沙翁当時の舞台 夏目漱石  |沙翁《さおう》の三百年については、|早稲田《わせだ》のほうでも講演会をやるとかいうて、自分にも出講を求めら れた。また英語青年という雑誌でも、何か沙翁に関し書いてくれなどと言うてきた。しかし、自 分は両方ともに断わった。ありふれたことを言ったり書いたりしたのではおもしろくないし、あ りふれぬ骨のあるようなものをつづるには容易のことでない。やらねば一大事というなら、そり ゃ大いにやらぬでもないが、そうでない以上はごめんをこうむりたい。-そうね、そんなに研 究している人もあるまい。○○氏も翻訳はよくやるが、ほんとうにわかっちゃいまい。大学でも 卒業論文に沙翁のことを記述したものもあるが、皆よいかげんのものじゃ。△△氏は多少知って いるほうだろうが、今はいなかにいる。普通のことなら知っている人がたくさんある。  シモンズ氏の書いた沙翁研究の中に、当時の舞台を写生的にしるしたものがある。それでも訳 してみようか。しかし、これはぼくの話じゃない、シモンズの書いたものだから、ぼくには全然 責任がないことを断わってもらわにゃならぬ。 ××× ちょっとおもしろいから訳してあげよう。  エリザベス時代の演技については参考書きわめて乏しく、その精密な情況を知ることはでき ぬけドれども、諸書の記述を総合してこころみにこれを現わしてみれば次のようなものであった ろう」か。  小屋の前には福の|女神《めがみ》が立てる下に朱で新番組を書いたビラがさがっている。屋根の上には 旗が翻り、小屋の内では太鼓が鳴り、ラッパの音がしている。時分は午後三時過ぎで、もはや 演技に取りかかろうという時だ。自分は正門よりはいり、はしごだんを上り、ポケットからか ぎを出し戸をあけて自分の席へはいった。見ると天井の低い四角な木造の建物で、一方のすき まから午後の日光が斜めに場内にさし込んでいるので、|塵埃《じんあい》がきたならしい。なんのことはな い、見せ物小屋(サーカス)である。かんなくずのにおいや人の息で、胸づまるような気がす る。下の土間は安い見物人がいっぱいに詰まっている。その中には油であか光りのした皮製 の、しかも肩に主人の紋のついている上着を着た|丁稚《でつち》がいるかと思えば、威勢の上がらぬ御者 もいる。かれらは互いに押し合いひしめき合うて自分の立つ位置を争い合っている。聞くにた えぬ|卑穢《ひわい》なことばがそこここで交換されている。  頭の上の二ベンス部屋(安い室)にも群集が詰め込んでいるが、下の土間と異なるところは、 女がまじっているだけだ。もちろん、その女は下品な者ばかりで、どうせいかがわしい商売を する者でもあるらしい。ただ二、三の特別席には相当な人がいるが、それらとてできるだけ身 を伸ばして舞台の上にいるだて者(見物)と談話をまじえている。  舞台には五、六人の若者がすでに幕の前にすわっている。カルタをもてあそんでいる者もあ れぱ、クルミを割って食うている者もある。そうして、幕あきをいまやおそしと待っている。 その中をひとりの子どもがあちこちしてタバコなどを売りっけて、のむ者に火種を与えてい る。  舞台は|藺《いぐさ》の類で敷きつめられ、二本の柱により前方へ突き出したようなかわら屋根から黄色 の幕がおりている。三度めのラッパが鳴って幕が關く。まっくろい上着を着たひとりの役者が 出てきて|辞儀《じぎ》をして、いまやブロローグに取りかかろうとすると、後方に音がしてりっぱな装 をした役人が小姓を連れて出てきた。小姓に向かって「腰かけを持ってこい」と命じ、外套を脱 いで白絹の上着と紺絹のももひきになってプロローグ(説述をする者)のりてばへ行くので、プ ロローグはめんくらって説述を中止する。このさまを見て下の土間にいる連中はネコのような うなり声を出して、かの役人に対して亜心口を放ち、はてはリンゴを舞台にほうりつけて、一般 の見物がプロローグを妨害した役人を不愉怏に思うことを証明した。けれども、役人は平然た るもので、悪口雑言には目もくれず、いばりかえって口ひげをひねくり、刀のさやをいじくり ながら知人に会釈をして、ゆうぜんとして観客から注意を受けやすいようなつごうのよい場所 べ席を占める。かかるうちにプロローグが終わり、第一幕に取りかかった。  舞台正面には城壁のごとき壁が立っている。何かと思えば、一方に札がかけてあるのに「シ ーンはローマであります」と断わり書きがしてあるので、はじめてローマだわいと気がつく。 しばらくあって、舞台の上へ木製の岩と一、二株の木が運ばれた。すると、掛け札ヘは、 「こ こは森であります」と断わり書きが出たので、はじめてある町はずれの森であることが知られ た。それほどおそまつせんばんな道具だてである。  きれいにひげをそった女(男子の女装せしもの)が出てきた。自分の運命を嘆きながら森の 中をかなたこなたと歩行していると、突然ボール紙で作った竜が突き出されたりそれを見て女 は驚いたさまをして逃げ込んでしもうた。  古い衣をつけて、胸までもひげをたらした恐ろしい老人が出てきて、一場のスピーチを始め た。コーフスの役をするのであった。すなわち、まえに出た女の身の上にいかような事件が、 |湧起《ゆうき》したかを見物人に説明し、かっ次の幕で女のせがれがいかにして天下を取るかの説明をす る。観客を飽かしめぬために、音楽は絶えず奏せられている。いつの間にやらすりがはいって きたとみえて、土間の見物の席に騒ぎが持ち上がった。いくつものこぶしが、すりの頭上に乱 下する。そのうちに、ついにすりは舞台の上にけり上げられ、例の二本の柱の一っへ縛りっけ られた。見物人がいろいろの物を投げつける。かくてしばいの終わるまでなぶりものになって いた。  役者一同がひざまずいて女皇陛下の万歳を祈る式でしぱいが終わる。見物人は|祈祷《よごとう》のまだ終 わらぬうちから帰り始める。真に見物のために来たものは、役者、作者および劇について批評 をしながら帰っていく。ある者は自分が他日どこかの席上で利用して|喝采《かつさい》を博せんために、手 帳へおもしろい文句とか、新作の悪口や警句などをしるしていく。また、若い人たちはガレリ ーとかポックスなどでちょっと懇意になった美女とともに近所の料理屋へはいるのであるじ × × ×  これで見ると、当時はずいぷん乱暴なものであったことがわかる。まず昔の両国や浅草の奥山 の見せ物小屋といった調子らしい。すりを柱にしばりつけて、しばいのはねるまでもてあそんで いるなどは乱暴千万だ。                            (大正五年四月一日『日本及日本人』)