鉄火と詞華と (何故に戦争文学を鼓吹するか) 田口掬汀 明治37年5月 其一、安息は戦闘の報酬  戦闘は我等が生活上第一の手段にして、且つ安息と平和と を購ふ可き資本なり、故に戦闘に拙なるものは、平和を購ふ の資本を作るを得ず、資本なきものは安慰の境に迫遥するを 得ず、安慰の境に迫遥するを得ずんば、遂に美はしき生涯を 遂げん由なきなり。  読者試みに念へ、曾て戦闘時期を経過せずして、よく優者 の地に立てる者ありしか、否、地に生命を享けたる者にして 何者か戦闘線外に立ち得るものかあらん、実に一敵を儘して 一歩を進め、一闘を終りて一歩安息の地に近づくは、地上の 生物が先天的に担へる任務なり、故に言を換ふれば、平和と 安息とは、一の戦闘を終ヘて、次の戦闘に移る間に於て、余 力充実の為に得たる休憩の時間なりとも言ひ得るなり、彼の 偏僻極まれる平和主義を唱導し、世に生存競争の影を絶たん とするものゝ如きは、僅言に所謂石を割つて綿を得んとする もの、其言説の浅果敢なること、一笑の値だになきものな り。読者よ、以下少しく戦闘行為の絶滅し得ざる例証を挙げ しめよ。 植物学者が研究の結果は、地に戦闘の絶滅し得ざる例証を 明らかに我等に説示せり、我等は之に拠りて、単細胞体のア メーパ、バクテリヤ及び微塵子の如き、最下等の動植物にさ へ、激烈なる生存競争の行はるゝを知れり、又た、|解寄生《やどりぎ》、 |菟糸子《ねなしかづら》の如き寄生植物が宿樹を侵略するの状態と、宿樹が自 体の生存を害せざらんが為に、巧に防禦の運動を為す状態も 知れり、更に進みて多くの植物群落(社会)を通観すれば、 同類の掩護、異性の排除、交代生活等の競争戦闘の、不断に 行はる、を窺ひ得るにあらずや、非情の草木にして尚且然 り、されば無限の向上を求めて已まざる人類社会に、如何に して戦闘行為を絶滅し得るの理あらんや、更めて日ふ、我等 は遂に戦闘の線外に立つを得ざるなり。 此の如き地に立ちて心神の安慰を望む我等は、如何にして 平和の地に達せんか、曰く適法の手段を執り、正軌に立ちて 闘ひ進み、而して優者の地に到れるもの|乃《やが》て安慰の光りに接 するを得べし、然り、平和を望む者は、先づ大に闘ふの覚悟 なかるべからず、知らずや、歴史の光りと称するものは、此 戦闘の遺したる磨擦の閃光に外ならざるを。 其二発光の時期 日露干文を交ヘて既に三閲月、自然と遺伝とに因りて、鋭 き戦闘の性を享受せる我国人は、そが天稟の技能を極度に顕 現すへき絶好無上の試験場に立ちぬ、糠慨の声と旺盛の意気 とは早く已に全露の地を揺憾して、絶東帝国の山川草木斉し く奮ひ起つの観あり、しかも我等は其懐慨発奮の強烈なる丈 け、夫れ丈け危険の地に立てるものなるを忘る可からず、実 に此無前の外難は国運の盛衰興廃に|関《かトは》る一大事にして、また 我等が光栄ある歴史の存亡も此勝敗の決如何に|懸《かム》れるなり、 あゝ我等は|如何《いか》にして難関を超え、如何にして閃灼たる磨擦 の光熱を史に印すべき乎、曰く|唯《たご》一語にして|悉《つ》く、我等は我 等の職貞を厳守して、勇往通進するの外なきのみ。 女に余んの|布串《ぬの》あり、男に余んの粟ある時は、国段に民栄 え、甘露園圃に滋しと言はずや、然り戦勝の要義は余力の充 実にあり、軍族に伍せざる民衆は外征の将士砲丸の雨を浴び る間に品於いて、余んの布吊と粟とを作らざる可からず、|紡《つむ》ぐ ものは…臓る可く、蒔くものは刈らざる可からず、而して我等 は鉄と火の光りの中に詞華を咲かしめ、以て沖天の意気と思 想とを堅実の筆に托して、戦闘的行為をなさfる可からず、 之れ我等が担へる先天的の任務にして、掲てゝ同類掩護の生 存上の法則なり。 其三戦争文物 我等は斯く観じ、また斯の如くに思念して、大いに戦争文 学を鼓吹せんとするものなり、名利の外、殿誉の外に立ちて 心の儘に謳ひ且つ叫び、欝勃の感情思懐を大胆に発表せんと するものなり、然れども我等は血に渇くものにあらず、また 戦争の惨禍を謳歌せんとするものにもあらず、しかも今や已 に十万の精鋭嵐の如く凶露の野をさして走り、海内の草木み な之に擁きぬ、一草の細、一木の微を以てして、|克《よ》く之に抗 して立つを得んや、否、我等は揺ぎ得る限り大いに揺ぎて、 其風力と強度とを加へざる可からざる地に立てるなり、我等 の戦争文学を鼓吹せんとする理由は、実に之に外ならず、誤 り解して徒らに奇を好むものと為す勿れ、請ふ以下少しく戦 争文学の何物なるかを述べしめよ。 我がこゝに所謂戦争文学と云ふは、人生の葛藤を活写して 悲壮の美を写せる大作品などを言ふにはあらず、此の如き大 作に接せんことは、固より我等の翔望して已まざるところな りと雌も、さる雄大の作物は之に好当の想と技とを有する才 人が、幾多の時日と幾多の研究とを費して後始めて得らる可 きものにして、戦塵天を掩ふの今、憧々として動き且つ走り 且つ叫ぶ我等の企て及ぶべきことにあらず、我等は読者諸君 と共に、随時感得したる一の事象に対する観察、想像、及び 感興等を少数の文字に托して叙述し、或は熱烈火の如き気を 吐き、或は深刻骨に徹するの語を|列《つら》ね、而して自ら欝懐を散 じ、同好を励まし、若くは慰むるを以て甘んぜんとするもの なり、その之を目して際物とするものありとも、時流に阿ね るの挙なりと云ふものありとも、升は言ふものゝ意に任すベ く、我等は只我等の望む所に饗うて走らんのみ。 其四鉄火と詞華と 然れども記せよ、荷くも詩文に托して感想情懐を漏らさん とするもの、換言すれば文学の天地に立ちて終始せんとする ものは、戦争の為に文学を製するに非ずして、文学の為に戦 争を描くの覚悟を忘る可からず、更に約言すれば文学を以て 戦争の奴隷たらしむる勿れと言ふにあり、一見すれば此両者 の間には何等の差あるものに非ざるが如しと錐も、しかも仔 細に考ふれぱ実に千里の隔あり、下に少しく之を弁ぜんか。 例へば敵状偵察の任務を帯びて、単身危地に入れる猛者が 端なく敵兵の発見するところとなり、孤身奮闘衆にあたりて 勇ましき戦死を遂げたる者を描くと仮定せよ、而して我等は 其悲壮にして凄惨なる事象に感奮して、その光景を描くもの とせよ、此際我等は単に彼が奮闘の状、銃丸雨と降り濃ぎ、 剣戟尾花の如く乱るゝ中に立ちて、苦戦力闘して肇るゝさま を写すを以て、能事畢れりと為すべき乎、否此の如きは、未 だ文学を以て戦争を描ける小詩篇と為すを得ざるものなり、 如何となれば主題の人物の心情は毫も窺ひ知るの便なければ なり、情趣の見る可きものなきは、文学上の作物として一文 の価値なきものなればなり。 斯く言はf或は難ずる者あらん、件の猛者の最期に感奮せ る我等は、其勇ましき最期をさへ活写して示さば、|同《とも》に人を 感奮せしめ士気を鼓舞するを得るならずや、已にして人の情 趣を冗奮せしめ士気を鼓舞するを得たり、戦争文学の目的明 かに達するを得たらずやと、之れ一面如何にも有理の言なる が如しと錐も、然れども、我等は主題の人物の心情を写さf れば、遂に人をして感奮激情の境に導き得ざるものと信ずる ものなり、試みに念ヘ1単に力戦奮闘の状を写したりとす るも、其は果して甘じて敵匁に艶れたるものなるや、将た恐 怖の極夢中になりて戦ひ死せるものなるやを|悉《つく》し得ざるにあ らずや、随うて義に勇みて生死を眼中に措かざる日本の武人 の性格は、毫も窺ひ得ざるにあらずや、また更に士気を鼓舞 9てふ点より観るも、十分の効果あるものとは言ふ可から ず、故如何にとなれば、敵の暴を挙げて味方の義を唱ヘ、言 ひ換ふれば敵を憎悪せしめて以つて士気を鼓舞せんとするが 如きは、固と経世家の執る可き手段にして、文学の徒の択び 採る可き手段にはあらじ、若し我等の描けるものを以て、士 気を鼓舞するの一方便となさんとせば、我等は須らく一歩を 進めて胸奥の琴線を弾じ、人の心自ら鳴りて気自ら奮ふの手 段を執らさる可からざるなり、実に我等の手段及び方便は、 外より叩くに非ずして内より揺憾せしむるにあり、一は他動 にして一は主動なり、我等の作らんとするものは主動の力に 起れる磨擦の光熱なり、戦役の事象を醇化して好個の詩とな すもの、我等の所謂戦争文学なり、鉄火の光りより詩華を探 らんとするもの即ち我等の主張なり。 安息と平和とを求むるものは、来つて我等の言を聞け、文 学を愛するものは我等と|倶《とも》に進退せよ、我等は諸君と\もに 満腔欝勃の気を吐き、自ら慰め且つ励まさん事を期す、諸君 更に記せよ、戦闘は生活上の要義にして、且つ平和を購ふの 資本たることを。 (了)