漱石山房座談 夏目漱石  コンミッションということを、きみはどう思う。あれをやかましく言うのはつまらないね。い くらやかましく言ったところで、この世にコンミッションがなくなるものでない。あれはコン、・、 ッションを取ってもよいということにするんだね。そうす丿やなんでもないんだ。それではじめ て郭清の実があがるんだよ。  実際、コンミッションを取れるような地位にいて取らない者はほとんどなかろう。取らないの は取れないからである。そりゃあ、ぼくも条件しだいで取らないともかぎらないさ。他人からお 礼をもらうんだってそうだからね。いったい、お礼というものが過去に尽くしてもらったほねお りに報ゆる意味が多いか、それとも未来の好意を希望する意味が多いか、どっちだかわかったも んじゃない。もし単に過去のためばかりで、少しも未来のためがなくなるとすりゃ、お礼を持っ ていく者はだいぶ少なくなるだろうよ。出入りの商人が盆暮れに持ってくるつけ届けなぞは、り っぱな|賄賂《わいろ》だね。  なに、昔は賄賂の行なわれるのが少なかったろうて?どうして、昔のほうがかえって多いさ。 今のように新聞や雑誌でやかましくいう時代のほうが、どのくらいそんな弊が少ないかしれな い。うむ、|吉良上野介《きらこうずけのナけ》もそうだろうが、おれの家なぞは昔はこれで賄賂で生活していたといって もよいくらいだからね。そりゃあ、自分で賞罰の権を握っていたわけではないが、賞罰の権を握 ってる向きへ上申する役目なんだから、町内でも良いことをもっと良く書いてもらいたいのや、 悪いことをもっとかげんして悪く書き上げてもらいたい連中が皆賄賂を持ってきたものだねり  つまり、官紀で縛られて育ってきた人間というものはまだしもあてになる、今のいわゆる政党 の中にいる人たちに軍艦の製造なぞを任しておいたら、何をするかしれたもんじゃない。平生コ ンミ冫ションを取っている代議士がコンミッションを取った官吏を攻撃するんだから、真個奇態 な現象さね。  で、ぽくの考えでは、賄賂を取って、明日からでも取った相手を攻撃するだけの覚悟がないよ うなものは、賄賂を取る資格がないというんだ。賄賂を取って、そのために自由の意志を拘束さ れるようじゃ、苦しくてたまらない。まったく拘束されないよ。もっとも、そんなところへは向 こうでも持ってこないがね。  そこで、ぼくが賄賂を取る条件というのは、神社仏閣ヘ寄付するような了見で金をくれるも のがあればいくらでももらうよ。ぼくが満州へ行ったとき、是公からそれでも五、六百円もらっ たかしらーしかし、明日でもその必要があればそんなやつたちどころにやっつけてしまうね。 それから新橋堂の主人だ、あの男が自分のうちで造っている組み合わせ本箱を広告のためだとい ってくれた、しかし、それっ.きりで、なんにもしてやらない。また、|文淵堂《ぷんえんどう》の主人がまだ失敗し ないまえに、ぼくのもとへ来て、いかがです、家を建てて上げましょうか、というんだよ。その ころのぼくは南極のペンギン鳥のようなもので、それをもらっておいたら後難が恐ろしいなぞと は夢にも思わんのだね、ただ、世には親切な人もあるもんだと思っていた。が、不思議なことに、 そのころは一向家なぞほしくなかったから、とうとう建ててもらわずに済んでしまったよ。  賄賂といえば、また|岩崎太郎次《いわさきたろうじ》から手紙が来たよ。こうなると、なんだか|怨霊《おんりよう》にたたられてで もいるような気がするね、なに、この男は|播州《ぱんしゆう》ロロの者で、最初はたんざくを書いてくれといっ てきたんだよ、それがいつの手紙でも「失敬申し候」という書きだしで、他からやってくるよう な、大いにあなたのものを愛読していますとか、感版していますとかというようなめんどうくさ いことは別に言わない。ただ、いきなりたんざくを二、三枚書いてくれというんだよ。おもしろ い男だと思ったから書いてやったね。  こんなことが二、三回もあったろうか。そうしている間に、ある日名古屋から小包が届いた。 いいかい、名古屋から届いたんだよ。播州ともロロとも書いてないんだぜ。ところで、あけてみ ると、お茶が一斤はいっている。差し出し人の名まえはなし、今ごろこんなものをもらうはずは ないと思ったが、これはきっと葉茶屋が見本に送ってきたんだろうという妻の鑑定で、それにし てもおかしいとは思ったが、なんでもかまわない、もらったもんだから飲んじまえというので、 お茶は飲んでしまった。  すると、それから二、三ヵ月ほどたって、また「失敬申し候」が来た。その文面によれば、二、 三カ月まえに富士登山の絵を送って賛を求めておいたが、あれは書いてもらえるかどうじゃ、 もし書いてもらえなければ即座に返送してくれというんだね。こっちはそんな富士登山の絵なぞ 受け取った覚えはない。何奎言づてるやらと思ってうっちゃっておくと、続々催促状が来るんだ よ。これはてっきり狂人だと思ったね。で、なんといってきても、いっさい相手にならぬことに した。 ところがね丶ある日本だたの上をそうじしてみると、岩崎太郎次から送った長方形の小包がほ こりまみれになって出てきたんだよ。あけてみると、なるほどちゃんと富士登山の絵がはいって いて、 それに添え手紙が付いている。手紙の文面によると、やはりこの絵に賛をしてもらいた い、お礼にはお茶を】斤送ると書いてあるんだね。考えてみると、あの当時また小包を送ってき たが、きっとたんざくを書いてくれにちがいない。何度も書いてやったんだから、そうそう書 かされてはたまらないと思って、よくたしかめもしないで、たなの上にほうり上げておいたんだ ね。さ、これは悪いことをしたぞと思ったから、さっそくあやまってやった。お茶は飲んでしま ったからなにとぞかんべんしてもらいたい、と書いて、別に小包で返してやったよ。  で、岩崎太郎次から返事が来た。お茶は飲んでしまい、絵の賛は書かずではあんまりひどいじ ゃないか、そのかわりにたんざくでも書け、というんだね。何か言ってやろうかとも思ったが、め んどうくさいからそのままにしておいた。すると、また手紙をよこして、今度はお茶を返してく れというんだよ。お茶が返せなければお茶の代として金一円送れというんだね。それだけならま だよいが、どうだ、たんざくを書かないか、たんざくさえ書けばまたお茶を送ってやるが、どうじ ゃ、といってくるんだよ。ぼくも、この男はこりゃあ××じゃあないかと思ってね。どうも×× かジュウ(ユダヤ人)でもなけりゃ、そんなけちなことは言わなかろうりところが、ここに播州 近くの男で、ひとつ××かどうか聞き合わせてみてあげましょうかという男が出てきたんだよ〕 なに、聞いてみると、ロロというは播州でも素封家のそろっているところだそうだよ。で、岩 崎太郎次のほうじゃもうおこってしまって、なんとも言ってこないかと思っていると、ことしの 春、またひょっこり年始状をよこした。年始状には返事を出しておいた。するとまた、このごろ になって「失敬申し候」とやってくるんだね。何かと思えば、やはりたんざくを書けだよ。  つまり、いなかの人から見れば、こっちの手数というものをまるで勘定に入れておらんのだ ね。手紙一本書くのがどのくらい苦痛だなぞということは、想像もつかんのだろうよ。お茶の代 だって、ここヘ取りに来さえすれば一円ばかりの金はすぐにやるさ。こっちでも、そんなものも らっておかんほうが、よほどいいんだからね。ただ、それを送ってやるだけの手数がたまらない んだよ。                             (大正三年四月十六日『反響』)