ミルトン雑話 夏目漱石 「さよう、Poeは元来lyricを好んで、epicなんどはだめだという意見を持っていた。で、自分の"The Raven"などはだいぶ得意の作であるらしい。わたくしは"Paradise Lost"の愛読者でもなし、また西洋人でもないから深くはわからぬが、。'Paradise Lost"と"The Raven"とはとうてい比較にならぬ。というのは、分量の多少や、巧拙の程度でいうんでない、読んだときに耳に訴える感じについてである。まず"The Raven"はTrochaicのtetrameter で始まっている。内容の意味はさておいて、読んだときの感じは非常に軽快である。さわやかなsmooth な調子があると同時に、はきはきして歯切りがいい。一言にしていうと、気のきいた江戸っ子語といった調子である。"Paradise Lost"は中のsubjectを離れても調子が重い。ご承知のとおりbrankverse で iambic pentameterを使ってあるが、非常に長い字やむずかしい字が出てきて、調子が augustな響きを持っている。いわば金のわらじをはいてドタリドタリと歩いているといった気持ちがする。それでPoeの軽快という意味から見ると"Paradise Lost"はheavy でしょう。  が、またMiltonのほうからいうと"The Raven"は悪くいえばラッパ節みたいなものじゃないですか。  もしreadingのほうからいって、わたくしどもにおもしろいのは"Tne Raven" です。うまいぐあいに調子づいているParadise Lost" ももちろん調子はとれているが、その調子たるや荘 厳雄大で、ある部分は−むしろある部分を除くのほかは大声不入俚耳のかたむきがある。これ はsubjectと関係あるが、趣味からいっても、調子からいっても、 Miltonのものは皆Latin語からきているので、Poe などには見られないところです。  「Miltonの散文はことに Latin語の翻訳で、全然Latin的なheavyな堂々たる調子がついている。小説などには書けないものですねえ。だから、日本人が読むと、あまりおごそかで読めないかたむきがある。のみならず、五行も十行も続いた文章でdependent clauseが多い、maze(迷路)にはいったようなもので、どこにsubjectがあるのかpredicateがあるのかわからぬ。しかし、それでいて西洋人にばおもしろいのでしょうね。いわば源氏物語や平家物語が、わからぬな がらも一編の趣がおもしろく読まれるというのも同じ訳でしょう。だけども、われわれ日本人にはどぅしても読み苦しい。ことに教えるとなると、苦しくてたまらぬ。わたくしはかつて早稲田大学で、 Miltonの"Areopagitica"を先任教師から受け継いで教えたことがあったが、どうもわからなかった。わかるようでわからない。わからないながらもやっていたのですから、当時の生徒はさぞ迷惑したことと思う。今でも思い出しては赤面のいたりだが、これはただにわたくしが若年であったばかりでない、かそらくだれが教えてもじゅぅぶん教え込むことはできないだろうと思う。  あの時代は、皆こんな文章を書いたもので、 Miltonより少しまえのRichard Hookerの有名な"Ecclesiastical Polity"なども、Latinの語格を英語に輸入したので、むずかしい文章となっている。今再び"Areopagitica"を教える勇気があるかと問われても、やはり苦しいでしょうよ。だが、"Paradise Lost" などは詩として読めば、口調の荘厳な点はラッパ節よりはありかたいでしょぅ。"Macbeth"にある有名な   This my hand will rather   The multitudinous seas incarnadine の二行めにあるような長い文字を使って調子を重くするやり方はMiltonもうまかった。Penta- meterの中に、地名や神話中の人名などを一行ほど連ねたり、また長い字をたたみ込んだりし て、なめらかで荘重な調子を作るというのがよくMiltonにある。よい例でもないが、Paradise Lostの第三巻 Thee, Father, first they sung. Omnipotent, Immutable, Immortal, Infinite, Eternal King; thee, Author of all being, Fountain of light,. のたたみ方や、第二巻の by them stood Orcus and Ades, and the dreaded name Of Demogorgon; Rumour next, and Chance, And Jumult, and Confusion, all embroiled, And Discord with a thousand various mouths, などでも解る。