『坑夫』の作意と自然派伝奇派の交渉 夏目漱石 『坑夫』のいわれはこうなんだ。..ある日わたしのところへひとりの若い男がヒョックリやっ て来て、自分の身の上にこういう材料があるが小説に書いてくださらんか。その報酬をいただい て実は信州へ行きたいのですという。今はわたしの家にいるが、その時はいっこう見知らぬ人だ ったので、それに|上田敏《うえだぴん》君がいとまごいに来てごたごたしていたときだから、わたしも話を聞い ているひまがない。で、さいふからいくらかつかみ出して、これで行けるかときくと、行けます という。今夜はまだ立たぬかというと、おりますとの答え。じゃ、今夜ともかくも来てその材料 というやつを話してくれと、いったん帰してやった。ああはいうものの、なんの、かたりかなんか なら来やしまいと思ってると、正直にその夜やってきた。そして、三時間ばかり話を聞かせた。 それは新聞に書いたのとちがって、おもに坑夫になるまえの話だったが、わたしはパーソナル・ アフェア(個人の事情)は書きたくない。向こうの言ったとおりに書けばよいけれども、小説にす るにはどうしても話を変化させなきゃならん。すると、その人がきのどくのありさまになるから、 なるべくは書きたくない。それで聞いてしまってから、わたしは、こりゃ信州へ行ってからきみ 自身で書いちゃどうか、できたものがおもしろかったら、雑誌へ載せるだけの尽力はしてやるか ら、と勧めると、じゃそうしましょうといって帰っていった。ところが、その後信州へも行かな ければ、書きもせん様子。そうこうする間に朝日新聞に小説が切れて、|島崎《しまざき》君のが出るまで、わ たしが合いのくさぴに書かなきゃならんことになった。さっそく思い出したのは例の話で、本人 に坑夫の生活のところだけを材料にもらいたいがさしつかえあるまいかと念を押すと、いっこう さしつかえないという許しを得たから、そこではじめて書きだしたのが『坑夫』なんだ。最初の 考えじゃ三十回ぐらいで終わるつもりなのが、とうとう長くなって九十余回に上ってしまった。  あれに出てる坑夫は、むろんわたしがいいかげんに作った想像のものである。坑夫の年は十九 歳だが、十九の人としちゃ受け取れぬことが書いてある。だから、現実の事件は済んで、それを あとから回顧し、何年かまえのことを記憶して書いてる体となっている。したがって、まあ昔話 といった書き方だから、その時その人が書いたように叙述するよりも、どうしても感じが乗らぬ わけだ。それはある意味からいえば文学の価値は下がる。そのかわり(自分を弁護するんじゃな いが::)昔のことを回願してると公平に書ける。それから、昔のことを批評しながら書ける。 良いところも悪いところも同じような目をもって見て書ける。一方じゃ熱がさめてるかわりに、 一方じゃ、さあなんといっていいかー遠い感じがある。当たりが遠い。いわゆるセンセーショ ナルの激しいかどを取るこ`とができる。これはしかしある人々には気に入らんだろう。  も一つは、あの書き方でいくと、ある仕事をやるモーチブ(動機)とか、所作なぞの解剖がよ くできる。元来、このモーチブの解剖というやつは非常に複雑で、われわれの気づかんところが 多くある。これを真に事実として写せば、ごくごく|煩裟《はんさ》なものであって、ほとんど書き表わせな い。よし表わせても|煩《はん》に耐えぬ不得要領のものとなってしまう。おもしろくないせいかもしらん が、ある意味からいえば、かかる方面のことはあまり多くの人がやっておらん。のを、わたしは かえってそれが書いてみたいー細かくやってみたい。という念があるから、事件の進行に興味 を持つよりも、事件そのものの真相を露出する。甲なることと、乙なることと、丙なることとが 寄って、こうなったというふうなところに、主として興味をもって書くロー詳しくいえば、原 因もあり、結果もあって脈絡貫通した一個の事件があるとする。しかるに、わたしはその原因や 結果はあまり考えない。事件中の一個の真相、たとえば£なら に|低個《ていかい》した趣味を感ずる。した がって、書き方も、 という真相の原因結果は顧慮せずに、甲、乙、丙の三真相が寄って をな している。それがおもしろいと書く。すなわち、同じ低掴していても、分解的にできてるところ が多い。この書き方はある人には趣味がないだろう。もしあるとすれ ば、 という真相は、いかなるものが寄ってできたかと説明して、イ ンテレクチュアル・キュリオシティ(知力上の好奇心)を満足せしめ たときに興味が起こる。ところが、説明を聞いても、そんなことはお もしろくないとか、自分にはとてもわからんとかいう人には、もうと う興味は起こらん理屈なのだ。 ABC 真相 甲 真相 乙 真相 丙 (真相) 脈絡シタル一事件  ここに一っの行為がある。たとえば活人画を見物するとする。と、その見方に三つの趣味があ る。願わくは活人画の人物が動かずに、長くあの好ましい姿勢をとってくれれぱいいと希望する 趣味が一つ。第二はあのありさまが変じたら今度はどうなるんだろうということを考えるんで、 これは事件の筋を喜ぶ人なんだ。また第三はなんでも事件の内幕に興味を持つ。すなわち、|活《ム》人 画を見せるにいたるまでのなりたち、事情を知ろう知ろうとするのだ。わたしのさきに言った書 き方はこの第三に属するので、つまりコンポジションをやった要素を知るところがおもしろい。 『坑夫』の書きぶりは第三のものだ。インテレクチュアル・キュリオシティのない人は、これを あまりおもしろがらん。だから、こういう人の目から見れば、活動が鈍くてただいたずらに長た らしく、同じところになんベんも徘個するものと思われるだろう。しかし、こんな書き方はわた しの主義ではない。ある時、ある場合にやってみたくなることがあるばかしなんだ。  いや誤解ということは世の中にあるもんで、このごろ自然派の議論がますますさかんとなるに つれて、わたしはとうていその派とは相入れないもののように目されてしまった。いったい、今 の自然派はロマンチシズムを攻撃するんでなくて、積極的に自派の主義を主張している。もうロ マンチシズム対自然主義じゃない。絶対的に自然主義万能論となって、その余のものは一顧の価 値もなく|按斥《ひんせき》されているのだ。自然主義の議論もいろいろ出た。解釈もさまざまある。わたしも いちいち見たんではないが、見たかぎりじゃいずれもおもしろい。ところで、世間ではわたしを 自然派と目しておらん。自然主義を主張する人は、間接にわたしを攻撃しておるように外面上見 える。この意味からいえば、わたしはとっくに弁じていなければならんのだ。けれども、.今まで なんにも言わない。言えなんだかもしらんが、まあ、言わなんだほうだ。なんとなれば、わたし は自然派がきらいじ佚、"い、その派の小説もおもしろいと思う。わたしの作物は自然派の小説と ある意味じゃちがうかもしらんが、さればとて自然派攻撃をやる必要は少しも認めん。だれが書 いてもできそこないは亜心く、よいものはよいにきまっているんだから、そこでことさらになんと いう意見も発表しなかったわけなのだ。  しかし、自然派の人々からいうと、われわれの書くものでは悪くて、自分たちの作物でなけれ ば文学でないかのごとくなのだ。こうなってくると、自然派の立場とわたしのそれとの比較研究 が多少必要となってくる。第一に自然派とはなんぞや、歴史的にいかなる価値ありて、いかに発 展せしものぞ。第二に、自然派は日本に渡ってその小説にいかに現われしか等を研究しなくちゃ ならん。けれども、自然主義はだれにもむずかしいとみえて、自然主義とはなんぞやと問うても たいていの者はめいりょうに答えられん。しかし、ぼんやりとはわかってる。が、ただまとめら れん。いろいろの作物を読んで比較を試み、その共通の要素を抜き出して、自然主義はかくかく のものだということもやりにくい。それは複雑で解剖ができんからだ。も一つには、自然主義の 意味がしじゅうぐらついているんじゃなかろうか。  だから、歴史的研究はまずやめて、心理的の物の見方の研究なぞからはいると、やりやすくは ないか。そのごく単純な最初の経験から出立して、しだいに複雑になるところを調べ`てみればお もしろくはあるまいか、とわたしは考えた。で、もとより|杜撰《ずさん》な、不完全なものじゃあるが、ま とめられるだけまとめてみた。すると、その結果は、むろん歴史上の自然派とか何派とかいうも のはなくなってくる。が、ただその名に結びつけて考えてみると、ロマンチシズムとナチュラリ ズムとは対立しているという興味のある一種の現象が出てくる。クラシシズム(古典主義)もこ の両者の中間に入れてはいらんこともないが、クラシシズムは世問でもほとんどなんともいわん から、今度はその名まえさえ出さなかった(今月のホトトギスへ|載《フフフフフ》ってるのがこの研究の発表で ある)。そこで、かかる研究ーというのも実はおおげさだが、こんなふうに出立したのによっ てみると、ロマンチシズムと自然主義とは、世の中で考えてるように相反してるものじゃない。 相対していっしょになれんというものじゃなくて、かえって'つの筋がズーと進行してるような ものだ。その筋の両極端に二主義を置くと、ちょうど中央の部では半々に交わるところができて くる。あるいは三分の一と三分の二とで交わってるところもある。あるいは五分の一と五分の四 とで交わってるところもある。すなわち、グラデーションをなしてる形となる。光線をスペクト ラムで分解すると七色に分かれるが、一色と一色との間はかっきりと別れていずに、混じってる。 ちょうどそんな事実を認めたんだ。  すると、今までの人が考えてたよりも、両主義を少し接近させて比較することができるように なった。どちらにかかたづけなければならんという考えが薄らいできた。これは一っの参考にな る価値はないだろうか。  も一っは、こんな階段で進行するものは、歴史的にはいかに動いてその間を往来しているかが 問題となる。いかなる社会的状態のときにはロマンチシズムに片寄り、いかなるときには自然主 義に傾くかということが、興味のある問題となってくる。この点でわたしの達した結論では、対 生に来るー互いちがいに来るのがノーマル(順当)の状態ではなかろうかと思う。けれども、 こういうと、ある時機の文学は必ず自然主義で、ある時機のは必ずロマンチシズムと取れるかも しらんが、ここのところは細かくいうと、人が見てそれほどめいりょうにはわからんこともある だろう。  さて、も一つは、両主義をどっちかにかたづけなければならんという必要はないんだから、し たがってどっちかに交わったものがたくさんできてくる。よって、互いちがいに来るという|趨勢《ナうせい》 は、理論的な大ざっぱの議論にすぎないことは明白だ。そして、この二つの傾向が、あるところ でイクイリブリアム(平衡)を得る場合には、調和を示すーある時機には対立しなくて、よく交 わることがある。クラシシズムとは歴史的に起こった名まえだから、やはり歴史的に定義をくだ さんければならんが、今のような研究から出立して、なへんにクラシシズムがあるかといえば、 今のイクイリブリアムを得た中央にある。このところを名づけたならば、ちょうどクラシシズム に相当したようなところが出てくるんじゃないか。けれども、この平均点はわずかの度合いで破 壊される。すると一方たとえば自然主義のほうが勝つ。勝った勢いで極端にズーとロマンチシズ ムのほうへ行って、またもどってくる。来て以前の点を通過し、なおずん ずん反対の方向へ向かって馳せていく。図にするとこうだ。     ロマンチシズム      ←  →     クラシシズム.中央平均点      →  ←    自然主義  で、ちょっと見ると同じことを繰り返すように思われるが、事実上、繰 り返しているのは傾向だけで、同じ文学を繰り返すことはけっしてできな い。また、ないはずだ。だから、同じロマンチシズムでも、五十年まえの と今日のとは、当然ちがわなければならん。自然主義もそうだ。  もしクラシシズムも存在するとすれば、同じくしかりだ。  では、傾向だけ繰り返して文学そのものはなぜ繰り返さんかという に、そりゃ知れきった話で、たとえばまえの図解で、ロマンチシズムが勝ったとする。と、その 勢いで自然主義のほうへ押し寄せてくるが、極端までいくとまたもとへもどる。そのもどったの は同じロマンチシズムでも、最初のそれとはちがっている。なんとなれば、いったん自然主義の 領分を通って、その材料を含有して帰ってきたからである。  まずわたしはたいてい以上のような結論に到着したから、いささか発表しておいた。これによ って、自然主義とロマンチシズムとは氷炭相入れざるものという思想を打破することはできるだ ろう。それから、まぎらわしい自然主義とかロマンチシズムとかの名に束縛されて、それに|拘泥《こうでい》 する弊をいくぷんかは除かれるかとも思うのだ。                           (明治四十一年四月十五日『文章世界』)