昔 の 話 夏目漱石  昔のお話である。  おおみそかになるとワッセール・ポールととなうるはちへ、香料を加えたビールを盛って、門 並み回って歩いたならわしがある。このワッセール・ポールが回ってくると、吉例として、家ご とに何分か心添えを喜捨したものじゃそうじゃ。その時はいろりのそばに多人数集まって、この ワッセール・ポールを順々に次へと飲みまわす。お互いに一つはちに盛った酒を飲み干して、年 内の憂苦を忘れるはもちろんのこと、仲たがいの反目もピールのあわとともに消えるそうじゃ。 従来の不和を酒に酔わせて盛りっぶすのは、ちょっと趣向である。酒はけんかのなかだちともな るが、|暢気《ちようき》の道具ともなる。酒で始まったけんかは必ず酒で手をうつにきまっている。酒は人間 の窮屈というかどを和らげてぐにゃぐにゃする。腹の中へ注いだ酒は、四方八方を循環して、ど こもかしこもしなやかになる。ことに目玉は、飲めば飲むほど柔らかになる。しまいには持ちき れないで流れだす。だから、四角ばった人間に融通をつけるには、いつでも酒を用いる。けっこ うなものを発明したものじゃ。  スコットランドのある地方には妙な習慣があった。おおみそかの晩にはおおぜい土地の大名の 屋敷へ集まる。そのうちのひとりが牛の皮をかぶって、家のぐるりを駆けまわって歩く。外のも のもめいめい棒を持ってこの男をたたいて、追いかける。寒い時分のことであるから、牛の皮の 先生も長い間外におるわけにはいかん。しまいに降参をして、家の中へはいろうとする。その時 に、戸を開いてやるものが、家の中に入れてやるから歌をうたえというと、当人はあらかじめ用 意のため、記億した歌をうたって家にはいるのだそうだ。  これもスコットランドの話だが、おおみそかが過ぎて元日と明ける夜の天気で、一年分の時候 を占うそうじゃ。南の風が吹けば暑気で豊年、西風ならば大漁、北風だと寒くてあらし、東風の おりは果物がよくなる。  元日の贈り物もその以前は一般にはやったものである。今ではクリスマスの贈答で新年は賀状 さえもやりとりする者がないくらいだが、昔からこうではなかった。新年の贈り物のうちでちょ っとおもしろいのは、いなかの小百姓から地主に献上した物である。これはどういう訳か、先例 によって鶏を用いる。もっとも、皆食料用の鶏である。むろん、ごちそうのため,ー、文字どお りの意味において、地主の腹を肥やすためであろう。このほかに、・・カンを贈ることがある。、・、カ ンのまわりに丁子の干したのをたくさん刺したのを持って、子どもなどが戸ごとに回って歩いた ものだそうだ。ミカンの代わりにもらうのは、むろん金である。この、・・カンを酒つぼの中へつる しておくと、酒がカビくさくならず、いつでもよいかおりがするという話じゃ。  あるところでは、広い野原のうちに高さ八、九尺もあろうという大きな石があって、毎年正月 元日になるとその近辺のものが総出になって、月光の下にこの石柱をめぐって踊り明かすのだそ うだ。楽器は何も用いぬ、ただ調子を合わせて歌をうたうぱかりだというから、日本の盆踊りに 似たものでもあろう。広い原、高い石、村人、歌・:・想像するとはなはだ興味がある。絵にした らおもしろかろう。詩にもなる。  正月酒を飲んで病気が直ったという話がある。ウイリアム・ハンタ1とかいう男だユ、うだ。年 来持病のリュウマチスで床の中からはい出すこともできなかったが、正月が来て皆が酒を飲むか ら、自分も病中ながらつきあい半分に少々飲んだ。ところが、どういう拍子か、少々が少々で済 まないで、|乱酔《らんナい》という程度に達した。すると、不思議なことに、翌朝から手足が自由にきくよう になったのだそうだ。なお不思議なことには、それから二十年間ただの一度もリュウマチスに冒 されたこともなく、無病息災に暮らしたそうだ。正月酔うのは薬とみえる。  元旦に聖書を開くことも一種の習慣である。家内のものが集まって、朝飯まえにやる。むろん 本気でやる。聖書は閉じたまま机の上に置いてある。そこへひとりが出てきて、うやうやしくこ れを開く。むろん、いいかげんに開くのだから、どこが出るかわからない。開くやいなや、あて ずっぼうに指をぺージの上につけるりこの指のついたところがだいじな場所になる、この二、三 行のところをおおぜい寄って朗読して、おおぜいで注釈する。指を載せた本人の当年の運の吉凶 は、この二、三行に含まれているのだそうだ。観音さまのおみくじのようなものだろう。  ブランドを読んでいたら、こんなことが載っていたからちょっとー。かかる清閑のある新年 はめでたい。                              (明治三十九`年一月一日『日本』)