感じのいい人 夏目漱石  わたしはただ同じ朝日新聞社にいたというだけで、ほとんど親交がなかったから、長谷川君に ついてはなんの話も持たない。もっとも、わたしが朝日にはいって以来両三度会ったことがある。 また、わたしも以前は本郷西片町にいたし、長谷川君も同じところにいたのだから、入社後に、 たずねていって大いに語ろうと思っていたことがあるが、ちょうどこの時分長谷川君は頭が悪い ので、近ごろはだれにも会わないということだから、遠慮してたずねもしないでいたのだが、そ の後しばらくして、銭湯で会ったことがあったので、頭のほうはどうかねと聞いてみたら、まだ 悪いということだし、それではたずねてもよくないことと思って、それぎりにしてしまって、わ たしはこっち(早稲田)へひっこしたものだから、とうとう、まじめに話し合ったこともなし、そ れぎり爰ぞしまっ有それで姦摯鱶中の日本ク彡で会ったことがあるが、この時簒 たしのすぐそばにいたのでなく・朝日の舳拯君としきりにロシヤの政治のことについて語ってい たので、わたしには政治のことはわからないしするから、その時もそのままになってしまった。 また、大阪朝日の土屋君と三人でいっしょになったときもあって、その時にはわずかばかり文学 の話も出たが、ほとんど断片的だから、これといってまとまった意見を交換したわけではなかっ た。あるいは真に文学上の意見を交換したら、きっともっとおもしろい話もあろうと思えるの だが、まえに言ったようなしだいだから、長谷川君については、せっかくだけれども、何の話 もない。けさの読売新聞で見ると、ダイナマイトでもうんぬんという話をしてあるが、わたしは そうは思わない。ちょいとした話をしたばかりでも、感じのいい、りっぱな紳士で、まことに上 品な人と思われた。先日朝日新聞社へ行ったときに、社員だちが話していた中に、日本へ帰って からにさせたいものだ、途中で棺にはならせたくない、ということばが聞こえたけれども、その 時には、まったく長谷川君のこととは知らなかったので、今になってみれば思いあたるようなわ・ けである。この春、年始状をくれたが、その文中に、いくじがない話だが、こちら(露国)の寒 さには閉口しているというような意味のことが書いてあったので、わたしも、返事を出したいと 思っていたが、どこへ出していいかわからず、あとで聞けば公使館あてにすればいいということ であったが、その時にはすでに帰途についたあとで、なんにもならなかった。長谷川君の文学上 の意見は、まえに言ったように、断片的に聞いたばかりで、まとまって意見を交換したわけでは ないが、長谷川君はまだ何か考えがありはしなかったかと思う。文学ばかりでなく、何かの考え があったことと思う。それもなさずに死なれたというのは、当人にはきのどくでならないが、遺 族の人だちのことを思うと、まことにいたましくてお察ししておるしだい。                            (明治四十二年六月一日『新小説』)