伯爵夫人 島崎藤村  一面識もない婦人から、ある日、わたしは短い曲の 譜と、手紙を受け取った。そのふくさ包みを持って使 いに来た車夫ていの男が、これはなにがし伯爵夫人か らであると言った。  しかし、手紙を見ると仮の名前だ。肩に本所として あるが、町の名も、番地もない。 「かく突然|御《おん》驚かしまいらする罪、なかなかにかろか らずとは存じ|候《そうら》へども、かねてより御貴家様の音楽を 敬聴|致《いた》しおり|候《そろ》ところより、このたび、是非是非御批 判を願ひ上ぼたく、もとより素養もすくなき私こと、 あまりのあつかましさにおあきれ遊ばされ候事とは存 じながら、わが身ひとりの思ひ出草にもと、つたなき 曲一つ作りいで申し候。なにとぞなにとぞみめぐみ深 きお心もて、|御《み》教へを|垂《た》れざせ|給《たま》はんには、いかばか り|御《おん》うれしくもありがたく存じまいらせ候はんー」  こうある。  わたしは海外留学の命を受けて三年ばかりドイツで 音楽を修めて来たが、まだ自分では一書生のつもりで あるし、それにこんなうやうやしい文句の手紙を今ま で受け取ったことはないから、驚いた。曲を見てくれ ろには相違ないが、それならばそのように本名を名の って、住所をはっきり書いてよこしそうなものだと思 った。よくわたしたちの仲間にはこんないたずらがは やるから、だれか人の悪いやつが笑うつもりかもしれ ん、こうも思われた。とにかく、わたしは受け取りだ け出すことにして、いずれ曲を拝見した上、自分の意 見を申し上げる。なにぶんにも今は忙しいから、と答 えてやった。  すると四日ばかりたって、また手紙が来た。今度は 本所の町名番地を書いて、なにがし|家内《けうち》1としてよ こした。二度目の手紙は最初のように改まったもので はなかった。「日々|御忙《おんいそが》しく入らせられますのも顧み ず、先日はあのようなつまらぬ曲をお目にかけ、その 上に御批判まで願いまして、あとで考えますと自分な がらあまりのあつかましさにあきれてしまいました。 あのおりとても、御用多くいらせられましょうし、そ れに私のおぼつかなき素養で、思いましたことをその ままに作ったまでで、曲になっておりません。あのよ うなものを、とてもとても御批判どころか御覧下さる さえむつかしいと存じておりましたのに、ゆるゆる御 覧下されますとの御返書まで下されまして、私はもう もうあまりのうれしさに、もしや夢ではないかと思っ たくらいでございます。  1なんとお礼を申し上げてよろしいやら、ただた だうれしいと申すほか言葉が出てまいりません。どう ぞお察し願います。私かくたびたび|玉章《たまずさ》差し上げまし てはいかがと存じますけれど、|御前様《おんまえさま》の音楽を深く深 く深くお慕い申し上げております。先日、使いの者に 又|玉章《たますさ》いたすようにと仰せ下されし由、承り、な器な おおなつかしく存じまして、この手紙差し上げます。 どうぞ、お許し下されまし。  1音楽会あるたびに、私は御演奏のピアノに耳を 傾けるのが何よりの楽しみで"こざいます。私はどうか して御前様のお教えを仰ぎたいと存じておりますけれ ど、素養がございませんから、とても及ばぬことと存 じます。  -まだいろいろ申し上げとうございますが、そう そうおさまたげいたしては済みません。御返事いただ けますれば、ありがとう"こざいますが、いかがでしょ うか。」  いかにも見事な若々しい筆跡で、別に「問わずがた り」としてあの小曲の由来のようなものを添えてよこ した。いったい女の手紙は用を言うにも|艶書《えんしよ》臭くて、 サッパリしないから、わたしはきらいだ。が、その文 面の殊勝なのにわたしは心を動かされて、窓に近いピ アノのところへ行って、あの曲をひいてみた。短音階 から出来た歌曲風のものだ。わたしはピアノの前に腰 かけたまま「問わずがたり」というものを読んでみた。 「今から九年のむかし、わたしはある事情のために命 とまでも思い合った恋を捨てて、心にもない結婚をい たしましたのよ。八年の長の|年月《としつき》、表に偽り|笑《えま》いをも って、心に泣いて暮らしました。そのつらさ、苦し さ、あまりの切なさにいっそ去られたならばこの苦 しみも薄らぐかと、それからは子供までも犠牲に供し て、|表面《おもて》にのみは自暴自棄にふるまいましたのよ。と ころが思うツボにはまって、去年の秋、とうとう離縁 の宣告を受けました時は、ひそかに|凱歌《がいか》を揚げて里に 帰って参りました。けれども老人の嘆きを見、子供の ことを思いますと、堪えがたき苦痛を感ぜずにはおら れませんでした。自分はやっぱり女ですもの。みずか ら求めしこととは言え、かく成り果てし今さら、弱い 心には過ぎこし方さては行く末の忍ばれぬというわけ には参りませんでした。  1わたしは子供の時分からそうでしたが、今でも 気のふさぐ時は人に会うのがいやでいやで、こうどこ か人の通わない|深山《みやま》の奥へでもはいって、心のゆくば かり考えもし、泣いたりしたら、どんなに楽しいで あろうと思いますわ。悲しい時に楽しいと思うなぞと は、ずいぶん矛盾した事を言うと思う人もあるかもし れません。けれど、たしかに、悲しみの楽しみという ことはあると思いますわ。まして、今のわたしには、 庭へ出て木の間を|造《しようよ》遙したり、|吾妻屋《うあづまや》へでも行って空 想にふけるのが|唯一《ゆいつ》の楽しみですもの。  ーわたしの|家《うち》は、東京のうちでは、まあ|田舎《いなか》でし ょう。今から六七年前までは、周囲はみんなたんぽで 閑静でしたが、その後はどんどんたんぼをつぶして、 一年増しにどしどし家が建ちました。今では工場まで 出来て、あっちにもこっちにも煙突がにょきにょき立 って、シャアシャアという音につれて苦しそうな息を 吹き立てておりますのよ。それでも、まだ水車のコッ トンコットンという音の聞えている所もあります。同 じ音でも、前のシャアシャアという音を聞くといやな 気分になりますわ。まるで『人間は正直ばかりでは渡 れないよ。愛がなんだ。幸福がなんだ。これからの世 は金だよ。地位だよ。二つの前には自分の心を売り友 を売ってもあの人は利口な人だと言われる世の中だ よ。そんながんこなことを言わずに利ロな人のまねを おし。わかったかい。』というように聞える。水車の 音は、いかにも『人間は正しくなければいけないよ。 黄金の光に酔ってはいけないよ。人間はおのれの行く べき道のためにはいかなる誘惑にも勝ち、あらゆる|罵 署謹誘《ばりざんぽう》をも堪え忍んで進まねばならぬ。けっしてめざ ましい成功を望むな。わたしを御覧、昔も今も少しも 変らず働いているではないか。あれあそこに立ってい る煙突たちはわたしを見て、あのざまはなんであろ う、カッタン、トントンと、眠くなるような音ばかり 立てている、|馬鹿《ぱか》正直め、と下目に見おろしてあざわ らっている。笑うものには勝手に笑わせておくさ。わ たしは決してあせらない。わたしは自分の主義のた め、うまず、たゆまず永久にこの働きはやめないよ。』 というふうに聞えて、自分の弱い心を励ましてくれる ように思いますわ。  iある朝早くでした、わたしは気がふさいでなり ませんでしたから、庭へ出ますと、露にぬれた木の葉 が朝日に輝いて、光っている。その美しさ、もう、気 も晴れ晴れとなりましたわ。それから|吾妻屋《あづまや》へ行って ひとり空想にふけっておりますと、ふと落ち葉を踏ん で来る人のけはいがいたしますのよ。その時は腹が立 ちましたわ。せっかくひとりで楽しんでいたところ を、興をさまされてと。けれど思いましたわ1今時 分、|木《こ》の|間《ま》を|造遥《しようよう》したりする人は詩趣のある人だと、 そんなこと考えているうちに、木の間から半分姿が見 えて来ましたのよ。その人は、わたしの始終恋しいと 思っている|亡《な》きおばあさんの里の親類のかたで、こと しの春国から出て来て、庭の離れにいらしって、ある 学校にかよっているかたでした。隼はわたしより七つ も下なのよ。そのかたもわたしがここにいようとは思 いがけないという御様子でした。今までに二三度お目 にかかったばかりでしょう、なんだかきまりが悪く て、なんと"こあいさつしていいか、ほんとに困ってし まいましたわ。顔ばかりあかくなって、それでも|二言 三言《ふたことみこと》、何かお話をしましたが、何を申したのか、あと では少しも覚えていません。どうしてそんなにあわて たのでしょう、不思議なくらいよ。その後はたびたび お目にかかるようになりましたの、もう初めのような ことはなく、お話をしてみますと、芸術の趣味も深 く、高い志想を持った男らしい、それでいて|情《なさけ》の深そ うなかたなのよ。わたしはほんとに頼もしいかただと 思いましたわ。それに自分と趣味の一致したというこ とが、どんなにうれしかったでしょう。それからとい うものは一日でもあのかたにお目にかからぬと、なん だか物足りないような気がして、今まで唯一の楽しみ としていた|吾妻屋《あづまや》での物思いも興味のないものとなっ てしまいました。  1毎日あのかたが学校からお帰りになったころを 計って、庭へ出てみますの。そうするとあのかたもき っと出て来て下さいますのよ。その時分から、二人は 目に見ることのできない神秘な力に引き寄せられてい たのではないか、と思いますわ。  1ある日も二人で池のほとりでお話ししておりま したのよ。みぎわには水草が咲いていたり、深い所に は|藻《も》が茂って、青々と透きとおっている。向こうには コンモリとした木立ちも見える。音楽の話から始まっ て、過渡時代に生まれた婦人の不幸なことや、貴族と 名のついた勲功者が人もなげなるふるまいをののしっ たり、興に乗って時のたつのも知らぬくらいでした。 しまいには恋の話になりました。  1するとあのかたは、ちょうど手にしていらしっ たバイロンの訳詩を力のある声で、強く静かに読んで 聞かせて下さいましたのよ。わたししばしの間は詩の 中の人になったような気がしていましたの。そのう ち、お声がパッタリ止まりましたから、はッとわれに 帰って、あのかたを見上げますと、まあーお目に涙 をいっぱいためて、じっとこちらを見つめていらっし ゃるのよ。わたしはたまらなくなって、ワッと泣き出 してしまいました。同時に今までせつない思いにあこ がれていたことをざとりますと、つい情が高まって、 互に手を取り合って泣きました。それからのわたしの |煩悶《はんもん》察してちょうだいな。あゝ、わたしは決してあの かたの初恋を受けられる価値ある者ではありません。 あのかたを深く思えば思うほど、この恋はひとり胸に おさめて、このまま永久にこの身とともに葬り去るよ りほかに道はあるまいと思いますと、たまらなく胸が 迫って来て熱い涙が|頬《ほお》を伝ってひざに落ちますのよ1 1弱い者とお笑い下さいますな。」  わたしはこれを|家《うち》のものに見せて、みんなでこの貴 婦人を想像した。  とにかく、一度会ってみよう。志望を聞いてみよ う。こう考ネたから、わたしは簡単に返事を書いて、 たとえ人は知らずとも願わくば価値ある一生を送れ、 とかくはまず心の持ち方が肝要だ。自分はまだおのれ を音楽者だとも思っていないが、道案内ぐらいはでき よう、手紙ではよくわからないからたずねて来るよう に1貧しい宿ではあるがすこしも遠慮には及ばない から、と言ってやった。  どういう人が来るのかわたしの|家《うち》ではよくわからな かった。  ちょうど、国もとから出京した姉がたずねて来ると いう夏の田、わたしの|家《うち》ではいっしょにこの珍客を待 ち受けた。|妻《さい》は古すだれを換け替えたり、子供に着物 を着かえさせたりして、客の来ない前から茶道具など を持ち出して騒いだ。  待っても待っても客は見えなかった。姉の供をして 来た|姪《めい》が「わたしもそういうかたを見たい」と言っ て、昼近くまで待ち受けていた。 「しかし|叔母《おば》さんこんなところへそんなかたにいらし っていただいてもごあいさつに困りますわねえー」  こう姪は妻に話して笑った。昼過ぎまで待った。と うとう客は来なかった。  四五日たって軽井沢の別荘から手紙が届いた。夫人 は、その手紙で初めて|実名《じつみよう》を明かした。わたしは確か にあの曲の作者が、なにがし伯爵夫人であることを知 った。 「五日出の|御玉章《おんたますさ》、けさ|御《おん》受け取り申しました。御貴 家様には時候のおさわりもなく何よりお喜び申し上げ ます。七日の朝、尋ぬるようにと仰せ下されましたの に、私ことこの地に参っておりましたので、|御玉章《おんたますさ》け さ東京の家より届けてくれました。時おくれ参上いた ざぬ上、お断わり状も差し上げず、定めしお待ち下さ れましたことと、なんとも申しわけもございません。 なにとぞあしからずお許し下されまし。  -ただ今まではお許しを受けませんでも、心には 師と仰ぎまつる御貴家様に仮名を申し上げておりまし て実に実に相済みませんで"こざいました。一っは女気 の狭い考えから、お取り上げ下さらぬ時は恥ずかしい という感じがいたしまして、偽りを申し上げました罪 なかなかに重く、なんとおわび申し上げてよろしいや らわかりません。  1お許し下されませんでも、いたしかた"こざいま せんが、おわびはどこまでもいたします。私の実名は i|幸子《こうこ》と申します。すでに、世の人々からは不貞の 女とうたわれました身の上でございますから、御承知 でいらせられましょうが。  1孫の身より勲爵家名を重んじます|祖父《じい》は1私 の真の心を知ってくれることができませんでした。 で、ただいまは謹慎の身の上でございます。どちらへ も参ることは許されません。せっかく御親切におっし ゃって下されましても、上がることはかないません し、恐れ入ったことではございますがおいでを願いた く存じましたけれども、よく考えますと、|殿方《とのがた》という ことがさわりになりまして、許されませんでございま しょうと存じます。情ないことと存じます。けれども いかにしてもただいまのところではお目もじいたしか ねます。せっかくの|御《おん》仰せ下されを無にいたさねぱな りません。お許し下されまし。  1私ことは、十三四のころより、絵画、音楽、文 芸に興味を感じまして、どうぞ自分の一生を音楽家に 終りたく願いましたけれども、音楽なぞは娯楽になす ものなり、婦女はとつぐべき義務あればさることはな らぬ、と申され許されません。で、何も知らぬまにと つがせられました。愛のない結婚ほど不幸はないと存 じます。いかなる他のもので補いましょうと思いまし ても、かないませんでした。私は実に泣き暮らしまし た。母がございましたならこんな心細いことはなかっ たのでございましょう。私は母の情愛を知りません。 ただいまこうしておりますと、なおさら幼い時に|亡《な》く なりました母の慕わしゅうございます。  1こうして家にのみおりましても、とついでおり ました時分よりははるかに自由を得ております。|玉章 とても、どちらより参りましょうとも、開封ざれるよ うなことは"こざいません。願われますなればなにとぞ 御玉章《たますさおんたますさ》にて御教訓仰ぎたく、|御《おん》仰せの.ことくとかくは まず心の持ち方こそ肝要で"こざいます。たとえ、人は 知らずとも、これよりは価値ある一生を送りたく存じ ます。私はこれより一生音楽の研究を積みたく、けっ して娯楽的にいたすのではございません、まじめに研 究いたしたく存じます。けれども娯楽的以上には見て おりません人々に申しましても、ただ浮いた考えとの み、取り上げてはくれません。たとえ、許されません でもいかに苦しみましょうとも私は死ぬまでこの希望 は変えぬ考えでございます。しかしながら学なく想低 くただただ焦心するばかりでございます。なにとぞな にとぞこの志を|御《おん》くみとり下されまして、御教訓下ざ れまし。くれぐれもお願い申し上げます。つたなき筆 にて、くどくど聞え上げ、定めしお読みにくくもあら せられましょうが、なにとぞ御判じのほど願い上げま す。」  わたしは不幸な貴婦人の告白を聞くような気がし た。  わたしの|家《うち》はこういう職業だから、土曜日曜にはけ いこに来る人がある。そのなかに、内田という女の研 究生がある。この人はヤソ学校出で、頼もしい人物だ し、華族の家庭へも出はいりしていると聞いたから、 いっそわたしはこの人を夫人に紹介しようと思った。 で、本所の屋敷へあてて内田のことを詳しく書いて、 もし尋ねて行ったら会ってみてくれ、内田を通して自 分の考えも聞いてみてくれ、こう言ってやった。 「まあ、見事なお|筆《て》ですこと。」  と内田は、わたしの|家《うち》へ来た時、夫人の手紙を読ん だあとで言った。「すでに世の人々からは不貞の女と うたわれた身の上で.こざいます」と夫人から書いてよ こしたことについては、わたしはなんにも知らなかっ た。内田に聞いてみたが、内田も知らなかった。  それからは内田もひどく夫人のひととなりに興味を 持った。彼女はよく方々の琴の会なぞに招かれるの で、夫人について、いろいろなことを聞いて来るが、 若い貴婦人たちの取り澄ました批評は「どうしてあん なかたのことをお聞きなさるの」とか、でなければ 「まあ、ヒドイかたよ」とか。そういう息のつまるよ うな空気の中から帰って来るたびに、彼女は夫人のこ とをあわれに思うと言った。  偶然にも、内田が日ごろ親しくするなにがし子爵夫 人は幸子夫人の友だちであった。ある園遊会で、人を 離れて、内田が「幸様」のことを尋ねてみた時、 「こんなところでお話しするようなことじゃなくっ てよ。」  とその子爵夫人が言ったという。  九月末の日曜のことであった、内田は練習中の譜を 持ってわたしの家へやって来た。例のピアノの置いて ある奥座敷でliまあわたしの|家《うち》の財産といえば新し いピアノ一台ぐらいのものだがーその楽器のそばで 内田は本所の屋敷へたずねて行った時のことを言い出 した。 「お|留守《るす》でしたよ。」と内田は神経質な目つきをして 「幸様はお宅でいらっしゃいますかって、お尋ねしま したらね、書生が出て参りまして、立ってて物を言い ました。奥のほうには男のかたが大きな声で笑ってい ました。構わないお屋敷ねえ。でも、あのくらいのお 屋敷になると、はかまでもはいた人が出て来て『ただ いまお出ましになりました』とかなんとかあいざつし そうなもので"こざいましょう。『ハイ、今出ました』 1こうですもの。」  わたしは笑わずにはいられなかった。 「あれから、幸様のところから御返事が来まして?」 と内田は熱心に「こちらから出した手紙を幸様は御覧 なさらないじゃないでしょうか。」  その時、内田は話の中へ幸子夫人に関することをは さんだ。夫人が「不貞の女とうたわれました身の上」 |云《うんぬん》々は、ある俳優に関係したことであった。「でも、 一時はお芝居へいらっしゃり方があまり激しかったと かで、今ではお宅の電話ロヘもお出なさらないそうで す。」と内田はつけたした。  わたしはあの「不貞」な伯爵夫人のいる深い窓を通 して、貴婦人社会の|生涯《しようがい》の一部を想像しうるように思 った。「それからは子供までも犠牲にして、|表面《おもて》にの みは自暴自棄にふるまいましたのよ……」と夫人が書 いてよこした言葉は、わたしの胸をひらめくように通 過した。 「こないだわたしが|房様《ふささま》(子爵夫人)にお目にかかり ましたらー」と内田は前の話の続きにもどって、し ばらくわたしの顔をながめた。「あのかたが妙なこと をおっしゃいましたよ。幸様はこの節……ある音楽者 と御懇意になさるそうだが、そんなことをおよしなさ ればいいにーいったい幸様は何かなさろうとするか らいけないーそれがいつでも間違いのもとになるッ て。まあ、房様はどこでお聞き遊ばしたんでしょう。 御当人の口から出なければ、ほかに・:…」と言って、 考えて「だからわたしはそう思いますわ、せんだって のお手紙は幸様のお手にはいらないんじゃないかと思 いますわ。」  そう言われてみると、なるほど返事が来ない。わた しはあきれもし腹立たしくも思った。内田が帰って行 ったあとでわたしは直接に伯爵家の家令なり|家扶《かふ》なり に会ってみて、自分に対する誤解をも解き、救いうる ものならば不幸な夫人の心をも救いたいと思ったが、 おもしろくないから、よした。その晩から、わたしは またピアノにかじりついた。  秋の音楽会の準備が始まるころ、わたしは内田から 手紙を受け取った。 「『運命はなぜこうつれないでしょう! |種様《たねさま》だって、 |幸様《こうさま》だって、わたしだって悲しむために生まれたよう なものですわ。三人はちょうど同じような境遇でした わ。それが幸様だけが変った御気性なものですから、 あんな結果におなり遊ばしたんです……わたしどもは みんなそれぞれに泣いてますのよ。』|昨夜《ゆラベ》月がくまな く照り渡った広いお庭に二人の影しかなかった時、|房 様《ふささま》はこれだけお漏らしになりました。きょうまた房様 からお文がございましてね、幸様は今度おしゅうとめ のおぽしめしで、お子様がたのほうへお帰り遊ばすよ うなお話が始まりましたそうで、近々そうなるであろ うと書いてありました。なにしろお子様がお二人だと いうことでございますから、そのほうが幸福かと思う と房様は書いておよこしになりましたーなんだが心 細くなりました。幸福とか女の|生涯《しようがい》とか、スッカリわ からなくなったような気がいたします。」  それぎりわたしはあの伯爵夫人の消息を聞かなかっ た。