『トリストラム・シャンデー』 夏目漱石  今は昔、十八世紀の中ごろ、英国にローレyス・スターyという坊主住めり。最も坊主らしからざる人物にて、最も坊主らしからぬ小説を著わし、その小説のおかげにて、百五十年後の今日にいたるまで文壇の一隅に余命を保ち、文学史の出るごとにTへージまたは半。へージの労力を著者に与えたるは、作家スターンのために祝すべく、僧スターンのために悲しむべきの運命なり。 さあれ、スターンをセルバンテスに比して、世界の二大諧謔家なりとい丸るは、カー・フイルな り。二年の歳月をあげてその書を座右に欠かざりしものはレ″シyグなり。がれの機知と洞察とは無尽蔵なりとい丸るはゲーテなり。生母の窮を顧みずしてロバの死屍に泣きしはバイロンのそしれるがどとく、こっけいにして誰誰ならざるはサ″カレーの難ぜしがごとく、バートン、一フベ レイを剽窃すること世の批評家の認識するがごときにせよ、とにかく四十六歳の顔齢をもっては じめて文壇に旗幟を翻して、在来の小説に一生面を開き、さしまねいで風鹿するところは、英に てはマ″ケンジーの『マン・オフ・フィージング』となり、ドイツにてはヒでヘルの『レーベン スロイフヘ』となり、今にいたってセンチメンタル派の名を歴史上にとどめたるは、たとえ百世 の大家ならざるもまた一代の豪傑なるべし。  僧侶としてかれはその説教を公にせり。前後十六編、今収めてその集中にあり。されども、こ れは単にその言行相背馳してありかたがらぬ人物なることを後世に伝うるの媒となるのほか、出 版の当時いささか著者の懐中を暖めたるにすぎねば、もとよりがれを伝うるゆえんにあらず。怪 4癖放縦にして病的神経質なるスターンを後世に伝うべきものはヽ怪癖放縦にして病的神経質なる 8 『トジストラム・シャyデー』にあり。『シャンデー』ほど人をバカにしたる小説なく、『シャ ンデー』ほど道化たるはなく、『シャンデー』ほど人を泣かしめ、人を笑わしめんとするはな し。  この書けけじめ九巻にわかちて天下に公にせられ、題して『トジストーフム・シャンデー伝およ びその意見』といえり。されば、なんぴとにても、この九巻の主人主はシャンデーという男にて、 巻中絹大のこと、皆この主人公に関係ありと思うべし。ところが、実際は反対にて、主人シャン デーは一人称にて、「余が」とか「われは」とかいうにもかかわらず、なかなか降誕出現の場合にいたらざるのみならず、ょうやく出産したがと思えば、話緒は突然九十度の角度をもって転握すること一番、いつ垂直線が地平線に合するやら、読者はただ鼻の穴になわを通されて、いじわるき牧童にひきずらるる小牛のごとく、野ともいわず山ともいわず追いたてらるる苦しさに、さてはシャンデーをもってこの書の主人公と予期したるは、こなたの無念にて著者のあやまりにてはなかりき、と思い返すにいたるべし。主人公なきの小説は、もとよりおもしろき道理なし。ただし、サ″カレーの『バニチーフェアー』ばかりは、著者みすがらの言えるごとく、この種の小説 に属すべきものなれど、さりとて『シャンデー』のごとく乱暴なるものにあらず、可憐なるアミ リヤ、執拗なるシヤープ、順良敦朴なるドビンより、傲岸不屈の老オスバーンにいたるまで、甲 乙順応の差別こそなけれ、等しく走馬灯裏の人物にして、皆一点の紅火を認めて、この中心を回転するにすぎざれば、たと丸主人公なきにせよ、一巻の結構あり、錯綜変化して終始貢通せる脈絡あり。『シャンデー』はいかん。単に主人公なきのみならず、また結構なし、無始無終なり。尾か頭かこころもとなきことナマコのどとし。かれみずから公言すらく、われ何のためにこれを書するか。すべからく、これをわれらに問え。われ筆を使うにあらず、筆われを使うなりと。玩読 小話筆に任せて描出しきたれども、層々相依り前後相属するのほか、一毫の伏線なく照応なし。 編中二ご二主眼の人物にいたっては、もとより指摘しがたからず。シャンデーの父は黄巻堆裏に起臥して、またその他を知らず。おじトビー(リー・ハントのいわゆる親切なる乳汁の精分もて作り出されたるトビー)は園中に堡泰を築いて敵なきの防戦に余念なく、その他には不注意不経済なる憎ヨリ″クあり、一瞥老士官を悩殺せる轜婦ウ?\ドマンあり、皆これ巻中主要の人物な しんれども、かれらは皆自家随意の空気中に生息して、いささかの統一なきこと、あたかも超人と秦じん 人が隣合わせに所帯を持ちたるがごとく、風する馬牛も相及ばざるの勢いなり。かつて聞く、往 時西洋にて道化を職業として、大名豪族のお伽に出るものは、いろいろの小片を継ぎ合わせたる衣装を着けたるが例なりとか。シャンデーはこの道化者の服装にして、道化者自身はスターンなるべし。 この道化者は、この異様の書きぶりをもっ て、電光石火のどとく吾人の面目を燎爛しながら、 すこぶる得意とたって弁じていわく、わが数ば話頭を転じて、言説多岐にわたるは、諸君の知るごとく少しもふつごうなきことなり。大英国の作家にて横道に入ること余のごとくしきりなるはたく、はずれたままにて傑人すること余のどとく遠きはたし。されども、家内の大事務大事件 は、るす中にても渋滞なく裁断処理しうるよう用意万端整わざるなしと。またいわく、余の話頭は転じやすし。されどもまた進みやすしと。吾人はその転じやすすぎるに驚くのみ。進みやすきにいたっては、いずくんぞこれを知らん。  この累々たる雑談の中にて、もっとも著明なるはヨジ″クの最後、ス}フウケyベルギウスの 話、悽楚なるル・フェブルの逸事、噴飯すべきクリのゆく丸等にて、個々別々のものとして読む ときはすこぶる興味多けれど、前を望み、うしろを顧みて、ある連絡を発見せんとすれば、呆然として自失するのほかかし。しかも、これ作者最も得意の筆法にして、現に第ハ巻のある編のどときは、冒頭に大呼していわく、天下に書物を書き始むるの方法はたくさんあるべけれども、わが考えにてはわれほど巧者のものはたしと思う。ただに巧者なのみならず、またすこぶる宗教的なりと思う。なにゆ丸と問いてみたまえ。第一句めはとにかく、自力にて書きおろせど、第二句めよりはひたすら神を念じて筆のゆくに任じてその他を顧みざればなりと。第一巻二十三編にいわく、われてたらめにこの編を書かんと思う念しきりなり。よって、書き流すこと下のごとしと。下にいできたることがらはたいてい予想すべきのみ。かかる著者なれば、厳格なる態度と、ましめたる調子とは、とうていのそむべからざるはもちろんのことにて、現にスターン自身を代 表せる綸巾の人物と目せられたるョn勺クを写し出すには、左の言語を用いたり。  ョnふクときとしてはその乱調子なる様子をもって、厳粛をののしってふらちのくせものと呼 び、厳粛とは心の欠点を隠蔽する奇怪なる身体の態度なりちょう、昔仏の才人某が下したる定義 を崇拝し、願わくは金字をもってこの義をぬわんなど、不注意にも人に漏らすことあり。  ナでにまじめをいとう以上は、泣かざるべからず、笑わざるべからず、中庸を避けて常に両端をたたかざるべからず。  スターンが書中には、笑うべきこと実に多し。そのもっとも単簡なるものは、できうべからざることを平気な顔色にて叙述するにあり。たとえば、ョn’与クの作れる説教を読めと命ぜられた る軍曹トジムが、いがなる身繕いしてがれらの前に立ちしか、スターンこともなげにしるしてい わく、がれは体の上部を少しく前方に屈して立てり、このときがれの姿勢は地平面上に八十五度半の角度を描けりと。おえて問う、半とはいずこより割り出したる計算なるか。  次には無用の文字を遠慮なく腿列してはげからぬことなり。たとえば、A、B、C、D、E、F、G、H、I、J、K、L、M、N、O、P、Q等の諸調馬に騎して整列するを見るときは、などいうがごとく、なにゆえAよりQ十六字をみだりに書きたてたるかは、奇を好む著者のほか たんびとも推測しえざるべし。  次に笑うといわんよりは、むしろ驚くというほう適当なるべきは、常識の欠乏せることなり。  『トリストーフム・シャンデー』を間きてまず一巻より二巻にいたり、順次に読了して九巻にいたれば、そのうちに二枚の白紙あるを認めうべし。この二枚は巻末巻首の余白にあらずして、蔵頭に第○○編としるせるを見れば、あきらかに白紙をもって一編と心得べしというの意なるべし。心をもってtabula rasa y.比したる哲学者あるを聞きぬ。いまだ白紙をもってー編となせる小説家を間かず。これあるはスターンにはじまる。しこうして、スターンに終わらん。  白紙けなお可なり。興に乗じてふざけるときは、図を引き、線を画して、言辞の足らざるを説明することさえ辞せず。「人間にして自由なる以上」はと、トジム大呼してつえをふるう。その状左のどとし。  「一巻より五巻にぃたるまで、わが説話の方法はすこぶる不規則にして、すこぶる曲折せり。第六巻にぃたらば、つぃに直線たるをうべし。今その経過のありさまを曲線にて示せば、左のごと くなるべし」と、図あり、これを掲ぐ。  ウォルター・シャンデーの奇想にいたってば、真に読者をして微笑せしむべく、絶倒せしむべく{満案の哺を噴せしむべし。ウォルターは人の姓氏をもって吾人の品性行為に大関係あるものとせり。その説にいわく、ジャ″クとジアクとトムとは可もなし不可もなし、中性なり。アンドジュースにいたってば、代数におけるマイナス的性質を有す。Oよりも不善なり。ウイリアムはなかなかよき名なり。ナムプスは言うに足らず、ニ″クは悪魔なり。しがれども、あらゆる名字中にて最もきらうべく、いやしむべきは、トジストーフムなりと。ときとしては非常のけんまくにて、相手を詰問すらく。古来、トリストーフムなる人にて、大事を成したるものあるか。あるまじ。トジストーフムー・ できるはずがないと。ウォルターまた古書を愛読す。その妻懐胎して据中に 伏するとき、しきりに虫ばみたる産学書を参考熟読して、もってその薙奥をきわめ丸たりとなす。 その説にいわく、胎内の小児をさかさまにして足よりさ吉に引き出すときは、前脳後脳のために圧迫せらることなくして、後脳のほう前脳に府搾せらるるにすぎざれば、危険の恐れなくしてすこぶる安全なりと。これより種々研究のす丸、子を産むに最もだいじょうぶなる方法は、母の腹部をたち割るにありと断定し、数週間いろいろ屈託して考えたるのち、ある日の午後ついに細君に腹部切開の法を物語りけるに、むろん賛成と思いし産婦はみるみる顔色を変じて死灰のごとくなりければ、残念ながらせっかくの手術も施すに由なくしてやみぬ。  トビーの真率にして無知なるに反して、ウォルターのひとりして学者めかしたる、また読者をしてしばしば失笑せしむるに足るものあり。ウォルターの子外国に死して、その報家に達するや、ウォルターその弟トビーを顧みて、さももったいらしく説吉だしていわく、「これ免るべからざるの数なり。マグナ・カータの第一条なり。変ずべからざる議会の法なり。もしわが子にして死なざれば、その時こそ驚きもすれ、死したりとて驚くことやはある。帝王も公子も死なねばならぬが浮き世なり。死は天に対して借銭を払うにすぎず。租税を納むるに異ならず。永久にわれらを伝うべきはずの墓硝さえ、記念碑さえ、この租税を払いつつあり。この借銭を返しつつあ るではなきか。富の力にょり、技術の力にょりて成れる世界の最大記念碑三角塔さえ、頭がはげて地平線上にころがるではなきか。国も、郡も、部も、町も、、皆ことごとく進化するではないか」進化という語を聞きて、おじトビーはキセルを下に置きて、ウォルターを呼び止めぬ。ウォルターはただちに正誤したり。「いや、変化の意味じゃ、変化というつもりじゃ」「進化では通じませんょうで、少しもわがらんと思います」「しかし、このたいせつなところで、横合いからロを入れるなどはノなおなおわがらんではないか。後生だから、頼むから、この肝心のところだけやらしてくれ」かじは再びキセルをかみぬ。「トロイはいずこにあるか。シーブス、デロス、ないしはバビロン、ニネブエ、太陽の照らすところで最も美しかりし国は皆滅びて、残るはむなしき名のみではないか。その名まえさえさまざまにつづりモこねて、ついに忘れられるであろう。聞けやトビー、世界そのものもついには破壊することあらん。われアジアより帰るとき、レジナより海に航してメガーフヘ渡るとき、(いつさょうなことがあったかと、トビーはひそかに不審なり)、まなじりを決して周囲の地を見たるに、レジナほうしろにあり、メガーフは前にあり、ピレウスとコリンスは左右にあり。繁栄無双と称せられたる通邑大部は、落莫として往時の光景 を存ぜず。ああ、ああ、かかる壮厳のものすら、土中に埋没して眼前に横たわるを、一人の子に先 立れたりとて、なんじょうわが心を乱すべき。なんじも男たらずや。男なりとひとりおのれに語 りたることさえありき」質直なるトビーは、この感慨はまったくウォルター自身の感慨にて、昔 サルピシアスがタリーを慰むるために書ける予紙を暗唱していることとは夢にも知らねばハやが てキセルの先にてウォルターの手をつっつきながら問光り。「ぜんたい、それはいつごろの話で、 千七百何年ごろで」「千七百何年てもない」「そんなことがあるものですか」「エエ、わからぬ やつだ、紀元前回十年のことだ」  ウォルターはいわゆるベーコンの学者にして愚物(Learned Ignorance) なるもの、トビー即 3ちグレーのいわゆる無知にして幸福ならばヽ賢ならんと欲するは愚なり (Where ignorance is  9bliss, / 'Tis folly to be wise)と言光るにちかからんか。  されども、この順良なる、むじゃきなるトビーすら、一度スターyの筆に上れば、一癖持たね ば済まぬこととみえて、この人日夕身を築城学の研究にゆだねて、なかなかその道の達人とぞ聞 こえし。マルクスはさらなり。ガリレオよりトリセリアスにいたるまで、一として通暁せざるは なく、精密なる弾道は放物線にあらざれば双曲線なること、裁錐の第三比個数の弾道距離に対す る比例は、投射角を倍したる角度の正弦と全線との比例のどとしということなど、皆がれが研疑 究明し丸たるの結果なりとぞ。さてもこの男の科学的思想は、ウォルターの哲学的観念と相反映して、いずれ劣らぬ学者たるこぞだのもしけれ。ウォルターの時間を論ずるくだりにいわく。時は無限の中にあり。無限を解せんには時を解せざるべからず。時を解せんには、沈思黙座して満足なる結果を得るまで、吾人が時間に対していかかる観念を有するか、と究明せざるべからずと。この弟にしてこの兄あり、双絶というべし。  スターンの諧謔は往々野卑に流れて上品ならざることあり。それのフューテトリアスとクジの話のどときは、その好例なりとす。「ある学者のー群なにごとかありて一堂に会食しけるおり、いがなる機会にや、卓上に盛りたる焼きグリの一個、忽然ころころところげて、まっさかさまにフューテトジアスのズボンの穴におどり込みぬ。この穴はジョンソンの英字典をなんべん捜しても見いだしうべからざる穴にて、上等社会にあっては、一般の習慣として、ジェーナスの神扉のどとく、少なくとも平時は開放厳禁の場所なりき。しかるところ、最初の二十秒ほどは、この落ちグリ微温を先生の局部に与えて、がれが愉快なる注意をここに引くにとどまりしが、漸々熱度増進して、数秒ののちにはすでに普通一般の楽しきここちを通過し、果ては非常なる勢いをもって猛烈なる熱気と変化しければ、先生の愉快は俄然として激性の苦痛となりおわりぬ。この時フ ューテトリアスの精神は、がれの思想、がれの観念、かれの注意力、判断力、想像力、沈考力、決行力、推理力とともに、一度に体の上部を去って、局部の急にかもむきければ、かれの脳中は、むなしきことわが財嚢に異ならず」このこっけいは野卑なれども、むじゃきにしてすこぶるおもしろし。たと丸学校の教科書としては、不適当なるも、膝栗毛七変人などよりはがえって読みよきここちす。けだし、スターy集中にあって諧謔の佳なるものか、英語を解する読者これを取って、下に掲ぐるだじゃれと比較せば、優劣おのずから判然たらん。「愛という情をいろは順で並べたらば、こうもあろうか」    Agitating,    Bewitching,    Confounded, Devilish affairs of life。Extravagant, rutilitous, Galigaskinish, the most     Handy-dandyish,     irancundulous,     (there is no K to it) and     i^vncai or an numan nassions: at the same time the most     iviisgiving.     IN in ny hammering,     OFtipating,     rragョatical.     otndulous     Ridiculous これを見ておもしろしと感ずる人もあるべし。われはただその労を謝してやみなん。  以上はスターンの諧謔的側面なり。よく笑うものはよく泣く、スターンあに涙ながらんや。 『トジストーフム・シャンデー』を読んで第一に驚くけ、涙という宇の夥多なるにあり。「尊むべ き悦喜の涙は、かじトビーの両眼にあふれぬ」といい、コ涙はがれの両ほかを伝わりぬ」といい、 「悌涙泌詑たり」といい、コ涙淡々としてぬぐういとまあらず」といい、関して数葉を終わらざ るに、義理にも泣かねばならぬここちとなるべし。しこうして、その最も泣かざるべからざるところは、九巻のうち二、三ヵ所ほどあるべく、そのトビーの旧友ル・フェブルの死を写せるー段のどときは、種々の文学舎に引用せられ、すこぶる有名なるものなり。されども、余が最も感じたるは、ョリック法印遷化の段なり。この僧病んでまさに死なんとするとき、その友人にユージニアスなる者ありて、決別のためとてといきたる。さまざま慰問のあいさつなどありたるのち、病僧は左の手にて、ようやくにわがかぶれるずきんを脱ぎ、願わくは愚僧の頭にが目をとめられよ、という。なにどとの候ぞ、別段変わりたる様子もなきに、と答うるに、否とよ、愚僧の頭はゆがみて侯、もはや物の役にたつべしとも存じモうらわず。ぴきょうなる・:等は、暗に乗じて手痛くも愚僧を打ちすえ、ど覧のとおりこの頭を曲げ侯。かくなるう丸は、たと丸天より大僧正の冠があられのごとくしげく降るとも、とうてい某の頭に合うものは一つもこれあるまじくと存じ侯と、嘆息の言さえ今は聞き取れぬくらいなり。哀れむじゃきなるョn七夕よ、なんじが茶番 的なる末期の述懐は、わがなんじに対する愛憐の情をして、一瞬の間に無量ならしめぬ。われなんじが言を聞きて微笑せり。されども、わが微笑せるは、なんじのために万鮒の涙を笑後にそそ がんためなり。ョリックは今頭を傷つけらるるの憂いなく、静かにその墓中に長眠するならん。ユージニアスががれのために建てたるモまつなる白大理石の碑面には、「ああ、あわれむべきョジ″ク」の数字を刻せるのみという。  スターン、ョジックの死を叙するとき異様の筆法を用いていわく、「天命はたちまちにしてまた去りぬ。もやはきたりぬ。脈は鼓動しぬ、止まりぬ、また始まりぬ、激しぬ、再び止まりぬ、動きぬ。あとは?書くまじ」かかる筆法は、ときどきディフケyスにおいてこれを見る。好悪は読者に一任するのほかかし。(文体のことはここには論ぜざるつもりなれど、ついでなればー言す) スターンの神経質なるはまえに述べたる批評にてたいがいば言い尽くしたるつもりなれど、なおー例をあげてその局を結び、それよりその文章についてー言すべし。  トビー一日食卓に着き、晩髪のはしを下さんとせるとき、いずこより飛びきたりてか、一匹のハエは無遠慮にも老士官の鼻頭にとどまりぬ。追えば去りぬ。去るかと思えばまたきたりぬ。紙のごとき両翼を鳴らして、ブンブン鼻の端を飛びまわりて、わずらわしきこと言わんかたなければ、さすがのトビーもめんどうと思いけん、大手を広げてこの小動物を掌中に椎し去るよと見えしが、殺しもやらず、おもむろに窓を開き、ねんごろに因果を含めて放ちやる。辞にいわく、す べからく去れ。われあ光てなんじを殺さじ。なんじが頭上のー髪だも傷つけじ。去れや、か九んの小麿。われいずくんぞなんじを殺さん。蒼天黄土なんじとわれとを入れて余りありと。放たれたるハエは感泣再生の恩を謝して去りしやいたやを知らず。老いたりとい光ども軍籍に列する身を持ちながら、一匹のハエを傷つくるだに忍びえざるトビーを描出したるスターンの心情こそ、冷然としてその母の困苦を傍観したる心とも見えね。ジスレリーが作家に二生ありと言えるはさることながら、ハエを愛して母に及ばざるこの坊主の脳髄ほど、病的神経質なるはあらし。  スターンの文体については、賭家の見るところ必ずしも同じからず。マッソンはかれが豊映なる想像を称して、その文体に説き及ぼしていわく。かれの文章は精確にして洗練なるのみならず、佃雅優美楚々入を動かす。珠玉の光さんとして人目を奪うがごとしと。トレールの意見はこれと異にして、スターyはただ好んで奇をてらい、怪を好むにすぎず、文体という字義をいかに解釈するとも、かれは自家の文体を有する者にあらず、とい光り。このふたりの批評は相反するがごとくなれども、ともに肯篆を得たるものにて、実際スターyの文章は錯雑なると同時に明快に、怪癖なるとともに流麗なり。単に一句をもっててへージをうずめけるかと思えば、一行の中に数句を排列し、ときとしてはしいて入を動かさんと務め、ときとしてはまたあまりむとんじゃく に書き流す。今その長句法の一例を左に訳出すべし。意義もしめいりょうならずんば、これスターンの罪なり。訳者のとかにあらずと思いたまえ。「察するところ、この女は四十七歳のとき四人の小児を残してその夫に先だたれて不幸の境遇に陥りし為のと見ゆれど、もとよりいやしからぬ風采と沈着なる態度を備えたるうえ、おのが身の貧しきゆえ、かつはその貧しきに伴いてよろず控えがちなるゆえ、村内の者はだれとてあわれみの心を起こさざるはなきが中にも、だんな寺の細君はことのほかのひいきにて、さいわいこのかいわい六、七里の間には・・:ロでこそ六、七里、その実雨が降って道の悪いときや、ことにはやみの夜で先が見えぬときなどは十四、五里にÅ相当するが、それより近くには産婆というものがひとりもおらねば、つまりこの村には産婆はきたらぬと申してもさしつかえなきほどの不便を、檀家の者どもは数年来感じつつありしおりからなれば、この女に産婆学の一端でもけいこさせて、村中に開業せしめなば、当人はむろんのこと、村の者もさそつごうよがらんと考えぬ」また、短句法の例は下のどとし。「父はイスを掻いやりぬ。立ちぬ。帽子をかぶりぬ。戸のほうに進むこと四歩なり。戸を開く。再び戸を閉ず。蝶鮫のこわれたるを顧みず、席に復せり。うんぬん」一編の文章も、ときとしてはさまで長からぬ単句にてなることあり。例下のごとし。「わが父独語していわく。恩給や兵士のことをかれこれ 言うべき場合であるか」ま丸もなし、あともなし。ただこの一句すなわち一編を組織す。 と^sUAJ しては、みだりに擬人法を用いていやみ多きことあり。たとえば「静粛は無声をしたがえて、幽 斉の中に入りきたり、おもむろにかれらの上衣を脱してトビーの頭をかおい、無用心は優柔むとんじゃくなる顔色にて、そのそばに座せり」といい、あるいは「日に焼けたる労働の娘は群中よりいでて余を迎えたり」というがどとし。かような書き方は、韻文にてもみだりに使うべからざるものにて、現にカメルが、    "Hope for a season b乱e the world farewell,    And Freedom shrieked as Kosciusko fell! " といえる句のどときは、大いに評家の嘲笑をか光りとさ光聞く。人はとにあれ、余はこれらの文字をもって、はなはだいやみあるものと考うるなり。 スターンの叙事は多く簡潔にして冗漫ならず。されども、一度このざらを破るときはヽ紛々叙 しきたってその繊細なることほとんど驚くべし。トリストーフム出産の当時、婦人科専門の医師スロップとい丸るが、医療器械の助けをかりて生児を胎内より引き出したるため、がれの鼻はむざんにも押しつぶされて、扁平なることなべ焼きの菓子に似たりと。聞くやいなや、父シャンデー は悲哀の念に耐えず、倉皇おのれが居室に走り入りて慟哭したるとき、がれの態度はいかに綿密なる筆をもって写し出されたるかを見よ。「床上に伏したるわが父は、右手の手のひらをもってその額かよび目のおおかたをおおいながら、ぴじのゆるむにまかせて漸々その顔をだれて、鼻の端ふとんに達するにいたりてやみぬ。左手は伏し床のかたわらに力なくぶらさがり、とばりの陰より少しく見はれたる便器の上により、左足を湾曲して体の上部につけ、右足の半分を寝台の上よりたれてそのかどにて脛骨を傷つけながら、どうも痛を感ぜざるもののごとく、彫りつけたら んがごとき悲しみはがれが顔面よりあふれ出んばかりなり。嘆息を漏らすこと一回、胸郭の昂進 するもの数たび。しがれども、一言なし」  スターンの剽窃を事とせるは諸家定論あり。ここには説くべき必要もなく、また必要ありとも参考の書籍なければ略しぬ。ただ、その笑うべく泣くべく奇妙なるシャンデー伝と、その文章について概評を試むることかくのごとし。  スターン死して基本すでに損す。百五十年ののち日本人某なる者あり。その著作を批評して物好きにもこれを読書社会に紹介したりと聞かば、がれは泣くべきか、はた笑うべきか。                             (明治三十年三月五日『江湖文学』) 付記: http://www.gifu-u.ac.jp/~masaru/soseki/shandy.htm ちゃんとしたものがありました。