日米戦争は斯くして  谷譲次 如何にして亜米利加は起ったか       第一景  |華盛頓《ロノ ンもノ   ノ》ブラック・ハウスの奥まった一室に、国政長官ステットソン氏を取り巻いて、四人の有 力者が物ものしく椅子を引いている。財閥代表ボルガン氏、宗教団体代表者フォァ.ヘヴンスセ イク牧師、大学業者組合理事長ペッティング・パアティ教授、新聞社長アイル・テルユウの四人 だ。  秘密の|漏洩《ろうえい》を防ぐために、部屋の壁には完全な防音装置が施してあって、おまけに、そのブラ ック・ハゥスの周囲十マイル四方に、政府常傭いのギャングが、ピストルや|爆弾《パイナップル》を持って|十重 二十重《とえはたえ》に固めているという厳重さである。  新聞社長アイル・テルユゥ氏が、金いろの毛の密生している握り|拳《コブシ》で、どかんと卓子を叩いて 言った。 「ここで一つ、小っぴどくやっつけにゃいかんですよ、ジャップのやつを。」  前からの話しのつづきらしい。黙っていたほかの三人は、このアイル・テルユウ氏の言葉で、 一せいに、国政長官ステットソン氏へ眼をやった。  教会代表フォア・ヘバンスセイク牧師が、|参詣《さんけい》のお婆さんを|騙《だま》す時のように、両手を揉みなが ら、|滑《なめ》らかな口調で、 「正義人道のために、左様、正義人道のためにですな。宣戦布告と同時に、|亜米利加《アメリカ》中の教会は 鐘を鳴らして、五分間黙禳する準備が、もうすっかりできとりますです。戦勝の祈りですな、ヘ ヘ\\\。」  財閥の巨頭ボルガン氏「それは、いつもながら、手廻しのよいことで。」  牧師「わたくしは、緋の教服を|纏《まと》って、ラジォで祈禳を放送するというプログラムでしてな。 はい、ところがラジオですから、その新調の教服を全国の人の眼に見せることのできんのが、非 常に残念で!その真紅の衣には、全米の女学生がサインをしまして、それも、今日あたりでき て来ることになっとりますですが。」  新聞社長「それは、国民感情を|煽《あお》る上に、実に効果のある思いつきですな。うむ、面白い。さ っそく今夜の夕刊に  。」  ボルガン氏「神の名において日本討つべしと、女学生までがサインをーふうむ、たのもしい |亜米利加《アメリカ》精神の発露ですな。」  大学業者ペッティング・パァティ教授が、うっかり口を|辷《すべ》らして、 「私どもの事務所で、七人の女事務員が、昨晩から徹夜で掛かりきりにやっております。何しろ、 |裾《すそ》の長い教服へ、色んな書体で雑多な名前を、べったり細字で書き込むようにという牧師さんの 御注文なのでー。」  牧師、あわてて、「ええと、そこで、ボルガンさん。いかがでしはう。この戦争の記念に百二 十一丁目とブロウドゥェイの角に、ビルディング風の教会を建てて、聖ボルガン教会というお名 前をちょうだいいたしたいという案が、もっぱら|御旨《みむね》によって進行しているのでございますが ー」  ボルガン「いいでしょう。」  牧師「ついては、ここでちょいと、二百万ドルほど御寄付を1.そう願われますと、新教会の 祭壇の正面に、御肖像を掲げて、長く後世に残したいと考えとりますですが。」  ボルガンあっさりと、「いや、そういうお話しでしたら、いずれまた  。」そして、ステット ソン国政長官へ、「どうです、対日宣戦の決心は、まだつかんですか。」  国政長官ステットソン氏は、沈痛に、 「やってもええのじゃがー。」  ボルガン「煮え切らんなどうも。満州があんなことになった以上、支那本土だけは|亜米利加《アメリカ》の 市場に確保しておかんことには、品物が売れんで困るがな。オウバ・スーツクで、支那へ持って 行かんければ、国内の物価はますます下るしー-第一、あんた、ジャップなどという黄色い悪魔 に勝手なことをされて、世界第一の|亜米利加《アメリカ》が黙っとるちゅう法がありますかいな。」  新聞社長アイル・テルユウ「増長慢のジャップ! リンデイをトウキョウヘ飛ばして、十五分 間以内に紙の家を焼き払ってしまうのです。」  ステットソン「リンデイはいま、子供のことで夢中ですしなあ。」  牧師「わしは、ただ祈る。うむ、ひたすら祈るです。ステットソンさん。全世界の|基督《キリスト》教徙は、 アソ"カ                         ァソ"力 亜米利加の味方ですぞ。おお神よ、異教徒を討伐する二十世紀の十字軍は亜米利加の肩にこそ! これは、平和を愛する者が平和のために起す軍であるです!」  新聞社長「ジャップをぶちのめすのは、|亜米利加《アメリカ》の使命じゃ!」  パアティ教授「全国の大学から勇猛果敢なラグビイの選手が、スクラムを組んで日本を蹴散ら しに行くというとります。」  ボルガン「涙ぐましい愛国心です。この精神力をもってすれば、ゲイシャとヨシワラとリキシ ャとハッピイ・コートなど  これです!」  と彼は、ぱちんと指を|弾《はじ》いた。  アイル・テルユウ社長は|哄笑《こうしよう》して、 「ヨコハマ、ニッコ、ハコネ、ネイラ、すべて日ならずしてわが領土ですかな。わっはっはっは、 痛快、痛快!」  ボルガン「ステットソンさん。皆さんこの通り意気|軒昂《けんこう》です。即刻、対日宣戦をするがええで すぞ。」  しばらく沈思黙考していたステットソン氏は、大政治家らしい重々しさで卓上の呼鈴を押した。  眼の覚めるような軍服のウォッチ・ミイキッド将軍が、ドアをあけてはいって来る。  将軍「遅れまして。家内のお茶の会に、接対役をやっとったものですから。」  一同「いや、それは、」番大事な御用を欠かして、わざわざおいでにならんでも  じつに恐 縮ですな。」  ステットソン「将軍、いま君を呼んで|訊《キフ》こうと思ったのじゃが、どうだね、軍備のほうは。」  将軍「ジャップとですか。わしは軍事のことはよく知らんけれどもが、いま始めるとすると、 何でも、巡祥艦と潜航艇がすこし足らぬとかいう話しじゃが、しかし、満州や上海で闘った日本 将校の経験によると、兵器や軍備などよりも、実戦となると、最後はどうしても精神力じゃとい うことじゃから、精神力なら、どこの国にも負けんであります。うむ、断然士気旺盛であるです。 若い将校や兵十のダンス振りを見ても、何人でも女を取りかえ引きかえ、腰を振り足を躍らして、 あえて疲るるということを知らぬ!」  一同「気強いですなあ!」  将軍「パレイドなど実に見事ですぞ。ジャズの楽隊を先頭に、全く絵のようですわい。十官は、 平時においてさえすでに、武士のたしなみを忘れずに、香水をふりかけ、マニキュアをしており ますし、兵士の中には、サクセフォンの名手もおるです。これは断じてうそではないですぞ。」  一同「じつに心丈夫ですなあ!」  ステットソン「よろしい! やろう。」  将軍、すこし顔いろを変えて、「え? ほ、ほんとにやるですか。」  ステットソン「がんと一つやったろか。」  一同「それがいい。さあ、決まった。一それに、もし仮りに、いざとなって軍隊で駄目なら、リ ンデイの時のようにギャングに頼めば、ジャップなんかたちまちぺしゃんこだ!」  将軍「家内の許可を得て、ちょっと出てきたのですから、それでは私は、これで、家内のお茶 の会へ帰りますが  。」  一同「奥さんのほうは何より大切なお仕事です。どうぞ、一刻も早くお引き取りください。」  新聞社長「さあ、私もこうしちゃいられない。号外、号外ー!」  立ちかける。ステットソン氏は留めて、 「ただひとつここに気掛りなのは、|亜米利加《アメリカ》の民衆が、|何国《どこ》を相手に、何のために戦争するかと いうことが、はっきりわかっておるかどうかの問題じゃがーそして、民衆はどこまでついて来 るか、わしは、これが心配ですがなあ。」  ボルガン「いや、その点は人丈夫。与論を作るには、とても便利な会社がありますから、さっ そくそれを利用することにしましょう。では、そうきまれば、私とあなたは、これからすぐその 会社のほうへ  。」 第二景  第五街。ヒュウマニティ・ビルディング八十七階の一室。 「じ$△(与論製造株式会社」と|扉《ドア》に金文字のある事務所である。鋼鉄の|整理《フアイル》棚が、壁一面に整然 と並んでいる部屋に、大きな机の向う側に国政長官ステットソン氏とボルガン財閥のボルガン氏 とが腰掛けている。  テエブルのこっちに、椅子に埋まっている背の低い、頭の禿げ上った鋭い顔の紳士は、この与 論製造会社の社長ウイル・フィックスイット氏だ。隅のタイプライタァの前に、断髪美貌のタイ ピスト、ギミイ・ジス嬢が控えているきり、広い室内はがらんとしている。ギミイ嬢がぐちゃぐ ちゃ口を動かしているのは、もちろんチュウインガムを噛んでいるのである。  能率第一のウイル・フ、イックスイット氏は、せかせかした調子で、 「わかったです。わかったです。私は、手っ取り早い話しが好きです。全|亜米利加《アメリカ》人を、日本に たいする増悪に燃え立たせろというんですな。」  ステットソン「左様。二十四時問以内に。」  ウイル・フィックスイット社長「儼一十四時間以内に。0・ !」  ステットソン「あなたのお力で、全米の民衆を排日、侮日、恐日、憎日の|増墹《るつぼ》のなかへ投げこ んでいただきたい。」  フィックスイット社長「0・ ! なに、私どもでは、親日、拝日の空気を作ることもすぐで きるですが、それと同じに、侮日憎日も簡単な仕事です。訳ないです。」  ボルガン「一般的に日本に対する憎悪が最頂点に達した頃を見はからって、対日宣戦をやろう というステットソン君の意向なのですから。」  社長「0・ ! 明日の太陽が沈むまでに、在米日本人にとって|亜米利加《アメリカ》の気候が暑過ぎてた まらないようにして晃せますです。」  ステットソン「あんたは、どういう方法でやらるるのか知らんが、ブラック・ハゥスに取って も|亜米利加《アメリカ》の与論を統一するということは実に難しい。何しろ、この広い土地に、白人あり黒人 あり赤人あり。アングロ・サクソン系、|独逸《ドイツ》人、|仏蘭西《フランス》人、|露西亜《ロンア》人、|西牙《ウオツプ》人、|波蘭土《ポウランド》人、|伊太 公《テイゴ》、|猶太《ユダヤ》人ーや! それは失礼しました。」  フィックスイット社長とボルガン氏、異口同音に、「いやなに、かまわんです。」  ステットソン「|葡萄牙《ポルトガル》人、|和蘭《オランダ》人、|白耳義《ベルギヨ》人、|諾威《ノルウエイ》、|瑞典《スウエデン》、|丁抹《テンマ ク》、|端西《スイス》、チェッコ、エスト ノニア、ラトヴィァー。」  社長「わかりました、もう。」  ステットソン「ルウマニァ、ブルガリァ、ズウマニア、クレプトマニァ  。」  ボルガン「|黒人《ニカ》、インデアン、エスキモウ。」  社長「|支那人《チンク》、フィリピー、|馬来《マライ》、モンゴリアンー。」  ステットソン「|紐育《ニユさヨ ク》はジュウ・ヨウク。クリィヴランドにはルウマニァの移民、デトロイト は|仏蘭西《フラちゴス》人の町、|市加古《シカゴ》は|伊太《イタ》公、ミネァポリスは|独逸《ドイツ》人の都会、|桑港《ノスコ》は支那人、|羅府《ロス》はジャッ プー今度の戦争でこの羅府からジャップを駆逐するのじゃが。」  ボルガン「巡査は|愛蘭人《アイリツシユ》、洗濯屋は支那人、洋服屋はルウマニァン、八百屋は|伊太利《イダリ 》人、コッ クは|仏蘭西《フフンス》人、肉屋は|独逸《ドイツ》人、|執事《しつじ》は英国人、兵隊は移民の第二世、三世ー。」  ステットソン「株屋と新聞屋と芝居者はジュゥーや、これは、また、とんだ失礼を!」  ボルガン、フィックスイット両氏「いやなに、一向かまわんです。」  ステットソン「というような訳ですからなあ。今いきなり日本にたいして宣戦布告をしても、 何のために日本と戦争せんければならんのか、それよりも、あの、時どき街で見かけるジャップ ちゅう黄色い、眼の|吊《つ》り上った人種の本国は一体何辺にあって何という国なのか、一般民衆には、 さっぱりわかっとらんだろうと思いますでなあ。いや、われ笛吹けども人の子踊らずで、為政者 の悩みであるのですよ、じっさい。」  ボルガン「そこで、ジャップというやつは、実に天人ともに許さざる極悪非道の国であるとい うことを、一つ、国民の頭にがんがん叩き込んでもらいたい。そして、打てよ|懲《こら》せよジャップを ば、と、与論の声を猛然と掲げていただきたいです。」  ステットソン「そうせんことには、宣戦布告をやっても、国民はけろりとしておりゃせんかと 思いますでな。」  社長「0・ ! 何でもないです。火のないところに煙りを立てるのがこの与論製造会社の業 務ですから、たちまちのうちに、ジャップにたいする|敵愾《てきがい》心で全国を煮えくり返らせてお眼にか けます。いたるところに主戦論の火の手をあげて、|亜米利加《アメリカ》よ、正義のため決起せよ! ってな ことに、あっはっはっは。」  ステットソン「そうです、そうです。その頃合いを見はからって、ブラック・ハウスが宣戦布 告をやる、とかいう寸法ーに。」  社長「0・ !」  と彼は、ここで、一枚のカアドをひらりと二人の客の前の卓上ヘ投げ出した。  会社の営業目録だ。         じ8〈与論製造株式会社   公私百般宣伝、|運動《キヤンペイン》の御相談に応じ申し候。丁寧迅速、料金低廉、効果一〇一パァセン  ト。秘密厳守。御利用を|俟《ま》つ。  冖霍弓一一5鬘の                                   社長仆三繧葦 「こういうことになっとるですがねえ。念のために申し上げときますが、仕事は、△(級、 級、  級と別かれておりましてー。」  ステットソン「〈級といいますと?し  「社長「〈級となりますと、|新聞《プレス》、映画、流行唄、レコウド、ラジオ、ネオン・サイン、びら まき、パンフレット、|燐寸《マッチ》のレッ,テル、その他あらゆる機関と機会を駆使して、じゃんじゃん|煽《あお》 るんですがねえ。これをおすすめしますな、〈級を。」  ステットソン「そのく級なら、大丈夫民衆は沸き立つでしょうな。」  社長「保証します。」  ステットソン「ぢゃ、そのく級にーーで、料金は?」  社長「依頼者が亜米利加合衆国ですからなあ。値段はすこし張り込んでもらわんとー。」  ボルガン「しかし君、国家的な意味でー。」  社長「そうはいかんですよ。儲かる時に、儲けておかんとー五百万ドル!」  ボルガン「五百万? 無茶やな。」  社長・じゃ、ええっ、思い切って、五ドル引きましょう。四百九十九万九千九百九十五ド ル!し  ステットソン氏は心配そうにちらと、ボルガン氏の横顔を見て、 「いいでしょう。いかがです。」  ボルガン氏「がっちりしてますなあ。仕様がない。」  ステットソン「では、社長、そういうことにー。」  社長「0・ ! そこで、|序《つい》でのことに、一つ前金で願いたいですな。」  ボルガン「もう、やめた。こんな、阿呆らしい取引きってあらへんがな。」  ステットソン、懸命に、「しかし、そうおっしゃらずに、国力の消長に関する場合ですから、 ここは、是非ともどうぞ御後援を。」  ボルガン「一遍フォウトと相談してからに  。」  ステットソン「ま、社長も五ドル折れたのですから、何とかこの場で手打ちということに ー」  ボルガン「これもみんなジャップのおかげかいな。えらい高いもんにつきますなあ。勝ってく れんと承知せんで。じゃ、まあ、あんたの顔を立ててー。」  ステットソン、心から、「有難うございます。さあ、社長、お出し下さるとおっしゃる。」  社長「0・ ! ほいっ!」と彼は短い口笛を吹いて、部屋の隅で届眠りをしているタイピス トを呼んだ。「ギミイさん、契約書を! あ、それ。有難う。では、お二人、このクラス〈とあ るところに、御署名を。」  渋い顔でサインをしながら、ボルガン氏が、 「一言いっときますがな。あのヤァドリのように、あとで喧嘩して、この内幕をすっぱ抜いたり してはあきませんで。」  社長「0・ ! そんなことはせんです。」  ボルガンが小切手を書いて社長に渡すと、  社長「ほいっ! ギミイさん、四百九十九万九千九百九十五ドルいただき。」  ギミイ嬢、ちゃりんと現金器を鳴らして小切手をしまい、「毎度ありがとう存じます。」  ボルガン、「やれやれ、これで済んだ。」とギミイ嬢を見て、「や! そこに|綺麗《きれい》なのがおる な。」  ギミイ嬢「あら、よう言わんわ。」  ボルガン「ほらきた。これはあんたヘチップ。」  ギミイ「まあ! 百ドルも! 済みません。」  ボルガン「どうじゃな。`今夜芝届へつきあわんかな。」  ギミイ「え、ありがと。でもね、あたしね、今夜は|先約《ティト》がありますの。また今度。」  ボルガン「そんなのすっぽかし、て、わしとー。」  ステットソン「いかん、いかん。戦争を目前に控えて  ところで社長、一体どういう方法で 対日反感助成運動をなさるるか、その一端をお示し下さらば|幸甚《こうじん》ですがー。」  社長,0・ ! ほいっ!」  彼はまた舌の先で、歯のあいだから短く息を吹いてギミイ嬢へ合図した。 「ギミイさん、その整理棚の中から、了という貼紙のある|抽出《ひきだ》しを抜いてきてくださいーいや、 それじゃない。そのうえ。あ、それ。し  ギミイ・ジス嬢は、「ゆうべのキッスはメロンの味。忘れないでねえ、ねえってばねえ!」と いう最新流行のジャズを|低声《こごえ》に囗ずさみながら、その、緑いろに塗った大きな引き出しを抱えて きて、フィックスイット社長の前に置いて隅の自分の椅子へ帰っていく。  ぴったりした薄いドレスの下に、左右のお尻が調子を取って、もりもり交互に動いていくのを、 ステットソン氏が首を突き出して凝視していると、ボルガン氏がその膝を、ぽんと叩いて、 「長官! 何を考えておらるる。いかん、いかん! 戦争を目前に控えて、あは\ゝゝ。」 「は。いや、これはどうも。しかし、べつに何も、考えてはおらんかったので  。」  その間に社長は、その、了という部類分けの貼紙のついた引き出しをのぞき込んで、きちんと 能率的に整頓された内部に、、冒宕口..の部を見出すとすぐ、そこから、一葉の写真を取りだして 国政長官ステットソン氏のほうへ押しやった。 「日本にたいする|敵愾《てきがい》心を掻き立てるためには、民衆心理的に言って、まず、三つの要素を目指 してやる必要があると思いますです。侮日、恐日、憎日ーー人云社としましては、この三方面へ連 続的に巨弾を放ちますです。さっそく本日の夕刊から、|合同通信社《ママルガメイテツト プレス》の手を経て、全米の新聞に、 これらの写真を順次掲載していきますです。説明文をつけて。」  ステットソンとボルガンが、その写真を手に取って見ると、笠のような物を背負った軍隊らし い群集が、|田舎《いなか》みちを、列を崩してのそのそ歩いている写真である。遠くあちこちに、低い、壊 れかかった土の人家が、並んで見える。  ボルガンは、不思議そうに、 「これは、日本の写真ですか?」 「いや。」フィッ彡スイット社長はにこにこして、「支那です。満州|辺《あた》りのようですが。」 「支那では困る。われわれは対日■。」 「対日反感! よくわかっとりますです。しかし、支那の写真でいいのです。どうせ、支那人だ か日本人だか、誰が見たってわかりゃしませんから。」 「しかし、この写真を新聞に出してどういうことになりますかな。」 「その写真へ、日の丸の旗を」本書き込むですよ。そんなことは、写真技術で簡単にセきます。 そうすると立派に日本の軍隊になる。そこで、このだらしない「日本陸軍」の写真と並ベてです な、わがアナポリスの士官学校卒業式分列行進の威風堂々たる写真を一しょに載せるです。そう して、説明文に|曰《いわ》くです、「見よ、何たる相違!かくの如き貧々弱々なる軍隊をもっで大米国 に刃向わんとするジャップの頓ちきめ! 真に|囓《わら》うにたえたり」とやるですなあ。|利《き》きますよ、 こいつあ。」 「民衆はほんとにするでしょうか。」 「ほんとにしますとも。都合の好いことには、我が|亜米利加《アメリカ》では、|盲《めく》ら万人目明き半人の比例で す。みんな、この、二つ並んだ写真を見て、手を叩いてよろこびますよ。何だ、ジャップの兵隊 なんてこんなものか、って  それに、向うに見える支那の民家を、日本の相当の都会だという ことにする。笑い出しちゃいますよ。」 「するとそれは、まあ、言わば、侮日の部ですな。」 「そうです。この写真はいかがです。し  と社長は、また一枚の写真を了の部から取り出して、机の上に置いた。  ステットソン氏が、 「今度も写真ですか。」 「写真に限るです。何しろ、|亜米利加《アメリカ》の民衆というやつは、読み書きのできんのが大部分ですか らなあ。写真を見せて、実物教育をやるです。あんまり実物でもないが、はゝゝゝ。」 「で、この写真は、どんなふうに使いますかな?」  その写真は、数百の飛行機が一面に空に|覆《おお》って、真っ黒に見えるほど入り乱れて飛んでいる光 景である。機影はどれも胡麻を|撒《ま》いたように小さく、それに空だけの写真なので、どこの国とも わからない。  フィックスイット社長は、大得意で、 「見覚えがおありでしょう、その写真は。」  両氏「さあー。」  社長「|亜米利加《アメけカ》のですよ。いつかフロリダで空軍大ペエジェントをやった時の写真です。」  ステットソン「なるほど。そう言えばそのようですな。」  ボルガン「道理で、それほど飛行機を|有《も》つ国がほかにあろうとは思わなんだ。はっはっは、気 強い景色じゃなあ。いや、飛んどる。まるで、わしの出した紙幣に羽が生えて飛んどるようなも んじゃて。」  ステットソン「そこで、この米国空軍の写真をどうするんですか。」  社長「どこの国のものともわからんから、これを日本の飛行機として発表するです。」  ボルガン「大いんちきやな、あんたは、ま、それもええが、そんなことしよったら、まるでジ ャップの宣伝をするようなもんやないか。」  ステットソン「日本の空軍ということにして新聞に出すと言うんですね。ふうむ、そうすると、 狙いはどういうところですかな?」  社長「日米戦争を予想して日本はこんなに飛行機を作っておる。|亜米利加《アメリカ》もしっかりせにゃい かん、といったような文句をつけるですな。みな、こりゃ油断はならんぞと、国民全般が緊張す るですな。」  ステットソン「ははあ。すると、これは、第二段の恐日ということに  」  社長「左様。まだ色いろあるですがね。」  ボルガン「憎日はどないして|煽《あお》りますかな?」  社長「憎日ですか。訳ないです。」  言いながら彼は、また一枚の写真を|抽斗《ひきだし》から取り出した。 「これですがねえ。」  受け取って両方からのぞきこんだステットソンとボルガンは、一しょに顔をしかめて、 「こりゃひどい。|慘憺《さんたん》たるもんじゃねえ  いったい何の写真です? これは。」 「それですか。」アイル・フィックスイット社長は得意満面の体だ。「それは、日本の震災の写真 ですよ。そんなのなら、まだいくらもあるです。」  ステットソン「|死屍《しし》累々という光景ですな。女がだいぶ死んどる。この広場はどこですか。」  社長「そんなことは知りません。どこでもいいんです。」  ボルガン「大した死人の山じゃ。子供の死骸もある。まわりの建物はすっかり焼け落ちて、ど ことも見別けがつかん。」  ステットソン「あちこちに立って屍体を片づけている救護班は、日本の軍隊ですか。」  社長「軍隊じゃないでしょう。自警団というのや、在郷軍人や警官でしょうと思いますが、軍 服のようなものを着ていますね。それを軍隊にしてしまうです。」  ステットソン「ほほう、そして?」  社長「場処は支那ということにするですな。死んどるのは支那の良民で  。」  ボルガン「うむ! なるほど! えらいっ!」  社長「この写真は新聞一面大に複写して、こういう文句をつけるです。 『家を焼かれ食を奪わ れた善良なる友邦支那の民衆は、悪鬼の如きジャップの手に掛ってこうして|虐殺《ぎやくさつ》されたのであ る。山積する屍体の中に、抵抗力なき多くの女子供を見る。婦人はすべて銃剣に突き刺される直 前まで、言うに忍びざる暴行を受けたものであることはいうまでもない。ああ、これをしも文明 にたいする黄色野蛮人の挑戦と言わずして何ぞ! この写真を見て|切菌扼腕《せつしやくわん》、悲憤|慷慨《こうがい》しない|亜 米利加《アメリカ》人があるか。正義人道と平和の使徒である米国人よ、起て! 起ってこの野獣ジャップの 存在を地球の表面より抹殺せよ!』なんて調子で、でかでかと書き立てるですなあ。」  二人、拍手する。「その調子、その調子。うむ、こいつは|利《キし》きそうじゃ。」  社長「民衆というものは、単純な連中ですからなあ。こういうことを付け足して置くです。 『ジャップは、在支米国人をも多数慘殺したが、その屍体はこの下積みになっているので、写真 には見えない。』と、どうです、これなら、|亜米利加《アメリカ》中湯気を立てて対日敵愾心に燃えること請 合いです。」  ボルガン、感にたえて、「全く、えらいもんじゃ。」  ステットソン「いや、天才ですなあ、フィックスイット君は。」  社長「まあ、皆さんからそういうことを言われとるですがねえ。あっはっはっは、いやなに、 それはただ、侮日恐日憎日の見本を各一個ずつお眼にかけたに過ぎんですよ。この要領で、着々 新聞紙上に現れますから、一つ、効果を御覧ください。」 「いやもう効果疑いなしじゃ。すっかり安心しましたわい。それでは、宣伝と与論喚起のほうは、 一切お任せしますから、|宜《よろ》しくお願いします。」 「承知致しました。はは、これは失礼をーあ、ギミイさん、お二人の帽子とステッキを。」      第三景  第三街の裹町。ギャングの大親分ハァド・ボイルドの経営する|秘密酒場《スピイァ イ ジイ》。  薄暗いフロントの居間で、主人公のハアド・ボイルド親分が、ひとりでソファに腰かけ、桃い   シャッ              ムリン.ノヤィン            や                     あわただ ろ絹襯衣の腕捲りをして、密造酒をちびりちびり飲っていると、そばの小卓で慌しく電話のベ ルが鳴る。 「うるせえ!」  と|呶鳴《どな》って、親分は受話器を取り上げる。毛のもじゃもじゃ生えている二の腕に、ジプシイ女 の刺青がある。 『ヘロゥ! ああそうだ。俺がハァド・ボイルドだが、おめえさんは?ーーお、それは与論会社 の社長さんですかい。フィックスイットさんで。いや、あっしの|身体《からだ》はいま明いてやすがな、ま た誰かの子供でも盗まれたかね? なに、そうじゃねえ。ちっとあっしに用がある? ははあ、 誰か|殺《けま》らしやすんで。え? |殺《ロま》らすんでもねえ。するてえと、どういう  いや、あっしで出来 ることなら、条件によっちゃあ|何《ハ》でもするがーーえ? 写真を|撮《と》る? このあっしがかね? あ っしじゃあねえ? ふん、ふん、|此家《ここ》で。ほん、ここの地下室で-|支那公《チンキイ》を集めてーー女と、                   おもしれ                        だんな 赤ん坊とーほん、ほん、ほほう、そりゃ面白え。ようがす。やりやしょう。が、旦那、旦那の ことだから、一件のほうはたんまり、へ\へ\\何しろ、野郎どもを動かす仕事だからーそ りゃあもう何辺へ出たって口を割りゃあしやせんよ。え? 五百ドル? 五百? 五百ってのあ ねえでしょう旦那。千やっておくんなせえ。そのかわり。手の組んだ仕事をしやすから。0.  ! じゃ、千ドル。大至急写真屋を寄こしてくんねえ。女のほうと、赤んぼのと、二組だね? オウラィ!」  こうして、じ$〈与論製造会社社長アイル・フィックスイット氏から秘密の電話を受けたハア ド・ボイルド親分は、ただちに|乾児《こぶん》の|山猫《カイヨテ》ジャックを呼んで、 「山猫の、ここに、支那人の人足を十人ばかり集めてもらいてえのだが  。」  山猫「支那人を十人。へえ、すぐそろえやす。」  親分「裹の淫売屋から女を引っ張ってこい。それから、おめえんとこに餓鬼があったなあ、生 れ立ての。あれをちょっくら貸してくんねえ。なに、どうもしやしねえ。おっかあにそう言って 抱いてきな。」  山猫「へえ。女をひとりと、あっしんとこの餓鬼と  。」  親分「おいおい、待て。それからな、損料屋へ行って、|外国《げえこく》の兵隊の服を十人分借りてこい。」  山猫「|外国《げえこく》のー?」  親分「うむ。|外国《げえこく》の軍服でせえありゃあ、|何国《どこ》でもかまわねえ。」 山猫「そいつを衣裳屋へ行って借りてくるんですね。」 親分「そうだ。写真屋は、 『じ$与論』から来るんだろうから  ピ 山猫「へ?」 親分「こっちのことだ。手めえは、言いつけられたことをさっさとしろい! 早く行けっ。」 第四景  親分の家の地下室である。古家具、酒樽、石炭、紙屑などの|堆高《うずたか》い陰惨な一隅に、角のチャ プ・スイ屋のコックの支那人が三人、ブルックリンの|船渠《ドツク》へはいっている英国貨物船乗組の支那 人火夫が二人、もう二人の支那人は|罵鹿票《ぱかつぺい》売りのごろつきで、一人はギャングに属する支那人、 オウ・マイというちょいといい顔の|兄《あに》前|可《い》、あと二人は、急場のことで支那人がそろわなかったの で、|馬来《マしイ》人と|費島《フイリッヒン》人で間に合わせでいる。とにかく、東洋人が十人だ。これがみんな、|西班牙《スヘイン》 だか|葡萄牙《ポルトガル》だかの古い軍服を着て、サアベルをがちゃつかせたり銃を|担《かっ》いだり、ピストルはいず れも普段腰のポケットから離さない連中だが、その暗い地下室に集まって、がやがやしている。  オウ・マイ「本国の馬賊てえのは、こんな|服装《なり》をしてるのかなあ。何をするのか知らねえが、 こうにわか|栫《ごし》れえの兵隊が並んだところを見ると、何だか面白えことになりそうだなあ。」火夫 の支那人「あっしどもあ、波止場で|日向《ひなた》ぼっこしていたら、あの、山猫さんてえ人が来て、ちょ いと面を出しゃあ一人あて五ドルになる仕事があるから来ねえかと言うんで。何だか知らねえが、 |旨《うめ》え話だからついてきたら、こんな物を着せられて、こうして鉄砲を持たせられて、ここヘヘい ってろというんでね、何が何だかわからねえや。」  チャプ・スイ屋のコック「何でも、写真を取るんだという話しだよ。」  馬鹿票売り「映画のエキストラではねえのかな。」  |馬来《マレイ》人「そうかも知れねえ。いや、きっとそうだ。」  |費島《ヒリッヒン》人「何でもいいが、この軍服は大分古物だぜ。南北時代のものらしい。しかしまあ、こ れで五ドルになるんだったら、毎日やっても悪くねえな。」  階段の上の|扉《ドア》があって、四人の人影が地下室へ降りて来た。ハァド・ボイルド親分、じ$〈与 論製造会社から来た写真師、|山猫《カイヨテ》ジャックと、もう一人は、裏の売春窟から雇われてきた若い私 娼である。山猫ジャックは、生れたばかりの自分の子供を抱いている。  山猫が電燈を|捻《ひね》って、地下室は、パッと明るくなった。  百鬼夜行のような、珍妙な十人の「兵隊」の前に立って、ハァド・ボイルド親分が訓示を始め る。 「お、つ、そろったな。今ここでおめえ達の写真をとるが、第一に言っておくことは、何のために こんな写真を|撮《と》るんだ、なんてことを|訊《き》いちゃいけねえ。質問は一切厳禁だ。何を聞いたって説 明しねえからそう思え。それから、第二に、このことを|饒舌《しやべ》ると承知しねえぞ。わかったな。」  オウ・マイが一同を代表して、 「何も|訊《き》かねえし、なにも|饒舌《しやべ》らねえよ親分。」 「よし。じゃ、始め!」  親分は、女を振り返って、 「|姐《ねえ》や、ちっとの我慢だ。」 「あら、あたしはかまわないわ。どうするの?」 「じ$与論」の写真班が、カメラの仕度をしながら、 「この隅がいいです。|姐《ねえ》さん、あんたここへ、こう、壁へ|寄《よ》っ掛るようにしてすわって下さい。 そうだ。もうすこし脚を投げ出して、|背《ちつし》ろの壁に貼りつくようにーこの支那の兵隊どもに追い |詰《っ》められて、今や危機一髪、|落花狼藉《らつかろうぜき》  という場面ですからな。そのつもりで、極度の恐怖に |駆《か》られて発狂せんばかりになっているところを一つ。」 「あら、だってあたし、平気だわ。ちっとも怖くないわ。」 「弱ったな。怖いつもりになって下さい。片手で壁を掻きむしるようにして、眼を大きくして、 泣き顔をして口をあけるんですーこいつあ監督が大変だな。」 「こう? これでいい?」 「そうそう! その意気、その意気! そのポ!ズと表情を忘れないでいて下さいよ。」 「どだい、こんなことだったら幾らだって出来るわ。」  写真師「おい君ら、兵隊の諸君! 君らは、この白人の女を地下室へ引きずり込んだところな んだ。これからみんなで何しようって訳で、左右から物凄く迫っていく。真ん中へ出ちゃいかん。 肝心の女がカメラヘはいらんじゃないか。いいか、みんな、実感を出して凄くやってくれ。」  女「嫌だよ、この支那人のやつら。よろこんで、にやにやしてやがら。馬鹿だねえ。ほんとう にどうもするんじゃないんだよ。ねえ監督さん、ほんの真似だわねえ。何なら、おあしを持って 家へおいでよ、ほゝゝゝ。」  親分「|商売《しようばい》の宣伝をしてやがら。かなわねえや。」  山猫「この餓鬼はどうするんです。」  親分「黙って、もうすこし抱いてろ。」  写真師「いますぐ赤ちゃんのほうへ掛かりますから  さあ! みんな! 元気でポゥズを取 る。おいおい君、その、小さいの。笑っちゃあ駄目じゃあないか。」  馬来人「僕、わたくし、この女を知ってるんです。」  馬鹿票売り「おいらだって知ってらあ。」  女「余計なことをお言いでないよ、二人とも。」  写真師「はゝはゝ\、とんだ親類筋だ。いけないなあ、みんな笑い出しちゃあ  おい、君ら はみんなでこの女を、という場合なんだぜ、その気になって狂暴な面つきをしろよ。うむ、そう だ、|姐《ねえ》さん、もっと髪を乱して、胸をあけて、ちょっと肩んところを出して下さい。」  女「こうなの?」  写真師「そうそう。いや、それじゃあ出過ぎだ。お乳が見えちゃあ一寸困る。エロが目的じゃ あないんだから。そうです。その程度。もうすこし、こう、自然にスカァトを乱して  そう! 段だん気分が出て来る。ああそうだ。こうしよう  。」  女「あら、また模様変え? じゃ、この手、下ろしててもいいわね。」  写真師「おい、その色の黒い人! 君はね、こうやってその銃剣を姐さんの|頸《くび》へ突きつけるん だ。それから、そっちの|獰猛《どうもう》な顔をしたの、君はだね、かまわないから姐さんの髪へ手をかけ る。」  女「そっとよ。痛いことしちゃ嫌よ。」  写真師「あとの八人はすぐ横に固まって、|籤《くじ》を引いてる|恰好《かつこう》をするんだ。そう! 素適だ! おい、姐さん、怖い表情を忘れちゃ困るぜ。」  山猫「むつかしいもんだなあ。」 親分「すこし悪どかあないかね?」  写真師「なに、かまいません。これくらいにしなければ利きません  さ! 行きますよ。は いっ! ぱちっ! もう一枚。や、有難う。」  親分「一枚だきゃあ済んだね。今度は赤ん坊の番だ。」  山猫、不安げに、「どうするんですか、この餓鬼を。」  親分「心配するなってことよ。」  写真師、考えていたが、「そうですな。」と、辺りを見廻しながら、「この壁を背景にー-誰が いいかな。ああそうだ。君、君! その、背の高い、兇悪な面構えの人!」  支那人の火夫「私ですか。ひでえことを言やがるな。」  写真師「失敬! 名前を知らないもんだからね。君、この赤ん坊を抱いて、そこの樽に腰かけ てくれたまえ。いや、君一人でいいんだ。」  山猫「おい、|支那公《チンク》、落さねえように抱いてくれよ。」  親分「この野郎、下らねえ父性愛みてえなことを言やあがる。」  山猫「父性愛じゃあねえが、おっかあに預ってきたものだからー 。」  写真師「それから君、そのサァベルを抜いて、膝の上の赤ん坊の胸へ突き刺す真似をしてもら おう。」  山猫「うわっ そんななあいけねえ!」  親分「馬鹿野郎! 真似だってえのに。」  写真師「ほんの、突き殺す真似です。おい、君、もっと真に迫ってやれないかなあ。顔を|歪《ゆが》め て、物凄く  。」  山猫「見ちゃあいられねえ。」  女「山猫も、自分の子供のこととなると、人並みのことを言うわねえ。」  写真師「ちょっとそのまま、崩さずに! はい、撮るよ。ぱちっ、待った。念のためもう一枚 ーーよし! これで済みました。いや、皆さん有難う。一」  親分「山猫の、こいつらを上へあげて、、五ドルずつやって帰してやんな, 十ドルな。おう、みんな、御苦労だったな。」 姐やにだきゃあ特別 斯くして日米戦争へ      第一景  インデァナ州、エヴァーンスヴィルの田舎町だ。洋服崖の一家族が住んでいるアパァトメントで、 朝飯の食卓に、新聞が拡げられている。  おやじ「コ日本て情ない国だなあ。こんな写真が出ている、.」  妻「あら、どうれ? これ?-ーーまあ、何ですの、これ。」  おやじ「日米間に危機が迫って、戦争になるかも知れないんだそうだ。ところが、日本には兵 隊が足りなくって、こんな、小学校の子供まで引っ張り出して兵隊にしているというんだが、哀 れなもんじゃあないか、」  妻「全くねえ。みんな匕八つの子供じゃないこと?」  息子「僕にも見せて。これ日本の兵隊? 小っちゃい兵隊だなあ。こんな子供なんか、戦争に  出た(て駄目だよねえ。」   女ーフレッドさん、あなたは|亜米利加《アメリカ》のような強い国に生まれて、よかったわねえ。」   父ーそうだ、感謝して勉強しなくちゃ。日本なんかに生まれて見ろ。こんな眼に合わされるぞ。  |可哀《かわい》そうなものだ。」   その、新聞に載っている写真というのは、日本の地方のどこかの小学校の校庭で、尋常三、四  年の児童が体操をしている写真である。        第二景   |紐育《ニュミヨミク》の|地《サ》下|鉄《ブ》の中。出勤の会社員くと が、一枚の朝刊を両方から引っ張り合って、   △鎬、何だい、この写真は。何だか説明が出てるぜ。」    「奇抜な光景だね。日本じゃないか。ハッピイ・コゥトを着た|苦力《ク リイ》が、多勢集まって梯子を  押さえていると、その梯子のてっぺんに、一人がぶら下がって空を|白眼《にら》んでいる。下には、わい  わい人が押し合って、みんな上を見ているね。この、ぴらぴらの下がった、円い大きなものを押  一し立ててるのは何だい。まるで判じ物みたいな写真だね。」   △(「あは\はゝゝ、わっはっはっは! こりゃあいい。こいつは断然愉快だ。」    「,何だい、一人で笑い出して。」  〈「説明を読むから聞いていたまえ。 『日本の防空演習  ジヤップ一流の滑稽な思いつき。 彼らはこうして群集に支えられた梯子の上に昇り、空を|白眼《にら》んでいて、完全に飛行機を防ぎえる と思っている。飛行機が来たら、梯子の上からピストルで打とうというのだ。下に見える白い丸 い旗のようなものは、マトイと言って、シント  神徒  の用いる悪魔|避《よ》けのはたきである《フフフ》|。 神徒はジヤップの宗教で、彼らは地上でこの「マトイ」を振れば、飛行機は即座に、かつ正確に 落ちると信じているのである。』だとさ。は\\\\、傑作じゃあないか。」   「僕は笑えないよ。」  △(「どうして?」   「何だか、あんまり可哀そうな気がして。」  △(「ずいぶん遅れてるんだねえ。」   「国際連盟なんかじゃ、きいたふうなことを言うが、やっぱり、文明となるとこの程度なん だねえ。」  「クロフネ時代とおんなじと見える。これじゃあ、今の内に早く日米戦争をやって、やっつけ ちゃったほうが得だね。」   「罪だよ。」    はか  △(「莫迦にまた、ジャップの肩を持つね、君は。」   「そうじゃないけどさ。むしろ涙ぐましいじゃないか。梯子へ乗っかって飛行機を狙うなん てーーどうだい、この写真の、トを向いている群集の顔の熱心なことは、今どき、こういう国も あるのかなあ。」  それは、消防の|出初《でぞめ》式の写真から、背景に見える自動車ポンプを扶消したものだった。 策三景  ××××××××××××、人民の群れが××××××××××××××××××××××写 真が、今朝、|亜米利加《アメリカ》中の新聞に一斉に大きく掲載されて、こういう説明がついている。 「日米間の風雲急なりと聞き、わが|亜米利加《アズリカ》の強大なる軍備と精鋭無比の兵力を知るジャップは ,1と言うよりも、正確には、ジャップのなかの正直者と、そしていささか賢明なる連中は、こ うして××××××××××、極力米国との衝突を避けようと××××××××しているのであ る.彼らは、わが合衆国と火蓋を切らんか、」瞬にして敗を取ることをよく知っているのだ。ど んな犠牲を払っても|亜米利加《アメリカ》と戦わないようにと、この、哀れなる祈願者の群は毎日増す一方で、 遠くエゾの地からも団体を作ってトキョゥヘ押しかけ、交通巡査は余計な仕事が膨えたといって こぼしているそうだ、、強そうなことをいっても、ジャッブはジャップである。何と笑止な光景で はないか.しかし、義に勇むわが米国民は、暴戻なるジャップがいまさらこうして平身低頭して 謝ま〔たとて、けっして許しはしないであろう。」  |市加占《ノんゴ》ウォバッシュ街の町角だ。学牛、街の兄さん、巡査、近辺の商店の番頭小僧、ルンベン、 通行人、その他おおぜい新聞を囲んでがやがや騒いでいる。 コ何でえ、このざまは。ジャップは意気地がねえんだなあ。」 「そんなこたあ初めからわかってらあ。ただ、ジャップがあやまれば、おめえは許してやるかて んだ。どうだ、許すか許さねえか。し 「おらあ、許さねえ。断じて許さねえ。あやまったら、その、頭を下げているところを狙って、 ぶん殴ってやる!」 「おれもそうだ。これなに弱いとわかりゃあ、戦争するに限る。だけど、ジャップの国はどこに あるんだ。」 「下らねえことを訊くねえ。それだから無学なやつあ友達に持ちたくねえってんだ。ジャップて えのはお前、支那州の一つじゃあねえか。」 「そうか。するてえと、キャリフォニヤより遠いか。」 【,さあ、そこまではまだ俺も調べていねえが  。」  学生「君達は困るな。ジャップというのは|布畦《ハワイ》の向うの小さな島だよ。マウント・フジヤマと いうのが国中の面積なんだ。嗤  巡査「それは一ついい学問をした。そこで、どうでしょう、いよいよ日米戦争になりましょう かな。」 「むこうが逃げるんなら、こっちから押しかけてって蹴飛ばしちまえ!」 「やれ! やれ! 俺は断然主戦論だ!」 「どんなにあやまったって許すもんか。何でえ! 馬鹿にするねえ。」 「しかし、ジャップは一体どんな悪いことをしたんだ。」 「そんなこたあどうでもいいや。」 「とにかく、ジャップってえのは好くねえんだそうだよ。」 「そんなら、やっつけちゃえ!」 「おい、俺達連名で、大統領へ開戦要求書を出そうじゃあねえか。」 「結構ですな。」 「賛成!」 「やろう!」 ルンペン「何かね、兵隊になりゃあ寝てても飯あ食えるかね。」 「そうとも! 朝から、厚さ」インチもあるビフテキがつくんだとよ。」 「うわあっ、そう聞いちゃあこてえられねえ。」 ルンペン駈け出す。      第四景 すこし離れた街角。玩具のような美々しい軍服を着た白哲長身、美青年の海軍十官が、 腕に、 「募兵係」という青い布を巻いて、口にメガホンを当てて通行人に|怒鳴《どな》っている。  傍に、|綺麗《きれい》な色刷りの大きなポスタァが懸かっている。」人ふたりと足をとめて、ある者はぽ かんとポスタァに見入り、子守女のようなのが士官を取り巻いてたまらなそうな思慕の視線を集 中している。 政府のお客となって世界を見物し給え。  無料で世界見物する方法。明日と言わず今直ぐ海軍へ! 海の太陽と、熱帯の果物と、港々の 女は諸君のものだ! 無料どころか給金を貰って遊びながら珍しい土地を見て来る。帰って来れ ば話しになるし、女には持てるし、政府の御招待にうそはない。ダンスもキッスも上手になる。 食うに困る者は来れ。楽をして儲けたい者は来れ。失業者にとっては唯一の門。誰にでも出来る 水兵稼業。干客万来大観迎。   一〇ぎ夛0戸¢2碧三  一■<8ヨ巴一誦聿=く20→20聿〜 こういうポスタァである。上に、水兵がダンスしているところや、大砲に股がって|林檎《りんご》を噛じ っている写真、女に取りまかれて笑ってる顔などが、絵入りになっているのだ。  募兵係の十官は、大声に、 「さあさ、いらっしゃい! しゃい\\! 海軍だ海軍だ! うまい物を食べて|身体《からだ》を丈夫にし たい人は海軍へ! でたらめは言はないよ。海にはオゾンというものがあって人体の薬になるね。 この|市伽古《ハ カゴ》の煤煙を吐き出して、オゾンてやつを吸わしてやりたいぜ実際。とてもたまらないぜ。 さあ、早いが勝ちだ。海軍へ! 海軍へ! きょうはあと三人でおしまいにする。」 ルンペン「おう、給料はいくらだい。」 「日給一ドルニ十セント。ほかに色々な歩合いが出る。」 「しめしめ!あっしゃ行くよ。」 「そうれ御覧! どうだい。もう一人英雄ができたぞ。さ、あと二人! 無いか、ないか。」 「私は、眼が片っぽ見えなくて、それに右足が利かないんですがー。」 「なあに、かまわない。採用するとも。さあさ、あと一人だ。一人! ひとりっ! 今日の締切 りまで、もう一人! 締切りは断じて延ばさないよ。あと一人っ!」       第五景  女学生の驂、加の稽古の写真に・「女の子まで動員して対米戦備を固めつつあるジャップ」とい う文句がついて、新聞に出る。  大塚車庫らしい市電ストライキの写真ーー制服の運転手車掌が昂奮して集っている光景ーーに は、「召集令に応じて兵営に駈けつけた予備の日本陸兵、小癩にもジャップ、一戦を辞せざるも のの如し。」  メイデイの行列の写真には、「トキョウに行われたる反米一大デモ! 排米の空気、殺気立っ たる民衆の面上に窺わる。アンクル。サムは呼ぶ、全米国民よ! 武装せよと!」  浅草歳の市の雑踏の写真ー-いよいよ宣戦を決意し、ブタの前に戦勝を祈るトキョウ市民。あ あ自分らの頭上に爆弾飛ぶの日、近きにありとも知らずーーら」  そして最後に、十人の兵十が白人の女に迫っている写真と、一人の兇暴なーー説明によれば、 血に餓えた  兵十が、頑是ない|嬰児《えいじ》の胸に剣を擬し、今や一突きに刺し殺さんとするところ ; この二つの写真が全国の新聞の二面をぶち抜いて掲載された時、|唖米利加《アメリか》中の血はぐつぐつ 音を立てて沸きたぎった。  説明はただ、「この惨!しとあるだけで、日本ともジャップとも書いてなかった。フィックス イット社長は、ちゃんと逃げ路を張って置くことを忘れなかったのだ。が、説明はなくても、写 真をよく見れば、「東洋人の軍人しである。何たる鬼畜の振舞い! |亜米利加《アメリカ》の女と子供を救 え! |切歯扼腕《せつしやくわん》、悲憤慷慨、熱涙湧佗、正義人道のため…ーこんな言葉が米国民の各層を通じて じゃんじゃん叫ばれ、ついに! 「ブラック・ハウスは何をしているかっ!」  となった。 「ステットソンはこの|事実《フ 》に眼を|覆《おお》わんとするのか。国政長官不信任!」  の声は、共和党に、民主党に、上院に下院に、ゴルフ・クラブに、裹長屋に、教会に、ギャン グに、野火のようにあがった。  ブラック・ハウスの前には、熱狂した大群集が|怒濤《どとう》のように押し寄せている。 「0・ !」  じ$△(与論製造会社祉長アイル・フィックスイット氏からの電話で、ブラック・ハウスの一室 に待ち構えていたオゥバァ大統領、ステットソン国政長官の二人は、それっ、頃はよしとブラッ ク・ハウスの|露台《パルコニイ》に現れて、オウバァ大統領が|雲霞《うんか》のような群集に向い、トウキーのような鼻 声で対日宣戦布告を読みあげた。 「しょくうん! ジャップをがんと一つやったろか。」  歓呼。サキセフォンと、バンジョウのジャズで行進を起す綺麗な綺麗な軍隊のオン・パレード。 全国でつく教会の鐘。別れの接吻はレモネイドの味  |斯《か》くして|亜米利加《アメリカ》は戦線へ。