日英博覧会の美術品 夏目漱石  上野に行って日英博覧会に出る美術品を見たが、その点数の少ないことは驚くほどであった。 あのくらいのものを大きな建物のうちにちょんぼり並べて、これが東洋美術を代表したものだと 英人に誇ることはとうていできない。事務官の話では、このほかに六十点ほど大阪方面からの出 品が加わったうえに、文部省の買い上げ品を六点だけ打ち込んで、はじめて送り出すのだそうで あるが、よしそれだけ増したところで総体の量においてたいした変化のあるようにも思えない。 当日陳列室をむぞうさに通り越して、なんだかあっけなかったと感じたものは、おそらく自分ひ とりではあるまい。陳列室はわずかに二つしかなかった。そうしてその一つは個人の客間ほどに 狭いものであった。  自分はこんなことに不案内な人間だから、実際の事情はよく知らないが、ただこの陳列室を通 り抜けただけでは、今回の博覧会が美術の方面に重きを置いて計画されていなかったようにも思 われる。それがあるいは真相かもしれない。しかし、いくらおおげさに美術の出品を奨励したっ て、やはり物足りないような顔をして陳列室を出るのが、われわれの運命じゃなかろうかと考え ついたら、だいぶ元気が|沮喪《そそう》した。なるほど、奨励やら勧誘やらの結果、おととい自分の見た十 倍もしくは百倍の美術品を海外の博覧会に送り出す方針,は、時日さえあれば容易に立てえられる だろう。けれども、その十倍なり百倍なりの陳列品が並んだところを眼中に想像してみると、い たずらに参観の際根気を疲らすだけで、存外変化に乏しい重複を示されるのが、わが国美術界の 今日らしい。  ほんとうのことをいうと、おととい見ただけで、今日の日本に産出しうる美術品の九割以上は すっかり|網羅《もうら》しているのである。しかも、各部門にわたっての代表的出品は、多少の例外はある にしても、まあ精華を集めたものといってもよろしい。それがなぜあんなに物足りなかったとい うと、まったく美術の性質によるというのほかはない。  日本の美術はほとんど手に取って|撫摩《ぶま》すべきものであって、一定の距離に立って鑑賞すべきも のでない。われわれの着物がすでにそうである。四畳半の座敷で差し向かいの相手にほめらるべ く三越をわずらわすのほか、ほとんどなんのとりえもないといってよろしい。日光の|廟舎《ぴようしや》がすで にそうである。局部局部を吟味するとご念の入った精巧を尽くしている。しかし、あれだけの殿 堂を望むに適当な距離に遠のいて見ると、せっかくの局部の苦心は犬死にをしてしまう。おとと い陳珂された美術品の多くは、呉服物や日光の御宮と同じく、好んで縁の下で力持ちをしてい る。|狩野芳崖《かのうほうがい》の観音さまをいっしょうけんめいに刺しゅうにしたって、観音さまを見ようとすれ ぱ刺しゅうの手ぎわは目にはいらないくらい離れなくっちゃならない。無線七宝であざやかに鴨 め色を染め出したって、額にして下から見る以上は、絹に描いたものとどこかが違っている。大 きな銀がめに寒山拾得を彫りつけた手ぎわのさえているのは、ただ筆力をいっそう困難な刀力に 移したというまでで、それ以外になんらの特色のないのみか、花びんの見ごろなところに立ちど まつていれば、寒山㌔拾得もてんで顔さえめいりょうになわからない。  全部と局部と比例を失した労力の損はまずどうでもかまわないとして、たいていの出品は皆手 先の器用からのみでき上がっている。もちろんそれが日本人の長所だからけっこうには相違ない が、あまり器用すぎるから、針の先で指ができているかのごとき細かな仕事ばかりしおおせてい る。したがって|精緻《せいち》ではあろうけれども、あの西洋の大きな客間のすみへでも置こうものなら、 虫めがねを掛けていない以上、だれも気がつかずに済んでしまう。今の世に用もないつばをこし らえて、それに小さい不動さまなんかくっつけている。まるでおもちゃである。西洋人がつばを 珍重するのは、昔の遺物として、その当時相応の理由があってでき上がったもののうちに、一種 の手ぎわを認めて、喜ぶのである。巻きタバコ入れだってそうである。わずか五、六寸四方のう ちに、あんなしちめんどうないたずらをして幾日もつぶすにはあたるまい。  要するに、頭に一種の精神があって、その精神が手を働かすのでなくって、手の筋肉の使用法 だけを繊細にのみ込んだのが日本の美術家である。かれらは頭を使うんじゃない。指のほうが修 練の結果機械的にうまく動いてくれるのである。いかにも器用だとは思う。しかし、向こうの頭 がこちらの頭に感応することは少ない。だから、手に取ってよくほじくってみても物足りないの である。まして、適当な距離から大きく観察するにおいてをやである。いわんや、イギリスヘ持 っていって広大な建物のすみにちょんぼり並べらるるにおいてをやである。  自分は日本の美術について専門家の口にするような巧拙はわからない。自分のいうところは、 技芸の巧拙いかんにかかわらず存在する。日本美術にほとんど固有ともいうべき特色に関してで ある。もちろん、自分の非難に相当しない物品はいくらでも出てくるだろう。現に、陳列品のう ちにもずいぶんあった。自盆あえてこれらの佳作に対して警を表するにちゅうちょするもの ではない。                         (明治四十二年十二月十六日『東京朝日新聞』)