色気を去れよ 夏目漱石  わたしは禅のことを尋ねられたってほんとに知らん。まして、禅と文学の関係なんぞ。しか し、明治二十六年のネコも軒ばに恋する春ごろであ.った。わたしもいろけが出て、わざわざ相州 |鎌倉《かまくら》の円覚寺まで出かけたことがあるよ。  まあ、わたしのうわき話を聞いてくれたまえ、お寺に着いた時刻はちょうど昼少し過ぎ、奥ま った一室に通って宗演さんに面会したときに、ふとおかしくなって大いに吹き出した、だって、 昨今なら知らず、その当時の宗演さんはまだ年も若いのに老師老師というのだから、褝坊主とい うものはずいぶん矛盾したことを平気でしゃべるものだと感心した。面会が終わると別室に案内 される。当分の間ここに|起臥《きが》して大いに修業するつもりである。  いかなる機縁か、典座寮の宗活という僧と仲よしになって、老婆親切にいろいろ教えてもらっ たりさあ、明日から接心といって一週間は精神を抖撤し、万事をなげうって座禅くふうに従わね 色気を去れよ ばならぬ。そのいくさの門出に武者ぶるいがつい出る。  その夜宗活さんが遊びに来て、おもしろいものを聞かしてくれた。白隠|和尚《おしよう》の「大道ちょぼく れ」で、大いにふるっている。宗活さんは口をとがらしていう。   (中略)  宗活さんはひょうきんな坊さんだと思った。  やがて、このひょうきんな和尚もそばにいた他の和尚も帰ってしまって、わたしひとりぼっち に残された、禅寺の枯れたにおいが身を圧して雪舟の描いただるまが大目玉をむいてきそうに思 われる。すっぼり坊主くさいせんべいぶとんを頭からかぶって、鎌倉は|頼朝《よりとも》時代|北条時《ほうじよう》代もない 夢の国へとたどった。  「夏目さん、|開静《かいじよう》ですよ」  ふと目をさますと、宗活さんに揺り起こされていた。とけいを見るとまだ午前二時の未明、ゴ オーンと大鐘が鳴る、禅堂では|引馨《いんけい》のやかましい音がする、木板がバンバン響く、半鐘が鳴る、 ワイワイ読経の声がする、次いで鳴り響く喚鐘の合い図にわたしらは隠寮に行った。|居士《こじ》、|禅子《ぜんこ》 (禅子とは禅をやる女)、雲水などがうようよしている。それがかわるがわる喚鐘をたたいては宗 演老師の前に行って見解を呈し、のち老師の垂戒がすむと鈴が鳴る。次から次へと入室して、い. よいよわたしの順番となった。同じように喚鐘をたたいて老師の前に出ると、宗演さんは|莞爾《かんじ》笶 ウて簡単な褝の心得を語り、終わってたしか|趙州《ちようしゆう》の無字を公案として授かった。居室に帰り一 向専念、無? 無? 無? 無? 無?  そのうち暮れ方になり褝堂へ行くとずらりと禅坊がすわっている。見渡したところ、いずれも 女のほれそうなのはひとりもない。わたしもその仲間にはいってすわると、なんとなく変な気持 ちがして吹き出したくなるから、大いに閉ロした。かくて再び参褝が始まる。わたしの順番にな って、未明に授かった公案について見解を述べる、言下に退けられてしまう。今度は哲学式の理 屈をいうと、なおさらだめだと取り合わぬ。禅坊ほどだだっ子はあるまいとほとほと感じた。  かようにして、趨州の無字が荷やっかいとなって、なかなか宗演さんは受け取ってくれぬ。あ る日宗活さんはかまどの下をたきつけていながら、手に一冊の本を持って読んでいた。  「なんという本ですか」  「|碧巖集《へきがんしゆう》。けれど、本はあまり読むものじゃありません。いくら読んだって、自分の修業程度  しかわからぬから」  この一句は実にたいせつなことである。  平常の修行さえじゅうぶんにやると、いかたる人物にもなれる。いろけづいてわざわざ鎌倉ま で来たのは、そもそもわたしの心がけちがいだったかもしれぬ。文学でも人をして感服させるよ うなものを書こうとするには、まずいろけを去らなければならぬ。いろけばかりがたくさんで、 肝心の実意が乏しくては、ぶまな作物ができるというものだ。  実意があればこそほれる世の中だもの。                               (明治四十三年四月十八日)