客観描写と印象描写 夏目漱石  これは近ごろの小説家のよく用いたがることばであるから、むろん小説の描写すなわち書き方 に関した術語にちがいないが、むやみに用いる割合に使用方がすこぶる|荘漠《ぼうばく》としているのでハ了 解に苦しまされるものがだいぶ多い。中には客観描写と印象描写を両刀のごとく心得て、同時に 振りまわすことができるように説いているものもあるようだが、これはあたかも金貨本位と銀貨 本位を同時に採用すると一般で、はなはだしき乱暴である。わが文芸欄の読者の多数はとうから 気がついているだろうとは思うが、世間には批評家のいいかげんなでたらめ術語に迷わされて困 るものも少なくなさそうだから、ちょっと弁じたい。  元来、純客観な描写と称するものは、厳密にいうと小説のうえで行なわれべきはずのものでな いが、それはとにかく、俗に客観的なことがらというのは、われわれの頭の中に映る現象のうち, で、甲にも乙にも丙にも共通の点だけを引きぬいて、便宜名づけた約束にすぎない。言い直すと、 主観けうちの一般に共通な部分がすなわち客観なのである。自分の頭の中に花が赤く映る事実は もちろん主観である(自分の頭の中に起こる現象で、ひとの頭の中に起こる現象でないから)。 けれども、この赤という事実について、+人が+人、百人が百人ことごと三致したときにはハ 甲なる自分と乙なる他人を離れて、赤い花が独立して存在するものとみなすことができる。すな わち、漱石の頭に映る花は赤いと断わる必要がなくなって、ただ花が赤いといえば済むから、そ れを客観の価値が生じたと称するのである。ところが、印象描写印象描写としきりに振りまわさ れている印象という字は、まったく反対の性質を帯びたものである。印象とあるからには必ずだ れの印象と付加しなくては意味が完全しないことばである。もと印象という語は、インプレッシ ョンの訳であって、印象と二字並べて使う以上は、なんぴともこの裏面に原語のインプレッショ ンを繰り返さないものはないくらいにめいりょうな訳字である。試みに、西洋人のζの字を使う 場合を調べてみるがいい。必ずわたしのインプレッションとか、あの人のインプレッションとか、 ある格段な人の特別に所有した印象と断わってないことはない。 (ない場合は印象と他の同種類 のことば、たとえば|感覚《ちち》とか|情操《 ヤ》とかに対立させたときにかぎる。ちょうどだれの父といわねば 父ということばの意味は完全しないけれども、子に対したり、おじに対したりして用いるときは、 単に父と言い放七にするようなものである)  すでに|甲《ちへ》の印象と断わらなくっても通用しない字ならば、|甲《 ち》の印象であって、必ずしも|乙《ちち》の印 象じゃむいと限定したと同然である。したがって、印象的の事実というものは、十人が十人、百 人が百人に共通であるとはかぎらない。否、十人十色というくらいに違うべき筋のものである。 自分の頭に映る花が赤いとまではだれも一致するが、この赤い花から受ける|心持《へちち》ちはめいめい違 っているかもしれないからである。  だから、客観描写の徳は一般に通ずる点にあって、印象描写の趣は作家の特有な点に存するの である。むろん、一編の小説を作るうちに両描写を兼用することはできるが、主張としてこれを 併立させることは性質上不可能である。一行の描写を見て、これが客観的描写でかつ印象的描写 だなどというのは、あたかもこれが君主独裁で同時に民衆同決だと騒ぐようなもので、頭のある 人の口にするをはばかるべき言いぶんである。  そのうえ、厳密に論じると、まえにも言ったとおり、純客観の叙述なるものは、科学以外には ほとんどありうべからざることである。もし客観的描写を主張して極端まで行くとすると、かれ は頭を下げたとはいえるが、かれは感謝したとは書けないわけになる、感謝のつもりて頭を下げ たのだか、人をちゃかするつもりで頭を下げたかは、向こうの心理状態をこちらでいいかげんに 想像したにすぎないからである。だれが見ても頭を下げさえすれば感謝の精神が現われたんだと 断定するほど、吾人はこの客観的現象の裏面に固定した心理状態を付着していない。それはドン が鳴っても必ずしも昼飯だと決めないようなものである。これと同じく、ただ笑ったとは書け るが、|苦《り》笑したとか、|冷《つ》笑したとかはけっして書いてならんことになる。苦笑とか冷笑とかいう ギいなや、吾人は先方の心理を端摩することになって、半ぱ客観の現象を離れるからである。  小説の批評や議論が盛んになるのは、文芸界に住する一人とし(余のもっとも喜ぶところであ る。けれども、自分の使用する用語の意味をもよく考えずに、むやみに頭の確かでない青年を吹 きにかかるのは、はたから見ていても青年にきのどくである。一般の読者にはあまり狭すぎる題 冒とは思ったが、以上の理由で数言を費やした。                          (明治四十三年二月一E『東京朝日新澗』)