専門的傾向 夏目漱石  坪内さんの説『偏狭なる文学』かね、ーなにも|反駁《はんぱく》するわけじゃないが、わたくしの考えは 少々ちがってる。もちろん、坪内さんは若い人たちへの訓戒をかねて言われたらしいが。  坪内さんはたしか今の小説がスペシァル(専門的)に傾くのはよくないと言われたようだが、 これはちと見当ちがいと思われる。わたくしの考えでは、小説も読者もだんだんスペシァライズ していくものだと思う。こりゃ単に文学ばかりじゃない。一般の社会的現象は漸次にスペシァル になっていくべきで、すベての物がジフェレンシエートするのが自然のプロセス(順序)だね。そ れでその、作者が自分のねらった方面を、ますます深く観察研究していってその結果、はじめて ディプな(深い)作物が表われてくるのだ。スペシァルにならないと、ディプなものはどうしても できない。そこでね、一方面にスペシァルになったがために、他の方面と交渉がなくなると思う 人があるかもしらんが、全然交渉がなくなるわけはないと思う。そりゃね、ポピュラー(通俗的) という点はなくなるにちがいないが、もともとポピュラ1というものが、どれだけの値うちがあ るかは考えものだ。たとえばあのイーッね、あの人などは作物が危険だというので、あまり出版 されない。たまたま出してもつい五、六百部ぐらい、それもたいていは同好の士にわかつくらい のもので、ホール・ケーンのものが十万二十万を売り尽くすのに比"へてみると、まるでお話にな らぬ。でも、常に新しいムーブメントを文壇に起こすからしかたないさ。そこで、さっきのスペ シァルだがね、例を引くと、同じ画家の中にもランドスケープ・ペンター(風景画家)もあれば、 ポートレート・ペンター(肖像画家)もありで、それぞれ専門にやっている。専門的にやってれ ばこそ特殊な観察もできるし、特殊な研究も進んでいくのだ。ところでね、画家にせよ、また見 る人にせよ、スペシァルな研究を遂げて深い鑑賞も批評もできるようになれば、他のちがった方 面に対しても相当の鑑賞批評ができるわけと思うね。  文学がジフェレンシエ1トするのは(と五本の指を開いて)、この指とこの指とこの指、とい ったふうに分かれて発達していく。それをこう(今度は指をつぼめる)一つに集めてしまったと ころを写すとなると、受ける感じがぼんやりしたものになる。なるほど、だれにもわかりはする が、きわめて表面的な浅いものになってしまう。今の小説を二十年前のものに比ベると、種類も 一度合いも非常の相違だ、同じく床屋を写すにしても、趣もちがえば内容もちがってくる。それが つまり、世間一般がディプになってスペシァライズしたからだ。すべて事物ははじめ|混沌《こんとん》とし ていて、しだいしだいにジフェレンシエートしてスペシァルになっていく、これが自然のプロセ スである。もとは一つでも、こんなふうに。 (巻きタバコ入れから五、六本巻きタバコをつかみ 出して、畳の上に扇形に並べる)まずこんなふうに各方面に分かれてますます深く進んでいく。 これを自然主義とすれば、これがシンボリズム(象徴主義)でこれがロマンチシズムだね。どこ まで発展するかそりゃわからんが、ともかくも進んでいく。進めば進むほど専門的になり、した がって深くなる。たとえば自然派の人が肉欲を写すとする。肉欲を写すのはなにも自然派にはじ まったわけではないが、その描写の度がまえとはだいぶんちがってきた。はじめは普通のラブを 写して満足したのが、物足りないというので|姦通《かんつう》を書く。兄妹の|相姦《そうかん》を書く。それも陳腐になる と親子の相通ずるところを書く。あまり極端に走りすぎると、弊害はあるがなんでも新奇新奇と ねらいだす。やはり自然の勢いだ。  小説でもなんでも、このスペシァルになるのは自然のプロセスであるが、'つは自分の好きか らくる。しきりにマラルメがなんのかのと通がる人がある。わたくしにはよくわからんが、その 人にはおもしろいにちがいない。しかし、マラルメ党の人にはキプリングはおもしろくないにち がいない。ーあるいはキプリングもおもしろいというかもしれんがーだいいち、わたくしな どは今のしばいを好かない。見ていて少しも興味がない。どうもこの好ききらいはしようのない ものだ。ここに芸者がたくさん並んでるとする。それをこう見渡して、どうもあいつは芸者づら がしてないから好かないといったところでーもちろん、渋谷あたりのは芸者づらがしてないか もしれんがー芸者はやはり芸者さね、ずいぶんその好かないやつに、二万円からかけて|落籍《ひか》そ うという連中もあるんだからね。  そこでまた、この、スベシァルになると交渉がなくなる之いう点だが、いくら反対の方面に分 かれていったからとて、もともと同じ根もとから発したものじゃないか、そうむやみと関係のな くなることもなかろう。表面はまるでちがってるようでも、よく調べてみると、おや親類筋なん だね、といったふうになる。あの徳川時代の将軍と|諸侯《しよこう》がそうじゃないか。互いに南部、|薩摩《さつま》と 隔てていては、関係も連絡もうとくなる。そこで、おりおり江戸で会議を開いて交渉をつける。 文学も同じ理屆と思う。                (明治四十一年十月七日『国民新聞』)