倫敦のアミューズメント 夏目漱石 明治三十八年三月明治大学においてー  諸君、わたくしが夏目先生です。(笑声起こる)いったい、わたくしはこういうところで話をしたことがないのですけれども、隈本さんがむりにしろというので、つい引き受けたものですから、何かやらなければならぬことになってしまいました。しかし、当分はそれなりに済んでおりましたが、もう趣向がついたろうと思うから、この二月にはぜひやれという話であったが、しかし二月といって差し迫っておりまして、わたくしはこう見えてもたいへん忙しいのです。なかなか遊んでるからだじゃないのですから断わった。そのかわり、三月になれば必ず何かやりますと言質を取られたわけであります。それで、三月になってみると、今度は先方から十一日にぜひ何かやれというわけでございますから、筆記なんかされるということとは少しも考えずに出てまいったのです。(笑声起こる)それで、どうも非常に忙しいのですから、そのために何の用意もで 倫敦のアミューズメyト きませんが、しかたがない、もう時日が差し迫ったものですから、本を持ってきました。つまり、この本の中にあることをしゃべるのです。別にどうもえらい演説をする材料もありませず、そういうたくわえもないのですから、ただこの本のことについて、ちょっとお話をします。しかも、本のことをよくのみこんでおれば、本なんか持ってこないで覚えているような顔をしてお話をしますが、モれもできませんから、つか丸たら本を見るということにいたします。(笑声起こる) それで問題は 「演題未定」としてあります。だれも知らなかった。ただいままで当人もよ くわからなかった。この本は『アミューズメント・オプ・オールド・ロンドン』という名の本で二巻ありますが、これはその一巻であります。二巻持ってきてもしかたかございません。それで、この中のある部分についてお話をするというので、つまり今日言うことはこれだけがもとでなんですな。この本はしかし、よい本であります。(笑声起こる)こういう絵がはいっておりますから。(この時書物を示す)この絵は普通の絵てはないのです。手でもって絵の具を使ったので、高い本です。これはあまりないでしょうから、この中のお話は少しは珍しいかと思うのです。中にどんなことが書いてあるかというと、あまりかもしろくはありませんかもしれませんが、ロンドンの昔の、この表題にもあるとおり、「アミrl _ズメント」ですな、娯楽といいます かな、まず日本でいいますと興行物です。見せ物、今はないのですけれども、昔どんなものがはやったかというようなことが書いてありますから、—もっとも、今日お集まりになったかたは法律などおやりになるかたもだいぶござんしょうが、しかしこの英語の本などをお読みになるかたには、たいへん知っておって便利になるようなことが書いてございます。それをニゴニかいつまんでお話をしようかと思うのです。  それで、まずわれわれの考えでは、西洋人というものはたいへん人道を重んずる。まあ、畜生、犬牛馬などにたいへん丁寧である。丁寧であるといっても、あいさつはいたしませんけれど’も、取り扱い方がすこぶる丁重である。現に、今世紀になってから、動物を優待するという会ができた。優待というのはおかしいですけれども、苛酷に取り扱わないという会ができております。それで、われわれの考えや、またわれわれが平生犬やなんかを取り扱っているところを西洋人に見せては恥ずかしいくらいわれわれは残酷である、とこう自分も思い、また西洋人も言うのです。しかしながら、西洋人だって、われわれだって、人間としてそんなに異なったことはない。少しまえにさかのぼってみますというと、ずいふん猛烈な残酷な娯楽をやって楽しんだものである。現に今でもスペインでは、かの闘牛といいまして、牛をじらして、傷つけて楽しむとい うことは、今日でも皆やっている。それはまあス。ヘインあたりに限ることで、イギリス、フーフンスあたりにはとても行なわれない。また、行なわれさせないくらいに残酷なるものとなっておりますが、それと似寄ったようなことがこの十八世紀、今から百年ぽかりま丸には英国にも行なわれた。百年ま丸と言わんよりも、十九世紀にはいって、十九世紀の初めどろには、ずいふん残酷な、まさかこれと同様でもありますまいが、よほど近いような乱暴な娯楽でありました。  それがどういうところで行なわれるかというと、やはり浅草の奥山というようなところであ るo ロンドンはご承知のとかり今では非常に広いところになっておりますが、昔はごく狭 二百年ま丸にさかのぼればなおさらでありますけれども、−今の い、今から百年ま丸は、 ほとんど何十分のーくらいなもので、現にこの世紀の初めには、かの動物園のあるところ ーロジカル・ガーデンといって非常に広いところで、一度わたくしは行ったことがありますが、半日ぐらい中でじゅうぶん費やされるところです。中には料理店などかありまして、一日でも暮らせますが、もっとも、寝ておればいつまでも暮らせますが、休まず歩いても半日ぐらいかかる非常に広いところです。そこへ十九世紀の初め、まだ動物園のできないときには、ウサギやなんかが出てきて樹木をかじりましたり、作物を荒らしてたいへんいかぬということでした。現に、 今生きている人のおとうさんぐらいな年輩にあたる人の苔い時分には、そのあたりでよく猟をしたのですな。猟といってシシなんかはいますまいが、ちょっとしたハトとかキジとかというものがとれたそうです。今ではそれがほとんどロンドンの中央でもありませんけれども、まずまあ、けっして外郭というほうの側には属しておらない。で、これで見ても、ロンドンの延長する激しい度合いは恐ろしいものであります。したがって、娯楽の場所も人口に比例し、面積に比例して非常にふえておりますから、どこに何があるということを教えたらたいへん七ありましょうが、今お話をしようというのは、そういう繁華な今日のお話でなく、ごく昔のお話でありますから、したがって娯楽の場所というものもまずー、二指を屈すればたいがいわかるはずです。ことに取りたててか話をしようというのは、ホアクレー・イン・ゼ・ホールといいまして、これはクーフーケンウエルというところにあります。そのホックレー・イン・ゼ・ホールというのは、一つの建物、興行場ですな。錦輝館みたようなところででもありましょうか。そこで娯楽のため、いろいろ興行をやった。そのことについてお話をしようと思う。そうすれば、ほかのものもおのずからわかろうという、こういうだけの話です。  さて、ホフクレー・イン・ゼ・ホールはどんなところかというと、今ではないのです。これは たいへん湿地でありまして、東京で申すと本所、深川というようなジクジクした湿っぽいところ で、しじゅう水が出てたいへん不潔なところである。そこで、市区改正の結果として、そこは土台を高くしてしまったのです。高くしてしまいましたから、今ではその塞はむろん取り払われていて、その場所もどこたかわからなくなっておりますが、まえにはずいぶんきたなそうでどざいました。しかし、ど承知のとおり・:七はない、ど承知でないかもしれませんが、今申すとおり、たいへんジクジクしたところで、へんぴなところであります。本所、深川というような場末でありますからして、近所近辺あまりその品格のよい人が住まっておりません。きたない塞がずっと連ねてありまして、その周囲には、博労とか、あるいはごろつきとか、ブ了アャーとかなんとかいう人がたくさん住んでいて、はなはだ危険な場所になっている。むやみにそんなところへ足を踏み込むとどんなめに会うかわからない。それで、品格のある人、身分のある人は、容易に足を踏み込まない。たとえ踏み込んでも、あまり人に知らせないように隠れて行く。また、行ったところが、きたなくってしようがないところである。 そこでヽその時の広告を見ると、ジェントルマンとハう宇がことさらに書いてある。 ¬ジェyトルマン」というと紳士、今では紳士ということをだれでも使います。日本でもそうです。 あたかも奥さんということをだれでも使いますとおりです。まあ、巡査の女房でも、みそこしをさげて豆腐を買いに行くものでも奥さんという。あるいはやお屋からショウガなどをぶらさげてくる女房でも奥さんというどとくに、ジェントルマンということばもたいそう使われている。わがはいもむろんジェyトルマyであります。あなたがたもむろんジェントルマyであります。  (笑声が起こる)だれでもジェyトルマyでありますが、その時分はそうはいかないです。話がわきへそれますけれども、いったいジェントルマンという語は、あれはレ″サー・ノビジティーといいまして、貴族のかたわれです。まず貴族を分けて公侯伯子男、これはグレーター・ノビジティー。第一がDuke.第二^ Marquis.第三がEarl.第四がViscount.第五がBaron. 日本のとおりです。この五爵をグレーター・ノビリティーと申します。それからレ″サー・ノビジティーになると、第一がエスクアヤー、今ではわたくしどものところへ来る手紙にはエスクアヤーと書いてある。わたくしは貴族ではないけれども、しかしすでにジェントルマンになった以上は、けっして「エスクアヤー」になれないことはない。まだバロンと書いてきたのはないけれども、もう少したったらそのくらいになりましょう。それから、エスクアヤーの次がすなわちジェントルマン、ジェントルマンの次がヨーマy、ヨーマyというと、イギリスの土着の郷土豪族のような もので、かの戦国時代には大きな長い弓を持って戦争に従ったものです。まずそれだけぐらいを、やはりノビリティーのーつと数えてあるのです。だから、ジェントルマンというと、今ではそれが通俗になりましたが、ほんとのの意味をいうとむずかしいものであります。 そこでお話がもとへもどって、広告にジェントルマンとある。 ジェントルマンのために特 に席を設けたから、ジェyトルマンにど光来を願うという広告がある。まえ申すとかりの場所がらですから、夏などでありますと、非常に臭い。息がよく通わない。それゆ丸に、ことにジェントルメンス・クール・ガレジーといいまして風通しのよい二階などを設けて、−—・席料で申すと特に一円二十五銭ぐらいのところを設けて、ここに入れた。その広告がいまだに残っているのである。そのくらいなことをわざわざ広告するところでありますから、その他のきたなかったことは推して想像ができるのであります。だから、ジェントルマンなどはめったに、そういうところへはいらなかった。  きたないところでありますが、その中でやることがら、すなわち娯楽は、一般イギリス人の大いに嗜好に投じたもので、いろいろなことをやりました。第一にやるのがいわゆるベャー・べ1チyグ。あなたがたかイギジスの本をお読みになると、ときどきそういう宇にお会いになるでし ょう。ベヤというのはクマです。ベーチングはからかう。ベヤ・ベーチyグはクマにからかう。クマにからかって遊ぶのです。  どうしてからかうかというと、これはまたおもしろいのです。まず宇の起源からお話をするが、ベヤ・ベーチングという娯楽の起源は、よほど古いものだそうです。よく知りませんけれども、なんでもキング・ジョンの、ときにイタジー人がはじめてクマをイギジスヘ持ってきまして、そうしてその時からこの娯楽が起こったと伝えられている。代々、下等社会のr-'- 'l&tbS上等社会といえどもずいぶんこの娯楽には熱中したものです。かの有名なるタイy・エジザベスぱ非常にこれが好きでありまして、その時分にはベヤ・ガーデンという一種の今お話しするホアクレー・イン・ゼ・ホールに似たような場所があって、そこでベヤ・ベーチyグの慰みをして楽しみました。ずいぶん盛んに行なわれたもので、その盛んに行なわれたということは、下のか話でもわかります。 ヽ元来このベヤ・ベーチyグは、おもに月曜日と木曜日にやるのです。たいてい昼やります。ところが、クイン・エリザベス先生はたいへんこの遊びが好きですから、ベヤ・ベーチyグをやるために当日はしばいを禁じたこともあるくらいです。しぼいも興行でありますから、毎日やらな ければならぬ。けれども、月曜はベヤ・ベーチyグをやるためにそっちへ見物を取られてはいかないからというので、クイン・エリザベスがわざわざおぶれを出しまして、しばいをやってはいかぬ、見るならベヤ・ベーチyグを見ろという。まことに盛んなことで、その時分のクマはたいそうなもので、ちょうど常陸山とか梅ガ谷という資格をもっている。パブジ″ク・キャ}フクター パプジ″ク・キャラクターというと公な人物、クマだから人物ではありませんけれども、訳 すればそうです。一個人の所有ではない、全体の人が寄ってたがって、あのクマはどうとか、このクマはどうとか言って評判したのです。  そこで、ベーチングということをまだ説明しなかったですが、ベーチングというは何をけしかけてからかうというと、イヌをけしかける。くだらない話です。クマにイヌをけしかけて楽しむという。どういう了見かわからないのです。けれども、人間は了見がわからないでも、やっているとだんだんわかるようになってまいります。日本でもベヤ・ベーチングが始まれば、たいへんおもしろいお屯しろいと騒ぎだすにきまっています。それで、どんたぐあいにイヌをクマにけしかけるかと申すと、まず杭を立てるです。このくらいな杭を立てまして、そうして鎖を結びつける。鎖の長さが一丈五尺、これはほんとうです。その先へもっていって、クマに首輪をしてそ.0鎖 へ結びつけるです。するというと、クマが杭の周囲をグルグル回ることができますな。円を画してクマは回ることができますけれども、鎖がありますからその外へ飛び出すことができない。そこへもってきてイヌをけしかける。クマあるいはウシ。ーーーウシの話はあとでしますが、クマなどはああいう厚い皮を着ております。厚い皮を着てヽおりますから、イヌが食いついても容易に何か食い取って持ってくるわけにはいかないですな。食い取るわけにはいかないでしょう。そこでい ろいろ考えたものですな。この眉間ヘバーフの花、造り花ですよ、それをちゃんとくっつけるので す。イヌというやつはどこへ食いつくかわかりませんけれども、こういうところを目的にやって来ます。もしイヌがロゼNト、造り花のづフに食いついてそれを持ってくると名誉です。それからは偉い犬になってしまいます。イヌの番付の順が上るわけです。たいへん珍重されたものです。  そこで、クマはご承知のとおりイヌがかかっていくと四つ足にはしてがりません。立つです。二本足で立ってしまう。これは日本でもそうです。北国のほうでクマ狩りをします。槍で突きますな、そうすると、クマは立って応ずる。クマが手でもって槍をこう外へはねる。これはイギジスの話ではない、日本の話です。ですけれども、どこのクマでもそうです。二本足で立ってイヌをかかえて締めるから、イヌが死んでしまう。それでなければ、イヌの上へころがって、上から 締めつける。そうすると、イヌの息が止まってしまう。そこで、その広告を見ますと、イヌをなんべん掛けるということが明記してあります。「レ″ツゴー」といいます。「ファイブ・レ″ツゴー」と言ったり、「スリー・レッツゴー」と言ったりする。三べんけしかけたり、四へんけしかけたり、五へんけしかけたり、あるいは二百けしかけたり、三匹のイヌをけしかけたり、いろいろあります。それが非常にはやったもので、そこへ行く者はむろんかけをするために行くのです。クマがイヌに食われるか、食われないか、こういうようなことをかけをしに行って、まあいろいろやかましいことを言って、そこらで一日騒いだものです。  クマはご承知のとおり、あまりたくさんおりませんから、遠くから持ってこなければなりません。だから、なるべく珍重したものです。珍重するといいますと、クマをイヌで責めて殺してしまうまでにクマを痛めない、よいかげんのときに、クマをもとのとおりにしてしまう。それから次回にまたクマをもとのように出す。これがいわゆるベヤ・ベーチングというやつです。しかしたがら、ベヤ・ベーチyグはそんなにクマがたくさんおりませんからして、したがってどうもそうポピごフーでないけれども、第二の、これからお話しするのは、そのベヤ・ベーチングよりはよほどはやったものです。それはプル・ベーチyグです。  プル・ベーチングというのは、ご承知のとおりウシです。ウシをからかうのです。クマをからかったあげくウシをからかうのです。そのからかい方は、やはり同じですな、ウシをやはり杭ヘつなぎまして首ったまへ鎖を結びつけて、やはり花を眉間へ置くです。つのの先を丸くするのです。丸くしないと、ウシがつのでイヌをひっかけますから、イヌを痛めないために、なるべくつのを丸くしておく。あるいはいろいろくふうをしまして、ウシのつのの先を少し切りまして、そうして切った上へもってきて、またほかの大きなつのを継ぐのです。こう長いつのができるのです。それで、いざイヌをけしかけるときにウシが応じないことがあります。応じないときには、焼きゴテを当てるのです。むごいことをやったものです。焼きゴテを当てて、そうしてウシが大いにおこって突っかかる。これをおもしろがったものです。そうして、ときどきばウシですからモーと声を出す。その鳴き声を珍重したのです。あの鳴き声はいいウシだ、あのウシにかぎるなどと、いろいろな評判が出たものです。(笑声起こる)これはほんとうです。それから、イヌをけしかけまして、イヌが食いついたりなんかしますから、ウシの口のところは血だらけになる。そうすると、その口の血をぬぐい取らせる。  イヌはいろいろな種類のイヌをけしかけるのでありましょうが、その持ち主がウシの前へ持っ ていくのに、耳をとらえまして持ってくる。そうして、なかなか放さない。ウシの前へ持っていって、イヌがすり按けて飛びかかろうとするやつを、持って押えております。いざ、非常にイヌがおこって、これならばというときに放すです。そうすると、そのイヌが一直線につっかかっていくです。それでイヌの巧拙がわかるのです。うまくいくやつは、のどぶえへ行く、あるいは眉間へ行くです。これは局所ですな。ここに今のロゼ″トといいまして、づフの花がくっついてなる。そこへ行くやつがありますし、それから拙なイヌになりますと、あるいはひきょうなイヌになりますと、様子を見ていて、容易に行かない。ときどきぶつかってみちゃあ、また今の鎖より遠い距離へ行って黙って見ている。もっと下等なfヌになりますと、初めから行かない。初めから少しもかからないやつがある。もし飛びかかっていって、ウシのつのでもってはねられるというと、これは高いところへ行くのです。三十尺も上るです。そうして、ある本に書いてあるところによると、三階にかった女の前だれの上へ落ちてきたという話がある。なんだかたいへん高く上がったものですな。それから、そういう高いところからイヌが落ちるから、グサ了とつぶれるわけですが、つぶさしては資本がなくなりますから、イヌの持ち主がイヌがつので巻き上げられるやいたや、すぐ走って出て受ける。あるいは棒を持っていく。そうして、落ちてきたところへ 棒をあてがうと、イヌが棒をすべって降りて落ちますから、あまりケガをしないでも済む。猛烈なイヌになると、そういうふうにはね上げられて、びっこになります。びっこになっても飛びかかる。非常にきかん気のイヌがあります。いったん飛びかかって食いつくと放さない。それはたいへんなものです。見てきたようなお話をするが、ちゃんと本に書いてあります。なかなか放さない。どうしても放さないというときには、棒を持ってきて、ほかの入がウシを捕えていると、イヌの口の中へその棒を入れて、そうしてひねるのですな。そうすると、ようやくイヌが放すという。それがまあ、ブル・ベーチングの激しいのです。これもまたかけばかりをして、そうして客を引いたものです。 プ了ァャーの話に、−ブ了ァャーというは牛屋のていしゅでナ。その牛屋のていしゅの話に よりますと、ウシを絞めるまえにこうやるがよいという。ウシを絞めるま丸にはこうやってイヌにかからせておくと、殺したときに肉が柔らかくなるという話ですが、どうかわかりません。  この遊戯はたいそうはやったものです。現に、十九世紀のはじまりまで大いにはやったので、ある人などはたいへん熱中しまして、死ぬときに遺言して死んだという話がある。どうかおれが死んでも、プル・ベーチングだけは年に一回興行してもらいたい。そのかわり、それに関する費 用はがれの財産の中から払ってよろしいからと、こういうりっぱな遺言をして死んだというが、今では禁じられておりますから、そういうふうになっておりますまい。たぶん、その人の言うとおりにならなかったかもしれませんけれども、そのくらい熱心な人があるくらい、一般に行なわれた娯楽なのです。  また、そのほかにはイヌとイヌをかみ合わせることもやります。また、ある時は広告などにありますが、六尺のトーフを何日何時どこそこでもってイヌに苦しめさせるから来てみろというようなこともある。ある時はウマをやったこともあります。ウマはなんとかいうローチェスター伯の持ちウマでありましたが、非常に性質の悪いウマで、他のウマをかみ殺すというので、しかたがないから、ホース・ベーチングをやって殺してしまおうというわけですな。いよいよというとき、そのウマヘイヌをけしかけたところが、よくよく悪運の強いウマとみえて、なかなかかみ殺されない。しかたがないから、しまいにウマの持ち主がウマをぴいて、ロンドXプジ″ジまで来た。ところが、ま丸の広告にイヌをけしかけて殺すまでウマを苦しめるから来てみろと言ってきたのですから、見物人が承知しない。ロンドンプジズゾまで帰ってくると、見物が騒ぎだした。うその広告を椙した、けしからん、というので小屋をたたきこわしたということがあります。  その他いろいろな珍談がありますが、そんなことは略してしまって、そのくらいより知らないからそのくらいにして、それから今度は、人間という動物がそういうところでけんかをすることを、ちょっと申し上げましょう。  これは、そのマスター・オプ・ゼ・アート・オプ・セルフ・ジフェンスと称する手合いのすることです。今では柔術家が西洋へ渡っておりますが、その柔術をセルフ・ジフェンスのアートととなえてかりますが、このことぼけ近来製造したのではない。その昔十八世紀ごろからあるのです。これが一種のプロフェ″ション職業になっておって、いわゆる剣客はこの試合を商売道具として客を引いたものです。それは何をするかというと、而も着けず、脂手もはめず、胴も着けないで、普通の姿をして出て、刀で切り合う。ずいふんむごいことをやるのです。日本では撃剣の勝負はありますけれども、刀で切り合って見せることはない。ところが、それをやるのです。真剣勝負をやるのです。その広告はいろいろあります。ひとりの人のチャレンジがある。わがはいだれそれは今まで何百何十度の試合をして、いっぺんもおくれをとったことはない。しかるに、今回だれそれに向かって決闘を申し込むとあると、そのアンサーが付いている、答えが付いている。わがはいだれそれはだれからの申し込みを快く受けた。もし神が許すならば、許さんだって 出れば出られますが、もし神のかぼしめしにかなうならば、当日出て大いにめざましい働きをして、相手を斬殺してやろう、というようなことがある。  さて、当日になって、どんなことをするかと見に行くと、やはりほんとうにやるです。その武器はいろいろなのがあります。刀もありますし、その刀も日本の刀みたいに刃が一方についている刀もあれば、突く刀もある。あるいは刀でないとクオタースタ?\フ、日本の捧ですな、突く棒、刺す股と言いますな、あの棒を用いる。西洋の小説を読んでみますと、棒使いの名人が出てきますが、西洋でも棒を珍重したものです。その棒を使用してやります。そこで不思議なことがある。何が不思議かというと、そういうふうに、決闘を毎日のように興行するにもかかわらず、人が死なないのです。死んだ例がない。百年間にただひとり死んだ。それは膝脹脛を切られてパク リと傷口が開いたのです。それだけの傷です。なんでもない、 なんでもなくはないけれども、 生命に別条がないです。ないけれども、それから毒がはいって死んだ。それが唯一の場合です。そのほかに死んだやつはない。たいてい眉間に傷をつけられたり、腕をやられましたり、いろいろなことをやりますけれども、死なないです。死ぬほどはやらない。死ぬほどやらないというのは、相談ずくでやっているかというと、なんだかそれがわかりませんけれども、死ぬほど深くも やらない、またやるつもりもない。そういう興行物をして人の目を引くためにやりますから、殺さないです。そこで、いっぺん傷を受けると、はちまきをして出できまして、またやる。しまいには死ぬまでやるかと思うと、死ぬまでやらかいで、いつかやめてしまうのです。 それで、ジチャード・スチールというイギリスの文学者 十八世紀の文学者 その人の書 いた『ス。ヘクテーター』、ど承知のとおり、アジソyが書いたので、その中のある場所をスチールがてつだって書いてあります。が、その『ス。ヘクテーター』に撃剣家のことが書いてあります。ホアクレー・イン・ゼ・ホールのそばのビヤホールみたようなところへ先生がはいって酒を飲んでいると、そこへふたりの撃剣使いがきた。そうして、お互いに話し合っている。何日の何時におま丸とどこで立ち合おうなどと言っていた。よろしい、そこで傷はぼくが受けるか、含みが受けるか、と相談している。ぼくが受ける、と片一方のやつがいう。ただしあまり深く切って屯らっては困る。よいかげんに切ってくれる以上は、ぼくが傷を受ける番になろうということを相談し合ってかったとありますが、それは内幕をあげいて、あるいは風劇的のことかもしれませんけれども、とにかくひとりも長い間に死んだ者がないというところを思いますと、そんなことがあったかもしれない。これが人間をたたかわせる娯楽のーつでありますが、人間もモうなると動物 みたようなものであります。 その次には女です。その女の扮装を見ると、肉じゅばんみたような、どくからだヘピタ?sとく っつくジャケ″トを着て、西洋の女はど承知のとおり、長いすそをひきずっております。あんなものを着ておってはとてもできませぬから、短いもすそを着けて、それからまたズボンのピタ″とつくものを着、白いくつたびをほき、その下へもってきて、ンンプスといいまして、ゴムのくつをはく。これは自由自在に助けるため、今舞踏をするときにはくようなくつです。そのくつをはいて女がか互いに名のりをあげて、わがはいllわがはいとはいいますまいが、わたくし何のなにがしはだれそれとけんかをしました、とこういう。それで、残念でたまりませんから、公衆の面前で決闘をして恨みを晴らそうと思う。もし引き受けるならば、何日の何時にどこそこまで来い、というこういう申し込み広告ですよ。広告へ申し込みが出ているというと、それに対する答えがちゃんと出ている。その答えには、その申し込みは決く承諾する。わたくしも今まで人とけんかをしたけれども、負けたことはない。今度会ったときには、ことばよりもブローをよけい与えてやろう、ということが書いてあるのです。たいへんな女です。それで、いざという場合に女が出てきてなぐり合いをするですな。まあ、なんといってよいかわからない。おかしなことに は、その女が手のひらへ金を入れて握っている。握っておってもし金を落とすと、そっちが負けになる。それは、女はいったいサルの性分をうけてひっかくほうが得意ですから、ひっかかしてはいけない。げんこてやらなければいけない。すなわち、げんこを使わないかそれがあるから金を手のひらに入れまして、どうしてもつめを使わないように、手のひらをあけるがいな゛や、それが負けとなるという趣向です。ときには夫婦ともにけんかすることがある。これは夫婦げんかではない。相手が夫婦、こっちも夫婦、夫婦ともかせぎにけんかをすることがある。(笑声起こる)それも例が出て会る。それらがまあこのホアクレー・イン・ゼ・ホールというところでやった娯楽のおもなるものて、その他まだお話しすることはないのでもないのですが、・:・これだけではまだ短いですな。するというと、もう少し何か会話をしたいが、どうもいけないな。そろそろ本を見る。(笑声起こる)  今度会話をするのは、コアク・ピ″トという、けり合いです。もうきょうはろくなお話はできない。こういうげびた会話ばかり。コ″ク・ピ″ト、ニワトジのけり合い、このニワトジのけり合いが非常なる勢刀のあるもので、けっして日本でみたようなきたならしいニワトジではない。たいへんなものです。また、ニワトジの歴史を研究してみますというと、::ずいぶんそういう とたいそうですけれども、ある人の説によると、これはギリシャから伝わったものだと、こんなことを言っております。それははたしてそうか、どうかはわかりませんが、なんでもギリシャのセミストクレスが戦争に行くときにいなかを通ったのです。するというと、ニワトジがふたりでl・ふたりではないな、二羽でけんかをしていた。そうすると、それがセミストクレスの目に止まったという。セミストクレスが、どうもニワトジでさえも、ああいういうふうにけんかをしている。いわんや、人間たるものがけんかをせざるを先んではないか。諸君、あれを見たまえ、と言ったです。見ると、いっしょうけんめいにけり合いをやっている。あのニワトリは国のために戦うのか、恨みのために戦うのか、なんのために戦うのかわからないじゃないか。かれは、けんかをするためにけんかをするのではないか。武士の標本だ。戦え祓えといって、大いに戦争をした。それから、セミストクレスの催しで、毎年一回ニワトリのけり合い会をこしらえた。これはギリシャ人の勇気を助けるためにそういう吉例としまして、毎年一回ずつニワトリをけり合わしたという。これがそもそもけり合いの濫崩てあるというようなことが書いてある。(笑声起こる)うそかもしれません、l‘うそかもしれませんが、とにかく東洋から来たものだと、こういうことだけは確かなようでありますが、その東洋からしていかかる人が伝えたか、それらまあわから ないとあります。わからないけれども、へyリーニ世などは大いにこれを奨励して、そして喜んでやられたという話ですから、たいへん古くからあったものにちがいないのです。  ど承知のとおり、ニワトリ’のけり合いの運命にもよほど消長がありまして、ある時は非常にはやり、ある時は非常にはやらなかったといいます。かのクロムエルなどという先生が出たときは、ニワトリ’をけり合わせるはけしがらん、やめてしま丸といって、ニワトリを一羽もけり合わせなかったという。(この時校外へ号外売り来る)ところへ号外が来た。(笑声起こる)どうもあんなものが来るというと、楽天のほうがおもしろいですからな。ニワトリのけり合いより、日本とロシアのけり合ってるほうがよほどおもしろいで{与(笑声起こる)どこをやってるんだかいっこうわからない。ーニワトリのけり合いですか。ニワトリのけり合いのことを叙したものがあります。ニワトリのけり合いについて大いに書いたものがあります。これほど承知のとおり。ヘピスという人がありまして、。ヘピスという人が昔の日記を書いたのであります。その。ヘビスの日記は有名なものでありまして、今でも文学者、歴史家の材料にはたいへんなるです。何月何日どこそこへ行って、どんなことがあったとか、だれがいやなやつだとか、自分のことでも他人のことでも遠慮なしに書いてある。これは人に見せるために書いたものでもありますまいが、どうい うぐあいかのこっている。この中にピ″トの話が書いてある。。ヘピス先生が書いたので、それは千六百六十三年にシュー・レーンヘ行ってみたという、その時の話が長く書いてありますが、めんどうですから、そんなことは略してしまって、だいたいのお話を申しますと、こうです。  どうもそのニワトリは非常にがんこなやつで、いっぺんけり合いをしだしたらば、いつまでたってもやめない。いつまでもやるひどいニワトジだ、と書いてある。そうして、そばの者がワイワイやかましく言って、しじゅうかけをして、けんかをする。どうもやっかいたところだ、とも書いてある。そこで、このニワトリのけり合いをする場所は、今のペピス先生のデスクジプシmンでもだいぶわかりますが、実にくだらない。たいへん乱暴な野蛮なものであったらしいです。 それから、その構造は コアク・ピ;\ト、ここに絵がありますが、(この時書中の絵を示す) 小さいからとてもわかりますまい。ちょっとかもしろい絵です。日本のけり合いとちがいません。塞が円形にできているのです。丸くできておりまして、中央が低くなっておって、周囲が階段になっております。そうして、上から見るようにできております。  このコアク・ピ″トの絵には、有名なホーガスという人が書いだのがあります。それは有名な絵です。きょう持ってこようと思ったのですけれども、忘れてしまいました。持ってきたって、 このくらいな大きさの絵ですから、あなたがたにおわかりになりますまいが、持ってくればよかったけれども忘れましたから、ついでのときに、あるいは普通の時間にお見せ申してもいいです。ただし、構造は今お話しするとおり丸く段々になって、そこでけり合いをやるようなしくみになっているのです。 それから、 なんかついその諸方をちょいちょい言いますから、とぎれとぎれではなはだ続 かないから聞き苦しいかもしれませぬが、まあど勘弁を願って聞いていたたくですが、このコ″ク・ファイティングは、イギジスヘ移ってどういうふうにやったかというと、イギリスでは初めはいなか者がやったものです。市街の者、都の者はこういうことを好まなかったものとみえまして、まずいなかでニワトジでも飼っている者、あるいはニワトジ屋のていしゅみたような者がやったものとみえます。  娯楽としていなかに限ったものが、漸々のちになって都の人、身分の高い人、雲上人までもやるようになった。日本のニワトジのけり合いは近ごろはやりませぬが、あれはニワトジ屋の親方がおr*Pになる。華族さんなどがニワトジをけり合わせるということはないようです。ところが、イギジスでは上等社会もやったのですから、したがってニワトジの種類、1−のちにお話ししま すが またあのけり合いをするときの扮装やなんかは、ニワトジに扮装などはありませんけれ ども、たいへんなものですよ。そこで、このニワトジのけり合いというのは、ことにイギジス人の非常に熱中したもので、大陸のほうではあまりなかったのです。あったかはしりませんけれども、イギリスほど盛んでなかった。ドイツ人がイギジスヘ来てコアク・ピ″トを見て非常に驚きまして、その盛んなること、皆が熱中していることに驚いて、故郷へ手紙をやったという話かおる。イギジスでイギジス人が狂気のように騒ぐのは、国会議員の選挙と、それからニワトジのけり合いだと書いてある。ですから、非常に熱心にやったものと思われるのです。  これからどんなニワトジを選ぶかということについてちょっとお話をしますが、まず第一形ですね。それから色、それからどのくらいニワトリが強いかということ、強くなければだめですがらね。それからけりづめです。モれらの点を総合して、これは良いニワトジだ、これは悪いニワトリだというようなことを判断をして仕立てるのです。まず形のほうから言いますというと、あまり大きくってはいけないですな。あとでか話をしますが、このニワトジをけり合わせるについては、目方を量るのです。何ポンド以上のものははいれない。何ポンド以下のははいれない。よいかげんな重さのニワトリでなければいけないのですから、あまり大きなニワトジも、小さなニ ワトジもいけない。色はネズミ色、黄色、あるいは赤色、あるいは胸だけが黒いという。黄色の ニワトジなどというのがあるでしょうか。しかし、本にはちゃんと書いてある。それから、ニワ トジがどのくらい強いかということは、ニワトジのちゃんと立っている姿勢でわかるという。歩 き方などが鷹揚に歩くニワトリは強いだろう。それから嗚吉方でわかるだろうという。そんなこ とから、これは良い、これは悪いということを決めるのです。  それからつめですな。このつめは鋭いつめである。あるいは鈍いつめであるという鑑定をつけ‘る。そんなことで、どうかこうかそのニワトジの善悪を決める。しかしながら、そのニワトジが そういうふうにたいせつなニワトジでありますから、初めから卵からか丸すこともやるのです。 買うこともありましょうが、途中から卵をかえすときになると、だれとだれの卵だということを たいへん吟味するのです。どのニワトリとどのニワトジでつがってできた卵だと、こういうので す。それから、それをかえしますな。それから養育をするという。あるいは卵を盗みに行くとい う騒ぎになる。たいへんな騒ぎ、非常に熱心なものです。そこで、卵が手にはいってゆいしょ正 しい卵だという認めがつくとかえします。か丸しますときには、非常に注意して見ているので す。その見てかってだめなのがある。適当な徴候を現わさない。すると、しょうがないから、こ れは絞めて食ってしまうという。こういうわけ、当然の話ですが。どういうのが悪い徴候かと申しますと、こういうことが書いてあります。  ニワトジが六ヵ月以前に鳴いてはいかない。妙なことですな。六ヵ月以前に鳴いてはいけず、しかもその鳴吉方が明らがなる声を出して、そうして太い声を出して鳴いてはいかない。それから、時を限らないで鳴いてはいかない。朝か晩かわからないでむやみにコケコ″コウと鳴くニワトリは、とてもだめです。そんな時を知らないニワトリは、とてもものになれない。これはけり合いには使えない。これはおくびょうで、そうしてうそをつくようなニワトリだという。なるほど、夜明けに鳴くべきニワトリが夜鳴くとうそをついている。そういうことはいけないという。  モれと反対で、ほんとうのニワトジになりますというと、どうも時を限っていつでもまちがいのないところを鳴くと。、こういうのです。そういうニワトリはじゅうぶん仕立てるというわけです。その仕立てる方法が、まあたいへんむずかしいのですな。  まずまあ、ピ″トといいまして、けり合いをさせる場所に入れるまえにはいろいろな養育がい るですな。トレーニング、ちょうど今でいうと運動会のトレーニyグ、あるいは短艇のレースを やるま丸に皆が食べ物とか飲み物に非常に気をつけるのと同じように、ニワトジでもそれが六週 間かかります。初めの四日は阿を食わせるかといいますと、パyを食わせる。パンを目角に切りまして、このくらいた小さな四片にして食わせる。それをその、日の出るときぐらいに食わせるですな。それから昼ちょうどドンが鳴ると食わせる。日が没すると食わせる。三べん食わせる。モういうふうに四日間パンを食わせておいて、それから今度五日めになりますと、ほかのニワトジとかりに試合をさせる、ほんとうにさせるのではない。まあ、どのくらいけんかができるかという、これはSparといって、ほかのニワトリとかりに試合をさせる。その時には手袋のようなものをはめてけり合いをさせる。めったにひっかいてはいかない。手袋ではない。足へはめますから足袋と言いますか、皮でこしらえた袋をはめてけり合いをさせてみるのです。それがすむというと、今度は汗をかかせます。汗をかかせるというのはどういうことかというと、おけの中ヘわらをいっぱい詰めまして、その中ヘニワトリを入れる。わら湯をつかわせるというくらいに暖かいところへ入れてやるです。そうして、砂糖水を飲ませます。それからバターをなめさせます。たいへんな手数です。それから、夕刻になるとストーブの中から出してやります。ストーブの中から出してやって、目と頭を飼い主がなめてやる。なぜなめるんだかわからないと、この本に書いてあります。(笑声起こる)わからないでしょうな。しかしながら、なめるほうが強くなる という。元来日本でも、とさかなどをなめていますよ。これがまあ、その修業の第一期ですな。  それからあとに食わせるものは、まずビスケ″トを食わせたり、あるいは麦の粉を食わせる。あるいはビールを飲ませますな。(笑声起こる)それから卵の白身を食わせる。ニワトジのくせに卵を食うのは妙ですな。自分で自分を食っているようなものですな。もっとも白身だけを食うのでナ。それから運動をさせる。その運動の方法は、このくらいの囲ったところヘモのニワトリを入れておきまして、わたくしならわたくしが、けり合いのできないどく駄鳥ですな、役にたたないニワトジを抱いてみせる。そうして追いかけさせる。わたくしがニワトリを持って逃げると、そのニワトジが跡を駆けてきましょう。そういうふうにして、日々運動をする。ときどきばそのニワトリを出して突つかしてみるということをする。それからあとに、また業っ葉を食わせる。バターをなめさせるという。かくのどとくトレーニングを重ねていきまして、それからまず第一ヵ月が済んでいよいよ試合の始まる二週間ぽかりま丸になるというと、こんなに運動をさせてはからだにさわるというので、やめるのです。それから冗談のけり合い、これもしばらくやめさせます。ただ、ときどきはくだらないニワトジを追いかけさしたりするのです。いよいよ四日まえから、ろくに運動もしなければ、何もしないでもよい。ただ遊ばして寝かせておくのです。それ から四日めには、今度はいよいよけり合いをさせるというので、いよいよからだを飾るのです。その飾り方はおもしろいのですがな。頭の毛は坊主にジョキジョキ切ってしまう。くりくり坊主にする。五分刈り三分刈りにする。それから、首のところも切ってしまう。その他しっぽはちょうど扇を開いたごとく切ります。  それから羽ですな。翼ですな。翼を一本一本に、はすかけに切るです。一本一本に切るのです。これは羽ばたきをしたときに敵の目をつぶすためです。それから足へもってきて、針をはめます。われわれがくつのここへはめるようなもの、足でけるのでしょう。けるときに普通のけり方ではいかないから、そこへもってきて外科医者の使うような曲がった針をはめるのです。それは銀でできているのと、鋼でできているのがあります。かけの安いときには鋼のほうを使う。というのは、鋼のほうが強うどざいますから、ウyとやると早く勝負がついてしまう。銀はさほどに鋭くないから、長く戦争が続くので大きなかけをする。百ポンドとか二百ポンドとかいう大きな金でかけをするときは、なるべく戦いを長引かせるほうがよいですから、銀をはめる。  こうやってはじめてけり合いの場所へ出すのですから、なかなか金がいる。貧乏人にはできないことです。日本のニワトジ量の親方などがやるのとはたいへんな相違です。非常に金のかか る、手数のかかることをやらなければならんのです。それから、ニワトリをいよいよ出すことができるという場合になると、今度はニワトジの会というものをやります。けり合いをする会というものが始まる。  その会には幾とおりもありますが、その大きなものをメインといいまナ。宇の意味からいうと、おもなるものという義であります。すもうならすもうでいうと、それは大ずもうというやつです。その中にはバイバ″トル、あるいはウエルチ、あるいはバ″トル゛・ローヤルというのがあります。それはあとがら説明しますが。  そこで、メイyということをやるま丸に、すなわち大ずもうをやらせるま丸には、たいへんな儀式がいるものです。すなわち、ニワトジをたくさん寄せまして、目方を量らねばならぬ。だれとだれとをけり合わせるということを決めねばならぬ。すなわち、いよいよ大ずもうの始まる一週間ま丸ぐらい、あるいは何日かま丸にそれをやるのです。その何月何日に出会って目方を量るということは、その個条書きがあって、こまどましいことにいたるまで、これは法律的の文句でちゃんと認めてある。しかしながら、このニワトジとこのニワトジとけり合いをするまでは聞かあれば、その間に目方を増そうと思えば、おいしい物を食わせたりして、なるべく精をつけてや る。それは当人のかってしだいでありますけれども、その目方を掛け合わせるときには、非常に厳重な手続きを要するのです。それでその目方はどのくらいあるかというと、まず三ポンドハオンスから四ポンド十オンスとこういう。それよりも重いニワトリ、それより軽いニワトリは皆掻き出されてしまう。もっとも、これはそれより重いニワトリでも番組の中へはいれないからし、て、番外お好みということでやらしてもかまわない。  それで、このメインというのは三とおりあります。すなわち、今の大ずもうというのが三とおりありまして、いちばん長いのが一週間続く。毎日毎日やって一週間続く。これはロンドyにいるすべてのニワトジの持ち主と地方のニワトリの持ち主との競争のすもうです。ロ\ドンのニワトジと地方のニワトリと競争する。一週間のけり合いだというので、地方からわざわざ出てくるのです。これをロング・メインと唱えます。それから、短いのになると三日あるいは二日ぐらいで済む。  それからもう一つウエルチというのがある。このウエルチには金杯をかけたり、プタ何頭をかけたり、その他いろいろなほうびをやってやるのですが、これはウエルチ・メインととな丸るのです。これは十六羽のニワトジを選んで八羽ずつ組み合わせてやる。勝って残った八羽をまた四 羽ずつに分けて、またやらせる。四羽残ったニワトジを、また分けて今度は二羽になるまでやって、二羽でどっちか勝ったものが最後の勝利を占めるというやり方です。  また、バトル・ローヤルは十羽とか二十羽のニワトリを一度に放し、かってしだいにけんかをさせる。だれがだれをつつくやら、うしろからつついたり、前からつついたり、どこの敵をけっているかわからない。それから役人が立ち会います、行司というわけで。それがふたりでありまして、フィーダースまたはセタースソーという名であります。これはニワトジとニワトジが場所へ出ますと、ニワトジの態度をこしらえてやる。ニワトリのくちばしとくちばしとを持ってき て、ちゃんと合わせるようにしてやる。また、毛脛やなんかに足をからんだりすると直してや る。そういう役人がふたり。もう一つはテラー・オブ・ゼ・ローといいまして、法律を話す人と訳のつく役です。それは審判官です。この審判官はどんなことをするかというと、この場所ではたいへんなかけをする。金銭の出入りでありますから、すこぶるやかましい。したがって、そのかけをやるには、非常にむずかしい儀式、こまごましいことを覚充ておらねばならぬ。めったなことをやると争いができますから、専門にこんな役を作って便宜を計ったものとみ充ます。そうして、そのかけにはたいへんなのがあります。五百ポンドから千ポンド、日本の四千円から一万 円というのがある。もっとも、かけの種類にはー度どとにかけるのと、悉皆の全勝にかけるのと いろいろありますけれども、とにかくモういうばくだいなかけをする。そこで、テーフー・オプ・ゼ・ローというのがまえ申すとおり勝負のうえについていろいろな世話をやくのです。たとえ ぱ、ニワトジにも校揖なのがありまして、敵に容易にかからない。遠くから形勢を観望している のがあります。そうすると困るです。ロング・メインといいまして、たとえば一週間も続くときには、とうてい早くかけづけなければならぬのに、いつまでも「待った」をしてぐずぐずしておってはしようがない。その時はこのテクー・オプ・ゼ・ローがこんなふうなさばき方をする。すなわち、勘定をするのです。一、二、三、四、と、二十までを二へん繰り返します。それでもニワトジが立ち合わなければ、また十を十ぺん繰り返して百までいいます。しかも、その間にいろいろな文句を言う。「ワンス・レフューズド」とか、「トワイス・レフューズド」とか、十の切れめごとに呼びます。それで十を十ぺんくり返して時を計っても、まだニワトリがけり合わないことがある。すると、見物の中から、そのニワトリはだめだからやめろという。もしそのニワトジが勝ちだとかける者があるならば、こちらは四十かけるがどうだといって、土俵の上へ帽子を投げて相手を捜すのです。それでも応ずる者がないと、ニワトジは土俵からさげられてしまう。 すべでこんな処置をつけるために、テーフース・オブ・ゼ・ローがくっついている。  それから、先刻ちょっとお話をしましたホガースという人のかいたけり合いの図の中に、こういうところがかいてあります。ニワトジがけり合いをしておおぜい見ていると、なんだか画面ヘ影がさしている。その影が妙な影で、だんだん調べてみると、こういうわけなのです。  かけをする場所ですな。かけをする場所に金を持たないではいり込むやつがときどきある。あるいはにせ金を使うやつがあります。そういうやつは、妙な刑罰になるのです。かどがありまして、ギュー″と旗ざおの上へつるすぐあいに、そのかどの中へその人間を入れて、棒の先へつるしてみせるです。ホガースの絵にあるところは、その興行場の屋根の先へそいつかつるされて、とけいを出しているところが地面に写ったものだそうです。このとけいをやるから勘弁してくれ、降ろしてくれ、降ろしてくれという意味を絵で示したものだそうです。つまり、白分か金を持たずにかけをしたのはまことにすまないから、このとけいをかけのかわりに取ってくれということを、画工だからこういう趣向でかいたのです。  まあ、そんなものですな。もう三時十分ですから、たいていよろしゅうどざいましょう。今度はおもしろい話をしますよ。きょうはおもしろくないのみならず、どたどたして、秩序がなくっ て、お聞き苦しかったでしょう。しかし、これでもおもしろいと思う人は、かってにおもしろいと思ってください。(拍手かっさい)                        (明治三十八年四月八日—五月八日『明治学報』)