夏目漱石 英国詩人の天地山川に対する観念 本編は稿者が去る一月文学談話会席上にて講述せる一場の談話にすぎざれど、哲学会書記 諸君の勧めにより、これを本紙に転載することとはなしぬ。おおかたの士その誤謬を指摘し て稿者の蒙をひらかば幸甚。 単に英国詩人といえばとてヽ上アyグロサクソy時代よりヽ下ビクトジヤ朝にいたるまで、古 今千有余年の作家を網羅せんとの野心にあらず。かかるおおげさなる問題は、頃刻の談話に述べ きれるわけのものにあらず。よし述べきれたりとして、不才余のどときもの、もとよりこれを試むるの勇なし。ここにいわゆる英国詩人とは、十八世紀の末より十九世紀の初めへかけて、英国に現われいでたる新詩人にして、それの自然主義(naturalism)と申す運動を鼓舞せる面々をさす。 さて、この主義いかにして文界に出現し、いかにして発達し、いかにして変遷推移嶮しか。クー パーの自然主義は濁世に身を処しがたきために起こり、ゴールドスミスの自然主義は獣性の恬淡なるに基づき、バーンスの自然主義は天皇の至情に根ざし、ウォーズウォースの自然主義は一隻 の哲理的眼孔を具したるによる。などということを、ふじゅうぶんながら、おおざっぱいに論じ去らんと欲す。これこの問題の主眼なり。  しかし、ナチごフジズムすなわち自然主義、とばかりにてはいっこう説明にならざれば、本論に入るに先だって少しくその意義を確かめん。この熟字は申すまでもなく、ネーチュアーよりきたる。ネーチュアーこれを翻訳して自然といい、天然といい、ときにあるいは天地山川と訓ず。人工をからず、ありのままに世界に存在するものか、さなくぼそのものの状況をさすの語なり。されば、これを応用するの区域はなはだ広く、したがってこの字より脱化しきたりたるナチごフジズムの範囲もよほどあいまいなり。まずその限界より取り決めん。  自然主義の範囲いかにあいまいなればとて、もとこれ文学上の一現象なれば、文学そのものよりも広きことあたわず。さらば、その文学の範囲いかんというと、これも人々にて見解区々にて、現にその】フテン原語なるliteratura(Fosnett, Comparative Literature. Chap. I.)という文 字ずら、タシタス、クイyチリアy、シセwの諸家によって、かくその用を異にする由なれば、方今いわゆるリテラチュアーなることばの定義判然たらざるも無理ならず。もっとも、当の問題に緑なき文学の解釈などは、どうでもよきようなれど、自然主義の範囲を定むるにあたりて、文学ちょう文字の限界を知るの必要あるゆえ、あわれその定義の一様なれかしと思えど、かくの次第にやむを丸ず他の方法より文学の区域を定め、したがってその領内に生じたる自然主義の区域をも定めんと欲す。  文学上に出来する事件をどく広く見積もれば、人間界のことか、非人間界のことにほかならず。(これは子細らしく文学について申すまでもなく、すべて吾人思想の及ぶものは、皆この二者の内をいでざるはもちろんながら)さて、非人間界にあって、もっともわれわれの注意をひく ものは、日月なり、星辰なり、山河草木なり。さらば、文学上にもっとも重要なる材料を給する ものは、人間と山川界なり。そこで、かの自然という文字は、ま丸に述べたるどとく、いっさい万物に適用すべきことばながら、特に文学においては、その意義を縮めて、人間の自然と、山川の自然と限画するもさしつかえながらん。  かく自然という字の範囲がほぼ定まる以上は、これより脱化しきたる自然主義なる語も、その 限界を定むること容易にして、やはり人間の天性に従うぢのと、山川の自然に帰するものとの二つと区別するをうべし。虚礼虚飾を捨て天賦の本性に従う、これ自然主義なり。功利功名の念をなげうって丘整の川に一生を送る、これまた自然主義なり。もとよりこの両者の間には密接の関係ありて、互いにあいまって存在するの傾向なきにあらざれど、とにかく自然主義に両様の意義あるは、当時の作家を読むものの疑いをいれざるところなるべし。しかし、奈が今日述べんと欲するは、この自然主義の両面にあらず。単にその一側よりこの詩人らの佞物界に対する観念いかんをうかがい、少しく社撰の管見を陳じて高評を請わんと欲す。日本人は山川崇拝というべき国民ゆえ、この問題は多少われわれにとっておもしろきはずなれど、校課多忙の際ときに暇を盗んで稿を起こしたるものゆえ、価値のなきはもちろん、調べの行き届かざるょり思わざるところに誤謬の存することあらん。  自然主義の意味は、たいがいま丸に述べたるがどとし。また余の問題とする自然主義もたいがい説明したるつもりゆえ、これよりいかにしてこの主義が文界に出現せるかを研究せんと欲す。これを説明するには、まず一歩を進めてこの主義の出現せる以前、英国の文壇はいがなる状況なりしかを察せざるべからず。(M. Pattison, Introductory Remarks on Pope's Poems (T.H. Ward, The English Poets., Vol. Ill, p. 58))千六百六十年王政古に復してより、千七百八十九年仏国改命の変あるに及んで、その間およそ百余年。当時の詩風を総称して巧緻派といい、その時期を呼んで古文時代という。すべてこの間に行なわれたる詩は、一種の性質を帯び、かの自然主義の詩風とは全然その趣を異にし、作家皆巧の一宇をもって影封の目的とせり。巧とは俗にいわゆる言いまわし方のじょうずなる意味にて、詩はただ句を練り、宇を鍛え、経営刻苦して円滑 流暢に辞をつかえば、モれにて能事は終わるものと考えたる当時の詩人の了見にては、言語には調子あり、調子の善悪は文字の配合と順序よりきたるものなれば、百方苦心して音節の喘咬なるを求めざるべからずと、ついには肝心の思想などはそっちのけとなりて、別段深遠なるにも 及ばず、また斬新なるにも及ばず、そのかわり詩法はかくかく、句法はかくかくと、命意の点を 閑却すると同時に、遣辞の末に囮跨として、程造したる詩賦いかんと見てあれば、繊巧細誠の趣 ありて、典麗都雅の体を備えたりといえども、無限の感慨を有する者もとよりなく、絶大の見識 を表するものまたもとよりなく、天真らんまんの気象いつしか消滅して、残れるものは彫虫篆刻 の余技のみ。 かく当時の詩が、文句のうえに斯溶して、侭聯なる詩法に束縛せられ、天然の趣味地を払って むなしくなりたるは、まったく、当時の嗜好により、当時の嗜好は当時社会の風潮にもとづく。 当時社会の風潮はいかに。当時の文壇とともに繁文糾礼の府なり。たとえば、日本の封建時代の ごとく、なにごとによらず一定の儀式ありて、この儀式に通ぜざれば、社会の交際をなすあたわざるどとき風習なりしならん。この虚礼をもって充物せる社会の中心はロンドンにて、当時文学の中心もまたロンドンなれば、詩文の俗界より一頭地を放出して、人性固有の情緒を発揮し、江山流水の美を詠出せんこと、ほとんどかたし。これにくわえて当時はいわゆる文人庇保の時代にて、作者皆知己を有名なる政治家に求め、その助けを得て文事を砕鴎するか、あるいはみずから政治家となりで、その下働きをなすふうなれば、文学は上流社会交際社会の専有物となりで、訟 似に従事する者は、虚社を重んずる風潮を迎えて、その嗜好に合するごとき詩を作り、あるいは さほど堕落せざるも、かかる空気を呼吸して、朝夕俗界中に没了せらるるゆ丸、胸中一団の英気はいつしか消えて、街頭の茶店は渓上の茅屋よりも尊く、王侯の第宅は無限の江山よりもありがたきようになるのは、やむをえざるしだいというべし。(当時の文人が、甘んじて相門に拝趨し、王侯もまた喜んで墨客を優遇せるは、その例枚挙にいとまあらず。ポープはボジンブロークの朋友なり。アジジンはゴドルフィンの知遇によりのちに顕職に上り、トムソンは時の皇太子より百 ポyドの年俸を受けし由。その他ジョyソyがチェスターフィールドに与えたる書のどとき、ク 一フjノがシェルバーンに上って憐を請える文のどとき、皆これを証明するものなり。もっとも、 ロyドyに住する文人は、皆王侯の殊遇を受けたるにあらず、ジ’ンソシのどとき、ゴールドスミスのごとき、その他グラJノ街に籍域する一群の窮才士のどときにいたっては、もとより上等社会の交際ありしといわず。しかし、貧乏すれば貧乏なりに俗気を脱せず、酒肆一杯の飲はるか に江山千里のながめにまさる。彼徒の崩壊もとより仙気なきなり)  当時アy后の朝にあって、詩名一世をおおい、長く文壇の牛耳を執って、一世を代表せる者を アレキサyダー・ポープとす。ゆえに、当時の操賦者が山川界に対していがなる観念を有せしか を見るには、その頭梁たるポープの観念を見るにしくなし。けだし、ポープは山川を詠ぜざるに あらず。景物を欲せざるにあらず。しがれども、そのもっとも意を傾けたるは、交限界裏の光景 なり。勃章無味の議論なり。その傑作と言わるる人論、批評論かよび窺誓編を見ても、その嗜好 のあるところはたいがい察せらるべし。ただ、その牧歌とウインドソー林の二編は、自然に関する作なれども、これとても天地の霊活なる景物に感触して衷情を吐露したりとは思えず。かつその思想にいたってばもとより斬新にして、読者を聳動するの点なし。ポープみすがら批評論中に 英国詩人の天地山川に対する観念 宣伝していわく、    "True wit is nature to advantage dress'd。    What oft was thought, but ne'er so well express'd." と。その意を詞藻の上に費やして、意匠の笥妙なるを願わざるや知るべきのみ。要するに、その牧歌は郊外の牧歌にあらずして、舞台の牧歌なり。編中の牧童は澗花野草の間を徘徊せす。銀燭のもと、柿其の前、申しわけのためかつらをかぶりて羊飼いの茶番をなすがごとし。作者みすから牧歌論({)iscourse on Pastoral)を草して編首に掲ぐ。その窮屈なる、読者をして妙に驚かしむ。そのうえ日本人が読んでいっそうおもしろくなきは、詩中に引き合いに出さるる古名なり。たとえば、ダフニスとかアレキシスとかいう宇を遠慮なく並列し、東洋の読者をしておもわずあくびせしむ。ダフニスはマーキュジーの子にして、羊を牧する者なり。アレキシスは『バージ ざるを光学。相談してその故事来歴を胸中にたたみ込んだところで、いかほど吾人の詩情を刺激 するや。(かけまくもあやにかしこき)などは、訳はわからずとも、なんとなくありがたきここちのせらるるは、まったく幼時よりの習慣にほかならず。とつ、ダフニス、アレキシス何者ぞや。 なんじの素性を知るも、われもとより毫萱の愉快を感ぜざるなり。かつ、その風景を叙するにあたっては、巧を求むること、いよいよ急にして、巧に失することいよいよはなはだし。    "Here .waving groves a chequer'd scene display,    An d part admit, and part exclude the day。    As some coy nymph her lover's warm address,    Nor quite indulges, nor can quite repress." 通読一過すれば、人をして転々比喩の軽妙なるを感ぜしむれど、二読三読のあとは、興味おのず から索然たり。朗唱数番ののちにいたってば、また一点の人を動かすものなし。詩品高からざればなり。  ポープの侍童アジソンは、あきらかに山川の趣味を解したりとおぼしく、『ス。ヘクテートー』第四百十四号に、自然と人巧とを軒軽していわく、後者には浩蕩の景なく、魯賜の気なきがため、 詩情を動かすの点においてはなはだ不足するところあり。人間の細工よしといえども、温籍にし て繊巧なるにすぎず。雄峻博大の気象、観者を絶叫せしむるにいたっては、もとょり自然に待つ なきを先ずと。実に適当の断案というべし。しかるに、わずか数行下にいたれば、語勢急に一転 して、論旨たちまち逆もどりをなす。その言にいわく。なるほど仮山盆地は乱山野水に及ばざるべけれども、天然の真景、人為の小細工に似れば似るほど、興味の加わるものなりと。けだし、アジソンの了見にては、造化の所作が人間の意匠を含めば、いわゆる天人一致の景を生ずるゆえに、その趣味ますます加わると考えしなるべし。されど、その言を論理的に吟味すれば、ふつごうのかどなきにあらず。まず、「天然が人為に似るときは、前者の価値ますます尊し」といえる命題を、子細に思議すれば、その前半には、四個の異なる場合を含むを見るべし。第一、造化人為相似るは、両者の問に相互の意識ありてのことか。やさしく言わば、その似るは、か互いに約束ずくで、きみのまねがしてみたい、よろしいやりたま丸、というような相談あるか。第二は、相方ともむとんじゃくにて、いっこう予約の相談のということなく、突然無意無識のうちに合したるか。あるいは相手の一方はまねたいとの志願あれども、一方にてはおかまいなく、いわゆる片思いの問に成立したるものか。何にもせょ、両者が似る以上は、以上四種のうち、いずれかその一におらざるべからず。今解しやすきため、この四色の場合を表にて示せば左のごとし。    第一天無意、人無意。    第二天無意、人有意。    第三天有意、大無意。    第四天有意、大有意。  右のうち第三、第四は採用しがたきものなり。天に意識あり、自然に意匠ありとは、常識の許さざるところ、たとい常識以外に一隻眼を備えて、天に意志ありと説くも、その意志は大巧に似 んと欲するの意志なるやいなやは、ほとんど疑問外に超脱するの点というべきなり。悦黄の筆意を慕うて扇睨の山突瓦として地球上に現出せりとは、理を解する者のだれしも夢想せざるところ なるべし。されば、右四条のうち許容すべきは、第一と第二のみ。その許容すべき二条の第一は、理図上ふつどうなぎも、実際は万に一つも起こらざる場合なり。たとえば、画師が想像をた くましくして、牡丹のそばに、唐獅子とかいう一種異様な動物を描き、または溌墨淋漓のうち に、竜とかとなうる怪物を写さんに、不思議にも脳裏一団の怪像世間に実在して、暗雲黒雨の際 に隠約として蒼勁鉄爪を認め、眼江端緑の底に全手霖牙を見る人続々あらばとにかく、実際かよ うなものは、あまりどころか、だれも拝見した人なければ、この場合を除去するもさしつか見ながらん。かく四条のうち三条は役にたたぬとすれば、役にたつもの、実際生ずる場合は、第二にほがならず。第二の場合とは、天化人造に似るに意なく、人造天化に似るに意あって、両者の間 に類似の生ずる場合なり。いま少し平たくいえば、人が自然を模擬し、模擬したる結果ついに人巧と自然の間に髪侃たる点をみとめうるにいたりしものなり。そこで、通例修辞上の順序よりい えば、模倣したる者が模倣さるる者に似るというが適当にて、たとえば山陽の蘇東披を模したり ということ判然たる以上は、蘇東披が山陽に似ると言わんより、山陽が蘇東坑に似たりと言わん ほう適当ならん。もっとも、親が子に似るも、子が親に似るも、似るはーなれば、どちらより言 うち、理屈上ふつどうなしといわばそれまでなれども、自然が人巧に似るときは、前者の価ます ます尊しというにいたっては、大いにその意を得ざるものあり。まねらるる者がまねる者に類す 5るゆ丸に、一段の光彩を添うと論じきたる。まねらるる者はずいふん迷惑の話なり。落語家の仮 4声が役者に似たらば、それがために価値の増すは、役者にあらずして落語家にあり。さるを、仮 声がうまきゆえ、役者の値うちが上がるというにいたっては、役者の不平察すべきなり。天地も ともと意なし。もしこれあらば、必ずまさにアヅソンに向かってその憤りを泄らさん。深閑の処女擬して娼妓にふんす。卑賤の婦良家の女に衿式せらる、その栄思うべし。まねらるる者の価 値がまねる者のために生ずるは、ひとりかかる場合にのみかぎる。アジソy自然に対すること娼婦のと泡く、人巧を遇すること良家の女のごとし。その当否はさておき、その大巧を重んじたる は、また疑うべからず。すでに前段においては造化の雄渾琉麗なる遠く人巧に駕すと説きなが ら、末段にいたって、大巧を重んずること造化にすぎたり。矛盾にあらずしてなんぞや。論理的 の筆鋒を用いて定規づめに文人の所説を駁するは惨酷のいたし方なれど、誤ちある以上は是非な し。よし一歩を譲って、この誤ちを等閑に付するも、アジソンが重きを人為の上に置くの分に過ぎたるはおおうべからざるの事実なり。  アジソy、ポープは当時の文豪なり。その天然界に対する感情を見て、他の意志のあるところは、たいがい察するに足らん。なお、その他の例を知らんとならば、Thomas Sergeant Perry,Mountains in Literature, in Atlantic Monthlyしくo1. XLIV, p. 302十を参考すべし。 当時の文人は、おおむね皆かくのごとく、.ほとんど一人も目を天然界に注ぐ者なく、俗気塵気 のうちに生息して得々たりしが、物きわまればかえるの道理にて、ようやくかかる社会に不満をいだき、大巧世界を解脱して、転挨一番ただちに人情の潮頭に帰着せんと欲する者輩出せるもの から、さてこそ自然主義かよびロマンチシズムと称する二つの新象を文壇にあらわすにいたりたるなれ。一は思索の結果にて、歌舞燕遊の楽をすて、置酒商会の小天地を撒脱して、広く江湖に 流し、青山白雲の趣に俗腸を洗い清めんと欲し、一は、歴史的の現象にて、遠く中世紀にさ かのぼり、あまねく返方殊域の人間を捕丸きたりて、世界共通の情緒を詠出せんと欲す。この歴史的研究は、十八世紀の中ごろマクファーソンおよびチャタートンなどが古文書を偽造して一世を隔着せんと企てたるにても明らがなるのみならず、千七百六十五年にパーシーがReliques of Ancient English Poetryとて上代の頌歌を編纂して出版せるを見てもわからん。もっとも、ロ マンチシズムのことは問題外なればさておいて論ぜず。ただし、文学者によるとこの自然主義と ロマンチシズムを区別せず。かつ、余が知るところをもってすれば、「自然主義」と別に標題を 掲げて論じたるは、ゴスの十八世紀文学およびそのほか二、三の書にすぎざれど、余はこの主義 をもって断然゜マンチシズムと区別しヽ密接の関係あるにもかかわらずヽ両者を混合するなから 4んことを望むなり。とにかく、この自然主義がいかにして発達しきたりたるやというに、ま丸に 述べたるどとく、ロマyチシズムの勃興とともに、山川を詠出する詩人ようやく輩出するにいた り、ついにポープー派の詩風を社絶せんとするの勢いを生ぜり。その人々をあぐれば、トムソy、 グレー、コ7=N\ス、ゴールドスミスの諸家にて、ある歴史家(コでヘーと覚ゆ)はこれらの詩人を 総称して、過度の詩人とい光り。けだし、その詩巧緻派と自然派の中間に立つの謂なり。  しかし、これらの詩人をいちいちに評陳せんは、なかなか手数のかかる仕事なるのみならず、 調べも行き届かざるゆえ、そのうちよりー、ニ人を選んで、そのだいたいをお話し申さん。まず第一に来るものをトムソンとナ。この人は、時代よりいえば、巧緻派の詩人に相違なきも、ほとんど、取りのけの姿にて、その詩思別に一機軸を出して、清啖時流を圧せり。されば、レスジー・スチープンもこれを評して、(jcaigiisn i nought in the Eighteenth Century) "He was anouisiaer or mat brilliant Society"といえるくらいにて、その自然を愛したるはI he Seasonsを読んであきらかにこれを知るをうべし。その詩は春夏秋冬の岡部よりきたり、毎部その期節に関するいっさいの風景を叙したる大文字なり。たとえこの大文字なきも、すでに○i a CountryLife のはじめに、    JL iicn-c me ciainours or me smoky towns,    JJLIL nmcii aamire tne bliss ot rural clowns." と詠じたるにても、その嗜好の一斑はうかがいうべし。かつ、その風光を叙するにあたって、古 来の文人がどうも意をとどめざりし山川を描して、斬新の元素を文界に輸人せるは、一見識あるの作家というべし。されば、カンプジヤの山を写しては、    10 where the broken la乱scape, by degrees     Ascending, roughens into rigid hills;     〇'er which the Cambrian mountains, like far clouds     That skirt the blue horizon, dusky rise." といい、またトゥイードの水を引用して、     jfoil, on the banks of soft meandering Tweed,     May in your toils ensnare the watery breed,     And nicely lead the artificial flee,     Which when the nimble, watchful trout does see,     He at the bearded nook will briskly spring:     And, when he's hook'd, you with a constant hand     May draw him struggling to the fatal land." と、さも愉快らしく漁猟のさまを述べたり。こどろみにこれをポープのウィンドソー森中に言える下の数句に比較せん。      `     "In genial spring, beneath the quivering shade,     Where cooling vapours breathe along the mead,     The patient fisher takes his silent stand,     Intent, his angle trembling in his hand:     With looks unm0v'd, he hopes the scaly breed,     And eyes the dancing cork, and bending reed.     Our plenteous streams a various race supply,     The bright-ey'd perch with fins of Tyrian dye.     The silver eel, in shining volumes roll'd,     The yellow carp, in scales bedropp'd with gold,     Swift trouts, diversified with crimson stains,     And pikes, the tyrants of the wat'ry plains."  トムソン、ポープともに同様のことを、同様の詩風にて述べたてたり。ただし、流麗の点よりいえば、ポープ、トムソンにまさるがどとしとい丸ども、飾りけなきところより見れば、トムソンのほうポープに駕せん。それのみならずトムソンの詩は、かかる叙事にて充勁し、そのいたか を愛するの情、油然として筆墨のう丸に表わるるなり。もっとも、一言せざるべからざるは、この男かく自然を愛したりとい丸ども、申さば死したる現象の往来復剥するさまを外面より写しきたって、どうもその内部の活動を会せず。ただ雪が降る。風が吹く。花が咲く。いかがはおもしろし。釣りも自由なれば、猟もかってにできる。さるがゆえに、……grant, ye powers, that itmay be my lot,/To live in place from noisy towns remoteというなり。高尚なる詩想は、なかなかこのくらいのことでは済まず。漸々自然主義が発達するにしたがい、曇物界は活動力な り。天地間には欝勃たる生気あり。など感ずるにいたるなり。  トムソyの自然主義一転すれば、ゴールドスミスの自然主義となる。けだし泰西の文学史宗、この好詩人をもって自然派の中に入れたるはなきようなれど、こはその詩の当時に流行せるヒロイ?\クカプレ″ト(雄連休)を用いて、ポープの故型を踏襲せるによるにすぎず。その意志の向かうところを見れば、泗然として前章と同じからず。これを自然派中の一詩人と呼ぶも、ごう屯不可なきがごとし。しからば、その山川に対する観念はいかん。それの有名なるThe Travel-ler &よびI he Deserted Villageの二編、あきらかにその所思を表出してあまりあらん。けだし、ゴールドスミスの愛する景色はj龍寝の山にあらず、洗浄の水にあらずして、温籍平穏の楽 境にあり。一壷の別天地Where smiling spring its earliest visit paidくAnd parting summer'slingering blooms delayedというようなところにして、その仙郷じみたる景物中には、人物が生息して、しかも安楽無事に閑生涯を送らざるべからず。必ずやThe shelter'*! cot. the cultivated farm, /The never-failing brook, the busy millを具せざるべからず。必ずや軟草逞のごとく、 春草油のごとく、老幼は相携えてその上に遊び、少長座をわかってそのかたわらに座せざるべか らず。さらば、その山川を愛するは、それほど山川そのものを愛するにあらず。山川よく朴柄温厚の民を撫育し、都会の紅塵桃源の仙郷にいたらざるがためのみ。ゆえに、人は主にして、山川は客なり。ただに客なるのみならず、深山大沢無人の境にいたってば、歩をめぐらして徊走せん とす。元来、ゴールドかこスは農業主義を重んじてヽ商売主義ヽ工業主義ヽ下っては訃沁争奪主義、毫厘掛け引き主義をいたく嘆きし人にて、Ill fares the la乱. to hastening ills a prey,/Where wealth accumulates, and men decay ともいい、または Laws grind the poor, andrich men rule the law ともr Hence, should one order disproportion'd grow,/Its doubleweight must ruin all belowとも嘆じ、力をきわめて経済的の世界観を排撃せり。これはあたかもゴールドスミスごろより、現今の政治経済といえる学問がようやく開けて、ジスレジーの言 えるごとく、人間を見ること貨物のごとく、有形的産出物の多寡にて、その価値を判ぜんとするのかたむきを生じたるため、保守主義の詩人のことなれば、あくまでこの風潮にさからったる次第ならん。はたせるかな、ゴールドスミス死してようやく二年なるに、それの有名なる富国論の著あり(千七百七十六年)。著者アダムスミスモの中にしるしていわく。Inat unprosperousrace of men, called men of letters, must necessarily occupy their present forlorn state insociety much as formerly, when a scholar and a beggar seem to have been terms verynearly synonymousと。文人もこじき同様なりと断言せらるればそれまでなり。ゴールドスミスいかに間巷に窮したりとて、こじきとののしられてはあまり心持ちよくあるまじ。さいわいにして富国論に先だって死し、この悲しむべき異名拝見の栄を免れてさえ、その功利説に反することかくのどとし。もし富国論を見たらなにとかいわん。とにかく、ゴールドスミスは、いなかの 生活を愛せし人なり。これを愛したるがゆ丸に、これに伴うて離ナベからざる、田園、村巷、小 川、水車等、一に天然の景物を愛したり。しがれども、人を離れて山川を愛することなきなり。 山川そのものを恋うことなきなり、ポープのどとく、宴席の小天地に囮跨せるにまさること達しといえども、自然を愛すること食色にまさるなどとは、申しがたからん。  トムソyのThe Seasons は無韻休なれど、なお時調に拘束せらるるを免れず。ゴールドスミスの詩思、大いにウォーズウォースに近づけりといえど、その風格いまだ雄連休を脱するあたわず。この厄習を一洗して、詩法崇拝の迷夢を橿破せるものをクーパーとなす。英詩クー。ぐーーにい たって一革命を経たりというも可なり。  クーパーかつてホーマーの詩を訳しけるとき(千七百九十一年)、ある人その草稿を見て、一、 二行を改京せんとしければ、大いに怒ってただちに書を裁してその人に寄せ、まず当時の詩賦は 流麗をたっとびノポープを祖述するにすぎざる由を述べ、かつ言うよう、「:・・されど、もしポープを模して、その真を得ることあたわず。章句の整然たる、格調の円滑なる、かれがどとくなるあたわずんば、まったくこれをまねざるのすぐれるにしかず。まねたる詩には気力なし。皆骨抜きなり。たとい一句なりとも、意味のあることを詠ぜば、それにてわが願いは足らん。全編流暢、聴者の耳を傾くるに足るも、その説くところ、痴人のたわごとに等しきは、わが望むところにあらず」と。かかる気分ゆえ、それの有名なるThe Task中にはDamon, Chloe, Stre-phon, Musidoraなどいう、ふつごうなる古典的の名字を用うることきわめてまれなるのみなら ず、前人のかつて使いしことなき、黄瓜とか、糞尿とかいうきたなき文字を遠慮なく腿列して大 いに得意の色あり。かつ一編の結構などはずいふん乱暴にて、長イスを詠ずると思えば、たちまち田園のけしきとなり。再転すれば、宗教の議論となり。それが済めば、ただちに奴隷問題に移るというように、悪くいえばとりとめのなきくらいなり。詩風すでにこのごとくなれば、その詩想のほどもたいがいば推察しうべし。今その自然に対する詩想を説くにあたって、いささかその出処をつまびらかにせん。 人世に不平なれば、必ずこれをいとう。世をいといて人間を辞職するものあり。小心匠果の人 これなり。世をいといてこれを切り抜けるものあり。敢為剛毅の人これなり。濁世と戦って屈せ ざるものは、もとより勇気なくてはかなわぬこと。五十年の生命をなげうって、みずから徹獣の 55 肉を屠るもの、また相応の勇気を要すべし。かほどの勇気なくして世に立つの才なく、また世を入るるの量なくぼ、いかにして可ならんか。余命を風塵に託して、いながら餓華たるを待つ。こ れ一方なり。残喘を丘墾に養うて、閑雲野鶴に伴う。これまた一方なり。クーパーはこの最後の 策をとりしものなり。これをとらざるべからざるの人物なり。  クーパーは少時法律を修め、長じて腰を斗米に折るの意あり。されど、科第の試験に、心を労することひとかたならず。受験の前夕にいたって、憂惧禁ずるあたわず。ついに試場に足を入れ ずしてやみぬ。かかる内気の人、この険悪なる世に身を処して、立脚の地を得べきか、得べから ざるか。知者はもちろんなり。昧者とい丸どもあきらかにこれを亀トするをえん。顕微鏡の力を からば、一匹のシーフミも捧悪なる豺狼にまさらん。クー。で−は常に顕微鏡を通して、浮き世を観 じたるの人なり。胸中一団の憐情は、これを与うるの愛人なく、これをわかつの親友なく、これ を一宗して自然に供するのやむを丸ざるにいたれり。おのれが満腔の熱血を沸騰して、これを毛穴より射出せしめ、死灰に等しき身を捨つるは、もとより難事にあらず。万鮮の懇情を氷結せしめて、一個の冷血動物となり果てたる人の世をのがるるはまた容易のわざならん。今石仏にもあらず、冷血漢にもあらず、中以上の人情を有せるクーパーが山林に退きたるは、退かんとの心あらざるに、世態人情これを胆っていなかに追い込めたるなり。これクーパーが世を捨てながらアンインを捨てざるゆ丸んなり。オースチンを捨てざるゆえんなり。domestic poet (家内の詩人)と呼ばるるゆえんなり。もしこれを遇するにその道をもってし、丁寧親切いたらざるところなくんば、その自然主義あるいはかくまでには発達せざりしならん。  クーパーの自然主義は、おのれを土台にして発達せるものなり。ゴールドスミスの自然主義は、人を根本にして起これるものなり。殖産興業のみち開けて、貧民その生を安んぜず。湊季風 をなして道心ようやく微なり。ゆえに山川主義でなくてはならぬと説法したるがゴールドスミスにて、その由来するところは、世のため、人のためなり。クー。ツーはまったくこれと異にして、われはわが安心を求むるために、これより浮き世をおいとま申す、俗界の人々はかってしだいにせよ、というが素志なり。その、     "God made the country, and man made the town.     What wonder, then, that health and virtue, gifts     That can alone make sweet the bitter draught     That life holds out to all, should most abound     ‘And least be threatened in the fields and eroves?" と詠ぜるは、単にこれがためなり。ゴールドスミス文を売って銭を得ること若干、帰途こじきに会いてことごとくこれを与えたり。クー。ツーは終身なすところなくして婦人に寄食し、一毫もおのれを裂いて人に資するを知らず。その性すでにしかるなり。  かく言えばとてクー。ツーはけっして不人情の人にあらず。その所為不人情のごとく見ゆるは、有為の気象に乏しきがため、精魂乏しくして、物事に耐うるの力なきがためのみ、おのれを損ぜ ざるかぎりは、たれびとをも愛したるのみならず、その情けは下禽獣に及べり。されば、TheTaskの六巻xne winter Walk at Noonといえる章に、みずからウサギやハトの類と親しくなりて、ごうもおのれを恐れぬさまを寂し、その次に、    j-^ nccui is nard m nature, and unfit    a. v,A juumaii lenowsniD, as being void    ○j. sviiiuainv. and therefore dead alike    _, .~v^ ≪n.a iiieiiusniD Doth, that is not pleased    ≫≫iiii siync 01 animals enjoying life,    . .... ,i--r-ix i nfir n?mnin£>s<3' fliicrmpnt his own." といえり。トムンンr£>禽獣を愛せざるにあらず。その証拠には、夏の郎ヒツジの毛を刈るくだりに、    +. ^cn nut. ve ffenrie tribes, 'tis not the knife    ○~ ^wxxna amugiuer mat is o'er you waved;    _,~, v*o me Lcnuer swain's well-guided shears,    Who having now. to pay his annual care,    Borrowed your fleece, to you a cumbrous load,    Will send you bounding to your hills again." とあれど、全体より評するときは、そのいなかを愛するは釣りができる。釣りができれば、さかなが食える。猟ができる、猟ができれば獣が食える。というような考えだいぶあり。これはずいふんいやしき考えにて、どうも風流の趣あらず。ゆえに、この点に関しては、クーパー、トムソyに一歩を進めたるものというべし。またこの感情バーンスにいたっていかにその極に達せしかは、後段に説くところあるべし。  クーパーの自然主義は、まずこのようなものなれども、いまだその実例をあげざれば、『タスク』中より一節を引証せん。上には動物についてクーパーとトムソンを比較せしゆえ、ここには純粋のけしきについて両人を軒軽せんと思い、これを選ぶこと下のどとし。(または『タスク』の第四巻I he Winter bvenmg中にある雪の景、あとは『シーゾンス』中冬の部にある雪の曇なり)    。'I saw the woods and fields at close of day A variegated show; the meadows green, Though faded; and the lands, where lately wavedThe golden harvest, of a mellow brown, Upturned so lately by the forceful share. I saw far off the weedy fallows smile With verdure not urmrofitable. prazed By flocks, fast feeding, and selecting each His favourite herb : while all the leafless provesThat skirt the horizon, wore a sable hue. Scarce noticed in the kindred dusk of eve. To-morrow brines a chanere, a total chance! Which even now, thoughLently performed And slowly, and by most unfelt, the face Of universal nature undergoes. Fast falls a fleecy shower: the downy flakes I)ascending, and, with never-ceasing lapse Softly alighting upon all below, Assimilate all objects. Earth receives Gladly the thickening mantle and the green And tender blade, that feared the chilling blast,一Escapes unhurt beneath so warm a veil." "The keener tempests come; and, fuming dun, From all the livid east, or piercing north, Thick clouds ascend — in whose capacious wombA vapoury deluge lies, — to snow congealed. Heavy they roll their fleecy world along, And the sky saddens with the gathered storm.    Through the hushed air the whitening shower descends,    At first thin-wavering : till at last the flakes    Fall broad, and wide, and fast, dimming the day    With a continual flow. The cherished fields    Put on their winter-robe of purest white.    'Tis brightness all, save where the new snow melts    Along the mazy current. Low, the woods    Bow their hoary head; and, ere the languid sun,    Faint from the west, emits his evening ray,    Earth's universal face, deep-hid and chill,    Is one wild dazzling waste, that buries wide    The works of man." 今試みに上の二章を比較せんに、 H 読者の想像を動かすところク1バ1のほう大いにトムソンにまさり。クーパーは雪を叙す るにあたって、まず雪前のけしきを写し、中途よりTo-morrow brings a change!なる一転語をくだして、はじめて雪にうつれり。これ白きものを見せるま丸に黒きものを示せるにて、この二段を照応して、読者の胸中に雪という感じを印し、覚えず前後映帯の妙を知らしむ。トムソyにいたってはこの反映なく、したがって読者の感じもさほど強からぬように思わる。  □ 文字の用法および句法にいたってば、クーパーのほう簡易平直なるがごとし。クーパーのEarth receives gladly the thickeningョantleは、トムソンの Tiie cherished tields put ontheir winter robe of purest whiteとなり、クーパーがFast falls a fleecy showerといえば、トムソンはThrough the hushed air the whitening shower descendsと歌えり。降雪を形容してすこぶる妙たるがごとくなれど、とにかく簡の一宇においてはクーパーに及ぼざらん。  同 クーパーの句を読めば、その深く物のあわれを感じたるを見る。y乱te乱er blande, thatfeared the chilling blast/Escapes unhurt, beneath so warm a veilといえば、いかにも自然を気づかえるさまを見るがどときここちす。トムソンのどとく、Low woods bow their hoaryr乱とありては、同じ擬人法には相違なきも、さほどに草木を愛するの状は見えざるべし。  単にこの二章のみをあげて、両詩人の差これにありと言うにはあらねど、その変化発達の一般 を示さんとて妄評を試みたることこのごとし。  自然主義を論ずるにあたって、看過すべからざるものを、バーンスとなす。バーンスがいがな る点において、前輩と異にして、いかかる方向に進んで新元素を輸入せしかを研究せんとするに あたって、記憶すべきことあり。  バーンスぱ貧賎なる百姓の子なh{。もとより完全の敦育なく、古文古詩を弄してその詩想を養 うべきようなし。さいわいに農家に生まれ、鋤雲耕月の余、詩霊が乗り移るところとなり、忽然 として口を開いて天地の美を歌うに、まえに古人なく、あとに来者なし。これ他なし、直接に天 4地の威験に感じたればな‘叱家なきも山あれば足れりこ天地に定主なし・あてどなく野路にさま 6よいて、あくまで自然の楽しみをうけんとは、がれがEpistle to Davieにいうところなり。    Yvimi. mo iiKe commoners ot air,    ≫≫c wcmuer out we Know not where,       nut either house or hall ?    j.ci. imiuie s cnarms, tne lulls and woods,    iiie sweeping vales and foaming floods Are free alike to all." かくまでに山川を愛したるは、その身百姓にて、親しくこれを翫味しうるの地位におりしがた めには相違なきも、その性質の深く物に感じやすきによること、大ならん。元来、自然を形容し、天地を叙するだけなら、別に情けの深からずとも、才気あらばそれにてじゅうぶんなるべけれど、天地自然を楽しむにいたっては、ぜひとふこの性質を備丸ざるべからず。バーンスはその性質を備えすぎたるほどの人なり。前段にクーパーとトムソンを比較して、前者の動植物に対する憐情は、後者にまさる由を述べ、また人間に対しては、ゴールドスミスのほうクーパーよりも情合い深がりしことを説きたるが、今この情バーンスにいたって、いかに変化せしやを論ぜんとす。  ゴールドスミスの社会に対する不平は、単に経済上のふつごうにあり。クーパーの不平は宗数的にて、人間の虚栄は、上帝の憎みたもうところなりと感じたるがごとし。バーyスにいたっては、四民平等という点より、世界を観察して不平の源となせり。三人皆不平なりといえども、その根を掘ればおのおの異なり0 A Winter Night #どを読むときは、The Deserted Village ^似たるところなきにあらざれど、もちろん思想上"A man's a man for a' that" ^どはゴール ドスミスのけっして同意せざる点なるべく、またIne Iwa JDogsなどにはクーパーの主義と似たる場所往々あれど、A Peck o' Maut にいたってば、クーパーのまゆをしかめ、顔をそむくるところあらん。要するに、バーンスの人に対する情合いは、まえの二詩人より一歩を進めて、四海兄弟主義となれるものなり。今この主義を山川界に応用するにあたって、その情いかにして現出しきたれるか。これを説明するがバーンスを論ずるの本領なり。 今便宜のためこれを二段にわがち、H禽獣に対する情、㎢死物’、すなわち花弁草木に対する 情、と区別して論ずべし。  H禽獣に対する情け、あえてバーンスの特有にあらず。クーパーすでにこの傾きを有せるは、前段に述べたるがごとくなれど、バーンスにいたりその愛情数歩を進めて動物を見る、ほとんど人間を見るがごとし。かつて耕耘の際、野ネズミの巣を掘り返したるを悲しんで、これを詠じていわぐ。    "I'm truly sorry man's dominion    nas oroKen iNature's social union,    Anごustities that ill opinion,       Which makes thee startle,     At me, thy poor, earth-born companion,       An' fellow-mortal."  たかが一匹のネズミなり。しかも、穀作に害を与うるネズミなり。今これをとらえて、きみはわが同輩なりという。だれかその新奇なるに驚かざらん。さあれ、生を天地の間にうくる者は、蝶蟻の微といえども、皆有情の衆生なり。たとい万物の霊なりとて、ゆ丸なくしてこれを欧う の理屈やはある。人間何者ぞ。もとよりこれ昌々たる虚栄のかたまり。みだりに地上に践尽し て、これわが所有なりと叫ぶ。不遜もまたはなはだし。情を解するの男児は、吃蚤の血に指頭を 染むるをすらいさぎよしとせず。いわんや天にかけり、地を走るのやからをや。今詩人朋友をもって老凧を待つ。これを笑う者は、情を解せざるものなり。また詩を解せざるものなり。左の数句にいたってば、ますます解するあたわざるものなり。    "Why, ye tenants of the lake,    For me your wat'ry haunt forsake ?    Tell me, fellow creatures, why     Atヨy presence thus you fly ?     Why disturb your social joys,     Parent, filial, kindred ties?     Common friend to you and me.     Nature's gifts to all are free."  これバーンスが、ね紺のおのれに驚いて、拍々として飛び去りしをあわれんで、詠出せるの句なり。ガyやカモを指さしてfellow creatureと呼び、かれらいやしくも世に生息する以上は、人間と等しく自然を楽しむの権利あるを説く。まことに清にあつき人なり。世の中にはカモを見て晩餐を思い出すものあり。ニワトジをながめて食指を動かすものあり。はなはだしきにいたってばステ″キを振りまわし、罪もなき飼い犬に手傷を負せて得々たる者あり。これらのやから は、ただ風流の罪人なるのみならず、皆バーンスの罪人なり。見よや。無寮のウサギを践足にしたる猟人の、いかほど詩人の心をいためしかを。     "Inhuman man! curse on thy barb'rous art,     And blasted be thy murder-aiming eye;    May never pity soothe thee with a sigh,    JNor ever pleasure glad thy cruel heart!"  バーンスの禽獣を愛することこのどとし。なかなかクーパーなどの及ぶところにあらず。ミ″ シス・オジファントは V^nerary nistory ol England 1790-1825, Vol. I, p. 99.)バーンスの A Winter Night とクーパーのiNow stir the fire, and close the shutters fastうんぬんとい える句を比較して、一方は三冬の風雪に戸を閉じ炉を擁し、半椀の茶に詩腸をうるかさんことを 望み、一方は半夜怒風の屋をめぐって叫号するを聞き、側然として戸外に悄立する家畜を思うと 9いえり。両詩人心行きの差、もとよりこのごとくはなはだしからずといえど、その情合いの浅深 6厚薄は、この一点にてもほぼ推知するをうべし。かくまでに動物の心情を思いやるは、英詩人中 まれに見るところなるべけれど、けっしてバーンスのみに限らざるはすでに前段に述べたるがご とし。ただし、その非情の草木をもおのれと同一視するにいたってば、他にその例ながるべし。 されば、 H 一本の野菊を、クワの刃にかけて断ち切りしとき、太くこれをいたみ、詩を作ってこれに 謝していわく。    jVee, modest, crimson-tipped flow'r,    Thou's met me in an evil hour;    For I maun crush amang the stoure           Thy slender stem:    To spare thee now is past my pow'r,           Thou bonnie gem."  これまったく同類に対するの句調なり。すでにネズミをもって人間とし、カモをもって人間とし、ウサギをもって人間となしてなお足らず。一茎の野菊だも、かつ人間をもって遇せんと欲す。その天皇の至情、深く骨髄にしみわたるにあらずんば、なんぞよくかくのどとくならんや。口に平等を説きながら、事に臨んで高下の分を守る者あり。これ理余りあって、情足らざればなり。このやからバーンスの句を読まば、まさに愧死すべし。ただし、バーンスの情けなかこれにとどまらず。    "Ye banks and braes and streams around        lhe castle o' Montgomery,    Green be your woods, and fair your flowers,        Your waters never drumlie! "        *    *    *    *    Ye banks and braes o bonnie Doon,        How can ye bloom sae fresh and fair!    How can ye chant, ye little birds,        And I sae weary fu' o。care! " というを見れば、埴塘樹石に対するも、なお人に語るがごとし。自然主義一方よりその頂点に達したりというべし。  以上の諸例は、皆バーyスの自然に対する感情を示すものなるが、今この諸例を取って吟味するに、一としてアポストロフィー(対話法)ならざるはなし。まず理屈いっぺんに考うれば、人間が向こうへまわして談論を試むべきものは、人間以外にあるべきはずなし。獣は走り、鳥は飛ぶとも、もとよりこれを相手にして語るに足らず。いわんや、花弁草木をや。またいわんや泉石煙霞をや。今この非情の物を捕えて、きみといい、ぼくという。これすでにこれを待つに非情を もってせざるなり。これを人に擬したるなり。これに一団の霊気を付与したるなり。自然主義の極端なり。元来、俗眼をもって天地を見渡すときは、自然ほど冷淡なるものはあらず。なるほど、人間には親殺しもあり。大どろぼうもあり。一方より見れば、きわめてけんのんなるに相違なけ れど、そのかわりには、善人もあり、慈父もあり。孝子もあり。刎頚の友、霜操の妻もあるべし。しかのみならずなんぴとにてもまったく徳義心なきものはあらざるべし。これに反して自然は寸 毫も情を解せず、いかほどこちらより愛情を与うるも、かれよりこれに報ゆるなどということは いっさいなし。ゆえに、俗語にも、盤情を形容して木石のどとしといえり。それ愛は相対なり。  2一脈の霊気ヽ甲を去って乙に入りヽ乙に入るものまた返って甲に入る・われ起動者たればヽがれ 7は反動者なり。与うるところあれば、必ず受くるところあり。動と反動と互いに応じて、恋愛の 念けじめ・て深し。入はこの動と反動とを解するものなり。ゆえに、俗物はただ入を愛するを知る のみ。自然は動を受くることを知る。されど、これを反すことを知らず。これを愛するは石を水 に投じて手ごたえなきかごとし。ゆえに世人は自然を楽しむあたわず。今バーンスこの手ごたえ なきの自然を愛し、察寡忘るるあたわざるは何のゆえぞ。これ自然をもって人間に擬したればな り。人間に擬したるにあらず。人間としか思われざればなり。草木、泉石、花方、側毛、がれが 英国詩人の天地山川に対する観念 障子に入るものは、一として喜怒哀楽の情を具せざるはあらず。すでにこの情を備うる以上は、 われこれを愛すれば、かれまたわれを愛せん。われかれを慾まば、かれまたわれを慕わん。いわ ゆる動と反動の大則彼我の間に行なわれて、しかも普通の人間のどとく、かれを欣い、われを傷つくるの憂いなし、観じてここにいたれば、自然界はだが人間界のごとし。ただし、観じてここにいたると、ここにいたるあたわざるが詩人と常人の差なり。感情鋭く想像深含ことバーンスのどとくにして、はじめてこの境界に入るをうる力り。もっとも、バーンスが用いたる対話法は、西洋文人の慣用手段にて、中にはただ修辞上の方便として、山川に対してなんじとか、含みとか、二人称を用うるものあり。また、たとい心中の深情が文字の上にあらわれてこの対話法となりたる中にも、みずから深浅の区別ありて、その深きものは自然をもって純然たる一個の活動力となし、まったくおのれと同様なりとなせど、浅含ものはこれを愛憐するにも関せず、いわゆる人生のanalogyを広げて、これに及ぼすことあたわず。たとえば、パイロXのAddress to theocean y.、    "Roll on, thou deep and dark blue Ocean——roll!    Ten thousand fleets sweep over thee in vain:"    といえば、「なんじ」と大洋を呼びかけたるにも関せず、第二行にいたれば、あきらかになんじ   すなわち活物といえる性質を存せず。バーンスの「なんじ」はこれに異にして、終始同輩に対す   るの「なんじ」なり。この同輩なる「なんじ」という文字、全詩を貫くがゆえ、自然はけっして機   械的の死物とならず。バーンスの目をもってこれを見れば、いずれも喜憂の感情に支配せらるる   がごとく思わるるなり。すでに自然をもって内界の感じを有するものとすれば、これに対するの石・観念はただに客観的なるのみならず、また主観的なり。これバーンスの前章に異にしてかつて野漱 蛮人に似たるところなり。ただし、野蛮人は自然に驚き、かつこれを恐るるものゆえ、果てはこ− れを目して怪力となし、乱神となすにすぎざれど、バーンスは憐愛の極、ついに天地山川をおの れと対等視するにいたれるなれば、その間には非常の異あるがごとくなれど、その自然を生かす にかいては等しくーなり。ミソロジーr*P詩なり。ジジ″クも詩なり。されど、これを混同するも のは愚なり。二者の異同をつまびらかにするものは、またよくバーンスと野蛮人の区別を知ら ん。  バーンスについで自然主義を唱道せる者をウォーズウォースとなす。ウォーズウォースの自然主義をわかって三とす。H詩体の平易にして散文に近きこと。㎢詩中の人物たいがいば下賤の匹 英国詩人の天地山川に対する観念 夫なること。目自然に対する観念他の詩人と異なること。第一第二は自然主義全体より論ずればずいふん要用なれど、ここに、いわゆる自然主義とはあまり関係なく、かつこれを説くの時間なければ、略しつ、ただ第三節ウォーズウォースの山川に関する考えだけを概略に述べんとす。  さて、ウォーズウォースはいかかる点より自然を観じ、またいがなるところがバーンスど異なるかというに、元来バーンスの自然に対する感じは、ま丸にしばしば述べたるがごとく、単に情の一宇に帰着すれど、ウォーズウォースのほうは、これと趣を異にして、その起因するところを察するに、知の作用に基づくがどとし。バーyスのどとく、山川を遇しておのれと対等なるにいたれば、自然主義もそれにて頂上なるがごとくに見わるれど、ウォーズウォースは竿頭さらに一歩を進めて、万化と冥合し、自他皆一気よりきたるものと信じたり。これすなわち平素の冥見返 捜ょりきたりたるものにて、寂然として天地を観察せるの結果にほかならず。情よりきたるものはバーンスの上にいでがたく、知より悟入するものはウォーズウォースより進むべからず。自然主義バーンスよJ&\深きあたわず。またウォーズウォースょり高きあたわず。老人はウォーズウォースを愛読すべく、血気のやからはバーンスを喜ばん。  ウォーズウォースその"Lines composed a few miles above Tintern Abbev> on revisiting the banks of the Wye during a tour. July 13th, 1798"といえる詩中に、わが山川に関する過去の経歴を述べていわく。昔ここに遊びしおりは、あたかも塵鹿の険を走るに異ならず、山を越丸谷をわたりてあくことを知らず。水声は情欲のごとく余を駆り。山色は食色のどとく余を襲丸 り。この時にあたってただ両眼を開いて、射影に映ずるけしきを見れば、わが願いは足りぬ。必 ずしも無形の楽しみを娶せず。耳目以外の趣味を解せざりき。しかるに、今はまったくこれと異 にして、山光風色すでに余をして抄舞せしむるあたわず。されど、視聴二感の楽しみことごとく 消滅し去ると同時に、さいわいなるかな、他のたまものをうけぬ。すなわち、 心ら And I have felt A presence that disturbs me with the joy ○f elevated thoughts; a sense sublime Of something far more deeply interfused, Whose dwelling is the light of setting suns,And the round ocean an(1 the living air, And the blue sky, and in the mind of man;    A motion and a spirit, that impels    All thinking things, all objects of all thought,    A乱rolls through all things." これなり。ゆえに、余は今にいたって、なお林泉を愛すと。しからば、ウォーズウォースの自然を愛するは山そばだち雲飛ぶがためにあらず、水鳴り石響くがためにあらずして、その内部にー 種命名すべからざる高尚純潔の霊気が、啼賜填充して、人間自然両者の底に潜むがためのみ。バ 1yスは、自然界裏に活気を認めたりとい丸ども、これを貫くに"a spirit" "a force"をもって することあたわず。山はもとより山なり。水はもとより水なり。雌蝶たるものをもって、海浚た るものと混同する意なく、またこれをもって人間と気を同じゅうすると考えざるなり。この一点が両詩人の異なるところにて、一は感情的直覚より、一は哲理的直覚より、ともに自然を活動せしめたるなり。けだし、活動法(spiritualization)は自然主義のもっとも発達せるものながら、前二者の間にてみずから深浅の区別なきにあらず。それ世に不平あって山林にのがるるものは、不平の消するときが山をいずるのときなり。過去の行きがかり(association) Uて自然のありがたきば、行きがかりの滅したるときがありがたみのなくなるときなり。(「スコ″ト」のごとし)第 三にきたるものは、自然のために自然を愛す。自然のために自然を愛するものは、ぜひともこれを活動せしめざるべからず。これを活動せしむるに二方あり。一は「バーンス」のどとく外界の死物を個々別々に活動せしめ、一は凡百の死物と活物を貫くに無形の霊気をもってす。後者は玄の玄なるもの、万化と冥合し、宇宙を包含して余りあり。ウォーズウォースの自然主義これなり。その、    j\nother race hath been, and other palms are won" と詠ぜるは、この境界を歌えるにすぎず。その、    "To me theヨeanest flower that blows can give    Thoughts that do often lie too deep for tears." とい丸るは、耳目のほかに深く感ずるところあればなり。さらば、この幽玄なる思想をどこより得しそというに、赤子の心を広げてすなおに発達せしめたるのみ。左の小詩を読まば、ウォーズウォースの心意はおのずからめいりょうなるべし。    "My heart leaps up when I behold        A rainbow in the sky:    So was it when my life began:    So is it now I am a man。    So be it when 1 shall grow old.        Or let me die!    The child is father of the man:    And I could wish my days to be    Bound each to each bv natural Dietv."  ガメレーこの詩を解剖して、(Handbook of Poetics, p. 48.)H自然に対する純粋の感情。㎢過去の記憶、および感慨より生ずる希望。目感慨の結果、すなわち理屈的約論、の三段となせり。わかりやすくこれを申せば、少時の感はすなわち今日の感なり。今日の感またまさに老後の 感なるべし。ゆ丸に小児はおとなの親なり。天皇の性情一貫して搦條より蓋棺に及ぶという主意 なり。もしよくこの心を開発して、その真相を看破せば、天地の精と合して、わが永劫不滅なるを感ずるに足るべし。これウォーズウォースがIntimations of Immortality from Recollectionsof early Childho乱を作って、文壇の偉観をなせるゆ丸んなり。 いま一つバーンスとウォーズウォースの異なる点をあぐれば、この両人が自然に対する消極と 積極の差なり。消極とは、胸裏不平の情、ぴいて自然の悽楚なるところにおよび、積極とは心中 愉快の念発して天地の琉麗なる点と結合せるをいうなり。ゆ丸に、バーンスを読めば、践宕沈貰 にして、悲惨の音多く、ウォーズウォースを読めば、高遠のうち、おのずから和気の淡然たるも のあり。これもとより両詩人性質の差に根するに相違なきも、その境遇もまたあずかって大いに 力ありというべし。それバーンスは礦世の才なり。しこうして、天下これを知らず。天下これを 知って、遇するに天才をもってするあたわず。身分は百姓なり。金はなし。むなしく無限の感慨 をいだいて、野店村廬の間に酪酔するのみ。されば、その胸裏には、おのれ世に賊せられたり という感情、常に往来したるがごとし。かかる感情を有して自然をながめなば、天地のうるわし き現象は眼中に宿らで、眸中に集まるものはことごとく可憐の状況のみならん。たとえ詔光忽来冲融の気おのずから瞳底に映ずるも、いたずらにこれをわが身の上に比べて、うたた不幸の念 を増さしむるにすぎず。ウォーズウォースはまったくこれに異なり。その主義とするところは、rlam living a乱nigh thinking" ^.ありて、もとより俗界を眼下に見くだしたれば、かれの虚栄をたたかわすやからを見て、気にさわるのなんのということなし。これにくわえて、富めると いうにあらねども、衣食に事欠くほどの貧乏にてもなく、山林に逍遥して自由に自然を楽しむくらいの資産を有せしゆ丸に、その外界に対する観念もしたがって和風麗日に接するがごときここちのせらるるなり。ちょっと例をあぐれば、その野菊を詠じたる何にも、    "If to a rock from rains he fly,    Or, some bright day of April sky,    Imprisoned by hot sunshine lie        Near the green holly,    And wearily at length should fare;    He needs but look about, and there    Thou art!—a friend at hand, to scare        His melancholy." とあり。これをバーンスの野菊の詩と比較せば、読者一読してわが言の虚ならざるを知らん。  以上の談話を約言すれば、Hポープ時代の詩人は、直接に自然を味わわず。古文字を弄してその詩想を養いしこと。㎢ゴールドスミス、クーパーは、自然のために自然を愛せしにあらざるこ と。および、トムソンの自然主義は、単に客観的にして、間々殺風景の元素を含むこと。目バーンスは情より、ウォーズウォースは知より、ともに自然を活動力に見たてたること。および、自然主義はこの活物法にいたってその極に達すること等なり。  右のほか、スコ?\ト、バイロン、シェレー、下っては・フスキンにいたるまで、皆この運動に関係あれど、あまり冗長にわたるゆえ、今日はこれにてやめ、また他日研究の結果をか聞きに入るることあるべし。                           (明治二十六年三月—六月『哲学雑誌』)