戦後文界の趨勢 夏目漱石 とにかく、日本は今日においては連戦連捷ー平和克復後においても千古空前の大戦勝国の名 誉をにないうることは争うべからずだ。ここにおいてか、ただに力のうえの戦争に勝ったという ぱかりでなく、日本国民の精神上にも大いなる影響が生じうるであろう。  今日まではー維新後西洋なるものを知って以来、西洋との戦争はなかったのである。しかし、 それは砲煙弾雨の間に力を角するの戦争はなかったというまでで、物質上、精神上には平和の戦 争は常になされつつあったのである。で、この平和の戦争のために独立も維持される、文明はま すます盛んになるというありさまであった。これは西洋から輸入された文化のおかげであった。 が、しかし、このおかげをこうむるうえからその報酬としていくぶんかかれに侵蝕されるかたむ きはあったのである。これは諸事万端がそうであった。精神界の学問のことはむろんとして、礼 儀、作法、食物、風俗の末にいたるまでようやくこれにのっとるというようなことになった。つ まり、風俗人情の異なった西洋が主となってきた。すなわち、この平和の戦争には敗北した。  それで、その結果が妙なところに来て、西洋にはかなわない、なにごとも西洋を学ばなければ ならぬ、まねなければならないという観念-これが年来、今日まで養成された事実かもしれぬ。 否、事実以上の感じが起こるのは明らかである。  それで、物がこうなると、またこれに対する反動が起きる。国粋保存主義がいちじこの|趨勢《ナうせい》に 対する反動として起こったのも、それであった。しかし、それは一部の人が局部の弊を見て反抗 したにすぎぬ、で、この国粋保存ということは昔の日本のことを再び今日に繰り返そうという精 神が基礎であったと思う。しかし、それはとうてい時代の大趨勢には敵すべきものでない。  日本と西洋とはむろん歴史からも、建国の基礎からもちがっているが、東西交通の今日におい て昔のままをそのままに繰り返そうという国粋保存主義は事情が許さぬ。したがって、この主義 もやかましく言っただけの効力がなかったのである。いちじ反抗した国粋主義も、ついに時代の 大趨勢に圧せられてしまった。これが一般の形勢であった。  自体わが日本は不幸にして、文学の方面においては昔から外国に向かって誇りうるー誇るに 足るべき文学はないと思う。あるいは比較的あるかもしれぬ。しかし大きな顔をして世界の舞台 に|瀾歩《かつぼ》しうるようなものは、どうも見あたらない。それで、文学以外に、たとえば絵画とかない しは装飾品では、じゅうぶんに西洋人からその価値を認められているものがある。しかし、それ ですらもいちじは時代の趨勢に圧せられて、国民はことごとくこれを捨てた。いわんや、まえに 傑作のない文学はむろん自分から見くびって、つまらぬ文学的の国民としては、文学をもって外 国と角逐することはできぬと自認し、外国の書籍を見ても日本人の夢想せざる点が開拓されてす こぶる発達しているのを気づくと、そのほうが非常にえらく思われてきて、模範はかれにある、 手本は外国にとらねばならぬという、この風潮が深くしみこんだ。  もっとも、かかる風潮は、これは自分を知り、また他を知るという点において、もっとも公平 な観察でけっして亜心くはない。けれども、その弊をいうと、つまり一も二もなく西洋を崇拝する ということになって、標準がなくなってきて、ただかれをまねる、かれを崇拝するというにとど まる、しかも、その極端にいたっては、自分が読んでおもしろいものでなくっても、これをむり におもしろがらなければならないように、あるいは世間の手まえ、おせじにほめちぎらねばなら ないように感ずる。ただに感ずるばかりでなく、これをあえてするにいたるのである。西洋の批 評家がいうことはどこまで正しいか、日本人の立場としてはどこまで信ずるかということを吟味 もせずに、ただこれを伝えるにすぎなかった。  なるほど、日本には文学としては西洋に向かって誇るに足るものなく、かれはすこぶる発達し ていたかもしれない。しかし日本と西洋とはすべての点において異なって同じくない。あえて故 意に日本を区別するのではなく、事実異なっている。その異なる国民であれば、一種の文明、一 種の歴史というように、日本としての特性をもって今の世の中に生存しているので、よしんばど のくらい西洋に感服しても、これを国民に紹介するにあたっては日本人としての特性を忘れては ならんので、これを判断するのもそのとおり、日本人としての特性を離れてはならぬ。  すべて物を判断するの標準は、世と時とを問わず現在が標準であるり自己が標準となるのであ る。千古に貫く標準とか、あるいは東西を通じた標準もあろう。しかし、ここにはそれはさてお いて、つまりこれらの有無にかかわらず標準は自分自身で定めねばならぬ。昔から今日にいたる までの歴史の中からみずからが得きたった趣味と、西洋の文化からみずからが得きたった趣味と が標準となるので、これが|吾人《ごじん》の標準である。これが自分の樓準となるのである。さるを、それ を捨てて単に西洋の批評家が言ったことをそのままに解釈しなければならぬ、そう解釈したくは ないが西洋人が言ったことであるから、などというのは、西洋に心酔したものでずいぷんばかげ た話である。たとい西洋の榎準がよい、それがよろしいとしても、吾人はこれを経験に訴えねば ならぬ。また経験してもらわねばならぬ。さて、このうえで吾人の得た標準から判断するのを正 当とするのである。文学上の判断としても、けっしてこれ以外にわたるべきものではあるまい。  チーズは西洋人が喜んで食べるから、日本人たるわれらはいやではあるが食べねばならぬとい うのはつまらぬ話で、いやな人が食ベぬというのは正当である。西洋人が好きであるから好かね ばならぬというのは不道理で、いわんやいやでありながら好きですとふいちょうするのは苦しい 話である。ばかばかしいことだといわなければならぬ。  それで、すべての発達はどうしても人間に気カー精神がなけれぱできぬ。精神というのは、 自分はこれだけのことができるという自信自覚の力である。この自覚自信のない国民は、国民と して立つことはできぬ。個人としても堕落したもの、みずから立つということはできない。よう やく人まねをするよりしかたがない。これを移して文学の方面にいえば、その製作にも特性を備 えたものはできないのである。しかし、今日の場合は大勢はかくのごとくである。自覚自信がな いーないのではない、衰えている。同じことを言っても、西洋人の言ったことであればうなず かれる。同じことを書いても、洋語で書いたものはりっぱなものとされる。大勢は実にかくのご ときものである。  日本人は由来武士魂という。この負けじ魂を持っているというが、西洋人に負けていたのは事 実である。しかし、負けながらこの魂の維持されたのは、今までのありさまであった。それであ るから、この日本人の特性であると誇りつつある武土魂でさえ、負けながらの中にやっと維持さ れつつあった、かかるときに、文学などでも世を驚かし、人を驚かすというようなりっぱなもの ができょう道理はない。というのは、自己を基礎とした標準がない。西洋が標準である。自己の 特性を発揮するということができない。他をまねるというにとどまるからである。  徳川時代に漢文が盛んであった。しかし、当時は|支那《しな》が標準であった〕よし傑作があったとい っても、それも特殊なのはない。支那人と同じようなのか、もしくはそれ以下で、けっしてそれ 以上に出るということはできなかった。今の文学界もまたこんなさまがある。  われわれは大和魂ーまたは武士魂ということを今までも口にしたが、しかしこれを今日まで むやみに口にしたというのは、ある必要から出たのではあるまいか。これを事実の上に現ずるこ となしに、その声をして高からしめんと叫んだのは、一方に精神の消耗ということを思わせるの と、一方には恐怖ということをいだいたがためではあるまいかと憶測するものがあるのも余儀な いことになる。自信があって言ったのでなくて、・その精神の消耗方|杞憂《きゆう》する恐怖という語の呼び かえられた叫びであると思わしめたのも余儀ないのである。  しかるに、ここに今回の戦争が始まって以来非常な成功で、相手は名におう欧州第ー流のがん こで強いというロシアである。それを敵にして連戦連捷というありさまーこの連戦連捷という 意味は、船を沈め、敵を倒すという物質のことであるが、しかしこの反響は精神界へも非常な元 気を与えるので、今日まで恐れの叫びを高くして、今度戦争をするのにも-当局の成算はわれ われのうかがい知るところではないが、われわれは最初から死力を尽くし、生きるか、死ぬかと いう精神であったが、こう勝ちを制してみると、国民の真価が事実のうえに現われたここちがす る。あるいは、これは多少期していたかもしれないが、しかし|忌憚《きたん》なくいえば、けっしてわれわ れには所信があって今日の大成功を期していたとはいわれない。あるいは、いえば暗に予期(?) していたくらいであった。それがこう事実が発展してくると、つまり今日まで苦しまぎれに言っ た大和魂は、真実に自信自覚して出た大なる叫びと変化してきた。これと同時に、同じ日本とい っても、言うことは同じだが、言う人の了見がちがってくる。人間の気分が大きくなって、向こ うも人なら、われも人だという気になる。ネルソンも偉いかもしれぬが、わが東郷大将はそれ以 上であるという自信が出る。この自信自覚が關けてくると、この反響はあらゆる方面に波及して くる。  サ、こうなってくると、文学の方面にもむろんこの反響はくるのである。今までは西洋には及 ばない、なんでも西洋をまねなければならぬと、一も二もなく西洋を崇擇し、西洋に心酔してい たものが、一朝翻然として自信自覚のみちがひらけてくると、その考えもちがってくる。日本け どこまでも日本である。日本には日本の歴史がある。日本人には日本人の特性がある。あながち に西洋を模倣するというのはいけぬり西洋ばかりが手本ではない、われわれも手本となりうる。 かれに勝てぬということはないと、こう考えがついてくる。  日本の文学界の製作物としてりっぱなものがある。近松はシェクスピヤと比較しうるといった ような昔の国粋保存主義時代の考えではなく、今日から自信自覚の位置に立った国民は、われわ れは国民として全世界のどこまでも通用する。わが国の過去には文学としては大いなる成功をな したものはないが、これからは成功する。これからは大傑作が製作される。けっして西洋にひけ はとらぬ。西洋のに比較されうるもの、いやそれ以上のものを出さねばならぬ。出すこともでき うるというー気概が出てくる。これが反響として国民に自覚され、自信されることになるのは、 自然の勢いである。で、この趨勢から生まれてくる日本の文学は、今までとはちがってすこぶる 有望なものになってくるであろう。  それで、もう一つは日本の文学の見方ー在来のものを批評するのでもだいぶちがった見方が 出てくるであろう。たとえぱ絵画である、西洋画の標準で日本のを見れぱまるでかたなしである が、しかし見方を変えれば、日本画にはまた日本画として、西洋画には発見されぬおもしろさが 存在する。日本人は西洋の絵を持ち出して標準を西洋に取るが、これはもち屋の標準で酒屋を評 するのと一っだ。ところが、西洋ではすでに自分にあきているから、よくその間に日本画を見て、 日本画に新しきところを発見する。マクネル・ホイッスラーなどは、日本の絵画から発見して平 面的に物を写して美しい理想を表わすのは日本絵画の特徴であると称して、その発見を応用して 自身の絵画によくこれを表わしたが、これを日本人が聞くと首肯するところがあるごとく、日本 の文学も在来の見方でなく、絵画のように観寮点をたがえたなら、またあるいは未発のおもしろ さを見ることもあろう。日本のしばいは西洋の劇からいえば比較にならぬかもしれぬが、ある一 種の技術としては特別な発達をしている美しい価値を認めることができる。これらは人が気をつ けるが、文学のほうは人があまり気をつけぬ。けれども、俳句のごときものについても考え直す 余地はじゅうぶんにあるかもしれぬ。  それで、戦後の影響としては、まえ言ったように自然の勢いが西洋を標準としないで、日本と いい、自身を標準とすることになるから、人間が窮屈でなくなる。文学界の製作としても非常に |潤達《かつたつ》になる、のびのぴした感じをもって対することになる。批評のうえにも自由な行動ができる ようになろうと思う。  あるいはもう一つ、戦後における経済的変化で、日本の富が在来よりも膨張してくれば、すべ てのぜいたくな職業とか事業とかがしたがって発達してくる。文学のごときもむろんこの部分に 属して発達してくるので、富の力はかかる種の事業を必要ならしめるり由来、衣食が足らないで 礼節を知るということは難いのと同じく、富の力にじゅうぶんな余裕がないとすれば、向上的な 精神界の娯楽は興らない。余財があってはじめてこれらのものは発達|勃興《ぽつこう》するのである。世間に 余力ができてこなければ、大文学者がおっても用うるにところなしで、余財ができてはじめてり っぱなものも作られもし、また歓迎もされることになるのである。で、富の力が膨張すればする ほど、これらの需要も多くなり、これに対する名誉も報酬も多くなるということになる。したが って、これらの事業も発達してくるのである。  それで、今の老人株に属している人たちは、個人としてはともかく、概して一般に文学者など の方面にはーー富豪の名のある人でもあまり関係したり深い|嗜好《しこう》を持っている人は少ない。それ は今日までの時勢がそうであったのであるが、これからは現代の青年時代の人がだんだんに家を なし、また家族をなせば気風が一変してくる。書籍を読むとか、雑誌を見るとかいうことは、お のずから国民として、業務の余暇にはかかることを娯楽とするというほうに向かってくるであろ う。英国などでは、必ず業務の余暇には書籍を読むことにしている。それが下等の階級にあるも のでも、かかる習慣が作られている。これは一方には経済的問題である。すなわち、富の力が余 ってこなければならないのと、一方には業務の余暇はかくのごとくして費やすべきものであると いう習慣がしみわたってこなければできないのである、しかし、日本もいまやだんだんにこれに 近づきつつあると思う。これは戦後に起こる影響として勘定すべき事実であろう。ある人は日本 は文学に今まで大なる成功がないから、今後とても怪しいものだという。それには種々なる原因 を数えるであろうが、しかし、単に今までに成功がないからというのをもって今後を律すること はできない。ある方面に著しき活動があれば、その活動の余波はあらゆる方面に影響してくるも のである。この余波が文学の方面にはいれば、ここにも一変化を起こすのは順序である。単に従 来がこうであったからというをもって絶望の判断をくだすことはできない。英国のエリザベス時 代の文学の興ったのは、一つはスバニッシ・アーメーダの艦隊を破ったので天地が広くなって歓 楽を尽くす方面に一般の気風が向き、世の中が自由であるという気で作するから|勃《ぼつ》々たる生気が わいてきて、けっして窮屈の体がない。入を驚かすようにパッと文学が盛んになった例証に見て もわかることであるし  それで、当時の英国と現代の日本とを比較してお話ししたらおもしろいと思うこともたくさん あるが、あまり長くなるから、きょうはこれでやめますが、わたしが戦後のわが文壇に対しての 所感は、まあ、あらましこんなところです…-。(文責在記者)                             (明治三十八年八月一日『新小説』)