草平氏の論文について 夏目漱石 三月九日の本欄に出した草平氏の自然主義者の用意という論文の中に、余の『創作家の態度』 という論文を引いて、 「すこぶる明快で異論をはさむ余地のないもの」と断ぜられたのは、感謝 のいたりであるが、その次に「すべて主義または説というものは、それが科学の基礎のうえに置 かれている間は、たいてい異論がない」と概論せられるところがちょづとわかりにくかった。事 実問題として考えても、科学的に基礎を有していると巨せられている主義や説がしじゅう論争の 点になることはいくらでもある。かのダーウィニズムだって、異論をはさむ余地がなかったら今 日のように発展するわけがない。しかし、これはまだいいが、その次のところへ行って、草平氏 は主義も説も「哲学のうえへ移されてこそ、はじめて議論を生ずるものである」と付加されたの は余にとっていよいよ難解である。いったい草平氏は科学と哲学をどう区別してψらるるか、余 はこの一句を読みながらせつに承りたくなった。範囲の差か、取り扱い法の差か、もっと根本的 なあるものの差か、いかなる新因数が加わって、科学的に異議なしと認めらるるものの、急に哲 学のうえに移されると異議が生ずるのであるか。  その哲学のうえまで持っていかないところが余の持論だと、草平氏はわざわざ断わっておらる るが、すでに草平氏の科学哲学の区別が判然しない以上、余自身は氏の説を肯定するわけ-にも、 否定するわけにもいきかねる。したがって、哲学の方面へはいらないのは、余の持説でもなんで もなくなる。  余は余の人格を支配する意見、もしくは余の人格全体を支配するにいたらざるほどの意見を、 (単なる意見として)発表するために、理知を重んずる余の精神にかなうような表現法を用いて、 世に問う考えはあるが、それが科学的と哲学的なるとを論ずるのいとまは今日までいまだかつて 有しなかった。また、その意見に理情両面のいずれかにわたって、陥欠ありとすれば、余の意見 そのものの空疎なるか、放漫なるかに基因するものと信じて、これを科学哲学の区別から生ずる 」とはいまだかつて思いいたらなかった。  しかし、もし哲学という字をメタフィジックの意味に解釈して、カントその他の唱道した一 派の学問をさすならば、草平氏のいわゆるそこまで行かぬのが漱石の持説であるという文句は、 まさに妥当である。余は余に関し、社会に関し、人間に関して、いまだかつてかれら一派の純正 哲学者のうんぬんする絶対とか、無限とかいう意義を使用する必要を認めたことがない。いわん や、自然主義を論ずるにおいてをやである。草平氏の胸に響くと感服せられる安倍能成氏の自然 主義論といえども、そんなメタフィジカルな点は少しも認められないようである。してみると、 草平氏の胸に響くという哲学的な議論とはいかなる意味において哲学的なるかがいよいよ承知し たくなる。氏のいわゆる哲学とは、あるいは哲学にあらずして宗教(宗教学にあらず)に近いもの ではないか。  余は余の境遇上、職業上、比較的世間の人の目にとまるようにしばしば筆を執っている。した がって、余の意見、主張、その他に関して誤解を招くことはなんべんでもある。しかし、そうい ちいち弁解するほどの必要も認めないから、たいていはそれなりにしてある。しかし、朝日文芸 欄は余の担任だから、その紙上で草平氏が、余の持説はこうであるの、なんのと論ぜられると、 氏と余の関係上、余は余の担任する欄内において、余に関する誤解を黙認したと一般になって、 後日意見を発表するときのじゃまになるから、この際一言して力きたいと思うのである。  余は文芸欄の担任記者として、欄内に掲載する文字にはたいてい目を通しているが、草平氏の 原稿が遅れたため通読の機会を得ずして、すぐ直接に編集へ回されたため、ついこういうことを 公にいうようになった。それでなければ、以上の諸項についていちいち氏と押し問答をして、裏 面でらちをあけるはずであった。                          (明治四十三年三月十八日『東京朝日新聞』)