家庭と文学

夏目漱石

さて第一に家庭と、——元来、家庭とはどういうものをいうか、わたしにはよくわからないのだが、しかし、とにか く、人間がたったひとりでいては、家庭にならぬ、家庭を作っているとは言えないらしい。家庭 といえば、どうしてもふたり以上の家族が一団となり、協同の生活をしていなければならぬ。し かのみならず、一般の場合においては、家庭ということばを聞けば、同時に必ずまた少年少女を 連想する。すなわち、家庭には子女があるという、これだけのことはまず明らかであるように思 う。

で、一般に、家庭にはまだ年のゆかぬ子女なるものがいるとしたところで、かの家庭に入れて もいい読み物とか、家庭に入れては悪い読み物とかいうのは、主としてまたこの子女等に対する 文学の感化についていうものであろう。

家庭の少年少女に対して、文学の与うる感化は、それがかれらを利するか、かれらを害する か、もしくはかれらを利しもせず、害しもしないか、この三つの中の一つである。しこうして、 ある種の作物を家庭に入れて悪いというのは、それが単に利を与えないというのみではなくて、 なお害になる点からというのであろう。

それならぱ、家庭の少年少女に対して、ある種の読み物が害となるとは、そもそもそれがいか なる点において害になるのであろうか。いかなる場合においてそれが有害無害の問題となるので あろうか。自分の見るところにょれば、それは主として作家の恋愛、男女両性の愛を描き出す場 合にのみ限られているらしい。

家庭対文学の問題を以上のごとき見地より追求してみれば、つまり問題の中心は恋愛の一事に 存する。すなわち、恋愛の表現を全然否定し去るか、もしくはこれが表現を許すとすれば、いか にこれを取り扱うべきか、この二つの問題になる。

恋愛の表現をことごとく除去し去って、文学特に小説ができうるやいなや、これは実際やって みなければわからぬ。できるとも、できないともいえぬ。これが言えなければ、恋愛の表現を全 然除却し去るべきやいなやは論題外となる。で、それは論題外としたところで、徙来の状態より してこれを見れば、ちょっとした写生などのようなものは別として、文学とくに小説脚本の類に おいて、恋愛の表現を全然欠乏しているものはあまり見あたらぬ。かの家庭の少年少女に悪影響 を受けさせぬようにとの希望ならびに要求をもって、世に現われたるいわゆる家庭小説のごとき すらも、全然恋愛の表現を退けてはおらぬ。おらぬものが多い。ここにいたって、家庭対文学の 問題は、一に恋愛の取り扱い方に関する問題に帰着するのだ。

さて、自分の見るところによれば、この恋愛の取り扱い方に関して、従来小説の一般に受けた る非難は、けっして根底のない非難ではなかった。そのような非難を受けたのは、けだし当然の ことなのである。というのは、今日わが国の小説は、爾余(じよ)の種々なる文化とともに、西洋からし て輸入された、まさに直輸入品の一つに属する。したがって、この直輸入品を現在の家庭に入れ ようとすると、そこにいろいろふつごうなことが起こってくるからだ。

そもそも、いずれの社会にあっても、その社会の現存組織を持続するのに、最もつごうのいい 観念が、常に他の諸観念を圧倒しているものである。ご維新以前などは、忠孝というような観念 が、当時の社会組織を持続するのに最もつごうよく、最も重要なる観念で、したがって他の諸観 念を圧倒していた最も有力の観念であった。で恋愛などのごときも、恋愛を描いた作品がないで はないが、その恋愛たるや(西鶴(さいかく)だけは別として)たいてい皆、世の中の義理なるものとの葛藤(かつとう) なので、葛藤の結果は義理の勝利によって解決せらるるものと決まっていた。もしこれがさかさ まに行けば、世人の同情は去ってしまい、その興味も失われてしまう。つまり、当時の小説に、 恋愛を単に恋愛として描いたもののないのは、もっぱら身を恋愛にうちまかせることは道徳的で ないという当時の考え、その考えと相伴っていたものである。

しかるに、右のごとき考えの、なお少なからず人心を支配している今日のわが国に、新たに輸 入されてきたところの西洋文学はいかなるものであるか。恋愛を表現するうえに日本従来の文学 と西洋文学とはいかに相違しているか。

西洋では一般に、本人に愛がなければ結婚はできぬ。しこうして、かく結婚に愛を必要とする のは、やがて結婚の自由を許しているゆえんなので、また恋愛に大なるシグニフィカンスを置い ている証拠なのである。かくのごとく恋愛に大なるシグニフィカンスを置いている社会におい ては、だいたい、検束なき恋愛が実際に存在する。ただに検束を受けないのみならず、ときには 忠孝等のためにこの恋愛を捨てるのが不徳である、罪悪であるとさえ考えられている。つまり、 この恋愛なるものは社会組織を持続するうえにけっしてつごうの悪くない観念なのである。少な くとも他のより有力なる観念のために圧倒さるるがごとき憂いはない。だから、あちらの小説は この社会状態と相応じて、もっぱらほしいままなる恋愛の表現を主としているのである。

ところが、わが日本の新文明というものは、全然西洋から移植された。文学ことに小説など も、その直輸入品の一つなのである。日本在来の社会状態の推移と相並行して自然の発達を遂げ たものではないのだ。現在の社会組織を持続するためには、やはり忠孝のごとき観念が最もたい せつなものと考えられ、他の諸観念は依然としてこの観念に圧倒されている。かかる時勢におい て、右に述べたような西洋文学が直輸入されたのであってみれば、そこにいろいろの不調和や、 不満や、不平の起こるのは無理もないことだ。今の小説が一般に、恋愛の取り扱いに関して世間 から非難を受けるというのに、なんの不思議もない、もっともなことである。それが世間から非 難されてはじめて気がつくなぞは、あまり気がきかなさすぎる。 「もししいて西洋の文学者などと同じように、検束なき恋愛を忌憚(きたん)なく書こうとならば、どうし ても多少現存の社会状態を動揺せしめてもかまわぬというような意気込みがなくてはならぬわけ だ。ところが、格別そういう意気込みがあるのではなく、ただ漫然といわゆる恋愛小説を作り、 世間、ことに家庭の排斥を受けたとする。排斥を受けて、はじめてそうかと気がついたとする。 それではちょっと困る。

以上は今日の小説の今日の家庭に入れられないゆえんを説明したのだが、要するに、この『家 庭と文学』なる問題は、恋愛を全然除却するかしないかの問題にはならないまでも、少なくとも 恋愛を表現するうえに立ち、いかに取り扱ったらばいいかの問題となる。つまり、その取り扱い 方に関して、家庭の監督者はどれだけの自由を許すか、子女たるものはどれだけの独立行動を主 張するか、また文学者はどれほどまで恋愛を鼓吹するか、これが要点なのである。

自分はこの問題に対して、ここに截然(せつぜん)たる解決を与うることができぬ。もちろん、日本旧来の 保守主義そのままでやっていくのがいいとは言わない。なぜかというに、今日の社会組織はだい たい在来の継続であるとはいうものの、しかも全然在来のままではない。現に親子の関係のごと き、日一日と変わってゆきつつある。すなわち、親は自分自身、日一日と子のほうに近づきつ つ、変化しつつある。しこうして、日一日と子女に負けつつある。これはただに親子の関係にの みかぎったわけではない。すべてのことにおいて、社会の組織は日一日と新しくなりつつある。 したがって、かかる時代において、ご維新まえの趣味傾向をそのままに表わすようなものを作れ ば、それでただちに家庭向きになるとはけっして言わぬ。けれども、そうかといって、現在の社 会状態が、まだ西洋におけるほど恋愛の自由を与えていない今日にあって、西洋におけると同じ 程度に恋愛を鼓吹するものを作り、あるいはそのような西洋文学を根こぎにして輸入する必要が あるとまでは思わぬ。それでは自分の立場はどこにあるのかときかれると、実のところ少々困る。 しかたがないから、恋愛は描かぬ。少なくとも今までは描かないでいた。これからさき、よし書 いたところで、自分はけっして現在の社会状態をあやうくするようなものは書かない。また、そ んな精神で書こうとはせぬ。これだけのことはとにかく明白である。

元来、恋愛の取り扱い方いかんによって、杜会状態をあやうくするとか、しないとかいう、そ の取り扱い方なるものは、まったく厳密に取り扱い方の義である。表現せらるるところの情熱の 大小強弱は、あえて問うところでない。ただその大小強弱、おのおのの情熱をいかに表現するか、 すなわち表現の方法が問題なのだ。しこうして、その方法なるものは、実際に書いてみなけれ ばわからぬ。——自分のことを例にとるのもおかしなものではあるが、わたしはあの『草枕』の 中で、若い女の裸体をかいたが、あれなどは、格別そう読む人にいやな感じを与えはしなかった ろうと思う。実のところ、わたしは裸体のようなものでも、書きようによっては、ずいぶんきれ いに、いやな感じを起こさせないように書くことができる、あながちできないものではないとい う、その一例としてあれを書いてみたのである。恋愛でも描写の方法しだいで、じゅうぶん清潔 に書きえられないことはなかろうと思う。もっとも、実際にやってみなければ確かなことは言え ないが。

ここらあたりで、一つの結論をつけてみよう。自分の考えでは、恋愛はあながち排斥するには およばぬ。熱烈なる恋愛の表現にでも、あながちこれを避くるにはおよばぬ。また恋愛を他の感 情すなわち忠孝などの感情に従属せしむるの必要があるともかぎるまい。ただ作家のほうにじゅ うぶんの手腕あり、その表現をして純潔ならしめ、無害ならしむるということだけが肝要である。

これまでお話ししてきたのは、一般に、ある種類の文学は、ある種類の家庭と相入れないとい うような方面から、『家庭と文芸』なる問題を研究したのであるが、さらに翻って他の一面、『家 庭に対する文学の貢献』というような方面から観察してみると、文学の効用なるものまた軽々に 見すごし去ることができぬ。

家庭の円満なる発達を期するためには、広い意味での趣味というものがたいせつである。従 来、わが国の家庭においては、その子女等は琴とか茶とか花とかを教えられた。名づけて芸とい う。実は趣味の教育にほかならぬのを、惜しいかな、その教育方法はまちがっている。方法がま ちがっているというよりも、むしろこれに対する考えが根本的に誤っている。趣味の教育として は師匠も教えず、自分も教わらず、親も教わらせぬ。単に機械的にのみやっているのであるから、 いくら琴をひいても、花をいけても、茶をたてても、趣味はいっこうに発達せぬ。ああいうやり 方ではまったくだめだが、もしよくその精神をくんでこれを教え、これを習い、これを習わせれ ば、まことに(よみ)すベき趣味の教育である。

文学もまた趣味の教育である。茶の湯や、生け花などよりはるかにたいせつなる趣味の教育で ある。

本来文学なるものは、趣味の向上ということ以外に目的を持たぬ。しこうして、趣味、特に道 徳趣味、たとえば、親に対してはかくかくすべきもの、兄弟に対してはかくかくふるまうべきも のというような道徳的趣味は、いかにして養わるるかと問えば、これはもっぱら目上の者からお そわるのだという。さて、その目上のものといったところで、親よりもすぐれて偉い教育者は、 詩人文学者である。してみれば、父兄はその子女の教育を依頼する気でこれを文人の手にゆだ ね、文人もまたそれだけの見識をもって筆をとらねばならぬ。とりわけ今日の時勢、親は親でま ったく子女の趣味を教育する資格はなし、学校は学校で趣味ということばさえ知らないような倫 理の先生が、なんの役にたとう。国家すでに道徳的趣味の教育を怠り、家庭またその任に耐えず としたならば、そのよくこれをなしうるもの、かの文人をおいてほかに何があろう。趣味教育者 としての文人の任務は、今日において特に重大なるものがあるのである。

しかるに、今日の父兄はこのたいせつなる文人の感化を子弟に受けさしていない。その子女に 対してはいわゆる芸などを習わせながら、その子弟に対しては、文学の影響を受けさせないよう にしている。少なくとも受けさせようということに、いっこうほねをおっておらぬ。けしからぬ ことである。そういう父兄だからして、みずからもなんらの趣味教育がなく、よし学問があると か、地位があるとかいったところで、非常に品の悪い、非常に野鄙(やひ)な人が多い。ほとんど今日の 日本では、自分で趣味の有無を決定されないようである。

かくのごとき弊風をためるのには、文学者たるもの、けっして漫然と筆を執っていてはなら ぬ。文学は人生の批評というではないか。趣味の高尚とか野鄙とかを、常人よりも二倍、三倍深 く観察して、読者にこれを教うるというのが、かれらの任務ではないか。

されば、父兄がその子女に生け花、茶の湯を習わすのに、それを単に機械的にのみやってはい けないのと同じように、文学もまたじゅうぶんその精神をくんで趣味の涵養(かんよう)に資するよう心がけ ねばならぬ。とりわけ筆を執るほうの人には、この心がけがなくてはならぬ。もしこの心がけさ えあるならば、よし外観上、今の家庭に有害なるがごとき観あるものといえども、実際は無害に 書きえらるるものと信ずる。万々一、この心がけをもって書いたものが、なお有害だとするなら ば、それは有害であってもかまわぬ。それはおそらく、害を受ける者の趣味あまりに低きにすぐ るがためで、いかんともいたしかたのないことだ。またもしいったん害をこうむって、かえって 趣味の高いほうに導かれるならば、それこそ一般社会のために賀すべきことである。いちじの流 毒はともあれ、究竟は、むしろ喜ぶベきことなのである。

(明治四十年二月一日『家庭文芸』)