の海岸へ来てわたしはびっくり してしまいました。色鉛筆が青いの、何が青いのと言 ったとて、国府津へんの青い深い海はお話にもなんに もなりません。それに、あの波の音はどうでしょう。 めがね屋の小僧にも聞かせてやりたい。 五  オヤ、富士がよく見えてきましたぞ。|興津《おきつ》へんまで 行きますと、その暖かいことと言ったら。だんなばか りでなく、時々わたしも汗をかいてポウとなりまし た。だんなは途中で足を止めて、休みました。道ばた には名も知らない小さなかわいらしい草花も咲いてい ました。  その草花がわたしたちのほうを見て、 「"こ見物ですか。」  と声をかけました。  おきつ             兇いけんじ  興津では、だんなは清見寺というお寺へも寄りまし た。本堂の前の広い庭に大きな|蘇鉄《そてつ》がありました。そ のお寺の|境内《けいだい》には石でこしらえた五百|羅漢《らかん》もあって、 だれでもその前に立つ旅人は自分の身うちのものに会 えるというほどいろいろな石像が並んでいるところで す。行ってみると、なるほどたくさんある。人体をす こし小さくしたほどの|羅漢《らかん》がそこにもここにもいる。 チュウチュウ、たこーかいーなーどうして、こ のたくさんある羅漢が数えきれるもんですか。古いこ けのはえた石像の中には、立っているのもあり、すわ っているのもあり、見ているうちにみんな生きて動き だすかしら、物を言うかしら、と思われるほどでした。 だんなはふところから旅の手帳を取り出しまして、あ そこにだれがいた、ここにだれがいた、といろいろな お友だちのすがたをその手帳に写し取りました。頭が とんがって口は大きくあいて笑っているような羅漢だ の、頭は丸く日はつぶりくちびるはかみしめて深く考 えこんでいるような羅漢だの、そうかと思うとでこぼ こした頭に目を細くあいて静かににらんでいるような 羅漢だの、まあいろいろなのができあがりました。|鎌 倉《かまくら》で別れた島田さん兄弟によく似た石像もその中にあ りました。だんなは興津の宿屋へ帰ってから、その手 帳の写しを島田さんのところへあてて手紙といっしょ に出しました。東京のお友だちがみんなで見たら、さ ぞ笑うでしょう。  富士山も大きな山ですね。こうして東海道を旅して みるとそう思いますよ。汽車のない時分にはみんなあ の山を見るのを楽しみにして、道中したんでしょう ね。だんなが歩いてまいりますと、だんだん高く見上 げるほど近い富士のすそへ出まして、しまいにはあの 山が来てわたしの顔へぶつかるかと思いました。いい あんばいに、それまでわたしの前にばかり見て行った 山が急にうしろのほうになりました。わたしは富士山 のほうでグルリと一つ回ってくれたんだろうと思いま した。  |熱田《あつた》まで出まして、船で|四日市《よつかいち》へわたってみまし た。お天気つごうはよし、船の旅はまたかくべつでし た。|亀山《かめやま》というところで一晩泊まりまして、それから だんなは|江州《ごうしゆう》のほうへ向けて出かけました。だんなも 足がたっしゃでしたから、乗ったり乗らなかったりし て旅を続けてまいりましたが、|伊賀《いが》と|近江《おうみ》の国ざかい あたりではずいぶん寂しい山道を通りました。あれか ら|草津《くさつ》のほうへ出て、さらに進んでまいりますと、黒 ずんだ木と木との間に光った水を望みました。  思わずだんなは木の下へ駆けて行って、 「|琵琶湖《びわこ》!」  と声を揚げました。 六  |大津《おおつ》の町へはいったころは綿のような雪が来まし た。だんなはわらじの先も冷たそうに、サクサクと音 のする淡い春の雪をふんで、めずらしい町々を歩き回 りました。雪のふる中でゴーンゴーン寺々の鐘の音が 聞えました。夕方のお勤めが始まるのでした。  黒ずんだ琵琶湖の水を|瀬多《せた》の橋の上からもながめ、 湖水のほとりにある町々をも見物しまして、やがて汽 車で|神戸《こうぺ》のほうへ向かいました。神戸にはだんなの知 らない人でしたが、島田さんやお柳さんの|懇意《こんい》なお|正《しよう》 さんという人がだんなを待っていてくれました。お正 さんはだんなから見ればねえさんのような人で、だん なから旅の話を聞いて笑いました。  さんざんだんなも歩いて、いくらかくたびれまし た。そこで|須磨《すま》にある|漁師《りようし》の家を借りまして見物かた がた足を休めました。名高い一の谷も近くにありま す。一の谷の|合戦《かつせん》なんてよく言うじゃありませんか。 あそこです。須磨には|敦盛《ちつもり》そばだの、|光源氏《ひかるげんじ》の墓だ の、須磨寺の青葉の笛だの、いろいろな物がありまし たが、明るい海をながめたほうがわたしは退屈しませ んでした。  神戸へもどると、|高知《こうち》行きの汽船が出るところで す。高知にはだんなのお友だちで|中西《なかにし》さんという人が いました。そのお友だちをたずねよう、|土佐《とさ》の国をも 見物しようというので、だんなは神戸から船に乗りこ みました。 「ゴットン、 ゴットン、 ゴットン」  船は石炭をたいて海の中を進んで行きました。時 時、船の中で、 「ガチャン」  という音をさせます。石炭をかまにくべたあとで、 鉄のとびらをしめる音です。  皆さんは地図をあけて"こらんたさると、四国のはじ のところに海のほうへ突き出した|岬《みさき》がありましょう。 あそこを「お|鼻《はな》」と呼んでいます。「|御端《おはな》」という字 を書くのかもしれないとだんなはいいました。その四 国の鼻の先を回るころには、だいぶ船も揺れました。 「もう、お鼻ですか。」  |船旅《ふなたび》をする人たちはちゃんと心得ていまして、早く 海の荒いところを通り越したいというふうに、船員に 尋ねます。「お鼻」もはるかあとに見て、アーンとあ いた口のようなところへ船がはいって行きました。そ こがだんなのお友だちのいる高知でした。もうわたし はよほど遠く来ました。  帰りには寒い雨なぞが降り出しまして、船まで送っ て来てくだすった中西さんも、だんなも、わたしまで もぬれました。しかし海の上はわりあいにおだやかで した。 「そろそろお鼻にかかりますかね。」  そう言って聞くほど、帰りにはだんなも慣れまし た。長い長いと思った行きの旅に比べると、帰りには ぞうさもなく神戸に着くこともできました。 「ブ、ブ、ブ、ブ、ブウー」  船は港へ帰って来たことを知らせました。 七 白-赤-黄-|神戸《こうべ》は大きな港だけに、たくさ ん蒸汽船や、|帆船《はんせん》や、|荷船《にたり》、|小舟《こぶね》なぞの集まっている のを見ると、いろいろな色が港の内にありました。そ れから、ツンツン立っている帆柱だの、ピカピ刀光る 青い波だの。  神戸のお正さんの生まれた家は|江州《ごうしゆう》のいなかにあり ましたが、せっかく来たついでに、自分の|故郷《こきよう》のほう も見物して行ってくれ、とお正さんにすすめられまし て、だんなは高知からもどるとすぐそちらのほうへ向 かいました。 「ポッ、ポッ、ポッ、ポ」  汽車で行けばどんないなかでもぞうさありません。  お正さんの|故郷《ムフレ 》は、静かな村でした。そこで江州名 物の|鮒鮨《ふなすし》のごちそうになったり、大ぜいして|安土《ちずち》の古 い城あとを見に出かけたりして、やがてだんなはお正 さんの家の人たちに別れを告げました。いろいろお世 話になった礼をも述べました。  わたしはだんなのお供をして、さらに諸国の見物に 出かけました。まず汽車で|西京《さいきよう》へはいりました。 「なむあみだぶ、なむあみだぶ。」  と西京の停車場でお念仏を唱えているおばあさんに 会いましたら、だんなによい宿屋を世話してあげよう と言うものですから、だんなもことわりかねてそのお ばあさんについて行きました。 「なむあみだぶ、なむあみだぶ。」  とおばあさんは途中でもお念仏を唱えながら歩い て、|下京《しもきよう》の|魚《うお》の|棚油《たなあぶら》の|小路《こうじ》というところへだんなを連 れて行きました。そこはおもに坊さんの泊まる宿屋で した。  西京から|奈良《なら》へ、奈良からずっと奥のほうの|大和路《やまとじ》 を|経《へ》めぐりまして、|吉野川《よしのがわ》を渡り、|上市《かみいら》、|下市《しもいち》なぞと いうところを通り、吉野には花の咲くから散るころま でいまして、そこで東京のほうから尋ねてきてくれた 島田さんにも会いました。だんながあの白い雲の谷間 に望まれるような山の上から、道ばたにすぎ丸太の皮 をむいている|杣《そま》のそばなぞを通り、もう一度吉野川を 渡るころは、はや若葉の時分でした。西京まで引き返 して来てみると、よほど夏らしくなっていました。西 京では例の魚の棚の宿屋に一週間ばかりもいました。 もはやだんなもだいぶくたびれてきました。どこかし ばらく|逗留《どうりゆう》するところを見つけて、疲れた旅の足を休 めたくなりました。もう一度だんなは琵琶湖のほとり へ引き返して行きました。長い|瀬多《せた》の橋を渡ると、そ こが|石山《いしやま》で、岸の|燈籠《とうろう》が水に映っていました。石山の お寺の前に|茶丈《ちやじよう》というのがありました。その茶丈の湖 水のほうへ向いた|一部屋《ひとへや》を借りることにして、やっと だんなはわらじのひもを解きました。 「くたびれた。くたびれた。」  とだんなは縁側へ旅のきゃはんなぞを干しながら言 いました。足をそこへ投げ出して休みました。  だんなのお供で、わたしもいろいろな知らない場所 を見てきました。|吉野《よしの》では、|吉水院《よしみホいん》と言って、皆さん の歴史にある|後醍醐《ごだドむ》天皇の|行在所《めんざびしよ》を見てきました。|如 意輪寺《によいりんじ》の|境内《けいだい》には、 |楠正行《くすのきまさつら》が矢の根で歌を書いたと いう古いとびらも見て来ました。ホラ、あの|楠《くすのき》のお じさんの「かえらじとかねて思えばー」あの歌が矢 の根で細く黒いとびらに彫りつけてありました。如意 輪寺は小高い丘の上にありましたが、あれから吉野の 村へ通う谷あいは花でうずまっていました。その道は 昔の武士が重い|具足《ぐそく》を着けて歩いたところだろうかと だんなは言っていました。それからわたしはだんなの お供をして、吉野の奥の|千本《せんぼん》よりもっと奥にある|西行 法師《さいぎようほうし》の|庵《いおり》を見てきました。あの昔の西行おじさんが物 を考えたという小屋の跡は、鳥の声よりほかに聞えな いような、シーンとした山奥で、向こうの深い谷あい には炭焼きの煙が白く上っていました。  しかし遠い昔のことはわたしにはよくわかりませ ん。それよりも、「お暑う`こざいます」とか、「お寒う ございます」とか言える今のことをお話ししたい。  この湖水のほとりで、だんなはおもしろいおじいさ んに会いました。ほうぽう旅をして歩いたものですか ら、そんなおじいさんが見つかったんでしょう。 八  おじいさんのお話をする前に、このへんのことをす こしお話ししましょう。  茶丈の庭先に出て聞いていますと、 「ヒョイヒョイヒョイヒョイ、グッグッ、グッグツ、 ギャアギャアギャアギャア。」  たくさんかわずが鳴きだしました。  もうかわずが鳴くのかとわたしは思いましたら、だ んなの足もとへ水草の中からかわずが一ぴきヒョイと 飛び出しました。 「湖水のほうをごらんな。もう夏が来たじゃないか。」  と、そのかわずが言って、また水の中ヘドブツと飛 びこみました。そして、あのあと足を延ばしてツーイ ツーイと泳いで行きました。  けしきのいいところですよ。わたしたちの前には|琵《び》 |琶湖《わこ》の口が|桂川《かつらがわ》という川になって流れています。その 水が庭先にある岸の草のところへ来て、ないしょ話で もするような小さな低い。ヘチャ。ヘチャした声で、 「東京からお出かけですか。」  とわたしたちにあいさつしました。  この庭の内には石山のお寺へあげる花がたくさん作 ってありました。白や紫のかきつばた、そのほかいろ いろな色の花がきれいに咲いていました。お寺の坊さ んも時々見回りに来て、だんなと話をして行きまし た。この坊さんからだんなは茶丈の奥の|部屋《へや》を借りて いたのです。  茶丈と言っても、皆さんはごぞんじないかもしれま せん。お寺へ|参詣《さんけい》に来る人たちへお茶の|接待《せつたゆ》をすると ころです。家の前には大きな古い|釜《かま》が置いてありま す。  茶丈の|亭主《ていしゆ》は大工が本職で、よく大津のほうへ仕事 に出かけました。亭主はまた植木が好きで、庭にある 花はみんな自分で作りました。  茶丈には若いむすこも|一人《ひとり》ありました。このむすこ は太郎さんという名で、大津のげた屋に奉公していま した。太郎さんが大津のほうから帰ってくると、きっ とだんなの|部屋《へや》へ話しに来ます。  太郎さんはだんなをお友だちのように思って、 「だんな、舟はいかがです。」  とよく誘いました。 九  ある日も、わたしはだんなのお供で太郎さんといっ しょに舟に乗りました。太郎さんも|船頭《せんとう》はなかなかウ マいものです。さおでも櫓でもじょうずに使います。 「ギッチラ、ギッチラ」  舟は湖水の上へ乗り出して行きました。  ヤア、たくさん舟が集まっている。舟の上で人が何 かしている。太郎さんはそれをさして、しじみを取る 舟だとだんなに話しました。 「あんなにたくさんしじみを取って、どこへ持って行 くんだろう。」  とだんなが聞きました。 「あれはみんな汽船に積むんです。|京大阪《きようおおさか》のほうへ送 るんです。」  と太郎さんは言って、向こうのほうに見える汽船が. それだと話して聞かせました。 「このへんでしじみを買うと安いね。」 「なにしろ湖水の名物ですもの。」  だんなと太郎さんはいろいろな話を舟の上でしまし た。  向こうに瀬多の橋が見える。めがね屋の隠居も今"こ ろはどうしていましょう。隠居にも、あの湖水に映る 長いうねうねとした橋を見せてやりたい。  太郎さんはだんなを乗せて黒く光る水の上をあちこ ちとこぎまわりました。  お月さまのある涼しい晩なぞにも、太郎さんとだん なとはよく舟に行きました。太郎さんは器用で、そう いう時には舟の上で笛を吹きました。  この|茶丈《ちやじよう》のむすこが大津から帰ってくる日を、だん なのほうでも待つようになりました。そして太郎さん の顔が見えると、茶丈の奥の|天井《てんじよう》の高い古い座敷で、 |二人《ふたり》でお茶を飲みながら話しました。  太郎さんの奉公しているげた屋は親類の家だそうで すが、そんなげた職を見習っている人に似合わない刀 の話なぞをしました。 「太郎さん、君に見せるものがある。」  と言って、だんなは旅の包みの中から黒ざやの|懐剣《わロけん》 を取り出しました。その懐剣はだんながお正さんの|故 郷《さびと》の村へたずねて行った時に、お正さんがだんなに向 かって、なんにもご|饒別《せんべつ》のしるしにあげるような物は ないが、この懐剣は自分のおっかさんの持った物だか ら、これを記念として持って行ってくれ、と言ってく れてよこしたものです。お正さんの生まれたのは古い 家でしたから、そういう昔の懐剣なぞが残っていたの でしょう。 「どうです、この刀は。」  とだんなはいくらかじまんのつもりで、見せまし た。  太郎さんはさやを抜いて、ピカピカする短い刀を持 ってみましたが、あまり感心もしない顔でまた元のさ やに納めました。  だんなはほめてもらうつもりでいましたのに、太郎 さんのほうでは別にほめもしませんから、 「太郎さん、君はそんなに刀のことがわかるのかい。」  とだんなが尋ねました。 「いいえ、わたしには刀のよしあしはわかりません が、ただ、目方でそう思うんです。わたしのおじが打 った刀は、このくらいの大きさがあるとしますと、こ の倍の倍も目方があります。」  太郎さんは黒ざやの懐剣をてのひらに載せて、ニコ ニコ笑いながらだんなに話しました。 十 「太郎さん、君にはそんなおじさんがあるんですか。」 「ええ。」 「そのおじさんは今、どこにいるんです。」 「ナニ、この近くです。|鳥居川村《とりいがわむら》というところにいま す。」  それが話のはじまりで、太郎さんのおじさんという 人のことをだんなはいろいろに尋ねてみました。 「太郎さん、君のおじさんは今でも刀を打ってるんで すか。」 「ええ、たまに1気の向いた時に。」 「それでふだんは何をしてるんです。」 「マア、お百姓の|鍬《くわ》を打ったり、|鎌《かま》を頼まれてこしら えたり。」 「ホ。」  聞けば聞くほど、だんなはこんないなかにおもしろ いおじいさんが隠れていると思いました。  太郎さんのおじさんは|堀井来助《ほりいらいすけ》という名でした。  庭のほうには、茶丈の|亭主《ていしゆ》が腰をかがめて、花畑の 手入れをしておりました。亭主はどろのついた手を払 って、|鍬《くわ》をさげながら縁側の横を通りました。この亭 主にも、だんなは|来助《らいすけ》じいさんのことを尋ねますと、 「どうして、コワいおじですよ。」  と太郎さんのおとうさんも話して聞かせました。  ある日、太郎さんが大津のほうから見えましたか ら、 「太郎さん、君のおじさんのところへわたしを一つ連 れてってくれませんか。」  とだんなが頼みました。太郎さんは快く、 「ええ、よう"こざんす。"こいっしょに参りましょう。」  と引き受けてくれました。  そこでわたしもだんなのお供をして、|刀鍛冶《かたなかじ》の来助 じいさんの家のほうへたずねてまいりました。太郎さ んはだんなと話し話し案内して行ってくれました。  おてんとうさまのマブしい、草いきれのするような 日でした。石山から|燈籠《とうろう》の並んでいる岸についてまい りますと、湖水はギラギラ光りました。岸の横や、た んぼの間を通って、瀬多の|橋手前《はしでまえ》を左のほうへ曲がる と、そこが|鳥居川村《とりいがわむら》でした。 「ここですよ。」  と太郎さんはお百姓の住むような|家《うち》をだんなにざし て見せました。なるほど、往来へ向いたところには、 |鍛冶屋《かじや》の店先のように打った|鎌《かま》なぞが掛けてありまし た。 十一 「こんにちは。」  と案内をよく知った太郎さんはツカツカ庭の内へは いって行きました。  皆さんはお百姓の住む家へ行って見たことがありま すか。お百姓の家では、表から|土間《どま》の庭を通って、す ぐ裏ロヘ抜けられます。ちようど来助じいさんの家も そういうふうにできていました。|裏木戸《うらきど》の外に大きな かぽちゃの花の黄色く咲いたのが、表から見えまし た。  暑い日ではありましたが、ボロボロしたじゅばん一 枚で裏口のほうからはいって来たおじいさんがありま した。どこのお百姓かと思うような人でした。  その人が太郎さんのおじさんでした。  来助じいさんはだんなや太郎さんのたずねて行った のをたいへんに喜びまして、二人を畳の敷いてあると ころへ通し、自分でも着物を着替えるやら、お茶を入 れるやらして、もてなしました。  だんなも太郎さんの引きあわせで、はじめてこのお じいさんと近づきになりました。|体裁《ていさい》なぞは少しもか まわず、日に焼けて、お百姓のようによく働いていま した。|背《せい》の高い、|面長《おもなが》な、年は取ってもじょうぶそう な、それに静かな調子で話すような人でした。  来助じいさんは刀鍛冶のほうの名前を|胤吉《たねよし》と言っ て、もとは|江州《ごうしゆう》の|膳所藩《ぜぜはん》のおかかえでした。おじいさ んの|師匠《ししよう》にあたる刀鍛冶が年を取ったからと言って、 お勤めをことわって隠居する時に、だれかあとへよい 刀鍛冶をかかえたいという藩主からの言葉で、師匠は 大ぜいある|弟子《でし》の中から|胤吉《たねよし》の名をさしたそうです。 その時、おじいさんはようやく二十五の年でした。こ れはそのころでは非常に名誉なことだったと言いま す。|明治維新《めいじいしん》となりましてから、腰に大小を差すおさ むらいというものはなくなりました。したがって、刀 の類がそうたんといらなくなりました。そこでおじい さんはこんな草ぶき屋根の家へはいりこんで、平気で お百姓の|鍬《くわ》なぞを打ち、気の向いた時には自分の刀を 打つこともあるんだそうです。  おじいさんはだんなにいろいろな話をしました。今 は昔のおさむらいの時とも違いますから、刀鍛冶でり っぱに妻や子を養うことはできません。しかたがない から、多くの刀鍛冶の中には古い刀の|贋作《がんさく》ということ をやります。「これは|正宗《まさむね》でございます」とか、「これ は|古刀《ことう》でございます」とか言って、実は自分らの作っ た刀を持ち出します。正直なおじいさんには、どうし てもにせものが造れません。ですからおじいさんは、 一生おかみさんももらわず、その隼になるまでひとり で好きな刀を打ってきたということでした。 「おもしろいおじいさんだ。」  とだんなは言いまして、またたずねてくる約束をし て太郎さんといっしょにおじいざんの家を出ました。 十二  だんなはおじいさんが好きになって、こんどは自分 |一人《ひとり》で鳥居川村へたずねてまいりました。  おじいさんの家には古い刀鍛冶のことを書いた本も ありました。おじいさんはそれを取り出してきてだん なに見せました。その本の中には、いろいろな古い刀 の図が出てくる、出てくる、幅の広い刀もあれば、狭 いのもある。刀には焼き|刃《ぱ》の「乱れ」というものがあ ることをおじいさんは話しました。それを見ればこの 刀はいつ.ころにできたものだかということがわかると 言いました。なるほど、おじいさんが出して見せた本 には、古い刀で焼き刃の|模様《もよう》の花やかなものもあれ ば、すなおに飾りの少ないのもありました。  急に、わたしの鼻の先へ、 「ピカッ」  と来るものがありました。  おじいさんは自分で打った長い刀の白さやを払って だんなに見せたのです。その刀の焼き刃のところを見 ていると、ちょうど海の岸へ潮が寄せたり返したりす るように見えました。 「わたしの刀は見ばはそうよかありません。そのかわ り切ろうと思えば、ほんとうに切れるつもりです。」  とおじいさんが言いました。  このおじいさんは学問はあまりしない人だそうです が、おもしろいことには、俳句や歌なぞを作りまし て、畑仕事の暇に|詠《よ》んだのをだんなに出して見せまし た。おじいさんはまた、何事にも熱心な人ですから、 若い時には何貫とかある重い石をつけて、それで腕の 下がらないようにして、昔風の手習いをしたそうで す。おじいさんの字のみ"ことなことを、だんなは石山 の坊さんから聞いてきまして、何か記念に書いてもら いたいと頼みました。 「そういえば、こないだわたしは大津の古本屋でこん な本を見つけてきました。」  とおじいさんがだんなの前へ出したのは『|輿地誌 略《よちしりやく》』という本でした。古い古い地理書でした。その年 になっても、まだ勉強しよう、世界のことを知ろう、 というおじいさんのざかんな|気象《きしよう》にはだんなも、ひど く感心してしまいました。 「石山のほうへも一度たずねてきてくれませんか。」  とだんなが言いますと、おじいさんも喜んで、 「ぜひうかがいます。」 と言いました。 十三 「みん、みーん、みーん」  石山の茶丈の庭先では、せみが桜の木の幹のところ で鳴きました。  近所のいたずらな子供がせみを見つけて、ソーと木 の下のほうへ歩いて行きました。子供がせみをつかま えてやろうというつもりで、足音のしないように忍ん で行きました。 「みん、みーん、みーん」  子供はせみのとまっているすぐ下まで行きました。 せみは黙って、両方の目玉をギョロギョロさせて、子 供の手が自分のそばまで来るのをしんぼうして見てい ました。  桜の枝の涼しい葉裏のところには、一羽の小鳥がこ のさまをながめていましたが、 「オイ、早く逃げないとつかまるよ。」  とせみに言いました。  急に子供の手がせみの羽のすぐそばまで来ました。 「パタパタパタパタ」  せみはウマく飛んで行ってしまいました。 「チョッ」  と子供がざんねん顔に舌打ちをしますと、葉裏にな がめていた小鳥も子供のまねをして、 「チョッ」  と鳴きました。  子供はまだ何かいたずらをしたいというふうで、こ んどは長いさおを持ってきて、梅の木の下へ行きまし た。高い枝のところには青い梅がいくつもいくつも玉 のようになっていました。  ほかの子供も来て、二人で梅の枝を打ちますと、青 い葉と実がいっしょになって地べたへ落ちました。 「だれだ、いたず.らするやつは。」  見回りに来た茶丈の|亭主《ていしゆ》が子供にどなりつけまし た。 「チョッ、 チョッ」  小鳥はまた子供のまねをして、|桜《さくら》の葉をくぐったり 出たりして飛んでいました。涼しい風が来ると、おて んとうさまのあたった木の葉は楽しそうにチラチラ動 きました。  だんなも、来助じいさんがたずねてくるというの で、何か"こちそうしようと思って、そのしたくにいそ がしい時でした。石山の茶丈を借りてからはだんなも |自炊《じすい》でしたから、お米なぞも自分でゴシゴシととい で、|雪平《ゆきひら》の中で煮ました。それから、瀬多の乾物屋へ 細長いかんぴょうだの、白い大豆だのを仕入れに行っ たついでに、|鯉《こい》を一ぴき買ってきまして、それも自分 で料理しました。  そのうちに縁側へ持ち出した|雪平《ゆきひら》の中では、おまん まができたと見えて、プウプウ白いあわを吹きだしま した。 「だんな、ごちそうができますね。」  と茶丈のおかみさんは来て見て笑いました。 「みん、みーん、みーん」  とまたせみが向こうへ来て鳴きだしました。 「チョッチョッ、チョッチョッ」  小鳥とせみとは庭のほうからだんなが汗を流して自 炊するところをながめながら、かわりばんこに鳴きま した。 十四 「"こめん。」  と言って庭から回ってはいって来たのは来助じいさ んでした。 「よく来てくださいました。さっきからお待ちもうし ていました。」  とだんなも喜んで、おじいさんを風通しのいい|部屋《へや》 へ上げました。  茶丈の古い壁をうしろにして、だんなはおじいさん と向かい合って、旅に来た話なぞをいたしました。縁 側の雪平の中では|鯉《こい》がゴトゴト言い出しました。 「お約束のものを書いてまいりました。」  と言って、おじいさんはだんなから頼まれて書いた 物をそこへ出しました。それはみ、ことにできていまし た。六十いくつになるおじいさんの書いた字とは思わ れないほど、シッカリしていました。  おじいさんは自分の|印形《いんぎよう》をもいっしょに持ってきま して、字を書くには書きましたが、どこへこの|判《はん》を押 していいかわからない、だんなによろしく頼むと言っ て差し出しました。りちぎなおじいさんは何をするに も刀をこしらえると同じ|量見《りようけん》でいるんでしょうね。 「どうもそう言われると、わたしにもどこへ押してい いかわからない。」  とだんなも笑いました。  おじいさんの持ってきた石の印は、ある人がおじい ざんのために彫ってくれたのだそうです。だんなはそ れを借りて、よさそうだと思うところへ梅の花のよう な赤いやつをペタペタと押しました。  いいものを書いてもらった、いい記念になる、とだ んなはたいそう喜びました。  おじいさんに"こちそうしたいと思う物もできまし た。だんなは自分でたいたおまんまや、おつゆや、そ れから|鯉《こゆ》なぞを、記じいさんにすすめました。だんな も、こちそうのつもりでした。 「どれ、あんばいをみるか。」  とだんなは自分で言って、|鯉《こい》を食べてみると、もう 苦くて苦くてせつかくの"こちそうがダイナシでした。     じ すい                   こい  いぶくろ だんなも自炊には慣れませんから、鯉の胆袋を取らず に煮てしまったのです。 「いえ、けっこうです。」  とおじいさんが言いましたが、いかなる刀鍛冶の名 人でもこの鯉の料理ばかりはおはしを付けられません でした。 「チョッチョッ、チョッチョッ」 小鳥は庭のほうで鳴きました。  これは大しくじりだ、とだんなも笑いまして、おじ いさんといっしょにおつゆでおまんまを食べました。 おじいさんは半日ばかりもだんなのところで話しこん で、お礼を言って、鳥居川村のほうへ帰って行きまし た。  太郎さんが大津から見えた時に、 「太郎さん、君のおじさんはナカナカ、おもしろい人だ ネ。」  とだんなは感心して話しました。 十五  だんだん暑くなりました。茶丈へは太郎さんの|許婚《いいなずけ》 だという娘が大津のほうから来て、茶丈のおかみさん といっしょに表のお|釜《かま》のそばにすわって、二人で毎日 青い涼しそうなほたるかごを張りました。  おかみさんの話に、石山はほたるの名所で、一年じ ゅうの暮らしがほたるで取れると言ってもいいくらい なんだそうです。そのしたくに、おかみさんたちはこ うしてセッセとほたるのかごを張るんだそうです。 「今に、たいへん人が出ますよ。」  とおかみさんはだんなに話しました。  そういえば、ちょうどこのほたるの話と同じような ことをわたしは|吉野《よしの》のほうで見てきました。皆さんも .こぞんじのとおり、吉野は花の名所です。|一目千本《ひとめせんほん》、 奥の千本などという所がありまして、山のすそのほう から花が咲き始めて、だんだんに奥のほうへ咲いて行 きます。一目千本とは一目に千本も見えるというたく さん桜の木のある谷間ですが、そのへんで花が散る時 分に奥のほうではようやく花の盛りです。春が来るの もおそい山の上ですからね。吉野の宿屋の|亭主《ていしゆ》はちょ うど石山の茶丈のおかみさんと同じようなことを言い ました。あそこはまた、花で一年じゅうの暮らしが取 れるそうです。花が咲きそめると、お花見の人がわれ もわれもと山へ上って来ます。その時はふだんお百姓 をしている家でも、くず菓子を売る家でも、みんな宿 屋になって、お花見に来る人を泊めるそうです。 「ブーン」  石山では蚊が出まして、だんなは毎晩のように蚊と |蚤《のみ》に|責《せ》められました。だんなも考えましたね。瀬多の 町からじょうぶな紙を買ってきまして、旅の慰みに|紙 帳《しちよう》というものを張りました。紙でこしらえた|蚊屋《かや》で す。 「パタパタパタパタ」  とうちわで風を入れなければ、紙のことですから、 ひろがりません。 「いくら蚊が来ても、もうだいじょうぶだ。」 ーとだんながそのなかへはいって寝ると、麻や|木綿《もめん》の 蚊屋と違って、すそのほうがオトナしくしていませ ん。すこしだんなが動くと、|蚊屋《かや》のすそに大きなトン ネルができます。すると、蚊の群れはその穴からドン ドンはいって行って、寝ているだんなの手や足を食い ました。 「こりゃたまらん。」  とだんなが言いました。  だんなは石山のお寺から古い穴のあいた|文久銭《ぷんきゆうせん》をた くさんもらってきました。そのお|銭《あし》を紙の蚊屋のすそ におまんまつぶではりつけました。 「こんどはだいじょうぶだ。」  とだんなが言いました。すそへお|銭《あし》をはりつけたか ら、蚊屋の持ち上がりっこがない。 「パタパタパタパタ」  うちわの風がはいっていくと、紙の蚊屋は風船のよ うに、ふくらんで、だんだん大きくなりました。また だんなはそのなかへはいって寝ました。今度は蚊は来 ませんが、なにしろ紙で張った蚊屋ですから、風通し が悪い。むしむしする晩なぞには、だんなは暑い暑い と言ってうなりながら休みました。 十六  太郎さんが大津から来て一晩泊まりました。 「だんな、ゆうべはわたしも聞きましたよ。」  と太郎さんがだんなの顔を見て笑いました。太郎さ んは紙の蚊屋のことを言い出したのです。 「だんなのお休みになるのがよくわかります。向こう の部屋で聞いてますと……そろそろ始まるぜ、なんて わたしたちがみんなで寝て聞いてますと……」  と言いかけて、太郎さんはクスクス首をちぢめて笑 つて、 「パタパタパタパタ……そりゃまた奥では始まった… …」  この太郎さんの話には、だんなもふきだしてしまい ました。  太郎さんのいる日は笛ですぐわかりました。太郎さ んは、その好きな笛を、みんなでほたるかごを張って いる家の内でも吹き、湖水のほうへ出ても吹きまし た。  暑い暑い日がありました。だんなも暑さしのぎに、 湖水の岸へ出まして、やがて草の上へ清物を脱いでお いて、水の中ヘジャブジャブはいって行きました。そ の時は太郎さんもいなければ、だれもいません。だん な一人でした。岸の上からだんなの泳いで行くところ を見ているものは、木の枝にいた小鳥とわたしとだけ でした。  川になって流れる湖水の口は瀬多あたりから比べる とずっと狭くて、水の瀬もさほど早いとは見えません でした。だんなも水泳は心得た人ですから、ギラギラ 光る波の中に首から肩のへんまであらわして、だんだ ん向こうの岸のほうへ泳いで行きました。 「チョッチョッ、チョッチョッ」  と高いところで小鳥の鳴くのを聞いているうちに、 わたしも眠くなってきました。それに木の下で涼しい 風は来るし、わたしもだんなが泳いでいる間につい昼 寝とやりました。  だんなはナカナカ帰ってきません。わたしが目をさ ますと、だんなは向こうの岸から川のなかほどまで泳 ぎ返しましたが、行きに水の上へあらわしていただん なの肩が帰りには隠れ、なんとなくからだが沈んでき ました。ホラ、泳ぎのほうで「コグラ」が返ると言う じゃありませんか。手は動いても、足がきかなくなる んでしょうね。  そのうちに、だんなはこちらの岸近くまで泳いでき ました。その時はだんなもよほど疲れて見えました。 あせって、片抜手なぞを切って、水を突っ切ろうとし ました。  もうここらでだんなも|背《せい》が立つと思ったらしい。と ころが向こうの岸のようにだんだん浅くなるのとは違 いまして、こちらの岸は水底が急に深く落ちていまし た。ズブズブとだんなのからだが沈んで行ったかと思 うと、首から髪の毛まで水の中に隠れてしまいまし た。  あたりには人|一人《ひとり》いません。だれもだんなを助ける ものがありません。だんなは口をアブアブさせて、二 度ほど水をのみました。その時はもうだめかと思われ ました。ようやくのことで、水を突っ切りましたら、 だんなはこちらの岸に立ちました。 「や、ヒドイ目にあった。」  とだんなはわたしを見て、命拾いをしたように言っ て、木の下でぬれたからだをふきました。 「もう水はコリコリだ。知らない川なんかで泳ぐもん じゃない。」  とまただんなが言って着物を着ました。 十七  湖水のほとりにある|膳所《ぜぜ》、|瀬多《せた》、|大津《おおつ》、|粟津《あわず》、その 他の町々をも見物しましたし、|石山《いしやま》にもしばらく|逗留《とうりゆう》 しましたし、だんなも東京のほうが恋しくなってきま した。  茶丈のおかみさんや娘の張るほたるか"この数がふえ てきたころ、東京にいるだんなのお友だちから手紙が 届きました。それには大ぜいで東海道の|吉原《よしわら》まで出向 くからだんなにも来い、としてありました。  だんなも大喜びで、また旅のしたくに取りかかりま した。めずらしい土地へ来て|懇意《こんい》になった来助じいさ んの家へ別れに寄るやら、石山のお寺へお礼に行くや らしました。石山のお寺は古い大きなお寺でーそう ですね、おもな坊さんが二三人で昔からのしきたりを 守っていまして、その人たちはいづれも|何《なになに》々|院《いん》とか言 いましたよ。小高い丘の上には|御堂《みどう》もあり、鐘つき堂 なぞもありました。その丘の上からは湖水がよく見え ました。 「ゴーン」  という鐘は湖水に響きまして、なんとなく別れを告 げるようにと聞えました。  来助じいさんもさようなら1茶丈の|亭主《ていしゆ》もおかみ さんもさようならーおなじみになった太郎さんもさ ようならー。  |神戸《こうべ》のお正さんのところからは、だんながここにい る聞に、お友だちを誘って一度たずねたいという手紙 でしたが、だんなはそれを待たないで出かけることに しました。  この石山にはだんなもわずかしかいませんでした が、茶丈の人たちからは別れを惜しまれました。すこ しばかりの|自炊《じすい》の道具、さら小ばち、|雪平《ゆきひら》なぞはおか みさんにくれて、まただんなは軽々としたきゃはんに わらじで茶丈を立ちました。  わたしもだんなのお供をして汽車の出るところへ参 りました。今までの諸国見物とも違い、だんなには東 京のお友だちに会えるという楽しみがありました。 「ガランガランガラン、 シュッ、 シュッ、ゴットンゴ ットンゴットン、ポッ、ポッ、ポッ、ポー」  行きにはおもに歩きましたところを、こんどは汽車 の窓からながめて通りました。電信の針金はスーと低 くなるかと思うとまた高くなりました。松でもなんで もドシドシ駆け出しました。田や畑は遠く大きなうず を巻いて、汽車の窓の外でグルグルまわりました。 十八  東海道の吉原とは富士のすそに近いところです。だ んなのお友だちは三人来て待っていました。  その宿へ着いた時はだんなも涙を流しました。 「どうだ、これから富士へ登ろうじゃないか。」 とお友だちの中で言い出した人もありましたが、そ れよりはいっしょに|箱根《はこね》を越そうということになりま して、吉原の|宿《しゆく》には二晩ばかり泊まりました。 「島田さんはどうしたろう。」  とだんなが聞きますと、お友だちは島田さん兄弟を も誘ったそうですが、つ、こうがあって来られなかった と言いました。三人のお友だちは林さん、|吉川《よしかわ》さん、 |藤森《ふじもり》さんでした。その中で林さんは一番年が上で、藤 森さんはだんなより下でした。  さあ、だんなも心強い。みんなおもしろいふうをし て、旅の話をしながら出かけました。  み しま      ψりあいば しや  三島までは乗合馬車が出ましたから、四人で買い切 って、林さんなぞは|馬丁《ばてい》から|手綱《たづな》を借り、自分で馬に むちをあてて進みました。馬が駆け出す、駆け出す、 馬車は石ころでもなんでもけとばして行きました。狭 い道の両側にあるものは踊りを踊りました。  早いものですね。もう三島へ来ましたよ。あれから 箱根の|旧道《きゆうどう》にかかりますと、お友だちやだんなのから だのほうが下のほうにある山なぞよりもだんだん高く なりました。行きに|興津《おきつ》へんで見た海は遠く青く光り ました。  |元箱根《もとはこね》へ蕎きました。まあ、高い山の上にまたこん な湖水がある。広いはればれとした|琵琶湖《びわこ》とは違って この|藍《あし》の|湖《こ》のほとりはシンシンとしたようなところで す。見ても冷たそうな、青い、深い、透きとおるよう な水です。 「ギイー ギイi」  山の上で人が|櫓《ろ》をこいで、だんなの藩いた宿の|障子《しようじ》 の外を通ります。  ホラ、東京の町を子供の|虫薬《むしぐすり》だなんて売りにくるじ ゃありませんか。箱根山さんしょ魚。あれがここで取 れるんですよ。さすがに山の上ですね。急に寒くなっ てきました。  どこかでルリかコマドリのような聞きなれない小鳥 のさえずる声がします。ア、湖水のほうへ向いた障子 のところには妙のものが、とまっています。ちょうち ょうでもなければ、蛾でもない。とんぽ、とんぼ、小 さな白いひげのはえたとんぼのような虫です。  部屋の|天井《てんじよう》でも、畳でも、しけて白くなっていま す。庭の木を見ればこけがはえていますし、石がきの ほうを見ればそこにもこけがはえています。何もかも こけだらけです。天井や畳の白いのも、きっとあれも こけですよ。  こりゃまあ、うっかりしているとわたしたちのから だにまでこけがはえそうだ。この静かな湖水の岸の宿 で、林さんと藤森さんとは二晩か三晩も泊まって話し て、やがて東京のほうへ帰って行きました。吉川さん とだんなだけ残りました。 十九  オオ気味悪い。この箱根の湖水には腹の赤いやもり のようなものが泳いでいます。水の中にあるものは何 でもよく見えますよ。青い。青い。どこの書生さんだ か着物を脱いでおいて、水の中にはいっていますが、 腰から下はまるで青い|幽霊《ゆうれい》のように見えます。  だんなも船を借りて、吉川さんといっしょに湖水の 上へ出て見ました。|権現《ごんげん》さまのほうでも、岸にある宿 屋でも、みんな水に映っています。オヤ、湖水の中に も青い森が見えます。ほんとに、鏡のような湖水で す。向こうの岸のほうにはモコモコした雲が集まっ て、雲どうしで隠れんぽをして遊んでいます。  そういえば、石山のほうではみんなどうしていまし ょう。あの来助じいさんもどうしていましょう。例の 太郎さんはあいかわらずひとりで好きな笛を吹いてい ましょうか。きっと向こうでも、だんなはどうしたろ うなんて、みんなで言っていましょうよ。  しばらくだんなは吉川さんと二人で、箱根の宿に|逗 留《とうりゆう》することになりました。そのうちにほたるが飛んで きました。ほたる、来い、来い。ほたるは青い美しい ちょうちんをつけて、 「こんばんは。」  と言いながら、わたしたちのいる部屋の内までよく はいって来ました。  ほたるで思い出した。あの茶丈のお|釜《かま》のそぱで、お かみさんや娘の張っていたほたるか、こも、きっともう 青く光っていましょうよ。おかみさんはまた、よくば って、たんとこしらえたんじゃありますまいか。  だんなが借りていた|部屋《へや》の庭先ではほたる|合戦《かつせん》なぞ が始まっているかもしれません。  この箱根の宿へは、高知でお目にかかっただんなの お友だちの中西さんがたずねておいでになりました。  だんなも喜びまして、 「ぼくはこんどの旅で、おもしろいおじいさんに会っ てきた。」  と言って、来助じいさんに会った時のことや、あの |隠居《いんきよ》が人に知られずにお百姓の|鍬《くわ》なぞを打っていた話 をして、お友だちに聞かせました。  いよいよだんなも箱根を立つという日には、中西さ んも吉川さんも山の下まで見送ろうと言いまして、三 人して湖水の岸にある宿を出かけました。  元箱根から|塞《さい》の|河原《かわら》という|地蔵《じぞう》さまなぞのあるさび しいところを通りまして、山道を進んで行きますと、 道ばたに石のおだん"このような物がありました。たし か|曾我兄弟《そがきようだい》の墓だとか言いましたっけ。十郎、五郎と いえば名高いものですが、あの人たちも子供の時分に は、やはり「十郎さん」とか、「五郎ちゃん」とか言っ たんでしょうよ。「五郎ちゃん、いたずらしちゃイケ ナイよ」なんて、きっとおっかさんにしかられたんで しょう。曾我兄弟のお話にはよく|虎御前《とらごぜん》が引き合いに 出ますね。あの人だって、わたしは子供の時分には、 「お|虎《とら》ちゃん」と言ったろうと思います。  箱根の山には自いゆりがたくさん咲いていました。  わたしがだんなのお供をして通りますと、道ばたに 顔を出して|往来《おうらい》のほうをながめていたきれいなゆりの 花が、 「皆さん、おそろいですね。」  となれなれしく声をかけました。  ホウ、あそこにも、ここにも咲いていました。白い ところに赤いギザギザのある、|香気《こうき》の高い花は草の中 にかくれていてもすぐわかります。吉川さんやだんな が草の中を分けて行って、折ろうとしましたら、 「こうして咲かしておいてくださいな。」  とかわいらしい小さな声で花が言いました。  みんな草の露にぬれて、山をおりて行きますと、谷 の下のほうに|早川《はやかわ》の水が見えます。山をおりればおり るほど、だんだん近くなってきて、しまいには往来へ 掛けた橋の下へその水が流れてきていました。そこに あるのが|塔《とう》の|沢《さわ》の|温泉場《おんせんば》でした。 二十  流れろ、流れろ、どんどと流れろ。山から来たばか りの勢いのいい水は大きな石でもなんでもけとばし て、じゃまなやつには白いあわを掛けたり、飛びあが ったり、時には大急ぎで回り道をしたりして、またゴ ーという音をさせながら青いどろのように流れて行き ます。塔の沢の温泉宿の二階からは、早川がすぐてす りの下に見えました。 「一ぱいはいってこようじゃないか。」  とだんなたちはゆかたに着かえまして、三人で話し 話し|湯殿《ゆどの》のほうへ参りました。 「パタパタ、パタパタ」  長い|廊下《ろうか》のところには、手ぬぐいをさげたお客だの 宿のねえさんたちの行ったり来たりする|上《うわ》ぞうりの音 がしています。  湯殿はずっとはし"こだんをおりて行った下のほうに ありました。湯殿のすぐ前から見ると、ちょうど|滝《たき》つ ぼの中のようなところに、中西さんや、吉川さんや、 それからだんながいいこころもちそうにはいって汗を 流していました。高いところからはお湯の滝が落ちて いました。お湯の滝ですよ。  お天気だと思っていたのに、急に雨がふってきまし た。よく聞くと、やはり温泉宿の水音でした。  重そうに見えるだんなたちのからだも、お湯の中で はひょうたんのように浮きました。それにお湯の上へ 出ているほうはあたりまえでも、お湯の中にある手や 足は半分ぐらいになって、細いの細くないの、まるで 回り|燈籠《どうろう》に山てくるおばけのようでした。だんなたち のからだはお湯のためにウダって、半分|溶《と》けてしまっ たように見えました。 「いい湯だね。」  とだんなたちはお互に言いました。|湯殿《ゆどの》にはほかの お客もはいっていまして、アーンとそりかえる人もあ り、ツーと足を延ばす人もあり、手ぬぐいで顔をしめ しては楽しそうにウナる人もありました。わたしはお 湯の中でお念仏が始まったのかと思いました。 「ゴテン。」  あるお客はお湯から出て、流し場の板の間へ横にな りました。湯ぶねからあふれるお湯はその板の聞を流 れていました。 二十一 わたしはだんなといっしょになって、湯殿からまた 長い廊下へ出ました。涼しい風が来るもんですから、 だんなもしばらくてすりによりかかって、早川の水の 流れて行くところを見ておりました。 「ツ、ツー、ツ、ツー」  どこかで山せきれいが鳴いています。  こんな山の下まで来ても、はえている草木が|平地《へいち》と は違うのかしら、と思いましたら、腹の白い山せきれ いがしっぽをふって温泉宿の庭にある石の上まで飛ん できました。 「ここだって、まだ深い沢だよ。|塔《とう》の|沢《さわ》って言うくら いじゃないか。」  と山せきれいはさも土地の者らしく言って、また岩 づたいに鳴いて行きました。  だんなは二人のお友だちと|部屋《へや》へもどりまして、お ひるを食べました。オサシミでもなんでもこんな山の 下で食べられるんです。  中西さんでも、吉川さんでも、年はだんなより一つ 二つ上でしたが、みんな若いさかりのお友だちで、お もしろそうに話したり、笑ったりしました。やがてお 二人とも|湯元《ゆもと》までだんなを送ろうと言いまして、連れ 立って塔の沢の宿を出ました。  塔の沢と湯元とは、くっついていると言ってもいい くらいです。がけにそうて静かな道をおりて行きます と、もうそこが湯元でした。白い橋のたもとへ出てき ました。そのへんの岸の上から早川の流れてくる|木深《こぶか》 いほうをふりかえって見ますと、なるほど、塔の沢で 山せきれいの言ったことはほんとうだと思いました。  箱根|細工《ざいく》を売る店があります。いろいろな|木目《もくめ》の板 で造った箱だの、なんだの。だるまやこまのおもちゃ だの。そういえば、わたしはあの元箱根にいたころ に、|権現《ごんげん》さまの森のほうから木をしょって帰ってくる 人に会ったことがあります。|山家《やまが》の人らしい雪ばかま のようなものをはいて。その白いさらされた木はなん にするんですかとだんなが尋ねましたら、これは細工 にしますとその人が言いましたっけ。あの木ですよ。 あの木からこういう箱や何かができるんですよ。  湯元でお友だちに別れてから、だんなは|国府津《こうづ》まで 乗りましたが、とちゅうでもう一度ふり返ってみまし たら、わたしたちがおりてきた山はほかの山に隠れて 見えませんでした。 「早く海のほうへ行こう。」  とひとりごとを言い言い急いで流れて行く早川の水 を見ると、温泉場のほうから来る川は石の色からして 普通の川とは違うように思われます。  国府津から汽車に乗り替えました。|小田原《おだわら》、|国府 津《こうづ》、あのへんへ来ると、行きにだんなの歩いて通った 道が見えました。もうわたしは暗い松並木のこずえを 汽車の窓から望んだだけで、アアあそこが東海道だ ナ、とわかるようになりました。 二十二 とうとう|鎌倉《かまくら》までもどりました。鎌倉には島田さん もいました。だんなが鎌倉へ来てみると、お友だちの 林さんも東京から国府津のほうへ家じゅうで引っ越し て来ておることがわかりました。  国府津の海岸はだんなも忘れられないと言っておる ところで、ある日、鎌倉から林さんの家をたずねてま いりました。  行きにわたしはちょっとみかん畑のお話をしました ろう。驚きましたね、林さんの借りているお寺はまわ りがみんなみかん畑ですから。  国府津の町から海岸について、すこしばかり行った ところに|前川村《まえかわむら》というがあります。|漁師《りようし》の村です。林 さんの借りているのはその村のお寺です。  林さんもおもしろい人じゃありませんか。その寺は 林さんのご先祖さまの|埋《い》けてあるお寺なんです。海の 音がしたりみかんのにおいがしたりする小高い丘の上 にそのお寺があるんです。遠いご先祖さまの眠ってい るところへ来て+林さんは家を持っていました。 「林も勉強してるかナ。」  きっとご先祖さまは土の中でそう言ってるだろうと 思います。林さんはだんなのほかのお友だちと違っ て、もう奥さんもあれぱ、女の子もありました。 「ふうちゃん。」  と林さんも奥さんもその子供のことを呼んでいまし た。 「ふうちゃんもこんなに大きくなりましたよ。」  と奥さんは抱いてきて、だんなに見せました。髪を 下げた、かわいらしい女の子でした。目のパッチリと したところはおっかさんによく似ていました。 「すこし、そこいらを歩こうじゃないか。」  と林さんが言いまして、だんなを誘ってお寺の外へ 歩きに出ました。 「まだみかんは青いね。」  とだんなは畑をながめながめ言って、林さんと二人 でいろいろな話をしながら、歩き回りました。  このみかん畑になってるやつはよそへ持って行くと いけないが、畑で食べるぶんには、いくらモイで食べ てもおこられないと言います。そんなにたくさんなっ ています。これが黄色くなる時分に、青い葉の間から 見たら、きれいでしょうね。おこられないものなら、 枝からすぐにモイだやつをたもとに入れて、それを草 の上へでも持って行って、勝手に足を投げ出したり寝 ころんだりして、あのみかんのふさから出る甘いやす っぱいしるをチュウと吸ったら、さぞオイしいでしょ うね。 「黄色くなる時分には、おいで。ごちそうするよ。」  と枝になってるみかんが言いました。 「チョン。」  畑の間で音がしました。何かと思ったら、お百姓の |鍬《くわ》の音でした。  遠く海の鳴る音もします。箱根の山のほうからいっ しょについてきた早川の水はこの海へはいるんです。 皆さんの地図に、|相模灘《さがみなだ》としてあるのがこの大きな海 です。 二十三 「ここじゃ|漁師《りようし》がかつおをつるがね、ぼくも運動にや ってみようかと思ってる。」  と林さんはだんなに話しました。 「かつおをつるって、どんなことをするんですか。」 とだんなが聞きました。 「そりゃ君、ちょっとけいこをしなけりゃできない よ。」 「あんな大きな魚を。」 「|陸《おか》にいてつるんサ。まあ、来てみたまえ。」  林さんはだんなを誘って海岸のほうへ行きました。 |漁師《りようし》の町を通りまして、|背《せい》の低い松なぞがシャガんで いるところへ出ますと、砂の上には|漁《りよう》に行く舟の引き 上げたのが見えます。向こうには、 「ド、ド、ド、ド、ドー」  と大きな波が引いて行きます。その波打ちぎわに は、男や女が大ぜい集まって、あっちへ行ったり、こ っちへ行ったり、大騒ぎを始めています。子供や犬ま で砂の中を駆け回っていました。 「まるで戦争だね。」  とだんなたちは言い合って、海岸にながめていまし た。 「あ、来た、掛かった。」  とまた林さんはだんなに言いました。  白いあわを立てて、引いて行く波の中に、一すじ黒 い|綱《つな》が見えます。それが切れるかと思うほどの強さ で、海のほうへ一ぱいに張り切っています。岸にいる 女は大ぜいその綱につかまりまして、 「ワッショイ、ワッショイ」  と|陸《おか》のほうへ向いて引いて行きました。おばあさん や子供までいっしょになりまして、足に力を入れて、 引きました。 「ワッショイ、ワッショイ」  ハリに掛かったかつおはズルズル波の中から上がっ てきて、|陸《おか》へ引き揚げられました。 「つるんじゃなくて、引っかけるんだね。」  林さんは笑いながら言いました。 「どうしてかつおの来るのがわかみんでしょう。」  とだんなが聞くと、 「そりゃ、君、|漁師《りようし》が見るとわかる。まっくろに集ま ってくるんだから。」  と林さんは言いました。 「ドーン。」  と来てまた大きな波が打ちょせました。  こちらの|陸《おか》の上からは、物干しざおぐらいもあろう かと思う太い竹の先に|綱《つな》の付いたのを|大《だい》の男が力いっ ぱいにふり上げまして、打ち寄せる波のほうへ砂の上 を走って行きます。そしてその綱のはしに結びつけた ハリを|波間《なみま》をめがけて投げこみます。太い綱は宙をウ ナって海のほうへ飛んで行くのです。 「あ、また掛かった。」  とこんどはだんなが向こうのほうにいる|漁師《りようし》を見て 言いました。  女や子供の群れは急いでその綱のほうへ駆けて行き ました。 二十四 「この節は毎日のように漁がある。」  と林さんはだんなに話し話し、海岸のほうから引っ 返しました。その晩は、お寺でだんなも泊まりました が、新しいかつおの"こちそうがありました。  まだ|残暑《ざんしよ》のきびしいころでしたから、|翌朝《よくあさ》だんなは 林さんについて、また海岸のほうへ出ました。その時 は波が高いのみで、風もなく、富士なぞもよく見えま した。 「よい朝ですね。」  とだんなが言いました. 「海へはいって顔を洗おうじゃないか。」  と林さんが一一。口うものですから、だんなも同意して、 |二人《ふたり》で砂の上に着物をぬいでおいて、ジャブジャブ波 の中へはいって行きました。  二人は競争で泳ぎ始めたようです。わたしが岸で待 っていますと、だんなたちのからだが高く持ち上げら れたり、隠れて見えなくなったり、向こうへ行ったか と思うとまたこっちへ来たりして、二人とも勢いよく 波を切って泳いでいました。そのうちに、だんなたち のからだが高い波にゆられてはだんだん向こうのほう へ行くように見えました。  急に漁師が朝の海岸へ集まってきました。あるもの は手をあげて飛んでくる、あるものは岸を駆け回る、 あとからつりざおをかついで大急ぎでやってくるもの もある、女や子供がついて駆けてくる、犬まで喜ん で、しっぽをふりながら鳴いたり、飛び回ったりしま した。  漁師は寄って来たかつおにばかり気を取られて、だ んなたちが泳いでいるほうには目もくれないようでし た。 「ヒュ、ヒュウ」  太いつりざおの綱はウナって朝の空を飛んで行きま した。 「ヒュ、ヒュウ」  あそこでも、ここでも始めました。 「ドーン、ド、ド、ド、ド、ドー」  高い音をさせて波が打ち寄せたり引いたりするほう へ漁師はむちゅうになってかけて行きました。打ちこ むハリはだんなたちの浮きつ沈みつしている右にも左 にも落ちました。  ア、また、やった。だんなもいいかげんにしておけ ばいいじゃありませんか。石山のほうで泳いだ時に、 もうさんざんこりてるくせに。  大きな青い波が向こうのほうからやってきました。 それが山のように持ち上がって、波打ちぎわまで来て 高く突っ立ったかと思うと、弓なりにしゃくれた波の 腰が一時にくだけて、上のほうからカブさってきた水 がいやと言うほど岸をめがけて打ち寄せました。林さ んやだんなは白いあわといっしょにその中から泳いで 出てきました。 「ヒドかったね。」 「呼んだってなんだって、聞えやしないんだもの。」  二人はかわいた砂の上へ来て、互に顔を見合わせま した。わたしがだんなといっしょになったころは、よ うやく笑い声が起りました。 「とうさん。」  と林さんの奥さんは、ふうちゃんを背中に乗せなが ら、砂をふんでやってきました。まもなくみんな連れ 立って、お寺のほうへ帰って行きましたが、こんどと いうこんどはだんなもこりごりしましたろうよ。 「水ではもう二度やりそこなった。」  とだんなは思い出したように言っていました。 二十五  それからだんなが|鎌倉《かまくら》へ引っ返して行きますと、こ んどは林さんのほうからたずねて来まして、|東北《とうほく》の旅 の話をだんなにくわしくして、|奥州一《おうしゆうやち》の|関《せさ》まで行くこ とをすすめました。一の関のほうでは、大きな酒屋の 若主人がだんなを待っているとのことでした。林さん もその夏、箱根でだんなと別れてから、遠く|奥州《おうしゆう》のほ うへ行って見てきたそうです。  だんなは鎌倉でひと休みしまして、さらに東北をさ して出かけることになりました。だんなもまだまだ疲 れてはいなかったのです。|神戸《こうべ》のお|正《しよう》さんに頼んでお いた旅でょごれた清物なぞも、おりょくせんたくをし て送り届けてくれました。  わたしがまただんなのお供で、奥州のほうへ向けて 鎌倉を立ちましたのは、そろそろ秋風の吹いてくるこ ろでした。だんなはいったん東京へもどりまして、そ れからまたすぐに上野の停車場から東北行きの汽車に 乗りこみました。  その時はわたしも長い長い汽車の旅をしました。西 のほうへ行った時から見ると倍の倍も乗り続けてまい りました。停車場停車場で汽車がとまるたびに気がつ きましたのは、プラットホームの正面に同じように掛 かっている時計です。  この大きな柱時計のふり子がどこへ行ってもユック リユックリ休みなしに動いていまして、 「もうおべんとうをお買いなさい。」  と時計が言いますと、だんなは汽車の窓へ呼んで売 りにくるのを買いました。  |白河《しらかわ》を通り越す時分には、しおんの花なぞが草の|土 手《どて》のところに咲いていました。汽車の中で日が暮れま した。 「すこし寝ておいでなさい。」  と時計が言いますと、だんなは車の中で横になりま した。  |阿武隈川《あぷくまがわ》も、古い静かな|仙台《せんだい》の|城下《じようか》も遠くうしろの ほうになりました。 「夜が明けましたから、顔をお洗いなさい。」  とまた時計が言いますと、だんなはほかの旅のお客 といっしょに車を出まして、ある停車場でよ、これた顔 を洗いました。  奥州のほうへ向かって進んで行くのですから、東京 ではまだひとえもの一枚でも暑いくらいの時に、急に 陽気がすずしくなりました。  ようやく一の関へ藩きました。だんなが酒屋をたず ねて行きましたらちょうど若主人はおふろにはいって いた時でした。遠いところへよく来てくれたと言っ て、若主人はたいそう喜びました。  この若主人に案内されて、だんなは|土蔵《どぞう》のなかへは いってみました。そこには若主人の集めたいろいろな めずらしい本が本箱に入れて並べてありました。シナ から渡ってきた本なぞもたくさんありました。 「|酒蔵《さかぐら》のほうへご案内しよう。」  という若主人について行きますと、天井の高い蔵の なかには見上げるほどの大きなたるがいくつもいくつ も並んでいました。暗いかまどのところでは赤々と火 が燃えていました。そこに酒造りの男があたってい て、お酒を造る話をだんなにしました。  この一の関まで参りますと、|朝晩《あさぱん》のすずしいこと。 若い奥ざんが|羽織《はおり》なぞを出して来てだんなに貸してく れました。  だんなはここでめずらしいものをごちそうになりま した。それは大きな酒だるの中に浮くあわをくんで、 おみそにまぜてこしらえたしるでした。|華族《かぞく》さまでも こんなものは、めったに食べられない、と言って若主 人は笑いました。大きな酒屋でなければできないごち そうなんでしょう。  一週間ばかりだんなはこの酒屋に|逗留《とうりゆう》しました。お かげでわたしも一の関の近所をほうぼう見物しまし て、奥州とはどんなとこだということを見てまいりま した。  マア、わたしもあの東京の|本郷切通《ほんごうきりどおし》のめがね屋でだ んなに見つけられたばかりに、こうして諸国へ旅のお 供をして、西は四国の高知から、東は奥州の一の関ま でも見物して回りました。だんながこの旅を終って東 京へ帰りましたころは、きゃはんの糸もすり切れ、コ ハゼも取れて落ちたのがありました。でも妙なもの で、だんなも気を張っていたと見えまして、旅にいる 間は病気にもかからず、かぜ一つ引きませんでした。 二十六  正月のはじめに東京を出たわたしたちはようやく九 月の末になってもどってきました。|日数《ひかす》をかんじょう してみるとずいぶん長い間の旅でした。それというの も汽軍でツーと行ってしまえばぞうさもないようなと ころでも、わざわざ徒歩で通ったところもあります し、それに行く先ざきでしばらく逗留してはそのあた りを見物しまして、また出かけるというふうにしまし たものですから、それでこんなに長く旅にいるように なりましたのです。  そういえば、わたしたちのみやげは、あの舌切りす ずめのおばあさんのようにつづらに入れてしょって帰 るほどの物もなく、またはあの勇ましい桃太郎のよう に鬼が島からぶんどって来ておじいさんやおばあさん を喜ばせたというほどの金銀|珊瑚《さんご》の|宝物《たからもの》もありませ ん。まあ知らない土地へ行って見たり聞いたりしてき たことがわたしたちのみやげでした。  だんなの家でも|湯島《ゆしま》の|新花町《しんはなちよう》へ引き移りまして、|郷 里《くに》のほうから出てきたおっかさんやねえさんがだんな といっしょに住むようになりました。だんなのにいさ んという人もおりました。それからねえさんの子供で |千代《ちよ》ちゃんという髪をさげた娘もおりました。ちょう どその家は初めてわたしがだんなに見つけられたあの めがね屋からも遠くないところです。  長火ばちのまわりへ家の人たちが集まりまして、み んなでいっしょにお茶を飲む時には、だんなはよく旅 のみやげ話を始めました。長火ばちの前にはにいさん が大あぐらをかいて、ウマそうに巻きたばこをふかし ふかしだんなの話を聞いていますし、そのそばにはり んノ」のようにほほの赤いおっかさんも耳をかしげてい ますし、ねえさんは立ったりすわったりしてみんなの ために香ばしそうなお茶を入れました。  千代ちゃんが往来へ向いた|障子《しようじ》のほうでひとりでつ いているまりの音も聞えます。 「ー|名主《なぬし》の|権兵衛《ごんべえ》さんーさかながないとてーお |腹《はら》ー|立《だ》ちー」  そんなまり歌も楽しそうに聞えます。 「千代ちゃんもいらっしゃい。ここへ|来《ご》てお話をお聞 きなさい。」  とねえさんが言いますと、千代ちゃんは赤いや青い 糸でかがったきれいなまりをだいじそうにかかえてき て、自分の母親のそばによりそいました。ねえさんは 千代ちゃんのやわらかい髪の毛をなでながら、だんな の話を聞きました。  妙なもので、話せば話すほどいろいろなことがあと からあとから出てきました。だんなが行きも帰りも|大 和路《やまとじ》を歩いて旅した時のことを言い出しましたら、あ のポウと日のあたった往来の土や、遠くかすんだ山々 や、モコモコした白い雲や、それから一日歩き疲れて 豆のできた重い足を引きずり引きずりやっとの思いで たどりついた宿屋の軒さきにある古風な|看板《かんぱん》なぞが、 まだありありとわたしたちの前に見えるようでした。 ほんとに、あの時ばかりはだんなも歩くに骨が折れま したからね、1どうかすると熱い汗が|額《ひたい》を流れてだ んなの目の中までしみこむくらいでしたからね1肩 へ掛けて行っただいじなふろしき包みまで、時には捨 ててしまいたいと言うほどでしたからね。  |琵琶湖《びわこ》のほとりで会った|刀鍛冶《かたなかじ》、ほたるのか、こを張 っていたおかみさんや娘、大工の|亭主《ていしゆ》、笛好きな太郎 さんなぞの話はだんなの家の人たちを喜ばせました。 ことにだんながあの鳥居川村の片いなかに隠れていた 来助じいさんのことをくわしく話しだしますと、だん なのにいさんが長火ばちの前で手をもみながら、 「へえ、そういう人もあるかねえ。どこにどういう人 がかくれているかわからないものだ。」  と申しました。  だんなのおっかさんは神信心の深い人でしたから、 だんなが旅の間、病気にもかからなかったのは、これ も神さまのおかげだと言いまして夕方になると神だな へお燈明をあげたり、だんながマメで帰って来たお礼 を言ったりしました。 二十七  来助じいさんのような人を見つけて、その家までた ずねて行って、親しく言葉をかわしてきたということ は、話してみればなんでもないことのようですが、し かしだんなにとっては忘れられない旅のみやげでし た。  妙なものですね。ああいう湖水のほとりまでも出か けて行ってみなければ太郎さんにも会いませんし、太 郎さんに会わなければ刀の話も出ませんし、刀の話が 出なければそういうおじいさんのいることもなんにも 知らずに帰ってきたかもしれません。それからまた、 神戸のお正さんのくれた|懐剣《かいけん》を出して見せなければ、 たとい太郎さんに会ったとしたところで、刀を打つお じさんがあるという話は出なかったかもしれません。  だんなのお友だちといえば、林さんでも、中西さん でも、吉川さんでも、みんな年の若い人たちばかりで す。そういう中で、実に思いがけない、ふとしたこと から、年よりで|懇意《こんい》な人ができたというは、だんなに はめずらしいことでした。  マア、来助じいさんはどんな人だと言ったらいいで しょう。ホラ、皆さんがお清書をする時に、重いケサ ンを紙の上に置くことがありましょう。あのケサンを |留《ヱ》 置きさえすれば、どんなに風が吹いて来ても、軽い紙 の飛ぶようなことはないでしょう。ちょうど来助じい さんはあのケサンのような安心を与える人でした。六 十いくつになるまでチントンチントン刀を打ってきた あの年よりの顔を見たり声を聞いたりするばかりで も、なんとなく安心させるような人でした。身には|美 美《びび》しい着物もつけず、胸には|勲章《くんしよう》も飾らず、ちょっと 見たところはお|百姓《ひやくしよう》か何かのようなそまつななりを して働いていましたが、しかし会って話をしてみる と、一生忘れることのできないような力のある人でし た。  日が暮れて行けば、ガヤガヤ騒いでいた小鳥の声も 沈まるように、|月日《つきひ》がたつにつれて、旅で見たり聞い たりしたこともだんだん沈まって行きました。いつ沈 まるともなく沈まって行きましたーその旅で見たり 聞いたりしてきたことの奥の奥のほうに、何が一番あ とまで残ったかというに、やはりそれは黙ってお百姓 の|鍬《くわ》を打っていたあのおじいさんのことでした。 二十八  それから二年ばかりたちまして、ある日のことだん なが|新花町《しんはなちよう》の家の二階で勉強しておりますと、一人の |背《せい》の高い年よりのお客がたずねて来たことを、千代ち ゃんがだんなに告げました。  だんなのところへ年を取ったお客はめったに来ませ んから、 「だれだろう。」  とだんなはふしぎに思いまして、二階からおりて見 ました。 「|堀井《ほりい》さんというかただよ。」  とおっかさんに言われても、まだだんなは|半信半疑《はんしんはんぎ》 でいました。なにしろ、あの|琵琶湖《びわこ》のほとりで会った 年よりがたずねて来てくれようとはだんなも思いがけ ないことですから。  驚きましたね、来助じいさんは|江州《ごうしゆう》から引っ越して きて東京で月給取りになったんですよ。戦争が始まる ようになってから、おじいさんの打つ刀がまたいるよ うになってきたんですよ。 「わたしもこの年になって、また世に出ました。」  とおじいさんはだんなの手を取らないばかりにして 言いました。  たぶんおじいさんはあの琵琶湖のほとりにある鳥居 川村の百姓家で、|鍬《くわ》を打って果てるつもりでいたんで しょう。古い刀のにせものをこしらえて、それでオイ しい物を食べるよりも、自分の好きな刀を打ちながら おこうこでお茶づけでも食べたほうが、よっぽどおじ いさんにオイしかったんでしょう。こんなにして東京 へ出て、だんなにお目にかかろうとは思わなかったん でしょう。ところが長いことすたれていた刀をさげて また軍人が戦争に行くようになりました。そこでおじ いさんの打つような「見ばは悪くもほんとうに切れる 刀」がいるようになってきました。  だんなはおじいさんを二階へ連れて行って、久しぶ りで石山のほうの話をしましたが、その|部屋《へや》の壁に は、おじいさんが|江州《ごうしゆう》にいる時分にだんなに書いてあ げたものが掛け物にして掛けてありました。 「旅のかたみが掛かっていますよ。」  とだんなはおじいさんに見せました。 「あなたにも刀を一本打ってあげたい、あんまり長く ないのがいいでしょう。」  とおじいさんがだんなに言いました。やはりおじい さんはおじいさんでした。月給取りになってもなんで も、,お百姓の|鍬《くわ》を打つ時分とすこしも変って見えませ んでした。 「わたしは|名刺《めいし》のかわりにこんなものをこしらえて持 ってきましたーあなたにあげたいと思って。」  とおじいさんがそこへ出したのは、細長い|小束《こづか》で す。物でもけずるとか、紙でも切るとかにこしらえて きたのです。いかにもおじいさんが手造りにしたらし いものです。 「こりゃおもしろい|名刺《めいし》をいただいた。」  と言ってだんなが見ましたら、その|小束《こづか》におじいさ んの刀|鍛冶《かじ》の名前が|胤吉《たねよし》ときざんでありました。 「どうぞ、|高輪《たかなわ》のほうへも一度いらしってください。」  という言葉を残しておいて、おじいさんは帰って行 きました。 「千代ちゃん、あの人が来助じいさんだよ。」  とおじいさんが帰ったあとで、だんなは千代ちゃん に話して聞かせました。  ある日、わたしはだんなのお供をして、高輪にある おじいさんの住まいへ行きました。そこで刀を打つ新 しい工場なぞを見せてもらいました。おじいさんは妻 もなければ、子もない人ですから、江州のほうから養 子をしまして、その人を相手に刀を打っていました。  あいかわらずおじいさんの住まいは、ちょうどおじ いさんの刀を見ると同じように、見えも飾りもありま せん。そのかわり、くんで出す番茶一ぱいにもおじい さんのま。こころはこもっているとだんなは言っていま した。 「わたしはこないだこういうものを頼まれました。」  と言って、おじいさんは戸だなの中からある軍艦の |鉄板《てつぱん》を取り出してきて、だんなに見せました。四角に 切り取った厚いものでしたよ。それは戦争の記念に、 ある海軍の士官から短刀に造ることを頼まれたとのこ とでした。おじいさんはまた、今の刀|鍛冶《かじ》のうちでは 自分が一番の高齢者ですが、どうかして自分の生きて いるうちに、若い人でいい刀鍛冶を養っておきたい、 とだんなに話しました。  来助じいさんが東京へ出てきましたころには、だん なのお友だちの林さんもなくなりました。来助じいさ んはもう七十に近い老人でしたが、まだチントンチン トンやっていました。