苦しき人々 島崎藤村  |広岡《ひろおか》老人とわたしとは親と子ほど年が違う。七八年 |前《ぜん》、わたしが初めて老人に会った時は、ただ正直な、 学者はだの官吏と思っただけで、今日のように親しく なろうとは思わなかった。いつのまにか二人の|生涯《しようがい》は 混ざり合った。どこまでが老人の逆境で、どこまでが わたしの|銀難《かんなん》であるか、次第に差別のつかないような ものに思われてきた。  不幸にも、広岡老人は非職になった。ちょうどわた しの友だちに大竹という男があって、わたしから老人 の経歴やら|境涯《きようがい》やらを聞いて、ひどく力を入れてくれ た。大竹君が、あの年老いた非職官吏の身にとって、 忘れることのできない恩人の一人となったのは、その 時からである。  わたしはある会社から製図を依頼されて、そのほう の完成を急いでいた。その仕事は現在変りつつある東 京の市街を一万分の一に縮めることであった。ある日 も、実地にくわしく測量したい場所があって、そのほ うの用向きでちょっと会社まで出かけようとすると、 そこへ広岡老人がたずねて来た。わたしは老人と連れ 立って、みちみち人生の辛酸を語りながら歩いた。そ の時、そう思った。「実に先生は|立派《りつぱ》な、学者らしい 人だ、なぜ先生のような人がこんなに困るんだろう。」 わたしは子が親にかじりつくように、あのごま塩のひ げがムシャムシャはえた、たよりのすくない老翁にか じりついて、いっしょに運命のはげしさを泣きたいよ うなここちになった。わたしは大橋のほとりまで歩い て行って、いくらかの小使いを老人の手に握らせて、 そこで別れた。  秋から、わたしは製図の仕事を急ぐために|新佃《しんつくだ》の閑 静な旅館へ移った。本所深川だけを取りのけて見る と、あたかも東京の市街は羽をひろげた一っの|蝶《ちよう》であ る。その|蝶《ちよう》のひげのように、隅田川の川口に添うて突 出した島の一角がちょうどわたしの旅館のあるところ だ。日曜"ことに、わたしはあの白いペンキ塗りの川蒸 汽に乗って、両国にある自分の家と|永代橋《えいたいばし》との間を行 ったり来たりした。船の窓から見える両岸の町々はみ んなわたしの地図にはいるところだ。ある日、わたし ほ知人から興奮剤として贈ってくれた薬用ウイスキー     がいとり のびんを外套のかくしに入れて例のとおり両国から深 川行きの切符を買ったが、その船の中で、どこかのお かみさんらしい人にあいさつされた。見覚えのある顔 だとは思ったが、どうしてもその女が思い出せなかっ た。船から上がって、貝がらの灰白く敷いてある道を 通って、やがて帆柱の見える|相生橋《あいおいばし》のあたりまで歩い て行ったが、妙に思い出せそうで思い出せなかった。 それから海に臨んだ旅館の二階へ上がって、自分の|部 屋《へや》で|外套《がいとう》を脱いだ時もまだ思い出せなかった。湯には いって考えたが、それでも思い出せなかった。 「バカ! そんなことはどうでもいいじゃないか。よ けいな胎世話だ。」  とわたしは|夕飯《ゆうはん》の|膳《ぜん》に向かいながら、自分で自分を 笑ったが、あるいはこんな|些細《ささい》なことも自分の頭の悪 くなった証拠ではあるまいか、と思ってみた.  ふと、その晩、まくらの上で思い出してみると、あ の川蒸汽の中であいさつされたというは、大竹君とい っしょに食いに行ったこともある両国|米沢町《よねざわちよう》の洋食屋 のおかみさんの顔であった。見覚えのあるはずだ。よ く入口のところへ出て来てあいさつする顔だ。する と、その洋食屋の二階でさしむかいに腰をかけた大竹 君がわたしの胸に浮かんだ。大竹君は|平野水《ひらのすい》を取り寄 せて飲む、わたしは疲労を忘れるためにビールをすこ しばかりやって、「大竹君の前でビールを飲むのは少 し残酷だったネ」とわたしが言うと、大竹君は何か物 足りないような、寂しそうな|笑《え》みを浮かべながら「好 きな酒も、君、からだには換えられないよ1酒の道 具がいるなら、君にやろうか」と言った時は実に気の 毒だった。その時大竹君はフォークを手にしたまま、 さも感慨に堪えないというふうで、二階の窓から町々 の屋根をながめて、そのへんは君が古戦場であるこ と、十年の昔には君が一代の豪遊をきわめつくしたこ と、そこに栄えた多くの名ある歌姫のこび、|芳醇《ほうじゆん》な酒 のにおい、ほしいままな肉の欲1およそこの世の歓 楽にして意の"ことくならざるはなしという時代のあっ たことなぞをわたしに話して聞かせた。それをわたし は思い出した。  大竹君を取りまく今の空気は遠慮なくわたしの|内部《なか》 へ侵入して来るように思われた。それを考えるとわた しは妙に眠られなかった。  十月なかばのことであった。わたしは大竹君から電 報を受け取った。 「スグ、コイ」  とある。  前触れも何もなく、ただ「スグ、コイ」と書いてよ こした。わたしは不思議でならなかった。いずれいっ しょに昔話でもしようというのだろう、こう解釈し て、とりあえず洋服を着て出かけることにした。  大竹君とわたしとは二十四年目でめぐりあった小学 校時代の友だちである。なんでも君のほうがわたしよ り一つ上の級の生徒であったと記憶している。その長 い長い間別れていた幼なじみから突然文通があって 「ある海岸の測量図を見たところが君の名が出ている。 林はぼくの小学校時代の友だちの名だが、その人と君 とは違うか。すぐに返事をくれ。もし肴があの林君な らさっそく会いに行きたいからー」と言って尋ねて よこした。 「その林だ、まさに本物だ。」こうわたしのほうから 答えてやると、やがてやって来たのは体格の大きな、 立派な口ひげをはやした、洋服姿の男だ。堂々たる紳 士だ。わたしの記憶に残っている幼い時の大竹君は、 どちらかと言えばやせぎすな少年で、よく「大竹の専 ちゃん」と呼んで、弁当箱なぞを振り回しながらいっ しょに学校から帰ったものだ。「奇遇・ 奇遇! ぽ くは林君が海軍士官にでもなってるだろうと思って、 そのほうにばかり注意していたよーどんなにぽくは 君を捜したか知れないよ。ア、。」こう言って、いか にもなつかしげにわたしのほうを見た時の目つきに は、どこかに昔の「専ちゃん」のおもかげ1活発な 気象の少年を思い出させるところがあった。大竹君は わたしといっしょに|堀端《ほりばた》でイタチを|釣《つ》ったことなぞま でよく記憶していた。こんなふうにして二人の交際は また始まったのであった。  芝公園にある大竹君の家をさして、|築地橋《つきじばし》から電車 で行く途中、わたしはあの旧友のことを思いつづけ た。おぼろげながらわたしは大竹君の青年時代から今 日までを胸の中に描くことができる。あの浮き沈みの 多い、|豪爽《ごうそう》な、華麗な、ある時は悲惨な、いくたびか 生死の間に出入した商人の|生涯《しようがい》。あの男の気象として は、行き方がすべてケチケチしていなかったに相違な い。しかしあの男について、最もわたしが直接に感じ たことは、一面識もない広岡老人の身に向かってあれ ほど濃厚な同情を寄せたことだ。何よりもまずわたし はそれで動かされた。  大竹君の住まいへわたしがたずねて行くのは、これ で二度目である。格子戸をあけると、そこへ飛んで出 て来たのは束髪に結った細君であった。細君は、上が れと言う前に、まずこんなことを言った。 「オヤ、いらしってくだすったんですか。ほんとに記 気の毒なことをしましたね。あの二度目に打ちました 電報はお宿へ届きませんでしたかーたしか取り消し の電報を差し上げたはずなんですがー」 「いいえ、それは受け取りません」とわたしは不審を 打った。 「まあ、うちの書生は何をしてるんだろう。」と細君 はひとりごとのように言って、やがてうれわしげにわ たしの顔をながめて、「宅で承知しないもんですから、 あんな電報を打ちましたんですよ。」  こう言われてみると、なるほどあの電報はすこし変 だった。わたしは庭に立ったまま、大竹君の精神に異 状が起ったということを初めて知った。細君の話によ ると、大竹君の神戸行きがすでに夢であった。帰って 来て新橋停車場の待合にはいって、そこである人と激 しい商用上の談判を始めたが、大竹君はその話の最中 に卒倒したのであった。 「しかし、たいしたことはないでしょう。」とわたし は細君の話をさえぎった。なるぺくわたしは軽い出来 事に考えたかった。 「いえ、そうでないそうですよ。医者がよほど気をつ けなければいけないと申しまして、郵便まで|家《うち》の者が 隠しています。いっさいどなたにもお目にかからない ように・:・:」 「そいつは飛んだことになりましたナ。」 「まあ、林さん、おあがんなすってください。母がお 目にかかって、いろいろお話しいたしますでしょうか らー」  わたしは、それから、細君に導かれて、下座敷で大 竹君のおっかさんに会った。さすがにおっかさんは落 ちついてはいたが、ただならぬあおざめた顔色をして いた。わたしは性来|臆病《おくびよう》だから、混雑した家の中のあ りさまを見ただけで、もうなんとなく物に襲われるよ うな気がしてきた。  下座敷では、大きな声で話もできなかった。おっか さんは絶えず二階のほうへ気を配って、ちょっとした 物の音にも耳を澄ましている。 「……林君はどうした。まだ来ないか。:.:.それか ら、あのなんだぜ、ごちそうは天金へ注文するんだぜ ….:」  こういう大竹君のいらいらした声が二階のほうから 聞える。同時に、あちこちと座敷を歩き回る音がす る。大竹君はわたしを迎えるつもりで、いろいろに部 屋の中を飾っているらしい。  おっかさんはわたしと顔を見合わせて、「あれ、あ のとおりあなたに会いたがっています。林君はどうし た、林君はどうしたッて、どのくらいお目にかかりた いのかわかりませんllしかし今は夢中ですから、会 っていただいていいものやら、悪いものやら……」 「こらッ。電報を打ったか。」  叫ぶような大竹君の声がまた聞えた。おっかさんは 震えながら立ったりすわったりした。細君は|将来《さき》のこ とまでも考えるというふうで、力なげに|唐紙《からかみ》をあけな がら出て行った。 「林さん、お聞きください。」とおっかさんは声を低 くして、「こないだもあなた、せがれが、『おっかさ ん、今までの古い大竹は死んだものと思ってくださ い、これから新しい大竹になってウンとやってみせま す、』そう申しますから『ああ、そうとも、十六年夢 だと思えば、お前それで済む、どうかその気でやって おくれよ、奮発しておくれよ。』ッてーネ、あな た。するとこの騒ぎで"こざいましょう。せがれもまあ これからというところで……これからほんとうにやろ うというところで……それを思いますとわたしはかわ いそうでなりません。」  わたしにはなんとも答えようがなかった。 「なにしろ、あなた、あのとおり夢中でおりますので すから、あぶなくて。」と言って、おっかさんは一ぱ い涙のたまった目で、しばらくわたしの顔をながめ た。「刃物という刃物はいっさい取り上げました、か みそりまでーアノせがれはふだん自分で顔をアタリ ますからね。『バカ! お前たちはおれをそんな|狂人 と思うか。』そう申しましてせがれが笑いましたです よ。でも、あなた、用心に越したことはございません からね……うちの者はもうみんなあわててしまいまし たのですよ……せがれはまた、毎晩寝床の下ヘピスト ルを入れて伏せりますから、それを取り上げたいと思 って、いろいろにだましてみますんですけれど、どう してもあのピストルばかりは渡しませんーまあゆう べも、おとついの晩も、わたしは一睡もいたしません のですよ。」  こういう話を聞いているうちに、次第にわたしの心 は震えて来た。それから一時間ばかりたってわたしは 靴音《きちがいくつおと》のしないように、コッソリ大竹君の家を出たが、 |凄然《せいぜん》とした感じはいつまでもわたしから離れなかっ た。あのおっかさんは大竹君のことを「せがれも気が 小ざいから」と言ったが、わたしはそうは思いたくな かった。わたしは芝の公園内の大木が今にも目の前で 倒れそうな気がして来た。帰り道に築地行きの電車に 乗った。わたしは自分もまたおそろしい勢いでどうか なってしまうかと思った…:  その翌日から、わたしは仕事が手に着かなかった。 測量のために旅館を出ても、どうかすると大事なかば んなぞを置き忘れて来ることがあった。妙なもので、 柳の木の下なぞにボンヤリとして、|釣《つ》りをしている人 間を見ても、笑えなくなってくるー次第にわたしは 製図のほうをナマケる。会社の人が催促に来るたび に、その言いわけばかり考えている。まもなくわたし は大竹君がある保養院へ送られたことを聞いた。  わたしが泊まっていた旅館はかなり大きな建物で、 下宿する客も大ぜいあった。海の見える座敷はみんな フサがっていたから、余儀なくわたしは北向きの寒い 部屋を選んで、そこで寝たり起きたりした。|家《うち》にいる 人 とは違って飯も手盛りでやった。部屋の壁はまだ上塗 りがしてなくて、あらい、ねずみ|色《き》の土のままだっ 苦ーた。わたしはそこへ参考のためにいろいろな地図を掛 けた。ある時どうかいうハズミでドシンとその壁に突 き当たったら、お寺のような音がした。こういう部屋 の中へ楽しい日光を送るのは、ただ一つの窓で、その 窓の下に青々とした草地が見える。草地の向こうには |相生橋《あいおいばし》から月島へ通う広い平らな道の一部分も見え る。よくわたしはその窓のところへ行って、草地へ遊 ぴに来る|鶏《とり》や、子供や、それから向こうの往来を通る 職工の群れなどをながめ入りながら、底の知れないお それのために震えていた。わたしはまたその窓の下 で、広岡老人のことを考えたり、大竹君の手紙を読ん だりした。  大竹君は保養院から、静養中の記念とか、病中の作 とかして、いろいろな草花の写生だの、絵はがきだの を贈ってよこした。わたしはそれを受け取るたびに、 いくらかずつあの友だちが落ちついて来たことを感じ た。  十一月の三日、わたしはまた大竹君から手紙を受げ 取った。 「林兄ーぽく君に会いたくて困る……幸い天長の佳 |辰《しん》に際し、いささか祝宴を病室に開かんとす……君、 車代を負担するから繰り合わして来たまえ…:一泊の つもりにて、同業者も引率して来たまえ(二三人)l lただし、みやげ物はカキモチにかぎる。」  こう書いてよこした。しかし大竹君は保養院の医師 から厳重に監督される身で、商用の相談は代理人に委 任してあるし、健康の回復するまでいっさい面会をも 謝絶するとのことだから、わたしは大竹君の|家《うち》の人に 対してたずねることを遠慮した。かげながらわたしは 大竹君のために心配していた。  すると、十ニ月にはいって、ある日大竹君がわたし の旅館へ突然やって来た。わたしは友だちの病気がそ んなに早くよくなろうとは信じなかったから、よく保 養院のほうで出してよこしたものだ、と思って驚い た。さっそく出て迎えた。  大竹君は二度までヨーロッパヘ渡ったという人だけ あって、洋服の着こなしなども|上手《じようす》なものだった。そ の日も、よく身についた背広を着て、わたしといっし ょに|上草履《うわぞうり》を鳴らしながら、壁に添うて長い廊下を突 き当たった。 「ここが君の部屋だネ。」  こう大竹君が言って、それからわたしの部屋へはい ったが、思いのほか落ち着いているように見えるの で、わたしはすこし安心した。 「へえ、よく来てくれたね。」とわたしは毛布に座ぶ とんを重ねて、それを友だちに勧めながら言った。  大竹君はあぐらにやりながら、「保養院にいたって、 君、退屈でしかたがないから、きょうは許しを得て出 て来た。もうぽくは退院してもいいんだよ。」  こういう調子だ。大竹君はもうすっかりよくなった と言って、在院中の記念としてとった写真、「お笑い 草まで、クリスマス兼新年用」と書いた手製の力iド なぞを出して、わたしにくれた。わたしはいっしょに その写真を見た。きれいに髪を分け、おとっさんらし くよくとれてはいるが、どこかに病人らしい、乱れた ところがある。長く見ているのは気の毒のような気が して、わたしはそれをカードといっしょにもらってし まった。  大竹君はわたしの様子を見て取った。そして快活に 笑い出した。 「そんなに君はよくなったのかい。」こうわしたしは言 ってみた。 「よくなったのかいって、初めからそう悪かないんだ もの。」と大竹君はわたしの顔をながめながら言った。 「ぼくのは君、】W冨ヨ臼φ8$というところまでは行 かないんだよ。目×ゴp口∞一口、9Z円くΦーそうだ、 ぽくのはそのほうなんだ。だから、時が来れば自然に 回復するサ。」  その時わたしは巻きたばこを取り出すと、大竹君も 同じようにくゆらして見せて、日に三本ぐらいずつは 許されていることや、日課として毎朝一時間ずつ黙想 することや、食後には必ず庭内の温室へ出かけて行く ことや、それからその温室のかぎを預かって、院長に 代って、いろいろな植物を培養していることなぞを話 し出した。 「院長さんはいい人だよ。ぽくはもうすっかり友だち になっちゃった。院内でも、ぽくだけは特別の待遇を 受けてるサ。ぽくは君、精神病患者としては取り扱わ れていないさ。ごく自由だ。ほかの患者はみんな『院 長さん、院長さん』でおそれているのに、ぽくばかり は君、『ヤ、先生』という心やすい調子だろう。看護 婦などは驚いてらあね。はゝゝゝ。患者といえば、ぼ くは今いろいろな人間と同居してるよ……むやみにひ とのところへはいって来る女だの……男だの……一人 軍人もいるーこの先生は時々廊下へあばれ出す。そ うすると、みんなで寄ってたかってクスグるんだね。 かわいそうな者さ。いや、いろいろな患者がいるよ。」  こういう大竹君の話に、ついわたしも聞きほれてい たが、やがて思いついて立ち上がった。 「大竹君、何かおごろう。」 「久しぶりで、こちそうになるかナ。」 「鳥を食うか。」 「ウン、なんでもいい。」 「それはそうと、君がここへ来てることを、保養院で は知ってるだろうか。」 「知ってるとも。ちゃんと許しを得て来たんだもの。 しかし念のためだ。こうっと、ここの|家《うち》には電話があ るね。じゃあ君から一つ電話をかけてくれたまえ。そ うしておきさえすりゃ、いくら長く遊んでいたって安 心だ。」  そこで、わたしは大竹君から保養院の番号を聞き取 って、昼飯の注文といっしょに電話口へ降りた。電話 ロヘ出たのは女の声だった。細君か、と聞いたら、声 は笑って、看護婦だという返事であったから、その時 わたしは念のために大竹君の病状を尋ねてみたが、け っして全快したのではない、院長初め心配していると のことであった。  まもなく宿の娘があつらえの料理を運んで来た。大 竹君はわたしといっしょに食うのを楽しむというふう で、|膳《ぜん》に向かいながら部屋の内を見回して、 「いい宿屋だ。なかなか木口もシッカリしてらあ。海 の見えるところでちょっとこれだけの位置は得られな いよ。」 「しかし、妙な建て方だろう。よく見たまえ。」とわ たしは笑った。「ぽくも|初《はな》のうちはわからなかった。 ところが見る人が見ると違うね、どうしてもこれは普 通の建物じゃないーまったくそのとおりサ。聞いて みると、なんでも東北の地方にあった女郎屋を取りく ずして、それを舟に積んで持って来たんだそうだ。」 「道理で、廊下が長いと思った。」と大竹君も笑い出 した。「してみると、この部屋は回しを取った部屋だ。 押し入れもないや。はゝゝゝ。ここで君が地図を引い てるなぞは、おもしろい。いっしょにわれわれが飯を 食うなぞは、いよいよおもしろい。」  二人は楽しく笑いながら食った。  昼飯の後、わたしは大竹君の話に気をつけているう ちに、どこか以前の大竹君とは違うような気がしてき た。どうかすると大竹君の話は非常に信心深いような 調子を帯びることがあった。宗教家か、|遁世者《とんせいしや》でも言 いそうなことを言った。そうかと思うと、大竹君の話 は急に連絡のないところへ飛んで、電車の中で昔なじ みの芸者に会ったこと、自分はこれから|南清《なんしん》地方へ視 察に出たいと思っていることなどを言い出す。  急に大竹君の話は広岡老人のうわさに移った。 「先生もどうしているだろうなあ。」と大竹君はすこ し不安な目つきをして言った。  老人のことを考えると、わたしも苦しくなる。「ぽ くは二三日前に会ったよ。ア、、この宿屋へ見えた。 しかし先生はあの苦しい中で、自ら捨てないようなと ころがあるね。わりあいに平気だね。」 「あそこはおもしろいナ。」 「先生が好きな鶏でもながめて、こう一服やってると ころは、なんの苦労もなさそうだーもう何もかも忘 れているようだ。だが、あれほど苦労する人もまたぽ くは少ないかと思うよ。あの|境涯《きようがい》を先生に向かって責 めたって、そりゃあ残酷な話サ。人間は一度恐ろしい 逆境というやつにぶつかってみたまえ、だれだって 君、心気|沮喪《そそう》してしまうからねーそりゃもう、君だ って、一はくだって・::・」  こんなことをわたしが熱心に言い出したので、大竹 君は不思議そうにわたしの顔をながめた。アベコベに 大竹君はわたしのために心配しだした。 「君は顔色があまりょくない。どうだね、よく寝られ るかね。」と大竹君が意味ありげに尋ねた。 「それサ。」とわたしは変な気がしてきた.「どうも寝 られないで困ってる。それが一週間ばかり続いたこと がある。」 「いけない、いけない。」と大竹君はたっしゃな人の ように頭を振った。「ぽくは君、保養院へ行ってから だいぶ精神病学を研究した。院長さんの代理とまでは いかないが、これでも君、手伝いぐらいはできるよう になったよ。新しい患者でも来ると、いつでもぽくは 先生を手伝ってやるサ。骨相を見ればたいていわかる ネ。」 「そうかナァ。」 「君はよほど注意しないといかんよ。君の子供を見た まえ、頭のかっこうがあまりよくないぜ1悪くする と、ぼくよりは君のほうがあやしい。」 「イヤなことを言うナア。」 「イヤなことッて、ぽくは君に注意してるんだよ。ま あ、一度保養院へ来てみたまえ。非常に閑静で、いい 所だぜ。もし君が|診《み》てもらうつもりなら、ぼくはいつ でも先生に紹介してやるよ。君が来てくれりゃ、ぼく も大いにありがたい-実際、今のところでは話し相 手がなくて困っているんだからね。」  その時、大竹君はふくさ包みの中からアルバムを取 り出して、その日を記念するためにわたしにも何か書 けと言った。わたしは別に書こうと思うことも浮かば ないから、自分の姓名と、それから月日だけしたため ることにした。 「きょうは十二月の|何日《いくんち》だッけ。」わたしは日を忘れ ていた。 「それ見たまえ。」と大竹君はあざけるように笑いだ した。「-|六日《むいか》サ。」 「ア、六日か。」わたしはそれを書いた。 「六日かもないものだ。ぽくのほうがよっぽどよく覚 えてらあ。」 「どうかすると日を忘れることはあるよ。」 「まあ、そう弁解しないでもいいよ。それからそのわ きへもってッて、林君、君の生まれた年と|月日《がつぴ》を書い てくれたまえ。|毎月《まいげつ》、君の生まれた日が来ると、ぽく は君のために祈るから…・:」  わたしは大竹君の言うままに書いてやった。  やが大竹君は礼を述べて、再会を期して立ち上がっ た。わたしは|佃島《つくだじま》の渡しまで見送るつもりで、いっし ょに自分の部屋を出た。  十二月らしい日であった。往来の柳並木も枯れがれ としていた。みちみち大竹君は冬雲の浮かんだ空を遠 くながめて、|勃《ぽつぼつ》々たる心をおさえかねるというふう で、 「いずれぽくも近いうちに|南清《なんしん》へ出かけるよ。そうし たらまた手紙をよこす。」  こうわたしに向かって歩きながら言った。  日をうけて光る帆、動揺する海、いわしを分けるた めに諸方から岸へ集まった漁夫の群れーそのごちゃ ごちゃしたありさまは間もなくわれわれの目の前にあ った。ちょうど築地のほうへ出ようとする渡し舟に乗 る前に、大竹君はちょっとわたしのほうへ向いて、握 手を求めた。 「まあ大事にしたまえ。」  とわたしの顔を見て言って、それから友だちは舟の ほうへ急いだ。 「どっちがー」  と、もう一度友だちがわたしのほうを見て、思い出 し笑いをしたころは、舟がもう動き始めていた。  それぎりわたしは大竹君に会う機会がなかった。暮 れの二十三日に、わたしは未完成な地図を抱いて、ボ ンヤリ両国の|家《うち》のほうへ帰って行った。その年わたし の家では押しつまってから障子なぞを張るという騒ぎ で、寒い寒い|大晦日《おおみそか》の前の日に、わたしが震えながら 切り張りをしていると、そこへ広岡老人がこれも寒そ うな顔をしてはいって来た。あゝーわたしはこの老 人の口から大竹君がさらにある精神病院のほうへ送ら れたことを聞いた。  大竹君に離れた広岡老人。わたしは製図を完成する ことができなかったから、したがって会社から受け取 るべきものも受け取れなかった。わたしの微力では、 いかんともしがたい。老人も苦しければ、わたしも苦 しい。その時わたしは、失礼だとは思ったが、老人の 子供へと思って、正月のもち、ごまめ、数の子、それ から塩ざけを三きればかり古い新聞紙に包んだ。