ポーの想像 夏目漱石  去年の九月、本間という人の『名著新訳』に序文を送った。それに書いておいたこと、それ以 上にぼくの知識はない。その文句のおさらえでもするよりほかにない。  以前にPoeの作物を読んだときの感じがわずかに残っているばかりで、格別研究しようとも しなかった。で、そのばくぜんたる感じというのは、まずなんでも非常な想像家であった。しか も、その想像たるや人情あるいは性格に関する想像でない、いわば事件構造の想像、すなわち、 Constructive imaginationである。しかも、その事件は、日常|聞睹《ぷんと》の区域を脱したsupernatural もしくはsuperhumanな驚くべき別世界の消息である。この驚くべき別世界というのは、かれの 詩の"The Raven"に歌ってあるような内面的の幽玄深秘でない、ごく外面的な主として読者の 好奇心をつっていくといったふうの、悪くいえば|荒唐不稽《こうとうムけい》なうそ話を作るにある。しかし、うそ の想像譚といっても、一種のscientinc processを踏んだ想像で、それを精密に|明晰《めいせき》に描写して いる。こんなふうの、とても常人の思いつくこともできないような想像の働き::これについて は、のちに付言をしましょう。  さて、また序文には短編作家としてのPoeのことを一言した。 いわゆる三巻小説の例を打破 した独創的作家で、今日の短編的傾向を予言したものである。かれといまひとりのBret Harte とのふたりが同じくアメリヵ人で、また同じく短編作家の祖たる名誉をになっているのは、よく 人のいうことで、国と人と年代との関係について別に一考すベき事がらだと思う。  以上は単にこの序文の復習をしたにすぎないが、 いま少しPoeの想像について付け足しをし てみよう。いったい、明らかな想像::まえに精細かつ明晰な描写といったが、それはもちろん     ほうせん ずぬけて豊膿な想像力がなければできないことで、その想像にもいろんな種類があるが、その中 で、ここにいう明らかな想像というのは、PoeやSwiftのごときを意味する。それで、ふたり の比較すると、Swiftはー-もとよりその作のある物についていうのだがーなんらかの寓意あ る架空譚を作ったのであるが、その寓意ということを離して言ってみると、その描写のしかたが いかにもにexactにできている、objectivelyにexactに書いてある。詳しくいうと、物の大小 とか、位置とか、部分と部分との関係とか、これらがいかにもexactに描いてある。せんじつめれ ば、かかる特点の想像はnumber に帰着する。たとえばSwiftの小人島の住人を六インチあるとしておいて、それを持ち主とする小人島の物品器具、すなわち火ばちとかさらとかは、皆その六インチに比例して大小ができている。物のextention もしくはmagnitudeのproportionを明らかにしている。そのために種々の形容を使っているが、要するに帰着するところは、numberの観念を人に与えるということになる。  それがPoe になるとさらにはなはだしい。Swiftは何倍、何寸とかいう種類のexactionをもってする想像家のひとりで、いわばしろうととしてのexact であるが、Poeになるとそれが専門 技師の設計のごとくに、よりexact になる。scientific imagination である。かかる緻密《ちみつ》な想像 あMathematicalなclear headがなくてはだめなのであるが、この点から見てPoeはSwiftよりもたいへん進んでいる。だから、どうしてこんなことを想像することができたかと驚くよりも、どうしてこんなに精密に、数学的に想像することができたかと驚くことになる。  以上はむろんPoeの全体を尽くした論ではない。ただその一面の特色についてのみ言ったのである。それもまたconstructionの想像とstyleの想像と、また constructionの想像だけでも、何と何との種類に帰着するかといったほうの問題にも触れていない。それを言ってるとずいふん 長くなりそうだから、 特色のほんの一部を見ただけの力話にとどめておく(談話筆記)。                 (明治四十ニ年一月一五日『英語青年』) --