現代読書法 夏目漱石  英語を修むる青年は、ある程度まで修めたら辞書を引かないでむちゃくちゃに英書をたくさん と読むがよい。少しわからない節があって、そこは飛ばして読んでいっても、どしどしと読書し ていくと、ついにはわかるようになる。また、前後の関係で亀了解せられる。それでもわからな いのは、めったに出ない文字である。要するに、英語を学ぶものは日本人がちょうど国語を学ぶ ような状態に自然的慣習によってやるがよい。すなわち、いくへんとなく繰り返し繰り返しする がよい。ちと極端な話のようだが、これも自然の方法であるから、手あたりしだいに読んでいく がよかろう。かの難句集なども読んで機械的に暗唱するのはまずい。ことにあのようなものの中 から試験問題などを出すというのはいよいよつまらない話である。なぜならば、難句集などでは 一般の学力を鑑定することはできない。学生の綱渡りができるかいなやを見るくらいなもので、 学生も要するにきわどい綱渡りはできても地面の上が歩けなくてはしかたのない話ではないか。 難句集というものは一方に偏して、いわば軽わざのけいこである。試験官などが時間の節約上、 かつは気のきいたものを出したいというのであんなものを出すのは、ややもすると弊害を起こす のであるから、かようなもののみ出すのはよろしくない。 音読と黙読  英語の発音をなだらかにする場合には、けいことして音読することもあろう。またうたうべき 性質の詩などは声を出すのもよかろうが、思考を凝らして読むべき書籍をベラベラと読んでは読 者自身にわからないのみならず、あたりのものの迷惑な話ではないか。 嗜好書籍  |嗜好《しこう》書籍をいちいちあげろといったところで、今日のごとく多忙の世の中に、愛読書といって 朝夕くりかえして読んで座右を離さないというようなことは、暇な人にはできるかもしれない が、われわれのようなものには二回も三回も繰り返ししたいものがあっても忙しいのでできない わけである。また、二へんも三ベんも繰り返して見るベき書物もまた少ないのである。 (文責在記者)                               (明治三十九年九月十日『成功』)