徳田秋声・和解          一  奥の六畳に、私はMI子と火鉢の間に対坐してゐた。晩飯には少し間がある が、晩飯を済したのでは、夜の部の映画を見るのに時間が遅すぎるーちやう どさう云つた時刻であつた。陽気が春めいて来てから、私は何となく出癖がつ いてゐた。日に一度くらゐ洋服を著て靴をはいて街へ出てみないと、何か憂響 であつた。街へ出て見ても別に変つたことはなかつた。どこの町も人と円タク とネオンサインと、それから食糧品、雑貨、出版物、低俗な音楽の氾濫であつ た。その日も私は為たい仕事が目の前に山ほど積つてゐるやうで、その癖何一 つ為ることがないやうな気がしてゐた。その時Tlが、いつもの、私を信じ切 つてゐるやうな少し蟄かしいやうな様子をして部屋の入口に現はれた。そして つかつかと|傍《モば》へ寄つて来た。 「済みませんけれど、一時お宅のアパアトにおいて戴きたい んですが-…。|家《うち》が見つかるまで。1家を釘づけにされち やつたんで。」彼はさういつて笑つてゐた。 「何うして?」 「それが実に乱暴なんです。壮士が十人も押掛けて来て、お |巡《まは》りさんまで加勢して、|否応《いやおう》なしに……。」  私も笑つてるより外なかつたが、困惑した。 「アパアトは一杯だぜ。三階の隅に六畳ばかり畳敷のところ はあるけれど、あすこに住ふのは違法なんだから。」 「そこで結構です。小島弁護士も、後で行つて話すから、差 当り先生のアパアトヘ行くより外ないといふんです。」 「小島君が何うかしてくれさうなもんだね。」 「かうなつては手遅れだといふんです。防禦策は講じてあつ たんだけれど、先方の遣口が実に非道いんです。」 「ぢや、まあ……為方がないね。」  TIは部屋代に相当する金をポケツトから出した。私は再 三拒んだが、TIは押返した。私は彼が遣りかけてゐる仕事 に、最初柳か助言を与へると共に、費用も出来る範囲で立換 へてゐた。≡二日前にも見本を地方へ.送る郵税が、予想より 超過したとかで、私はそれを用立てて一安心してゐるところ であつた。Tlはそんな仕事の好い材料をもつてゐたけれ ど、少しばかり金を注ぎこんだところで、物になるか何うか は疑問であつた。彼は又私のヒントで、俳文学の雑誌を発刊 す番計画も立ててゐた。まあ、何か彼か取りついて行けさケ に思へた。私自身最近荒れ放題に荒れてゐた少し許りの裏の 空地に、百方工面して貧弱なアパアトを造つたくらゐであつ た。世問からおいてきぽりを喰つた、芸術家の晩年の寂しい 姿を、自身にまざまざ見せつけられてゐた。この四五年事物 が少しはつきり見えるやうな気がした。隠遁や死も悪くはな かつたが、ねばるのも亦よかつた。-TIももう相当の年輩で あつたが、今まで余り好い事はなかつた。同じ芸術壇で、私 の友人である兄は特異な地位を占めてゐたけれど、TIはそ の足もとへも寄りつけなかつた。結核で八年間も苦しみ通し た最初の細君のことを、私は余り知らなかつたけれど、この 前の細君は、三年程前、彼に新しい女が出来かかつた頃、子 供の問題などで、よく私のところへ遣つて来たものだが、立 派な性格破産者であつたから、TIの結婚生活が幸福である 筈もなかつた。五年以来彼は今二十五になる恋人と幸福な同 棲生活を続けて来た。遣りかけた仕事が若し巧く行けば、彼 はその晩年において、生涯の償ひが取れないとも限らなかつ た。それは全く望みのない事でもなかつた。誰もが人の才能 や運命に見切りをつけてはならなかつた。  私はTIの金をMI子に預けた。そしてTIが帰つてか ら、背広に着かへてMl子と長男の芳夫をつれて外へ出た。  三人で通りの人通を歩いてゐると、或る銀行の前の、老い 朽ちた椎の木蔭の鉄柵のところで、赤靴を磨かせてゐるTl を見た。Tlは私達の顔を見て近眼鏡の下で微笑みかけた。 「お出かけ?」 「いや、ちよつと。」  その儘私たちは通りすぎた。そして三丁目の十字路を突切 つて、とある楽器店の前まで来た。東京社交舞踏教習所と書 きつけた電燈が、その横の路次にある其のビルデイングの入 属に出てゐた。Ml子が自身私のパアトナアになるつもり で、一最近そこで四五白ダンスを教はつたのが因縁で、I私も 時々そこへ顔を出して、ステツプの研究をやつたりした。教 養のある其処の若-いマダムは、体の軽い私を、よく腋の下か .ら持ちあげるやうにして、気さくにステツプを教へてくれ た。いつか其のお父さんとも私は話をするやうになつた。 「渡瀬さんは何うなさいました。」お父さんはその令嬢が小 さい時分、よく世話になつた医者で、私のダンス仲間である 渡瀬ドクトルのことを私に聞いた。 '渡瀬ドクトルは区内の名士であつたが、ダンスの研究にも 熱心であつた。 「渡瀬さん困りますよ。肝臓癌になつちまつて。」私は暫く 見舞ひを怠つてゐるドクトルのことを思ひ出した。  ドクトルも最近ここの妹で、マダムと踊つたこともあつた が、善良なこの人達の家庭をよく知つてゐた。彼は医者とし てよりも、人として一種ヒイロイツクな人格の持主であつ た。最近まであれほど頑健で、時とすると一夜のうちに五十 回も立続けに踊つたり、政治批評や恋愛談に興がわくと、夜 が白々明けるまで、.私の家のストオブの傍で話しに耽つたり しでゐたのに、三月へ入つてから急に顔や手足が|轡金染《うこんぞ》めの やうに|真黄色《まつきいろ》になつて来た。私達はストオブのある板敷の部 屋や、私の物を書くテイブルの傍などで、屡々豊富なタンゴ の新しいステツプを踏んで見せてゐた、肥つた小さい其の姿 を、暫らく見ることがなかつた。  娘夫婦に道楽半分教習所をやらせてゐる彼は少し口元の筋 肉をふるはせて、眼鏡ごしに私の顔を見詰めてゐた。  ちやうどいつも踊つてくれるヤダムは風邪をひいたので、 出てゐなかつたし、マスタアの顔も見えなかつたので私達は 助手の女の人を相手に、一二回踊つてそこを出る乏、下の広 小路までぶちぷら歩いて、お茶を呑んで帰つて来た。 ,「Tlさん何うしたか知ら。」私は家政をやつてくれてゐる おばさんに聞いた。 「子供さんがアパアトの廊下に遊んでゐましたから、もうお 引移りになつたんでせうよ。」  私は建築中も、一度も見に行かなかつたくらゐで、アパア トの方へ行くのも厭だつたので、その晩は彼を訪ねもしなか つた。        二  |間《あひだ》一日おいた晩方、私はおばさんからTi君が病気で臥 せてゐることを聞いた。 「何んな風?」私はきいた。 「多分風邪だらうといふんですの。突然九度ばかり熱が出た んださうです。先刻奥さんに伺つたんですけれど。」  五年以来の其の若い細君の噂を、私は子供からも耳にして ゐたし、MI子の仕立物を頼んだりしてゐたので、二三度逢 つてゐたおばさんからも、聞いてゐた。二男の友達がダンス を教へたりして、何か恋愛関係でもあつたやうに思はれた が、TIのものになつたのは、それから間もないことらしか つた。兎に角仕立物をしたりして、TIを助けてゐることだ けでも、近頃の教養婦人としては、好い傾向だと思つた。 「九度?」私は首をひねつた。 「九度とか四十度とか……ちよつと立話でしたから。」 「医者にかけたか知ら。」 「さあ、そこのところは存じませんけれど。」 「風邪ならいいけれど……。」 -私は他の場合を想像しない訳にいかなかつた。チブスとか 肺炎とか…-。私はアパアトに十人余りの人達がゐるので、 最悪の場合のことも気にしないではゐられなかつた。 「細君に(早速医者に診てもらふやうに言つてくれません か。」 「さう言ひませう。」 「かういふ時、渡瀬さんが丈夫だといいんだがな。」 「さうですね。」 「しかし浦上さんも、医者としては好いんだ。至急あの人を 呼ぶやうに言つて下さい。そして診察の様子を見よう。」 「さう申しておきませう。」  私は裏へいつて、三階へ上つてみようかと余程さう思つた けれど、逢つたこともない細君に遠慮もあつたし、差当りT Iの生活に触れるのも厭だつた。  切迫した仕事があつたので、その晩はそのままに過ぎた。 それにおばさんはルーズな方ぢやないので、医.者に診てもら つたに違ひないと思つてゐた。  明日にな?ても、私は何か頭脳の底に、不安の影を宿しな がらも、その問題にふれる機会もなくて過ぎた。多分感冒だ つたので、報告がないのだらうと思つてゐたが、夜、私は外 から帰つてくると,、急にまた気になりだした。.私はおばさん に聞いてみた。 「TI君診てもらつたかしら。」 「ええ、あの時さう申しましたんですが、知らない人に診て もらふのは厭なんですて。それで、牛込の懇意なお医者を呼 びにいつたんだけれど、その方も風邪で寝ていらつしやるん で、多分明日あたり診ておもらひになるんで・せう。」 「呑気なことを言つてるんだな。何うして浦上さんを呼ばな いんだらうな。」  しかし其の晩はもう遅かつた。容態に変化がなささうなの で、私は風邪に片着けて、一時のがれに安心してゐようとし た。何か自分流儀な潔癖をもつたTI自身と細君の気分に闘 入して行くのも揮られた。 三  翌々日の夜、或る会へ出席して、二一二氏と銀座でお茶を呑 んだりして帰つてくると、TIの病気が大分悪化したこと を、おばさんから聞いた。誰かに見せたのかときくと、浦上 ドクトルが昼間来て診察したといふのであつた。  私は自身の怠慢に、今度も亦漸と気がついたやうに感じた と共に、浦上の診断を細君にききたかつた。急いで庭を突切 つて、アパアトの裏口から入つていつた。ちやうど二段にな つてゐる三階の段梯子を登りきつたところで、そこの天井裏 の広い板敷の薄|闇黒《くらがり》に四十年輩の体の小締めな、私の見知ら ない紳士とj背のすらりとした若い女と、ひそひそ立話をし てゐるのに出会した。私はちよつと躊躇したのち、今診察を 終つて、帰らうとしてゐる其の医者に話しかけた。. 「失礼ですが、ちよつと私の部屋までおいで願ひたいんです が。」 「よろしうございます。」  幼児のやうな柔軟さをもつた彼は、足を浮かすやうにして 私について来た。  私達は取散かつた私の書斎で、火鉢を間にして挨拶し合つ た。 「私は少々お門違ひの婦人科でして、昼間病院にゐるもので すから。」彼は名刺を出した。 「ぢやTl君が、最近療疽を癒していただいたのは貴方です か。」 「さうですよ、は、はい。」  ドクトルはモダアンな少年雑誌の漫画のやうに愛矯があつ た。 「病気はどんなですか。」 「は、は……実は昨日もちよつと来て診ましたが、その時は |分明《はつきり》わかりませんでしたが、今診たところによりますと、肺 炎でも窒扶斯でもありませんな。原因はよくわかりません が、脳膜炎といふことだけは確実ですよ、は、は。」 「脳膜炎ですか。」 「今夜あたり、もう意識がありませんよ、は。兎に角これは 重体です。去年旅先で、井戸へおちて、肋骨を打たれたの で、或ひは肺炎ではないかと思つてをりましたが、どうも其 れらしい症状は見出せません。」 「窒扶斯でもないんですか。」 「その疑ひもないことはなかつたのですが、断じてさうぢや ありませんな。」  ドクトルは術語をつかつて、詳しく病状を説明したが、明 朝もう.一度来てもらふことにして、私は玄関まで送りだし た。 「では……は、は---ごめん、ごめん。」ドクトルは操り人 形のやうな身振りで出て行つた。  私は事態の容易でないことを感じた。Tl自身にもだが、 TIの兄のKI氏に対する責任が考へられた。たとひ其れが 不断何んなに仲のわるい友達同志であるにしても、TIの唯 一の肉身であるKI氏の耳へ入れない訳にいかなかつた。T lは兼々この兄に何かの助力を乞ふことを、悉皆断念してゐ た。勿論この兄弟は、本当に憎み合つてゐる訳ではなかつ た。謂はばそれは優れた天才肌の偏埼的な芸術家と、普通そ こいらの人生行路に歩みつかれて、生活の下積みになつてゐ る凡庸人とのあひだに掘られた溝のやうなものであつた。K Iに奇蹟が現はれて、センチメンタルな常識的人情感が、何 らかの役目を演じてくれるか、TIが芸術的にか生活的に か、敦かの点で、或程度までKIに追随することができたな らば、二人の交渉は今までとはまるで違つたものであるに違 ひなかつた。  ところで、KIと私自身とは、それとは全然違つた意味 で、長いあひだ殆んど交渉が絶えてゐた。それは芸術の立場 が違つてゐるせゐもあつたが、同じく0ー先生の息のかかつ た同門同志の哩み合ひでもあつた。同じ後輩として、0l先 生との個人関係の親疎や、愛敬の度合ひなどが、0l先生の 残後、いつの間にか、遠心的に二人を遠ざからしめてしまつ た。K/からいへば、芸術的にも生活的にもOl先生は絶対 のものでなくてはならなかつたが、私自身はもつと自由な立 場にゐたかつた。その気持が、時には無遠慮にKIの芸術に まで立入つて行つた。そしてKlの後半期の芸術に対する反 感が又反射的にOI先生の芸術へかかつて行つた。そしてそ こに感情の不純が全くないとは言ひ切れなかつた。勿論Kl から遠ざけられてゐるTーに、いくらかの助力と励みを与へ たとしても、それは単にTlが人懐つこく縄つてくるから で、それとは何の関係もなかつた。Kーヘの敵意でもなかつ たし、認識された陰の好意からでは尚更らなかつた。追憶的 な古い話が出ると、私は時々Tlにきいた。 「兄さんこの頃何うしてるのかね。」 「兄ですか。家に引こんで本ばかり読んでゐますよ。もう大 分白くなりましたよ。」 「兄さん白くなつたら困るだらう。」 「でも為方がないでせう。」  さう言つて笑つてゐるTlが、一ト頃の私のやうに、髪を 染めてゐることに、最近私はやつと気がついた。Tlももう 順々にさういふ年頃になつてゐた。  兎に角私はKーヘ知らせておかなければならなかつた。私 は文士録をくつて番号を調べてから、近くにある自働電話へ かかつて行つた。耳覚えのある女の声がした。勿論それは夫 人であつた。 「突然ですが、TIさんが私のところで、病気になつたんで す。可なり重態らしいのです。」 「Tlさんがお宅で。まあ。」 「電話では詳しいお話も出来かねますけれど、誰方か話のわ かる方をお寄越しになつて戴きたいんですが……。」 「さうですか。生憎主人が風邪で臥せつてをりますので、今 晩といふ訳にもまゐりませんけれど、何とかいたしませう。 お宅でも飛んだ御迷惑さまで・…-。」 「いや、それはいいんですが……では、何うぞ。」  私は自働電話を出た。そして机の前へ来て坐つてみたが、 落着かなかつた。ベルを押して、義弟の沢を呼んだ。沢は私 の家政をやつてくれてゐるお利加おばさんの夫であつた。 「Klさん見えないんですか。」沢は火鉢の前へ来て坐つた。 「さあ…-KI君に来てもらつても困るんだが…-。」私は 少し苛ついた口調で、 「大分悪いやうだから、病院へ入れなけあいけないと思ふ が、浦上さんの診断は何うなんかな。診察がすんだら、こち らへ寄つてもらふやうに言つておいたんだが……」 「さあ、それは聞きませんでしたが…-。」 「すまんけれど、浦上さんへ行つてきいてみてくれないか。」  沢は出て行つたが、間もなく帰つて来た。部屋の入ロヘ現 はれた彼は悉皆興奮してゐた。 「あの医者はひどいですね。ベルをいくら押しても起きない んです。漸と起きて来て、戸をあけたかと思ふと、恐ろしい 権幕で脅かすんです。医者も人間ですよ、夜は寝なけあなり ません、貴方のやうに|夜夜中《よるよなか》ベルを鳴らして、非常識にも程 がある、と、かうなんです。」 「結局何うしたんだ。」 一「あんな病人を、婦人科の医者にかけたりして、長く|放拠《うつちや》ら しておいて、今頃騒いだつて、私は責任はもてません、と言 ふんです。,私は余程ぶん殴つてしまはうかと思つたんですけ れど、これから又ちよいちよい頼まなけあならないと思つた もんだから……。一 「あのお医者正直だからね。」私は苦笑してゐた。 四  翌朝診察を終つた浦上ドクトルと、私は玄関寄りの部屋で 話してゐた。誰か帝大の医者に、もう一度診察してもらつた う.へで、家で手当をするか、病室へかつぎこむかしようと思 つて、その医者の撰定について相談をしてゐた。  玄関の戸があいた。お利加さんが出た。 「わたし毛利です。Kl先生の代理として伺つたんですが。」  毛利といふ声が、何んとなし私に好い感じを与へた。  毛利氏が入つて来た。毛利君と私はつひ最近入院中の渡瀬 ドクトルの病室でも、久しぶりで顔を合せたが、渡瀬ドクト ルが自宅療養のこの頃、又その二階の病室でも逢つた。Kl 氏の古い弟子格のフアンの一人であるところの毛利氏は、渡 瀬氏ともまた年来の懇親であつた。彼は会社の公用や私用や らで、大連からやつて来て、大阪と東京とのあひだを、往つ たり来たりしながら、暫らく滞在してゐた。 毛利氏は入つて来た。 .「あんたが来てくれれば。」 「いや、Kl先生が来るとこだけど、ちやうど私がお訪ねし たところだつたもんだから。」 「Kー君に来てもらつても、方返しがつかないんだ。」 「貴方には飛んだ御迷惑で……TI君何処にゐるんですか。」  私はアパアトの三階にゐることについて、簡単に話した。 「そんなものがあるんですか。私はまた貴方のお宅だと思つ て……。」  TIの細君が、そつと庭からやつて来た。 「何んだか変なんです。脈が止つたやうなんですが---。」 彼女は泣きさうな顔をしてゐた。 「ちよつと見てあげませう。」浦上ドクトルが、折鞄をもつ て起ちあがつた。 「僕も往つてみよう。」毛利氏も庭下駄を突かけて、アパア トの方へいつた。私も続いた。  私は初めてTiの病床を見た。三階の六畳に、彼は氷枕を して仰向きに寝てゐた。大きな火鉢に湯気が立つてゐた。つ ひ三日程前夕暮れの巷に、緒のどた|靴《ちし》を磨かせてゐたTーの にこにこ顔は、すつかり其の表情を失つてゐた。頬がこけ て、鼻ばかり隆く從耳えたち、広い額の下に、剥きだし|放《ぱな》しの 大きい目の瞳が、硝子玉のやうに無気味に淀んでゐた。しか し私は、今まで幾度となく人間の死を見てゐるので、別に驚 きはしなかつた。それどころか、実を言ふと、肝臓癌を宣告 されてゐる渡瀬ドクトルを見るよりも、心安かつた。TIが すつかり脳を冒かされてゐるからであつた。つひ此の頃、あ れ程勇敢に踊りを踊り、酒も飲み、若い愛人ももつてゐた渡 瀬ドクトルの病気をきいては驚いてゐたが、今やそのTーが 何うやら一足先きに退場するのではないかと思はれて来た。  みんなで来て見ると、脈榑は元通りであつたが、硬張つた 首や手が、破損した機関のやうに動いて、喘ぐやうな息づか ひが、今にも止まりさうであつた。細君はおろおろしなが ら、その|体《からだ》に|取《と》りついてゐた。額に|入染《にじ》む|脂汗《あぶらあせ》を拭き取つた り頭をさすつたり、まるで赤ん坊をあやす慈母のやうな優し さであつた。誰も口を利かなかつたが、目頭が熱くなつた。 黒い|裂《きれ》に蔽はれた電燈の薄明りのなかに、何か外国の偉大な 芸術家のデツド・マスクを見るやうな、物凄いTlの顔が、 緩漫に左右に動いてゐた。  暫くしてから、私達はそこを出て、旧の部屋へ還つた。 「少し手遅れだつたね。」私は言つた。 「さうだな。去年旅行先きで、怪我をして、肋骨を折つたと いふ。」  細君が又庭づたひにやつて来た。 「大変苦しさうで、見てゐられませんの。何んとか出来ない ものでせうか。」  私達は医者の顔色を窺ふより外なかつた。 「さあ、どうも……。」ドグトルも当惑した。 「先刻注射したばかりですからね。他の人が来るまで附いて ゐて下さい。大丈夫ですから。」  ドクトルはやがて帰つて来た。 「それぢや、僕はちよつと渡瀬さんとこへ行つて、先生にも ちよつと相談してみよう。」毛利氏はさう言つて起ちがけに、 ポケツトヘ手を突込んで、幾枚かの紙幣を掴みだした。 「百円ありますが、差当りこれだけお預けしておきます。先 立つものは金ですから、何うぞ適宜に。」 「ぢや、それ此の人に渡しておかう。」私はそこにゐる細君 の方を見た。 「いや、あんた預つて下さいb」 「敦でも同じだが、預つておいても可い。しかし貴方差当り 必要だつたら…・-。」 「え少し戴いておきますわ。」  二十円ばかり細君の手に渡した。 「ぢや、僕は又後に来ます。」  毛利氏はさう言つて出て行つた。  私はづつとの昔し、彼が帝大を出たてくらゐの時代に、電 車のなかなどで、口を利いたことがあつたが、渡瀬ドクトル と親密の関係にある毛利氏の人柄に、この頃漸と触れること ができた。Kーは今は文学以外の、実際自分の仕事にたづさ はつてゐる、それらの人達を、幾人となく其の周囲にもつて ゐたが、この場合、私をも解つてくれさうな彼の来てくれた ことは悉皆私の肩を軽くした。  その間に、私は義弟を走らせて、浦上ドクトルが指定して くれた医者の一人、島薗内科のFー学士を迎ひにやつたが、 折あしく学士は不在であつた。 「……それから自宅へ行つてみたんですが、矢張り居ません でした。」 「そいつあ困つたな。」 「けど、帰られたら、すぐお出で下さるやうに、頼んでおき ましたから。」沢は言ふのであつた。  一時間ほどして毛利氏も帰つて来た。しかし待たれる医者 は来なかつた。 「どれ、僕行つてこよう。若しかしたら、他の先生を頼んで みよう。」           『  毛利氏はまた出て行つたが、予備に紹介状をもらっておい た他の一人にも、|可憎《あひにく》差問へがあつた。彼は空しく帰つて来 た。  私達は、今幽明の境に彷裡ひつつあるTIに取つて、殆ん ど危機だと思はれる幾時問かを、何んの施しやうもなく仇に 過さなければならなかつた。 「今度の細君はよささうだね。」 「あれはね……僕も初めて見たんだが、感心してゐるんだ。」 「兎角女房運のわるい男だつたが、あれなら何うして……。 先生幸福だよ。ところで、何うでせうかね。あの病気は?」 「さあね。」  時問は四時をすぎてゐた。そしてFI医学士の来たのは、 それから又大分たつてからであつた。彼は浦上ドクトルと一 緒に、三階で診察をすましてから、私の部屋へやつて来た。 「重体ですね。」いきなり医学士は言つた。 「病気は何ですか。」 「私の見たところでは、何うも敗血病らしいですね。」 「窒扶斯ぢやありませんね。」私はその事が気にかかつた。 「さうぢやありませんね。」 「それで何うなんでせう、病院へ担ぎこんだ方が、無論いい んでせうが、辿も助からないやうなら、あすこで出来るだけ 手当をしたいとも思ふんですけれど。」 「さうですね。実は寝台車に載せて連れて行くにしても、途 中が何うかとおもはれる位で……。しかし近いですから、手 当をしておいたら可いかも知れません。」 「これは細君の気持に委さう。」毛利氏が言ふので、私達は 彼女を見た。 「病院で出来呑だけの手当をして頂きたいんですけれど …っ」 やがて毛利氏が寝台車を蹴ひに行つた。 五  その夜の十時頃、私はMI子と書斎にゐた。Mi子は読み かけた「緋文字」に読み耽つてゐたし、私は感動の既に静つ た和やかさで、煙草を喫かしてゐた。  それはちやうど三時間ほど前、TIの寝台車が三階から担 ぎおろされて行つてから、暫らくたつて、私は私の貧しい部 屋に、KIの来訪を受けたからであつた。 「今度はどうもTIの奴が思ひがけないことで、御厄介かけ て……。」 .「いや別に……。行きがかりで……。」 「何かい、君んとこにアパアトがあるのかい。僕はまた君の 家かと思つて。」 「さうなんだよ。Tl君家がなくなつたもんだから。」  KIはせかせかと気忙しさうに、 「彼奴もどうも、何か空想じみたことばかり考へてゐて、足 元のわからない男なんだ。何でもいいから、こつこつ稼いで …-たとひ夜店の古本屋でも、自分で遣るといふ気になると いいんだが、大きい事ぱかり目論んで、一つも纏らないん だ。」  私もそれには異議はなかつた。 「さうさ。」 「またさういふ奴にかぎつて、自分勝手で……。」 「人が好いんだね。」  私は徴笑ましくなつた。現実離れのしたKーの芸術1 し かし、それは矢張り彼の犀利な目が見通す現実であつた。 色々な地点からの客観や懐疑はなかつたにしても、人間の弱 点や、人生の滑稽さが、裏の裏まで見通された。怜倒な少年 の感覚に、こわい|小父《おぢ》さんが可笑しく見えるやうな類だと言 つて可かつた。  私は又た過去の懐かしい、彼との友情に関する思出が、眼. の前に展開されて来るのを感じた。「高野聖」までの彼の全 貌がー幻想のなかに漂つてゐる、一貫した人生観、恋愛観 が、レンズに映る草花のやうに浮びだして来た。  少し話してから、彼は腰をうかした。 「山の神をよこさうかと思つたんだがね、あれは病院へ行つ てるんだ。僕もこれから行くところなんだ。」 「これから-…又僕も行くが、君も来てくれたまへ。」 「ああ、来るとも。」  KーはTlとは、似ても似つかない、|栗鼠《りす》の敏速さで、出 て行つた。  それから二時弱の時を、私は思ひに耽りつかれてゐた。私 は心持ち、持病の気管を悪くしてゐたので、寝ようかとも思 つたが、洋服を出してもらはうかとも考へてゐた。担ぎこま れてからTーのことが気にかかつた。  Fi子の声が、`あつちの方でしてゐた。そのFI子に言つ てゐる芳夫の声もした。 「Kiさん、今来てゐたんだよ。」  芳夫自身は、何か常識的寸人情的な、有りふれた芸術が嫌 ひであつた。 すると逮かに、おばさんがやつて来た。 「渡瀬さんからお使ひで、病院から直ぐお出で下さるやうに と、お電話ださうです。」  私は不吉の予感に怯えながら、急いで暖かい背広に身を固 めた。そして念のためにMi子もつれて、円タクを飛ぱし た。  しかし私達が、真暗な構内の広場で車を乗りすてて、Mi 子が漸とのことで捜し当てた、づっと奥の方にある伝染病室 の無気味な廊下を通つて、その病室を訪れたときには、Tl は既に屍になつてゐた。  しかし私達は、Tlが息を引取つてしまつたとは、何うし ても思へないのであつた。何故なら、その時までーそれか らづつと後になつて、屍室に死骸が運ばれるまで、彼女は彼 の顔や頭を両手でかかへて、生きた人に言ふやうに、愛着の 様々の言葉を、ヒステリィの発作のやうに間断なく口にして ゐたからであつた。彼女は広いその額を撫でさすり、一文字 なりに結んだ唇に接吻した。時とすると、顔がこわれてしま ひはしないかと思はれるほど、両手で弄りまはした。 「TIはほんとうに好い人だつたんですわね。」彼女は私に 話しかけた。 「悪い人達に苦しめられどほしで、死んだのね。みんなが悪 いんです。好い材料が沢山あつたのに、好いものを書かして やりたうございましたわ。」  彼女は聞えよがしに、さう言つて、又彼の顔に顔をこすり つけた。  私はそつと病室から遁げて、煙草を吸ひに、炊事場ヘおり て行つた。K一もやつて来た。毛利氏や小山画伯もおりて来 たρ 「Tー君も幸福だよ。」毛利氏は言つた。 「あいつは少年時代に、年上の女に愛されて、そんな事にか けては、腕があつたとみえるね。」KIも|煙管《きせる》で一服ふかし ながら笑つてゐた。  私は又、同じあの病室で、脳膜炎で入院してゐた長女が、 脊髄から水を取られるときの悲鳴を聞くのが厭さに、その時 もこの炊事場で煙草をふかしてゐた、十年前のことが、漫ろ に思ひ出されて来た。年々建かはつて行く病院も、此処ばか りは何も彼も昔のままであつた。 .「之ζろで、先刻ちよつと耳にしたんだけれど、先生お土産 をおいて行つたらしんだ。」  私は有るべきことが、有るやうに在るのだと思つた。 「成程ね。」 「よく有ることだがね。」毛利氏も苦笑したが、 「そζで何うするかね、こいつあ能く相談して取決めべきこ とだけれど、あの細君の身の振方もだが、何よりもサクラさ んのことだ。細君は自分で持つていく積りでゐるらしいんだ が…:b」  サクラは此の前の細君の子であつた。 話が後々のことに触れて行つた。 六 三日目に、告別式がお寺で行はれた。寺はKーや私に最も 思出の深い、横寺町にあつた。  KIと私とは、むかしこの辺を、朝となく夕となく一緒に 歩いたときの気持を取返してゐた。生温るい友情が、或る因 縁で繋つてゐて、それから双方の方饗に、年々開きが出て来 たところで、全然相背反してしまつたものが、今度は反動 で、ぴつたり一.つの点に合致したやうにーそれはしかし、 考へてみれば、何うにもならないことが、余儀ない外面的の 動機に強ひられた妥協的なものだともいへば言へるので、い つ又た何んな機会に、或ひは自然に徐々に、何うなつて行く かは、容易に予想できないといふ不安が、全くない訳ではな かつたけれど、しかし反目の理由は、既に私の気持で取除か れてゐたので、寧ろ前よりも和やかな友誼が還つて来たので あつた。何等抵触する筈のない、異なつた二つの存在であつ た。  三日前、火葬場へ行つたときも、二十幾年も前に、嘗て私 がKーの祖母を送つたときと同じ光景であつた。  焼けるのを待つあひだ、私たちは傍らの喫茶店へ入つて、 紅茶を呑んだ。Klはお茶のかはりに、酒を呑んだ。  火葬場の帰りに、私は幾年ぶりかで、その近くに住んでゐ る画伯と一緒に、KIの家へ寄つてみた。KIは生涯の主要 な部分を、殆んど全くこの借家に過したといつてよかつた。 硝子ごしに、往来のみえる茶の間で、私は小卓を囲んで、私 の好きな菓子を食べ、`お茶を呑みながら、話をした。地震の ときのこと、・環境の移りかはり、この家のひどく暑いことな ど。 「夏は山がいいぢやないか。」 「ところが其奴がいけないんだ。例のごろごろさまがね。」 「家を建てた方がいいね。」 「それも何うもね。」  さうやつて、長火鉢を問に向き合つてゐるKー夫婦は、神 楽坂の新婚時代と少しも変らなかつた。ただ、それはそれな りに、面差しに年代の影が差してゐるだけだつた。  KIの流儀で、通知を極度に制限したので、告別式は寂し かつたけれど、惨めではなかつた。順々に引揚げて行く参列 者を送り出してから、私達は寺を出た。 「ちよつと行つてみよう。」KIが言ひ出した。  それは勿論Ol先生の旧居のことであつた。その家は寺か ら二町ばかり行つたところの、路次の奥にあつた。周囲は三 十年の昔し其儘であつた。井戸の傍らにある馴染の門の柳も 芽をふいてゐた。門が締まつて、ちやうど空き家になつてゐ た。 「この水が実にひどい悪水でね。」  Klはその井戸に、宿怨でもありさうに言つた。K1はこ この玄関に来て問もなく、ひどい脚気に取りつかれて、北国 の郷里へ帰つて行つた。OI先生はあんなに若くて胃癌で擁 れてしまつた。- 「これは牛込の名物として、保存すると可かつた。」 「その当時ハその話もあつたんだが、維持が困難だらうとい ふんで、僕に入れといふんだけれど、何うして先生の書斎な んかにゐられるもんですか|恐《おつ》かなくて……。」  私達は笑ひながら、路次を出た。そして角の墓地をめぐつ て、ちやうど先生の庭からおりて行けるやうになつてゐる、・ 裏通りの私達の昔しの塾の遊を尋ねてみた。その頃の|侶欝《むさくる》し い家や庭がすつかり潰されて、新らしい家が幾つも軒を並べ てゐた。昔しの面影はどこにも忍ばれなかつた。  今は私も、憂欝なその頃の生活を、まるで然うした一つ の、夢幻的な現象として、振返ることが出来るのであつた。 それに其処で一つ鍋の飯を食べた仲間は、みんな死んでしま つた。私一人が取残されてゐた。KIはその頃、大塚の方 に、祖母とTIと、今一人の妹とを呼び迎へて、一戸を構へ てゐた。  私達は神楽坂通りのたはら屋で、軽い食事をしてから、別 れた。  数日たつて、若い未亡人が、KIからの少なからぬ手当を 受取つて、サクラをつれて田舎ヘ帰つてから、私達は銀座裏 にある、KI達の行きつけの家で、一夕会食をした。そして それから又幾日かを過ぎて、KIは或日自身がくさぐさの土 産をもつて、更めて私を訪ねた。そして誰よりもKlが先生 に愛されてゐたことと、客分として誰よりも優遇されてゐた 私自身が一つも不平を言ふところがない筈だことと、それか ら病的に犬を恐れる彼の恐怖癖を、独得の話術の巧さで一席 弁ずると、そこそこに帰つていつた。  私は又た何か.軽い当味を喰つたやうな気がした。