汽車の中         ー国府津より新橋までー 夏目漱石 ○もう汽車にはあきてしまった。昨夜は京都から乗ったんだが、寝台列車が満員で寝られずに困 った。 ○京都では高尾|栂尾《とがお》などに行ってみた。紅葉はまだ早い。少し色づきかけたというだけだ。その かわり遊客がなくっ七、真に一日の清遊であった。 ○カキはことしはまだ食べない。クリは食った。平壌グリというのがある。小さくて渋皮がとれ るんだ。それから、リンゴのような赤いナシを食った。 ○コーリャンはもう刈りかけておった。 ○満州では日本人がいたるところ盛んに活動している。その活動はなかなかめざましいものであ る。日本人もえらいと思った。 ○ヤマトホテルには一週間ほどいてバルピンのほうへ行った。市街の構造は大仕掛けであるが、 まだ未成品の形である。 ○朝鮮は満州とちがって山が多いところだ。空が澄みわたって、いい天気ばかりだったり京城の 雑誌屋に雑誌新着という赤いのぼりが立っていたからはいってみると、十月の中央公論やホトト ギスなぞがあった。読もうと思って買ったけれど、とうとう読まなかった。 ○新聞雑誌はほとんど四、五十日の間遠ざかっている。だいぶ世間にうとくなったわけだ。沢柳 氏が高等商業の校長になったくらいのことを知ってるだけだ。 ○いたるところ多忙で、ほとんど寧日なしだった。そのかわり、またいろいろのおかげもこうむ った。 ○講演には三度引き出された。大連で二度、営口で一度。京城と奉天ではとうとう断わった。 ○|釜山《ふざん》では山を二つこわして海を埋めてるんだとかいっていた。 ○馬関に着くと喜多六平太の|藤戸《ふじと》があると聞いたから、宝生さん(新)も来てるのかと思った。 ○満州にいる人は満州は健康地だというし、朝鮮にいる人は朝鮮は気候のよいところだという し、皆自分の働いているところをけっこうのように言っていた。自分もさよう思って帰ってきた が、内地に着いてみると内地もやっぱりけっこうなところだ。