何故に小説を書くか 夏目漱石  偉いことを言えばいくらでもあるだろうが、一言にして言えば何もない。 「なにゆえに小説を書くか」と、わかったような質問ではあるが、なにゆえ飯を食うかーとそ れとはちがうが、まず似たような質問で、甘いから食うとも言えれば、腹がすいたから食うとも 言える。また、食いたいから食うとも言えれば、生きたいから食うとも、あるいは下女が|膳《ぜん》を持 ってくるから食うとも言える。  小説を書くのも、単に一つや二つの理由で書くのではないから、それをいちいちいろいろな方 面から完全に答えようとすれば、二日や三日はかかって話さねばならぬ大問題である。今ここで ちょっと話すわけにはいかぬ。それかといって即答するなれば、多くの理由の中から一っの理由 を抽象して話すにすぎんので、ごく不完全な答えで一部をおおうぐらいのものである。それでは 聞いた人も満足を得られなけれぱ、話す者も満ちたらない。それに、一言にして尽くしてしまう と、またそれに反対した理由があるので困る。自身の従事している職業の理由を問われて、欠点 のあるような答えはしたくない。  たとえば、わたくしは今、大学の教師をやめて、小説を書くために新聞社から月給をもらっ て、それで生活している。つまり、一口にいってしまえば、食うために小説を書いているとも言 われるのだ。が、その反対に、食えない身分にもしなったときにでも、あるいは小説を書きたく て書くかもしれない。しからば、今ここで食うために小説を書くと答えてみたところで、その答 えはけっして完全なものじゃない。 小説を書く理由は複雑で、今ここで一言に答えることはできぬ。                               (明治四十一年十月一日『新潮』)