テキサス無宿 谷譲次 ヤング東郷  一九二〇年の夏のある午後だった。北米オハイオ州の大都会のクリイヴランドの町を、一仕事 済ました軽い心で私は電車を|駆《か》っていた、そのころ私は|聖《セント》クレァ街の一建築事務所に、夏休を利 用しで働いていたのだ。午後の|小憩《オフ》に安い|昼寄席《マチネニ》でも見にゆく途中だったと覚えている。  市の商業中心地ユウクリッド|広小路《アベニュピ》を走る電車は、第九街で人が降りたあと、わりあいに|空《す》い ていた。といっても立っている人がなかっただけで、座席はただ一つしか|空《あ》いていなかったので ある。私は隅の一つを占領して、見るともなしに朝夕見慣れた街頭の景色を窓から眺めていた。 雨後の|敷石《ヘイヴメノト》の上に|陽炎《かげろう》が立っていた。  一人の東洋人が乗ってきた。このころ|流行《はや》った帯付きの夏服に|希臘《ギリシヤ》人のような緑色の|鳥打《ハンチング》を 眼深にかぶって、どこか意気なところがあった。中肉中背の|身体《からだ》には着物の下に筋肉が盛上って いた。素早く車内に眼を走らせると、彼はそのただ一つの空席に腰をおろして新聞を読みはじめ た。支那人ではない、眼の配りが違う、と私は観察した。日本人にしては動作が劇的すぎる。実 際その男はなにか非常な自信をもつ人のように、実に堂々としていた。たとえばカメラの前に得 意の役を演じつつある活動写真の花形のように!ー。顔の浅黒い、眼の少し|窪《くぼ》んだところから私 は彼を|馬来《マレ 》人種の一人と鑑定を下した。  彼の隣りに|頑丈《がんじよう》な一紳十が控えていた。この東洋人が威張って乗ってきた時から、紳士の顔 に人種的|偏見《へんけん》の色が浮んだのを私は見逃さなかった。米国の中産階級によくある「不合理な潔癖 家」であるらしかった。今その東洋人が白分の隣りに悠々として新聞を読んでいることになった ので、紳士はあきらかに不快の念を表わした。東洋人は完全にそれを無視していた。それがいっ そう彼を怒らせたに相違ない。私は心のなかで痛快を叫びながらこの無言の人種戦を見物してい た。  十七丁目で電車が|停《と》まると、二十一、二歳のきれいな娘さんが乗ってきた。だれでも一苦労し たくなるような、問題を起しそうな顔立ちだった,すわる場所がないので、例の東洋人と米国紳 十の前の吊革にぶらさがった、、恐るべき人種戦争のまっただ中へ、たださえ事件の種を|蒔《ま》きそう な|妙齢《みようれい》の女性が現われたのである。  紳上上が東洋人に何か言った。東洋人は知らん顔している。紳十は声を大きくした。 「君、立ってこの|御婦人《レフ 》に席を譲ったらいいでしょう。」  車中の眼がいっせいに戦場へ集まる。東洋人はすましこんでいて相手にならない。 「君、君は英語がわからないのか。立てというのに  。」  紳十は赤くなって|急《せ》きこんだ。 「そんな親切気がおありでしたら。」  と世にも|流暢《りゆうちよう》な英語が太い声で東洋人の口から|洩《も》れた。「御自分がお立ちになったらいかがで す。私の払った五セントの電車賃は|貴殿《あなた》の白銅と同じに合衆国政府が鋳造したものです。はっは っは。」  にこにこ笑ってこれだけ言うあいだ、彼の眼は依然として新聞を離れないのである。打せっか いな米国人は自噸ににた笑いを浮べながら立ちあがった。いくたびも辞退してその娘はその跡へ 腰をかけた。  さて事件はこれからなのである。  名誉回復のためなんとかして衆人環視のなかでこの黄色人に一泡ふかせることが紳十の体面上 必要であった。こんな場合米国人のとる手段はその国民性のとおりたいがい決まっている。紳士 はそれによって一番適当な方法を講じてすぐその実行にとりかかった。                   いきなり   ひさし                   丶 、  眼の前の緑色の鳥打帽が彼を誘惑した。突然その庇を東洋人の鼻の頭までくいと押しさげた。 平然として東洋人はそれを直した。紳士は調子にのってまた押しさげた。東洋人はにっこり笑っ て帽子を押しあげた。笑った人もあった、が、一種の殺気が車中に満ちていた。紳士が三たび庇 に手をかけようとする一|刹那《せつな》、電光石火、東洋人の|身体《からだ》が|毬《まり》のように|弾《は》ねあがった。太い短い腕 が紳+の|顎《あご》を下から突きあげた。紳士は大木のように電車の床に長くなったきり起上ろうとはし なかった。彼は場所がらをわきまえず深い眠りについたのである。  巡査が来るまで東洋人は|泰然《たいぜん》として新聞に読み|耽《ふけ》っていた。電車が停まって、意識を失ってい る紳十が病院ヘ|担《かつ》ぎ込まれたことはもちろんである。巡査は|証人《ウイトネス》として同車のひと二人に東洋 人とともに警察までの同行を求めた。私はすぐに応じた。もう一人は直接問題を起した美しい娘 さんであった。警察における彼女の有利な証言によってネブラスカ州|中重拳闘選手《ミドルウエ トボクサア》として|斯界《しかい》に 有名な日本人「ヤング東郷」はかえって警官達の嘆賞と尊敬のうちにことなく放免されたのであ る。  その晩の夕刊の|最終版《フアイナル》には|闘台《リング》の上に活躍している東郷の写真が大きくでて、 「で、この被害者あるいは加害者たる土地売買業者エス・スワンソン氏は電車のなかで東洋人に |揶楡《からか》うためには莫大な入院費を必要とするという実例を親切にも自分の健康を犠牲にしてまで市 民に示してくれたわけである。けれども|一《び》方からいえば、仕合にさえ封じられている十八番の奥    キリ冫.アッパー彡ト                   蕁つ佚   しろう の手『人殺しの突上げ』の一手をなんら予告なしに、しかも好い気分に人生を享楽している素 |人《と》のうえにこれを応用するということになると、ヤング・トウゴウ氏が商売人の拳闘家であるだ け、|亜米利加《アメリカ》の公衆はそれだけ生命にたいする不安を感ぜざるをえない。」  フェリイ街の私の下宿で、新聞をほうりだしながら、ヤング東郷は笑って言った。 「そうっと触っただけだったが  。」 ダンナと皿 「若い|小綺麗《こぎれい》な日本人、大学卒業、|執事《ハトラア》として相当の家庭に職を求む。経験あり、多給を望まず、 洗濯お断り、自動車掃除もごめん。なるべく小家族、郊外。ー;御用の方は|桜七《チエリイ》〇二九番へ電 話、または民主日報私函一三号へ。」  こんな新聞広告を出しておいて、秋晴れの二、三日この名文の主人公たる私は丶黒人区域の汚 い屋根裏で野球の記事ばかり読みながら、今かいまかと待ちかまえていた。なかなか被害者が現 れなかった。世間が利口になって大学卒業の小綺麗な日本人をさほど重要視しないとみえる。が、 私としては是が非でもこの広告によって、自発的犠牲者の出るのを待つより他しかたがなかった。 より下品に言えば、仕事口がなくて、自己保存の方法にいささか困っていたのである。下宿のフ    ば蚣あ             力与 ランセス婆は私の顔を見るなり「洋襟だけ真白なろくでなし」と唱うように奇声を発することに きまっていたし、むこう横町のアルメニァ人の料理店では、新たに「貸売お断り」と特に私のた めに貼紙を出したし、友人に会うと、金を貸せとむこうから言いだしたし、少し借りのある|猶太《ユダヤ》 人の洋服屋は昼夜私を|尾《つ》け狙うし、支那人は大会を開いて私に|焼肉《チマノユウ》一つ恵まないことに決議し たし、犬は吠えるし、天気は好いし、|万能館《マジエステック》には「幌馬車」の封切りがかかっているし、市長 の選挙で楽隊が窓の下を通るしーー一菷=ー-一口に言えば自殺だけが、私の解決法だったので ある。だから、もしこの広告に反響がなければ、私はアラスカヘ鮭を|揶楡《からか》いに行くか、メキシコ ヘ行って陸軍大佐になるか、二つに一つ覚悟を決めていたのだった。いいおくれたがそのころ私 は一座していた田舎廻りの|歌劇団《ヴオルドヴイル》が|毀《こわ》れてシンシナタ市の裏町においてけぼりを食っていたの である。  天は自ら助くる者を助くという|沙翁《さおう》の名言は、太平洋の|彼岸《ひがん》でも五ドル札さえ一枚つければい つでもそのまま通用する、その証拠にはある|好奇《ものずき》な奥さんが広告を見たのが、運のつきで私を|執 事《ハトラア》に傭ったのである。その日から、私は|厳《いかめ》しい|礼服《トキノイド》に身を包んで名もダンナと改め、|中央《フエテラル》家|屋 通風会社《ヴエンテイレズノヨン》支配人バァナム氏邸の|執事《ハトラア》として訪客を断り、飼犬を大事にすることとなった。このダ ンナというのは実は「|旦那《だんな》」で、家中の人達は神ならぬ身の知るよしもなく、無意識に私を旦 那々々と|奉《たてまつ》っていたのであるが、旦那に|下郎《げろう》の役が勤まるわけがない。 「ダンナや、おまえが電話をかけると水夫が暴風の中で喧嘩しているように聞えますよ。」     ハきと・.                                                                       こわ  これで劈頭第一旦那を怒らせてしまった。と、結婚記念とかのそろいの皿を間違って一枚毆し たとき奥さんは待っていたように悲鳴をあげた。 「どうして殿したんです?」  と日那に食ってかかるのである。  こうやってーーと残りの全部を床へ落して|旦那《フフ》の私はさコ、、とフランス|婆《フフフぱばあ》の家へ帰ってしまっ た.、 青天白日と口笛を吹きながら、 ジョウジ ワシントン  |土人《インォ アン サ》の|夏《ンマき》と呼ばれる|小春日利《こはるびより》のある日、私は北米…舳州、自動車製造で世界に有名なデトロイ ト市の目ぬきの場所をぶらりぶらり歩いていた。田舎の旅館にひと夏働いた金が少々|衣嚢《かくし》に使い 残っで、いた。その金がいよいよ最後の二十五セントになるまで、仕事口なぞという不愉快な言葉 は極度にこれを|排斥《はいゼき》しようと私は|健気《けなげ》な決心をしていた。だから、あっちの|店頭《みせさき》をのぞいたりこ っちの|飾窓《ンヨきウインドコ》の前に|佇《たたず》んだり、いかにも青年紳士の散歩を気取って|賑《にぎや》かなウッドワァドの大通 りを何億かの全黄色人種を代表した舞台意識をもって歩を運んでいたのである。  |大蚰馬団公園《グラニトゴサミカス パミク》の角を曲がるとステイト街、フィンク時計店の前から|広場《スクエァ》へ出ようとすると買 物時間の人の出盛りで押すなおすなの騒ぎだった。高い建物に囲まれた|四《コ ナ 》つ角には日光の当らな い空気が水のように透んで紫色に澄んでいた。そのなかを自動車の例が音もなく流れていた。確 か交通週間だったと覚えている。少年軍が総出で交通整理の任に当り、綱を持って|山崩《なだ》れのよう な群集を右に左におさえたり開いたりしていた、、歩道に大きく△(  と書かれてあった。その意 味を当てた人には町で一流の劇場の一年間の|通符《パス》をやると大々的に広告してあった……。このく   が三耋岩甼9乕三常に注意を怠るな、という略字であることは後に発表されたのだっ た。が、私は角の薬屋の前に立ってその広告の謎を解こうと顕をひねっていた。するとそのすぐ 下の写真入りで極彩色の絵びらが秋風にはためいているのが眼についた。 「市民諸君、無料で世界見物のできる方法があります。海軍へ志願することです。給料はいいし、 面白いところへ行けるし、拳闘も教えるし、野球もやれます、|奮《ふる》え! そして海軍へ! 国家の ために」  そして下に水兵が舞踏しているところや、軍艦の大砲に|跨《また》がって笑っているところや、中央|亜《ア》 "称加や地中海や廿海一あたりの写真が徹打榊刪に貼りつけてあるコ私はその前に硅"パでにやにや 笑っていた。 「どうだね、巻煙草を|喫《の》むかねし」という声がした。「|募兵係《ぼへいがかり》」と腕章を巻いた頑丈な水兵がそ ばに立っていた。白い帽子を横っちょにかぶって無為の楽天を人生観とする愛すべき哲学者らし かった。 「ああ飲むよ。」  と私は答えた。 「じゃ、一本くれたまえ。」  と|抜目《ぬけめ》がない。らくだの|煙《キがちムル》を吹上げながら、 「君は|何国《どこ》の人かね?し 「なあに米国人さ。」  と私は澄ました。 「へえ、そうかい、驚いたね。」 「,どうして?一 「だって最初|愛蘭土《リノノ さル フンド》人だろうと思ったからさ。」 「うん、君がエスキモウ人なら、僕はさしずめ英国人だろうな。」 「ン臍口つと?」 「僕は、君、|暹羅《シヤム》だよ。」 「え?亅」 「|暹羅《ンヤム》、|遲羅《シヤム》。」 「シャム、シャムって?」 「|露西亜《ロノノ》の北さ。」 「へえ、だってさっき米国人だって言ったじゃないか。」 「ああ、・米国で生れたのだもの、どこってきまってるじゃないか、ヘん|紐育《ニユきヨヨきク》以外に米国人の生 れる場畍があるけえ |間抜《まぬ》けめ!」  水兵はあきれて私の顔を見つめていた。しばらくして、 「何をしてる? 商売は。」 「無職。」 「海軍へ入らないか。」 「近眼でも|採《と》るかしら。し 「大丈夫。かえってそのうちに|治《なお》るよ。」 「そうかね。」  と私は考えに|耽《ふけ》るような顔をして見せた。面白くてしようがなかった。持前のでたらめがむく むく頭を|橿《もた》げるのを私は意識した。間違っても採られる心配はない。なぜって私は正真正銘の日 本生れの日本人なのだからーー米国軍隊に入って欧州大戦に|仏蘭西《アラニス》まて舞踏に行った多くの日夲 人の友人の話を思いだした。マロニエ樹の木陰をゆく|巴里女《パリジヤノヌ》、南米のビノ酒の甘味、|彼南《ヘナノ》の裏町、 シシリイ島の夕焼け  もし採られたら面白いぞ。 刀打剪諷つ!」  一人の幸福を犠牲にして国難に当る人のように敢然として私は言いきった。  大喜びで「募兵係」は先に立って雑沓をわけた。後から私がのこのこ|尾《つ》いて行く。給料は一日 一ドル二十セントで一週八ドル四十セント、辛抱すればだんだん昇る。私は辛抱する気はないか らいい加減に聞き流した。  ユダヤ                  ご仏ごみ                            き忱な  猶太人の雑貨店なぞの並んでいる埃々したモンロウ街をまた横町へ切れると、彼は汚い床屋へ どんどんはいって行く。おや、まず|髭《ひげ》でも剃ってという|心算《つもり》かしらと上を見ると出ている。「合 衆国募兵事務所第十三部。」  床屋の店を突っ切って|昇降機《エレベ タさ》に乗ると三階で止まって、ここだという。狭い汚い部屋で一人|噛 煙草《かみたばこ》の黄色い唾をそこらへ吐き散らしている。およそ|亜米利加《アメリカ》中、|事務所《オフイス》という名のつくもので、 これほど閑静なのはまたとあるまいと感心していると内側の戸が開いて別の兵隊が顔を出した。 「こちらヘー。」  髭だけ|豪《えら》そうな上官が大机の向うに控えている。 「水兵志願なそうじゃがー-。」 「そうです。なにぶんよろしく一つーー。」 「どうしてまた  。」 「いえ、広告を見たんです。あの世界見物ってやつを。」 「ははあ、」と彼は微笑して、「が、|外目《よそめ》には|暢気《のんき》に見えても、さてはいると色々辛いことがあっ てー1-、、」 「そんなことは広告に書いてありませんでした。」 「君はいったい|何国《どこ》で生れたかね?」 「海ん中です。」 「海ん中って?」 「布畦です。」 「お父さんお母さんは?」 「江戸っ|児《こ》。」 「え?」 「なに日本人でさあ。」 フアスト.ぺーパア 「第一市民書があるかね。」 「ありません。」 「じゃ、米国市民じゃないじゃないか。駄目だ、駄目だ、駄目だよ。」 なあんのことだーー。|皆《フフフ》の持ってるような|綺麗《きれい》な軍服と銀の指輪を記念に貰おうと思ったのに。 「じゃ、さよならーー。」 「あ、君、君、」と上官が呼び止めた。 「名は?」 「ジョウジ・ワシントン。」 と私は答えた。|室外《そと》へ出るとさっきの「募兵係」が待ちかまえていて、 「巻煙草を一本くれないかね、え、君。」  |紐育《ニユ つニク》から|巴奈馬《パナマ》をへて豪州へ。!ー  この間四十日の大航海。占手の船乗りでさえ難物とする南太平洋の荒波だ、突風だ、|驟雨《きどつ つ》だ、 熱度だ。ことわっておくが|降誕祭《アリスマス》からかけて一月と二月南半球の真夏である、焼きつくような強 烈な太陽である。  出帆は明朝、夜の引明け四時三十分。|荷上釜《トノキ ボイフ》の火は大釜へ移されて、,番、二番、三番、四 番と、四つの釜には石炭の烙がもうめらめらと燃え上っている。船脚は低く沈み、粉雪をまじえ た風がマンハッタンの|摩天楼《スカイ スクレイパァ》を|掠《かす》めて上甲板の|綱索《ラチン》に|唸《うな》る。午後の薄日がかすかに届く汽関 室には、電燈の光りがあちこちに明滅して、半裸体の汕差したちが鋼鉄の器具や油の罐をさげて ぶらりぶらりと|右《 フ フフフ》往左往している。|蒸気管《フエリノがノ》も|啣子《ししスさ ヒノ》も鳴りをひそめて、地底のような鉄作りの鄒屋 のなかには酸っぱいような機械のにおいがただ冷やかに流れているばかり  。   あいつ天下の色男さ、   アラバマくだりの|菓子《ケイキ イ》っ|食《きタア》いさ、一   だけどおめえにあいつほど、   女たらしの腕がありゃ、   アラバマ一のム旦所で、   塩豚と卵にありつける。   ほんにあいつあていしたもんよ、   |恋慕《れんぼ》やつれのサムの野郎。   |恋慕《れんぽ》やつれの!し-。  歌声は煙のように汽関室の天井窓を抜けて、|蓋《ふた》をしたぱかりの後部五号六号の|船倉《ハソチ》のうえに転 がって毛船尾の|下級員室《クルウニハ クオ ダア》にごろ|寝《フフ》している私の耳へまで伝わってくる。円窓から見えるすぐ|傍《 むキフ》 の|桟橋《さんぱし》には、黒人や南欧人らしい荷役人夫の足だけが動いて、なにか|口汚《くらぎたなの》く|罵《のし》る声が妙に|籠《こも》っ て聞えていた。  出港前の一日。|紐育《ニユヨヨコク》でのこれが最後。ぼんやり寝て低い天井を眺めてなんかいる非番の者は 船じゅうで私一人である。甲板部では舵手ーー0臺帚冖ヨ窰蕚の一人が|船庫《ハツチ》番、水夫の一人が 耳享  キ、娑         江ン、牢   かふ  才、ーア   勹ウム、芋 船橋番、汽罐部のほうでは油さしが二人汽関へつき、火夫が一人釜へはいり、石炭夫の一人が |炭庫《ハンカア》へ|潜《もぐ》り、もう一人が|大棒《ノヤフし 》の通ってる|底路《クネル》を掃除しているほか、うまく当番をのがれた者ーー 当ったやつも・|中《フフ》を|高伽《たか》く買ったり、非番を|賭《か》けた|博奕《はくち》に勝ったり、あるいは弱いのを|脅《おど》しつ けたりして、みんな上陸している。|密造酒《ホウム ブルウ》をたら|腹呑《フフの》んでいたる所で善良な市民に非難されて、 仲聞うちで喧嘩をはじめて、血を出したりしないうちは彼らは|晩《おそ》くまで帰船しないであろう。こ んな掲示が|船具室《スタツク ルウム》の前へ貼り出されている。 「本船は明二十四日午前四時三十分出帆、|巴奈馬《パナマ》運河経由南米|智利《チリき》港寄港、これより一路豪州シ ドニ何ヘ向う。シドニイよりニュージーランド島オークランド港、東南洋諸島ヘ航行の予定。一 般乗組員中非番の者は日用品購入のためのみ今夜十時まで滞陸を許す。ただし事務長の上陸許可 を受くべし。」  だから、こうやってぼんやり寝ころんでいるのは私ばかりである。私ーー-という放浪の日本人   はこの船の|石炭夫《コウル バサア》の一人だ。当番も非番も私にはない。今朝乗組の署名をしたばかりで、 まだ受持の仕事さえ決まらないのである。まあ、当分寝てろ、とは|諾威《ノルウエコ》人らしい一等運転十の 言葉だった。このとおり寝ている。  船の名はパラキャイボ。船籍は|桑港《サンフランンスコ》。|傭船《チヤアタア》の先は豪州フリマントル港の一海運会社。総|噸《トン》 数五ハ六七。船長は赤鼻肥満の|蘇国人《スカッチ》。乗組員は|十官《オフイサア》で船長以下一等運転士から三等まで。機 関長以下一等機関十から二等をとばして三等。|見習生《アフレンテス》が一人、|無線電信技手《ワイヤレス オフイサア》が一人。事務長。  |下級《クルウ》では甲板汽関料理から荷役の|見張人《クレイマヰノ》まで合せて白いの、赤いの、黒いの、黄色いの全部で 四十六名。この「黄いろい」はすなわちかくいう私である。ジョウジ.・テネイである。とにかく、 明日から当分水の上だ。  豪州から支那、支那から|印度《インド》、|印度《インド》から|希臘《キリノヤ》のサロニカ、サロニカから地中海、|伊太利《イタリき》の諸港 から|英吉利《でキリズ》ー-ここのカァデフ港へは前の船で一ぺん行っているー |英吉利《イギリス》から|独逸《ドイツ》のダンジク、 それから先はどこへ行くか一向わからない。ま、どこへ行ってもいい。どうせでたらめが嵩じて 乗った船だ。じっとしてりゃあなんとかなるだろう。  電報一つで動くのが「|七《ヤフン》つの|海《さンイス》」を乗りまわすよたよた|貨船《トランプ フレイタア》である。この船の石炭夫といやあ 命知らずの|船虫《ふなむし》のなかでもまず顔の|利《き》く008じ畠だ。こりゃあいささか強がることにしよう   汽関の音がして、またぴたとやんだ。試験である。この静寂のなかをハドソン河をのぼる小 蒸汽の汽笛がひびく。ブルックリン|橋《フロツジ》のうえ高く、冬の昼の月は小さい。  話はかえる。        、 、 、 、                          カ ナ ダ  テア・ハンテング.   州の 市にうろうろしていたころのことだった。加奈陀の鹿狩りから帰ってくるとすぐ、 船の仕事はおじゃんになり、|毎《フフフフ》日、今度は|仕事狩《ジョブ ハンテング》りに|憂身《うきみ》をやつしていると、自動車工場の重 役|倶楽部《くらぷ》へ住み込んで|給仕《ウエイタア》をしないかと口がかかってきた。場所は場末の|波蘭土《ボウラック》区域だが、|小 縞麗《こぎれい》で給料がいいので、私は二つ返事で移っていった。ところが二週間もするとすぐいやにな《フフ》|っ た。別に嫌になる理由もないんだが、つくづく嫌になったんだからしかたがない。第一、仕事が あまり楽すぎる。第二、家政婦の|婆《ばあ》さんの食事の時の癖が気に食わない。第三、汽車線路へ近い ので日夜むらむらと|起《フフフ 》る放浪心をどうすることもできない  私はいまだに悪いことには|煤煙《ばいえん》の においを嗅ぐと|莫迦《ばか》に国際的になる。|市俄古《ノカゴ》や豪州のワラルゥを思い出したりして困る  さて、 第四にはおおいに金がほしい。第五に平凡な生活に|惓《あ》きた。第六、アラスカヘでも行っでエスキ モウ人へ石鹸でも売ってやりたい。第七にそして最後に|亜米利加《アメリカ》にあいそがつきた。というのは《 フフ》|、 早く吾えば|亜米利加《アメリカ》を食いつめたことになる。が、断っておくが、これはあくまで「食いつめ た」のであって、けっして食いつめられたのではない。  海へ・ー…私は叫んだ、、  ジャックゆロンドンのように、ユゥジン・オニイルのように、あの|蒼《あおあお》々とすまし返っている|凡《す ベ》 てのげ包夢濤を許してくれる寛大な海へ、私も、そうだ、出て行こう! なんかんと私が悪計 をめぐらしているところへ、一人の人物が現われてきた、  ジゴウというペンキ職工である、、生れは伊太利のシシリイ島だが、英国の管理内だとかと称し て、夲人はおおいに|英吉利《イキオマ》人ぶっていた、故郷で兄夫婦を殺して|出奔《しゆっぽん》してから水夫になって世 界中を歩いていると号していたが、殺人|云《うんぬん》々はともかくとしてこの男がいたるところ知っている のには私も驚いた。そうしておおいにうらやましかった。|近処《きんじよ》に間借りしているところから、ジ ョウは朝から晩まブ、私のそばにぐ、っついて、海の話をしてくれた。それはいいとして、彼のはな しには空間的制限がない.リスボンのことかと思うと南、|蓮米利加《アメリカペ》の漁村へ飛んでいる、とまたた くまにノルマとアィの海岸へ戻り、そこへ上海やミュロレンーー室蘭ーーが出てくる。そうか と思うと、コニ一ヘイマの|九号《ヰえ ノベ ヰノズ モに》などとい〔てにやりと|笑《フ フ》うーーなんのことか知らないが、ヨコヘ イマ|第九《すささヰコノ》は|紅毛人《ニうもセつじん》のあいだにずいぶん有名である。そして皆このにやりを|入《フもフ》れて言うから妙だ.、  蛇や錨やおいらんや|生《ちフフフ》首や桜の花や世界地図や楽器を彫った、腕から胸へかけての|文身《いれずみ》を見せ ながら、このジョウが一一一、口うのである、 ・ジヨウ諧・おめえも一度歩いてこい。マダガスカルでかぶられたり、ビスケイでいげを食った り、喜望峰の夕焼を拝んだりしねえうちゃあ人問じゃねえぜ。行ってこい、なあ、若えうちだ。 ちょっくら廻ってこいよ」 「うん行くよ。」  と私は答えた。 「が、どこからどうして乗りゃあいいんだか、そいつが俺にゃあわからねえ。」 「なあに訳あねえさ。おめえ、|紐育《ニユ ヨさク》へ行ったことがあるか.」 「,ある。」 「,|広小路《マロウドウエイ》を知ってるか厂、」 「知ってるとも、冗談じゃねえ。」 「あそこの根っこに税関があるのを知っで、るか。税関の少しこっちに|合衆国海事局《ノソしニク ヒユウロウ》ってのがある のを、こいつあてめえ知るめえ。」 「知らねえなし」 「まあ、いいや、行きゃあわかる。そこへつん出て海軍組合手帳  持ってるだろう  それを 見せて何かねえかと|訊《キフ》きゃあいいんだ一、」 「とごろが、その手帳がねえ冖.そのかわり五大湖汽船料理部部員証ってえ紙きれを持ってる。」 「それでいいだろう。ま、当ってみねえな。」  と、こんな|按配《あんばい》なのである。私はさっそく|倶楽部《くらぶ》の支配人を訪ねて「やめる」と言った。支配 人は、,なぜ?」ときいた。私は「なぜでも」と答えた。支配人は呆れて妙な顔をしてその週の給 料をくれて「思い出したら帰ってこい」とつけくわえた、「思い出したらあなたの健康を祈りま すよ」私はこう宣言して飛び出した。  雪がちらちら|降《フフフフ》って、 |大街《アベエニユコ》に|歳末《くれ》の大売出しのびらが|一《フ 》ぱいぶらさがっていた。河の水が 黒ずんで、その向うに|加奈陀《カナダ》の建物が小さく見えていた。なにもかも売りとばした私は、黒い|襯 衣《シヤツ》の|襟《えち》を立てて、水兵の着る10コウト  マキノみたいな|半外套《ビきはんがいとう》  を|羽織《はお》って白い水兵帽を頭 へ|戴《の》せて、空っぽの|鞄《かばん》一つ下げて|紐育《ニユ ヨ ク》行きのウオバシュ鉄道へ乗り込んだ。なんだか|莫迦《ばか》に自 分が|可哀《かわい》そうで、弁当代りの|麺麹《パン》をぽそぽそ|噛《フフフち》りながら固い腰かけにすわっていると、|泪《なみだ》みたい なものが口へ入ってきて、そいつが素敵に|塩《しよ》っぱかったので、味のない|麺麭《パン》もどうやらこうやら |咽喉《のど》を通った。汽車が出て、汽車が走り、日が暮れたり夜が明けたりしているうちに、汽車が|停《と》 まった。そうしたら|紐育《ニユ ヨ ク》だった。  さて、くどいようだが、出帆は明朝である。私はこうやって寝ている。寝ていて考える。食い 過ぎて死ぬやつは多いが、腹が空いて死ぬ者はけっしてない。常に人間はなんとかなる。その例 が私だ。ジョウに|唆《そその》かされて|紐育《ニユ ヨコク》へ出てきた私は、彼のいったとおりに広小路の|海事局《シッヒング ポウルド》で仕 事口を頼んだのち、第三街の|露西亜《ロンア》料理店で皿洗いをして好凖ーー?  を待っていると、ある 日、呼出しがきて一汽船へ給仕に乗り込むことになり、大西洋を渡って|英吉利《イギリス》のカァデフまで行 き、一晩とまってすぐに|紐育《ニユ ヨユク》へ帰り、二、三日してまたこの船へ乗り、今度はジョゥとおなじ に世界じゅういたるところへ行くことになった。ひょっとすると日本へも寄るかもしれない。寄 れば横浜だろう。そうすれば東京へも行ける。震災後ずいぶん変わったろうなあ  銀座なんか どんなだろう? 「おい、|瘠《スキ》っぽ、|一運《ニイチイフ》が呼んでるぜ。」  という声がする。油だらけの黒ん坊が突っ立って私の顔をのぞくようにしていた。 「どこへ来いってえんだ?」  私も負けずに威儀を保って、おもむろに起上る。頭がつかえる。それほど天井が低い。 「|士官室《サルウン》よ。」と言い捨てて、黒ん坊はさっさと|奈落《 フフダンビロ》へ帰っていった。私は士官室の戸をあけて、 一等運転士の前へ立った。ちょっと敬礼する。 「日本人だと言ったな。」  |一運《チイフ》が念を押す。 「そうです。日本で生れました。」 「ふん、ヨシワラか。はっはっは。」  たちまち私はむっとする。 「何ですか、それは?」 「ヨシワラ・バンザイさ。」 「もし|貴者《あなた》が紳士なら、そんなことは口にしないでしょう。」  と。どうしてこう日本人は日本へたいする少しの|侮辱《ぶじよく》にもこらえられないんだろう。私はもう 喧嘩腰だ。殺気立っている。こんな船なんかすぐ降りちまえ。降りぎわにこいつを一つ殴ってゆ くんだ、、が、待てよ、この北欧人はかなり強そうだぞ。 「怒ってるのか。」  と先方は驚いている。 「 」 「何を怒ってるんだ? え? ヨシワラが悪けりゃあ取消すよ。フジヤマに直すよ。俺のほうじ ゃ|同方《どつち》だって同じこった。」  あきれるほど|無智《むち》な奴である。頭の簡単な白色人種のなかで、頭が簡単でなければ勤まらない 船乗りの親方をやってるくらいだから、これぐらいの単純さはかえって御愛嬌かもしれない、と 私はすぐ機嫌を痘した。 「御用は?」 、うん-ーー料理部にいたって?」 「ええ.|湖《レイキ》通いの汽艇の。」 「甲板の経驗は?」 }、ありません。」 「だって、日本人ならジュジュツやなんかで身が軽いから甲板部のほうがいいだろう。」 「ごらんのとおり近眼ですよ。」 「そうか。じゃ、機関部へ下げることにする。やれるだろうな?」 「なにがです?」 コ|石炭夫《コウル パサァ》さ。」 「それは朝来た時から決まってたことじゃないですか。やれますとも!-」 「よし。」と彼は意地悪そうに微笑して艸,当分のうち、|漉水機《フイルタア》の掃除でもしてろ。あ、それから |前小炭庫《クロウスはハ カァ》をおまえの受持ちにするからね。一つうんと|働《フフ》いてくれ。」 「はっ。」  昇降口番の|老爺《おやじ》に十セント掴ませて、私はこっそり|上《フフフフ》降した。そして、ブルックリンの|太平洋 街の小店で前燈印の仕事着と、坑夫のかぶるような柎子と、皮の手袋とを買い込んできて、また 寝毫《パノフイツクカソト》に横になっていた。すると、前の黒人が再び呼びにきて、ほとんど等身大のスコップを持た されて、恐ろしいところとなっている石炭|庫《ぐら》へ連れて行かれた。まっすぐに立っている|鉄梯子《てつばしご》を 降りきると、年中日光の当らない暗黒の底に山のように、石炭が盛り上っている。カンテラの |灯一《あかり》つで見ると、真中に一坪ほどの穴があいて、下は二段三段の|炭庫《ハンカアノ》を通して一直線に釜前へ 落ちている。上にははいってきた小さな穴から灰色の空が少しばかり覗いていて、しいんとした なかに、|足許《あしもと》から四方へ見上げるような石炭の丘が続いている。手のスコップを持ち上げてみる と錨のように重い。私はすぐに悲観した。後悔した。 市の|倶楽部《くらぶ》のことを思い出した。赤い火 の燃える大きな|炉《ろ》ばたで、葉巻を吹かしながら新刊の雑誌を読む  私は情けなくなった。 「いい加減落したら汽関室に仕事がある。釜の|管《ハルブ》の|詰物《パキング》を|更《か》えるんだ。すぐ来いよ。」  上から黒ん坊が|呶鳴《どな》った。 「黙ってろい! |真夜中野郎《ミッドナイさ  タアキイ》め!」  私は泣声で喚き返した。と、かすかに一条の|縞《しま》と見える上部の光線を貫いて、なにか|豪《えら》い勢い で落ちてきたものがある。はっと思って私は石炭の山へ駈け上った。その拍子に|地雷火《じらいか》のような ひびきと煙りを立てて私の足もと近く、長さ三尺もある総鉄づくりの|鉄槌《ハンマア》が降ってきた。黒ん坊 が投げたのである。私はほんとにぎくっとした。これはたいへんなところへ来たものだ、気をつ けないと命が|危《あぶな》いー!。 「じ8.管{乕。。750≦皀乂ごぴ0ご  精一ぱい私は叫んだ。 口誉冖0・88。。齢巳甘ヨ¢訌妥ぎ仆訌竃寫冖。姜。牙。。諧一轟へ、8".儼皀日臼2.。。8冨・鼻ヨ0芽2- ぎ0口¢巳一の姜のき冩中苓邑巴0器一」  何時間|経《た》ったか私は知らない。カンテラを腰ヘ起びつけた自分の|身体《からだ》が、他人のもののように なってしまって、|鉄段《タラツプ》の途中から綱で引っ張り上げられた時、私は全身真黒々に光って、ぺっ《フフ》|と 叶く唾まで石炭の粉で黒かったことだけを覚えている。  私はウイスキイを少し|呑《の》まされたようだった。私の背中から水をかけて笑ったやつもあった。 肩を|小突《こづ》かれたような気もした。それからまた私は汽関室へ追い込まれた。私は夢中で機械の下 ヘ|潜《もぐ》りこみ、いつの間にか動き出した|啣子《ビストン》の音に合せて、頭のなかで「にっぽん、だんじ、にっ ぽん、だんじ」と繰り返しながら、大きな|螺旋廻《ねじまわ》しを締めつけていた。朝になったとみえて、船 は港を出かかっていたのである。だから私は|舐《ア》亠|米利加《ズリカ》へ「アデュウ」の手を振る機会を持たなか った。  フロリダの岸に沿うて船は南下する、南下する。サンサルバドルの島かげも程近かろう。一週 間後には|巴奈馬《パナマ》の運河だ。それから先は太平洋。- 「にっぽんだんじ、にっぽんだんじ」と汽関が|唸《うな》る。00巴駭ーまー |喧嘩師《ポンサア》ジミイ  →訌ヨ00巳0=冒岩といって|亜米利加《アメリカ》人はあおい眼の上へ三一壱する。日常生活に犯罪味 をつけて、金持と貧乏人の区別を大きくして、|密売業者《プウトレカア》という国民的一大企業をおこしたあの禁 酒法案、そこへ牧師と|応接間政治家《パアラア ポリテシアン》と社交界の|貴婦人《デイムス》とがまだ気がつかなかったころの、たのし くも荒っぽい時代の追憶ーー-男は意気でお|洒落《しやれ》で鼻っぱしが強くて友だちがいがあった。女はま た時々00マと言葉を使うことを忘れなかった。よっぱらいに犬が吠えてもそれはよっぱらいと 犬との間で平和に解決すべき問題であった。香水を|呑《の》んで|酒精《アろコきん》中毒で死ぬやつなどは一人もな かった。ごろつきはごろつきらしく首へ|色小布《パノダナ》をまいて煙草を噛んだ。紳士は紳十らしく青天に |洋傘《ささつもれえ》を持って、知らない少女の額へ接吻してもよかったーー」》戸冖冨ヨ0口0&0=冒量  七月三日、|独立祭《どくわつさい》の前の日だった。            アヴエ、三ウおしノト    プウ誦アト        ハァ 4£  ジマご!・ドユ・ボァ大街と聖フランセス散歩街の角、キャデラック酒場の正午は軽い昼飯で すましておこうという近所の勤人や労働者たちで一ぱいであった、強い煙草のけむりと古い漕の 香で|夢魔《むま》のように濁った空気の中を、各国の|訛《なまれノ》をおびた|汚《きたな》い英語が、太く、低ノ\鋭く、`蜂の|唸《うな》 るように、遠くで聞く夜汽車のように、そして税制変更を討議する下院のようにやかましくもう るさく流れていた、  裸体の女が野原で踊っている|絵硝子《ステノト アラズ》の|扉《と》の下から、歩道を行く人の足だけ見えて、い|亠《もフ》らい《フフ》|ら するような夏の日光が|扉《ドア》を開閉するたびに|酒場《ちア》のむらさきの雰躙気へ巾の広い、あるいは狭い|縞《しま》 を投げる。暑いというのを通り越してまるで|蒸釜《アヴ さ》のなかのようだった。|紐育《ニユコヨきク》では昨日馬- -|紐 育《ニユ ヨニフ》の町に馬がいたこともあるのである。霞¢霧》、2へ鴨耳庁。。0皀!ー-が七江死んだの、|市俄吉《ノカゴ》で は舗道の石だたみで|鶏卵《たまご》を焼いたのと、そんなうわさが誰もの口にのぽっていた.それほど、そ の年、|唖米利加《アメリカ》の東部から中西部へかけて訪れた夏の威力は猛烈だった。  煉瓦を敷きつめた床、その上に|卓子《テ フれ》といっては頑丈一方なのが三つ四つでたらめに置いてある だけ。椅子は小型の鉄製のがあちこちに散在している。正面は一面の大鏡で、大きさ、形、色あ いの種々雑多の酒瓶が天井へまで棚にのって届いている。鏡のまえに|売台《カウちノダア》がある。|売台《カウ  ソタア》の上に は|混酒《カクテル》の道具やコップの類が並んで、その前にいろんな|摘《つま》み物が拡げてある。  ひしこ、キャナビイ、|鰯《アンチヨビイいわし》、|大《プルウ》きな|牡蠣《 ポイント》、|小《チエリ》さな|牡蠣《ミ ストン》、しじみ|汁《クレム チヤウダア》、焼き肉、えびの天ぷら、|乾《チイ》 酪-ーーリイデンクランツ、ケメンバァト、ラックフォウト、リンボルグ、スウイス、カテイジ、 アメリケン 亡 ・ 亡¢;|麺麭《ぱん》ではボンボネクル、|玉黍《コウユノ》マフィン、ライ、クラッカァなど、    くんせい  へ栞刪ン  リ                             ナクル 魚では燻鮮、鰄の漬けたの、マカロなど、肉では豚の関節だの、牛の舌だのこれは肉ではないが |蛙《フロプ 》の|脚《レグス》だの、ハンボルグ焼き  この|独逸《トイッ》名が怪しからぬとあって大戦当時|自由焼《リハテイ スァイキ》きと改称し ていた…ーだの、野菜では、セロリイ、トマト、サワクラゥツ、レタス、ホゥス・レデッシュ、 |橄欖《アさヴス》、チャウ・チャウだの、サンドウィッチ!ーこれがめりけん|人《ちフフフ》が鼻声でいうとセ・・、チと|閃《フフフ》え る。簡単でいい。だからセミチと覚えこんでいる広島県何とか郡何とか村大字何とかの移民ジャ ップもすくなくないー-さてこのセミチでは、|東部《イコスタン》、|西部《ウエズタン》、クラブ、|熱《ハッミド》い|犬《ッグ》  ウイニイ一名 フランケフルトというあの細長いやつ  ブラゥネイ、カンボー--|結合《カニヒヌ きノヨン》のことで卵とハム、 レタスと鰯の類  さてサラドでは、リリァン・ラッセル、ブラックストン、ウドロフ・アステ リァーー-草花の名前じゃない、|紐育《い ユきヨ  ク》のホテルの名だが、そこの|料理長《ノムフ》の発明にでもかかるもの であろう。11|腸詰《サセイジ》ものでは  なに、もうたくさんだって? まあ、そう遠慮するなよ。おな かが一ぱいだって? ざまあ|見《フフフ》やがれ! じゃ、もう一つなにか|呑《の》もうか、、ううい、|何《フフフ》がいい? |此家《ここ》のハイ・ボウルはちょっと呑めるぜ。台のしょうが|水《ジンジヤ エイル》にクリコを使うんだ。マテネでもやる かね? え、|生一本《ストレイト》がいい? さすがだっ! 何がどうっていったって|上戸《じようご》にゃあ|生一本《ストレイト》が一ば んありがてえや。|黒《フラツク ニ》に|白《 ホワイト》  英国の口三が|亜米利加《アメリカ》にかかると前後が飲まれて|籠《こも》ってに《ち》|と ひびく。ナイフにフォーク、テーブルにチェァのごとし。日本語にもとと同じ意味の場合ににを 使うことがある。だから英語のこの接続詞は日夲語からきたものだろうなんかと考える広島県 ー岡山県でもいい、何とか村出のフランクがいる  さて、それともキング・ジョージにする かね? ジョニイ・ウォゥカァがいい? げえっぷ、おうらい! 「おい|肥《フア》っちょ、|一杯《テインヤツト》ずつここへ。」 「あいよ。」  とまずこんな調子に|売台《カウンタア》のはじから投げるように|洋杯《グラス》を|辷《すベ》らせる。それがちゃんと|客《フフフ》の前で とまる。つぎに酒瓶が滑走してくる。それを押さえて客じしん杯を満たしたのち、ぽうんと銀貨 をほおりてやる。|番頭《バア テンダき》  たいがい六尺ゆたかの|愛蘭人《アイリツンユ》か何かで、喧嘩ならいつでもこいとい うふろに派出な絹の|襯衣《しやつ》の腕まくりをしてちらと|文身《フフいれずみ》を見せている は器用に金を掴まえてち よっと調べてみる。噛んでみるやつもある。にせを|用《フアネイ》心しているのである。なかなかこれが|小意 気《こいキフ》なスタイルであった。  この、|呑《の》む前に金を払うということが大事なので、なかにはぐっと|流《フフ》しこんでおいてから|無一《むいち》 え          、、、              茎蕁ア"   穿 文から勝手にしろ、なんてとぐろをまくのがある。こんなのは番頭や常客が寄って集って散々 ふくろ叩きにして歩道へ蹴り出すことになっていた。ところが、そのなかには腕節の強い常習犯 がいて、素人では手に負えないこともあり、四、五人組んできて格闘を始めてどさくさ|紛《フフち まぎ》れに高 価な酒を盗もうなんてのもいたり、|商売敵《しようばいがたき》のほかの|酒場《バア》から派遣されてわざと|器《フ 》物を|毀《こわ》しに来 る|酒場荒《ハアあら》しもいるから、こういう場合のために、各|酒場《ハア》では大金を出して拳闘家|崩《くず》れの用心棒を 雇っていた。|喧嘩師《ポンサァ》という職業がそれである。 、|喧嘩師《ポンサア》のなかにもけちな|家《ちフ》を二、三軒かけ持ちしているのもあれば、二、三人、四、五人、な かには十人もの|部下《クルウ》をつれて人気|酒場《バア》に納まっているのもあったが、多くは|愛蘭人《アイリツシユ》か黒坊の、強 いだけしか能のない前科者だった。酒代の間違い、あまりうるさく|客《フフフフ》に酒をねだる浮浪人、|博 奕《まくちうち》の争い、|酒場《バア》荒し、こんな事件を、いかに|拳銃《ピストル》の|弾丸《たま》が飛ぼうと|喧嘩師《ポンガア》だけは素手で空身で処 理してゆくことが彼らの仕事なのだが、自信のないやつはよく小さなのを|洋袴《スボン》の上前へ挾んでい るのを見たことがある。  さて、|番頭《ハア テンダア》の出した酒を、|売台《カウちノタア》に片肘のせて、ちょっと仲間のほうへあげて。 「一8=轟禽它巴」  とやる。相手も|杯《さかずき》を突き出して、 「お|返《ザ セイム ト》しだよ。《ウ ユウ》|」  ごくっとあおって、とんと|杯《フフフフグラス》を置く。|売台《カウごグタア》の上を水のはいったコップが、すこしも水をこぼ    すベ         ウオタ.ボ"イ                   、 、 、 、 さずに辷ってくる。水給仕がついていてかたっ端からどんどん出すのだ。みんないい気になっ           しんちゆう                        ハ ク て、そこらへ唾をする。真鍮の啖吐きが光っているが、酒場でだけはどこへしてもいいとなっ ていた。だから、床一面に|鋸屑《ソウダスト》が|撒《ま》いてある。|売台《カウシクア》の下に真鍮の棒が横に通っていて、これへ一 足をかけて、勝手なことを|吐《ぬか》しながら眼の前の食物を|摘《つま》む。たいがいのものが|無料《ただ》なのだ。もっ ともあんまり摘んじゃいけない。|番頭《ハア テンダア》が黙って引っ込めてしまう、、これが大きな恥となってい た。とにかく、|麦酒《ビ ル》一杯が五セントで、あちこち摘んで歩けばいい加減おなかが脹る。五セント の昼食なのだから|流行《はや》ったのも無理はない。考えてみると、いい|御治世《ごじせい》であった。  このとおり満員である。    アーブル       とね一                        おもて  隅の卓子で力アドに飛念のない組もある。戸口近くに陣取って戸外を通る女の脚をかれこれ批 評しているのもある。|卓子《テコブル》から|卓子《テきブル》へと煙草や新聞や競馬の|賭札《かけふだ》を売り歩いている小僧。誰かれ の差別なく人さえ見れば「|長官《ガバナア》」とか「|大佐《カアネル》」とか「|親方《ホス》」とか呼びかけて一杯ありつこうとい  むやじ        カウンタア       すずな               か う老爺もいる。売台には人が鈴生りでめいめいが賭け馬の話、女のうわさ、主人の悪口、政論、 選挙のはなし、笑ケ声、|呶鳴《どな》る音、いやもうたいへんな騒ぎだ、、ほんとうの|酒場《ハア》の下町気分はこ の正午の|雑沓《ざつとう》にある。夕方のように|白粉《おしろい》の女が出没したり、びっこのヴァイオリン|弾《 フフ》きや|伊太公《チイコ》 の猿廻しが登場したりすると、一脈の哀愁が漂って、詩人ならぬめりけんにはどうもぴたりとこ              さが   ・ ・                     ハ' ない。もっとも昼間でも鴨を捜してうろついている曳ヨでがあるが、いい酒場はなかなか見識 が高くて、これらの人間が|游《ゆう》よくするためにかなりの金を|喧嘩師《ボンサア》へ欄ませなければならない。《フ》|ば くちのかすりや|常《 ち》連のチップとともにこれが彼らのサイド|収入《インカム》になるわけである。  ながく一つの|巾子《テコフん》に向って威張っていると、そうっとうしろから|来《フ 》て扁をつつくやつがある、 それが|喧嘩師《ポンサア》だ。いいかげんに出て行けというのである¢客同十が何か一言い争っていると、黙っ てその真中へ割り込んであくびなんかする|大《フフフ》男がある、、それが|喧嘩師《ボンサア》だ。カァドを引いている|卓 フ几        、、、、                             ポ丿,サァ 子のそばに立ってにやにやするのがある。一ドルも「わかる」と行ってしまう。それが喧嘩師だ¢ 鼻がつぶれて、耳がまがって、胸部がいやに発達して、肩が張って、腕が長くて手が大きいから 喧嘩師《テ ポしサア》は一眼見てわかる。|服装《なり》は下品に|淞落《しやれ》ていて、|右手《めて》をつねに|洋袴《ドボン》のかくしへ入れているが、 それは拳闘用の皮製の|下手袋《アンダ ブラリス》をはめているからだ。  、 、 、 、                                                はやり    ゴヤカア  がやがやするなかで、ヘロウ、ヘロウ、という声がする。見ると、灰色の流行服に砦盤縞の鳥 打をかぶった小柄な東洋人が、ちょうど今はいって来たところらしく、あちこち顔見知りの人々 へ|挨拶《あいさつ》しながら、店を突っ切って奥■へ消えてしまった。  このキャデラックの|酒場《ハア》で、物価のやすいそのころ、一日五ドルという給金を取っている|喧嘩 師頭《ヘツド ボンサア》のジ土イムス・チバアという日本人がいまの東洋人である。  ジミイ・チバァの名前は|喧嘩師《ポンサア》仲問の|喧嘩師《ポンサア》を意味七ていた。その当時、アリゾナの鉱山地方        あいの二             と ばあら                      ごろっ一、 から流れて来た混血児ジョゥジという賭場荒しの名人の日本人がいて、無頼漢仲間のいざこざに は警察が出るより何が出るよりこのジョウジがぬうとあらわれたほうが|利《 フき》くといわれていたが、 一人と一人との腕と度胸の段になると、ジミイはジュジュツの選手だけに一枚上だろうとのこと だった。 宦 鬘  講道館の二段だったとかいうことだが、ジミイは長らく|聖路易市《セントルイ ンテイジ》の|体育会《ムネイゼアム》でジュジュツを教え て、同時に同州の|軽量拳闘《ライト ウエイト》の|優勝旗保持者《ベナンモ ホウルダア》であった。それが、女と酒とばくちに身を持ち崩して、 |東部《イ スト》へ来て|酒場《ハア》の|喧嘩師《ポンサア》とまで落ちているのである。手下の五、六人も置いて彼はこのキャデラ ックで特別の待遇を受けていた。|喧嘩師《ポンサア》ジミイといえば恐い大親分として|市《まち》じゅう知らない人は なかった。テキサス無宿でも|桑港《フリスコ》無宿でもぴりりとしたものであった。|浅《フフび》黒い長い顔にそのころ |流行《はや》ったチャップリン髭を生やして、ものをいう時に指をぱちぱち|鳴《 フフフ》らす癖のある、わりに小さ な男だりた。  |酒場《バア》はいよいよ立て込んできた。十四、五人の|番頭《ハアニアンダア》が必死になって酒を|注《つ》いだり、|混酒《カクテル》を振 ったりしていた。その忙しい最中にも、|番頭《テンダア》は客に差亠へ丶れれば喜んで|呑《の》んでいた。そして|必《ち》ず自 分のポケットから金を出して一杯その客に買って返した。それは|律儀《りちぎ》なものだった。ご愛嬌の一 つになっていた。もちろん、金はあとから店の会計から返してもらうのである。 「おい、気をつけやがれ!」  という大声がした。だいぶ酔っているらしい一人の男が、そばから肩ごしに手を出して|番頭《テンダア》か ら何か受取ろうとした若者の横腹を突いた。|爪立《つまだ》ちしているところを突かれたので、若者は思わ ず|蹣《よろ》めいた。拍子に、持っていた|杯《クラス》から酒がこぼれて男の背中を|濡《ぬ》らした。男は足をあげて若者 を蹴った。若者は床へ倒れる。  みんながさっと|場《ちフ》を開けた。ぐるりの人が集まって、そのまん中に円い|空所《あき》ができる。早くも 喧嘩の|支度《したく》である。|毛唐《けとう》はここらはよく訓練ができている。けっして助太刀しない。勝負がつく まで黙って見ているのだ。その|空所《あき》の中で若者は身を起こす。眼の前には当の相手の男が|昂然《こうぜん》と 立っている。しいんとして森の奥のよう  。こうなるとどっちもただでは引込みがつかない。  たちまち始まった。そしてたちまち結果がついた。若者が眼と眼との間ヘ一撃を喰ってその場 へ|昏倒《こんとう》したのである。二、三人の人が|介抱《かいほう》にかかる。男は平気で友達と話をつづける。人々はつ まらなそうに席へ帰った。  これで済めばなんのことはなかった。そして、ジミイの名もそれほどあがらなかったかもしれ ない。が、  本芝届はこれからなのである。  あとで知れたことだが、男はその一撃で|只者《ただもの》でないことを示したとおり|紐育《ニュきヨきク》下りの拳闘家で あった。それが、酔いに|喧嘩気《けんかつけ》が加わったものだからばかに|気《フ 》が荒くなった。床の若者が正気づ いて帰ったあとまでも、そこらの人へ当ったり、|番頭《バア テンダア》へ酒を浴せたり、肉きれを掴んで鏡へぶ つけて笑ったりだいぶ鼻摘まみされていた。ちょうどその時客に混っていた二、三人の|喧嘩師《ポンサァ》が、 こっそり男の|背《うし》ろに立って|番頭《ハア テンダア》の顔を見た。やっちまおうか、という|伺《うかが》いである。|番頭《ハア テンダア》は首 を振った。この男はさかんに|呑《の》んでいる。店としては金になる客だ。同時に今は大切な商売時間 である。さっきの腕前で見てもわかるように男はなかなかの|強《したた》か者らしい。もしここで二、三の |喧嘩師《ポンサア》と|大立廻《おおたちまわ》りが演じられて、それが永びいて品物を|損《こわ》し客足を|停《と》められでもしては、今日一 日の売上げに大穴があく。まだそれほど暴れているというわけでもない。第一、おまえ達じゃ駄 目だ駄目だ。これが首を振った|番頭《バア テンダア》の|心《はら》であった。  ところが|番頭《ハア テニダア》が首を振るところを男が見たのである。そして振り返ったそこに、|喧嘩師《ボンサァ》が立 っている。|蛇《じや》の道は|蛇《へび》だ。一眼でそれとわかる。|男《フフ》はにやりと|笑《 フち》った。|喧嘩師《ポンサァ》もにやりと|笑《フフフ》った。 〆めて|四《しフ 》やりだ、いや、|冷《フ》りとしたのはそこらにいた人々である。  男の腕が飛んで|喧嘩師《ポンサア》の|頬《ほほ》を打った。ぶたれた|喧嘩師《ホンサァ》はすぐに襲撃の身構えをする。が、ほか の|喧嘩師《ポンリア》に抱き止められて、何か言われながらみんないっしょに奥へはいって行った。  問もなくジミイ・チバァが出て来た。男が上地の人間ならこれで万事解決のはずだが、不幸に も男はジミイを知らなかった。だからジミイがにこにこしてうしろに立ったとき、男は一人で力 自慢を|饒舌《しやべ》り散らしていた。居合わせた人々は鳴りを沈めて|窺《うかが》っていた。  ジミイは|番頭《ハア テンダア》へ手をあげて見せた。お|顧客《とくい》か?遠慮しようか?という合図である。 |番《ハア テ》 一、ダア                ふう篶いぼう 頭は片目をつぶった。ウインクである。風来坊だから思うさまやっつけろ、という返事。  ジミイは|上衣《うわぎ》を脱いで床へ投げた。そして声をかけた。 「ヘロウ!」  男はふりかえる。 「握手!」  ジミイがいう。男が手を出す。その手を払ってジミイは飛び|退《の》く。男は真赤になった。 「"ンヤ ッ。フー・」   うな                           "ぐ        蟇  と唸って続けざまに突撃してくる。が、その腕の下をかい潜って、ジミイは蜍のように男の首 玉へ吸いついた。締めの一手である。大木へ蝉がとまったように、両脚を男の腹へ巻きつけて、 脚と手とで男の腹と首とをいっしょに締めつけた。離れていてこそ拳闘も|利《キフ》くが、こう抱きつか れては手も足も出ない。男は顔を紫にして、両手を振りながら|独楽《ソフふま》のように舞うばかり、やがて |撞《どう》っと倒れてしまった。気絶したのである。      、 、 、 、      うわぎ                                    こぶん  ポ!サア  ジミイはにっこり笑って上衣を着た。立ちさわぐ人々には眼もくれず、乾分の喧嘩師に何事か 命令したのち、自分は男の身柄をひっ|担《かっ》いで|右手《めて》の|昇降機《エレベエダア》へ乗った。 「|頂上《てつぺん》だ。」  キャデラック建物は七階建てである。その最上階へ昇ったジミイ・チバァは、廊下の隅へ歩い て行って、そこの窓からやっとばかりに|男《しフフ》の|身体《からだ》を|抛《ほう》り出した。急いでついて来た|好奇漢《ものずき》も、こ の時ばかりはぞっとしたそうである。  下は人馬|織《お》るがごときヴァン・ドユ・ボァの大通り、固い敷石めがけて男は|毬《まり》のように落ちて いった。  が、もとより殺す気はない。下では、ほかの|喧嘩師《ポンサア》一同が客の手を借りて火災用の救助網を拡 げて男の降るのを待っていた。投げられる拍子に気のついた男は、途中で再び気を失って網の真 中を打って二、三度飛び上った。見物人は歓呼の声をあげた。  男はそのまま友達へ引渡された。そのあとを見送って、人々がぞろぞろなかへはいったとき、 ジミイは一人で|卓子《テエフル》に向って、 「はてな-…?」  なんかと言いながら、独り|占《うらな》いの|加留多《カアド》を並べて、|葉巻《シカア》の煙を吹いていた。  ジミイは欧州大戦に|加奈陀《カナダ》から志願して出て、|仏蘭西《フランス》で戦死してしまった。 でも市の人が語りぐさにしている。私はよく|訊《き》かれた。 「おまえジミイ・チバァを知ってるかねし 「<巷  。」と私はいつも答えた。「=の、。。ヨ<耳9訌諧さ口パ8≦ご ジミイのことは今 感傷の靴 「ヘロウ、|君《ユウ》は今日|靴《ンユウス》を買ったろう  なに、買うところを見ているんだから、|隠《かく》したって|駄 目《ウオモノ ドウ》さ。出したまえ。」  ヘンリイは部屋へはいってくると、いきなり|卓子《テきフル》へ腰を掛けてこう言い出した。  ヘンリイといってもヘンリイ河田というれっきとした日本人で、しかも東京 大学の卒業生な のである。|亜米利加《アメリカ》へ来たのが二十年も前で、今だにあちこちうろつくことをだけ|職《フ 》業にしてい るメリケン・ジャップという一つの新しい人種の、それでも草分けなのだ。そのヘンリイ河田が、 |聖《セント》ジョンス街の私の下宿へ乱入  と言うと義十みたいだがーーして来て、私の鼻の先きへ自 分の破れ靴を突出したまま、世にも乱暴な申出をするのである。私はすぐ白状してしまった。 「イエス、 一足買ったことは買ったがーーー8弓○{它亳び岳ぎ$。。】○=ぴ2  。」 「=諧ぴ。。。0一」と彼は私の接待煙草へ手を伸ばしながら「1ー望二0鼻2三篶彗凸ブ穹。¢ 冨穹厂  と、私は今米国にいるジャップ  日本人というよりも、なにかしらジャップと言ったほうが |適当《はま》っているように思われる快活で図々しい黄色人たちの使う言葉を、そのまま忠実に写そうと 試みているのである、が読みにくかろうと思われるからいい加減に止すとして、 「|非道《ひど》く哀れだね。いったい靴ぐらい買ったらいいじゃないか。」  と私は年中盛大に貧乏しているヘンリイを見上げて言った。  そのころ私は 市のとある|倶楽部《フくらぶ》で給仕人という|小意気《こいき》な|渡世《とせい》をしていたので、鏡のような床 に椰子の葉の映る大食堂で、しかつめらしい|礼服《タキシイド》の胸を張って、沸き返るような|黒人音楽《デキノイ ハンド》のな かを一晩うろうろしさえすれば、朝がたには十五ドルから二十ドルの貰いが|衣嚢《かくし》に|唸《うな》っていると いう素晴らしい景気であった。だから一流の|貸間館《アパアトメント》に部屋を取って、二十五セントの葉巻を三 分ノ一で捨てたり  これはヘンリイがたいがい拾って行ったが、  公休日には東洋の伯爵の ように澄まし込んで郊外の料理店で、まえもって申込んでおいた一室で高価な|晩餐《ばんさん》を|不味《まず》そうに 食べたりしたものだ。一口に言えば貰った金を振りまいて、ただ大きな顔をしていたかったので ある。大玄関に立っている金ぴかの|番人《フちドびノ マン》から|昇降機《エレベ ケえさ》係のボーイ、さては家付きの交換手まで私 にものを言う時は00マと言う言葉を後に付けたり、中へ挾んだりするのをけっして忘れなかっ た。もちろんこの、午後は|略礼服《モウエング》、夜はきまって|礼服《トキシイを》の東洋の|富豪《フフ》がその実|倶楽部《くらぶ》の給仕人で あろうとは、家中誰一人気が付かなかったに相違ない。  夕方、出がけに手袋をはめながら、 「人が来たら|倶楽部《くらぶ》へ電話をかけて、ジョゥジ・タニイと言えばすぐわかる。」 一とできるだけ不機嫌そうに私が言うと、支配人は恐縮して頭を下げていた。そこで|挨拶《あいさつ》するボ ーイ達には眼もくれず、|大跨《おおまた》に私は大理石の玄関を降りて家付きの自動車を呼ぶ…ーーと、まあ、 こんたような生活をしていたのである。もちろん、仕事に行っては一口言うにも00マかヨ血.凶ヨ を付けて、置物のように|大柱《コウラム》の根元に棒立ちになったきり、 「ジョゥジ、銀行家のタムソン氏の|卓子《テコフル》はどれだい?」 「は、窓ぎわの一番よい位置で、へ\\ゝ、音楽もよく聞えますで、へ\ゝ{。」 「ジゥウジ、この|吸物《スさプ》は少し|温《ぬる》いよ。」 一,はっ、どうもとんだ事で〕さっそく收り換えまするで、はっ。」 「ジョウジ、このパンは固いよ。」 「,よつ一  4   」 「ジョゥジ、ソてら一ドルだよ。」 「はっ。」 「ジョゥジ、おまえは馬鹿だよ。」 「はっ。」  が、一歩|倶楽部《くらぶ》を出れば、何から何まで大金持のように振舞って、それでかろうじて私は私の 自尊心のため仕返しをしていたのだった。実際何が金になるといったって、米国の馬鹿成金の集 る|倶楽者《くらぶ》ほど、そしてそこの食堂の給仕人ほど金になる仕事はまたとあるまいと私は今だに信じ ている。  で、その日私は有金をかき集めて百ドルの紙幣にかえ、靴を買いに町第一のスミス靴店へ出か けて行ったのだった。  ジョゥジと言うのが「譲次」でも○8お¢でもともかく私の名である、それに、職業が給仕人 である以上、食堂にいるあいだジョウジと呼びすてにされることについて、私は別に異議のあり ようがなかった。それでも時々は言い方でむっとすることがあったが、そんな時はアパァトメン トヘ帰ってから、食堂で|痂琲《コ ヒエ》茶碗をなげたり、ボーイの耳をひっ張ったりした。それでもすぐそ の後から|大枚《たいまい》の札びらを切るものだから、家中ただへいへいしていたのである《フ フフ》|、  ところが、その|倶楽部《くらぶ》へ来る紳商のうちで一人私のことをラランクとしか|呼《フフ フ》ばない、スミスと いう|爺《おやじ》がいた。そのたびに私は、」寧に訂正の辞を言上におよんだが、彼はいよいよ意地悪く出て、 私の顔を見さえすれぱ、彼一流の皮肉さでフランク、フランクと呼ぶのである。フランクだろう が、ジョウジだろうが似たりよったりじゃないか、と言う人があるかもしれないが、自分の名前 となって見るとそうはゆかない。第一、この爺の人を無視したー給仕人だって人間だい、しか も大和民族の片割れだ、気を付けるがいい!態度が無条件で私を悲憤慷慨させてしまった。私 は|密《ひそ》かに返報の日を待っていたのである。  私は一策を案じた。わざと百ドル札一枚持って今日彼の靴店を襲撃したのである。思ったとお り、売子は全部昼飯に出払っていて、爺一人ぼんやりしていたのが、私を見かけると急に面白そ うに、 「よう、フランク、なにしに|来《ヘロウ》たい、フランク!」  不思議そうに爺の顔を見つめてから、 「靴を見せてくれ。」と私は|鷹揚《おうよう》に出た。 「おや、珍しいね、フランク。ー私の店へ靴を買いに来るとは張り込んだね。」 「靴犀へ|蜜柑《みかん》を買いに来る奴があるか。」|苦《にがにが》々しそうに私は言った。 「足は|何吋《なんインチ》だい。」 「足の人きさと|頭髪《かみのけ》の数は覚えようと思ったこともないー計るがいい。」と私は爺の前の大椅 子へぐっと腰をおろして「そらー。」と|足《ヒア》をつきだした。 「おい、フランク、いい加減にしろよ。今店の者が帰ってくるからー。」 「店の者って、君は店の者じゃないのか。」  実に悲惨な顔をして私の足を計ってから、スミス老人は七ドルいくらの一番|安価《やす》い靴を一足持 ってきた。 「これは」と私はのぞいてみて眉をしかめた。 「これは紙製じゃないか。」憤然として|爺《おやじ》は少し上等の取り出してきた。 「駄目、駄目」と私は言った。そして「おまえの店には安物しかないじゃないか、フランク。」  でまずこんなようなぐあいに、今度は私の方から爺を掴まえてフランクと呼びすてにしながら、 さんざん出させた|揚句《あげく》、三十ドル近い靴を1ー|莫迦《ばかぱ》々々しいことをしたもんだ、|今《か》あの金があれ ばなあ  ごく無雑作に買って、百ドル紙幣を投げ出して、もちろん釣りを貰って、できるだけ 堂々と引上げたのだった。スミス爺さんは額に汗をかいて残念がっていたが、なんといっても立 派なお客だから仕方がない。それからは|倶楽部《くらぶ》へ来ても、私の名前には特別の注意を払っていた かどうか、ともかく|爾来《じらい》フランクとだけは呼ばなかった事は事実である。だから、私としては金     がた                                           7ロ七ノト             ほほ、1 銭にかえ難い目的を一つ達したばかりか、日曜用の靴が一足、衣裳棚のなかから私に微笑みかけ ることになったのである。  その靴をヘンリイ河田が狙ってきたのだ。私にとっては一大事である。 「なんにするんだ?」 「食いはしないよ。」 「ふうんーで?」 「実はね  。」と、実はこうなのである。  靴も食いかねないほど貧乏しているところへ、運よく欧州戦争が始まったので、模範的な風来 坊のヘンリイは、眼の色を変えて従軍を申出たのであった。言い遅れたが、彼はこの時|加奈陀《カナタ》に いたのである。独逸打つべし、軍国主義を倒せ、正義と人道と自由のために戦えなんかと、いい            、 、 、                         吋っぷん 加減なことをいわれて、ぽうっとしてしまった彼は、聖書に接吻したり、英国旗の下で眼をはぶ ったり、いろんな芸当を演じてから、|歓呼《フちフ》の|声《 ち》に|送《フフ》られて|仏蘭西《フ フ ウンス》の戦線に|赴《おもむ》いたのであった。  というと非常に勇しいし、事実また勇しかったに相違ない。ここでヘンリイがカイゼルの髭に とび|掛《かか》ったり、機関銃を|担《かっ》いでラインの河を泳いだりした話でもあると、この話も美談の一つに なるのだけれど、よく閃いてみるとあまり実戦ヘは出なかったらしい。では何をしていたかと閃 かれると、本人にも判然しないとみえて、 「○戸8一言三一一ーー」臺一ヨく。。一篶」  と彼は平気に|澄《す》ましていた。が、根が日本人だから、|哨賊《とつかん》する前に隠した女の金髪に接吻する ようなーそんな金髪もなかったろうがーー劇的行為もしなかったし、第一、体格が実に偉大で 嫌に|豪《えら》そうな顔をしているところから、|加奈陀《カギァ》の十官も余程|呆《あき》れたものとみえて、人もあろうに ヘンリイを装甲自動車の一車長に|奉《たてまつ》ったのだそうな、しかも「死のなんとか」という決死隊に 属するというのだから恐縮する。|位《ラント》からいうと軍曹とかなんとかいうんだろうが、日本 大学の 卒業生なら誰だって立派に|誤魔化《ごまか》せる役目に相違ない。なぜかというとヘンリイはぴかぴかした 勲章まで貰って、決死隊のくせに哀れアルサス、ロウレンの露とも消えず、みごとに軍国主義の |元締《もとじ》めを、しかも彼一人の手で穴き鼻・葺したような顔をして|加奈陀《カしタ》からアメリカヘと、戦後 ひそかにはいり込んできていた。生きている証拠には、今私の前に棒立ちになって、例の靴を明 日一日貸せと言って、巡査でも呼ばない限り、自発的には帰りそうもない。  明日は大戦終了の記念日で、いわば|招魂社《しようこんしや》のお祭りなのだ。で、ヘンリイも当日の大呼物な る兵隊行列に加わって、おおいに武者振りを発揮するようにと、市役所あたりから通知を受けて いるのだが、軍服だけはあるものの、一足しかない靴が黒い破れ靴なのだった。カァキイ色の軍 服に黒い靴というのは、あまりぱっとしないばかりか、実感に迫る力が薄いのだという。で、佐 野のなんとかみたいに途方に暮れて、今日ふらふらとスミス靴店の前に現われたところが、天木 だヘンリイを捨てず、私が|爺《じい》さんを|虐待《ぎやくたい》している現場を目撃したのだった。だから出せ、さあ、 靴を出せ、とヘンリイの声はだんだん大きくなる。  こう事がわかってみると、私も自分から進んで穿いてもらいたくなる。で、さっそく献上にお                              かくし    しんちゆうみげ よぶと、忙しいと言ってヘンリイはすぐ帰りかけたが、ふと洋服の衣嚢から真鍮磨きを出して 見せて、これだよと言った。何だいと閃いたら、|戸《ハア》から半分出ながら、これで|釦銀《ぼたん》をこするんだ、 あはははと笑っていた。なにしろ明日は戦勝記念日だというので、町中が|晩《おそ》くまで騒いでいた。 私は早く|寝《しん》に|就《つ》いたこ  明くれば  などというほどのことでもないが、ともかく一夜明けて行列の当日となった。|正《ひ》 |午《る》近い十一時何分だったか、市街中の汽笛と鐘が一緒に鳴りだすと同時に、自動車や電車はもち ろん、街上を歩いている人でも|家内《いえ》にいる人でも、何をしている人も、皆一せいに立ちどまって |殷《いんいん》々たる音の中に静かに数分間の黙穩を続ける。七階の窓際を歩いていた私は、そのままそこに 立って窓の下を見下ろした。荒くれ男の貨物自動車運転手が自動車からおりて|叩頭《こびつと つ》している。そ のそばを歩いていたそれ|者《フフしや》らしい若い女が歩行の姿勢のまま|俯向《うつむ》いている。店へはいろうとした ところで立っている老人、車道のまん中にぴたと並んだ自動車、その中で祈っている人々、電車                       う、な                、しよう の運転手も乗客も石のように動かない。戦場に息子を喪ったらしい老婆の喪章も見える。十字路 のまん中に脱帽している七尺豊かの交通巡査、そして耳を|覆《おお》う力強い音響、私はこの時ほど、ア メリカの持つ民衆的な力を感じたことはなかった。  と、音が止んだ。一せいに万物が動いて大都会の活動が再び始まる。その時だった。はるか |下町《ダウン アウノ》の方から独立戦争当時の古風な進軍の笛太鼓の音が風に乗って聞えてきた。  待ちに待っていた私は、晴の舞台に私の靴を見るべく、|倶楽部《くらぶ》の仕事などはうっちゃらかして《フフフフ》|、 帽子を掴んで、ド街の大通りへ|駈《か》けだした。州立劇場の建築場の前までくると、一杯の人で身動 きもならない。が、|図《ずうずう》々しく人の中を潜って、どうやら行列の見えるところまで顔を出した。太 陽の光線が痛いほど両側の建物の窓に反射して、何万という人間の話声で耳がわんわんするよう だ。  先頭が見えてきた。リンコルンと|一昨日《おととい》握手したばかりのようなよぼよぼの|老《 フフフ》兵十の一|群《むれ》が古 い軍服を着て笛太鼓でやってくる。中央に星条旗がひらひらする。皆帽子を|脱《と》る。私もまっ先に 脱って、気が付かずにいる前の山高帽を|小突《こづ》いてやった。しいんと水を打ったよう。  どん、どん、どどどん、どん、ぴいーろ、ぴい  さっ、さっ、さっとこれは行列の|楚音《あしおと》のつ もりなのだ。それから今の兵隊がかなり長く続いて、その後から英国旗が見えた。さあ、いよい よ靴が来たな、ヘンリイの奴はあの一隊にいるにちがいない。外側にいてくれればいいが。そう したら俺の靴はどうだいくらい言ってやろうと私は待ちかまえていた。  名にしおう|加奈陀《カナダ》義勇軍である。米国兵とはまたどこか違って、ねばりがあっていささか強そ うだ。立派だなとちょっと私がヘンリイのことを忘れかけると「何とか! 何とかっ」と頭の 上でどえらい|声《フ》が爆発した。すると|加奈陀《カナク》兵の先頭でいきなり|喇叭《ラッパ》が鳴りだした。|吃驚《びつくり》して顔を 上げると、前後に従卒みたいなのを連れた偉丈夫が、いやに|大《フフ》きな白い馬に乗って、今|呶鳴《どな》った ばかりであった。  ヘンリイ・河田だった。  どこから引きずり出したものか、素敵もない馬に乗って、短い|口髭《くちひげ》の鼻先きに軍帽の|前庇《ぜんぴ》をひ っ掛けて胸になんだか光っていた。骸骨の印のついた決死隊の腕章が人々の眼を|惹《ひ》いた。こう胸 を張って馬上豊かに前を|白眼《にら》んだところ、とても私なんかそばへも寄れそうもなかった。白い手 袋をはめた手を妙に振って、また「何とか!ーなんとかっ」と言うと、|喇叭《ラツパ》が|止《や》んで、そのか わり英国旗がーー生あるごとくーひらひらした。群集はヘンリイの男振りに拍手の波を送った。 が、私はそれどころではなかった。なんともいえない国民的な、|森厳《しんげん》な心持が私の胸に込み上げ てきた。高い建物の上から女事務員たちが、ハンケチなぞ振りながら叫んでいた。 「ちょいと、こっちお向きよ。」 「好いたらしいわねえ。」  きっとこんな|不謹慎《ふきんしん》な言辞を|弄《ろう》していたに相違ないが、アメリカの女事務員にこれだけのこと を言わせるだけでも、いかにヘンリイのできがよかったか想像に|難《かた》くないと思う。 「あれは|何国《どこ》の|人問《ひと》だろうーー?」 「|西班牙《スヘイン》だね。」 「なあに海峡植民地系の英人さ。」  耳のそばでこんな会話を聞いても、私は一さい|夢中《むちゆう》だった。遠くまで行列の上に浮いて見える 白い馬を見送っていた私の眼は、なんともしれない涙で一杯だった。ああ、日本人、ヘンリイも 日本人、俺も日本人  遠く故国を離れて二十有余年、ふわふわとその日を送っているように見 えても、俺たちはやはり日本人なのだ、日夲男子だ。あれだけの|加奈陀《カナダ》兵をこの晴の日に指揮す るヘンリイの得意さはどんなであろう。そしてヘンリイがなんとまあ、まるで別人のように見え たじゃないか。サムライと|私《フフフフ》は口の中で言ってみた。嬉し涙がほろほろ|溢《あふ》れた。群集を分けて|倶 楽部《くらぶ》へ帰る途中まで、私は靴のことを|全然《すつかり》忘れていた。が、思い出すと同時に、その靴を永久に ヘンリイにはいてもらうことに決めてしまった。  横浜を出るときゃ涙で出たが今じゃテキサス大地主。  小唄に漂う移民の意気地、私は小地主でもなんでもなくても、大地主以上の幸福感で海のよう な人々をやたらに押して行った。邪魔だ、邪魔だと頭のなかで|我鳴《が な》りながら  。私は急に強く なったので。  珍しいほどの好天気だった。風のぐあいで時々|加奈陀《カナタ》兵の|喇叭《ラツパ》が聞えていた。, 返 報 「あの|五月花《メイフラワア》という|馬《ポネ》に|二番《プレイス》へ持ってって十ドルぶつけておくといいぜ。|大丈夫《フンヂ》とは思うがなに しろ|緑金号《ワリイン ゴウルド》といっしょに走るんだから、まあ、|一番《はなさき》へ|賭《か》けるのはよしたまへ。」と競馬通の 「ジャッキイ横浜」は|途《みちみち》々一人で|饒舌《しやベ》り続けた。河向うの|加奈陀《カナんノ》の大競馬ヘ出掛けて一つ好運の 神様の前髪を櫁まえてこようと、なけなしの資金を調達し、|玄人《フロ》ジャッキイの案内で折からの晴 天を幸い、私は国境の河を渡るとウインザアの|競馬場《トラツク》へ通ずる大舗道を走るようにして歩いてい た。ここでこの相棒について少し説明しておく必要を感ずる。まず第一に彼は、というより、彼 も日本人の一人らしい。自分でそう主張するんだから|万《ばんばん》々相違はなかろうが私は保証しない。な ぜというに彼の母国語というのが風の吹きまわしで時々日本請に聞える程度の日本諮だからであ る。ジャッキイとはいうものの|年齢《と し》は五十を過ぎ、日本の横浜から来たとあって、それがそのま ま何十年間通称になっているくらいの|与太公《ロウワア》なのだ。五セントで河を越すだけにしろともかく国 境線を出入するのだからわれわれ外国人は両岸の移民官によって旅券の有無を検査される。とこ ろがジャッキイには日本政府発行の旅券がない。あちこち探し歩いた末どこからか朝鮮人の旅券 を借りてきた。そして|俺《ミイ》は今日だけ|朴吉龍《ボクキリョン》て名なんだぜ、いいかい、と幾度も念を押していた。  で、この失われたる魂|朴吉龍氏《ボクキリヨン》と、氏に従えば「若い|騾馬《ミユウル》のように|莫迦《ダム》な」私とは、潮のよう な群集に混って切符売場の前で順番のくるのを待っていたのである。押すな押すなの騒ぎだった。 「このリリァン夫人てのは|掘出《ハツトスタフ》しだぜ。騎手がラニガン小僧だからきっと勝つよ。これとテキ サス七世とで|三番《ミヨウ》の|組合《ハアレ》わせを|打《イ》つと|好《ロングン》い|目《ヤツト》が出るかもしれない。」  |番組《フオウム》を繰りながらジャッキイが私にさかんに「|薬味《ドウフ》」をくれていると、いかにも|竸馬《ステイブルフ》ごろら《ラィ》|し い二人の小意気な若紳士と一眼でそれ|者《ちちしや》と|身元《ナンハア》のわかる女が二、三人近づいてきた。|勝馬《ノユア》が一つ わかっているから五ドルで買わないかと言うのである。五ドルなら|当方《こつち》から一つ売ってやるよ、 とジャッキイが答えた。 「勝手にしやがれ、ジャップ|奴《め》!」  とさっそくそのうちの一人が予定どおり|喧嘩《けんか》の種をまきにかかった。みんなが私たちを見てい る。ジャッキイは笑いだした。 「君は今僕をジャッキイと呼んだね、僕の名前を知っているところをみると  。」 「てめえの名と悪魔の住所なんか俺が知るけえ。ジャッキじゃねえやい、ジャップと言ったん だ。」  すると急に思い出したようにジャッキイ横浜が|懐《なつか》しそうな大声をあげた。 「おおフランクじゃねえか!」と一|哩《マイル》四万へ聞えるように「十三号のラランク、おめえはまあー ーよくまた|娑婆《しやば》ヘーしかも上手に変装してー-が、いったいいつ|羅府《ロサンセルス》の|監獄《キヤン》を出たんだい?」 「|七丁目《セヴンス》、|七丁目《セヴンス》  」  |螺旋形《らせんがた》の階段を中途まで駈上った車掌が、鼻にかかった声でこう|呶鳴《どな》った。緑の小山のような 二階づきの市街自動車が滑るようにきて、歩道に立っている私の前でとまったのである。|外套《がいとう》の |襟《えり》に|顎《あご》を埋めたタマス笠原が|平靴《スウツト ス》一つぶら下げて降りて来た。小溝にかかった車輪ががたん《 フフ》|と 大きくゆれて自動車は一つの任務をすましたように動いていった。  私とタマスはしばらく黙って店のほうへ歩いた。  商店街の電燈が不思議な明暗の|綾《あや》を|織《お》り出して、|透《す》きとおった夜の風が吹いていた。透明な中 を透明な空気が流れてきて顔にぶつかるのがちょっと無気味な感じだった。日本の風は黄色いが |嘛米《アメ》利|加《カ》の風には色がない。それを私は今夜新しく発見したような気がした。 「飯は食ったかね。」  私が言った。妙な|挨拶《あいさつ》だが|亜米利加《アメリカ》にいる日本人は人の顔さえ見ればこういうのがおきまりだ った。日本にいる日本人は、途上で知人に会ったりすると、ホく「おや、どちらへ?」なんかと いう。あれはどうもよくない。おおいに|間誤《まご》つくことがある。といったところで、|訊《き》くほうでも 別にどこへゆくかその目的地を知ろうと思って訊くんではなかろうし、またこっちでもあながち. 訊かれて困るところを指して行進しつつあるわけでもないが、要するに|咄嗟《とつさ》の場合「おや、どち らへ?」には不愉快になることが多い。おおきにお世話だ、と言いたくなる。 「おや、どちらへ?,」 「え、ちょっと、そこまで」  泄の中はこれ以上不必要にして無意味な挨拶があるだろうか。「そこまで」という説明ですっ かり満足して「ああそうですか」と安心している、一自分に関係のないことは訊かないがいい。が、 なんらかの理由で訊き出したが最後、相手がまずどこへ行って、それからどこへ立廻るつもりで いるかすっかり|糺明《きゆうめい》すべきだ。 ≦冨乕實。】20口○一轟〜とかなんとかにやにやして|言《フ フち》った一日 本人学生は、|毛唐《けとう》に20希耳き日ぴ臺ぎ婁一と一|喝《かつ》された。いくら一喝されてもなんのために 一喝されたんだかわからないというからこれじゃさっぱり」喝の用をなさない。そこへゆくと、 「飯は食ったかね。」  はほるかに実際的でめりけんらしい面白味がある。いはんや、もしまだ食べないと言へば|幾何《そこぱく》 を投げうって一|餐《さん》を供するだけの責任を用意してのうえなるにおいておや。実際、|俺《さこギ》たちは朝だ ろうが午後だろうが夜夜中だろうが、日本人同士ならやたらに、飯は食ったかねと|訊《キフ》き合ったも のだ。放浪者の群には、またそれだけでたらめにして勺氤ぎな仁義がある。  で、私はこの習慣に従って、 「飯は食ったかね。」  と訊いてみた。が、タマスは返事をしないで二、三歩歩いた。黙っているから飯は済ましたん だろう、こう思って私も黙って並んで歩いた一  そのころ私はモンロウ街のある日本美術商店に勤めていたが、年の暮れでだんだん忙しくなる ので、|主人《ボアセ》と私と二人では客に応接しかねるようになってきたから、|主人《ボフヰ》の言いつけで私の友人      ク亨ケ              裏おう           諧 をもう一人売子に雇い入れることになった。ところが、市中の日本人は今頃はもう年越しの仕 |事《プ》がすっかり|定《きま》っていてあぶれで、いるやつはもちろん、|年《フフ》内に動きそうな艘もちょっと見当らな かった。そこで私が智恵を絞ったあげく、近所の|田舎《いなか》の金持の家へ自動車運転手に雇われていた タマス笠原を破格な給料でひっこ抜くことにしたのだった。はじめ交渉した時、笠原はなぜか愚 |図愚図《ずぐず》していたが、#、のうちに柄にもないことを言ってよこした。女ができてちょっと出てこら れないというのである。断っておくがタマス笠原は四十近い常々たる分別盛りだっ今さら女でも なかろうにと思うと、私は滑稽なうちにもいささか哀愁を感じた。しかし二、一亅一度手紙の往復を 重ねているうちに、こっちの窮状も察したものと見えて、女を|伴《つ》れて出てくる旨返事があった。  それで今日、夜店を|閉《しま》うすこし前に、私は停車場からすぐ店へ来るタマスを迎えに大通りへ出 て立っていたわけである。|先刻《さつき》市へ着いてここまで市街自動車で来たタマスは、こうやって私と 一緒に抑し黙って歩道を|徙歩《ひろ》っている。それが一人なのでちょっと私の気にかかった。 「ど}つしたい|君《ユウガ》の|女《ァん》ってのは?」  私が|訊《キフ》いた。笠原は苦しそうに深呼吸をして、 「何か|金儲《かねもう》けの口はないかなあ。」 「まあ- だからさ、当座は店へきて働きたまえ。そのうちになんとかなるよ。」 鎬つ|稼業《しようばい》を始めようと思うんだ。」 「あるのかい、金は。」 「ないさ。」 「じゃ、話にもなんにもならないじゃないか。」 「うん、、俺にゃあないがやつにあるんだ。」 「やつってその女かい。」 「イエエス。」 「で、女の金で|稼業《しようぱい》をはじめてどうしようてんだ? いや、まずその女ってのは何なんだい。 ど二にいる? いっしょに来るって言うから旅費も二人分送ったはずだが、こないじゃないか。 |俺《ミイ》のほうじゃ猫の予でもいいから手が欲しいところなんだから、もしよかったらその|女《ひと》にも来て 働いてもらおうじゃないか?」 「え、それがさ、|俺《もこイ》もせっかくこうやって来たんだから、君んとこに厄介になりてえと思うんだ けど、なにしろ|女《やつ》が  。」 「|女《やつ》がって、今どこにいるんだい。」 「一緒に来てね、停車場からホテルヘ行ったよ。」 「で、君ひとり|鞄《かばん》を下げてきたってわけかい。鞄なんかホテルヘ持って行ってもらったらいいじ ゃないか。」 「うん。けど、俺も考えてることがあるんだ」 「その人のことかい?」 「  いっそもう会うまいかとも思うんだけど。」 「なんだ、|喧嘩《けんか》でもしたのか、はゝ\\よせよ。」 「いや、そうじゃないんだ。|君《ユウ》は知らないんだよ。」 「そりゃあ知らないさ。く2ま口.=亀ヨ戸8≦ぎ=の一=ご==一50気」 「おおらい、ジョウジ、実はね、|女《やつ》は俺といっしょになにか|金儲《かねもう》けをやろうと言うんだ。ところ が、俺としちゃあ今さら|女袴《スカアマ》のおかげで食ってゆくという気にもなれねえし、そこへもってきて |君《ユウ》の|店《ストア》から|申込《オフア》があったからそれを機会にして女と別れて新規に働きてえとも思うんだが、なに ぶん女のやつが離さねえんだ。」 「おやおや! →亀ヨのヨ○篶焦冖訌尸岩仁()=号臍008ご 「そりゃあ女といっしょになって仕事をすりゃあ金にはなる。」 「じゃあ、そうしたらいいじゃないか。莫迦にするねえ鎬 「まあそう怒るな。ところが俺にゃあできねえわけがある。」 「いったいその女ってのはなんなんだ?」 「それは|訊《キフ》いてくれるな。」 「いやにもったいつけるぜ、おい鎬 「いわ\そういうわけじゃないが、訊かれると困るんだ。」 「そろか、じゃ訊くまい。が、|君《ユウ》はこれからどうするつもりなんだ。店へ来て働いてくれるんじ ゃないのか。」 「それをさ、それを今俺は考えてるんだ。」 「考ズてるって、|君《ユウ》はもうここまで来たんじゃないか。ほら、店はあそこだよ。ね、来いよ。|主《オ》 人も待ってるんだ。第一君が出てきた旅費やなんかは一さいこっちで出してるんだぜ。」  笠原は立ちどまった。そしてしばらくして、 「それはわかってる。よくわかってる。」 「わかってたら乂句はないじゃないか.こんなことは言いたかないが、その点では君も幾分の束 縛を感じてもいいはずだと俺は思うな。」 「汽巾賃のことはこういうわけなんだ。」片足の|瓜先《つまさきき》と|踵《びす》とで|愛蘭《アイ ノノ》ジグスのように歩道に調子を とりながらタマスが言う。 「女に出してもらいたくないと思ったからなるほど旅費も送ってもらった。また二人ともその金 でやって来たことも事実なんだが、もし俺が|君《ユウ》んとこの仕事を|足蹴《キンハ》すれば、出してもらっただけ の金だけはもちろんちゃんと返すよ。」 「金のことを言ってるんじゃないんだ。ただそのつもりで来たもんだから  」 「そのつもりって言うけれど、俺はどうしようかしらと思案しながら出てきたんだ、」 「そんなことを言わずに口臺ま乏1ーー」                              「 「しかし」 「女といっしょにやる|儲《も つ》け口ってなあどんな話なんだい?」 「それがさ、ちょっと話せないんだよこ」 「|君《コウ》は|田舎《いなか》で働いてたんだろ?」 「うん。」 「その金はどうしたんだ。給料はどうしたい。」 「みんな|費《つか》っちまった。女とい、っしょに遊び歩いて。いや、面目しだいもないよ。」 「まあ、そんなことはどうでもいいや、|君《ユウ》は|加奈陀《カナク》にだってこの国にだって占いんだ。もうそろ そろ日本へ帰ろうと思ったら、ここらで」つ締ったらどうだい。穴己の俺がこんなことを言うの も変なものだが、|君《ユウ》のことは|市《ンテノ 》じゅうのジャップがみんな心配してるぜ。」 「そうかい。」  タマス笠原は黙り込んでしまった。|更《ふ》けてゆく街には電燈の光りだけが|冴《さ》え返っイー、、冷い風が 吹いて通った。|行人《こうじん》の影もまばらに、白い服を着た街路掃除人が車を押して車道の端を過ぎてい った。二人の日本人はまだ無言のうちに歩きだして、店のすこし手前まで来た。そこに|四角《コワナア》があ って、電車を待っている人が立っていた。 「|伊太利《アイテ  アン》シンデレラの射殺事件! 公判記事だ、公判記事だ。被告が法廷で|卒倒《そつとう》したあっ! 出 たばかりの|日《  エいイ》々|最終版《 フアイナル》!」  こんなことを|喚《わめ》きながら、町角で新聞売子が声を|嗄《か》らしていた。笠原と私とがその前を通りか かった時、急に鈴を鳴らした。その音があまりけたたましかったので、笠原は少しむっとした。 そして首を曲げて売子を|白眼《にら》んだ。十二、三の|悪童《こども》だったが、おやというような|顔《フフ》をしてたちま ち、 「ジャップ!」  と口をとがらした。それもなかば逃げだしそうに片足引いてである。|蒼白《あおじろ》い|頬《ほほ》のあたりをぴ《フフ》|く ぴくさせながら、|笠《フフ》原は足早に近づいていった。子供はそこの店の|硝子《キさうス》窓のきわまで追いつめら れて、もう逃げ場がないものだから、新聞を|抱《かか》えたまま今にも泣きだしそうな顔を振り向けた。 「だって  だって  |日本人《ジヤツプ》だもの。ねえ|小父《おじ》さん、小父さんは日本の紳士だろう?」  笠原は黙って子供の手から新聞を一枚抜き取った。子供は不思議そうな眼をしばたたいた。 「|五《ハ》セント?」|笠《 ん》原が|訊《き》いた。 「ええ。ありがとう  小父さん、有難う。」  助かったように子供はにこにこした。その汚い小さな|掌《て》へ二十五セントの銀貨を一つ握らせる と、笠原はまた背中を丸くして歩きだした。子供が追っかけてきた。|半洋袴《ニノカアス》をはいて|鳥打《ゑニャソフ》をかぶ って、愛くるしい|児《こ》だった。 「|小父《おじ》さん、お釣り。」 「要らないよ。取っておおき。」,  子供は眼を|円《まる》くした。鳩のような感じの、可愛い顔に、信じられないといったような感謝のひ らめきがちらと動いた。それが笠原の感情を|煽《あお》ったものとみえる。笠原はちょっと狂的に子供の 腕を腕んだ。 「こら。《セア》|」 「痛いよ、|小父《おじ》さん。」 「おまえ、お金が欲しいか。」 「え?」 「おまえはお金がほしいかというんだ。」 「お金? そりゃあ小父さん、ほしいとも!」 「何にする?」 「何にするって、お金があれば何でもできらあ。」 「そろか。お金があれば何でもできるか。」笠原は子供の|腕《て》を離してはじめて私の顔を振り返っ た。「ねえジョウジ、聞いたろう。金があれば何でもできるそうだ。何でも! 9¢晏ま轟『 「何菁ってるんだ。|君《コウ》は今夜すこし(〕舅ぎ0だよ。そんなこと、子供に訊かなくったってわか りきってるじゃないか。し 「|君《ユウ》もそう思うか。」 「当りまえじゃないか。」  子供はすこし離れたところに立って、わからないくせに驚いて二人の会話に耳を立てている。 「何でも! 何でもできる!」タマス笠原はまた叫ぶように云った、。「ジョウジ、日本へも帰れ るぜ。- 「うん、金さえありゃあ、そりゃあ帰ろうと思えば帰れるだろう。」 「おい、俺は日本へ帰る!」 「え! 「日本へ帰りたくなった。金を作って、俺は日本へ帰るよ。」 「08三じゃ店へ来て働いてくれるな。」 「 0戸且、|女《やつ》といっしょに稼業を始める。」 笠原はすたすた歩きだした。私はあわてる、 「お、おい、待てよ。」 「また会うよ。」 「けど、しかしーー。」 「金はいずれそのうち、返す。」  そして何か言ったようだったが、おしまいのほうは見えない風に消されて聞えなかった。  あんなに左右に迷って考えていた笠原がとうとう店の仕事を振り切って行ってしまった。こう              おか       7ソ"力 思うと、私は腹が立つより先に可笑しかった。亜米利加にいる日本人の若々しさ、その気まぐれ が私をほほえまさずにはおかなかった。笠原はもちろん、一面識もないその女にも私は好意が持 てそうな気がした。なんだか知らないがその新しい|儲《も つ》け話の上にも祝福を祈ってやりたかった。 が「日本へ帰る」といって去ったタマス笠原のうしろ姿には、そこになんとなく暗い|淋《さび》しい影が あるようで、一瞬間、日本とこことの距離が私を心細くした。日本へ帰る? これはよくよくの ことだ。メリケンジャップがこう言い出すのは、それは彼の気弱さを表わすものだ。ほんとに帰 るのは、自殺することだーこういう考えが、ジャックやフランクやウィリアムやタマスやジョ ゥジ  と言っても有色のー頭を支配していた。  犬が私の靴を嗅いで行った。食物と間違えたらしい。私は店のほうへ歩きだす。  うしろの大通りで|先刻《さつき》の新聞売子の声がほがらかに散らばっていた。それが建物の鋭角にぶつ かっておしまいのほうは風に乗って遠くへ運ばれた。「お金が欲しい、日本へ帰りたい。」|他人事《ひとごど》 ではないと私は思った。  霜のにほひのはちきれそうな|夜《フフ》だった。近処の|舞踏《クンス》場から聞えてくる「も一度あたしに|接吻《キス》し てち士うだい、こうして眼をつぶってますから」の|大喇帆《サタソフナ ン》が、ますます無責任に私を憂鬱にした。  さて、いささか気取って書いてきたが、ここらで自分に言い聞かせよう。    ○篶≦ゴ○一庁2ご    一岸$¢一訌乏身くーカ    0り0}08冖009ヨ聾ぴ9    ご000岩冖○≦5≦身一          〇彗一ヨ碧ぎ〜ーー  とこれで半年ほど経ったことにする。飛び過ぎると思う人もあるかもしれないが、ほんとに経 ったんだから仕方がない。この英詩1ー円×-呂=$箒ヨの  に免じて、ここはどうしても半年 過ぎたことにしてもらわないと話が困る。で、無理にも半年経った。ざまあみやがれ。  店の仕事はとうの昔に消え失せて、私は毎日ウッドランド街のライアン夫人の下宿の寝台に寝 そべって夏の仕事口のことを考えてちょっと|焦《あせ》ったり、|階下《した》で鳴る蓄音機に合わせて口笛を吹い たり、朝から晩まで新聞を読んでみたり、そうかと思うと大学生みたいに散歩ばかりしていた。  もちろんタマス笠原のことなんかけろりと忘れ|果《ま》てていた。-  すると或る日-ーこのある日という日がなければ人生はなんと退屈だろうことよ。物語りや大 事件は必ず「或る日」に起こる。この或る日もそうだった。  |加奈陀《カナク》の材木会社へ書記に雇われて遊び半分に行っていた|亜米利加《アメリカ》人の友達が三年ぶりで帰っ てきたのだ。すぐに私の所へ電話をかけてよこしたから、私はホテルに彼を訪問した。久しぶり の|挨拶《あいさつ》やらその後のお互いの話やらが一段ついた時、彼は、 「ジョウジ君。|可笑《おか》しな話があるんだよ。なに、べつに大したことでもないが、移民という階級 に属する日本人を観察するうえに実に一道の光りを投げるようなユーモラスな静かな挿話なんだ。 僕はこれで日本人らしい日本人がわかったような気がした。会社にいる日本人から聞いたんだが ね、昔のことだそうだ。」  こう言って微笑を含んで私を見つめた。 「へえい、なんだか面白そうな話だな。日本人をわかっていてくれるはずの君がそう言うんだか らよほど変った|題材《 セイム》なんだろう。」 「いや、|題材《セイム》じゃない。|場面《シイン》なんだ。」 「なんでもいい聞かしてくれたまえ。」 「案外君ら日本人にはつまらないかもしれないが、日本人を研究しようとするわれわれはどうし ても看過することのできない、味のある場面なんだ。」  彼はぽつぼつ話し出した。  欧州大戦が始まったころ、|加奈陀《カナダ》でも義勇兵を募集する必要上から急に日本人にも市民権を賦 与することになった。市民権を許すには第一と第二の市公民書を手交して本人に宣誓させなけれ ばならない。その通達が彼の会社にも届いたので、日本人の|伐木者《ランハア ジャック》を多勢使っているその会社 では、さっそくに各地の山奥に散在している小屋へ急使の馬を|走《は》せて日本人の出府を命じた。旧 大陸の風雲急、|加奈陀《カナク》山中の動揺、それはすこしは劇的な空気だったらしい。  で、町の役所でその宣誓の式が行なわれた。ながい間町へ出たことのない日本人の老若|樵夫《きこり》た ちが、おそらく故国を出る時着ていたであろうと思われる思い思いの服装で、|揉手《もみで》をして小腰を |屈《かが》めて居ならんだ。|卓子《テユフル》をへだてて市長や役人や弁護十や証人が厳然と控えている。一人一人そ の前へ呼び出されて宣誓するのだ。最初に指命されたのが|組長《フオアマン》のタマス笠原だった。大きな頑 丈な身体を黒い両前の背広で包んで、その下から青と白の素晴らしい原色の|襯衣《シヤツ》が満場の人の眼 を射抜いていた。高いカラの底で|猪首《いくぴ》を動かしてみながら、彼は自信に満ちた態度で進み出て|卓 子《テ プル》のまえに立った。あとの|樵夫《キフこり》達は自分の番にまわってきた時の用意のために、眼をみはってタ マス笠原の一挙一動を注視していた。  市長の手によって一冊の大型な聖書がタマスの鼻さきへ突出された。無言である。タマスは 「?」のつもりで市長の顔を見上げた。日本人の通訳がついていた。 「おいその本に|接吻《せつぶん》するんだ。」  通訳が言った。タマスは通訳を|白眼《にら》みつけた。山では有名なにらみである《フフち》|。 「せっぷん? せっぷんたあなんでえ。」  通訳はあわてた。 「キスだ、キスだ、キスするんだ。」  市長はじめ今度は白人連がへんな顔をした。 「キス?」  タマスが|訊《キフ》き返した。通訳は眉をひそめた。 「その本に吸いつくんだ!」 「吸いつく? 俺がか。」 「儀式だからやれよ。」  接吻の型をしさえすればいいことを通訳はつけ加えるのを忘れていた。タマスはちょっと情な さそうに眼をしょぼつかせて市長を見た。市長は威厳そのもののようにタマスを見返した。タマ スはためらった。が、逃れられないと襯念すると、思い切ったように|身体《からだ》に力を入れた。それか ら、|背《うし》ろの|乾児《こぶん》たちを振り返った。 「野郎ども笑うと承知しねえぞ。」  松の枝のようなタマスの手がむんずと聖書を掴んだ。つぎの瞬間にはそれを高々と頭の上に押 し戴いていた「へっ。」と|呼吸《いき》を|潰《つぶ》して「  あん。」  そして、猛烈ないきおいで聖書の革表紙へかぶりついた。 「0。ヨ碧匡」とそれはそれは大変な音だった。一同は|樗然《がくぜん》とした。通訳が手を出して、ようよヶ のことでタマスと聖書を引き離した。表紙に大きく口のあとが|濡《ぬ》れて光っていた。役人たちが《フ》|く すくす|笑《フフフ》った。タマスも得意気ににっこりした。|人《フフフフ》々の顔を見まわしながら、タマスは口の隅か ら言った。 「なんだ、|毛唐《けとう》め、|莫迦《ばか》にするねえ。」   とこれだけのことなんですがね。と切って、その|亜米利加《アメリカ》人の友だちは面白そうに|仰向《あおむ》いて あははと笑った。私もあははと笑った。まったくあははだけの話で、それ以上の何ものでもない んだが、日本人らしいーというよりは日本の移民らしい無骨な|色合《ニユアンス》いを出している点で、こと に主人公があのタマス笠原だったので一段と私の興味をひいた。私はあははを引込めて、一大秘 密を打ちあけるように言ったものだ。 「そのタマス笠原ってのを僕は知ってるぜ。」  相手はここで|大袈裟《おおげさ》におどろいた。 「え、君知ってる? そうかい、あの男も立派になったな。」 「立派になった? あいつはもう|市《まち》にはいないはずだが1/去年の暮から会わないんだけれと。」 「そんなことはあるまい。僕は直接あの男は識らないけれど実は|加奈陀《カナダ》から、会社に古くからい る日本人と今日いっしょに|市《まち》に着いて|先刻《さつき》別れたばかりなんだ。その日本人は会社の用で|市俄古《シカゴ》 まで行くんでね、なんでもボウイスの募集だとか言っていたが、で、その先生と途中まで同伴で 来たんだが、さっき下町の大通りの角で別れの立話をしていたらとても素敵な自動車が通ってい った。なかには日本人らしい東洋人と若い|綺麗《きれい》な白人の女とが相乗りと|洒落《しや》れこんでたよ。」 「そ、それが笠原だっていうのかい。」 「うん。僕は知らないけど、つれの日本人がおやって驚いてね。あれは確かに笠原だというんだ。 カサハラと聞いて、さっきの話があるから、タマス笠原かって僕が訊き返したんだ、そうしたら どうもそうらしい、そうだ、あれは笠原だ、タマス笠原だってその日本人、しきりにひとりで首 を|捻《ひね》っていたぜ。」 「へえい! めかしてたかい?」 「ああ、自動車の窓からちらと|見《フフ》ただけだったけれど、黒ずくめなんかで|豪《えら》そうにおさまってい たようだったな。女はちょいと|桃《ビイチ》だったよ。」 「へえい! わからねえもんだな。やつ、|稼業《しようばい》を始めるとかなんとか言っていたが、ことによ ると|儲《もやつ》けたのかもしれない。で、その白動車はどこへ行ったい?」 「し街と 町の角にワァナァ・ビルディングてのがあるね。」 「あ呑とも。ワァナァならたいしたものだ。」 「あそこの前で|停《と》まって、二人とも|建物《ヒんデインク》へはいっていったよ。」  で私は、もう一度、へえい! と驚いて友人のホテルを辞し去ったわけだが、途中ふと思いつ いたことがあるので、大急ぎに下宿へ帰って新聞を開いてみると、あった。どうして今までこの 広告に気がつかなかったのだろう? いや、気がついてはいたが、むしろ気がつきすぎて気にと めなかった形なのだが、家庭面の下段にちょいと大きな広告が出ている。     「日本く  △(。     げんみはうてき         あなた  からだ     玄妙的マッサァジ。貴女の身体か     ら|余剰《よじよう》脂肪を|擦《す》り|脱《と》って|燕《つばめ》の如く     舞踏されよ。紳士諸氏、十年の|痼《こ》     |疾《しつ》を去って事業に邁進せよ。医師     に見放されたる人は|来《きた》れ。     医師を見放した人も|来《きた》れ。       日本政府証明         フレデリック・ヤマト博士         マアガレット・ヤマト夫人」  とかなんとか大変な見得を切っている 「これだっ!」と私が思った時は私が下宿をとび出した時だった。私が下宿をとび出した時は、 私が電車につかまった時だった。そうして電車を降りた時、私はワアナア・ビルの大玄関に立っ ていた。  午後の二時だから忙しそうに人が出入りしている。柱の前に立って|案内書《ダイしフトロイ》を見ていると、混 み合うから盛んに人がぶつかる。足を踏む、肩が当る、|肱《ひじ》が触れる。そのたんびに両方で、|御免《ベッフ 》 なさいというんだが、これがベパンとしか|聞《パアドンフフフ》えない。 「ベパン手・」 「ベパンー・」  なんのことはない、これじゃあ震災後のトタン屋根に野良猫が歩いているようで、いやに|凹《へこ》ん で|弾《はじ》く。ま、そんなことはどうでもいい。  目的のフレデリック・ヤマト博士の|診察室《オフイス》は三階の三」九号だとある。かなりいい部屋を取っ ている。  昇降機。三階。三一九号室。なるほど、    「一>勺》2目■》】≦]≦》    じ目.一『♂●ユポ<ロヨ卑○」  |摺硝子《すりガラス》に金で出ている。威圧を感じる。  もしこのヤマト博士がタマス笠原だとすればいままで知らずにいた私はおおいに|迂濶《うかつ》なわけだ が、笠原だって日本人仲町にはできるだけ秘密にしたかったろうし、それにこれほど広い町だか ら、あぶれて引っ込んででもいようものなら日本人に会うこともないから人の|噂《うわさ》なんかは一向耳 に入らない。したがって、知らずにいた私も無理もないということになる。  |懼《おそ》る懼る|扉《ドア》を開けた私は、一眼|内部《なか》を見てすっかり驚いてしまった。  善美をつくした控室に、十人ばかりの紳十淑女が端然として順番を待っている。雰囲気に「上 流」のにおいがして、|低声《こごえ》の会話が蜂の羽音のように流れていた。  私がこっそり後を締めたら、白衣の若い女がしとやかに近づいて来て|丁寧《ていねい》に一礼した。 「あの、ちょっと先生にお眼にかかりたいんですが  。」 「お名前は?」 「ジョゥジ・テネイ、日本人です。」  女は別室へはいって行く、診察者らしい。と、入りちがいにすぐ、一眼でわかるタマス笠原が 出てきた。白の|外衣《コウト》を着て白金の鼻眼鏡をかけていた。しばらくの間に短いヴァン・ダイク型の |顎《あご》ひげを生やしていた。気のせいか、どうやら|貫目《かんめ》がついてフレデリック・ヤマト博十になりき っていた。  とうとう発見されたといったような、心配そうな得意そうな顔つきで「博士」は職業的微笑と ともに私の前へ来た。 「どうしたい、|化《ば》けたな」と私。  日本語だから大丈夫、|誰《だれ》にもわかりっこない。 「おい、どうしてわかった?」とタマス。                 ● 「|天網恢《てんもうかいかい》々ってやつさ。|君《ユゥ》、またひどいことをやってるんじゃないかな。」 「は\ゝ\、こいつ当ったよ。人気だね。」 「そうらしいな。」 「|施術《しじゆつ》を兇せようか。」 「すさまじいことを言うぜ。どら、案内しろ。」  控室を横切りながら、タマスはわざと客に聞えるような大声で、おまえはどこで何年あんまを 修業したかの、証明書は持っているかのと、英語で言った。私を助手応募者にでも見立てて彼一 流の宣伝と広告をしているものらしかったが、私は腹も立たなかった。黙ってぴょこぴょこお|低 頭《フ フフフフじぎ》をしてついていってやったら、彼はあとから非常に感謝していた。が、もうこれからはそんな |服装《なり》でやってこられちゃ困るなんかとも言っていた。  診察室というのはせまい明るい部屋で、色んな形の大椅子が寝台を收りまいて|据《す》えてあり、帳 簿のぎっしり詰まった本棚やぴかぴか光る機械なんかも置かれてあった。なんの機械だと訊いた ら、なあに、ただああやって飾っておくんだ、|毛唐《けとう》はこれで安心するんだよ、とタマス笠原のヤ マト博士が答えた。  寝台には中年過ぎの男が上着を脱いで腹這になっていた。博十はすぐにく  〈にかかったが、 慣れて相当揉めるように見受けられた。その男は神経痛だとか言っていた。別室に浴槽もあって 患者は入浴自由だ、どうだ、完備したものだろう  博十は鼻を高くしていた。 「いや、|君《ユウ》にはかなわない。」私は降参した。「どこでそんなことを覚えたんだい?」 「習いなんかしないさ。でたらめをやってるんだ。がこのごろはすこしずつ要領がわかってきた よ。変わった物が好きだからね、ばかに|流行《はや》る。もっとも、これでもすこしは|利《き》くと見えてね。 なかなか評判がいいよ。こいつなんか。」と男の背中を指で押しながら「|定連《じようれん》だ。こいつは君、 市会議員だよ。」 「ずいぶん取るんだろうな。」 「金か、取るとも。うんと取る。往診なんか倍も三倍も吹っかける。高ければ高いほど、評判が いい。へんなものだ。」 「大丈夫かい?」 「お役所関係か。掴ませてもあるしね。実際|利《き》くんだから|差閊《さしつか》えないじゃないか。けど、医師会 がうるさい。」 「そうだろう。女の方は細君がやるのか。」 「うん、向う側の|部屋《へや》さ。やつは|真物《ほんもの》のマッサージ術師だ。やつの思いつきで始めて、|俺《こモイ》がその 看板になったわけだ。面白いほど|儲《もヰつ》かるよ。」 「いよいよ日本へ帰るか。」 「日本? そんな国があることさえ忘れていたねーーこんちくしょっ!」 と一つ叩いて男を立たせた彼博士は、私のほうへ|紙幣《さつ》の束を突き出して、 「これ、いつかの、そら、あの旅費だ。」 「え? 多すぎるよ、こりやあ。」 「まあいい、とっときたまえ。」 そして、思い出したようにこ, 「|君《ユゥ》、飯は食ったかね。」 」へ付け足したものだ。 「日本も変わったろうなあー|俺《みい》がこの国へ来たのは御慶事二年前だからなあ。」  空気をかえる煽風器の音。|流《シンク》しの上の壁に径二尺ぐらいの穴があいていて、重い鉄の羽が猛 烈な響きをたてて廻転している。秋の午後の|陽《ひ》が薄くぼやけて、その|穴《ちちち》から丸い|光線《ひかり》の筒をこの 台所へ落しているだけ、煽風器の存在は|戸外《そと》の見える邪魔にはならない。それほどの速力で廻っ ているのだ。  皿の音、肉の焼ける臭い、油の|焦《こ》げる煙り、鍋をほうり出す反響、注文を通す給仕人の声、|呶 鳴《どな》り返す料理人の|呪語《スウエア》、その合間あいまに遠く食堂のほうから、流行の「もしおまえは俺が|固煮《かたにえ》 の卵子だと知ったなら、おまえはきっとどこか|他《よそや》の|柔《わら》かい卵を探しはじめることであろうよ。お お、わが赤んぼよ。」  面白|可笑《おか》しくもない  ■とかなんとかいう|上海《シャンハイ》と|布畦《ハワイ》と|紐育《ニユきヨ ヶ》を一つ にして、それを|前髪《ハプ》で割ってらつぱずぼんとステコムで|掛《ヘル ハタム パンツ》けたような|狐駈足《フオツクス ツラツ》のジャズが聞え てくる、正面に一列の|瓦斯《ガス》ストーヴと|蒸釜《アヴン》、その前に|肉台《ミイト カウンダア》、右に|硝子洗場《クラス パンッリイ》、左に|野菜場《パンッリイ》、 白衣白帽の|大群《アアミイ》がこの料理店フィッツジェラルドの台所を右往左往に駈けまわっている。私もそ の一人だ。白状して地位を明白にしておくが、私は皿洗いの助手なのである。  皿洗いに助手ってのも大げさで変だが、皿洗いだって手で洗うんじゃなくて機械を使うんだか ら、一個の立派な|機関十《エンジニア》だ。だから葭彗兮ヨ彗亀・實0三`尓¢蕚甼筐たる私もその助手ぐらい のところまでには出世できるわけになる。皿洗いの機械というのはこの|亜米利加《アメリカ》でもさして古い ものではなくて、私がいるころ売り出されたものだ。じっさい、私がオハイオ州クリイヴレンド 市ユウクリッド街のエッシイス料理店で大学の夏季休暇を皿洗いに雇われて行ってる時、そこの |親方《ずズ》が大得意で一台|据《す》えつけたのが普遍化された最初のように|記憶《おぼ》えている。|親分《ボス》はその機械が だいぶ自慢だったとみえて、かわるがわる常客を台所へ引張ってきては、私と|愛蘭士人《アイリツシ》のマイキ が|把手《ハンドん》をとっているところを見せたものだった。一通り食べ残りを|俊《さら》い落した皿を鉄製の網へ納 めて熱湯の箱へ沈めると、電気仕掛けで強く上下動して皿を綺麗に洗うという仕組みだったよう だ。皿ばかりじゃなく、銀物類でも何でもこうして洗えたからおおいに助かった。それまでは流 しに湯を張ってその中へ石鹸と|曹達《ソコヶ》を溶かし込んで手でごしごしやったんだから、|皿《 フ フ》洗いをする たびに両手の爪が白くふやけておしまいには|擦《 フこす》り切れて気もちも悪いし気まりもよくないし、お おいに困ったものだったが、この機械ができてからは能率は何倍も上るし、第一仕事が楽になっ て週二十ドルの給料を貰うのが気の毒なくらいだった。  それでもこの機械は間もなく旧式に属してしまった。私もしばらく皿洗いの職に遠ざかったの ち、二、三年してから、インデアン州のエヴァンスヴィル市でその仕事に雇われて行ってみると、 この皿洗い機械がすっかり改良されて、皿を沈めるかわりに斜めに立てて箱へ入れると熱湯の方 で上下左右に激動して目的を達するように進歩していた。両方とも電力で人の手を要するところ といえば、皿の大落しと箱への仕込みと最後の積上げだけだった。もっとも改良された方は高架 線と同じ作用で自動的に動くようになっていた。こうして洗われた皿はただ上げてさえおけばお 湯が熱いから自然と乾いて拭いたりする世話も要らなかった。ちょっとでも手を惜しむ私なんか は、じつに天来の福音としてこの機械の発明ー1それほどの物でもなかろうが!ーを歓迎したの であった。  さて、この皿洗いの機械のまわりを、あっちへ行ったりこっちへ走ったりして働いているよう に見せかけているのは、|市俄古《シカゴ》からこの|田舎《いなか》へ来たばかりの私で、さっき、「日本もよっぽど変 わったろうなあ  |俺《ちず》がこの国へ来たのは|御慶事《ごけいじ》二年前だったからなあ。」  と言ったのは、このフィッツジェラルド|料理店《レストラン》の|料理長《ンエフ》で、フレスノ・ジョウという日本人の お爺さんである。私に言ったものだろうが、私は黙って笑っていた。御慶事の前後をもって時代 を分けているようだが、その|御慶事《ごけいじ》というのが、いずれ明治時代の国家的お|目出度《めでた》の一つを指す ものであろうと思われるほか、私には皆目わからなかった.一したがって、御慶事二年前に渡米し たことが何年この国にいることを意味するかも私には一向判然しなかった。反問して明白にして おくだけのことでもないので、私はただにやにや笑ったのである。  どことなく日本人は水商売に向くところがあるとみえて、|亜米利加《アメロカ》にいる日本人の多くが料理 店に関係して働いている。日本人の|料理店《レストラン》もずいぶんある。ミカド、ミヤコ、ヤマト、フジ、ヨ コハマ、トウヨウ、トウキョウ、なんというサムライ商会式の料理店の看板はいたるところに見 受ける。なかには、パゴダだのパヴィリオンだのパレスだのと|彼方《むこう》まがいに気取ったのもあるが、 後者は多くは|支那料理屋《チヤプ スイ》だ。  さて、こういう店の戸を排する人の第一に眼につくのは、色の黒い、小柄な男が白い仕事着を 着て、黒い|瞳《め》をちろちろさせて、|上《フフフフ》だけ長い|頭髪《かみのけ》を耳の下から後頭部へかけて剃ったように短く 刈って、靴の|尖《ヘフキフ》と金歯ー恐ろしく黄色いやつーだけ光らせて、一本調子の英語で何か言いな がら、|平《ひら》べったい顔をなるべく動かさないようにして歩いているのを見て、|赤本《あかほん》とユ|社特作猛優 狂演《しやとくさくもうゆうきようえん》とで前からお|馴染《なじみ》の東洋;ー|阿片窟《あへんくつ》  ゲイシャー誘拐ー■ー藍禁-ー|緞子《どんす》  長い爪 ー土-ち煙る|香《こう》ー|短刀《タガア》、なんぞというものを勝手に思い出しで、冒険と神秘のにおいをぷう《フフフ》|ん と嗅ぐことであろう。  ところが当の日本人は、これらの名詞の一つにもなんらの関係なく、,みな猫のように従順で魚 のように自分の立場を心得ていて、善良な|亜米利加《アメロカ》市民の|真似《まね》をしようとつとめているにすぎな いのだ。それが、この、料琿店にごろごろしている日本人中の若いのは、夏から秋にかけてほと んど全部日本またはこの国の大学卒業生であり、大学院もしくは大学に在学中の者で、そのうち のある者は昨夜|晩《おそ》くまで解析幾何学の問題に悩まされ、またある者は宗教改革当時の|仏蘭西《フうンス》民衆 生活なんてことをこの瞬間すら考えており、そうかと思うと、他の一人はマルクスとエンリコ. フェリイを一つに|煮詰《につ》めようとして|鍋《なベ》をとり、人類愛を焼きなおすべく油を引いているのだとい うことがーーもしなんらかの方法でわからせることができたとしたらー1との不用意な、|可愛《かわい》い、 |浪漫的《ロオマンチツフ》な|亜米利加《アメリカ》の観察者はいかに驚くことであろうか。|料理人《いソび》や|給仕人《ウェイファ》にしてすでにこうな のだから、その上の社会的地位に立つ人々の学殖才能に至っては誠に測り知れないものがあろう、 日本人はわれわれの想像も許されない哲理と科学のなかで呼吸している、こう|買被《かいかぶ》ったかもしれ ない。じっさい、こんなふうに思っているいわゆる識者も少くないのだ。ハアスト系の論説を読 めばその辺の心もちはよくわかる。まあ、安く踏まれるよりあいい気もちだろう。ー  この家は日本人の経営ではない。名前の示すとおり|愛蘭土人《アィロッシ》の料理屋なのだが、|喧嘩《けんか》っ|早《ぱや》い点 で意気投合したものとみえて日本人青年が多勢働いていた。台所と食堂を合して五十人余からい る使用人のうち、その大半は日本人だった。  |西部《ウエスト》の山野を長年うろついたのち、|中西部《 ちさもドル ウエスト》から|東部《イィスト》へ流れ込んできた日本人の古手のなかに は、まだその|昔《かみ》の|長脇差《スポウテイ》の気慨があって、|御法度《ごはつと》の|博奕《ばくち》を渡世にして、|盆《ぼん》ーではない|卓子《テしル》だ ーの上の|物言《ものい》いには22と腕へ掛けて一歩も譲らねえ、なんかという|物凄《ものすご》い親分も、その|長《なが》の 道中の往復ー|桑港《フいスコ》から|紐育《ニユ ヨさヤ》へ、あるいは|紐育《ニユ ヨきび 》から|伝馬《デンヴア》へのーには、よく日本人の|溜《たま》りへ寄 って|草韃《わらじ》を脱ぐことが多かった。立寄るのは決まって日本人の沢山いる|料理店《しストラン》で、また来れば必 ず日に三食を出し、何日でも|逗留《とうりゆう》させ、世話人が立って|博奕《ぱくち》ができ、勝っても負けてもてら|銭《フフ》 を上げてやり、それで|足《た》らなければお帳面を廻すことにしていた。この帳面のことを奉願帳とい っていた。  旅の|衆《しゅう》ーだいぶ古風な言い草だがーのほかに、町には町に|届抜《いぬ》きの|遊人《あそびにん》がいて、この連 中も何年か前にはやはり渡り者の博奕打ちだったのが、つい  多くは女のことで、この土地に 根が生え、今では料理屋を開くとか|旅館《ホテル》を出すとか、もっとひどいのはもっとひどい家を経営す                             ごけ、じ     .〃エフ るとかしてそれぞれ日本人仲間での顔役になって納まっていた。御慶事二年前の老料理長も実は この一人であった。  |亜米利加《アメリカ》でこういう種類の日本人に会った私は、すくなからずびっくりしたものである。は《フ フフ》|じ めはただ、もの柔らかな苦労人のお|爺《じい》さんぐらいに思っていたものが、あとで聞いてそれと|知《フフ》り おおいに気味悪く恐縮する場合が多かったが、要するに、世話好きの、お人好しの、一流の道学 を固持している下世話の|昔者《むかしもの》にすぎないということは、ちょっと|交際《つきあ》えばすぐわかるのだった。 そして、これだけわかってしまえば、あとはどうとも|御《ぎよ》しやすかった。  当時、町にいた親分のなかでは、例のフレスノ・ジョウという六十ばかりの|老爺《おやじ》と|伯爵《カウント》デイト ーデイトは日本名なら伊達とか書くんだろうーとが一番幅を|利《キフ》かせていた。二人とも無職で、 賽ころ|二《フフ》つでかなり|鷹揚《おうよう》に暮らしていた。フレスノの方はお|婆《ぱあ》さんの、伯爵のほうは若い|仏蘭西《フランス》 人の白妻-ー白人の妻だからはくさいで|太《フフフフ》平洋の|彼岸《ひがん》でなくちゃ通用しない漢語だーを|伴《っ》れて いた。子供達を|高等学校《ハイ スクきル》へ通わせたりしていた。フレスノは徹底的に痛快に無学である時、私に、 「英語にも日本語がへえってますな。」  というから、 「へえい、そうですかね。」  と驚いて見せると、フレスノ、大得意で、 「こりあ|呆《あき》れた! 書生さんのくせに知らねえのかね。さてはあんたは、|贋物《にせもの》だな。」  といって大声に笑っていた。恐れ入って|伺《うかが》いを立ててみると、なんのことだ! 「セツニ、って言葉がありましょう、ありあ日本語かね? 英語かね?」  と相変らず笑っている。 「セツニ? |切《せつ》に  日本語でしょう。|切《せつ》に有難いとか切に願うとか  。」 「そうさ。日本語さ。が、英語にもある。」 「へえありますかね。」 「あるよ。いいか、もしだ、もし|毛唐《ハけとう》があんたの足を踏んで先方が|御《ヘツグ》めんなさいって|言《 パアトン》ったら、 おまえさんなんと|挨拶《あいさつ》なさる?」 「0臺巴口三って。」 「そうそう、そうだろ、セツニって言うだろ。見えねえな、そのセツニは日本語の切にじゃねえ か。言い方もこころも同じこった。だから、英語ん中にゃ日本語がへえってるって、|俺《おら》あ言うん だ。どうだ、学者だろう?」  フレスノは大よろこびで、事ごとに、何かにつけ、このセツニを振廻していた。 「あら、ぶつかって、御めんなさい。」 「セツニ!」 「あのほうの料理を早くしてください。」 「セツニ!」 「おいおい、この皿あもう出していいかい?」 「セツニ!」  といった具合だ。これで立派に通ってゆく。立派以上に通ってゆくから妙だ。いかなる場合に も|丁寧《ていねい》な言葉を使う|好《こうこ》々|爺《うや》として、セツニーー02巴口ぞ一つのおかげでフレスノは相当に尊敬 もされ愛されもしていた。  |伯爵《カウント》デイトのほうは肌が違って、これは繧0・夢8をだった。教育もわりにあるかして、若い ころ日本のじや という代議士と一しょに 州の大学へ行ってたこともあったそうで、いつも|火 慶《ブレス》の|利《き》いた2諧姜身を一着におよんで教授のように上品にかまえて、|英吉利《イギリス》の牧師さんのよう な口の利きかたをしていた。 「お|帰国《かえ》んなさい、日本へお帰んなさい。この国はですな、国のない者を作るですよ。」  私の顔を見るたびに、|伯爵《カウント》はこう|反《そ》り返ってこんなことを言いいいしていた。  流行の|山高帽《クアビイ》に|黄皮《キツト》の手袋、それにマロッコの杖を小脇にかい込んで|悠《ゆうゆう》々とはいってくるとこ ろが、まずどう見ても千両ものだ。背の高い、白髪の、五十余りの男だった。  ところで、なんとも言い知れない、人を圧する気が、この二人の|身体《からだ》のまわりに立迷っていた のだ。人を人とも思わないといったふうな、命も何も一切不用だといったような、一種悲壮な痛 烈な不敵さが打ってくるのだった。音に聞く長脇差の大親分とか|貸元《かしもと》とかという者は、こんなの に輪をかけたのだろう、と私は今でも思っている。|正邪当非《せいじやとうひ》はしばらくおき、人間にはこれくら いの|面魂《つらだましい》はあってもいいだろう。ことにこのごろ、日本の国土内に|賻《うずく》まっている日本の青年は、 てっとり早く職業教育でも受けて、そこらの銀行会社の椅子の一つでも掴んでーー掴んだが最後、 あらゆる屈辱を犠牲にしても離しっこないー|小綺麗《こぎれい》な細君でも貰って小さく|安穏《あんのん》に暮してゆこ うってなことしか考えていないようにみえるほど、それほど|小利口《こ りにマつ》で無事で、悪く言えば意気地 がなくて弱虫だから、これくらいの|無茶《タフ》さとその気取りはちょっぴりならかえって|薬《フフフフフ》になるだろ うと思う。まったく、現代の日本青年ほどの気力のない日本青年は、いまだかつて日本のどの時 代にも見られなかった。|博奕《ぱくち》打ちを|賞《ほ》めてその真似をしろ、とでもいってるようにとられちゃ迷 惑する。私のいうのはその|胆《きも》っ玉のことだ。その豪快さのことだ。その情味のことだ。その狹気 のことだ。その心意気のことだ。その向う気のことだ。日本青年よ、三|思《し》一|番《ばん》してもっと強くな れ! 君らの先祖のようにいや、先祖以上に、もっともっと強く大きくなれ! 近代思想や文化 生活は、君らをほんとの意味で強くこそすれ、今のように弱くはしないはずである。  さて、あんまり威張ると損をするからよす。よして話にかかる。でー。  で、そのフィッツジェラルドの台所なんだが、皿の音、肉の焼けるにおい、油の|焦《さフ》げる煙り、 |鍋《なベ》をほおり出す反響、注文を通す給仕人の声、どなり返す料理人の|呪語《スウエア》ー 亡 、 亡 、 まるで戦場のようなさわぎ。  その騒ぎを避難して、私と、もう一人の皿洗い助手ハアレイ・カトウとは、いつもの  わき の廊下に隠れて一三与00三汀儼房8鼻&の煙りを、できるだけ|長閑《のどか》に吹いている。「ねえ君。」 ハアレイがいう。優しい声である。「|僕《ぽか》あ明日あたり|紐育《ニユサヨさク》へ|発《た》とうかと思う。」 「く口乞仆訌一"。。什冨げ毫冖佚=貰臺ご 「98一三轟ー二畠一ー」 「宣羣ミ9三鼻}ブ一。。奪吉姜=§、三姜二ご 「《2。碧、什」。詈。。のー口ぎ.冖00○言口三=冨ら毫二曁{○目才戸7○∞ー乕0儼巴5.諧」 「2の仆く0牙.∞一訌一一、ま三一黄・{2・寫諧げ0兮】ち=。。口=尸葭母諧ヨ】げ8こ  ずらずらと英語みたいな物で書いちまったが、つまり、ま、こういうわけで、このハアレイの やつ、明日|紐育《ニユコヨヨク》へ向けて旅に出ると宣言しているのだ。私の貸した金だけは|奪《と》ってあるから、 私は平気に|澄《す》ましていた。 「おうい、ジョウジ! ハアレ!|溜《たま》ったぞ、皿が。|大皿《プレイト》が一|枚《めえ》もねえぞ。ちえっ、どこへ行き やがった? 畜生め、出てきたら|殴《なぐ》っちまうー。」 |コツクフフち《メリケンコ》  声がする。二番料理人のちょろビルだ。ハアレイと私は、そっと忍び帰って、米利堅粉の袋の             まえ                               いじ 問から洗い場へ現われて、以前からそこにいたような顔をして忙しそうに皿を弄くりだす。正午。 戦い正に|闌《たけなわ》である。  ハアレイは一ヵ月ほど前からこのフィッツジェラルド料理店へ日本人を頼って身を寄せている 日本人学生である。加州のなんとか大学の法科とかにいるんだそうだが、二、三年学校を中止し  アメリカ                       シカゴ         ここ て亜米利加中を見学するために、大陸横断の無銭旅行に出て、市俄古を通ってようやく此町まで 来たんだそうな。無銭旅行というといかにも壮大な計画らしく響くが、実は、早く言えば →轟ヨ勺で、行く先々ではんぱな|仕《フ フ》事をさせていただいちゃあわずかなお|鳥目《ちようもく》を貰って安宿に泊 ったり|枯草《ヘイ》の中に眠ったりして歩くのである。|亜米利加《ァメリカ》の大学には、学校が公認のものである以            ユニツト                     ユニツト                                ユニツト 上、どの学校にも共通の単課てものがあって、この単課をいくつか取っている限りはー単課は その課目への出席時間数の満足、もしくは担任教授の認定または試験合格によって与えられる単 科修業証明みたようなものだが  その間が中絶しようが、他の大学へ転校しようが、|単課《ユニツト》は|単《ユニ》 課としてそれだけの数さえあれば、いつでも、どこでもそのままに口をきくのである。窓枠の大 きさから|扉《ドァ》の種類から|靴下留《くつしたどめ》の幅まで|凡《すベ》て全国共通の一|標準《スタンダアド》で画一的にゆこうとする便利万能 の|亜米利加《アメリカ》のことだ。学問がじゃが|薯《フフちいも》みたいに一つ二つと勘定されるのに別に不思議はあるまい。  だから、ハアレイはこの学校中断中の大学生なのである。大学生の無銭旅行者にしては、ちと 変なことには、時々大金を隠し持っていることだったが、彼はこれを説明して、|市俄古《シカゴ》でやって 来た家内労働が比較的金になったからと言っていたが、この説明は私を満足せしむるに足らなか った。,けれども追及する権利も責任もないことだから、私はそのままにしておいた。そうすると、 彼は語を継いで、ユタ州の|塩水湖《ソルト レキ》の鉄橋を渡ろうとして、客車と客車の間をつなぐ玉の上へ、地 上四、兀尺のところへ腰かけて、砂利と煙と熱と|速度《スピイド》と音とに吹きまくられながら薩摩守を極め 込んだ時には、われながら確かに生死を超越したとか、ロッキイは歩いて越して二、三度|山犬《カイヨテ》に 会わなくちゃ一八何年かの|開拓者《パイオニア》気分は味わわれないとか、武者修業めいた冒険談にお茶を濁し てしまうのが落ちだった。ハァレイはよく私の下宿へ遊びに来た。日本で少し法律をやったこと のある私は、法科生の彼を掴まえて、よく法学通論第一章にあるような議論を吹っかけたものだ が、相手にするに足らずと思ったものか、それとも|亜米利加《アメけカ》の法学通論は土台から違うのか、《フ》|に やにやするばかりで彼は一向深入りしなかった。法律書生という者の通癖を知っているので、彼 のこの通論嫌いは私にちょっと異様に映った一が、餠屋へ餅を押売りしようとしている自分の愚 に気がつくと、私もにやにやしてすぐ|鋒尖《フ フフほこさき》を引っこめたことだった。  ただ一度驚いたことがあった。|吉例《きちれい》によって意地の●心い料理人たちが寄って|集《たか》って、この新入 の|居候《いそモりろ り》をいじめたのだが、なにかの|折《フフ》り火のように憤慨した第二料理人のちょろビルが|肉《 フフ》切り の大庖丁を振りかざしてハアレイに食ってかかった時、ハアレイはダァヘムを器用に巻きながら 首を突き出して、 「斬れよ。」  と一言いって|哄笑《こうしよう》した。落着いてはいる。なるほど、見上げた度胸だろうがどうも学生らし     でんぽう        、 、                         あお                               けん くない。伝法な空気がちらと動いた。ほんとの学生なら蒼くなって逃げ出しただろう。ビルの剣 まく          もうれつ        ケチン                                     クレハア 幕はそれほど猛烈だったし台所の殺傷沙汰はあえて珍しくないんだから。大切刀で腕一本叩き切 られた例もあるし、煮えくり返る油を浴びせられて|悶絶《もんぜつ》した給仕人も私は知っている。フィッツ ジェラルドの地下室では夜な夜な|博奕《ばくち》が栄えた。  フレスノや伯爵閣下をはじめ町じゆうの日本人と白人  |亜米利加《アメリカ》にいる日本人は西洋人のこ とを一口に白人という1の|遊人《あそびにん》が集まって、それに旅の商売人が加わって、莫大な金額の《フ》|ば 、 、      はず                          いじ くちが夜通し弾むのである。世間の景気はよく、皿を弄くってても週二十ドルにはなるころのこ とだ。アラスカ帰りは西の山から、しゃこ|隊《フフフ》の脱船海員は東の海から、めいめい|懐中《ふところ》をふくらま してお客人に来る。網を張って鴨を待つのが町の親分たちの年中行事でもあり唯一の収入の|途《みち》で もあった。  |食卓《テ ブル》の古いのを四つ合わして、上へ毛布を拡げ|白布《シイッ》を張る、正面に親が|直《なお》る、貸借の帳付けが そばに控える。誰でもこいの|猶太人《ジユウ》の|賭場《とば》ではないから呼び人は立たない。こいつが立つと手に 短い棒を持って|賽《さい》の受渡しから場銭の|遣取《やりと》りまで手をつけずにこの棒の先で片をつけるのだ。そ して絶えずなにか言ってる。  なんてことを太い|嗄声《しやがれごえ》でのべつまくなしに|言《フちフ 》いつづけながら、|紙幣《さつ》を銀貨にかえてくれるの だ。この銀貨を自分の目へ積んで振手を|白眼《にら》む。ちょっと面白い|呼吸《いき》だが、ここにはその呼び人 はいない。だから静かだろうと思うと大間違いで、そのやかましいこと日本の場末の女湯以上だ。 勝ったやつ、負けた者、眼の色を変えて|喚《わめ》いている。|他人《ひと》のいうことを聞くんじゃなくて、めい めい大声を発しさえすればいいんだから、その騒々しいことお話にならない。もちろん、喧嘩口 論は|片時《へんじ》もやむ時がない。まず、あきれたものだ。  セブン・イレブン      さい、 、                             くわ  七.一一という賽ころ二つで勝負する遊びなのである。詳しいことは不幸にして知らないが、 こう|夢中《クレインイ》になるところをみると、病みつけば因果なものとみえる。いんちきもかなりにてが広、 くて、仕込み|賽《さい》もあれば手を|舐《な》めたり、指に糊をつけたり、|市俄古《シカゴ》ふうといって「切る」ときに                        げんみはう               、 、 細工をしたりその他いろいろあるらしいが、これも玄妙の域に達すると、こつ一つで百発百中 欲しい目が自由自在に出るそうな。が、こうなるまでにはもちろん幾浮沈を要するらしい。|十君 子《しくんし》のゆめ|近《フち》寄るべからざる傍系的人生ではある。  夜、しまう前に、残り物に、これも残り物の|瑚琲《コヨヒき》をつけて地下室へ持って行ってやるのが、主 人フィッツジェラルドから私的に頼まれた私一日の仕事の終りだった。持って行くと必ず一同歓 声をあげて勝っている奴は無造作に一枚の札を抜き取っては私に献上した。一ドルのことも、五 ドルのことも、時によると+ドルのこともあった。別に、フレスノから毎朝きまって心づけがあ った。人の物で毎日貰うんだからいささか気になったがくれるんだから納めといた。|不浄《ふじよう》の財だ からぱっぱと|使《フちち》ってやった。床屋や靴磨きへ五十セントも一ドルもチップを切って、そして|清《せいせい》々 していた。  けっして手出ししなかったハアレイが、あんまり|奨《すす》められるので、はじめてちょっと|悪戯《いたずら》に仲 間入りしたのはもう二週間も前のことだった。学生さんの彼はみごとにしてやられて、その時五 ドル取られてしまった。|懲《こ》りこりだといって、彼は当分頭を掻いていた。|爾来《じらい》なんと気をひかれ ても二度と地下室ヘは下りずにいた。いや下りずに一週間ほど経った。するとどう考えても|癪《しやく》だ からなんとかしてあの五ドルだけはとり返すといって二回目に|賽《さい》を手にした夜、ハアレイはとん だことになってしまった。百ドル余りの虎の子を、|可哀《かわい》そうに|全部《すつかり》取られて一文無しの素っ空か んになっちまったのである。気の毒だが、これでよすだろうから本人のためにはかえっていいと 思っていると、よすどころか、これがいわゆる病つきで、それからというものはハアレイは毎晩 地下室へ出張して、不器用極まる手付きで審を投げて、私から借りた金や持物を売った金やその |週《ウイさク》の給料などを|綺麗《きれい》に失くしては、はたの見る眼も隣れなほど日に日に|悄気《しよげ》返って行った。私 の忠告などは馬耳東風だった。勺○臼葭實邑  上曜日だから|給料日《ペニイ デイ》だった。貰った給料で私への借金を済ましたハァレイは、ほんとの無銭旅 行家になって明日|紐育《ニユきヨミク》へ向って出発するというのである。私は|可哀《かわい》そうでたまらなかった。な んとかしてやりたかった。  なんとかしてやりたいと私が一人で|焦《あせ》ってるうちに、戦争のような夕方のラッシュ・アワアも 終って夜になった。  土曜日だから一しお|賭場《とぱ》が大きい。新顔も四、五加わって、地下室には勝負の声があがってい る。今夜あたりが頂上のばくちだろう11また|徹《 フフ》夜だ。いつのまに帰ったものか、ハアレイ・力 トウの姿はそこらに見えない。地下室の降り口に立って、私は明朝の仕込みの|玉葱《たまねぎ》を|剥《む》きだした。 食物をおろすにはまだ早い9下からいろんな声がする。二、三十人は寄っているらしい。金高も 大変だろうーー。 「|梅鉢御紋《うめぱらごもん》のはっぱとござい!《フフフ》|」 コ0◎ヨ0}00。<8一=一牙一8{『0ヨ》8ヨヨ巴」 「よし来た、さんもん五三の桐ーーと。」フレスノの声だ。 「|九《きゆう》さんおいでよ、好かれちゃ降参か。」 「ちょこちょこ兄さんちょこきたねーそうら、見ろ、どうだ、どうだ。」  わあっという声。 「うむ。」 「お三はその時取りすがりー駄目だ。」 「うむ。」 「ホボケンとったらカマゲンさ。いやはや。」 「うむ。」 静かになる。 「ヨ葺菫」 「うむ。」 「こん畜生!」 「うむ。」 「こりゃどうだ? 七かつ!」 「うむ。」 しいんとしている。と、一時にがやがや言い出す。 「勝負は運ですよ。きたまえ  一|束《そく》だ。」 「うむ。」 「おや!」 「うむ。」 「|舐《な》めた!」 舐めるとは蒸す、倍にすることだ。 「うむ。」 「また舐めた!」 「うむ。」 伯爵の声がする。 「もう一つ!」 「うむ。」 「こりゃあ変だ  切るッ!」 「うむ。」 「こりゃあどうも  お|賽《さい》を拝見、、」 「うむ。」  あとは静寂。不気味なしじま。うむという|誰《フフ》かの声とともに|辷《すべ》る|審《さい》の音だけ。と、一時にわ《フフ》|っ と起こる激昂の声。それを抑えるように、 「うむ   一∞手2巴弓」  という聞き|記憶《おぼえ》のある調子。海底のような沈黙がつづく。  私は下りて行った。  と、 どうだ?  大きな|卓子《テ ブル》の一端にハアレイ・カトゥが|前屈《まえかが》みに立っていて、その前には一、五、十、二十、 百というドルの紙幣が、なんのことはない、山のよう。  ハァレイもいつものハァレイとは別 人だ。|蒼白《そうはく》な顔から|剃刀《かみそり》のような鋭さが放射している。  人々は眼を光らせて遠巻きに|凝視《みつ》めている。走りだす前の競馬馬か、とび掛ろうとする猛獣の ようだ! 無言である。 「もうないかね?」              テ!ブ几           かくし                 カラー  ハアレイがいう。言いながら卓上の札を取って、衣嚢という衣嚢はもちろん、洋襟からお腹ヘ 落しこむやら|洋袴《ズボン》の間へ押しこむやら、文字通り一ぱいにつめ込んで、にやにや|笑《フフフフ》って、後ずさ りに出口のほうヘ|退《しりぞ》いてゆく。  だ〃}いである。無言劇である。一同はぽかんとしていた。その中にハァレイは階段の下まで 来てちらと私を見向いた。 「ジョウジ、さよなら。」 「さよなら。」  なぜか、私はぴょこりと儼つお|叩頭《じぎ》をしてしまった。  膿匁のように、ハアレイは階段を駈け上りだした。はじめて気が付いたように、人々は上りロ ヘ殺倒した。伯爵が立ちふさがった。そして、上を向いて、 「おおい、名を教えてくれたまえ、名を。」  上から答えた。 「テキサス・ハアレイ。」  下はひっそり。そのなかでフレスノが、 「知ってる。|豪物《えらぶつ》だ。」  伯爵も、 「知ってますよ。テキサス・ハァレイなら不思議もない。」 「書生に|化《ぱ》けたりして|飴《あめ》食わせやがったな、さんざん。」  誰かが言った。 「資本を下ろしといて」度にあつめたんさ、はっはっは。」  一人が応ずる。 「てえした腕だ!」  みんないつまでもぽんやり立っていた。  その晩、素敵もない腋勢に改めたテキサス無宿ハアレイ●カトウが\鮃間号打きの劔郤ーー 勹皀ヨ彗とはいうが人力車じゃないーに納まって上等のハヴァナをくゆらしていたであろうと 想像することは、君、はたして事実に遠いでしょうか。 肖像画      |蒼穹 亜米利加《そうきゆうアメリカ》へ行って三日したら、 マイクが私のそばへ来て、 「ジョウジ、今日はいいところへつれてってやる。黙ってついてこい。」  という。で、|百姓《フアウマア》ジョウンズの満足せる牝牛のように、私はマイクにしたがって電車に乗っ たび  八月半ばすぎの猛烈に暑い日の午後だった。道幅ばかり|莫迹《ぱか》に広くて、薄汚い煙草屋や元酒場 や|猶太《ユダヤ》人の洋品店などの並んでいる裹町からハイド|公園《パアク》の縁にそうて電車は人を満載して走って いった。窓から見ると通行人のむれが軍隊のように電車と同じ方向へむかってぎっしり歩いてゆ く。 「誰かのお|葬式《とむらい》ですか。」  と|訊《キし》いたら、 「なあに、野球仕合さ。」  と答えて、マイクは自分が仕合するように威張ってみせた。  マイクは日本人だがこの町の|草分《くさわ》けで、市がまだこんなに大きくならないころからマイクだけ は酒場や玉場や|博奕場《ぱくちぱ》をさかんにうろうろしていた。だから|市《フちフフ》の|粋《スポウジ》な|御連中《ング クラス 》のなかでは相当の顔 利きで、監獄へさえ二、三度|往来《ゆきき》している。とんだやつに|掴《ヤち》まったものだが、|新米《クリイン》の私なんかに はただ親切ないい|老爺《おやじ》だった。非常な野球狂でジャッジ・ランデスを大統領よりも偉いと思って いるくらいだった。  野球場は素敵もなく大きなもので、人の頭のうえに|蒼空《あおぞら》が小さく開いて、そこから夏の風が吹 きこんでいた。下では、白い豆のような選手が動いたり走ったりして、そのたびに観覧席の帽子 の浪があっちへ|靡《なぴ》いたりこっちへ|揺《ゆ》れたりしていた。私とマイクはマイクの社交性のおかげで特 等席におさまって、|紐育《ニユ ヨ ク》軍のベンチのすぐうしろに二つの黄黒い顔を並べて見せることになっ た。私は|弾《パプ コ》け|黍《ゥン》を食べながら仕合の始まるのを待っていた。|紐育《ニユ ヨ ク》とデトロイトの会戦だった。 「ふるどうふや・ぶりかいすくりいむ・こすつ・だいむ・てんせんつあ。ぶりく  えねわん・ えるす?」  こういう声がする。声の主は老人だ。見ると四角い物を売っている。 一.0098ヨだ。アイス・ クリイムの立売りなんだが、これがどうもお経のようにしか聞えなかった。  あとから私じしん、オハイオの|田舎《いなか》町の活動写真館でこの呼売りをやる運命になったが「|古豆 腐屋《ふるどうふや》」は|費府《フイラデんフイヤ》で、ダイムは十セント、鼻ヘかけて一語一語押さえつけて唄うように|唄鳴《どな》ると ころにこのふるどふやの意気地がある。  その他いろんな音響がする。 「一88=勹8冨声008$・:」  というのはラムネ。 「0佇苞昂畠葺2帚。。 弩=口冴○コ0冨玉轟0。品口三」  は読んで字のごとし。 「おおい、小僧、煙草をくれ。 一きご00三冨だ!」 「000白」  これがぐるとしか聞えない。お客はどんな上からでも金をほうってやる。売子は上手にそれを 掴む。けっして落さない。野球場の小僧だけにこれがまた一つ御愛嬌だった。が、品物とおつり は|流石《さすが》に投げてはやらない。順々に客の手をかりて遠くの人へでも届けてもらうのだが、みんな 事務的に受取って次の人に渡して知らん顔している。嫌な顔も|五月蝿《うるさ》そうな様子もしない。品物 だってお釣りだって、途中間違いのあるようなことはけっしてない。これが日本だったら、なん だ人を道具にしやがって! だの、俺あこんな物知らねえよ、だの、や、俺にくれるのか、あり がてえ、だのと、それはそれは人変な騒ぎで、ことによると復興局以上に、いろんな物が消えた りお金がなくなったりすることであろう  かもしれない。  仕合が始まるすこし前だった。ユニフォウムを着た二人の大男が笑いながらやってきて隣のマ イクと固い握手をかわしている。野球世界かなんかで見たことのあるような顔だと思っていると、 かなり|相識《そうしき》の間柄とみえてマイクとさかんにぺらぺらやって|笑《フフフフ》って、またぺらぺらやって、また 笑った。なんだかわからないけれど|可笑《おか》しくなったから私も笑った。そうしたらはじめて私とい うものの存在に気がついたように、マイクが私を二人に紹介した。太った中年の方がデトロイト の主将中堅手タイ・カプでもう一人は全米第一の一塁手ブルウだった。両人の手がミットのよう に固くて厚かったことだけを、その時の握手によって私は今でもおぼえている。  |雷《らい》のような|喝采《かつさい》がとどろき渡った。 お紐〒 しさ苛 .車 マの イ入 ク場 がで 私あ のる 袖 を ひ。 い た 「あれ! あれがベイブ・ルウスだ!.」 美しきじ嶺0  流行というものはしようのないもので、つまらないものがそのつまらないが故に流行する。そ れが|亜米利加《アメリカ》はことにひどい。  一日でも二日でも三日でも踊れるだけ踊りつづける競技が|流行《はや》ったことがある。もちろん、食 事も踊りながら|摂《と》るのだ。二日で交倒したやつもあるし、一日で参った人もある。男女二人で踊 るんだからどっち七も降参したほうが引下る。そうすると、同じ新手の異性がとびだしていって 倒れるまで相手をつとめる。楽手なぞはしじゅう変わりつづけだ。下らないものが|流行《はや》ったもの だが、亜米利加人のすることだからこれもわなふるーー仆0巳臼三   なのであろう。  日本の徳川時代の一期と現今の|亜米利加《アメリカ》とは、その必要以上に亠孚楽的なところと、生活の方便 の一つなる00ロ8と生活の目的とを混ぜこぜにしている点でまことによく似ている。|絢爛《けんらん》と安 逸と|洒脱《しやだつ》と平俗とべらぼうなことの|好《ちフ フ》きなところも、社会相といい、個人の趣味といい、古今と 東西は異にしていてもその間二者相通ずるものがあると思う。  さて、この長時間ダンスがコレラのように|流行《はや》っていたころのある日のこと。場所は|市俄古《シカコ》の ホテル・モリトン、昼飯のラッシュの時だけ私は|臨時《エキストびフ》に出ていたのだが、仲間の給仕人のひと りがこっそりそばへやって来て、 「おい、あそこにいるヴァレンチノを見ろよ。」  という。見ると、なるほど|綺麗《きれい》な若紳十が二人の男と一人の女とともに食事している。ところ が、その当時、ヴァレンチノといえば「二枚目」の代名詞になっていたので、私はふんと鼻で笑 った。 「ありゃあ誰の|赤《ハノヒ》ん|坊《イ》だい?」  とかなんとかおおいに軽蔑してやった。すると、相棒はむきになって、 「ルドルフ・ヴァレンチノだよ。あれがルディ・ヴァレンチノだよ。」  と主張する。私ははっと|思《フフ》い出した。今朝の新聞でこの稀代の女殺しが|市俄古《シカゴ》に来ていること を読んだので。 「ほんとかい?」 「ほんとだとも!」  いかさまほんとに違いない。気がつくと、食堂中の人がそれとなくそっちを見ては何かこそこ そ言っている。 「どれ、一つ吾輩が検分してやろう、、」  私はこういって、そこに給仕人の特権、何か要事があるような顔をしながらその|中子《テヨフん》の前をな んべんとなく往復しで、横目で白眼んでやった、 「黙示録の四騎士」「血と砂」などの主役、植木職あがり  ないしはさがり  のこの0黄0   |伊太利《テイゴ》人  は、その浅黒い美しい顔を傾けてほどよくほほえみながら、シャアポットの杯 のふちを赤い|口唇《くちびる》で|舐《な》めていた。肉のしまったいい体格と、わざとらしい↑の|強《テイ》い発音とが、彼 を限りなく|異国的《エキソテツク》に|祝福《プレス》していた。広い食堂じゅうの女という女が、見ないでもその一挙手一投 足を感じているようだった。彼は猫のように退屈そうに|欠伸《あくぴ》して  と、ここまで書いて来たら、 新聞を見ている細君が、新聞を見ながらあっといった。なんだい? と|訊《フフき》くと、 「ヴァレンチノが死んだんですって!」  と驚いている。生きている時、多勢の|亜米利加《アメリカ》の|細君《フフ》をチャァムして|良人《フフ》を悲憤せしめたルデ ィ君は、死んでさえこうだ! 日本で僕の細君をさえあらっと叫ばしめている、悲しいかな、あ あ! 雪 の 日  雪が降っていたから降誕祭の前夜だった。買物か散歩かの帰り、私は|華盛頓散歩街《ウオシントン プゥんヴアド》をぶら《フフフ》|ぶ ら角のスタトラア・ホテルの前まで来ると、広場一帯たいへんな人だかりだ。それがみんな教会 の会衆のように|凝《じつ》としてホテルのバルコニイを見上げている。四、五人の人がバルコニイの上に 立っているのが、黒く小さく見えていた。 「何です?」  私はそばの人に訊いてみた。 「チャップリンですよ。チャァリイ・チャップリンです。」  と答えて、その人はまた耳をすました。私も耳をすました。チャップリンが演説している。 「で、私は  ありました、今回ーなりましたのは  ありますが故に  あります。」  といったぐあいで、遠くからよく聞えない。私は人を分けてどんどん前へ出た。  山高帽とひげと|洋袴《フフスボン》と杖を忘れてきた英国紳士のチャァルス・チャップリン氏が、小柄な身体 の上に|蒼《あお》い神経質らしい顔をのせて、|生真面目《きまじめ》な調子で群集に|挨拶《あいさつ》していた。ちょうど私が前へ 出た時チャップリン氏は、 「  あります。」  と軽くお|叩頭《じぎ》して、チャップリン卿のようにさっさと|部《フフち》屋へはいってしまった。同時に私の隣 にいた人が万年筆と帳面をしまって、ほっと息をついた。新聞記者であろう。 「チャレイ! チャアリイ!」  人々はわめく。がチャッブリンはもう出てこない。|摩天閣《スカイ スクレイハア》のうえに雪がふっている。       街上スケッチ  |紐育《ニユコヨ フ》。第五街。午後。  |新英州《ニユコィンァラント》あたりのいい家庭の「神を恐れ」ているらしい二人の若い娘が、流行を無視した地味 なつくりで美術店の|飾窓《ギ ミけ リえイてウ》をのぞいている、通りかかった私、ふと|気《ち》がつくと、こっち側にも 向う側にも、三々五々人が立って二人を遠巻きに眺めている。二人は姉妹らしい。  私も立ちどまった。活動の蛛楓鼠…膨か・それとも高貴の方のお繊卸かと思ったからである。通 行人のひとりが私にいう。 「なんです? 誰です?」 「知りません。」と私。 「ギッシュですよ。」と他の一人が口を入れた。 「ギッシュって?しときいたのは|老寄《としよ》りの浮浪人|体《てい》。三|叺以《コイミト》内へ近よると臭そうな|服装《なり》をして いる。 「ギッシュって君、リリァン・ギッシュとダラセイ・ギ旧ノシュさ。」  それでも、おやじは不思議そうに首を|捻《ひね》った、と、 「ええ! ギッシュ|姉妹《ノスタこマ》? あれが!」と大声がして、前の店から売子の若い女が二、三人《フ》|ば らばらととび出してきた。 「仆訌8麸ち=一訌一〜」  4-.のうちの一人が詰問するようにはじめの男を見すえる。  男はびっくりして、 「98ヨ孚○兮一易一匹ポ8≦巴一一一讐の簟」 「009'子09多$}孚同」  みんなは黙ってリリァンとダラセイを見詰めている。すこし離れて、そろそろと自動車がつい て行く。忠犬のような感じのする大男の運転手が、眼を光らせて二人を守護していた。 「→籏○ぴブ賃プ孛一」  こう叶き出すような声に、みんながちょっとふり返った時は、さっきの汚い|老爺《おやじ》が顔をしかめ て笑いながら、意味の不明瞭な呪いを口へ浮べてのっそりと歩きだすところだった。       |長袖《ちようしゆう》 「私は同じ|西部《ウェスト》育ちでも、ウィル・ロジャアスのように|洒落《ワイスごクレ》た|事《ツク》はいえない。それから政治むき のことも知らない。が、諸君よ、諸君は馬と|拳銃《ピマ トル》と、もう一つ-11と拳固をかためて、私のこの 訌己麸には絶対の信頼をおいてもいいと思います  。」  ウィリアム・$・ハァトはこういって笑った。スクリンではけっして見られない珍らしい笑い である。笑うとあの長い顔がすこし縮まって、白い歯が|脚下燈《フツト ライト》にちかちかする。が、その|黒《フちフフ》白 づくめの|燕尾服《えんびふく》よりもあの「眠れる谷」のジムや、二挺ピストルの2轟仆の、革と絹と|羅紗《らしや》と 色彩の西部のいでだちのほうがどんなにか|浪漫的《コスヰユウムロマンチツク》で親しみがあって君らしく思われたであろうこ とよ--・                         ーあいさつ  自演の映画のあとで御本人が常設館に顔を見せて」場の挨拶をすることが、一と頃、やたらに |流行《はや》ったことがあった。       |秋《しゆ》ー|色《しよく》 その時のある晩。   市の一富豪に雇われて、その私用遊覧船に|給仕《ステユカヨト》として乗り込み、|加奈陀《カナヶ》へ鹿射ちに出かけ たことがあった。  ジェファスン|大街《マヴエニユえ》のはずれにヤット|倶楽部《くらぶ》があって、市の金持連中の遊覧船はたいがいここ に本拠をおいている。遊覧船の|流行《はや》り出したのは大戦後、もうすこし正確にいうと禁酒になって からのことで、|加奈陀《カナク》やキュバあたりへ酒を|呑《の》みに出かけるか、さもなければ領酒外の海に船を うかべて、本国の法律を笑いながら思いきり無礼講の大酒宴を張るために、誰となく思いついて、 それとなく発達したものだと言う人はいう。そんなことはどうでもいい。  |青《ブハウ》サアジに金モウルの制服制帽、ちょっと海軍十官のようになった私は、白い手袋を片手に持 って迎えの自動車に揺られながら、このヤット倶楽部へ乗りこんだ。  受付けで|訊《キフ》くと私の船はすぐわかった。風体だけ堂々たる老玄関番が、指さして教えてくれる ところを見ると、一艘の|汽艇《ボウト》が桟橋に繋がれたまま浪に乗ってゆれている。白塗りの、速そうな 小型のやつだ。主人側と賓客がもう桟橋に集まってわいわいいっている。女の姿も二、ー三人見え る。こいつあ好くねえ、私はすぐ思った。  |女入《スカ トい》りだと|小《こ》うるせえぞ!  く曽らぶ  倶楽部の帳場へ行って名前を名乗ると、番頭がボウイを走らして主人を呼んでくれた。夫人同 伴で出てくる。 「やあ、立派になったな。思ったより似合うぞ。」と|煽《おだ》てておいて「こっちヘこい。客はもうそ ろってる。」  と先に立って歩きだした。黙ってついてゆくと使用人室へ寄って船長と機関手と水夫と料理番 を呼び出してそれぞれへ紹介した。私を入れて全部で五人の乗組員である。位からいうと私は四 人目で水夫の上なんだそうな。が、人の前に出るから新調の美服を着せられている。おかげで|豪《えら》 そうだ。素人眼には船長ぐらいに見えるかもしれない。  主人夫妻に従って専用の桟橋へまかり出る。紳士淑女が四人、暑中休暇前の女学生のようには しゃいでいる。|私《フフフフ》を見るといい年のお婆さんが|失敬《フフ》をした。日本のお婆さんならお寺|詣《まい》りに孫の 手を借りるところだ。こうも違うものか  なんかと私もちょっと余計な感慨にふけったりする。  客のなかの夫婦ものは|市俄古《シカゴ》の有名な罐詰業者とその娘で、あとの二人は男だった。一人は不 具に近い大男で、他の一人は世間馴れた中年の紳士だった。  船長はじめ乗組員が乗り込むと、生意気にも小さな汽笛を鳴らして|汽艇《ポウト》は動き出した。私は料 理番と打ち合わせをしたのち、彼の案内で船じゅうを見てまわった。あらゆる近代的な設備をほ どこした、それは素晴しいボウトだった。サルウンなぞは金に|糸目《いとめ》をかけない、実に善美をつく したものだった。  出るとすぐ茶にしろという。で、早すぎるが茶の支度をしていると、甲板ではダンスが始まっ てヴィクタァのジャズにつれてたいへんな騒ぎだ。私は料理番と二人で飲物を出したりしている と、客の大男がはいって来てそこの椅子にかけて色んなことを言い出した。 「この船は何ノット出るか」だの「|土人保護島《インテアン レやアザ》まで何時間かかるか」だのと、思いついたままの ことを思いついたままにきいている。見たことのあるような男だと思ってよく気をつけて見ると、 料理番はひどく恐縮しておずおずしている|様《 フフフ》子。そのうちにその人の|伴《つ》れらしいごま|塩《フフ》の紳十が 呼びにきてつれて行?てしまった。 「誰だい?」  私は|訊《キフ》いた。料理番はあきれている。 「だれだい、あの|大《ビツグ》きい|野獣《 ブルゥト》は?」  私は重ねてたずねた。すると、ようよう彼は答えた。 「あれかい、ありゃあ君、ジャッキ・デンプシイじゃないか。」  まったくその「大きな|獣《けだもの》」はデンプシイその人であった。つれの紳十は彼の秘書兼支配人ら しかった。  世界重量拳闘選手のデンプシイはモンタナのビュウト市でタムスンを破って当|時旭《あさひ》の上るよう な名声の絶頂に立っていた。主人のこの船遊びもデンプシイの|知己《ちき》なる罐詰業者をとおしてこの 大拳闘選手とねんごろになりたいという大野心のあらわれに過ぎないという。が、肝腎のデンプ シイはあまりこの行遊を享楽したとはいえない。なぜならば、彼は酒はもちろん、煙草も吸わず ダンスもせず、朝早く起きて体操みたいなことをして、他の時間はしじゅう甲板を往ったり来た りして歩きまわっているばかりだったから-ー。  デンプシイは必ず午後午睡をした。三時頃、支配人が注意して調べた牛乳とトーストを盆にの せて私が彼の部屋の戸をあけると、彼はむっくり起上って笑っていた。船室の寝台が窮屈でたま らないと言って、彼は床のうえにクッションを並べてりで、の上で眠っていた。そこを人に見られる のをいやがって、戸がひらくとすぐ彼は立上った。そ、うして私だと、 「君か」  といって鼻のない顔で笑うのが|例《つね》だった。  |秘密《ひみつ》にしていたので、どこに行って、も新聞記者も写真班も襲来しなかった。そのかわり|加奈陀《ヵナァ》 へ奥深くはいって行っても、彼は鹿をうちに上陸しようともしなかった。ただいつも黙って笑っ ているだけだった。みんなもいつしか鹿のことは忘れて、お酒のほうにだけ夢中になっていたっ デンプシイは小食で普通人とあまり違わなかった。  三日後、私たちは湖水の旅を終って 市へ帰り着いた。 「デンプシイはけっして負けないね、凵」 「そうとも。戦わない限り負けることもないさピ  こんな悪口のような冗談がいまさかんに|亜米利加《アズいへ》で彼に対しで、行なわれている。彼の強敵は黒                  レ、くめル  、一ユーヨーク  は 仕 斌 人のハアレ何・ウィルスだ。ウィルスは鷹名で紐育の波坤場の荷上人足をして身体のコンデシ ヨンを保っているという。この二人の対面、それこそ|見物《みもの》であろうーが、黒白人の仕合を許さ ない東部諸州のことだ、この法律がまだデンプシイに幸いして、今なお「世界第一」の栄冠をそ の頭にいただかしめているに|与《あずか》って力あるかもしれない。  葭笛ぴ詈帚よ 、=角・、。。一〇岩£       |向日葵《ひまわり》  ハムトラマックの小さなクラブ。|向日葵《ひまわり》が咲いている。デアボウンから自動車がつくと、自分 で運転して来た小さな|田舎《いなか》おやじが身軽にとびおりる。そして、玄関の階段に立っておじぎをし ている私を見もせずになかな走りこむ。ヘンリイ・フォウドは芝居気のない型だ。けっして疲れ ない个業家だ。眼が、|鳶《とぴ》いろの眼がそれを語っている。 れんぼ 恋慕やつれ アレキサンダアという男がいた。 大帝みたいな名だが日本人である。   州 市のはなしーー  職業からいえば、このアレキサンダアは詩人だったが、運命からいえば靴屋であった。靴屋と いってもほんとの靴屋ではない。|皿振人足《テイシユ スウインガア》の靴屋なのでー皿振りというのは給仕人のことだ が、この給仕人に一つの専門の靴屋がついていようとも思われないから、よくよく|訊《キフ》きただして みると、彼アレキサンダアは、名前の手前も恥かしくなく、じつは、単なる給仕人にすぎないと いうことになる。  給仕人だって税をおさめるくらいだから立派な衣食の途である。なんでもその道にはいれば相 当の苦労が要るものだそうで、同じ、人に飯を食わせるにしたところでぴんからきりまで八百ハ 通りある。五人かかって一人の人に給仕することもできれば、一人で五十人に食べさせることも できようというもの、このぴんときりとはそれぞれむずかしいようだが、|中《フちフフ》間はたいしたことも ないらしい。だから|亜米利加《アメリカ》にいる日本人は、一つ間違えばよくこの給仕人に|化《ぱ》ける。こういう ような飛入りの、駈出しの給仕人のことを、|玄人《くろうと》仲間では靴屋と呼ぶ。けだし、皮くさい靴職人 を|輪奥《りんかん》の美をきわめた大食堂へ追い込んで|絢爛《けんらん》たる|巨吊燈《シャンデリァ》の下で|顕士麗人《けんしれいじんき》の|饗餐《ようさん》に|饌鮟《せんき》せしめ るように、彼らはいかにもぶきでありへまであり。。一〇≦である。き8兮-まヨのであるからだ。 0078皀夢實ー|英吉利《イキリス》人に言わせればショウ・マイカアーとは実に下手な給仕人のこと。わが 親愛なるアレキサンダアもそのひとりであった。  とはいうものの、運命をぬきにして観察すれば彼はあくまで詩人である。|亜米利加《アメリカ》における日 本人の詩人というと、ちょっと|滑稽《こつけいオ》にひびいて誰でもすぐ思い出すのが、ウォウレス・アアウィ ンの日本人小説に出てくるカズン・ノギだ。9磊ぎ2轟一は主人公ハシムラ・トウゴウの|従兄《いとこ》で オハイォ州エクロン市かどこかの詩学通信学校というのから講義録をとって詩人になりすまして いるが、アレキサンダァはなりすまさなくとも詩人なんだから詩人らしく詩的に|悠《ゆうゆう》々|自適《じてき》してい た。この|悠《ゆうゆう》々|自適《じてき》がこうじて「|靴《フフ》屋しとまでなり|下《さが》ったものの、詩人は生れるもので作られるも のではない。という言葉があるくらいだからアレキサンダァの詩人はじつに板についていた。  いくら天才でもその詩が活字になるためにはさきに詩稿がなければならない。ところが、アレ キサンダァはけっして詩を書かない詩人なんだから、自分のものが新聞や雑誌に出たのを見たこ とは、彼じしんでさえ未だかつてなかった。こういうのこそほんとの詩人であろうーーアレキサ ンダァは三嘗亀詩人だったのである。なにしろ自分でそういっていたくらいだから万々間違 いはあるまい。  靴屋の詩人アレキサンダァはめずらしい美男子だった。二十七、八にもなっているくせに赤ん 坊のような|皮膚《ひふ》をして、大きな眼の下に|蒼《あお》みがかった黄色い|豊頬《ほほ》、彫刻のような鼻ばしら、紅い 小さい口、それらの上に彼はいつも|丹念《たんねん》に薄化粧を施していた。こういうと|莫迦《ぱか》に嫌味に聞える けれど、造作が整っていて、|身体《からだ》全体がすらりと|伸《フフも》びて締まり、人物が貴族ぶって|鷹揚《おうよう》にー!上9 くなくとも外見だけは  できていたから、彼の|容姿美《ようしぴ》はますます|辺《あた》りを払って、アレキサンダ アは実に|綺麗《きれい》な男であった。服装や態度は|紐育《ニユ えヨミク》き0の|一人《ひとり》のように常に典型的な紳士だった が、時とするとタキシ|運転手《ムライウア》のような粗野な物腰と巡査のように乱暴な言葉|遣《づか》いをして、ギ、れが また美人のような彼の顔を助けて、しじゅう彼のまわりに一種の魅惑的なへんてこれんな空気を つくっていた。00訌士2!-まったくアレキサンダアは男ーーしかも男らしい|身体《からだ》のうえへ女 ー!しかも世にもまれな美女の顔をくっつけたような不気味な、変態的な、それでいて眼も覚め るような素晴らしい一つの存在であった。  山に囲まれた湖は空行く雲のたたずまいで水の色をかえる。これがアレキサンダアの眼だった。 秋の野に繁る草の葉はそよ吹く風にも消ぬがに揺れる。これがアレキサンダアの表情だった。鼻 は象牙細工のようだった。口は|南加州《みなみかしゆう》産の|葺《いちご》のようだった。そして、それらが集まって、どうか すると|邪淫《じやいん》にさえ見えるようなアレキサンダァの顔をつくっていた。女に見まほしいなんてこと をよくいうけれど、アレキサンダァは女のなかのどの女人と較べてもあえて|遜色《そんしよく》なかったよう だ。道往く男がつい振返るほどだった。女は振り返る先にぞろぞろついて歩いていた。ーな に? いい加減にしろって? ≧岳臺  ただ、朝起きるとすぐ空の色を|白眼《にら》んでその日の洋服の色合を決め|襟飾《えクアイ》と靴下の選択のために は|市《まち》じゅうの店をかたっ端から歩きまわることも辞せず、三日に一ぺん床屋へいって一週間に一  マニキユア  かよ                                            しゃれ 度掃爪術に通っていたほど、それほどアレキサンダァは忠実なお洒落であったということだけを ついでにつけ加えておきたい。いつも|英吉利《イギリス》ふうの上品な着付けをしていた。男のくせに|小《ヤフ》さな 腕時計をつけたり、執事のように白い手袋をはめたり、それをまた半分で折り返したり、お葬式 でもあるまいに黒い手袋をしたり、細いすてっきを|振《ちフフフ》り廻したり、ー日本の若いはいから|紳《フフフフ》士 の|頓珍漢《とんちんかん》さは見るたびに|亜米利加《アメリカ》の猫をさえ吹き出させるに充分であろう。  歴史を作った征服者の名を取っているくらいだから、この靴屋の美詩人も何かの点で英雄の一 人でなければならないとは誰しも思うところ--上事実、わがアレキサンダアは英雄であった。女 にかけて英雄であった。前科数犯の女殺しであった。といっても、いつも必ず、殺される方から 自発的に殺されたがって彼の|往途《ゆくて》に立ちふさがって彼をして手を下さざるをえざるにいたらしめ ていたのだから、いくら女を殺しても彼をして言わしむれば正当防衛ということになって、どん な偏見のある。甘ぐも彼を罰することはできなかったかもしれない。じっさい、アレキサンダ ァは女にかけては悪魔であった。よし、彼のするすべてのことが、給仕人としては靴屋、詩人と してはカズン・ノギの|又従弟《またいとこ》ぐらいのところを出ないにしても、彼のこの手腕才能にいたっては 。。筝旨餌舅三弓の|師表《しひよう》として|仰《あお》ぎ見る  仰ぎ見たい人は11に足るほどであった。  一九ー年、先の大統領がまだあの運命的な|蟹《かに》を食べずに生きてゴルフをしていたころだった。  私は蟹とも大統領ともなんらの関係なしに、 市第一の実業家倶楽部で給仕人長をして、お|叩 頭《じぎ》をしたり電話をかけたり客を|卓子《テさフル》へ案内したり|昇降機《エレベきタき》へ送り込んだり、朝出した給仕を昼雇っ たり、客へ出すお酒をピアノーパイアノだろう、ーのかげで身をもって毒味したり、まず|田 舎《いなか》の牛のように満足と平凡と無為とをコスモポリタンの|餌《え》にしてひたすら|鼓腹《こふく》していた。夏の盛 場へ行っていた日本人の|香《や》具|師《し》たちが、 マス|前《クリス》の稼ぎを当込みにしてそろそろ帰って来ようと いう秋口だった。  しゅんで|珍《フ フ》味の野鴨の肉は河向うの|加奈陀《カナダ》から、そうしてアレキサンダアは|紐育《ニユコヨ ア》から、とも に倶楽部へ押しかけて来たのである。この鴨の肉の蒸焼きはばかに|美味《 フおい》しい。|牛酪《バタ》を引いた|錫 鍋《テン パン》へ少しスウプ|煮込《スクツク》を入れて火の強い|釜《アヴン》へ入れる。鍋が持てないほど熱くなった時、丸のままの 鴨肉を入れて周囲に|玉葱《たまねぎ》と|人参《にんじんあ》を|配《しら》って釜へおさめる。にんにくをほんのすこし|入《フ 》れるとなおい い。ときどき出してまわりの汁を掛けながら軽く塩|胡椒《こしよう》をします。こうしてつよ|火《フち》で焼いて上皮 にほどよく色がつきましたころ、取出してジュリアンか|靴《ンユウ スト》の|紐《リング》といっしょに皿へ盛って熱いう ちにすすめます。ーじっさい、これは|乙《おつ》な料理の一つだが、|素人《しろうと》にはちょっと食べられない。 大体、|鼠《ねずみ》のような|恰好《かつこう》をしたやつがごろりと|一《フフフ》つ皿の上に転がっているさえあるに、ナイフを入 れるとちゅうと|血《フフ 》が出る。それが流れて皿一面にたまる。なかなか気味が悪い。が、それだけ|旨《さつま》 い。ともかく、これに二の足を踏むうちはまだまだ西洋料理の|通《つう》とは言われない。レンボグ・チ イスなんていう恐ろしいやつもあるんだからー。  ま、そんなことはいいとしてアレキサンダアのことだが、=冖.00ヨ貰≧賃という|仮想《かそう》の人物 がミ奮2碧パ實や{目の。。7。騁なんかという型ととも実在している|証拠《しトでつこ》として、彼の出現は、そ の美貌とその紳士らしさをもって私たちのでたらめ社会に確かに一つの|煽情《センセイシヨン》をひき起こしたの だった。|口上手《ワイズ クラッカア》も|生意気屋《フレッシュ エッグ》も私達仲間の専門だったけれど、この二つを合せてそれを超特高 速度的に美化したスマアチ・アレックス氏の降臨は、私たちの|双手《そうしゆ》をあげて歓んだところであっ た。だからアレキサンダアを略して、私たちはただちに彼をスマァティ・アレックスと呼ぶこと になり、アレックスはすぐに、|倶楽部《くらぶ》の給仕人として私の帳簿に署名してしまったのである。  アレキサンダアが「靴屋」であることは、はじめて食堂ヘはいってゆく時の彼のうしろ姿で私 にはすぐわかった。また、彼がその実、詩人であることは、彼自身の宜言によってほどなく|分明《ぶんめい》 した。が、|女専門《フフフフ》の殺人狂であることは、顔を見たときから薄々怪しいとは|睨《にら》んでいたものの、 一人小意気なのが彼の仕事の送り迎えをする現場を誰かが発見するまでは、さほど私たちに苦労 の種ともならなかった。けれども、これによって気のついた私たちが、|爾来《じらい》それとなく美人アレ キサンダアの様子を|窺《うかが》っていると、まったく彼の行くところとして|可《か》ならざるなき征服者である ことをほどなく発見したのであった。  女という女でアレキサンダーへ多少の注意を、たとえ一瞬間にしろ、払はないやつはないとい ってもけっして誇張ではなかった。そのためか、彼はしじゅう餉9・葺臍夢とする女を眼まぐる しいほど取りかえていた。彼がこれと思った女で征服しえなかったのは一人としてなかった。あ らゆる人種と階級と典型の女の海、そのなかでアレキサンダアは|抜手《ぬきて》を切って泳いでいた。女を |持《こしら》えては女を捨ててわれ|来《きた》りわれ見われ勝てりをそのままに彼はその道の|坦道《たんどう》を|瀾歩《かっぽ》していた。 征服者アレキサンダアは、完全に職業的恋人になり切っていたのだ。  スマアティ・アレックスの男振りは間もなく|倶楽部《くらぷ》の女客のあいだに大評判になった。|紳《ちん》を|抱《だ》 いてきて食堂の入口で毎日きまって私と衝突する中年増の未亡人は、ある日わざわざ私を呼んで、 「あの新しい給仕は|何国《どこ》の人間?」  なんかと短刀直入に|訊《キト》いたりした。 「日本人でござります。奥様。」  と私が説明すると、未亡人は不思議そうに私の顔を|眺《なが》めていたが、しばらくしてから厳然とし て命令した。 「日本人でもかまいません。これからあたしの食卓へ寄こしてください。」 「承知しました、奥様。」  職業が職業でなくなると、商売を離れて物沽りになる。アレキサンダアの場合がそうだ。  倶楽部へ出入りする数多い女客のなかに、|孔雀夫人《ゴアム ヒィコノい》と呼ばれる? の若い女があった。話は たいがい若い女からはじまる。  夫人という字がついてはいたが、誰も|良人《おつと》なる男を見た者はない。倶楽部へは一人で来ること はけっしてなかった。女の友達といっしょに来ることも絶えてなかった。いつも男と二人きりで 人眼を避けるようにはいってぎて、隅の窓ぎわの食卓、大きな椰子の葉蔭になっていてちょっと ほかから見えないようにできていた  に|就《つ》いて、つつましやかに食事して帰っていった。食事 中ダンスに立つようなこともなかった。来る|毎《ごと》に戸口にいる私に大枚のチップを切ったからこの |孔雀夫人《マダムさビイコツい》は私にとっては△(1のお|客《エイゾン》だった。私たちは貰いの|額《たか》によって客に番号をつけていた が-ー神よ給仕人根性を許したまえー夫人はいつも私の番号の第三位を占めていて、けっして その地位を|辱《はずかし》めるようなことはなかった。だから、私のほうでもすっかり|記憶《おぼ》えてしまって、 夫人の来そうな晩には、特に前もってその|卓子《テミさん》の上へ「お|約束済《い サアヴド》み」の札を置いて誰が来ても坐 らせないほどの心づかいはしていた。こういうふうに私にとっては大事な客の一人であったが、 倶楽邨ではあまり有難い客として見ないどころか、ないない会員証を|剥奪《はくだつ》して|御来駕御遠慮《ごらいがごえんりよ》を願 い出ようかなどという話も、|倶楽部委員《ハウス コさちテイ》と直接の交流があるだけ、私はとうから耳にしていた。 倶楽部員のなかの若紳十達が入りかわり立ちかわり恋人になるだけでも、|孔雀夫人《マダム ゾしイコツび》の存在は倶 楽部の風儀上面白くないというのが一部の|孔雀夫人《マダム ヒイコツフ》排斥動運主脳者たちの意見であるらしかっ た。  そもそも  などと|咳払《せきばら》いするにもおよばないが  社交倶楽部というものの概念がわかって いるようで日本人にはよくわかっていない。で、そも}ても、今の世界文明は男の文明で、その男 の文明は男ばかりを会員にしてきた西洋古来の社会倶楽部の|炉《ろ》ばたから発達したものだといわれ ているほど、倶楽部というものは上になれば上になるほど趣味と教養と専門を持つディレッタン トの、会合と、雑談と食事と運動と、|煩瑣《はんさ》な社会生活からの|鞍晦《とうかい》、やかましい細君の言論をせ《フフ》|め て一時は忘れようとする|穴《ヂン》とを目的にして|成立《なりた》たしたもので排他的に男だけしか  入場をさえ もー許さないことになっているのが本来の面目であり原則であるのだ。  もっとも、誰でも彼でも入会させるというわけではない。会員二名以上の紹介と、それからそ の|倶楽部《くらぶ》の株ーこれがいい倶楽部だと額面の何倍何十倍もの金で売買されている  を一つな り二つなり規定にしたがって買い取ってはいらなければならない。さながら一つの王国の体をな しているだけに外来者はどうしても白い眼で見られる。おまけに内部のことは外へ洩れないから、 どうしても警察が嗅ぎまわるようになる。自然倶楽部は表向き体面ということを大事にする。だ から身分の判然しない若い女の出没なんどは、委員側としてはおおいに迷惑するわけだ。|孔雀 夫人《マタム ピくコソ 》はちょうどそれだった。  |孔雀夫人《マアム ビでコツび》だって入会する時はなんとかいう名義で署名したものだろうが、この美しい|穏和《おとな》し やかな夫人は来るたびに男の|伴《つ》れを変えているという眼に見える事実以外、その身許動静等につ いても、少くとも私たちには、一向わかっていなかった。しかも、注意して観察すると、その男 のつれというのが必ず倶楽部の|御曹子連《おんぞうしれん》で、△(は一週間ほど続き、 は二週間ほどつれだって来 る、 は三日ともたない、 はそれでも一月いっしょに来たといったぐあいに、しじゅう相手が 変わっていて、それがため委員たちが気を揉みだすと同時に、妙な噂が拡まっていった、、  ほかてもないー夫人は恋人を探して大変なんだが、とんな男でもある占、まてゆくと心から|辟 易《へきえき》して引き下ってしまうその点というのは  -? 経驗した|御曹子《おんぞうし》たちは言わず語らず誰でも知 っているが、他の者にはとても|想《フフ》像もつくまいというのである。なんだか知らないが、|莫迦《ばか》に物 騒に聞える。ようやくのことで二人の恋人時代を突破した男が、最初の|宵《よい》を|孔雀夫人《マクム ビイコノフ》と共にす ごそうものなら翌日は|齪面《てきめん》にたいがい病床に|就《つ》いてしまって、|孔雀《サタム》と聞いても|蒼《あお》くなって|顴《ふる》えあ がるというのだから、まことに聞捨てならない話であった。 萋  間  髪の赤いーー髪の赤いやつは男にしろ女にしろとかく|問題《トラトフレ》の種になる-ーー、背の高い|四肢《てあし》の《フ》|す んなりした愛くるしい顔の、いかにも若々しい女だった、笑うと突いたようなえくぼが浮んで、 常に夢を追うような、冒険と|浪漫《ロメイン》に飢えているような眼つきをしていた。この眼に映ったのが、    、 、       しか      わら                                    すが之 絶えずどじを踏んで叱られたり晧われたりばかりしていた「靴屋」アレキサンダァの粋姿だった のである。話はいよいよ本筋へかかる¢  舞台廻る。  |孔雀夫人《マァムきヒイコハえび》がアレキサンダァの視線を捉えてあわよくば|微《フフ》笑んで見せようと心がけている時、 夫人に関する誠に閃捨てならない話をふと聞き込んで勇み立ったのが、わが征服者スマアティ・ アレックスであった。彼は自ら志願して夫人の|卓子《テさそル》を受持ち、ここと未亡人の食卓とを|慌《ゑわ》てなが ら掛け持ちするようになったが、未亡人のほうはともかくとして、|孔雀夫人《つタム ビイコツ》にはいつも男の御 同伴があるのだから、食堂以外にはなんらの機会もないアレキサンダァにとっては、これはなか なかの苦戦と見受けられた。そのうちに未亡人はだんだん彼を|手馴《てな》づけにかかる。人に|奪《ど》られそ うになると一層欲しくなるものと見えて、|孔雀夫人《マクムはピイコえは》は|明瞭《めいりよう》に|焦《あせ》りだした。この三角合戦を外国 武官のように観戦しながら、私たちはよくアレキサンダアヘ忠言を与えた。 「おいアレックス、ある一線までゆくとみんな逃げて来るんだそうだぜーー。」 「その一線てのはどんなんだい? ははあ、俺にはいささかわかるような気がするよ。いや大丈 夫だ。必ず!ー。」 「必ず征服するかい?」 「うん。」 「だけど|前車《ぜんしや》の|轍《てつ》ってこともあるから十分気をつけろよ。」 「なあにーー"8ま口、叶三〇仆ヨ0岩什厂  とまあ、こんなことを言いながら、私たちは|陰《いん》に|陽《よう》に英雄を|焚《た》きつけていた。  今まで|孔雀夫人《マダムヨビイコッワ》の恋人ー-あるいはその役目ーーだった若紳十が例によって急に手を引いた ことをきっかけにして事態は急転直下した。未亡人はすっかり負けてやっぱり|獅《ちん》だけを可愛がる ことに心を入れかえ、同時に|孔雀夫人《マダム ピイコツフ》はぱったり|倶《ちフ フ》楽部へ姿を見せないようになり、アレキサ ンダァは夜だけ自分の金を|割《さ》いても黒ん坊を身代りに雇って、毎晩、電燈がつくとさっさと|帰《ヤフフ》っ てゆく習慣に落ち入ってしまった。  この間に|孔雀《マダム》と英雄の間はずんずん進行していたのである。                わ★し       ぬび  秋も末の夜長のころ、黒い池面に渡船の煙が横に摩いて、下町の歩道をゆく女の足は日毎に小 刻みになり、気の早い マス|売《クリス》出しの広告が新聞に目立ってきた。金持ちはフロリダ行きの切符 を買い、若夫婦は家具の窓買い-ー臍ぎき争吟0宕一轟、 |飾窓《シヨウ ウイントウ》を外からのぞいて、|硝子《ガラズ》の|痕《あと》を 赤く|額部《ひたい》へつけてあれこれと|買《フフフフ》った気になる豪勢な買物ーに余今心もなく、浮浪人は汽車に欄ま って旅行に出るという一年中で一番多事な時となった。|仏蘭西踵《フレンチぐヒイル》を追って落葉が走り、落葉を追 ってタイヤが走り、タイヤを追って風が走り、風を追って人が走り、人を追って地下鉄サムが走 り、サムを追ってクラドック探偵が走り、探偵を追って作者が走り、作者を追って|編輯《へんしゆう》者が走 り、編輯者を追ってーー0り8=  とにかく忙しい。その忙しいなかをアレキサンダアと|孔雀夫人《マダム ビイコツク》は浮世をよそにして恋の|美酒《うまざけ》 に|酔《よ》いつぶれていた。いや、恋のために浮世よりもかえって忙しかったくらいである。  二入の間には接吻がつづいた。抱擁がつづいた。→の帚驥.帚帚が、まあさ、続いたと思いたま え  ・|面倒臭《めんどうくさ》いな。  も一度、無台を廻しちまえ! 「ジョウジ!」  こういう悲惨なけたたましい声で、ある夜の私の夢は破れた。見ると寝台のわきにアレキサン ダアが立っているーーというよりは立とうとして努力している。大変だ! とっさに私は思った、 なにしろ大変だ、と。 「火事か。」 「ノウ鎬 「なんだ、どうしたんだ!」 「一邑筐  」アレックスは酔漢のように手を振って「やられたよ  たまらない、ふらふらす る  」  なるほど、ふらついている。病人のように色|蒼襪《あおざ》めて今にも倒れそうだ。 「ど、どうしたんだ一体?」 「|孔雀《ピイコツク》にやられたよ。あ、あれじゃたいがいの男が|敵《かな》わねえわけだ!ま、まったくやり切れ ねえ。めまいがする。」  私が出した気付けのジンをあおって、アレキサンダァは|暁《あかつき》かけて語り出した。 一「降参して逃げてきたよ。苦しくって苦しくってうちまであとても行けねえから、ここのホテル ヘころげ込んだ。起こして、すみませんでしたね。」 なあに、それよりあー。」  それよりは|孔雀夫人《マダム ピイコッフ》の話だ。こうである。  兎を捕えるにも象を襲うにも|獅子《しし》は全身の力を出す。これがアレックスの|遣《や》り口だった。どん な女でも当分の相手ときまった以上、彼のあらゆる経験と知識をあげてその征服にかかるのが常 だった。が、今度の|孔雀夫人《マダム ピイコツク》の場合だけは別だった。恋の行程において、夫人はなんといって もアレックスより一枚二枚上だった。ことに、不覚にも職業的意識を離れていつしか夫人を慕う ようになっていったところが、すでにアレックスに致命的な|不利条件《ハンデキヤップ》を与えたものらしい、夫人 の絶間なき愛撫と抱擁のもとに、わが英雄は悲痛にも|痩《や》せおとろえたのである。しかし、'それで もまだ征服という点までにはいたらなかったから、彼はその一つの目的だけは失わずに精進する ことができたわけだ。  今夜、とうとうその機会が来た。今まで|旅館《ホテル》や|待合《ロウデ ハウス》いでばかり会って、けっしてある線を越 えることを許さなかった夫人が、今晩、彼の手をとって自庭の庭の奥深い|亭《ちん》ヘ誘い入れたという のである、、  月が雲問を出たり入ったりしていた。あるいは雲のはしで動いていたのかもしれない。庭全体 が明るくなったり、また冷たく哨くなったりした。虫の声が地球の呼吸と一つになって、空気に 中世紀のにおいがしていた9城はなくとも決闘はなくとも、女のスカアトが土をすらなくても、 それは恋をする晩であった。二人のための夜であった。  長椅子に腰かけた二人は、というよりも二人の|身体《からだ》は、恋する者のたわむれの名でさんざん に興奮させられていた。何にも.言わなくても、二人の心は当然行き着くべきところを指して急い でいたのであろう。突然夢遊病者のような声で夫人がささやいた。 「アレックス、あたしの寝室へ行きましょう。ーーあれ、三階の窓に桃色の灯が見えるでしょう。 あそこよ、あそこにはあたしたちの幸福が待っているの。ねえあなた、あすこまであたしを抱っ こしてってくださらないこと?」  書下に快諾した英雄アレキサンダアが、しなやかな|孔雀夫人《マダム ピイコツク》の|身体《からだ》を両腕に|載《の》せてきっと《フフ》|な って三階の窓の桃色の灯を望んだ劇的な場面は、じつにあまりあろう。  で、アレックスは歩き出した。が、夜の距離測定は錯覚をともないやすい。行っても行っても |邸《やしき》へ届かないのである。やっとの思いで裏ロヘ着いた彼は、そこの階段へ片足かけてほっと|一《フ 》 息ついたところを夫人に下から3三嘗に|接吻《せつぶん》されてすんでのことで|窒《フフち》息するところだった。 それから上は階段だらけだ。歩は一歩と苦しくなる。夫人は刻一刻重量を増す。汗が眼に入る、                 はザ          、、、、 腕は知覚を失う。脚はふるえる。息は弾む。そこを夫人はしっきりなしにキスする。かりにも恋 人だ、恋人が恋人を抱いて行くんだ。下ろすわけには行かない  もしそんなことをしようもの なら、世のすべての恋物語に反することになって、どんなに夫人の怒りを買うかもしれないーー と思うと一生けんめいだ。夢中だ、生命がけだ、もう一段で二階だ、さあ三階へかかる! 一段、 二段、三段、うんとこしょ、どっこいしょ!  二階まではどうにかこうにかおぼえているが、その先は一切意識不明だった。壁が揺れて階段 が浪打って!この階段が聖ペテロが番をしている天上の門へまで届いているように見えたが -ーー眼の前にはただ白い花のように夫人の顔が大きくぼやけているだけだった。手は今にも切れ そうだった。首へかけた夫人の腕に力が入るたびに、接吻は記念スタンプのように撥ね上る。ア レキサンダァは自然と無我の境にはいっていった。三階だ! 夫人の部犀だ! とうとう来た! あすこに寝台がある。あそこまで行け、もう少しの我慢だ  そら、一歩二歩、三、四、五、六   七つと!  ここが|寝台《ヘツト》だっーーと思ったところへ、アレキサンダアは夫人をほおり出して、欲も得もなく 自分も倒れてしまった。  竪い床板でいやというほどお尻を打った夫人は妙な顔をして叫び声をあげた。その顔と声には もはや恋のかけらも残っていなかった。ただ非難と|呪訓《じゆそ》と憤葱と敵意とが急速度のフォックス・ トラットを踊っているだけだった。並んで腰を落ちつけたアレキサンダァはお湯から上りたての ように、汗と水蒸気をぽっぽっとあげて、ぼんやりとその|顔《フフフフ》を眺め、うっとりとその声を聞いて いた。彼は生死の境を|彷裡《ほうこう》していたのである。  二人の立ち上った時が二人の恋が終った時であった。|白《しら》けきった空気のなかで、二人はいと|慇 懃《いんぎん》に相互の失礼を謝しあい、別れの|挨拶《あいさつ》を交した。アレキサンダアは|震《ふる》える脚を踏みしめて、そ の悪夢のような階段を、幸福にも今度は降りてようやくのことで邸外へ逃げおおせたのだという。 夫人はヒステリカルに泣きじゃくっていたそうだ。 「どうして男ってこう弱いんでしょう。誰一人としてあたしをここまで抱きあげてくれた人はな い。あああ、この最後の試験にパスして、あたしの全部を所有するような強いつよい男の人はこ の世の中にはいないんでしょうか。」 「これ、まだ|腕《て》が痛いよ。どうも驚いた。これでみんな閉口したんだね。いやはや。」  両腕を突き出して見せてアレックスは笑った。ドン・ジュアンのように|地穴《じあな》から|地獄《じごく》へもめ《 フ》|り 込まずに彼は市の体育場へ日参して、|殴《バンテイグ》り|袋《 バグ》で鼻血を出したり、前歯を折ったり、専心体力の 充実をはかることになった。  やさしい|色事師《レはアイス マン》よりも荒っぽい野蛮人型00麸『の方がそのころから持てだしてきたのだった。 めくらの豚  緑いろの洋服に灰色の|山高《グアヒイ》をかぶって、アウサァは黒ん坊の女と|月光《ムウン シヤイン》を傾けている。すこ し離れた|卓子《テエフル》に、私も|白牡馬《ホワイト ミユウルさ》の|杯《かずき》を前にして半黒の少女と向いあっている。中央区域の黒人 街、殺人があってもわからないといわれているその|界隈《かいわい》の、とある|安宿《フやすやど》の地下室、このごろめっ きりふえた|秘密酒場《ブラインド ピツグ》、つまりそのまま訳せば「|盲目《めくら》の豚」だ。 「あたしの名はメリイよ。メリイ・エリザベス・フランクリンよ。」  私の前にいる小さい黒いのが宣言した。私はそれを完全に無視してやる。そしてついでに広い |酒場《バコ》中を見渡す。|一《ワン 》・|一一《エレヴン》の煙りが|濛《もうもう》々するなかで、大きな男女がわいわい|言《フちフフ》って動いている。 大部分黒人だ。ばくちをやっている|卓子《フフちびア フル》もある。二、三人の口笛に合せてアルジェンテン・タン ゴを踊ってる組もある。が、多くは影といっしょに悲しそうにじいっとして|密造酒《フフフホウム フルウ》を|岬《あお》ってい るばかり。私は大学を逃げてきて間もないが、こんなところには|馴《な》れきっているような顔をして、 わざとだらしなく|椅《 フ》子に|崩《くず》れている。 「ちょいと、あなた|仏蘭西語《フランスゴ》がわかって?」  とメリイ・エリザベス・フランクリン嬢がおっしゃる。 {、ねえ、このごろの|粋《いキフ》な方はみんな|仏蘭西《フランズ》語が話せてよ。|亜片《パィブ》も吸うわ。」 「|仏獻西《フラ ス》語なんて、お茶を飲む時小指を離して|茶碗《カップ》を持つ人が|饒舌《しやべ》る言葉だ。」  と私も一かどの無頼漢ぶる。とは言うものの、気味の悪いこと|夥《おぴただ》しい。それとなくアウサァ                      う沁が                                  きようらバ ヘ視線を送って、早くこの探険を打ち切るように促そうとしても、彼アウサアは全人的に享楽 してるとみえて、なかなか私のことなぞ考えにないらしい。しようことなしに強そうな乱暴そう な口をきいたり、退屈な顔を作ったりして、メリイ・エリザベス・フランクリン嬢に軽視されな いように|務《つと》めていると、妙な黒人が一人ぶらりとやって来て、 コ|長官《ガヴアナァ》、電車賃を貸してくれ。」と言う。 「わたくし英語わからない。」  いつもの奥の手を出して私はけろりかんとする。|黒《ヤフフフフ》人は自然にアウサアのところへ流れてゆく、 「|長官《カヴアナァ》、電車賃を貸してくれ。」  アウサアが何か言った。黒人が同じことを繰り返す。すると、 「地獄、おまえが属する地獄へ帰れ!」  大きな声でアウサアが命令した。私はひやひやする。アウサアは|私《フフフフ》が|執事《バトラア》として働く家の運転 手で、こんなところで問題を起こすのを自慢にしている|日本人《ジヤツプ》なのである。だから、今晩出てく る時にも、私は嫌だ嫌だと言ったのにーー。  が今そ、んなことをいったってもう遅い。敵は-ーーと申しても黒ん坊一人だがーアウサアと私 の間に立って当分に二人を見比べながらどっちから先に|喧嘩《けんか》を吹っかけようかとそれを思案して いるらしい。私は元来平和主義者である上に、|先刻《さつき》から|脅《おぴや》かされつづけで一時も早くこの地下室 から出たいと願っている最中だからこの勇壮な黒人を相手にして|大和魂《やまとだましい》を出す気なぞ毛頭ない。 実はここへ降りて来る階段の途中で、アウサアが私にいったことには、 「|亜米利加《アメリカ》の|行方《ゆくえ》不明はたいがいここだぞ。ジョウジ、|気《き》をつけろ。」とか、 「あんまりあちこち見まわしちゃいけない。なるべく変な奴と視線を合わさないようにしろ。」  なんかというので当すでにいい加減死んだ気になっているのである。だから、この電車賃の黒 人にたいしても私は少しも敵意を持たない。 「おい。」と私はアウサアに言った。「たった五セントだ、くれてやろうじゃないか。」 「よせ。」  とアウサアは立上る。私も立上るっメリー・エリザベス・フランクリン嬢も立上って私のそば に寄りそう。近処の|卓子《テェフル》にいた|希臘《ギリシヤ》人、|伊太利《イタリミ》人、黒人みな物々しく立上る。アウサアはつかつ かと出てきて黒人と向い合った。すこし映画めいていてなかなか面白いなと私が感心していると、 ちょっと聞いては英語と聞えない英語で、二人のあいだにしばらく取引きが続いた。黒人もアウ サァも笑っている。なんだかしらないが私も笑った。その内に、|来《カモノ》いといったきりアウサアが先 に立って歩き出した。私も卓上の帽子を取ってその後に続こうとすると、例の黒人が私とアウサ アの間へ割り込んでこようとした。と、この時、笑いながら振り返ったアウサアが、同じく笑っ ている黒人の|頬《ほほ》げたを嫌というほど張りとばした。けっして|生優《なまやさ》しい力でなかったことは、その 黒い肉塊が二、三フィートもよろめいて|卓子《テエフル》の脚に|蹟《つまず》いて床へ膝を突いたことでわかる。引き留 めようとするメリイ・エリザベス・フランクリン嬢をつきとばして、私は先に立って階段の方ヘ 歩きだした。人々はちょっとしいんとして|二《フフフ》人のために道を開いた。が、たちまちうしろで|口 汚《くちぎたなの》く|罵《のし》る声がして、誰かがぱっと電燈を消した。灰皿のようなものが一つ二つ飛んできて地下 室の|扉《ドア》を打った。 「早く!」と私を|促《うなが》しながら、アウサアは振り向いて|呶鳴《どな》った。「巡査だぞ。巡査が来たぞ。」  戸外へ出るとアゥサァは別人のように急に|狼狽《あわ》てだした。 「逃げろ!|撃《 つ》つかもしれないからー。」  そしてやたらに|駈《か》け出した。私も夢中で走った。ルウ・ドユ・ボアの裏通り、月のない真夜中 を私たちは兵隊のように走っていった  四つ角の街頭のかげに巡査の姿を見つけてほっと|安《フフ》心 するまて。  電車賃の五セントというのは実は五ドルのことだそうで、もしこっちがそのとおりに五ドル出 すと、先方はこれは多いから細かいので五セントくれという。だしたものはひっこめない。いや、 それては大きすぎるー-まあ、まあ、そう言わすにと両方がやる。すると向うはその金をちょっ と手に取って、では俺はこの五ドルをこのままここへ置くからこれでなんとかしようと言いだす。 つまり話をつけてくれというのだ。こうなると出した方はもちろんいやとは言えないから、五ド ルのばくちがそこに始まるわけだ、とのことでアウサアが説明の労をとってくれた。  これは知らない|賭場《とぱ》で初めて開く時の、あの社会での新顔の礼儀の一つだという。が、多くは 4幕か|卓子《テきブル》に電気仕掛けのいんちきがあって、|結《トリック》局こっちが|真裸《まつぱだか》にされるとのことである。こ ういう半面も、臭い物に蓋主義の発達した|亜米利理《アメリカ》社会の一部であることを忘れてはならない。 と同時に、異郷の空の|淋《さぴ》しさから、初めは探険気分で、後にはいつの間にかみいら|取《フフフ》りがみい《フフフ》|ら になった形になって、こういう場所に年老いてゆく幾多の日本青年のあるという事実を、私は悲 しくも知りすぎるほど知っているものである。|桑港《サン フランシスコ》あたりの新聞を見るがいいー-。   |探《たず》ね人。岡山県人山田正夫、渡米後フランク・ヤマと称す。年齢四十二歳。二十年前、最後   にコロラド州|伝馬《デンバア》市より音信ありたり、|爾来行方不明《じらいゆくえふめい》。|父母既《ふぽすで》に|逝《ゆき》き|兄弟亦亡《ようだいまたな》し。妹一人   故郷に待つ。同人所在御存じの方は本誌私書函一三号または|桑《サン フラン》 |港日《シスコ》本領事館人事課へ 脱走  何がいけ|好《ちフ》かないといったって、なすと のはない、とこう一つ|冒頭《まくら》を振っておいて ころあらんとして|他人《ひと》に売る親切の細切りほど|厭《いや》なも 、さてーー。  がたんと|汽《フフフ》車が|停《と》まったのである。新緑のいろが車窓から射し込んで、車内全体が|真青《まつさお》だ。鳥 の鳴く声がする。断っておくが、ここは|亜米利加《アメリカ》中央部の|田舎《いなか》である。汽車はトタド市からクリ イヴレンドヘ走る|特急《エキスプレス》。 「おい、おめえはここで降りるんだろう。」  太い声がする。車掌だ。|亜米利加《アメリカ》の車掌は|伝法《でんぽう》な口をきく。その口をきかれたのが、車掌の前 に腰かけている一人の青年だ。ここらではちょっと変り種の東洋人、澄まして笑っている。歯を 見せるために、骨を折って耳を動かそうとするような、一種奇妙な笑い、というよりは顔面筋肉 の運動だ。珍しい動物を見るように、人々の視線が青年の身辺に集っている。車掌は気味悪そう に少し離れた。その|隙《すき》に乗じて二つ三つの手荷物をさげて、青年は停車場へ下り立った。乗客は わあっと|笑《フフ》い|崩《くず》れた。ぴいっと汽車が|発《で》た。喜劇が済んだからである。  日本から、文字通り昼夜兼行走りづめに走ってきた私は、今、学究の心燃えるがごとくー学 究の心よ、もう燃え立ってくれるな、頼むーこのく州は片田舎の「とある大学街にその|栄《はえ》ある 第一歩を印したのである。|楡《にれ》の大木が白い道の両側を|覆《おお》って、|樹《こ》の間隠れに古めかしい家々が散 らばっで、いた。窓の|笹布《レイス》に|微風《そよかぜ》が渡って、柵に乾した|床敷《フロア ピイス》、そのそばで土をつついている鶏の 群、なんのことはない|国民読本《ナシヨナル リイタア》巻の三だ。どこかで|蝉《せみ》が鳴いているー。  これなら勉強できる、と私は思った。電燈を拒絶して、窓の前に雪を積んだり、螢を|捉《っか》まえて きて、紙袋へ押し込んだりしてやろうと、その、|羅典《ラテン》語と聖書のにおいのぷんぷんする大学通り を歩きながら、私は古風な感激に震えていた。向うから来る人が、皆私に|挨拶《あいさつ》してゆく。何を言 うのかわからないが、私は|万遍《まん べん》なく「耳の笑い」を見せて、やがて一軒の家の前まで番地を読み 読み|辿《たど》り着いた。|鈴《ベル》を押すと中年の婦人が出てきた。歯が痛むような顔をしている。私はさっそ <得意の耳笑いを一つ演じて、 「シェリダン教授は在宅なりや。余は日本からただいま到着せるものなり。|云《うんぬん》々。」  と実はこう調子好く出なかったので、もし日本からの手紙が先廻りしていなかったなら、教授 夫人は当てずっぽうに、 「|妾《わらわ》が家庭においては|妻楊枝《つまようじ》はこれを使用せず。われこれを遺憾とす。試みに隣家を叩け。」ぐ らいのところで戸の向うに消滅したかもしれない。が、そこは如才ない。ちゃんと人相書まで前 もって届けてある。白昼異様な音響が発するとでも思ったのか、親愛なる教授  教授や女学生 は多くの場合親愛すぎる  自身が夫人の加勢に玄関へ現われた。一条の黒煙を認めた難破船の 水夫のように、私は大声をはりあげてまた直訳に着手したー主格は」人称だぞ、そら、前置詞 を忘れちゃいけない、?の語尾はぴんと跳ねるんだ! 「余は日本より  。」  が、私の努力は邪魔された。教授が、 「おおう。」と叫んで私の肩をどやしたからである。|夫《フフ》人も負けない気を出して|夫唱婦随《ふしようふずい》の、 「おおう。」をやった。 「我は|汝《なんじ》を見ることを喜ぶ。」 「|事程左様《こと まぴしキフ よトつ》に我も喜ぶ。」  ばちばちばち、これは拍手だ。案ずるより生むが易い。この教授の親切によって、私はその大 学の初年級に編入され、英文学の時間に居眠りし、|仏蘭西《フランス》語は窓から逃走し、聖書の講義には腹 痛を起こすという、まことに幸福な学生の一人として野球のラララ・ラアの|咽喉《のど》を|嗄《か》らす結構な 身分になってしまった。初めてのその日のうちに、教授は私を|引具《ひきぐ》して大学の構内を隅から隅ま で  自分のものみたいにーー見せたのち、他の教授二、三人に、これも自分のものみたいに私 に紹介した。おかげで「我は汝を見る事を|悦《よろこ》ぶ。」のところだけは|障《つか》えずに譜誦できるほど英語 が発達した。  シェリダン教授の親切によって、ヒュウズ博十の|診察所《オフイス》が私の巣と一決した。博士は歯科医で ある。大学には女学生が多い。女学生は前後を|忘却《ぼうきやく》して菓子を食う。むやみに歯を悪くする。 そうすると|手巾《ハンケチ》で頬っぺたを押さえて十人ほどの友達に慰められたり、守護されたりして、繰り 込む先が私の|邸《やしき》だ。博士はこういう行列が大好きなのである。まずおおげさに顔をしかめておい て、さあおもむろにそこらを散らかしに掛かる。綿や|凝土《セメント》や器具をやたらに放り出しては、私が 本の上で楽しく眠っているところを、 「ジョゥジ、あの赤い薬はどこだったけね。タムスン嬢の入歯料は貰ったかしら  。」  そしてその後を片付けて掃除するのが私の役目なのである。が、一なによりも煙草が吸いたいの と、家じゅうに  のないのには、私も降参せざるをえなかった。土曜日の午後には、博士と博 士の知人の住宅へ出掛けて庭の草を刈るのである。|散髪器《バリカン》の|兄寄《あにき》みたいな機械をごろごろやるだ けなのだが、お天気のいい初秋、腰を伸して空の白雲を眺めていると、眼の|裡《うち》がぽうっと|水《ちち》っぽ く|霞《かす》んでくることもないではなかった。  食うために、シェリダン教授が、と言うよりも教授の親切が、あちこち探して持ってきてくれ た口が、建築家ウィルソン氏の家庭における三度三度食卓の給仕だった。家族の顔振れはという と、まず夫妻ー1夫人は|亜米利加《アメリカ》で有名な|提琴《フイドル》のひっ掻き手ーと子供が四人、親類の老嬢ーー これが私に自分の靴下で|寝帽子《ナイトキヤップ》を作ってくれたーそれに、アニタと呼ぶ半黒の女料理人、ス ティヴという番犬、デティという|小猫《プシイ》、オヴアランド6の自動車、それから通い給仕人の日本人 学生ジ.ウジ・テニイさん。大人は我慢するとして、難物が四人の「一家の希望」たちである。 上のハァリイは|蹴球《しゆうきゆう》で怪我していたのでまだ|御《ぎよ》しやすかった。次のダラセイも女ー-私はこの 娘に幾何を教えてそのかわり洗った皿を拭かせていたーーだからわりに世話がやけない。赤ん坊 のロウラと|悪垂《あくたれ》小僧のアウサアにはほとほと手を焼いた。ことにアウサァの|蛇踊《へびおど》りには毎度悩ま された。夕食後台所へやって来て私とアニタと姉のダラセイにお得意の蛇踊りを毎晩見せてくれ るのだが、そのたびに色んな物を|毀《こわ》しては、私が夫人の居間まで謝罪に行かなければならなかっ た。私があの家を出るまでアウサアは蛇踊りをやめなかった。ことによるとまだやってるかもし れない。  恐るべきは半黒の|料珪人《コツワ》だったこ彼女は白い眼をむいて一つどころに集め、不思議な顔を作っ て人を侮辱する術を心得ていた。私はその表情を好まなかった。私が嫌がると、彼女はますます |興《キフしよちつ》にのってその一手を使用したぴ私は彼女へ巻煙草を支給する好意を中止した。彼女は私の前 にいかにしてより少なき食品を並ぶべきかに、日夜努力した。二人の間は険悪になっていって、 ついに爆発の日が来た。何かの事で口論になったのである。英語で口論するんだから、私は彼女 の敵でない。|業《ごう》を煮やした私が「神様に宣告されろ!」  と一|喝《かつ》すると、半黒の眼から大きな|泪《なみだ》がぽたりと落ちた。おや、と私が感心するまもなく、あ りと|凡《あら》ゆる|呪《のろ》いを口にしてアニタは|喚《わめ》きだした。|婦人《レデイ》の前で無礼であろうぞ、というのである。 ちゃんちゃら|可笑《おか》しいや  。 「どこに|婦人《レテイ》がいるんだ。おまえは|雌《フイメイル》かしらないが、|婦人《レテイ》じゃあるまい。」  と言うと、一段調子をはり上げて唄のようにアニタが叫んだ。家中の者が走ってきた。こうな れば多勢に無勢である。夫人は女の味方をするにきまっている。以前からむかむかしていた私は、 裏口から|虎口《ここモつ》を脱して野原伝いに亡命した。  部屋へ帰って寝ていると、娘のダラセイが泣きながら夕飯を持ってきた。この騒動で私はまだ 食卓に坐らずにいたのである。夫人と仲介者の教授が次の日、調停方を申し込んできたが、私は |勿体《もつたい》をつけるために口をへの|字《フ》に結んで黙っていた。お腹が|空《ヘ》ってもお金がない。森の|林檎《いえんご》を拾 って私は|餓《うえ》をしのいでいた。  親愛なるシェリダン教授の親切が高潮に達したのはこの時である。教授は大学と神様と聖なる 使徒達とぐるになって私を小羊にしてしまおうと猛烈な運動を開始した。私も春期発動期にふら ふらと信心気を出して、洗礼を受けたことがある。が、恵みも光りもいまだにやって来ないばか りか、根が|我儘《わがまま》なんだからこの時は踏絵ぐらいいつでもやって見せる気でいた。それに仕事が|忙《せわ》 しいので、朝の礼拝にも日曜の集会にも欠席することにきめていた。しかるにいまさら面白くも ない愛だの人生だのと、人もあろうに私を邪宗門に引き入れようというのである。親切を受けて るだけなお|癪《しやく》にさわる。よし、闘おうと私は余計な決心を固めたものである。それから盛大にす べり出した。第一、|仏蘭西《フランス》語を教えるムシュウ・|何《なん》とかが気に食わない。私の嫌いなものが三つ ある。数の子、|硝子《がらす》を釘でひっ掻く音、それから|仏蘭西《フランス》語。とうとう教授会の問題になって私は お|処払《ところぱら》いということになった。あの年初めてみぞれの|降《フフフ》った薄ら寒いある夕方、私は|都市《セテイ》行き の汽車から泣き笑いの顔を出していた。|車外《そと》には親切なシェリダン教授とダラセイが立っていた。 風が斜に吹いていた。 「あなたはどこへ行こうと、私はあなたの幸福を祈っています。」と教授。  その|莫迦《ばか》ばかしい親切さが私を怒らせた。私は黙ってダラセイを見た。 「どこへ尸打くの?」 「アラスカと、それから|墨西嵜《メキシコ》ヘー。」 私は笑った。娘も笑った。 「さようなら。」 「さようなら。」 教授は祈った。 ぴいっーがたん、 がたん 。発車である。 ジャップ  米国の|紐育《ニユさヨきク》ー-鼻曲りの米国人にいわせれば世界の|紐育《ニユコヨ ク》-ーその|紐育《ニユ ヨ ク》の|広小路《フロウドウエイ》といえばま ず世界第一の歓楽境。一|名大白街路《グレイトホワイトウエイ》、その筋の|符牒《ふちよう》では|舞狂国《ジヤズマニア》、悪党仲間では|塩辛浄土《サウスランド》、粋な |姐《あね》さん達は|馬鹿《サツカアス バ》の|極楽《ラダイス》、坊さんたちは眉をしかめて末期のバビロン、詩人にいわせれば|地下鉄《サフウエイ》 のバグダッド、万燈の街。活動写真屋はいささか気取って「現代機械文明のメッヵ」「女人誘拐 の港」そうかと思うと|乙《おつ》に|澄《す》まして|旧《いわ》く「|淋《さび》しい魂の捨て場」。  さてこの街の延長が近所界隈の横町小路に合せてまさに二百マイル、中心点だけに大劇場が百    木テル           くらぶ 四つ、旅館が七十九、料理屋倶楽部は数知れずとあるから、 州の片田舎からとび出していった 私なぞを煙に捲くだけの準備はちゃあんとできている。そんなこととは知らないから、私はただ やたらに歩きまわった。ウルウォウスの七十二階に感心したり、ペン停車場で出口がわからなく なったり、ビルトモア|旅館《ホテル》の前で|胡散臭《うさんくさ》そうに|睨《にら》まれたりしているうちはまだよかった。  地下鉄サムなぞという怖い|小父《おじ》さんがいるから|地下《サブ》は他日に譲るとして、せめて|高架《ェル》だけ乗り まわしてやれととんでもない野望を抱いたのが身の破滅で、あっという間に九十何丁目まで来て しまった。|狼狽《あわて》て降りると雨がしとしと降っている。|慌《あわただ》しい大都会の夕ぐれ。  私はさかんにむしゃくしゃして来た。というのは車中でえらい目にあったのである。五十二丁 目かで十数人の若い女性が乗込んできて完全に私を包囲した。|女《フラ》おきゃんと|称《ツパア》する大戦後の新産 物で、見渡したところ|昼席《マチネイ》が|閉《は》ねて帰る|猶太人《ジュゥ》の踊子らしかった。それだけならよいとして腰掛 けている私の膝へ割込んできてへどもどするのを痛快がっているらしいのだ。虎の子の財布を握 って私は固くなって汗をかいていた。だから|車外《そと》へ放免された当座は比較的上機嫌で頭の中で|痰 呵《たんか》をきった。口笛を吹いて階段を駈け降りたくらいである。  それが、一歩踏み出すと灰色の雨である。いまいましくなって私は|上衣《コウト》の|襟《えり》を立てると地理的 概念を無視して無性に|広小路《プ ウエイ》を下町のほうへ歩き始めた。雨脚はだんだん強くなって歩道に白い 水煙が立つ。私は|自暴《やけ》になった。  あの|大紐育《ニユ ヨコク》の|夕間暮《ゆうまぐ》れ、|空《から》の|衣嚢《かくし》へ両手を突込んで頭から雨に濡れたまま、仕事口の当ても なく街頭に立っていてみたまえ。いかに東海君子国の国民でも少しは礼儀作法から遠ざかる心持 になる。温かい家路へ急ぐ人々の群を見ながら、私は不平不満で内心ぷんぷんして、|車場織《しやばお》るご とき四十二丁目の大通りの角に立っていた。行き着く宿もなし、一杯の|痂琲《ココヒ 》を|啜《すす》る金も、あるに はあるが使ってしまってはすぐ後が困るといった風な有様、実際私は瀬戸物を積んでおいてかた っぱしからぶち|毀《こわ》したい様な欲求に駆られてむずむずしていたのである《フフフフ》|。  と、町の向側を急ぎ足に歩いてきた一|亜細亜《アジア》人が私の顔を見るとほっと|安《フフ》心してこっちへやっ て来るではないか。ははあ、日本人だな、と私もいささか嬉しくなった。牧師さん、あるいはそ の卵子である。|短衣《チヨッキ》の|従弟《いとこ》みたいな黒いものを背ろ前に着て、襟がはたしてどこで切れているの か判然しない。のみならず、ついそこで神様と|遇《あ》ってお茶を飲んできたといったような宗教的な 顔をしていた。第一、こんな考えかたをするほどそれほど私の心持は素直でなかったのである。 「おい、|地下《サブ》へはどこから乗るんだ?」  と|流暢《りゆうちよう》な日本語。が、これが私を怒らせてしまった。|紐育《ニユ ヨきク》にはおもに脱走船員から成り立つ シャッコ隊と称するいんちき|専《ちフフフ》門の|賭場《とぱフ》ごろが|多《フ》い。白い水夫帽を横ちょにかぶって太い|洋袴《ズボン》を はいた私の姿はいくら|贔眉眼《ひいきめ》に見てもそんなところだろうが、とにかくその言葉使いがまず私を |拗《こじ》らかしたことは事実である。 「おい、|地下《サブ》はどこだってえんだ。」 「なに、なをぼやぼや|吹《フフフフ》いてやがるんでえ。どんな|獣《けだもの》を|手前《てめえ》が探してるんだか、俺に見当が付 くけえ、べら|棒奴《ぼうめ》。はっきり言いねえ、人間の言葉でよ。なんだい、そりゃあ、|乾酪《チイズ》の一種かい、 それとも|競馬賭《ロング シヤツトま》の|呪《じな》いかい、え、おい。」  一息て述べたてて私はふんと|小《フフ》鼻へ|皺《しわ》を寄せて見せた。もちろん、御覧の通りの乱暴な英語な のである。当の牧師さんより近所の米国人が驚いた。 「|地下《サフ》へはどこから乗るんです?」  牧師さんは相手が悪いとみたらしく今度は英語で出直した。 「俺の|衣嚢《かくし》からさーヘん、そんなこと俺が知るけえ。」  これがよくなかった。言い終って私ははっと思ったくらいである。伺胞、しかも小羊が泣きだ しそうな顔をして眼の前に立っているではないか。私は気の毒になった。が、後へは退かれない、 私は憎々しく澄ましていた。  見るに見かねたとみえて、周りの雨宿りの群から上品な米国紳士が出てきて、外交の辞をつく して実に丁寧に途を教えていた。五十|恰好《かつこう》の重役ふうの紳士だった。雨に濡れるのもいとわず、 |軒下《のきした》を離れて数歩一緒に歩きながら、噛んで含めるように道順を説明している。 「|紐育《ニユさヨ ク》だけはちょっと道が骨ですからなあ、新しい方には。いえ、どう、つかまつりまして、 おわかりですな、あの|電気看板《イレクトリツク サイン》の下を右へ曲るのですよ。いや、おたがいさまです。では、お 気を付けてー-。」  その奥ゆかしい|慇懃《いんきん》な態度を横目で見ながら私はまったく感服したのである。やはり米国人に は|豪《えら》い所がある。日本人の一人として感謝する。ひるがえって私自身が恥られた。恐縮している 牧師を送って、と言っても牧師さんが私の前を離れるとすぐ、紳十は引返してきて私を|肘《ひじ》で|小突《こず》 いた。片眼を|瞑《つぶ》って後姿を|顎《あご》でしゃくりながら、 「,ありゃあジャップだよ、|汚《タアテイ》いジャップ!」  牧師さんへも聞えたに相違ない。私はかあっとなって|前《フフ》後を忘れた。 「何をっ。俺だって|日本人《ジヤツプ》だい。日本にはな、いいかよく聞け、|手前《てめえ》みてえな|茶羅《ハツク バ》っぽこは|居《イタア》ね えんだ! 地獄へ行け、この野郎。」  どんと一つ当身といいたいが柔道は知らない、仕方がないからでたらめに腰のあたりを突いて やったら、お年がお年だからよろよろした。皆騒ぎだした。その隙に憤然として私は雨の中を歩 きだした。この憤然のお蔭で夜明けまでに税関わきの|木賃宿《ダイムハウス》までどうやら辿り着くことができた のである。 まるう・しっぷ 仕事がなくてーー実は山ほとあるらしいがー東方の君子に|適《ふさ》わしい仕事がなくておおいに困っ ているところへ、前に同じ家に働いたことのあるモント・カアロが、ある日ぶらりとウォウレス 街の私の下宿へやってきて、いきなり、おい、ジョウジ、船へ乗らないか、という渡りに船とは ほんとにこのことだから私はすぐに、乗るよ、何にでも乗るよと答えた。  まったく私は何にでも乗る気でいた。秋ぐちのことだから玉ころがしの口はおしまいになり、 給仕人も、料理人も、執事もベル・ボウイも人が動かないからあきはなし、|私《フ 》はただやたらに|口《くち》 |入屋《いれや》を歩きまはって、いたるところで失礼な取扱いを受けているばかりだった。|紐育《ニユコヨ フ》から来た ヘノリイーヘンリイというのがどうもヘノリとしか|聞《ちフフ》えない。|提督《アドミラル》がアズモリ、|停車場《フフフ テイッポウ》が《フ》|リ ッポ、|弗府《ヤフフイラデルフイヤ》が|古豆腐屋《フルドウフヤ》、二十がトゥエネ、|八《ちフフフ》十がエイリ、|牛乳《フフフこちルァ》がムル、カタログがキャズ《フフちフフフ》|ラ グ、バルチモァはボゥルモア、 |毫《フちフフフフ》をはヌウ、 |乏《フヤ》訌一.。。一訌皀口濤丶がスマラ?→|訌《フち 》→.。。手のぴ2 ーそこだっ!ーが》臺び2でこれがアラ・ボゥイとひびく。|等《エトセトラ》々でその他いくらでもあ る。そう聞えるんだから仕方がない。だからそう発音していればだいたい間違いが少いことにな る。ヘンリイがヘノリになるくらい、お|茶《 フフ》の子さいさいだ。で、|行《フフフフ》をあらためてーと。  さて、このヘノリイを教師と仰いで、私は一階の広間でラジオに合せてフォックス・トラッツ の稽古ばかりしていた。というと非常に|呑気《のんき》でおくゆかしくさえきこえるが、じつはダンスなん かどうでもいいので、この部屋に電話があるところからなんでもかんでも一番さきに電話を掴も うという下心にほかならなかった。  |桂庵《けいあん》から電話で口がかかってくる。 「$街三一六七番の 夫人方で金曜日の晩宴会があります。人数は八人、食事は|九皿《ナイン コウス》、|肉切《カアヴ》り はこっち、服装は|略礼《トキシイト》でいいそうです。女中が一人助手に付いて食ぬきの七ドル一どうです。 |臨時《エキストラ》に行きますか。し  かと思うと、 「ド百貨店で地下室の掃除夫を|探《さが》しています。八時から四時までで|正午《ひる》一時間休み、週給二十ド フ ル、|照会状《レマエレンス》は要らない。行くかね?」  または、 「ホテル・エクセレントの玄開ボウイだ。一日三|交替《シフト》で週十二ドル、行くなら早く!」  なんてのもある。多くはろくな|代物《スクフ》ではないが、それでも数多いなかには、楽で体裁がよくて 金になるといったような、怠け者の私にもってこいのが、サムタイムあることもある。  たとえば、 「独身の老富豪の辺り一切を見て、話相手にもなるような青年を求む。給料望み次第。東洋美術 の愛好者ならばなおよし。」  こんなのが一つぐらい舞い込んで来ないものかなあ、と私は明け暮れ念じていた。こんなふう な|独身《フ フフ》の|老富豪《フフ 》というやつは「|草臥《くたぴ》れた事業家」や「逃げて来た|子供《キツド》」や「|大学風《カレジエイト》」や「パン|取《フレド ウイ》 り」なんかと|同《ナア》じに|亜米利加《アメリカ》の社会に現実に存在する一典型なのである。けっしてユニヴァサル 映画や¢聰書店の製作にかかわる|架九《かくう》舌叩ではない。まず南北戦争当時の十官で南部か|新英州《ヌウおイングランド》あ たりの旧家出で、その証拠には一般に|大佐《カアネル》とか|長官《ガヴアナア》とか呼ばれていて、必ず負けるときまって いる。大統領候補者のほうへその清き一票を投じ、そればかりでなく、発音にもケンテキイ州以 南の感じを持っていて、怒ると物を投げてそれからぐっすり一眠りする癖がある。キュナアド汽 船か大北鉄道の大株主で|田舎《いなか》には自分の牧場と、自分の新聞と自分の墓場と自分の上院議員と自 分の|乾酪《チイズ》を作る黒人の老婆と自分の犬と自分の-耋戸薯臼旨三茜を持っていて、オハイオ州 アクロン市に|莫大小股引《メリヤスももひき》工場を経営し、メキシコの銀山に投資し、サンタ・フィ遊覧自動車会社 の大半を支配し、アラスカのユウコンに桟橋を所有し、兄の息子の細君の弟の細君の弟の子が日 本のナゲセキに宣教師をしていたのが一八九六年に死んでからというものは身寄りといっては一 人もない。つまり、東洋の美術趣味というのはこのナゲセキの弟から感染したものらしいが、ま わりくどいだけなかなか|造詣《ぞうけい》も深い。それでおおいに日本青年を大事にしようと心がけている。 財産はーすでに弁護士が作ってある遺書によると、その三分の一を印度伝導会社のカルカッタ |倶楽部《くらぶ》の永久修繕費に残し、第二の三分の一は犬猫病院の食物改良に当てるー・そして最後の三 分の一!○包三鶉。。ヨ<。。奮琴。。8一・ー土れはもちろん面倒を見てくれたる日本青年へ与える!  なんてのが一つぐらいありそうなものだ、と空想にふけりながら、この空想よりももっと 玉=なメリケン踊りに、私は表面ヘノリイに調子を合せてその日その日を送っていた。  ヘノリイは手晶師であった。加州生れの日本人である。汚れたメリンス|友褝《ゆうぜんか》の|裃《みしも》を着て|曲馬 団《サアカス》の|副見世物《サイド シヨウ》に出る。黒くなった|金屏風《きんぴようぷ》の前で頭のてっぺんから水を吹いたり力アドをだんだん 小さくしたりまた大きくしたり、そうかと思うとひげ|田《フフ》の醤油樽を足でほうって見せたりして|杢 兵衛田子作《ヒツフ エンド ルウフス》から|十《ダイ》セントを|集《ム》めるのが、このヘイリイの渡世であった。というよりは、これが彼 本来の面目だったのだが、この時に足を洗って、|紐育《ニユ ヨさク》でちょっと料理を覚えたのち、腕利きの 料理人という触れ込みで私のいるその中西部の都会へ流れこんできていたのである。細君という のが|曲馬団《サアカス》上りの|仏蘭西《フランス》女の踊り子で、昔西部の鉱山地方を|労働着《オウヴオウル》一つの男姿に化けて|行商人《ベドラア》 ー何を売って歩いてたものか私にはわからないーーをしていたことがあるという。腕に|短銃《ピストル》の |傷痕《きずあと》があって、それを隠すためにハアトの△(の|文身《エイスほりもの》をしていた。とにかくたいした|姐御《あねご》であった。  職の無い日本人に、職がないためにある一つの職がある。|腕《エクセレ》っこきの|料理人《ント カルナリ ア テスト》というやつで《ちフ》|あ る。私だってこのほらで|通《フラフ》したことがあった。ほらである。ブラフである。|亜米利加《フフアメリカ》の社会で生 きてゆくためには、まるでこの日本で原稿生活をするように  一げ絽岩目で巳山ぎ.ーこの ぴ冒中が必要なのである。 ≦巴尸ま耳7毫7ヨ9  一九-年の夏、私はインデァナ州の山また山の奥にいた。乾草の塚に音もなく降る雨や、野 路の末を走る|玩具《おもちや》のような汽車の笛に、私は一日も早く町へ出て光線の中を歩きまわりたいとあ せっていた。するとちょうどその時、少し離れた戸市の料理店で「この腕っこきの料理人」を探 しているということを聞きこんだ。私はさっそく鉄道工夫を辞任して、|料理法《クキング》のクの|字《フ》も知らな いくせに、多勢の伸間に|尻押《しりお》しされてその|料理店《しストラン》へ乗りこんでいった。行ってみると思ったほど 大きな家でもなく、私でもどうやら|誤魔化《ごまか》せそうには思ったものの、|瓦斯《ガス》ストウブヘ火を|点《つ》ける 方法も知らない者に、そううまくブラフが|利《キフ》くわけがない。すっかり信用されて、すぐその日か ら白ずくめに白い帽子をかぶって台所に突き出されたまではよかったが、|正午《ランチ》の客が立てこみだ すころから、私はただ忙しそうにうろうろするよりほかに|仕《フフフフ》方がないことになってしまった。 |一品係《シヨウト オウダア》だったから忙しいことはまったく忙しい。ほかに二人|真物《ほんもの》の料理人がいたから、私は 卵を焼いたりパンをこがしたりするなるべくやさしいほうへまわってひたすら時間のたつのを待 っていた。 「|小牛切揚《ヴイル カツレツ》ア・ラ・ホルスタイン!」 女ボウイの一人がけたたましい叫び声を注文窓へ残して去った。あきらかに私へ呼びかけたも のらしい。が、そんなものは見たこともない私にとって、それは単なる音響にすぎなかった。私 は知らん顔をして一つの卵を後生大事に鍋のなかで転がしていた。 「あたしの注文わかって? |小牛《ヴイル》一ちょうよ!《 フフ》|」  女が帰ってきた。何とか言わざるをえない。 「知らねえよ。」私は|唄鳴《どな》りつけた。 「あら? だって|先刻《さつき》ー1。」 「なぜこっちの返事をとらねえ? え? きいきいきいってって引っ込んだんじゃわからねえじ ゃねえか。何?」 「|小牛《ヴイハ》。」と女はべそをかいた《フ 》|。 「よし。」  大きく|頷首《うなず》いただけで私はやっぱり、知らないものはできっこない。 「まだなの?」  と女が顔を出した。実にしつこい。人の気も知らないにもほどがある。私は女を呪った。客を 呪った。|小牛《ヴイル》を呪った。そして黙っていた。 十 「まだなの? 急いでるのよ。」 「うるさい!」私はとうとう怒りだした。「おまえの客ばかりが客じゃねえんだ。なんだ、ア ラ・ホル何とかなんてくだらねえものを取って来やがってー-。」 「ア・ラ・ホルスタインよ。」 「うるせえ! そんなに急ぐなら卵でも食ってゆけってそう言え。台所へ来て自分でやるがいい や。|俺《おら》あ知らねえ。もう決して作らねえからそう思え。泣いたって驚くもんか。」    くや    "、 匡               尓   い彖  女は口措し涙にむせんで窓から離れようともしない。私はぷんぷんしてーー内心もう一度田舎 へ落ちて枕木相手の生活を決心して、そこまではホルスタインも追っかけて来まいからーたっ た一つの卵を|弄《いじ》くっていると、 「おい、どうしたんだ?」  と店主が出てきた。泣声を滝のように連続させて女は事件の説明にかかった。それを消すため に私も人声を発した。いかに|小牛《ヴイル》、いや、女が横暴であるかということや、私が忙しいかという ことや、侮辱されてまで働く意思は私には毛頭ないことやなどを、私はえらい剣幕で述べたてた。 そして、すぐよして出て行くと私は宣言した。店主は苦笑した。|料理人《クツク》の|怒《クラ》りっぽいのは|天《ンキイ》下御 免の名人根生である。店主は極力私を|宥《なだ》め、女を|叱《しか》り、他の料理人に命じてホルスタインを作ら せることにした。私はそれでもぷりぷりして椅子を蹴ったり、皿洗いを突きとばしたりしながら、 横目でちょいちょい見ては、ははあ|板《プランァ》で焼いたな、マッシュで飾ったな、おや、今入れたのは こしょうか、ははあ、|人参《ペパアキヤロッッ》をあしらうんだなーーと、つまり、ホルスタインの|拵《こしら》え方をすっか り見てしまった。その家には一、ニケ月いた。知らないたんびに怒るのも骨だったが、おかげで 一通り覚えこんだ。それから、どこへ行ってもこの一手でブラフし続けて、気がついた時には、 私も無職の職メリケン・ジャップの飯の種「|腕利《うでき》きの料理人」の一人として、一週三十ドルでは、 などと小首を|捻《ひね》ったりするようになっていた。  だから、このヘノリイの場合でも、その料理は要するに彼の手品の一つにすぎないと私は頭か らたかをくくっていたが、ほらとなると|専《フフフラフ》門家だけに私なんか遠くおよばない。ことにものすご いのが一人味方についている。このヘノリイがしじゅう大広間に頑張って電話で来る口を狙って いる以上、私も油断はならない。とこう考えた末、その結果が、面白くもないダンスの稽古とな ったのである。ヘノリイは商売柄ダンスも彼の|手品《トリツク》の一つにかぞえていた。  さて、そこへ|博徒《まくと》のモント・カアロが素敵もない自用自動車が横づけにして、|白金《プフチナ》の指輪を《フ》|ひ けらかしながら私へ対面を申し込んだのである。私はダンスを中止して彼を引見した。聞いてみ ると、彼はその後めがよくて|今《フ》はある待合みたいな|茶屋《ロウド ハウス》にばくち|場《フフフ》を開いているが、客の一人 にフリッグスという金持がある。フォード自動車の|車体《ボデイ》を作るフリッグスだ。それが名士及びそ の夫人たちを招待して近日|加奈陀《カナダ》へ鹿射ちに出かける。私用遊覧船まで買い込んで乗組員も決定 したが|船内執事《ステユワアト》がなくて困っている。その人選を依頼されたから、すぐおまえのところへとんで 来たという。  行くよ、と私はすぐ答えた。|中原《ちゆうげん》の鹿を射ちに俺も行くよ、と乗り出した。カァロは大得意 で歯切れのいい調子でフリッグス・ビルディングのフリツグス氏を電話で呼び出した。と、今会 うという返事。私はすぐあぶれてないように見せるためうんとめかしこんで、カァロに運転させ て社長フリッグスに面会に行った。すると、自分はいいと思うがとにかく家内にあってみてぐれ とのこと。そこからフリッグス家の自動車で、私一人|坦《たんたん》々たる大道を郊外の|邸《やしき》へ送られた。  電話があったとみえて、夫人は応接間に待っていた。私はそこへ通された。 「海の経験がありますか。」とフリッグス夫人。 「海軍にいました。」  と私は予定のうそを一つ。夫人は喜んだ。 「まあ! じゃマルウ・シップに乗ってたのね?」 「え? 何です?」 「あら、 竃口皀。。三でよ。」 「ええ、ええ、乗ってました、乗っていましたとも!」  とまた一つ。一生懸命である。 「マルウ・シップてなあに?」  夫人はにっこりする。さあことだ。 「え? マルウ? 何です一たい?」 「日本の船のことでしょう。日本の船には|皆丸《マルウ》ってのがついてるようですから  。」 「あ、そうそう、丸ですか。なるほど丸がついてまるう・しっぷ、ははあ、これが日本船の総称 ですか。なるほど、うまいことをいったもんだな、まるほど。」 「え?」 「いや、なに、そのーー丸ってのは丸ですよ。つまり円形ですな。」 「だってお船は|円《まる》かないわ。細長いわ。」  困ったな、なんだってこんなことを知ってるんだろう? ええと、丸と.1常陸丸と。 「日本の国旗をごぞんじでしょう?」と私。 「ええ、知ってるわ。日の丸でしょ?」 「そうです、つまり、その丸を取ったんですな、要するに。」 「そうお、でもなんだか変じゃない?」      、 、        おお、 、                                               アイデア  もちろんへんである。大へんである。と、この時、私にとっては実に助け船のような思想が一 つふらふらと沸き起こった。 「そうです!」と私は叫んだ。「丸ってのは城を意味するんです!」 「美的ね。」夫人がおだてる。 「たしかにそうです。丸は城です!」  私は主張する。 「日本では、一の丸、西の丸、本丸などといって丸ははじめ城郭の一部の小高いところ、つまり 物見やぐらなぞを指していったものらしいですが、それがいつしか城全体、というよりもそのも のの別名として行なわれるようになったんです。」  夫人は謹聴している。どうだ、驚いたろう、日本の労働者には|給仕《ボウイ》にさえこのくらいの学問と 弁舌があるんだ、と私は|教授《プロフエサァ》のように、 「それが、船は海洋の城、という日本古来の概念からきて船の名に丸をつけるようになったので しょうーー」  夫人は黙って立ちあがった。おや、お|目見得《めみえ》も駄目かな、一と私が|狼狽《あわ》てていると、夫人は|澄《す》ま して電話にかかった。 「ああ、もしもし、ケニンガムの洋服店? 今ね、日本紳士を一人あげますからね、上等のサア ジに金ばたんで海軍士官ふうの制服を二着ーええ、一つは薄い地で作ってくださいな。え? あたし? フリッグス夫人よ。ね、わかったでしょ? よく|身体《からだ》に合わしてね。それから、帽子 も。金モウルを巻いてね、うちの|頭字《フフイニシアルい》を|碇《かり》にからませたのを|徽章《きしよう》にしてーね、おおいそぎ よ! はあ、さようならー。」  途中洋服屋へ寄って寸法を取らせた私は意気揚々として下宿へ帰ってきた。老船員が久しぶり に十を踏んだように、私の足は歓びにふるえた。二階へあがるてすりを|船員階段《フフフカムペニオンウエイ》に見立てて、 私は勢よく|噸鳴《どな》った。 「00巴'菱.」  下宿叺漲ない縦べ飮が・はてしもない大海原にかわって、白い浪がびかぴかと私の足もとへ寄せ た。頭の上に帆のうなりが聞えた。が、それは、 「やかましいぞ、ジョウジ!」  という元気のないヘノリイの声だった。私の|眼界《がんかい》はすうっと|変《フフフ》わって、むこうに燈台が見える。 薄よごれた油絵のかかっている壁のところに、燈台の灯が明滅する。なんだかそれが日本の三浦 三崎のように見えて、発作的|懐郷病《ノステルジァ》が私のすべてを占領した。小さな声で私はもう一度言ってみ た。 「00巴汁ま   !」  眼の裏があつくなる。  出帆はー<葺出帆は|明後日《あさつて》さ。     £〈 〈 △(  |巴奈馬《パナマ》の街が左手に見える。  |降誕祭菓子《クリスマス ケイキ》みたいな家が一面のみどりのなかに点々と散らばっている。先刻検疫にまぎれて乗 込んできた|西印度《インド》人の春画売りに、ありゃあ何だい、と|訊《き》いたら、|亜米利加《アメリカ》人の別荘だと答えた。 |亜米利加《アメリカ》人がこんなところに何してるんだときき返したら、運河警備の陸軍士官だとのこと、|亜 米利加《アメリカ》とは|紐育《ニユ ヨコク》出帆以来完全に縁が切れたと思ってのうのうしていたら、この|巴奈馬《フフフフパナマ》運河のこ とをすっかり忘れていた。ここはなんだか知らないが|亜米利加《アメリカ》の領土みたいなものなんだそうで、 なるほどそういえば両岸の|索道《さくどう》の上を「|捏粉《ねりこ》の子供」ーき馮ブぴ2ーが歩きまわっている。 |麺麭《パン》の|捏粉《ねりこ》は黄色い土いろをしているから、それでこういうのかもしれないが、ドウ・ボウイと いうのは|亜米利加《アメリカ》の兵隊の|練名《あだな》だ。生意気なやつがいやにえらそうな|面《つら》をしやがると思っていた が、自分の国で威張っているんじゃ文句の言いようもない。が、癪にさわるから、甲板の|欄干《らんかん》に つかまって|嗽鳴《どな》ってやった。 「ヘロウ! フランク、|広小路《ブロウドウエイ》へ|帰《けえ》りてえだろう。俺あ|今紐育《いまニユ ヨさク》から来たんだぞう。  〈\じ ゃ鶏ーー若い女  の相場が下って結婚指輪をはめなきゃ町を歩かれねえって騒ぎだ。芝届も大 変だぞ「|上海《シヤンハイ》のサゴメ」とコ九二四年の画家とモデル女」ってのが大当りに当ってらあ! 最新の流行ジャズだっておまえなんか知るめえ。こんなところに|燻《くす》ぶってると|田舎者《いなかもの》の|乾物《ひもの》にな るぞうっ! じ0ぎぴ9ざまあみやがれ!」  そばで、春画売りがびっくりしてよろこんでいる。|平常《ふだん》この兵隊たちに|虐待《ぎやくたい》されているから、 誰でもこうやって兵隊に喧嘩を吹っかけてくれる人は神様の次ぎぐらいに有難いんだろう。四、 五人のドゥ・ボウイがこっちを見ている。 「なんだ|海《シイ ド》の|犬《ツク》のくせに黙ってろ。」 「そうだ、そうだ、見ろ、見ろ、おい、みんな見ろよ。あの船で犬が吠えてらあ。」 「黒ん坊じゃねえか。ちっ、真黒な野郎だな。」  めいめい色んなことを言ってる。私も負けていない。出船入船に陸や他の船にいる男たちと|埒《らち》 もない-言葉だけのーー荒っぽいやりとりを交すことは「海の犬」の特権なのだ。むこうの客 船にどんなにやんごとなきーたとえば|亜状利加《アメリカ》中部クレジイランド帝国の皇太子のようなお方 が御便乗になっていようと、こっちはいつも「おい、そのぼろ船でよくここまで来たなあ」であ り「そこの|甲板《カンパン》椅子のべっぴんさん、なにかぶら|下《ちフフフ》っていますよう」なのだ。どうせ「石炭倉の 幽霊」だ。これくらいの天下御免の享楽がなくては七つの海を乗りまわす下っぱ仕事はつとまら ないというわけかもしれない。  今は兵隊が相手だ。 「てらら、ら、ら、ら、てら、ら、ら。」  と私は甲板の上で踊ってみせる。石炭の粉で真黒に染っている|頭燈《ヘツド ライト》じるしの仕事着一つ、下 は裸だ。それが小さな機関手柎をかぶって長い髪をふり乱してとんとん跳ねるのだから、兵隊は 面白がって船の下へ集ってくる。面白がられては喧嘩にならないから私は噛煙草の黄色い唾を兵 隊たちの真ん中へ一つ落してやった、そうするとはじめて敵意のあることが判然したとみえて、 兵隊の一つが石をほうった。私は春画売りと先を争って|下級船員部屋《クルウス クオウタア》へ逃げ込んだ。  左は|巴奈馬《ハヰァ》共和国。右は|墨西寄《メキノコ》の草原。第一第二の水門を通って船は運河を大西洋から太平洋 へ引きドげーーじっさい引上げるのだ-ーられつつある。  船の名はパラキャイボ号。私の役は石炭夫、|亜米利加《アメ カ》放浪に飽き果てて、どうともなれとブル ックリンの|波止場《はとぱ》から乗込んだのがこの東洋廻りの世界一週貨物船だった。どうともなれという 気で嗤乗りかけた船」なんだからどこへ行こうとどうなろうと私は平気だった。だから一日八時 間の猛烈な労働にも、我慢ができなくなったらどこの港ででも降りて逃げてやれと思ってこらえ てきていた、朝未明に四時間と冬方四時間石炭庫へはいってシャブルで|釜前《かままえ》へ石炭を落すのが私 の仕事だったが、慣れない私にはこれがたいへんな生地獄だった。よく航海中にやり切れなくな って海へとび込んで自殺する新米の石炭夫があるなどということを聞いたものだが、まったく私 も海底へでも|潜《ひそ》んで何もかもさよならしたくなる|瞬《フフフフ》間があったくらいつらいの苦しいのというよ うな|並人体《なみたいてい》の段ではなかった。でも、船が|巴奈馬《パナマ》運河へかかっているころは、まだ重油を|焚《た》いて いたから割りに楽だった。で、甲板上の修繕仕事かなんかをしている場合のほうが多くて、私も さっきのように兵隊に挑戦するだけの余裕はあったのだ。さて  。  さて、船と陸、または船と船との|呶鳴《どな》り合いは、私みたいな放浪味のゆたかな人間にとっては、 その趣味にぴったり合って、じつに面白い。言葉は|上海《ノヤンハイ》英語という船乗り独特の世界語で、ど んなに怒っても怒らせても空間的に離れているんだから、危険というものがさらにない。つまり 一番口の達者なやつが相手を|悲憤糠慨《ひふんこうがい》させておいて静かに出帆するとか上陸するとかいうことに なる。一分もすれば両方ともけろりと忘れて鼻唄でも歌っていようというものだ。でー  で、部屋へ帰った私は、もう兵隊のことを|綺麗《きれい》に忘れて昨日火夫長に言いつけられたまままだ 手をつけずにいたそこらの掃除を始めた。下級船員なんてやつらは|汚《よご》せばよごすだけ得をすると でも思っているらしく、御飯の時には|麭麭《ハン》を投げる、シチュウのなかから|馬鈴薯《ばれいしよ》を拾って壁へぶ つける、その乱雑なことお話にならない。これらを時々掃除するのも、私の臨時の仕事の一つで あった。  一体こんなことをしなくてもいいものが好きでこんなことをしているんだから、ともすれば仕 事がお留守になるのは臍一口うまでもない。だから私は|箒《ほうき》の手をとめては円窓から外の景色を眺めて いた。  |亜米利加《アメリカ》を出てから一週間になる。  フロリダの岸に沿い、西印度諸島のあいだを縫って船は一文字に南下してきたのだ。大きな白 い鳥が船を追って走ったり、夜光虫の群が船尾の渦に砕けて散らばったり、水平線上の雲が大入 道が笑っているように見えたり、私の鼻の穴が石炭の粉で洗っても真黒になったりしているうち に、今朝、 },検疫だぞ、うっ! みんな甲板へ出ろっ。」  という声に驚いて甲板に出てみたら、乗組員全部が思いおもいの服装でハッチの前に並んで、 |豪《えら》そうな役人が|髭《ひげ》を|捻《ひね》って、事務長がぺこぺこして、その向うに大きな山脈がつづいていたし巴 |奈馬《ナマ》だった。陽がかんかん|照《 フフ 》っていた。そしたらなんだか、急に涙が出るほど嬉しかった。  野原の真ん中に小川みたいな水が流れていてそれに鉄の門が立っている。中は池のようになっ ていた。機械でつくった近代文化の規則正しい構成美だなんかと一人で感心していると、その門 が左右に開いて、船はどんどん池のなかへはいって行く。変だなと思ってそばにいた仲間に聞い たら、それが運河だった。ばかに小さいじゃないかとけちをつけてやったら、なに、これからだ んだん大きくなるんだと|反《そ》りかえって、そして自分の所有物かなんぞのように「驚くな」とつけ 足した。  船が第一の池のなかへはいりきると、池の内側の石の壁にあいている無数の穴から水が噴きだ して、池の水が見る間に量を増す。それが第二の池の水面と同じ高さに達すると、船は極く少し の自分の動力と、両側の|索道《さくどう》の上の軌道を行くアフト式みたいな小型電車ー人間が一人後部に 納って運転しているーーの索引力とで徐々として、動きだす。と、第二の水門を開いて、船は第 二の池の真中ヘ達して|停《とど》まる。  そこでまた池の壁から水が出て第三の池の水面と同じ高さへまで船を浮かびあげる。そうする と船じしんと電車の力とで次ぎの池へ進むというぐあい、これを繰り返しているうちにガタンの 湖へかかった。  一直線の大きな堀割のような運河、その両わきにはコンクリイトの車道がついていて、それか ら公園のような芝生が左右にひろがって、運河の見張所とか係員の詰所とかいうのであろう、そ の芝生のところどころに玩具のような色とりどりのペンキ塗りの小屋が建っている。子供が犬と 遊んで、犬が草花を嗅いで歩きまわる。そのあいだを遠く近く兵隊が散歩しているんだが、赤っ ぽい日光が一面に|軍《びは》めて、白い雲が空高く往ったり来たりしていやに取り澄ましたような小さく まとまった光景だった。|加奈陀《カづク》ヴィクトリァの公園は私がいつも思い出しては愉快になるほど美 しい眺めだったが、ここのこの|巴奈馬《パナマ》運河の設備もながらく忘れられないゆき届いた美の一つで ある。  私はここで円窓から離れる。  春画売りはまだそこらをうろついているとみえて、甲板部員の大部屋に人だかりがしている。 と、昇降口の上から、 「おうい、湖だぞ。洗濯するやつは洗濯しろ。」  とへんなことを言う声がする。  古くから船に乗っているやつは心得たもので、この声を聞くとみんな何もかもうっちゃらかし て甲板へとび出す。手に手にシイツだの|襯衣《シヤノ》だの下着だのの汚れたのを抱えている。どうするん だろうと思って見ていると、やがてめいめい綱を持って来て洗躍物をいっしょに縛って船尾から 水中へ下ろしている。湖へはいってからは船は自力で相当の速力で走っているから、船尾に垂ら した綱は棒のように張り切ってうしろへ引かれる。だから、その先の洗濯物は水中を出たり入っ たり、あるいは水上を滑ったり、水面近く揺れながらひっ張られたり、とにかく、水は淡水だか らこれで充分洗濯ができるというのだ。遅れ馳せながら私もさっそくこれにならって、溜まって いる洗濯物を船尾から下げた。  幾条かの不思議な綱を引いて船は、ガタンの湖を走ってゆく。  私は船室の寝台へ帰って一眠りした。  そうして眠がさめたら、船はもう一度水門をいくつか通り過ぎて、今度は穴が水を引いて逆に 下りて、いつのまにか町の|桟橋《さんぱし》に|繋《つな》がっていた。もうここは太平洋だ。  |巴奈馬《パナマ》の運河を越すのに一日はかかる。だから、時計を見ると午後の八時だった。が、べらぼ うに明るい。で、甲板に立った私は、眼の下に海岸通りから流れてくる夢のような夜の霧を吸い ながら、こんなふうに感じた。  8戸 の残光  熟し切った果実のにおいーバナナー!。  日本日傘をさした|亜米利加《アメリカ》女ーーー陸軍士官  の細若と売春婦のことーー。  |舞踏曲《ジヤズ》の口笛。  着飾った黒人巡査。  その肩に|止《と》まっている|鸚鵡《おうむ》ーー悪口しか言え  ないボウリイー。  誰にでも|挨拶《あいさつ》していく古着屋。  煙草の屋台店から立ちのぼる笑い声。 椰子の下で犬を呼ぶはでな0り。8冖葺  遠くの常設館から伝わってくる楽隊。  |墨西寄《メキシコ》沿岸の雑草。  白い道。よっぱらい。月の出。 ーとまずこんなふうな印象だーこれは詩ではありません。ごめんなさい。  重油を積むために、船は深夜までとまっているというから、みんなわいわい言って上陸してし まった。私は当番だから上れない。仕方がないから甲板に寝そべって夜露に打たれながら、街の むこうにのぼる月を見ていたら、耳のそばで妙な発音をするやつがある。  起上ると、女の子が立っている。今そこの板梯子を伝わって桟橋からあがって来たものらしい。 年齢は十四、五にもなろうか、いかにも|西班牙種《スペインだね》らしく愛くるしい顔をしている。  断髪を振りながら、その|児《こ》が|覚束《おぼつか》ない英語で言った。 「シニョゥル、バナナ、どう?」  なるほど、もぎ立てらしいバナナをしこたま抱えている。 「いくら?」と私。 「|十《クイ》セントでこれだけ。《ム》|」  そういって、大きな房を三つ持ち上げて見せた。笑顔に白い歯がちかと光る。 「そんなにたくさんは要らないよ。これ、くれたまえ。これ一本、ね。」  私はポケットに金を探る。女の児はちょっと哀しそうな表情をしたまま黙りこんでいる。 「いいだろう、一本だって。」 「だってー。」  と身をくねらせる。私はあわてて|十《ダイ》セント|銀《ム》貨を出して、小さい手へ押しつけた。 「一本? |十《ダイ》セント?《ム》|」  女の児は眼を丸くした。私は笑った。女の児も笑った。二人は笑いながら自然にハッチの端へ 腰をおろした。  バナナを食べながら私が言う。ちょっととまった遠い国の港で、子供に色んなことを|訊《キフ》くのは 船乗りのくせだ。船乗りと子供とのあいだにはお|伽話《とぎぱなし》が取り持つ一つの親愛さがある。私たち は月のほうを向いて坐って、いつまでも話しつづけた」 「名は何ていうの?」 「バナナ。」 「は\ゝ\、いい名だね。お父さんお母さんはここにいるの?」 「ねえ、|小父《おじ》さんは支那人?」 「さあー当ててこらん。」 「日本人だろう。」 「どうしてわかる?」 「だって眼鏡をかけているもの。ね、小父さんは日本の|医者《ドクタア》だろう、え?」 「|莫迦《ぱか》。お医者がこんな汚ない|風体《なり》をしてるもんか。」 「ほほほ、貧乏なお医者。あたいも貧乏よ。し 「で、船ヘバナナを売りに来るのかい。」 「ああ。けどバナナなんかどうでもいいのよ  あたい|燐寸《マツチ》のペイパァを|貯《た》めてるの。小父さん、 ない? |亜米利加《アメリカ》のでも。」 「さあ、古いマッチがすこしはあるかもしれない。お待ち、今探してきてあげるから。」  私は下へ降りてあちこちから|燐寸《マツチ》の空箱を抬い集めて|甲板《カンパン》へ帰った。その時、ハッチの向うの 機関長の船室へ、機関長に呼び込まれてはいって行く彼女のうしろ姿がちらと見えた。その扉に なかから|錠《じ よセつ》の下りる音もした。  私は|甲板《カンパン》に立って待っていた。が「バナナ」は出てこない。「バナナなんかどうでもいいのよ」 私はふとその言葉を思い出した。 「0彗三あいつもか。」いろんな色彩のマッチ箱が、私の手を離れて、月光のなかを水面ヘ散ら ばった。  |真裸《まつぱだか》に|洋袴《ズホン》だけはいて、全身油だらけになって私は|汽箭《セハンダア》の上をはい廻っていた。|覆布《オウニンク》が|入陽《いりひ》 を通17てさなきだに暑い豪州の港、その汽関室0、しかも|最熱機《えイ ブレンア》の上なのだから、ともすると 卒倒しそうだった。が落ちてはたいへんなことだけは私も意識していた。停泊中だから|啣子《ビスユトン》こそ 動いていないが、今荷役が済んだばかりだから、蒸気は張り切っていた。明朝五時南洋へ向けて 出帆する  ことによると一番二番の大釜にも火が入ったかもしれない。こんなことを考えなが ら私は|毛箒《ハうン》へ石油を含ませて、下を見ると眼の|眩《くら》みそうな上段の鉄板を、それでも、  「ほんに|碧《あお》い眼の  ほんに三人の  |積荷勘定人《びレィメン》は、  ありゃ、色男さね  。  |南風《みなみフ》ちょと|吹《フ》きゃ、  泣く|娘《び 》が三人  。」  と、焼けない程度に、と、言って落ちない程度に、|身体《からだ》を離して擦っていた。汽関室も|釜前《かままえ》も がら|空《モフあ》きで火夫も石炭夫も上陸していた。酔っ払って喧嘩して怪我人ができるまで、|奴等《やつタ 》は今夜 |晩《おそ》くならなければ帰るまい。当番を|賭《か》けた|春《ダイ》ころに|三《ス》の目を七と振ったばかりに、私は尹一うして 焦熱地獄に|腋《お》ちているのだった。が、|紐育《ニユ ヨミク》を出てこの貨物船で大洋を乗り廻し、赤道以南の豪 州航路も勤めあげ、人の恐れるタスマニァの暴風雨も鼻唄であしらうようになってみると、私も いつしか|船乗《ンイ ドツダ》りの一人になりきっていた。ここは豪州も南端、ニュウジイレンドに近いフリマン トルの港町、女と|向日葵《サニおフラロ》の|綺麗《きれい》な、酒と|天婦羅《てんぶら》の|安価《やす》い英領の植民地。 「|南風《みなみフ》ちょと|吹《フ》きゃ、   泣く|娘《びフ》が三人■-ーーか。」  隣りの|桟橋《さんばし》に|繋《かか》っている英国船の荷上げの音を聞きながら、私は離れ業で両手の油を|胸部《むね》へな すりつけ、耳の穴から|喫《の》みさしの巻煙草を取り出して火をつけていた。  と、甲板を走る|楚音《あしおと》が乱れて聞えた。遣か上の窓が開いア、、さっと|光《ちフ》りが流れた。. 「ジョウジ、上って来いっ!■一  |二運《セケン》である。 「何の用です?」 「,大変だ。手を貸せ、日し  |大変《フフ》が|術《て》もなく私をひっ張りあげた。昔から私はこの|大変《フフ》が大好物なのだ尸細い一直線の|梯子《タラツア》 を、私は遅れればそれだけ損を寸るように駈ずりあがって、昇降口から甲板へとび出した。  ニ|運《セヶ》  二等運転十と無線技師と料理人が|船橋《フリッジ》の下に集まって隣りの英国船キャザリン・|聖《センミ》デ ニス号を指して何か言っていた。荷上げが仕舞いになった時、若い水夫の一人が|船倉《ハツチ》へ落ち込ん だというのである。道理でがらんとしている|向《フフフ》うの船で、人々の|罵《ののし》り騒ぐ声がする。人気の少い 共同桟橋にも早や町の人が走って来る。人手がなくて困ってるらしいから、ジョゥジ、おまえ行 け、と運転十が言った。料理人が上衣を脱いだ。それを引っかけながら、町の人達を突きのけて 私は|聖《セさノト》デニス号へ走り昇った。  メイン.ハッチハッチ.ウエイ      彑                  びぜん たくわ  主船倉の庫口に四、五人の英国水夫が立ち騒いでいた、、制服に美髯を貯えた運転士がしき りに|呶鳴《どな》っていた。私は片脚かけて下をのぞいてみた。積荷を|全部《すつかり》上げてしまったとみえて、|幾 丈《いくじよう》という底の底まで見通せた。両舷を船尾へ続く大|鉄棒《ンヤフト》の問に|牡丹《ぽたん》の花みたいなものが小さく 拡がっている。赤黒黄緑色々なものがごっちゃになって趨か下に一片の牛肉のよう  。丸太を 担いで|庫口《し ノチ ウエイ》を歩いていたが、うしろの端が綱に引っ掛かり、中心を失って落ちたのだという。 丸太は二つ三つに折れてどこかへすっ|飛《フフ》んでしまった。|呼吸《いき》は絶えていても、人体を荷物のよう に|起重機《ウインチ》だけで上っ放しにするわけにはゆかない。戸板へ|屍骸《しがい》を積んでその上へ四2這いになっ て調子を取りながら一緒に昇ってくる者が必要だ。戸板の四隅には鎖が掛けられ、左右両舷の|起《ウイ》 ンチ                ,              つ 重機は白い煙を吹いて、二人の船員がその部署に就いたが、さて、あの惨死体と鼻を合せて、し かも板一枚に乗って捲き上げられようという有志は一人もない。 「さあ|起重機《ウインチ》に気をつけろ。血はな、いいか、血は水よりも濃いんだ。」  運転士はさっさと身軽に用意して船底へ降りていった。|水夫長《ボウスン》らしい老人が|倉庫口《ハツチ ウェイ》の角に立 って信号を発することになった。左右の起重機手はこの信号者の指先を凝視する。信号者は左右 の手を高く掲げて、指先を早く遅く内に外に折り動かして、起重運動の方向と順番と速力とを示 す。起重機に在る者には実際の状況が見えないから、この指先の信号が唯一の頼りなのだ。二人 の水夫は充血した眼で水夫長の節くれだった指を|見詰《みつ》めはじめた。やがて下から合図があったと みえて、板を吊り下げた鎖がぴんと|張《フフ》り切ると同時に、|右舷《うげん》の起重機ががらがらと|糸《フフフフ》を巻きだし た。さては|左舷《ボルト》へ下ろすとみえる。私は|右舷《スワホルト》へ歩みを移して息を|凝《こ》らしていた。信号をしてい                               ざんしたい  あが る水夫長の顔がだんだん険しくなって果ては泣きだしそうになった。惨屍体が昇ってきたことを' 知らせる。一同決死の色を浮べて|蒼白《まつさお》になった。と、太陽が昇るように、|真紅《まつかか》な|塊《たま》りがぬう《フフ》|と |倉庫口《ハノチ ウエイ》へ姿を現わした。なんとも知れない異様なものだった。毛だらけの手|頸《くぴ》だけが真白く垂 れさがっていた。その上に四2這いになった運転十は四肢を踏ん張っていた。顔をあげて辺りを |白眼《にら》みまわしていた。 「》マ紂=  」  一声叫んで水夫長は指の信号を変えた。彼は明らかに|面喰《めんくら》っていた。もう一、二秒待つと好か った。が、遅かった。左舷の起重機が猛烈に回転して鎖を左へ引いた。水夫長はとび|退《の》いた。《フ》|ど しんと|音《ちフ》がして戸板が左寄りの|倉庫《ハソヰ ウエイ》ロヘ衝突した。そして木の葉のように逆さまになった。 「おい、何をする?」  というような運転+の声が閃えたと私は思った。その時はもう、生死二つの|身体《からだ》が追うように |縺《もつ》れ合って|真逆《まつさか》さまに落ちて行った後だった。私は|倉庫口《ハノヰさウエィオ》ヘすわり込んで下をのぞいた。とて も立つ事はできなかった。立つと私がとび込みそうな気がしたからである。  どっちかが途中|鉄棒《ノヤフト》に|打《ぶ》つかったと見えイー、、鋼鉄の肌が一点ぎらぎら光っていたーーーそしてそ の底に十二、三フィートの距離をおいて、二つの小さな花が咲いていた。  私は船乗りをよす決心をした。二度と汽箭の上なぞへは上るまいと誓いを立てた。 「血は水よりも  。」  私は眼を|外《そ》らした。その視線の落ちたところに、南半球の水が夕陽に輝いているし船員たちが 狂気のように走りまわるなかで、私は|放心《ぼんやり》して立ち上った。 |姐上亜米利加《そじようアメリカ》漫筆  |亜米利加《アメこカ》の社会に新興の勢力を有している階級は、一八○○年代の末に欧州大陸から移住して きた外国人を父母とする二代目三代目の市民である。|欧羅巴《ヨミロツハ》の田園を捨てて、当時旧世界にとっ て一も.一もなく|希望《つント サヘ》の|国土《 プロミズ》であったあめりかへ、じつに|夥《おびただ》しい貧窮者の大軍が移民の浪をつく って押し寄せてきた。この連中はたいがい|欧州《おうしゆう》の山奥の百姓だ9たので、何も土をいじるくら いなら|亜米利加《アメハ カ》くんだりまで出てきやしないという|肚《はら》があるから、みんな申し合したように都会 の隅に集って、旧大陸から持ちこした宗教と生活様式を大事にしながら、新しい社会の建設にそ のころ不足で困っていた手足の労働を、|亜米利加《アメさカ》のために供給することになった。だから今日で も、|田舎《いなか》へ行けば比較的純粋のあめりかん|亜米利加《アメドさカ》を見出すことができるに引かえ、各州の政庁 所在地もしくはそれに次ぐ大都会の一部には、いまもって英語の通じない|個処《ところ》があったりして、 この移民系市民の教育には政府もさんざん骨を折ってきたものである。  」たいこの人達は、無意識にしろ半意識にしろ、国家生活と個人の幸福と相容れない場合もあ るということを歴史によって教えられたつもりで、それを逃れるために新大陸へ渡来した気でい るのだから、|亜米利加《アメリカ》がだんだん国家としての外観を備えてくるにつれ、その社会の中心をなし ているアングロ・サクソン系の市民にとって、この移民系市民並びにその子弟が、帝国主義的立 場から、この上なく心配の種であり、大きな脅威とさえなったことは想像に難くない。すなわち、 その産業の|揺藍期《ようらんき》において、個人の自由と機会の均等を売物にして全世界の労働市場から労働者 を|糾合《きゆうごう》した|亜米利加《アズリカ》は、国家生活が安定し、ようやくにして眼を対外的に転じて国としての威 容を保とうとする今日に及んで、にわかにその広漠とした移民労働者の大群に、手のつけどころ    ろうばい                             沽りあがり のない狼狽と困迷とを感じだしたのである。金力は横断的の誇り、血は縦断的の誇りだ。成上 |者《もの》がフロック・コゥトを着て馬車に乗ったのはいいが、生れがよくないのでどこへ行っても馬鹿 にされる。これが今の|亜米利加《アメ カ》の悩みだ。で、こんなやつに限って|権柄《けんべい》ぶるのと同じように|亜米《け  メ》 |利加《リカ》は最近急激に帝国主義的傾向を帯びだした。それがあまりに必要以上の気取りかたであると ころに、世界の識者の眼に|莇《ア》亠|米利加《メリカ》が悲惨な道化役とさえ映るゆえんであろう。しかし|亜米利加《アメリカ》 にしてみれば、外部に対するよりも内部に対する構えであり教育であって、その大きな経済力を 利用して、今後ますます外壁の上塗りを固めてゆくことであろう。|亜米利加《アメリカ》民衆の社会思想、あ めりかの政治、あめりかの国家行動は明らかに時代に逆行している。ほかの国が脱ぎ捨てた|衣《ころも》を |亜米利加《アメリカ》は金で買い取って一枚一枚着ている観がある。今に精神的鎖国の状態に入って、国際的 わからずやの、資本封建の怪物が|太平洋《たいへいよう》の|彼岸《ひがん》に|蟠居《ばんきよ》することになると思う。今日すでにその|萌 芽《ほうが》は見えている。|亜米利加《アメリカ》ほど無知で8再豎巴な人間はちょっと類がない。そしてその|亜米利 加《アメリカ》人なるものの大部分は、前にも言ったとおり欧州移民系市民の二代目三代目なのである。|亜米 利加《アメリカ》の精神文明が、その国家生活が、歴史を逆に、他の民族の歩いて来た道を反対に|辿《たど》って帝国 主義に還元しつつあることは|亜米利加《アメリカ》自身これを認め、そうして誇りとするところであろう。な い袖を無理に振ろうとしているうちに、ながらく自分と自分に言い聞かせてきた錯覚が|嵩《ソヤつ》じて、 外観には悲しい、しかし自分では満足な妄想を抱くにいたった形だが、この責任を問わるべき者 は、|朝《あした》にタベに|乗《ゆう》り込んでくる移民とその子弟を|亜米利加《アメリカ》精神と呼号する|黴《かび》の|生《は》えた国家思想の 名において、ひとえに生産に「|役立《フアンクンヨン》」させるために「教育」してきたいわゆる知識階級のアン グロ・サクソン系市民の少数であって、その代表的なものが各地の都市において「タイムス」と いう字の付く新聞を出しているハァスト|閥《ばっ》の宣伝機関だ。実に|亜米利加《アメリカ》のあらゆる社会進展は、 この二大系統市民の対立もしくは|扶助《ふじよ》によってなされるものとみてさしつかえない。だから、|亜 米利加《アメリカ》が国家として何か発言する場合には、その対象の大部分を国外よりも国内において、常に これを意識している。そうすると、ハァスト系新聞団がただちに|亜米利加《アメリカ》帝国の言わんと欲する ところを、|爺《じじ》い|婆《まま》あにもわかるように  いわゆる|理解《フフ》をつけるといったふうに  割って砕い て噛んで、ごく|卑近《ひきん》な例証をさえ添えて身中の虫どもに言い聞かせる。見ていると滑稽だが、|他 人《ひと》が一生懸命ですることは、何によらずはたで見ていれば|可笑《おか》しいものかもしれない。|亜米利加《アメリカ》 民衆の平俗にして無知なること推して知るべしである。  かくのごとく|亜米利加《アメリカ》の国家的態度は万事つけ焼刀である。したがって|毫《ごう》も恐るるに足るまい。  欧州移民とその二代目三代目を統率して、国家としての体面と経営をつづけてゆくために、|内 兜《うちかぶと》を見すかされまいとして、中央政府  その表面の構成分子はいつでも大部分アングロ・サ クソン系市民であることを忘れてはならない  が必要手段として採用しているだけのことなの だ。しかし、これは解剖してみて言う話であって、今日の|亜米利加《アメリカ》が上下をあげて帝国主義的に 傾きつつあることは、国というものの珍しい|亜米利加《アメリカ》人が鼻を高くしているところで、これはあ くまでも事実であるので、、もうすこしこの新興|亜米利加《アメリカ》帝国の中堅であるところの欧州移民系市 民の二代目三代目について考えてみよう。  幾世紀のあいだ王権貴族と僧侶によって圧迫され、|兵馬《へいばち》と|徴発《ようはつ》によって悩まされ、また産業 革命以来体形を作り始めた資本団結に|脅《おびや》かされた欧州移民が、先祖代々の地を見棄てて新大陸へ 渡航した心もちの底には、自分達だけの幸福を追おうという小さな権利への眼ざめとともに、 「国」から逃れ出ようとする思想が|潜《ひそ》んではいなかったろうか。国家として縦の|鉄棒《バア》の通ってい ない上地でこそ、自分達は息がつけるであろうという気もちがあったことは、彼らが|亜米利加《アメリカ》へ 根を|生《ま》やしたのちまでも、彼らの|多《 》くが、|亜米利加《アメリカ》の国家生活とその政治、いろんな形式の国体 の発動に対して無頓着没交渉の態度をとってきたことでも知れるし、また現に、この移民とその 子孫のいくぶん有識者の間に、国家としての|亜米利加《アメリカ》を否定しようとする団体と実際運動ー1   やくドしのような労働運動とはべつな  が存在している事実によって、一層その間の事情 が|闡明《せんめい》されると思う。  これを社会的に|観《み》て、|欧羅巴《ヨミロヴパ》ーーというのは|露西亜《ロシア》、|独逸《ドイツ》連邦、|波蘭土《ポヨランド》、|伊太利《イタリず》、|希臘《キリシャ》等の移 民国ーー系移民の帰化市民にたいして、雇主の立場に立った先住のアングロ・サクソン系市民を して言わしむれば、その言分はまたおおいに変わることになるであろうが、彼ら  アングロ・ サクソン系市民は、自由と、|豊饒《ほうじよう》未開の土地と天産物とを|囮《おとリ》にして、宿屋の客引きのような宣 伝で|大《ホウル 》々|的《セィル》に移民の大軍を包容して、彼ら自らが膝を曲げて従事することを快しとしないとこ ろの、社会下層め労役に服せしめ、その果実をもって|亜米利加《アメリカ》を富まし  この時は「われらの、 そしてわれらだけのあめりか」と彼らはいうー もって現実に|亜米利加《アメリカ》を作ってきたにかかわら ず、近年、時間的並びに進境的に余裕ができてみると、ざて、移民系市民の国民的教養の欠如が 眼について、気になってしようがない。そ戸」で、いろんなことを言い立てて  いわゆる識者は どこの国でもいろんなことを言い立てるものだがーーやつらは不潔-ーーじっさいあんまり清潔で はない。-ーだから銜生思想を吹き込めの、英語以外の使用を禁じろの、選挙の投票を|励行《れいこう》させ ろの、猿よりも神様のほうが|豪《えら》いことの、旧教を捨てて新教につけのと、とにかく、正気の沙汰 とも、思われない愚にもつかないことを大声に言いはじめた。  これがいわゆる有難い|国民化《ナノヨナライヤイノヨン》の運動であるご  一たいアングロ・サクソンは報酬なしにはけっして何事をもしない民族である。無智な群集に かかわらず今まで眼をつぶって新天地を与えてやったのだから、これからはおおいに|亜米利加《アメリわ》帝 国に誠忠をつくせというわけで、この国民化運動の真ただ中へ|麗《れいれい》々しく|扣《かっ》ぎ出したのが|亜米利加《アメリヵ》 精神、換言すれば|亜米利加《アメリカ》人帝国の根本思想である。まるで|金襯《かなだらい》に銀紙を貼って「見ろ、見ろ、 みんな出て見ろ、太陽だ、太陽だ、さあさ、拝め拝め」と|呶鳴《どな》りながら|竿《さお》の頭につけて触れ歩い ているのと同然で、助からないのは移民階級と、そのとばちりを食う世界のわれわれだ。|莫迦《ばか》ば かしくて見ていられない。  この主義的気運は以前からそろ乂-、ろ動いていたことだが、それを助長したのは過般の欧州大戦 である。おしまいのころに|亜米利加《アメリカ》も参加したが、|亜米利加《アメ カ》が兵を動かすとなれば嫌でも応でも 大部分をこの欧州移民系市民に|俟《ま》たなければならないが、移民たちにしで、みれば、自分もしくは 父祖がさんざん|虐待《ぎやくたい》された本国のために、すこしの国家的愛着と義務をしか感じていない|埔米 利加《アメリカ》の兵十として戦いにゆくことの必要は認めにくかったろうし、また|独逸《ドイノ》ならびに|墺匈《オウキョウ》国か ら来た移民は、なんと言っても故郷に弓を引く気にはなれなかったであろう。と同時に、参戦に 反対したいわゆる非国民の平和論者が、移民を会員とする左傾団体から多く輩出したことも事実 である。そこで、移民には国家観念がない。これに|亜米利加《アメリカ》精神を教えて国民化することは刻下 の緊急事であるということになって、戦時から戦後にかけて国民化の提唱がやかましく論議され た。その、期待した以上の効果が、移民系市民の二代目三代目の上に、今顕れてきたまでのこと で、これはまるで麺麺をやったからたましいをよこせというようなものだが、死んだウィルスン という男なんかアングロ・サクソン系市民の代表者である。  ようやくにして「国民化」された移民の二代目三代目が、このさき、笛の音につれてどれだけ の帝国主義の踊りを踊ることか。|亜米利加《アメリカ》にたいする興味は、単にこの上に留まるといいえよう。 |謹《つつし》んで見物するとしても、ここにわれわれ日本人として感謝しなければならないことは、日本 人がこの時代錯誤の踊りに参加することを拒絶されていることである。排日というのがそれだ。 ここに思いいたったならば、われわれは|亜米利加《アメリカ》の排日に怒る前に、排斥されている運命を真面 目に感謝すべきであろうと思う。運命のとりなしに感謝して|然《しか》るべきであると思う。  いったい日本の人には、|亜米利加《アメリカ》の正体がわかっていないように思う。ある人達は日本へきて いる|宣教師《ミッメヨナリき》のようなのが|亜米利加《アメリカ》人だと思って、あめりか人はみんな地味な|敬虔《けいけん》な人ばかりだ と考えている。いつも神様の親類のような顔をして、他人のことを心配しているのが|亜米利加《アメリカ》人 で、やれ独立心が強いの、やれ個人の自由を重んずるの、やれ公衆道徳が発達しているの、やれ 公明正大だのとやたらに感心して有難がっている。だから、その普段尊敬|措《お》く|能《あた》わざる人たちに 排斥されたと聞くと、取りつくしまもないような気がして一図に情なく感じて卑下してしまう。 あげくの果ては痛憤の熱涙に|咽《むせ》ぶということにもなる。しかし、日本へ来ている|宣教師《 ちッノヨナリミ》が単に 職業的宗教家にすぎなく、その言行はすべて職業の一部としての意識のうえに言行されると同じ 程度の正確さをもって、|亜米利加《アメリカ》人の大部分は神様の親類でもなければ、そのまた親類の親類で もない。しかも|宣教師《ミッンヨナリヨ》のように表面だけでも地味で親切で|敬虔《けいけん》なのは、|亜米利加《アメリカ》人のごく少数 で、今はほとんど異例に近いと言っていい。  不注意な観察には両極端が打ってくるもので、日本人の見る|宣教師《ミッンヨナリき》のようなのは|亜米利加《アメリカ》の 極端な一部であるように、他の極端の一部も、ごく少数のあめりか人と、ほんの一|隅《ぐう》における|亜 米利加《アメリカ》生活とを示しているにすぎない。すなわち|映画《スクリン》をとおして見る|亜米利加《ァメリカ》である。  ところが、ある人々、ことに若い人たちは活動写真でみる|亜米利加《アメリカ》が|亜米利加《アメリカ》の全部だと思い 込んでいたりする。これも大間違いだ。|映画《スクリン》のあめりかは、他のあめりかが排斥する|亜米利加《アメリカ》の 一部で、多くは|亜釆利加《アメリカ》生活の物的|豊潤《ほうじゆん》さを結果において、誇大に広告するものにすぎない。 いくらあめりかだって、|映画《スクりン》で見るほど|愚鈍《ぐどん》でもなければ|豊満《ほうまん》でもない。|聖林《ハリウツド》はあめりかの|羅 府《らふ》の郊外の一小都|会《ヨ》である。けっしてあめりか全体を代表するものでないどころか、|聖林《ハリウツド》は|亜 米利加《アメリカ》ではないかもしれない。|聖林《ハリウツド》は|聖林《ハリウツド》であろう。  そこで、いい意味にしろ悪い意味にしろ、誤解されていると言えば、日本も誤解されている点 ではあえて|亜米利加《アメリカ》に負けない。ノてれが、妙なことには、われわれも二|様《よう》に誤解されているよう だが、一つ日本は今でも軍国主義の国でサァベルが威張っていると思われていることと、もう一 つは、日本のヤンガア・ジェネレイションは熱烈な学間の愛好者で、読書と思索を大事にする点 では世界一だと|観《み》られていることだ。どうも恐れ入るが第一のサァベルのことは今回の田中内閣 の出現と、ほとんど組閣と同時に決行された支那出兵の件など一層そう思われるかもしれないが、 実際のところ、日本は現今の|亜米利加《アメロカ》よりも軍国主義でないことはーーそうある必要のないこと は、一度その時代を通り過ぎてきプ、今は完全に客観しうるわれわれが、誰よりも」番よく知って いる。第二の若い人達に対する讃辞だが、それはなるほど、|亜米《アメ》利|加《カ》の学生なんかに較べれば勉 強もすれば、ーーそのためには自殺さえする!ー-しだいによっては試驗間題を買って入学するく らいの学究心も持ち合わしているけれど、なにもそう読書と思索が人好きなわけでもあるまい。 少くとも内部からはそう見えない。勉強のしにくい社会制度と、不必要にして過重な教育方針に 押しつけられてぎゅうぎゅう言っているだけだ。が、文学という流行物にたいしてはいささか敏      あおじろ  そ弓めい 感であり、蒼白く聡明であるかもしれない。なにしろ文学青年というグルウプがあって、それが ゴシッブとおべっかによって作家の私的交友の範囲を文壇という存在にまで祭りあげ、その作家 達が相互防衛のためにますます|城塁《じようるい》を固くするので、はい上ろうとしては滑っで、悲鳴をあげて、 それでまた、そんな仲間のことを書いた雑誌が、売れない売れないとこぼしながらともかく毎月 いくつとなく刊行されているくらいだから、まったく文学青年とそれを相手にする文壇なるもの は日本国の特産かもしれないが、どうせたいしたものでありえない。日本の青年は忠実な思想の 追究者だなんかといわれている。とは、誤訳だらけの翻訳で西洋文学と思想をのぞいたそこらの 連中をしていたずらに好い気もちにふくれ返らしむるに止まり、けっして事実に近いとは思われ ない。各種一円本の目録だけ見た|狼狽《あわて》者の西洋人が、驚いて本国へ打電でもしたところから、こ んな間違ったお賞めに|預《あず》かったものとみえる。  しかし|亜米利加《アメリカ》の若い者よりは数等上だ。なんと言ってもそれだけは事実である。  移民の二代目三代目を国家主義に仕立てようとしたアングロ・サクソン系市民の教育法が間違 っていて拙速を尊び、|亜米利加《アメさカ》の有難い点だけを無理やりに詰めこんだので、ほかを知らないで   その上、より悪いことには少しも|識《し》ろうとはしないでーーただ思い上っているへんなもの《フフ》|が でき上ってしまった。これから世界の|凡《あら》ゆる無礼を振舞ってゆくであろうところの、移民あめり かの坊ちゃん連がそれである。彼らはお話するのも恥かしいほどお粗末だ。雑然騒然としている 彼らを|識《し》ろうとするには、彼ら自身を|視《み》るよりも、彼らを相手にものを言っているのを閃くのが 一番早い。それに便利なことには、自ら移民の二代目三代目を「国民にまで教化」する義務あり と|持《じ》して立っているハアスト系新閃団である。  て、ちょっとその論説なるものを見てみよう、 「買物するな。古いもので我慢しろ。」  というのは大声で歌われてきた経済の唄である。もしわが|亜米利加《アメリカ》が、その浪費をすこしつつ しんだなら、それだけで地球の上の他のどの国をも養うにたりるであろうーというのが書き出 しで、つぎにこんなことを言っている。これが奇抜でなかなか面白い。 「しかし利口な人は、浪費を排すると同時に、ほんとの倹約とけち|臭《スびアンベンネス》いこととの区別を心得てい る。けち  言いかえればはき違えた経済は、事業を滅すものであって富裕の敵である。一国に してみれば、その産業を不振にすることにおいて財界の恐慌よりも恐るべきものである。土地の 産出力は肥料と水とを流し出すことによって促進される。それと同じように、一国の富は、金を 流し出すことによって産業に刺激を受けて促進するものだ。ところが、ここにはき違えられた節 約の実例としてあげたいのが、松葉を食して、それによって同胞に浪費を|戒《いまし》めるつもりでいるら しい一日本老人の実話である。」  とばかりに、ここでその本来の目的であるところの日本の曲解に取りかかっている。これは今 に始まったことではないが、要するに、日本にたいして自国内の悪感情を拡げて、それによって 移民系市民の頭に国家的区別を判然させていわば結束を固めようとしているものにすぎないのだ が、こんなところへ毎々引合いに出される日本こそいい面の皮である。おまけに、政治屋がこの 感情を利用して移民労働者の利益のためと称して法律による排日を露骨に実施するのだからたま らない。相方からけしかけられては、元来単純で無智な移民系市民とその二代目三代目が、いよ いよ日本を眼の|仇敵《かたき》にして、日本あるがために軍田主義的に走りつつあるように|観《み》えるほどなの も無理もないところであろう。馬鹿馬鹿しいが、日本という字が出てきたので我慢してもうすこ し読んで行く。 「これはレオポルド・ウィンクラァ教授の実見談である。」  と前置きをして、これからがそのいわゆる「松葉を食うけちな老人」の話だ。 「ウィンクラァ教授は、東京から西北の、日夲海沿岸へ出る汽車の中で、同車の日本人を観察し たのである。一人は賛沢なる日本紳士  富豪と見えて随行員を|伴《つ》れて旅行している  の有様 がウィンクラア教授の筆によって如実に諸君の眼前に浮かびでるであろう。その随行員というの は二人のゲイシャ・ウーマンで一人のゲイシャは色の|褪《あ》せはてた|擦《す》り切れた女だが、これは若い 方のゲイシャの保護者の格で乗り込んでいる。若いほうのゲイシャはまた恐ろしく若くて、旅行 中は老紳士の娘の役を演じているくらいである。」  つぎは彼らがいかに愚劣な浪費者であるかについての、ウィンクラァ教授の描写である。と断 って、 士、て、 ,諷つだ。 「向側の長い座席に騒がしい一団が控えている。その隊長と思われるのは知名の士らしい紳士で、 貴族出の実業家とみえる。素晴らしい服装をしているが、なかで一番眼につくのは、だらりと胸 に下っている重い白金の鎖である。これが左右に随行員を|侍《はべ》らせて、安楽な尊厳の中に寝そべっ ているのだ。その左側の若紳十も、実に立派な物を身につけていて、|襟飾《ネク タイ》とカフス|釦鉦《ボタン》は、金         っい                              はつかせんべい                    はつかせん に真珠のはいった対で小さな腕時計をしている、、それは薄荷煎餅ほどの大きさで、光りも薄荷煎- |餠《べい》に似ている。老紳士の右側にいるのはだいぶ年を取った女である。そのねだるような態度と活 発な眼の動きとで退職したゲイシャということは一眼で知れるーー譲次曰く、西洋人でもこのウ インクラァ教授なぞは隅へおけないー-この退職ゲイシャは、彼女と老紳十とのあいだに|据《す》わっ ている子供のようなゲイシャの保護者であって、その若いゲイシャは、小さい美しい、においの いい|蝶《ちようちよ》々だ。|彼《ろ》女は快活で、お|饒舌《しやべ》りで、絶えず着物と髪のことを言って笑っている。笑う時 は、必ずその子供のような手で顔を隠すのだが、指に大きな|金剛石《こんごうせき》が光っている。一行はしじゅ う飲んだり食べたりして、アイス・クリームを食べたかと思うと、、つぎに|仏蘭西《フランス》から輸入した ビスケットや|亜米利加《アメリカ》製のチョコレートを噛じっている。そのうちに若紳士が純粋のマラスキノ の蠍を取り出すと・老紳士はトコガハの口苧ーちゃか仁臺訌鵯耋膏と言ってあるんだか ら仕方がない  で音を立てて酒を呑みはじめた。 「若いゲイシャはお菓子を手に取って、それにー-お菓子にー|秋波《しゆうは》を送って、しかる後に前歯 でばりばりと|噛《フフフ 》み砕いている。いつまで|経《た》ってもこの一行はこんなことを繰返しているのだ。こ の連中は日本人の中でも無作法な人達とみえて、同車の日本人もよほどあきれたものらしくみん な黙って見物している。とひとりの力強い革命的な顔立ちの紳十が、怒ったように窓をあけて一 行に背中を向けた。そうすると、やっと気がついたらしく、老紳士とゲイシャ達は会話を中止し て手持ち不沙汰にぼか〃としたが、やがて・老紳十が身を起こして、わざと車中の人に閃えるよ うに、大声に若紳十を叱って言った。 「俺達はこんな高価な外国品を買っては|不可《いけ》ないのだった。|賛沢《ぜいたく》じゃないか、なんだっておまえ はこんな物を買ってきたんだ?」  とウィンクラア教授の見閃記はちょっとここで切れて、間にタイムスが註を入れている。 「これは日夲人の|賛沢《ぜいたく》の写真である。しかし、実見者が親しく味わった不愉快な感じ以外には、 さほど他にとって有害でないのが不思議なくらいだが、その馬鹿な老日夲紳十は、外国製の高価 品と本国産0ゲイシャに金を使っているからまだいいので、ここでも日本お得意の専売法を施行 されてはかなわない。そんなことをしたって、経済的にはなんにもならないからである。」  それからウィンクラア教授は、いよいよその自ら松葉を食べて、|他人《ひと》にも松葉を食べることを 奨める老人の話というのに移っている。これはよほど珍妙な記録である。 ・長い藻い攤駲餠を箏やして・狂信的の眼を光らせた小柄の・啾んだような老人が異常な昂奮をも って客車へとび込んできた。彼は物々しい厳格な態度で、私の眼の前の席について着ている外套 を脱いだ。下には黒のモーニング・コートを着ていた。彼はきちんと座席に腰を下して、ゆっく り|鞄《かぱん》を開けて、中から小さな袋を取り出した。それから、非常に注意深く袋の口をゆるめて、儀 式のように手を差し入れて、緑色をした松の葉を十本ばかり|掌《てのひら》に|摘《つま》み出した。そうして私はじ め一同があっけに取られているうちに、彼はその松の葉を口の中へ押し込んだのである。  しばらくは、松葉を噛み締める彼の|顎《あご》の楕円体運動と、水っぽい唾液の音とがあるばかりだ。 私たちも驚いたが、一番驚いて、その|驚樗《きようがく》を|明《あか》らさまに表現したのは、富豪の老紳士と彼の引 率する|悪戯《いたずら》ずきのゲイシャ達である。めいめい|愚《おろか》しい顔を空中にぶらさげて口を開けていた。こ れは、客車の隅で|低声《こごえ》に歌をうたっていた男にさえ、今までつぶっていた眼を開けさせるに足る ほどの奇異な光景だったに相違ない。車中の人の視線と注意が自分に集中されていることを知る や、小さな老人は松葉を噛む仕事を中止して、講演者の口調と態度で一同に向って話しかけた。 「松の葉こそわが国民を救うことのできる唯一の材料である。放逸、|奢侈《しやし》、浮薄は国を滅す|因《もと》で、 このまま進むならば、われわれ日本人は肉体も精神も破壊にいたるであろう。|否《いな》、人類全体が滅 亡をさして急ぎつつあると言わなければならない。この機に当って現われたのがこの松葉の福音 である。松の葉だけが|吾人《ごじん》人体を救い出すのであろう。諸君よ、ともに松葉を食え。近い例が私 であるこ私のこの健康な|身体《からだ》を、よく注意して見ていただきたい。私はもう長いあいだ松葉だけ で生きてきたが、これ以上清らかな、これ以上に栄養に富む、またこれ以上に美味な食物はほか にないことを断言できます。私は我が国民に松葉食の福音を宣伝するために年中旅行している者 で、いまもその講演に行く途中なのです。私は日本人に松の葉を食わせることをもって使命とし ている、諸君よ、松葉を食え。」  演説を終った老人は、よろよろしながら立ち上がって、客車の巡回を始めた。彼は一人一人の 乗客の前に|丁寧《ていねい》に|叩頭《じぎ》して一掴みの松葉を渡して歩いていたのである。」  ウィンクラァ教授の記述はこれで終っているが、あとヘタイムスがつけ足している。 「これは日本における両極端の例である。」方は浪費癖の、自己満足の愚物、他は松葉食の福音 に生きる『小さな|凋《しな》びた老人』であるが、一国の財政生活にとってどっちの極端が破壊的である かと言えば、それはもちろんこの松葉の老人によって代表されるはき違えられた経済観念であろ う。  もし日本人がすべて松葉を食べるようになったら、日本はどうなるであろうか。かの、ペリイ 提督が西洋文明を紹介して以来長足の進歩を遂げた驚くべき国家日本は、一日にしてペリイ以前 の恐ろしい野蛮時代に返ることであろう。」  ペリイ以前の恐ろしい野蛮時代と言っている。それだけでもその語るに足らざること、何とも あきれたものだ。  松葉は|甚大《じんだい》な栄養価値のあることを知らずに言っている無智の言だから、ウィンクラア教授の |妄《もびつ》は許すとしても不届きなのは、それを取ってただちに日本の悪口となし、日本を漫画化してい るタイムスの書き振りとこれを読んで喜んでいる移民系市民の二代目三代目達の|莫迦莫迦《ばかばか》しさで ある。  ただ国民化運動の|顕《けん》が見えてきて、こんなのが新興アメリカ帝国の中堅勢力になりつつあるの だから、この連中の程度をまずここらあたりに掴んだ、|亜米利加《アメリカ》を|云為《うんい》する場合には、これに対 して物を言うくらいの用意は、日本人としても必要であろう。|亜米利加《アメリカ》に思想なく、|亜米利加《アメじた 》に 芸術な/\あめりかに趣味のないのは当然である。日本人は一たい|亜米利加《アメリカ》を買いかぶりすぎて いる、|並米利加《アメリカ》こそ日本に学ぶべき幾多の事物があるであろうが  ペリイ以前の野蛮時代の精 神的所産のごとき確かにその大きな」つであるしーー日本は|亜米利加《アメリカ》から教えられるべき何もの をも発見できない。|亜米利加《アメリカ》にして「ペリイ以前の日个」を完全に内面から理解できた時ハその 時こそ日本人は|亜米利加《アメリカ》に対して相当の尊敬を払うであろう。・  不自然なことがうまくゆくわけはない。  にわかに国家ぶるために持ち出したブリキの太陽は、色々の好ましくない陰影を|亜米利加《アメリカ》の社 会に投げている。  おまけに、わるく|亜米利加《アメリカ》化して、一時問もじっとしていると|死《フフ》んでしまう欧州移民系市民の 二代目、一一代目諸君のことである。低級な遊びを仕事の一部として、それをまた全人的に、忘我的 に享楽ごきるんだから世話はない。人間もああなれたら動物に近くて|気易《きやす》だろうと思う。 ,日本でも|下素《げす》な者どもの行楽は|呑《の》む打つ買うの三拍子とそれこそトコガワの昔から決まってい るが、現今新興|亜米利加《アメリカ》帝国の中心たる移民系市民階級は、多くはこれを生活のすべてと心得て いるんだから、|亜米利加《アズリカ》のためにはともか/\人道というやつのためにはなはだ心細いしだいで、 その上「射つ殺す盗む」の余計な三拍子まで4、ろって、合計六ツ拍子とは念が入りすぎている. これは移民階級の|犯罪波紋《クライム ウエイヴ》といってまたアングロ・サクソン系市民が|怖毛《おじけ》をふるってわいわ《ヤフフフ》|い 言いだしているが、こればかりは国民化運動もどうすることもできないとみえて「|呑《の》む打つ買う、 射つ盗む殺す」の六拍子は、今後ますます発展すべき形勢を見せている。こんなことを書き出し ては限りがないからいい加減にしておくとして、本体の「呑む打つ買う」について、思い出すま まを少しばかり.ー。  この無智文盲な連中を集合して少くとも外観だけでも国を作ってゆくのだから、|亜米利加《アメリカ》は実 に「臭い物にはふた」の手口がゆき届いている。|禁酒《ドラィ》のごときはその代表であるといわなければ ならない。  トライ       アメリカ                  フウドシカ亅ア 「禁酒であるがために」亜米利加はどこへ行っても酒に不自山はしない。ただ密売業者の手から 買うと高いことは高いがそれは買い方が間違っているので、|安価《やす》く手に入れようと思えばいくら も方法がある。早い話が、|加奈陀《カナダ》の|土人保護島《インチアニ レサアウ》に近いある小島へ出かけてゆけば  |唖米利加《アメリカ》の 沿岸の一都会から少しの賃銀で小舟が出る  モァター・ボウトの船庫のように見せかけて岸壁 に建っている大きなバラックに上等のスカッチがふんだんに詰まっていて、自分で呑むのだとい うことさえ証明できれぱ、安く分けてもらえようというものだ。なに、そんな面倒くふ、、いことは しなくても、町の|波蘭上《ポウフさノコ》区域へでもゆけばかなりいいのを格安に売っているし、大通りからちょ っと横町へ切れれば、昔と同じ酒場が公然と商売している。前を巡査が通っても相方知らん顔を している、見えないところで|呑《や》っている分には、巡査は「知っても知らないしのだ。もし敬一、一一官ら しいものが私服ででもはいってきたら、手に持っている|洋杯《コツプ》の酒をそのままじゃあと|床《フフフ》へこぼし て見せればよい。それでいいのだ。私服はにやにや|笑《フフフフ》って|合点《うなずい》て出てゆく。要するに酔漢が街上 をぶらつかない|限《フフ》りは、|亜米利加《アメき カ》にとって禁酒令は満足に行なわれているのであって、海上や山 間で密造者や密輸入者を相手に禁酒隊が大活躍を演ずるというのも、過半は|物語《フイワンヨン》の中のことで あり、一つには外国にたいする宣伝であるのだ。  酒のこととともに、よく知られないから、はっきりしたことは言えないが「打つ」ほうも相当 に繁昌して、競馬や大統領の選挙をはじめ色んな様式の賭博を、それぞれその方の専門家と専門 家とがあるらしい。 という日本の学生が近くの大学町から出てきて、深夜一件の家の|呼鈴《ベル》を押 していたら、お巡りさんがやって来て、こんなところは|宜《よろ》しくないからおよしなさい。明晩むこ うのホテルの前へ来ればいいのをお世話しますと言いながら、それでもそばから一しょにベルを 押してくれたそうだが、これで事実ーー事実と断らなけれはならないほとの  そうである。  が、詁もここまで落ちれば、|君子清談《くんしせいだん》とばかりに座を立つ人がでるかもしれない。  で、やめることにする。 サム・カゴシマ  北欧インデアン州且市。日本人経営の一晩中開けっぱなしの料理店。|売台《カワンクア》の向うに|白上衣《ホワイト コミさ》を 着て、早い朝刊の上に居眠りしているのは私。台所も|寂然《ひつそり》して、サム・力ゴシマの|唱《うた》う|俗歌《ジヤス》が途 切れがちに聞こえるばかり。    一切現金。    |牡蠣《かき》始め申し候。  -ー当店独特のエスキモウ・パイ。    |鶏《チキン》ア・ラ・ミカドを御試食あれ!    御注告は|凡《すべ》て支配人へ。  -!御家族同伴、風味卓絶。  その他|種《いろいろ》々壁に貼ってある。夜一時半。|外戸《そと》は雪。降誕祭へ三日  前に自動車が|停《と》まって、三人連れの男がはいって来た。舞踏会の|帰途《かえり》とでもみえて、礼装して いる。がやがや|言《フちフフ》いながら|売台《カウンタア》の中央へ|眼白押《めじろお》しに並んで腰かけた。今頃の客にろくな奴のな いことを承知している私は、眠いところを起こされたむかっ腹を押さえて、それでも愛想よく、 「いらっしゃい  。」  商売用の|笑《スマィル》いが私の|寝呆《ねぼけ》顔を歪める。三人いっしょに顔を上げた。驚いている。なんだ、ここ は支那人の料理屋じゃないかと 「お寒うございます。」と私。 「,何か暖かいものを召上りますか。」 すると、 「|支那混煮《チャプさスイ》をもらおうか。」 とお互いに相談している。いよいよ|上海楼《ノヤンハイろう》にでも来た気であるらしい。 「支那料理はよしました。」 と私、実は一度も出したことはないのである。が、よした、と言ったほうが客には当りがいい。 手」ヤゥ、、、! 「焼麺もかい?,」 「へえ。」 「フウヨンもかい?,」 よく知っている。なかなか|通《つう》だとみえる。 「へい、お気の毒さま。」 「ヤコミンもない?」 くどい。私はむっとした。 「支那料理は全部8一良しました。」 「いつ?」 「昨日り」 「|豚《にツゲフ》の|尻尾《 びアイル》もないのか。」  と一人が言った。わあっと|三《フ 》人が一度に笑った。|豚《ヒツグ》の|尻尾《 テイル》というのは、支那人の弁髪である。 が、澄まして私は、 「あれも昨日で。鼻0中しました。」  三人ははあはあ笑っている。 「|豚《ヒツグ》の|尻尾《 テイん》ってなんだか知っているかい? 料理じゃないんだよ。」  とそのうちの一人。 「ー--これでしょう。」  と私は後部へやった手を背中へ伸ばして見せる。三人は腹を抱えて笑い転げる、さっきからの 不平が一度に爆発して、私は怒気心頭に発してしまった。こんな奴はなんとか言ってやらなけれ ばならない。さもないと癖になる¢ 「私は支那人じゃありません鎬」  非痛な面持ちで私は宣言した。と、 「支那人じゃない?」と一人。 「じゃ、どこの人間なんだ?」と他の一人。 「日本人です。」 「日本人?」 「左様。」  と私は|反《そ》り返る。                瓏 「はっはっは。」とよく笑う男だ。「日本人だッて支那人だって同じじゃないか。」  とその調子がなんともいえない侮辱を含んでいるのだ。怪しからん  。 「お説の通り。」と私は冷然として、 「米国人だって|猶太人《ジユウ》だって|黒人《ニカ》だって、みんな同じものですからな、全く。」 「なんだと?」  そら、怒った。もう笑ってはいられまいがー。 「もう一ぺん言ってみろ。」 「何遍でもいうさ。米国人だって|猶太人《シユウ》だって  。」 「|猶太人《さシユウ》と同じとはなんだ!」と一人。ー 「|黒人《ニカ》と一緒にされてたまるか。」と他の一人。 「失敬なーー取消せ、失言を取消せ。」  ともう一人のが|呶鳴《どな》りだす。 「失言じゃありますまい。」 と私はあくまで平然としている。|喧嘩《けんか》になったって驚かない。私はあまり強くないが、台所にい るサム・カゴシマは|曲馬団《サァカズ》の力業師として、全欧州から南北米を渡り歩いた|強《ごう》の者である。こん な|洒落者《ダンデイ》の一|打《ダヨス》ぐらいびくともするもんか。|長《フフ》らく喧嘩をしないので、食が進まなくて困ると、 今日も彼はこぼしていた。つまりこの三人は親愛なるサム・カゴシマの食欲を増進させるために わざわざ礼装して来た、食前の一杯みたいなものである。こうなると私は心強い。眠気もどこか へすっとんでしまった。 「日本人と支那人が同じ人間であるように米国人と獅|太人《ユウ》も、これを広くいって|凡《すべ》ての白人と黒 色人種ともその|間《かん》なんらの  。」 「相違がないというのか?」 「もちろん。」 「黙れっ!」 「黙らないよ。」 「おまえは白人を侮辱しようとしているのか。」 『白人もなにもあるもんか。白かろうが黒かろうが黄色かろうが  。」 「みんな同じだと言うのか。」 「もちろん。みんな同じ人間じゃないか。」  と私は救世軍の士官のように両手を拡げて、ちらと|台《フフ》所のほうを見た。居る、居る。|押戸《ドア》の|隙 間《すきま》からサム・カゴシマの眼が見える。大きな声に気が付いて、さっきからのぞいていたらしい。 自分の出を待ってむずむずしているに違いない。いぺ、、となれば、私はちょっと合図さえすればい いのだ、 「失敬極まる。」  と一人が私を眠みつけた。怖くもなんともない。 「肴らこそ失敬だ。僕は給仕人として雇われているだけで、君らを教育するのは僕の仕事じゃな いんだけれどーーー。」 「教育するとはなんだ?」 「日本人と支那人の違うところを見せて、実地教育を施してやると言うんだ。」 「何をっ。」と一人。 「殴るぞ、この|豚《ヒツグ》の|尻尾《 ティル》め。」 「あはははは、」とできるだけえらそうに私は笑った。面白くなってきた。 「つまり喧嘩をしようと言うんでしよう、紳士諸君。よし、それがなによりの実物教育になる。 が、あとで問題にならないように、この喧嘩は君達から先に手袋を投げたことを覚えておくがい い、よろしい、日本人と支那人とは少しばかり違うところを見せてやるから、三人とも|上衣《うわぎ》を脱 いで腕まくりでもしろ。」  と、苓、れから台所のほうへ向いて大声に私は呼んだ。 「おい、サム、ちょっと手を貸してくれ。」 「なんだ。」  と、一杯に戸を開いて、|汚《トいご》れた料理服の小男が  のそりと|言《フフフ》いたいが、実はちょこちょこ《フフフフフフ》|と 出てきたが、|九歳《ここのつ》の時に日本を出て、世界中を綱渡りや軽業や鉄棒振りで押廻ってきたこの臨時 料理人には、|麹《まり》のようなすばしっこい緊張さが|身体《からだ》中に盗れていた。第一、顔が物凄い。黒くて                     かみの" 傷だらけである。白い小さい楜子の下から長い頭髪がたれ下がって、眼の上に円く輪をかいてあ                 わん                  寅 る。身長よりも肩叩のほうが長い。お椀を伏せたような肉の塊りが関節を継いでいる。彼の自慢 なのはこの身体と、|独逸《ドイッ》の|田舎《いなか》町の市長から贈られたメダルだ。メダルはともかく、身体は自慢 に価する。腕力のある点に到っては、私は彼か二種の不具者と見ていたくらいだ。そのサムが両 腕を胸へ組んで、今も、后うとおり三人の前に立ったのである- 背が低いから、向うからは立っ ているように見えなかったかもしれない。が、ただにやにや笑っているのだから、三人はいささ か気味が悪くなったとみえる。なにしろ|轟西嵜人《メキンカン》と|亜米利加印度人《アメリカインマアン》と日本人は、そもそも何をす るかしれたもんじゃない。  ことにこの男は変わっているぞ。  いきなり|咽喉笛《のどぶえ》へとび付く気かもしれない。  291ーその前にまず鼻へ噛みつくだろうへ、  ジュいンユツ!  そうだ、きっと足で変なことをして、ます床板を|舐《な》めさせておいて、それから耳から手を人れ 足の小指を一生涯役に立たないようにするに相違ない。  ジュジュツ!     つ球て  もしこの礫のような男が日本人であるとすれば、例の妖術ジュジュツを使うに違いない。そう だ、あの手だ。  すると?  するとちょっと危険だぞ。  待て、|上衣《うわぎ》を脱ぐのは待て  三人は|釦紐《ボアン》へ手を掛けたまま、黙ってサムと私を見くらべている。  沈黙。 「聿の=  ?」  とサム・カゴシマは私を振り返って言った。断っておくが、この男は日本語はさよならと|万《フフ フ》歳 ぐらいしか知らないのである。 「用というのは何だね。」 「この三人の紳士は。」  と私は始める。 「日本人と支那人の相違を研究しにこられたんだそうだ。どうだい、サム、三人を逆さに突っ立 ててあげたら? それとも頭の毛で部屋を大掃除するとしようか。」 「ははあ。」  と笑いながら、サムは三人を見廻した、〕と一人が気軽に挙手の礼をして、 「今晩は。」と言った。 「今晩は。」  とあとの二人も追っかけて言った。 「なるほど。」  とサムはいかにも強そうに膚をゆすり上げて、 「》訌ヨ  」  と一つ英語で|咳払《せきばら》いをした。 「して、おめえたちの用意はそれでいいのか。時計やなんか|毆《こわ》れ物は、この人に預けとくがいい ぜ。」  と私を|顎《あご》でしゃくる。|三《フフフ》人は眼を円くしている。痛快痛快、と私は心の中で手を叩いた。  すると、 「いや、」とそのうちの一人が妙に改まって、 「もうわかりました。」  続いて他の一人も、 「これでたくさんです。実地教育にはおよばないよ。」 「とにかく今夜は止そう。もうだいぶ|晩《おそ》い。」とあとの一人も口を出した。 「なに、すぐ済むんだ。別にたいしたこっちゃない。」とサム。 「でも、わかったのだから、それにはおよばない。」と一人。 「そう早くわかるはずはない。」と私も言葉を入れて、「せっかくその目的で来たんだから、見せ てもらってゆくがいいでしよう。この人は私より適任なんです。」 「ごもっとも。が、いずれ他日に譲るとしましよう。」 「|割愛《かつあい》割愛。」 },僕には|判然《はつきり》わかった。日本人と支那人の相違が僕にはよく合点がいった。」  と一-人は|莫迦《ばか》に親しそうな顔付きをする。 「惜しいなあ、いい機会だがなあーー。」  と|可笑《おか》しいのをこらえて私が言うと、 「実に残念です。」  と一人が実に残念そうに舌打ちした。 「では-ー。」  とサム・カゴシマが州知事選挙の候補者みたいな大声を出した。 「では、少しばかり日本人の遊戯を御覧に入れます。」 「いや、もうたくさん-ー。」  と相手が言いきらないうちに、サムの|身体《からだ》は棒のように垂直に三人の鼻先きの|売台《みペウンタア》の上に逆 立ちしていた。こんなことは朝めし前なのである。料理はでたらめだが、軽業とくると|真物《ほんもの》なの だ。なにしろ|独逸《ドイツ》の市長が自身メダルを贈呈するくらいだからー;はっ、ここ元御覧に入れます るは、と私は頭の中で大声を発しながら、三人の米田人を眺めた。サムが台へ手をかけた時、二  みどろ                                          ・ ・ 人は駭いて立ち上がったのだ。だから、不幸な一人だけがサムの顔のそばでいやに固く恐入って いる。サムは|手《も》を縮めて|身体《からだ》を低くした¢と、大変なことが起こった。 '佚から二尺ほど離れてニッケル製の籔漱が立っている凶六時騨があ川いていて・ぐら/ ぐら煮え立った|痂琲《コミヒき》は|覆《ふた》の隙から白い蒸気を吹いていた。|頂上《てつへん》は床から一間ほどあって、|売台《カウ ノダア》 からは確かに三尺は高い。その|痂琲沸《コアノ  アさノ》の上へ、はすかいにサムが逆立ちのまま飛び移ったのであ る。私ははっとした。|三《フフ》人もあっとかがやっとか|言《フフフフ》ったように|記憶《おぼ》えている。  上でサムは片手を離した。やがで、、|身体《からだ》を横にして、|覆《ふた》と同じ高さまでへの|字形《フじなり》に下がってき             ふた  ナッ}                   からだ       丶 、 、 、 . た。そして片手で横ざまに覆の握りを禰んだまま、横一文字の身体を空中でくるぐると二、三回 廻したと思うとぱっと|三《フフ》人の前の|売台《カウンタア》へ音もなく足から先に帰ってきて、そこで両脚を拡げて ぺちゃんこになって見せてから、軽く降り立って何にも言わずに台所へはいって行ったのである。  四人  三人と私!ーは|呆気《あつけ》にとられて台所の戸がだんだん小さく揺れてやがて止まるのを、 黙って見守っていた。が、私はすぐ私の地位に気がついた。 「どうです。」  と私は言った。三人は一緒に私の顛を見ると、|狼狽《かわはて》て|献立表《メニユウ》へ眼を落した。 %-「わかりましたか。」   と私は大得意だった。三人は物も言えない。白い|小布《ナプキン》を持ちなおして、従順そのものの給仕人  らしく、私は三人の前に立った。   「御注文は?」   サム・カゴシマの|俗歌《ジヤス》が台所から|長閑《のどか》に聞えていた。 戸    0         一 「チャァリイ、何か仕事はないか。」 「ジョゥジ、何か仕事はないか。」 「チャァリイ、ニドル貸せ。」 「ジョウ三、五十セント貸せ。」  |私《ミィ》とチャアリイは顔を見ると同じことを言いあっていた。とても不景気な冬で、|肺結核《トヘキユロセス》予防 宣伝のキの|字《フ》みたいな印と、グリニチ村|美人連《フオムリイス》の芝居の広告びらがからっ風にはためくなかを《 フ》|、 救世軍が悲鳴をあげていた。|私《ミイ》はチャアリイの下宿にごろごろして、サラトガや|紐育《ニ ヨきク》のベルモ ント遊園地の競馬に、夏の間湖畔のゴルフ|倶楽部《くらぶ》で働いた金を賭けてはそれで食べていた。ひい きの馬も二、三匹あってそれが鼻を一、二インチも前へ突き出してくれると、私は中ぎ8 →0ぎ0口口耋のように澄まし返って、ちんちらの|外套《フちちフがいとう》の|埃《ちり》を払って、チャァリイの帽子を借りてで きるだけ|豪《えら》そうな顔をして、そこらの劇場や旅館をうろついては一晩のうちに使ってしまった。 そして翌日からはまた|寝台《ベッド》に|就《つ》きっきりとー言うと重病人みたいだがーで、床のなかで|競 馬表《フオウム シイツ》をひっ繰り返して、電話でスミス兄弟へ馬の名を言ってやる。夕方まではただ祈っていれ ばいい。午後の三時ごろから|墨西寄《メキシコ》かキュウバの一、二番の勝負が電報で知らせてくる。勝てば 小僧が金を持ってくるし、負ければ取りに来る。取りにくればその小僧を三度呪って札へ唾をし て追い出してやる。飯は近処の|一《ハッシュ》ぜん|飯屋《 ジョイント》でアイリッシ・ステウかハンボグで済ましておく。こ のハンボグが|独逸《ドイツ》名だとあって、戦争中|自由焼《リバテイ ステイキ》きと改称していた。ともかく、そんなふうだか ら私の資本は減る一方で、気がつく前に`8`年0冨になっていた。  さて、気の毒なのはチャアリイで、|私《ミイ》はチャアリイ夫人がいかに|悪辣《あくらつ》になっても、夕食後の一 時間を夫人の奏する拙劣なパイァノの謹聴に費して、ところどころで拍手したり溜息を|吐《つ》いたり することによって、巧みに夫人の心を回収することができたけれど、チャァリイのそのては夫人 に免疫になっていた。チャアリイは夫人の「結婚による親類」で、過去二十年間その手段で夫人 の金を小出しに出させてきたのである。チャアリイは日本人だが、夫人は|波蘭土《ポコラント》産である。チャ アリイは以朸にはいい顔の貸元だ(-たが、こう御法度が厳しくなっては大きな開帳もないので、 料埋人の真似をしたり|執事《しつじ》に|化《ば》けていって|心《さ》臓の弱い奥様を|脅《おど》したりして、夫人からあまり小遣 いを貰わないように心掛けていた。その当時は役者になるんだと言って階段から落ちる稽古をし たり|地《トイさメメ》ド|室《ント》で転ぶ練習をしたりしていた。こんなことで芸術家になれるなら|私《ちちちイ》も一つ始めようか と思ったが、チャァリイの狙っているのは|離業舞踏術《エクロベ ブク デンヌ》だそうで、夫人は自分の頭を叩いてはチャ ァリイは8鼻8になったと言って悲しそうに笑っていた。  スミス兄弟はスミス兄弟で|私《ミイ》を|悪運《フラド》の|神《わ》に祭りあげてしまうーーつくづくはかなくなって|日《フ フフ》本 へ帰っちまおうかと少し真面目に考えていると、夫人に迫害されているチャアリイ親分が私の部 屋へ来て、 「市僻かへ行こう、ジョゥジ、耳・伽諧ぎ叭8冖牙0一皿{2旨99一80口も一冨言茜ご 「巾|俄古《カペさ》へ行こう、チャァリイ。」|私《ミイ》も言った。、|市俄古《シカゴ》こそ|俺《ミイ》たちを受け入れてくれるであろう よ。しとこ  でー!話は早いに限るーーもう|市俄古《シむゴ》へ着いたことにする。叙景なんか詩人まかせだ。|亜米利 加《アメいカ》生活に詩はない。あるのはドルと鉄と汗と微笑だけだ。だから|私《ちししイ》たちはドルと鉄を抜きにして、 それでも汗と微笑だけは忘れずに顔へ浮かべて、 街の安宿へわらじを脱いだのである。  その晩のこと。敷物もない室に三人で眠る。一人はチャア親分、一人は|乾分《こぶん》のジョウジ、他の 一人はやはり日本人でジョウという|半白《はんぱく》の老八、なんでもこのジョゥは下町の|支那屋《チヤフ スイ》へ料理人に 行っているうち、皿洗いに来ていた|波蘭十《ポこラント》の娘っこに片思いして、筋書通り|肘鉄《ひじてつ》を食って、|爾来《じらい》 少しく精神に異状を早しているらしいとのことだったが、私もチャァ親分も別に注意も払わなか った、、「ロゥ・ハゥディ」といったように聞えるとおり一|遍《ぺん》の|挨拶《あいさつ》を交したのち、チャァリイは 新聞の職業絡介欄に食い入るし、|私《ちこイ》は真中の|卓子《テきブル》で|独遊《ソリテリき》びを始めるしーーが、それとなく|見《フフ》ると、         ガスだんろ     あぐら          、 、丶 、 ジ.ウ老人は隅の瓦斯媛炉の前で胡坐をかいて、何かぶつぶつ言いながら、手紙やら写真やらし きりに破いては火に焼べていた。  そのうちに三人とも寝た。積った粉雪に月が照るのを見ていると、私はなんとなく悲しくなっ て泣いているうちに眠ったとみえるわ 「|起《ゲタツ》きろ!《フ》|」     うまかたしゆう                           はだし      ヘット                   は、そではんももひき  という馬方衆のような気合いで眼が覚めた。裸足のまま床を出ると、   .ーー半袖半股引 で上下続きの薄|襯衣《しやつ》-ー儼枚着たチャアリイが セネット水浴美人みたいな|恰好《かつこう》で立って、|私《こヰィ》を 揺り起こしている。黙って指さすところをみると、暗い電燈に光って、床板の合せ目に糸のよう な物が流れている。|視線《しせん》で辿るとジョウ老人の寝台の下から引いているらしい。二人はそこへ行 ってのぞいてみた。一呪四方ぐらいに黒い池ができている。ジョウは身動きもしない。 「起こせ。」  とチャアリイが言った。 「ジョウ。」  と|私《ミィ》が呼んだ。が、ジョウは毛布を頭から引っかぶって|凝然《じいつ》としている。チャァリイが少し毛 布を捲くった。すると、ジョウの|頸《くび》から胸から腹から血だらけになって、|頤《おとがい》のところに|剃刀《かみそり》が 転がっていた。|寝台《ヘッド》と|身体《からだ》の間の|凹《くぼ》みを埋めて濃い血液が淀んでいた。が、|私《ち トイ》は少しも驚きもし なかったし、悲しくもなかった。これは白分の一部が死んだんじゃないかしらと思うほど|私《ミちイ》はぼ んやりしていた。  チャアリイはあらゆる|呪《のろ》いを口にして、それでも|悼《いたま》しそうに着物を着て宿の人々を起こした。 朝早く|検屍官《けんしかん》や警官や領事館や日本人会の人々が詰めかけてきて、|私《ミィ》とチャアリイは形式的に調 べられた。けれども精神病者のことではあり、枕の下から遺書みたいなものも発見されたので、 |私《ミイ》もチャアリイもすぐ許された。|紙片《かみきれ》には鉛筆でこう書いてあった。    ≠ヨ000一轟{ぎぴプ一冖巴一勹.0.0. 死体が日本人会の世話役に引き取られてゆくのを見送って、|私《ミイ》はチャアリイに|訊《キフ》いた。 「戸 0って何だい?」  チャ7リイは黙って、柄になく暗然として遠ざかりゆく|非常車《アンビユレンス》を見つめていた。異境の空で 恋故に発狂自殺した老同胞。そんなふうな劇的分子が親分のこの時の|感傷《センチメント》だったに相違ない。 私はそれよりも 市へ帰りたい心で一ぱいだった。 「戸 0か、」  しばらくしてチャアリイが振り返って言った。 「中卑400ヨ昌ゆ呂昂よ」 「オゥ・ノウ、」とそばにいた下宿人の」人が口を出した。「0、 0は葭8。。の0○9は。パです。」 二  もうけちがついたからどうしても今日の正午発で 州へ帰ると私は主張した。チャアリイも情 なくなったとみえて帰ることに同意した。仕事口がないから来ても駄目だと言うのに、|布畦《ハワイ》生れ の若い日本人が二人やたらに心細がって私たちといっしょに へ行くことになった。すてきに市 |俄古《カ  コ》が嫌いになってしまった。で、 「|一日本人《エ ジヤツプ》戸 0に終る」なんかという小さな見出しが一面の右下の隅に出た日の十時過ぎ、一 行四人はどやどやと停車場行きの電車に乗り込んだ。  混んでいたので私たちはその「はいる|時《ヘイ エス ユ 》に|払《エンタア》う|電車《 カア》」の車掌口の近くに固まっていた。たださ え眼立つ黄色い顔が大小四つ並んだんだから、白人  めりけん・じゃっぷは西洋人のことを白 人、日本人の妻の西洋女を白妻、以|下準之《これにじゆんず》、と言う  たちの眼からは山吹の花が咲いたよう に一大偉観だったに相違ない、これ以上衆目を|蒐《あつ》めたくないから、|私《ミイ》らは英詔で穏かに天気の批 評をしたりして至極く紳士の真似をして万事控え眼に謹んでいた。  すると、そのうちに名にし負うメシゲン|散歩街《エヴエニユウ》へ出て電車が|停《と》まった。乗る人、降りる人。雑 音の|凡《すべ》てを消して気取った声で車掌は呼ばわった。 「|香港街《ホンコン エヴエニユゥ》!お降りのお方はありませんか、|香港街《ホンコン エヴエニユウ》!」  メシゲン街は黙っていても皆識っている。だから町名を読み上げる必要のないところから、彼 はこんな遊戯心を出したものらしい。その邪気のない心理はわかるとしても、私たちは他の白人 乗客たちといっしょになって笑うことはできなかった、、それがみんながこっちを見れば見るほど、 私たちを被害者の立場に置くようになった。そして妙にこだわった気持になっていった。この感 じは電流のように車内に拡がっていって、途中で笑いを引っ込めた人もあった。例によって私は 無視しようとした。 「おい、君、君は今、」  とチャアリイ親分が車掌の肩を突ついた。 「変なことを言ったね。俺は君みたいな小僧が生れない前からこの|市俄古《ンカゴ》に住んでいるんだが、 メシゲン街が改称されたのはちっとも知らなかった。」  ,、一んな出入りで口をきかせたら親分はたいしたものだ。他の事はたいがい駄目だがこういうこ ととなるとチャァリイの畑なのだ。  車掌は思いがけないその巻き舌に気を|呑《の》まれて黙っていた。 「おう、何とか言いねえ、沈黙はサムタイム|真鍮《フレス》だぜ、おう。」  親分は夫人にたいする時と別人のような強さで車掌の鼻先へ自分の鼻を持っていった。そして 活劇まがいに|白眼《にら》みつけた。みんなこっちへ集ってくる。|私《ミちイ》たちも急に元気が出る、〕 「私たちは支那人ではない。」 「よしんば支那人であっても、他入の国籍を|費用《エクスヘしズ》にして自分を楽しますという法はありますま し  !」 「職務の一つをそんなに軽視して君はゾてれでいいのか。」 「ド|手《へた》な|諧譲《かいぎゃく》としてならいくぶんの観賞はするがてんで|的《 フフ》を外れている。」  |私《ミイ》らはめいめいこんなことを言って車掌をやり込めにかかった。その間に一人は近所の善良な 市民や思慮のある実務家や教会へ行くお婆さんたちへ向って、この一片の冗談の底に無知な多数 の|亜米利加《ノメリカ》人が持っている他人種への|椰楡《ぬゆ》、理由のない優越感、|田舎《いなか》のような偏狭さ、〜.なけな い好奇、|失礼《がヲわえさ》なきさくさ、それから|下《フフフ 》品な笑いの趣味が蔵されていることを論じ立てていた。チ ャァリイは車掌を禰まえて、もし彼の個人的計画が、もう少し車掌を勤めて金を作り娘が女学校 を出たら田舎へ引っ込んで養鶏をしようというのであるならば、彼は今のうちにその人生の方針 をかえなければならないであろうことを話して聞かせていた。なぜ、といえば、チャアリイはこ の○耳轟鵯を市の電鉄会社へ報告して、それで取上げなければ法延へ出てどこまでも争うであ ろうからーーと。 }、多く言う必要はない。この車掌の番号を取って会社へ行って陳述したまえ、彼は自分の薬を取 るであろう。」  と誰かがいったご多くの白人が賛意を表して、|可哀《かわい》そうな車掌はまったく孤独無援におちいっ てしまった。一人が車掌の帽子をのぞき込んでその番号を読みあげた。私が紙に控えようとする と鉛筆がない。 「どうぞ、鉛筆!」  と言うと、そこらからやたらに万年筆や鉛筆がとび出してきた。白い手、赤い手、褐色の手、 その手の一つ禁つに鉛筆やペンが握られているー紳士、女事務員、労働者、老婆。私はそのう ちの韭つを取って番号を写した。そしてわざと|私《フフ こイ》たちは次の停留所で降りた。全車中の同情と激 励、車掌の後悔と謝罪、それらの視線を一人一人に受けながら、観兵式へ臨む元帥のように|反《そ》り 返った|私《ミィ》らは電車を捨てたと同時に|私《ミイ》もその|紙片《かみきれ》を捨ててしまった。が、降りぎわに車掌を振り 返って言ってやった。 「仆の●口88{ぎ簗三,じ10.」  これで|昨夜《ゆう ベ》からの|私《ミイ》の悲しみや|溜飲《りゆういん》が一時にことんとさがった。あれだけ|心《フフフ》配させれば充分 である。|私《こちノく》たちは誰もほんとに報告してやろうなぞとは考えていなかった。みんなで上を仰いで 笑った。報告しなかったとわかった時の、あの車掌の破顔、心配から感謝、それを思って私たち も顔を見あって微笑した。  停車場は近くもない。乗り遅れないようにと、四人のメリケン・ジャップは脚をそろえて広い 大通りを|潤歩《かつぽ》して行った  それこそほんとに戸 0に。 「|亜米利加《アメリカ》よいとこお陽さえ照れば金の成る木に花が咲くーー。」  こんなことを、もちろん口のなかで言いながら、私は|昇降機《エレ にミニアきミ》の右寄りに兵卒のように立ってい た。    州の 市。その眼ぬきにあるこれはホテル・メッカ。昨日|市俄古《ンカゴ》から着いたばかりの私は、 もうこのホテルの|鈴小僧《ノん ボウイ》になり澄まして、|海老茶《えびちゃ》色の制服にろくでもない|金釦《きんぼたん》を光らせて、同 じ色の円い小さな帽子を鼻の上までのめらして、「|一《フ フ》八一」という洋銀の|章《しるし》を胸の下へ|付着《くつつ》けて、 白い手袋をはめて、さて、従順と|狡猾《こうかつ》をいっしょにしてそこへちょっぴり教養を入れてこれを |冒《アトヴエ》  |険《ンヰユァ》の|釜《かま》で煮詰めたような顔をして、身うごき一つせずに立っているのである。  |市俄古《シカゴ》を出る時から、この|仕事《ジョブ》は決まっていたのだ。というのは、ここのホテルの|主人《おやじ》という のが、多くの「主人」と同じように|猶太《ユクヤ》人で、そして多くの|猶太《ユァヤ》人と同じように日本人を仲間扱 いしているところから  黒ん坊に仲間扱いされるよりゃあまだましだろう  |市俄古《シカゴ》の日本人 青年会へ|鈴小僧《さモん ホウイ》一人雇入れの申込みをしたわけなのだ。アレキサンダア・ハシハシもクリストフ ァゥ・ヤモヤモもあぶれを|食《フちフ》って遊んでいたが、ヤモヤモ  |亜米利加《アメリカ》人には|凡《すベ》ての日本人の名 舸がこんなふうにしか響かないとみえるーー-は、|田舎《いなか》落ちするくらいなら日本へ帰ったほうがい いと一一、一品ったし、ハシハシは私を禰まえて、おまえ行けといった。私はすぐその気になって、青年 会のロ入係へ出頭して、掲示してある|鈴小僧《ギル ボウイ》の口が所望であるという意思表示をした。経験があ るかね? 係りの男が|訊《キフ》いた。すこしもないと答えたら、すぐ推薦状へ数年の経験ありと書入れ た。あるといったらなんと書くところだろう?  が、まんざら無経験というわけでもない。日本から来た年の暮れ、 マス|前《クロえス》後の急場しのぎに オハイ州クリイヴレンド市ユウクリッドの裏街のとある|薄《 》汚いホテルで、|小使《ポウタア》兼|鈴小僧《ヘれ ボウイ》をしたこ とがある。が、お話しにならない安っぽい仕事プ丶その年のうちによしてしまったように覚えて いる。元来この|鈴小憎《オちハ ボウイ》という職業は、社会的地位は低いものの、恐ろしく金になる。あるいは、 低いからこそ金になるのかもしれない。とにかく、第一流のホテルなんかと来ると、|高等学校《ハイ スクウん》の 卒業生から試験して採用するくらいだから、常識円満に弁舌爽やかに騎十道と紳士道を一通り心 得ていて、それで熱心な拝金宗の信徒でなくちゃあ勤まるものではない。|小僧《ポウづ》とはいうものの、 下は十六、七、上は三十五、六までの奴がいる。いうまでもなくこの「ボウイ」は召使の意味で ある。日本の女ボウイの兄弟だろう。  |鈴小僧《モル  ハネか イ》にもいろいろある。が、一口にベル・ボウ何というと、|帳場《チズク》から|客室《アプステアズ》までの|走使《エびフンポ》のこ とだ。客が着く。|番人《ド アマン》が自動車の戸を開けて|挨拶《あいキフつ》する。玄関ボゥイがとんで出る。とんで出て客 の荷物を持って正面の帳場まで案内する。そこで客は署名して;ー∴ンヨン・スミス、|紐育《ニユ ヨコク》州ス クラントン町なんかといった工合いにーー部屋を取ってその部屋の鍵を貰う。この時、客が第一 に気が付くことは、赤か紫か紺の細身の制服を着た若者がいつの間にかかたわらに来て立ってい ることだ。番頭から鍵を受取って、玄関ボウイから荷物を引ったくって、この若者は客の顔を見 る。客が歩きだすと、すぐ後にくっついて|昇降機《エレノヨタき》に乗る。  二百七十七号室なら二階の内側に決まってる。百代の部屋はすべて一階、二百代は二階、駭亅百 は三階、四百は四階、以上これに準ずである。奇数の番号は内側で偶数は外側である。アウトサ イド・ルゥムと言って偶数のほうがどこのホテルでも少しお|高価《たか》い。  さて、客をその部屋へつれて行った|鈴小僧《へペニかウイ》は、窓の|陽除《ブライント》けを揚げ、|埃《ほこリ》を払う真似をし、|鏡台《ヒユロワ》 の前へ荷物を置き、洗面台の工合いを調べ、冬なら蒸気、夏なら扇風機をかけ、|扉《トマ》の上の|通風 穴《ウエちニコレイギアもノク》をニインチ半開いて、そうして最後に寝台の上の枕をぽんぽんと|御《フフフフ》愛嬌に叩いて、戸口に立 って客のほうを向く。 「御用がございましたら電話でお呼びくださいまし。食堂は八時まで|定食事《アつつべ しウき》がございます。音 楽もやっております。八時からは|御注文《ア ラ カアト》じ西部行きの列車は今晩これから三つあります。 エンド$戸と大北鉄道と  。」  多く言う必要はない。こうやっていればすべての客が十セントか二十五セントかで親切にも階 |下《た》へ追払おうとするからである。  これはまず中以下のホテルの話で、一流となるとこうはゆかない。各階に|床番頭《フロァ  ワびフノフ》がいて、そ の|階《フロア》に部屋を持った|鈴小僧《よしハ ホウイ》はそこの帳場へ顔を出して|札《チヤツキ》を渡したり、|階上女中《アツフヌテア メイト》へ貰いの一割 を進上したりしなければならない。こういう家のボゥイはボゥイ長に画属していて、つまりその |親方《ヘット》の|部下《クんウ》として雇われるのだから、|親方《ヘット》といっしょに動くばかりで身の自由というものがきか ない。第一、客と話もできないほど監督が厳重だし、それに何もかも仕事が分れていて人数が多 く、|縞麗《されい》ごとだがたいして金にはならない。こういうところでは|亜米利加《アメリカ》生れの白人を使って、 日本人はあまり歓迎しない。日本人の片言がまた|御景物《おけいぶつ》にもなろうというホテルは精々二流三流 である。  私が直接|主人《おやじ》に雇われてきたくらいだから、このホテル・メッカも|高《たか》の知れたものだった。こ のことは私でさえ相当に勤まった点を見ても十分わかる。台所から地下室へ降りる階段の上に|出 勤時計《ケ イム クラツン》があって、両側に使用人の名が厚紙に|印字《ダイプ》して刺してある。自分の紙を取ってそれを時計 の下の穴へ挾めてがちゃんと把手を押せば、名前の下にその日の出勤と退出の時刻が印刷される。 毎日、行った時と帰りにこのがちゃんをやるのである。ホテルだって工場だってたいがいこの方 法をとっている。一週間の終りにその成績を見て給料をくれるのだが、少しぐらいの遅刻や早引 きは暗黙のうちに不問となっているし、私なんか|頼《たの》まれれば|突《つ》いてやるし、人に頼んで突いて貰 うからこんな時計なんか何にもならない。  週給十四ドル。|鈴小僧《にちハ ポウイ》の給金は安いほどいいとなっている。つまり貰いの多いことを見越して あまり出さないからである。九ドルなんてのもあったが、今では十五ドル以下のはちょっとある まい。その頃の私の一日の|稼《かせ》ぎが|常日《いつも》は一日平均三ドル、上曜日曜は人の動きが激しいからまず 五ドルから七ドル  出ず入らずの、|柄相当《がらそうとう》の|仕事《しごと》だったといえる。  |鈴小僧《ヘバ ボウイ》は私のほかに三人いた。一人は日本人であとの二人はフィリッピン人だった。私ともう 一人の日夲人とが組になって夜の|当番《シフト》を受持っていた。夜のほうが二倍も三倍も儲けが大きいの である。|費島人《フイリピノ》はずるくていけねえ、|主人《フフフフおやじ》がそう言っていた。|猶太《ユクヤ》人が舌を巻くほどだから余程 ずるいものとみえる。  町の真ん中に市役所があって、噴水のまわりに木立があって、その木の下にしじゅう浮浪人が 昼寝していた。|呑気《のんき》な絵である。それほど|鷹揚《 おうよう》な鉱山町であった。  場末に間借りした私は、|市俄古《シカキコ》を鼻にかけて精々お|洒落《しやれ》しながら毎日この御大層なホテル・メ ヅカヘ通勤していた。夕方の七時に行って朝の七時に帰る。そのかわり真夜中の二時から四時頃 までは玉突場へ忍び込んで玉台の上で眠ってやった。|番人《ドアマン》が一人、番頭が二人、交換手が一人、 |煙草女《ンガア ガアハ》の|大年増《おおどしま》、探偵兼用心棒の大男が一人、日本人の|鈴小僧《 バ ボウイ》が二人、|昇降機《エレハコタエ》には黒ん坊が乗 っていた。  食堂と台所、それから音楽のほうや家つきの舞踏女などには私たちは没交渉だった。晩と朝 「|四角《スクエアヰち 》い|飯《でバ》」にありつくほか、時々台所へ現われて摘み食をしていた。昼の使用人たちが夜にな っても帰らずに、地下室では夜っぴてばくちがはずんでいた。秋だった。  客では、鉱山関係の人や視察に来る人が一番多かった。が、なんといっても例の|旅行販売《モラヴエリンワ セイガリス》 |人《マン》が上位を占めていた。比較的金離れのいいところから、|鈴小僧《ヘん ボウイ》は競争的にこれらの人々を狙っ ていた。訪間客の取次、室内食事の世話、煙草その他の持上り、出発の手伝い、それらでだいぶ |貰《ナツプ》いになることが多かった。来て間もなく、わりに|気易《きゃす》に感じながら私は働くことができた。客 の人がらを|看《み》たり、一仲間うちで客からの貰いをあらかじめ売買したり、生意気な客に丁寧に復讐 したり、戸を力一杯しめたり、舌を出したり、ながく|逗留《とうりゆう》している客に|紳名《あだな》をつけたりー,一 口に言えば一かどの|鈴小僧《トち ボウイ》になりすましていた。左の肩をすこし上げて|斜《ななめ》に歩くことや、階段を 降りる時落ちるように足を踏んで両の手をぶらんぶらんさせることや、客がなぜこんな仕事をし ていると訊こうものなら、ただちに大学へ行く学費を貯めるために、ぐらいの嘘は口から出せる ほどのれっきとした|鈴小僧《フちフ ちル ボウイ》に出世していた。  情ないことだが仕方がない。面白ずくでやれば何をしても芝居である。日本を出た時から私は すでに何でもやってみる気でいた。この|鈴小僧《へん ボウイ》など、下の下といえばこの下はなかろうが、人間 襯察にまたこれほど適切な幾多の機会を含むものも他にたんとはあるまい。食うためにやったこ とが、思わぬ方面に役立ったことを私は今運命に感謝している。 ーなにもそんなに改まって|蒙《えら》そうな顔をするわけではないが、いったい、ホテルの客には妙な 癖があって、ともすると|鈴小僧《へん ボウイ》なぞとある程度まで個人的に立入った話をしたがるものだ。「な んだってこんな事をしてるかね?」これはどの|鈴小僧《さそ ボウイ》もが|訊《き》かれる質問の一つである。だから、 前もってこの問いに備えるため、|鈴小僧《へさ  ボウイ》はめいめいにめいめいのいわゆる「|泪物語《サフ スクづノオ》」というロマ ンティックなでたらめを持っている。盲目の母を養うため、妹を音楽学校へ入れるため、なかに は自分の作が雑誌に出るまで、なんかんと澄まし込むやつもある。事務所のボウイのお|祖父《じい》さん は決まって野球仕合の日に死ぬように、この|鈴小僧《ん ボウイ》には必ず盲目の母親か音楽好きの妹がいる。 さもなければその|鈴小僧《ヘハぐボウイ》自身がなんらかの天才であらねばならない。もしなんでもなく、単なる |鈴小僧《ヘハ ボワイ》に過ぎないとあれば、彼はただちに手に負えない不良少年であり、したがって紳十の召使 いとして不適当であり、引いては貰いもすくないということになる。 「は、大学の学費を作るためにーー。」  というのが|鈴小僧《へだ ホウイ》としての私の|手品《もリツク》の一つであった。  いくら合衆国でも、どこの国の人間かちょっと判断のつかないやつは誰にとっても嫌に気にな るとみえる。支那人か? フィリビノ? 日本人? そうかと思うと、|猶太《ユクヤ》人か? こんな質問 は日に何度となく私ともう一人の日本人のうえへ投げられていた。そんな場合、私はいつもただ にやにやして他のことを言い出すことに決めていた。なんとなく、日本や日本人という言葉が神 聖で尊くてとても|口《ちフフ》に出せないといったような心持ちだった。日夲人がこんな|田舎《いなか》でこんな仕事 をしているーーそう思われるのが私には何より辛かったのである。 「ただ生れたんでさあ。ええ、ただ生れたんですよ。この国にいりゃあ|亜米利加《アメリカ》人、|畢酉母《メキシコ》へ行 きゃあ蜀酊黔人・ズズマニァヘ行けばズズマニアンーー。」  こんなことを言って私は|誤魔化《ごまか》していた。  ある日の夕方だった。  ダグラス・マクリインの扮した「ベル・ボゥィ」という映画を御覧になった人は、主人公の様 子がちょっと小意気だと思ったに相違ない。私はあの写真を|紐育《ニユコヨコク》で封切りしたのを見てあとか ら豪州のエドレイドという船着場でも見ているが、まずあの服装と上の平べったい円い小さな帽 子と威容? を整えた私は、ちょうど番頭の命令で一人の客の名を大声に呼ばわって食堂から|大 廊、玉場から喫煙室と一廻りした後、帳場へ帰ってその客の不在なことを報告していた。すると、 交換台《ラビスイツイボウさド》にいた|薄葉女《フラハア》がこっちを向いて|護謨《ごむ》を噛みながら、 「五〇一番さんお呼びよ。」  という。五〇一なら五階の階段に近い内側の部屋である。あまりたいした客じゃないな、私は すぐこう思った。が、五階は私の係りじゃない。かりに係りとしても、今度の鈴は相棒の番であ る。ところがその相棒の日本人がいない。さっき着いた老人夫婦を連れて上ったきりまだ降りて こないのだ。 「ジョウジ、おまえちょっといってこい。」  番頭が言った。知らない客である。念のため|訊《キフ》いてみた。 「》冩夢2巴揖罕ごと私。 「00。穹岳ヨ史」と番頭。  にやにや|笑《フちフフ》っている。確かな|代物《しろもの》かい、という私の問いにたいして俺が知っているわきゃあな いじゃないか、というのがこの番頭の|言草《いいぐさ》なのである、気になるから台帳を繰ってみた。                        "  すると、両三日から五〇一号室を取っている二人伴れはハマキチ・リチャアドスン並びに妻ミ ルドレッド  加州サンノゼ、とある。 「何だい、こりゃあ?」 「お|国者《くにもの》だよ。」 「日本人かい?」 「匡の一〇〇訂誦」 「嫌だな。」私は言った。「嫌だよ、他の者をやれよ、俺あ嫌だ。気味が悪い。」 '  こんなことを言って済ますことのできないのは私は百も承知している。電話はどんどん掛って くるとみえて、交換手は一人でやきもきしている。番頭は噴出しそうな顔をして私を|白眼《にら》んでい る。仕方がないから私も度胸を決めて|昇降機《エしノきタ 》に乗った。何が起ころうとドン・ケアである  エ ネ・ハウ。  ちょっと気取ってから小さく|叩《ノツク》する。五〇一号室である。 「ベエル  ボウイ!」 「おはいり。」  という太い声。細目に開けて素早くはいる。  見ると、日本人である。日本人にだけはどことなくわかる|紛《まぎ》れもない日本人である。三十歳近 い、|女形《おやま》のような美男子だ。タキシイドを着て窓ぎわに立って長い|煙管《ホウルクア》でベンソン・ヘッジス     の           ハリウ、、ト かなんか喫んでいるところ、聖林崩れの二枚目としか踏めない。色の浅黒い金髪の女が付いで、 いる,男のようなクロウス・バブの頭をちょいち|士《フちフフフ 》いほうるように|背後《うしろ》へ曲げて女王のように高 くとまっていた。そのまま|紐育《ニユ ヨきヶ》か|市俄占《シカコ》あたりへ出しても確かに「,|桃《ビでチ》」の一つに相違ない、そ う私は思った。  黙って戸を|背負《しよ》って立っている私。その私を眼の隅から見ている夫妻  ?ーーいささか舞台 じみた沈黙ではある。 「,|君《ユウ》、|君《ユウ》は日本人だろう?」  突然男は日本語を出した。 「何か御用でございますか。」  私は英語で|訊《き》く。女は笑いだした。男も|笑《モ》いだした。私は|魔誤《まご》ついた。 「ごまかそうたって駄目だよ。」と男「|君《コウ》の顔には日本人と書いてあるものーね、日本人だろ う? どこ? 東京?」  これは私の|敵手《あいて》ではない。私はすぐ降參してしまった叩不思議なもので、そしたら急に嬉しく なった。 「何か用ですか。」  と日本語で出てしまう。 「用、用、大変な用、ほ\\\鎬」  女が笑う。男はつかつかと|進《フフフち》み寄って私の鼻の前へ来た。だいぶ|亜米利加染《アズリカじ》みている。  驚いたことには金を貸せという注文なのである。小遺いを二時用立ててくれというのである。 客のくせに|鈴小僧《モれ ホウイ》に余計な口をきぐさえあるに、金を貸せとは私も|吃驚《ぴつくり》してしまった。私もその 後ながらく方々のホテルを歩いたが、こんなことを言い出されたのは前後を通じてこの時きりだ. った。  聞いてみると、昼の小僧のフィリビノから夜は日本人が来ることを聞知って、来たら借りてや ろうと夜になるのを待ちかまえていたというのだ。どうも呆れたものだ。 「実は|君《ユウ》、困るんだよ。」  これを冒頭にして語り出した男の話によると、彼は|活俳《かっはい》の|下廻《したまわ》りで、これから|紐育《  ユミヨミク》のロング |島《アイラント》へ出かけて何かよい|臨時《エキストろ》の口でも取ろうとここまで来たところだが、金はなくなる、殿様 ぶりは止められない、|市俄古《ンカゴ》にいたがやりきれなくなってこの|田舎《いなか》へ一時逃亡しているものの、 ホテルの払いは愚かもう二、三十セントぐらいしか残っていない  。 「それに|君《ユウ》。」と彼は女のほうへちょっと気を使って、「あんなものが付っついてやがってね、ま ったく弱ってるんだよ。」  そして、指にはめた|金剛石《アずヤ》の指環を預けておくからそれを|代《だフい》にして百ドルばかり用立ててくれ というのが、ハマキチ・"チャアドスン氏の申出なのである。もちろん、私は勇敢に断ってやっ た。  すると、今度は、何かホテルに仕事口はなかろうか、あったら何でもする気だから一つ骨折っ てくれまいかと言い出した。あたしも働きたい、世話してくらさいと日英ちゃんぽんで言ったの はミルドレッドである。二人で働いてこのホテルヘの借金だけは返すというのだ。いかにも|殊 勝《しゆしよう》である。よろしい、主人に掛合ってみましょう、こんなことを言って私はその場を切り抜けた。  朝になって|主人《おやじ》が食堂へ出たところを掴まえて、私は五〇一号のことをかなり熱心に頼み込ん だ。ところが、番頭が来て言うには、どうも五〇一号の様子が変だから今日までの滞在費を今請 求してみたところが全くの無一文とわかった、どうしたものだろうと主人へ相談にやって来た。 主人は黙って五階へ上って行った。  ハマキチ・リチャァドスンと主人との間にどんな了解がついたか、それは私は知らない。ただ それから間もなく二人が降りてきた時、客と亭主との地位が顛倒して、雇主と使用人0関係が成 立していた。リチャァドスンはその日の|昼食《ランヂ》から食堂へ出て給仕をやりだした。ミルドレッドは バス・ガアルになって汚れた皿を洗い場へ引く役へ廻っていた。二人とも私の顔を見ると有難う と言いたそうに笑っていたが、忙しいので口をきく|隙《ひま》はなかった。私は|正午《ひる》頃まで台所でうろつ いてから部屋へ帰って一眠り眠った。  働くことをー.手足を動かすことを  なんの恥辱とも思わない|亜米利加《アメリカ》の生活では、こんな 早変りはあえて珍しくない。  インデァナ州の且市で、私が一料理店の夜の給仕兼支配人をしていたころ、毎日そこで三度の 食を|摂《と》る|仲買人《フロウカア》がいた。それが一九二〇年の|恐慌《パニツク》で|潰《つぶ》れて、ある日、窓に出しておいた「皿洗入 用」の広告札を持って店へはいってきた。料理店の前に札が出ていると、その仕事をほしい者が       なか                                                 おとくい 勝手に外して内部へ持って入って直接に談判することになっている。で、昨日まで店第一の顧客 だった紳十が、その日から台所の隅で皿や鍋を洗うことになったのである。絹の|襯衣《しやつ》の腕まくり をして、彼は平気で立ち働いていた。ブロゥカァがほんとに|無一文《フロウク》したなどといって私たちは笑 った。私がよす少し前まで彼は至極|呑気《のんき》そうな皿洗いをつとめていた。  だから、ハマキチが給仕になって、ミルドレッドがバスになろうと、本人達が平気である以上、 それは誰にとっても国際連盟の宣言と同じくらいに無関係なのである。  平和な日が続いた。事件のある前はたいがいこの平和な日が続くものである。が、いつまでも 続いていては話にならないからである。  ミルドレッドが、誰にたいしても必要以上にお愛嬌のいいのがまず誰もの注意をひきはじめた。 実際彼女は彼女のかたわらへ来るすべての男に笑みと秋波のありったけを送っでいるようだった。 それがだんだんの特定の人間の上へ集中されるようになって、みんながその話で持ちきるほどの 墫になっていった。町内で知らぬは亭手ばかりなり、ハマキチの澄まし返っているのがかえって |可哀《かわい》そうなほど滑稽に感じられた。  この|墨西寄《メキシコ》美人ーミルドレッドは白人と|墨人《メキシカン》の混血児だった  の新|情夫《いろ》としてそのお眼 鏡に啾ったのは・へ纐価亠母"エバニエスだった。彼は酋弭年人だった。尉酊寺の腋"と南欧人の ロマンスーー■これはたいした物語りである。  ホテルは人目が多いし、それにミルドレッドにはハマキチという男がついているしするから、 二人の恋は結局ある程度までしか進展しなかった、というよりは、ある一点を中心にしてぐるぐ る|廻《ち》っていたといったほうがいいかもしれない。とにかノ\はたの見る眼も|焦《じれ》ったくなるような 性質のものであったとだけ言っておこうか。  ここからは少し小説体の記述を許していただかなければならない。  石炭の値段が口の端に上り、盛揚の入りが下って来ると、早や冬の近いことを人びとは感ずる。 自動車を追って落葉が走り、道を行く女の足が小刻みになり、鉱山の町に雲の低い日が続く。そ んなようなある日だった。  ミルドレッドがエバニエスに言ったのである。「ねえ、エバさん、あたしどうしてもあの青い ジャッブと一緒にいる気はしないわ。なんだかこのごろはもう嫌でいやでたまらないの。ねえ、 後生だからつれて逃げてちょうだいな。あたし、これでもお給金の貯めたのが七十ドルばかりあ るから、それを旅費にしてどこかへ行って万事新しく始めましょうよ。」と。  これは、とうからエバニエスの待っていたところである。永年働いた貯金の全部が二干ドル、 その他の資産を処分してまとめた金が五百ドル、これだけ身につけて、エバニエスはミルドレッ ドと手に手を取って南部へ駈落ちすることに相談一決した。子供のようになってミルドレッドは 喜んだ。  |中央停車場《セントラルニアイツボ》、キャンゼス州経路南部行きの汽車が出ようとする二、三分前、身の廻りの品を入 れた"緲を提げたミルドレッドと全財産を現金に代えたエバニエスの二人は、人眼を避けてその 客車の一つへ乗り込んだ。車内はわりに|空《す》いていた。と、なかへはいるや否や歩調を早めた、・、ル ドレッドは、いきなり一隅へとんで行って寝ていた一人の男を起こした。すっかり旅|支度《じたく》に身を 固めたハマキチ・リチャアドスンであった。  ハ,マキチとミルドレッドとが正式に結婚していること、ミルドレッドのハマキチにたいする愛 が実は深いものであることーその証拠としてその時ミルドレッドはエパニエスの見ている前で、 ハマキチに接吻したりしたーーが、この際何よりも口をきいた。正式に結婚できない事情のもと にある男女が州から他州へ同伴旅行すればそこに|白娼法《ホワイト スレイヴ》の罪が成立する。穏かな笑顔でこれら の点を指摘するハマキチのそばで、ミルドレッドは笑っていた。  一瞬の間にエバニエスは|仕《フレイノ 》かけに|乗《アツプ》った自分の立場を看取した。|表沙汰《おもてざた》にすれば法律上何と いっても自分の負けである。ハマキチの言うがままに持物全部ーー金から切符まで  手渡して、 素直に汽車を降りるより他、彼としては|途《みち》がなかった。女万能の国である。女が向うについてい る以上、エバニエスとしては泣寝入りせざるをえなかった。  発車間際に、エバニエスは力一杯ハマキチの頬を殴った。そしてとび降りようとすると、狂気 のようになったミルドレッドが降車段まで追って来てしたたか彼の背中を蹴ったという。  それがいまだに|癪《しやく》にさわる、こう言ってエバニエスは後々まで説いていた。 「ちっ、干や二干の金あ惜しくはないが、汽車が動いた時振り返って見たら、ミルドレッドのや つ、ハマキチと頬をくっつけて窓からのぞいていやあがったっけ、轟ヨ5三」  夕方出勤した時、なんとなくホテル中の雇人たちがざわめいていると思ったら、私は問もなく この話を聞かされた。ホテルからは二カ月ばかりの週給を取ったうえ、以前客としていたころの 間代や食費を全部倒していったとのこと。私と今一人の日本人は、当分肩身の狭い思いをしなけ ればならなかった。  やり口があまり巧妙だというので、私たち二人は色々研究の上、加州のあちこちの日本人会ヘ 照会の手紙を出してみた。しばらくしてフレスノや|帝国平原《インピリエん ヴアレイ》から返書が来て、それでこのハマ キチ.リチャアドスン夫妻の正体が明瞭になった。この手でだいぶ方々を荒しながら|生計《くらし》と旅行 を同時に享楽してきたのだというほか、あまり多くを言う自由を私は持たない。  今後の犠牲のために、私の手へ一枚残して行った二人の写真を各地の新聞へ出して警告してや ろうじゃないかという話もあったが、私は何となくそんなことをする気になれなかった。で、|主 人《おやじ》にさえほんとのことは言わずにいた。  |昇降機《エしヘコ タき》の右寄りに兵卒のように突っ立って、私は出入の客に|挨拶《あいさつ》しながら、口のなかで繰り返 していた。  、ン'スコ           フエリ        、 、 「桑港恋しや入船出船桟橋が見えますほのぼのと。」 亜和杣加じゅうどこの町へ行っても、市庁とあめりかん|運送会社《エキスプレス》と、連合煙草店と+セ諷均 一百貨店とハナンの靴屋と|広小路《フロウドウエイ》があって、この|広小路《フロウドウエイ》には必ず国民劇場というのがある。名 前だけはいやに立派で、→葭一2》ゴ(臺》一なる電気文字が中空にちかちかしているところ、|希《フフフフゴちり》 膨人の玉突場や繁人の珂隊町冊ス吽や支萪理マンダレンなんていう四隣を圧して、窪一獺毳一円 ったムッソリニ  でなくても|伊太利《イタリミさ》人なら誰でもいい11のようにひどく決然としているのだ が、内容ときたならとても|莫無《パム》でやくざで|滅茶《フフフクレイジイ》でだらしがなくて  《フフフ》|。  0且! ごっしゅ!   \! ごっしゆ!  とにかく「厳重に殿方だけのお芝届」ってのがこれなんだから、もしもし、御婦人の方はお断 りしますーあら、ひどいわ  しかし、規則だから仕方がありません。で、男ばかり。入場料 は四十五セント、七十五セント、 一ドル、 」ドルニ十五セント、 一ドル五十セント、二ドル、二 ドル五十セント  008=競売みたいできりがないが、つまりその、いろいろある。  第」ここらは場所がよくない。本道には自動車がぎっしり詰って、歩道には|通行人《ペデストリァン》ーあめ りかの町を歩行ー-ー目動車に乗らずにー…するくらいだからというので、このペデストリァンは 余程特種の趣味事情に|捉《とら》われている変り者と見られているーーの流れが引きも切らず、,|飾窓《ウインドウ ノ》の ヤピング                 せんと             おおどおリ    ウイニドウ.ノヤビング                    ガラス 買物」をするひまもない聖おうがすてんの大街ー-飾窓の買物というのは、商店の窓硝子に、 額が赤くなるほど顔を押しつけて、あれとあれとあれとを買った気になってすっかり嬉しがっち まうという気分的無代購買法で、これは都会人に許された最大の娯楽。お金のない若夫婦なんか が市第一の家具店の前に立って、膚を擦りつけてささやき合っている。 「ねえジョニイ、あの応接間のセットはいいわねえ。」 「うんいいね。」 「ほしいわ。」 「ほしいね。」 「買いましょうよ。」 「うん買おう。」 「,千二百九十五ドル九十五セントね。」 「安いじゃないか。」 「ええ。とても安いわ。九十五セントなんちゃあ! ちょっと、あの|床電燈《フロア ランプ》、どうお? ま あ。」 「素敵だね。さ、行こう。」 「あら、あの鏡台! 変わってんのね。あたし、あんなのが大好き。あなたは?」 「好きだよ、好きだよ。さあ行こう。」 「まあ!|絨毯《じゆうたん》! ほら、あっちの隅の。」 「え? うん、立派なもんだね。さ、もう行こう。」 「買いましょうね、こんなの。これみんな。」 「買おう、買おう。」  なんて調子で、ではいよいよ買うのかと思うと、一まず預けたまんまにして、腕を絅んで、足 をそろえていつの間にか隣の|巴里《パリさ》好み婦人服店の|飾窓《ウインドウ》のまえへ来ている。 「あっ! ジョニイ、あの|服《トレス》、あたしに似合わない。」 「似合うね。とても似あうね。,」 「でも、あっちの黒のほうがいいわ。」 「百十八ドルか。」 「いま着てるのはどう? これもう駄目かしら。」 「駄目なもんか。それが一ばんいいよ。」 「そうね。」  で、ここでも預けたまんまにしてつぎへ移る。そうすると、もう家具屋の前にはほかの二人伴 れが立っていて、 「ねえアウサァ、あの応接間のセット、いいわねえ。」 「うん。いいねえ。」 「ほしいわ。」 「ほしいね。」 「買いましょうよ。」 「うん買おう。」 「千二百九十五ドル九十五セントね。」 「|莫迦《ばか》に安いじゃないか。」 「ええ。とても安いわ。九十五セントなんて  あ! ちょっと、ちょっとフ うお? まあ!」 「素敵だね。さ、行こう。」 「あら、あの鏡台!、変わってんのね。あたしあんなの大好き、あなたは?」 「好きだよ。好きだよ。さあ、行こう。」 「まあ!じ纐丿蹴!.あっちの隅の。」 「え? うん|綺麗《きれい》なもんだね。、\もう行こう。」 「買いましょうね、こんなの。これみんな。」 「買おう買おう。」 あの|床電燈《フロア ランプ》、ど  これがとなりの巴里好み婦人服店の前へ来ると、 「あっ! アウサア、あの|服《ドレス》、あたしに似合わない?」 「似合うね。とても似合うね。」 「でもあっちの黒い方がいいわ。」 「百十八ドル、か。」 「いま着てるの? これもう駄目かしら。」 「駄目なもんか。それが一番いいよ。」 「そうね。」  と次ぎの窓へかかったころには、はじめの家具店にまた新しい二人が立ちどまって、 「ねえクリストファ、あの応接間のセットはいいわねえ。」 「うん。いいね。」 「ほしいわ。」 「ほしいね。」  買いましょうよ。うん、買おう買おう、とそれからこれが隣の巴里好みー1ああ面倒くさい。 どこまでいっても同じことだが、散歩者が切れないんだからこの「預けておく買物」も際限なく 続くわけで、かかりあっちゃ夜が明けっちまうから思い切ってここらでよす。が、これを要する にこの「|飾窓《ウインドウ シ》の|買物《ヤビング》」は、幾多の細君のはかない買物本能を満足させ、幾多の良人に猛烈なお 隹惘 3 金儲けの心願を立てさせ、やがてはそれが思慮分別もなく金を生み出すあの|亜米利加《アメリカ》の企業熱を |煽《あお》ることにもなるしだいで、石と鉄と石炭との現実の物質文明のなかでこれだけがたった一つの 人間の夢、浪漫かもしれない。なんかとこっちまでいっしょにいい気になっていたんじゃしょう. がないから、そこで 0$且! 一つ|呪文《じゆもん》を唱えておいて…ー。  ごっしゆ!   扎よみ佚                               ガラス  この泪くましい都会情景の「窓の買物」も落ちついて享楽できないほど…ーというのは、硝子 ごしに見ているあいだに買ってしまう人の多いーー-■大通り|聖《せんと》おうがすてんの大商店街を一歩横に 折れると、敷石・建物・人の顔・空・女の帽子が一時にうす黒く汚くなって、バナナの皮を踏ん で踊子が気絶をしたり、それをーーバナナの皮ではない、踊子のほうであるー!を抱いて巡査が 走ったり  いつもの町に殺人か強盗かともかくも事件と名のつくもののあったすぐあとにきま っているので、このへんにはきっと警官が張りこんでいて、踊子がバナナ爪り皮を踏むとどこから ともなく飛んでくるーーその踊子の|手提《サしキフ》げから|酒屡《フにフズコ》がころがり出たり、それを抬って浮浪人が逃 げたり、職業拳闘家が追っかけたり、駈けだす拍子に一枚の写真をおとして行ったり、来かかっ た女が写真を手に取ってごっしゅとほうりだしたり、拳銃が鳴ったり了△(  が喚いたり、日本 人のせり売り屋が花瓶を叩いて絶叫したり、,猿廻しが|手風琴《てふうきん》で「老いたる黒いジョウ」を弾いた り、|南京豆《なんきんまめ》の殻と紙屑に風が吹いたりその風に|墨西評《メキシコ》料理ちり・こんかあにのにおいがしたり、 既製洋服店の鏡へ向って不良青年がよそ行きの顔をしたり-ーどうもこのレディ・メードの洋服 屋にはよくないやつがあって、客が洋服を着て鏡に|前面《す ヌ》を写している時にはちょっとうしろを摘 んでおいて、どうですきっちり合いましょう? |背後《うしろ》をうつしてみようとすると、気がつかない 程度に服の前を掴んで、どうです素敵もなくよく合うじゃありませんか。まるで御注文なすった ようです。これではなるほど前から見ても|背後《うしろ》から見てもぴったり|身体《からだ》についているから、よし、 これにしようというので買って帰って着てみると、今度はだぶだぶで力8嘉8巨というさわ ぎ、欄み方が実に軽くて巧妙なのでうっかりしているとやられることがある  とまあ言ったよ うなわけで、、ジブシイうらないの店に即席|刺青《いれずみ》ーー世界地図、自由の像、|觸髏《どくろ》、蛇、|西班牙《スヘイン》女、 星条旗、女の足、|碇《いかり》、日本のおいらん、桃その他何でも彫ります・無痛ー■ーの看板が出ていて、 新聞克子がはじけ|黍《パンプ コウン》を|頬張《ほおば》りながら、  あう・ぱいぱ・ぱいぱああう!  じゃすたう・もうねん・ぱっぱあああう!  ま、'ま.ギび、刪まつ手.  むし` むし`  と|呶鳴《どな》れば、スマルデング運動具店の前の歩道で地廻りの「|固茄《かたゆ》で卵子」  霞穹山守ー霍 。騁。。で、これは鼻っぱしの強いごろつきの意味だが、こいつをもう一つ|捻《ひね》って一刪鬘三量ぎ ぎ辞乏曽帚一ーーお湯というのがはる・うおらとしか聞えない。ーーお湯の中へ十五分も漬けてお けばたいがいの玉子がいい加減かちかちになるから、いかさまこれは|道《フフ フ》理にかなった|酒落《しやれ》かもし れないが、いきなり「おいあいつは十五分輝熱湯の中にはいっていた[,だよ」とやられては、 こっちこそ正確に玉子みたいに|潰《つぶ》れて降参しちまう。一たい玉子¢鷭はよく俗に擬人的に使わ れる言葉で、ちょっと考えてみてもこれだけある。  ー |半熟《はんじゆく》というのがおとなしい男、組しやすいやつの意。これをもじって「|二《フフ》分間茹でた玉    子」なんかと細かいことをいう。  2 |悪《ハツド》い|玉子《 エツグ》は読んで字の如く「食えない野郎」  3 一帋。。プ。¢00口も新鮮な玉子とばかりはきまっていないで、|生意気《フレツシユ》なやつ、すなわちきざ《フ 》|で    図々しい男のことだ。  で、その「十五分間お湯につかってた」連中がスマルデングの運動具屋のまえで、 「そら来た、頭だっ!」 「ごっしゅ! しっぽだっ!《テイル》|」  とわいわい投銭|賭博《とばく》をしていると、さっき言った国民劇場の電気看板にぱっと|灯《フフ》がともって、 タ風のなかを「疲れたる事業家」の自動車が路地について、|希臘《キリンヤ》人の玉場や|猶太《ユダヤ》人の兵隊用品店 や支那料理マンダレンの|扉《ドァ》が|頻繁《ひんぱん》に開閉されて、ここに現出するのが「厳重に殿方だけのお芝 居」の世界。幕のあくのが全国一せいに8・15・戸・ とある。  芝居のなかでは煙草はのめないことになっているが、このバレスクだけはお客が男0 し\だ というので喫煙おかまいなしで、このとおり煙草の中売りまでする。 「せがあす・せがれっつ・おうるかえんどう・ちゅういんがむ!」  最後をちううういんがむ  とこう押しつけて突っ放すところがなかなかいなせな声だった。 矼べ絣スの幕が下っている。石綿は火を通さないから、舞台裹から火事が出ても見物席は大丈夫で すと観客に安心させるためかもしれないし、あるいは見物席が火事になっても楽屋は安全だとい う  とにかくどっちかに相違ない。  そこで茶番がはじまるのだが、このあめりかのバレスクなるものは、筋のある芝居ではもちろ     よせ             てつとうてつび んなし、寄席のような色物でもなく、ただ徹頭徹尾あらゆる機会において女の足と皮膚を見せよ うとするだけの愚にもつかないものだけれど、その女の足と女のはだ 遠くで見るが.上示程 ありがたいとみえてこれだけの男のむれが詰めかけているんだが、さて改まって書くとなるとど うも鄭加鄭加しくてお話にならない。でいまはいったばかりで残念だが、すぐ出ることにする。  しかし、これで|亜米利加《アメリカ》に「男だけの世界」というものが|屏風《びようぶ》でかこったように存在している ことがわかったわけで、この女人禁制国の最高の代表ともいうべきのが、|牡鹿《おじか》の頭の|剥製《はくせい》を象徴 にして大暼娥の上に飾ってある「男ばかりの側齢緲」だが、その倶楽部へ行くまえに、いかに女 のはだかが珍重されるかの一例を|捜《さが》して、ちょっとそこらまで歩いてみよう。といったところで なにもそう遠くへ行く必要はないのでちょうど劇場の二、三軒むこうから、 「井戸ばたのダイァナ!」  という変てこな声が突如として聞えてくる。こわごわのぞいてみると、昨日まで交通巡査をや っていたような鼻の頭の赤垂聾人が・欝かをしない嚢を内部へ円く折りこんで、青い絹 |襯衣《しやつ》の腕まくりをしてサクセフォンみたいな声でこんなことを|嗽鳴《どれ》っているのだ.どうせこの辺 は名うての|伝法区域《タァ ユさへしりえクさ 》で、何がとび出してきても|樗《おどろ》かないだけの用心が肝而夂なんだが、それにし ても「井戸ばたのダイァナ」ってのはつい好奇心を起こしてふらふらっとその家ヘはいりこんだ が最後-ーーごっしゅ!  口上言いの男のそばに高さ一軒ほどの台ができていて、その上に女が立っている。鮭の皮をお 酢でこすったようなふやけた肌の色を露出させて乳と腰のところだけに敷布みたいなものを巻き つけていやに青白い脚を二夲ーー確実に二夲あると断らなければならないほどに不可思議な を見物の頭の上に並べて顔だけは教会へ行ったような真面目さで、なんだか世の中全体が詰らな くてしようがないといったふうに、ぽつんと構えている。そして、よく見ると、これがその「井 戸のダイアナ」たるゆえんであろうが、いまの今までそこらの地下室に転がってたらしい|漬物《ごクハ》の |瓶《ぴん》みたいな壷を片手で肩の上に捧げているのだ、水汲みのダイァナ! ごっしゆ!  これはモデルの見物で、観客は男ばかり「水くみのダイアナ」が」くさり済むと、べつの男が 柎子を持って上間を歩きまわる。みんな十センずつほうり込む。すると男が台の上方へ合図をす る、、女がにっこりして|姿態《ポエス》を変える。口上一、一口いがすかさず説明の|銅鑼声《どらごえ》を投げ出すという順序だ。 「トロイのヘレン!」  で、また柎子が廻ってくる。十セント、十セント、十セントー;。 「人魚。」  相子。十セント、十セントーーー無数の十セント。 「ヴィナス。」  十セントーーといったぐあいにいつまででもやっている。女がちょっと首を曲げたり腕を伸ば したり膝を屈めたりするだけで、いちいち題名が変るんだから、しばらくじっとしていてつぎの 形に移ればいいので、そのたびにほとんどでたらめと思われるばかりに色んな名がとび出してく る。見物は黙って見ている。あまり利口そうな顔はいない。が、それでもおしまいには変り目ご とに帽子が来ても、十セント出したようなふりをしてだんだん出さないのが多くなるから、この 名画名彫刻モデルの見世物も、そうはたで見るほど十セン銀貨の集まる|稼業《かぎよう》でもないらしい。 「ジャンダーク!」 「|酒神《みき》の祭典。」 「春の野の風!」 「井戸ばたのダイァナ!」  もとへ返った。見物も元へかえっイー、往来へ出る。女は台の上で、椅子に腰かけて口上人と何か 言って笑って、鼻柱へおしろいを叩きこんでいる。そとは光線の海だ。空高くそびえる大小の電 気広告に、赤い灯が消えたり青いのがついたり、そいつがぐるぐる廻ったりー 汽笛が鳴る。こ こらは工場に近いのだ。  勹。喜<》冖8号と、いうのがある。これも|男《メちノヨオ》ばかりだ。「マァジイよ、おまえのために|家《ンロ イ》と指輪を 買ったよ、マージイよ」なんかという譜を自動ピァノでぶかぶかやって、|郵《フフフフ》便箱に|硝子《ガラス》のついた ようなものが森林みたいに立っていて、その箱の上に、一つ一つ内容を示した貼紙がしてあって、 「暑い夜」だの「ひとり居」だの「見ちゃ嫌よ」だの「あらっ!」だの「湖畔の道」だの「水浴」 だの,月のみ知る」だの「|後宮《こうきゆう》の一夜」だの「森の奥」だの「でかめろん一|頁《ぺさジ》」だの「鍵穴」 だの「夜明けまで」だの「?」だのと手当りしだいに色んなことが書きつけてある。銅貨がなけ れあ両替までしてくれるそうで、わきの小穴から一片入れて|把手《ハンドル》を廻すと、中に豆電燈がついて、 写真が一枚ずつかたんことんと|変《フフフフフフ》る仕かけだとのことだが、この他愛のないのぞき|眼鏡《めがね》がいつも 押すな押すなの繁昌で、このほうが「水くみのダイァナ」よりはよっぽど人気があるらしい。  さて、「男だけの|倶楽部《くらぶ》」だがーー。  この町のその倶楽部にオスカア・シバアという日本人のベル・ボウイがいて、オスカアがいか にして今の仕事口に取りつき、そして全倶楽部員の間に甚大な信用を築き、ことに委員長マキシ ミリァン・ガット氏のおぼえ目出度きものあるにいたったか  そのいきさつを述べるのが、こ の話の主眼なんだが、ごっしゅ! どこから始めていいか  わ  ま、とにかく、多くの物語のようにこの物語も数年以前へさかのぼることにしよう。  で、二、三年前のことだった。  そのころオスカァはキャスケイドの湖に近いリッツビルド・ゴルフ|倶楽部《くらぶ》のベル・ボゥイをし て、自動車から部屋までゴルフの棒を運び、女客が靴下を直すのを見ないようにし、ラザラス・ バルジラリ・スタインバッハなんかという名を、水の足りない金魚みたいに「えへん、ラザ、ラ ザ、ちくしょう  これは低声-ーラス・バルジ、ルジラリ・スタ、イン、バッハ、わっは様は おいででございましょう」と食堂から喫煙室を呼び歩いたり、朝早く起きてゴルフ場に落ちてい る球を拾って、拭いて磨いて固めて売ったり、まず一口に言えばべル・ボウイらしい正直で善良 な生活を送っていたもので、影の映る堅い板張りの床と|縞璃瑙《しまめのう》の机と、紫いろの制服と|真鍮《しんちゆう》の |釦鈕《ぼたん》と、ニッケルの番号章と批判のない表情とを大事にして動いてーーー働いてとは言わない いたのだったが、そこへ眼の水っぽい小さな男--上には口ひげ、下にはスパッヅをつけていた   とその細君なる巨大な女  十本の指に十個の金剛石が小アーク燈みたいにぴかぴかしてい た  とが|倶楽部《くらぶ》へやって来て、夫人の腕に、永久縮れをほどこした断髪みたいな奇怪な犬 兎と鼠との中間のような顔をして、尻尾にさわると大げさに悲鳴をあげる習慣があった  その ボントン  犬の名  がいっしょに休養に来たばっかりに、犬の大嫌いなオスカァがボントン のお相手を仰せつかることになった。はじめ倶楽部では、あらゆる種類の動物  靴とずぼんを はいていない生物  の宿泊は拒絶することにしているというリッツビルド倶楽部の法律を振り かざしてボントンを|忌避《きひ》しようとしたのだったが、マキシミリアン・ガット氏が夫人と夫人のボ ントンのためにその法律を買い取ってしまったので、とうとうボントンも居据わることになって、 その係りがオスカァということにきまった。マキシミリアン・ガット氏はどっちかというとボン トンにたいしてあまり好意を持っていないようだったが、すこしでもボントンを愛しないような 素振りを見せると夫人が気違いのようになったり、時としては卒倒して見せたりするのでしょう ことなしに大事にしているふりだった。ところが一度ボントンがオスカァの|頬《ま》っ■ぺたを|舐《エ》めてい たところ1ーオスカアが抱いていたのである。ボントンはそんなに背の高い犬でもなければ、オ スカアもそれほど小っぽけではなかったーーを見たガット夫人は、ボントンとオスカァが大の仲 好しであるとすっかり思い込んでしまって、 「オスカァや、今日は火曜日だからボントンさんにお湯をつかわせておあげ。」 「はい奥様。」 「気をつけて入れるんだよ。いつか|英吉利《イキリス》のホテルで召使いの不注意からすんでのことでお|風《フフフ》呂 で|溺《おぽ》れるところでした。」 「奥様、そういう人間は死刑に処せらるべきだと思います。」  なぜならば完全に|溺死《できし》させえなかったからーーとオスカアは考えた。  このボントンがオスカアの過失によって逃亡したのである。場所は公園だった。緑色の首輪を したボントンを、オスカァが食後の散歩  オスカァの食後ではない、ボントンの食後である ーーにつれ出したのだが、あっという間に綱をつけたままどこかへ行ってしまった。四、五時間 もほうぼうを探したのち、オスカァがガット家の部屋を|叩《ノツク》した時、運よく夫人は留守だった。 「なに? ボントンを逃がした?」  ガット氏はトメト・キャチョップのように顔色を変えてオスカァの手首を握った。 「ほんとか、ほんとか。」  オスカァはすっかり決心していた。 「はい。申訳ありません。」 「き、君は英雄だ、私の救世主だ! よノ\よく逃がしてくれた。もう帰ってこまいな。」 「はい。フロリダ州 1八 1へでも行ったことと存じます。」 「どこへでもいい! よく離してくれた、男同士として、この解放の気持は吾にはわかるだろ う? 看、町の俺の倶楽部へ来てくれないか。」 「は。フロリダ州 1〈 1へでも参ります。」  ごっしゅ! と二人は「男だけの世界」で微笑を交換した。ごっしゅ! とね。 二つの+・占子加木 一九  年。六月十三日。 |亜米利加《アメリカ》○州戸村にて。                 ジョゥジ・テネイ  →0冨屯箏亀芦大学に夏休みがきた。いくら大学町だって自然の支配を拒絶することはでき ないから、春のつぎにはやっぱり夏がきた。街路樹のかげをうろつく女学生の着物が白くなって、 その影が歩道のうえにいやに黒く濃くなってゆくと思っていたら、角の大学ホテルの帳場でらむ ねを|売《プ》り出して、肥った大学教会の牧師の鼻の頭がまっさきに汗をかいて、大学道路に大学の水 を|撒《ま》いて、大学の馬が|陽炎《かげろう》のなかで|欠伸《あくぴ》していた。そうしたらもう大学の夏だった。大学づくめ のこの|町《タウン》にも、独立祭よりは夏休みのほうが早く来る。独立祭は七月四日で、お休みは六月半ば から、だからこれはこのほうが順当だろうと僕は思う。」  で暑中休暇だ00巳○己。。=ヨヨ禽ら簑。。だ。|仏蘭西《フランス》語と|羅典《ラテン》語と初代|基督《キリスト》教史と英文学概論と テニスンの詩とが暑中休暇だ。僕は小鳥のように  000ヨ。ヨ己甼り   解放されて、テニ スンの詩と英文学概論と初代|基督《キリスト》教史と|羅典《ラテン》語と|仏蘭西《フランス》語の本を、」まとめにして|紐《ひも》で縛って衣 裳棚の奥へほうり込んで、上から洗濯物を山のようにかぶせて、完全に幽閉してしまった。つい でに一つ軽く蹴ってやった。せめてもの復讐である。これですこしはさっぱりした。そこで僕は、 青い|襯衣《しやつ》を着て半ずぼんをはいて|鞄《かばん》を抱えて停車場へ行った。陽がかんかん照って眼が痛いよう な朝だった。停車場には相棒  。。己9=鼻ーのエドワァド・モゥリイが赤い|襯衣《しやつ》を着て半ず ぼんをはいて鞄をさげて待っていた。 「ヘロウ!」 「ヘロウ!」  僕たちは汽車に乗った。戸0且0! と汽車が出た、オハイオの|田舎《いなか》だ、インデアナの牧場だ、 |読本《リイダア》の|挿絵《さしえ》だ。 〈丁△( 、汽車がとまった。すると、下りたところがこのり、村である。 「|基督《キリスト》教を信奉する世にも健実なる日本学生二人、夏休みのあいだ農家に雇われたし。豚は洗っ てもいいがフォウドを洗うことだけは御めん。豚には個性も意地もないが、フォゥドは個性と意 地とで」ぱいだからいやです。が、ほか何でもします。大学\  △(職業紹介部へお申込みくだ さい。」  こういう広告に反響があって、働く家は別々だったが、僕とエドワァド・モウリイとは同じこ の戸村で「|畑《フアム 》の|手《ハンド》」七して一夏を送ることになったのだ。僕に取っつかれたその不幸な家は、 村でも相当の物持で、使用人も五、六人いた。僕は果樹園の掃除や家のまわりの小さな仕事をし て  というよりも、しているような顔をして、日を送りはじめた。エドワアド・モゥリイもほ かの家で同じような運命を甘受していた。  このエドワァドは加州生れの日本青年で瓜のように|蒼《あお》く小さくふくれていた。名は森というん だが、本人は=0冖ぐと書いて気取っていた。僕よりも一つ二つ年上なんだから、彼が生れた時 の模様を僕が知っているわけはないけれど、およ羊、の想像はつく、、すなわち、彼の父親が、生れ たてのエドワァドを抱いてその細い黒い嶮に見入った時、しばらくして父親は、一声鋭い叫びと ともにエドワアドをほうり出しイ\家から走り出て野を突っ切って、丘へ駈け上って、河を泳い で、{へ分け入った、|爾来杏《いしオリいトでり》として消息を絶って今日に到っているような気がする。£且く!  これは彼エドワァドとともに一時間を過ごした人なら誰でも認めて、そしてその父親を無理も ないと思うところで、ほとんど既定の事実に近い、その証拠には彼には父というものがなく、生 れてから母一人の手で育ってきた。日本人のくせに日本語がよくわからないで、きのうとあす《 フフさフフ》|を あべこべに使ったり、あくびとくしゃみをいっしょくたにしたりしていた。そのかわり英語は悪 達者で、ことに喧嘩にかけては、どんな「|荒《ラァ ネ》い|首《ソク》」と口論しても、口論の範囲にとどまっている かぎりは、けっして負けたことはなかったくらいだった。  彼エドワァドといっしょにいる時は、僕は必ずなんらかの形において損をした。だから僕は、 この「不幸を作る人」とは共通の立場に身をおかないようにと毎々、一大決心をするのだけれど、 その決心はすぐこわれてしまう。決心は善人や天才と同じように、常に正確に不幸にして|夭折《ようせつ》す べくできているんだから仕方がない。  ある日なんか、僕がすこし風邪を引いて寝ているところヘエドワァドがやって来た。僕は、エ ドワァドが僕と交際している点だけで見ても、彼にはいくらか好い趣味があることがわかって賞 めてやりたいとさえ思っているのに、彼のほうでは単なる興味のために僕との交友をつづけてい るとでも考えていたらしい。 「ジョゥジ、」としんみりして、「つくづく考えてみると、だね  」  と言いだした。僕はすぐ危険を感じた。 、素敵だね、実に一段の進歩だね、|君《ユウ》がものを考えるなんて!」 「君はいつでも先を言ってしまう。」 「親愛なるエディよ。すこしでも君と交渉を持つ人が、もしなんらかの機会において先を言うこ とがあったとしたら、それは必ず「ああそうだ、君の言おうとしているとおりだ、君の意見は、 聞かなくても、そっくりそのまま僕のアイデアだよ」という言葉以外にはないだろう。もっとも その人が平和を愛しなかったり傷を受けることをなんとも思わない種属に属する場合は別だろう がね。」 「僕は平和を愛する!」  ここでエドワァドが宣言した。それが僕を瞬間的に安心させた。人は誰でも時として弱い瞬間 を持つものである。 「で、何だい、|君《ユウ》のその考えたってことは?」 「つくづく考えたんだがね、どうだい、|君《ユウ》、一つ一千ドルの生命保険に入らないか。こうやって 俺といっしょに飛び廻っている以上、|君《コウ》だっていつなんどきどういうことが起こらないとも限ら ねえからなあし 仆訌一矍丶」  僕はいそいで弁解をはじめた。つまり、目下一般不景気で、何もかも物価が騰貴しつつあり、 加うるに僕の飼っている金魚がだんだん成長しだして、以前より三倍も多く蟻の卵を食うこと、 その費用だって考えなければならない。したがって生命保険という思いつきは、今のところ、故 国日本へ帰ろうという感情よりももっと僕とのあいだに大きな距離をもつものである。と僕は説 明し、|披瀝《ひれき》し、哀訴し、嘆願し、かつ苦悶した。 「まあ、いいや。」とエドワァドもとうとう諦めた。「嫌なものは無理にとは言わない。俺はいつ だって寛容なこころもちを持っているつもりだ。が、一言いっとく。|君《ユウ》にもしものことがあった としてー!」 「おいおい、エディ、僕は病気で寝てるんだぜ。」 「知ってるよ。だからまだ言語が通ずるうちにと思って俺はこんなにあわててるんじゃないか。 ええと、何だっけな、話の腰を折られるんで、いつも困る、ええと、そうそう、|君《ユウ》にもしものこ とがあったとしても、一週十五ドルの給料じゃあどうすることもできないからね。実はいま聞き 合わしてきたんだが、家畜墓地へ埋めるんだって七ドル五十セントはかかるそうだ。もし人間の 墓地へ割り込むとなると約三倍だというんだ。まず二十二ドル五十セントだね。それも|君《ユウ》、上に 石の一つもおっ建てないわけにはゆかねえだろうしなあ。」  |万一《もし》石を置かないと、僕が土をはねのけて出て来るかもしれないと思ったのだろう、エドワァ ドは心配そうに僕の顔を見つめていた。 「金のこたあ大丈夫だ、、|君《ユウ》にだって五十一ドル六十五セント貸しがあるもの。」  僕が言った。するとエドワアドは始めて悲しそうに深呼吸をした。 「しかし、 ヨ8軣邑冨ー!金がもの一言う世の中ってことがあるからね。もっとも、金のやつ、 俺に何かいう時にゃあ決ってぐるばいだけだが  」  こういうエドワァド・モウリイである。彼といつしょに|戸外《そと》に出る時には、僕は必ず事件の予 感めいたものを持つ。そしてまたエドワアドは、忠実にもそういう僕を失望させるようなことは なかった。  で、今日という今日である。  僕が屋根裏の部屋にころがって、それでも主人の声がしたらいつでも庭へ下りて前からそこに いたように見せかけうる用意のために、|身体《からだ》じゅうに|埃《ごみ》をつけてぽんやり|煙草《けむりこ》をふかしていると、 |扉《トア》があいて、|愛蘭人《アイリツンユ》の女中が顔を出した。 「ジョウジさん、お客さんよ。紳士。」 「ああそう、あげてくれたまえ。」  上って来たのを見ると、日本青年エドワァド・モゥリイだ。小さいくせに肥ってるからなかな かはいれない。洗面台を動かしてやったら、ようやく横に|身体《からだ》を持ちこんで|寝台《ベツト》に腰を下ろした。 「おお君かい。なんだ、女中がいうには紳士だなんて  。」 「煙草は|安価《やす》いのを|喫《す》うな。」  エドワァドは立上って窓をあけた。 「まるで古い|短衣《チヨツキ》を|干切《ちぎ》ってパイプヘ詰めて火をつけたようなにおいだ。罪悪だねこれは。どれ、 一本出せ。」 「うん。しかし|短衣《チヨツキ》じゃないようだ。ハヴァナ上人の|草韃《わらじ》らしい。」 「、何でもいい。酒は?」 「あるにはある。が、君の常用の青酸はないよ。」 「|主人《おやじ》は?」 「どこか近くにいる。」 「じゃ駄目だ、、ぬすめねえ。」  僕のおかげで臭い|乾酪《かんらく》を噛んだかのように、エドワアドは僕を|白眼《にら》みつけた。僕はしずかに彼 の来訪の目的ならびにその理由をたずねたのである。 「お茶だよ。」エドワアドが言う。「三時のお茶を飲みに来たんだ。人の家ヘお茶をのみに出かげ るほど愉快なことはないね。僕はそうすることによって、無意識のうちに、到るところへ太陽の 光をふりまいて歩いてるのだと信じている。要するに、僕は君を快活にしにやって来たのさ。」  僕は一応辞退したが聞き入れられなかった、)遠慮しなくてもいいとエドワァドが主張する。仕 方がないから|階下《した》の台所へ行って、さっきの女中をおだてて二人分のお茶をごまかしてまた屋根 裏へ帰った。 |7《ま》  お茶を飲みながらエドワアドが|訊《き》くには、僕に|養鶏《ようけい》に関する知識があるかという.僕は正直に、 あったが今はないと答えた。というのは昔は一|時鶏《にわどり》でも飼ってみようかと思って、イリノイの |田舎《いなか》で養鶏雑誌を取って、そのなかの「いかにして養鶏業をして利益あらしむべきか」という論 文を読んだものの、読み終ると同時に、養鶏という企業は断念してしまった。そのわけは、卵を 買ったほうがはるかに安いし、鶏から金を取るということは大審院へ訴えても無駄に終るという 帰結を発見したからである。私はこれらのことをエドワァドヘ告白した。そして、知るというこ とは悲しいことだとつけたした。ほんとだね、とエドワァドが同意した。だから俺あ|人学《カしジ》がきら いなんだとも言った。それから非常に同情のある顔つきで、つぎのようなことを述べはじめた。  まず彼は、僕の記憶と注意に|刺戟《しげき》をあたえて、その方向を近所のお百姓の一人サイラス・ジャ スパァ氏なる人物の存在事実のほうへ向けてくれた。それから、そのサイラス・ジャスパァ氏が 近頃ひんぴんとして|鶏《にわとり》の盗難にあっていることを指摘した。そして最後に、ソてれに関する私の 意見をたずねた。彼の重大そうな声音が、僕の神経に異常にひびいたことは一言うまでもない。 「そこでその鶏事件は僕らにどういう関係があるんだ?し  僕がきいてみた。エドワァドは落亠りついている。 「あらゆる角度から見て関係があるさ。まず第」に、僕らは今晩その鶏泥棒を渊悶まえに行くんだ。 僕と君と!ご俸ヨの一いいかい、一晩鶏小屋.へ張込んで泥棒をつかまえようてんだ、僕と君 と! ね、これは事実なんだ。」 「エドワアド・モゥリイ!」僕は思わず叫んだ。「そりゃ僕は今までずいぶんいろんなものにな りたいと思ったよ。考えてみると百七十」種の職業と地位を志してきたさ。しかし、しかしだね エデ何、しかし、|素人《しろうと》探偵というやつは僕のこの志望表にもなかったのだ。」 「で?」 「で、もちろん辞退したいというのさ。」 「じたい?」 「いええす、辞退。僕は|君《ユウ》といっしょに未知の世界へ探険に行く勇気はないね。早く言えば、僕 は君を信じないというのさ。」  が、エドワァドには一こう通じない。 「そんなことはどうでもいいじゃないか。探偵は事実を観察して、事実と事実とのあいだに連鎖 を発見して、その連鎖の示す方角へ観察を延長させてゆけばいいんだ。こういうと|蕪《タアナップ》のように        職か 頭のない君には莫迦にむずかしく聞えるかも知れないが、やってみれば驚くほど簡単だよ。それ に君、いうのを忘れたが、サイラス・ジャスパァ氏はこの鶏泥棒の逮捕に莫大な賞金をかけてる んだ。うまく|捕《つか》まえたら、金は、|五十五十《フイフテイ フイフテイ》!ー只丁69ーさ。とうだい?」  僕がいやだと、言い切るとエドワァドは情なさそうに空気を|凝視《みつ》めていたが、そのうちに色ん なことを言いだした。  つまり、僕にはどうも引込み思案で臆病なところがあるが、この0口.0め・三轟の世の中に生き てゆくためには、それらの態度を去年の夏帽子のようにさらりと捨てなければならない。その帽 子をすてるためにも今|夜鶏泥棒《にわとりどろぼう》をつかまえに出ることは必要であるというのだ。誰のために必 要なんだと反問したら、エドワアドは即座に帽子のためにと答えた。何がなんだかわからなくな って僕がまごまごしていると、エドワアドがつづけていうには、僕のこの花嫁のような引込み思 案と臆病さはどこから来ているか判然しないで、彼の考えるところでは二十何年か前に僕が頭の ほうを下にして|乳母車《うばぐるま》から落ちたことがあるに相違ない。その時の記憶がいまだに|禍《わざわ》いしている のだろうと発見してくれた。そうかもしれないと僕も思った。そう思ったら僕は何でもかでも今 夜サイラス・ジャスパァ氏の鶏泥棒を捕縛しなければならないような気がし出してきた。僕は一 つ大きくうなずいてしまった。 「エドワァド、」僕が呼びかけた。「何だろうね。今晩僕らが鶏小屋へ張込むことはサイラス・ジ ャスパア氏も知ってるんだろうな。」 「いいや、知らない。知らせちゃ面白くないもの。つかまえた泥棒をジャスパア氏に突きつけて びっくりさせてやろうじゃないか。」 「そうか。うまく捕まるといいがなあ。」 「つかまる?8。。一帋98叶捕まる! 捕まえるんだよ。」  時刻を真夜中と約束して、エドワアド・モウリイは来た時と同じようにまた|身体《からだ》を斜めにして 屋根裹の部屋を出ていった。出がけに僕の煙草をもう四、五本擱んで行ったことはもちろんであ る。  昂奮が僕の全部を占領しイー、、それから夜中まで僕は何をして時間を消したか覚えていないが、 |主人《ボス》にどなられもしなかったところを見ると、仕事だけはうまく立ちまわっていたものと見える。 もっとも、午後から夕方へかけての僕の仕事というのは、誰もいない|厩《うまや》で馬具の手入れをするこ とだったから、|藁《わら》のなかに寝ていても用は足りたのである。が、夕飯のときには正確に眼をさま していつもよりはうんと御飯を食べた。そして屋根裏へ帰って|身支度《みじたく》をした。やたらに煙草をの 'んで真夜中を待った。  頃あいをはかって家を抜け出た僕は、郵便局の前でエドワアド・モウリイを待ちあわせて、人 っ子ひとりいない道を、二人でサイラス尊ジャスハア氏方の裏手へまわった。問題の|鶏小犀《にわとりごや》は すこし離れた野原の真ん中に立っていた。僕たちは小屋のソてばの灌木のしげみにかくれて一晩じ ゅう見張りをすることになった。  「すっかり攴度して来たよ。」  エドワァドが言った。支度って?と僕がきき返したら、ものさしやら帳面やら縄やら一通り の探偵の道具をそろえて来たのだという。いつものことながら、エドワァドの注意深いのには僕 はおおいに感心した。  真暗な晩だった。木の葉一つ動かなかった、、しかし、これは暗かったからではない。風がなか ったからだ。|臭一《ふくろう》つ鳴かなかった。と言っても、これは風がなかったからではない。暗かった からである。僕は、何事にしろ、誤解はできるだけ避くべきだと思う。  一晩じゅう見張りすることになったと言ったつもりだが、一晩じゅう見張りする必要はなかっ た。というわけは、間もなく小屋の囲いにそっと黒い影が動いているのが、僕たちの眼にはいっ たからだ。それは人影のようだったが、滑るように近づいてくる様子が、なんでも二、三人はい るようだった。汗の玉が僕の額へ沸いた。ある玉は五十セント銀貨くらいの大きさだった。ほか のは十セントほどだった。多くは玉になるさきに糸になって流れた。これは、言うのを忘れたが、 ばかに暑い晩だったのである。  エドワァドは、僕が|樗《おどろ》いてこわがっていると言ってきかなかった。その実証として、彼は僕の 腱一糀かぶつかりあって発する連続的な音響が聞えると言い張った。しかし僕はあくまでも争っ て、このエドワァドの言葉をしりぞけた。が、なるほど耳をすますと不思議な音がする。僕はそ の音を、近くの|乾草《ましくさ》小屋で|騾爵《らま》が誕生日を|祝福《プレヒント》しているのだと説明しようと試みたが、エドワ ァドが急に僕の口を押さえた。そしてもう一つの、つまり、僕の口を押さえていないほうの手で、 ま え   や み            くろほうし  にわとり                                                 つ 前方の闇黒を指さした。黒法師が鶏小屋へ忍んで行く。僕たちは四つん這いになってあとを尾 けた。エドワァドは拡大鏡を持っている。探偵は四、六時ちゅうけっして拡大鏡と離れることの ないものだ  彼は僕にこう説明してくれた。  黒い影は鶏小犀へはいり込んだ。 「今だっ!」とエドワアドがささやいた. 「000口禽、一ヨ一〇〇ヨ¢8厂  |起《たち》上ると同時に、僕らは勇敢に小屋のなかへ突入した。しかし、突入すると同時に、僕らはも っと勇敢に小屋の外へ突き出された。  |内部《なか》に三人の男が隠れていたのである。 「殴れ!」  |頭《かしら》らしい」人が厳命を発した。それに応じて、一人が僕を殴り、他の一人がエドワァド・モゥ リイを殴った。 「蹴れ!し  また声が掛った。一人が僕を蹴り、他の一人がエドワァド・モウリイを蹴った。|頭《かしら》らしいのは 黙って見物していた。  これほど忠実に命令を実行する兵卒もないだろうと思われるほど、二人は、自分たちの感興と 享楽をもって僕とエドワァドを、|鶏《にわとり》のように|料理《つく》りにかかった。おもだった一人は愉快そうに その僕らの受難を見下ろして、時どき二人に注意を出していたが、これがお|百姓《ひやくしよう》のサイラス・ ジャスパァ氏であった  ろう、とにかく、僕とエドワァド・モウリイとは、殴られたり蹴られ たり縛られたりするのに多忙をきわめていて、観察や思索や弁明の方面には、すこしの余裕もな かったようだ。  サイラス.ジャスパァ氏は、村の青年二名を雇って、今夜こそ|鶏泥棒《にわとりどろぼう》を掴まえるつもりで小 屋に張込んでいたのである。そこへ、僕とエドワアド・モウリイとが、エドワアドは御|丁寧《ていねい》にも 巻尺から拡大鏡やら手帳やらを持って、とびこんで行って、完全に泥的と間違えられたわけだが、 これをジャスパァ氏にわからせるのがまた一仕事だった。  おかげで、僕が僕じしんにかえるまでにはずいぶん長い月日を要した。そのあいだ、僕は僕で はなかった。エドワァド・モウリイだった。そして、エドワアド・モウリイが僕だった。それほ ど二人は|混沌《こんとん》としてしまった。  僕  この僕に、エドワァドが言った。 「08げ口の}一2ま夢一包・90。。。。8ヨ・甼〜」  だいぶあとからのことである。僕が答えた。 「≠巳0口○什ヨ窃$4壱夢¢牙卑〜仆]耳。。ま=己弓」  それでもエドワァドはきかない。 「くの。。}<2ま夢一-臼8。。包日・巴ユ00耳」 「鬘<号彗臣}它一』0口〇一8ま蹟2一ぴ8$5さ日プ8戸一→一一冖<〇三」 「巾こ→一穴20仆く○ご0一〇じ○ご田冖一6カ○湊一〇=臼」 「一〇一〇20→一」 「く○¢0一皀」 コじ一〇20→一」 「<○ごじ一巨」 「僕は黙りこんだ。 一、(鬩50乏一冨。窰の≦訌箏印ぴぎヨ一一百三ヨ0口。冖。。。。0ヨ£=轟壱ぎ蒡ま8. 20仔刪005一囑』<0口5臼如0パロ5=一〇一三〇〇=口戸ぴ○ぎ00¢007口冖一曽00什ブのーヨロパの(貰箏.  エネウェイ、 00暮帚90班ー11うらぎりーーと言うと、二つの十字架だ。 一つの十字架でさ え地上の人間には背負いきれないとなっているのに、二つの十字架を押しつけられたと思いこん だかム、、かれエドワァド・モウリイは|理不尽《りふじん》におこり、悲しみ、わめき|罵《ののし》って、僕を0鼻した。   `の8=の一ヨの0=ヲの5ロヨ、岱訌8==チぎパ0戸<○=ズ■0≦≦訌冉一ヨ8目 ら05甼篶  しかしこれは、エドワァド.モゥリイがかついだ二つの十字架のうちの、ほんの一つにすぎな い。   2,0く諧叶00=冖什ブ一〇〇〇〇げ○饒00冖○冖《00げ○一帚喘-  。   →戸声声声声戸  これは|映写機《ブロシエクタア》のまわる音。  ーー字幕     ・|且《ダフルエキスプロジユア》。   、、「「一ロリの 一艘一(刪00.  >目血辜5目}○,の血刪一寸   、、  そのころはもう運命が僕とエドワァド・モウリイとを大学から追い出して、二人とも行方さだ めぬさすらいの旅にのぼっていたのでありますーーすこし真面目になろう。  三つの金いろの玉をぶら下げた|猶太《ユダヤ》人の質屋の看板、女が着物を脱いだりしてる写真を一セン ト取っての≠、かせる|一文伸店《ペニき ア ケイド》、|墨西再《メキンコ》料理チリ・コン・カァニとハンボルグ・センドウィッチ との油くさい|腰掛飯岸《ラノチ カウノタ》、丸い切り抜き紙へ値段を書いて飾り窓ヘベたべた|貼《フフフフ》り出した|埃《ほこり》だらけの |紳士調製店《ジエン フアニノノグ》、|並米利加《アメリカ》上人「|赤《レンドぐ》い|皮《スキン》」の土産物を売る革細工の店、"ンプシイの|刺青《ほいもの》屋と身上判 断、日本の安美術品店、|伊太利《イタリコ》人の靴磨き、支那人の洗濯屋、ルウメニア人の拳闘|倶楽部《くらぶ》ーー実 は|下《アンダさ》の|世界《ワウルド》の集会所、さては「熱血躍る」なんかという連続物専門の、廿夜開けっ放しの|十仙常 設館《テノ セノ ヨウ》、これらのうえに五月の夜気がしっとりと流れて、電燈と雑音の交響のなかで交通巡査の笛 と、近所で仲良く|拳銃《ピストル》を撃って楽しく人を殺し合う音-ー-じっさい夜間ビストルの聞えることは 珍しくなかった  とが入り乱れて、あの、気の弱い者なら周囲の空気の重さに他愛なく押し潰 されてしまいそうな、色と音と光とにおいの、文明にして野蛮な、熾烈にして|澤然《こんぜん》たる、パンチ のような雰囲気を作り出していた。、若い男は若い女の、お|爺《じい》さんはお|婆《ばあ》さんの ■|亜米利加《アヌリカ》にだ って|老人《としよ り》はいるさ-ーーの手を取って、何がなし家に引っ込んではいられないといったように、ぞ ろぞろ|隊伍《たいご》を組んで両側の歩道にあふれていた、自動車が|燕《っぱめ》のように  もっともときどき|衝突《ぶっか》 りそうになって運転台の男たちが悪魔みたいにお互いに|罵《ののし》りあって■ー來びちがえていた、、灯は 人を呼び、人は人を呼ぶ晩春初夏の大都会である。と言うと|莫迦《ばか》に立派で|華《はな》やかだが、実は、そ の大都会の場末の裏町の安ホテルの|何《 》階かのてっべんの裏部屋の破れカァテンのかげのこわれか かった椅子なのである  僕のあらわれている場面は。  真暗になっても電燈もつけずに、僕は窓ぎわへ椅子を持っていって、横町のむこうに見える光 りの海を跳め、|象眼《ぞうがん》のように|星屑《はしくず》をちりばめていやに|大《 フ》きく拡がっている夜空へ一度立ち昇って いってぶつかって|墜《お》ちてくる都会のさざめきに耳をくすぐられている。  こうしていて思出すのは遠い遠いじゃっぱん国のことだ  金がなくなると日本が出てくる   仕事囗はなし、その見込みも当分はなし、外債を|募《つの》ろうにも当てはなし、カナリヤが河へ落 ちて風邪を引いたように僕はすっかり|悄気《しよげ》こんでいたのだ。○尸9伜0口.ぎヨの0口.ぎヨ。0口、ぎヨ。 俸ヨロ百ヰ彗きマ石げ一帚○一ヨ8一・諧一三蹟一  僕がこうおちぶれたについて、そこに一つの|挿話《そうわ》がある。ヨ器プげ詈パ。  と言うといかにも大げさで何かありそうだが、実は何もない。ただ、あの|鶏泥《とりどろ》事件で一時反目 したエドワァド・モウリイと僕とが、すぐにまた日。享壱して、秋になって|大学《キャンパス》へ帰ってから もさかんに三昌餌冖2邑≦孛して二人きりで同盟休校したり、三位」体に疑念をはさんだり、 聖地の地図の宿題を真黒に準って出して、歴史はすべてを塗りつぶすと|洒落《しや》れたり、日曜の礼拝 には必すずべって|牧《フフ》師の家へ|林檎《りんご》を盗みに行ったりしたために  要するに、僕に言わせれば彼 エドワァドとあんまり仲よくしたために、そしてエドワァドから言うと、あんまり僕と行動をと もにしたおかげで、二人とも間もなく大学を追放されたのであった。そこで、僕は同じ州内のも う一層|田舎《いなか》の大学へ行ったが、エドワァドは都会へ出てただちに実業に従事した、というのは貝 で作ったカフス・ボタンの軒別行商をはじめたのだ。そして、山また山の奥の村里で、勉学に余 念のない  ?  僕のところへ毎日のように手紙をとばして、出てこい、出てこいと言って寄 こした。で、僕もついにエドワァドの誘惑に乗って、プラットホゥムのない村の停車場から ・ 0の汽車に身をまかせてこの石炭くさい大都会へ出てきたのが、早いもので、あれが一年前の五 月の末、沿線の灌木の林に白っぽい花が咲いて、それが汽車の速力のために白い線に見えて、何 マイルも何マイルもつづいていたころだった。  久しぶりで会ってみると、エドワア・モゥリイはすっかり別人になっていた。  貝細工の行商なんかとうの昔に廃業してしまって、今では  。 「何をしてる?し  と僕が訊いたら、その|上《かみ》、大学で教授たちを|焦《いらいら》々させた|微笑《ほほえみ》とともに、 「ぺ-戸ご己0。。で○昜8。」  エドワァド・モゥリイが答えた。00ヨ穹二一百律勺8毫。|度《ど》し難い、と僕は思った。  それから少しずつ気をつけて観察すると、なるほど、エドワァドは全然ばくち打ちになり切っ ていることが僕にもわかった。  上を長く伸ばしてそろえてかき上げる。その|頭髪《かみのけ》を、耳と耳とを結んだ後頭部の一線をさかい に、うしろから下、首へかけて|剃《そ》ったように短く刈り込む。なんのこたあねえ、まるでお|椀《わん》をか ぶったかたち。当時、ここらの.下町好みで、これがおおいに|粋《いき》である。いなせである、とされ《 フフ》|て いた。まず頭がこうだから、他は押して知るべしだ。きざな、|両《フフ》前の、胴のぎゅっと締った|上着《コ ト》 に下の開いたぱんつをはいて、|特許皮《パテントレサア》の|舞踏《ダンス》靴をてらてら|光《フフフフ》らせていた。話は違うが、こうい うのを近頃日本でもちょくちょく見かける。エドワァドなんかの場合は、彼は|亜米利加《アメリカ》生れで英 語はべらべらなんだからどんな|服装《なり》をしても板についているので、個人的趣味から|云為《うんい》するなれ ばともかく、すこしもおかしいことはない。ところが、日本のモダン何とかいう|一派《グルウプ》と来た日に ゃあ、無教育で不勉強だから横文字一つ満足に読めもしないくせに  あるいは無教育で不勉強 だからこそー-上女価な活動写真かなんかを通して見た「,あちら」の真似をして、妙な洋服を一着 に及んでへんてこれんな|風《フフフフフフ》体をして恥かしげもなく大道を|潤歩《かつぽ》している。なかにはナイト・キャ                    は                  ー        てい ップみたいな物を、どういう量見か、頭に填めているやつがあるにおいては、実に百鬼昼行の体 たらくで言語道断だ。かれらの有難がる西洋人が見たらなんというだろうと  思うと|他人事《ひとごと》で はない、僕は寒中でも汗をかくのが常だ、それも男はまだいい。女のなかのこの種のお化けとき ては、まさに助からない。街上でこういうのを見るたんびに、僕は唾を吐くことにしている。そ もそも西洋人は、文明の階梯において、日本人より」桁下の状態にいるんだから、脚が二本ある           はぱか                                                   カルチユア ことを公衆の前に示して揮らないような、あんな獣的な服装をしているんだ。第一、高く洗練 されたこころもちから言えば脚部なぞは完全に包んで隠しておくべきで、その存在すらも暗示す べきではない。しかるに  と怒りだすと限りがないからよしておくが、ああ、へんな日本にな りつつあるものだ。憲法治下、どんななりをしようと勝手だろケが、ただ一言、いかなる理由に もせよ、日本で洋服を着ている日本の女に、ほんとうに真面目な、へりくだった、強い「日本の こころ」を大切にして生きている者のないことだけは、断言できると思う。モダンとかなんとか いうのも、内容をよそにして→冨一筌$エ0ヨ・一8ヨ巴やラ・ヴイ・パリジャンヌの撮繍の猿 真似だけに浮身をやつしていたってどうなるもんか。男の洋服も労働服か事務服の範囲内にとめ ておけ。カアライルじゃないが、着物は人を作る。あんまりみょうちきりんなのを銀座あたりで 見るたびに、一弩0冖讐8沐丘8という言葉を思い出して、僕は寒気がする。そんなことから言え ば、本場を踏んで来て何もかも知りつくしている鬘冖・印試夛08おの→口臺が、こうしてすべ て「日本らしい日夲の姿」を大事に守っているではないか。日本の映画できの、妙なはいからよ、 ちと恥を知って、眼を内へ向けろ。  ーーとんだ大気烙をあげてしまったが、酔っているんではけっしてない。第一、僕が言うんじ ゃない。日本の神々が僕の口を通して言ってるんだ。へん! だ。  で、西洋人の真似なら、それが不良少年少女か|博突《ぽくち》打ちかないしは|破落戸《ごろつき》か売春婦か女中のい でたちであろうと、大の近代人として立派にー1?  通ってゆくという不思議な、地上帷一の 意気地のない、没我的なさ毒頒臼鵯篶曼一8を有する大日本帝国から、ここで無理に僕のあた まを引き離して、話を職業的ばくちうちエドワァド・モウリイと「人生において野心ある若者」 ,ーおお、その名のいかに|空《うつ》ろにして勇敢であり、その人数のいかに多きことよ-ーの光栄ある 一人たる僕との、異郷における二日本青年のうえに返してゆく。    宀子苗番.ーード  6 ・ 10。   夜が来り、夜が明け、   パンの悩みのうちに   円が経っていった。  大都会の場末の裏町の安ホテルの何階かのてっぺんの見すぼらしい裏部屋の破れカァテンのか げのこわれかかった椅子に腰かけて、僕が悲観している。   -字幕   ・且。   ああしかし、   この放浪の青年のうえにも   幸運の神は見舞ったのであった。  部屋の戸があいて、その「幸運の神」がはいってくる。それが日本青年エドワアド・モウリイ だから驚く。が、笑ってはいけない。気分をこわしてしまう。  エドワァドが今ここへ登場するであろうとは、僕は承知していたのだ。承知していればこそ、 実は僕はさっきからああやって待っていたのである。言い忘れたが、僕が苦しさのあまりエドワ アドに「いくらか|解《わか》れ」と申込んだところが、エドワァドは、今はないが明晩宿へ持って行って やるから待っていろ、と|大見得《おおみえ》を切ったのだった。どこかへ出かけていって|賽《さい》を転がして来る気 だったのだろう、とにかく、それが昨日のことだったから、いまはその約束の「明晩」になって いるわけだ。  ところが、「幸福の神」の役を買って、僕に|鳥目《ちようもく》を貸与すべく出てきたはずのエドワァド・モ ウリイは、猫が夢をみたようにぼんやりして、ポケットに両手を突っ込んで立っている。いつま でたっても同じ状態だから、僕のほうから口を切った。 「<0口$のロヰる0口7020{<繧`の口一`0戸角一"<ヨ印7び匚匹く〜 スマラ?」 「<の。。伜口9仆0一$ヲ彗チ葺」 「串0≦。彗一一げの讀するてえと、不幸にして重大な|刹那《せつな》に良心のささやきを聞いちまったってわ けかい。おやおや!」 「そうじゃねえんだ。|遣《や》られたんだ  。」 「やられた?」  で、僕は|起《たち》上って電燈を|捻《ひね》る。突如光りを浴びた日本青年エドワァド・モウリイは、それはそ れは無惨な光景を呈していた。 「ばくち場にお|手入《レイド》れがあったのかい。」  思わず僕が聞いたくらいである。 …,ノウ。」 「ステケマップー|追剥《おいは》ぎ  かい?」 「ノウ。」 「場のまちがいかい?」 「  。」 「臣≦穹`鬘0冖三」僕はきっとなった「→げ2≦訌諧♂二冨冖彗8〜く8邑ーヨの・」 「実はね、」エドワァドは|床《ベツド》のうえの僕の帽子の上へ腰を下ろした。こういうことをするのが日 本青年エドワァド・モウリイである。 「実はね、」と話しにかかる。大都会の夜のうめきがそのままに|下座《げざ》の|鳴物《なりもの》をつとめていた。  ー-字幕ー-¢且亡:-且。   かれの話というのは  こうだった。  僕に借りを申込まれたエドワ7ドは、折から自分のスタックも三口三轟一〇≦だったので、ば くちのほうの|相棒《サイド キック》、|倫敦児《カクネイ》のビルを|唆《そその》かして、二人で|聖《セント》あんとわいん街の人種平等国際無差別 の|審《さい》ころ|博奕《ばくち》場へ|今宵《こよい》張りに出張したのだった。  ここまではいい。                               いのち        くわだ  もっとも、出る前に二人のあいだに計画が成立していた。それは実に生命がけの大それた企て だったと言わなければならない。なぜというに、二人  エドワァドとビルー1とは、今夜博奕 場荒しをたくらんでいたのである。どうするのかというと、こういう大きな|賭場《とま》になると、場銭 も多くなるし、人気も凄くなるから、そこは親の|貸元《ハウス》と子の張り手とのあいだに、先の曲った小 さな棒を持った|仲人《キイパア》が立っていて、絹の|襯衣《ンヤッ》を腕まくりして桃の|文身《ほりもの》かなんかちらちら|見《ヤフフフ》せなが ら、太い声で「20戸8ヨの○戸笛2811ー=牙戸   鵯口8で葺のヨ壱・0口の目。。■ー8げ○牙8口 帚=ま≦一目与岩口母90。品の耳。。.」  なんてことを続けさまに|唸《うな》りながら、眼を皿のように光らせていて、けっして|縁起《えんぎ》直しのあの 「|市俄古風《ンカゴスタイル》」という|小手出《こてだ》しをさせない。シカゴ・スタイルとは|卓上《テさブル》にころがっていてまだ静止 しない、したがって目を示すに到らない|賽《さい》を手で|揉《も》んでその振りを無効に帰せしめる一手だ。何 にもならないが、それだけまた落目の|素人《グリイン》はこれをやる。それも内輪同志ならいいが、こういう 場ではともすると|物《フ》言いが出て|悶着《トラフル》の種だから一切→等8となっている。エドとビルは、これ をやって喧嘩を起こし、それに乗じて場の金を握ってとび出そうという策略を立てたのだ。どう もよろしくない。  が、ここまではまだいい一  僕は|博亦《ばくち》大|場《ば》のことは少しも知らないから、こうなると困るが、やがてそのうち、ビルがこのシ カゴをやって一座を怒らし、別々らしく|装《よそお》っていたエドワァドがその喧嘩を買って出て、うまく 場を混乱に落とし入れたものとみえる。ビルが電燈を消したのを合図に、そこは手の早い日本人 のことだから、エドワァドが眼の前の金を|掠《さら》って逃げだそうとした。しかし、ハウスもハウス、 こういう場合のためにとかねてから別のスイッチを取付けてあるから、室内はすぐに明るくなり、 同時に今まであって今消え失せた金の探索がはじまったのである。 +ほんとの「一二つの十字架」が出たのはこの時だった。  場荒しを指摘した者には金を半分やると親が宣言したら|倫敦《カワネイ》ビルが即座に、そして実に正確に 二、三歩前へ出て、エドワァド・モウリイの|蒼《あお》くふくれた顔を指さしたのである。 華…再……堊萋蔆「堊萋尋菫簔聲萋萋窶導問葦帛萋耋謹窶蕘盡蟇仆嚢主  殺されずにここまで来たのが、エドワァドとしては大出来だった。|卓上《テヨフル》の上へ跳びあがって|大《だい》 の争聯に寝てやったら、かえってあんまりひどいめにはあわなかったと言って、エドワァドはこ のとおりにやにやしている。 「これこそほんとのじ8三9臼8。。だ。」 「甲2奮一佚<騁ビル|公《りさつ》、町にはいめえ。」 「こんど会ったらどうする?」 「大笑いさ。ともかくこういう訳だ。|金《ドウ》はないよ。」 「|金《ドウ》?」僕は苦笑した。「 》プま.口≦害=ー20.=0、ご 一臺=一冨冖訌二砂の一 九一の夢  前代未聞世界第一の繦鹹刪擁瞰齢離ヘンリイ・フォード氏に、僕は反対せざるをえないことを悲 しむ。なんかというと、この上もない|蟷螂《とうろう》の|斧《おの》みたいで、すっかりもののあわれでさえあるが《パセテイック》|、 反対するといったところで大したことではない。  先生九に一|加《た》すと幾つですか。  生徒。十。   ーというわけで十はジュウで」9<だから、そこであめごろ|達《フフフフ》-|亜米利加《アメリカ》にぶらぶらして いるごろつき連中  は|猶太《ユダヤ》人のことを「|九一《くいち》」と呼んでいる。もっともこれは日本人にしか通 用しない|隠語《かくしことば》だが、それだけにまたおおいに便利なことがある。そばに当の本人がいても、日 本人同士で、 「君、こいつは九一だよ。」 「へえ、そうかい。道理で九一らしい面あしてると思ってた。やい、九一  。」  などと平気で言い合っている。  そもそも何が故に、|猶太《ユダヤ》入の前で「十」を「九一」と分けていわざるをえないほどの用心をし なければならないかというと、|猶太《ユダヤ》人は|亜米利加《アメリカ》でちょっと白人の仲間外れをされて、社会的に 嫌がられているから、よく言えば、そいつをひがませまいという|紳《フフ》士的感情の|繊細《テりカンイ》にほかなら ない。その|猶太《ユダヤ》人排斥の隊長に、ミシガン州デァボン市のヘンリイ・フォードがいるのだ。  この「九一」の毛ぎらいに、僕はーー僕の個人的趣味と気分のうえから  敢然立って、今こ こに反対を声明しているのである。勇ましとも勇ましかりけるしだいなり、だ。       ニ  フォードが、一分間に何台かの自動車を作りながら九」の悪口を言うと、一ぽう九一は九一で 一分間に何台かのフォードを買取って、それを乗り廻して、商業、芸術、|酒類密売《ブウト レギング》、古着古物、 映画監督、|博奕《まくち》、売春、国際的共産化運動、豚肉非食同盟、金曜日休業、|鱗《にしん》の|潰物《つけもの》製造工業、お   さぎ   , 一 寸せ 天気詐欺、旧教它一伝、寄席11そうして、これがここでは一番大事なんだが  見世物の各方面 に、その|漸進《ぜんしん》精力全部をあげて、いわゆる「世界あめりか」の底を|蚕食《さんしよく》しつつある。  ばんざあい!  九一のためにばんざあい《フフフフユフ》|!  チェスタア印し石油鑵が無遊病にかかって市中へ動きだしたようなフォードの自動車よりも、 僕はこの「白人でない白人」九一を|採《と》る。九一の夢をよろこぶ。               ア メ け 力    いなか                         ほこりく慧  てんと  九一の夢  く8し諷それは亜米利加の、田舎まわりの、完全に時代遅れな、埃臭い天幕の     ばか     フ4ソクンヨウ かげの、莫迦莫迦しく愉快なまや力し見世物なのだ。も一つ、ばんざあいいいい!       三  |町《ンテイ》はずれの|空《 りミト》地には、赤土に雑草が生えて、雑草のあいだには必ず|向日葵《ひまわり》が咲いている。春に なると、ここへ小さな曲馬団がかかったり、家畜展覧会が開かれたりするのだ。それほど間の抜 けた北米合衆国の片田舎ではある。  真ん中の|大天幕《だいてんと》ーこいつも|主《メィ》なる|見世物《ン ンヨゥ》と呼んでいるがーーを取り巻いて、大小無数のてん           さじん                  、 、 、 、 、                        や とが張られる。風雨と砂塵と、動物の体臭と、あせちりんのにおいと、肥った親方と痩せた調馬      が                                                  たいしよく 師と、しわ嗄れ声の少女とが、太陽の下に、不思議な旅の幻想を作りだして、妙に襯色した、                              おとな            ジエイク・几ープ 大胆に自暴自棄な生活の生き甲斐をほのめかせる。するとこれが、成人をも子供をも、田舎っぺ をも都会人をも、それぞれその無責任な詩的さにおいて誘惑して、みんな牛のように愚鈍に、 イン丁アン                      チイス                                        ネけタイ 土人のように殺伐に、マカロニと乾酪のように露骨に食慾的になって、男は何箇月ぶりに襟飾 を結び、女は何箇月ぶりでボンネットをかぶり、子供は何箇月ぶりに靴を履かされて、さてわい わい言ってこの原色と雑音の固まりを眼がけて急ぐ。ただ急いでいるうちはいいが、近づくにつ                  あお              ラ・イラツク                       はや れて、たまらなくなって走り出す。空は蒼いし、空気には紫丁香花のかおりがするし、楽隊が唯 したてるし、赤や青の旗がひらひらするし、|伊太利《でタリ 》人が「|熱《ハツト ド》い|犬《ツク》」を売っているし、黒んぼが                こうじよう     ど な                          ソオ・ダスト 房98ヨの屋台を出しているし、口上言いが呶鳴っているし1ー》毫ぎ三これこそ鋸屑ー 曲馬団の土間の舞台には|鋸屑《ソオ ダスト》が敷いてあるから|鋸屑《ソオ ダスト》と言えば曲馬団のことだ。|鋸屑女王《ソオ ダストクイン》、お なじく|王《キング》というがごとし11全盛の日である。楽しとも楽しきことよ!      四 曲馬団も|競進会《フエア》も一 つの中心見世物といくつかの|景物見世物《サイド ンヨウ》とから成り立っているが、 掘出し ものは、どっちかというと、この|景物《サイド》のほうに多い。十セントずつ払って、ずらりと並ぶ見世物 を片っぱしから|行脚《あんぎや》すれば、たいがいのなんせんす|猟奇《フ  フフりようき》病患者もすこしはたんのうして、それ《フフフフ》|か ら猟奇なんかといわなくなるかもしれないくらいだが、そこはなんといっても|亜米利加《アメリカ》のことだ、 やたらに「世界第一」が鼻をつきあわせている。草ぼうぼうのなかに、これだけ集められた汚れ きった「世界第一」を見て歩くのは、そこにすでに、■九一の夢に|作《な》る見世物の|魑魅魍魎《ちみもうりよう》の妖気 を心ゆくまで呼吸することではあるまいか。、  のぼせ上った大供子供のむれが、こころも空にめいめい人の海を分けている。その上ずった眼 の色に僕は九一の夢の反影を見るのだ。  ひとりの九一が小高い入口で|喚《わめ》いている「さあさ、皆さん、眼を覚ましたり、眼をさました り! しっかり眼をさましたり! ずっとこっちへはいってきて世界第一の背高女を|御覧《ごろう》じろ! 世界一じゃ、世界一じゃ!」  ちょっと、こいつを覗いてみようか  。 五 '小さい舞台に「世界一」.の背高女が立っていて、正味身長六フィートぐらいだが、長い細い着 物を着ているのと、箱の上に乗っているのと、|踵《かかと》の高い靴をはいているのと、そのまた靴の中に コルク製の二重底を入れているのとで、実際よりは余程高く見える。見物の中から一番背の高い 男が呼び出されて、左右に拡げた女の腕の下を自由に通り抜けている。女はにっこりする、男は 照れる。見物は|大喝采《だいかつさい》だ。僕は出る。  そこでは九」が声を|嗄《か》らしている。 「さあさ、皆さん、こっちじゃ、こっちじゃ!」       六  |向日葵《ひまわり》。|猶太人《くいち》の横顔。ふらふら|腰踊《ダンス》り。革くさい○臺白毫。白く降る日光の矢。       七 ピグ.フエ何ス                              は や                な    北やぐま            そ 「豚面のスティヴンス夫人」というやつが流行ったことがある。駲れた赤熊の顔と両腕を剃っ て、女の着物と|鬘《かつら》をきせて、手に、指へ詰物をした白い手袋をかぶせて、椅子へすわらせて、前 ヘ|卓子《テエブル》を置いて、その上へ両手を出させて、さて、|卓子《テエフル》の中には、布に隠れて、熊使いが棒を持 ってはいっている。  山高帽の九一が、見物人とスティヴンス夫人とを交るがわる見ながら、 「スティヴンス夫人、あなたはシシリイ島で生れたんでしたね。」  と言うと、|卓子《テエフル》の中の熊便いが棒で小突くから、夫人は苦しさのあまり、上を向いて口を開け て、一 「おう、う、う、る、る、るうるう、おう」とおおせになる。 「イエエスだそうです。」  と九一は大得意だ。見物はことごとく感心して、色んな質問を夫人に浴びせる。が、なにを|訊《き》 いても返事は「あう、あう、わうう」だ。こいつも九一が|適宜《てきぎ》に翻訳して「そうです」とか「い いえそうではありません」とか通弁している。  夫人は生れつきこの通り、不幸な不具者のうえに、子供の時、耳を病んだことがあるので、人 語は解するが、発音という機能は、それからというもの、夫人から奪われたんだそうである。  最後に九」が、金の皿を持って見物のあいだを「特別の|思召《おぼしめ》し」を集めてまわる。集まったや つを夫人の|卓子《テエフル》の上へ置くと熊使いはここぞとばかりに夫人の横つ腹を突き上げる。 「わう、うう、う、るるる、るう、おうあ。」 「夫人が皆さんにお礼を申しております。」  そこへあせちりん|燈《フフフフフランプ》へ灯がはいって、空地の前に並ぶ泥だらけの自動車に夕暗が這い寄ろうも のなら、0・0巳 「九一の夢」はいよいよ色濃くなるわけだが「|綺麗《きれい》に|剃《そ》った|赤熊《しやぐま》の顔」は愛すべ き九一の中の九一にしても、まさに大出来であろう。 こん●げいむ 塩辛浄土  |生馬《いきうま》の眼を抜く人の眼を抜くめりけん|人《フフフフ》、そのめりけん人の眼を抜く2霎<0目パ禹や (ま80口0目、そのまた|碧《あお》い眼を抜く専門家「コン・マン」のおはなしをすこしばかり申しあげま す。抜かれないようによくお眼をつぶって御覧くださいー。  さて、まず背景が|紐育《ニユ ヨ ク》。これがそもそも美しい悪と光りの街でして、そこの|広小路《プロウトウエイ》といえば さしづめ「女人|誘拐《ゆうかい》の港」さてはいささか気取って「|淋《さぴ》しいたましいの捨て場」。土地っ児の名      れいれい     グレイトホワイトウェイ         お じ                  ジヤズマニア  すい  ねえ 所図絵には麗々しくも大白街路、その筋の小父さんたちにいわせれば狂舞国、粋な姐さんたち はふんとばかりに|馬鹿《フフサツカアス パ》の|極楽《ラダイス》。坊さんは眉をしかめて「末期のバビロン」屋根裏の詩人は青い 顔して$じ のバグダットとか|万燈《まんどう》の町。活動写真屋はぐっとひねって|曰《いわ》く「現代物質文明のメ ッカ」。  が、これらすべての|広小路《ブロウドウェイ》の別名も、芝居のはじまる8・15戸 に、流行のさきがけを競っ てぶらぶらーーブロウドゥエイだからぶろぶらでしょうーーと|洒落《フフフフフフフフしやれ》こむ悪党仲間のインテリゲン 孝井「系手 チヤ「べてん|師《コンフイテイス マン》」のあいだに行なわれる|符牌《ふちよう》「|塩辛浄土《サウス ランド》」にくらべては、その小意気さと俗の 面白みにおいて、まことに二段も三段もおちるとはいわざるを得ますまい。  この|塩辛浄土《サウス ランド》の延長が、そこいらの横町小路をすっかりあわせるとまさに二百マイル、中心点 にばかり芝居小屋が百四つ、待合めいたホテルが七十九、その他料理屋や|倶楽部《くらぶ》はかぞえきれな いとのことですから、一たいどうしてこの|浄土《ランド》に、物を見る時にだけ鼻眼鏡をかけることを忘れ ない老神士のかたりや、|小《 フフ》指を離して、|痂珊茶碗《コモヒ じやわん》を持ちながらしを と発音するアウチボルド・ ヴァン・アスタァなんていう名前の若い|詐欺師《さぎし》や、ボゥイはみんなヨ<唇8ヨ彗で弓夢筐を 必ずナイザァというお|狹《きやん》で上品な令嫌ふうのいんちき師が、こうもさかんに活躍するか、.且丁(し   などという一さいの? は、かえってそのままにしておいたほうが|塩辛《サウス》持前の味もよかろう                 鐸 というものです。  もちろん、|広小路《ブロゥドゥェイ》を|稼《かせ》ぎ場にするこの最高級のコン・メンのなかには、|乾酪《チさズ》料理と酒のれ《フフ》|っ てると|葉《フフ》巻と思とに|造詣《ぞうけい》ふかく「アイ、アイ、サリイ」なんという南部のなまりの返事をする   そのくせマンハッタンから一歩も出たことのない  白髪童顔の退役陸軍中将が一人や二人 いることはいうまでもありません。じつさい、」流の|詐欺師《さぎし》になればなるほど、弁舌さわやかで 話題に富んで、礼儀作法を騎十のようによくわきまえているんですから、たんに友人として倶楽 部の喫煙室づきあいをするのにこれほど理想的な手あいはちょっとなかろうと思います  こと に、こっちが失うべきものは空気とたましいのほか何一つ持ちあわせない場合に。 きさくなお客  忙しい店へ快活な青年がはいって来ます。昼ならば、店員がサンドウィッチと|痂痂《コさヒさ》のことしか 考えていない、正午すこしまえ、夜ならば、売子が効外の家に頭の全部を占領されている閉店ま ぎわに、それはそれは愉快な若紳士が弾丸のように飛びこんで来るのです。そして、世にもほが らかな声であれこれと註文します。そのあいたも、彼はラリイ・シモンのような身ぶりと、チャ アルス・レイのような顔つきとでしきりに天気の批評や気のきいた冗談をつづけます。一見して 人に好意を持たれ、てもなく信用されるといったような典型が、この種のげいむには何よりのそ して唯一の資本なのです。 「お待ちどうさま。」  売子が包みを出します。 「十一ドルニ十セントだね?」 「へい、さようで。」  と答えた売子の綱膜に、この時、無造作に取り出して|売台《カウンタア》のうえへ投げ出された二十ドル札 が一枚、ちらとうつります。一つの印象です。 「二十ドルでいただきー。」  と、紙弊を手にとろうとすると、 「あ、それから君、あれはないかい?」  青年が急に大声を出します。 「あれと申しますと?」 「あれさ、ほら、ええと|何《 ちフ》だっけな■ーーあのう、そらーとなさそうなものを考えてー|象牙《ぞうげ》の カフス・ピンさ。あるかい?」 「ぞうけ、の、力、フ、又、」ないとわかっていてもそこは商売、御愛嬌に一わたり店内を見ま わして「ピン、と.ーーどうもおあいにくさま。ただいまちょうど切らしております、そのうち色 いろ参りますが。」 「あ、そう。じゃ、それだけ。」  こういいながら、いち早く青年は買物の紙包を売台の二十ドル札の上ヘどさりとのせます。そ うして、ゆっくりと煙草へ火をつけます。彼は待っているのです。ごく自然に、じつに|鷹揚《おうよう》に、 彼はおつりを待っているのです。  ここでこの話へ心理学的要素がはいってきます。というのは、二十ドル札に対する店員のさっ きの印象がこの時は灰いろの記憶にかわっていることです。おまけにその記憶は転換によって一 時的|錯乱《さくらん》におちいっています。つまり、そのお金をたしかに受取ったかどうかに、彼は迷うので す。で、眼のまえの客を見直します。好紳士です。最近の流行歌を口笛で吹きながら、彼はあき らかにおつりを待っています。あるいは火のつきでもわるいと見えて幾度も幾度もマッチをすっ ています。ちえっとかるく舌うちしています。 「はてな!」  と店員は思います。今までここにあったんだが- と|売台《カウノクア》へ視線をおとします。ありません。 ないはずです。紳十の包みの下になっているのです。その包みを持ち上げてみます。ありません。 ないはずです。その紙幣にはあらかじめアラビヤ|護謨《ごむ》が塗ってあって、それをはっきりと|店《フフフフ》員の 眼の前へ置いてから、またその上へ包みを重ねるまでのあいだに、紳十の手によってひそかに紙 包の底に睡がつけられ、つまり、二十ドル札は包みの底に糊づけになっているのです。これでは、 ちょっとそこらを探したって見当らないのがあたりまいでしょう。  自分の視覚を疑うことは、誰にとっても自己侮辱です。とうてい自尊心が許しません。こうい うとながいようですが、じつは、ちゃんとここにあったと思い出した瞬間に、すでに受取ったも のと店員は考えこんでしまうのです。それほど若紳士の無邪気さが決定的なのです。といったほ うがより事実に近いかもしれません。とにかく、事務的な人が事務的である場合に、えて起りや すい|途淤《とまう》もない当然の錯誤であります。結果として、二十ドルから十一ドル二十セントを引く八 ドル八+セントというものがおつりとして客の手へ渡ります。それといっしょに、店員のお|追 従《ついしよちつ》がついていくことももちろんです。  釣りを取り、包みを抱え、もう一度明日の天候を楽観的に予言しながら、来た時よりももっと 快活に、もっと幸福に  それはそのはずでしょう  そしてもっと素早くーこれも無理もな 跚一いと思いますー「面白いお客」は店をとび出して|呑《の》まれたが最後わかりっこない戸外の国際的  行列へ参加するのです。それといっしょに二十ドル札が完全に行ってしまうことも、それこそい  うだけやぼの骨頂でしょう。   客と売子とが異性同士である場合、そして客の魅力が異常に強いときには、金を見せただけで  貰うべき  ?ーものがもらえるそうです。貼りつける手数も何もいらないというのです。そ   の魅力というのも、服装や容貌や言語や音声などより個性の強みとでもいったようなものが必要  なのでして、いわば個性の放射カー なんてものがあるとしてーが一番大切な要件であろうと  思います。ごく自信のあるこん・まんは包みを受取るとすぐ裏へ札をつけて歩きだすそうですが、   このほうが早くしかも安全であるというのは、十の十、売子があわてて、呼びとめておつりをわ  たしてくれることです。ある時などは町角へ来て電車へ乗ろうとするところを、正直な店員がお   つりを持って駈けつけたのでようやく間にあったといいますが、たとえ間に合わなくてもこんの   ほうではべつに損はなかったようだと申します。    こうなると、活動役者のほどのほほえみと酊々しさを持っている人は、誰でもどんどんはいっ   ていって、にっこり笑って、勝手にえらんでおつりをとって出てこられそうなものですが、それ  が近頃そういかないわけは、あの|現金器《レジスタア》というオハイオ州デイトン市の産物のためです。あれに   かかっては、この種のこんはひとたまりもありません。たとえ売子の記憶が間違うことはあって  も、あの醜悪な機械はつねに必要以上に正確なのですから。  で、この「|札釣《ビル リフテインダ》り」というお|伽《とぎ》ばなしも、まだ名人という人種の生きていた手の芦0=計岩 の夢ということに今はなりきっているのです。  技術をほろぼす発明、それほどひしひしと非浪曼的なものがまたとありましようか。そのおか げで「きさくな客」「面白い人」「好紳士」などという当時の人物は、それぞれの道に精進して弁 護士や上院議員ー-いうまでもなくめりけんのーになって、もっと大じかけにそして組織的に この専門に働いていられるということです。       二人狂言  おつりの|詐欺《さぎ》をもう一つ。  まずくが先に料理店へはいり、かんたんな食事をして十ドル札で払って出ていきます。おなじ 食堂で安料理をぱくっていたくの相棒の がすぐそのあとから一ドル札を支払いに出します。出 しておいて、それが十ドル札だったと主張するのです。証拠として、番号のそろった十ドル札を 五枚なり七枚なり懐中から出してみせます。銀行から引出したばかりの手の切れそうなやつです。 が、一枚番号が欠けていなければなりません。で、その番号の、まあたらしい紙幣が、現金器の なかの一番うえに載っかってるに相違ない。あれば、それが今自分が払った札である、とこう はいいはります。前に△(が置いていったばかりなのですから、その札はすぐ出てきます。番号を 知っていたことや、ほかのそろいを持っていることを楯にして、九ドルなにがしをおつりに受け 「 日 とり、£はそこを立ちのいてくに追いつき、また別べつに他の店へはいってゆきます。  〈が花はずかしい少女であったり、 が温厚そのものの大学教授にでも化けていたら、この手 は相当に|利《き》くことでしょうし、また実際、ひと頃は流行をきわめたものです。しかし、これには 二つの欠点がありますので、営業者側が気がつくと同時にこれも過去のものとなってしまいまし た。  すなわち、現金係へ直接払う場合、おつりの授受が済むまで出した金を|現金器《レジスタア》のそとへおかれ れぱそれまでですし、|卓子《テエフル》で給仕へわたすときも、つぎのような問答を余儀なくされては、さす がに可愛い計画もぺちゃんこですからー-。 「|旦那《だんな》さま、一ドルでございますね。」 「うん.一」 曲馬団  おつりで思出すのが曲馬団。  あれがやって来ると、小さな町なぞでは当分金融にさしつかえたり、ことに小銭払底で困った りするので、地方によっては興行をゆるさないところもあります。すると、意地のわるいジプシ イ根性の連中ですから、その町のすぐそばへ持っていって大々的に天幕を張り、にぎにぎしく開 演します。子供ばかりでなく|大供《おおども》にも相当に面白いところから町の人はさかんに見物に出かけま す。|馬市《うまいち》や独立祭、はては|穫入《ハアヴエスト》れ以上のさわぎになって、いわゆる|田舎《いなか》の|曲馬団日《サァカス テイ》、しまいには 町の|重立《おもだ》ち連さえ宣言の手まえおしのびで通うということになり、行政区外のことですから差し とめるというわけにもいかず、いささかもてあましている内に、大風のように立ち去ったあとに は町全体がぽかんとくたびれていようという、|少《フフフ》からず厄介な代物であります。  ところが、田舎にいますと、またこの一つの年中行事がお祭りのように楽しいのでして、|輪台《リンダ》 の二つある大曲馬団がかかろうものなら、みんなとても嬉しがって、はだしの悪たれや晴着の娘 っ子にまじって押すな押すなで詰めかけるんですが、 繧鼻やヵ孛のと馬鹿にしてか、入場料 のおつりはけっしてまともに払わないのがおきまりです。五十セントのところへ五ドル出したら 精ぜいニドル、十ドルやればよくて六ドル半も返してすぐ次の人にかかります。動物のにおいと 楽隊と人ごみにたいがい逆上していますから、ついうっかりおさめてしまいます。それが先方の つけめでして、もし苦情を言おうものなら切符を売ってくれませんし、第一、うしろに続くえん えんたる長蛇の列が承知しませんので結局負けてはいるか、勝って見ずに出てくるかの二つに一 つということになります。  これなどは|詐欺《ヘフギフ》というより|強奪《いマりがしつ》に近い組ですが、 0ぎ80訂轟のという言葉さえあり、かつ 機智にたいする機智でいけない場合ですから、当世用心記にもひとくだりひかえておくだけのこ とはあると思います。  |広小路《フロウドウエイ》をちょっと離れると、すぐさま仕事がこれほど荒っぽくなりますが、いろいろのて《フ》|や 筋書はこれくらいとして、その ウェイに|棲《す》む「自分の|機智《ウイツト》と他人におけるそれの不足」で衣食 住するコン・メンの群ほど私にとって妙になつかしいものはありません。というよりは、つねに 新手の創造にいそがしい彼らの努力が、私のなかにひそむ横着な都会人性をさかさにくすぐるの です。要するに世の|香料《スパイス》の一つのような気がして、他愛なくうれしいのです。だます欺されるな んて、じつにユウモラスでいいじゃありませんか。  |紐育《ニユ ヨ ク》のマクミラン会社がアメリカの百科事典の予約を募集したとき、イリノイ州パリスの獄 中からいの」番に申込んだ老マクフィ教授、まずこれらが常に詩を語り、あたらしい傾向の絵を 解し、人情の機微をうがったからくりを絶えず案出する上流向きの近代的こんの代表でしょう。 法律の不完全なところを発見しては、そこで|贅沢《ぜいたく》にくらしています。ですから、足もと御用心と いう言いぐさの、いかに世界的であるかということは、つぎの会話ででも充分すぎるほどわかる と思います。 「君の靴下には穴があるね。」 川、今朝おろしたばかりだ。穴なんかあいてるもんか。」 「いいや、あいてる  と僕は思う。」 「 0戸且、あいてない。」 「きっとあいてる。」 「あいてない。」 「あいてる。」 「あいてないってば  うるせえな。」 「きっとあいてないか。じゃ、|賭《か》ける?」 「賭けるとも、いくらでも、さあ、ここへ十円出したぞ十円賭けた。 「ありがとう  十円貰ったよ。」 「え?」 「穴がなくてどこから足を入れる?」 あいてないっ!」  且0戸 ・$じ且\  |亜米利加《アメりカ》の街を歩いていると、いたるところにこの「 且0戸・8じ且\」という看板が眼に つく。もと|市俄古《シカゴ》あたりの一支那人が|亜片《あへん》の夢の中で考えだした支那料理の一種だそうだが、今 では|亜米利加《アメリカ》における最大企業の」つたる支那料理の別名として、立派以上に通用している。フ ォゥドやメンソレイタムと同じに、どこの町へ行ってもあるし、誰でも知っている。では、「チ ヤプ・スイ」とはどんなものかというと考案者の生国の支那同様、完全に「?」だ。しかし、お よその想像はつく。 ○葺≦孛ミく8ぴ卑・  まず、五升半の水へ、古靴下、椅子のスプリング、|釘《くぎ》」|打《ダさス》、去年の柑子、|互斯《ガス》料金払済の受取 証、|淑女《しゆくじよ》用巻煙草の空箱、了く  のレコウド、お料理の本、 亡 ・ 亡¢・ 亡¢をほう りこんで、ギャソリン油と|葫《にんにく》と0。ブ9亨く8ソウスーー|醤油《しょうゆ》ー・とで嫌になるまで煮る。それを 赤と緑と黄で彩色してある皿へ盛って国際的な|善意《グド ウイル》と|狡猜《こうかつ》な微笑とをもって食膳に供すれば、 これがすなわちチャプ・スイである  と同情のない観察者は極言するかもしれないほど、それ ほど複雑とこんとんと|猟奇《フちフフりレでつキフ》的ナンセンスに満ちている。だからシングルド・ヘァといってくり《フフフ》|く り|坊《フ》士+に近い頭を傾けて|亜米利加《アメリカァラ》のお|狹《ッパア》つくがこれを|賞《ス》美し、そのなかに東洋趣味の全部とミス ティツク哲学の一部がひそんでいると思ったりするのも無理はないということになる。かわらな いことは多くの場合わからないがためにやたらに有難いものだ。宗教家が職業として食ってゆけ るゆえんであろう。|亜米利加《アメリカ》支那人もなかなか|莫迦《ぱか》になら加いことを思いついたものだ。 鼠彗 。。臺詈諧$の一  これは冗談だが、支那料理チャプ・スイにはいろいろの種類があるようだ。チヤイニズ・チヤ プスイ、アメリカン・チャプスイ、ビインスプラウツ・チャプスイ、マルシュウム・チャプスイ、 チャン・チャプスイ、シュリン・チャプスイ、パゴダ・チャプスイ、なんかとまだいくらでもあ るが電報みたいで読みにくいからよしておこう。このうちで素人の口に合って一番おいしいのは、 もちろん好きずきもあるが、チキン・チャプスイであろう。私は格別好物でもないが、そう嫌い でもない。で、善良な良人として、そして親愛を示す一つの方法としてーーー私は、自分が好意で したことに対してその結果が反対なのに驚く場合が多い。かなしいことだ  ある日、不用意に も  よせばよかったと今ではつくづく後悔しているー…細君にそのうろおぼえのチャプ・スイ 製造法なるものを伝授してしまったのである。なんという不注意な、なんという愚鈍なわたしで あったろう。  結果はてきめんであった。いや、いまだに|覿面《てきめん》である。どろどろの|米利堅粉《めりけんこ》と|牛酪《パタ》とスウプ・ スタックの溶液のなかに|鶏肉《チキン》とスプラウツと竹の子とチイズとその他の不幸な野菜とが|煩悶《はんもん》して いる奇怪な、得体の知れない、近頃流行の探偵小説みたいなお料理のために、私は夜な夜な悪夢 にうなされる運命になった。とは言うものの、おいしくないことはない。これは細君の名誉のた めに言いそえておく。細君はこの自製のチャプ・スイが大の御自慢だとみえて、被害者を私だけ にとどめておくことに満足せず、誰か来たら食べさせてやろうと新しい犠牲者のあらわれるのを 待ちかまえている。よっぽど信用のおける医者を知人に持っている人は、勇をふるってやって来 るがいい。  さて、チャプ・スイについて思い出すのは、|亜米利加《アメリカ》のチャプ・スイ屋のメニュウに「モンキ イ・ビックト・ティ」なんていうお茶があることだ。猿が摘んだ茶という意味だろうが、これが どうもおだやかではない。なぜというに、もしここに|好奇《ものずき》な客があってこのお茶を注文しようも のなら、じっさいこういうお茶があることはあるんだろうが、たいていのところの台所では、普 通のお茶にすこし塩を入れてからくしたり、粉をまぜて濃くしたりして出すかもしれないからだ。 おまけに、その|値金《あたいきん》一ドル也というのだから、こんなものを|選択《ピツク》するやつは、それこそ猿だと いうので、そこで「猿がピックしたお茶」であるというわけだろうが、よくない|洒落《しやれ》である。  |鶏《チキン》というと若い女のことだ。 =品2の若いのならチキンだろうが、細い足を直線的に動かして 歩いているところが相似している点からきた|綽名《あだしな》だろうと思う。  とにかくチキン、|春《スプリング》の|鶏《チキン》とは一も二もなく妙齢の女性を意味する。だから、つぎのような不 届きなジョウクが発生するのはあたりまえだ。  口○仆 一一〇・帚5,  。  |焼鶏《ロ ス チキン》にはブレド・クラムやスパイスでつくった詰物   律$。。一轟   がつく。そのうえか らブラウン・グレイブイがかかってチキンの皿が完成するわけ。ところが、このドレッシングが きらいな人がある。そういう人は|前以《まえもつ》て断りを言う。 「一♂畫耳ヨ<。三鼻8≦孛○耳畔$。。一口0。品」  そしてにやりとする。言われたほうもにやりとする。めりけんらしくて他愛がない。  |鶏《チキン》は足が一番おいしいとなっている。チキンの足、言いかえれば女の足である。チャプ・スイ が済んだら今度は女の足だ。 8ヨの8  。  背景はお約束の|大通《メイン ストリイ》りの|図《ツ》、おきまりによって角がじ の煙草店、それからむこうへかけて ジョウンズの雑貨店ヘルマン運動具店なんかというのがずらりとならんで上,から下までまるで広 告の展覧会。まずこんなぐあい。    |酪駝《キヤムル》煙草一本を|獲《え》んためにはわれよく一マイルを歩かん。    またと言わず今買いたまえ|金門印《きんもんじるし》の|米利堅粉《めりけんこ》を。    帽子はステッスン、ステッスンは帽子。    にきびがあっちゃ恋人はできない。つけて驚けサリヴァン液。    |白髪《しらが》を苦にする時代は去れり、0バンの大出現。         け は        わきが ど                          ジンジヤエール  そうかと思うと毛生え薬から腋臭止め、さてはエスキモ・パイや生姜水、こいつには接吻の 味があるとある。  遠近のない殺風景な絵の上に、ところきらわずこんな文句が書いてある一枚の幕だ。  |亜米利加《アメリカ》、場末の|寄席《パレスク》である。    夛ヤ         ラッパ     ・、          げイルランド  若い猶太人の芸人が一口目日×に喇叭ずぼんというきざないでたちで出てきて、愛蘭土まがい の発音で何かいいながらやたらに舞台をあるきまわっているとび甼0匡 「こんなさびしいところを通らなきゃならないんですもの、あたし、ほんとにやになっちまう わ。」  というきな|臭《ちち》い声がして、世にも真白い顔に頬だけ赤く丸く染めて|吻《くち》一ぱいに|紅《べに》を塗った若い    ラップ                                                       さぴ 女が、まんとを、どういう量見か、膝の上あたりまでまくりあげて小きざみに現われてくる。淋 しいどころか、おおいに|賑《にぎ》やかである。  だらしのない掛合がはじまる。 「今晩は。」  男がいう。女は立ちどまってつんとする。つんとしながら|指《フフフフ》へ|填《ま》めた結婚指輪をそれとなく見 せるようにする。男は顔をしかめる。見物が笑う。一こう可笑しくない。 「御主人は?」 「あとからくるわ。」  男はまた顔をしかめる。それでも、舞台の上下を問わず根が図ずうしいんだから色んなことを 話しかける。そのうちにこんなことを|訊《キフ》く。 「土曜日の晩はどこにいましたか。」  そうすると、不思議なことには、女は|赧《あか》くなってうつむく。そしてぷんとして|男《ちち》を|白眼《にら》む。に らみながら女は憤然として行こうとする。男が立ち|塞《ふさ》がる。やんやと割れるような喝采だ。  なんだか要領を得ないこと|夥《おぴただ》しいが、まわりの|紅毛人《こうもうじん》がせっかく嬉しがっているんだからと 思うと、こっちもつい|義《 フ》理に|破顔《はがん》一|笑《しよう》ということになってしまう。舞台の女はと見ると、真赤に なって怒っている。女がおこれば怒るほど見物は面白がる。が、ここに腑に落ちないのは、観客 のなかの若い女達がヨの冖亀とか9ヨー.とかいう小さな叫びをあげて、舞台の女といっしょに 恥かしがったり憤慨したりしていることである。さっぱりわからない。  何故、土曜日の晩どこにいたかと質問されて女が赧い顔をして、 「いいわ、知らないわ。」  なんかと逃げを張らなければならないか、そして見物が他愛なくそれを喜んで手が痛くなるほ ど拍手しなければならないかというと、土曜日の晩は、ほかのすべての晩のなかで一ばん運命づ けられた晩であって|亜米利加《アメリカ》の中流以下の人が、驚いてはいけない;.実は、お湯にはいる晩な のである。  お湯のことを口にするだけで何故女が赧くなったり|蒼《あお》くなったりするかといえば、それは淑女 として怒って見せ、|雌《めす》として恥かしがって見せるにすぎない。お湯はただちに三号を意味する からー。  では、なぜ|裸形《ヌウド》が   80蠧三  舞台では、まだ男と女がうろうろしている。男が女にいう。 「いま何時でしょう?」  すると女は、鶴が水を呑む時のように|乙《おつ》に気取って自分の左の足首を見おろす。よくしたもの で、すらりとした恰好のいい足  肉色の|薄股引《タイツ》をはいているんだから見物からは素肌としか見 えないー のくるぶしのところに腕時計を一つくっ着けている。ながいことそれを見つめたのち、 女は笑顔をあげて、 「十時よ。」  と答える。 「ははあ成程。」 華 肇垂  と男はもっともらしく考えこむ。観客はさきを知っているから息をこらして待ちかまえている。  |亜米利加《アメリカ》は東西に長いから、ところによって時間が違う。|西部時間《ウエスタン タイム》、|中央時間《セントラル タイム》、|東部時間《イきスタン タイム》、 とあって旅行なんかしているとなかなかややこしい。日本へ近い側は早くて、むこうへ行き次第 一時間二時間と進むわけだ  。  で、男が念を押す。 「それは東部時間でしょうね?」 「え文、そうよ。だってきまってるじゃありませんか。ここは|紐育《ニユヨヨさク》ですもの。」  ケッテキイ州の|片田舎《かたいなか》でも、インデァナの工場町でもさっさと|紐育《フ フニユ ヨきク》と言い切ってしまう。そ うしないと茶番にならないからだ。 「では、伺いますが」と男は大声で「,|市俄古《ノカゴ》では今何時でしょうか。」 「そうね」と女はちょっと笑って「待って頂戴。いま見ますから。」  といいながら、まんとの|裾《ラップすそ》を|太腿《ふともも》あたりまで引上げる。見物の前へ突き出された|綺麗《きれい》な足の《フ》|も もの〜ころに、また一つ腕時計がかかっている。女は時計をのぞき込む。観客は乗りだして女の 足へ視線を集中する。 「「九時よ。」女がいう「丁度九時だわ。」 「ははあ、それは|市俄古《シカゴ》、つまり中央時間でしたね。ところで、|桑港《フリスコ》では何時でしょうか。」 「|桑港《フリスコ》?」 「ええ。」 「すると、西部時間ね?」 「そうです。」 「ちょっと待って  今見てあげるわ。」  女は一そう|裾《すそ》をひき上げる。と、脚のつけ根のところに腕時計がちらと見える。途端に、上に |羽織《はお》っているまんとがさらりと|落《ラップ》ちて、水浴着を着て、左の脚に上から下まで三つの腕時計をつ けた女が、にっこり笑って立っている。見物はほっとする。このほうがかえって安心できると見 える。,そこへ女の亭主という紳士が出てくる。山高帽の道化役がとんで出る。唄になる。雨の膚  つ                             っか                      、、 を吊りあげて、手を前へふらふら出しながら」歩一歩閊えるような足取りで裸の女が踊りにカカ る。胸や肩を細かく|顫《ふる》わせるのがシミイ、両脚をきっちりそろえてお尼をうしろへ引いてゆるく               かかと              アイリシユ       と      は        エクロづヴイック 廻すのがボウン・ジャック。靴の踵で拍子をとるのが愛蘭ジグス、飛んだり跳ねたりが軽業式。 ボウン・ジャックは|間《ま》もなく|禁止《きんし》された。  唄は、といえばお|馴《な》じみのジャズ  しっかりあたしにキスしておくれよ三日三晩は必つよう に  なんかんというあいつだ。これへ、ところどころ、ほうっ、とか、あおうとかいう掛け声 が入る。そこを合図に、舞台の両翼から半裸体の|娘子軍《ろうしぐん》が滅茶苦茶に|四肢《てあし》をぴんぴんさせて、列 を組んで出て来る。音楽は一度に調子が高くなる。いやもう盛大なさわぎだ。  一口三きげ包冨00ユ一9  20一)○身8口{0冖ヨ9 「ああえん・なあばです・ぐうりい・い、い。なあばで・けえいやら・ふおら・みい、い、いー ーああらーーほうっ! あおうっ、あ!」  これをの篶.0≦という。足見せ、|脚芝届《レツグ ノヨウ》だ。珍品の一つである。マック・セネットの|水《び》浴映 画やジグフィイルドの裸踊り、早い話が今のやりとりだって時間を|訊《キフ》くんでも何でもない。足を 見せようのこんたんだけだ。ことほど左様に|亜米利加《アメリカ》人は女の足を好む。女の足といったって靴 下をはいている足のことで、好むといってもただ拝見するだけだ。あぶな絵を有難がるのと同じ 心理でがなあろう、、  こんな話がある。  女は靴下へお金を入れる。もっとも二れは女ばかりじゃない。男だって入れる。|博賭《ぼくち》やなんか で巡査に禰まると四畳半の|牢屋《ろうや》が動きだしたように囚人自動車がとんできて、これにぶち込まれ て警察入りをするわけだが、そこはお上のお慈悲でこの自動車の内部が|莫迦《ばか》に暗くできている。 看視の巡査といっても一人か二人で、それもたいがいなかへははいらずに消防夫のように背後の 踏板に立っていてくれるから、御用になったとはいうものの本署へ着くまではまず自由の身だ。 何よりも第一に、有金の大部分をこっそりー-なに、実は公妖とーー取出してこれを靴下のわき から押し込んで足の底へ落としこむ。というのは、むこうへ着くと|机警部《ギスク》という恐ろしい|愛蘭土《アイルランド》 人ーー-名前は聞かなくってもマッカァセイかオブライエンに決ってるーが控えていて携帯品か ら所持金全部を仮没収して着物一枚ひっかけただけでほうり込まれることになるからだ。もちろー ん、停車場の一時|預《あず》けと同じようにこれらの品物には一いち受取りの|割符《チッキ》をくれて、それには合 衆国政府が証人に立っているわけだから、出る時には文句なしに返して貰える仕組みになってい るものの、さて、地獄の沙汰も金しだい、ことにドルがもの言う|米利堅《めりけん》国だ、一文なしで喰らい こもうものならそれこそえらいめにあう。何も、|伝馬町東《でんまちようひがし》の御牢というわけじゃないから|牢名 主《ろうなぬし》や隅の隠居へお|冥加金《みようがきん》を献ずるというほどのことでもないが、食物でおおいに不自由する。朝 だって|肉桂麭麭《シナマン ロウル》と|黒痂琲《くろコ ヒ 》ーーお砂糖もクリイムもはいっていないーばかりではやりきれない。 ここでお金さえあれば見張りの巡査に十セントか二十五セント掴ませて、近所の料理屋から何で も好きなものが取ってもらえる。一晩ならともかく、二日三日ー■いたずらはたいてい一夜で放 免だが  となると、まったく|身銭《みぜに》がなければ兵糧で沈没しちまう。それに、こっちに金がなけ れば自分たちも儲けが薄いから、もし自動車のなかで私  仮りに  がぼんやりしていようも のなら、護送中の巡査がそれとなく注意してくれる。 「君、万事いいかね。用意はできたかね。」  といった調子だ。それで気がついて金を靴下へ入れる。すっかり入れちまうとへんだからすこ し残しておく。警察へ着く机のまえに立つ。巡査が捕縛の|顧末《てんまつ》を述べる。名や国籍を|訊《き》かれてそ のまま地下室送りとなる。その時、身体検査をされて持物を取り上げるんだが靴下のなかだけは けっして見ないことになっている。どうして靴下のなかだけは見ないかというと、そこに金があ ることがわかっているし、第一、靴下はだしは裸体にひとしいという|概念《アイデア》があるからだ。  こういう話がある。  ある日本士官が|紐育《ニユきヨミク》で電車に乗った。何か事件のありそうな|蒸《む》し熱い日の午後だった。事件 のある日にはたいがいこういうような「あとからの予感」が伴うものだ。とこういうとばかに大 事件でもあったようだが、実際また|亜米利加《アメリカ》人にとっては大事件  なにしろ新聞に出たくらい だから  だったが、日本人が聞いても何とも感じないだろう。というのは、あまり暑いものだ から、その日本士官が電車のなかで靴をぬいで、眼のさめるような黄いろい靴下に包まれた小さ な足を、今川焼のように立ち昇る|温気《うんき》とともに、すぐ前にかけている女の腰のわきへ上げて本人 だけはおおいに生き返ったつもりでのうのうしたというのである。新聞によるとその時士官は靴 下のなかで足の指をいろいろに動かしてみて、口を耳まで割いてひとりで笑ったとある。断って おくがこの電車は日本の汽車の三等のようにできているからこそ、十官も眼の覚めるような黄色 い靴下に包まれた足を向う側の|座傍《ざわき》へ|載《の》っけて口を耳まで開いて鼻で笑うことができたわけだろ う。とにかく、近くの人がびっくりするまえに、足の隣に陣取っていた女がここぞとばかりに悲 鳴をあげた。車掌が飛んで来た。電車がとまった。士官が下ろされた一巡査が来た。士官は警察 へ引っぱってゆかれた。電車のなかで裸体になって女性を|侮辱《ぶじよく》したというのでおおいに|叱《しか》られた り|向後《こうごい》を|戒《まし》められたりしたそうだが、ことによると罰金ぐらい收られたかもしれない。新聞には ただ、日本の一士官が、灰色にくすぶる|紐育《ニユオヨ ク》の空の下を平和な市民を乗せて走る交通機関のな かで、眼のさめるような黄色い靴下にくるまった足の指に、解放の舞踏をおどらせて満足の嘆息 と微笑を洩らした情景を、繊細な筆致で描写しているにすぎなかったが  。  さて、こういうしだいだから靴下のはだしは全身の裸体にあたる。だから、警察でも靴下のな かまでは調べない。だから  だから、おおいに助かる。私ではない。そういう人が、おおいに 助かるというのだ。  巡査に禰まることが話の主題でなかったはずだが、これではまるで入獄手引みたいになってし まった。嫌にくわしいようで|外聞《がいぶん》がわるいが、私は私のすこし残っている名誉と靴下を一足|賭《か》け てもいいから、私じしんの経験ではないことを誓っておきたい。そのためになら、私は私の帽子 を食べて見せてもいい。  さてーともう一ぺん改めて、さて、靴下へは足のほかに金を入れることもあるという近い話 が、げんに私も靴下へ金を入れたおぼえがある。はじめて|亜米利加《アメリカ》へ行ったとき、四日に|沙市《シヤトル》へ 着いてすぐ大陸横断の汽車に乗ったら、十日にはオハイオ州のトレド市というちょっとした都会 に自分自身を発見していた。連絡の都合でどうしても一晩そこに|泊《とま》らなければならない。月のな い真暗な夜だった。ひとり旅の私は、気軽に停車場を立ち出ると、町の灯がむこうの空に赤くぼ やけて、そこまでは野中の一本路、鉄材や枕木が積んである停車場のそばでしきりに虫の声がし ていた。 轟 禽  |鞄《かばん》をさげて歩きだしたが、路傍の柱や壁に貼紙がしてあるのが眼にはいったから、夜明りにす かして見ると上に男の写真が出ていて、下に何か書いてある。英文和訳式に読んでみると、どう も驚いた。一昨日|市俄古《シカゴ》の郵便局で護衛者を射殺して公金を強奪した|伊太利《イタリさ》移民アントニオ・ポ ロンボがたしかにこのトレド市へ逃げこんでいるらしいから、市民諸君願わくば協力して憎むべ き兇漢を法律の網へ引っかけてくれ。上にあるのはその写真である。なお、掴まえた人11|生獲《いけど》 りでも、殺してもかまわないーには市長から一千ドル賞金を呈する、というのである。私は驚 いた。あわてた。いそいで停車場へ引返して、かねて聞き及んだ知識を応用して、虎の子の|金子《きんす》 を靴下の底へ落し込み、それでようよう安心して下町へ出ていって一夜の宿をとったことがあっ たが、その晩はおそくまで歩き廻ったけれど、どういうものかポロンボ氏には会わなかった。い や、会ったかもしれないが後から思えばなんでもない。 「いよう、|支那公《チンキイ》、洗濯屋のほうの景気はどうだい?」  きっと氏が通りがかりにこんなことをいったろう。すると、私が答えたことだろう。 「いよう|伊太公《デイゴ》、おまえの|八百屋《やおや》とおっつかっつさ。」 そして、こんなことで済んだろうと思う。 ポロンボ氏はとうとう|捕《つかま》らなかった。  こういうふうに男だってお金を靴下へ入れる場合もあるが、女の服にはポケットがないし、小 さな|手提《てさ》げが|流行《はや》っていてお化粧道具だけで一ぱいになるから、お金は、大事なだけ大事をとっ て、ちょいと靴下の底へでも忍ばせたくなるのだろう、とにかく、女の足はよくお|鳥目《ちようもく》と同居 して歩道の敷石を踏んでいるわけだ。  でつまらない|洒落《しやれ》だが、女の靴下のことを|銀行《ハンク》といったりする。金を入れるところだからだろ うが、この銀行がときどき街上で|破産《フロウ》することがある。それをまた、ながいこと町角に立って根 気よく待っているろくでなし  000&・{2・8ま轟-がすくなくない。  いったい、|閑人《ひまじん》が多いくせに、日本の町にはあまり街頭遊泳者を見かけない。|英吉利《イギリス》でもそう だが、ことに|亜米利加《アメリカ》の都会では一歩大通りを離れると町の角かどに無職無宿のこの街上哲人の むれが控えていて、人の顔を見しだい巻煙草をくれと手を出したり、|燐寸《マツチ》を貸せと寄ってきたり、 東洋人を|侮辱《ぶじよく》したり若い女を批評したり巡査へ敬礼したりして喜んでいる。老人のままも多い がこんなのは|軒下《のきした》でメロン蔵相の税制案を論議したり、|仏蘭西《フランス》の借金のことで首をひねったりし ているからまず無害無益としても、若い連中は、電車を|昇降《のりおり》する時にどうかすると上のほうまで 露出する女の足を当てにして雨が降っても風が吹いても一日一ぱい立ん坊をしていようというの だから、社会へはともかく、本人たちの健康上はなはだ面白くない。  すべての興行物を日曜日には差しとめようという運動がある。|青《ブルウ》い|法律《 ロウ》だ。この運動の中心を なしているのが、坊さんと富豪の未亡人と、儲けるだけ儲けてしまった慈善紳十と、人の好きな ことなら何でも嫌いな大学教授なんかという新英州産の一団で、女は|洋袴《スコイト》   葵鼻   が短す ぎるといってわいわい騒ぎ出したのも、この「|青《フルウ》い|法律《 ロウ》」の|後援者《フウスタア》たちである。ところが反対の 声が高くなればなるほど、若い女たちは洋服屋と結束してどんどん|洋袴《スコイト》を切っていって、髪毛が 長いだけで。。の舅0の短い女という言い草はこのごろではちっとも実状にあわなくなってしまい、 髪毛は長いどころか断髪、それもクロゥース、バブのほうがスマァトだとあって男のように刈り こんで分けたりしているし、|洋袴《スコイト》はだんだん短くなって|蘇国兵《そこくへい》盛装のキルトみたいになったし、 それにつれて、元来短い女の|心《センス》は幾何級数的に短くなってきた。ここにおいてか女につく短いも のずくめのなかで、たった一つの長い物というのが、|楚《そそ》々として石だたみを踏んでゆく二本の足 ということになったのである。  立ちならぶ|摩天閣《スカイ スクレイパア》の下でも風は吹きまくる。短い|洋袴《スコイト》をもろにあおって女の上半身を|海老《えぴ》 のように曲げる。ことにこのごろの若い女は|腿《もも》のところで靴下どめを留めないで、靴下の上を折 り下げて、|洋袴《スコイト》とすれすれの高さに、|捻《ひね》って押し込んで挾んでいるばかりだから、ちょっと|洋袴《スコイト》 があがると、すぐももの肉が見える。前を押さえればうしろが開く。ペテ・コウトなんてものは 自転申へ載せて、とうの昔にその甘転車といっしょに博物館へ寄付したあとだから、風の日には 女の子がえらく苦労をする。これを眺めて、町角の見物人がにやにやしている。そして、こんな ことを言い合っている。 「おい、よく|銀行《ハンクブ》が|破《ロウ》、|産《 アップ》するね、、」 「うん。さかんに=0争6するよ、痛快々々。」   ウェイには足の女王がいて、足の美を百万ドルの保険にかけたり、アトランティック市あた りではよく女の品評会があったりする。女ならではの|亜米利加《アメリカ》は、このところ女の足ならでは夜 も日もあけない。女の靴で|三鞭酒《シヤンべン》を|呑《の》んだりするのは、二頭立ての馬車同様、歴史的な情緒しか 今はもうないとのことだ。             ブル・ダルヘム            アイス7ン         しやつ  巾亀諧0隼○仆口というのを牛じるしの煙草と思って、氷配達人か何かが黒い襯衣のポケットか らあの丸いぴらぴらを下げているところは仲なか意気なものだ、なぞというものならすぐさま笑 われる。靴下どめなしで靴下をはくことは、お|狹《フラツパア》の女から出ていまでは|学生《カレジエイ》ばりにさえ|及《ト》んで いるというさわぎ、近頃|亜米利加《アメリカ》の絵入雑誌などは靴下どめをしない女の足の問題で一ぱいであ る。ふっと思い出したからあしからず、なんかと一つ言いたくもなろう。  ほうせんか                               だ て  鳳仙花で爪を染めて黒塗りの下駄との対照に伊達を見せるなどということは日本にも昔からあ るようだが、日本のは足先のことで、|亜米利加《アメリカ》のは足首から|腿《もも》にいたるのだから物凄いといわな ければならない。  私が大学の一年生のとき、作文の時間に「あなたは何故にこの大学へ来ましたか」という題が 出たことがあった。二時間のうちに書いて出すんだから、私もせいぜいうなりに|唸《うな》って妙ちきり んな一文を草し、|自棄《やけ》になって忘れていた。一週間ののち、その時間がまわってきた。すると、 担任のミスなんとかという中婆さんが、先週の作文のうち一ばんよいのと一ばん悪いのとを黒板 ヘ書いて皆さんに比較してもらうといって、左右へ分けて写し出したものだ。東洋人は|級《クラス》じゅう で私一人である。一ばんよいのがもちろん私でないとすれば一ばん悪いのは私のにきまっている。 私は顔を伏せたまま黒板を見ずにいたが、もうそろそろ悪いほうへかかったろうと思われるころ、 そっと頭をあげて黒板を見た。ところが何かの間違い  だろうと私はいまだに思っているが                      "、おう             じゆうりん ーで、その一文は私のではなかった。まるで沙翁のように文法を蹂躪した名文で、何が書い てあるのか誰が見ても一こうわからなかった。私以外の誰かの作とすればこれだけいる|紅毛《リマつも つ》学生 の一人に相違ない。自国語のくせに何という不届きな奴だ。私は急に元気がでて、ミス何とかと いっしょになって検事のように室内を|白眼《にら》みまわしてやった。みんな俺じゃないぞという顔をし て涼しくひかえていた。そこでミス何とかが大骨折ってその名文を読みあげてゆくと、そのうち にこんな文句が出てきた。  汽車のなかで夜中にふと眼がさめた。見ると、上の寝台から女の足が私の口のうえヘぶら下っ ている。  きっとなったミス何とかは、|口惜《くや》しそうに学生全体を見渡した。足と聞いて、同室の8-8 たちーー女学生11-は、みんなさっそく赧くなって下をむいてしまった。 =》{蓴¢戸女の足は大事件である。日本だって、ねえ君|粂《くめ》の仙人が墜落したっていうじゃあり ませんか。|御入部伽羅女《ごにゆうぶからじよ》とかいう古い本にも女の足の話があるようですね。だらしのない漫談に なってしまったがこれが|亜米利加《アメリカ》名物チャプ・スイの味なんだから、読んだが不運とあきらめて もらおう。