昨日午前の日記 夏目漱石  七時に目がさめた。来ていた新聞を開いて伊藤さんの死んだことなど、ただみだしばかり見 る。そ牝から起きて、からだをふいて、ひげをそって、飯を食って、書斎に来たら九時であっ た。机の前にすわって十分過ぎたか過ぎぬに、大谷繞石君《おおたにじようせき》が来た。セイロンの茶を持ってきてく れた、これは貸してやった品物の返礼に持ってきたのである。出発が忙しいとか、これから箱根 に行くとかですぐ帰った。それから、妻がきょう日暮れに結婚があるとかで横浜へ行くので、そ れには三越人注文した紋服がまにあわぬとか、もしまにあわなければ自動車で三時までに浜へ持 っていくとかで、ごたごた大騒ぎをする。妻が出ていってから、うちにいる西村君が銀行へ金を取 りに行くということで頼んで出してやった。それから伊藤さんの死んだてんまつのあるいろんな 新聞の熟読をしているところへ清見君が来て、雑誌へ何か話をしないかといって迫っている。い いかげんにごまかしているところへ、貴君と物集《もずめ》のお嬢さんとがおいでになった。これから約束 があって相談する人が来るのを待っている。