文士と酒、煙草 夏目漱石  わたしは上戸党のほうじゃありません。一杯飲んでもまっかになるくらいですから、とうてい 酒のおつきあいはできません。たいていの宴会にも出ないほうです。酒を飲んで、気分の変わる 人は、なんだかけんのんに思われてしようがない。いつかロンドンにいる時分、浅井さんといっ しょに、とある料理屋で、たったビール一杯飲んだのですが、たいへんまっかになって、顔がほ てって町中を歩くことができず、ずいぷん困りました。日本では、酒を飲んでまっかになると、 景気がつくとか、上きげんだとか言いますが、西洋ではまったく鼻つまみですからね。タバコは 好きです。病中でもやめられません。朝早く目ざめたときにも、食後にものみます。なるべくシ ガーがいいのですが、やすくないので、たいていは敷島などをふかしているのです。日に二箱ぐ らいはだいじょうぶでしょう。いったい、西洋では日本人のように不規則にところきらわずタバ コをのまないようです。もちろん、エリザベス時代には、物好きな人があって、寝るときに床の 近くヘタバコの道具を持ってはいって、スパスパやったそうですが、これも例外のほうです。今 はさようなことはしない。たいてい、食後にやるのです。                            (明治四十二年一月九日『国民新聞』)